花園村、2008年10月

 2008年8月半ば、1枚のはがきが届く。栗栖さんからだ。ということ は、今年は 花園だな。あそこの角で曲がって毎回のように道を間違う。クネクネの山道はトンネ ルを挟んで一本の舗装路になり、あっという間に...。

 あれから2年も経過したんだな〜、と思うと何とも不思議な感覚が支配してしまいます。4年前の工事が2年間でトンネルを堀抜き、走りよい道路になる。こ れだ けの経済力がこの地にあるのかな、とも思えますし、自治体の合併により花園村が無くなったわけですから、こういったものは合併後も継続事業として合併協議 会で合意をしていたのかもしれないとも感じられます。ま、第一に高野山周囲が世界 遺産になったのですし、国道が大半を占めてますから、自治体合併は関係ないかもしれません。
 逆に言うと(2年前に誰かが言っていた)自然破壊が始まった...、かもしれませんね。
 自治体合併で花園村が消えたことは前回のこの項で記載をしているはずです。トンネルを抜け、下ったところを左に曲がって山を登ると会場のふるさとセン ターに到着するのですから、あの時は本当にビックリしました。
 今は和歌山県伊都郡かつらぎ町花園ですけど、私の気分は昔の花園村のままです。当分は花園村で通したいと感じます。会場の「ふるさとセンター ねむの木」ではピント来ないのです。英車を愛でる会への参加メンバーは花園村を名乗ればいい、とは自治体へのアンチテーゼかもしれません。
 前回は...、とかいう思い出がグルグルと頭の中を回り、心はすでに彼の地を走ってる状況でした。はがきの文章に今年は参加者が多いらしいことがあった の で、給料日の後、早々と8月22日に送金して申込みを完了。連絡欄には本年もSR500での参加になる旨を記載しておきました。
 もう少し早くAMAL MK-IIがゲットできていれば、T-140Vに装着してテストをしていたところでしょうが、中途半端で終わりたくないため、T-140Vでの参加を断念 した次第です。
 
 SR500で参加すると決めていたから楽だろうって?。そんなことは一切ありませんでした。不思議な現象が起きて、SR500で本当に大丈夫かな?、と 感じることが多かったわけです。この件は別項で記していますのでご一読を。
 重複しますが、T-140VはAMALのMK-IIをゲットするなど、こちらも手を出そうか、とも感じていたのですが、調整など十分出来るはずも無く断 念しました。
 それより大きい影響があったのは、本年の天候です。こと気温は一向に下がる気配を見せず、10月上旬辺りまで30℃を示す状態。加えて休日のみ雨が降る という始末。このため、不思議な現象を起こす手前の段階でオートバイ自体をテストすることが出来なかったのです。
 そして9月下旬、私の不注意で、原付で徴収用務中にわか雨に遭遇、業務が終わった頃に雨がは止んでしまう始末。引き返して庁舎前は降っていない。なおか つ濡れた身体で次の場所へ行って用務を終えて、シャツ が生乾きのまま冷房の効いた庁舎内へ。
 そのまま数時間経過した後、ノドがイガイガ、咳がひどい割には熱は出ない。この状態が今回の出発時も続いている状態になってしまいました。
 加えて、職員団体用務の多忙。自治労県本部の定期大会を宇和島でやるっていうため、会場確保から事前準備の一部までを切り盛りしないとならず、久しぶり に教育委員会時代のスポーツイベントの計画から打合せなどの実務を思い出した次第です。
 これらのことがいくつかの組合せでやってくるものですから、何が何だかわからなくなるという事になるわけで、9月中はおろか10月初めまで続いたと ころです。その上に、出発前は総選挙がらみの対応で憤懣やるかたない状況。結局、最終準備は出発前日の半日のみという具合でした。

 2008年10月16日(金)。この日は午後2時半からの時間休を取ろうとしていたのですが、徴収先の都合で3時半からに変更。青空工房のため、実質上 は2時間程度しか 準備にかかる時間がありません。



