2002.10. 6〜12.31

2002年10月 6日()くもり後雨
 前後から雨が降り始めた。いつもならこの頃になると雨毎に涼しくなってくるのだけれど、今年は雨らしい雨がない。松山などはご存知のとおりだ。そういった意味からは今降っている雨は恵みの雨だろうか。
 よくよく日記を見ると、9月30日から以降の記載がない。この1週間は実のところおぞましいほどの日々であった。休みという休みがほとんど取れないのである。現実に昨日も休めなかった。オートバイに乗ったのも3日の木曜日に吉田までことづけをするために乗っただけだ。恐ろしいほどの圧迫感が僕を取りまいているようでならない。同時進行のものが2〜3あるようで、期日がどんどんと迫ってくる。実のところ辛いものだ。
 そんな中で5日にはアップロードを終えた。僕のホームページも4年目を過ぎようとしている。早いものである。
 本日は午前中に文化祭の予定をアップロードしておいた。久しぶりに豪華にはしてみたが、かえって見づらくなったかもしれないな。
 今日はスーパーのフジが、ここ宇和島の恵美須町に全店舗の第1号店をオープンして35年目になる。1967年だから高校1年の時だ。あの頃はすごく生き生きしていたように感じる。商店街も活気づいていたし、ここでしかその物がない、という店も結構あった。午前中に少しばかり商店街を歩いてみたが、単なる通路でしかないようにも感じられた。
 張り出しの広告に、アーケードの中に無料のステージを貸し出すから、日頃の成果を発揮してみてはいかが?、というのが出ていたが、これは他力本願もいいとこ。商店街が自ら何らかの改革をしないと客は来ない。商店街を利用して何かを行うのなら誰でも出来る。現に今日などはフリーマーケットやってた。通行客はそこを通るだけだし、ステージが出来てもそこへ注目するだけで、そこが拠点になって店に客が入ることはないのである。過去何度となくやられていることで、結果は全く同じだ。夏の夜市などテキヤの屋台が大部分で、店の屋台は数えるほどしかない。
 誰かが言っていたが、「ここの商店街は末期症状のガン」だって。
 職場の中でも僕は仕事上でも職員関係ででも孤立してしまわないように、何かにつけて気を回して、時には理事者に喧嘩を売るぐらいやらないといけないのかもしれない。職員の大半は、今の時代の変化に付いて行けそうもない様子だから。

2002年10月 8日(火)くもり時々雨
 忙と言うわけではないが、嫌な健康診断が終わった。問題は血圧だけだが、これだけでどうのこうのすることは出来ない。これは僕の両親が抗圧剤で腑抜けにされていたのを十分に知っているから飲用したくない。止めたときのすぐ後が相当に恐いからだ。何とか自然に落ちつかせたい、とするのが今の僕の考えだ。わずか3日で、数値がぐっと向上するのだから、もし今やることとしたら身体活動だけだ。人間の身体ってものは本当に不思議だ。
 夜はまたまた「はぐるま座」の宇和島公演の会議。この31日に南予文化会館で「誇りの海」という演劇をやる。いずれShop Schuneiderに出すが、自然と人が豊かな海とかかわって生活することの大切さを訴え、一方的に進出してくる原発建設を止める、という物語だ。市民が真剣になって動かないとダメだ、とするいい演劇だ。ぜひご覧いただきたい。
 今日もノーベル物理学賞を受賞された方のいい発言があったが、トップ陣営が「能動的に動かなきゃだめだ」というのだから、日本の実状は株価の低落と同じようで多くはダメなんだろう。うれしさの中にある皮肉にも似た言葉は、そのまま今の宇和島に当てはまる。お題目のニュートリノと同じく、職場から宇和島市内に波及し、そろそろ内部から崩壊しそうな気配だ。
 結局家に帰ったのが午後10時、生絞りで気分転換してメールの確認。Act-2からMariner Calcの登録ナンバーが送られてきた。すごい親切。もちろん文章の例題があるのだろうが、それにしてもいいディストリビューターに救われた。何しろ、マーボーブーの時代からこのスプレッドシートを使用しているのだから。もちろんExcelに対抗するためというのはお分かりだろう。Excelが肥大化に向かっているときに、Excelの2.0と同じように使用できた。当時はSE/30命だったものな。
 マーボーブーがパスカルに改名し順調だったのに、急に名前がなくなってしまった。そりゃあわてたが、Act-2になってようやくサポート体制も十分になった。MacもOS Xになってもやはり軽量ソフトは必要だよな。
 そして、この文章は快調になった540cで打っている。この快調さ、冬のボーナスでPPCにCPU変更してみっか。そして、Duo 280cだな。この両者に共通しているのは液晶だ。この綺麗さは少々口では表せない。今はチャンスだから。

2002年10月13日()くもり一時雨
 日の終わりは地震であった。明浜では最初に左右に揺れた、というが、宇和島では最初に縦に揺れた。僕の直感で、こいつは大丈夫だ、と判断した。昨年の芸予地震は横揺れが相当であったのを思い出せばいい。横揺れが一気に来るとひとたまりもないのだ。ま、今日は安心の範囲だな。
 昨日の夜半、Duo2300cにMac OS 8.6をインストールした。多くの方々は無謀な策とおっしゃるだろう。が、OS 8.1で転けていたバグのようなものがことのごとく消え去っている。
 強いて、そう、強いて欠点というと起動が遅い、というぐらいだ。アプリケーションの作動などは相当にきびきびしている。PPC603のCPUに負担を強いているようなこともない。このことはいずれ本文で。
 午前5時半、眠いながら起きる。7時40分の列車に乗るにはこの時間に出ないと、総てがうまく行かない。第二次大戦時のパイロットのように渋袋を持参して用便を空中で済ますわけにはいかないからだ。ましてや、JRの中での用便は相当な覚悟が必要だ。出るものも出なくなる。これ現実。
 今日は又市参議院議員の講演会が松山である。それに出向く。講演会は相当にすさまじかった。又市という一人物かもしれない。しかし、彼の言うことが、この愛媛に本当のことが伝わっているか、非常な疑問に思えてしまった。
 宇和島からも国会議員が出ているが、国会ではらちが明かず、次は県議選に出ようか、という話も聞く。こんな状態で合併だだなんだったってだめだ。もはや、宇和島市の周辺は終わっている。今の状況は長いスパンで見ると「絶対に良くならない」。これは断言してやる。
 ご当地出身の画家浜田氏が展覧会を南予文化会館で行っている。その中で、僕は蓮の枯れていこうとする姿を描いた120号の作品に心が動いた。
 今の宇和島はこういった状況なんだ。ところが、根本のこのことを一向に知らされない市民は一体何がどうなっているかを誰に問えばいいか一切分からなくなってしまっている。ただ市長が勝手にコトをうずみこんで、自分が理解できなければ市民も分からない、として、早く通知すべきことを後回しにしてしまっているところが多いし、自分の意にそぐわないものは切って捨てようとしている。まさしくヒトラーと同じコトがやられようとしているように感じられてならない。
 まさしく、市民はこの蓮の絵と同様だ。唯一違うこと、絵以上に悪いことに、今の宇和島市には「レンコン」の部分が一切ないことだ。これは非常に恐い。何もかもが理事者の仰せのままに、になってしまいかねない宇和島になりつつある。
 市長は市民の期待を一心に浴びてと言うが、そのためにその政策はファッショとなりつつあるようでならない。直属の場所でそう感じるのだから... 。

