一層の愛着が

 2001年 1月10日、午前8時過ぎ、インターネットでAppleのホームページに釘付けとなった。アメリカのマックワールドの結果速報のうち、新製品の紹介を確認するためだ。日本のサイトは時間の関係からアメリカのサイトへ。
 トピックスのトップページはとてつもないPowerBookとG4のマシン、それにOS-Xのリリース日まで記載されているではないか。現在の僕のメインマシンであるPowerBookの新機種に特に注目した。
 チタンのボディー、15インチ液晶、スクエアなスタイルなど、一瞬やられた、と感じた。しかし、心の奥底では「ソニーのヴァイオみたい」というのが偽らざる気分であった。えらくビジネスライクで、誰にも愛されるマシンではなくなったように感じた。
 PowerBook 400を購入するときも記載したけど、はっきり言って購入時の状況からすると、非常に有利なときに購入した、と感じている。今でも毎日僕の傍らに存在する。できればもう少し大きいケースに入れたいところだが、家出気分、出張気分になるので控えているが、ウィークデイの始業前45分間、帰宅後の作業など、毎日のように稼働させている。そういった意味では、長期ローンを別にしても、僕の必要ツールであることには間違いない。
 そういった観点から新しいPowerBook G4の写真やスペックを眺めてみると、やはりいい、と心底感じる。次にこのモデルをちゃぶ台の上、職場の机の上に置いて作業をしている僕のスタイルを想像すると、どうにもなじめないように感じる。全体としては身長174cmの僕ででも少し大きいかな、と感じてしまう。もちろん、カラーリングに対してもそういった感覚を持ってしまう。
 しかし、いったん導入してしまうと何かと便利に感じるのであろう。こういったところが先に記した事柄と相反するが、妙に僕の心をくすぐるものなのである。最初のPowerBook 100シリーズがリリースされたときもそういった気持ちであった。最初の100、最後の150など2台ずつ持っている始末。Duoにしてもこういったくすぐりから、どうしても手放せない。不思議な感覚だ。とりあえず、で購入した5300はあっという間に手元を離れたことからも、こういったMacならではの感性に訴えるような製品作りが加味されているものにはありがちなことで、僕だけが勝手に考えているようなことではない、と想像する。上乗せするようだが、現在のPowerBook 400にしてもここまでに至るのに2年もかかっているし、そこまでの製品を購入していないことでも理解できる、と感じているのだ。
 しかし、その 1月10日の夜、いてもたってもいられない気分にはならなかった。不思議な感覚だが、ワクワクするような気分でPowerBook 400が手元に来るときを待ったような気分にならなかったのである。頭の中から新しいPowerBookの姿はあるが、スペックも我が家に導入したときのイメージもすっかり消えていた。
 と、同時にPower Labが最終でBTOをもし行うのなら、ベアボーンのPowerBookをもう一台持っていたい気分になったが、これは僕の空想だけだった。ちょうどニコンのF-4がF-5に替わる時に似たような感覚だ。先に記したことを踏襲すると、PowerBook 400、500は事実上の合成樹脂筐体を使用した最終モデルに感じてならない。不思議なものだが僕はこういった近代合成化学から生まれた樹脂をマグネシウムのフレームに載せた機関を包み込むようなものが好きである。そういった意味から、その最終モデルのPowerBookとして、万一の場合に稼働させよう、と考えているわけである。
 現物を見ていない今度のPowerBook G4がどのようなものであるか判断できないが、現在の僕にとっては、やはり、今のこのPowerBook 400が一番フィットしているようでならないし、今後とも壊れても修理が効く間はずっと使い続けたい、と感じている。

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