2001. 7. 1〜 9.29の日記

2001年 7月 1日()はれ
 が来ても風は涼しくはない。南東の空に火星が輝く。もう少しすれば、サソリの心臓アンタレスと並ぶわけだ。その火星がやけに赤い。暑さを象徴しているようでもある。
 ことは昨日から始まる。昨日は所用で松山へSRで出かけた。ほとんどとんぼ返り。ホワイトブロスのスーパートラップにはアクティブのクワイエットコアを入れて、けっこう静かになっている。が、いつものようにバランスの悪さが帰りに出た。あと少しの詰めなのに残念だ。もちろん、帰宅してさわりはした。が、モヤモヤが晴れないままだ。そして、気が付くとプリンターのインキを購入するのを忘れてしまっているではないか。
 で、本日再びSRを出して松山まで出かけることになった次第。早朝よりやったのは、パイロットジェットを#45に下げた。これだけだ。スクリウ戻し数を2回と5/8にした。大洲自動車道のみ高速で、他は一般道だ。バイクの場合、松山までは妙に高速通るのはもったいない。
 その前にちょいとテストして、丸山球場へ高校野球の練習試合をカメラに収めた。ほんの2時間程度だったが、顔は真っ赤に焼けてしまった。その後SRで今回もとんぼ返りだったが、どうやらうまく行った。しかし、はっきり言って、この天候では結果はどうも分からない。クラッチは重く、とうとう手袋との関係からかもしれないが痙攣してしまった。まるで、握ったら握ったままになってしまうような感覚になる。ヘルメットこそ近代的なベンチレーションが働いているが、その他は走っている限りはいいが、止まると大変な思いをする。嫌な季節だ。帰着してオドメーターを見ると20000kmを過ぎていた。5年間だから1年に4000kmほどは走っている。なかなかのものだ。トライアンフと併用だからけっこうな距離を走っているわけだな。
 間もなく夜更けになろうとしているが、今度は顔がほてって、何かおかしい。明日、僕の顔を見て職場で何といわれるやら。

2001年 7月 3日(火)はれ
 はそうそう何でもかんでも否定するものはない。たとえば、今この文章をタイプしているPowerBook400のP.T.KキーボードにしてもOとかIのキーに敏感なところはあるけれど、ユーザーとして公表すべきこともないし、指の離し具合でそうなっているんだ、あるいは、インプットメソッドの関係が支配しているのかもしれない、と理解している。そのために、前回のロットのP.T.Kのように製品そのものに不具合がある、という確実なものがあれば否定する場合はある。
 しかし、今日は少々事が違った。仕事が終わった後、職場のメンバーで集会を開いた。近々公になるであろうことであるが、万一の場合は、我々も首切りされて職を失う可能性をはらんだ制度が施行されそうになっていて、本当にこのままでいいのかどうか、の問題についての中央情勢報告の集会であった。いつになく参加者も多かったし、途中で帰る奴も少ない。これを見ると、参加者自身も僕たちと同じ職員団体に加入していない仲間以外の奴らは、今後大変なことが怒濤のごとく来るんだ、と意識し始めた、と言わざるを得ない。
 僕などは「公僕」と言わしめる職場の上層部には嫌われ者だが、市民の付託に応える仕事を行っている。来庁者のために職場へ老眼鏡を!、といってはいるが、いいものが100円ショップで入手できないのである。こういった仲間の職員からの要求、とりもなおさず来庁者が「メガネはないかな?」の要求に等しいし、いいものを備え付けたい、というのが僕の考え方だ。これを、「トップが装備しなくてもいい、と言いますので、申し訳ありませんがご理解ください」と応えざるを得ない方向へ持っていこう、としている制度がやってこよう、としている。「(株)宇和島市」という会社に勤める自治体職員になってしまうわけである。決して極端な考えではないのだ。
 こういった程度の説明しか、個人としては今のところ出来ないが、形を変えてでも間違いなく日本国政府から末端の我々にも命令のようにやって来る。その後は国民すべからく応分の負担を願いますよ、と消費税が10%以上に跳ね上がるのだろうな。そして、年金から何から良くなる可能性はほとんど無い。何たって日本の借金は700,000,000,000,000円ほどになっているのだから。

2001念 7月 5日(木)はれ後くもり
 しぶりに早起きした。一昨日辺りからおなかの調子がおかしくなってきて、バランスがとれない。どうも体内時計の25時間制が24時間の態勢を越えているように感じてならない。25時間の体内時計と24時間の標準時が一致するのは、25時間で24日、24時間で25日の600時間で修正が効く、というアホなことを考えたりもしている。
 もちろん、睡眠時間は短いのだが、不思議なことに午後11時近くになると眠くなるし、このパターンで眠って、午前5時近辺でウトウト。6時過ぎに床を出る、というパターンだ。睡眠時間はそう長くないのだが、熟睡しているのかもしれない。気分はそんなに悪くないのだ。
 自転車で出かけて、山小うどんで朝食をとって、一度帰宅して出勤する。あれれ、脚が痛い。そんなにペダリングしたほどのことでもないのだが、サイクリングの効用そのものは意外に大きいのかもしれない。水泳同様にウォーキング、ランニングよりも自然なのかもしれない。
 しかし、体調不良は実際のところ存在する。というのも、暑い中、自転車で走って一息つくまでもなく献血やったものだから、血圧値がメチャクチャだ。どういう訳か最低血圧値が高い。脈圧はあるのだけれど、何とかしなくてはならない状況ではあるのだろう。しかし、降圧剤は服用したくない。いずれにしてもプッツンしたら終わりだろうな。
 夕方、ビラ配りのついで、少しばかり海端を歩いた。青い海ではなく、茶色っぽい海は気分はよくない。この天候だから仕方がないことかもしれないな。空は曇っていたが、雲が厚く小雨が少々降ったものの、ム〜ンとした気分は深夜にならないと抜けきらないであろう。夜のとばりが下りると、明日の天候のことが気になる。そろそろ崩れると予報では言っているが、本来の雨で少しは涼しくなるとは、言い切れない。
 晴天でも天候不順であった、と後から出てくるんだろう。その頃は「お〜寒」といっている時期を迎えているかもしれない。小泉総理のメーリングリストの配信を受けたが、[飛行機の中でタイプしたのだろうか] と思わず考えてしまった。日本にフランスから到着する前の時間にシラク大統領と会った、と過去形で本日、日本時間の午前7時に配信されたからだ。どうも妙な感じがする。

2001年 7月 7日()雨後くもり
 日は酒の席だが上司と大論戦になって、少々頭が痛い。幸い今朝は涼しかったので助かったが、これでムーンと来てしまっていれば、二日酔いの頭にガンガン来ていたところだろうか。ずいぶんと助かった。NHKテレビの朝ドラマ「ちゅらさん」を見ていて、少々どきりとするシーンがあって、思わず涙が出てしまった。というのは、医者の彼が「幼くして兄弟を亡くした。で、家族に迷惑をかけないよう、いくつかは自分を押し殺して生きてきた」というくだりである。僕が一人っ子で、それを払拭するための幼い頃の人生、今は職員団体のトップとして、いくつかの私的なことを押し殺して生きていることなどと合わせ、ドラマの次のことば「何かバカやってみたい」というくだりに、やりたくてもやれない今の僕自身、ドラマのシーンがよく分かるために感じ入ったからだろうか。
 昼前から選挙関係の野暮用で市内を回る。行く先行く先の町内で閉店の知らせを出している店、人のいない借家、アパートの実に多いこと。そういった横では新築の家屋が建築中だ。以前よりも建築家屋が少ないから余計に目に付く。不思議な光景だ。日本経済はダメになっているのだが、このちっぽけな宇和島でもビクともしないような生活を送っている人物がけっこういるわけだ。
 夜は妻が夕食会で不在。少々リッチに夕食を摂る。といっても出来合いのを買ってきての夕食だが、なかなかのもの。テレビ劇場の007を見ながら外を見るとぼんやりと月が出てる。ヴェガとアルタイルは16光年も開いているという。1年に1度会えるかどうか、この辺は月遅れの七夕だから静かな夜だ。

2001年 7月12日(木)くもり時々雨
 ばらく記載をしなかった。雑用が多く、最近ではとうとうPowerBookを職場へ持参しなくなってしまった。とりたてての理由はないが、強いて言うと重いから、という単純なことである。本来なら、Duo 2300cを出すはずなんだが、これがMini-Dockを合わせて持って行かねばならず、イビツな形とドックに装着する機器に閉口する。自分自身もま、職場から帰宅すると、冷房の効いた室内とムッとする屋外との差が激しく、僕自身が動けない。端っからの汗かきということもあるが、戸外がからりとしない限りはどうも体調がよろしくない。3KgものPowerBookを下げて、30℃以上の路程を歩くのは辛いんだ。でも、新しいiBookは内部の発熱的な関係で今のところ購入予定はない。ハードディスクもおいそれと交換できないようなマシンはいくらディザインが秀逸でも、僕は欲しくない。そうなると、PowerBook 150こと「苺丸」を持参しようかな、とも考えている。
 そして、とうとう今日は久々の悶絶状態になってしまった。生あくびが出て、疲れてもいないに気分が悪かったんだ。理由は分かっている。健康中国茶を昨日から飲み始めている、その影響であろう。これと似た状態は、ずっと以前、松山の大手町薬局で漢方薬を調合してもらい、処方どおり飲用したのだが、一発目に今日と同じような状況になってしまったのを思い出した。今回の場合は飲み過ぎた、というきらいはあるが、いかに日々の生活が乱れているか、ということを思い知らされた次第だ。ま、僕が実験台ではないが、この健康茶のことは後日報告しよう。今すぐに、という方は雑誌「健康」の7月号をご覧あれ。僕は見ていないんだが。
 Yahooのオークションにも参加することにした。妙に高価なものもあるが、訳知りな者にとっては、本当に格安なものも存在する。落札したとき、いつも思うのは「あの時にお金さえあればな〜」というものだ。結果として、過去のパーツなんかを今になって美品で入手すること自体が「古い」と思われてしまうのだろうな。

