2000. 10. 2〜の日記

2000年10月 2日(月)くもり後一時雨
 朝、身体が重い。いずれ治るだろう、と職場へ出かけるが、次々に来る野暮用で仕事どころではない。おまけにトップツーが辞任する、という。その挨拶で拍手をしたのが僕一人、ご苦労様、という気持ちなのに、みんなは呆気にとられたような感覚なんだ。おかげで僕一人がアホこいてしまった。結果はおそらく来年の市長選だ。だれが就任しようとも状況が好転することはない。
 そんなもんだから、とうとう午後から休暇を取る。けれども団体の事務が少し。それに雨が降るまでの時間帯に調べものを少し。結果、家に帰る時間は5時前、という、情けなくなるような。しばし休息して、夕食を取って、今は午後10時。実際に僕自身として自分のために稼働している時間帯はどのくらいになるのだろうか。仕事をいっぱいやっても、もらえる賃金が変わらない公務職場が、こういった自由な時間帯が無くなる方向へ持っていかれると、少しおかしくなる仲間が必ず出るはずだ。
 ちょっと写真の整理をしていたら、DUCATIの900SSに乗った写真が出てきた。T君が彼の友人から借用したバイクに僕が乗ったところを200mmほどの望遠で撮影したものだ。クリップオンのハンドルをもう少し高い位置にして、垂れ下がりをちょっと大きくしてエルボウでタンクをホールドできるようにすれば、僕にフィットする、と思った。想像以上に、なかなか乗りやすいバイクであった。ベグリアのタコメーターとスピードメーターがほとんど同じ位置を示す。写真は法華津(ほけつ)トンネルから何番目かの白浦トンネルを出たところだ。時速が120km/hぐらい。速いとも何とも感じない不思議な世界。自転車のロードレーサーと同じ感覚であった。
 気が付かれるだろうけど、12月の初旬、午前10時過ぎだが、今から20年ほど前はこの交通量だ。今のDUCATIに無い何かをこのベベルギアのLツインエンジンのDUCATIは備えている。それゆえ、現在でもきれいなのは100万円を超える価格になっているわけだ。
 それよりビックリすることは、Macと数種のソフトウエアを使用すると、アマチュアでもこの程度に画像処理が出来ることになるわけだ。それほど現在のキカイが持っているポテンシャル、それを使う、使えるようにする人間の能力は素晴らしいものだ。何と写真処理から、この文章を作るのに、ごく一般の機械を使って30分もかからない。すさまじい進歩だ。
 でも、何か欠けているんだよな。新聞ではAppleのリリースした機種の売れ行きがはかばかしくなく株価も下がった、という報道があった。おネンネする時間を迎えてもまだ気分がよろしくない。もう病院へ行った方がいいかな〜。

2000年10月 6日(金)はれ
 のところ、この日記は昨日記載すべきところだったんだけど、朝の通勤時から気分が悪くなって、とうとう無言のままwww/Grid No.19をアップロードしたままで精神は高揚したまま眠ってしまう、という変なことで終わってしまった。
 その原因は知人の死からである。つい先日までしゃべっていて、おかしい素振りは一切見せなかったのに....。このことが一日支配してしまったんだ。同じことは過去やはり近所の知人で同じ死に方をした人がいらっしたが、本当にやりきれないんだ。逆にいうと、そういった素振りをすぐにやって、常に調子が本当は悪いんだ、と言って「死ぬ」という死そのものを口に出している僕のような人は、そうならないのかもしれない。
 話を戻して、昨日アップした我がホームページ。思い起こせば昨年の2月の中旬から「できるかもしれない」と計画して、3月から開設。あれよあれよ、という間に5000人の方々に見ていただいた。うれしい限りだ。マシンの方も現在PB400の2000年モデルを使っているが、作業もずいぶんと楽になった。おかしもので、こういった買い物をすると、向こう数年間は本当に変更などしなくなる。つまり、これが買い足しの一因になったり、古いもので新しいものに対抗するなど、僕の行為の源になっているのかもしれない。ま、うれしい限りだ。
 それにしても、本当に何にもしなくって休める日の少なくなったこと。実は明日も松山。休みには思いっきり羽根をのばして、な〜んてできなくなってしまった。こんなのがストレスの一因だろうか。この間の日記でDUCATIに乗った僕の写真を掲載したが、それを見てくださった人から、「これどこ?かっこいい!」と今の僕がこの間撮影された、と感じるらしい。僕自身の現実はやはり分かってらっしゃらない。以前は盛んに「実際を」説明していたけど、今ではこういった状況ばかりだから止めにしている。こういったところもストレスの一因に荷担しているのだろうか。
 というところで、今日は午後から有給休暇をとる。巷では何と言おうと僕は気にせずに有給休暇を取る。そうしないと、僕がソンするだけだ。そういった意味からも公務員は有給休暇があるんだ!ってことを知らしめなくてはならない。それを目標に、一般のサラリーマン、経営者も見習うといい!。そういった考えを僕は持っている。
 で、明日は松山だから、この際だから実験を行う。OldTimer誌の増刊号の点火プラグを改造することだが、立ち読みついでに覚えて置いて実験開始をおこなったところだ。実のところ、これはビックリこいた。この変化たるや並大抵ではない。これは次号でお知らせしたい。気分は晴れやかだった。
 8日、9日は連休ったって、天気の心配をしなくてはならない。また計画していてもそのとおりになりそうにもない。とにかく、積極的休養をとらなければ、本当にだめになりそうな気配なのだが、周りには解んね〜だろうな〜、嗚呼。

2000年10月 8日()雨後くもり
 日は日曜日、いや男子マラソン....、え、あれから1週間も過ぎてしまった。少し涼しくなって外は雨、と言うところが先週とは違う。感覚としてはアッという間の1週間の経過だ。色々なことがあった。今日も昨夜の守衛室から、別棟入り口のキーが変換されていないので、その確認の電話があり、守衛さんから話を聞くうちに、うちの団体ではなかったが、後味が悪いから朝も早くから確認のため職場に出向く。案の定、キーボックスにはその鍵がないため、返却されていない。僕もお人好しだな〜。こういった点は間もなく完全なセキュリティー会社に移管されるようになるはずだ。
 ついでに昨日の出張分の物品を返却ついでに職場へ行くと、情報端末の電源が入りっぱなし、管理職が一日の業務終了時、確認してくれよ。でも、コンピューターのシャットダウン方法、それ以上に情報端末が使えない、つまり、キーボードの操作ができない管理職が多すぎる。こんな状態でIT革命なんてできやしない。できればインテリジェンス革命ぐらい、いや改造かな?、そういった「できない」ではなく、やってみる環境を管理職の多くに与えてやらないと、下っ端からの要求なんて理解できないんだから。
 昨日は松山出張、合わせてこんな野暮用、そんなこんなで休みなんかとれやしない。しかし、お昼前後の突風、それに加えて夜の強い雨は何だ。これって台風ではないよな。中国地方の地震の関係のニュースが多いけど、こういった関係のものもニュースで少しは出してほしいところだ。
 こういったことで、Boneの日記の編集に思わぬ時間を食らった。
 夜、大阪在住の身内から電話があった。ちょうど高橋尚子さんのドキュメントやってたんで、何かあるかもしれない、というア・ウンの呼吸だ。ついでのことで、皆生の知人の様子を聞いたが地震に対しては大丈夫だった。
 もう一つ気分が良かったのはF1グランプリでシューマッハー並びにフェラーッリがワールドチャンピオンになったことだ。あの赤いレーシングマシーンは人の心を熱くする何かを持っているようだ。

