SUDCO MIKUNI とTRIUMPH T-140Vとの今の関連(1)

 SUDCO MIKUNI のキャブレターをトライアンフに装着して2年が経過しようとしている。何度やってもうまく行かず自暴自棄になってしまったりもした。一連の経過は過去拙文 でまとめている。それ以上のことはあるのだが、文章としてみると、この程度だ。
 7月のはじめ、息子が車体カバーを剥がして「このバイク動くの?」と僕に問う。傍らにいた(彼の)彼女 の手前、キックを踏み下ろしたのだろう。たまたま2階から下りてきた僕に見つかって言ったまでのことだ。「もちろん」と応じた。外観こそく たびれてはいるが、一月や二月ぐらいなら、そんな心配は皆無、すぐに動かせられるように仕上げてある。
 今夏は猛暑が続いている。夕立がいつやって来るか分からない。そういった天候状態ではトライアンフを走らせてみる、と いう気にならない。ところが、僕を動かせるような記事が出ていて、それを読んで、再びSUDCO MIKUNI のキャブを触ってみよう、ということになった。どうしても、プラグのくすぶりの状況が頭から離れないのである。
 

2001年7月30日(月)はれ
 午後からの会議に出席のため、松山へ出向く。会議では資格審査委員という役職の務めがあるのでJRを利用する。たまた ま、書店でバイカーズ・ステーション誌を見て、編集子の中村氏のトライアンフ(T-140V)にミクニのTMR、SUDCO MIKUNI、そしてAMALを装着し、主として、ブリティッシュビートの鈴木御大、ミクニの高橋さんがゲストとなって、その走行状態の比較を記事にした ものであった。別段購入しなくてもよかったんだがSUDCO MIKUNIのキャブセッティングが出ていたので購入した。
 車中、ずっと読んでいたのだが、僕のT-140VとSUDCO MIKUNIの状況と比較して、どうも腑に落ちない点があり、これを検証するために近い内に僕のT-140Vでやってみよう。その結果が良ければ、なにが しか結果の比較ができ、考察すれば、それ以上に僕のT-140Vは快調なんだ、と分かるではないか。
 家に帰って、早速ストックのジェット類を引っ張り出して考えを纏めた。
 

考え方
 所詮、ミクニとAMALはずっと以前までライセンス契約が合ったわけだ。だって昔は392 AMALだったんだから。つまり、ミクニ・アマルね。そういったVMキャブレターの根幹はAMALに範を取っていたわけ。今のSRに装着されている負圧の キャブもソレックスとの契約で最初はやっていたんだから。
 そういうことだから、ポン付けでもある程度の結果は出る。ところがエンジンはストックでも排気系が異なるもんだから、 ここが思うように進まない。したがって、吸入側も大きく異なったものになってしまうのではないか。このことはお分かりであろう。バイカーズステーション誌 でも過去のキャブセッティングで、スタンダードの国内使用車を使った記事はあまりない。言いたくはないが、これをやるとメーカーからなにがしかのものが やって来るからであろう。
 幸いにも、編集子の中村氏の所有するTRIUMPH T-140Vはトリニティースクールで自らが組み上げられたものだ。点火系などは僕のに近い。氏の140Vはスーパートラップのマフラーが装着してある。 キャブは形状が異なるが、SUDCO MIKUNI の32mm口径のVMキャブだ。雑誌の仕様値を僕のこれまでと比較して表にしているので参照を。
 
 
項      目 Boneの仕様 中村トライアンフ
メインジェット #240 #190
パイロットジェット #25 #17.5
ニードルジェット 6DP17 6DH3
クリップ段数 下から2段目 中央のスタンダード位置
エアスクリウ戻し回転 1回と3/4 2回
インシュレーター 自作55mmラバーホース 通常はカワサキの400エリミネーター用、今回は自作品を装着

 ここで腑に落ちない点がある。それはパイロットジェット#17.5で本当に走るのだろうか、ってことだ。もちろ ん、元気のいい排気カムを入れてあろうけど、それなら、なおさらもっと大きい番手を選ぶのがスーパートラップとしても本来の行き方ではないだろうか、と考 えた。
 それでは実感開始だ。