2002年10月18日(金)はれ後くもり
 日で僕にとっては苦しい1週間が終わった。何がどう、ということは言えない。職員団体一つとっても、自分が最初から最後までやらねばならない。仕事を含めて3つ程のことが同時進行をせざるを得ない。誰かに頼む、とすることすら出来ない。こういった状態での1週間だったが、現実には10月の今までがそういった状態だ。
 普段なら9月にそういったことが集中し、10月は来るべき年末へ向けて様々なものの受け入れ期間となっていたのだが、今年ばかりはそうではないようだ。
 はっきり言ってグロッキー、こういったときには酒を思いっきり飲んでも酔わない。いい加減にしないと連日の酒で身体がまいる。そういった意味からは晩酌も考えものだ、と考えても一向におかしくない、と思うようになった。一面リフレッシュな面も考えられてた酒の席が今では余計に自虐性の世界の追い込む一助になっているような感じがしないでもない。
 少し職場で話をするが、合併のことを真剣に考えると、おそらく担当になった者はほんの少しノイローゼ気味になるのではないか、と思わざるを得ない。どうして、もう少し早くから動いていれば... 、と思うだろうが、ことは何もかもが違う自治体が一つになるのだから、という現実も重視されず簡単にイケルとして流されてしまう、と言わざるをえないのである。
 職場にも、一般にもこういった実際に起こりうる可能性大ということは知らされていないのだから、僕がちょくちょく日記に記すことが嘘ではないということもお分かりになるであろう。 新市になって数年間は今までどおりだろうが、その後はどうなるか、そこから5年後はどうか。
 こういったことが2年後始まるのだが、現実に動いているのは新市としてなのである。合併前はおろか、合併後に発覚した整合性など二の次になってしまうのは確実だ。
 これら起こりうる重要な問題点は住民を巻き込まずに行政だけでの机上プランでコトが運ぶ。このことを、直属の行政に携わっている職員はおろか、一般住民の誰にも何にも言わないのが現状である。
 多くの人に批判を浴びようけど、僕は気にしないことにしている。他町ではある程度経緯などを住民にレクチャーされているだろうが、宇和島市ではアンケート結果の報告すらない。そういったトップが自ら説明会を行え、な〜んちゃって言えるのかどうか縦割りの職場では出来ない、というのが偽らざるところである。
 宇和島、津島町、吉田町、三間町、お住まいになっている家庭のこと、行政範囲のことなど考えると、合併も考えものだ、というのが僕の言い分だ。
 話は変わって秋の国体選手団結団式の選手宣誓をされた方、僕はナンセンスと思うのだが、宣誓の声、内容とも先の戦争での学徒出陣の時よりも低レベルだ。宣誓者はそういったことは国体になれば脳裏から消えているかもしれないが、僕はリザルトからすると相当にすさまじい宣誓をしたものだ、と思わざるを得ないのである。
 また、おそらく、この宣誓を「よい」と、年寄りの輩が感じ入るというところそのものが愛媛の封建的閉鎖的な現状を如実に現しているようにも感じる。モチ、宣誓者はそんなこと一切関係ない、と感じているかもしれないが。
 もっとも頻繁なユニフォームのチェンジ自体にも頭に来るところもある。こんなんで強くなるわけがない。天皇杯38位で今は十分だ。

2002年10月20日()くもり時々雨
 の内は青空が見えていたが、昼前から雨になった。僕はっていうと、午前中に職場へ出かけ、文章づくりのため一通りPower Book G3に向かってタイピングを行う。そういえば昨日もほぼ5時間程度これをやっていた。先回りしていないと、詰まりに詰まっている予定のため、期日までに間に合わない。最低限の息抜き意外、何もかもが犠牲になる。おそらく、来週は1日程度休暇を取って、このことに専念しなければならないだろう。
 家に帰ってPowerBook 540cで、ようやく落ちついたeMate 300のバッテリー関係の文章をつくる。「つくる」ったって、作るわけでもないし、創るわけでもない。僕のことだから、常に「おかしい」、この場合は「うまく充電できないことの原因と解決策」という意識を持ち続けて、アイデアが浮かんだら実験してみる。こういったことを数か月間にわたってやった結果をまとめるだけだ。僕の場合は実験のメモはあるが、本文の原稿は一切ない。そのために、2000年とするところが2001年などにミスしているところがあるため、いつも指摘を受けている。
 しかし、実験の結果は、デフォルメして発表しているものはない。リサーチのメールはあまりいただかないが、何らかの形で僕のページに訪れた方で該当した場合は、僕と同様に行われてうまくいっているのであろう、と考える。このeMateのバッテリー関係は次号ででも報告したい。
 そうしているときに、PB540cのディスプレーが真っ白になってしまった。わずかに3時間程度作動させているだけに過ぎない。P-RAMのクリアをやってわずかに「治った」と思ったのもつかの間、また真っ白。明るさ・輝度調整も全くダメ。「壊れた」と一瞬考えた。ディスプレーの角度を少し立てたとき突然画面が復活。何だこれは?。
 どうやら、画面をDuo2300cでは寝かせた方が見えやすいので、540cも同じように寝かせて使っていた。が、それに伴い、明るさ・輝度などがメモリー上でおかしなことになっていたのだろうか。ま、一段落だ。今こいつが壊れてしまうと、またぞろ重いPB G3を毎日持っていったり戻ったりになってしまう。Duoではちょっとアダプター的に苦しい。でもって、iBookか、というと、そこまでする必要もない。そういった環境の中での位置取りだから、PB540cは家庭にあって重要なんだ。
 夜、雨の止み間を縫って外へ出る。驚くべき信号を見かけた。我が家の近所にある交差点、自動車用信号と歩行者用信号を全く別作動させるものだ。ふ〜ん、なかなかいい、と思ったが、渡り始めて弱った。青信号の時間がわずか10秒しかない。交差点を渡りきると病院がある。お年寄りでは万一の場合重大事故になる可能性が大きい。
 自動車優先にするためにやったことだろうが、歩行可能時間は公安関係者の机上論で決定されたものだろう。交通弱者の人を差別するものになりはしないか?。警察では同和教育など、人権啓発の研修は行われていないのだろうか。

