・・・春のブリティッシュラン・・・
西 森さん追悼

早 すぎる
 2014年もドンドンと時が流れる。何だろうな、職を辞して2年が経過しようとしていた。蓄えがドンドンと減る。うまい具合に奉仕の道が開けたので、今 はそれに就いている。3月が来たら退職3年目だ。そういえば、トライアンフも動かせないまま、何かしら、いつもながらのペースだ。仕事が終わった後に何か やろうとする気にならないのです。
 フトね、2月の終わり頃春のブリティッシュランの通知が来ていたよな〜、今年は本当に何も来ない、すでに四国自動二輪交友会を前にしての季節だし、しば らく参加してないから通知が来ないのかもしれない、と思っていた矢先でした。
 松山のMトラさんのブログに奈半利へ行く、との記載がありました。やはりやるのか〜、未通知のハズがない。これまできていたのだから...
 それじゃ、ってんで、秋の英車を愛でる会の主宰の来栖さんへ電話。「アー、しばら く。メールアドレスが見つからなくってゴメン。実はね、西森さん11月 に急逝してね、人数限定で奈半利でやろうか、と声が上がって... 」まさか... 、本当に信じられない電話での会話でした。

とにかく行く
 と、返答してメールでの通知を再度見ていました。倉敷アイビースクェアでの最初の参加、帰りが散々だったこと。退職前に出かけた五色台、退職までの 3〜4年間はときならぬ人事異動で職場環境がまるで違う世界、楽しみ分を含めて、本当に自分の時間が割けなかった。上司は平気の平左のヤツだったし、後は 格下の一般職がすべてをこなす。私も一度キレタものね。
 こういった状態で退職したんだ。退職1年前までの2年間がなければ、気分はずっと楽だったはずだったのに...
 今さら要っても仕方がありません。現在動くSR500をより良くしようと、様 々な手を入れてきました。
 3月の四国自動二輪交友会では左手首が腱鞘炎気味になりましたが、今回は現行SR400のクラッチスプリングを入れて左手首への負担が軽減されました。 排気はいろいろやりましたが、3GWの純正で す。他はBORE-ACEのクーリングシステムで補強+細工をしております。
 乾式クラッチはまだ大丈夫。リアのK-70のタイヤの挙動だけが少々心許ない、という状態でした。車両も体調もOK。こういった中でしたので、即座に 「行く」と申し込みをしました。

ライディング
 4月26日、今日は土曜日です。好天に恵まれましたが、明日が不明のため雨具は準備。新しいライディングジャケットはレーシングトライアンフ・ブルーの カ ラーです。最近流行の黒一色は辟易です。
 自治会長なもので、班長への市広報配布のため少し遅れて10時20分に出発。この時間帯ですが、土曜日は人の出足が悪いです。私はゴールデンウィークに どこだったか忘れましたけ ど、人を見に行ったような気分になって、以後行楽地へは出かけなくなってしまいました。



 日吉の夢産地で小休止。クラッチほか快調です。

 もう一つ、あの薬のおかげでしょうか、脚のシビレなどが起きません。助かります。ク リオのリング類は、不思議なリラックス感を与えてくれます。
 道は檮原から須崎、そして高知市内へ。ここで同じ事故を2回も見ました。いずれも、車両が左折して店舗へ入るとき、原付が車両の側面へぶつける、という パターンです。一つは救急車を呼ぶほどの事故になっていました。傷の様子から、車両の左前部に当たってボンネットを飛び越してアスファルトの地面にたたき つけられたのでしょう。
 高知市内を抜けるまで原因を考えていましたが、実に単純なことでした。それは車道の端と歩道の端がツライチではなく、歩道がわずかに高いのです。そのた め、車両が一瞬止まって段差を超えようとする。そこへ路側帯ギリギリで走っている原付が... 、のパターンなのです。

