2002. 4. 1〜 6.29までの日記

2002年 4月 1日(月)はれ
 常に珍しく年度初めが月曜日になった。いつものように職場では新規採用職員がやって来るのだが、今年は異例ともいえる少人数だから、妙な気分での対応を取らざるを得ない。どうなりますかね、これから... 。
 昨日出したトレーニングパンツの裾上げが出来上がってきた。何ともJASPOのサイズ合わせなんだが、どうも上手くフィットしない。僕自身の股下の寸法が短いだけに過ぎないのだが(爆)これで今年の僕だけのユニフォームが出来上がったわけだ。
 20日、21日のBritish Runの会費は「みずほ銀行」の状況が悪く止めにした。明日ぐらいに確認してもらおう、と思っている。こんなことなら早いとこ送金しておくものだった。いつも後の祭りだ。
 金銭にまつわるものとして、息子の国民年金保険料が1年分纏めてゴッソリと送られてきた。もちろん、宇和島市の担当課の仕事は軽減されるが、1年分纏めて送られてくると何となく味気ないものに感じてしまう。何でもかんでも口座からの引き落とし、電子メールの横行など人間の介在は一切ないように感じられてならない。もう少し人間の仕事の部分が感じられてもいいように思う。
 さて、時として三間町が宇和島市といっしょになる、と言われて僕は閉口してしまう。すでに合併を前提の話ではないか。当の宇和島市では説明会さえも開催されていないのだ。上層部だけが回っていて、下々には全く知らされていない重要問題なんだが、後3年を残すのみなのにドーナッテンダロー?。

2002年 4月 3日(水)くもり一時小雨後はれ
 うやく一段落という気分ではあるが、何か中途半端な気分でもある。職場は職場でバタバタしているし、どことなくウキウキしているようなところ、これからどうなってしまうんだろう、という職場など、どうも気分が落ち着かない。
 夕方から久しぶりに市内を歩き回る。何処といって変わりはないのだが、それでも一心不乱に歩き回ると、結構な時間が費える。本来なら1か月後の朝霧湖マラソンを目指してのスタートなんだが、一向に走る気分にならない。そういった中ででも歩くことから少しずつ走る行為へ移す方向で疲れを残さないようにやらねばならない。この辺の塩梅が難しいところだ。今日も5kmのコースを想定して登りを取り入れたが、さすがにフーフーする。登って下りになると歩くだけでさえ膝がガクガクくるのである。何ともナサケナイのである。PUMAのド派手目なトレーニングスーツだが、このスタイルには少々目をつぶっていただこう。フライスの襟、袖口、裾のトレーニングシャツなんて相当に少ないのだから。どうしてもトラディションな考え方が先行する。強いて言うと保守なんだな。しかし、スタンドカラー一辺倒なのもどうかしている。
 この方も中途半端だが、www/Grid No.37をようやくアップデートすることができた。SRの関係を少々加筆した。写真入りだが、こういった方向付けの方が来訪者には理解しよいのかもしれない。どうしても文章だけでは表現が難しい面もあるからだ。

2002年 4月 5日(金)はれ
 にいい天気だった。昨日は職場の歓迎会。これが大層盛り上がって大酒を喰らい、少々酩酊気味で朝を迎えた。そのためかしら、ずいぶんと頭が悪い。頭が病気なんだ。薬ったって特効薬なんてありゃしない。こまったもので、午後5時がちかづくと一杯やりたくなってくる悪い癖だ。しかしながら僕のスケジュールをこなさなくてはならないから、心に鞭打って本日は1時間半程度、大宮町から天神小学校に行って坂を下りて、丸山を登り、駅前から国道56号線を通って帰ってきた。
 丸山の運動広場で盛んにダッシュしている方を見つけたが、走る前のジョギング姿では速そうなのに、いざやると身体がコチコチでスピードが全く出ない。いっしょにやろうか、とも思ったが止めにした。僕自身が本格的に高校3年間オールラウンドなアスリートを目指してやってきた成果だろうか、どうやったらいいのか、自分の姿が自分で分かることが出来る故、今でもマスターズ陸上でやれるし、丸山で見かけた方に批評なりサゼッションもできる立場に居られる。いっしょに走っても僕の方が確実に速いと確信できる。
 帰って一息ついた後ライムハウスからのレコード通販リストに目を通す。そこにコンパクト盤のEPレコード・ビートルズの「アンナ」を見つけた。残念ながら歌詞カードなしのものしか在庫がなかったが、国内(東芝)編集のコンパクト盤はこれで全て揃った。実に十数年かかってしまった。目出たし目出たしである。ここでは金額のことは言わない。言ったところで「バッカみたい」といわれることは間違いがないからだ。
 と同時に激動の平成14年度最初の1週間が終わろうとしている。ウキウキ気分より疲れた気分の方が大きく支配してしまっている。「スタミナ付けて」と言わんばかりの妻の創る夕食がごちそうであった。

2002年 4月 8日(月)はれ後くもり
 の8時前からトンだお客がやってきて、応対するにも的が定まらず、相手は「私の心を開かせるに至らなかったから、結構です」と言い放ち、それで結局応対できず、あまりのムシャクシャさに、しばらく外へ出ていた。始業前に戻ってくると、カウンターの前を行きつ戻りつしながら、ここは何の、あそこは何のと大きな声で言いながら、動物園のチンパンジーのように... 。
 戻ってきた僕を見つけるなり「先ほどの方、病気が治ったようで... 」と言いやがるから、こっちもこっちで「まだ何かございますか?」と聞き返してやった。そしたら別のことを言うものだから、「それは私の専門分野ではありませんから、そちらで問い合わせをお願いします」と返答すると、そそくさと次のところへ行くではないか。完全に頭に来てしまった。
 その人は男ではないよ。れっきとしたイイお家のオバサマなんだ。最初に応対した総務課の方に聞くと、私も彼女の心を開かせるに至らなかった者です、というではないか。彼も頭に来ていたのだろう。それに、どうも7時半頃から1階でわめいていたらしい。どうも情緒不安定者のようですね、というのが彼女の最終目的か所の担当者の意見であった。困ったものだ。
 このことがあって、1日中気分がすっきりしなかった。市民なら許すことが出来るが、市民ではない。資産が宇和島にあるだけの人だ。余計にムシャクシャしてきたわけだ。
 明日は夜に松山、10日と11日は東京だ。普段のことが何も出来ない。こういった状況が続いて「五月病」になだれ込むのではないだろうかな。

2002年 4月14日()はれ後時々くもり
 京から帰って何にも出来ない。やろうとしていることと実際とのギャップで、金曜日は重要な会をすっぽかす始末。税金6万円ぐらいを棒に振ることは出来ない。そのための措置だから、市長も許してくれるだろう。新人さんを2人も抱えて、専門の係は居ないわけだから、僕の撮った行為そのものを批判されようと、これがリザルトだ。
 土曜日は、一日中トライアンフにかかっていた。主にスロットルワイヤーの点検と清掃。夕刻、ディトナのブレーキパッドが取り付かず、バカにしているのか、と思った次第。この件は少々「つれづれ」に記載した。結局これが本日の夕刻まで足を引っ張ってしまった。
 昨夜は郵便局のHさんと大激論を酒道場でやって、その手前、今日はよそうと思ったんだが、ディスクパッドの修正でのどがカラカラだったんで出向くことにした。そこで東京の八十八か所参りのご夫妻に対面して地酒のことで、とうとう1時間程度市内の旧名所を案内する羽目になってしまった。でも、僕も初めての経験だったが、「宇和島のこれ、というところはありますか?」に対しては、「何もないところがいいところです」と答えた。
 午後8時だが、商店街は人っ子一人いない始末。そういった中でだから僕も観光云々の前にそう言わざるを得ないのである。今日のご夫妻はそういった点、知人に宇和島へ所用で度々来られていることから、一度宇和島へ、という気持ちがあったために少々救われたが、実際に市内の地形とか、何処に何があって、戦前の状態はこうだったなど、そういった多角的な面で宇和島を語れる方々が一体何人いらっしゃるのか、不安の方が多いのが現状だ。

2002年 4月17日(水)雨後くもり
 日ヘトヘトになって帰ってくる。そういったそぶりは一切見せないのだが、自分では帰宅して何かをやる、という気力が最近無い。昨日は少々ム〜ンとしていたが、思い切って歩いて走った。距離にして4kmほど。走ったのは1kmぐらいだが、両方の腿が痙攣しそうになって、ランは止めにした。それなりのペースで1kmを走ったが、続けたい気分はあるも止めにした。後がコワイのである。オーバーワークはよくない。そういった意味も含めて今日はウォークのみとした。
 SR-Westからパンフレットが来たが、何となく違和感を感じる。こういったパンフレットに出ているパーツを取り付けたりするのに最近は嫌悪感を感じている。特に補強を度外視したようなパーツが多いのに閉口してしまうのである。写真ではカッコイイが、実際に手にするとステンレスのポリッシュがいい加減だったり、一部エッジなどで手を切るような場合も出てくるのである。SRぐらいのオートバイは確かにベースが古いけど、リアフェンダーがフレーム後部の補強を兼ねているなどを知らない輩も一杯いらっしゃるんだろう。
 そういったことを含めて、SRを通してどことなく親近感を感じているOchaさんのページへリンクを張らせていただいた。日記などは僕よりよほどまとまりがいいように感じる。一度訪問をされたい。
 最近、出勤中、あるいは帰宅中に「ここまでよく生きてきたな〜」と感じることが多い。未だに仕事は第一線、僕より年少者がポジションが上などのヒガミなどは言わないし、一般職で50の齢を越えても若者と意見が合う方が、僕としても若さを保つことに繋がって好ましい、と考えたりもするが、やはり「どうして生きているんだろう?」など、おかしげなことを自問自答したりもしているのである。ま、自ら「死」を選ぶようなつもりはないから安心だが、僕が明日死んだらどういったリアクションを周りがおこすのだろうか、などと考えていたわけである。

