花園村を目指して
2年に一度、この恒例にもなった英車を愛でる会の行事も、私が参加する
ようになって何度目になるんだろう。母が存命の時からだから5回は行っている計算になります。
前回はトライアンフT-140Vのエンジン、その腰上の分解清掃作業から始まったのではないか、と思います。早いもので、あれから2年の月日が流れたこ
とになります。
今回は場所もまったく同じなんですが、自治体の合併は和歌山でもあったようで、花園村は消えてしまい、伊都郡かつらぎ町花園になっています。私の住む愛
媛では、まじめな話、自治体合併先進県でもあったためか「村」が本当になくなりました。
村が無くなるのは、実際のところむなしいものを感じます。主宰の来栖さんからいただいた案内状には、確かに伊都郡かつらぎ町花園梁瀬779となっていま
した。
が、私はどうしても、この地はこれまでの経緯から「花園村」と呼ば
せていただくことにしました。
さて、愛車T-140Vは電装関係がどうも思わしくなく、早々とSR500で行く、と来栖さんへ申し入れをしました。
が、これが大変でしてね。一昨年の今頃はT-140V整備状況と天候不順に悩まされ続けていました。今年は一転して上天気の連続。しかも、花園村への日
も晴天という、まことにうれしいところだったのですが…。
こういったときは得てして上手くいかないものです。仕事上のトラブルで相手企業のトップと対面し「セールスマン」のような役目をほぼ3週間にわたってや
る羽目になってしまい、これが連日のことで、すっかり参ってしまっていました。私のアルコール量も相当に増えていたのではないか、と感じるところです。
身体状況は若い頃からの神経痛が再びやってきましたし、どことなく落ち着きが無くなったような日々が続いていました。これを救ってくれたのがファイテン
のネックレスとウエストベルトです。これには本当に救われました。
たまたま、セールスマン的な仕事の後半に入っていたときでしたので、相手のボスからとやかく言われても興奮することもなく終えたことなど、この効果だ
な、
と思っています。
いざ、SR500はどうか、ということになるのですが、花園村へ行く間際になって、思わぬことが解り、急遽、吸排気系をストックの状態に戻した上で、
シートも純正に戻しました。
リアタイヤはK-300GPに変更しました。このタイヤのことはまだ記載していませんので、このツーリング結果から、後ほど紹介します。
タイヤ交換から8mm突き出し量を取っていたフロントフォークは元の位置に戻しました。フロントフォークオイルの交換、ステアリングのベアリングのグリ
スアップは残念ながらできませんでした。
帰路は夜間になる可能性が強く、ヘッドランプは純正の小糸製に戻しました。
その他の部分はなんら変更を加えていません。車体のほうは十分満足できるまでになりました。
車体自体のクリーニングもせず、エンジンなどのアルミの粉はブラシで落として、タイヤのエアチェック、エンジンオイルの量のチェック、スイングアームの
ピボットシャフトへのグリスアップ、チェーンラインへのオイル給油など、本当に最小限の整備のみで終わりました。
車体のほうは何とかなりましたが、路程は結局当日の判断ということにしました。ともかく、徳島道を走りたくないんです。過去鳴門で開催された四国自動二
輪交友会を含め、徳島道を数回走りましたが、早く行けとばかりに、後ろの四輪車が、とにかく突っかけてくるんです。こっちは90km/h程度で巡航してい
るんですよ。そのままのペースを保っていてくれれば、非難帯に出くわすと追越が十分に対処できるのです。
で、私と同じペースで走っている自動車が前にいると、車間距離をとって走っているんですよね。
もちろん対面通行の高速道路ですから仕方がないんですが、こんなことの繰り返しが頻繁で、バックミラーを気にしつつ走るので走行自体が嫌になってしまう
んですね。
そんなこともあって、まずは、我が家から伊予インターまでは一般道、伊予インターから池田までを高速、そこから徳島までは一般道、という路程にして、約
4時間半として、12時20分の南海フェリーに乗船するためには、少なくとも午前7時には家を出なくてはなりません。
この線を基本にして、SR500の状況と私の体調とを合わせて徳島道を走るかどうかを決定する、ということとしました。
