2001. 4. 1〜 6.28の日記

2001年 4月 1日()くもり後はれ
 イプリルフールなんだ。とうとう4月になった。お天気も良くなったが、風はまだ冷たい。春はまだ遠い気がしてならない。しかし、桜は満開から散りかけている。
 午前中にワープロたたきながら、「Mac OS Xっていうのは、もしかして学校でコンピューターとは、ということを児童生徒に教えるのに非常にいいのではないか」、と感じた。詳しくは分からないが、児童生徒が「入力できない」と先生に問うてくると、「コンピューターはどんな言葉で会話をしているのだろうか」とスクリプトを出して来られるからだ。
 この辺の学校ではほとんどがWindowsだが、このOSではおそらくできないだろう。まさしくUNIXで従来のMac OSを踏襲している「X」の強みだろうか。もっとも、先に記したとおり、この辺りの学校では受け入れられない。要はコンピューターで何が出来るのだろう?、とか、コンピューターに何をさせるのか?、ということが分からないまま、コンピューターを導入させられるのだから。
 午後、SR500のスーパートラップが不調になっているのを発見。エンド部分を取り外した。ディフューザーディスクを止めているボルトのナット部分がはずれている。これをかしめて、スポット溶接をしなけりゃならない。市内の鉄工所でやってくれるところがあるかどうか。SさんならOKかもしれない。
 その後、久しぶりにトライアンフで走る。非常に快調だ。1時間も走ると各部が目覚めてくる。ミッションなども確実性が出てくる。ここはモリブデン系の添加剤がいい、と言われている。雑誌では新生ボンネヴィル(800)のCM写真を見るのだが、妙に「トライアンフ乗り」のライディングスタイルに感じる。僕も写真のように乗っているから、思わず吹き出しそうになってくる。もっとも、このツインは欲しくはないが。それほど僕のトライアンフは調子いい。タンクのリペイントもしなきゃならないが、今回はあきらめよう。
 明日は職場にニューフェイスがやって来る。日本の多くのところで新しい年度が始まる。

2001年 4月 4日(水)はれ
 昨夜は悶絶状態になってしまって、少々焦った。というのも、その日の昼過ぎから胃が急にじくじくし始めて、だましだましで家に帰って、少し調子が戻ったから、トライアンフで走って、ゑびす湯で体は温もっているのだが、再び夕食が喉を通らなくなった。悪寒まで体を走る始末。体の節々も痛いところがある。熱はない。どうすることも出来ないので布団の中に今朝の7時まで10時間ほど潜っていた。
 昨日の午後から徐々に元に戻って来始めて、ようやく元に戻った。年度末から年度初めの精神面の疲れがどっと出たのと、少々の風邪気味が分からずにいたためかもしれない。人間なんて弱いもんだ。
 そろそろwww/Gridをアップしなきゃならない。ついこの間、って思ってのが、もう一月も過ぎてしまった。おまけに本日Norton Utilities 6.0が来たので早速インストールした。ここまではよかったが、CD-ROMからSpeed Diskでオプティマイズやると、ディスクのOSが9.0.4だから、9.1のOSで走っているハードディスクでは、ある種のアプリケーション、ユーティリティーが勝手に9.0.4に戻されてしまう。当然、安全なはずのスピードディスクはOS Xを一部ダメにする。これには参った。
 確認も含めて、2度ずつ確認したが、少なくとも僕のPowerBook 400では、9.1のパーティションものパーティションも同じ症状であった。もちろん、CD-ROMの中にはのβ版に対しての一文はあるのだが、9.1の処理後の確認が取れていなかったために、2度も行った次第。結局4時間以上もかかってしまった。
 最近どうも自分の生き方が少しばかり間違っているような気がしたりもする。僕の現在の原点は一人暮らしをした名古屋での4年間だ。そろそろそこへ一度リターンさせなきゃならないのではなかろうか、と考えたりもする。50となると決して若くはない。今日も調査で出かけた先でつい転んでしまった。右の太股の外側をしこたまコンクリートの地面にぶつけてしまった。重心が高い上に多い体重と来ているから、想像しなくても分かるだろう。
 コミックの「魚河岸三代目」のようにならないかな?、と考える。現在までのこういった仲間というか友人関係では、僕は希薄だな。何かにつけて孤立しているようにも感じてしまうのである。

2001年 4月 6日(金)はれ
 日の歓送迎会で少々飲み過ぎて、気分はいいのだがトンと記憶が途切れるのだ。何というか、昨日と今朝の境目がどうにも着かないのである。なにぶんにも気分がいいから、記憶の不確かなところが我ながら不甲斐ないのである。
 風邪も少しばかり回復し始めたようだ。ホンの1日の悶絶だったが、あれが風邪の兆候とは全く分からなかった。コンピューターはNorton Utilityに参ってしまった。職場のEXCELは快調なのだが、フロッピーのファイルがぶっ飛んで、僕の方で再入力になってしまった。こういったときのためにCD-RWでもあればいいのだが。マル秘のファイルのためIIciのハードディスクに保存できない。資料としての重要性も持っているので、どちらかというとCD-RWよりはMOだろう、と考えている。
 次の土曜日14日は高知でのBritish Runに出かけるのだが、愛車のTriumphは外装に手を入れることが出来そうにない。何とか綺麗にしたいのだが、何しろそういったことを行うための時間がとれない。10日を過ぎれば1日程度は何とかなるのだろうけど、これとてもお天気の関係で何とも言えない。
 www/GridもNo.25をようやくアップできた。とにかく集中できないし、かといって休みも取れない。明日は松山だ。全く何やってんだか?

2001年 4月 8日()はれ後くもり
 日は松山で一泊の研修だったのだが、懇親会で、お酒の入った後、持参したPowerBookを使用して、仕事で使うファイルを修正する。EXCEL5.0がことのごとくOS 9.1では動かないので、互換性のあるMariner-Jで作業する。かなり快調に作業できたが、酔ったためもあって、午前0時を回ったころ出来上がった。このファイルは四半期毎に必要になるから、クラッシュすると元も子もない。バックアップを2段階行っておかなければならないのではないだろうか。
 話をこれまた昨日に戻して、松山へは同僚のY君のアリスト(前のモデル)で出かけた。走り初めてしばらくの後、なかなかいい車だ、と感じた。燃費はかなり悪いらしいが、2tを越える自重を強力に引っ張り動かす、というのはすばらしい。が、松山が近づくになって、妙に体が馴染まないな、と感じ始めた。最近、僕がトライアンフなどで「どこまでも走っていたい、下りたくない」というような、アリストに乗った、良かった、という感覚が消えてしまうのである。
 以前に乗った、もう一人のY君のフォルクスワーゲンの新しいモデルではこういったことは全く起こらなかった。少し硬いサスペンション、気持ちの良い自動車独自の持つ振動、そして姿勢を崩してもホールドし続けるシート、ドイツのフォルクスワーゲン社が言う「自動車づくりの考え方はこうなんです」という主張が見受けられたのだが、アリストにはそれが感じられなかった。いわゆるジャパンカー・ユニバーサルなのだろう。
 本日の帰りはJRだ。テストの意味もあって、PBを車中で使用した。少々大きいが、座席の折りたたみテーブルにきちんと収まる。なかなかいい具合だ。こいつをOS Xのクラシック環境で使用する。何の不都合もない。昨日あたりから、Xもなかなかいい調子だ、と感じ始めている。FetchがXに対応になればすぐさま使ってみるのに、と思っているのだが、今度はネットスケープを6.0にしなけりゃならないのだろうか。4.7が調子いいので6.0の安定がない状況に少しばかり不安なのである。
 明日から数日間、14・15日のBritish Runを目指してトライアンフを少々綺麗にしないとならないが、どうも天気が下り坂らしい。

2001年 4月 9日(月)くもり一時雨
 つもどおりの一日の始まりだったんだ。昨夜来の風と雨で桜の花が一気になくなってしまった。まるで人為的に操作したみたいになってしまう。そういえば数年前に、桜の花びらが道路に敷き詰められて、雪が降ったようになっていたのを思い出す。
 だから、決して気分の悪くなかったのだ。しかし、職場に到着して状況は一変した。早く来ない者が早く来ている。しかもトップまで。何だろう、と思ったのだが、どうも職員が××したらしい、というのだ。一瞬信じられなかった。数時間して、数人の方々と話をしたが事実らしい。この間職場に就いた人がどうしてそうなるのか、信じがたい。が事実は事実だ。
 終業の後、メーデーの会議を終えての帰り道、自分の子どもを考えて、僕は息子をかつて、こういった状況に追い込んでいたのだろうか、と自問自答してしまった。振り返って僕の××した人と同じその当時、こういった短絡的な行動に走っただろうか、とも考えた。
 そういったことを考える反面、今回の人のようなのは、いくら学力なりが優れていても社会の荒波には抗しきれない、とすれば、どんどんと淘汰されてしかるべきではないか、とも非常な考えを持ったりもする。
 事実「このくらいのことは、いくらでもありますよ」(気にもならない、バカみたい)という人がほとんどだろう。むずかしい面もあるだろうけど、意外と人生経験を若い内からさせておかないからダメになるのかもしれない。

2001年 4月10日(火)はれ時々くもり
 後から久々の休暇を取る。本来ならトライアンフの整備をするところなんだが、その必要は一切ないように感じてしまう。少しのさび取りなどは、直前に行うしかない。それよりも、もっといいのは、トライアンフに乗っていると、ついつい下りることをしなくなる。この魔力ともいえるものは一体何であろうか。不思議な気がして来始めた。
 夕刻、PowerLabよりオリジナルのPowerBook用のP.T.Kキーボードが届いた。実に5か月間の待ちぼうけである。早速装着したのだが、使ってみると、これがすさまじい。どういった表現をすればいいのか分からないが、PowerBookそのものが一つグレードが上がったように感じられてならないのである。これを文章で表現するのは非常な困難がつきまとうが、よくぞここまでまとめ上げたものだ、と感心せざるを得ない。まるで、発売時からそのまま装着されていたような感覚を感じる。しかも、キータッチなど純正とは比べものにならないほど。いくら酔っぱらっていても、キーの取りこぼしとかミスタッチが激減する予感がした。不思議なことだが、自分の文章が今まで以上に優れたものに感じたりもしてしまう。まことにすばらしいものである。
 今回の最初のリリース分はかなり苦労された由、そのことを察するが、しばらく後、再度もう一基購入しておきたいものである。それほど感覚がすばらしいのである。
 何度も言うが、こればかりは、どうしても使用した者でないとチト表現を理解してくれ!、と無理強いするものだから、この程度にとどめて置くが、もし、ASCII配列に慣れていらっしてローマ字入力をされている方で、PowerBook G3をお持ちの方なら、絶対に購入すべきアイテムのように感じる。
 これは間違いなくお勧め品である。