2000年10月 9日()くもり
 1964年10月10日から36年も経過してしまった。僕の年代からすると、東京オリンピックも知らない若者がずいぶんと増えた。本来なら今日は明日になっていたはずだ。天気予報では確実に晴天だ。そう、10月10日は晴天の多い特異日なのだ。それを連休にするために廃止してしまうのはいかが、と思う。こういった状況だから、おそらくは大阪オリンピックは北京辺りに分捕られるのではないだろうか。第一に日本古来のスポーツに割り込もうとする府知事の態度も気にくわない。男女平等でない部分もあるのが当然ではないか。相撲を裸でできないことで苦慮している状況など、真に笑い飛ばせないし、宗教上の理由でも日本人にはばかげている、と思われること、その国の状況として真剣に考えないことがまかり通る世界なのだから。憲法第9条の受け取り方と同じではないだろうか。
 ようやくトライアンフのプラグが焼けてきた。ずいぶんと時間がかかったが、ようやくOKとなった。これで各部のリファインができる。24年も前のバイクがよく走る。しかも現代のエキスを注入することが出来る。うれしい限りだ。
 午後5時過ぎ、健康診断前だが、酒道場で靜に一人で祝杯を上げた。久々にどっと疲れが出てしまう。耳鳴りの原因も少しずつ解明できて来始めた。軽い水分不足の状態も分かり始めた。どうやって修正するかは自分の体なのに分からない。
 早いもので間もなく10月も中旬を迎える。休みと晴天が合致しない日が増えるかもしれないけど、有給休暇を使い果たしてでも今はバイクに関わっていたい。そうしないと、自分自身が納得いかない気分なのである。
 アップした直後、けたたましいサイレン。火事には間違いないが、えらく近くに集中している。トーキーで聞くと大宮町とのこと。ちょいと知り合いもあったんで出かけた。なななんと、作家の宇神幸夫氏宅の真ん前の平屋が全焼だ。氏曰く「F君とバケツやホースで水をかけたが間に合わなかった」と。冗談ではないのだ。無理とは分かっていても消防車が来るまでの時間が待てない。ご近所として当然のことをしているだけなんだ。
 自分でも我が家で経験があるから、灰になるのはいいが、形があって焼けこげたものを見たり、あの独特の臭いを嗅ぐといたたまれなくなってしまう。そして、これからどうなるのか、火災保険のことから大変なことになる。上手くいっても、おそらく新築の家で越年ということにはならない。その辛さは想像以上だから。

2000年10月13日(金)
 今日はジェイソンが来るぞ!、といったら本当にやってきた。昨日のニュースで宇和島市長選に"I"議員が自民党公認で立候補するっていう。自民党はいいかもしれないが、末端の自民党員は迷うことにならないか。保守の欠点が分かったような次第。
 エルサレムでは宗教戦争の兆しを見せてきた。本当に一つの宗教に入っている人にはよくお分かりのことと思うが、一般の日本人にはチト理解できないことであろう。お宮参りで神社に出向き、結婚したって、神殿なりキリスト教の教会なりで挙式をする。普段はっていうと星占いやってみたり、易学の判断を仰いだりする。そういった中で、死に接した時はしっかりと仏式だ。彼の国の方々からは「おかしい」と思われるような宗教観が今の日本には蔓延している。かく言う僕も無宗派の一人ではある。
 ただし、人の死に対してのこととなると、どうしても仏式に頼ってしまう。特に僕の場合などは初七日などの仏式通りに行っている。
 このことは別として、最近妙に気分を害するときがある。それは、日本固有の礼儀はもとより、そもそも人間としての礼儀、マナーに欠ける点が多く見受けられることにある。もっとも職場で年齢差がポジションと逆転してしまうこともあるが、ポジションの対年齢に対しては憤懣やるかたない人が多い。しかしながら、本当にこういったことが日常茶飯事のことであっていいのだろうか。僕は最近ここに注目している。
 憲法第9条でいわれていることを狭義に解釈すると支援のため自衛隊は出動できないことになる。僕は世界中で不幸に際している場合は自衛隊が出動するべきだ、と思う。世界でも日本でも一つ恐れていることは、その自衛隊に対する命令であろう。心配めさるな、こういった命令伝達事項は、旧帝国陸海軍での状況とは明らかに違うのだ。旧態依然な状況ではない。
 金大中大統領がノーベル平和賞を受賞されたが、なかなか結構なことだと思う。それに引き替え、我が国国会の状況はなんだ。恥ずかしい気持ちさえ出てくる。与党も与党だが、野党も野党で、どうして審議の出席を拒否してしまうのだろう。はなっから組織人員数の差があるのだから、逆転することは難しい。しからば、与党諸君は間違っている、と信念を持って発言すればいい。そういった野党の考えを与党に及ぼすような人物がいないことがそもそものだめな点だ。党員ではあってっも、時には考え方を異にする、という議員が一人ぐらいいてもいいのではないか。
 こんなことやってるから、国民にバカにされる、つまり投票率も低いのであろう。「グゥワンバレ国会議員」ってか〜。

2000年10月14日()はれ
 変な一日となった。朝は早くから「山小」でうどんの朝食。その足で職場まで出かけて職員団体の仕事をこなし、10時近くから内田自転車商会さんでT-140Vの整備に取りかかる。
 やる作業は、ブレーキラインをアールズのフィッティングの#3ラインに変更する。何しろノーマルは金属パイプとゴムホースで構成されたブレーキラインのために、フロントなら4か所も接続をしなきゃならない。以前から腐心していた所なんだが、プロトのオーダーシステムが、自分で自作するより安いことに気をよくして、今日になった。装着はすごく簡単。アルミのフィッティングにしたが締め付けトルクさえ守ればなかなかのパフォーマンスを示す。これで安心。
 次はガーリングのリアショックが抜けて怖い思いを度々するようになったんで、これまた考えに考えた挙げ句、SR用を加工して装着することにした。詳しくは次号で報告するが、簡単な改造で見事にフィット。しばし眺めて車体の社歴相応の姿にミスマッチ、という気分だが、乗り心地は実に良くなった。冬のボーナスでハイパープロのスプリングと交換したいところだ。今日のこの改造は白眉であった。
 夕方からは南予文化会館で「茜色の空を見たよ」という映画を見た。小学校の4年生から中学まで不登校の少年が定時制高校を見事に卒業するまでの映画だ。僕にも自分自身と息子のことで経験があるせいかしら、少し涙ぐんでしまった。作者からは主人公を含めて不登校の方の気持ちに寄り添って欲しい、というメッセージがあった。
 僕としては一人の幼女が主人公の自殺に及ぶのを阻止した言葉、それからしばしば彼女と交流があったんだが、その幼女の死がおそらくは彼に何らかの影響をもたらしたのではないか、と思うのだが。そういえば、僕は高校生の時に父を失ったし、6年前には母を失った。ごく近い身内は全くいなくなった。
 もう一点は、今でもそうだが、ここ宇和島でも(夜間)定時制高校に通っている人たちの方が、その姿からして通常の高校生より豊かな感じがしてならない。今言われている奉仕活動そのものは反対だが、アメリカのように夏期休暇中に体験学習を中学生の時に行わせればいい。中学生という、この年代より仕事をして金を得る行為をやっていない、否、やらせないようにした学校教育の責任は大きいのではないだろうか。
 ま、そんなことを映画を見て感じた。
 明日ぐらいしかのんびりすることが出来ない。そういえば、今日は三島神社の秋祭りだったんだ。16日は八幡神社の秋祭り。僕は僕で別の酒宴があるときてる。18日は送別会でまたまた一杯。土曜日は花園村。大変な日々だ。

2000年10月17日(火)くもり後雨
 は遡って、日曜日にSRの乾式クラッチのボスの修理が大真工業から帰ってきた。スプリング取り付けボルトのネジ山が若干調整してあるように見受けられる。月曜日に早速装着を行った。迅速に正確に。はやる心を抑えてプラグの改造もやって、エンジンを回した途端に以前よりいいフィーリングにうれしい限りだ。
 昨日は大阪在住の身内、元宝塚スターより「パパからの手紙」というシングルカセットテープが送られてきた。6月のディナーショーをこのホームページに出そうとしていたのだが、出来なかった。一応確認をとって、これからShop Schuneiderに掲載をしたいと思う。
 今日はようやくのことで30日に使う職員団体の資料を完成させた。仕事の合間を縫って行える量ではないし、明日もそうだが、仕事の後の酒の席が続くために、時間をとるのはこのページにも出した始業前の45分だ。それをここ数日は90分取ってこれに充てた。食事が不規則になる一方だし、昨日はとうとう酒そのものを受け付けなくなってしまった。どうも最近ワーワーいう酒の席はつまらなくなった。気が付くと僕一人孤立しているのがよく分かる。疲れをいやす程度に酒を楽しみながら飲むのが性に合いだしたようだ。歳かな〜。
 気分も落ち着いてはいるので、久しぶりに「ゑびす湯」へ出かける。思いっきり石鹸を泡立てて、体中を擦りまわす。胸元、肩口、胴体のサイド、足首など垢のたまるような所は徹底して擦った。頭は当然石鹸で洗う。しばらくやれば分かるが、しっとり感がいい。ドライヤー乾燥はダメだけど。体重計に上がると針は78kgを示す。ここを乗り切らなくては。リバウンドってこんな時にやってくるのだろう。
 外は小雨が落ちている。明日午後から休暇を取って、トライアンフの最終整備を行いたいところだ。タンクの塗装も出来なかった。汚い外観だけど、よく走ることに免じてもらって、日常の足なんだからこの辺の汚さは気にすることでもないだろう。きれいだけど走らせづらい方がもっとダメ、と僕は思っている。それにしても少しは何とかしなくてはならないところがあるんだ。