 しかし、一定の整備は終わっていますので、まずは亀石屋から届いたメーター内のLEDランプを再び交換することにしました。テールのダブル球はエポキシ で補強し装着をしました。手慣れたものでメーター球の取り替えは30分で終了。アルミ部 分の白粉の取り除き。これ以外は手をつけず。SR400のエキパイとのマッチングに不安を抱きつつ、ガソリン補給。空気圧をいつものフロント2.0、リア 2.2に設定し た後、補強したテールのLED球を取付た程度で準備を終えました。



 明けて10月17日(土)。出発の日はいつもながらのあわただしさ。午前4時半に起きて、5時から山小うどんへ。帰宅して用を足した後、荷物の準備。天 候が幸いし、薄手の上着とウインドブレーカーでOK。この時期にしては異常な軽装なので不思議な気分です。窓を閉めると汗が出る始末です。天気予報では四 国は27℃を記録するといっています。和歌山でも24℃程度です。マジ10月の中旬なのですが...。
 走りながら、大洲から高速へ乗るかどうか、卯之町を過ぎた頃すっかり忘れていた凄まじい霧(=確実に日本晴)のため、大洲からの高速道へ入るのは断念。 とうとう中山近くまでモヤっていたので、伊予インターから高速道路 へ。
 一般道を走行したため少しだけ時間を費やしましたが、石鎚山SAで8時半だったので、これは11時のフェリーで間に合うかもしれない。速度域をい つもの90km/hから少し上へ設定。徳島道の状況が良いように願って、ここで太陽石油を給油。
 走り出して直ぐスムースさが加わります。これには驚きでした。答えは早計ですが400のエキパイではガソリンのフィット性も結構在るのかもしれません。 少 しだけ追い越し車線での高速域のテストをすると、スーっと110km/hを軽く針が移動します。恐怖感も何もない不思議な世界。この時点で走行車線を 90〜110km/hで キープすることとしました。
 徳島道も空いていて、これまた自分のペースをキープできて非常に満足でした。
 徳島市内は、いつもの曲がり角と違って、手前の「フェリー」標識で曲がったものですから、交通量は少ないものの一般道特有の曲が り角が多く、最後に1回道を間違えました。そのとき運良く高知組と合流。あちらさんも1回間違えたようでした。



 10時30分にフェリー乗り場へ到着。ホッと胸をなでおろしました。高知組はいつもながらゴージャスな車両。気付きはしないでしょうけど、ハーレーの XL1200など、凄まじいパーツで固められていますし、スーパートラップのディスクエンドが一般的な排気色だったので、バランスは相当いいのではない か、流石に!?さんだな、と感じたところです。
 後で聞いた話では、TMRも空気吸入が大きく、K&Nのフィルターに1/2アルミ板でカバーを付けてようやくOKになったとのことでした。ま た、仕事ではフジのエミフルの工事もやられていたとか。遠いようで近い県同士だな、とも感じたところです。IさんはBSAのゴールドロケット。ゴルディー の◇さんは別体のトラ。調子はよさそうです。久しぶりに▽さんはクリームにピンクのラインのタンクをブルーとシルバーに塗り分けしたT-120にされてい ました。ブログも出されている徳島のモアナ・ コーストさんは、今回BSAのスピットファイアでの参加です。

 和歌山到着後は、有田から行く高知組と分かれて国道24号線を橋本へ向けて出発。それにしても炎天下ではないのですが、この暑さは何でしょうか。まるで 9月下 旬の陽気です。凄まじいものがあります。
 快調な走行ではあるのですが、道路整備が進みますと時として道路標識の取り除きがあったりします。最初は高野山口でした。通り過ぎた後で気付きUター ン。すると、その車線には大きい標 識が目に入ります。このことは480号線へ入っても続きました。どうやら和歌山からは橋本へ出てから高野山へ行かせる方法を採っているようでなりません。
 高野山への山道を走ります。この天候のためシーズンがフィットしないのかしら、車の数が少ないので山道でも快調です。最初のトンネルは2年前はOKでし たし、今回も迷うことなくパスできました。が、地蔵峠を抜けるトンネルを出たところでは標識が無いではありませんか。 そのまま高野山への道をとっていた次第。
 数十メートル上ったところで、以前に大阪のSさんの一行を待つため引き返した売店を思い出し、そこでUターン。何と、大阪からの道は標識が残っていると いう始末。トンネ ルの出口で左を見ればよかったのでしょうが、右へ曲がらなければならないので、花園へは有田川から来い、ということでしょうかね。とはいえ、有田から来た ヴィンセントさん達も最後の橋をぱすして高野山方面へ行ってましたから、そうでもないのかも... 。
 思うに、世界遺産のため高野山へは道路整備は進むものの、少しでもそのエリアが離れると元のままということが厳然と残るわけですね。私は元のままのほう がいいのですけど...。
 トンネルを抜けるといつもの道。最後の大きい橋を渡って、少しばかり山道を走り、下ったところで、左へ行けば会場到着ですが、明日の準備のため、そのま ま鉄橋をわたり先にガソリン 補給をしてから会場へ行くこととしました。
 スタンドのご老人と会話。何とアリエルに乗っていたとのこと。そりゃそうでしょうね。メグロのエンジンなどお手本がアリエルではなかったのかと...。