2001年 4月13日(金)はれ
 日は13日の金曜日、一部のところでは良くない日取りかもしれない。数年前から、僕は「占い」というものをあまり信じなくなった。というよりは、こういった今日のような社会では、そこそこの範囲として何かを控えるとか、の指針として受け止めている。星占いなどでラッキーカラーなどが云々、で、それに沿って洋服などコーディネートしても一向に良くなかったこともあるし、大半は何にも変化がない。
 その上に、「この星占い」と「この星占い」では、ラッキーカラーそのものが違うなど、こんなアバウトなものは事実ダメだ。占いだから、といえばそれまでだが。これら西洋占星術での起点はどこにあるのか、たとえば、日程にしてもグリニッジ標準時でやるのかどうなのか、バカなことを考えてしまったりもする。
 ま、僕がこんな考えを持っていて、(見えないが)こういった風貌なので、商店街を歩いていると、宣教師や辻占いに声をかけられて閉口する。しかも同じ人物に一日に二度、というときがある。よほど声がかけられやすいか、コロッと陥りやすい、と考えているのかもしれない。
 昨夜、トライアンフの整備を暗がりでやっていたら、我が家の2階への出入り口に軽四を停めていたのがいて、飲屋街の方から帰って来つつあった。こっちも暗がりから暗色のフリース姿でヌっと出たから、大慌てで停めていた軽四に乗って退散した始末。
 そういえば、レッカー移動を息子が今までに5回ほど警察へお願いしているが、僕が予想するところの不法駐車に伴う酒気帯び運転のペナルティーが飛ぶことの方が残念でならない。はっきり申し上げて、商売云々ではなく、夜の警らをしっかりしないから、我が家の周りはいつまでたっても夜間の駐車が減らない。通り一つ隔てたところでは寺子屋の塾生を待つ保護者の自動車の列が両側に数十メートルできる。夏季冬季は冷暖房でアイドリングしまくるから、午後10時前は大変な状況になる。
 残念ながら、付近の住人が夜間は不在だから、迷惑の訴えがないので警察も動かないのであろうが、こういったマナー的要素を含んだことも、学校では教えられない時代になったのだろうかな。
 さて、明日はTriumphに乗って高知の地で仲間と一杯やることにする。年に一度の春のBritish Run、折しも春野町での開催だ。

2001年 4月16日(月)はれ
 日は高知から所用のため皆と別行動をとって10時過ぎに帰ったが、流石に疲れがどっと出て、夕刻からバタンキューになってしまった。今日も午前7時過ぎまで眠ってしまって、あわてて日常行動に戻す。休暇を取ってもいいのだが、妙に月曜日というものがそうさせない。
 が、出勤すれば、機関銃のような電話応答が待っている。相手が見えずマジで「やるか!」と口の暴力なども行えない。常に自分が悪者のように感じ始める。こういったときに自殺が起きるのではないだろうか。僕は嫌だよ。自殺を考えて未遂に終わったのは小学生の頃だ。結婚してすぐでも「遺書」をしたためたりして、妻を大いにあわてさせたこともあった。
 しかし、自殺は「痛い」、とか「苦しい」ことが先に立ってしまって、そこから逃避するために自殺できない。入水などしても泳いでしまう。決しておふざけではない。ここのところを通り越している奴は自殺するんだ。
 元気なトライアンフに接すると、SRっていうのはずいぶん乗りづらいな〜、と感じてしまう。このページでも記してはいるが、一線を逸脱すると、自己満足になって、それを他人様にも強要するようになってしまう。かつて、僕はよくやっていたが、最近ではそれもしなくなった。
 単純なスーパートラップのインナーコアが入手できずストップしたままのSRなんだけど、飛ばない飛行機同様に、動かないオートバイはキカイでしかない。僕はこんなのが嫌で仕方がない。
 そろそろ、僕のエンジンにも火入れをしなけりゃならないのだが、風邪からの完全回復もなく、妙に確実なものがつかめないでいる。
 そういえば、三波春夫さんが亡くなられ、今日は今日で歌手の河島英五さんが他界された。雅子妃の懐妊の兆し報道に消されてしまったが、およそ、こういった人が... 、と感じるのだが、病気の進行などは第三者でも発見できない場合もあるのだろうか。
 それにしても、自らの命を自らが絶つ、というのはやはり嫌だな。

2001年 4月18日(水)くもり時々雨
 わてて記載をすると、ついつい人の正確な名前を間違えてしまう。16日の日記でお二方の名前を間違えてタイプしてしまった。僕の名前も性格に読まれない。今までにお二人正確に読まれたことがある。いずれも関東の方である。
 先日来、SRのマフラーで往生しているのだが、ようやくのことでリプレースパーツが見つかった。一生懸命になって、こういったことにうつつを抜かしていることをバカみたい、と思われるだろう。が、こういったことは、この地方では至極当然のこと、と受け止めている。何しろパーツそのものを、どういったルートで、どのように入手するか、全く個人個人が行っている。これをどうこうするものではないが、最近は少しリスクを伴うかもしれないが、インターネット上で楽に買い物が出来るようになってきた。
 僕の考えかもしれないが、こういった購入先なり、購入方法なりの連絡網が張れない。あるいは、このパーツの方がパフォーマンスが高い、などの連絡がとれていない、というのが現状ではないだろうか。モトコ、ブルックランズなど、立ち上がりの頃から知っていて、松山に同じようなショップが誕生したときは、週一で出かけていたものだったが、このショップもなくなってしまった。
 バイクの話ではないが、こういった意味から、ここの商店街を歩いてみると、ほとんど若い方々の要求を満たしているようなお店はない!、といっても過言ではない。仮にあったとしても、アーケード街の中でキラリと光るようなところもない、というのが現実ではなかろうか。かといって、郊外にショッピングモールができても、そこに付随した街ができる様子もない。相変わらず中央町、新町、恵美須町の商店街が「お町の中心」なのである。
 話がてんでばらばらになってしまったが、SRは久々に見つけたマフラーで走らせることができるだろう。鉄だからどの辺まで持つかどうか分からないが、購入後は、オートバイの項でレポートしたい。

2001年 4月19日(木)はれ
 うも疲れが残る。体の節々が痛い。熱はないのだが... 。考えられるところは風邪が抜けきっていない。朝霧湖マラソンは近づく。やらなければならないことが一杯たまっている。一つひとつこなそう、としているのだが、ついつい二股をかけてしまう。いわゆるダブルブッキング、ってーのは少なくなったが、後回しにできないことで「出来る」と感じるものは同時進行しなければ、どうにもならない。
 先日より、SRのマフラーの一件で悩んでいて、最後の最後にオレブルへ「スパトラのインナーコアはありますか?」、と電話をすると、「ありますよ」という返事。一瞬気抜けしてしまった。妙な気分だ。ま、あるという確認は取れたが、今度は金額の方が追いつかない。いつも痛し痒しだ。とりあえずは、本日笹川鉄工さんで現物を再修正してもらって良くなったので、次に壊れたら発注なりを考えよう、と思う。
 その修正したスーパートラップのエンドキャップをステンレス製に変更して、50km程度走った。狐に摘まれたような気分になってしまった。メガトラップもはずしているので、音が心配だったのだが、ぜ〜んぜん静か。アルミのエンドキャップでは一つ前のプレートに排気ガスがまともに当たるからパンパンいう音になるのだろうか。いつものことながら、後で気が付く何とやら... 、である。
 それにしても本当に疲れがとれない。まったくもって、今年の風邪にはやられてしまう。4月の4日からとしても2週間もおかしい調子だ。そういえば妻も2か月近く咳が出ている。当直勤務などがあるから、僕以上に症状の改善が見られないのだろうな。

2001年 4月20日(金)はれ後くもり
 認の意味も含めて、久しぶりにSRで出勤する。いつもと少々違う。なかなか調子がいい。音質の静寂さは朝の静けさを壊すこともない。むしろ乾式クラッチのキュルキュル・ジャーンという音の方がウルサイ。
 仕事をこなして帰りは少々曇天模様。SRの快調さはいうまでもない。帰ってみると、ATOK14OS X 版が到着していた。早速インストールして使うと、開いた口がふさがらなかった。もちろん、いい方向で。これだけの完成度のものが出てくると、一般のX 用アプリケーションはうかつなものではダメ、というのがよく分かった次第だ。このスイスイと変換する様子は使った者でないと分からないだろう。
 そういえば、ワープロソフトがまだでない。アプリケーションソフトが少しでもいいからリリースされるといいのだが、一向にその気配がない。どうなることやら。
 明日はまたしても雨模様だが、昨年同様に天赦園でものぞいてみようか。フジが満開らしい。竜華のボタンも撮影したいのだが、ここんところの忙しさからカメラもご無沙汰だ。そのうち体の方もいうことが効かなくなり、楽しみを満喫することなく人生を終えるのかもしれないな。

2001年 4月22日()はれ
 前中にSRのクラッチ調整をして、職場で配布ものを配り、家でプレーンスパゲッティを(自分で)作って食べる。今日はイタリアのブイトーニだが、指定の9分茹で、というのがなかなかのミソだ。ちゃんとアルデンテに茹で上がる。
 どうもスパトラのディスクの調子がおかしいので、松山の南海部品でディスクを購入するのを目的にSRで出向く。久々の午後からの松山行きだ。一般道を通る。帰りは双海町経由の海岸道路だった。とにもかくにもハーレーが矢鱈多い。銀行関係者が言っていたが、ハーレーを今の若者は60回のローンで払うそうだ。120万円とすれば、月々20,000円だ。僕には買えるが、一般の若い人にはどうだろうか。我が息子もハーレー、と申してはいるが、どうなることやら。しかし、手助けはしない。すれば、基本設計が古いハーレーの良さを見いだせないまま、「ヤーメタ」になりかねないからである。
 夜、スパトラのディスクを交換する。おもむろにエンジンを始動すると、黒煙が一度出たあとは至極調子よかった。次は一生懸命走ってみたい。