2002年 4月19日(金)はれ
 い天気だが、何をやってるのだかさっぱり分からなくなってきた。一昨日辺りから、天候の件でイライラしている始末。おそらく、明日は朝からの雨になりそう。その中British RunにTriumphで行けるかどうか不安になって来始めている。ディスクブレーキのパッドの件はどうやら片が付いたが、エアフィルターの信頼性、電気的な面など雨天時の不安が拭い去れない。ま、このオートバイを購入したその日も冬のどしゃ降りの中、高知から宇和島まで搬送したのだから、そう気がかりでもないわけだ。一応の準備は整えて、今日のところは終了とする。しかし、信じられないような青空であった。
 こういったこともつかの間、昼から松山へ会議に参加する予定にしていたのだが、どうしても離せない用事のため欠席とした。おまけに知人の葬儀の連絡に走り回される。ま、仕事が仕事ではあるが、極度な人員減と多極化した課の設置など、理事者思うようには進まない。
 こういった中で、やれ手当を削減するなど平気で実施しようとするのだから、職員が仕事をする意欲なんぞ湧きゃしない。トップは自身が在職した民間企業のことを楯にとって「民間ではこうだから、官もこうするんだ!」と言い張る。その逆は民間企業には一切言わない。僕なら「官はこうだから、見習ってみてはいかが?」と言い放ってやる。そのついでに「僕が社長なら、この際一斉解雇しましょうかね!。その上で改めて新しい給与体系でやりましょう」と言ってやる。決して冗談じゃない。市内の企業は上に厚く下に薄い体系が歴然と残っている。会社は潰れてもトップはのうのうとしている。これが現実だ。
 厳しい、厳しいという声を聞くのはいつも一般職からだけだ。トップが厳しいと言ったところで、自分の給与を下げるなどの手配をするかどうか?。どうも、ここんところの逃げ道のようなものが完全に整っているような気がしてならない。

2002年 4月22日(月)くもり
 しばかり昨日と一昨日の疲れが残っている。そういわれれば、1日6時間の走行を2日間行っていたことになるわけだから、気分のいい疲れとしておいてよかろう。
 2日間で少しばかり気になっていた気になっていたトライアンフのキャブレターの件だが、本日触ろうとしていたにもかかわらず、仕事のために休暇が取れずオジャン。ま、今日は天候も想像以上に悪く、土曜日は天気が回復しそうだから落ち着いてからにしたい。ものの20分もあれば作業終了だが、やはり確認テストはじっくり行わなければならないから。この件が終了したらガソリンタンクを塗装に出すこととする。もはや、1976年当時の塗装は今のガソリンでは表面を侵してしまう。それほど強力なんだから。
 久しぶりに各職場を丹念に見て回る。仲間は少々イライラというか、仕事に追いまくられている様子で、声をかけたくない気分になってしまう。職種の違いもあろうけど、管理職も一丸となって毎日の業務に対処しないと、職場の機構そのものに内部崩壊がやって来るのではないだろうか、と金曜日のことが頭の中を走り、思わず考え込んでしまった。

2002年 4月25日(木)はれ時々くもり
 から何やってんだか分からない。しかし、仕事の方はようやく落ち着いて出来るようになった。4月1日の人事異動から25日、実稼働日数19日、慣れないというのは分かるが、いずれにしても初めての職場という僕の相棒でも、そこそこはこなしている。僕が異動したときでさえ、そんなに苦労することはなかった。要は、職場一丸となって対処しているかどうか、ここんとこが重要なんだ。決して上司がどうのこうのではい、というのが僕の持論で、ここから逸脱すると、この連休を前にして、鬱状態になってしまい病気になる仲間も出ないとは言い切れない。
 先日、神戸のケミカルシューズメンバーが高機能のナースシューズを開発して、それを知った僕はそのシューズを妻にプレゼントしてほぼ1か月後の今日それとなく使用感覚を聞いてみたのだが、なかなかの結果だった。特に甲革がオックスハイドなんで、足入れのスムースさが違うらしい。そして疲れないインレイソールと相まって、少々重いが疲れが違う、というわけだ。
 定価が6,900円だ。他の看護婦さんはにどうだろう?と聞くのだが、返った答えは何と「値段が高いから買えない」ということだった。アレッ?、僕はね(女性ばかりではないけれど)ナースという仕事を日々行っているプロフェッショナルとしては、ご自身の管理と患者に接する仕事に対して少々間違ってやしませんか?と言いたいんだ。なぜって、自分の通勤シューズなどには1万円以上のものをたくさん持っているにもかかわらず、本格的なナースシューズは高い!。プロとして高機能ナースシューズの値段がが高いというこの考え方れはおかしい、と思うのだがいかがであろうか。
 後日、Shop Schuneiderに製造元を記載するので参考にしていただきたい。もし、看護婦さんがこの一文を読まれれば、一体どんなシューズなんだ?とおそらく興味が湧くはずだ。陸上競技やっていて、ことさらシューズのチョイスに蘊蓄を持っている僕が「これだ!」と思い、その時には発注の電話をしていたのだから。

2002年 4月28日()くもり一時小雨
 昨日のテレビドラマERを見ていて気付いたんだが、宇和島の場合はもっと画一的で、患者の言い分なんか聞き入れてくれない、ということが今の市立宇和島病院の運営方針ではないだろうか、と、ふと考えてしまった。
 今日は朝からの曇天、ただし、雨は一向に降らない。そういった中、たくさん意見というかサゼストというか、多くのものを僕は得た。まずは、朝、SRのマフラーをリモーションのオリジナルのものに変更した。そう、こうやって記載すれば、「あ、また何かあってマフラーを変更したんだ」と思われるに違いない。しかし、そうではないんだ。確実にWhite Brosのスーパートラップシステムはそれなりの性能を披露してくれた。それはそれでいい。しかし、その音量からして、コストパフォーマンスは本当に取れているのかどうか、SRのモデル年と比較しても、早々納得できない面もあった。というのは、最初のVMキャブ付きのままでリリースされていれば、その性能は確実に分かるはずだ。今ならFCRとかTMRを装着すれば... 、としても2000年モデルまでは過去のモデルだから言っても仕方がない。
 そういえば、松山の市議会議員選挙がようやく(29日の)午前2時頃決定した。まずは選挙事務だ。これって、一体どの程度の費用が必要なんだろう?、と考えたことはないだろうか。地元の選挙関係者に推挙されて、当選して地域住民と行政に関与して議員活動をやってらっしゃる方が何人居るのだろう?。その関係職(議会関係)に就いている方の立場としては、僕としては何も言えるものではない。もっともそういったものを包括する職にある僕は大いに出ることが出来ない状態になってしまっているのである。
 しかし、選挙費用もかかるし、議員報酬など、巨額の費用が必要なのは間違いない。が、それに見合った活動を本当になさっている方は非常に少ないのではないだろうか。この辺のところが僕は「闇」ではないか、と考えざるを得ない。議員の活動報告として、月報ぐらい出させるべきではないか、とも考える。

2002年 4月29日(
 つもどおりの朝なんだが、未明に起きてしまう。松山市議選でサポートしている方々が全員当選しているのを知る。少々昨日の日記を修正して、また眠り込んでしまった。起きたのは6時近く。そこからは天候との勝負。今になって安心したが、雨は小雨程度を感じただけで助かった。
 明日(実際は本日の夜)アップする分を職場で仕上げる。これで午前中が飛んでしまう。しかし気分は悪くない。
 午後、いつものコースにSRを走らせる。不思議なことだが、またぞろ「下りたくない症候群」の症状が出てきて、SRから下車するつらさが支配した。それほどいい状態なんだ。決して速くはないし、ごく一般の使用では過不足ない。メーカーからのストックのSR500とは大きく異なる、という僕流の好みで仕上げていることがようやく現実として分かり始めた。
 400ccとはわずか100ccの違いではあるが全く別物という感覚が大きくなって来始めた。今までは排気音の大きさなどからすぐに分かったんだが、実際に500ccが発売されていない中でのこと、何ともいえないが、2台が並べば全く違う諸作道に400ccライダーはびっくりするのではないだろうか。

2002年 4月30日(火)くもり時々はれ
 うやくのことでマクロメディアからFree Hand 10が送られてきた。アップグレードだから3月末までに申し込むように、という指示に従った。受付のメールが届いたが、いつまで待っても来ない。そのうちに振り込みよろしく!という通知と送金表が送られてくる。当然、別会社が代行しているわけだ。で、結果からすると、入金確認次第送付する、ということなんだな、と理解できた。はっきり申し上げると、それならそうと、受付の時点から知らせてくれていれば、そそくさと送金するか、カード決済にしていたのに、何か割り切れない気分になってきた。
 OS Xではすぐさまインストールできたが、9.2ではどうも上手く行かない。今確認しているが、原因が分からなければ電話でモンクを言わなければならない。理由は簡単だ、オンライン登録も上手く行かない。記載事項に間違いはないのだが、前がパスワードが必要ないときの登録だからEメールから記載するとアドレスが二重になってます、と来るものだから修正のしようがないのである。
 最近はセキュリティーなども厳しくなったから起こることかもしれない。そういえばQuickTimeの件で二重登録になったことがあったが、Appleではすぐさま対応の用紙がFAXで送られてきた。こういったところがマクロメディアにあるかどうか... 。
 何気なく見たNHKの東京小岩駅周辺の放置自転車を何とかする、という命題での何とかコロシアムという番組、これはなかなかおもしろかった。少し前のニュースで、自転車も違反したら高校生には容赦なく反則切符を切る警察官を見たが、やはり、やるときにはやる、そのやり方は先進地域を参考にする、という方向でなければならないのがよく分かった。が、現実に目を向けると、そういったことすら出来ない状況が今の宇和島だ。商店街など夜は通りたくない。日中もキリスト教団の方々がしつこく話しかけてくる。一日に数回の時もあった。少し前にやられたことを忘れるぐらいか。最近は少なくなったが、スケボーの若者は相変わらずだし、辻占も「お前さんには見せたくない」という奴が一人いるし、大方は商店街連盟が大同団結して午後8時までは店を開けておくぐらいのことをすればいいんだ。午後6時半で締まる商店街って、何かおかしい。そこは日中は自転車の山だろ?。延々と駅前まで続く始末だ。
 いつも、ふと思うんだが、この街を捨てて、別のところに家を借りて通勤したい、と感じることもままあるこの頃だ。