2001年 7月14日()はれ時々くもり一時雨
 前7時から和霊神社前の須賀川の石垣の掃除を行う。昨年は雨が多かったせいか草も少なかったのだが、今年はとんでもない草の多さに圧倒された。いつもどおりなのは事実なんだが、本来、こういった清掃作業は担当課のトップが「今から始めます。作業手順は○×△で、刈り取った草は道脇にひとまず置いてください。それでは作業を開始してください」と言うべきではないだろうか。それもないものだから、7時前に始まって、終了しても開始と同じように「ご苦労様でした。作業をこれで終わります」がないものだから、何とも後味が悪く、汗を流した割には気分がすぐれない。
 午後から吉田町の町民プールへ出かける。出る前に大粒の雨、止んだところでSRを走らせたが、道中はほとんど細かい雨。水泳に方はほとんど昨年同様に泳げる(当たり前!)が、筋力低下かしら、バランスが非常に悪い。バックやってたとき、隣のコースのバカクロール(音だけでかくてスピードが出ない)の水しぶきを受けただけで、泳げなくなる。仕返しは僕がバタフライをやる。子連れの相手には辛い仕返しだ。何しろ、子どもに質問されると、出来ない親は悩むからだ。横泳ぎでもけっこう仕返しは出来るんだ。強いて言うと、こういった泳ぎが出来るのは「海」で泳いだことがある者でないと、なかなか難しいものがある。同様に川の中流域で泳げる場所などで泳いだ経験のある者でないと、水の流れにどういった泳ぎをやるか、など、泳ぐこと自体をプールで理解させるのははなはだ難しい。そういった経験を積んでいない今の先生方が、地域のスペシャリスト、ご隠居などを講師にして、野外活動などしないものだから....。後は言うまい。
 今年の商店街夜市は最終日だ。たまたま市長に遇ったんで、ちょっと話をして、恵美須町まで下った。テキ屋の方々の数が少ない。最終日を待たず、次の入りの大きい所へ移動したんだろう。人の心なんておもしろいというか、希薄なもんだな、と感じてしまった。土曜夜市も抜本的に改革しないとならない時期に来ているのかもしれない。

2001年 7月16日(月)はれ
 曜、日曜とほとんど同じ天候結果、どうして今日は晴天なんだ?。昨日はYahooのオークションでのばかげた結果に大いに憤慨してしまった。何しろQuadra 900のまぁまぁの筐体、ロジックボードは不完全。それが3,000円ぐらいから始まって、最終の数分間で9,500円だ。少しばかりばかげているようにも考えるが、950、900、WGS 9150のボードを持っていれば確実に動くから、筐体がある程度綺麗だったら、この辺の金額で落札っていうのは安いのかもしれない。
 このwww/GridにもQuadra 700の筐体を改造してPowerMac 7100のロジックボードを入れ替える記事を紹介しているが、現在の所、66MHzのボードのシリアルポートが一つイカレてしまっているので、ボードの中古を札幌のDo-夢へ本日発注したのだ。1,500円で送料が1,700円、というのに苦笑しながら、「7100/80本体も1,900円でありますが」というので、一瞬びっくりして、ついでにお願いします、と言ってしまった。合計5,670円。いい加減古マック買うの止めたら、と言われそうなんだけど、7500が出たときから、Macのデスクトップは我が家ではファット過ぎる。Quadra 950のようなスパッとしたいい意味での「ギガンティック」なところがない。PowerMac G4をご家庭に入れられれば、その大きさにびっくりされるはずだ。PowerBookの大きさが云々されたことがあるが、純正のデスクトップモデルのキーボードを合わせてみれば、そんなに大きいものではないはずだ。
 余談が過ぎた。そういうことで、7100だけで2台になってしまった。ところが初代のPPC601のCPUは80MHzがちょうどいいらしい。PowerMac 8100の100MHzもあまり良くないらしい。古い純正の13インチディスプレーを7100の上に載せると、なまめかしいほどの一体感が出るのは、企業なり学校なりでの使われ方を十分意識したものではないだろうか。詳しくはMac'n Fileの記事を参考にしていただきたい。非常に頑丈な筐体、Nubus用G3カードもまだ存在する。やろうと思うとOS8.6で安定する。オークションでイライラするよりは今回の購入金額は安いし、確実性からすれば精神安定上この方がずっとよろしい。

2001年 7月20日()はれ
 日、高校野球県予選、宇和島東対吉田の試合を今治まで観戦に行く。フム〜、バイクをどれにするか、最大マージンを採って夜間走行を考えてSRで出かける。
 今治までは一般道を通ったのだが、これが大失敗。こんなことなら高速に乗っていた方が遙かにいい、というものであった。それほど一般道の他の車の走りが遅い、ということだ。僕もスピードをかなり出しているのではないが、50Km/hの制限道路を、その範囲内で走ること自体が常識を逸脱している。ま、県警幹部諸氏は一般道路をご自身でパトカーなりを走らせたことがないから、「遅い走行速度」が理解出来ない「バカやん」が多いのだろう。もっとも幹部連中そのものが愛媛出身者ばかりではないから一層のことだ。もちろん、一般ドライバーのマナーの悪さは県警幹部諸氏以上のものだ。一向に減らない走行中の携帯電話、チャイルドシートを装着していてもそれに保持していない母親、車間距離が何たるものか、バイクを無視したようなジジイドライバー、一般道はこういったマナー不足のドライバー諸氏のるつぼだ。
 試合は吉田がコールドゲームで負けた。思うに練習量の不足意外の何ものでもない。決して東高校のピッチャーが難攻不落ではない。僕の目からしても、これはこれで、このピッチャーに対してどういった戦術を採って、どういった攻めを行うか、守りはどういたミスをしないか、こういったこおとを即座に決定できるぐんしの役目にも似た采配を採って選手を動かせなければならない。しかも軍師の監督は時に先輩、時に師、時に同僚、と千差万別、公私ともにチームとともに少なくとも3年間は心中しなくてはならない。これが高校野球の基本であって神髄だ。いろいろ反論はあろうけど、高野連のいう「全国高等学校野球選手権」の野球はそういったものだ。そこにスポーツとしての何なりを加味したときに、そのチームは優勝、ということになる、と僕は確信している。
 帰宅して、酒道場のマスターに報告。つまらないゲームとか、そういったものではなく、勝つための野球、というのを冗談交じりで少々話し込んだ。そのとき、未来の競輪選手の一件(まだ公表できないが)で「ギャンブルレーサー」のコミック本をたのまれ、僕は即座に曙町の中古本屋に走った。うまい具合に全巻揃ったものがあって購入した。僕は、こういった即決ものが大好きだ。決してオークションではない。探しに探し回って入手する、といった行為、こういったのは、頼まれれば誰だって意気に感じるだろう。できれば、それを即決したい、これが僕の心意気だ。もし、揃わなかっても、それはそれで報告すればいい。こういった即決事項を今の方々はなかなかできない。否、しようとしない。ここが僕としては一番腹が立って仕方がないことなのである。
 あまり言わないが、僕なんかは一部コミックの「イリーガル」のあの係長的アナログ男の一面があるのだろうな。
 さ、明日は宇和島南が松山商業との対戦、トライアンフで出かけてみようか。

2001年 7月21日()はれ
 ジで今日もSRで坊ちゃんスタジアムへ出かける。時間のマージンをとって出かけるのだが、松山市内へはいると時間の経過を感じるのが早い。脇道から入ろうとしたが、結果としては国道56号線から直接入った方が早かった。
 我が母校、県立宇和島南高等学校が県立松山商業高校と対戦する。僕を吉田高校の初戦、丸山球場での対北条高校戦、昨日の今治での宇和島東高校戦、と連日駆り立てるものは何だろうか。おそらく、何をどうのこうのではなく、「もしかしたら... 」という気分ではなかったろうか。今日も松商の得点はホームスチールによる最少得点だけであった。南高校はこれで負けたのは事実だ。しかし、多くの場面で、2年間ほど一生懸命練習すれば、松商ごときでも負かすことは可能なのだ、ということは南高校の野球部諸君にも理解できたのではないだろうか。むしろ、宇和島南高校は得点では負けたがゲームでは勝ったように思う。
 一つには松商のバント失敗で、キャッチャーが投球できず守備号外でバッターアウトになったときがあった。僕の記憶が正しければ、一塁審判から守備妨害のアピールが主審に対してあった。キャッチャーも右バッターボックスへ大きく踏み出してもなお、投球できなかった。バッターはバットを上げて反り返った、とするが、主審は認めなかった。この時点でツーアウトだったから、攻守交代なのに、松商は執拗なアピールを行う。監督までダグアウトから出て、「のけぞったのだ」と盛んに、こうなんだって審判に言え、とやっている。主審は受け付けずに、早く守備につけ、と指示している。バックネット裏の席で見ても、バッターはのけぞってなどいないのはおそらくお分かりだろう。まだある。妨害ではないが、ホームベースに覆い被さるようにキャッチャーのセカンドベースへの送球を出来なくしようとさせるような行為など、けっこう見受けられるのである。
 テレビ放映ではカットになっているだろうけど、音声そのものの中には、松商側スタンドからのメッチャクチャ汚いヤジが言いたい放題であった。高校生の言う言葉ではない。相手の宇和島南高に吐かれる言葉は「やくざなことば」以上に汚い。こんなのが伝統ある愛媛県立松山商業高等学校で平然と行われているのなら、松商の教育なんてチョロイもんだ、と感じてしまった。「夏将軍」と松商ナインは呼ばれているが、この守備妨害を否定するアピールをあれだけ逆正当化するような監督は伍長クラスとも言えなくもないから、いくらピッチャーが素晴らしい球を放っていても、所詮、「こんなチームか」になってしまう。「夏准将」ぐらいのものだ。決してはつらつプレーとは言い難いチームだ。これは断言してもいい。
 気分も余りよく無く帰って、すぐさま選挙公報を配布する。脱水近くなる。立ちくらみの一歩手前まで来る。ちょうど密室でプラモデルの塗装して、少々フワ〜っとする気分だ。結局最後にアーケード街を配布するように持ってきて終了したが、その後1リッター以上の水分補給をしたのは言うまでもない。否、しなければならないんだ。体が持たない。
 夕方からの日本プロ野球のオールスターゲームを見て、少しばかり自分を取り戻せた。日産セレナのCMでCCRの「雨を見たかい」が流れてくるが、今日は31℃近くもあったから、夕立ぐらいはほしいところだ。この調子で行くと、明日のGaiyaは少々手抜きをしないと、もてない。が、僕の性格上、突っ走ってしまうのだろうことは明らかだ。嗚呼... 。