2002年10月22日(火)はれ
 日はいいようのない噂の払拭に苦労した。現在の市議「O氏」が次期県議選に立候補するかもしれない、その裏で「大塚」という者が盛んに動いている、というのを上司から聞かれた。「お前じゃないよな」と。
 困ります、としての気分ではあったが、職場内でも同姓者は数人居るし、市内には100人以上いらっしゃるはずだ。どうにも、職場では職員団体との関係からか、僕が一番の候補に挙がるようだ。
 前回は 「O氏」に市議としてがんばってほしい、と側面から応援したが、県議選出馬決定になった際には、今後も市議としてがんばってほしいと、いう考えから外れるから、僕以外の人達も側面支援の仲間の大半は手を引くはず。噂というものは恐いものだ。
 そんなことが尾を引いた本日、職員団体のことで立場を変えて同じ内容で会議を開催して説明した。相当に疲れた。前の会議ではここを言っていた、後の会議では言ったか?などが起きてくる。ま、事なきを得て大筋合意で終了した。
 ところが、会議の後になって書面の件で書記さんと口論になった。致し方ない。僕もようやく一段落、というところで、少し自由時間がほしかったところだったから、ことは悪い方向へ一層進展する。とにかく、その書面をもう一度つくる、ということで口論はチャラ。明日になればいつもどおりになることは分かっているんだ。でも、こういったことが本当は必要なんだけれどもな。
 さて、もっと頭にきたのは本日の市長の動向だ。北条市で開催された「四国市長会議」... 。午前中、市長に喧嘩をふっかける者がうちのフロアにやってきた。市長に会わせろ、といって聞かない。そのまま市長室へいったようだが... 。
「市長は四国市長会議だろ?」と僕は仲間に言った。 「違いますよ、市長は自治会長会の秋季総会に出席して、今頃、呑めない席で一杯やってますよ」、と仲間に言われて愕然とした。
 夕刻のテレビニュースには、他市の多くの市長が出ているのに、宇和島市は「助役」がその席に居る画像が出されたではないか。
 会長ゆえの高松市長しかり、多くの市のトップがこの会議に出席しているんだ。えひめ丸の訴訟の件、市町村合併の件など、宇和島市の現在の立場として、そのトップにある市長は出席すべきであり、自治会には申し訳ないが、自治会長会の席には助役を座らせておくべきだったのではないか、と思わざるを得ない。いくら地元重視といえども ... 。
 こういった宇和島の「行政」のトップでもある今の市長を本当に支持できるかどうか、はなはだ疑問に感じ始めてきた。
 もっと端的に言うと、市長室の電灯が消えるのは、多くの日は午後9時ぐらいだ。それだけ忙しい?。僕はウソ!と思わざるを得ない。自分が信じられないものは十分に認識する必要がある?。
 これはこれで結構。しかし、市民のニーズにまでその回答を遅らせるようでは、行政サイドとしても、各部署の管理職以下の多くは必要なく、「どうぞ市長だけでおやりなさい」、とする以外にない。
 僕は50歳を過ぎた今でも最前線の一般職だ。職員団体のトップの身分を持ち出すまでもなく、市長を夜の街、日中の商店街、早朝の通学バスや列車と自転車置き場、ゴミ袋の名前の不記載などなどの現場や実際を見せてやりたい。相当に宇和島として出来ていないことを知ることになるはずだ。それを何とかする、と就任当初から言ってきた市長にもかかわらず、ゼニを使えない行政をやろうとするだけでは、市民サービス以上に「(株)宇和島市役所」の社長でしかない。 また、そうすることで職員へ返される要求となって堂々巡りになるかもしれない。
 どうでしょう、次期石橋市政は本当に存在するのでしょうか。市長就任前は民間大手のK松興商に居らっしたらしいが、そこと、ここの民間企業の比較をして何かれなくものを言うのならいいが、宇和島市と同レベルの自治体を比較しての諸々は一切ない。どこか分からないが「民間は厳しいから、市職員もそれにならえ」としている中では、市民の声をすんなり受け入れる公共サービス重視の行政サイドにはなっていない。むしろ悪くなっている。
 今からでも遅くない、お好きなサッカーで、PKで得点を許して負けたチームの監督と同様の気分になって、酒を浴びるほど呑んで一般市民と交流できるようにトレーニングされることを市長にお勧めしたい。
 少なくとも、ビールをコップに一杯だけで、お酌に専念するなどはダメ。上座に座って受けて受けて、ブッ倒れることをお勧めしたい。もちろん補佐役をつけてね。
 それがなければ、腹を割って一般市民と話すことなど一切ない!。

2002年10月23日(水)はれ後くもり一時雨
 ながらスサマジイことを記載したものだ、と昨日のことを思った。が、事実だ。それじゃお前が、となれば、一人ででもやってやる、という気分はある。そのことが僕の活力になっているのかもしれない。あくまで言う、あの大半は事実だ。
 さ、気分を変えて、別の意味から今日はMacだ。まずはインターネットに接続されている(この当たり前さと思われようが、実は違う)方は「Macお宝鑑定団」のページを覗いてほしい。宇和島のMacユーザーグループのことが出ている。
 このグループはどうも僕の考え方にそぐわないような気がしてならない。そういったことから、メンバーに知人は多いが参加はご遠慮しているのだが... 。
 ま、OS 9.2ぐらいならMacの素直な点などからずいぶんとお勧めできたし、ユーザーグループも同様に勧めることは出来よう。ところが、OS Xになって、現実にはそうは言えなくなってきている。かつてのそのグループでは、Publicβ版の時でさえ実験的にでもいいから導入して云々はなかったような記憶がある。
 話を戻して X (テン)になったらどうなんだ?。僕はすごく安定して使いやすい、と確信する。
 そういった意味から、今のXで僕はMacスクール的なことを職員団体でやろうとしているが、こういったことを大きく広めないとならない。このことに対しては今までのユーザーグループからは「以前のMac OSユーザーはどうするんだ?」と批判を浴びるのは必至だ。
 あえて受けるとして、WindowsのmeとXPなら2000と比較してどうだ、と言えるかどうか。僕はXPは相当難しいよ、特にNECのマシンではね、と言うことが出来る。
 このことを、かつてのMac OS 1.0の世界から今の9.2.2までを歩んだ方ではない、真にこれからMacを使う方々のことを考えれば、今は一つのチャンス、とすることが出来る。それほどのものをMac OS Xは持っている。僕はそのことを広く拡げたいのである。
 そうそう、今日はあらゆることが、ようやく一段落したので、と相当に疲れた心身ながら、仕事で新築のお宅に向かう。そこに各々1台の使われていないMacを見つける。あ〜、こういったところにも、Macが陽の目を見ない部分で葬り去れてるところがあるんだ、と感じてしまうのである。残念でならない。
 最終はOS 8.1〜8.5で動くキカイばかりなんだ。前述のMacスクールはWindowsの教室より難しい一面もあるのは事実だ。しかし、僕としては、このところはOS Xが総て解決してくれる、と感じる。
 職員団体の書記さんが、快速快調なeMacを前に「かわいい」と発して、ごみ箱云々が違うだけ、と感じる、それだけの違いが存在するが、強いて言うまでもなく、総てのことは、コンピューターに対峙した瞬間、今までどおり、となってしまう。
 ここを抜きにしては今のMacは語ることが出来ない。
 できれば、多くの方々がMac OS X を使っていただきたい、と願うばかりである。 思わずMacのことになってしまったが、中央ナンゾで行われているMacユーザーのミーティングと比較することはできない。ここんとこ、真のMacユーザーがいらっしゃるかどうか、それが問題だ。
 僕のように研修しなくて結構、それこそ「Macがいいんですよ」という、かつてのエバンジェリストのようなユーザーが必要なのは言うまでもない。
 Windowsではなく、NEC一辺倒の学校現場では「... こんなこともできますよ〜」と教師は言うだけだ。「こことここをこういったものにしたい」と児童・生徒から質問をあびせられたら、プログラミングのことをちょっとでもいい、解説できる先生方がいらっしゃるかどうか。それ以上に、コンピューター=NECという愛媛の教育サイドこそが問題なんだ。それに気付く方々がいかに少ないか、というところが最大の問題点ででもある。

