OS-Xを使用してみる(2)
 ようやくOS-Xの環境にも慣れた。使いやすい、とは行かないが、一定レベルではかなりのところまで行けるように感じた。
 僕流の感覚ではどこがどう、という表現をしなければならないのだろうけど、そういったものを通り越しての感覚としてのことである。強いて言うと、System 6.0.7“7”になった時に近い。むしろ一部では7が6.0.7になったと言うべきかもしれない。そういった混沌とした感覚で使っている。
 いずれにしても、僕が一番心配しているのは、Xネイティブのアプリケーションがそれまでの7.1から9対応で作動していたようになるかどうか、おそらくは「ならならい」であろう。えらく簡単に片づけてしまっているが、System7になったときのことを考えると、僕自身はパブリックベータ版でのクラシック環境の枠を少々広げてあげてほしい、と感じる。
 必要ない、と言われればそれまでだが、決してOSそのものが「新しい」、「古い」ということではなく、Windowsの95と98のような感覚をMac OSの場合でも何らかの方法で「X」上で作動する環境を残しておいていただきたいのである。
 もしくは、この「X」の開発当初の計画のように、これまでのSystem1.0から作動環境の優秀さを何とか9までの発展型として残していただきたい、と感じざるを得ない。現在のマシンにOS 9.0.4は快調に作動する。この環境は捨てがたいものがある。「X」はG3以上でしか作動しません、ということは納得できるが、全く変わってしまったデスクトップの状態からしても、これまでのMac OSに慣れたユーザーに混乱を与えてはならない。IT革命を目指す日本では、これからMacを使用する人もいる。今までのMac教室で教えていたものが、操作方法で大きく変わる「X」で教えると、数ヶ月の期間をおいて、かつての受講生と今の受講生とでは、この部分ででも少し変化が出るかもしれない。
 幸い、僕のPowerBookではハードディスクの9時代のエイリアスをデスクトップに持ってきているが、長年のMacユーザーはこういったものがなければ不思議なこととして受け止めるはずだ。これらは関係雑誌などで紹介しても全体に広がるものではない。
 重箱の隅をつつくような言い回しだが事実である。Windowsユーザーには非常に使いやすい。メニューバーのカラムの操作をマイ・コンピュータに当てはめれば、どこに何があるのか、彼らにはこういったディレクトリでファイルの一枚を見つけだすのが、「X」では逆にWindowsより使いやすい、となってしまうのである。それゆえ、「X」ではどうしても今までのMacユーザーの感覚をせめてデスクトップにだけでも残していただきたいのである。

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