2000年10月19日(木)はれ後雨
 間天気予報では、明日一時的に崩れる、と報じた。昨日も飲んでしまって、花園村への準備が全然できていない。ところが、人間よくしたもので、2年前の旅程での領収書などが出てきた。捨てた、と思っていたのだが、保管していたのだ。これを参考にして、高速道路の整備状況などから今回は早朝に出立すれば一日の行程で夕刻には目的地に到着できるようだ。そのために今日は午後から最終点検に取りかかった。荷づくりなどは明日に回そう。
 そういえば、トライアンフで最初に出かけた京都はそれはそれ、スパナ類まで持っていって難儀をした。信頼性など全く分からない状態であったからだ。その時に比べると、外観こそ日常の足だから汚いけど、内燃機からブレーキまでは近代化しているので、数年後にはエンジンの特徴からオーバーホールの必要があるかもしれないが、今のところ当時よりはいい方向に向かっている。
 乗り始めて24年目、僕は経過した年とともにバイクもくたびれて行くのはある程度致し方のないことで、それを新品に近い状態にレストアするという考えはない。バイクに接するのは、あくまで整備であって、大きい作業は分解整備、小さい作業は掃除、と位置づけている。このトライアンフを長期保管から走らせるとき、エンジンのシリンダーヘッドを分解したが、これとて部品交換のため、と位置づけている。欠品があったり、動かないものを動かす状態にするなどは立派なレストアだが、彼の国の格言に「動いているものにはいたずらに手を加えるな」というのがあるようだが、まさしくこれだ。したがって、部品交換という位置づけの場合、このバイクにフィットする内外の近代パーツも考慮して装着するようにしている。純正部品などめったにお目にかからないのだから。
 この数週間、身の回りに何もかもが一度にやってくる。それらを消化できずに今日までになってしまった。本当だったらタンクの塗装も終わっていたはずなんだが、天候を含めて、僕の予定、金銭面などでできなかった。写真で見るときれいなようだが、実際はかなりくたびれた状況だ。しかし、僕は今のところこの方がラクチンだ。来年辺り、もう一度見直しを行ってみたい。その間はSRで走行となる。それにしてもこのトライアンフは楽しいバイクだ。

2000年10月20日(金)雨後くもり
 の、頭に来ることがいろいろあって、その中の一つを記載する。
 (道路)交通死亡事故が多発しているので、事故防止の啓蒙を行う、というニュースが流れた。僕は意に関せず、で聞き逃していたが、最後のくだりで、「県庁前で知事も通行車両にパンフレットを配った」というのである。僕は「バカやってんじゃねー」と憤りさえ感じた。交通量の多い道路で信号待ちならいざ知らず、いくら一つの車線を封鎖しての事業であっても、それを止めてパンフレットを配ることが事故防止になるか?。むしろ交通妨害ではないか、と事故が起きるサイドからは感じてしまう。道路交通事情を知らない奴らが警察の交通のトップにいること自体がおかしいんだ。以前に記した宇和島のJT前でやった状況と同じではないか。制限速度を守れ、とか無理な運転とか、そういった問題も含めて、もっと多角的なことで事故が起きる世の中なんだ。
 朝、通勤途中で人の通行を無視した青信号時間の交差点が市内で数カ所ある。そういったところへ警察官を配置してはいるが、やれシートベルトなど、そっちばかりに注視して、信号感覚などは無視だ。30秒で50mの横断歩道を老人が渡れるかどうか、大洲工事事務所のメンバーも含めて、交通安全協会、警察もよ〜っく考えていただきたい。
 ちょいと質問なのだが、四方向が通行できる交差点で、四方向の信号がすべて赤になる時間帯がある。その時間帯はどの程度か?答えは1秒だ。自動車が40km/hで走行したらどの程度進むのか?。また、黄色の信号から、赤・青になるのはどの程度の時間か?答えは5秒だ。信じられないかもしれないが、赤・青の時間設定は出来るが黄色は出来ない。
 こういった重箱の隅をつつくようなことを申し上げるが、交通小六法にでも一度目を通されるといい。
 昔、Sさんという老齢の白バイ警察官がいらっした。それこそ鬼のように感じていた。彼に僕が質問したことがある。「交差点で一時停止したときに、左右走行の車が見えないので、停止線を越えて交差点の手前で止まってはいけないか?」僕はOKです、という返事をもらえると思った。
 結果はNOだ。運用としては、「停止線で止まる。左右、後方の確認をして、徐行して交差点に入りなさい!」であった。一瞬僕はうなった。当然徐行とはどういった速度か?などのばかなことは聞かなかったが。
 こういった人物は最近少なくなってしまった、というのが偽らざる所だ。それほど警察が一般化した、といえば返答のしようもないけど。
 さ、明日、明後日は花園村だ。奇しくも2年前と全く同じ天候になってしまった。2年前の僕は和歌山で雨上がりの中、コンビニへ弁当を回に出かけていたのだが。

2000年10月22日()晴れ後くもり
 、NHK総合テレビのサンデースポーツを見てダイエーホークスが2連勝ということを知った。花園村からは午後7時40分に帰ってきた。軽い夕食の後、ゑびす湯へ行ってさっぱりしたところだ。
 あっちを午前9時40分に出て、徳島を午後4時に出たから夜間走行のこともあって3時間40分もかかったが、速くなったものだ。
 さて、話は昨日に戻って、ライディング中は仕事のこととか、諸々のことが頭の中に浮かんでは消えで、非常に弱った。どうしてかしら、こういったことが最近多い。一つのことをやろうとしても、ついつい別のことがふっと浮かんでしまう。困ったものだ。
 それも和歌山に着いた途端にこんな気分も吹き飛んだ。「何だ、このマナーの悪い交通は!」もうチョイで軽四の「老人ドライバー」に接触しそうになった。思わず「○×ババー」と叫びたくなった。自動車と違って、迂闊にクラクションを鳴らせない。スライド移動が出来るバイクは自動車の動きと相反するから、結果が大きくなるおそれがあるからだ。もう一つは、仲間に途中出会って、ちょっと駐輪したときに愛車を転かしてしまった。ウインカー二つがダメになった。
 そんなことがあったのは事実だが、今日はいろんな人に出会った。ミスタートライアンフの浅場さん、ストーリーのメカニック、web仲間のT君、BMWクラブの橋本さん(本当にトラに乗ってる)、僕のバイクのシート張りのお世話を駆ってでてくれたコベントリーのお客さん、世の中狭いもんだ。旧知の仲間に加えて50人という大所帯、主宰の来栖さんも大変だ。バイクではブラフ・シューペアリアが来ていた。アラビアのロレンスが乗っていたのと同型のバイクだ。真面目に感じて、「ごく、高級なバイク」だ。不思議なことだが、今のレベルからしても、ある面では最高級バイクに感じた。
 そういったことなどを肴にして大酒を飲んでおやすみした。
 今日は未明の高周波攻撃で目が覚めた。スゴイいびきだ。しかし、睡魔には勝てず、7時前まで眠ってしまった。改めて、朝日の中で僕のバイクを見ると、ずいぶんと印象が変わってしまっている。これからのこと考えると、こういったスタイルを通すのならハンドルバーはアップの方がいいように感じる。他、いろいろなことを学ばせていただいたが、外観こそくたびれてはいるが、妙に今流に手を入れていること自体、多くの英車ファンの目だ。しかし、僕はあくまで、そうではない、日常の足、特に手軽で簡素な作りのトライアンフ、20年以上のこのバイクを楽しむのは、僕は僕のような行き方も一つではないか、と感じた。こんなにきれいに手を入れているTさんのノートンコマンドも、今回はミクニのフラットバルブキャブを付けていたんで異端視される。本来、こういったような行き方が増え始めると、こういったミーティングが終わりになってしまうような気がしてならないのだ。
 明日は職場へ。また、新しい日常が始まる。いい2日間であった。