 再び鉄橋を渡り、「ふるさとセンター ねむの木」到着。来ている台数はまだ少ないのですが、かなり古いオートバイが多い。話は前後しますが、とうとうT-140は一台も来なかった次第です。 (写真は少し遅れて午後5時前の撮影です。あしからず... 。)
 と、どこぞで見かけたSRが来ていました。オー、やはりね。バスタブのYoheiさんです。ちゃっかり隣へ駐輪しました。



 しばらくして、久しぶりに「ずいぶんゼニ入れられていますね」と問うてきた参加者がいらっして、その件に対してはSR自体の話が少しできたので、SRも 捨てた ものじゃないな、と感じた次第です。
 間もなく小川さん到着。T-140Vのリアキャリパー修正のレポート配付の一件からのお付き合い。嬉しい限りです。いずれ別項で起こしますが、ボイヤー の点火 シス テム等での話をしばらくしました。今回はT-110でしたが、相変わらずNGKの8番がタン塩色。素晴らしい。やはり、私がやっていることは何かが間違っ てる、 と感じざるを得ません。



 今回はノートンコマンドのTさん、時にはお遍路さんのTR-6の※さんと同部屋でした。春のBritish Runの主催である西森さんは遅れてこられるらしいとのことでした。
 夕食懇親が午後6時半ごろとのことでしたから、しばし、温泉へ。
 SR500も快調のうちに到着でき、これまでの整備とパーツフィティングも良好であった(と、この時は思ったのですが)。ガソリンもOKであった、とい うことから生まれた結果かもしれない、と感じたところです。本日の走行374km。



 懇親会は、和歌山のダグラス・Iさんと隣同士。向いは九州組とその仲間の大阪・東京の方々。Yoheiさんの師匠のご友人に対して、私の同部屋のTR- 6さんがまくし立てるように故郷の高知弁で話しをやるのを聞きながら、実に楽しい気分でした。
 ダグラスさんもいつもどおり、手酌になると調子が出てきま す。お向かいの九州組から予想で突っ込むダグラスのメカのことになると、少しばかりダグラスさんもプライドが出るのですよ。が、喧嘩にならないのが大人と してのいい点でしょうね。
 当の私は、最近どうも酒量が減りました。酒道場でのいつもどおり程度の量で今回も十分満足のうちに退席をしました。
 何人かは未だ到着していない様子。主宰の来須さんも大変だな、と感じるところです。
 程よい疲れとともに、テレビを消してオヤスミ。10時前に西森さん到着。すぐさまご友人の部屋へ。明朝の出立が早めとのことなので、今のうちに用向きを こなしておかなければならないのでしょう。
 2時間程度で全員がそろい、本日の予定は終了です。

ZZZZ ....