2001年 7月22日()はれ一時雨
 キウキ押した気分は全くなかった。むしろ五十の年齢を刻んだ僕が本当に踊りきることが出来るかどうか、それだけが気がかりだった。何しろ、事前の練習の時に来ていない幼児、児童がうようよいる。それに加えて、本来は別働隊の「うさぎ団」がメインになっている。こういった中、ノーマルの僕たちのグループを纏め上げるべく、やむなくトップで踊ることになってしまった。
 とにかく早い踊り順で、この点は少々残念だったが、全員で踊りきった。特にうさぎ団と一般の演舞者の間を間抜けにしてはならない。そのための気遣いが先に立って、少々手抜きにならざるを得なかった。しかし、牛鬼ストリートへ入ったとき、やはり終わり、と感じた。いや、今回のGaiyaは終わった、という気分がしたわけだ。僕は踊りきったからこの点では満足だ。女性の中には僕より高齢の方々もいらっしゃる。結果としては、定年直前まで僕は自分との闘いとしてGaiyaに出たいと思う。
 その後は多量の水分を摂取する。これを怠ったために過去どれだけ苦労したか。ほぼ2リッターの水分を摂取して一段落。クールバスクリンの風呂を使い、酒道場で夕食兼のしばしの憩いの一時を楽しんだ。同席だったIさんとともに古い宇和島音頭、宇和島娘の話になって、こういった二十年ほど前の現実が立派な過去になってしまっていることを大いに恨んだ次第。
 明日は宇和島音頭でうわじま踊りをやるが、真に来年辺りに「宇和島音頭を踊り隊」とでも組織して、真の踊りを披露したい、と密かに感じている。

2001年 7月24日(火)はれ
 内では40.2℃を記録したところがあるそうな。うわじま牛鬼祭の最終日。が僕らの年代からすると和霊様の当日という気分が強い。23日は宵宮で、今日が当日なんだ。そういったところはGaiyaカーニバルがうわじま牛鬼祭の前夜祭としての性格付けだったのに、いつの間にか22日もひっくるめてのお祭りに仕立て直しされたように感じてならない。
 昨日は踊りも行きがかり上、トップで踊ってしまった。我々は中間位置の演舞だったが、踊り手は100人以上いる。にもかかわらず、観客の人手の少なさに閉口する。実は今日もそうだったんだ。走り込みでのこと、参加者は多いのだが、牛鬼ストリートでの練りがあまりにスムースに運ぶ。見えない人垣など一切ない。
 流石に牛鬼が早朝に民放で放映があるっていうので、僕も出かけたが、このことは少々影響したのかしら、牛鬼のパレードではハプニングもあったが人出は多かった。本来なら、走り込みの最終連が下っていくのと同時に一般の観客も和霊神社へ足を向ける。ところが、そうする方々が非常に少ないのだ。
 僕は何も言うことはないが、どうやら祭りの在り方自体を根本から考えないと、おそらくすぼんでいくのではないだろうか。花火が上がって、間もなく御輿の宮入となって、翌年まで、和霊様はお休みになる。これで今年のように観客を主とした人出が少なくなると、うわじま牛鬼祭も尻すぼみになるのは明白だ。

2001年 7月27日(金)はれ
 しばかり朝夕は涼しい。今日は多くの仕事以外のことをこなさなくてはならない。我ながら自分の力量のなさ、協力者の不足を悔やんでしまう。致し方ない気分で、午後5時近くでようやくことを成し終えた。どっと疲れが出てくる。事実ばかげているように思われる。特に8月1日に行う反核平和の火リレーメンバーの選出には苦労した。ことに僕の方からメンバーの上司に「一つ派遣をよろしくお願いしたい」とお願いに行く。これだけでも7階のフロアで2か所、4階で一か所、1階で2か所、外の課で2か所、これだけの内の2/3は数時間で行わなくてはならない。とはいえ、これだけで1時間以上かかる。昨日つくった反核平和の火リレーのビラ配りを昼休みに行う。その上に本来の仕事を一定こなした上でやるわけだから、その状況はご理解いただけるだろう。
 ヘトヘトになって帰ってくる。茯茶を作って、夕食の後かたづけをして、ほっと一息ついて、PowerMac 7100/80AVをバラす。外観は綺麗だが、内部は埃まみれ。ここ以降は明日回しだ。かなり使われているキカイだけど、丈夫さは確実だ。80/AVになってCPUのファンが付いている。Quadra950改造のWGS 9150にするときのライン取りの参考になった。なかなかいいマシンなんだ。リリースされてしばらくした後、このマシンは何やかや言われたが、今考えると、この程度のマシンを教材とした方が学校ではいいようにも思える。しかし、扱う児童生徒はまだしも、先生方はWindowsしか知らないわけだから、Macなんていうのは、この辺りでは異端でしかない。しかし、児童生徒に使わせれば、Macの方が効率は上がる、と僕は確信している。こいつ(7100 80/AV)にはG3のカードまで搭載してみたいところだ。
 コベントリーの清水さんからメールをいただいているんだが、明日は選挙の会場準備、高校野球の決勝戦などで休めず、清水さんには迷惑ばかりかけてしまっている。おまけに30日の月曜日は松山出張、したがって、時間の関係から31日にしか返答できない。逆にいうと、こういったときこそ休養を取らなくてはならないのだろう。

2001年 7月30日(月)はれ
 日の選挙は一体何だったんだ?、と感じてしまう。僕は最近政治関係に頭を突っ込まなくなった。理由は簡単、「どうでもいい」が今の状態だからだ。いくら生活の危機感があっても、国民全体が「今の政治は悪い!」とは言わない。小泉総理の発言にどうこうしない。靖国神社に参拝に行くけど云々、小泉メールマガジンの不思議さなどなど、今の国民全体が強い指導者を求めているんだろう。この熱はそのうち消えるかもしれない。過去、こういった指導者たる者が出ると、その思想、やり方などが盛んに書籍となって流布したが、今回は参議院選挙で問われることになった。結果は推して知るべしだ。自民党の大勝利だ。この後どういったものになるか、それは分からない。
 でも、これって昭和10年代の大陸進出の頃によく似ていないだろうか。違うのは、それが国全体のムーブメントになっていない点だけだ。日本の政治の中枢が「ライオンハート」一色になっているに過ぎない。そのうち何かが起こって、あの一瞬は何だったのだろう、と思うことになるのではないか、と感じてならない。
 こういった関係で、僕の支持する政党、その候補者の当選が決定したのが今日の午前6時34分。ここまで何度目を覚ましたことか分からない。ま、当選したからいいようなものの、この結果は薄氷を踏む思いであったことは確かだ。
 とはいえ、今日は全労済の総代会で松山出張、一日おいて、8月の1日は反核平和の火リレー。来週もまた落ち着くときはない。間もなくお盆の季節を迎えるというのに。

2001年 7月31日(火)はれ
 日と比べて何と蒸し暑いことか。何やかやバタバタしていた7月も今日でお終いだ。明日は明日で反核平和の火リレーで1kmほどトーチを持って走らねばならない。参加者への配慮も今年が最後、来年からは完全なボランティア活動になってしまうが、走る人たちが居るだろうか。非核平和都市宣言をしている宇和島市だが、こういった行事に対しては未だ大きいアピールは出来ていない。
 仕事が終わる前、書記さん方と原水爆禁止関係のパネル展示を行った。反響はすごいものだ。一瞬そこが「56年前の原爆投下近くの土地」になったような感じすらする。モノクロのパネルに散文詩的な一文が添付してある。写真にびっくりした以上に、その文章を読めば、あのことがいかに愚かな行為だったか、がはっきり分かるはずだ。
 コヴェントリーの清水さんから早々と案内をもらっていたTriumph T-140Vのフロントフォーク一式の件を電話。僕が話すより先に「送っておいたんで、代金はそのうち何らかの方法で入金してください」との逆申し出で。うれしい限り。事実、写真からの判断だけど、なかなかの良品のようだ。本当は東京まで一度出向いて、何やかや話が出来ればいいのに、と思っているが、なかなか時間が取れない。時間のあるときは金もない、という逆もしかり。悪い方として同時にやって来る場合も当然存在する。どっちにしても、一度お伺いしたい。
 重信町の今回の参議院選挙の違反は何となく分かるような気がする。保守王国の愛媛県だけど、その内容は「旧態依然」の奴ばっかりが生きているところなんだろう。こんなのは表面には出ないが日常茶飯事だ。映画の「善人の条件」をとくとご覧いただければ、僕の言わんとしているところもお分かりいただけるだろう。つい最近まで映画の内容が普通に行われていたところなんだから。

2001年 8月 6日(月)はれ
 56年目の広島もきっとこんな天気だったんだろう。宇和島は夜明け前に少し涼しくなったが、全てに渡って蒸し暑さが一気に来る。本当に猛暑の毎日だ。どうしても昨日行ったTriumphのキャブセッティングのことをHPに出さねばならないので、朝の6時半から職場でタイプしていた。自転車で来ているのはいいとしても、エレベーターが動いていない時間帯なので、階段を5階まで登らねばならない。工事現場のハタは止まったまま。窓を開けても風が吹き込むことがない。大変な思いをしながら、少しばかり執務時間に食い込んだが、纏め上げた。
 昨日も相当に酷暑だったが、今日も同様。僕自身も昨日はヘルメットの通風機能はあるにしても、それ以上の暑さが意識を一時的にもうろうとさせる。本当にコワイ思いをしたのは事実だ。今日も昼休みに送金のため郵便局へ出かけたが、自転車で少しばかり走っただけなのに汗がジワリと吹き出す始末。大変な夏だ。そういった状況で昨日は作業を行ったものだから、脱水状態というか、とにかく水分の補給は欠かせないのである。1リッターの水なんて、あっという間になくなってしまうのである。
 仕事が終わった後、職場でアップロードの纏めをする。机上の空論ではないが、こうも暑いと、ことを起こすにしても昨日のように意識朦朧となってしまい、しばらく後にガクンと来るのは必至だから、大変だ。アップロードするにしても、話題が少ない。先のように机上の空論で纏めればいいが、僕の心情はそれを許さない。彼の地のバイクを持ってはいるが、彼の地へ行ったことはない。同様ギターにしても同じだ。それで生きた英語、なんていっても今日になって、ようやく外つ国の方々がこの宇和島で生活をされて来始めてきたから、通じるかどうかの確認ができはじめたのではないだろうか。
 したがって、トライアンフにしても、僕がこの国で使うのだから、使いやすいように手を入れる。これは机上の考えを実際に行ってみた上で報告する意外にない。ゴーストライダースはin the skyとさせていただきたいものだ。
 立秋とはいえ、ここ当分は酷暑、猛暑の毎日だ。「残暑お見舞い申し上げます」なんて、おととい来やがれって... 。とにかく、暑さがいつもと違うんだから。