2001年 4月24日(火)くもり時々雨
 21日の土曜日ぐらいから、P.T.Kのキーボードの調子がおかしくなった。Power Labへ電話をすると、交換するので、こちらから製品を送れるまで待ってほしい、とのこと。安心をしたが、妙に「最初期の製品」ということ、僕なりの経験で対処できるかもしれない、と考えて、夜2時間ほどかけて実験した。
 どういったことか、というと、Macを使用されている方なら分かるはずだが、コマンドキー+スペースキーで日本語/英語の切り替えを行うのだが、それが時として出来なくなるんだ。その症状が気がかりでなだけで、後は非常に快調。今となっては手放せない。
 そこで、純正キーボードと比較する。あれれ、単純にマザーボードへのケーブルフィルムの曲がりグセがついていないから、マザーボードへのコネクターが少しのことで浮き上がってしまうのではないか、とおぼろげに判断した。

 次号で詳しく報告するが、2000年モデルのP.T.Kのキーボードの処理だ。'98、'99などのモデルでは応用できない。Power Lab、P.T.Kのキーボードが悪いのではない。ちょっとしたことの改修(と思ってる)を行ったまでに過ぎない。まだ、こうして欲しい、という所もあるが、とにかくP.T.Kのキーボードにして以来、タイピングが楽しくって仕方がない。僕と同じような状況の方がいらっしたら、一度行っていただきたい。純正のキーボードのように、フィルムケーブルに曲がりを付ければいいだけだ。
 そういえば、SRのスパトラの不調はディスクにあった、なんて最初は信じられないことだから、今回のキーボードのことも同じようなことかもしれない。

2001年 4月26日(木)はれ
 日は若い人たちと大いに飲んだ。おかげで今日は少々二日酔いの朝であった。一昨日のキーボードの一件から妙にこだわりを感じ始めて、どのキーボードをどういったことで云々、になってしまうのだが、こればかりは直接手に触れるもので、どことなく感覚が大きく支配する。特にタイピングの時にそれを感じる。そういった意味からも、P.T.Kは素晴らしい、と僕は言うのだけど、そんなものかな〜?、と感じる人もいらっしゃる。したがって、どこがどうのこうの、ということが文章上では表現しづらい。この辺がライター(書き手)のセンスかもしれない。僕のようにダイレクトだと、僕の感想だけになってしまい、「使ってみようか?」と思わせることにはならないようだ。
 一応、このP.T.Kをもう一つ購入しておきたい、と考えているので、その時には完全なレポートが出せるのではないだろうか。もちろん、当初のロットとどういった違いが出るか、という楽しみもあるわけだ。
 どうも例の風邪が抜けきっていない。本当に風邪だろうか?、と思う程度なんだが、やはり、どうも調子がおかしい。季節が変わり気温も一定になれば、これも快方に向かうのではないだろうか。
 まじめな意味で、ランニングを行っていない。朝霧湖マラソンまで一週間だ。何とか取りかかりの手(足)だけはつけておきたい。そうしないと、最悪の状態での出場となってしまうからだ。

2001年 4月27日(金)はれ
 日は素晴らしくテンションが高かった。風邪の状況と、水曜日の酒、そいつの後遺症が大きい。加えてP.T.Kのキーボード修正。この修正記事をP.T.Kのキーボードでタイプしながら、何ともおもしろい気分になってくる。一つ一つ纏めていくと、ついつい、いろんなところに手を出していることが分かる。ま、次のロット分を購入する予定にしているから、その時に完全な報告になるのではないだろうか。この修正でしばらくは安心して使用できるようだ。
 話を戻して、仕事もまま一段落、たまにピントはずれのお客の相手をしなければならないのが辛い。これが数週間前なら大いにカリカリ来ていたことだろう。明日の田植えと5月1日のメーデーの準備と、まことに休まる暇がない。いつものとおり、連休後半は天候が悪いようだ。とにかく、僕はゴールデンウイークってのを楽しんだことがない。それは安定した天候が連続する年が少ないからだ。
 3日の朝霧湖マラソンの天気はどうかな?。久々に南高校へ出かける。若者の生き血を吸わせていただく。幸い、M先生、K先生にも対面できた。高校生は南予総体間際で、いつもながら「勉強勉強」で、いじめられる合間でのトレーニング、「インターハイへ行こう」と僕が言っても「変なオッサン」と思われる。ところがリレーのバトンパスのパフォーマンスを示すと一発で態度が変わる。僕たちの時代とは練習量がまるで違うようだ。
 こういった状況で一日が暮れようとしている。そうそう、その上に職場の駐車場で'85年型1台、商工会議所で'00年型1台、元の同僚が乗っている00年型1台、と一時の間にSRに3台も対面するとは... 。何となく不気味な気分になってしまった。

2001年 4月30日(月)雨
 休は雨ばかりだ。昨日も商店街をぶらついただけ。いつも思うのだが、宣教師のいないことを願うばかりだ。彼らのためにどれだけ僕は苦労していることか。今日は一日中家にいた。次期www/Gridのまとめをやったり、テレビのお守りをしたり、最後はDVDをPowerBookで楽しんだ。
 夕刻、佐川急便がリモーションに発注していたSR500用のマフラーを届ける。送料に1,840円もかかっている。結局23,000円ほどの出費になった。中身を確認していると、どこかで見かけたマフラーだ、ということに気付く。ハタ、と膝をたたいて、これって、トライアンフにつけている奴だ。少し違うのは、エンドパイプだけ。どうやら、イギリスからパーツを輸入して、SR用に取り付けステーを製作して付属させた、というものだ(ろう)。
 たまたま、トライアンフを見ながら、このマフラーを取り付ければいいかもしれない、と感じていたので、これはこれで持っておいてもいい、と判断した。
 明日と明後日は仕事。ゴールデンウィークは端から眼中にないから、仕事に出かけていた方がいいわけである。明日のメーデーは雨天でないことを願うのみである。

2001年 5月 3日()くもり後はれ
 年、この日は野村町での朝霧湖マラソンだ。最初は参加に二の足を踏んでいた。5kmのレースに出る、と決めるのにどれだけの時間がかかったか。当時僕は最高でも3kmでないとパフォーマンスが出せなかった。そういった気分から出場するまで1年を有したが、マスターズ陸上からかけて今年で6回目の参加になった。今年は、とにかく歩かないこと、1kmを6分で走ること、を目指した。どうしても身体状況が意識とアンバランスになって、歩かざるを得なくなるときが過去2回ほどあったからだ。
 詳しくはいずれ記すとして、今日は特に楽しかった。気分も良かったし、アップも上手くいって31分ほどで走れた。時間がかかりすぎる、とするなら、コースを一度歩かれればよろしかろう。非常に難しいコースだ。今回の31分はまぁまぁの成績だ。惜しむらくはシューズだ。今のシューズは僕の足に型が合わない。やはり、これからはシューズ選びを慎重にしないとならない。
 使用したバイクはトライアンフ。快調なこときわまりない。帰路は香川ナンバーの一団におかしな抜かれ方されたもので、カチンときて5速のままで襲いかかってやった。標的は初期型のRZ250だが、僕も過去に乗っていて、フレームがよじれる、ブレーキがプア、という欠点を知っているので、抜き去った後、自動車の隙間を走って置き去ることは簡単だ。古い24年前のトライアンフの勝利だ(勝利=トライアンフ)。そういえば、女性のランジェリーメーカーのトリンプを日本語にすれば「勝利印」だから売れる訳ないか(爆)
 帰って、ゑびす湯へ行ってじっくりと体を洗って、酒道場で一人で小さい祝勝会して一日を終えた。実に良き一日であった。

2001年 5月 6日()くもり一時雨
 休も終わった。僕は3日の朝霧湖マラソンをはじめとして、トライアンフとSRの確認、P.T.Kの修正、と多くのことが一段落して、何もすることはなかった。強いて言うと骨休めの連休であった。朝霧湖マラソンでは本来の完走ができたし、マスターズ陸上へ向けて妙な自信のようなものができはじめた。
 バイクも修正部分が満足に働くから、快調なこときわまりない。Macもどことなく安定しているし、この点でもずいぶんと助かる。ま、常にしっかり使えるようにしておくために日頃から気を付けていなければならない、ということか。
 それにしても、今年の連休はずいぶんと長い感じがしてならなかった。途中1日、2日と仕事をしたが、この二日間の方が短い感じになった。で、問題がないわけではない。それは明日が無事に過ごせるかどうか、これが問題なのである。半日ほどピンと来なければ、どうもダメのような感じがしてならないのだ。

2001年 5月 8日(火)雨後時々はれ
 思議な天気が数日続く。朝のうちに雨が来て、午後はいい天気。蒸し暑いなどなど。そういえば昨日はムカデを退治した。回りに観葉植物の片割れが成長してはびこっているから、我が家は非木造でもある程度の湿気を持っているのだろうか。幸い、夏は石の家になるから、少しは涼しい。冷房の職場から解放される気分が暑さの感覚より増すわけか。
 今日はNHK総合テレビの番組プロジェクトXを見た。スバルK-111ことスバル360、テントウムシの開発である。なかなかいい番組だった。こういった開発の苦労が最近は語られることなく次々に新しい工業製品が出続けているから、気にもならなくなってしまっている。コンスタントに出ているSR400にしても、最初がXT500っていうモデルだったことなどどうでもいいことかもしれないが、オフロードモデルをロードモデルにするときの苦労などは、今のところ少数のその手の雑誌にしか報告されていないのが実情だ。
 アメリカの自動車には、いまだにOHVのエンジンを使用しているものがある。日本ではほとんどがOHCだ。高性能の証であるツインカムことDOHCなんて、ごく一般になってしまった。それが悪いとはいわないが、どうして一つのものを成熟させるような方向付けをメーカーは行わないのであろうか。