2002年10月28日(月)くもり一時雨
 候が一気に冬だ。ここ2日間眠れない。異様な緊迫感が支配している。それよりは案ずるより生むが易し、との例えどおり、現実はまぁまぁの線で落ちつく。針小棒大とする僕の悪い点かもしれない。
 そういったことだから、昨日の件を少し話すと、日曜日の昼、外でエアカッターで釘を打ちつけているような音がするんだ。ご近所が追加工事?、と思っていたが、どうも、音が断続的だ。20分近くなったので、思い当たるところからするとオートバイのオフロードモデルのキックスタートが出来ないような、そういった気分になった。で、外に出るとヤマハのTWが難儀している。最初からの改造コンプリートモデルのようだった。で、「やりましょうか?」、僕がやると一発で始動する。オーナーはキツネにつままれたような顔、まるで神様を見てるような目で僕を見ている。実におかしかった。アイドリングを少し高めにして引き渡した。
 さ、今日はMP130を磨いた。実のところ6年間も使用している。液晶のバックライトがイカレて120と同じになっているが、よほど暗いところでない限り良く見えるから治す気にもならない。これでいいではないか。そういえば、セガールの主演映画で暴走特急っていうのがあったが、これにMP130(120)が活躍する。文字の内容からするとはめ込みではなく、実際使っているのをフィルムに撮っているようだ。一度ご覧あれ。
 そうそう、実のところeMate 300もあの一件から調子がいい。このレポートもまとめないとならない。「バッテリーを充電してネ」、というダイアログが出るのが楽しくて待ち遠しい。ここから1時間20分ほどで充電完了だ。このパターンを繰り替えすとなれば、僕のバッテリーの改造での純正センサーの位置とテーピングの結果が得られる。即席で使い続けさせるようなeMateのテストは行わない。それは何故か?。アメリカの小学校でこのeMateが使われていたとき、おそらく、先生は「バッテリーは大丈夫かな?」と朝のブリーフィングの時に児童に問うはずだ。そして「バッテリーのない人は充電開始」とさせたのではないか、と考えてしまうのである。
 業務用のチャージングステーションも考えられていたのではないか。そして、マイクスタンドに立てて、ちょっとしたプレゼンにも使用する計画がなされていたのかもしれない。
 こうやって、一気に溜まっているを吐き出すようなこともできるのだが、とにかく時間が...、時間そのものが自由に使えない。何とか次号のアップロードまでには... 、と思いつつ、今月は31日までぎっしり予定で詰まっている、という寸法だ。

2002年10月30日(木)くもり後雨
 、全く疲れはててしまった。ここんとこ眠れぬ夜はしょっちゅうだし、追い立てられていないにもかかわらず、そういった方向に自分を持っていこうとしてしまっている。終わってみればそうでもない、という何ともおかしい気分が続く。
 そういった精神的なところが大打撃を食らっている。大学時代、もっと心理学を勉強しておくものだった、と最近になって気づき始めた。特に職員団体のトップともなると、対ヒトの関係がスサマジイほどの数になってしまう。そこでの会話などに揚げ足を取られないよう、なおかつ、理解しよくかみ砕いて話を穏やかに持っていかなくてはならない。一日に数人のお歴々に対面することもある。そういった時は少々パニくる。
 そして、気軽に返答をすると、とんでもないダブルブッキング予定で身動きがとれなくなってしまうことになってしまうのである。
 今日も午後4時から会議。万全の体制で望んでも相手方の団体から思いもよらぬことで切り出され、うやむやの内に次回の作戦を立てなければならない。こういったときに脳裏にインプットされていることが希薄な僕は、いい案が思いつかなかくなってしまうのである。ことに及んで相手の姿勢とか発言の声の抑揚などから心理状態をチェックできれば... 、と考えてしまうのである。過去、これが出来ずに何度冷や飯を食らわせられたか分からない。「二度と轍は踏まない」としても「またやってもうた」になってしまうのである。少しばかりでかい態度で、大きな声でやってやってもいいのだが、押さえている。
 夜は劇団「はぐるま座」の公演を見に行く。客が少ない。関わりのある僕としても心苦しい。しかし、チケットはそこそこ出ているのに歩留まりが少ないのである。
 とってもいい劇なんだ。劇中では原発の立地調査反対の書面を町長に作成させるまでの地域住民、特に女性の行動を描いた作品だ。
 ここ、宇和島にスポットを置き換えたときどうなるのだろうか。東京の荒川、多摩川の下流より宇和島の辰の川、須賀川、来村川の下流域がどうして汚いのだろう、など、実際面で得られることは多いのだが、「どうも...」と言って見に来てはくれないのである。これが現実だ。
 さ、明日は久々にハメをはずそう。そうしないと本当にダメになってしまう。

2002年11月 4日(月)くもり時々雨
 の寒さがやってきたのは午前2時頃からであった。それからほぼ1時間ずつで目が醒めたりして、非常に弱った。原因は足が冷たくなって、どうにも我慢が出来なかったのである。
 そういったことから、ようやく起きたのは午前8時近く。でも、本当に今日は寒かった。
 午前中にアップロードを終えようとしたら、Hoopsのディレクトリーが使えない。何度やってもできないからHoopsのサイトを見ると12:00までメンテナンスのため待ってくれ、ときた。すでに12:00は過ぎている。え〜い、ここでひと段落する、として掲示板に記した。
 この天候のためにどこへも出られない。そういったことから「翼をください」というNHKのドラマを再び見ていた。僕がちょうど教育委員会に勤務していた頃だ。ドラマを見ながら、今はこういった気骨のある教師も居ないし、生徒諸君ももっと柔な悪になっているようで、ドラマの高校生でも今は33歳ぐらいになっているんだから、その間の教育の在り方、社会の進み具合など、もう一度見つめ直すべきではないだろうか、とも感じた。
 少なくとも、例の教科書を使うようなところでは「御上の仰せのままに」だろうから、こんなドラマは夢の又夢でしかないように思う。ウソではない!
 ドラマが終わってweb確認すると13:00でメンテナンス終了、ときたね。「エ〜ッ、あと20分間職場に居ればよかったんだ」、憤懣やるかたない。
 すごすごと小雨の中職場へ出かける。20分でアップロード完了。一安心だが、なんてこった。
 さ、明日から一通りの作業はあるものの、ようやく正常な毎日が送れそうだ。