2001年 8月 8日(水)はれ
 日は約半年ぶりに仕事の調査用務を行った。後処理の計算は全てコンピューター処理になる。しばらくは慣れが必要だが、このシステムがMac OSで動いてくれれば... 、と思わざるを得ない。そういえば、市内の公立諸機関で行われているIT講習もWindowsだから、講師の諸氏はOKだろうけど、Macユーザーからすると「Macならもっとフレンドリーにコンピューターとつきあえるのに... 」と思うことしきりだろう。何度も言うが、コンピューターを使うのではなく、「コンピューターで何が出来るか、コンピューターに何をさせるか」が主体なのである。子どもにMacを与えてやった後、Windowsを使わせると、難なく使える。別に誇張しているわけではない。現に僕の息子が中学生の時、DOSでコンピューターの授業にならなかったのを経験しているし、僕自身もSE/30のとき、クラッシュさせて、OSを最初からインストールするっていう行為を行っている。今、IT講習でOSのインストールをアプリケーションの使用方法と同じように教えられるかどうか、僕はWindowsでは出来ない、と断言する。もっとも、そんなにクラッシュしないけど。
 思いもかけない一文が届いたので、返答のメールをタイプした。思いの他をカキコするものだから、どうしても長文になってしまう。これまた理解するのに難解なようで顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまう。文章というのはなかなか難しい。
 トライアンフのキャブの再調整のため、元のパッケージからメインジェットを出して並べる。あれあれ、どうってことはない。#190〜#230まで#10単位で5つ入っているではないか。パイロットも同様に#25〜#35まで#5単位に5つ入っている。SUDCO MIKUNIの、このストックはパイロット#30、メイン#210という中間のものが装着してある、っていうわけだったんだ。おまけに、外箱にはTBR 650/32とあるから、明らかに650ccのボンネヴィルが基準になっているってわけだ。
 どうして苦労していたのだろうか、って今になって考えたね。僕の750との排気量の差は100cc。ただし、味付けは650よりマイルド。取り付けるキャブは650用。今やっているセッティングの前の状態でほぼクリアーしていたわけだ。ま、近日中にセッティング結果が出せるし、次号の本編でこのことは申し述べたい。
 それにしても猛暑だ。暦では秋なんだがな。明日の最高気温は今日より2℃ほど低いらしいが、百葉箱での最高気温でのこと、実際はそんなに変わりゃしない。

2001年 8月13日(月)はれ一時雨
 日も午前中にお寺へ行って、お盆の期間中休めない旨を申し出しておいた。9日、10日とお酒の席が続いてはいるが、夕刻からは南高校全日制の同窓会。当時の夏の制服と画制帽という、いつものスタイルで出かける。いつものとおりだが、現実は富くじにゼニばかり使うシステムだから、やりきれない。僕なら一つはチケットの番号で抽選、としたい。NHKのテレビドラマ「碧空のタンゴ」を見ないとならないから、早々に帰ってきた。後かたづけをしなかったのは参加し始めて最初のことだ。僕と同期は僕一人だから、この辺が引き際かもしれない。
 「碧空のタンゴ」は素晴らしかった。今の若者が56年前のしばらくの期間をどう捉えるか僕には分からない。続いて、深夜の世界陸上女子マラソンは気分が良かった。土佐選手が銀メダルだ。愛媛県民上げてお祝いってことをしないように、特に多くの地元出身選手が、お祝いの後どうなっていくかご存知のとおりだから。
 この時点で「今日」になっているのだ。昨日、一昨日と今日、一日の終演がないほどの生活をしている。そういった中、何やらタイピングがおかしいPowerBookのP.T.Kを整備。どうしてもI、Oのキーが一つ多く取ってしまうのである。つまり、状態(J-Y-O-U-T-A-I)と打つと女王対(J-Y-O-O-U-T-A-I)などと表記する。キーボードをはずしてみれば原因は簡単なこと、P.T.Kに附属している通称ステバンというセット台座の取り付け間違いであった。ぐらぐら動くからおかしいな、と思って確認したら、TM HOUSEの管理者松波さんと同じ失敗をやらかしていたようだった。取り付け修正した後はキーを多く取ることはなくなった。安心安心。
 商店街を通って帰宅する。相変わらずシャッターを下ろしている店舗が多い。通行人にも普段見かけない人たちが多い。妙に不思議な感じがする。つまり、この方々の多くが宇和島でかつて生活されていた、という事実だ。僕はいいようのない寂しさのようなものを感じた。多くは言わない。宇和島で生活は出来ない、そういって都会などへ出た方。その多くの方々のお子さん方も宇和島へ帰ってくるなどといったことにはならない。タダこれだけのことだ。
 夕刻前、小泉総理が靖国神社へ急遽参拝、というニュースが流れた。この一件について、様々な考えがあるから、今のところ僕は何もいわない。そのうちこのことが世界中で話題になるのであろう。
 遅くなったが迎え火を焚く。いうまでもなく、彼の国からの帰省者を含め多くの方々が離宇する今週末には、いつもの静か過ぎる宇和島に戻ることになる。

2001年 8月14日(火)はれ
 盆も中日を迎えた。昨夜の雨のせいか、朝は少々ひんやりしていた。昨日は迎え火を焚く手前、旧来の仏壇を掃除して間に合わせたが、今日は朝早くから息子と妻が総出(といっても2人)で新しい仏壇へのご先祖様の移動作業をやっていたようだ。お盆という仏事の時を選んでやるということ自体、僕はどうもこういったことが嫌いである。本当は、今年は新しい仏壇でご先祖様をお迎えしよう、というのが本来の行き方ではないだろうか。僕は今回のことに一切口を出さなかったが、言ったところで、僕が悪者になるのは必至だ。
 午後は仕事の用務で炎天下の戸外に出る。ほんの30分程度だったが、そろそろ帰り支度をしている帰省者に出会う。あわただしいいつもの風景だ。JRは明日辺りから大混雑になるのだろう。ま、最近ではお盆に帰省ということは少なくなった方だ。本来はもっと多くの方々が戻っていたようだが、どちらかというと、フリータイムの多い正月の帰省の方がいいのだろう。しかし、お盆にしろ、宇和島に親がいないとなると、世帯主が宇和島にいない限り、出ていった方々の生活の場所が移ってしまうわけだから、ますます寂れることになるのは明らかなことだ。僕自身この街が好きであっても、最近は出ていきたくなることが多い。離れてみれば故郷っていうものが分かるのだろうけど、そういったことも感じられなくなってきている。今月末の週、旭川へ出向くのだが、流石にここでの生活はしたくない、という気分ではある。
 帰宅してSRを出すのだが、クラッチが作動しない。以前、雨中走行し、これが災いして、フリクションプレートとくっついているようだ。それを一枚ずつ剥がして清掃して取り付けた。これは本来するところではなかった。本当はプラグキャップを交換してノーマルのBPR6ESにするところだったが、余計なものが加わった次第。プラグにはマイッタ。ノーマルプラグはなかなかいい。スタンダードなバイク、エンジン関係に手を入れていないバイクなら、3000kmで交換することもあろうが、パフォーマンスからすると、一般のプラグの方がイリジウムなどのプラグよりも好ましいのではないか、と確信した。

2001年 8月15日(水)はれ一時雨
 ならぬ大雨が午後3時前に降る。夕立とすべきかどうか、陽のある間はこのことが災いして蒸し暑かったが、夜は比較的涼しいものになった。朝もお墓へ出かけた後、駅前を通ったりしてみたが、徐々に帰省客がJRで帰る様子が見て取れた。飲み仲間のタクシードライバーが「今は15日がピークになった」と言っていたが、日中の他県ナンバー車の多さは、帰省の方法も多様化し始めたようだ。僕なら公共機関を選択するけど。
 日暮れと共に送り火を焚く。妻はいつものとおり出てこない。息子と共に先祖を送る。我が家は旧来より焙烙鍋でオガラを焚くことにしている。関東のどこかで同じような方法を採っているようだ。僕は反対していたが、今年は(家の中で14日に移動された)新しい仏壇でお迎えしたせいかしら、ずいぶんと長く炎が続き、さーっと炎が回った。どうやら、ご機嫌でお帰りになったようだ。
 送り火を焚きながら、僕は息子に「お父さんが死んでも、こうやって気にとめて送り迎えの火を焚いてくれるだろうかな」と言うと、「さあ?」と気のない返事だ。僕の存在感がないとか、僕が無視されているとかではなく、やはり僕の年代にならないと、こういったことは理解できないのかもしれない、と感じた。
 夜、久々にNUMのスピードディスクでPowerBookのハードディスクをオプティマイズする。以前のNUMなら、「極度に断片化」と出るような状況だが、「軽度に断片化」と出て、数分で完了。処理後はなかなかスピードが上がったことが体感できた。
 NHK総合テレビの「戦争を知らない若者達へ」のスペシャル番組の討論会は、どことなくシナリオどおりに時間内で終わらせるような番組でイマイチだった。しかし、太平洋戦争についてもっと知りたい、と若い方々が言ってくださったのは白眉だ。過去数十年、どうして詳しく教えられていなかったのか、を改めて掘り起こすべきだろうし、これをやると右傾化に繋がる、とすぐさま抗議が入るかもしれないが、僕はこれはやるべきだ、と思う。

2001年 8月17日(金)はれ時々くもり
 当の「花金」給料日だ。最近は銀行振り込みになって、いい気分の感覚も乏しくなった。すっかり巷には人様が少なくなった。自動車の数も昨日に比べると格段に少ない。週初めのお盆は、後半のどの辺りに生活を戻すかで離宇する時に帰省者は苦慮するのであろう。
 午後からは、毎月の生活費やら、ローンの支払いに職場のCD機を回る。水道料金以外の振り込み銀行だけでも三行もあるから、午前中はガードマンがCD機にお札を入れに来るため回れない。
 水道は水道局へ直接払いだが、僕の前の客が水道料を3か月も滞納しているくせに、水道局の係員が聞き違えたにせよ、「2か月分を取るとは何事だ、飯が食えないではないか」と大声で言い張る。みんな半分アキラメ顔で聞いていたが、僕は女性のその人を言い込めてやりたかった。
 人情の関係もあろうけど、「遅れていてすみません。誠に申し訳ありませんが、1か月分だけお願いします」と、どうして言えないのだろうか。民間の電力会社なら一発で電気の供給はされなくなるはずだ。
 実は今月末の週は旭川だ。夏の宇和島から秋の北海道へ行く感覚がどうもピンと来ない。おそらく31日の夕刻に帰ってくるはずだが、そのギャップは一層すごいものになって、しばらくは体調が優れなくなるのではないか、と感じている。
 このwww/Gridも連日溜まりに溜まった更新記事を清書しているのだが、なかなかはかどらない。流石にお盆の週だった今週は職場でずいぶんとはかどったが、毎日持参するPowerBookの重さに閉口してしまい、連日32〜34℃という気温が高いことより、こっちで疲れる始末だ。
 いい加減Duoにしてもいいのだが、ちょっとばかり使いづらい。作業が今様になってくればくるほど、現代の機種でないとまずいな。処理とかそんなんではなく、同一環境で作動させるということになると、PowerBook 2400ということになる。が、これでもG3にしなければならず、それだけでも金額は張る。現実としてPowerBookに限定すると、どうしてもG3の、この大きさのマシンしかない。iBook2はパームレストの熱問題、キーボードがおいそれと交換できない点など、僕は購入するつもりがない。
 PowerBook G3にしても、以前のモデルでは発熱に関して僕は欲しいとは思わない。もっとも初代のPowerBook G3は3400と筐体がいっしょだから、職場に置いて使ってやってもいいな、と思っている。そうなれば、2台の間は一つの外付けハードディスクを持ち歩けばいい、ということになるわけだ。
 まさかこういったことになろうとは予測できなかったことで、この上にOS Xのネイティブソフトがずらりと揃うようになると、これまた機種選定で大いに困ることになるのは言うまでもない。そういったことから、逆説めいているが、今は少し出費をしてでも、PPC603eのオールインワンのPowerBookで、とりあえず動くものを購入すべきかもしれない。何しろDuoのバッテリーに少し上乗せした程度の金額で購入できるのだから。