明けて10月21日(土)4時30分、NHKラジオ深夜便で心の時代をやっているなか、気分よく起床しました。布団を上げ、定番のブルーのリバーシブル
のトレーナーにコミネのウインドブレーカー、化繊のスラックスにギロファのハイライズソックス。AXSOのモトクロスグローブにアシックスの革靴、とい
う、いつもの身支度を整えるのですが、部屋の豆球の灯かりよりテレビの灯りのほうが僕の身体状況に適していると考え、ラジオからテレビへチェンジしまし
た。
カメラはデジカメ(ニコンCOOL
PIX 2200)1台として、iPodと共に忍ばせて、着替えともども、いつもどおりの息子のお下がりバッグ1つにまとめました。
昨夜購入しておいた春雨のカップを食して、いざSRへ荷造りを開始しました。夜が白々と明けていきます。絶好の晴天がうれしい限りです。
一度部屋へ戻って、忘れ物などがないか確認したうえで、出ようとした矢先、テレビの天気予報が明日の雨のことをチラリと言ったのです。もしかして…、が
あるため、急遽カッパを用意します。
このため、若干遅れましたが、午前6時30分に出発しました。非常に快調です。道路も混雑していないので、60km/hで走ることができます。法華津ト
ンネルを抜けると案の定、霧の中を走ることになります。予想していたこととはいえ、大洲を離れ内子付近まで続きましたので、化繊スラックスにしてよかっ
た、と思いました。
伊予インターまでは国道56号線を走るのですが、前の軽トラがスピードを落とすたびにパンという音を出すんです。エッ!、私のがアフターバーン?、と
びっくりしました。
非常に快適のうちに伊予インターから松山道へ入ります。松山からは2車線道路ですから非常に快適です。石鎚山パーキングで一息入れます。午前8時20
分。
時間設定を考えると、池田インターから降りて徳島内は一般道を走っても大丈夫か?、と思案するのですが、無理せずに1時間程度のマージンがあるのなら、
高
速を通ったほうがいい、と決めて徳島道を走ることとしました。
午前8時40分、パーキングの太陽石油で燃料補給して再び車上の人になりました。徳島道へ入っても今年はいつもと勝手が違います。後ろから、突っかけて
くる自動車が
い
ないんです。したがって90km/hをキープして走り続けます。
今年は何となく(乗ったことはありませんが)単座のレシプロ飛行機のような爆音に聞こえてきます。妙なものです。
次々にインターをパスして料金所へ。ナガ~イ接続路を通って徳島市内へ。10時40分頃、徳島港へ到着しました。フェリーの出港(12時20分)まで1
時
間40分あります。先に食事と思ったのですが、これはフェリーの幕の内弁当としたほうが得策と考えて我慢します。今のところトラックが1台のみという閑
散さ。前回は宇和島自動車のバスと一緒だったんだよな。あれから2年か…、と思ったりもしたところです。
用を足して戻りますと、どこかで見かけたオートバイの後姿。ゴルディとコマンド、ということは?、やはり高知からのご常連でした。間もなく徳島からの
T120Rが合流となります。
コマンド君はよくぞここまで仕上げた、と感心します。やはりガレージがあって…、と私の青空工房では対処できないな、と思った瞬間でもありましたが、い
た
し方ありません。
四輪車、トラック合わせて20台程度を載せて定刻に出港。室内は冷房が入っているにもかかわらず、いまどきの気候にしては暑いため、半袖になり、結構素
敵
な幕の内弁当を食べた後、iPodで音楽を楽しみながら、上手い具合にフェリーとすれ違うシーンをショット。残念ながら大鳴門橋はモヤに煙っていたため写
真はぼけていました。
多少白波が目立ちますし、船はローリングをしています。係員がオートバイをいつもより的確に止めていた理由が解りました。
きっちり2時間、14時20分、和歌山港へ到着です。
私は北上して国道24号線から花園へのいつものルートを採ることとしました。高知組は南から行くということで分かれました。
高野口までは国道24号線(長いバイパス経由)を大部分通ります。道路の書き込みが多いために、イラツキが大きいし、四輪車が常に車線変更をやるもので
す
から、左端車線を60km/h平均で流します。何ともつまらない上に時間が過ぎるのが惜しい気分になってしまいました。
