2000. 1. 1〜3.31までの日記


1/ 1
 日、つまり1999年12月31日、午後11時45分ぐらいからMacを立ち上げて、例のY2Kの様子を見ていたが何ともなかった。全くおだやかな元旦で、僕は相変わらずの市内五社初詣サイクリングに出かける。気分良く今年はプジョーで出かける予定だったのだが、チューブラータイヤのバルブアダプターが無かったため空気が入れられず、ラレーで出かけることにした。
 和霊神社も人出が少なく、不景気状態はずっと続くのではないだろうか、と感じたし、宇和津彦神社はえらく近代化しすぎて、かつての「お街の神社」のたたずまいは吹き飛んでしまったように感じる。こういった神社でお守りを入手しても霊験あらたかとはとても感じられない。やはり地元に根ざした八幡様、三島様の人出の様子が本物であろう。
 夜になって、メールの確認などをする。僕のURLで間違いを訂正したところ、うまくアップロードできない。システムとFetchはOKだから、Netscape4.7がちょいとまずいのかもしれない、と思って、八方行ってみたのだが、やはりダメであった。
 そうそう、年賀状の件だけど、今年からこの時期には出さないことにしている。やはり道義上、前の年に記入して年賀のあいさつをするというのはおかしい。やはり、これは年賀状ばかりでなく、年始のあいさつにはいろいろの方法が採られるご時世だから、あいさつそのものは年明けに行うものではないだろうか。その証拠に、電子メールでは確実に年明けのあいさつばかりであった。

 1/ 2
 からの雨は午後3時前に上がった。まさしくここ数年来の年始の行動パターンで、箱根駅伝をテレビ観戦する。観戦するにも早起きをしなけりゃならない。レースに対しては年明け早々いやらしい僕の想像、つまり「どこが大ブレーキをやらかすか」、とかいう気分は1区から消し飛んでしまった。途中、お歳暮でもらった「きしめん」を昼飯にして観戦を続け、ゴールまで実に気分高潮の往路レースであった。何と最下位まで20分間がないのだから。
 その後、市内をちょいと散歩する。途中、職場に立ち寄って、PowerBook150で気付いたことをメモる。こういったことは通常だとMP130かPalmに書いておくのだが、持参していなかったのでダイレクトにコンピューター入力である。今年はモバイル関係の手頃なカバンを探す必要がある。もちろん大きさとかは、次期機種選定で決定だが、5日のサンフランシスコでのMac EXPOで新しいPowerBookが紹介されることを期待してみたい。
 商店街は初売りでも人出が少ない。郡部の人も最近は宇和島の御城下まで出向いて買い物などしなくても、郊外型の大型スーパーが増えたので、そちらで購入すればOKだから、人口減に加えてますますこの街はさびれてしまう。もちろん、商店街の方もがんばってらっしゃるのだろう。それは否めないが、何よりも、商店街の一店舗ぐらいでもいいから、独自の行(生)き方をする店はないのだろうか。たとえば、そこでしか購入できないものを扱う店とか、商品はサンプルだけで、多くはカタログ購入とかインターネット系列で購入とかの店、など、こういった店がなければ、ますます人は来なくなる。いくらアーケードで近隣の物産展やっても、商店街の店には入らないのだから地域の活性化なんか期待できない。
 僕の考えは間違っているかな?

 1/ 3
 夜来の霧も晴れ、外は穏やかな一日になったが、BoneはPowerQuadra700で自分のホームページがうまく更新されない。Duoに手持ちのモデムを通してやると見事に更新されている。そんなものだから、何がどうなっているのか分からない。PowerQuadra700にいろいろ手を尽くしてはいたのだが、夜半近くになって、キャッシュのクリーン回数が矢鱈と多くなってきたので、もしかしてと思い、キャッシュをすべて消去した。結果、見事に復活したのだ。
 いつものとおり、うまく行けば簡単なことなんだが、分かるまでがつらい。副産物はやはりあった。OSを8.6から8.5.1に落とした。エクステンションなどの動作が少し異なるが、動作は安定している。特にスタートアップがスムースである。やはり、その機種その機種で機能面の性能と安定性というベストマッチのOSというものをまた発見したように感じる。自称プロのオーソリティーがこの辺の組み合わせを専門雑誌などで大々的に発表してほしいものだ。でも、できないんだろう。現在のOS9はこのPPC601を搭載したPowerMacで動くのだから、後はユーザーにオマカセというのが本音。そうしないとOSが売れないし、OSが快調に走らせなければ新製品も売れない。半日つぶれたがいい経験であった。この点はリンクしているDIOのページをご覧になるとよく分かる。
 話は変わって、新しいランニングシューズを昨年購入して、今日散歩に使った。当然PUMA。散歩だったが久々にシューズが走る感覚を抱いた。この感覚の分からない人のために申し上げると、筆記用具を変えた途端に字がすらすらと書けるようになった、という感覚に近い。弘法筆を選ばず、はそれなりにできる、ということであって、それ以上をやるとか、になると、どうしても用具の占める割合は大切になる。結果がよければ、もう一足購入しておくことにしたい。何しろモデルチェンジが激しすぎる昨今のシューズ業界だからだ。

 1/ 6
 日までにホームページのリディザインを考えていたのだが、どうもうまく行かない。で、あーでもない、こーでもない、で少しずつ改訂していったのが今のものである。中身についてもNetscapeでしか確認していなかったもので、メールでいただく「ズレ」というものが全く分からなかった。
 職場のExplorerで確認したところ、「何これ?」といった表示を目にする。なるほど、このことを伝えたかったのか、と現実に赤面した次第。ご覧のみなさんに大変迷惑をかけたことお許しいただきたい。
 夕刻より、K君宅の古いLUX KitであるA3500の真空管メインアンプのEL34出力管がどうも赤熱する、という知らせを受け、宇和のT君に点検調整をしてもらうことにして、出かける。僕も一時期三極管接続にしてこのアンプを使っていたことがあるが、どうも気分が合わずに希望する方におゆずりした。電圧調整のみで使える状態になったが、カップリングコンデンサーは換えた方がいい、ということになった。でも、当分は使えるであろう。
 その後、TE-TSUで一杯。僕は漫画のレモンハートに出てくるメガネさんと同じく「タンカレー」のロックにした。客も居なかったので2時間半ほど、マスターともども60年代、70年代の音楽シーンをしこたま話して帰宅した。
 布団に入る前、先ほどのこと思い出して、そうだなー、あの時代の方が今よりもっとエキサイティングだったかもしれない。今はいい時代だっていっても、あの頃を若者で生きた者からすると、何かにつけて安直すぎるように思う、と感じて、思わずにんまりしてしまった。そう、まだあの頃を引きずって生きているのだから。

 1/ 9
 日K君宅のALTECスピーカーのウレタンエッジを修理することについて、宇和のT君より東レエクセーヌ素材のスピーカーエッジを持参してくれたので、修理を行った。以前、K君の弟さんのJBLは鹿皮で行ったが、今回は合成皮革だ。しかも、スピーカーコーンの表面にエッジを接着するようになっている。とりあえずは6分割にして張り合わせを行った。
 ボックスに装着するときにびっくり仰天、ツィーターの取り付けボルトが効いていない。締め付けをして、OKとなった。
 しかし、どうがんばってみてもALTECの音質は現行の彼のアンプでは制御できない。出力だけが性能ではない。いかにしてスピーカーの良さは出して、悪さは出さない、というのがアンプの性能である。また、彼には新しい疑問が増えたようだ。
 愛媛駅伝は見る気にならなかった。雨の中、むなしい通告の声が聞こえる。いつものように交通混雑を引き起こしたことであろう。あくまでレースなんだから、来年の51回からは、中継点でのトップ通過後の時間を短くして一斉スタートさせるところを多くするべきだ。健康ランニングの駅伝とは違うのだから。

  1/10
 日www/Gridを更新。アッという間にこんなにも増量してしまった。更新目録が多すぎると、どうも何らかに気が回らなくなる。数回確認をして修正する。週刊誌などの編集者の気分がよく分かる。
 本日は成人を祝う日だ。こと祝日に関して、どうも政府のやり方は、今までいい時期の決定を悪い時期に持ってきてしまっているような気分がする。今日も、いつもだと小正月、松明けの15日だったし、体育の日は東京オリンピックの開催日10月10日であった。これらをどうして移動したのだろうか。特に10月10日、この日は晴天の多い特異日だし、この両日を月曜の休日にって振り替えるというのは、いくら連休になっても妙につまらない。何かしら2000円札と同じで納得がいかない。
 そういったことをはずして、成人を祝う式に参加する、大人の仲間入りという若い人たちをカメラに収めようと出かけたのだが、いつものだらけた光景を見ると、とても写したい気分にはならなくて、早々にその場を去った。
 夜、SRに装着しているスーパートラップに関する疑問を「まっちゃんの趣味のページ」に出した。そうそう、SRのムック本がVol.6の後、一向に発刊されない。たしか、そこには(昨年の)6月下旬に発刊、と書かれていたようだが、もう半年以上過ぎた。
 当然のことだが僕の成人の日は29年も前のことだ。嗚呼...。