2001年 8月18日()はれ一時雨後時々くもり
 ったらしい天気表記だ。致し方ない。一日中、いつもどおりの生活。定年後はこういった生活が続くんだろうか、と思うとゾッとする。60から5年間は年金ったってわずかだから、そろそろ今の内から退職後の生き方を考えていないとならないかもしれない。今の世の中では、政府の言うようなことにはならないような気がしてならない。国内を厳しくすればするほど、消費は冷え込む一方だから。
 松山商業が勝った試合はどのように表現すればいいのだろうか。僕はいつも思うのだが、負けたチームは宿舎に帰ってどういった一時を過ごすのだろうか。僕が監督なら、「負けは負け、ま、明日からまたやりましょう」とだけ言う。その言葉の裏には「3年生は先輩として、まだまだ野球部で活躍してもらうぞ」ということが含まれているのだが、昨今の高校野球をはじめとした高校のスポーツ界はそうなっていないようだ。
 夕方から雨は降らない、と信じてクワイエットコアを装備したSRを走らせる。三間から広見のいつものコース。帰りにショベルヘッドのハーレーをパスしたが、オーナーは300万ほどの金額をどうやって工面したのだろうか。ま、64回の長期ローンもあるし、金の面は気にしなくてもいいのかもしれない。しかし、いつもながらオーナーのライディングスタイルから始まって、ハーレーの状態など見てみると、「ハーレーーが可哀想」と思わずにはいられない。ハーレーって維持するのは巷で言われるほど簡単ではないんだが、僕が言ったところで「ワカンネーダロウナ〜」ということか。
 こういったこととは別に、家庭裁判所の観察員を主人公にしたNHKテレビドラマは少しばかり考えさせられた。我が家のように家庭内離婚が公然と行われているようなところはいざ知らず、少し前の週刊誌の表現方法の「... のドロドロ」っていうものはずいぶんと多いような気がする。特に離婚関係で。一番困るのは子どもってことが分からないのだろうな。幼少の時は意識しなくても、ついこの間までいっしょにいたのに... 、と思ったところで、そうはならない。市内でもそういった方々が結構な人数いらっしゃるようだ。
 来週はお酒の席が連続である。少しばかりセーブしないと、今の僕としては身体面で少しばかり... 。よそうよそう、自制すればいいだけだから。

2001年 8月19日()はれ後くもり一時雨
 きい台風がやってきそう。朝は早くから、自転車のトレーニングを見学ってもんで、日吉の夢産地までSRで走ったが、結局会えずじまい。ま、クワイエットコアのテストにはなった。このまま高知まで走ろうか、と考えたが、装備が普段なもんで、引き返す。メインジェットを何とか決定しないとならないな。
 僕もずいぶんと気分屋だが、本当のところ10年目にして、夢の実現ができた。そもそも、今から10年ほど前、オーディオ界でディジタルレコーディングってものが流行った。もっとも簡便なのは DATだったが、子から孫のテープへは、そのまんまコピーを出来なくするなどの処置をされ、何らかのプロテクトは懸けられたが、結果としてはDATのソフトが一切出来なかったので廃れた。マスターテープとしての優位性は今でも健在だ。が、テープそのものが入手できるかどうか。
 僕はこういったことから、DATは一切気にしなかった。それよりも、ソニーが出していたVTRを利用したPCM録音を重視していた。簡単に言うとコンバーターを通せばディジタル録音がVTRテープに記録できる、というものであった。そもそも、コンピューターをPCMプロセッサーとして考えると、これは可能ではないか、と考えたのが1991年のことだったんだ。
 それから、コンピューターでは同僚のM君から「Macにしましょう」の強いお誘いで、半ば強制的にMacにされて、音楽が強いってんで、当時のPlus YuIさんへ何度も問い合わせをして、SE/30をとりあえず購入、になったんだが、当時はハードディスクレコーディングが主流になろう、としていたときで、今のようにアナログディスクも簡単にCDに出来る世の中ではなかった。
 実は僕とMacの関係はこういったことから始まったわけだ。昨年CD-RWの外付けキカイを購入して、何かと音楽CDとかMacのデータを保存していたのだが、手持ちのPowerBookでは外部マイクの端子がある。もっとも、サウンド入力は以前のマシンにも付いていたのだが、CD-RWの外付けキカイが高価で出来なかった。最近になって、 井上宗孝とシャープファイブの「春の海」をCD化できないだろうか?、と宇和のT君がいうもので、Macなら簡単よ、と言った手前、本日やってみた。半日かかって、ディスク(メディア)をとっかえひっかえ、メディアのメーカー毎の製品の違いを探ったりしながら楽しいひとときを過ごした。片づける段になって 「これって僕がアナログソースをコンピューターに通したらディジタルで録音できる」ということが実際になってきたんだ、と当たり前のことを反復していた始末だ。僕の所蔵アナログレコードで貴重なものは、コツコツとCD-ROMに焼き付けを行っておく必要がありそうだ。
 もっと重要なのは、こういった感性に訴えるところがMacならではのことで、Macのオーディオ回路はコンピューターの中でも傑出した内容を誇っているように感じるのは僕だけではないはず。Macユーザーはこの「Macのサウンド」をもっと信じていい、と確信する。

2001年 8月25日()はれ後くもり
 のところ、二日酔いではないのだが、少々気分が尋常ではない。一昨日は午後の会議の出席者で、懇親会を市内の 中国亭で行ったし、昨日は高校の同級生とビストロ三ちゃん寿司で一杯をいっぱいやったため、というのが第一なんだが、実はもう一つ、市のトップとの交渉事項の結果が気がかりでならない。
 僕は用務で月曜日から月末まで北海道は旭川へ出向くため、職員側トップ連がいないままで交渉をやる29日の結果が心配なんである。この交渉内容が、現在は職員側に実害はないが、職場で働いている方が持っている将来設計を根本から変えねばならない、という「基本」に関わる問題に対してのことであったから、僕も気が抜けないんだ。実のところ、多くは言えないが、「規則の一部改正が、職員の将来を左右する」というものだ。が、いくら説明しても、当の職員の多くは、どうなるのか全く理解できていないようで、痛し痒しの状況だ。実害はないとはいえ、将来に関わることを、 船長の「市長」が勝手に航路決めて、「エンジン」の職員の言い分は一切聞かない。石橋市政誕生当初のいい意味での「やれる」という気分は、ことのごとく葬り去られているようでならない、 というのが感じられる今日この頃だ。
 こういったことが、お盆の後から台風11号と共にゆっくりとやってきて、僕の気持ちを縛り付けるから身体面では「お前、その腹は何ぞ、太ったね〜」と友人のK君が言うように、腹の中はガスで充満。精神面はイライラして眠れない。仕事はかき入れ時を前に静かで、自分の気持ちを持っていけるところがない。幸い、アナログディスクをCD-Rに書き込みすることができたんで、少しは気分が良くなりつつあったが、これとてもテンションを一定にしていないとならないから、シャカリキになって行うことは出来ない。
 そういった不安定な時期だが、明日からは天気が崩れるっていうんで、SRを走らせる。メインジェットを少々上げていたが、プラグの焼け具合に変化ない。ということはプラグの番手を上げる必要が出てきている。点火系、僕のSRは点火コイルがすごいことになっているのだから、現在のBPR-6ESでは持たない、ということかもしれない。残念ながら、これは来月の実験項目だ。

2001年 9月 1日()くもり時々はれ
 海道から帰ってきても、のんびりなんて出来やしない。北海道ったって、旭川だけで、どこにも行けない5日間だから、仕事外の仕事をしにいったようなものだ。昨日、宇和島に帰ってきて、広さの現実を元に戻させられたし、天候にしてもしかりだ。旭川もそんなに大きい街ではないが、宇和島に帰ってくると、寂れたというか何にもできない街に引き戻される一種の恐怖のようなものを感じさせられる。悲観的な予想で申し訳ないが、どんなにあがいても、宇和島市は今後伸びることは無いように感じて来始めている。僕自身の残り少ない人生をそれなりに楽しむことに主眼を置いて生活しないと、自分がダメにいなってしまうようでならない。
 そういえば、一週間目にSRに乗った。キャブレターを再び触り、プラグを交換して、クワイエットコアのテストを行う。北海道の感覚が大きく、この辺のマナーの悪いドライバーにいつもながら閉口する。考えてみても分かるが、道路状況に対する自動車の絶対存在数が多すぎる。
 ようやくのことで、いつもの修正を終えたが、旭川では、肝心の無料使用できるコンピューターが一切なくって、重たいながらもPowerBookを持参しておくべきであった、と悔やまれる。その上に、事前に札幌に途中下車してDo-夢へ立ち寄った方がよかった、とも悔やんでしまう。
 今日一日ものんびり出来ず、またしても月曜日目指して頑張る。もっと楽しんでもいいようなのに、ダメだな〜。

