Mac OS 8.1で舞い上がる

 2002年 7月、Power Book G3の無い期間、主力機種のDuo 2300cをはじめPower Book 150まで獅子奮迅の闘いを行っていた。7100とかが有るにはあるが、ちゃぶ台が家庭内の仕事場だから、大きいデスクトップマシン、特に横置きのものはほかの用事に使うスペースが著しく狭められる。それじゃ、ということでの新iMacもいいのはいいが、どうしてもイメージとして使う気になれないでいるのだ。
 職場も端末が少し増設されて、暑い夏がもっと暑くなってきている。そういった中、職場でのメイン、Power Book 540cもどうにかこうにか使ってきてはいたが、早朝など夏場は動きがおかしいように思われて使う気分にならないでいた。この間までのOSは7.5.5で、過不足無いと感じていたのだが、どうもそうではない。全体の動きが少々ギコチないのだ。こればかりは使っている人間の判断が主体だし、通常使用するソフトウェアなどによっても異なる。
 2002年 7月 7日の日曜日、Duo 2300cのOSを7.6.1から8.1にして比較的結果がよかった。話をもっと遡らせて恐縮だが、OS 8の時代を迎えたとき、僕自身もSystem 7がリリースされた時のインパクトを思い出していた。完全に新しい時代になったのだ、と感じざるを得なかったのだ。それほどのインパクトを持ったOSであったのだ。
 話を戻して、Duoにインストールした8.1がなかなか安定している。各ソフトウェアの動作もきびきびしている。多くの面で軽さを採るよりも安定性を採る方が実質上は有利に感じられているのではないか、各ソフトウェアの使用感もそんなに変化しているわけではないのだから、マシン自体にとっても動きやすいように感じてならなかったのである。
 感覚として540もDuo 280と同程度ではないか。しかも単体としてオールインワンの540では内部サーキットの効率を良く考えてあるように思う。Duoはあくまでドック使用を前提に考えてのもので、本体はそこそこのものとしての性格が強いのではないだろうか。
 我が家には未だに8.0のパッケージは立てたままで保管してある。その上のバージョンでなじみの強い8.5はすでに気にも留められていない。9に至っては X 以上に無視されているように思う。思うにアップルとしてのOSも良心的なリリース方法を採っていた頃の最後を思わせるものとして、好きなものである。
 そういった意味合いというか、僕の入れ込みからというか、能書きの中に「MC68040のCPUにもフィットするのですよ」というのを見つけた。一時期Quadra 700で使用していたが、サーキットの関係からかしら、8.1は少々うまくない結果を示した。こういったこともあって、68040に対して少々疑問をもっていたのも事実だ。
 が、Duo 2300cで結果が良かった。もちろんDuo 2300cはPPC 603eだ。が、まてよ。再び資料あさりが始まる。見つけた結論は、少ないハードディスクの容量だと、OSの占有率が大きく他のアプリケーションの使用スペース、作業スペースが取り上げられてしまうから、7.5.5のままの方がいい、というようなことが記載されてあった。
 では、実質20MBのメモリーとハードディスク1GBの状況でなら540cででも行けるのではないだろうか。その上にインターネット関係は格段に接続等が楽になる。トランシーバーを使用してEthernetで通信も可能なはずだ。俄然インストール後の「いい気分」が大きく僕の心を支配しはじめた。
 2002年 7月21日(日)午後からインストールを開始した。2倍速のCD-ROMドライブで最終調整まで2時間を費やした。インストール作業しながら、妙におかしいことに気付いた。それは7日のDuo 2300cへのインストールの時だ。全く同じようなことをやっている。
 外気温33℃も忘れ、インストール後の540で様々なチェックを行っていた。総てにわたって快調であった。どうしてか理由は分からない。まるで生き返ったような軽快な動きのアプリケーション、どうしてだ?。
 たまたま立ち読みでMAC POWERの8月号を書店で立ち読みする。そこにあったのはOS 9の消滅、というコラムだったが、 X がそろそろメジャーになった今でも依然として9を使用し続けている者は世界中にいるのだ、というものであった。
 冒頭申し上げたが、Power Book G3が使えないでいるときの中での古い機種のOSのアップデート、僕は妙におかしい気分になってきてしまう。キカイと周りがすでに過去のものを使っているにもかかわらず、現在でも立派に通用する。数年後の今は一体どうなっているのだろうか。今は想像すらできない。

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