Brackbird
縁は異なもの
あれからどのぐらい経ったのだろうか?、と思わせるほど、家庭の中から
通常使用しているものが消えることは心の動揺というか、一種の不安定さを与えるもののように感じてしまいます。もちろん、私がそれらのものに人一倍思い入
れをを持っているから、ということも少しは含まれますけれど... 。
ことは2004年の8月に起きました。別項にも記載していますが、見事に3台のコンピューターが連鎖反応のように壊れてしまったのです。Pismoと
5300csは見事に復旧しました。
ところが、最初に壊れたPPC
520cは一向に回復していなかったのです。そのために、大英断を下して、5300csを家庭でのメインマシン(といっても、メールの確認とダイアリーの
作文が主ではありますが)にして、通常業務をこなしていたところです。最悪、日常業務とホームページのアップロードなどに支障を来すようになる、つまり
Pismoがそれまで使っていた状況に復旧できなければ、DellのLatitude
600/750の中古を新規に購入して職場に常駐させておこうか、とも考えていたところでした。
5300csを軽い作業のみに限定使用にする以前、家庭内でかなりの仕事量をこなしていたPPC
520cが消えるとなると、非常な痛手を被ると思いながらも、時間のかかるのをコジツケにバックアップなどを行わずに使い続けてきました。結果として、そ
の不安が実際のものになってしまったことに地団駄を踏んでしまっている。悪いことに、そのことが四方八方に飛び火してしまって、この頃の天候不順が合わ
さって何かにつけて八つ当たりをする始末でした。
9月のはじめ、うまい具合に良質の540cが入手できました。ものはシンガポールメイドでスペックは確かに540なのですが、本体は520cです。つま
り、内蔵モデムなしの520cに540cのCPUカードとTFTディスプレーを装着したものでした。OS 7.6が快調に作動していたところです。
このTFT液晶のみを「ちびまる子ちゃん状態」になった手持ちのPPC520cのハウジングに移植して起動したところ...
。グワァ〜ンという40の起動音もなく、液晶も真っ暗。ただ、ハードディスクがカタカタ・キューンと言っているだけでした。何度リスタートとしても同じで
した。
どうしたものか、八つ当たりがひどいと全く周囲が見えなくなってしまうんですね。Pismoの時のことすっかり忘れている始末です。
思い出してみると、Pismoの時も液晶の表示異常からことが始まったのでした。かなり注視して各部を確認した結果、CPUでもビデオでもマザーボード
でもなく、液晶そのものの不良にたどり着いたところでした。運悪く、トラックパッドの接続コネクター不良から、マザ−ボードもダメになって、中古品を1台
購入したところです。
CPUを入れ替えしたところ、今回のPPC
520cと同じ現象に至ったため、判断よく「CPU(のカード)がダメ」と判断し、元のものと交換して使える状態になったわけです。これらPismoでの
一連の故障、不調の原因を見つけることをすっかり忘れてしまっていたところです。
結局のところ、今回のPPC 520cではどうだったんだ?。今のPPC 520cにやってきたことを逆にしていけばいいじゃないか!。
そうなんです。この当たり前のことが私の考えの中からすっかり抜け落ちてしまって、何とも恥ずかしい始末でした。
まずは入れ替えした液晶を元の540cに戻します。ハウジングはスピーカーケーブルがコネクター接続のものだったし、ヒンジ取り付け部分がダメだったの
で、この部分だけ同じ初期タイプに入れ替えております。結果は見事に動きます。そうなると、コンバーターも元のPPC 520cのものですから、PPC
603eのCPUのドーターカードもOKかもしれない。540cのMC68LC040も生きているから、悪い部分はマザ−ボードではないか、ということが
解り始めました。
こうなれば一気に行きます。今回入手した540cを主としてPPC
540cを再構築することにしました。残念ながら家庭のメインは5300csに移っていますから、PPC
540cとして動くことを確認するだけに止めます。
祈るような気分もありませんが、まずは電源スイッチを押します。グァーンという音がして見事に起動。40マシンのグワァーンという音とは違っていますの
でPPC603eで起動していることが分かります。これにて一応復帰かないました。
人間というのは欲が出ると限りがない。困ったものです。ひとたびPPC
540cが動き出せば、ホ〜レ、どうしても元通りっていうのが、とか、今でも十分に使える... 、とかの願望を叶えようとしますよね。
というところで、今回入手して復旧したPPC 540cの筐体部分を覗いてみることとしました。
まず、放熱板を兼ねたCPUカバーをはずして、びっくり仰天。このカバーは数種類存在するのですが、何とヒートシンク部分が存在しないものが付いていま
した。確かに通風は楽でしょうが、CPUの発熱の関係から今のものに交換したところです。
必要のない装備品かもしれませんが、現行のPower
Bookの標準装備である内蔵のモデムを装着しました。もちろん56Kではなく144ですけど。装備しておくと何かと好都合です。
初期型特有の、合成樹脂のメモリーサポートはあった方が好ましいため、そのまま利用しました。
筐体は銅粉による、導通塗料吹きつけ済みの初期モデルです。
今になって思うのですが、現実には初期の導通塗料の塗布されたモデルが基本ではなかったのか、と感じています。理由としては、メモリーサポートのところ
でも申しましたが、マザーボード全般が及ぶ範囲はメッキ鋼板のシールドで十分に対処できる、とApple側で判断したためではないか、と感じます。私の使
用してきた範囲では、どうも、この導通塗料塗装の筐体の方が安定しているように感じます。
この筐体の関係から、PPC
520cで装備していたヒンジの片方に取り付けるアースプレートははずしました。液晶ハウジングには導通塗装が存在し続けたのですから... 。
以上が、今回の筐体にまつわる確認です。
さ、今度はいよいよハードディスクです。これは少々薄目のIDEハードディスクにカードを背負わせてSCSI化して使用することとしました。ものは
Duo 2300cに装着されていた純正の1Gです。これにより、少し速度アップします。
この際ですから、キーボードは英語のASCII配列としました。ハッと息を呑みました。キータイピングはよくなるのですが、キーボードの両端が筐体の端
と数ミリしか余裕が無くなるのです。日本語キーボードでは若干、リターンキーなどが縦長になっていたりして、内側へ凝縮するような感じにされていますが、
ASCIIだと、全てのキートップは縦長のキートップが無くなるために、どうもタイプしづらいものが感じられたところです。この点は、現在でも同様に
PismoでもPower Book
G4では15インチ、17インチではキーボードの端と筐体の端とのわずか数ミリから数センチメートルの間隔の有無が生み出す微妙な関係から、キータイプが
使いやすいかどうか、が感じ取られるようです。
この点はWindowsのノートの方が一枚上手かな、とも感じます。
欲望の一つは十分満足な結果で終わりました。次なる欲望は、もう一つの5XXを手持ちのパーツで作る、ということにありますが、ま、これはパーツ取りと
その他の利用方法として楽しみを後回しにしたいと思います。