 
2001年8月5日()はれ
 早朝より、国道の清掃作業に出て、帰りにステファニーでパンを買ってパクつく。先に汗をかいているので、シャワーを浴 びる前にトライアンフにかかっておきたい。今からなら駐輪場の軒先は午前中日陰になる。
 最初にやったのは記事の中のジェットをそのまま装着してみた。バラして取り付けするのも非常に簡単。SRのような困難 さはない。ものの20分もあればOK。本当にOKなのかどうか、メインジェットは#190、パイロットは#17.5、これでエアスクリウ2回戻しのプリ セットだ。
 どんなに頑張ってもエンジンは回転を持続しない。明らかに燃料の供給不足だ。エアスクリウを締め込んでいっても無理で あった。後先になるが、これまでの僕の最終仕様値が決して悪い、というのではない。先に記したようにプラグの焼け具合で、今一歩踏み込める、そうして出し た結果からプラグ番手をどういったものに変更できるのか、という点がある程度確認できるのではないか、と考えたからである。
 この時点で中村トライアンフの設定値は雑誌の誤植ではないか、とも考えられた。キャブレターは僕のものとチョークレ バーなどが少々異なるが、いずれにしても、僕の場合#17.5のパイロットジェットではダメだ。もっと大きいものでないと... 。
 パイロットジェットは2.5刻みだから、交換する場合、次は#20、その次は#22.5、そして今まで僕が付けていた #25ということになる。本来なら、このバイクにはこのキャブ、という組み合わせがされた上での標準セッティングがあって、メインジェットなどを簡単に数 値変更できるが、SUDCO MIKUNIとT-140Vの場合は、これが全くの白紙の状態からスタートだ。したがって、始動からある程度の回転域までをこのパイロットジェットが支配 するわけだから、今のところ、各ジェットセッティングのの基本値として一定の数値を出しておきたい。当然、今後マフラーを変更したりすることもあるわけだ から、そういった場合のリスクが最小となるよう、マージンも含めて#22.5とした。これは動かさない。メインジェットは#190のままだ。
 10時半頃にエンジン始動、エアスクリウを調整。わずかに絞って、1回と1/3にした。なかなか調子がいい、と、その 時は感じた。シャワーを浴びた後、これで宇和まで走ってどんぶり館でカツ丼、と出発したのだが、法華津峠を過ぎた辺りから右のシリンダーが 熱くなってきた。「焼き付き?」。そうではない。そのうち、発進に半クラッチを多用するようになり、1速で2000回転付近から、いきなりドカンと右のシ リンダーに火がはいる。いや、これは焼き付きではない。右のプラグは死にかけだろう。
 カツ丼をあきらめて、這々の体で帰ってくる。プラグをはずすと、右のスプリットファイアは真っ白だ。左はいつもどお り。右はあまり調子よくはないのに右が焼けすぎとは恐れ入った。やはり、もっとキャパシティーを持たせないといけない。そうすると10番とばしのメイン ジェットは、#210に決定する。プラグは以前テストで使っていたスプリットファイアのSF-405Dを持ってきた。エンジンをひとまず冷やす。僕の昼食 はサンクスの焼きめしになった。
 午後からはどうしても日差しをまともに受ける。でも、ここまで来たんだから止めることは出来ない。取り替えたTシャツ もどことなくじっとりしている。拭っても拭っても汗が噴き出るのだ。
 とりあえず、#22.5と#210でエンジン始動。なかなかいい。先ほどの#190のメインジェットの時と違い、若干 付きもいい。今回は宇和までは止めにして、いつもの三間〜広見のコースを採る。あれれ、これって今までで一番いい結果ではないか。散々走った挙げ句、プラ グをはずしてみると。見事だ。若干キャブのバラツキがあるわけだから、左右がいっしょということにはならない。
 午後4時過ぎから、吉田町のプールまで水泳のため、再び乗車。フィーリングは変化しない。帰路は夕刻のせいか、日中よ りエンジンは元気だ。本日はここまでとする。次はお盆も近いけど、キャブの調整はプロの手に調整を委ねたい。
 

項目 今までの仕様 今回の仕様
メインジェット #240 #210
パイロットジェット #25 #22.5
ニードルジェット 6DP17 6DH3
クリップ段数 下から2段目 中央のスタンダード位置
エアスクリウ戻し回転 1回と3/4 1回と3/4 
インシュレーター 自作55mmラバーホース 自作55mmラバーホース