 1/13
 夕方のNHK総合テレビのローカルニュースで、少々気になったシーンを見た。その内容は、愛媛県警にインターネット犯罪に即応する専門の知識を持った人を募集するというものであったが、画面に映し出されたコンピューター本体に「サーバー監視用」と表示がしてあったのを見たからだ。
 サーバーがどのサーバーなのか不明だが、万一プロバイダのサーバー監視ということになると、僕の考え違いかもしれないが、規模の小さなところは一発で内部情報が見られるかもしれない。おそらくそういったことはないと思うが、法律改正から「傍受」も可となったので、プライバシー保護の観点から、今後はこのことで板挟みになったり、セキュリティーに異常に気を使うユーザーも出てくるかもしれない。逆に個人がweb上で被害を被ったりすると、県警は迅速に対応できるのであろうか。
 そういえば、徳島県警がweb犯罪に対応した日は我が家のマシンは膨大なキャッシュのクリーンが行われた上に、プロバイダへの接続が極端に悪くなったことを思い出した。
  県警のホームページはよく見ていないが、どういった方法、どういった系統でweb犯罪防止を行うのか、県民に情報を公開してほしいものだ。

 1/14
 後、寸暇を縫ってeMate300の改造電池の選定に当たる。一応TOSHIBAの単三型で行うことにした。ガレージ仕様でもそのまま装着できなければ、単に作っただけだ。そういうのは嫌いな性分なのでとにかく、荷造り用の伸びないテープを駆使して作成した。
 結果はVerry Good。お約束どおり次回にその記事を掲載したい。となると、PowerBook100の電池も自作できる気分になってきた。
 ただし、これは鉛バッテリーという、電解液の処分からはじまって、困難が予想されるが検討する価値はあるように考える。

 1/15
 を忘れてeMate300を使い続ける。なかなかバッテリーが減らない。純正バッテリーの末期は哀れなもので、フル充電時間は1時間半程度。3日も放置するとバッテリー残量はインジケーター上で1/3にまで落ち込む。そのまま使わずに放置すると、1週間後にはeMateはウンともスンとも言わなくなる。タイミングが悪いとこのままアダプターを接続してもランプが緑のままだ。最初はおかしい、と思っていたのだが、どうも違う。どうやら、接続してリスタートする必要があったわけだ。
 これで、今の所eMateはOKである。次はトライアンフだが、ひょんなことからパイロットジェットを上げてやるとOKとなった。関係記事はいずれご紹介する。
 ま、久々にいい思いをした。そうそう、小正月に僕の年賀の便りを出した。冗談ではなくって、まじめに小正月を、ってところだ。そういえば、11日に松飾りをはずして、ゴミとして出されていたのを見かけた。困った祝日法の改正だ。日曜が休みの僕にとっては月曜なんざぁ休みたくネ〜ヤ。

 1/16
 例の南予マラソン大会の日である。長年僕も主催者としてこの大会にたずさわったが、最近は否定の気持ちでいる。今回もその気分は抜けなかった。
 競技自体はいつもと同じなのだが、競技を取りまく環境は大きく変わってしまった。選手も、何というのか、レースというものを走ればいいという、考え違いに似たものを持っているようでならないからだ。役員も競技全体をピチっとしたものにしよう、という気分が見あたらない。
 この日は雨だったし、どちらかというと早く終わってほしい、とでもいいたいような、そんな気分が充満しているように感じた。ギャラリーも最初の壮年の5kmでは関係者だけ、という寂しさ。
 そういった中、救いだったのは中学女子のレースであった。何しろ雨の中、元気一杯のレースを展開してくれた。高校一般の上位独占して走り終え、補助員を兼ねて見学していた東高校の陸上競技部員との話しでも出てきたが、どうして女子は元気がいいのだろうか。何しろ団子ではないが数珠繋ぎになってゴールに入って来る。泥を首筋にまで跳ね上げてのスパートを大半の娘がやっている。どうして男子にはこれがないのだろう。同じ中学生ではないか。
 こんな時いつも考えてしまうのは、この娘達が高校卒業後、大半身体活動から離れてしまう。特にコンペティションから遠ざかるのは、日本が持つ社会環境の貧しさだろうか。世界に通用する女性のコンペティターはおそらく、とりまく全体がバックアップ体制を自然と採るのだろうし、本人も努力するからであろう。

 1/19
 日購入したMac Fan誌を読んでいる。創刊号からのおつきあいだから、これはこれとして隔週に「昼まんま(ごはん)」代を投資する気楽さである。しかし、正月を挟んでの今回は月刊になってしまう。いつもは月刊Mac関係誌より情報が早いし、おもしろい面が多いが、ページをめくるうちにつまらなくなってしまった。リリースしているMacが順調だとけっこう関係誌は編集のしようがない場合が多いのかな、とも思える。
 そろそろ、僕も新しいMacを、と考えているが、考えばかりが先行して、現在の製品は帯に短し襷に長し、で末長く、少なくとも3〜4年の間は現役で使えるものはあるかどうか、判断がつかないのである。こちらのユーザー諸氏に聞いてもこの点はよくワカラン、と宣う。
 それゆえ、いまだにPowerQuadra700だし、職場では息子から借用しているPowerBook150を使っている。考えてみると、フロッピー一枚にファイルが保存できる環境だから、現行のPowerBook G3では逆に不十分なんだ。しっかり狙っているのはPowerBook G3 250/13あたりなんだけど、これが巷に出ない。出ても高い。それならiBookか、でDuoでも過不足ないではないか、が現状なんだ。

 1/20
 の中に出ていって雪の中に帰ってきた。早朝よりあいにくの天気、eMateを持って松山への出張だ。宇和町が大雪の中だから、伊豫市を越えて晴天になるはずだ、と思っていたが、八幡浜から雪は降っていないのだから、大いなる的はずれだ。宇和島に帰ってからも会議に出席しなければならないから、松山での用務を早々に切り上げて大街道、銀天街を通る。目標は1200mAhのNi-HMバッテリーだ。これはやはりなかった。かろうじて入手できるのはパナソニックしかない。ま、これは宇和島の方が安いので見送る。で、購入したのはMac OS9である。それにしても、Macのハードは本当に少なくなった。
 傘も持っていったので松山では不思議がられることしきりであった。宇和島ではみぞれなんだって言ったところで信じてはくれまい。松山だって夏の渇水に気を付けなさいよっていいたい。
 帰っての会議の後、どうにも寒いので、僕のもう一つの行きつけ「味処 肴 屋」でちょいと一杯やった。わずかではあるが緊張がほぐれる。
 明日はどうなるのだろうか。寒いのもつらいが、天候が気がかりでならない。

 1/21
 寒、朝からの冬空が続く。昨夜インストールしたOS9が快調に作動する。こんなことなら早くから入れ替えしておくのだった、と感じたが、いいものばかりではない、というのも事実だ。実際には、OS9をプリインストールしてあるマシンには分厚いマニュアルなど付属するだろうが、OS9のパッケージには付かない。漢字トーク7.5〜7.5.3、あるいはOS8〜8.1に比べると、OS8.5同様に割高感がただよう。特に古いPowerMacを購入して、一気にOS9を動かすとなると、市販のマニュアル本は必需品になる。
 それより驚いたのは、わが家のPowerQuadra700にインストールして走ったことだ。ということはPowerPC601という初代のPowerMac、とりわけ7100は優れたマシンであることが確認できたことである。起動は遅いが、各アプリケーションの作動は8.6よりかっちり動くように感じる。もし、7100を所有されている方がいらっしゃれば、ハードディスクの容量を上げ、セカンドキャッシュを装着して、CD-ROMドライブを早いものにすればいい。メモリーは実質上16MBを4枚を装着して、通常の作業は実施可能だ。もちろん、ビデオを編集するとか、3Dを云々となれば、これは少々難しいが、一般家庭でこういったことまでこなす場面が多くはないはずだ。ディジタルカメラの画像編集でもフォトショップLEなら十分動かせる。
 どこがどうなっているから、こういったことが可能なんだ、というメカニカルテクノロジーのこととかの内部関係は今井氏の著作本に詳しいけれど、何となく旧機種で最新OSが走ることは気分がいいことうけあいである。