2002年11月 5日(火)はれ時々くもり 
 にかく今日はヒトが信じられなくなった1日であった。僕は大方人がいいから、少々騙されても「しかたがないか〜」としてしまう。これはこれでいいのだが、時として困った結果になることがある。
 今日もそのパターンだった。重要な役員を選出するときになって、当然それ相応の役職は付いて回るんですよ、と前回の会議でいっていたにもかかわらず、今回の会議で、それがご破算になって「選挙」に突入、といった時点で終了した。立候補期限は明日の午後3時。
 ここまでは考えどおりだった。誰も立候補を考えている、と会議の席は出席者全員がそう思っていた。
 この会議終了後、急遽、僕は内の組織の会議を招集し、執行部での報告を云々、というところまで話が進んで散会、となる寸前、思いも寄らない団体から「立候補辞退」の通知。僕はマジで気を失いそうになった。
 どんなことがあろうとも立候補すると言い切った、その団体のトップが立候補を取り下げるなんて尋常で考えられるかどうか、トップがトップの考えでその団体を支配できる。これってドイツ第三帝国か?。
 これは職員意識を利用したファッショではないか?。今回のこのことに対して僕はその団体に所属している者が非常な損失を被るのではないか、とまで考えてしまった。
 このことが過去2回も続けられると、少々不信感さえわき上がってくる。しかも、その後処理を道義上やるのはいつも我々の職員団体だ。
 www/Gridの本文中にも記載したが、真面目な意味で「心理学」を大学時代にもっと実践的な分野で学習しておくべきだった、と考えてしまった。
 ま、事なきは得たから、これからは十分僕自身のことが出来る、といういい面も得たが、夫婦間はともかく、人間の精神面にはなかなか入り込めない。ハリー・ポッターのような面が今のトップに立つ人間のいい面にあれば、ことは上手く収まるのに... 。
 会議終了後、ほんの1時間が1日の長さに感じたときでもあった。

2002年11月 8日(金)くもり後時々はれ
 今日は僕が一部悪者になることを覚悟で記載することとする。
 僕は現在51歳。かねがね一人っ子という良さも味わってきたが、「一人っ子か〜」という、言い様のない差別感にも似た言い回しを受けた。もっとも、現在ではそのことを逆利用して「...、そうなんです、実は二○加の御曹司でしてね」といった具合だ。ただし、これもいい加減にしないと、親父やお袋に僕が至らない点を言われるのがオチだからそこそこで止めてはいる。
 さて、本日の愛媛新聞の記事で「越智教諭が売春行為で逮捕」という記事が出ていた。一瞬僕の心は震撼した。僕にとっては就職してすぐさま、南高校の体育関係教諭としての一般的な連絡調整に関係しただけだが、名前を知っていると少々気分が悪いのはお分かりであろう。
 そういった気分で、一日が過ぎたのだが、激動の一週間が過ぎたことと、酒道場でゲン直し、といった意味合いで出かけると、僕の意に反して、とっ捕まった教員を、マジで「よく捕まってくれた」という、少々賞賛じみた言い回しをやられて唖然としたが、よくよく僕と彼とが接した時のことを思えば、「さもありなん」と感じる行動、言動があったのは事実だろう。
 酒道場の女将さんとも話をしていたが、家族の体面はどうなるんだろうか、と一個人の犯罪から出る周りへの影響、また、そこから周辺住民への影響を考えると、今回の事件は相当なものだ、感じざるを得ないのである。
 話変わって、旧正田邸のことが取りざたされているが、当地唯一の酒蔵「媛鶴」がディスコンになって、取り壊されつつある今の状況も同じじゃないかということと、それ以上に真の地酒が無くなったことを文化の保存、伝承という考えから消し去ることは出来ない。城山の保存など考えると、その麓にあった木造の酒蔵は文化財じゃないのか?、これを市とか、県で保存できないのか、何やかや横文字を使ってかっこいいことは言うが 、宇和島の文化行政なんて「鼻くそ丸めてマンキンタン」程度のものだろう。当然、酒蔵に残っている「菌」は長年の酒造りを持ったまま死滅するんだな〜。
 拉致問題のことが国内で尾を引いているが、世界へ目を向けても、国民全体と日本政府の一体感が無いから、アメリカの中間選挙結果から湾岸地域へのEジス艦の派遣を始め、全く無頓着だ。
 防衛が主体の自衛隊が後方支援として戦争に加わる。攻撃されたときのことは考えにない。仮想敵国から攻撃された場合の対応を法制化しようとしているが、57年も戦争から外れている国民が真に戦争を知らずに法律の意味合いが分かるか?。
 それでも言う「まず、わが国の防衛」というのは、はるか彼方に消え去っているのかもしれない。この場合の防衛を行うのが自衛隊本来の職務ではないか。

2002年11月 9日(土)雨後くもり
 ェッ、天気予報なんて全く当りゃしない。この地方特有のことをせめて愛媛版ででも報道していただきたいものだ。が、担当記者諸君は南予の出ではないので、この地方の天候なんていったって、そりゃ表現するのに難しいところがある。
 「もっといぎ」といったところで「元結掛」とは、とても地元の者、しかも少々年老いた者でないと難しい。NHKでさえ、柿原を「かきはら」と言うのは日常茶飯事であろう。数年前に、このことは市内で統一した呼び名になった。そのときに「かきわら」を「かきはら」としたのかもしれない。同様に僕の住む本町追手はどうか、というと、「本町」と「追手」という地名が合体したのだが、市では「ほんまちおおて」として、「おうて」とするわけにはいかないのである。どんなにがんばっても「おおてどおり」とワープロにタイプしても「大手通り」にしかならない。これは松山にもある大手町として間違いのないところだ。が、追手は「おうて」である。こいつを「おおて」と表音、表記させるのは、日本語を逸脱した考え方だ。
 丸穂は「まるお」であって、NHKのいう「まるほ」ではない。宇和海の遊子地区、これは「ゆす」という。が、そこにある一地区を普通に読むと「ばんしょう」というのだが「ばんじょう」という。漢字で書くと「番匠」と記載する。
 思わず天気のことからこういった話になったが、今は報道関係でも「外様」が実に幅を利かしている。が、それは昨今のリストラによって、ここら辺に左遷されたヤツのヒガミに似たもののようでならない。それをわきまえた上で「それじゃ地域に根ざした報道を志す」とした者は居ないようだ。
 そういえば、職場の記者クラブとはかなり距離感が出てきた。特に今の市長になってからは記者会見も一切なくなったし、「報道依頼」というものなんぞも、めっきり少なくなってしまった。ネタ探しに記者自ら動くことが少ないように感じてならない。やはり時代の流れかな〜、と思ってしまう。
 そうそう、昨日の一件、吉田高校では校長が生徒を集めて、教師側の謝罪をして、みんなで名誉回復に努力してほしい、と言ったそうだが、今の生徒がドラスティックに考えてりゃいいが、表面上ではいいが、裏はそういった単純なものではない気持ちを一部生徒諸君は持っているのではないか、と思えてならない。大方は灰色めいたものではあろうが。
 そういったことから、今の中学生からして、結構やばい面に入り込もうとしているヤツも多いのではないか、と思わざるを得ないのである。
 僕は少年式まで迎えたヤツの尻拭いなんぞしたくないし、ドロップアウトするヤツは徹底してドロップアウトすればいい、と考えている。ドロップアウトした後、「これではいけない」と始めて気付くヤツがあまりに少なすぎるのである。
 それ以上に、徹底的にやりあったり、年上の者にこっぴどくやられたりすることがないままで人を教えようとする者が主体になっているのだから、無理からんことであろう。
 で、こういったことを記載すると、「危険思想」の持ち主としてリストに上げられる次第だ。特に保守王国の愛媛ではなおさらだ。教員諸君は特に「御上の仰せのままに」だからな。
 そういえば「のど自慢」に先生が出ることはないし、地方祭に牛鬼担ぐ教員のヤツも一切居ない、というのが現実なのである。そう、彼らは愛媛県の職員だからな。
 ことは少し違うが、教える側からすると第二ポジションのヤツも少ない。野球のオリンピックチームの総監督は長嶋さんになったらしいが、日本チームは負けたな、と思う。長嶋氏はことを上向きにする能力はあるが、で〜んと座って何も言わない、石のように不動の人ではない。こういった人を総監督に置いて、長嶋氏はその下のポジションで自由に思ったまま、選手も持ち上げるトップのポジションに据えるべきだ。僕が長嶋氏なら総監督はお断りするけど。
 そうそう、今回の吉田高校の教員の不祥事なんぞ、本来は県教委の教育長、高校教育課長なんぞが自ら減俸を申し出るすべきなんだ。