考  察
 僕はT-140Vを購入して今年(2001年)で25年を迎える。購入を決意した時点では多くの人から「止めよ」と言 われた。僕の考えでは、少なくとも1970年代前半の時期のように瀕死の状態のメリデンではない。労働組合が主として自主生産しているれっきとした(当 時)の現行モデルだ。古い650を狙うのもけっこうだが、今からトライアンフに乗る、そのための新車購入だから、これでいい。ないものねだりはしてはなら ない。そういった感覚で購入に踏み切ったわけである。
 1976年12月、高知港に無人貨物として送られてきたTRIUMPH T-140V。今はどうか分からないが、その当時の村山モータースは、ほぼ完璧な(車検取得までに梱包を解いて3度のチェックという)初期整備をして、僕 に届けてくれたんだろう。そこから8年間ほどは、ほとんど何もすることなく乗車できた。が、自賠責保険がバカ高くなって、5回目の車検を受けず10年間ほ ど眠らせた。何気なく、一番簡単に走らせることが出来るバイク、と考え、1992年の暮れ辺りから整備にかかり、エンジンの腰から上を開け、数カ所のパー ツを交換し、ポカミスも経験し、ほぼ完全に動くようにして現在に至っている。タンクの塗装の剥がれ、フレーム、メッキ部分の錆、と経年数のくたびれはある が、なかなか丈夫なキカイである。
 基本として、チープシックな面もあるが、総体として丈夫。こういったオートバイなのである、ということをまず知ってお いていただきたい。
 だから、各部分の調整か所を、附属のハンドブック、ヘインズのマニュアルなどに記載されているように調整すると、エン ジンなどはけっこうメカニカルノイズが多い。しかし、こいつを押さえ込もうとして、調整代を小さい方向に持っていこうとすればするほど、調子は悪くなる。 これは確実だ。腰上をバラした後、数日おいて走らせると「お願い!、少し調整して!」と言わんばかりにエンジンの調子が悪くなった。パッキン類、ボルト・ ナットの締結状態が馴染んでくると、タペット間隙が職端に少なくなって、突き上げ現象が出ていたんだ。それほど、細やかな面も持っているが、実際は、悪い ところがあれば、それを何とか治せますよ、ただし、最初は焦らないこと。基本中の基本であるOHVのツインエンジンだから... 、といっているようでもあるんだ。
 そういった(旧)トライアンフを国産の現行車種のようにキチっとしたワクの中に押し入れる、あるいは調整数値をもっと 細かいものにするなどの方向付けを加味すればどうなるか、は皆さん方にはお分かりのことと思う。英車の集いなどで口に出る言葉は「T氏の理論で組み 上げられたトライアンフは走らない」ということになる。中村トライアンフも一部、この点が含まれているのではないだろうか。僕がやった実験と同じ く、ごく普通のT-140VにSUDCO MIKUNIを取り付けて、#17.5のパイロットと、#190のメインジェットで本当に動くかどうか。中村トライアンフでは、排気カムを効率のいいのに 変更しているはずだ。リフト量など、混合気の流速などを加味して調整されているのなら、この仕様でいけるのかもしれない。もちろんタイミング、も違うのだ から当然だ。
 僕はこういった点から、中村トライアンフは本来のいい意味でのT-140Vの在り方をスポイルしているのではないだろ うか、と考えてしまうのである。もちろん、中村氏のトライアンフはこれはこれでいいとしても、僕のように一般のT-140Vユーザーは、AMAL MK-Iをストックの状態で装着していれば、おそらくや、走り方から比較的リッチな混合気を燃やしてやって、フワーっと100ccの余力のようなものを 持った走り方になっていることを知っているはずだ。おそらくや、650に比べて、振動も少なく、内圧もあまり高くしていない設計にしてあるはず。それが 650から100ccアップさせ、あの当時、よりよい750ccのボンネヴィルとして世に送り出したメリデンの諸氏の考え方ではなかったのか、と改めて感 じ入る次第なんだ。
 左回転のマーリンエンジンを装備したスピットファイアと右回転のグリフォンエンジンを装備したスピットファイア。実機 ではグリフォンエンジンの方がピーキーだけれどトルクフルらしい。で、バイクのトライアンフとは逆転するのだろうが、僕は750を650の味に近づける方 向での改造ではなく、たっぷりしたトルク、丈夫なエンジンを活かしての改造、あるいは分解整備でなければならない、と思っている。だから、カム一つにして も、そういった方向付けに拘る必要がある、と確信している。したがって、僕のトライアンフに乗ると、(クラッチの滑りはあるけれど)おそらくや走らない、 と評されるはずだ。しばらく走ると、これはこれでなかなかいいものに感じてくるはず。否定はしないが、これで一般路を60km/hで走ったり、高速を 90〜100km/hで苦もなく走らせたり、こういった走りをフワーっとやってしまう。何ら不都合ない。この味を僕は今後とも大切にしたい、と思ってい る。そういったことからも、キャブレターをSUDCO MIKUNIのVMに変更した。もうAMALに戻ることはない、と思う。この味わいをキカイがつぶれるまで楽しみたい。つぶれる前に対処したい。つぶれた ら治す、という方向でずっと行きたい、と思っている。
 しばらくは、エンジン周りはこの状態で乗り続けるだろう。細部に渡っては微調整が必ず来る。古い英国のバイクを今の日 本国内を主に動かすとなると、リプレース可能なパーツは今の国産のいいものを流用する方が賢明だ。「ここはオリジナルと違う」と言う輩になるよりは、「こ こはうまく改造してますね」という人になりたい。オートバイは古くても新しくても走らなければ何にもならない。決してオブジェにしてはなら ない。おそらくは、僕が死んでも、このトライアンフは生き(動き)続けるであろう。整備のためのパーツは世界中にある。なければ作ればいいのだから。
 たかがキャブレターのことでここまでになってしまったが、この「動いてこそオートバイ」を今後とも活かしていかなけれ ばならない。

続く...

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