2001年 9月 2日()雨
 から雨になった。先月、北海道へ行く前に、一本松町の篠山で行われる「どろんこサッカー」に職場の若い連中と行くことになっていたので、重い気分と身体に鞭打って付き添いがてら出かける。結果は惜しいところで敗退した。セカンドキャプテンの悔しがること、しきりであった。
 官民一体となって、一本松町の若い仲間が主体となって、行政を動かして、こういった行事が出来る。すばらしいことだ。僕の出場する毎年5月の朝霧湖マラソンでも、同様の方法でやっている。宇和島市でそれが出来ないのはなぜか?。未だに行政(主に教育委員会)におんぶにだっこの世界だからだ。ここからいい加減脱却しないと、僕はダメ、と確信している。ゼニがない、といいながら参加料を徴収しない。今はアマチュアでも主催者が誰であれ、参加させていただく、という考え方が定着しているんだ。今日は四国西南地域陸上競技大会の開催日でもある。第五種公認競技場ったって学校のグランドしか使うことが出来ない。脈々と続いている権威ある陸上競技大会だ。ゲスト選手でも呼んでもいい時代だが、いまだに参加料を徴収していないようだ。県陸協の名義使用だけで、開催日を夏休み明けという、こんな日に決定されるなど、僕はバカげている、と確信している。
 少なくとも一人一種目2,000円の世界だ。生徒の参加が多いのなら、中学生は一校3,000円で、一人一種目500円、高校生は一校3,000円、一人一種目1,000円程度だ。1月に行われる南予マラソンにしても歴史ある大会なのに参加料がないから、申込みだけしていれば、参加しなくてもいいや、というヤワな大会になってしまうのである。学校体育の管理下にある中学校体育連盟、高等学校体育連盟の大会でさえ参加料がいる時代だ。宇和島の官が主催するスポーツ大会は公がやるんだから参加料は無料という旧態依然だから、柔軟性がなくって「どうでもいい」大会になってしまっているのではないだろうか。
 どろんこサッカーは5,000円のチーム参加料だ。プレゼント用の福引き券も200円で発売、豪華景品が当たる。出店も町内の有志の方々もエントリー料方々スポンサーシップを発揮している。この日記をお読みの方がいらっしたら、参加料でご意見など伺いたいものだ。
 さて、体調不良がやってき始めた。北海道の疲れが数日遅れでやって来る。気分はすでに15日のマスターズ陸上に向いてしまっているが、実際の体調はあまりよくないいのが実情なのである。メンテナンスが必要な年齢に達したということかな。

2001年 9月 3日(月)くもり一時雨
 「北海道はよかったでしょ?」と言われたから、「二度と行きたくない」と応えておいた。理由は次号に。職員の賃金体系の一件も、僕が後ろから石を投げられる覚悟で... 、と腹を括った。これでいいか悪いかは、後の世の宇和島市の為政者が決定することだろう。ただ、僕は多くの意見を聞き、執行部の考えなどを考慮して、最終は自分で決定を下した次第だ。たかが200 人の仲間の不利益を被らないようにするために、どれだけ苦労しているか、知っている方はいいが、多くは知らない世界、というのが、今の宇和島の僕たちの職場実体だ。
 そんなことがあって、夕暮れの街にSRを走らせる。セッティングはまだまだだが、かなりイイ線までになってきているから、あとは微調整で十分満足できるのではないか、とその時は考えたが、時代を取り戻せるのなら、僕自身は本当に学校給食で偏食が無くなった時のような考え方を十分に持っている。こういった若い人達が本当にいないのではないだろうか、と真剣に考えざるをえないのが現実である。

2001年 9月 5日(水)くもり一時雨
 とも気の抜けない天候である。僕なんかは、先日来どうもおなかの調子がおかしくなってしまって、改めて北海道の5日間と、その間の宇和島の職場のちょっとした問題との板挟みの状態で、その分の疲れがどっと出てきたのではないだろうか。後々で症状となって出て来るのは歳を取った証拠なのかもしれない。その上、ついつい、無理なお役目でも引き受けてしまう。よほど人がいいのかもしれない。そろそろ多くのものから手を引く必要があるのは分かっているのだが、どうしても... 。が、いずれにしても、いくつかの役職を離れないと新陳代謝が出来ない。いくら人がよくても、トップが高齢では集団が硬直化してしまうのは分かり切ったことだ。引継だ時から一部バタバタすることはあろうが、それを問題視していてはズルズルと引いてしまい、今の時代ではよくない。あわてているわけではないのだが、このことはパシッと線を引いた方がいいはずだ。
 同僚のM君に相談して、写真などが多く重いコラムをgooの無料ホームページに移し、テストをしている。ページの中でCMの派手な動きが無いだけでもいい。ダメな場合は移動するか、元に戻すことになるが、RPMからの割り当てに余裕が出来るのはいいことだ。
 そろそろ身体を動かさないとならない。お城山の周囲でもウオークからシェイク程度、慣れればジョグ、ここ2〜3日が導入だ。来週の中頃には、そこそこのところへ持っていきたいから。

2001年 9月 6日(木)雨
 ね、夜のニュースでコンピューターがホームページにアクセスした人を記憶している、という観点から、プライバシーの侵害ではないか、と言った番組をやっている。こういったのを目にすると、通信速度が速くなれば速くなるほど、いっぱい認識されることになるわけなんだろうな。女性の方が「自分のことは自分で守れ」とおっしゃっていたが、そのとおりだと思う。
 退庁後、財政担当の仲間から有益な話を聞いた。でも、このことが職場に働く全ての人に伝達できない。あるところでは確実に不問に付されるのは間違いない、と言うところさえある。僕はそういった上司はダメと決めつけざるを得ない。しかし、貧乏宇和島を十分に認識できた。けだし、今は悪い。悪いだけでズルズルと流されているのが事実だ。しかし、貧乏な中にももっと明るさをもった行動をやるようにしてほしいものだ、と考える。かなり難しいことだが、若い方々自ら行動を起こして、そのサポート役に僕たちの年代が就けばいい。ゼニはある程度必要だが、決して多いものではない、ということをトップ集団に重視して欲しいのだ。
 少しずつNo.30をさわっている。数日後に完全アップロードを行いたい。けれども、この雨天は何とかならないか。秋の長雨そのものだ。

2001年 9月11日(火)はれ
 風の余波で少々風が強い。仕事は仕事として、今日は職員団体の関係で午後から休暇を取って八幡浜まで出かける。行きは幹部の女性の軽四だったが、道が新しくなって、なかなかのスピードで行きつく。会議といったところで、組織人員も少ないのだから、そこそこで終了する。
 懇親会は八幡浜でのなかなかのイイものが食せた場所であった。この席でほとんど出来上がったのは事実だが、どうしても次の席を身体が要求する。自分でも不思議なのだが、時として帰りたい、と感じる席は多い。八幡浜での多くの席は、これがない。ほとんど次へ行く、という気分になってしまう。つれられた場所は「ラブ」というスナックだが、いつものとおり、自分の持ち席になってしまって数曲披露した。
 この日記は帰りの列車の中で記載している。PowerBook様々である。バッテリーでの作動状況からしても問題ない。なかなかいいキカイである。しかし、シートの物置台を占領してしまうから、大きさだけは論外だ。が、iBookの今のモデルを持ってくることは、僕としては賛同できかねる。理由はいくつかあるが、その多くは熱であろう。このことは実感していただくほかない。
 しかし、八幡浜市と宇和島市はどことなくギクシャクしているところがある。互いに譲らない、というのは結構だが、それ以上に互いの内情を知る、ということがあまりに希薄だ。これは猛省を促す。同じ南予の中核都市である。財政状況からというものではなく、お互いの吏員関係から連絡をもっと三津にしてもいいように感じてしまった。
 SR500があと一歩のところまで来ているのは事実だが、久々にイイ酒の席であった。決して八幡浜を無視しては今の宇和島市の存在そのものを疑われるのは間違いのないところである。このページをご覧の宇和島在住の方がいらっしたら、考えるほど豊かではない宇和島市財政に注目していただきたい。決して公務員(市の吏員)がさぼっているのではないのだから。
 帰宅して、ニューヨークの貿易センタービルに飛行機が突っ込んだ、というニュースを見たが、僕は台風の方が気がかりで、他のニュースをやって欲しい、と思うばかりであった。理由は簡単だ。航空機が突っ込むのは事故でも何でもなく、ただ突っ込むこと自体の行為は戦時中の「特攻」と全く同じだ。効果が全くと言っていいほど無い。やった方はイイかもしれないが、僕からいわせれば「バカ」としかいいようがない。こんな外国でのニュースで貴重な時間をつぶしたくない、というのが偽らざるところである。

2001年 9月15日()くもり時々雨
 気は松山でのこと、お許し願いたい。昨日から松山に来ている。昨日はSRを雨ざらしにしたために乾式クラッチがくっついて大弱り。出発が遅れて松山到着が午後7時になってしまった。どこへ行くでもなく、ローソンのコンビニの夕食で済ませる。往路は一昨日永井モータースの孝一君といっしょにやったキャブセッティングの状況を確認することで、気が抜けなかったわけだ。復路も快調でだったから、これはこれでよかったのだろう。
 当のマスターズ陸上は円盤投げで優勝してしまった。3投とも回転して投げた。ようやくではあるが、どういった状況で投げればいい、というのがおぼろげながら分かって来始めた。100mはまるで15秒台前半が指定席のようになってしまったが、不本意ながら、どうもスパイクシューズが遣れてしまって、買い換えになってしまっているようだ。来月の21、四国マスターズまでには何とかしたい。
 帰路は往生した。中山から五十崎まで軽四輪に追いまくられ、隙があったら入って前に出る、こっちの譲らず、という、くだらないバトルを数回やる。一度キッと振り返ってやったが、この「ボケ軽四」に大いに腹立たしかった。エアガンでも携帯しておきたい気分になってしまった。
 その前に、重信から伊予へ出る途中、大洲在住のBSAスーパーロケットのオーナーがエンジンをブローさせていたが、パーツを東京のS店から入手しているらしい。見受けたところ、悪くはないんだが、確実なことは、僕がこのオーナーだったら、安価で売却するか、何とかしてエンジンを完全に組み上げて乗る、といういずれかだ。千葉のストーリーさんが「古い英車は...  、とこんなものですよ」ということに腹立たしい思いをする、とおっしゃってたが、僕もそれを感じた。オーナーはオイルが安物だから沸騰する、といっていたが、実はそんな問題ではない。シリンダー、シリンダーヘッドの組み付けが悪いのと、各部の詰めが悪いことに気付いた。一応のこととして、僕の職場の住所を教えてはいたが、月曜日にでも電話をくれるだろうか。
 夕刻から酒道場で祝杯をあげたが、気分はいいし、円盤の目標が上に上に持ってくる自分自身にあきれてしまって、ちっとも酔わないまま帰ってきた。本当のところ、円盤はもう少し距離が伸びる気がしてならないのである。その位置づけには100mをもっと速く走るという命題が存在するのが事実だが。