1/22
 当に久しぶりの土曜日という気分だ。僕は土曜の休日というのが一番うれしい。働いている人には失礼だが、通常の勤務で、バイクのことなど一日が終わった後では時間がとれず、必然的に土曜日の一日が勝負になってくる。
 今日はSR500のキャブレターをさわる。パイロットを#50、メインジェットを#170にして終了。少し重たいが、この辺りが限界かな。これ以上ノーマルのSUキャブでやっつけると、おそらく、パイロットジェットの関係でうまく行かない、と推察する。本当に速くなった。これで、上限になりそうなパイロットを#55、メインジェットを#180ぐらいにするとどうなるかを今後確認したい。入手は頭のパーツナンバーが共通だから大丈夫であろう。
 トライアンフは僕も迂闊だったけれど、どうしてSudcoのホームページをのぞかなかったのだろう、という自責の念が支配した、Sudcoそのものはディストリビューターとしては結構大手なのだ、ということが分かった。トライアンフのパイロットはもう少し上げてやる必要があったからだ。
 話は変わって、ちょうど内田自転車商会さんの向かいに、宇和島では珍しいMacが主体のショップが誕生した。名前を「Mt.Mouth」という。Yさんが御当主だ。早速IBMのハードディスクを問い合わせした。電話番号他は次のとおりだ。電話は0895-20-0205、FAXは0895-20-0206である。気に入ったCDを持って出かけたり、Tシャツのプリントをしていただければいい。iMacの最新機種がお待ちしている。
 一定のことをこなして、夜の同級会は大散財。1万円もの飲み食いをしてしまった。久保田なんぞの酒を出すし、ワインもメチャクソ呑んでしまった結果だ。チープな僕には過ぎたことになってしまった。実のところ、もっとじっくり、と酒を楽しみたい年代になってきたのだが、よく分かるようになってきたのだろう、と思う。

 1/25
 らい毎日が続く。一昨日から冬にしてはジトジトした雨天。寒いので分からないが、実際は湿気がすごいはずだ。しかし、職場は天国。しかし、知られてはいないが働く者には地獄だ。おそらく多くの職員は感じているはずなんだろうけど、何も言わない。今は暖房による空気の乾燥が身体に及ぼす影響が大きい。
 つまり、軽い脱水症状になってしまうのである。信じられないかもしれないが、事実である。僕も最初はほとんど感じなかった。これを意識し始めたのはつい、最近になってからだ。
 最初の影響は、職員団体のビラを1階から8階まで配る。昼休みが勝負なんだが、4階を越える辺りからよどんだ空気、それに、舞い上がる埃が否応なしに僕にまとわりつく。おまけにたばこの煙がすごい。真冬にも関わらず、汗が出る。僕は決して熱いとは感じない。しかし、上着を着たままでは暑さを感じるのだ。配り終えて外へ出ると「ホッ」と一息つく。今度は本当の寒気がやってくる。
 家に帰る前にビールを引っかける。酔わない。血管が広がり水分が少量のアルコールの助けを借りて体内に広がる。水を飲めばいい、とはいうが、屋上のタンクから降りてくる水はカルキが強くて飲めたものではない。石鹸で手を洗おうものなら、ヌルヌルがしばらくははずれない。シャツの襟は真っ黒だ。
 環境管理の専門団体がテストすればワースト環境の結果が出るのは否を見るより明らかである。一日中閉ざされた窓が何を意味するのか、誰が見ても分かる。全くひどい職場環境なんだから。

 1/29
 の席が続くので、何かやろうとしても集中できない。幸い、僕もずいぶんと呑めなくなってしまって、がんがん行ってしまう席では、お酒の酌をして回らないことにしている。もう一つは、酌をして回ると、どうも最近は愚痴をこぼされる方が多くて閉口する。
 そんなもんで、今日も無理かな、と思っていたが、幸い晴天が続くので、トライアンフの整備を試みた。フィードパイプの口径を大きくしただけだが、効果てきめん。燃料供給状態はすばらしいものになった。キャブレターの口径も大きい、混合気の流入も多くなった。ではどうなるか、そう、快調なのに不調、という、お天気なのに雨の降るアイルランドのような国に行こう、という詩の一節を引用してしまう始末。輪を掛けてボイヤーのトランジスタ点火になっているんで、マジで、ここから調整しないとならない、という苦悩の続きが始まるようなのである。
 でも、叩けよ、されば開かれん、の気分でやりたい。もちろん、トライアンフには英語で話しかけるのだ。しかし、現在のバイクはよくなったが、さわるおもしろさに欠ける。オーナーとしてキカイに対する愛情は希薄になってしまったようだ。

  1/30
 の定、朝からの雨、昨日のうちにやって置いてよかった、と感じた。今日はPowerQuadra700のハードディスクをやっつける。先日OS9がサクサク動く、と申し上げた。事実だが、インターネット関係では少しキャッシュの関係から思わしくない。つまり、キャッシュのクリアーが頻繁なのである。そのため、無駄な時間経過がすごく多くなってくる。その他のソフトは大丈夫なのだが、これには、OSの規模の拡大とハードディスクの容量関係からどうしようもない。
 そこで、OS8をインストールするのだが、どうしても上位OSの名残が取れずに、スタートアップでBombする。そういったことで、8.6をインストールしてみた。今回は8.6を最初からインストールする。もとのシステム関係から必要なものを移動させて使っているが、8.5からのアップデートよりも妙に速く感じる。不思議なことだ。Appleサイドには申し訳ないが、上位OSが出るとマシンがそれに対応する場合でも、そうさせるのではなく、一つ前のOSを使用するのはけっこういい方法ではないだろうか、と考えるのだが、いかがだろう。
 大阪女子国際マラソンは妙に人間らしさを感じさせてくれた。もはや有森さんなんかの時代ではない。これは記録が統べてである。どういった状況の中でどういった力を発揮できるか、ここんところに主眼をおいたところでオリンピック代表選手を決定していただきたいものだ。そして、番組最初のシーンで旧姓小鴨さんの姿が映し出されたが、選手のみならず多くの方に彼女が走っているこのシーンを大切にしていただきたい、と思った。元オリンピック選手が挫折した後、ようやく全日本クラスのレースに出場できる感覚を、今の未婚のトップランナー達にも理解していただきたいのだ。優勝者のシモンさんも動乱の経験を味わった国で奥さん選手、2位の弘山も奥さん選手だ。
 話は変わって、先日て紹介した「肴 屋」さんのホームページが開設されました。アドレスを以下に記しますので、一度ご覧ください。もちろん実際に店に行っていただきたい、と思います。
http://www.infomadonna.ne.jp/~sakanaya

 2/ 3
 つもどおり出勤するのだが、業を煮やした人が、以前に紹介した宇和島自動車のバスセンター前の歩道橋の入り口の一部放置自転車をなぎ倒していったのだろう、それが昨日の朝のことであった。それ自体は軽犯罪だろうけど、効果があったのかしら、今日は整然と並べられていた。
 こと自転車に限らず、いつもこういった「○○が悪い」とされるのは物言わぬ「キカイ達」だ。悪いと称するのは人間である。暴走行為をしたりするのも常に最初に悪ものにされるのは自動車とかバイクである。ようやく最近では集団という言葉が前に付くようになって、人間のグループを解散させるようになった。
 生活を便利にしたり、楽しみを拡大したり、そのために機械は誕生したんではないか。冷蔵庫をはじめ、これらの生活用機械をはじめ、自動車、そして自転車など、人間は機械達をいたわっているだろうか。
 表現はおかしいかも知れないが、町工場でこれら機械のパーツを造るマザーマシン、それに携わる熟練工、職人達、この人達が一日の仕事を終え、このマザーマシン達に「ご苦労さん」と心の中でつぶやくような、そんな愛情を家庭の機械達に注いでほしいものだ。機械によって一番恩恵を受けている人間だけがいい思いをするだけではいけないのではないか。
 今日は節分、鬼もたまには家の中にいて、人間達に注意していただきたい。わが家では「鬼は内、福も内」。鬼と福が互いに意見しながら、向こう一年間、人間達を導いてほしい。一般の意味でネオンの海で散財させる鬼がいないと、それで儲ける福の神がいなけりゃならないでしょう。本来鬼は大変なんです。司法の鬼とかの表現のように。