2001年 5月 9日(水)はれ
 っきり言って、今の職場はどことなく嫌な気分が支配する。トップがトップとして動くのだから、どうしてサポート隊が動かないのだろうか。どことなく、トップのネガティぶな面を見つけだそうと躍起になっているようでならない。もしくは奇策を仲間内に知らせて賛同を得ようとした動きなど、選挙戦の後のしこりが今になって出てきだしたようだ。ま、シャカリキになって上のポジションを目指すのも結構だが、僕としてはこんなことには関わりたくない。後退の考えではないことをまずもって言っておいた上で重鎮になっていたいわけだ。少なくとも全体をベースアップする立場のメンバーに疑惑が起こったり、バランスが取れなくなって、それを私ゃ知らないよ、とばかり責任転嫁する奴が首脳陣に多すぎる。
 今日も勤務評定などの通知文を配布したが、その場でゴミ箱へ捨てる奴を見て、「お前みたいな、キーボードもたたけない奴が管理職になっていることを深く考えろよ!」と思わず言いたくなってしまった。こいつが昼休みだけど、昼寝ばかりしている奴だからもっと頭に来る。ここの係のメンバーは大変だろうな、と思うのが通常なんだが、それを下から持ち上げるとペナルティーがコワイから言うことが出来ないのだろう。この辺が勤務評定の盲点の一つでもある。
 そのうち、全体として反乱が起きるかもしれない。小泉総理がこう言ってやろう、という国会発言で、どれだけがサポートするのか。国民がサポートしても、内部でサポートされなきゃ、一発でシュンとしてしまうのはご存知のとおりである。
 ま、残り10年間、しっかりこの職場で仕事をやってやろう、と考えた。

2001年 5月14日(月)くもり
 朝は目覚めが悪く、6時過ぎと思っていたら、何と7時20分ではないか。これには流石にびっくりして、あわてて着替えをして出勤した。道々どうしてだろう、と考えを巡らせていたところ、どうも昨日、一昨日のスケジュールをこなしたことが堪えたように感じる。
 一昨日は午前中からSRを触っていて、テスト。午後はトライアンフで宇和までギョルジョド氏のピアノコンサート。帰ってきて、遠来の客との懇親会。昨日は午前中に細々したことをやって、昼前からSRで松山出張。行きはよかったが、帰りは携帯やってるドライバーの後を走ったり、女性だったけど、汚い方法で前に出るライディングするフェザーなど、さまざまなトラフィックプロブレムのリザルトを予測し、そこへ巻き込まれないように考えながらのライディングだったので、相当に疲れてしまった。夜はF-1の10周ぐらいまで見て床に就いた。そういえば夢見も悪かったような... 。
 そういえばSRのヨーロッパ向けのシートはちと硬いようだ。どちらというと、今のフォワードステップに対してフィットしているようだ。このシートという奴が帯に短し襷に長しで、このシートにしたら絶対、というのが見つからない。今後の課題だな。すると、ハンドルバーまで考えなきゃならないから、結構大変なんだ。
 いずれにしても疲れが出る頃かもしれないな〜。

2001年 5月15日(火)はれ時々くもり
 日は不思議なものを感じた。まずは、最近の生徒諸君に対してだが、仮に友人の家に行くとする。居るかいないかの確認に通常の人だと、「友人」として見ず知らずの人ではないはずだから直接訪ねる。このように、この場合はアポイントなんていうものは本来必要のないものだから、直接訪ねて、その家の人に友人の所在などを聞くのが常套手段ではないのか。
 ところが現在ではそうではないらしい。家の前まで行き、合図の言葉などを窓へ向かって喋る。応答がないとなると携帯電話で話し合う。これが一般らしい。考えようにもよるが、こそくな手段といえないであろうか。僕が息子の友人にこういった方法を採るのがいたら、やっつけてやるのはもちろんのことだ。こんなのが親になって社会の一員になったとき、どうなるのだろうかな。それほど世間は甘くないのはわかるが、そこへ到達するまでに挫折しそうになるのではないだろうか、と感じてしまう。
 もう一つは、今日初めて気付いたのだが、丸之内の3丁目の歩道に車道と同じ分離のラインが引かれていた。本来なら歩行者が歩道を通るのだが、自転車通行可、となって、どうやら方向者は無視されて、自転車だけ車線のとおり左側を対面通行しなさい、といわんばかり。一体いつ道路交通法が改正されたのだろう。車道では車優先の信号表示をはじめ、歩行者はますます惨めな思いを強いられるような気がしてならなかった。

2001年 5月16日(水)はれ
 週から予定が詰まるので、今日午後から休みを取って、SRのキャブの改造に取りかかった。3時間程度かかったが、およそ半年かかった計画が遂行できた。結果などは来月の本編で申し述べることとしたい。まだまだテストを行わないとならないからだ。今のところ、体感上では良い方向にかなりの変化をしている。いつもながらの道ばたの青空工房を開設するのだが、最近は我が家の前の通りは信号がないためか、交通量が非常に多い。国道を通った方が効率は高いのだが、いつものクセだろう、信号のないところを通りたがる。
 夕暮れの中、SRを走らせると今の季節はなかなか気分がいい。日中、カワサキのマッハに乗っていた頃はちょくちょく大洲から肱川へのダムサイドの道を良く通っていた。春は桜の花びらの中、初夏は木々の開花の中、夏は青葉で弱められた日差しの中、四季折々の風情を楽しんだ。最近はあまりにバイクが多いためかしら、つい、ご無沙汰してしまっている。また、南への道も通っていない。理由は簡単、市内から出るのに非常に時間がかかるからである。
 こういった道路状況、交通状況だから、時間を見計らって市内から抜けないとならない。市内で国道が5か所も直角に曲がるなど、よそでは考えられないところだから、ほんの100kmの道でも一般道では2時間以上かかってしまうのである。そういえば、いまだに最高速度が50km/hに制限されている道路が95%もあるようだ。

2001年 5月17日(木)はれ
 日のは黄砂だな。朝もボヨーとしていて夕方まで、おそらく今の時間も舞っているはずだ。気温は朝は幾分涼しいかな、と感じたが、ジワリと上がってくる。昼過ぎからは風のなさも手伝って結構な上昇ぶりだ。半袖だけどネクタイを取りたくなった。
 こういった天候だろうか、どうもポカやってしまう。行事の予定を電話で確認取って、いざメモすると違う日時と曜日を書いている。「今何て言ったかな?」と回りにいうと、記載したのと違う返答。当然返答されたのが正しい、というお粗末。自分ながらぼけているようでならない。職員間の間をとりもったり、直接仕事には関係ないがよかれと思うことをやってみたり、仕事が終わっても会議に出席しなければならず、こういったことを同時進行させるわけだから、傍目とは違って、結構ハードワークでもある。ちょっとでもミスると途端に後ろから石が投げつけられる。今のポジションからすると年は食っていても「それじゃテメーがやれ」とは言えない。言ったところで「それは自分の仕事ではない」とつれない返事が返ってくるに違いない。この世は人情紙風船、か。
 ヘトヘトになって帰ってきたところ、妻が夕食に、舟平で出されるのと同じような「鯛飯」を用意していてくれて、それが美味で実のところ元気が戻った。併せて、NHKテレビの「にんげんドキュメント」でナノの世界をクリエイトする町工場の職人のことを映し出していた。食い入るようにみながら、前述のようにマルチタイプの僕の後輩を指導する方法も決して間違いではない、と感じた。もっとも受け入れられるまでに相手の方がシングルタイプになって、その方が受け入れられる傾向が強い。定年を迎えるとそれまでが間違いってことに気付くのだろうけど。同様に日産のゴーン社長のインタビューも少々感じ入った。2001年は難しいが、2002年には回復する、はっきりと言うのだ。
 それがどうだ、というものではないが、最近のトップ陣はどうもすっきりしない。政治はどうか知らないし、内容が伴うかどうか分からないが、少なくとも小泉総理のようにやりまくる人がいてもいいではないか。

2001年 5月20日()はれ
 を下への大騒ぎの一日が終わろうとしている。が、後で考えると、そうでもないのかな、と思う。事ほど左様、いつになっても結果からするとプロセスはそんなにいっぱいあるわけではないという、いつものパターンである。
 事は昨日から始まった。土曜日、ほぼ5時間ほどSRに乗り続けた。一定の結果は出たが、まだまだの感が強い。そのテストライディングの途中、一時帰宅したとき、Power LabからP.T.Kの交換品が到着。どうしたものか、この場は未開封でいた。
 今日になって、P.T.Kの初期モデルとの違いを個人の資料としてデジカメにて記録した。付属の交換キートップまでだ。ここまで来たのだから一気に交換した。本筋は同じだが、操作系などを含め旧モデルとは少々異なっている。こればかりは使ってみなければ分からないこと、いつも申し述べるが、一度使用されることをお勧めしたい。
 続いてSRだが、午後、新しい道路を通って八幡浜へ出て、夜昼トンネルを通って大洲から戻ってきた。鳥坂峠では登りにもかかわらず140km/hへスピードメーターの針が行こうとするのに少々びっくりした。が、困ったことが露呈した。昨夕デフューザーディスクを10枚にセットしたにもかかわらず、ガスが濃い過ぎる兆候である。排気のノイズが大きくなった。どこからこういった現象になったのか、思い出してみると夜昼トンネル手前からだ。
 帰宅して、パイロットスクリウを1と5/8の400の戻し回転にセットしたが、エンジンが言うことを聞かない。急遽2回にする。とどうだ。ポンポンという音が出始める。これは薄い。それなら、標準の2と1/2回転にセットした。普通のVMキャブと違って、この戻し回転を変更してもエンジンの変化が現れない。したがって、僕としてはプリセットと考えたい。
 で、2と1/2にして、エンジンを回すとどうだ。アイドリングが安定し始めた。アクセルをプリップするとディスクの間からカーボンがバッと出てきた。どうやら少しばかり濃かったようだ。そして、プラグを点検したが、どうもスプリットファイアーのSF-426Cはフィットしないようだ。ノーマルの時だけど、以前調子の良かったデンソーのW22ES-Uを装着してみた。いじって動かして結果を出すの繰り返しは次々に対処させるものが出てくる。こういった細々したことを一つずつこなしていかなければならない。こればかりはノーマルと同様、ということにはならないのである。
 本日の朝、訪問者が10000人を越えているのを見つけた。1年と3か月、稚拙なサイトに増してテキスト主体にもかかわらず多くの方々が訪問していただき、本当に感謝しています。これからもよろしくお願いします。