2001年 9月16日()はれ
 しばかり日中は蒸し暑かった。午前中、といっても、7時近くまで床に就いていたから、昨夜のこと考えると8時間程度は眠っていたことになる。それほど疲れているとは言えないが、どことなく、疲れているのだろうか。
 職場へ簡単な手みやげを先に運んだが、自衛隊の曹候補の試験の真っ最中であった。昔で言う軍曹から准尉までのクラスであろうか。僕らの上級試験に当たる。守衛さんに聞くと結構大人数であるらしい。合格すると身分は国家公務員だが、曹クラスになると、かなり厳しい現実の最初の自衛隊職「三曹」の身分がつきまとうわけだ。尉官ではないが、かなりのポジションになるわけだろうな。
 少し走らせていなかったトライアンフを引っ張り出す。快調快調、選別した中古のB8ESのプラグの焼け具合も良好だ。少し濃い状態だが、これの方が一気にアクセルを開けるときに好都合だ。K&Nのフィルターを掃除すると、少し灰色っぽくなる、と思う。
 インジケーターランプの実験として、発光ダイオードで作るとどうなるか、を宇和のT君に依頼する。製作におよそ1時間、すさまじい輝度でインジケーターの訴えの視認が楽になる。ウインカーはトライアンフの配線上、ダイオードを削って2個を合体させなければならないが、後日これは実験することとして、チャージランプはなまめかしい赤色で発行するようになった。赤のレンズに赤のダイオードだからすさまじい。抵抗は500Ωとした。こういった弱電関係は彼に任せて、この範疇は僕の入り込む余地はない。未だに抵抗値のカラーバーに四苦八苦だから。
 一度家に引き返し、使い古しのB8ESを数本テストする。結果はほとんどダメ。大きいダメージはないんだが、以前に燻っていたものは全く使い物にならない、という結果であった。少しばかり8番プラグを考えなければならない。ちなみに、7番で白い。8番で濃い状況、あなたはどちらを選ぶ?。メーカー指定はチャンピオンのN-3、ノーマルプラグだが、電極はNGKのPタイプほど出ている。NGKはB8ESに該当する。
 意外に見落とされがちだが、僕は電極の出方が点火タイミングにまで影響するのではないか、と考えているのだが、考え過ぎかな?もちろんBP8ESでもピストンヘッドに当たらないが、点火させる場所が奥まるため、ピストン形状からすれば早期点火、になるのではないか、と考えるのだ。オートバイでは四輪車のように、フラットなピストン形状は少ないのである。興味のある方は考えていただきたい。

2001年 9月17日(月)はれ
 しの間見なかっただけなのに、保管場所の変更でランブレッタの125とOHVのカブを葬り去らざるを得なかった。名古屋のT君に対しての約束が果たせなかった。自分が言い出しっぺなのに何たる不始末。アッという間に鉄は土に帰ってしまう。自然の力は偉大だな。
 ほんのひとときを狙って、上杉研究所の上杉先生にU・BROS-3のパワーアンプについてメンテナンスの質問をする。「普通に動いているのなら、メンテナンスの必要はありません」というのである。出力管のKT-88の順番が変わる場合はどうだ?、に対しては、「全て特性が揃ってますから、どれをどこに差そうとも関係ありません」との返答。ユーザーとしては実にうれしいことであった。本当はこんな製品が必要なんだ。それも出来ないなら、SRのようにユーザーがメーカーを動かすとか、トライアンフのように世界中にパーツが存在するとか、そういった物が今こそ必要なのではないか、と感じる。
 永井モータースのK君にSRを触ってもらって、かなりのパフォーマンスを示すようになった。今のところ、これがベストではないだろうか。これらの詳細は次号に記載するとして、#185のメインジェット、#47.5のパイロットジェットとして、最終判断はエアクリーナーカバーの後ろ側を大きくカットして空気の流入を多くした、という具合だ。クワイエットコア入れてこの調子だから、排気の効率がすさまじい、ということか。FCRぐらい持ってきたいが、ノーマルの吸気でもこういったことぐらいはできる、というところを知ってほしい、としたからだ。
 ほとんど触ることがなっくなった。できれば、ツインエアのオイルを塗布してみたいところだ。グレーのスポンジでは汚れが目立たないのが難点なノーマルのエレメント。これからは確実に黒く煤けるように表面が変化するから汚れは一目瞭然だろう。

2001年 9月21日(金)くもり
 のうちに細かい雨が降った。日中はどんよりした天気であった。金曜日とはいいながら、どことなくやるせない気分の支配した一日であった。9月11日の日記には批判をかうような記述を僕は行っている。そのことの反省などは一切やっていない。ところが、今日になって、あの事件をきっかけとしたことに対し、日本政府が右往左往しているのを見聞きするにつけ、チャンチャラおかしくって、今になってなんでバカやってんだ、と感じてしまうのである。いつものとおり、総理の考えと違う多くの与党首脳の考えをとりまとめるからだ。僕なら、即決して行う。恥も外聞もない。「憲法の許す範囲で、同盟国として支援を行う。たとえ、日本の協力の姿が見えなくても結構である」と言っていれば、今時、周辺の末端はインド洋か?などというバカげたことを論議することにはなっていないのではないだろうか。もっと端的に言うと、「金銭面だけしか協力が出来ない」とか、「最新の高度な医療技術で、後方から支援する」と明言しておけばよかったのである。
 イギリスなど、親密な同盟国は軍隊を持っている。日本は自衛隊だ。今でも、これは軍隊ではない。昔、吉田茂が「この戦車は軍事に使う物ではないのか?」という質問に、「戦車ではない、特車だ」と応えた有名なせりふがあるが、今のそれはコジツケでしかない。出来ないものはできない、といえばいい。燃料輸送などはしてもいい。自分の身を守らずに支援活動など出来やしない。最低の銃砲が戦争のための武器とするなら、それこそがコジツケだ、と僕は確信する。
 僕の言うことうを頭に置いて、本日のブッシュ大統領の演説を聴けば、自ずと援助の仕方は分かるはずだ。その国の憲法が許さないことはできない、というのはアメリカ合衆国国民にも十分理解できるはずだ。それが分からないのなら、アメリカ国民への日本としてのレクチャーが下手くそなのである。僕は決して無理な支援要求ではない、と感じる。意外と、こういったことが最終の引き金となって、かつての太平洋戦争に突入しいていったのではないだろうか、とも感じられる。もっとも、その当事者は大日本帝国ではあるのだが、未だに日本は信じられない、とする彼の国の老体にはこういった点が未だ明確ではない、ということにあるからかもしれない。
 話は変わって、息子が「実印」が就職に必要、と言ってきた。僕は彼の年齢の時代に散々契約したローンで親の実印を借用した。こういった点から実印っていうのは重要なんだ、と理解していたから、就職してすぐさま自分でディザインした実印を作った。現在は非常勤の社員身分の息子だが、本来の就職ということに対しての、印鑑作成を含めてのこういった様々な事項には、僕は手助けしてはならない、と感じている。いくら僕が悪者になっても... 。特に印鑑は日本においては、その必要性、重要性から決して離れることにはならないからだ。
 ローンで親の実印を使用した。それほど(借金)までして入手して今も持っているオートバイなどを考えると、今の若い者はそういった家族をも巻き込むかもしれない、という大きな行動がとれない人間ばかりなのかもしれない。そういえば、僕がトライアンフを購入するに当たって、市中銀行を「輸入オートバイを購入するので100万円ほど融資できないか」と全て頭を下げて支店長に頼み込んだのを思い出す。結果、相手にしてくれたのが今の愛媛銀行だけであった、という経験を持つ。今では100万円なんてチッポケな金額だ。でも、ある目的のために金を公の機関から借りて成し遂げようとする、そのためには三度の食事も一度にする、とまで自分で決めようとする、こういった割り切った考えは今の若者には無いのかもしれない。
 したがって、日本国内でテロでも起きれば、国民は逃げまどうだけになってしまうのかもしれない。自分が良ければ国の運命など一切関係ないんだ。

2001年 9月23日()はれ
 はことが起こったのは昨日であった。自分自身のあまりのふがいなさに、少々タイピングが進まなかったわけだ。金曜日にさんざんいっぱしな政治批評など申し述べたからかもしれない。
 時間をしばし昨日に戻すこととして、22日午後3時よりの内子での所用をこなすためにトライアンフで出かけた。快調に走行できていたんだが、大洲道へ入る直前にエンジンがストール、アイドリング状態になった。なな何と、スロットルワイヤーが切れているではないか。近く(大洲)の河野石油さんに預けて、タクシーで内子へ。大洲からの代金3,700円。帰りは大洲まで送ってもらい、途中何軒かバイク屋さんを当たったが、ストレートのスロットルワイヤーなんてありゃしない。急遽電話で宇和のT君へ明日大洲まで同行を依頼して、結局、河野石油さんに一泊預けることとなった。
 イライラの気分の一夜が開けたのが本日午前4時30分。
 お彼岸の中日、5時からお墓へ出かける。お寺さんより早くお墓掃除へ出かけると妙な気分になる。おまけに夜明け前と来ているから一層のことだ。選仏寺と八ツ面(やつおもて)にある母方の残りのお墓を掃除して6時30分に帰宅。とりあえずはSRで競輪選手を目指すA君の走行を見学しようと出かけたのだが、合流地点を誤って会えず終いで帰宅。
 ステファニーで購入した調理パンの朝食の後、民放の「波瀾万丈」を見て、ゲストの徳大寺有恒氏の最後の言葉にえらく感激した。福留キャスターが「自動車選びのコツは?」という問いに、「乗りたい自動車を選ぶのが第一です」というものであった。もちろん、そこから、コストなどの面で2〜3種の選択枝の中から決定となるが、とにかく「乗りたい自動車」をまずピックアップすることが一番である、とのことであった。
 12時過ぎに河野石油さんへ到着。御礼の伊達公を渡して、早速ワイヤーの取り替え。ものの30分だ。それからT君宅で長さの修正をして、しばらく話をした後で帰宅した。途中リッタークラスの国産アメリカンスタイルのバイクをはみ出し禁止レーンの左カーブで、右にはみ出さずにパスしたのだが、彼はよほど頭に来たのだろう、幅寄せをしてきやがった。抜かせてやろう、とブレーキを踏むと、オットット、追突されそうになって... 、こんなのは嫌だから早々に裏道へ入ったが、整備もしていない幅広ハンドルのアメリカンに乗っても、所詮は日本人、ライポジなんてメチャクチャだ。無理なくパスしたのに仕返し食らっても僕が損する。アメリカン氏は知永峠を登坂車線通って、数台追い越したことを僕は知っているから。
 そういえば、徳大寺氏の言葉を思い出しながら、ドライバー諸氏を見ていると、「楽しそうな顔」でドライビングしている人が少なすぎるな。きっと意に適っていない自動車に嫌々乗っていらっしゃるのだろう。そういえば、あのアメリカン氏も... 、と感じた次第。僕なんかニヤニヤしすぎるキライはあるが。
 帰宅して、久々にゑびす湯へ行った。日頃のアカを落として、酒道場でいっぱいやって、本日はお終い。長い2日間であった。