 2/ 4
 日間でずいぶんと日の出は早くなったし、一気に夜明けの傾向が強くなった。そろそろ春の訪れかもしれない。今振り返ると、ここでは冬の夕刻、自由な時間をつぶせるところが非常に少ない。もちろん家庭に帰ってテレビでも見てのんびりとでもすれば、それはそれでいいのだろうが、冬場の午後5時以降、どこに行けばどういったことをやっている、をはじめ、城山の周りを散歩するにしても、夜の徘徊に思われてしまう。人間の特性で、左回りに回ると同方向からの自動車のライトを背中に浴びる。右だと正面からドバッとやってくる。
 静まりかえった商店街。6時半には店のシャッターが閉じられる。最近シャッターが翌日も開かない店も多くなった。そういえば、商店街なんて最近では歩かなくなってしまったな。アーケードの改修は進んでいるが、雨漏りのするところはアーケードに直接関係ないところを伝わって来るので、数年後には同じことが繰り返されるのであろう。
 マスコミ報道されたとおり、宇和島市はどうもダメな財政状況だ。僕はこれを何とか持たせるのではなく、早いとこバンザイしたほうがいいように思うのだがいかがだろうか。
 夕方近くから確認のために、トライアンフを動かす。しばらくぶりで、若いおニイさんのSRをブッちぎる。簡単なことだ。腕を突っ張ったクリップオンハンドルでコーナー回れるはずがない。クラッチ握って腰を入れ、2速落としてコーナーの出口を目指してアクセルを開ける。何度となく野村から鹿野川の道で、MACH IIIでやったことか。ズルズルっとタイヤが横滑りしたりして、XS650ではフレームがよからぬ方向を向いたり、DUCATIの900SSでは思わず「やった」と思った。
 大人げないことをした、と思うが、僕のような者が少なくなったし、若い人もスタイルが先行するから、本来のライディングってものが出来ないようになってしまっているのではないだろうか。

 2/ 5
 日はホトホト難儀をした。トライアンフのフロントフォークを新しいものにしたまではよかったのだが、左が三つ又を通らない。素人の浅はかさで、マイナスドライバーで広げたのはいいが、一部分だけ広がって楕円になってしまった。よけいに入らなくなる。
 たまたま所用で来た永井モータースの若旦那に作業を依頼したところ、快く引き受けていただく。が、最後にはリューターを出して三つ又を削って、ようやくのことで入った。大変ご迷惑をかけた。もし、彼がいなかったらさんざんな目にあってしまっていただろう。ありがとうございました。
 当然といえば当然なのであるが、24年も前のバイクの部品が現在純正であるわけがない。したがってリプレースパーツは、イギリスとか、アメリカのパーツメーカーが作っているのが現状だ。現物合わせはできないから、合う合わないはある程度致し方のないところだ。今回は純正との誤差0.5mmが作業を困難にしたわけである。
 実はこの部品の合わなかったことは今回で2度目である。最初はエキゾーストパイプであった。これは見えない部分になるからサンダーで削って面取りをした。きっちり入ったんで好都合ではあったが。
 今回のことをふまえて、数年後にトライアンフのフロント部分をリプレースするのなら、SR500/400のフロントフォーク一式に変更したい、とマジに考えた次第。

 2/ 7
 うして、ホームページ更新の時にセオリーを忘れてしまうのだろうか。昨日もそれをやってしまて往生扱いた。ま、無事に更新できた。ずいぶんとページも大きくなったように感じる。はっきり言ってこの辺が限界のように感じる。
 最近はめっぽう頭を使うことが多くなってしまって、飯が喉を通らない。分かっている人が知ると「な〜んだ」と思うようなことばかりなのだ。土曜日の一件は別として、トライアンフに使っているキャブレターのちょっとした調整のことだけど、これが数学の順列組み合わせのような数で、なかなか結果が出せないのだ。
 ニューモデルをリリースするときなど、僕のような考えをメーカーが実際に行って結果を出して、最初のロットが市場に出てユーザーの反応を見るときに、エンジニアの心の中にはきっと僕と同じような気分があるのだろうな、と感じる。
 そういえば、日曜日はいつも雨降りだ。"バカンスはいつもHu-u-u-、思い通りにならない...." とか "雨がシトシト日曜日、僕は一人で君の帰りを待っていた...." なんて、ここんとこ4週間ほど日曜日は雨だ。どっちにしても、日曜日より、この土曜日っていうのが僕の趣味では勝負なんだ。したがってあわててやってしまうことも、一層輪をかけたように焦りを生じさせる。この週の金曜日「建国の日」からは3連休になるが、やはり僕として一番うれしいのは12日の土曜日だ。
 最近の息抜きは、銭湯でのんびりした後の風呂上がりの憩いのひとときだ。通常はキリンの淡麗(生)と酢の物で憩いをとる。最初のように、ここ数日飯が喉を通らないものだから、淡いアルコールでも気分がよくなる。ま、とにかく四国自動二輪交友会へトライアンフで行くことが出来るように整備を完全にするってことだな。

 2/ 8
 明の雨が上がり、一日中強風が吹き荒れる日になった。職場へ出向く途中に、私立の高校入試の受験生達を目にする。誰もが自らの体で来ない。自家用車に乗せてもらってやってくる。高校ってところはもう義務教育でもない。そこへ進学しようとしているのに、こういったことではとてもヤワな人間ばかりになってしまうのだろうな。
 同じ様なことで、近所の「TE-や」に学びに来る子ども達も、日増しにヤワになっているようでならない。午後10時近くになっても、わが家の前には酔っぱらいのようなダミ声を上げる中学、高校の生徒達、おまけに午後9時近く、塾の前の道路は両側を迎えの自動車がふさぐ。幸い宇和島自動車の路線バスは走らない時間帯だし、実際に生活している人も少ないからいいようなものの、アイドリングの音と排気ガスにどう対処すればいいのだろうか。警察はどういって指導取り締まりをすべきか。
 塾生達は夜間外出許可証を学校から取得しているのだろうか。それとも、学校は校外のことは、通学路からも離れているので関知しないのだろうか。
 またしても、バスセンター前の歩道橋をふさぐ自転車のことを考えてしまう。ここもY高校の生活指導の先生が一人でもいいから、最初は遠目に見てくれればどういった状況かすぐに分かる。
 一時期高校の義務教育化が叫ばれたが、やはり15の春は桜が散ろうと気にすることはないのではないか、と最近強く感じ始めた。

 2/ 9
 間の関係で記載しなかったが、昨日、東京のOZハウスさんへSUDCO MIKUNIのキャブについて問い合わせをした。案の定の答えが返ってきたが、一晩中ずっとその答えが堂々巡りをして悩んでしまった。その性かしら、今日は午前5時頃目が覚めてしまう。昨夜までの強風は消え、暗い雲が覆う。まるで僕の頭の中と同じだ。結論を急いではならない。ジェット類の組み合わせは一定のところまで進んだのだから。
 現在において実現不能な過去のことを当てはめるのなら、バイクに乗り始めた頃、最初のスポーツカブを宇和のT君と城辺まで受け取りに行き、今はない柿島のボロ屋に売却するまでに施したことなどは鮮烈に憶えているが、記載物はない。
 同じようにトライアンフとか、GX-750とか、あのとき必死の思いで購入したバイク達の巷にそれらの過去がとぼしい今、どうして記録をしていなかったのだろうか。「もし」という現在から見ても、その当時にパソコンはいらなかった。簡単なノートに鉛筆で記載をしておけば、今こんなに悩んでいなかったのかもしれない。この点は多いに反省している。Macの場合においてもしかり、なのである。自分で作る記録なんてものは、銭を出しても買えないものだから。
 僕の一生から、次の人の一生を経て、その次の人に手渡せるぐらい、僕のトライアンフは丈夫である。

 2/10
 日は仕事においても、プライベートにおいても、いろいろな人に出会った。特に仕事では、宇和島発展にユニークな考えをもってらっして、なかなか正論をおっしゃる、という感覚だ。特に僕のように法律に縛られている中で仕事をしている場合は、相手がおっしゃることに反論ができない。長年こういった仕事をやっていると、自分の社会に対する感覚が麻痺してしまいそうだ。職場のために尽力する、という考えも当てはまらない。考えてみると不思議な商売だな。
 帰宅途中、高校時代に牛乳配達でいっしょだった女性とばったり遭って、彼女もちょいと話もあるようだったので酒道場で喉の乾きを癒すこともいっしょにして、1時間ばかり時を過ごした。どうも彼女は前の職場で首切りにあったようで、今は経営側の有利さのみの考えで、仕事をして支える側の気持ちを入れる余地は無いように感じた。
 そのためかしら、帰宅しても今日の僕は何だったのか、と考えることしきり。気分が落ちつかず、最終に残ったものは、最近は人と本当に口を開かなくなった、ということであった。自分でもおかしいぐらいに、一人でいるときは黙っている。そして、人に会わなくなったこと。会わないではなく、会いたくない人が多くなってしまったのかもしれない。昔はこうではなかったな、と思っているが、向こう残りの人生でこういったことが元に戻るのかどうか。