2002年 5月 1日(水)雨後くもり
 日のFree Handのインストーラーの一件は午前中一杯をかけて、OSのインストールし換えという大胆な手法を採って作動確認が出来た。全く人騒がせな面があるが、OSそのものに関してどうのこうの言わせていただければ、9.0.4から全てを始めるのではなく、9.1から始めていればこういったことにはならない(のではないか)という結論に達した。この現象はOS 8の時代にも存在していた。あの時は新規インストールしてほしい、とのことだったのでよかったが、今回は多くの面でOS Xとのパーティションを切ったハードディスクのスイッチングで使用することになるから、こういった現象が出る要因の一つなのかもしれない。ま、マクロメディアの対応はアップグレードの方法だけ不満、ということにしたい。
 いきなり昨日の続きになってしまったんで、肝心なことを忘れてしまっていたが、本日はメーデーだ。どうもこのメーデーは労働者の祭典という関係から社会主義の国々で興ったとされているようだが、実はアメリカの労働者が8時間の労働時間にしてほしい、と要求を掲げて1886年5月1日に立ち上がったのがそもそもの始まりだ。「公務員」ということを律儀に受け取って、本当にこれでいいのか?!というところには一切目を向けずに在職期間中メーデーにも一回も参加しない輩が僕の職場にも増えて来始めた。少しばかり「公僕」とかいう古い考えで洗脳されているのではないか、と思うのだがいかがだろうか。
 本日は僕らのメーデーではデモ行進を中止した。室内でのささやかな集会だったが、今の民も官も含めた勤労者をはじめ、子供から年寄りに至るまで、小泉君は意地になって何とか改革を... 、と思っているようだが、どうも利害関係がそこにあるようでならない。
 フランスでもそうだが、「極右」が出る世の中ほどコワイものはないんだ。日本の極右は今のところなんにもアピールしない。不思議な世の中だ。今の日本ででも、一時期であれ「右」の政治勢力が必要なんだ、と多くの国民は感じていやしない。
 もっとも、有事立法なんざ、それこそ国家総動員法になってしまうのではないか。国家非常事態になって、日本の向こうのところから攻撃を日本はモロに受けると思うか?、そんなものなど一切ない、というのが多くの国民の持っている気持ちではないだろうか。
 そういった物事を考える輩の考え方を変えるのが先のはずなんだが、残念ながら現在の政権を選んだ時は社会の状況がやや違ったんだな。そういった諸々の反動にフレキシブルに対応できないところこそ、改造しなければならないと思うのだが。

2002年 5月 4日()くもり時々雨
 は連休中ずっと仕事だ。透析関係の職だから、致し方ないだろうな。
 僕はといえば、昨日の朝霧湖マラソンでのことが少しばかり頭の中に残っているためだろうか、早くから起きてメールの確認などから始めてしまった。そのメールの確認の中で、恐ろしいとも上手いやり方かな、と思う英文の手紙があって、辞書を片手に読んでいたが、一気に削除してやった。どうやらアドレスの終わりが... or.jpとなるサイトへはこの手のものが配信されるようでならない。
 戦争回避に役立てるため、ある国からブツを運び出すのにゼニがいる。合法的かつ誰にも知られないようにやりたいため、それを検討中だ。貴方にも協力していただけると信じてこの仕事の内容などの資料を送るので、さしあたって5%のゲンナマを送ってくれ!。急いでいるので電話はここへ。という内容だ。
 戦争とか、国名などの観点からユニセフを通じてのことかな、と最初は感じていたのだが、内容は上記のとおりだった。
 考えてみると、セキュリティーなんてアマイもんだな、と感じるし、受け取りたくないメールにしても拒否できない。こういった点がインターネットのメール関係では上手くいっていないのだろうな。送付側の僕も、ある方の言い分から、大半はテキストのみにさせていただいているのだが、添付書類がウイルスに侵されているので要注意、駆除ソフトにはこんなのがあります、という結構有名なところからのメールがつい最近やってきた。注意書きから確認すると自動配信になっている。半日かけて、何だろう、何だろう、と検討したが思い当たるところがない。最後に考えが行き着いたのは第三者のどなたかが、僕のHPに記載しているバナーをメールに添付されて次の方に配信された、と判断した。つまり、その方がウイルスに侵されていたのではないか、ということだ。
 少しばかりPTKを再度注意して使ってみることにした。今回はクリアーのスペシャルモデルだ。実はこれってエポックメーキングだが、キーボード側のコネクターの材質が変更になっている。このことに気付かなかった。今回、これを見つめていたところ、少々外に湾曲しているのを発見。それをゆっくりと平行になるように元に戻し、キーの取りこぼしがないかなどの確認をして取り付けをたところ、見事に作動するようになった。それとクリアーキートップなために感じるのかもしれないが、若干キートップの形状が変わっているようだ。
 ところが、オリジナルのキーボードではまだ確認をとっていない。正式リリースから1年間、なかなかいいものになってきている。いくらPower Book G4が800MHzのクロック数になっても、僕にはこの筐体のG3 Power Bookが使いよい。行く行くは500MHzの程度のいい中古を購入しておく必要がある。それに英語のキーボードとP.T.Kをワンセット購入しておかなければならない。
 バッかみたい、と言われる無かれ!。入れ込みではなく、僕の膨大なアナログレコードで二度と出ないものなどの個人的CD-Rメディアへの保存などでは、このPower Book G3の'00モデルがどうも使いよいのである。

2002年 5月 6日()くもり時々雨
 休も最終日、信じられないことだが、昨夜半、「もう少し調整してみては?」というような声を聞いたものだから、午前7時からSRに取りかかる。結局午後5時までそれを続けていた。結果はベーシックな面は出てきた。後は今後のお楽しみだ。
 そういえば、この連休は天候に相当左右された。晴天は昨日の数時間だけであった。別に恨むつもりは一切ないが、どうも、というか、今のようなゴールデンウィークってものが確立されたとき辺りから、僕はすっかりこの連休というものを利用して旅行などというものをやったことがない。先に言った天候のことが一番の理由だが、本来の理由付けは「行きたいところは人ばかり」という点にある。
 その逆として、毎年のように訪れる天候不順が無ければ、僕は一人でプラリとほとんど人が訪れないような湯治場を数カ所訪れるだろう、と考えている。家族にも誰にもどこへ行くことも告げず、気楽にお気に入りのオートバイで出かけたい。長年夢見ているこのことも、そろそろ足がかりを付けておかなければ、と考えている。
 そのように考えているこの連休だったんだが、今日は相当にSRに入れ込んだ。タンクを外したのが6回。テスト走行が5回。で、冒頭の時間に及んでしまった。やったことはメインジェットとパイロットジェットの数種の交換だけだが、30分以上のテスト走行を繰り返さなければ完全とはいえない。それ故のことだ。楽しみでもあり、苦痛でもある。こういったことを今のアマチュアはほとんどやらない。これは絶対にダメ。オーナーなり、ライダーなりははっきり言ってどうでもいい。それよりは間違ったことによっていたぶられるオートバイが僕は可哀想でならないのである。こういった「物」にも魂が宿るという心境、多くの人には理解が出来ないであろうな。暴走族にだって魂はあるが、その魂がないとされるオートバイ、四輪自動車には本当に魂はないのか?! 。僕はそれは「虚」である、と信じて疑わない。

2002年 5月 7日(火)くもり一時雨
 ろしいほど早く目が醒めた。別に疲れていることはないし、今日からの仕事に不満のようなものもない。ごく普段の日常の始まりであった。思い切って今日から半袖で通すことにした。
 職場に着くと相川らすの熱。そりゃそうだ、一日中付けっぱなしのOA機器の多さ、これによる発生熱がどれほどのものになるか想像できるであろうか。間違いなく大量の熱が出て、それを冷却するためのキカイの熱さえもいっしょになるものだから相当な熱というのは僕が言うもでもないことであろう。
 夕刻からwww/Grid 38をアップロードした。もう少し突っ込んでおけばよかった、というのはいつもながらのこと。今回もそういった考えに陥ったけれど、致し方ない、と判断して黙々とアップロードした。
 本日のプロジェクトXはホンダのマン島TTへの挑戦の一連のドキュメントであったが、こういった当時のホンダの社員のような方々は今の社員からは考えられないのおではないか、と思った次第。スタジオでRCの何番台か忘れたが、125ccのエンジンを回したが、ナカナカいい音であった。しかし、これはプレップする時の音で、特徴的なホンダサウンドは12000rpmぐらいで味わえるのではないか、とも思った。当時のレーシングライディングを見て稚拙、と思われた今の方々は多かろう。
 しかし、マシンと一体となってコーナー、直線を駆け抜けるのが当時の行き方だし、それをやらなければ勝てなかったのは事実だ。
 マシンが大型化し、タイヤのトラクションをかせいでコーナーを駆け抜けるなどをやるとなると、今のタイヤのように信じられないほどのファットなものになってしまっているのだ。これがいいかどうか、技術の進歩はあるにせよ、僕は一般のオートバイには必要のない代物だ、と考えている。

2002年 5月 9日(木)くもり
 れがこの辺の5月だ。決してウソではない。それほどの天候不順だ。はっきり申し上げられるのは、地形からして気温などが下がったときの冬の状況と全く同じなのである。そんなことはない!、とおっしゃる方がいれば、僕は一日中つき合ったりして教えてあげる。海に出るともっともっとそのことは理解できると思う。ま、こういったことも初代藩主の考えたことだ、とすれば、宇和島もアピールできる一面を持っている、と思うのは、自分が口とは違う真に宇和島を愛しているバカだかろうか。
 こういったこともあって、オートバイ関係は現在SRにリモーションのマフラーを装着して、こことここをこういったことにすれば何とかイケルのではないか、といったレポートを報告している。こことここをこのようにして、のバーチャルな世界をテキストエディタで(僕のハードディスク上に)記載して、「本当にそうなのか?」の確約を採るために、ますは僕が実際にやってみての結果を記載しているのである。
 こういったことをを記載しても(事実なんだけれど)誰も受け止めてはくれないかもしれない。逆に、そういったバーチャルでのことを、まことしやかに「本当のこと」とも記載している雑誌が意外に多いのにはあきれる。本来は、まことしやかにこのバーチャル記事を記載すると、読者の怒りが出てきて当然なんだが、オートバイの世界ではなかなか出てこないのが現状である。事実、僕自身が考えて導き出したそのバーチャルの内容を実際に行ってみると、その結果の大半は見事にアッパーカットなりボディーブローなりを受けることになるのは言うまでもないことである。
 いくら僕がこうなりそうだ、という仮説を立てても実際は180°異なる結果を得るものも実に多いのである。むしろ、バーチャルな世界を先に記しておかなければ、それに沿ったテスト結果がジャストフィット(仮説と一致したときなど)となると、すぐさま「僕の考えにに同調しなさい」と言いかねないからである。この危険性は数年前に気付いた。特にアンチホンダの僕には株価から始まって、「ホンダはぜったいにダメだ」の確認が取れるやいなや、大きくヤマハを吹聴するのが常だったのである。
 そういった意味も含めて、想像上で「ヤマハよお前もか」的なエンジンをブラック塗装したSR400の今年度モデルを僕は受け入れたくない。そういったことは先にリリースがありそうだ、と小誌で記載していなければ、現在どうすることも出来ない。アンテナを張り巡らし、オートバイ関係で特にヤマハの悪口などが報道されると、くってかかる体制を採っていたのも事実の世界なのである。このことも酔っぱらっていて... 、の時に記載したことがある。
 こうやって記憶もまだ鮮明だし、今号で記したSRの記事も、次号でのSRの記事でも決してバーチャルな世界のことではない。すでにテスト走行中の僕を職場の仲間が数人見かけているのを知る。そういった意味からも、ここに記載している記事は常に僕自身がやったことを主として記載しているのである。