2001年 9月26日(水)はれ
 在、僕のPowerBook G3はMac OS X 10.1のデベロッパーバージョンをインストールして使用している。なかなか快調だ。10.04がウソみたい。本日はその10.1のリリース期日が9月29日、ということのニュースがあった。OS Xのユーザーには2,500円でアップデート版が出されるという。東京などの主要Macショップでは無償版が配布されるらしいが、僕はアップデート版の中身の濃さを採って、有償でアップルに発注するつもりだ。
 そのアップルだが、昨夜はQuickTimeのPloキーの取得について大わらわ。アップルストアにアクセスしたまではよかったのだが、旧バージョンでのPloキーを打ち込んでいたし、こちらのアクセスが遅い上に、画面変化が一向に説明の通りにならないために、とうとう2回もオーダーした形になった。金額として3,600×2=7,200円だから、結構気になるんだよな。
 それで、今日あわててアップルストアに電話を入れた。PowerBookの電源アダプター修理の時のアップルケアみたいに、アップルストアも同じようにドギマギさせて、ユーザーを憤慨させるのか、と思ったら、これが実に親切。理由を述べて登録ナンバー取得を一つキャンセルしていただいた。早速、職場へ依頼書をFAXで送っていただき、それに僕がもれなく記載。こちらからFAXで返送するときも事前に電話を入れたところ、これまた「ご丁寧に」という答礼をいただく始末。
 アップルストアでのアップル製品の購入に際しては、少々厳しい面もあるけれど、その反面、バーチャルショップということもあるが、親切丁寧さは一般のショップより上のようだから、安さより安心面の方が上回るのではないか、と感じたりもする。
 何やかやあるけれど、僕はやっぱりMacが好きなんだな〜、と我ながらあきれかえる。そうそう、昨日の午後11時からのNHK Dモードドラマ「ルージュ」ではMacが盛んに出てくる。ひょんなことからモデルになった主人公の職場が広告業。こんなシーンを見ていると、グラフィック関係などでは明らかにMacの方がいいように感じられてならない。一度ご覧になられるといい。もう一点は雅楽楽器奏者の東儀秀樹さんが、なかなかいい役をこなしている(と僕は思っている)ので、その方も見ていただくといい。
 最近さかんにIT講習会なるものが各地で開催されている。ここではWindowsのオンパレードだ。したがって、ウインドウズマシンしかコンピューターではない、あくまでウインドウズマシンを使い、その使い方の一部をマスターすればコンピューターを理解した、ということになるようだ。
 苦言を呈すようだが、これらIT講習は本来の意味合いから逸した講習のようでならない。僕ならMacを使用して講習を行うだろうが、決してWindowsがダメとかそういうのではない。何のためにコンピューターを使うのか、コンピューターに何をさせるのか、そういったことから始まって、どのコンピューターが使いやすいか?などは一切教えられない。まさしく「インテリジェント・テクニック講習会」になってしまっているのである。ご婦人方には家計簿の作り方でスプレッドシートの操作の仕方を教えたり、住所録とか宛名の書き方では、データベースソフトを使うのですよ、簡単なお絵描きを行ってみるときはドローとかペイントのソフトを使うんです、などを教授することが必要なので、ワープロソフトだけ、しかも文章だけをタイプ、インターネットに接続させるだけの講習では目的を達してはいないのではないか、と感じるのである。そういえば、講習会にいらっしゃる方のお宅には、パーソナルコンピューターってあるのだろうか?嗚呼... 。 

2001年 9月28日(金)くもり後はれ
 明まで雨が降っていたが、いいお湿りであった。が、ムンムンするのはいただけない。議会も終わったから、職場は冷房を入れやしない。来庁する市民が「暑い、なぜ冷房しない」、という不満をこぼさない。かといって、「どうせお金がないんだから」、っていうアキラメ言は決して言わない。そこで働く者がいいわけめくかもしれないが、宇和島市の財政なんて風前の灯火の状態なんだ。そうそう、今日は「ヨコイが潰れた」っていうニュースが流れた。わずか80億であの世行きだ。グループがあった、って知ったが、なんてどうして早いとこ切っておかなかったんだろうか。こういった立ち回りがヘタクソだから、人がいいから、こんなになってしまったんだろうか。社長なんて、この間までご機嫌な様子を夜の街で見かけた。これからは宇和島市の税収も幾ばくかは減る。
 はっきりいって、宇和島市も早いところ「赤字」を決算で出せばいい。守秘義務を漏らす、ってことになるかもしれないが、そうでもしないと、市民が「本当に宇和島は貧乏なんだ」って思わないではないか。苦しい苦しい、と言いながら、その実、信じられないような財政努力の結果、単年度では黒字にしている。市民の皆さんは、この点にだけ注目しているのではないか、とも思われる。
 ほんの少ししか減らないのに、ただでさえ近隣町村より低い職員の賃金を下げようとする。議員の諸君もそういった、職員を大事に扱うことには触れやしない。というか、大きい数字を出されると「わっかりまシェ〜ン」ていう状態だ。議員諸君の中で、一体どれだけの人が条文を書けるだろうか。ひょっとしたら公文書だって書けやしない。これって現実だろう。そういった方々が宇和島市民の代弁者として議会で云々やる。宇和島市の状況を本当に知っている方々なら、ご自身の議員歳費の中から十万単位で「使ってくれ!」と申し出るのが本筋だろう。僕が感じるのは議員が多すぎる。その多すぎる議員が、自らの足で地域住民の声を聞き、それを議会で反映させるなんてことはないのではないか、と思われてならない。
 普段の本業の中ででもいい、そういった声を聞き入れる場をつくったり、率先して、そういった声を聞くために自らの足で走り回ったり、なんてことは一切無い!、に等しいのが現状だろう。
 当然、行政のトップからして、多くの方々は市民の声が聞けない場所にしかいらっしゃらない。これも間違いだ。
 本来なら、高額の管理職手当もらってんだから、自ら計画して、積極的に市民の中へ出向くなどの行為はあって当然なはずなんだが、それが出来ていない。やれ、情報公開だ何だ、っていったところで、市の職員のことだけしかバッシングしない。宇和島市役所は躍起になって、そのことと、市役所の正当性を認めさせるための対処のみに奔走する。全くバカげた世界だ。
 「どうして商店街でしか一般のイベントが出来ないのだろう?」、「どうして周辺に活気のある街ができないのであろう?」、「市長の給料はいくらだろう?」、そういったことに市民の多くは一切注目はしない。
 僕は今の宇和島は何かにつけ、全体としての盛り上がりは起こらないだろう、と思う。とにかく、自分より相手の方がいい、となると、とことん相手の足を引っ張るような、利己主義の固まりのメンバーばかりが住んでいるように思えてならないのだ。
 どうして、こういったことをここで出したか、というと、長嶋巨人軍監督の退任の記者会見のシーンを見ていてだ。
 このシーンは明らかにシチュエーションされたものだ。本来は中日ドラゴンズの星野監督が採った方式が個人としては正しい、と感じる。それよりも長嶋の発言はおかしくってならない。退任発表とも何にも記載がされていないのに、自ら退任、って言う始末。おまけに次期監督が傍らにいるなんて、誰が見たって、やらせでやっているとしか言いようがない。
 僕が決して読売巨人軍がキライで言っているのではない。少々古いが、水原巨人軍の時代のように、真に強い、が負けるときもある、という、プロ野球の球団が好きなので、いわば、今の巨人軍は道理が通用しない世界に陥ってしまっている、としか言いようがないのである。監督が辞める、選手の考えははどうだ?、そういったことは一切ないのであろう。斉藤投手を連続して投げさせるなんて常人では考えられない。「カンピューターも間違いました」とは、ついぞ聞いたことがない。ゼニにものを言わせるのではなく、巨人も大敗して最下位を低迷するときが2〜3年あってもいいではないか。
 街頭インタビューにしても「良い面」しか喋らない人を出す。NHKまでがそれを踏襲する。僕ならはっきり言ってやる、「エ!、長嶋辞めるんですか?。一面ではいいことかもしれませんよね。早いとこ、オーナーも解任すればいいのに。長嶋ぐらいの采配なら、メジャーリーグだと解任ですよ」ってね。
 自分の職場のグチを長嶋辞任に任せて記載してしまった。もちろん、宇和島市の職員にも、就職して数年経った今、どの階にどの課があるのか知らない、と言う職員が多いのも事実だ。僕のように市民に理解していただきたくて、こういったことをネット上に記載する者も内部には居る。隠すだけが脳ではない。知っていただいて、その意見を反映させる、そういった行政は一切行われていない、という、市民不在の行政が横行しているのが問題なのではないだろうか。一般市民にも、宇和島市が本当に危ないことを知ってほしいし、市民の一人一人が宇和島市行政にも参入していただきたい、というのが偽らざる僕の気持ちであるが、いかがだろうか。

2001年 9月29日()はれ
 うとう動作確認まで4時間を費やした。というのは、トライアンフのヘッドライトが点灯したり、しなかったりが続いていて、その修正のために、ギボシクリップを新しくしてやってはみたのだが、これがやはり同じ。左のグリップスイッチをバラして確認するときに、位置決めのボールを紛失してしまって、土居サイクルで自転車のペダルのベアリングボールをいただいて、それで代用。作動は確実になったが、やはり同じ。ランプハウス内の全ての配線を見ていたときに、コネクターの一つが、未だにビニールテープ止めになっているものを発見。コイツをダイレクトに止めて、ようやくOKとなった。今なら常時点灯方式が通常であるから気にもならないが、1976年当時では、対米輸出仕様の配線を日中は消灯、という、当時の国内仕様にフィットさせたために起きるものだ。
 おかげで、この修正確認が長引いたために定時に夕飯を食べそびれてしまった。
 そもそも、午前中からエポックメーキングなことが起こっていた。朝は2時過ぎからウトウトしていて、何度もおかしな夢を見ながら、ようやく目覚めとなったのが6時過ぎ。やおら起きてウォーキングに出かける。これが何時になくフルスピードで進む。我が家から下の和霊様まで、2Km程度は同じ姿勢で突っ切った。帰りにステファニーで調理パンを購入して帰宅。しばらくの間、ショップ・シュナイダーの更新ゲラをタイプした後、SRメガトラップを久々に装着する。もうクワイエットコア(バッフル)の位置は気にもしなくなった。永井モータースK君「今はバイクの調子が一番いいときだ」とはいうものの、メガトラップを装着してからの方が俄然、調子が良くなっているのである。これには少々びっくりしてしまった。
 この結果によって、昼飯まで摂る時を逸してしまった。
 全てが終了して、ゑびす湯で汗を流して、家に帰ってきたと同時に腹具合がおかしくなって厠へ飛び込む。自分でもびっくりするほどの下痢だ。体中の水分が全て出てしまったような気分になった。まるで浣腸をしたときのような、それほどのものであった。なぜなのか?、原因が分からない。
 その後、なぜかすっきり。一杯やる気にもならなくって、久しぶりにギターを弾いて今日はおやすみとしたい。どうも明日は雨のようだ。運動会も多いが、うまくできるだろうかな。


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