 2/12
 々な一日であった。朝は昨日のまとめを少しやって、すぐさまトライアンフにかかる。今日は試乗できるはず。そして、....と計画遂行と意気込んでやったのだが。
 まずは先週のフロントフォーク取り付けの際、ステアリングヘッド周りの締め付けを確認する。インチサイズのヘックスレンチボックスがないのでカンによる締め付けだ。結構信じがたいトルクを掛けているので、程々にというところで止めておいた。
 次にエンジンのバルブ周り、タペットクリアランスを調整。これも難なく終わり(とその時は思いこんでいた)、エンジンを始動しようとするが、バチッというだけで一向にエンジンは回らない。
 ピストンを上死点に持ってきて、クランクケースのタイミングマークの一致した点を合わしてロッカーアームに遊びのあるところで調整。方法に間違いはない。他にどこかさわったか、おかしい。なぜだ。ム〜、分からん。
 散々悩んだ挙げ句、初歩的ミスを犯していた。つまり、360度ツインシリンダーエンジンでもピストンは両方同じ作動をするが、爆発は片側ずつしかしない。したがって、片側のシリンダーのバルブが閉じているときは、もう片方のシリンダーは別の行程を行っているわけだから、左右のシリンダーにある4つのバルブ総てが閉じていることはないのだ。
 まさに赤面の至り。日頃単機筒エンジンのSR500の方ばかりに目が行ってしまい、ツインシリンダーエンジンの調整というのをすっかり忘れてしまっているお粗末さ加減に、自分自身が恥ずかしくなってしまった。

 2/13
 の二日間というもの不思議な夢を見て、寝起きがよくない。大方は気にする類のものでもないのだが、どうしても心のちょっとしたわだかまりを整理する意味合いも込めて、暖かくなった午後の一時、お墓へ出かける。心配していた雑草も少なくて、落ち葉を集めるだけのとどめた。ずいぶんと土の面の墓所が少なくなってしまった。息子が帰省した折りに生けたシキビが元気であり、生命に対して妙な気分になってしまう。八面(やつおもて)の母方の墓は、僕の生けたシキビが元気だったんで、これまた不思議な気分になってしまった。双方とも奇怪な不思議ではなく、神秘の多い不思議という意味あいのものだ。
 その後、久々にSR500を出して、いつものコースを走らせる。昨日、内田自転車商会のS君と70歳ぐらいになって、僕がまだSR500に乗っていられるだろうか、と話をしたのだが、クラッチの重さに耐えられれば可能だろうかな、とも感じる。キャブレターの調整も一定出たようだ。このまま乗ってみよう。しかし、ずいぶんと乗りやすくなってきたものだ、と妙に感心。
 力は入っていないはずだが、まだ寒いのと、休日は4週間天候が悪いのでバイクに乗れなかった分、疲れが大きい。こういった点は年齢に正比例しているのだろうか。でも、ラクチンバイクには乗りたくない気分の占めている割合が大きい自分を誉めるべきかもしれない。

 2/16
 ググゥ〜、職場のT君の8600が作動するのにサードパーティーのモニターで「なーんも見えまへん」になってしまう。純正の13インチモニターではミゴトに映像を出してくれたんだ。この解決に悩んでしまった。それでは、モニター変換ケーブルに取り付けるスイッチが原因か。これも異常はない。コネクターを確認。これもOK。
 内部のラインを確認して、その場はミゴトに回復した。ひとまず安心。彼曰く、修理見積もりだけでも万円単位だったんで、多いに助かったとのこと。
 メールで気になるものを見つけたので、Appleに接続。な〜んで日本のAppleにつながらない。遠回りしてアメリカから迂回する。そういえば、日本ではエクスポでSteve Jobs氏の基調講演があったんだ。それで通じない。
 エッ、iBookのスペシャルバージョンを出す、という。フムフム、これはなかなかいいかもしれない。思わずプリントアウトしてしまった。久々に相手の方から「使ってみませんか?」と問いかけてくる様な気分になってしまった。こういったときはGoodなんだが、先立つものがない、という、いつものパターンになってしまう。

 2/18
 一番、T君より通知があったんで、スワッ!またか、と感じた。
 実は昨日も朝一番で、再び画面真っ暗になったことを聞き、僕も訳が分からなくなっていたときだったんだ。原因はVRAMと電源部からのラインが干渉していたために、真っ暗になった。そのため、そこに隙間を作って電源部を収めると治った、というものであった。よかった、と一安心をする。
 それにしても、人様のマシンでありながら、数日間あーでもない、こーでもない、と気を揉むことは、僕がMacに傾注しているからだろう。
 さて、巷ではWindows2000というOSをカウントダウンでやってもーた、の映像をテレビで見たが、SOHO関係にも必要なOSだろうか。Linuxがあーいった調子で好調なんだし、ビジュアル関係が主に利用できるってところを、一般にもどうのこうのいったところで不必要ではないかな。僕がLinuxが好きなのは、MacでHyperCardを使っているからかもしれない。これは結構楽しいんで、自分が画像や文字を画面に描いて、それをどうするっていう命令(コマンド)を英語でコンピューターに与える。ダメな場合はコンピューターから「出来ません、ここが間違っているようです」と返事がある。これが、楽しいんだ。それだから、僕のホームページも少しHTMLをかじったに過ぎないだけで出来上がったのではないか。カメラ同様、ある程度はオーナーが関与しないと、キカイはいうことを聞かないもののようだ。特にコンピューターは電子頭脳を持っているのだから。そのうちHALのように人間との対話にまで及ぶかもしれない。

2/22
 当に2月は逃げる月だ。考えるともう下旬である。先週末からは怒涛のような忙しさの波が押し寄せてきた。様々な行事の申し込みをはじめ、会費の納入。これらがことのごとく統一性がないものだから、時には銀行、時には郵便局、はたまた自動引き落とし、時には為替とめまぐるしい。したがって、昼休みを利用してことを片づけるなんて芸当は出来ないのが現状だ。
 さて、久々に夜間広小路とか笹町のあたりを通ってみた。結婚して'80年の2月頃までの3年間ほど広小路に住んでいたが、その当時と比べてもずいぶんと人が少なくなった様に感じる。当然のごとく、家の明かりも消えているから、そこは家のたたずまいは同じでも家人がいない。これは機能していない家、こういった家屋が多い。明るかった、と感じる街路もずいぶんと暗い感じがした。
 最近は深夜のアーケードを通ったことがないが、午後6時半を境にシャッターが降りるから、旧市内はどこもひっそりと夜を迎えている。周辺になると一層この感覚は増大するのだろう。
 それにしても、夜に運動着を着て歩く御仁が多いのにはあきれる。はっきり申し上げて、自然の中で、植物の光合成が終わっている空気を胸にして、夜間に運動をすることに僕は反対である。徘徊するという行為ではない、夜間に早足で動き回る。明らかに運動だ。チリとか埃が下へ降りようとする中を、運動目的で歩くことはいかがなものか、みなさんもお考えになってはどうだろう。

 2/26
 夜は高校時代の同級生たちと結構呑んだ。日頃の疲れがどっと出たのかしら、シャックリが全く止まらず、大変な思いをした。結局午前5時近くまでうとうとしたままで、10時近くに収まった。
 幸い、記憶がはっきりしていたからいいようなものの、今日は今日で松山での職員団体のレセプション、それをこなして帰宅して、ATOK13をインストールして、テストがてら、この日記のタイピングをしている。かなり12時代の欠点が改善されているようで、非常にサクサクと変換している。英語との切り替えも許容できる範囲に収まった。快調である。メインのOSは8.6だが、おそらく9でもうまく作動するのであろう。辞書機能もアシスト的に表示をしてくれるのもなかなかいいように感じる。いずれ報告したい。簡単に言うと、ATOK8がMac用に出てきた当時に似ているように思う。加えて、ご意見を頂戴した方の署名簿に自分の名前があるのを見つけると、妙に偉くなったような気分がする。
 そうそう、松山のハードオフでPowerMac7100/80を見つけていたのだが、7500と値段が変わらず、7600と2万円しか変わらなかったので、購入を見送った。ココまでやるのなら、G4を購入した方がはるかに気が利いている。考えると、その機種によほどの入れ込みがないと今のモデルの方がモデルチェンジも少ないのでお買い得だ。それにDVDで映画もパソコン上で見ることができる。かなり進歩をしたものだなー。

