ヤマハ スポーツ XS-1 (その1)

駄 文の初はじまりか
 ヤマハスポーツ XS-1 これがこのモーターサイクルの名称だった。ときに1960年、一般にはホンダのCB750が世界を席巻しようとするときでした。もちろんCB-450がホ ンダの大排気量でしたし、中には世界が750ccオートバイに目が向項トしていたのは事実です。そこを、あえてバーチカルツインで世に打ってきたのだろ う。それならOHVエンジンにしなかったのだろう。
 カワサキはW-1があるし、スズキはT-500がある。もちろんにはMach III がありました。とにかくある程度の車格、それにヤマハというメーカーが必要ではなかったのか、と思います。
 いざXS-1がリリースされたとき、多くの方が今まで2サイクルの大メーカーがツインシリンダーで勝負しようとしたときです。が、美しいスタイルと日本 女性のような気分の650エンジンは、その中身が信じられないほどのシロモノだったのです。
 信じられないような震動、ヨーイング、不思議なオイル漏れなど、散々たるものだったわけです。簡単に記載しましたが、私が楽しみとしてもXSという呼称 が本当はなにかがあったのではないか、思いつくことを申し述べてみたいと思います。(2018年3月10日)

プロローグ
 あの方はもう無くなったもしれない。あるいは他所へ行かれたかもしれない。私がトライアンフに乗りたいと思っていたときだ。雑誌その他もXS650ある いはXS-1という名称をヤマハが使う。しかもホンダCB750をリリースしているのに未だにバーチカルツインだどう言う気分なのだろう、開発者は?当時 はそんなことは気にも止めなかった。ましてや強烈な振動、よじれるヨーイングなど、本当はどうなんだろう。信じられないかもしれませんが、その頃私はメグ ロ ジュニアS-3(1958年製)という古いオートバイに乗ってました。
 そのためグリーンのタンクのXS-1は音さえ(エキゾーストノート)も聞いたことがない。ましてや現車を見たこともなかったのがいつわらざるところで す。時に19○○年のことです。その後、私はカワサキのKH-500という少し角が取れた3気筒に乗ることになりますが、「XS」と言う呼称は頭の中から 消えることはなかったのです。
 が、このバイクに「E」の呼称が用いられてフロントにディスクブレーキが、潤滑オイルが300cc程度少なくなった。ヤマハのユーザーだった方は CB750に乗ってらっしたけど、さんざん考えてTX750にかえられた。この方はしばらくして四輪変わった。その時のTX750はどうなったかワカラ ン。残念ながらCB750はどことなくおかしい。現在とは違い、この地方にホンダのディーラーはもちろんのことメカニックが皆無だったのだのです。
 ホンダはよく売れた。がバイクはお手上げだったのである。その逆をヤマハはやっていた訳だ。先に申しておくけど、スズキは代理店が全くなかったという か、カワサキはこれからのメーカーだった。今と違って看板を上げていることは何がメインなのか、明確で無ければならないのだ。その点、半分ヤマハの職員み たいな私は、色々助かった。が、メーカーのご意向とオートバイの状況、店舗の経営などなど、終わりはあっという間に来た。このことは、今のメーカーの状況 とは比べものにならないほどにことだったのである。
 私は様々なオートバイを触った。その上に所有車も多く、妻との結婚のあとも今でも続いている(爆)。おかしいかもしれないが、とにかく色んなオートバイ のことをヤッタ。しっぺ返しの借金はあったけど、何も言わない。もし、あの時もっと周りが見えていたらかなり裕福なことになっていたのではないか、と思 う。
 と、このように綴ってはみたものの、私はXS650E、TX650を乗ってきました。いずれも現時点では手元にありません。したがって、この文章も過去 のことしか記載が出来ません。そのために、記載してことに対する写真などはないものばかりです。しかし、各種のモロモロにものは私の心の中(カッコイイ) にあることばかりです。
 無理に、このわずかに排気量を650からオーバーする車両、なぜ、これまで私の心の中から外れないのか、不思議なものですし文章も校正豊かな端的なもの すれば「またか」と思われるかもしれません。が、あっちへフラフラこっちへフラフラ、XSのヨーイングかもしれませんが、そういったことをご理解していた だければ幸いです。