高野口からは登りルートですが、この辺の山道と大差ありません。唯一の違いはここを観光バスが通る、ということでしょう。高野山近辺が世界遺産に登録さ
れましたから、観光客も多くなったというわけです。
観光開発ができないとはいえ、ある程度の整備は必要なため、2年前の参加者が言った自然保護ができるかどうか、といった言葉が頭をよぎりました。
いつも間違える高野山との分かれ道も無事パスして、橋を2つ渡り、いよいよ難関の地蔵峠に…。アリャ~!?、ナナ、ナント、長いトンネルが通っているで
はないですか。いや驚きました。その前にあった工事中のトンネルが開通したら、花園までは相当に近くなる、と感じたところです。
トンネルを抜けて下り。ここでT-140Eさんがパス。よく飛ばしますね、アタシャできませんよ。が、どっかで見た車だ?。(この車があのサイトのオー
ナーchocoさんの愛車とは、このときは気づきませんでした。)
少し行けば見慣れた花園の中心部に出ます。ここを左折してその次を左折。ダグラスさん(前回お目にかかったダグラスの水平対向エンジンの車のオーナー)
がタオルを
ターバンにして歩いている。その次を右折すると最後の登り。一気に駆け上がって午後4時40分に到着しました。
先に着いていた高知組とは5分程度の違いだったそうです。来栖さんの奥様もいらっしてました。
部屋へ移って荷物をおいた後、ジャージーに着替えて参加車両を見学します。注目部分はキャブレター周りと点火系装置の収納方法ですが、わずかにコマンド
のシングルキャブ化+SUDCO MIKUNIが1台。Mさんのヴィンセント・コメットのSUDCO MIKUNIのみでした。
もっとも、今の原付スクーターの発電機を利用して乾式クラッチにしたトリトンがありましたが、これも別体エンジンだからできることですから、ユニットで
の改造はなかなか難しいものがあるようです。
温泉で左の手首をほぐした後、部屋で一服していると、同宿の熊本、福岡からの参加者としばしの懇談。この方々がどういった方かは、そのときはまったくわ
からなかったのですが…。
懇親会は前回と同様のなべ。ところが、今年はずいぶんと味付けも良く、材料ともリッチになっています。うれしい限り。
関西人が多いため阪神タイガースの話題から何から、臓器移植と冷凍倉庫でうんざりしていた私としては心が和むときでもありました。結局私の座ったテーブ
ルでは最後の雑炊まで全てを平らげてしまった、という次第。結構でした。
以前ルーカス・リタの取り付けを和訳したKさんは明年タクシー会社を設立されるとか。私を抜いたT-140Eさんは27歳にして来週(10月28日)岡
崎でオートバイ屋を開店するとか、すばらしいな、と感じます。同時に私は5年後の退職時からどうやって生きようとするのか、まったく考えてもない始末に、
やりきれないものを感じてしまいました。
久々に遠来賞をいただいたのですが、実走375kmですから、フェリーでの移動より実走距離が長いため、茨城から来たヴェロセットさんよりは少ない、と
いうところでOKだったようです。
ダグラスさんがいい気分で酌してくれましたので、それを飲んで、部屋へ引き上げることとしました。
部屋では九州組の2人と同宿です。何やかや話をして、私がいろんな物に手を出していることにびっくりされた様子。私としては自慢でもなんでもないし、以
前
のように引き込む話し方は控えていますが、それでも道楽というか趣味というか、そういった私がやっているものは一般の方からすると別の存在のように思われ
るのかもしれません。
プロ野球の日本シリーズが終わり、チャングムを見てお休みとしました。
睡 眠 中 ZZZZ
明けて10月22日、午前4時近くに目が覚めたのですが、結局二度寝入って起きたのが7時前。本日は若干雲の多い天気のようです。一応カッパは持ってま
すので、あわてる必要もあ
り
ません。ともかく13時10分に和歌山港へ着けばいいわけです。
早速、茨城のヴェロセットさんが師匠のSさんとともにレギュレーターの調整をしてらっしゃいました。
初めて参加のサンダーバードさんが「いい音ですね」、と言うので、「いやー、吸気と排気のバランスが取れていないようですよ」と私。「そんなもんです
か?」と