 2/29
 近まであまり重要視されていなかった今日の午前0時を前にして、1月1日と同じことをしていたが、影響はなかった。が、7時のニュースで宇和島の火事を知ったのは別にして、昼のニュース以降気象庁のアメダスの異常表示をはじめ、郵便局のディスペンサー機の作動不良など、けっこう出てくるものだ、と感心した。これが空の世界でなくってよかった、と思う。
 久々にSR500を引っぱり出す。相変わらずの快調さは続いている。ひょっと大真工業がリリースしている乾式クラッチを装着したくなった。高価な買い物だが、かなりいい感じになるのではないだろうか。オイルによるフリクションロスなど消えるはずだし、SRのようなコンパクトなエンジンには好適なはずだ。
 夜は夜で春闘の学習会。講師のF先生のお話そのものが僕の職場で起きようとしている。法律で縛られた世界でこの調子だから、民間の勤労者は大変だろう、と思う。我々は縦割りで職場が成り立っているから、隣の職種の人手が足らないから助けてくれ、と要請があっても応じることが出来ない。意外に知られていない点だろうな。
 久々に同好の士とでもいうか、Mac狂のMさんからメールが届いていた。何しろQuadra700の筐体を自作される方だから、そりゃ大変な御仁である。早速返答をしたのだが、当方のNetscapはメールをMさんのアドレスに届けてくれない。(個人的で申し訳ないけど、もし、この日記を読んでいらっしたら、正確なメールの届け先を連絡してください。)

3/ 2
 日、SR関係の雑誌を2冊購入した。以前に比べて突っ込んだ記事が少なくなってしまって、妙にシラケた気分になってしまう。20周年アニバーサリーモデルが出る前の記事はずいぶんと良かったんだけど。それでも購入した1冊には500ccモデルと400ccモデルの違いが書かれていたが、ユーザーはそこまで読まないかもしれない。
否定の否定だが、2冊とも良く売れていたのは根強いファンがいるのは間違いのないところだろうか。
 その中でアメリカのダートトラックモデルの写真が出ていた。ことのごとくSUDCO MIKUNIのキャブを装着していたが、インマニのラバーチューブの長さがどれも同じようになっている。以前のアサカワトライアンフはどうも高速走行向きの長さのようだ。もちろんストック状態ではあまりに長すぎる。性能も何も変化が感じられない。しからば、リプレースチューブとして、宇和島船具さんへ出向き、内径38mmのトーヨーゴムのホースを50cmカットして入手した。トライアンフに関しては、意外なところで船舶用品がうまくフィットする。これで、規模が小さければバイク用として有益なものが多いのだが。
 ま、これで数ミリ単位の調整が出来るようになったわけだ。めでたしめでたし。

 3/ 3
 暦では雛祭りの日だが、ここいら辺は4月の3日になるから気にもならん。むしろ、明日も次週の土曜日も休めないことが分かっているから、今日は午後から半日の有給休暇を取得する。でも、さる人の香典の手配をしたり、明日の準備をしたり、と半日の休暇もずいぶんとロスしてしまう。
 あわて半分だが、ここは慎重にトライアンフを仕上げることにする。エキゾースト側のロッカーボックスを再びはずして、プッシュロッドの端っこにグリスをつけた上で、プラグ穴にドライバーを突っ込んで下死点を確認して下側を装着する。クランク回して動くことを確認して、ロッカーボックスを取り付ける。
 タペット調整をまぁまぁでセット。タンクをつけて、エンジン回す。オミゴト。プラグ(ハイテンション)コードを交換したせいか、一発ごとの爆発が以前と異なる。すごい。これからは点火系も要注目かな。ようやく、SUDCO MIKUNIのキャブセットも理解できはじめたんで、車検を受けたい、と考えている。
 安堵と様々なことでぐったり。明日は早朝から松山。数日の間のんびりしたいところだ。

2000年3月4日()雨
 号でいうと今日は順番がいい日だという。平成12年3月4日、1,2,3,4と揃うわけだ。そのせいかしら、IDOの携帯が埼玉の方で通じなくなったとか。コンピューター問題はまだまだ続くのかもしれない。
 昨日からちょいちょいとMacを目にする。函館の広域連合が「未来大学」とかいう公立の大学を創設して4月から動く、という紹介のニュースでの中で、Mac G4を純正ディスプレイとともに数十台並べた教室が映し出され、それらが総て動いている状態だったんで、妙に不気味な感じがした。こういったところは、G3のアイスブルーか、アメリカだけだったけどアルテミスという、白いトランスルーセントのマシンの方が好ましい感覚を受けるのは僕だけではないはずだ。
 今日の松山での連合がやった春闘総決起集会では舞台の照明が気になった。Mac OS Xのアクアに似ている。思い入れというか、意識はしていないんだが、妙にそう見えて来るんだ。もしXを動かすと奥行きのあるデスクトップ画面で作業ができるんだろうな〜って。
 昨日トライアンフをさわっていてよかった。もしさわってなければ、1日中降った雨と同様に、このことが気になって舞台の照明なんかを考察する気分にはならなかったろう。もっとも、トライアンフにさわっていても成功したからよかったようなものの、失敗していたら、と考えると、人間の気分なんていい加減なもんんだ。でも、このことが人間たる所以なんだろうけど。
 今日からちょっと最初のさわりを修正します。お天気とか、曜日とか入れておいた方がいいかな、と思いましたんで、ハイ。

2000年3月5日()くもり
 々にゆっくりした。いつものとおり早朝に職場へ行って、自分のワープロを使う。部屋の空気の汚染はタバコでひどいもんだ。24時間過ぎてもダメなのは換気していない証拠だ。数分間窓を開けてOKとした。
 帰ってから、いつものとおり「ちょべり具」のカツ丼で昼食を済まし、琵琶湖毎日マラソンをテレビで見る。40kmまではいい勝負であった。その後は、僕の考える限り、日本人特有の考え方が支配したのではないだろうか。二位になった彼を代表にしていいが、早稲田の彼もアシスタントとしてシドニーへ引率するぐらいの力量はJOCにないものだろうか。
 その後行ったトライアンフの整備は一定の成功を収めて終了となった。まだツメが残っているので、次号あたりで詳しくは説明したい。今週中に車検を通したいところだ。
 それより今日妙に涙したのは、「こちカメ」で放映された内容だ。僕にも番組同様の思い出がある。たかがアニメのドラマだけれども、妙に気分が昔に進んでしまってどうしようもなかった。ガキ大将の主人公と違い、一人っ子の僕は僕の道を歩んでここまでになったが、都会と田舎の違いこそあれ涙が出てしまった。作者の秋本さんがそういった時代を生きてきたのだし、それを今の世界にある程度デフォルメして番組で流すから新鮮なんだろう。実際はそんなにいい思い出ではない。逆に思い出だからあのように表現できるのかもしれない。

2000年3月8日(水)はれ
 ライアンフのキャブが一段落して、関連ショップに報告する。一段落すると、どっと疲れが出てくる。もちろん、これだけではない。職場の乾燥状態も大きく影響している。家内が当直勤務なので、ここで家に帰ってのんびりすればよかったものの、喉を潤しに酒道場へ寄ったのが運の尽き、T女史がひょっこり覗いて入店したものだから、結局大散財になってしまった。一定年齢の再就職は手に職(資格)を持っていても難しいことが話の内容でよく分かった。いずれにしても、同じ年代ですでに他界している者も多いし、僕なんかがこのように毎日ではないが、楽しいことをやりながら一日いちにちを過ごすことが出来るのは幸せなことだ、と彼女と話をしながら多いに感じ入った次第。
 家に帰って、本当はwww/Gridの次号の校正をするところなんだが、地下鉄事故のニュースが支配していてその気にもなれず、逆によく利用するJR予讃線の松山までの車輌がトンネルに入る際、車体がへこむのは、強度不足ではないだろうか、とかんがえてしまった。
 昔の漫才ではないが、地下鉄はどこから入れるのであろうか。もし、大阪の地下鉄だったら、線路に平行して架線が設置してあるので、感電ということからすると、今日以上に大変なことになっていたかもしれない。

2000年3月10日(金)はれ
 Triumphの車検が終了した。各部がしっかりして、オイル漏れなど無く、ブレーキ、灯火類を含めた保安装置が正常に作動すれば、車検は通る。しかし、これが出来ていない車、バイクが多いのが現状ではないだろうか。向こう2年間の有効期間があるが、オイルの品質に気を配ったりとか、タイヤの空気圧とか、結構日常の整備をやっておかないとだめだ。これがオーナーの務めと感じているが、今の日本では、この分野がディーラーとか整備工場にまかされるわけだ。
 したがって、日本のモータリゼーションなんてものは広く深く振興させることは出来ないのであろう。最近はこれに環境問題がプラスされてきた。
 8日からの地下鉄のことが頭から離れない。その日のうちにコーナーに補助レールが設置されたりするのを見ると、どうして、一つ上の安全対策を採っていなかったんだろう、と考えてしまう。車体そのものはどうなんだろう?。コーナーの通過速度、曲がりなど、統一がない。統一より、むしろ最低基準をこれは国家が定めるべきで、それ以上をするのが企業なりの努力だろう。
 総ての解決策ではないだろうが、特に補助レールなどの設置、こういったことが瞬時に出来上がって、その日のうちに普段と全く変わらない運行ダイヤグラムになっているのテレビで見ると、4人の亡くなられた方々はあの世で臍を咬む思いをされているのではないだろうか。