XS650E
 実はトライアンフを購入するときにエピソードがあるのはあるが、その前に、XS-1のことを言わねばならない。今ではこのオートバイもレアになってし まった。これがどうこうなるまで完全にこのオートバイとして認めるにはチョット紹介文とは違いすぎる。
 XS-1は、寒い雪の降った宇和町、友人のライディングで見に行った。いつものことながら既に金額の算段は出来ていたのだ。エンジンを掛ける、何という か言いようのないエキゾーストノートと震動、残ながらこのオートバイはバイロンさん(古い)のモーターサイクリスト誌のインプレッションのままであった。 いいにはいいのだが、少しゲンナリ。何か違う。私が使うオートバイとは違うのだ。
 この話は立ち消えとなってしまった。もう少し鋳物になってしまえばね... 、ずっとそう感じていた。フトしてことから、XS650Eをのってみんかな。降って沸いたみたいなことだった。
 現車を見せていただく。ある程度はディーラーでやるから。MACHは紹介はしていないが、未だに手放さずに持っていた。これは項を改めてそのうちに。
 XS650Eを持っているか。そのうちというか、何か違うものがあるはず。トライアンフの練習にいいかもしれない。当時の私には過ぎた練習かもしれな い。でもイイものになるはず。これはね。こう睨んで購入するに及んだ。
 とにかくXE-1とは別物だ。信じられないが別物だ。おまけにアルミリムを付けるとそれは変わりすぎた。これがモノホンのテレスコだったらいいのにね。 かなりこのマシンはよく使った。これだけでほんとによく使った。
 タイヤも3回ほど替えた。最終はけK-70とF-2これでベストだった。今とは違い、タイヤのチョイスなんてエエ目が出るか悪い目が出るか。とにかくタ イヤなんてどれもどれも同じだ。もっといいものになるのでは、パーツリストを片っ端から見てみた。

サークルワールド誌
 大学へ通っていた頃、名古屋で大井モータースというのが近所にありました。どうも生きづらいので見るだけでした。前後しますが、大阪は大西モータース、 意を決して喋りましたけど、ディーラーがお高く留まったいる気分が最後まで消えませんでした。ちょうどBSAのロケット3(ガトリングガンマフラーの)が そこに止めてあった。CB750に対抗するディック・マンのことなど、未だ表面には出ていない頃です。それが昭和45〜46年頃でしたかね。
 その頃は私は友人からメグロS-3に乗ろうと思ってましたから、最後の最後でカワサキのZ-1にまたがった、これが終わりでした。今とは違い、御上のお 達しでオーバー750は御法度、いずれも変形ハンドルはダメ、こんな訳の分からないことがまかり通っていたわけです。
 なぜ、このことを記載したかというと、今OKなハンドルバーは変形ハンドルなので車検にも通らない。そんなご時世。オーバー750云々は公明党の国会議 員が「なぜ国産車なのに国内で国内の価格で買えないのは可笑しい」ということが引き金になったようですけど、あっという間に、ゴールドウイングがOKにな りました。この話はいずれすることとしまして、このハンドルバーの件、私はオートバイは警察庁のお歴々が頭が硬い人々が決めたのでしょうね。高速道の料金 が軽四と同じ、というのもおかしなことです。もっともとんでもないタイヤの価格が高いのも可笑しいのですが(爆)
 そのサイクルワールド誌に手紙を出したことがありましたね。兄妹雑誌ではなかったのですがソニー出版からサイクルワールドをリリースしてましたから、島 さんのSR498も改造記事が出てましたね。サイクルワールドからの返答は通り一般でしたが、可笑しい旨は記載がありました。
 そのサークルワールド誌に出ていたのはXS2という美しい車両でした。これはもしかしたらイケルのじゃないか。メインのタンクとテールランプは、残念な がらフロントウインカーステーが入手出来ませんでした。
 今では綺麗なバイクだな、と多くの人が確信できるものでした。遅くなりましたがアルミリムは交換しましたDIDのものをね。これは「TX750のもの」 と指定しないとタカサゴのものがくるので注意を要します。XS2としてかなりイイものになっていました。関係はあまりありませんが、タカサゴとDIDはど ちらがいいか、優劣はありませんがTX750のリリースがDIDであったこと、それだけです。ちなみにTX500はタカサゴ製でしたから。



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