2000年10月24日(火)くもり
 明におかしな夢を見て飛び起きた。僕がしばしば忘れていた感謝の念のことである。何にでもこういったことは在るのかもしれないが、最近ではお金がそれに替わっていたりして、食事の時でも「食べることができる」という感謝の念は忘れられているのではないだろうか、と改めて感じさせられる夢であった。
 仕事量の関係などで、最近は少しずつ締め付けがやってきているように感じる。市内全体が外からの攻撃以前に内部崩壊し始めているためかもしれない。ことのほか雑事が多い。確実な業務が遂行できない状態になりつつあるような気がしてならない。いつもやる自虐性の強い日常ではない。時間配分が一定ではないからすぐに分かる。
 ま、残り10年の仕事だから、このままこき使われて終わってしまうような気がしないでもない。ありがたいとは思わないが、バイクなりオーディオなりの趣味があるから、僕自身はプッツンすることはない、と感じているし、休暇とらず残りの休暇も取得することのない退職後に残すような形にして、最終日まで出勤してやる、と決めている。
 今週の土曜日はバイクの整備を行いたいが、今度は天候が心配になってくる。青空ガレージではどうしても天候が心配だから。
 職場で使用しているDuo2300cのキーの取りこぼしが最近激しくなった。キーボードをそろそろ交換すべきかもしれない。もう、使い始めて3年になるのだから、ほとんど毎日のように使用しているのだし、ラバークッションといえども、キーの作りは電卓と大差ない。電卓のキーは内部が清掃できる。しかし、Duoのはそれが出来ない。おいそれとキーボードを変更するのだったら、常時フロッピードライブが使える5300c辺りの中古をもう一台購入してもいいように感じだした。はっきり申し上げてOSとのマッチングもあろうけど、MC68040のCPUを使用したPowerBookの方がテキスト入力が多い場合は、かえって良好に感じるのは僕だけではないはずだ。
 けれども、もう使える金額がないのが本音だ。嗚呼....。

2000年10月27日(金)はれ時々くもり
 当にダウン。そりゃそうだ。職場の建物の1階から8階まで階段を何度往復したことか。たかが25人の代議員の擁立にこれだけ苦労するとははっきりいって思わなかった。
 確かに、左記に配ったチラシには、本日の午前中までに出・欠席の通知をするように、と明記してある。にもかかわらず、これだけの苦労をして人数を集めなければならないのだ。僕は少々投げやりになってしまう。「行くぞ」と声をかけて「ウォー」という声を聞く。しばらくして振り返ると誰もいない。こういったことを何度味合わされたことか。ま、苦労の甲斐あって、30日の大会はできそうだ。
 心底疲れたが家に帰るともっとすることがある。これって非常なものだよな。議長ほか代表者のアンチョコを作らなければならない。これもアウトラインを設定して、明日の午前中までに仕上げないとならない。本来なら、これもその長たるものの考えでやる必要があるのだけど、これも残念なるかな、僕がやらないとならない。そういえば職場の状況は僕より下の職員は数年間採用がなかったのだから致し方ないのである。僕の後で職員になった彼らにかかる負担は想像以上なものがあるのではないだろうか。
 ま、こういったことを忘れさせてくれる課のレクリェーションが明日、明後日の2日間、天狗高原で羽を伸ばすことのなる。天候は少々思わしくないが、気分だけでもリフレッシュしたい。

2000年10月29日()くもり時々はれ
 狗高原から山また山の道を走って帰ってきた。朝、雲の流れる中で写真を撮ったのだが、こうなりそうだ、というのが実のところ分からない。これはニコンの100パーセントに近い視野率のファインダーだから、見たままがそのままフィルムサイズになるわけである。
 道中、ちょっと気になっていたことが出てきた。それは昨日の午前中にインストールしたMac OS-Xの挙動がおかしく、はたして元のOS 9.0.4が無事かどうかの確認が取れないまま天狗高原へ出かけたからである。
 家に帰って確認したところOKだったんで、9.0.4に戻した。やはり、ハードディスクにパーティションを切ってインストールした方がいいようだ。近い内にバックアップを取って、イニシャライズしてインストールしようと思う。
 こういったことおからも、僕は最近集中して楽しむことが出来なくなってしまった。原因はいっぱいあるが、どれも積み残しか、同時進行の場合が多すぎるからである。従って、トライアンフを使うにしても、SRの方に積み残しのことがあったりで、完全にトライアンフに集中して、整備なり走行などが出来ないのである。それにしても同時進行っていうの仕事もそうだけど気にせずにやっているから、肝心なときにこういった状態になるわけではないだろうか。
 今日は一宮様(いっくさま)の秋祭りだ。最近どことなくこの祭りも庶民から離れてしまいだした。僕だけが感じていたのか、と思っていたが、そうではなく、多くの人が神殿改築の時期からどことなくよそよそしく感じているようだ。どんなになっても御城下の大きい神社ではあるが、いくら新しい社でも内容は旧来通り、えんま様のようにならなくてはならないのではあるまいか。
 明日も長い一日になりそうだ。

2000年10月31日(火)はれ後雨
 い一日が2日も続く。おかげで胃がおかしくなってしまった。いつも貧乏くじを引いてしまう。職員全体からの代議員を4人選ぶのだ。職員団体の代表として相手方職員団体と協議をしたわけだが、僕はそんなに悪いことは言っていないし、相手の言い分を呑むわけにはいかない。協定は2年前に切れている。それを継続してやる、ということにはならない。
 そんなこんなで、ものわかれになってしまい、明日返答になったが、お互いが譲らないから、おそらく選挙で公平に選ぶことになるのではないか。そういった方向になるように思う。
 そんな中ででも、こういった僕の日記を書いているし、20号のアップの準備をしている。今日はPowerBookのバックアップを取って、と考えてM君に作業をお願いしたのだが、これが借用したCD-Rのドライバーとフィットせずに断念した。本体が新しい、というのも実のところ考えものだ。ま、借用しているのだから、これは僕の責任でその方に必要がないことだ。
 夜、宇和のT君より電話。土曜日に高知へ行く約束をした。2日には写真協会の作品展の準備もあるし、何やかやをこなしている。後で振り返ると本当にビックリしてしまうわけである。家のこととか、身の回りの細々したことがさっぱり行えない。ひょっとするとパンクしてしまうのかもしれない。少しばかりゆっくりしないと本当にダメになりそうなんだけど、僕の風貌からみんなにはそうは見えないらしい。これまた困ったことだ。本当は辛いんです。

2000年11月 1日(水)雨
 体なんだって言うんだ、この雨は。幸い朝はあまり強くなかったんで助かったが、同僚は100mも歩かないのに背中がビッショリだ。不幸中の幸いか、僕が半袖をまだ着用しているとおり、暖かいから暑いんで風邪をひくこともあるまい。
 結局すったもんだでケリを付けた昨日からの問題、終わった終わった。ただし、僕は悪者の筆頭で情報紙に書き上げられるのだろうな。間違ったことを言っているわけではないから、これは職員の良心に問うこととしよう。
 OS Xもモヤモヤが続く。しかし、アップロードを前にしているから、ハードディスクにOS 9.0.4を新規インストールして再構築した後、それにOS Xを上書きすることは今のところ出来ない。来週の今頃はおそらくSL運行の交通整理で、ぐったりしていることかもしれない。その頃には何とかなっているだろう。
 何とかしてバイクに乗りたいなー。雨ではどうすることも出来ない。こういった強い雨はライダーが惨めだし、今にも落ちるような曇りの日も同様である。やはり雨は夏の雨に走るのがいい。もう24年も前になるが、XT-500でみぞれが降る中、北条のスポーツセンターまで走ったことがあるが、ガソリンの質が悪いメーカーのを入れたことも手伝って、散々であった。あのときエンジンが不調を訴えるようなことがあったなら、今頃SR 500には乗っていなかったろう、と思う。
 Shop Schneiderにも掲載するけど、南予文化会館ロビーでの「南予写真協会」の作品展にもお越し願いたい。今日はあわてて月ごとの事項を掲載したんで、少々間違いがあったかもしれないけど、そのときはゴメンナサイ。
 本当に長い数日でした。胃の具合がいまだに戻らない。顔は笑っているけれど、心はすっかりしょげかえっているんだから。