2001年 5月23日(水)雨後くもり
 用ばかりがあって、本来なら僕が人にお願いするのが立場なんだが、誰もやってくれそうにない。様々な役職に就いているものだから、30分単位のずれを使ってのダブル、トリプルブッキングなどはザラである。そんなこんなでまごついていると、次々に処理できないまま持ち越してしまう。僕が計画を立てていても相手のあることだから、僕の方が蹴ってもいいような場合もあるのだが、人がいいのかしら、ついつい予定を相手に合わせてしまう。今日も、午前中の予定に関して、先客との対面があいさつのみのため5分程度で終わる予定だから、始業時から別室に来てほしい、ということで待っていたにもかかわらず、あいさつだけのはずが5分を軽くオーバーしてしまい、30分も待たされた挙げ句、こちらとの対面時間はわずかに10分という、ひどくバカにされたような気分がしたが、相手に対する外交辞令も含めて、極めて笑顔で応対した。当然、腹ん中はメチャ.... 、であったのはお分かりであろう。
 こんな事が本当に飛び石のように日々続く。連続でないのがせめてもの救い、おそらくは向こう2か月はこういった状態が続くのではないだろうか。
 10000ヒットもつかの間、こんな状態だから日記さえ付けられないで、今日まで延びてしまった。
 そうなれば、今日辺り帰りがけに一杯やりたくなるのが普通なはずだが、仕事が終わった後1時間ほど別枠の仕事を行わなければならない始末。夕刻7時前に帰って、しばらくはボケー、としていた。
 そういった中、政府がハンセン病訴訟に対して控訴しない、というニュースが流れた。昼に聞いたニュースでは控訴するという方向が180度の方向転換だから、僕としては原告側に立つとうれしいものがあるし、国も非を認めることの重要性を認めた、ということと患者、元患者への対応も早いものがあるが、今日まで原告のみならず、国内のハンセン病の患者、元患者の過去の失われた時間は決して戻ることはない。また、別の国に対しての訴訟など、速やかに国に非があった、と認めるものは早急にそれ相応の対応を願いたいものである。
 夜になって雨も止んだようだが、間もなく梅雨入りとなるのだろうな。その前に数日間の晴天がほしい。

2001年 5月24日(木)くもり
 午後から時間給を取る。どうしても SRを今日の内に結果を出しておきたかったからだ。午後3時20分、そのままの姿でSRを走らせる。プラグを換えたりしたが、結局はキャブをバラして、ニードルポジションを変更しいて....  、そう、すさまじい変化が訪れるのだ。そのことは次号のオートバイ/SRのコラムにて報告したい。
 苦言なり、批判をかうことを承知で記載する。それは河野兵一さんが北極海で死亡、というニュースを正午のラジオで知った。はっきり言って、僕も周囲も「あ、そう」の感覚であった。ニュース自体も全国版ではなかった。北極点への単独歩行の日本最初の人というのは分かるが、あの冒険でも、多くの人は事前の通告で、「サポート隊が食料など空輸などします」、と知らされていないものだから、課(路)程で補給を受けている姿を見れば、「あれは冒険ではない」と言うに決まっている。
 僕も尻馬に乗った感じは確かにあるし、そうではないんだ、と弁護しようとしたこともあったが、後になってよく考えれば、日本人2番目の方が行った北極点紀行の方が遙かにシビアに感じてならないのである。
 大変古い話だが、堀江青年が「マーメイド号」で単独太平洋横断した時と比べてどうだろうか。もっというと、同じ堀江さんが最近ビール缶(大きい奴)を纏めてボートをつくって太平洋横断した。こういったのが僕にとって「冒険」とすることができる、と言わざるを得ない。
 後になってしまったが、今回の河野さんの件でもサポート隊のスタッフがあまりに貧弱だ。こちらのサポート隊の方が言ったが、「レゾリュート島まで80km、避難後屋へたどり着いていると思います」という報道を聞いたとき、「あほかいな」と感じた。真っ白な氷と雪の平原、磁石も使えなきときがある。天候も千変万化、そういった中での80kmがどんな距離なのか、発言者はどう考えているのかしら、と思わざるを得ない。
 位置確認の発信器がストップしたとき、その時にサポート隊は早急に対処すべきだった。今のエレクトロニクス技術の製品を携行しているのだから、装置に異常が出たら「最悪」を考えるのが常である。最悪として、発信器の発信音が無くなった、通常の電話連絡もない、そういったニュースの時、こちらのスタッフの方は「最悪の場合も考えられます」と言うべきではなかったか。
 どこで途絶えたか、そういったものは現時点での北極周辺の状況、地形図などをスタッフの方で即座に分かるようにしていなければならないはずなんだ、と僕は感じるのである。「冒険家」という職業があるのかどうか分からないし、事実は僕が考えているようなものではないのかもしれない。が、一般人として感じたことを、非常に言いづらいが、敢えて記載した。 
 今の時間になっても、まだSRのことが頭からはずれない。相当にすさまじい変化なんだ。キャブのセット変更など20分で出来るようになった。SRは非常に使いやすい。500ccは400より難しいと聞くが、そんなことは知らない。本当にSRがいいのである。強いて言うと、見れば見るほど、使えば使うほど、日本を代表するオートバイ、とすることができる。

2001年 5月25日(金)くもり時々はれ
 日の今日だから、というわけではないが、河野さんのことが今になって全国ニュースだ。ローカル版だって過去の多くの冒険を紹介している。こんなのは郷里は愛媛だが都会に行っていた頃のこと、こっちでは知名度はまるでない世界のことだし、こんなのを北極点歩行踏破の後にどうして流さないんだ!、と憤りすら感じてしまう。いずれにしても、本人はこの世に生きてはいない。このこと自体をもっと悲しむべきことだろう。
 昼休みにSRを動かせて、永井モータースのチーフK君の意見を聞いて、わずかにキャブセッティングを濃くする。2回と5/7程度にする。この効果はなかなかいい。非常にフレキシブルだ。前の2回と1/2のときより全般に渡って良好になってきた。以前は2500回転以上でないとどことなくおかしかったけれど。低回転域から力強さがあり、頑張らなくても回転が上がる、少しばかり手を入れたSRになってきた。そう、僕はこういったところを狙っていたんだから。明日、松山までのランがが楽しみになってきた。
 こんな、あんなの気持ちだから、NHK総合テレビの金曜オンステージで十分楽しませていただいた。特にエンリオ・マルケッティさんの自分マペットには頭が下がった。こんなのを世界に誇れるエンタテイメントっていうんだろう。この逆を日本人がやると、外国の人には分かっていただけない、むしろ不快感さえ感じる場面がある。そういった日本の外の国の状況などは一切勉強させられない。僕が幼少の頃、アルジェの戦いで、どうしてだろう、と感じたし、今と違って人間の骨肉を掛けた覇権争い、例え独立でも、そういったものを目の当たりにしているから、今の生ぬるい我が国の状況なんかやられるとチョロいもんだろう。どこかの仮想大国が攻め込めば国民は逃げるだけに終始するだろう。こういった僕の考えを世の中は「憲法第9条を冒涜している」という。じゃ、自衛隊員は災害救急予備軍か。反論があっても僕はあほくさいから言わないだけだ。永世中立国のスイスにさえ軍隊があって国民には兵役の義務がある。広義としての「軍事教練」は僕は必要に思う。どんなに反対されてもこの信念は変わらない。でなければ、暑さにさえふらつく日本人など皆無に持っていくぐらいの気分があってしかるべきなのだが、日本の多くの人は、他人の勝手、として処理されるのが大半ではないだろうか。
 そのうち、日本人っていうのは利己的で自分のことしか考えない、外面はいいが、内は外から見えるのとは大違いのバラバラ日本へ向けて邁進しようとしているのではないだろうか。おそらく、とんでもない世界が政府の方で決められて、若い大人の人たちはそれに対峙できない。そういった世界が間もなくやってくるような気がしてならない。

2001年 5月27日()くもり一時雨
 松山から4時半に帰ってきた。SRはヒヤヒヤものではなかったが、昨日の往路と今日とを比べると、今日の方が快調だった。昨日は旧知の北吉田のカワサキショップ・サキヤマの社長に質問して、「下が濃くて、上が薄い」の状況から、つなぎ重視の観点から、パイロットスクリウを2回と3/4にしていたのが効いていた。往路の重々しさは無くなった。しかし、少し気になるとところがある。
 帰るやいなや、キャブレターを4回もさわった。いずれも確認のためだ。メインジェットは#165〜#180まで上げた。低速域はほとんど濃い状態だったんで、スクリウの戻し回転を幾度となくやった。#170のメインジェットでいい線までいったが、これ以上の向上は望めない、と判断して、ニードルをノーマルに戻した。結局7時半近くまで触っていた。ノーマルニードルでもかなりのところまで行くようになった。つまり、負圧を増大したことによる効果はあったわけだ。真のダイノジェットもおそらくこの辺りのところが難しいため、また、VMキャブから途中キャブが変わったことなどによって、ダイノジェットの適用車種に加われなかったのではないだろうか。今日の結果で、あと少しのところまで追い込むことができたようだ。
 そうそう、昨日ベスト電器で新しいiBookをさわった。いいけど買う気にはならなかった。その気にならなかった要因は二つある。一つはディスプレーの保持の仕方だ。これはL字型のヒンジで保持しているが、どうも丈夫さからははずれるようだ。
 もう一点は「熱」である。僕の持っているピズモよりも、PowerBook G4よりも熱い。特に右のパームレストは、夏場には掌に汗をかくように感じる。Duoとか2400のようなパワーユーザーが使うとなると、少々問題だな、と感じた。気に入るような構成にすると20万円仕事になって、とても以前のiBookのようにはならないのではないか、と感じた。大きさ、スタイルの良さからすると少々残念な気になった。次のマイナーチェンジはどうなるのだろうか。すでに、OS Xがプリインストールされて出てきているはずなのだが。

