Macにしましょう、だけ言う
 いきなりしかられそうなタイトルであろうな。自分でもしかられるのを覚悟で申し述べると、現在のMacは決して使いやすくない。取っつきやすいのはどんなに考えてもWindouwsのマシンである。そんなことはない、という方がいらっしゃれば、都会ではなく、地方の書店に行ってマニュアル本などをあされば自然とわかる。
 先頃までiMac、iBookの関係書籍が注目されたが、セットアップなどは述べられているが、肝心のどこをどうしたらどうなる、のことが希薄だ。特にiBookの書籍は液晶ディスプレーの開け方、ストッパーがないのにどうして勝手に開かないのかなどはどこにも記載がない。この点でも、Windowsの解説書は親切だ。ここを操作したらこうなる類は全て図解がなされているから。超初心者はどちらでもいいだろうが、ワープロ程度を操作できる初心者に両者をさわらせると、環境にもよるがWindouwsを選ぶであろう。
 それほど今のWindowsは優れているのである。しかし、ここからが人間に訴える何かがないとどうなるか、ということが分かり始める。つまり、僕の知人にもさんざんMacを触らせて、iMacを入手する手前まで行ったのにWindouwsを購入された方がいらっしゃるが、しばらくするとコンピューターのコの字も口にしなくなる。「毎日使う」の言葉は全くない。気が向くとゲームを少々とメールの確認だけだ。こちらからメールを出すこともない。自然とコンピューターは飾り物になってしまいつつある。
 ところが、Macになるとこれがなくなる、と今は言えない。もちろん今ならApple Worksがバンドルされているから、絵を書いたりする。1週間もするとワープロにペイントを張り付けたりが自然と行えるようになる。大概はマニュアルに目を通すだろうけど、めんどうくさい方は友人から聞き及んでそれを行おうとする。悪いことに自分中心になってしまうから、夜中でもご友人を電話口に呼び出したりするのである。受話器にでてもお人好しだから「こうするのだ」を長々としゃべる。結果OK。
 僕はここに至るまでの過程が大事なように思われてならない。市販のマニュアル本の方が簡単なこともいっぱいある。もっとも、そういったものを選び出せない方も多いだろうが。
 ここから多くの方は進まないのである。つまり、コンピューターで何をするか、が希薄だからそうなるのかもしれない。
 ま、Windowsもしばらく使っていると、おかしなことに気づくはずだ。自分が作ったファイルが消えている、と感じるように、どこに保存したか分からないときが出てくる。そう、検索してもディレクトリーがどこだかさっぱりわからない。確かにフォルダーのアイコンはわかるが、どのハードディスクのどの階層のどのフォルダーの中に入っているのかを探し出すまでに、結構時間がかかるのである。
 Macだと、シャーロックなどの検索ソフトで一発でわかる。階層もアイコンできっちり出してくれる。別に褒めちぎるわけではないが、フォルダーの形が出て、ファイルの形が出る。しかも名前が記載してあるのだから一目瞭然なのだ。
 よくWindowsに慣れているから、といわれるが、Macに慣れていればWindowsは使えるものなんだ。
 ま、そうこうするうちに1年が経過する頃になると、多くの方々がコンピューターから遠ざかる。特に最初の目的が明瞭でない方は一発だ。Mac、Windows関係なくこれはやってくる。年末に年賀状を作られた方は、ここからの進歩はすさまじいものになってくるはずだ。フォントの関係とか、ディザインの関係とか、バンドルされたものに満足いかなくなってくるはずだ。
 写真をやってらっしゃる方も同じようにスナップ写真はおそらくディジタルカメラになるのではないだろうか。実に不思議なことだが、本来の写真というものもよく分かり始めるのもこういったところからだろう。ビデオも近々こういった方向になってくるはずだ。
 インターネットができるから、ってことでコンピューターを導入したって、電話代からプロバイダーの契約料から結構ゼニばっかりかかって、僕の知っている方でも、ご自身の趣味などにインターネットの情報を利用しない方以外は、コンピューターを活用されていない人の方が多いように感じる。
 余談がすぎたが、最初のとっかかりからMacだったら、と考えるともっと普及してもいいように思うのだが、どうしてもだめだな。特に中学生クラスになると、本当はもっと基礎としてのどういった仕組みでコンピューターが動くのかをきっちり押さえておかないと、将来はだめだ。もっとも、そういったことをできて、教えられる人が少なすぎるのが現状だろう。小学校、中学校の授業にMacが導入されていれば、環境はもっと変わっていただろう。
 息子が中学生時代に言った言葉、「今日もまたワープロの文字を打とうとしたときにベルがなった。毎回コンピューターの授業はこれで終わってしまう」というものであった。今はそんなレベルではないだろうが、意外に使う時間より、使わせない時間の方が多いのが学校の現状ではないだろうか。
 一部のところではいまだにMacの方が使いやすいように感じているが、こういったことを総合して出してみると、最初の取っつきはまだしも、結局コンピューターで何をするのかを決めていないから元の木阿弥、どうでも良くなるのではないだろうか。そういったことがあって、これからコンピューターを導入する方に、僕も最近は「Macにしましょう」とはいうものの、それ以上の肩入れはしなくなったのが実のところだ。

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