OS X 使い始め

 全くもって人騒がせなOSの誕生である。ちと言い過ぎかもしれないが、僕にとっては事実だ。幸いにもパブリック・ベータ版でインストールの方法や使い方は少々覚えていたので、この点はいいとして、人騒がせな、というのは、我が家に到着したときから始まる。

 3月24日、高知で開催される四国自動二輪交友会に参加する日なのだが、出発前にどうしても片づけておきたいことがあって職場に早朝より出ていた。事をこなして帰宅したのが9時15分、玄関先に置いてあった福通のメッセージにアップルからのお届け物の通知。時刻は9時5分だ。妻が応対してくれていたらよかったのに... 、とは思ったが、そこまでやってくれるような人ではなかろう。あわてて福通へ電話をして、手元に届いたのが9時30分であった。
 実は前日にアップルからメールが届いていて、「到着が24日の8時から20時までの間になる」とのこと。それでも最初の時間から1時間しか過ぎていない。すごいものだ。後日談だが、同僚の方にはもっと早くに到着したらしい。
 もっと驚くのは、CDカードで引き落としだから、しっかり安心していたのだが、この通知が3月28日に届く。支払期日はな、な、何と4月10日ではないか。内容を確認すると3月11日の出荷になっているではないか。チャッカリしてやがる、と腹が立つ、というかあきれてしまう。
 インストールしたのは3月27日の深夜、ことのほかいい感じだったので気を良くしたのだが、前の日の26日は悶絶状態だったのである。本当にどうにもならない。あの手この手を尽くしてはみたがすんでの所でダメになる。そこでどうしたか、というと、ノートンユーティリティーのワイプインフォをハードディスクのOS Xのパーティションに作動させた。これは効果満点。不可視ファイルが綺麗にはずれてしまった。このおかげでインストールできた次第だ。
 これまた、後日談だが、28日にはOS Xにノートンのディスクドクターを作動すると、見事にクラッシュ(爆)、これには参った。アプリケーションをしこたま入れておいたとなると取り返しが付かなくなる。コワイコワイ。
 それにしても、なんで今さらUNIXなんだ、と考えてみた。本来はOS 9シリーズがずっと進んでいくはずだ、これこそがMacなのではないか!、と何度も思ったりもした。しかし、8シリーズぐらいまでならそれに対応するマシンであれば、独自の世界を構築できる。これもしかり。が、G3ほどになると、古いタイプのアプリケーションとの兼ね合い、上位OSで使う古いアプリケーションなど、僕の使用環境でも妙に違和感が出てきた。特に9.1になったときはこういったことを強く感じてしまった。CPUの処理速度が速くなりすぎても困る面も出てくる、と改めて感じた次第だ。MC68030が68040になったのとはわけが違う。
 Mac独自のOSの在り方に大感激した僕が、どうしてこれからXをやらないとならないのか?。自問自答もした。パブリック・ベータ版で使用していても違和感が残る。その時は、初心者には少しばかり難しいか... 、とも感じた。もう少し何とかなったらいいのに、と感じることが多かった。Appleへ何度も報告をやろう、としたが止めた。なぜか?、おそらく僕と同じような感覚を持っていらっしゃる方は非常に多いはずだから、Appleとしても十分に受け止めていてくれているはずだ、と考えたからだ。
 少々気に入らなかったパブリックベータ版だったが、妙に僕を引きつけるOSに感じたのも事実だ。完全にいい、と感じたのは間違っているかもしれないが、少々の面はスクリプトを変更すればいい、と感じたからだ。昔(はもちろん、今でも)使っていたハイパーカードでスクリプトを初めて使って、当時およそマックらしくないことを行っていたわけだし、今になって考えると、音楽なんかは、速度のところを書き換えすると何とかG3でも動くなど、内容は違うが、多くの面でXは有利になるのではないか、とも考えた。
 正式版Mac OS Xをインストールしただけの今だが、パブリックベータ版の参考書などを手元に、ことえりの自作辞書をインストールして動きを確認したり、MacライクなUNIXのOS Xを使っている。おそらくは数年後(よりはもっと早いだろうが)にXへの移行が多くなれば、おそらくや、学校でもコンピューターとはいかなるものになるか、Macの方が遙かにwindowsよりは先んじるのではないだろうか。
 この辺の小学校で今のコンピューターの授業にスクリプトなどはない。Macの導入は皆無だ。当然Linuxなんぞ、考えられない。では、どういった仕組みでコンピューターが動くのか、人間がどういったことばでキカイに命令して、その返答をキカイがどう表現してくるのか、はWindowsでは出来ない。もし、ウインドウズをはずしてMS-DOSで行うとなると、コンピューターの授業が全くつまらなくなるからだ。もちろん、先生方も出来やしない。
 OS Xなら、僕はこれが可能になる、と感じている。「先生、どうしても入力できないの」とする児童生徒に、「コンピューターはどんな答えをしている?」と聞けば、「こんなのが出るの」とダイアログを見せる。
 「そうか、じゃ、あなたの入力の命令はコンピューターにはどんなに伝わっているのだろうか、調べてみようか」とスクリプトを示すことができる。
 今のMac OS 9ではこれが出来ない。もちろん、スクリプトそのものを知っていなくてはならないが、Xならできる。少なくとも、こういった方法で、ってことがUNIXだから、その基本を勉強していればいいわけなのだ。もちろん簡単なことではない。小学生に文字ばかりのスクリプトを示してもチンプンカンプンかもしれない。でも、先生が一つずつ訳を言えば納得できる。中学生になれば確実に英語力も付くから大丈夫だ。
 その児童生徒達が大人になってコンピューター云々を家庭に持ち込む時期は、小学校3年生だと、そこから早くてその年、遅くとも3年後には動きがあるのではないだろうか。
 あくまで想像だけの世界だが、僕はそういったことからもAppleがMac OS XにUNIXを導入したことは非常な英断であったし、最小限現在のMac OSが使え、違和感を少なくしている努力、そのコンセプトを途中で捨てずに煮詰めてきたAppleのエンジニア達がやはり一歩先を行っているのだな、と感心した。
 まだまだ、生まれたばかりのOSだが、画面の綺麗さから始まって、対応のアプリケーションなら、ハードディスクの中に置けば(コピー)確実に作動するなど、すばらしい面が多い。ちっぽけなことではあるが、僕もエバンジェリストの端くれとして、このMac OS Xを紹介し、Macを広めようと感じている今日この頃である。
 でも、今度はG4Macがほしくなってきているのも事実だ。やはり痛し痒しが当分は続くかナ〜(爆)

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