T-140Vは応用が利く?

その1 ショップとのかかわり...
 今は2005年6月、女房と一緒になって、28年になる。6月の挙式だったからT-140Vを購入したのはそこから半年さかのぼった1976年12月。 何と女房より先にウチにお輿入れ、しかも英国からだ。
 購入後は随分と不明な点が多い上に、サポート体制が全く取れず、最初の大問題だったリアブレーキのマスターシリンダー分解に係わるホルダーのネジ山損 傷。わずか2年なのに、村山モータースでは受け付けてくれず、福田モーター商会で完全にリペアしていただいた。その時代のことを知っていらっしゃる方も少 ないだろうから、村山モータースのことをとやかく言うべきではないが、この件をはじめとして、老舗の専門店のイメージはあっさりと吹き飛んでしまった。

 ぼちぼち、イタミも激しくなった頃、ちょっとした衝突で右ウインカーを昇天させた。国産の気分から「安い」という思い入れで購入すると1個5,900 円。それを4個購入したのだから、自分としては大出費だ。ちなみに、ルーカス純正のレンズは1枚2,900円であった。
 別売のステーは、村山の自社制作品。1.5倍程度肉厚強度が増していたが、ウインカーボディーがABS樹脂のメッキだから、ぶつけるとボディーが壊れる ことに変わりようがない。長さが異なるから、これまた前後2本ずつを購入。
 次いで、ロッカーカバーの取り付けボルトを締めすぎてネジ切った。この修正ボルトが村山での特注となって、1本1,000円。左右が異なると見栄えが悪 いから2本必要。

 


 それから数年後、村山モータースの商標が図形化したMマークになって、ドゥカティの国内総代理店になった当時、メンテナンス台帳もカード化された。それ を受けて、僕のT-140Vのもカード化できないか電話で連絡したが、受け入れてくれない。
 さんざん話した挙げ句、「お店まで訪問し、先代とあいさつまでしたのですよ」と言った途端、応対がまるで変わる始末。
 ま、今回は新規購入からのオーナーカードということでお許しいただきたい、ということでケリがついたが、現在、村山モータースは営々とやってるんだろう か?。webサイトでは笹塚から移転してハーレーのみの販売のようだけど... 。

 最初の部品交換はマフラーからだった。当然、村山の在庫残りのトライアンフタイプは欲しくないので、ブルックランズからワッセルのエンドコーンの付いた ロングメガホンを購入した。
 これがなかなか素晴らしく、長期にわたって使用できた。幼少の息子をして「うるさいオートバイ」とけなされたが、背負子で背負ってタンデムすると、眠っ てしまうのだから、かなりパルス的には良好なサウンドであったのだろう。
 どうして、このマフラーになったか?、というと、先のスタッドボルト購入劇にまつわる有名(大げさ)な話が、当時の麻布狸穴にあったブルックランズへ妻 とともに訪問したときに起こった。
 御当主の奥様と話をして、実は... と、このボルトのことを話したところ、「今度イギリスへ行くので、そのついでに探してみるよう伝えます」、と応答いただいた。
 後日、まぎれもなく、その2本が郵便で届けられたのを見たとき、ギット(方言で律儀の意)な方だな〜、と感じ入った次第。
 それ以来、ブルックランズへ数回パーツ等の発注の折には「ボルトのBoneさん」で通っていたらしい。

 同じ時、武蔵野にあった当時の本橋ヤマハ販売(現在のモトコ)を訪ね、そこで、鈴鹿の8耐を走り終えた、そのままのSHIMA 449に跨った。この件は、トライアンフとは別の項ででも報告するとして... 、1985年、ヤマハRZVがリリースされ、自動二輪の自賠責保険が一気に上がったのを機会に、T-140Vも10年余の長期の眠りに入った。

 眠りから覚めたのは、自賠責が下がったからであった。妻の実家の納屋に放置していたT-140Vは各部のサビがひどく、ことに、プッシュロッドチューブ の交換が重要課題であった。
 まずは、イギリスのローバックから個人輸入を行った。別項で記載しているとおり、パーツはすでにT-140Eクラスのものに変わっていたため、エキパイ を除いて、その他はお蔵入りさせておいた。
 一方は、現在のトリニティースクールの前身ダイナベクターより中古品を送ってもらった。これまた、一部メッキのはがれがあって、そのままにしている。
 いかがしたものか?、と思っていたとき、たまたま別冊モーターサイクリスト誌で知ったのが千葉のストーリーさん。
 古谷氏と電話のやりとりを数回やって、さびだらけの現物を送って高さなど寸分違わない、オートレース用(かな?)のものを送ってもらった。
 おかげで、組付けを終えて、最近まで使用できていたところだ。再びシリンダーヘッドを開けての整備は別項で記載しているとおりだ。

 その後パーツリスト、レノルドのドライブチェーンなど、結構手配していただいたが、どうしても、ストーリーの主力が650になる同社では750のT- 140Vでは、少し... 、といったとき、困ったショップを雑誌で知り、電話をしたのが運の尽きだった... 。
 2001年の、と、ある日、そこへ電話・
 リリ〜ン「コベントリーです」から始まる、トリトン清水こと、清水さんとのつきあいが始まるのである。だみ声とも何とも、ね、わかるッしょ!。
 おかしいことに、僕と少し突っ込んで関係のあるショップは、必ず訪問しているのだが、コベントリーも同様だ。それ以来、清水さんとのやりとりは今でも やっている。
 あの年齢で凄まじいよな、僕など仕事をはずれての時間でしか比べようがないが、その動きには敬服する。
 シリンダーヘッドガスケットとか、アルミのインマニなどを購入しておいたり、
ようやくT-140V関連で今流の生き方が出来るようになったのは、この瞬間であった。
 
 その他の大半はサイドバルブで購入している。T-140クラスになると、大半のパーツはストックのままでも装着可能だが、僕はあえて、国産のパーツで使 用できるものはそれに変えている。
 これは、僕自身の考え方で始めたことだが、その裏付けはコベントリーの清水さんの行き方に触発されたものである。踏み込んで、無理をして国産ものを装着 する必要はないが、国産の方が安心できる部位、パーツは極力そのようにしている。

 ここから、本題にはいるのだが、先にショップの紹介をしなければ無理があるとして、次回からは、各部の変更点を申し上げることとしたい。


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