2002年 5月10日(金)雨
 日の日記に一部憤りを覚えられた方もいらっしゃるのではないだろうか。総じて出版物がどのような仕組みで出されているかを知っていらっしゃる方は、僕の言い分に一定理解されているはずだ。しかし、実際には読者が受けるものはそういったことになっていない。編集子そのものもオートバイのことをある程度知っている者は少ないであろうし、キャップとかデスクとか呼ばれている方にしても、1950年代のオートバイとかそういった頃から続くオートバイの歴史背景なんぞ一切知らない方も多いのではないか、と想像するのである。もっと言わしていただければ、雑誌社が一定メーカー批判を加えようものなら、たちどころに「×」となって、雑誌そのものはおろか、雑誌社そのものを社会的に抹殺する方向に持って行かれることは容易に想像できる、ということなんだ。これ以上のことは僕は記載しない。が、昨今のオートバイ関係誌を手にとったり、立ち読みしたりして感じることなのである。
 記事の内容に納得できるものがあるかどうか、読者でオートバイ愛用者なら一冊のA4、B4の大型雑誌を熟読していただきたい。とりあえずそこから CMページをさっ引くと、その内容に愕然とするだろうし、そういった方向から読んでいけば、巧みに次号を購入しなければならない状況に持っていこうとしていることもお分かりになるはずだ。
 カメラ関係の雑誌しかり、オーディオ関係の雑誌しかり、「関係雑誌」と名の付くものは多くの場合、独自の考え方を押し通すものは非常に少ないのである。仮に大口スポンサーのよくない点を記載しようものなら、こっぴどくやられるのは言うまでもない。同じ雑誌で「暮らしの手帖」のように、「こことここを改善すればもっと良くなる」とか「ここはこのメーカーの悪い点だ。これだけで製品の価値を下げている」といったようにはならないのだ。
 僕の言ったことが理解できれば、おそらく「オートバイ関係雑誌なんて必要ないヤ」になることなんだが、読者は読者の考えをそこまで追い込むことはしないし、出来ないでいるのだろう。
 ま、そういったことを含めてのこととして、僕のレポートにはそれがないんだ、と言いたかっただけのこと、として理解していただきたい。
 それにしても、今の天候は一体なんだ?。天気図からしても全く「梅雨」の状況だ。決して僕だけが感じていることではない。かといって、職場の窓をジメジメするから開け放つと「寒い」といって閉められる。が、コンピューターなりのOA機器がフル回転している職場は実際には今の季節「暑い」のである。少々涼しくったって、窓を開けて空気の入れ換えぐらいやった方がいい。
 季節は五月晴れが続くはずなんだが梅雨の日々。このギャップを自然に任せて窓の開閉ぐらいでもしない職場の多くの職員の身体感覚は「高齢化」しているように感じてならないのである。
 明日は久々のお天気マークが現れそうだ。ガスケットも入手出来たから、またぞろSRのテストを行うこととしたい。

2002年 5月12日()くもり後はれ
 日からもう何が何だか分からなくなってきている。とうとう本日まで尾を引いてしまった。そもそも、根本のものは一体何だったのだろう?。それをすっかり忘れている。そういった帰結になる... 、ならされた... 、ならざるを得ない... 。
 冒頭から「お前は何を言っているのだ?」と思われるかもしれない。実は最近行っているSRの交換マフラーのテスト結果があまりにバカげていたものであったから、ついついこういった表現が先に来てしまった次第。
 昨日の土曜日にも一連のテストを行った。吸気系を換え、メインジェットを換え、点火コイルを換え、点火プラグを換え、その都度結果を確認するため30km程度のテストランを行う。この繰り返しである。で最終に得られた結果、驚くなかれ、「ストック(ノーマル)のSR500の仕様のまま」だったのである。不思議なことが支配し始めた。これだけ苦労して、「こうやれば、こうなる」というデスクプラン(仮説)の基、一連のテストでことのごとく裏切られた結果から導き出されたもの、一体どれだけ回り道をしてきたのだろう、というものが支配した。精神面でもガックリ感が強く、完全にグロッキーだった。
 それが土曜日。おまけにお誘いを受けていたスナック「ゆめ」の開店5周年記念で盛り上がりはしたが、頭の中はSRの結果のみがグルグルと回っていて、この方で酔っぱらってしまったのかもしれない。
 そういったことで今日を迎え、いつものようにステファニーでパンを買って、中学生日記を見た後、これまたお誘いを受けていた「さつきタクシー杯ソフトボール」のスナップ撮影でニコンF-2を持ち出して丸山の広場へ。そうしたら、F-2のモーターワインダー(ドライブ)が動かない。原因解明まで20分が費える。原因はドライブのジョイントが上手くかみ合っていなかっただけのことだった。5ショットぐらいをパーにして、フィルムが終了。赤染め様の横から下りてきて、小富士商会へDPEを依頼し、帰宅して昼食の後、Power BookでDVDを楽しんだ後、再びSRの確認を行う。
 今日は宇和まで走って歯長峠から三間、広見のコース。相変わらずの調子だが、若干マフラーを含めた排気系全体が熱を帯びて来始めると、少々心許ない気分になってくる。帰宅して、再びガックリ感の方が大きく支配し、「一体何だったのだろうか?」という気分になって来始めた。これって、本当に堂々巡りではないだろうかな。
 が、SR400とSR500では両者(車)は似て非なるもの、特に機関部分は全く異なるものなのである、ということが分かった次第。

2002年 5月13日(月)はれ時々くもり
 は多くのことは記さない。しかし、中国は新陽の日本領事館の亡命騒ぎでは少々心を打たれた。亡命云々のことは一切言わない。僕が言いたいのは日本領事館の敷地の中に入って立ちつくしながら、どうなっているんだろう?とたたずむ女の子の姿を見たときに、これはボタンの掛け違いどころでの騒ぎではない、と感じるだけだ。
 はっきり言って、中国なんぞは開発途上国だ。こう言ったらすぐさま差別の目が僕に集中するだろう。が、日本も過去のことは過去のこと、今の日本はこうなっている、ということを示し、堂々と中国と一戦交えるか、という気分で臨んでほしいのだ。そうするとすぐさま「日本帝国主義の再来」などど宣うのは分かっている。
 でも、軍隊を持たない、ということを日本は全く行使していない。大まかだが、それが僕の感じるあの事件の感じだ。
 日本を軍隊を持たないからチョロイ国と言われてどこが悪い。今日も自民党加盟の何某かがなかなかいい発言していたが、それを中国に乗り込んで「私は日本国の自民党のKです。今回の一件であなた方中国国民の採った方策は間違っています」と言ったら評価するが、そうは問屋が下ろさない。これが現実なんだ。
 もっと言うと、亡命希望の国の国民が日本領事館に駆け込んだ。ただそれだけのことだったのだが、その駆け込んだ某国の国民が、本当に亡命を臨んでいたかどうか、などの話は一切出ない。未だに中国の取調中なのであろう。もしかして妊娠中と報道されている彼女は母子ともにダメになっているかもしれない。こういったことが報道されていないのだから、多くの面で問題になるのは確実なんだ。
 核心が僕には分からないから多くのことに対して言うことはできない。しかし、数々報道されているとおり、僕の考えも含め、あの方々の大半は自国を逃げ出したい気分は事実だろう。5人の方々が日本領事館に入った。ここから全ては始まるのである。その本質は一切何にも報道されない。取調中のその方々の意見なりも一切合切中国側にある。これが覆されない限り、それほど日本は他国のいいなりの国と思われて然るべき態度を持ち続けているようになっているし、多くの日本を動かしている成人国民がこういった内容の教育を過去50年以上にわたって受けてきたのだし、中国と正式に国交を結んだのは30年とちょっと前だ。この場に及んで、「中国が悪い」と言ったところで、どうなるものではない、というのが僕の考えだ。
 この件に関しては、今後何も言わないこととしたい。
 実はこのまま深夜の市内にSRを引っ張り出して思いっきり走って、マッポの白黒パンダと併走ぐらいをやってやりたい気分なんだ。おそらく次のようなことが起こりそうだから実行はしない。
 走っていて、僕の方から左に止めて、「どうぞ、お先に」とパトカーをやり過ごす、この程度はいとも簡単に行える、が、それがおかしいとしてパトカーを止めて取り調べを強行する。レクチャーは行き届いているはずなのに、旧態依然の取り調べ方法が支配するのだろう。
 巡査とか、巡査長、巡査部長は一般職の基本を勉強しているのだろうか、ということに帰結する。日本国憲法から始まって、民法、刑事訴訟法、交通六法、地方公務員法などなど、相当多岐に渡るのを警察学校で教えられているかどうかも疑問である。
 それより前に、制止された僕の方から「どうして止めるのですか?」を言わないうちに、「免許証を拝見」と言う。「お宅は何者ですか?」を言うか言わないかのうちに、免許証の僕の(50歳の)年齢に恐れ入ることになるのは分かり切っている。何も悪いことはしていないのだから、この場で、「失礼しました、気をつけて行ってください」という言葉は聞かれないであろう。一般市民にやりこめられようとした若手警察官の態度を徹底的に個人攻撃する上層部の姿も垣間見られることになりはしないか。
 これが親方日の丸の世界だ。いいとは言わないが、地方の警察官は少なくとも全国から働く仲間が来ている警視庁の一般警察官の行動なり、態度も見習う必要がある。で「警察協議会」という組織でも作るべきではないか、とも感じるこの頃なのである。