2002年11月10日()くもり時々はれ
 から雨は降っていなかったが、何ぶんにも寝起きが悪い。そういえば、昨夜は寝る、としたときに地球に乾杯、という番組でオーストラリア地方に居たとされる兜蟹のことをやってたので、ついつい見とれてしまったのが要因だ。
 そんなこんなで、職場へ出かけていき職員団体の資料をプリントアウトしたはいいが、どうもおかしい。はっと気付いてPower Book G3を開けると、ミゴトにそこにファイルがあるではないか。一瞬ボケ〜としてPower Bookを閉じた。
 そうだ、いつの頃から僕のコンピューターライフはノートになったのだろうか、と考えてみた。ことAppleのPower Bookとなると少なくとも1400以降でないと使いものにならない。Duoでもダメだ。もっともたる理由はバッテリーとマザーボードの接点部分である。ここんとこが確実になるのはG3の^99モデルまで待たねばならないのだ。僕はこの接点がPower Bookを過去売れなくしていた要因の一つに考えている。540cの接点クリーニングの度にもう少し確実なら... 、と思われてならないのである。
 昼からトライアンフにかかったが、どうも整備の手際が悪い。ライディングはそれほど劣化してはいないと思うが、整備の手際は普段から行っていないから如実に出てくるもののようだ。燃料供給ラインに一考を要すが、失敗と思っていたタンクディザインが結構行ける。まるでT-160をほうふつとさせるような感覚になってきた。
 この年まで26年、まだまだ、何の心配もなく走るところがすさまじいところではないか。
 そうそう、今日は久しぶりに銭湯へ行った。ゑびす湯が無くなって久しいが、そこから少し行ったところの丸穂温泉だ。ここがなかなかいい。電器湯はないが、薬湯が少し独特で、上がり湯前に入ると、まずは芯から暖まる。現在お風呂から4時間になるが、そんなに湯冷めのようなことは感じない。
 300円の入浴料が高いかどうか、僕はどうしても体中の「垢」を洗い流したい、とするなら、絶対に銭湯へ行くことをお勧めする。

2002年11月14日(木)はれ後くもり
 しい中にも、ホッとするときがあるものだ。先が少々見えてきたのでこういった気分になるのかもしれない。
 昨夜準備していた写真展のBGMのシステムだったのだが、実際は作品群が多くて、スピーカーなど、少々配置がいつもと違うようだったので、どうするかを思案していたとき、八幡浜のM氏から電話で「ツーリングマップル・四国編にあんたの写真が出ている」という知らせが入る。「饅頭をパク付いている写真だから、すぐに分かる」というのだ。はて?。 僕にはどうも覚えがない。ここ最近になってツーリングったって、全く出かけていないし、夏場は特にオートバイで走る気にもなっていないから、僕ではないはずだ。が、気になる... ?!。
 遅くなった写真展の準備の後、夕食を摂って明屋書店へ出かける。トレーニングウェアなので、不健康ウォーキングそのものになってしまった。日も暮れて、よどんだ空気の中だから、ゲンナリの気分だけが支配し、運動なんかする気にもならないのが事実だ。
 早速、その本を手にして、「あ、これか」。そう言われると似ているな、と感じる。もし、四国版のツーリングマップルを手にされると、3ページの右上にある写真をご覧になるとお分かりになる。FOXのライディングウェアだから、写真の方の愛車はオフロードモデルかもしれない。背景がどうも山の店のようである。
 話を少し移動して、僕はFOXの製品も持っていないし、あのようなスタイルで乗ることはまず無い。よく食す饅頭は「肉まん」だし、写真と同じにかぶりつくと、もう少し目の下が腫れぼったい感じになる。それに、もっとシワが多いよ。もう51だからなぁ。それにしても似てるな。
 で、宇和島にも四国電力にお勤めの方と僕をよく間違えられる。「あなた文化会館で尺八吹いてらっしたでしょ?」とご婦人から言われると、来た、来たとして、「その方サウスポーですから、右手が上、左手が下側にして吹いてらっしゃったでしょ、似ているってよく言われるんですよ」と。
 ま、この方は以前から知っているので、悪い気はしない。
 いずれにしても、世の中には本人と似ている人が3人ほど居るらしいが、今日で2人目だから、もう一人いらっしゃるのだろうな、と少しばかり気がなごんだ。明日はそう言ったことを含めてM氏に電話をしたい。