2001年 5月28日(月)はれ時々くもり
 しぶりにPower Quadora 700を使用してこの一文をタイプしている。労働金庫の会議の懇親会で少々酔っている。この点をご了承いただいて、なぜ、Power Quadra 700なのか、それはPowerBook 400が壊れたからである。僕はACアダプターとにらんでいるのだが、送付先のPower LabのSさんの話だと本体のパワーサプライがこわれているのかも、という返答。協議した結果、やはり関係のものを送ることとした。
 そのPowerBook 400だが、少々保証期間の残りが乏しいことに気づき、急遽送ることと相成った。が、僕の予想では、もしかして、別のところに原因があるのではないか、と相談はしたが、おいそれと、そのノウハウを教えてくれはしない。
 保証書などを見ているといともなく更新はできるのだが、何となく割り切れない。理由として、そのうちApple careが対処する範囲がどの程度ってことも教えなくてはならないのではないだろうか、強く感じた。 不思議な話だが、手元にあって毎日のように業務をこなしてくれるバイクがなくなるのと同様に、こういった愛用品が自分周りから消えるに似てつらいものなんだ。

2001年 5月30日(水)雨
 はてさて、久しぶりの雨、本来なら昨日のSRテストを記載すべきところだったのだが、連夜のお酒の席のため、一寝入りして気づいたときは午前3時。喉が渇いていて水を飲んで、また眠ってしまった。
 とにかく、午前中は体と頭とが別々に動いているような気分であった。幸いにして外は雨、一日中デスクワークをこなした。相手あっての仕事のためによくわかるのだが、年ごとに仕事量が減る。不景気なんだろうな、と感じる。
 昨日のSRのことが頭から離れない。いつもと違い、結果がよかったので安堵しているが、人間の常で、またぞろ次の策を考えている始末だ。次号で何とかまとまりを報告したいが、そのままの長文を載せるかどうか迷っている。昨日までの実験の変化がなかなかおもしろかったので、長くてもやはり載せるべきかな。
 そうそう、PowerBookの修理のため、Shop Schneiderの内容も更新が遅れそうです。この点、大変申し訳ない、と思っています。ご了承ください。
 明日は今治へ行かなくてはならない。じっくりと何かをやろうとしても、いつもこのパターンで毎日が過ぎるので、中途半端になってしまうのだろうかな。

2001年 5月31日(木)くもり後時々はれ
 治へ出かけた。今治もどうも寂れてしまっている。今治でのことはほぼ予想通りの大勝利、で決着した。このことは翌日の新聞紙上にでるだろうけど、全国レベルでのことだからおそらく重要視されることになるのではないか、と確信している。
 その足で宇和島に帰ってきたけど、定休日のせいもあるが、それにしても寂しい。昔はこんなことはなかった。画一化してしまった、といえばそれまでだろうけど、僕が考えるのは、今のアーケードを中心とした商店街こそが宇和島の「お街」としているところを改めないと、おそらく進展は一切ない、と断言できる。逆にいうと市民の大半が商店街こそが宇和島の「お街」としていることにあるのではあるまいか。
 ショッピングモールができてもそれだけ。それに付随する個人レベルでのユニークなお店がその近辺にできてもいいように思うのだが、これが一向にできない。このページを除いてでも、多くの場で力説したが、がんとして受け入れない民間企業のトップだ。こいつらのあほさ加減を壊さなきゃだめだな。
 僕が公の立場でなければ、こんなちょっとした考えがまかり通らぬ世界の宇和島など、とっくの昔に出ていっている。公務外でも、ここにしがみついているのは何か?。それが分かれば、否、その独特の良さが一般市民に分からない、そこを知らしめるエバンジェリストを数人創らなければならないのではなかろうか。

2001年 6月 1日(金)はれ時々くもり
 方になってPowerBook 400が返送されてきた。ついでだから、指示された在宅パーツ交換の手続きをアップルケアにとったのだが、これが30分もかかる始末。どのような内容でしょうか?からはじまらないものだからどうもおかしい。名前を言うと昨年の10月に登録... 、という始末。(PowerBook 400のことは電話口で最初に言ってある)いや、そうじゃなくって、昨年の6月...、とすったもんだの末、ACアダプターの交換OK(そのことの電話のはずなんだ)ということになって、これでいいのかな、と思った矢先、今度は保証料としてクレジットカード云々で、とくる。保証期間内だ!、と思わず怒鳴りたくなったが、とにかく頭に来ることしきり。最後には電源コードは断線していないか?、とまで聞いてくる。
 こっちは電話口で待たされた挙げ句、要領を得ないというか、靴の上から痒いところをカク、といったような感覚の受け答えだから、こちらが本当に大丈夫かいな?、と感じてしまった。こんなのなら、アップルケアも人気が無くなるようでならない。これからは完全なサービス体制も整っているショップからApple製品を購入した方がよさそうだ。
 それでも、すんでの所で間に合った、という安堵から一気にホームページの更新を行った。間違いがあるやもしれないが、折々に修正をするということでご了承願いたい。
 夕方からはSRを出して、永井モータースのK君にキャブの調整を再びお願いして、ちょいとテスト走行。なかなかいい。この辺りが僕流としての今のところの到達点かな、と思う。

2001年 6月 4日(月)はれ後くもり
 曜日、日曜日と割に忙しかったもので、とうとう昨夜は自分自身が悶絶状態になってしまってダウンしてしまった。特に昨日は午後アップロードを終えた後、SRの結果が出ていたもので、テストがてらにリモーションから取り寄せたリプレースマフラーを装着して走ってみたのだが、これが大失敗で。あらためて、ホワイトブロスのスーパートラップに対してのセッティングがフィットしているのを確認した次第。何しろアフターバーンが頻繁に出るし、排気温度が高くなるし、散々であった。しかし、思い出してみると、ノーマルマフラーに近いのは言うまでもないことだから、キャブを含めた吸排気セッティングを元に戻してやれば、なかなかいい性能を発揮するように感じた。「まっちゃんの趣味のページ」のBBSでも書かれているとおり、アフターバーンというのは単にガスが薄いだけではなく、排気されない未燃焼ガスの溜まりに点火後の火がついて起きる場合もあるのではないだろうか。もちろん、日暮れ前に、ホワイトブロスのスーパートラップに戻した。
 実のところ、今日も散々だった。何しろ落ち着いて机に座っていられない。忙しくはないはずだのに、来客が3件。アポイントなしの来客だから、準備も何もない。仕事が終わると、別用務の会議。実は明日もこんな会議がある。明後日は八幡浜へ出向くし、妙にざわついていて真に何とかしたい、と思う間もなく週末の全国一斉のオリエンテーリング大会の準備。日曜日は本番。おそらく、11日になって振り返ると、その時点であの一週間は何だったのだろう?、と感じるはず。未来が分かるような気がしないでもない(爆)。
 どうやら、今日で晴天も終わりのようだ。いよいよ梅雨入りも間近。当分は青空工房を開店できないのかもしれない。

2001年 6月 5日(火)雨後くもり
 朝方から雨になった。不思議な夢で目が覚めた。ちょいと不思議な夢を最近はよく見る。ペンギンが空を飛ぶとかの。そんなんで今日も目が覚めたわけだが、寂しいかな、誕生日を祝ってくれるのはPowerBookのシステムだけだ。
 1942年の今日のことばかり記すものだから、よほど拘りがあるのではないか、といわれるが、そうではない。現に講道館柔道の始まりが今日だし、黒部峡谷の第4ダムの完成日だし、結構いい日でもあるのだ。今日の花暦は「ハマナス」であるし、雅子妃のイメージでもある。しかしだ、ミッドウェーもそうだけど、池田屋騒動も今日だから、どちらかというと歴史上での転換期の事件が多く発生した日だろうか。ま、最近の今日は環境デーの創始日だから、できれば、いい環境を今後に継承していただきたいものである。
 夜、雨は上がった。昨日と同じ場所に月が出ている。昨日は雲がかかっていたが、今日のは雲は多いもののくっきりと月が見える。昨日の繰り返しのようだったが、時間がわずかに早いから、酒道場へ出向く。少しばかりのもてなしを受けた。妙に心がうれしくって、ようやく人心地ついた。
 家に帰ると、妻も息子もいない寂しい部屋でのんびりしている。テレビドラマDモード陰明師が最終回だ。こういった日に鬼が出るのだろう。その鬼は住民というが、宇和島ではそうではないようだ。

2001年 6月 6日(水)雨後くもり
 後八幡浜市の職員の方々との懇談のためで向く。なかなか楽しい内に終了し帰ってきたが、一部違うところはあるけれども、我々が抱えている問題と同じところがあるのにびっくりしたし、その土地土地ごとにある独自の問題などを含め、お互いがお互いを知り、意見交換するということを、もっと重視する必要があるのではないか、と感じた次第。
 昼過ぎにPowerBookのACアダプターの電源コードが届いた。何と航空便でだ。実はQuadra 700の中古を購入したとき、オリックスレンテックから航空便が届いて以来だ。まどこがどういった変化をしているのかは次号でお知らせする。それほど違う部分があるってことだ。
 が、Duo 2300cのアダプターを使っていたときは、出力関係でバッテリーの容量自体が不安で仕方がなかったのだ。が不調は不調、早速テストをしたが、完全充電までに37分、とOS X のバッテリー情報は教えてくれた。ようやく安心して使用できるようになった。当分の間、僕はこのPowerBoookを捨てたくないから、使っているまでのこと。このようなトラブルはG4のPowerBookでも起こっている事柄かもしれないのである。