2002年 5月15日(水)雨
 当にマイッテしまっている。おまけに雨だ。雨ったって、この辺ではごく普通の雨足だが、都会の雨から比べるとずいぶんと大粒に感じられるだろう。この辺の地形と、だだっ広いところでの感じる雨の違いとでも言おうか。そういえば昨年夏、北海道の旭川での雨は、この南予でいえば小雨に毛の生えたようなものだった。ところ変われば、で、それでも旭川では傘を差していた人がいたことを思い出した。
 何でマイッテいるのか、色々原因を探ってみたが、どうやら予想と大きく食い違った「SRのマフラー交換テスト」に一番の原因があったように思う。結局、ストックのままのキャブセッティングに戻して、まま結果が出せたのだが、そこから「ここをこうしたらこうなるのではないか?」が思い浮かばない悶絶状態になってしまっているのである。何しろ雨の日が多いことも災いして予定を立ててやろうとしても出来やしない。次の土日は別の用務でSRにかかることが出来ない。最大待って25日の土曜日ぐらいまでで一応のケリを付けなければwww/Grid No.39に間に合わないことになってしまうのである。そういえば、トライアンフの最終調整も確認していない。これもやらないとならない。
 仕事は間もなく業務多忙の季節になってくる。本当に自分の時間が持てない。すでに齢50を越え、夜遅くまで事に集中できない精神・身体になってしまっている。ツーリングなどでは、こういった者が25年も前のオートバイで一日300kmほど走れるのだから、この点は自負していいが、こういった事をやった後で疲れとも何ともいえないものが追いかけてくるのだ。結局、これにも打ち勝たなければならない。
 それじゃ、その準備としてトレーニングすればいい、とおっしゃるだろうが、これが定時で帰宅してトレーニングのためにいつもの時間が取れるか?といえば、これが出来ない。職場の更衣室を利用するにはロッカーが狭すぎる。なかなか時間の配分を含め、トレーニングを毎日継続して行うことが難しいのだ。
 幸い、通勤は徒歩にして、はや5年以上になるが、片道1kmの通勤距離も継続すると結構なものになるのが、最近おぼろげながら分かりだした次第。と、いうところで、明日は午後から雨は上がるらしいが、休暇を取ってSRにかかる... 、SRにかかれるかどうかも天気も不確実なことだな。明日は明日の風が吹くか〜。

2002年 5月17日(金)くもり
 のうちに雨が降ったようだ。日中はずいぶん過ごしやすい。それもそのはず、風がわずかにあって、日が出ていないから、少しずつ乾く濡れた地面が熱を吸収して居るのかもしれない。そのためのものだろう。
 今日は給料をもらった、という気分が強い。実際は稼いだんだが、借金がそれを上回るから。年間の実績からすればBMWの7シリーズに手が届く額なんだが、実際はご存知のとおり。
 所得税から始まって介護保険料までさっ引かれ、手元には19万円弱にしかならない。つい2か月前には20万円を超えようとしていたのだが、僕の給与で賄っていた息子の諸手当の大部分のものが無くなったためでもある。世の中、先を目論んでこういった計算をやるのは僕にとっては苦手だ。しかし、数年後には家のローンもペイされるし、その頃になると、バカげているが一気に25万円に近づく。この面では税金の対象からはずれるんで大いに助かる。ま、今はこういったところでの実際の賃金の少なさに耐乏生活なのである。ウソじゃないよ。飲み代だって魔法のカードでの借金だから。
 実はこういった真実をここで言うことをはばからないのは、昨日のSRのテスト結果がすばらしいものだったからだ。だから今も少しばかりアルコールは入っていても、決して文章が乱れることはない。まだ余韻が残っているのである。それほどの完成度でSR500のテストを終えたんだから。
 もし明後日がお天気だったら松山までのテスト走行が行える。今回は大洲から一気に高速に乗ってもいい、という程の仕上がりなのである。本当によくなった。完全を目指すのであれば、ノーマルの吸排気系に戻すことが必要なのは言うまでもない。
 さて、明日は松山へJRで出向く。酒宴の席があるからだ。どうして泊まらない?、と言われるが、ネッ、僕の気分はお分かりだろう。エッ、でもオートバイのことではないよ。それはね、一日目は会議でタイド・アップの服装、2日目はスポーツ大会でそれなりの格好が必要なの。シューズに至ると革靴入れて3足必要というバカげた装備が必要だからなんだ。それに普段の着替え、洗面用具などなど、そういったものを持っていくのが面倒なの、分かった?。

2002年 5月19日()くもり後はれ
 昨日は、とある僕が代表をしている会の総会であった。しこたま美酒に酔いしれた後、職員団体のスポーツ大会のレセプションで一杯やってメチャご機嫌で帰宅した。モチJRで。
 帰宅して、うとうとから気が付くと午前4時、結局それから1時間半ほどの後に眠ってしまい、起きたのは6時過ぎ。あわてて支度をしてスポーツ大会のレクバレー会場地の砥部へSRで出かける。バレーボールは無事終了ということを先に申し上げて、往復ともSRは快調きわまりない。ガスが薄い、という意味合いのパ〜ンという音は一回だけ出た。これは後述するハーレー君と一般道路でやり合った後でのことだ。何しろ40km/h制限の狭い道を80km/hでやり合う。僕が勝ったのは言うまでもない。
 さ、そのハーレーとの一件だが、アタシャね、オキンキンがタムシでやられているんじゃないか、というほど股をおっ広げて、ごく普通のコーナーを左に右に降りやがることに腹が立ったね。お前さん、どうかしてんじゃない?とでも言いたい。その幅員4mほどの県道を、やりたかないが、信号待ちでドライクラッチのキュルルルという音とともに僕が先に出たものだから、相手は大排気量でもってアットいう間に僕に追いつく。
 がですよ、ア〜タ、相当に緩やかなコーナーでもハーレー殿は左右に振る。こちらは股も広げずにニーグリップしたままで切り返している。で、ハーレーさん僕に追いつけないわけよ。
 でもってですよ、ハーレーはソフテイルを短いハンドルにしただけのものだったのですけど、サドルを変更しているから、言わなくてもお分かりのとおり、腹を圧迫するライディングスタイルなんですよね。おまけにカッコいいスタジャンが風にフグのごとく膨らんで、スーパートラップ使っていないのにスーパートラップのヘルメット、このバカさ加減に閉口しました。でも、悪くはないんですよね。もし、ライダーが190cm近くあれば... 。
 そして、いつも思うのは、もっと堂々と、僕を先に行かしてもいいから、道路の真ん中を本当に堂々と走ってくれればモンクなどは一切言いません。むしろ、若いのによくハーレーを自分のものにしているな、と感じて、しばらく併走し、先ほど言った信号待ちでも決して前へは行かない、ハーレーのいいところはそういった気分にハーレー自身が自ずとそうさせるものをもっているのです。モチ、それを操るライダーの心も必要なのは言うまでもありません。
 松山道の入り口付近で相手はガソリンスタンドへ入った。おそらく、彼のハーレーは6年ローンぐらいだろう。毎年のように今のハーレーはモデルチェンジをする。そこに追いつくようにするには、おそらく僕ぐらいのメカをはじめな、オートバイなどに精通していないと、結局ローンだけが残る「ローンレンジャー」になるのではないだろうか(爆)。
 それほどのところを「ハーレーライダーに僕が望む」とすればいかがだろう。人馬一体、ということが今のハーレーにも十分当てはまる事を感じると、僕はこのオートバイは「西部劇」の歴史背景があるようでならないのだ。

2002年 5月22日(水)くもり後時々雨
 曜日・今日と仕事が終わった後の会議で時間の配分がちぐはぐになってしまうこの日記にしても何とか記載をしなければ、と思いながら、288の遅い通信環境で検索なんぞしていると、我が家では時間ばかりの経過が嫌になる。かといって、職場で自分のメールボックスを確認できない。そういった中、昼前の仕事のあいたとき、BBSを確認するためにちょいと覗くと20,000ヒットを越えていた。うれしいやら恥ずかしいやら。すぐさま職場の仲間が「それは誰かがIEの更新を限りなくやったんよ」と冷やかしに来る。実際はカウンター設置前のものも含めると... 、いや、よそう。とにかくホームページを開設して3年あまりでこれだけの方々が訪れてくださった、ということに感謝したい。ありがとうございます。
 そうそう、その同じ時間、僕が散々記載した5人の亡命希望者がようやく中国から出て、フィリピンを経由して韓国へ行くとのニュースが流れた。僕はあの時の小さな女の子が泣き叫ぶ姿が今も忘れられない。命がけでやったことだ。あの日の日記で、このことはもう記載しないとしたので、今回の措置がどういった結果になるのか分からないが、いずれにしても一安心である。早く永住の地での落ち着いた生活が出来ることを願うばかりである。
 話は次々変わって、iBookの新しい奴なんだが、妙にそそる。クロック数も二次キャッシュも凄まじいものになっているが、このものをベースにして、2000年モデルのG3 Power BookにもサードパーティーからアップグレードCPUが出るのではないか、と期待したりもしている。実際のiBookを知っている者にとっては、やはり、このPower Boook G3の500mHzを何としても1台、と願うのだが、そうなれば、今の凄まじいiBookが同じ値段で購入できる、というあほくさいことも実際に起こってくるのである、嗚呼... 。