怪訝な顔つきでした。ダイナモ部分の調整にまでやられて、その後エンジンが回ったとき「ネ、さっきよりバランスがいいでしょ」と言いますと、納得されたよ
うです。
昨夜の話ではないですが、私としては根本としてオートバイは走ってナンボの世界です。そういった意味からは、旧車であっても、つい最近まで走っていた、
というオート
バイでなければ、オーナーとしてのリスクが大きくなるし、特に初心者は「本当にいいのだろうか」という迷いとか不安が付きまとうことになるわけです。最終
はオーナーが手を下さなければならないのですが、ソコヘいたるまでは多少のオイル漏れなどはOKとして快調に走るオートバイでなければならないのです。
しかし、それ以上の仕事をしている古いオートバイも考え物です。サンダーさんも、往路いっしょになった徳島のT-120Rさんも同様です。これまた、美
しさを維持するような方向付けで乗られますから、何かしら新車の輝き的で、ウエアとかブーツが新しいのと同様に、これからのオーナーとしては、きっちり今
の流儀でメンテナンスをご自身で行えるかどうか?、というところが、問題になってくるわけです。
この辺のフィーリングは、サンダーさんも1万キロも走れば理解できることでしょう。
下の駐車場へオートバイを下ろします。と、ダグラスさんが寄ってきて音を聞きたいというので、キーを取りに部屋へ帰り、エンジン始動。数人の人が着ます
が、突っ込んだ質問などはありません。
言いたくはありませんが、若干こういったミーティングの参加者は排他性をお持ちのようで、今回来ていた、ドカのMHRなど見向きもされない、という状況
が生じるわけです。
しかし、今の国産車とか、諸外国のオートバイなど、その特徴や若干のスペックなどを知っておかないと、先ほど申したような「木を見て森を知らず」の状況
が増えるような気がしてならないのではないか... 。
こういったところから、私はコヴェントリーの清水さんのやり方などはとても共感が得られるのです。こういった良心的な改造を施して今の道路状態にフィッ
トさせてやった方が、私としては旧車の楽しみがもっともっと増えるような気がします。後述しますが、T-140Vはこういった点でも好適なオートバイとい
えるわけです。
結構な朝食の後、荷物を整えます。帰路はどうするか?。再び疑問が生じますが、往路でのトンネルは捨てがたいものがありますし、国道24号線の状況も日
曜日の午前中ということもあってOKじゃないのかしら、と思われます。
南からのルートですと13時10分発のフェリーに間に合わない場合も考えられます。勘案した結果、来た道を帰ることとしました。マージンから1時間早く
着く算段です。
荷物を持って降りると、当日のオートバイが来つつありました。ま、気になる車も無いため、しばしの見物。
すると、同宿の福岡さんが来たので「どの車ですか」と聞くと、これです、ときました。あれ~、このバスタブはどっかで見たことが…。「あの、個人輸入か
ら始
まったバスタブさんですか?」。ここで初めてサイトの管理人さんと知ったわけです。(このときT-140Eさんは、まだ意識の外でした。)
サイドカーで来られる通称カメラマンさんとともに、そろそろレクチファイアがイカレますよ、ということで、20A程度のブリッジ整流を奨めたところで
す。
例によって高知組が一便早いフェリーで帰るというので、9時30分頃写真撮影を終えました。徳島のT-120Rさんが広い道(南からの)を通るという
し、始動に難儀をしていたのを尻目に、キック一発始動のSRにまたがり9時45分、会場を後にしました。
会場からすぐのところでガソリン補給。これで徳島まで悠々走ることができます。往路もそうでしたが、180km毎の燃料補給でOKですから、このパター
ンで行くとして、問題は徳島道に補給場所が無いことになります。ここだけをクリアーするには、どうしても徳島市内で補給することになるのですが、これが大
失敗
になろうとは、そのときは知る由もありませんでした。
快調に国道24号線を走り、和歌山港へ到着が11時45分でした。これとて1時間25分の待ち時間です。もし、30分前に到着するとどうなっていた
か?。往路と違って、今回は自動車の数が多いのですから、手続きなどで余裕がほしい場合など、この時間は貴重なものと思います。