2000年3月12日()はれ
 前中にトライアンフのシートを修理に出した後、SR500のフロントフォークの修正を行う。その時、CB-750FにXJR-400の足周りを装着したマシンのオーナーと話をしながら、少しばかり気分がよくなった。まだ、こんなことをしている40代の人も市内に居るんだ、ってことが妙にうれしかった。
 名古屋女子マラソンを見た後、妙典寺のお稲荷さまへ出向く。いつの頃からお参りに出かけるようになったのか憶えていないが、ご利益はさておき、年中行事に出かけないとなると、気分がすぐれないものがあるのは確かなことだ。そういった気分になる直前までがご利益を受けているのではないだろうか、とも感じる。
 www/Grid 12号で別の角度から少しホンダの悪口を申したが、今日のF-1初戦でBARホンダが4位と6位に入る健闘を見せた。不思議だが、ちょいとうれしくなってくる。少々のブランクを経てトップに食い込むぐらい、企業として闘うのならたやすいことかもしれない。が、その結果をかつて他の大メーカーがホンダの独占など、といって非難してきたのではなかったのではないだろうか。が、今年もこれからそうなるとなれば、この8年間ヨーロッパのメーカが行ってきたことは何だったんだろう。あるいはチームの総帥が恐れていたようなことが、このブランクを経てまた繰り返される、となれば、真のレーサー(自動車)を煮詰め上げる努力と、そのレーサーに乗るF-1パイロットを育む環境がなくなりつつあるのではないだろうか、とも感じる。もちろん、パイロットにも「私がやろう」といった気分もないのかもしれない。奇しくも僕のこの感じ方は、先日購入した雑誌の中で、映画「グランプリ」を語ったジェームス・ガーナーと今回のレースで4位に入ったビルヌーヴの会話と同じであった。

2000年 3月14日(火)はれ
 そういえば今日はホワイトディではないか。昨日は息子の誕生日だったし、こういったことをすっかり忘れてしまっている自分が何とも情けない。結局お昼の当番だったんで、昼休みに外へ出ることもできずに、明日まわしになった、否、してしまった。書記さんに、お弁当屋さんに、義理とはいえ、けっこうあるものだ。
 四国自動二輪交友会に向けて、トレーニングのためSRを走らせる。夕食までの1時間程度のランだけど、気分がいい。しかし、後がない。走って帰ると、いつもの日常が待っている。やはり自分自身が孤独なんだろうな。
 これまた、久々にCDをプレイする。曲目は写真のものだ。The Beatlesはハーフオフィシャルのステレオ盤だ。ご丁寧に東芝音工(古い!)製の最初のLPのジャケットだ。知っている人は入れ込みの強い人か、思いでの多い人だろう。いずれにしても古い。(笑)
 もう一点は本編にも出したThe SeekersのCDだ。これはリマスタリングしてあるものだが、すばらしい出来である。サービスの2曲を聴くと年相応の声になっているけど、ま、よろしいものだ。CDナンバーは[EMI 7243 8 29151 2 6]である。松山のモアミュージックなど、輸入ディスクを扱っているところなら入手可能だろう。イギリス盤である。
 ヘッドフォンで聴きながら知っている曲があると口ずさんでいるから、人様が見ると「バカみたい」と思われるだろうな。

2000年 3月15日(水)はれ後一時雨
 っごくいろんなことを考えさせられた一日であった。朝はとにかく、いろんなことが重なる日だろうからネービーブルーとゴールドのレジメンタルのネクタイで出かける。このネクタイはゲン担ぎで締めるのだが、これは言わずとしれた慶応大学のカラーを意味するネクタイだ。ところが、こちとらは中京大学の卒業生だから、フランス国旗と全く同じパターンになってしまう。モッズのターゲットマークはイギリスだから、その配色と全く逆だ。このネクタイのため、職場ではすごく快調であった。
 そんなことはどうでもいい。僕が感じ入ったのは、先に京都でおこった児童の殺害事件のことである。容疑者が自殺したんで、事件そのものは、失礼だが、そんなこともあったなー、と言う方の方が多いのかもしれない。
 今日、民放の午後6時のニュースで放映された、殺害された児童のお父上の発言である。悲しみは消えようがないのは分かる。小学生があっというまにこの世から何の理由もなく殺害されるのだから。そのことは別にして、たんたんと語られたであろう、お父上の発言の中で僕の心を打ったのは、「容疑者の自殺は、現実逃避に過ぎない」という発言である。
 僕はこのことは非常な意味を持っていると思う。たとえば、死刑になっても、本当に被害者が死刑としての罰を受け入れられるかどうか。このことを抜きにしても、犯人が明確に分かっての死刑だろうが、今回の事件で容疑者の自殺は、自殺した本人からすれば「自分がやったのだから(いいではないか)これでケリがついただろう」と思っているかもしれない。
 スーパーマンではないから、時間をもどせない。しかし、今後こういった割り切れない事件っていうものはどんどんと起きるはずだ。現に、このニュースの前に高校生の殺人事件の報道があったではないか。
 先日の、この京都での事件は、おそらく子を持つ親ならおそらく犯人を八つ裂きにしたいと思うだろう。犯人が見つかってこの状態だ。非常に確率の高い容疑者でも、自殺をしてしまった今では、あの事件は一体何だったのだろう、と思わざるを得ないのではないか、と思ってしまうのである。

2000年 3月18日()はれ
 々の晴天も今日だけかもしれない。戎山、九島の一部が紅色を呈してきた。間もなく桜が開花する。一歩づつ春への足音が近づく。
 それにしても昨日は午前中の火事から始まって、仕事の引ける午後5時まで机に就いていた時間の方が少ないほどバタバタした。そのあわてたのは終業前にやってきた。いずれ報告するが、ロケットブースターに点火して空母上から発艦する戦闘機並だ。後になって考えると、実のところもっと早くに手を打っておくべきであった、と思わざるを得ない。
 ずっと以前にウエスギアンプを購入するときに、清水の舞台から飛び降りるつもりでやったんだが、今回もそれに似たものであった。想像するより高額ではないのに支払いに躊躇してしまうなんて、自分の物を購入する金額のベースがチープシックになっていてしまっていたようだ。
 そういったことがあって1日過ぎた今日は、本当にやってもいいものかどうか悩んでしまって、ずいぶんとしょげ込んでしまった。
 そういった諸々のことがドカっときてしまい、動きがとれない。気分転換も含めて宇和のT君宅までの往復、SRを走らせる。決して今の思いをバイクを走らせることにぶつけたりはしない。これは本当だよ。テレビドラマのようなことは僕にはない。
 走りながらも、僕からバイクを取ってしまうと、これまた落ち込みがひどくなる、と感じながらのランだ。そういえば一度バイクがない生活を1年間ほど経験した。これは実際につらかった。何かに気分を回そうとしてもできなかったんだから。
 息子は昨日専門学校を卒業した。介護福祉士の資格も取得できそうだ。T君との話の中でも時の過ぎるのが早いな〜、となってしまう。僕の在職期間も残り12年程度だ。「もう12年しかない」、と防御態勢をとるのか、「今のうちにしかできない」、と積極的に生きるのか。まだ、僕は後者のようだ。

2000年3月20日()[春分の日] はれ
 さ寒さも彼岸まで。今日からしばらくは一人暮らしだ。息子の下宿先を引き払いに妻が出かけるし猫にまで無視されているから、本当に一人っきりになる。
 猫といえば、少々困るのが一匹いて、昨夜、そいつが僕の敷き布団に小便を垂れて、大慌てでその部分だけ風呂のお湯を利用して洗い流し外へ干しておいた。おかげで畳の上に掛け布団を敷いて、という応急処置。体中が痛い。いつも虐待といわれるが、猫にはお仕置きを加えておいた。座敷童子みたいなオスだから、野良猫に対しての精いっぱいの陣取りだったのかもしれない。
 SRのキャブ調整をして、四国自動二輪交友会へ向けてすべてを完了し、洗車のみとした。どうやら週の中頃天気が悪くなりそうなので、その後で洗車だ。
 その後お墓参りをする。息子が生けたシキビがまだ生きて花が咲いている。自然の生命力はすごいものだ。
 夕食後、このページをYAMAHA SR WebRingに登録する。僕のページをごらんの方でバイクに興味がない人でも、ぜひ、このウェブリングものぞいていただきたい、と思う。
 明日は久しぶりの職場。何かしら気分が乗らないな。