 明けて19日、午前4時過ぎ、西森さんが出立されました。ウトウト気分ではありますが6時過ぎまで寝入ってしまいました。気分爽快。少しばかりデジカメ で周りの風景をパチリ。少しのパララックス(右より)はありますが、センサー上=モニターとするなら、ファインダーで覗いてのショットの方がモニターを見 ながらのショットより好ましい画像になるのは気のせいでしょうか。



 参加車両を朝の光が当たる前に一覧します。何となく通常使用のオートバイですよ、というものは少ないようにも感じました。考えてみりゃ、ドライサンプの エンジン回してチョイトそこまでは数十キロ程度ですから、日常使用ということ自体が今の現代ではナンセンスでしょうか。そういった点ではツインならカワサ キの W650ぐらいが好適でしょうが、この車種も一台も居ない。古臭いスタイルの踏襲だけでは生き残るのは難しいのかもしれません。
 ウナビリーさんの改修トリトンが来ていました。彼も昨夜遅くなったのでしょう。プライマリー側は品のいい黒いカバーが装着されていました。なかなか興味 のあるモデルです。詳しくは彼がオーナーであるヨシダマシンの サイトを。



 ロビーではTさんと昨夜の大阪の方とが話をしてました。何と急に南下して、本日の宿泊所鈴鹿を目指したいとのこと、早々に熊野古道などを回るとのことで Jeepの(ウイリス型)ジープで出立されました。お仕事は制御板などを作っていらっしゃるとのこと。後で、ご自身の制御板が必要だな〜、と一同で笑って しまいました。
 彼の名誉のために申しますと、幌仕様でジープらしさを随所に残し、装備機能も十分でもあり、図太いジーゼルの排気音など、馬鹿げた格好トリのジープとは 一線を画すもので、流石に好き者だな、と感じました。
 エンジン始動も一発。ジーゼルのカタカタカリカリ音などミジンも無かったことから彼の情熱は十分に察せられるものでした。

 朝食は久々に生卵が出て「卵かけご飯」を楽しみました。味噌汁がすましに近いもので、違和感はありましたが、帰路の旅程が通常の食事時間と異なるため、 多め に二杯程度いただきました。当然完食です。
 一度、駐車場へSR500を移動させます。高知組は10時50分のフェリーに乗るため、いつもどおり早く出るとのことでした。
 あれ〜、YoheiさんのSRが玄関前にあるじゃないですか。強いて申しませんが、バスタブではないのが悔しいのかもしれませんね。
 用を足して、身支度を整え写真撮影。ここまでになったら慌てる必要もありません。しばらく当日参加の方々を迎えることとします。
 その前に、ウナビリーさんへT-140Vのエキパイのバランスパイプのみステンレスでの製作が可能かどうか問いますと、快く引き受けていただきました。



 何ともいえない図太いながら心地よい排気音が聞こえてきました。何とBSAのロケット3です。しかも初期型のモデル。これには驚きました。吸気のみファ ンネルになっていましたが、大半はオリジナルです。こういった乗り方...、いいですね。
 「オー、久しぶり」ナナナント、最初のオーナーとご対面です。当時の含蓄にとんだ話が続きます。小川さんのところへ純正スペアパーツを送るので、今の オー ナーへは無償で渡すとのこと。いい話ですね。



 数ショット写真に撮らせていただきました。栗栖さんへ、A75だとどのくらいの値段でしょうね?と聞くと不明とのこと。私の好きなのは後期のモデルで重 いためもあるし、輸入量が少ないからどうすることもできないのが現状のようです。
 トライアンフにしても200万円は覚悟しないとダメなのですから、ずいぶんと高価な趣味になってしまいました。

 木村さんのスペシャルメイドのウィットウォースのタップを私のお土産に購入。T-140Vにはあまり使われていないのですが、これはこれでよろしいで しょう。



 出ようかな、としたときに、乾式クラッチを確かめたいという御仁がいらっしたので、早速エンジンを始動して確認願いました。軽さにびっくりしてらっした のですが、湿式クラッチでもM.W.Iさんのおっしゃるように、クラッチピボット部の確認と調整、そしてワイヤーの給油を行えば、大半のSRのクラッチは 軽いんです。残りはシフト時の回転数合わせ。油温上昇に伴うシフトの渋さの克服、これは経験に頼るしかありません。
 そして、意外なのがオイル交換時期でしょう。これは帰路に起こった件とともに別項ででも。