とはいえ、オートバイは私のSR500ともう一人のバイアルス125の2台という寂しさでした。
船中で、少し遅くなりましたが、往路とは違う幕の内弁当を食べて、しばしの船旅…と行きたいのですが、どうやら空模様が曇ってきだしました。天気予報が
当たらないことを願って、きっちり2時間の船旅を終えて徳島へ到着しました。
時計はすでに午後4時前を示しています。一般道は無理として、大洲まで高速を使用する、と決めました。そうしないと、最初に出かけた時の帰宅時間と同じ
になってしまいます。
まずは燃料を、と思いつつ数店やり過ごして、気がつけば高速の入り口手前になっていました。どうしようもなく昭和シェルを給油。
いざ発進…、走らない。通行証の発券ポイントまでスピードが乗らず、異常なほど振動が大きいのです。やはり、昭和シェルはだめです。
徳島道は往路よりも交通量が少なく非常に快適でした。特に日産の青い車が100km/hで定速走行してくれましたから、それについていけばいいわけで
す。吉野川オアシスまでは、この調子で終了しました。
それ以降も大阪ナンバーのシトロエンが同じように走ってくれましたので、多い振動を除いては結構なペースで松山道へ入り、石鎚山パーキングへ到着したの
が午後5時過ぎでした。
重量オートバイのツーリング連中が去った後、私もそこの太陽石油を満たした後で出発することとします。ウグ~、ガソリンのメーカー違いで甲も変わるの
か!?。まったく涙ものです。徳島道での恐怖が一気に去
りました。非常に快適な走行状態で内子へ。
が、ここから大洲までは虫にやられてしまいました。時間のこともあり、宇和まではシールドを上げて走る始末。目のほうがしょぼくれてき始めたところで
す。秋、
田園地帯での薄暮時の走行は虫に気をつけなければなりません。
止む無く西予市卯之町の出口で思いっきりハンカチでこさぎ取るように虫の死骸を拭き取ってOKとしました。残りは法華津トンネルを抜けると我が町です。
SRも快調そのもの。アイドリングも950rpmぐらいで安定しています。国道56号線を一路我が家へ。
我が家までの最後の信号も一気に通過して、午後7時35分、無事到着しました。本日の走行372kmでした。
いつもながら、夕食の準備などもありません。荷物を降ろし、洗濯物をダッシュへ入れて一息。妙に気分が高揚していて、そのままネオンの海に身を投じた
かったのですが、昨夜の懇親会のような仲間でのワイワイガヤガヤやるのは同好の士が集まるということで好ましいのですが、今の私に適しているのは一人だ
な、と思いつつ、テレビをみながら、静かに第3のビールと缶
チューハイで楽しみました。
シャワーを浴びて、そろそろエンジンも冷めた頃と思い車体カバーをかけます。と、間もなく雨となり、今回の英車の集いを全て終了しました。
今回の英車の集いへ出かけるきっかけはもう20年近く前になるでしょうか。香川での四国自動二輪交友会へ出かけたとき、主宰の来栖さんが来ていたときの
ことでした。どこかで見た顔だな、と思いつつ、英車を愛でる会のことを聞きつけたのが最初ではなかったか、と思います。
最初の参加は道案内が不明で、来栖さん宅へ一宿させてもらいました。当時は花園村ばかりの開催でしたし、毎年行かなくてもかまわない、と感じていまし
た。それ以来の参加ですが、今回と以前に一度SR500で参加したのを除いて、T-140Vとともに出かけ続けたことになります。残念ながら、清里での開
催ができて、花園村が隔年開催となってからは2度ほど参加
できなかったことがあります。時を同じくして春のBritish Runへの参加も回数を重ねているところです。
今回は回を重ねること25回のアニバーサリー開催となりました。運悪くSRでの参加になりましたが、全工程つつがなく終了できたことに、私自身は「まだ
走れる
な」と感じたところです。そしてT-140Vを再び走らせようとしています。
私は英車が好きですが、そっくり当時のまま、というのはあまり好きではないのです。やはり、今に生きる旧車であり、今の道路状況にフレキシブルに対応で
きなければならないはずです。その方向付けからすると、少しばかり異端に感じられるかもしれませんが、それができるようなオートバイとすれば、私はT-
140Vは好適なオートバイ、と感じています。