2000年11月 7日(火)はれ
 談半分で「夏のボーナスが近いですね」と言わんばかりの陽気(?)の日々が続く。昨日は勤務が終わる直前で肩すかしを食らわされた一件があって、いい加減頭にきていた。一夜明けて冷静に考えてみても、こっちの団体は人がいいのだな、と感じざるを得ない。この人の良さでずいぶんと不利な立場になっていることも確かだが、自分で考えてもあの世とやらへ行った後で、いい結果がでるのではないか、と考えてしまった。
 ずいぶんと何やかやあって、日記自体も記載がない日が数日続いている。不思議なもので、4日にT君の車で高知へ行ったおり、勢い余って、高知エレクトリックパーツでCD-R/WとかSCSIカードを購入して、ボーナス一括払いにした。応対してくれた店員が「夏のボーナスはだめですよ」という。こういったことで冒頭の表現が出てきたわけだ。それで、PowerBook 400のハードディスクをバックアップして、ようやく本日現状復帰したわけ。5日は松山で愛媛スポーツレクリェーション祭のマスターズ陸上競技に出場した。
 このように、後かたづけもできないまま、次々に予定をこなしているわけだから、天候、体調の関係と併せて、そろそろ悶絶状態になってしまうのではないだろうか、と心配している。
 そろそろ、数年来たまった書類などの整理をやらないと、手を伸ばせば物に当たる僕の部屋はとんでもない状態になってしまいそうだ。
ま、そんなところで、少しずつ今年も暮れていくわけか。

2000年11月10日(金)雨後くもり
 すがに半袖では冷たくなってきた。朝方降った雨が上がったために妙にひんやりした一日であった。昨日は思いついてビートルズのハーフオフィシャルCDの曲順をイギリス・パーロフォンの正規盤に変えてCD-ROMに焼き付けた。最初は慎重に行ったが、2枚目はこのまま行けるかどうかのところ6倍速で書き込みを行ったが、正常に終了した。考えてみるとずいぶんと進んだ世の中になったものだ、と感じざるを得ない。次はアナログソースをCD化してみたい。
 現在のところ、Mac OS-Xのクラシック環境でこの文章などはタイプしている。古MacからのMac OSになれた者にとって一度には理解できないところもあるが、正式リリースの時には、こういった細かい設定なども完了していることであろう。21世紀初頭にリリースされるまでこれを使い続けてみよう、と感じている。
 そうそう、ようやく明日は休める。この2週間はとても休むなどのことはできなかった。我ながらどうすることもできなかった。土・日も連休中はすべて予定が入っていたし、本当にいつものパターンで土曜日が過ごせる。うれしい限りだ。
 今日は何もすることがないので、メールの確認と2〜3のホームページへ訪問してお寝んねすることとしたい。

2000年11月12日()くもり時々はれ
 ここ数日間父の夢をよく見る。一度記載したことがあるが、いつの間にか息子と僕が、父と僕の立場に入れ替わっている夢だ。こういった具合だから、悪い予感などではないのだ。でも、お墓にも出かけていないので、数日前から「今日こそは.... 」と思っていた。
 昨日からの久しぶりの休みの過ごし方の関連もあって、職場でやりかけのことをこなしてから、一度帰ってお寺へ出かける。墓地は夏の様子が消えて、冬の気配を見せている。雑草といえども敏感に自然の変化を人間に知らせてくれる。簡単に草取りをして、一段落。早いもので母も七回忌を迎える。今月は予定を割くことができないので、来月のいい一日をとって法事をしたい。
 次は母方の墓地、八ツ面(やつおもて)へ出かける。山登りをしながら、このまま年老いていくと本当にフーフーいいながらこの墓地までこなくてはならないな、と少々不安になる。ここは周りが草木が多い上に、年に1〜2度ほど墓参りに来る墓所しかないので、一生懸命掃除しても馬鹿見るだけ。一定茅などを除去して終わりとする。母には叱られるかもしれないが、こうでもしないと次々に草が生える。夏など、一月もしないうちに茫々たるものになるのだから。
 いろいろとPowerBook 400を使っているが、明日から毎日このPB 400を持参したい、と決めた。どうなるかは分からないが、ことのほか軽く感じだしたんで、Du0ユーザーには叱られるかもしれないが、PB 400の方が便利なように感じる。そういったことで、今週の土曜日にレポートできれば、と考えてのことだ。ちょっとビジネスマンみたいになってかっこいいかも....?。

2000年11月14日(火)くもり
 今日も早朝から忙しい。仕事が云々ではなく、自分一人ではどうすることもできないシチュエーションが多すぎる。少し離れて考えると一層そのことが思いやられる。
 昨日は職場の40IIciがおかしくなった。朝イチで修正を試みるがとにかくファイルの重要なものはバックアップする必要があるようだが、弱々しくアクセスするハードディスクのアームは決して動くことはなかった。決して酷な使い方はしていないのだが、どうしても、スプレッドシート、データベースの関連から、OSは別にしても、現在のマシンとは比べものにならないかもしれないが、軽いソフトをしっかり使うこの行き方は間違ってはいない。何とか安くハードディスクの新品を、と思ってインターネットで探し回った結果、Quantumの850MBを選択して、早速発注した。フォーマッターが純正、ということから、ハードディスクそのものは結構よかったのではないか、と考える。現在のハードディスクも6年持ったのだから。
 午後と夜は会議で満杯。こんなのやってて本当にいいのだろうか、と疑問に感じてしまう。本来はそれぞれに専門の担当者を配置して対処すればいいのだが、どうしても代表者を当て職として決定してしまうから、肝心なところで回らなくなったり、八方美人になりかねない。どうも日本特有の肩書き重視の考えのようでならないのだ。
 夕刻から夜にかけての会議は夕食も出ない。併せて今日は妻が当直勤務なので、夕食は自分で調達する。こういった時は何となくつまらないもので空腹を満たすだけになってしまう。近くにコンビニでもあれば、と思いはするが、そこで弁当を購入すると、家の飯が無駄になってしまう。痛し痒しのことだ。仮に単身赴任でもやると、大変だな、と思ってしまう。

2000年11月16日(木)くもり時々雨
 日はようやくMac OS-Xの疑問点がMac Fan誌の12/1号で解けた。同誌のコラムで、www/Gridでは次号で記す僕と同じこと、つまりOS-Xの内容についての記載があった。こういった、ちょいとした内容がタイムリーで一般に通知されるのが、隔週刊のいいところかもしれない。俄然意欲を燃やして「X」を使うこととした。
 今朝は今朝で、インターネットオークションのトラブルの報道がNHK総合テレビであったが、そこに出てきたマシンがiBookであった。これはどうでもいいことなんだが、僕はこのオークションというやつが大嫌いで、いまだに手を出していない。以前TM HOUSEのMさんが自身のホームページで、このインターネットオークションのトラブルについて意見を求められていたので、僕も個人売買でのマナーを少し申し述べたことがある。この金は払ったが商品が届かない、という問題がどういったものであるか、経験者でないと説明は難しいように感じた。

 話は変わって、この日記を記載するのに今日は「X」を使用している。
 さて、こういった文章をOS-Xネイティブでタイプするとどうなるか?。興味あるところかもしれない。次のようになるのです。

 ただし、ここからはつらい。通常のモデムなのでOS-XではPPPでダイアルアップできない。そのためにOS 9.0.4の環境に戻して、アクセスすることになる。
 と、こういった具合になるわけ。

 なぜこういったことをするのか、クラシック環境で使えばいいではないか、と思われるだろうが、なれる必要もあってこういった一連の行為を行っている。
 僕は確かに現在のMac OSからすると使いづらい点が多いかもしれない。しかし、世界のユーザーからすると、大半が共通のUNIX環境でことが運ぶとなれば、多くの面で得策ではないだろうか、と考えられるために、AppleもこういったOSを「X」、10番目のバージョンとして世に問うているのではないだろうか。しかし、Mac Fan誌の12/1号のコラムと同じ考えになるが、明らかに表面上、中身の大半は今までのMac OSなのである。
 職場でこのパブリックベータ版を持っているのは僕と同僚のM君だけ。何とも情けないことだ。で、もって(あえて日本語で)ウインドウズユーザーに使わせると、ことのほか上手くいくのである。もちろん、クラシック環境では使い方はコケルけれども。

