Coventry訪問記

 2001年11月 5日、職員団体の用務で東京に出向く。空模様は悪い。くもりに出ていって雨に帰る、というパターンになりそうだ。ま、東京では雨が降らない、と思ってのことだからよろしかろう。飛行機はANAの朝の二便。どうしても好きになれないボーイングの777だ。767でも大柄で寸法的におかしいような感じがするのだが、777は小さい707のようにも思えてくる。本来なら4発のジェットエンジンを装備してもおかしくない。東京での用務前の自由時間は3時間しかない。用務後は最終便で松山までとんぼ返りで帰ってくるのだから、どうしても前にある自由時間を利用しないとならない。
 僕は不思議に東京での土地勘がいい。大坂だとどうもうまく行かない。ずっと以前、淀屋橋の美津濃(ミズノ)本店に行くのに、どれだけ苦労したことか。ところが東京では最初に秋葉原へ行ったときも全く心配ないほどにスムースだった。今回のCoventryったってイギリスのそれではない。東京は世田谷、自由が丘のバイクショップだ。山手線で代々木まで出て、東急に乗り換え。東急東横線の自由が丘駅前からはオーナーの清水氏に出迎えていただいた。電話で話をしただけで、全く対面がないのだけど、どういった方か、描いていたシチュエーションどおり、ア・ウンの呼吸ですぐに分かった。
 店についた途端にびっくりだ。店ではなくビルではないか。一体ショップはどうなっているのか?。それもそのはず、オートバイ雑誌などに紹介されているショップの玄関は横町の方だから、幹線道路から訪問するのだから変に思ったまでのこと。
 ファクトリーは雑然としているし、実際に狭い。しかも、ものは散らばって雑然としている。まるで僕の部屋のようだが、一台のスペースはそのバイクのパーツで囲まれているから、整備の環境はOKという寸法だ。僕も2台を同時に整備ってことはあるけれど、軒下の青空工房でも、このように、一台ずつ片づけていった方が同時進行よりもいいのかもしれない。
 少し遅れた昼飯に、天丼とざるそばセットの定食をごちそうになって、清水氏のまくし立てに対応したり、ショップの回りを見回しながら、何やかや話をしていた。アマルのキャブ、インマニのこと、SRのフロントフォークの流用の件など、話は尽きない。
 僕と清水氏との実質上のつき合いは、雑誌タッチバイクで紹介されていたTRITON製作記を見たときからだ。実はもっと古く、タイムトンネルの1位のTRITONレーサーが雑誌に紹介されていた時からになるのだけれど。
 記憶が不確かだが、古いトライアンフでも、現在のパーツを流用したりすれば立派に走るし、もっと注意して接してやれば、そんなに壊れるものではない、など、僕自身が体験している。ことから、このオーナーは実際にそれをやっていらっして、そうやって整備したトライアンフをレースで走らせているわけだから、一般のトライアンフでも、ここに相談すれば何とかなるのだ、と確信して、スプリットファイアのプラグを入手したのが、おつきあいの最初ではなかったろうか。その次はシリンダーヘッドの銅板のガスケット。
 本来なら、もっと長い時間に渡って、「ここんとこのここが、これがこうだから、こういった具合に」、などと話をすべきなのだが、1時間15分があっという間に過ぎてしまった。もう少しいい時期にアポとって行きたい。本当に小さいショップだが、常人が考える古いトライアンフではなく、何もかもが今のバイク然としている、いい意味での一筋縄ではいかない(調子のいい)トライアンフは、ここのノウハウの何かが入っているような気がしてならない。清水氏の言う「走らなきゃバイクじゃネ〜よ」って言うような... 。
 スペアパーツにしたって、千葉のストーリーさんもそうだが、世界からいいものを取り寄せる。僕のステアリングヘッドなんてニュージーランドからだし、最初に付いているものより精度が良かった。こういったことからもお分かりになると思う。
 時にはSRのフロント回りを持ってきたり。ちょいと手を入れてやれば、今流に「必ず走るんだ」って気分を放っているトライアンフは清水氏と彼のスタッフでリビルトされている。
 ショップを後にするとき、何か別れがたいんだよな。スプリットファイアのプラグから始まって、パッキン類、難題だったシートの張り替え、そしてフロントフォークアッセン、それだけのおつきあいなのに、何か隣のオヤジがバイク屋さん、っていうそういった気分なんだ。そういえば、出前で「バイク屋です」と言ってらっしたのが印象的だった。
 次は完全に訪問、という形で行ってみたい、と思う。

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