2002年11月16日()くもり時々はれ
 思議な夢を数回見て目が覚めた。実は昨日、懇親会の席で酔わない酒をしこたま飲んで、二次会でようやく本物の酒を飲む。そのために、酔わない酒の分が回ってきて、帰宅してバタンキュ〜。
 不思議と目覚めも遅い。ずいぶんと若い時期と変わってきたように感じる。通常なら、3時頃に目が覚めるから、常に12時を経過するまで起きておくのが常だったが、今はそれも無くなってきた。
 写真展の席で、どうしてもピントが合った部分以外をぼかす、という技法について、それはマニュアルにして、あれこれカメラのセットを変えられるといい、いったところ、オートだから出来ない、とその方が言う。犬飼さに再度説明をお願いしたら、僕と同じことをおっしゃってる。
 僕はふと考えたのだが、なんでもオートにするのは、人間と機械との調和を乱している要因ではないか、とも感じてしまった。
 夕方より、UIハミングのカラオケ発表会。リハーサルの時に音を聞きながら、「これはとんでもない音になりそうだ」と感じたので、一応、知り合いが出ている初心者クラスの歌だけを聴いて帰る、と決めていた。
 聴くと案の定、高音部が滅茶苦茶暴れる。セッティング自体も若い人がやるから、子音を強調した音になってしまい、耳の裏が痛くなるのだ。これは確実だ。その上に聴きたくもない歌を聴かされることほど苦痛なものはない。
 おまけに師匠の声がパ〜ンと出ない。声をある程度つくってしまう。自分の声を大切にしたいのかしら、腹の底から声を出そうとしない。出したにしてもサビの後のフィナーレ部分だけだ。こういった師匠の教え通りにやると、のど自慢でも鐘二つだ。観客は上手、というが、この人が4時間程度のボイストレーニングが出来るかどうか、はなはだ疑問だ。
 ボイストレーニングでなくてもいい、カラオケで20曲ぐらい一気に歌えるかどうか。日頃声を出すトレーニングをしているかどうか、そういったことを、カラオケ教室で本当に学んでいるのかどうか。
 おまけに本日のPA(SR)は最低。モニターの音が観客席に聞こえる、ボイスのスピーカーの経路にディレーがかかって、どんなに正確に謡っても、カラオケよりほんの少し伝達が遅い。これは口の動きからすれば一目瞭然だ。
 そいういったこともあって、早々に退場した。案の定、しばらくは耳鳴りとは違う「蝉時雨」がなり止まなかった。
 僕は、カラオケ教室であっても、少なくとも宇野先生が行うようなことを楽譜を手本としての歌い方、歌詞の把握などを学習しないと、少なくとも「発表会」とは言えない、と感じているが、みなさん方はいかがであろうか。
 個人の趣味とはいえ、「教室」と名の付くカラオケの学習で、それに携わるセンセー方はもっともっと「音楽」の基礎を学習すべきである、と強く感じた。
 本日のフジ・アヤコさんになりきった方など、当の藤 あや子さんがリハーサルするときのことを実際目の当たりにすると、僕の言ってることも分かってもらえそうな気がするのだが... 。

2002年11月19日(火)はれ

 浮世荒波 ヨイショと越える
 今日はおまえの 晴れの門出だよ
 親が咲かせた 命の花が
 二つ並んだ 鶴と亀
 笑顔うれしい 祝い酒

 存知、坂本冬美の「祝い酒」であある。この歌詞をふと読んでいて、少しばかり今日は頭にきたことを簡単に報告したい。
 松井選手がFA宣言して事実上の巨人軍を退団するとき、オーナーが何とかという本を手渡して、言った言葉から、「これだけの条件を出しているのに... 、じゃ、これでね」と、その前の話し合いが想像できるようだ。
 このことが頭にあったから、ヤクルトを退団したペタジーニ選手を破格の金額で巨人軍に雇い入れた、というニュースを知るに及んで、僕はペタジーニにしても、恩も何もあったものではない、といったところを強く感じるのだ。
 ヤクルトのスター選手として、ヤクルト球団で身につけたことを巨人軍で生かす、といったことになるのだろうが、プロということは抜きにしても、選手自体も「金」のいい方に行ってしまうようだな、と感じざるを得ない気がしてきた。
 原監督もそうだ、何が4番ペタジーニ、5番清原〜、ふざけんじゃね〜、清原なんて、いい方しか知らされていないから、フトッチョ・キ〜ヨの鈍重なところなんて知る訳ない。西部の快調な頃は忘れてしまわれて、その(低下した)実力は一般人には分からないわけだから。
 監督自体もNHKのキャスター的なことやっていなかったら、こういった広範囲でのスポークスマン的な発言もできなかったろうし、多くのスポーツを経験することもできなかっただろう、と感じる。
 大変古い話だが、僕は水原監督時代の巨人軍が好きだ。今の西部の井原監督のように、監督自らがユニフォームに身を包み、コーチャーズボックスに立つ。これが本来の野球だろう。グランドコート着てダグアウトで座ったり立ったりしているようではダメだ。ダグアウトにいても選手の一員としての監督だから、グランドコートを脱ぐべきなんだ。
 僕は来シーズンのことは知らないが、読売巨人軍のオーナーのバカさ加減はどうやら治りそうにない。連合がパート労働者の賃上げを十円台にする、という厳しい労働者の来年の春闘方針なのに、ペタジーニへは億単位を複数年(二年)契約だ。巨人軍が所得隠しとか、脱税は無いだろうけど、どうやら、巨人軍が金にものを言わせて球界を牛耳るつもりでいるのではないか、と思わざるを得ない。「どうだ、巨人は強いだろう」というオーナーの顔が、来年のこの時期に見られないことを切に願うばかりである。

2002年11月22日(金)くもり時々はれ
 際の天候なんて、常に変化しているから記載しようがない。朝までに一雨あったようだし、地球は動いてんだ、というこったな。
 昨夜は、日記のバックナンバーをひとまとめにしたい、と思って、遅いPB540cで苦戦したが、一向によくならない。原因が全く分からない。Netscape7.0が全く違う状況で動いているから、Fetchも古いバージョンだし... 、と考えて、そのままにしておいたんだ。バックナンバーを気にしている方(居ないかな)にはご迷惑をかけた。
 本日職場で再度試みたが、全くラチがあかない。間違ったことは何もしていない。なのにどうなってんだ?、と思うばかりなのである。
 で、試みたのは、とにかくフォルダーを始めとして、自分なりのデフォルト体制を採って臨むことにする。結果は実に簡単。ディレクトリーと同等の関係を手元のMacにつくっていなかったことに起因する。これを行ったらOKになった。
 では、どうして家の540cで出来なかったのか?。いいわけめいているが、フロッピーディスクそのものが開く時間がかかりすぎる。今時フロッピー、と言われるが、これほど安く簡素なメディアは少ない。それゆえ、記載事項の数百メガなら、フロッピーの方が断然有利なんだ。そのフロッピーにはOS Xで作ったファイルなども入っている。それらの多くのアプリケーションは持ち合わせがない。そのためにファイルをMC68040のマシンで開くわけだから遅くなったのであろう。
 今、職員団体の件もようやく一段落。理事者側も一定理解し、交渉以外はごく普通に話せる今に至るまでには半年もかかる。一週間の仕事外の仕事から解放された気分が強い。酒道場での一杯が非常に気分いい。妻は別枠の仕事へ出かけている。ガスレンジには豚汁とおでんの鍋が乗っかっている。少し火を入れて夕食を楽しんだが、久々に「妻の味」を満喫できた。
 「僕一人でも、このぐらいのことは出来るんだ〜イ」と思っても、それは僕が知っている僕の手慣れた味だ。我が家の家庭の味は、やはり妻の味しかないのだろう、と感じた。一日のうちに一度も口を開かない時が多いから緑の用紙が近い状態だが今でもいっしょにいる。夫婦間のおかしい気分だけど、妻と僕の間にはどうやら「阿吽」の呼吸があって、それで上手く行っているんだろうか。決してノロケで言っているなんていうものではないんだけど。
 今日はワドル艦長が水産校に行きたいというのを学校が拒んだらしいけど、時は流れたにせよ、謝罪は謝罪、受けるのは受ける、とならない。おかしい世界だ。反論はあろうけど、僕には大きい心が無いな、と感じざるを得ない。
 宮様が想像を絶するような原因で他界されたと同様、今の世の中でも未来は先取りできない。そういった意味から、過去の一つの事件は事件として、謝罪しようとする者は受けるべきではないか、と感じる。
 第二次世界大戦を太平洋戦争というのはおかしい、とかいう。南京虐殺を旧帝国日本軍が行った。これを正当化するような教科書を宇和島に誕生する中高一環教育の場で使おうとしている。
 ある人が言ったが、南京虐殺は当の中国では「屠殺」として今に伝えている。唯一救いがあるのは、それは旧帝国をはじめ日本が悪いのであって、兵士とか日本人が悪いのではない、という。唯一悪い人間とするなら、それは戦争指導者というのである。その行為を行ったわが国の国民は、そういった真摯な考えをもっともっと事実に基づいた感覚で受けとめないとならないのではないだろうか。

