PowerBook400の英語版キーボード 
 僕のPB400には最初から英語版のキーボードを装着してもらっている。当然リプレ ースだから、もとのJIS配列のキーボードも所有している。なぜ、英語版なのか、と いうと、旧マックからのキーボードによる慣れに尽きる。途中、職場の端末の使用頻度の件も含 めてカナ入力からローマ字入力に変更したために、キーボード全体としての印象がJIS配列では 少々心許ないのである。作動とかそういった問題ではない。
 ところが、最近になって、キーボードによってPB400の印象が異なることを発見し た。微妙な点ではあるが、指の感覚がJIS配列の方が柔らかい感じがする。電源を入 れずにキーボードの文字キーを操作すると、JIS配列は指の先だけで押さえれば入力 できる感覚が非常に強い、と感じる。いわは日本語(かな)キーボードでは指で押さえて入力するのに対して、英語キーボードは少し叩く感じがするし、そうやってやった方がPBにもいいように感じる。しかし、以前のデスクトップキーボードのようにタイプライターのように真に「叩く」のはよくない。これは鉄則なのだが、ついつい興が乗ってタイピングへの入れ込みが強くなると、少しばかり荒っぽくキーを叩き始める。困った性格だ、と感じてはいるが、一向に直らない。こういった場合でも、どうも英語版のキーボードの方が気分がいい。それより仮にJIS配列のキーボードでも、キートップの付記表記の「ひらがな」が元の「カタカナ」に換えられていれば、いっそう違った印象を受けるのではないか、と感じてならない。
 それにしても慣れというのは恐ろしいもので、このキー入力の傾向は、AppleがJIS配列を始めた後、PowerBook 5300csを購入したとき、いつものところへ指がいってしまい、大いに悩んだ経験がある。当然のごとく、すぐさま英語版にキーボードを交換したが、タッチも若干変わっていたような記憶がある。そのときも、「どことなく」という感じだが、今回のPB400のキーボードの場合と同じ、欧米の方にはタイプのクセが付いているのかしら、キーの作動が比較的ラフに扱ってもいいような設定ができているように感じていた。
 が、これは僕が個人として、経験から感じてのこと、音楽CDの聞き比べでの微妙なニュアンスの違いを感じるのによく似ている。立場を変えて、JIS配列に慣れている方がこのキーボードのタッチの微妙な差を口にされれば、僕とは違った感覚になるだろうし、キートップの並んだ文字の姿を見て、日本語がないのに違和感を感じる方がいらっしゃるのも事実だからだ。したがって、僕自身はどことなく英語版のキーボードの方が感覚がラフであった、と感じている訳だ。そこから発展して、欧米の方々はキーボードはある程度叩くものだ、それはタイプライターに慣れていらっしゃるからではないか、と感じた次第。  Macの旧タイプIのキーボードとタイプIIのキーボードほどの違いは存在しないし、Duoのキーボードの違いほどよりももっと低レベルなことである。けれども、このまま使い続けたとき、どういった結果になるか、毎日使用して、ローンの終わる1460日後、キーボードのタッチ、入力のミスがなければ、その時点で、再度新品のキーボードとの比較もできようが、その時点では、キーボードの製造にマイナーチェンジが加わっているかもしれないため、はなはだ長期レポートがとれない。誰かが雑誌で「キーボードも消耗品だ」とおっしゃってたが、オーディオのアナログディスクで引っかかるカートリッジ、いわゆるレコード針のところだが、Appleと同じアメリカのシュアーType-IIIでカートリッジそのものと針そのものによっても音が違う、というのに似ている。いいキーボードの種類を見つけだすのに苦労し始めると困るのだ。そうなるとPB2400のようにワンオフのキーボードを1000台限定製作、などになりかねない。
 Appleもアップルなら、英語版のキーボードだけでなく、ASCII配列の日本語版を再度作ってもいいように感じてならない。そうするとかなりの確率でキーボードの選択ができて、BTOもにぎわうのではないだろうか。当然リスクも多いし、Apple自らが止めた配列を日本で復活させようということにはならないかもしれない。しかし、アメリカの方でも「日本語の表記」には結構理解があるだろうし、その表記をつかって文章を表現させる道具の一部としてのキーボードの重要性も分かっていただきたいものである。
 思わぬところに飛んでしまったが、僕にとってはやはりASCII配列が慣れているし、現在では英語版のキーボードしかそれに合致しない、ということで、今後もこういった難しいことを言わずに、まずは配列に慣れろ、と僕自身を改めることはないだろうな。

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