Mac OS Xの環境にて

 大きな理由はないのだが、Mac OS 9.2.2が一応の終止符を打たれた、といったような書き方をしたところ、間髪を入れずにMac OS X 10.2のリリースを知る。そうだな、今が2002年 8月の初旬、ちょうど2年ほど前を思い出していた。そう、X(テン)のパブリックβ版のリリースだった。僕の心に一種衝撃が走った。と同時に、またコンピューター使い始めのときのコマンドなんぞをタイプしなければならないのか、といううんざりした気持ちも出てきたのも事実だった。
 しばらく使いながら、ずいぶんと変わった、と感じながら、妙に安定していて、ログインから始まって、相当のセキュリティーをMacにも持たせるようになったのだ、と本当に感心したのだ。その少し前あたりからLinuxをPPCで使うには、などといった記事も目にしたりしていたし、同僚のM君からはUNIXを勉強していた方がいい、といわれてきた。しかし、これはこれで、どうしても完全対応のアプリケーションなどは一切なかったから、どうしてもログアウトして再起動の末にOS 9.0.4で使わざるを得なかった。
 ずいぶんと時が経過し、Xも10から少しずついいものになっていき、今は10.0.5まで引きあがって、10.2を迎えるまでになった。アプリケーションもOfficeを初めApple Worksなどが十分対応できる。そういったところまでになっている。よく話題に出されるようで出ないのだが、Appleを作った、もう一人のスティーブことウォズニアックがベースとした9までのMac OSからXを眺めたらどういっただろうか。僕はジョブスが完全安定と簡単操作をどういったカタチで融合させようか、ずいぶん悩んだのではないだろうか。そして、ある程度のMacの前モデルはこのOS Xは使えない、しかし、早急にXに移行する必要もない、という柔軟性を持った考えで世に問うたOSのように感じてならない。
 したがって、ウォズニアック自身も「最初にAppleを出したときもこうだったよな!」といっているように感じてならない。すでに1990年代の初めにはApple IIをMacのLCで動かせるように資産を有効に使わせるようにしていたものも存在したのだから。
 Xにして数週間、結構ラクチンで使用している。クラシック環境はほとんど使わなくなった。Xと9のコンパチアプリでも、やはりXで使ってしまう。
 9でやるときは少し前のキカイが十分に対応する。決して遅くない。むしろ活き活きして作動するのがかっこいい、と思うときも多い。で、再び漢字トーク6.X.Xの時代からSystem7、Mac OS 8、9と一連のOSとかOS対応マシンとアプリなどを考えると、どうもメモリー、ハードディスクなどが今までのマシンではあまりにプアと対性能比でのコストがべらぼうに高かったために、一般の個人ユーザーではほどほどのところでしか性能の一端を教授できなかったのではなかったろうか、と思わざるを得ない。ソフトウェアの対応状態でも要求は高いが、そこそこで動くことによって我慢してい多様な節も見受けられる。何しろ1MBが10,000円の時代だったのだから。
 間もなく10.2を僕も導入するだろう。それによって大きくMacの環境が変わるのか、というと、おそらくはそんなに変わりはしない、と思う。リリースされて現行マシンの対応度が確認できたら、この冬から明年の春辺りにマシンの方が新しいものが出るのではないか、とも感じる。Xの方は10.2からしばらく後に10.2.2ぐらいが一般化するのではないだろうか。それほど、リリース関係も十分に見通せる気分が出てくる。
 ディレクトリなど、9までのMac OSと若干違う面もあるけれど、操作の基本は今までとほとんど同じことからくるものは、そういった不安を払拭し、より安定したOSとしての位置づけの方が好ましいように感じてならない。
 Windows陣営からすると、今さらどうして?と言われそうだが、操作していると、その優秀性がおそらく解るはずだ。WindowsユーザーがXの環境でMacを使うと、その安定性にびっくりすることになるのではないだろうか。
 密かに10.2を待つこととしよう。

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