 さ、そろそろ出立の時間です。今回は南東方向、有田川沿いを走ることとします。時間は3時間見越してますから午後1時過ぎのフェリーに乗船。帰宅は午後 8時前後の予定としました。本日も晴天で気温も高く、私自身にとっては安心です。
 これでも国道?と思わせる道ですから、私は気分よく50〜60km/hで走ります。追いつく自動車は広い場所で先へ行かせます。前にここを走ったときは レントゲン検診車に道を塞がれて困りましたが、今回はそういったことも無く、非常に快調のうち有田市へ。ここで旧道を迂回させられましたが、11時半頃和 歌山市へ。
 途端に渋滞。そのときでした。例の嫌なカラカラ音がし始めました。オイルクーラー装着時は出なかったのですが、ここに来て出るとはね。が、速度域が上 がって県庁前を左折。信号待ち以外は音が消える。ゆっくり走るとまた出るを繰り返しつつ、12時過ぎにフェリー乗り場へ到着しました。
 その後、なにわナンバーのベロセットさんが到着。すぐさまシートをはずして整備されていましたが、何ともやりきれませんね。


 フェリー内で往路と同じ幕の内弁当を食べつつ、今回は良かったな〜。トラで来てたら...、などが交錯します。フェリーのすれ違いを写してウトウトして しまい ました。



 しばらくすると、熊本の方が同席。話をすると四国遍路のお礼参りで高野山からの帰りだそうで、本日は松山泊まりで、翌日は八幡浜からフェリーで渡り、九 重の大橋を通っ て帰られるとのこと。
 路程のレクチャーを少しばかりやって、宇和島近辺の話をしていたら、以前、松山でのこととして、焼き鳥の「阿呆鳥」のことが出て少しばかりビックリ。 世間は狭いものだな〜、と感じたところです。
 三崎〜別府のフェリーがなくなったことがロードマップでは出ていないなど、時の経過がリアルタイムでないこと に少々苛立ちを感じたりもしましたが、私のようにネット上で調べることが出来ない方々にとっては、ロードマップ自体の更新などは出版元の勝手のようなもの ですから、購入のタイミングをみはからない と大変だな、とも感じました。

 定時に到着。着岸前にベロセットさんがロープをはずすではありませんか。揺れはないにしてもマナーとしてはいただけませんね。私自身は一刻を争う(笑) 帰路の旅を前にしています。それでも5〜6分の余裕はあります。ベロさん12発ほどキックして、ようやく始動、という始動性が悪いのなら、そちらを整備す るかキックに慣れるかをすべき で、フェリー内のマナーは守るべきではないか。高価なベロに乗る資格は無いかもしれないし、このオーナーは翌年までこの車に乗っているだろうか、と感じた りもしました。

 フェリー到着後、道路向かいのエネオスを給油。高速手前の昭和シェルを入れた前回は大変な思いをしたことが記憶から離れないための措置です。
 気を改めて高速を一路愛媛県へ向けて走ります。すでに午後4時が近づいています。いくら西へ向けて走らせても地球の自転速度は遅くなってくれません。 The BeatlesのI'll folow the Sunが思わず出てきて、それを和訳している自分がおかしくなって来ました。

 徳島道をクリアー、夕方の高松道へ入ります。石鎚山手前、東京トライアルクラブ松山支部のBMWの一団が私を抜き去って行きます。ジグザグ二列の走行パ ター ンを崩さずに抜くものですからから、彼らの左を走行しているオートバイが追い越し車線へ出ずに追い越しをかけるため、こちらが気をつける必要があります。 これは長 い隊列になればなる ほど危険極まりないことではないか、と思います。
 オートバイではBMWというのは高級車両ですが、ライダー自身のマナーはイナカッペではないか、と考えた一瞬でした。トップを走る者はラストの車両まで の長さを見越して、追い越し車線から走行車線へ入るべきです。一般道では、こういったリーダーの素質を持ってなければ、マスツーリングでは隊列をキープで きないことになるように思います。