2001年 6月 7日(木)はれ時々くもり
 雨入りしたかと思えばすぐさまこの天気。数日でも雨の後は梅雨の中休みか。昨日は八幡浜でのいい酒の席であった。大きく酩酊してしまって、傘を八幡浜での懇親会会場「ひょうたん」に忘れてきたので、仕事が終わってからSRを出して受け取りに行く。いい席の代償ではないが、テストがてらSRを出すことが出来る天気に感謝。先日の調整中のSRとは違い、なかなか気分がいい。帰りはどうやって傘を持って帰ろうか気になっていたが、シートに斜めに縛り付けて帰ることにした。とんぼ返りであったが、なかなか快調に走ることが出来た。
 アップル・サービスセンターから送られてきた交換パーツは昨日と同様、いずれも快調で作動しているのを確認したから、本日壊れたパーツを返送した。航空便で送られてきたものだが、送料はアップル持ちで期間が一週間だから、返送はトラック便だろう。この件は一安心だ。
 そんなわけで、少しばかり遅い夕食になったが、その後、のんびりとうわじま踊りの英語版の修正をしたり、PowerBookを使っての作業をこなすことができた。最初にPower Labに送ってから10日間、やはりサポート体制が弱いということかな。でも、ユーザーにしても少ないからこういった状況になるし、10日ぐらいはOKとする日数というわけか。

2001年 6月 8日(金)はれ
 のラジオニュースで震え上がるようなことを聞いた。容疑者と何の関係もない小学校に入り込んで、児童教師に包丁で斬りつけた、というのである。夕刻同様の事件が、8人死亡、ということを伝えた。その時点で振り返ると、サリン事件の時とよく似ている。あの時も、誰がどの病院に運ばれた、から始まったように記憶している。そして空からの映像に「どうして毛布にくるまれている人が多いのだろうか」ということを感じたのを思い出した。
 今回の事件は、本当に外国での事件のようでならない。どことなく憤りを感じる。しかし、いまだに事件そのものを納得できないんだ。水産高校の事故と同様に、児童達は、月曜日からの学校生活は本当に出来るだろうか、と思わざるを得ない。
 容疑者はどうなるのか、精神安定剤を多量に服用したらしい。そうなると起訴できない。容疑者は「何もかも上手く行かない。死刑にしてほしい」といったらしいが、どうして自分で死を選ばない!。どうして本当にこれから、という子供たちの命を奪ったのか!。
 すさまじい時間の経過がまたしても必要になる。そして、不起訴のままになるのではないだろうか。いや、起訴したくても出来ないんだ。本当に悲しい事件とか、そういったことでは済まされないし、容疑者の発言がことの重大さに対してあまりにもちっぽけで、亡くなった児童達の元気な姿が一瞬にして消し去られることなどに比較すること自体がダメなのか。うまく言いあらわせられない気持ちが当分は消えそうにない。
 そういった気分の中ではあったが、約束をしていたので、仕事が終わって松野町の仲間にMac OS Xのデモを行った。どなたもMac使いなんだけど、どうも今一歩Xには何か違和感を感じているようだ。パブリックβ版で僕が感じたことを今感じる、ということだが、β版のときは何かにつけてもっとすさまじかった。でも、僕はそこを経験して良かった、と感じている。いずれにしても、数回これを行わないとならない。数回でいい。松野町の彼らでも、「元に戻る」の矢印を間違いなくクリックしていた。通常なら、閉じるのキーを押して、シャットダウンと共にお終い、にしていたのだが、Xでは「僕も使う」という人でも、ログインをすればいい、というところまで行えた。
 が、どうしても従前のOSから離れられない様子。もぅ少しレクチャーを... 、と思うが、やはり、ここはワンパックライセンスを取得する方が本人にとってはいいように感じるのだが。

2001年 6月10日()くもり
 は降らなかった。今年も空梅雨なのだろうか。今日は三間で全国一斉オリエンテーリング大会だ。僕はスタッフの一人としてSRで出向く。今のところメガトラップの再テストを行っているが、どうも調子が良くない。そういえば、アクティブからの発表でスーパートラップの排気ガスの排出角度を変えたものが出る、とのこと。SSTもあるし、何というか、後方へスムースに排気を纏めるのはなかなか難しいようだ。
 夕刻近く、メガトラップをはずす。特性のクワイエットコアをディスク1枚分としてエンドキャップがステンレス1枚もののため、最終はふさがれることになる。そのためにディスクは9枚、排気スリットは8となる。大して影響はないと思うけど、ディスクの枚数で決定しても、排気のスリットは-1になるってことを知っておいてほしいものだ。こんなの小学校の算数に出てきたような気がする。そして単純なこのことが中学校の数学でさっぱり分からなくなるんだよな。結局、高校でも分からなくって、実社会に出て初めて分かる。学校教育なんてこんなものかもしれない。
 そうそう、今日のオリエンテーリングでも、今は家庭教育の重要さがひしひしと感じられた。12kmぐらいを歩くコースで時間の設定はない。小学2年生ぐらいの女の子だったが「もう歩きたくない」と言い放った。そばで70近いおばあちゃんが「普段から歩いていないからよ」と彼女に言っていた。もちろん、そのおばあちゃんもいっしょに元気に歩いているのだ。
 かと思うと、元気いっぱいで帰ってくる同じ年齢の女の子もいる。その子はお父さんといっしょに万全のスタイルで、着替えまで持ってきていらっした。そして、会場までの往復には自動車ではなく、列車の旅まで満喫する状況だ。
 学校の通学区域によってもこういった状況が出るのは言うまでもないことだが、やはり、ノンビリのようであっても、普段から歩くということの重要さは遠足が「近足」になった学校では教えられない。時に、修学旅行でパンツをはいたまま大浴場へ入ってくる児童生徒、調理でみじん切りを行う際、ハサミを使用する主婦。このようなのを僕はおかしいとは言わない。どうしてそうなったかを知りたいために、その家庭の二代前辺りに遡りたいだけだ。

2001年 6月13日(水)くもり後雨
 夕刻から雨になった。昨日はちょっとしたことをここに記載しておくべきだったのだが、仕事を休んでまでのダブルブッキングの用務をこなさなきゃならない。一日の終わりが翌日にずれ込むなんてことになってしまう。もちろん一杯引っかけてなどは含んでいない。
 その記載しておくべきことは、昭和37年の6月12日、マン島TTでホンダが125と250ccに初優勝した日。この日を境にして日本製のオートバイが世界へ認められることになるわけである。もう一つのエポックメーキングは、これまたホンダのCB-750の誕生だろうけど。F-1に至るホンダの「走る実験室」の一つの達成点でもあり、このことは記載すべきだったな。そう、マン島の初勝利はジョン・サーティースかもしれない。その後彼はF-1でRA300を駆って一段落としたままでフィニッシュをトップで駆け抜け、3リッター初の勝利をホンダにもたらすことになる。いずれにしろ人間くささがにじみ出てくるような時代であった。
 こういった点を逐次出していくと、僕としてはSRに乗ってらっしゃるユーザーは人車一体の世界、数十年昔の世界を享受しているようでならない。それが古くさい、という者は、僕からすると「無味乾燥人」として上げてもいいように感じる。
 振り返って、ウチの職場の職員、特に若い職員の中には自分は自分だけ、極論すれば、同僚でさえクタバッテも知らないヨ、で済ませるようなドラスティックな者ばかりのような気がする。これに反論を持つ奴は仲間から異端視される。結果からいえば後者が真の人間くささを持っているはずなのだが、それが分からない。職場の館は8階建である。信じられないかもしれないが、在職3年目の奴が、いまだにどの階に何という課があることさえ知らないのが大半なのである。たとえ、公務とはいえ、地域住民のニーズに応えるサービス業が主たる役目の仕事をする者とすれば、ダメ人間ばっかりだろう。市民ももっと言えばいいのに... 。
 仲間をつるし上げるつもりはないが、受け付けた地域住民の問いに大して、少なくとも内容如何によっては、どの課の業務でそれは何階にある。これぐらいの返答をすることは必須である、という僕の考えはお分かりになるだろう。ひとえに個人の勉強以外無いのである。

2001年 6月14日(木)くもり時々雨
 明というか深夜、またまたインラインフォーのバイクがワンワン言わせて走り回る。およそ走るルートは決まっているから、警察も噴かしたとした瞬間から追跡が始まる。数日前は1台のパトカーが2台のバイクを追いかけ、1台ずつを処理して終わったようだった。今日は追跡が始まってからしばらくして、静かになったと思ったら、救急車が来たので、雨に濡れた路面のこともあり、おそらくは自ら飛んだのではないだろうか。
 よく自動車とかバイクが悪い、と言われる。全くそのとおり、と賛同される。本当にそうだろうか。僕は乗り物に欠陥が無い限り、それをさわり、コントロールする人間が悪い、と最近つくづく感じだした。ずっと昔、日本の自動車がアメリカを席巻したとき、ずいぶんとバッシングされたが、自動車を傷つけたりする行為をやったが、何の罪もない自動車はいい迷惑だ、と今さらながらに感じる。
 そういった中、自動車が燃える火事から朝は始まった。話題にもならないかもしれないが、こんなことでも気にかかる。ここから延焼するとこわい。化学消防車が出る始末だ。僕のように火事も経験しないと、その怖さが分からないであろうな。今の時代では「無」に帰する最も簡単なものだ。未だにレコードは元通りのものをそろえることが出来ない。
 何かすっきりしない天気と同様、気分よく仕事できない職場をサッサと後にしたはいいが、気分は決して良くない。そういった顔をしているのだろう。うつむき加減で引きずるような足取りで帰ってきた。
 早速、小泉総理のメルマガ登録をして、「(株)松本」のメールからJedit4.0.8のアップデートをダウンロード。アップデートして、かなり良くなっていることをOS 9.1とOS Xで確認した。実は先日、双方を切り替えて使うとき、登録をその都度行うことを何とかしてほしい旨、メールを出していたし、その返答をいただいてのアップデート、本当に見事である。
 ちょっと浮気心が出て、古いWin版のノートを購入しようか、と考えているところでもある。「金持ち父さん、貧乏父さん」でも記載されているとおり、不況の今がチャンスかもしれない。反転させる強い意志があるかどうか、これは本を読んだだけではできないことだ。このテの本はマニュアルではなくハンドブックとして、日々の生活で活かすべきではないか、と考えるのだが、いかがであろうか。