 こうなると、松山あたりの原付のライディングは上手、といえますが、やはり独りよがりのライディングですから、どっちもどっちかもしれません。
 知らない間に南国へ出ます。私の燃料補給は後回しにして、まずはSR500に燃料補給します。今回は残念ながらコスモは見つけられなかったので、エネオ スにしました。
 給油した途端にアイドリングが下がります。燃料成分が違うのでしょうか。いつもながら、粘り着くようなエンジンの回転になってきます。出光ですとスパッ とすると同時に振動が若干増えます。おもしろいものですね。

 午後2時過ぎ、南国師を通過します。線路を右手に見ながら高知の道を走る。自転車が多いことに気付きます、今日一緒することになる松山のMトラさんには 悪いのですが、南予では自転車が流行らないな、というのがよく解ります。宇和島からですと、津島、三間はまだしも、吉田へはイイですが、吉田から宇和島は 死ぬ思いをします。津島もトンネルは最悪です。こんなところで、一般人が快調にサイクリングなどできない相談です。

 以前に訪ねた折と同じローソンでサンドウィッチの軽めの昼食を摂りました。間もなく漁師町のたたずまいが感じられます。道々の喫茶店も閉店が多い。どこ も同じでしょうかね。
 前はこういったところで、クリームとピンクのT-120Rさんにビューっと抜かれたのを想い出しました。これで路面が少し改修してあれば55号線も快調 なんだがな〜、と思ってしまいます。
 クラッチの切れは問題ありません。エキセントリックの調整シャフトが減っているので、微調整が不能です。あと1mmの幅がプルレバーの上下で取り切れな いのです。これはもう交換ですね。エンジンはシリンダーヘッドのエキゾーストからカラカラ音が時として出ます。気温が高くなったため、オイル粘度が下がっ たことによるものか、と思いましたが、これはマルチグレードのオイルを今の10W40から15W50ぐらいに替えないとならないな、と思ったりもします。 信号待ちなどで止まった後は音が出ませんからね。
 オイルはバルボリンの10W40を使用しています。以前のBP、カストロールはもちろんのこと、ヤマハ純正の半合成オイルでも、残念ながら外気温が上昇 すると、この音は出始めます。オイルクーラーはBORE-ACEの2ラインと放熱フィンで対処していますので、やはりオイルだろう、と考えます。



 奈半利の街中を抜けて登りの道を通るとホテルの看板が見えます。左折して到着です。早くから来ているお仲間に向かえてもらい、往路は無事に終了。本日の 走行260km、燃費は24km/Lというところでした。



 松山のMトラさんと同室のため、先に大浴場へ出かけて、疲れを取りました。

交流会にて
 私、何かしら印象が強いのでしょうか。こっちはおぼろげなんですけど、相手はよく知っている、という関係が多いですね。私もトライアンフのオーソリ ティーではありませんから、多くは語りませんけど、それなりにいじっている、ということでしょうか。
 懇親会では、長老のSさんによる西森さんへの「献杯」からスタートです。皿鉢(さわち)料理、肉に見えるのはすべて魚でした。私、ウツボのタタキを初め ていただきましてね、残念ながらこれが先にいただいたビールに凄く合うのですよ。脂のノリとイイ、ソーセージよりはこれの方がいいですね。
 もちろん、メインは鰹のタタキです。それにドロメ。明日は赤岡のドロメ祭りだそうですが、ここ最近はあまりテレビ放映も無くなりましたよね。飲んで自動 車運転するからダメなので、この祭りそのものは残してほしいものです。
 久しぶりに、高知で飲む甘口の清酒、とはいってもすっきり甘いため、またヤリ過ぎました。6〜7尺のお銚子でしたから、3〜4合ほどでしょうか。かなり 気分はよろしい。



 このホテルは造船所会社が経営している関係から、ホールへ鰹の漁船の模型が展示されています。本来の鰹漁の船ですから、装備はすごいものがあります。こ の船を見ていますと、高知の水産高校の土佐海援丸の姿を思い出します。えひめ丸事件以後、実習で数年間ご一緒させていただいた船です。今のえひめ丸が沈没 したえひめ丸にそっくりですが、私は真の実習船ともなると、貨客船的な船ではいけない、と考えています。未だに忘れられない事件ではありますが...