2002年 5月25日(
 はっきり申し上げて、今まで何をしていたのだろう、と思うことしきりであった。そうなんだ、あれだけ記載をし、自分の方向に近づけようとしたこともなきにしもあらずだ。
 しかし、今日のSRのテストランで、そういったことはブチ飛んでしまった。とりもなおさず、こことここを触れば必ず違うところに顕著な面を諸君に打ち付けるようになるぞ、ということに合致する。
 そもそも山鳥坂ダムを設置の点から再び話を一気にやらなくては、としても、今の美しい自然美は半永久的に帰ってこない、と言わざるを得ないのである。「そんなバカな」と言っているウチは花だ。その面で今の状況を知るとなzると、その人はいかに仕事え教えなかったか、ではなく、仕事をさせてもらえなかった、あるいはする必要がないところまで追い込まされようとしていた、と言うべきではないだろうか。
 確実に埋没するところもある。地質調査上、どうしても少ない流れが必要だ、というところもある。今、任意の合併協議会が立ち上げられました。本当にボスなのか、一般の課長は別人なのか?、少なくとも貴方のお子さんということを、と言った状態を昨日の「おとせ」でやってました。
こういった案件は良しとしようではありませんか。それより、もっと突っ込んだ中日の険難事項などを先送りすることなく、そのことに議論集中というのが今の偽らざる実体ではないでしょうか、と感じたんで記載しました。

2002年 5月27日(月)はれ
 気なく朝7時のNHKテレビのニュースを見ていて、国際詐欺グループの項になったときに、あれ、この内容はどっかで見たことがあるぞ、と思い出してみたら、ウチにも5月4日に配信されていた。内容はニュースの中身と少々異なるが、同じものを出していたんでは怪しまれるからに他ならない。
 僕はその日の日記にも記載しているとおり、上手いというか巧妙な手口だな、というところから即座に削除したが、今日のこのニュースを見ていると日本でも結構被害者がいるらしい。配信されたメールで一番怪しかったのは、そのカネはダイアモンドとして保管してある、という下りだった。総額は忘れたが5%出資だから、僕にはゼニがない。そういった理由でボツにしたのだが、日本国内では返答した者が結構居るらしい。おまけに商社が参入して、その担当が海外(たしかバンコク)までのこのこ出かけて、そこででも被害を被った、という件もあるらしい。外務省の担当官が出ていたので間違いないし、この詐欺に乗るな、というニュースもアップロードされている。
 僕はね、こんなのにマンマとヒッカカル人がいる、商社がある、というバカさ加減にあきれるんだ。それほど一攫千金を狙っているものがいる、という寂しい経済状況も一つにはあるのかもしれない。外務省の担当官も「返事をしないこと」と「国際的なおかしいものは外務省のホームページを見てほしい」と言っていたが、今回の件で僕が助かったのは稚拙な英語でも覚えていたから助かった、である。今振り返れば大学時代に英語でも頭から訳しなさい、という教授の言葉がなかったらこうはなっていなかったろう。
 それさえ分からずに、やー、インターネットだ、パソコン教室だなんてやることは、ITとはインテリジェント・テクニックに過ぎない。むしろ、「コンピューター教室を通して英語の勉強でもおやりなさい」と言いたいね。パソコンが家になくって、パソコン教室に通ってワープロ憶えたって、それで家にパソコンは買わないし、手紙書く(打つ)ものでもない。表計算ソフトの学習しても何に使うのか分からなければ何にもならない。たとえば、データベースで住所録をつくるとか、主婦を対象に表計算ソフトで家計簿がこのくらい簡単に記載できます。年末調整もこれで安心、なんていう教室をやるべきなんだ。趣味人にはディジカメとか、ドローのソフト使わせて、インターネット俳句会とかをやる。そして月に1回オフ会でも、となりゃ、ア〜タ、これこそがインフォメーションテクノロジーじゃございませんか。

2002年 5月29日(水)はれ後くもり
 日は久々に良い思いをした。ン !、これは間違いがない。全労済の方々と宇和海地区を回った後、夕刻からの懇親会、その後、久々のパチンコへ出かけ、台の方から「打ってみてくれ」というものを感じて、100円ずつ500円を投入したところ、開放になって、わずか20分で5,000円の勝ちになった。気分も良かったんで、そのままバタンキューになってしまい、今朝を迎えた。
 シャワーを浴びて、昨日のことがウソでないことを確認して出勤したが、当直であった妻から時ならぬ電話が入る。何と実家の風呂が昨夜燃えた、というのである。そんなの全然知らない。留守電も、いつも「また、お掛け直しください」になったまま。おまけにバタンキューの時だから電話のベルさえ気付かない始末だった。
 急遽、職務上、担当地区の係員とともに出向くと、火事の"か"の字もない。風呂場へ行くと、屋根が抜け落ちてしまっている。間違いなく焼けている。が、驚いたことに、母屋とわずか1mの感覚が開いているために類焼は免れた次第。そういえば、3月の近所の火事も80cmの隙間があったために、隣の木造の家屋への類焼を免れていた。実家の風呂場の火事で、これからどうするのだろう、という心配をよそに、「隙間の重要性」にえらく感心した、家の中にいても無視してしまった留守番電話も、いい面も悪い面もあるしなどと考えたり、とんでもないバカ息子ぶりを示していた次第。
 職場へ戻る車の中、「火難の相があるようだから、Boneさんは御祓いをしないとならないですね」と係員に言われた。それに、「パチンコはその時の大当たり(?)で... 。」と言うことに笑うに笑えない。ま、とにかく一安心だ。
 仕事から帰り、メールを見ていると、最近おかしげなものがよく届く。一番閉口するのは送ってもないメールに対して、「相手先のアドレス間違いでこちらのメールサーバーへ貴方のメールが残っている」という類のものだ。それが送った日時が刻々とかわる。怪しいのですぐさま削除するのだが、同一のモノが3件やってきている。次に多いのが、「ウイルス(ワームの)がはびこっているからご注意を。もっと知りたいならここへメールをください。」というやつだ。これも3件目になる。
 本日一番おもしろかったのは「ハーイ、にわか、よろしかったらメールください」という一文だけのもの。もちろん英語で。相手はハンドルネームでもない、れっきとしたアドレスだけ(爆)。
 これらは僕のホームページへの来訪者が多くなるに従って増えて来だした。来訪される方は大歓迎だが、得体の知れないものが来るのは少々困る。何とかならないかな、とも感じているのだが... 。

2002年5月31日(金)くもり後はれ
 金になるかどうか、今日の一日は宇和島市民にとって今後を見据えた上で重要な一日になる、そういった気分での朝を迎えた。外は梅雨入りを前にした少々ム〜ンとしている曇り空だ。
 この日を境に宇和島市、津島町、三間町、吉田町が合併する任意協議会が立ち上がる日である。何度も記載したが、本当にいいのかどうか、僕は任意の後の法定協議会までに一転するとなると、と思わざるを得ないのだが、市民の多数はこの街の状況が十分に把握でいていないために、真の「合併」に対しては、はなはだ不明不可解な部分が多いのではあるまいか。本当に宇和島市民へは説明会さえ行われていないのである。
 そうそう、今日の愛媛新聞に掲載されたワドル前艦長への伝言板風全面広告は妙な感じがした。ワドルとは一体何者だ、というのが偽らざるところだろう。グリーンビルになると一層何か分からないのではないか。
 この辺の人々でもこういった状態だし、昨年の2月にあの事故が起きた。その核心は一切明らかにされないまま事故全般にわたって終焉を迎えようとしている。原潜グリーンビルの当時の艦長ワドル氏が発言した宇和島へ行くということを実現し、その心の内を知りたい、約束を守ってくれ、というのが広告内容だった。
 もう、僕はこのことに対して何もいわないが、保障交渉なども間もなく終わろうとしている。その一方ではアメリカでの訴訟を行おうとしている方もある。事故は事故としての考え方は日本では受け入れられないだろう。この件に関してはこれからも混沌とした状態で継続する問題ではないだろうか、と思う。
 昨日から久々に昭和17年6月5日のミッドウェー海戦のどういった状態で、どういったことになった、というものをネット上で探しているが、一向に鮮明にならない。その半年前のハワイ真珠湾攻撃は幸い日米双方に資料は残っているが、大敗を喫したミッドウェー海戦の日本側の状態はほとんどが皆無である。もはや、当時の生き残りの方々でさえ80歳を越えられた方が多い。そういった方々の証言を元にこの一件を日米で整理突合して記録しておかなければ、日本はまたしても大きな失敗をした後、それを知らせないとする方向へ再び歩まざるを得ない気がしてならないのである。それほど太平洋戦争そのものが人々の頭からなくなって気始めているのである。太平洋戦争はおろか、朝鮮動乱、アルジェの闘い、ベトナム戦争も、中東戦争もボスニアも、戦争ではないがベルリンの壁もである。
 宇和島水産高校のあの事件を空洞化させないためなら理解はできるが、事故が起きる前の航海の状況、艦内の状況から始まって、という、一連のものは終了している。そうしたアメリカ海軍の考えの中、ワドル氏が海軍を完全に去って後年語ったことが再び出てくるとしたら、そこから過去を掘り返すことになるのだろう。それまでには国対民間のレベルではなかなか困難が予想される。それにも増してあの日のことを国民の多くが記憶しているかどうか、ここが一番重要なポイントではないだろうか。それほど時間の流れが急速なのだ。
 話は変わって、サッカーのワールドカップが開幕した。初戦のフランスVSセネガルは素晴らしい試合だった。ことのほか熱が入った状態で終わった。結果はセネガルが1対0で勝利した。素晴らしかった。Jリーグの試合とは全く違う。見ていて気持ちがいい。フランスが負けたが、内容は決して悪くないのだから、明日はあのカメルーンが新潟でゲームをする。またテレビのお守りをするが、これは興奮してテレビを壊さないようにしなければならない。
 