2000年11月18日()はれ時々くもり
 前中にホームページの写真の調整を行う。言われてみれば無駄なものが多いようなので、各の写真を削除してもいいようなものが感じられる。これは追々やっていきたい。
 午後からはトライアンフのウインカー変更に取りかかる。今回は運良く入手したヤマハのXVシリーズの大型だが軽量のものを使用する。僕はバイク自体の美的感覚を損なう、ということからのウインカーの小型化はあまり好きではない。安全性重視という観点からだと、どうしてもある程度の大きさは必要に感じる。僕はウインカーなり、マフラーなり、すべてのパーツを含めたトータルな意味で一台のバイクが美しいのかどうか、それで判断したい。当然、ライダーとしてのオーナーの体型も含めての上である。
 この作業と合わせてキャブレターの調整を行った。今までのメインジェット#230を#260から順に落としていくこととする。ことは、エンジンの調子が上がるとクランクケース内の内圧が上がって、ブリーザーをある程度確保しなくてはならない、というものであった。おもしろいもので、これはトライアンフの場合は直接外へ放出するものになっているが、最近、オイルの消費などクリティカルに現れていた。
 加速など、ちょっとよろしくない、もう少し走るはず、と思って考えをまとめていた。結局、#240で落ち着いたが、今度は気象の関係などなかなか難しいものがあるし、これが楽しみでもある。もちろんマフラーが変わっても、この調整は変更されるのだから。
 昨夜、マスターズ陸上のKさんが逝去、という知らせを受け取ったからだ。5日の県スポレク祭で一緒に円盤投げて、話をした人なのにもかかわらず.... 。
 僕自身がこういった楽しみを持っているということが、適度な緊張と解放を身体、精神に好影響を与えているのではないか、と考えるようになった。

2000年11月19日()はれ後くもり
 から人騒がせな南予労農市民会議のフェスティバルであった。どこでどういったことになっているのか、和霊公園の入り口に鍵がかかっている。こっちは何も知らないもので、おおいに叱られる。ま、これが一段落して、通常のフェスティバルになったが。
 この行事が終わったあとで、山本ラジオ蓄音機店に「The Beatlse 1」のCDを受け取りに行く。ワクワクした気持ちで聞いたのだが、エリナー・リグビーなんぞになったとき、僕は唖然としてしまった。「何だ?これは!」そう、アナログディスクの音から雑音を取り除いただけのものである。この前リリースされたイエロー・サブマリンの音源ではない。確かに、僕の年代がリアルタイムで楽しんでいたアナログディスクを高品位に仕立て直したものにすぎない。それらのイギリス・アメリカでのトップワンになった曲を27曲集めた、それだけのCDに感じてしまった。
 思いあまって、オリジナルの東芝のCDを聞いたが、確かに音質はアップしているものの、単に昔のものの焼き直しにすぎない。詳しくは次号に記載するが、名古屋のライムハウスのマスターに聞いてはみても音質は悪い、とのこと。僕が間違っているのではない。それほどのものである。
 僕が一番おそれるのは、ビートルズって」、こんなにチャチー音づくりだったんだ、と言いかねない。今回のCDは27ビット云々でノイズレスらしいが、こんなに内容のないCDなら、アナログディスクの中古を購入した方がはるかにいい。ビートルズという名目だけでこのCDが売れるようにし向けられている。ゲット・バックなど聞くと、歌っているのはポール・マッカートニーのように感じる。事実は本人なのだろうが、聞くと違う人間が歌っているようでならない。強いて言うと、モノラル録音の曲は確かにクリアーでいい。しかし、ステレオ録音の曲になると僕の感じたものになってしまう。何かしら損をしてしまったようだ。ライムハウスには、イギリス・アメリカ版のCD、イギリス版のLP、そしてオランダ版(EC向け)の4枚のディスクを発注した。いずれ詳細は別のところで紹介したい。
 夕刻ゑびす湯へ行って汗を流す。不思議に、こういったCDが売れるということに、やりきれないものを感じてしまった。

2000年11月22日(水)くもり
 ういえば、先週はPowerBook 400をずっと職場と家庭で使っていたことになる。何だかんだ言いながらも、便利だからDuo 2300cよりは都合がいい。やりたくはないが、ネットワークもOKだから、職場の端末として作動可能だ。
 さて、何とかダイアルアップしたいのだが、一向にウンと言わない。いい加減あきらめてOS 9のままで動かしている次第だ。しかし9.0.4 はかなり使いやすい。安定度も高いし、このまま生き残ってくれればいいのに、と考えてしまう。
 そうそう、少しばかり汚い話だが、僕のPowerBook 400にゴキブリが住み着いている。ハードディスクの周辺にたむろしているのだが、時としてスピーカーに入り込んで、大きくなって出られなくなり、そのまま餓死してしまう奴もいるようだ。一通り清掃は行ったのだが、どうしても気に入ったもの、たとえば材質特有のにおい、色などが関係するのではないか、と感じている。特にPowerBook 400は商品名のゴキブリホイホイのボール紙のカラーに近い色を筐体の内側に持っているからだろうか、とも感じたりしている。炊飯器にもよく巣づくっているが、殺虫剤で麻痺して感電する場合もあって、さすがにPowerBookの高温部とか電気が流れているところにはさわることはないようだ。
 どなたか、予防剤などご存じの方があればメールをいただきたい。ホウ酸団子を入れるわけにも行かないので。

2000年11月24日(金)はれ
 ずは昨日から。BBSを立ち上げたまではよかったのだが、その後で職場のレク・バレーの慰労会を行ったとき、指定の時間に出かけるとすでに宴もたけなわで、僕の入り込む余地などなかったため、大いに気分を損ねて早々に帰ってきた。それにNHK総合テレビで義足のハイジャンパーのドキュメントをやっていたの見たために、BBS関連のことは「立ち上げた」ことにとどめた。ま、BBS立ち上げは僕のHPにリンクさせていただいているIさんの勧めにもよるところが大きいが。
 さて、本日は八幡浜へ出張のついで、PowerBook 400をJRの特急宇和海に持ち込んで使ってみた。大きさは結構気になるところだが、およそのスクェアで厚さも少ないから鞄の中に入れたままでラップトップで使用できる。なかなか快調であった。
 トライアンフはどうもキャブがだだをこねだし、少し明日辺りにさわってみたい、と考えている。結果として「そこそこ」の調子は出せるのだが、そこから上がどうもよろしくない。バイクの月刊誌にしてもこのような旧車に対しての近代パーツの移植など、決してメジャーではないから特集などはほとんんど無いのが現状ではないだろうか。
 で、夕刻からは久々に仲間内で、中国亭での酒宴の席、実に気分が良かった。そのついで、僕の「BoneのBBS」に書き込みが一切無いことを発見。みんなが作るホームページったって、実のところは難しいのではないだろうか。

2000年11月28日(火)雨後はれ時々くもり
 25日、トライアンフのキャブ調整がばっちりいって、翌日は朝から走り回って確認をした。バッチリが一瞬やってきたし、その結果がことのほかすばらしく、少々気抜けしている毎日だ。そのために、こういったことは「うれしい!」とばかり、この日記に記載するところなんだが、満足すぎる結果に本当に気抜けしてしまって、何にもできなかった。というのがほんとうのところだ。思わず天を仰いで涙を流した。不思議なことだけどこんなことってあるんだよな。この一部始終は21号でまとめることにしている。
 夕食後、息子がCDを焼き焼きしてくれ、と依頼してきた。慣れたもので6枚の中からピックアップして、1時間でできあがった。どうやら、こいつは自動車の中専用らしい。LogitecのCD-R/Wも快調だ。もう少しファンの音が小さかったら最高なんだけど。このうるささが製品の良さをスポイルしているようでならない。ほとんどが快調なのに残念だな。
 明日からいよいよ忘年会の第一段が始まる。もう大人数での席は疲れ方が大きい。歳を取ってしまったのかもしれないが、とにかく、日本の席特有のビールのつぎ足しが行われるので、この辺から酒の量なんかが分からなくなる。もっとも、ビールのつぎ足しは"マズ〜イ"こときわまりないんだけどもなぁ。