2001年 6月17日()はれ時々くもり
 昨日はクワイエットコア装着とクラッチレリーズのカムシャフトからレバーを削り取ったりして、酒道場で一杯やって、少々気分良くなって前野寿司まで出向いて、そこにいた同級生とともに羽目を外して大散財してしまった。今日は二日酔い以上にその「金」の面で頭が痛い。
 一日中家の中にいて、外の風景を見ながら、時間の移り変わりを見ていると、どことなく季節を感じ始める。11時前のじわじわ暑くなってくる時間、午後の物憂い時間、フランスではル・マンのゴールが近い時間だ。日暮れ前の風の吹く、梅雨の中休みとは感じられない時。夜は夜で、流石に今日は酒はほしくないが、涼風が心地よい。そういえば、クワイエットコアは成功したが、土曜夜市で少しばかり頭に来たことがあって大散財したのではなかったか... 、と。
 何にもすることもなく一日が終わる。明日午後から天候は崩れる、と予報していたが、しばらくはバイクもお休みだ。そういった意味からは、クワイエットコア装備で、ようやくSRも自然に乗れるようになったのはよかった。次の改造であるカムレバーがうまく行くと、もっと乗りやすくなる。実はマグラのセミ油圧クラッチが装着できそうなんだが、SR用ではないから位置合わせからやらないとならない。これが合う、ということなら取り付けてみたい。
 が、また疲れるような一週間が始まる。

2001年 6月19日(火)くもり一時雨
 はっきいって「酔ってま〜す」。こういったことはできないいまなのに、ダメだな。しかし、向こう22日からレンちゃんで酒の席を過ごさなくてはならない。特に22日、24日は宇和島外での酒の席、しかももう一方の自分の世界を背負わなければならない。人から見れば「アンタが代表で」とはなるが、実際はそうではない。僕を助けてくれるブレーンなんていないんだ。したがって、この両日は孤軍奮闘の席となる。杯は受けねばならぬ。それで、200人ほどを代弁しなくてはならない。辛い立場だ。
 僕はこんなのは自然ではない。それより今後、僕たちの職場がどういったことになるのか、現在職場での昼休みの集会を実施しているが、こんなことは意に介さず中央政府の命令で、右向け右になってしまうことが辛いのである。
 ほんの些細なことが、ことの雌雄を決する。同僚の中にもそういった輩がひょっとしているかもしれない。そういった、職場全体を取り巻く環境に不安が隠しきれないのに、どうして、こうも残業残業が続き、その職にあるものは、本当にパニックにならないのか、が今持って不信の域を抜け出られないのだ。
 おそらく、痛いほどの罰を受けたものが帰ってきても、周りはその当事者が関係ないところでその考えを受け入れられていることに至上の喜びを受け入れているのかもしれない。間もなくSストアが並松から撤退、ということも噂で伝えられている。
 一般の商店街でもこういったことは起こっている。そろそろ自分の周囲を固めないとならない、と感じているのは僕だけではないように思う。

2001年 6月20日(水)雨後くもり
 日記載したことのとおりに事が運ぶ、かに見えたが、後味は若干まずいものの、少しばかりいい方向に進みだした。毎日気が滅入る。何とかならないものか、というのが偽らざるところだが、中央政府に右へならえだから、今後どういったものになるのか、我々の次はみなさん、一般市民に負担がかかってくるんですよ、ということをまだ知りゃしないのが実情なんだ。
 そういえば髪の毛もずいぶんと伸びた。ちょっとのんびりして床屋・東京へ散髪に行く。いつものパターンだけど、しばしの間、毛ぞりと調髪の時間を満喫する。仕上がり前の己の姿を鏡で見ると、若作りだけど、歳は隠せないな、と改めて感じた次第。
 散髪で少しばかり気分が良くなって、メールの確認をすると、これからTriumphを購入しようとしているJimaさんから、メールが入っていた。少しは困難な面が出るだろうけど、1968年近くのモデルだから、33年前のバイクで、入念な整備をされたものを100万円ほどで購入だから、一般人が考えると「正気か?」と思われるかもしれないな。いくら申しても分からない人にはこういった楽しみの分野はわかりっこない。明日仕事をやれば、22日からは仕事外の仕事(?)でお酒の席が連続となる。23日は同級生とビアガーデンだ。ビアガーデン用のビールの蘊蓄を一発やりたいところでもある。対ジョッキ一杯のコストを知ると個人の支払う金額が... 、これは止めておこう。

2001年 6月21日(木)雨後くもり後雨
 っていた時間が仕事の時間という、ついていない夏至の一日であった。午後7時半頃が日没ではなかったか、間もなく季節とは裏腹に秋がやって来ることになる。夏に至って秋とは何事ぞ、と言われるかもしれないが、今月の末ぐらいになったとき、日の出日の入りの時期をよく見ておいていただきたい。短期間では気にもならないことでも、間をあければ時間の経過は確実に感じられることなのである。
 夏期休暇の取得方法で少々職場の理事者にモンクを言ったことから今日は始まった。何もかも全く後手後手に回っている自分がナサケナイ。と、同時に、トップの理事者も一般職員の多くの声は無視しなければならない現状なのかもしれない。とりもなおさず、その中間にいて、とりまとめをする職場の職員が「浮いている」とみなさざるを得ない。今までになかったことだ。
 退庁前には職場の懇親会の文章が回ってきた。幹事のことはとやかく言わないまでも、回覧の文章を見た途端に、「こりゃダメだ」と即断した。通知内容は、改築でお客の多い「N/H」のビアホールで職場の懇親会をしたい、というものだ。これはこれでいい。が、時間は90分、金額は男性3,500円也を見て、「こりゃダメだ」と判断した次第だ。
 その前の週に、うちと別の職場との懇親会を企画したとき、僕も「N/H」のビアホールを挙げた。しかし、その計画以前に、「N/H」でやった方々の話を聞くと、内定の金額では収まらない、というものだったので、今回はビアガーデンにしたのだが、そのことが頭をかすめたし、大半の職員は二次会へなだれ込むのは目に見えている。最初からの大まかな予定金額だけでは終わりそうもない。
 ま、そういったことで、「懇親会」ということをメインとすれば、安く上げることも幹事の役目だろう。今回の幹事は我々がサゼストしても聞き入れることはないようだ。
 思わずグチっぽいことを記載したが、こういった奴が上に対しての受けがいい。たとえ、シャンシャン会議にしても十分に根回しをして、なおかつ本会での意見交換を十分出来るような手配をする者は妙に嫌われる。不思議な世の中だ。

2001年 6月24日()くもり後はれ
 は雨こそ降らなかったがムンムンする。外より家の中の方が涼しいという始末。これには参った。この蒸し暑さのために動く気がしなくって、午前中はじっとしていた。また、昨日、Mac OS X(10.0.4)のアップデートを行って、クラシック環境がかなり良くなったことを確認して、この日記もその環境でタイプしている。いずれ記すことにしたいが、そろそろOS Xも動き始めたように感じる。この新しいOSを使い勝手が悪いの何のって言う輩がこの辺りでは多いが、そういったのに限って「X」をインストールしていない。ますます頭に来る次第だ。
 午後からは所用で松山での懇親の席に出向く。席についてビールを飲んだとき、昨日までのビアガーデン用のビールを飲んだときと違って、妙に安心した気分になった。これは皆さんご存知だろうが、発泡酒ではないビアガーデン用のビールってものがあるんだな。グラスを冷えたものに換えれば不味さが分かる。サーバーから注ぐのが難しくなり、ウエイター、ウエイトレスを困らせるだろうが、最低でもジョッキ1杯目はあきらめて、そのグラスで2杯目を飲めば少しは美味しくなる。ビアガーデンは行われていないことだろうが、キリンのビールを使用しているのなら必ず3度注ぎで、アサヒ一気注ぎ、これは基本だ。
 僕の私感でビアガーデンのビールを言うと、この辺ではキリンのビールよりアサヒのビールの方が美味い。その気分で酒道場で「生中」という中ジョッキでやると、うまさが際だつ。決してそこがサントリーの「モルツ」というわけではない。
 見たくもない都議選結果から、今後の日本はどうなっていくんだろうな?って感じてしまった。じわじわとコワイ波が押し寄せてこよう、としているのかも... 。やはり、国民全てが重荷を背負わされる時まで分からないのかもしれない。その時になっては遅すぎるのだけれど。

2001年 6月28日(木)くもり時々雨
 明日は夏期一時金の支給日だ。心なしかうれしい。偽らざることだ。しかし、山の(女)将が手ぐすね引いて待っているし、プータローの息子の補填、自分のローンレンジャーを考えると手取りの2/3がそちらに行ってしまう。おまけに、固定資産税などの税金がぶっ飛ぶから、自由になる金額は吊しのスーツ一着の代金にもならない。
 そういった一時金の性格をかろうじて保っている中で、僕は少しの金額を遣おう、としているのだが、どことなく遣う目的がないのである。いつになく不思議なことである。
 さて、大きく心を痛めたことも今日でケリがついたようだ。結局1週間毎日のように酒を飲んだ。おまけに暑さで眠られぬ夜が2晩ほど続いたものだから、若干涼しくなった昨夜はぐっすり眠ってしまい、未明の火事も気が付かなかった。ケリの着いた問題とともに、精神面はずいぶんと楽になった。が、身体面はどうも25時間の体内時計が支配しているようで、どことなくちぐはぐなことをやっている。これは来月に入って、休日が晴天となるまでは、どうやら続きそうな気配だ。
 久々にコヴェントリーの清水さんに電話。ホント、久しぶりなのである。SRも少しずつ快調になってきているし、トライアンフに至っては快調を通り越している。いつ何時でも、数回のキックで目覚める。こんなことで「助け船」のようなお願いの電話ではないから、いい気分なのに、気合いが入らない。ま、意識の中には「オートバイ」が存在しているのだから、これはこれとして「よし」としよう。しかし、キックを踏み下ろせなくなったときがバイクを下りるとき、と以前から決めているのだが、最近ではセルフスターターが付いているから、たとえ70歳ぐらいでも、今流のレプリカモデルに乗っていたりもする。
 そうなるように、今から精神・身体を鍛えなければならない。事実、このままではGaiya On The Roadが踊れない。踊ったとしても牛鬼ストリートで足がもつれてブザマな姿をさらすことになりそうだからである。
 万難を排して取り組まなくてはならない。それにしても、この雨模様の天気が何とかならないかな〜。


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