 何はともあれ、久しぶりに楽しく満足した交友会でした。

帰 路
 翌朝、アクエリアス関係が無いので、水を少々。6時過ぎから近所をウロウロしてきました。海からは若干離れているため、どことなく田圃や畑があって、高 知流の 入母屋の家が並ぶ風景です。いつもながら、愛媛の西の外れと高知の東の外れには同じようなところがあるのだな〜、と思ってしまいます。



 朝食は和食ですが、おかわりをしてしまいました。昨夜はお寿司を少々でしたのでね。

 記念撮影は、急遽ホテルのイルミネーション工事の方にお願いしてクレーンから撮影、となりました。私のSRがミエミエでしたので、無理を言って隠してい ただきました。唯一BMWのK1200で来ていた女性ライダーがいましたが、NHKの藤井アナウンサーによく似ていらっしゃったので、世の中には似た方が 3人は居る、というのは本当かもしれませんね。



 9時過ぎ、往路より1時間以上早い出発となります。以前に出かけたとき、自動車博物館へ出向いたのだな、そしてクラッチが滑り始めて... 、とツマラナイ思い出が浮かんできます。続いては昼食をどうするか、が問題。
 高知での鉄則として、帰りは左手に海を見ながら走ること、です。高知市まで に、ビュンビュンとBSA組に抜かれてしまいます。確かに以前は私もアーいった走り方をやってました。しかし、走らないSR500をある意味、一噌走らな くしている今の私とSR500はそういった気分には一切なりません(^0^;)
 まことに、おかしな雰囲気のSR500になってしまっています。ところが、駆動関係で は実に相応しいイジリ方になってまして、一定速度では、余裕の気分で走らせることができるのです。



 須崎へは12時過ぎに到着でしたので、思い切って宇和島へ帰って昼食にすることとして、いつもの道の駅で小休止して、午後2時前に帰ってきました。
 幸い、左手首の負担はずいぶんと軽減されましたし、クラッチスプリングの変更は成功でした。

 帰宅して、妙に疲れが少ないことに気付きます。やはり、ライディングジャケットの効果でしょうか。その後、左手のしびれが深まってきました。ジンジンす るのです。これはどういったことになるのか?たまたま、爪を切りますと治まるときがあります。妙なものですが、グローブが合わない、というわけでもありま せん。
 四自交の時はどうも身体の他の部位の筋肉も色々と使っているのではないかな、と感じます。身体のコリというのは、意外なところに原因があるのかもしれま せんね。
 今後やるとしたら、スティンキーのシートにフィットさせたハンドルバーが必要です。実は、今のハンドルバーではシートが低く腰があるので疲れるのです。 2J2のハンドルバーも持っては居ますが、現在よりある程度上体を起こすフォームが必要なようです。
 本日の走行距離260km、往路とのわずかな違いは出発時のガソリン補給のため、拙宅からスタンドまでの距離となります。燃費は24km/Lと無分解の エンジンとキャブとしては上々ではないかな、と感じています。次は和歌山での英車の集いとなります。

後日談
 
なんでしょうか、妙な気分が支配します。Tさんのノートンコマンド、あの方のR60、そして...
 私、以前のあれで、私が間違っていたのではなく、アレを選んだために失敗したのではないか、と思うようになってしまいました。



 本来なら、アレになるのでしょうが、その前にやっておきたいことがある。ほぼ、間違いが無いはず。が、相当に高価になってる。が、救いの神は居るもの で、社名のとおり、助け船でした。ま、というところでポチッとやってしまいました。それが昭和の日とは、何か意味がありそうにも思います。


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