2000年12月 1日(金)雨後
 最近ボケーっとしていることが多い。不思議な感覚だ。それが何かは分からないので穴埋めをするったって、先月の28日の(酒自体が)まずいことは例外として、一日の終わりとしてのお酒が多い。とにかく、トライアンフに乗りたい。この気持ちが落ちない。先週の土曜日の修理完了後、今週の日曜日と走って以来、思いはつのるばかりだ。かつて、こういった気分はこのバイクには求めなかったし、乗ってください、というキカイと人間のコミュニケーションのようなものもなかった。キャブレターのセッティング完了以来、こういった気分がずっと維持されている。これは明日できることとして、今日はいつものShop Schneiderの一部を更新した。仕事で戸島(とじま)へいって少しばかり疲れてしまったから、のんびりしたかったんだけど、そうも言っていられないのである。ホームページの管理者になってしまうと、こういったことを掲載する以上、何とか早い内に更新することが必要のように感じる。
本編は4日辺りに更新したいと思っているが、それにしても、通算して22回も更新しているんだ。今日からは師走、皆様方油断めさるるな。

2000年12月 5日(火)はれ後一時小雨
 れれ、気が付いてみるとほとんど毎日記載している。しかし、すごい勢いで何かが起こってしまっている。今日も職場へ時ならぬ電話があった。札幌のDo-夢から、Workgroup Server 9150のロジックボードのジャンクが入荷した、というのである。実のところ9月にバックオーダーしていたもので、その時点では入荷していたもののキャンセル待ちだったので、ほとんどあきらめていたところだったから、時ならぬ電話に狂喜乱舞(爆)してしまった。もちろん、発注!。月曜日(11日)に手元に届く予定だ。Quadra 950の改造がまた楽しみになってくる。
 昼休み、私設図書館(?)の明屋(はるや)書店へ行くと、バイカーズステーション誌の1月号にトライアンフT-140VにミクニのTMRを装着する記事が出ていて、あわてて購入した。昼食代2日分が吹っ飛んだが、読むと、なかなかセッティングを出すのも大変だし、通常の紙面では出せないようなことを今回は記載されていたため、こういった点は僕と同じようなことをやっているんだ、と我ながら少々満足。
 が、僕はここまでやったSUDCO MIKUNIを取り外しはしない。同誌は先月号から見えない分野でのリプレースキャブの働きをはじめ、吸排気系をまとめるようなので、毎月購入されておかれると、いい資料になるのではないか、と感じる。そういえば、この本の創刊号と2号は今でも持っているが、このときは編集長のXT500に現行SRのパーツを装着する記事が出ていた。妙に縁があるようでならない。
 間もなく冬のボーナスの支給日だけど、昨年より目減りしているからうれしくはない。当然、膨大なローンの支払いに3/5ほど吹っ飛ぶから妻の顔が怖い。この日は家に帰りたくないのがもっともたるところである。すっかり妻にコントロールされているのだろう。(お笑いめさるるな)
 それにしても、次々にことが運んでいくと一種怖いような感覚になってしまう。MacPowerBook用にPower Labからスペシャルキーボードが間もなく到着する。一層しっかり使うようになることになる。これらはその時は損したようでも、結果からすると得るものが多いようだから、銀行から限度額一杯まで借金してでも入手する執拗さは死ぬまで治りそうもない。嗚呼.... 。

2000年12月11日(月)はれ
 日の土曜日からちょいと調子がいい。しかしながら、何やかやでこの日記が記載できないほど。7日には仕事中に日振島へ行き、帰りに名前は忘れたが国産の大型四発飛行艇などを見たり、役得なところもある。10日はトライアンフが快調になって、雨上がりの近辺を夕刻まで走り回っていたりしたし、今日はこの間記載したWorkgroup Server 9150のロジックボードが到着した。事実純正パーツ箱に入っていて、包装まで倉庫から出てきたままのように思えるばかりのものであった。
 同僚のMacユーザーは「こんなのによく銭を出すものだ」と冷ややかだが、行く行くはQuadra 950をこのロジックボード入れてG3マシンにまで引き上げるつもりである。そうなれば家庭内の多くのものはこの一台で何とかなってしまいそうに感じる。ただし、NuBUSのカード類をそれこそ血眼で、金額と相談の上で、早い時期に購入しないとならないが。
 しかし、どうしてかしら忙しい。セカセカしていて、仕事をはじめ、何でもじっくりとできないのである。流されているつもりはないのだが。

[今日だけ] 平成12年12月12日(火)くもり時々はれ
 字がそろったって別に感慨が大きくなったわけではない。昨日もそうだったが、今日も妙に割り切れないものを感じた。仕事中、電話での応対に少しボタンの掛け違えがあったりもした。
 NHK総合テレビのクローズアップ現代を見ることによって、エールを送りたくなるような気分になった。
 番組での要は、国定公園に個人所有の土地があるから、その登山道は通行をさせない、というものであった。テレビではそれらの行為などをなくするために枠組みを作らなければならない、と結んだが、僕は枠組みぐらいではだめだ、と考える。
 日本国っていうのは本当にこんなことに指導力を発揮できないのであろうか。この場合は国定公園ながら、そこにある個人の土地の保全に国が手を差し伸べないのなら、自らがそこを保全するために土地に入らせない立場をとって当然と思う。僕が政務次官なら徹底して大臣を動かせているのだが.... 。
 したがって、少なくとも環境庁、建設省、農林水産省などの協議を行って、担当官を現地へ派遣すべきだ。そうしないと縦割り社会のこういった公務員制度の元では一般の方々はやりきれないことになってしまうのが常なんだ。
 宇和島のような小さい土地で、こういったことが無いから未だになーなー、で終わっているのだろうが、こういったところが貴方の近辺にもあるのではないか、と感じざるを得ないのである。

 2000年12月17 日(
 常に僕は困ってしまう。妻がいれば何とかなったかもしれないが、当直勤務のために困ったことの相談ができなかった。つまり簡単なことなんだ。我が家では電気ジャーにご飯を保温してストックしている。結構いい状態で保管できる。が、時としておかしくなる。我が家の場合は原因の大半がゴキブリである。今回もサンヨーから象印のジャーに変わったのだが、妙におかしい、と思いきや、底の部分にいつもより多いゴキブリの量。これはメインである釜の保温装置の中にも入り込んでいる、と判断してバラす。案の定、そのとおりであった。
 忍びないけど、これは廃棄することにした。以前のジャーポットと違って、保温に方に重点をおいているようでならないのである。ま、実際、ホウ酸団子が効果あがあるというのだが、最初から予防装置などは装備できないものであろうか。
 そうそう、今日まで第4回南予ディスクマーケットだったんだが、僕は久々に大枚1万円ほど使っていいレコードとLD、DVDを購入できた。人様にとってはいいものではないかもしれないが、いずれにしても現在それらが巷で購入できないものばかり、ということが分かった。あのとき購入できなかったジレンマ。物価のレベルなど、今とは全く違う時代だったんだから。

2000年12月18日(月)はれ後雨後くもり
 明に目が覚めた。暗闇の中で妙な罪悪感がつきまとっている。昨日の電気炊飯ジャーの一件のことだ。致し方ないこととはいえ、壊れたよりは二次的に壊したことに帰結する。この関係からかしら、一日中気分が良くなかった。僕の考え方がおかしいかもしれないが、キカイにも(マイコンではない)心がある、と感じざるを得ないのだ。そのためかしら、今日の天気は冬の稲妻の後には強烈な雨、僕にはまさしく世紀末に感じられた。
 夕刻からの会議を終えて帰宅すると、同じような炊飯ジャーが鎮座している。妻に新規購入を頼んでいたのだが、壊した象印に替わってタイガーの製品であった。妻もなかなかおもしろいことをする、と少し心が軽くなる。暮らしの手帖ではないが、妙に今度のタイガーの方が使い勝手がいいようだ。ゴキブリの徹底駆除はできないだろうが、予防を試みようと思う。以前など、液晶のタイマーの部分にまで侵入するゴキブリに閉口したことがあったし、時によってはショートの原因になったこともあった。
 そうそう、同僚のM君によって、Mac OS Xのモデムスクリプトをさわってもらった。我が家はパルス信号の電話回線なのである。ここを修正することをガイドブックで見つけたのはいいのだが、これが不可視ファイルのためテキストで開いても書き換え保存ができない。「発信するのは....」 、という英語の一文にあるATDの後にパルスのPを書き込むだけなんだが、これができないんだ。
 結局UNIXのスクリプトを使用する必要がある。モデムに接続しなくても、OS 9のときと同じエラーダイアログが出るので、書き換えが成功している。M君曰く「Boneさん、OS XにこれからはUNIXがいるぜ、スクリプト覚えといてくださいね」ということを勧められる。
 不思議なもので以前HyperTalkというHyperCardのスクリプトを盛んにやっていたためか、妙にこのスクリプティングというのはおもしろいものだ。プログラマーまでは行かないけど、タイピングしていて間違いがあれば、コンピューターは「その命令の意味が分かりません」と英語で応えてくれるからだ。人間のように分かったのか分からないのかが無いから、キカイそのものは正直のように感じる。
 こういったことからも、先に記載した炊飯ジャーにも意志があるようでならないのである。