2002年 6月 3日(月)くもり時々はれ
 んよりと曇り空、うとうとが続く朝、昨日行ったSRのテスト結果と、この6年間何をしていたのだろう、という気分が交錯し、仕事に行きたくない気分だ。おまけに、このムンムンする暑さ。ゼニのない市役所では冷房なんて入らない。窓を開けりゃ風で書類が飛ぶ。毎日のよどんだ空気が充満している。最近はガス検知をやらなくなった。ビル管理で必須項目のはずなのに、ゼニがあればやる、なければやらないとしたところが非常に多い。  気を取り直して、いつもの時間に出勤した。途中、宇和島自動車のバスセンターでバス待ちをしている高校生諸君に関係学校の教員が一人観察にきていたが、こういったときは指定場所以外の駐輪が一切ない。痛し痒しだ。当然、服装なども乱れていない。が、これが普段の状態ではないことをこの教員は理解できたかどうか疑問である。
 気を取り直してwww/Grid 39の纏めをやった。結構言い回しで加筆修正が多い。テキスト主体だから致し方ない。勤務時間に若干食い込んで終了しいた。午前中の風が吹き始めたのはちょうどこの頃だ。ようやく涼しくなると思ったのもつかの間、どんより気味の空はムシムシ感をつのらせるように気温が上がってきだした。自然の摂理どおり、階上階に従って室温は異常とも思えるほどになる。おまけにOA機器が出す熱がばかにならない。こういった状況で一日の勤務が終わる。疲れ方がひどい。
 帰宅が少々遅くなったんで、端麗生を買ってきてあおる。途端に酔いが体中に走る。少しばかり疲れがどっと出てくる。しかし、今日はイタリア-エクアドル戦がある。前評判どおりイタリアがすごい。すごいというか、上手いんだな。それも、こうなったときはこうする、というのが選手全員に行き渡っている。素晴らしいの一言だ。アクター並の選手が多い、といわれるが、僕には古代ローマの戦士の風貌を感じさせるように思った。
 それにしても、大量点差で負ける試合でも、全てがそのゲームに一生懸命だから気分がいい。開会式後の第一線でも記載したが、こういった試合をワールドカップ後のJ-リーグのゲームで行ってほしいものだ。

2002年 6月 4日(火)はれ
 っきりいって、今日の日本-ベルギー戦はアマチュアの試合か、と思わされた。強いて言うと通常の J-リーグのゲームのようだった。僕はベルギーを応援していたが、いくら「非国民」といわれようとも、 このゲームはベルギーの勝ちだったな。だが、結果はそうはならなかった。
 そう、決して昨日イタリアの試合を見ていたからではないよ。何というのかな、ゲームのワクというの が非常に小さい。まるで足だけのラグビーか、と思わされるところもあった。僕が解説者なら、もっと厳 しく「勝ち点なんて気にしていてはダメですよ。日本チームは弱いんですから」と言ってやる。
 あのゲームを見ていて「よかった」というのは、かろうじて引き分けになって勝ち点が転がり込んだだ けに過ぎないことを自国のひいきかしら、いい方向でしか受け取らないし、その方を十分にアピールして 次の試合に臨もうとしているだけに過ぎない。とんだスタンドオベーションだ。
 そう、あの時とよく似ているよ。ブラジルに勝ったときも同様だった。その後は負け続けたのだから。 ブラジルに勝ったのは一瞬だ。次はどんな強豪か分かりゃしない。あの時でも、「あれはフロックです」 と誰がいったか?。誰もいわなかった。
 僕はトルシェ監督の努力は認めるよ。が、今回のワールドカップまでに至る直前での様々なことは、決 して国民全体を鼓舞するようなものではない。今日の試合は、はっきり言ってつまらなかった。もっと負 けるなら負ける、勝つなら勝つ。それが無理なら、少なくとも「勝ちに行こう」をもっと全面に出して攻 撃主体にしていただきたいものだ。

2002年 6月 5日(水)はれ
 夜明けて何とやら、昨日の日本-ベルギー戦で有頂天になっているサポーターとかファンのVTRを見 ると、報道関係サイドからの編集かしら、いい方ばかりのものばかりだ。見ていると「アホかいな?」と ついつい思ってしまう。試合前日の3日、いずれの解説者も楽観を許さない感じのしゃべり方であったの を思い出す。今日の朝のニュースでも岡田前監督が非常に厳しい感覚での発言をされたが、柱谷氏の勝ち 点1はよかったし、よく頑張った、とのコメントとは、まるで対照的であった。おまけに穏やかに喋られ るから一層そのことが強調される。昨日の日記の後、どうして韓国-ポーランド戦のことを書かなかった か、おそらく次の日本-ロシア戦で、本当のことが分かると思うからだ。そういった意味では本日行われ たロシア-チュニジア戦がどういったものだったか、昨日の試合をオーバーラップさせればいい。
 本日は僕の誕生日、51歳になった。先日来記載しているミッドウェー海戦から60年が経過した。非常に 資料が乏しいのだが、今行われているサッカーのワールドカップで浮かれている日本、あるいは、今日の 政治状況、経済状況をはじめとした日本を取り巻く多くのことに、あの時のことと、それ以後の終戦を迎 えるまでの日本がたどった道を照らし合わせれば、戦後生まれの僕からしてもよく分かる。今の日本は砂 上の楼閣でしかないような気がしてしまうのである。
 そういった中ではあったが、本日www/Grid 39をアップロードした。慌ただしさだけが全面に出ただけ で5月は一気に過ぎていった。来月の今頃は「もう半年が過ぎたのか」などど言っていることだろうか。 そろそろ、夏祭りに対して準備をしなければならない。はっきり言って今年は少々不安である。51歳でガ イヤに出ること自体が... 、ともいえるし、数十人は40歳代がウチのチームを占める。でもって、頑張ら ないと... 、と思いつつ身体を慣らしていくわけなんだ。

2002年 6月11日(火)雨
 の日記から実に6日目の記載である。「Boneはさぼっていた」とおっしゃられるかもしれないが、決 してそんなことはない。サッカーに一喜一憂?、これもウソではない。そのテレビ番組視聴のため生活が 不規則?、これもウソではない。  決定的に「これ」といわせるものは、仕事が終わってからの各種団体の会議などでほぼ毎日が費やされ る。記載してみると、5日の誕生日は幹事会、7日は労金の代表者会、10日の結婚記念日は広見町で会 議、そして今日は原水爆禁止会議の役員会、そして明日は公務員制度の学習会、13日は労金の会議、14日 は松山出張、とこういった状況だ。
 本日、ようやくにして時間が取れたために記載している。したがって、記載したいことは山々あるのだ が、数日分をひっくるめて記載するわけにもいかないし、「つれづれ」に記載するようなものでもない。 どこかで記載をするとして、ここ数日トップページのカウンターがおかしくなっていて、プロバイダー側 で復旧していただいたが、残念なるかな、現在は18000台になっているはずである。できればこれに2500 上乗せすれば正確な数になるのだが、一つの目安、止むなくヒットお礼を削除させていただいた。あしか らず。  サッカーも予選リーグたけなわだが、フランスが敗退し、あのカメルーンも去った。日本はどうか?と いうと、僕はまだまだ不透明としか言いようがない。この金曜日に予選最後のゲームになるようだが、勝 ってほしいが、ドローになっても得失点差でダメになる可能性もある。トルシエ監督の言う「勝つこと」 に集中しなきゃならないな。

2002年 6月17日(日)はれ
 からどうも寝起きが良くない。はっきり言って、先週は一週間ずっと仕事外の仕事で出ずっぱり。 家には毎日9時間しかいないような毎日であった。これで終わったということではないが、明日は朝一番 でどうのこうのあるはずだ。同じ職員間でとやかく言われる筋合いはないのだが、致し方あるまい。おま けに疲れが後からやって来る。
 さ、ようやくにしてリモーションのリプレースマフラーを装備した我がSRはここにきて調子が出だし た。ここと思えばまたあちら、の虱潰しのパターンで対処していたものがようやく終わった。強いて言う と500なんかは蚊帳の外だ。また、雑誌でも機関関係そのものに手を下す記事は最近とんとお目にかから ない。オートバイもファッション関係の一助を担うようなとらえ方の雑誌がよく売れている。ダートレー サーが流行るとすぐさまそれモドキのパーツが氾濫する。こういったもので一番弱るのは、ダートのレー スそのものを知らない輩がこれを盛んに真似することにある。ダートトラック風のオートバイに、タート ルとかダックエッグのヘルメットだから、何をかいわんや、である。僕はこんなのが大嫌いだから、たと え、そんな格好をして乗っているオートバイがハーレーであっても、日本では「止めていただけません か」と言わざるを得ないので、ハーレー自体を「バッカみたい」と言わざるを得ないのである。
 「Boneさん、そんな硬いこといわないで... 」、とおっしゃるだろうが、反論を言ったところで受け入 れてくれやしない。コケて大けがしなきゃ分からないだろうから、僕はそいつを無視する。それが僕のポ リシーだからかもしれないな。トップページにある、4月の28日に行われたSRミーティングに「ジェッ トヘルメット以上で参加してほしい、ハーフカット着用者は参加を認めません」と記載があったが、僕の 言わんとする良識と同じだろう。タートルとかダックエッグのヘルメットはこめかみをも保護しないので ある。それが1340ccのハーレーに乗っている。「このバカ」と言うのが正しいかどうか、十分考えていた だきたい。同時に、夏でも長袖のシャツ、長ズボンを着用することが常識なんだ。それほど、オートバイ は無防備なんだから。

2002年 6月17日(月)くもり
 日記載した僕の想像通りになるはずと思いきや、何のことはない。全く何にも出てこない。あれっ て何だったんだろう?。逆にこちらからの返書が相手方にセオリーどおりのやり方を教えてしまったのか もしれない。ま、これはこれでよろしい。
 昼過ぎに時ならぬ白装束の方が僕に対面に来られた。レレ、何とBritish Runでのお仲間だ。お仲間うち でも愛車が故障の時は自転車で来られたり花園村に来られても、ランニングを欠かさない方で、ユニーク とかそういったものを通り過ぎて日々の生活のパターンをそのままやってらっしゃる方だ。
 今回は四国八十八か所を奥様とともに一番札所から順に回っていらっしゃるという。何とか今日は仏木 寺、龍光寺へ出向きたい。その前に奥様が疲れているので小休止とコインランドリーを紹介願いたいとの こと。早速クアホテルを紹介した。記念にと、手持ちの「宇和島の自然と文化」を贈って、よりよい巡礼 を願って別れた。
 ま、朝一の肩すかしでガックリ感が強いのだが、このことでずいぶんと気分が晴れた。職場の仲間が 「Boneさんには変な友達が多いな〜」という顔をしていたのは言うまでもない。
 夕刻、久々に幟屋のK君に対面。毎日丸山の広場で走っているということだが、今日は休みとのこと。 しばらくレコードの話などして帰る。一体僕はどうすればいいのだろうか。Gaiya On The Roadが踊れるか どうか、今からトレーニングしないとならないのにな。
 その後で酒道場のマスターにちょいとPowerBookでデモ。最初からというよりは、Windows陣営では、 とにかくパソコンを使うことを主眼としすぎるキライがある。マスターが逐次「それ相応のソフトはどう やってパソコンに入れたらいいのか」の質問に僕はたじろいでしまった。そういえば、Windows陣営の教 室はソフトウエアのインストール方法はもとより、コンピューターの簡単な内部構造、それに付随するソ フトウエアを動かすキカイの仕組みなどは一切教えられない。Macの世界からするとソフトウェアの使い 方は、まずハードディスクにソフトウェアをインストールすることから始まる。これが反対になるとどう もおかしい気分になってしまうのだ。
 Windows陣営は、まるで運転免許教室で運転方法だけ教えて構造は一切学習させない、としたのに近 い。そろそろコンピューター全体としてのものを教えないと「IT=インテリジェント・テクノロジー」に なってしまいそうだ。まさに「木を見て森を知らず」ではないだろうか。Windows陣営の大きな欠陥だ な。やはり、根本はDOSからヌケ切れていないんだ。
 夜、ブラジル対ベルギー戦のサッカーはいい試合だった。ベルギーは負けたけれど、これはこれでい い。ゲームの内容そのものが僕はいい試合だった、と感じた。予選リーグの時から言っているのだが、こ ういったゲームをJリーグで少しでもいいので展開してほしいものだ、と思うばかりである。強いて言う なら、今回の日本チームのメンバーが所属しているチームを何とかして負かしてやろうとするようなチー ムが出ればJリーグもおもしろくなるはずだ。