2000年3月23日(木)はれ後雨
 にもできずに木曜日になってしまった。良好な天気も一転して雨、今降ってくれた方が土曜日の四自交が晴天、という期待感が強いわけだ。
 昨日は妻の軽四輪にアルミの5本足とダンロップのタイヤが装着された。おそらく帰省した息子の意見で装着になった、と思うが、「アルミホイールなんか絶対入れんのやけん」といった妻の今までの意気込みはどこへやら。全体が結構軽快な感じになっている様子に、本人はニンマリしているのだから、けっこうなことだ。しかし、オートバックスでのセットものだから、1本傷つけるとスペアは無いので、4本総て交換になる。30年前のコスミックの高価なアルミホイル時代に比べると、ただみたいな金額でアルミホイールが履けるようになった。考えれば考えるほど唖然としてしまう。タイヤ接地面の大半を使い、軽量で前後左右シンメトリック、それと相反する剛性の高さ、回転バランスの均一化を重視するバイク用のホイルは安くならないわけだ。
 これも昨日のことだが、宇和島はたった一つのニュースで有名になってしまった。よりによって誤認逮捕で長期拘留という失敗だもの。このことは今日も続いている。しかし、愛媛新聞ではトップだが、日経では19面という記事という事実も存在する。もし、誤認のままで刑が執行されていたら、と思うと、大きい事件かもしれない。僕は冗談半分でよく言うのだけど、テレビドラマ「はぐれ刑事純情派」の安浦刑事さんのような方がいらっしたらな、と思う次第だ。
 明日の夜は高校時代の気のあった同級生が集まっての例会があるのだが、何とかして時間をとってSRの洗車をしなければならない。目的地が今治でも、25日の当日はランに専念すべきだから。

2000年 3月24日(金)はれ
 は相当な黄砂現象を見た。これが花粉ならおもしろかった(失礼)のに、と不幸を喜ぶ始末。それほどすごかった。桜のつぼみもまだ堅い。どう頑張ってみてもSRを整備できないので午後から休暇を取る。徹底してSRの整備にかかる。信じられないところの錆を見ると、もう少し販売価格が高ければフレームの塗装などもいいものになったのに、と思ってしまう。
 花咲かGの高性能ワックスと15W50のモーターオイル、それに液体ワックスを使い分けて3時間かけてきれいにした。当然、アルミのクリア塗装面はダメになっている部分もあるが、一定気持ちのいいほどの美しさになる。ついでに、Cromwellのヘルメットも銀ピカに磨き上げた。
 夕刻は同級生の例会をキャンセルした。はしゃぐ気にはならなかった。四自交の準備をしながら息子の帰宅を待っていると、帰った本人が「僕はハーレーに乗りたい」と言い出した。「パンヘッドかショベルに」ともいう。僕は何も教えていないのに、何で知っているのだろう?、と思うことしきりだ。けれども、それを維持することの厳しさは実際に入手して初めて分かるはず、と僕は思っている。月に数万円は覚悟、おまけに整備をしてくれるところは皆無、こういった状態でもやるのならいいが、いつものとおり、「こんなはずではなかった」というのなら、バイクがかわいそうだから、そのときは徹底してやっつけねばならない。それより、購入しても僕の家の敷地からはみ出すのは必至なのだから。
 さて、「おしん」の総集編の最終話で僕は思わず涙した。そのシーンはおしんが生まれ故郷の生家を訪ねるシーンの時だ。こういったシーンになると、どうしてだ、どうしてだ、と頭の中で考えてしまい、いたたまれなくなって涙がこぼれる。そのシーンでは孫が一緒だったけれど、世代を一つ経ないとこういった場所で遠い過去の状況を若い人に理解させることはできないのであろうか。
 そして、故郷というのをすべての人は心の中に持っているのではにだろうか、とも思う。東京の人で、そこに生まれたときから住んでいて、都会っ子であっても、僕は故郷には違いない、と思うし、そこの周囲の状況に変化がなかったら大いに喜ぶところだ。こち亀の両津巡査長の気分だから。
 僕は名古屋の八事が大学時代の4年間を過ごしたところでもあって、第二の故郷だ。数年前に出向いたときは下宿の建物がまだ残っていた。思わず「俺たちの旅路」(当然最初のバージョン)のシーンを思い出してしまった。
 そういった意味でも明後日、今治から僕は故郷のここへ帰ってくるんだ、という気分になるわけだ。往復300km程度の旅でも故郷は故郷だから。

2000年 3月26日()はれ
 日は今治で開催された四国自動二輪交友会へ出かけた。今治国際ホテルでの交友会だったけれど、違和感がいっぱいだった。いつもだと、参加者意外にも貴重で高価なバイクが一堂に集まるのだから、ギャラリーも多かった。事実、僕も妻も息子も南海放送のニュースに出たことさえある。これが今回は到着するや、5階の駐車場へ誘導されるから、ここから違和感があった次第だ。
 ホテルもランドマークタワーのはずだけど、今治市内では取り立てて背の高いホテルとは感じられないのである。会場も広間を真ん中で区切られて、狭いのなんのって、ゆとりもなにもなかった。
 幸いにも愛車SR500は快調で、交友会のお酒より、乗っている間の方が楽しかった。今日は午後1時前に帰着して、キャブレターを再調整する。パイロットのスクリューは2と1/2回転の標準をプリセットとして終了した。メインジェット#170、パイロットジェット#50で、ま、この程度がベストであろう、というところで落ち着かせた。
 今度の土曜日はいよいよ乾式クラッチの装着ができるかどうか、楽しみである。

2000年 3月28日(水)くもり一時雨
 天気予報が当たったのは当たったが、この世の終わりのような光景を午後4時前に味わった。本当に「一転にわかにかき曇り.... 」びっくりするほど西の方角から暗雲が広がって、強烈な雨と風、最終は雹が降ってくる始末。この世の終わりはオーバーだが、雷も轟いたから、映画の「ファイナルカウントダウン」のシーンでもあるようだ。残念ながら、真珠湾攻撃前にはならず、しばらくすると、西の方から明るさが戻ってきた。ま、本当にすごかった。残念なことに、デジカメを出すのを忘れてしまい、この日記に出せない。
 電話確認により、どうやらSRの乾式クラッチキットとトライアンフのシートが同じ日に手元に届きそうになってきた。不思議なことだが、結構な金額がブッ飛ぶのに、妙に損をしたとか後悔の念が全くない。期待感の方が大きいのはどうしてだろう。
 その上にweb上でMacの情報が刻々と入ってきても一向に気にならない。以前だとこういった状態ではなく、一気に10万円ほどを魔法のカードでマイナスの山としていたのが常だった。ほんの数ヶ月前のことが遠い過去のような気分になってきた。
 とりあえずは、今週末はバイク三昧になりそうだ。

2000年 3月31日(金)はれ後雨
 かぽか陽気になってきたが、僕の頭は暗雲が立ちこめている。職場にきな臭いにおいがどことなく立ちこめている。いつも考えるのだが、縦割り社会の僕の職場では、人事異動なんて形式だけに過ぎないように思えてならない。本日で退職された方は、今日でお終い、さようなら、といわんばかりになってきたように感じる。上役の方で、あと少しで今の仕事が完遂できたのに残念、と思って退職する方はどの程度いらっしゃるだろうか。この場合においてこそ、「残った者で後はしっかりやるから....」、本当にご苦労様、の気持ちで退職する方を送ってあげることになるのではないだろうか。
 そういえば一般職で数人の方が定刻まで仕事をされていた。これこそ、毎年の今月この日の当事者がとる本来の態度ではないだろうか。
 僕の頭に立ちこめる暗雲にはもう一つ理由がある。それは数日続いたお酒の席のためか、(頭も痛いが)お腹の具合が芳しくないのだ。生ビール中ジョッキ2杯、お銚子の大きいの2本、次の席で水割り3杯ぐらいだから、お酒の量はそんなに過ぎて(でもないか?)はいないのだが、ペースがどうも僕の持っているものに合わないので、こうなってしまうのだろう。
 そんなこともあってか、妙にバタバタした一日であった。こんなことなら、休暇を取って、結出(ゆいで)からの伊能ウォークに参加した方がよかったように感じる。
 夕方から急に天気が悪くなってきたので、急いでTRIUMPHの張り替え済みのシートと、ダイシンのSR用乾式クラッチキットを内田自転車商会さんまで運ぶ。明日が雨でも作業ができるようにするためだ。特殊工具などを快く使用させてくださるなど、いつも内田自転車商会さんには感謝の念がいっぱいである。今回はクラッチハウジングを止める際の周り止めが必要だ。けれども、そのことはそれとして、僕にはお客として接してくださらないのは事実だが。
 乾式クラッチのことを考えるとワクワクしてくる。テスト走行は南へのルートを採ろうと思う。久しぶりの南へのランだ。雨よ止んでくれよ。


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