2000年12月23日()はれ後くもり
 皇誕生日っていうのに朝から仕事だ。その前に母の七回忌の法事を明日行うので、墓地の掃除をしよう、と出かけたところ掃除されていた。後で聞くと息子がやった、という。普段はダラリ〜としているくせに、妙に親心をくすぐるようなことをやる。このことが彼の取り柄かもしれない。
 昨日は午後から松山へ出張だったので、職場に着くと市長選挙の候補者の方々が訪問され、名刺なりパンフレットが机の上にあった。どなたも当選後の公約が多い。僕がつくづく感じるのは、今現在で当選したら今の状態を何とかしたい、あるいはこういった方向付けを行うのだ、ということばかりだ。市長の任期中に僕の予想ではとうてい無理だ、と判断せざる事柄ばかり、と感じざるを得ない。どうして、大スローガンを掲げて、その目標に向けて多くても3項目ぐらいの施策に止めないのであろうか。
 あまり関係ないことかもしれないが、今朝のNHKラジオの番組で食べて旅して(かな?)という番組枠で南宇和郡の城辺(じょうへん)町のことが出されていた。時間枠に入れないとならないので、多少誇張なりつじつまの合わないところがあったが、それらを除いても、紹介された鰹のお茶漬けの味を想像して、どんなところだろう?、と思いながら全国規模でのリスナーに、「城辺へ行きたい」、と思わせるに事足りる内容であった。
 このことを実際に行う(旅行してお茶漬けを食べる)として、東京からやってくる旅行者は、松山からだとどうしても宇和島を通らなければならない。僕はこういった近隣のモノに便乗してもいいではないか、とも考える。今の状況なら宇和島がここら辺の中心に考えたりできないんだ。それほどのものである。
 今は何とかして宇和島を浮かび上がらせる、ということが先決だろう。ではどうするか?。そこへ市長任期中に出来そうな、あるいはやるんだ、という施策を数項目上げればいい。逆をいえば、各候補者の公約は自らが一期だけの市長在任期間ではとうてい成し得ないものばかりのように感じられるのだ。
 午後からトライアンフのキャブを修正する。この内容はいずれ別項にて報告しよう。修正した結果は「いつまでも走っていたい」という気分であった。

2000年12月24日()はれ時々くもり
 前中の法事を終えて、妙に母のくたばった日を思い出していた。そう、「逝去した日」なんておこがましくって言えやしない。そんな人物ではなく、母からすれば、今日は記念日の一つだ。したがって「くたばった」、という表現の方が好ましい。誰が考えてもだ。何しろ、12月の28日にあの世へ行ったんだからその後の対応からして、僕の言わんとしたことはお分かりだろう。
 さて、昨日の確認をもう一度やって置かなきゃならない。それはトライアンフの確認だ。午後3時前にエンジンを始動して、午後5時まで至高の時を味わった。感じで言っている僕にも相当なバイクになってしまった、と感じざるを得ない結果になった。時と銭が許すなら、このまま、本当にどこまでも乗っていたいような気分になってしまうのである。信じていただかなくって結構。事実なんだから。
 散々走り回って、酒道場で本当に祝杯を挙げた。うれしかったんだ。自分自身で行ったことではあるが、ここまでの1年と7月、ずいぶんと楽しませてくれた。しかし、排気系をさわらずのことでの結果である。ここをさわると、また変化する。まぁ、これは事実だから。
 不思議なもので、いつまでも乗っていたい、まるで原付のような使用心地なんだ。いずれ報告するが、その時まで、もう少しお待ちあれ。

2000年12月27日(水)はれ
 ぁ、酒浸りの毎日が続く。昨日はとうとうダウンしてしまった。おかげで大地の子も見ずじまいで、グウスカ眠って、いつものとおり6時には目覚める。とうとう、早朝出勤は数ヶ月以上続いてしまった。また、Duo 2300cのバッテリーがイカレたんで、PowerBook 400を毎日のように持参しての出勤になってしまった。本当に不思議なもので、このPB 400を使い始めてから、とんとMacそのものに目が向かなくなった。もちろん、古いMacは好きだが、日常の使用に対しては、今んとこ、これ1台で事足りてしまう。
 最近はTRIUMPHの調子が出て来だしたから、久々に冬であっても天気のいい休日はこのバイクに乗りたくてウズウズしてくる。特に雨の日になると、自然を恨む気分になってしまう。
 明日で本年の仕事は事実上おしまいだ。振り返ると、ずいぶんと短かったような気がする。オリンピックにしても、9月から3か月も過ぎている。明年は1月からうるさくなる。新市長になったら数か月はザワザワするのであろうな。ちと、ゆっくりと何かをやりたいところなんだが、それもできないようだ。第一に、年賀状をまだ購入していないのだし、どうなりますかね。幸いWEB上では年賀状は用意しておいた。Macはもちろん「あけまして おめでとうございます」のロゴがでる。もういくつ寝るとお正月(5回だ)。お正月には凧も上げられなくなってしまったようだ。

2000年12月28日(木)はれ
 日は仕事納めの日だ。最近でもよく聞くが公務の場においては「御用納め」という。この言葉に非情な嫌悪を催すのである。すなわち、僕は30日に仕事をしなければならない。御用はなくはないのである。あくまで、公務が休みに他ならない「「仕事納め」にすべきなんだが... 。現に我が母が死亡したのは6年前の明日だ。その場合は宿直の担当嘱託職員が対応する。決して役所は休んでなんかいないのだ。
 一応、一杯やってお終いとしたが、僕はこんなのは嫌だ。少なくとも、僕の考えるところ、日本の公務職場では、終わりは「3月31日」ではないか。今でも僕はそう思っている。今日は単に「平成12年の仕事が終わった」に過ぎないのである。
 今日も僕に対していろいろ出た。いい面悪い面一杯だ。でも真摯に受け止めたりはしない。僕の性がそれを許さないから。これは痛し痒しのこともあるが、僕自身は今でも「あうんの呼吸」を大切にしたい。少なくとも今の職場で新人はそれなりのなるには3年の歳月が必要だ。そうした上で、職場の安定推進が図られると固く信じている。それを認めてもらえない、そういった感覚が蔓延し始めた。全く休息のない職場がそこに存在しようとし始めている。
 これ以上言うと愚痴に受け止められる。 僕は協調性のないある程度の年寄りである。こういった点を上手く生かしてくれるトップも、理解するような部下もいない。この現実の狭間で僕は一生懸命に仕事をしているのである。
 明年4月、新しい市長の下、そろそろ、職場の異動を考えてもいい時期になったのかもしれない。

2000年12月31日()くもり一時雨
 もなくミレニアムの今年が終わろうとしている。28日で仕事は終わったが、30日には時間外の勤務をこなす。結局31日に全てのしわ寄せがやってくる始末。何とも、例の2000年問題から始まって、年末まで引っ張った気分であった。
 本日はあいにくの空模様。明日の五社初詣サイクリングの準備は昨日のうちに済ませて置いたのでよかったが、プリンターのインキの不足から、購入までに苦労した。妻は昨日当直勤務だったので、夕刻までは静かにして、実家(高光)に行くまでに年越しそばを食して夕食を終わりとした。後は紅白見て行く年来る年の後は、睡眠ということになる。一夜明けると新世紀だ。
 少々早い(といっても数時間だ)が、年賀状をトップページに書き込みして、今年の日記を閉じることにしたい。



 
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