 午後6時20分頃石鎚山SA到着。ヘルメットの虫汚れを落として、ここで太陽石油を給油。これで家までは無給油で走行できます。
 往路と同じく、快調さが戻ります。一度宇和島で太陽石油を給油して確認を取ってみたいと考えました。
 さ、夜のとばりと夕暮れの境を走ります。オイルショック的なものがあって、道路標示の明かりが暗く、石鎚山SAのような高所でのこの時間帯は少し目を慣 らせる必要があります。
 石鎚山SAからは南予通運のトレーラーに先導役となってもらいました。そういえば、徳島道ではブルーバードにその役をやってもらい、大変助かりました。
 松山道の双海の登り以後は単独走行でした。追いつく自動車は2台程度。相当暇な世界です。通行収入が上がりませんね。これだと高速は必要ないと判断し、 大洲からは一般道としました。
 犬寄峠では遅い車をパスして卯之町までは一人旅。どういうわけか前後に車両が居ません。吉田の手前で遅い車に追いつきましたが、知永峠の登り抜き去り再 び単独。以後拙宅まで は一人でした。ここまで、昼間に出たカラカラカンカン音は出ませんでした。
 午後8時15分に到着。軽い荷物を解き、仏壇へ水を上げたあと一息入れます。妻にお土産の松茸海苔の佃煮を手渡し、酒道場へは松茸昆布のお土産を片手に 軽く一杯やって、英車を愛でる会全てを終了しました。
  本日の走行390kmでした。

 一週間後の10月25日、思いついて朝7時半からSRのエキパイを再び元に戻して確認作業を行いました。今回の旅は何だったのだろうか、とふと考えてし まいました。
 トライアンフの燃料コックの問題については下の写真のT-120を参考にさせていただくことにします。



 おそらく、これでキャブレターの頭に当たることもなくなるでしょう。アマルMK-IIの取付には、片支持が大丈夫かどうか、再び考えないとなりません。

 今年は古い車が相当多数来ていました。写真はサンビームですが、ヘルメット見ても若い方であろうことは想像が付きます。リアサスペンションがスイング アームじゃないな、という方は、ま、勉強をある程度されているのではないかと思います。



 また、若い方がヴィンセントやヴェロセットなどを乗っているのは楽しみでもありますが、向こう十数年間手元に置いておかれるかどうか、先に記しています が、こういった高価なオートバイは通勤に使うわけでもなく、乗るとしても年間数十回というのが働いている方からすると一般的な数値と思います。
 今のハーレーなどにしても、若い人が多く乗っていらっしゃいます。300万円近いお金を動かすのですから、私としては不安の方が先に出てしまい、とても 手を出せる代物ではないようにも感じますし、1年のうちに数十回、その都度100km程度の走行なら、オートバイ(ハーレー)自体が可哀想でならないので す。長期ロー ン等で均等払いですと、月々四万円程になりますね。ディーラー任せということになれば、ハーレーだとオイル交換だけで小一万円は必要になるのではないで しょうか。そういったランニングコストなどは考え られているのかな?。そして毎年のモデルチェンジ。予想ではローンの残金を残して次のオーナー... 、止めましょ。

 それと、今回も私と小川さんとが話をしている光景を、「このオッチャン何者や?」と不思議そうに会話を聞いている人を見かけました。この方、革ジャン パーはだいぶ馴染ん できていましたが、前回も同様だったので私も少し気になっていたところです。前回はいかにも... 、という感じでしたので放っておいたのですが、今回は2年も経過しています。私なら勇気を持って話しかけるでありましょう。そこに生きたオーソリティーそ の方自身がいらっしゃるし、み んな同じオートバイ仲間だし、何処の馬の骨なんて思う人はいないのですから。
 すでにSR500は過去のオートバイになりました。私のT-140Vでも32年が過ぎています。今回の参加車両の大半はオーナーよりも高年齢のオートバ イです。私自身が考えるのは、今からでも遅くないので、しっかりと古いオートバイの特性、何をどうすればいいかなど、しっかり勉強をしていただきたいと感 じます。



 そして、1台ヒンクレーのサンダーバードが控えめに止められていました。排気量差もありますが、実際に隣のボニーと比べるまでもなく巨大です。が、れっ きとしたMade in UKの製品です。
 今回はT-140Vは1台も来ていませんでした。すでにヒンクレーのサンダーバードも生産終了になっていますし、ヒンクレートライアンフも様々な車種を リリースしています。これらの善し悪し好き嫌いは別として、現代のオートバイもある程度勉強をしていただきたいと思います。

 来年は清里です。今のシゴト状態では、おそらく参加できないのではないかと思いますが、様々なことを思った、今回のレポートを閉じることとします。






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