2002年 6月21日(金)はれ時々くもり
 は昨日お呼ばれの席があって、大いに盛り上がり、そのついでに二次会がまたまた凄まじく、午前 1時過ぎまでやり続けた。でもって、今朝起きたのが7時過ぎ、あわててシャワーを浴びて出勤したはい いが、気分が悪いの何のって、大変だった。戻しそうになること数回。腹は減っているが物を受け付けな い。気分が悪いのは頭だけではなく、腹具合もおかしい。昨日はビールを2本とお酒を5合、ハイボール 3杯だから、そんない飲んではいないんだが、二次会の席で、その店のマスターと宇和島の闘牛関係の話 が盛り上がって、非常な困難さの中に今の宇和島闘牛がある、というのを始めて知った次第だ。このこと が脳裏から離れなかったんだろうな。おそらくこれが原因だ。
 そんな状態で本日午後からは助役と夏期休暇のことなどで交渉。これが煮えたやら炊けたやらわからな い返答がやってくるものだから、大弱り。広域合併にしてもビジョンなんぞ全く見られない。ちったー職 員の声も聞けよ、と言うのだが、数年したら課長以上の管理職連中は退職だから、今居るポジションで大 過なく過ごせばいい、と勝手に決め込んでいる輩が大半だし、いくら一般職が頑張ってやってもトップに 直訴しても全く関係ない。こんな町の行政なんだから、赤字再建団体にでもなってくれた方がはるかに好 ましいようにも思えてくる。
 夕方から、リモーションのマフラーでの最後の走りを行った。しばらくはいいが、やはりちょっとのと ころでパ〜ンと鳴る。威嚇の空ぶかしでもダメだ。そう、もういい。明日の午後はヤフオクで落札した純 正のマフラーをSRに装着して走ってみたい。一定キャブセットができたら日曜日に再び走る、というこ とにしたい。
 そういえば、今日は夏至だ。間もなくSRも車検を受けるときになる。6年の月日が過ぎようとしてい るのだ。

2002年 6月22日()はれ
 日はサッカーで時間が延びて放映されるERを見ていたので、今朝は夢うつつのまま8時に起床し た。やおら起きて、職場へ忘れ物を取りに行き、サンクスでサンドウィッチを買って帰る。落札したSR の純正マフラーを眺めながらそれで朝食を済ます。ここから一苦労が始まる。
 まずは汚れ落とし。これがなかなかの難物で、結局クリーナーの原液を歯ブラシに付けてシコシコ落と す。一度すすいで乾燥させた後、表面の錆はネヴァーダルで取り除いた。この間1時間半。そして、保管 していたマフラーの装着金具を探し出すのに1時間。昨日試算した時間配分など全く役立たず。取り付け が終わったのが正午を少し過ぎた頃だった。
 レトルトの親子丼で昼を済ませて、少々休憩。ナサケナイかな、我ながらキャブを触っていないことを すっかり忘れている。ま、これも実験の内だ。リモーションの最終仕様のままで行テマエ!。  エンジンを始動すれば、あまりのあっけなさと静かさに唖然としてしまった。が、遠い記憶をたどって みても、購入直後の状態とは大きく異なっていて、妙に軽い感じがする。カンリンの重量フライホイール のせいか、アイドリングも1000回転でピタリだ。まずはプラグの状態を確認するためにいつものテストコ ースに入れる。アーッ、何だこれは。これがSR500か?!。でも、[今まで何をしてたんだろう]という 気分は全く起こらなかった。むしろ、ここまでの感覚に至るまで、かっちりしたSRのエンジンが馴染ま ないまま、マフラーなどを換えてしまったからだろう。自責の念が大きい。
 一度帰ってプラグを確認したが信じられないぐらいの良好さだ。僕の改造理論も若干反映されたと自分 勝手に決めた。すぐさま、津島の北灘(きたなだ)から宇和海(うわうみ)の下波(したば)を回るコー スに入れる。車体の前後左右のバランスも良好。本当に500ccのカブに乗っている気分になってしまっ た。喜びをグット押さえて帰ってきた。  久々に甘い物が食べたくなって、グリコのプッチンプリンを近所のトーヨー市場(何とローカルな-- 爆)で買ってきて、サッカーの韓国対スペイン戦を見る。私しゃ疲れましたね。疲れたというか、こうい ったゲームは先のイタリア戦と同様に精神上よろしくない。それにしても勝ちに繋げるゲームを120分間 もやって、強大なサポーターに支えられてのことかもしれないが、とにかく勝ったんだ。最後のPKを決 めたとき、近所で「やったー」という歓声がわき起こった。まぁー凄まじいものであった。  今夜はとにかく早く休ませていただく。としても、サッカーがあって、民放の「厨房ですよ」は見えな いか?。でもって、また夜更かししてしまう。嗚呼... 。

2002年 6月26日(水)くもり
 日は高松、今日は夕方からの会議、明日は松山、まぁこのようにゆっくり出来る暇がない。今日は 朝からひき逃げ事件があったようで、日中は少々車が溜まるような場所は検問をいっぱいやってた。僕の 方は21日に出した職員団体の情報が思わぬことで波及して少々ゲンナリ。いや、例の宇和島牛鬼祭りの前 夜祭、ガイヤ・カーニバルに昨年は出場時間が早まって休暇を取って出場した。当然、本年もそうなるか もしれない。そういった意味合いを込めて、「祭りに不参加の意志を持っている職員はその理由を書 け」という強制的な行為を理事者側が言ってきたので情報に記載したまでだ。出たくないものまで出さ せる、出ないヤツは人事評価の評点が悪い。それが昇格(昇給)に響く。はっきり言って「宇和島 市役所のために働く」ようなものだ。市民の付託に応える仕事はしなくてよい。そういったゴマス リのような上司のご機嫌取りが出世しやがる。それを職員管理がやろうとしていることにカチンときたか ら情報に記載したまでだ。
 少々話が脱線したが、夕方からの会議の途中、近所で火事。お城山の北側から煙が出ると危ないんだ。 急いで家に電話すると、奥方が面倒くさいといわんばかりの声で出てくる。サイレンの音が受話器を通し て僕の耳に入ったとき、彼女にも緊張が走ったようだ。幸い我が家からは300m程離れていたので気にも しなかったが、少々びっくりであった。
 そんなことで、本日の記載となったのだが、2週間前もこんなような調子ではなかったかな。早くも今 月も終わりに近づいた。間もなく今年も半分が終わろうとしているのだな。

2002年 6月29日(土)雨後くもり
 日は夏のボーナスの支給日。職場のCD機から引き落としをするのだが、後で待っている人の目がコ ワイ。堂々と出せばいいのは解っているが、どうにもこの辺の状況からするとイタダケナイ気分になって しまう。
 かく言う僕も多くのゼニは右から左だ。物の購入ローンにしても金利ばかりが大きい長期組み込みのパ ターンだが、唯一の救いはボーナスで多く引かずに月々の均等支払いを主にしている点であろう。それゆ え、毎月の少ない給料でのやりくりで出来ているからボーナスで埋め合わせといえばそれまでだが... 。  ずいぶんと支払いをした。ま、飲む・打つ・買うのうち、飲む打つは借金がないだけ助かる。が、今回 は少々羽目を外して5万ほど飲むに必要になった。おまけにSR500の車検代、トライアンフの燃料タンク の塗装代、これぐらいが僕の大きい出費だ。間もなく家の建築ローンも終わる。が、その頃には退職が近 いから、如何ともしがたい。
 来週の出勤日からは7月だ。久々に昨日は羽目を外したためだろうか、どうもカゼをひいてしまった。 おまけに今日は天気が悪い。狭い部屋で一人で居ると気分もよくない。かといって、雨の止み間を外へ出 ると、うんざりするような商店街。気分も一層滅入ってしまう。一瞬、今度のうわじま牛鬼祭りは出場を 見合わそうか、とも考える始末だ。特に22日のガイヤカーニバルは出場チームが横の動きを主体とすると 後ろからの前へのチームは大変な思いをしてしまうのである。そうならないように願うが、そうともいか ない。そろそろある程度の規制を加えないとだめだろうな。まずはエントリー料を支払うこと。ここから だ。
 昨日ATOK 15 for Mac OS Xが届いたのでインストールした。辞書の合併などしてOS Xで使用していると そろそろOS Xをメインにするかな、と考えるようになった。しかし、あと一歩のところで止めている。 ごく近日中にこれは解消するだろうけど。
 韓国がトルコに負けた。それだけだ。実は北朝鮮との海上での交戦があったものだから、あのような国 民性だし、同じ同胞同士がやったことに対してこの影響が少なからずとも出ているのかもしれない。戦争 をする道具はカッコイイ。しかし戦争は嫌だ。勝った負けた以上に実際に闘う人間が「死」を常に背負っ てやるものだ。負けたところで国がどうのこうのなるものでもない。
 明日の決勝戦も今日のゲームのようにフェアな戦い方をしてほしい。もっともゲームだが、終わった後 の虚脱感が日本を覆わなければいいが、とも感じる inserted by FC2 system