2002年11月24日(日)はれ後くもり後一時雨
 ういった天候状態だが、朝は相当にいい天気であった。松山での慰安旅行(?)を昨日からやって、実のところ相当に緊張しまくっていたのだろうか、日本酒を三合ほどやって、バタンキューになってしまった。
 開けて本日は思わぬ道後温泉本館の6時の太鼓でシャキっとなった。帰り道は長浜までのシーサイドコース、帰宅して昨日購入したユーヴ・ガッタ・メールをDVDで見た後のことであった。
 心身面での偶然というか、想像できないことはこういったことで始めるのだろう、と感じるようなことが起こった。
 僕はかねがね、そこそこやっていたことは、そのくすぶりは絶やさぬようにしていた。数えるだけでも一杯ある。多くは過去の世代に忘れ去られたこと。これには「日本で」と但し書きが付くが、そういったものが非常に多い。
 今日もハーレーのハンドチェンジモデルを見かけたが、これが陸王のRQだったら、と思う。それ以上にこんなもの(あくまで実用にはならない、と僕は判断する)をバカみたいな金額を投入する今の若い世代に文句を言いたい。自分がオーナーの後、バイクがたどる道はどうなっていくのだろうか、と。
 もっとも、僕はキカイにも意志があると判断する世界だから、こういった気分になるのかもしれない。
 気分を少しなごませるために酒道場へ行った。道後でもひなびたみやげ物店「ひめや」で購入した提灯を持っていって酒の肴にしよう、と考えてのことだ。何しろ人気のない提灯、しかも松山の風情を持ったものは、こういった家族経営のような店でしか入手できない。
 ま、これは置いといて、そろそろラジオコントロールの飛行機をやってみたい、と話をしていた時、後から入ってこられたK建設のボスとそれとなくの内容で、「Uコン」の話になった。以前(といっても30年も前)、吉田高校でも、多くの仲間がラジオコントロールに変わって、紐で結ぶ操縦のUコンは廃れた、という当然の話になった。これが「みやげ物屋さん」などの日本での流行廃りの一件にもあるわけだが。僕が4本のラインでエンジンコントロール、車輪の出し入れ、などを言うとK建設のボスが即座に対応してくれて、マジに涙が浮かんでしまった。
 僕は否定するわけではないが、K建設のボスがいう飛行場の完全な確保が周りの理解が乏しいためにできなくなって、Uコンが息詰まって消えたのだろう、と考える。
 そう、久々にラインコントロールモデルを真面目に取り上げてやってみたい。操縦者と飛行機が一体になれる、少なくともエンジンを搭載している飛行機では、このアナログ的なラインコントロールモデル以外には無い!、と断言してもいいからだ。
 スタントなどやる必要はない。ともかく「最初の飛行」を目指して、本文でも記載してみたい。久々に僕の心は既に空中にある。

2002年11月26日(火)くもり一時小雨
 々お疲れ気味。ま、こんなもんだろう、と思う。毎朝、気分良く出勤なんて、今の市長になってから一度としてない。「.... の職場へ行くのか」といった気分が大きく支配する。残り数カ月の期間だし、自分の身がかわいいのかしら、面と向かって一般職の要望を聞き入れてくれる上司なんていないのかもしれない。僕も自分の職務を淡々とこなすだけに終始している状態だ。それが職務と言えばそれまでだが... 。
 Power Bookも少しばかりDVD-ROMが不調になってしまって、サードパーティーのコンポドライブにしようか、とも考えている。少々お高いが、CPUのアップグレードとともに特別なピズモとしての位置づけの方が、マニアックな点で僕にふさわしい、と感じているからである。
 今日も帰宅が遅くなったが、商店街はシャッターが降りているし、飲屋街は午後8時以降にならないと店が開かない。合併を前に、多くの店が二度と陽の目を見ない状態になるのではないか、と感じられてならない。こういった点は、一般も行政も商店街も、商店街が第一なんだ、とする、おんぶに抱っこだったから起こったことだろうし、それ故に周辺に商店街が出来なかった、という宇和島の方針の欠点だろうか。
 そういえば、どうして店をもう少し遅くまで開けていないのか、と聞くと、電気代、人件費など、損失の方が大きいから、と応えた店主がいるが、それはそれとして、我が店だけは... 、といった気概はないのだろうか、と思わざるを得ない。結局自らを自らで締め上げてしまっている状況が今後とも続くのであろうかな。
 ついでだが、広報に入っていた合併に関するアンケートの結果を見た。回収が100パーセントに近いような内容だが、40パーセント代という回収率からすると、とんでもない数値そのものだ。これらのことの実際が直接住民の身に降りかかることになるのだが、思うに合併したって今の町の方々にとっては、いいことは一切ありませんよ、と断言できるのかもしれない。理由は簡単だ。今の宇和島市の多くが、かつての三町に乗り込んでくるからだ。まるで占領軍のように。
 おまけに、今の宇和島市におんぶに抱っこなんて決して許してはくれない。合併して数年後、合併解消、といったことが実際に起こるとも限らない。そういったものだ。で、心有る人は合併協議会が開催されるときは傍聴に出かけていただきたい。
 苦言を呈すようだが、行政サイドからすると、新市将来構想策定委員の方々の両肩にかかった荷の重さ、「私たちが策定したんだ」ということが合併後もつきまとう、という避けて通れないこと、それは委員の方々の想像を絶するものなんだ、ということを重々肝に銘じて置かれるようお願いしたい。

2002年11月30日()くもり後雨
 前から雨になった。ここ数週間というもの、週末が何らかの形でつぶれる。今日の雨はま、水不足寸前の宇和島には恵みの雨ということだ。
 昨日、一昨日とえらく自分の身体が自分自身でコントロールできていないことに気付かされた。一昨日の未明、ラジオ深夜便の心の時代で紹介された、比叡山の亜砂利の呼吸法がえらく僕の心を打った。それは、吸うよりも吐くことに重点を置くということだ。心の中のモヤモヤも吐くことによって気分が楽になる、に通じるものがあるという。そういえば、吐き続けると、いずれは吸わなくてはならない。吐くことから始めるのが呼吸の原理だろうか。長谷川投手もその呼吸法を実践されている。
 昨日は献血のときの血圧測定の医師の言葉だ。最高血圧値が高い。「腹式でゆっくりと深呼吸をし続けてください。」そんなバカなことあるものかと思いつつやる。「はい、下がりましたよ」。何と130mmHgだ。「下が少し高いかな、ま大丈夫でしょう」という結果で、119回目の献血を終えた。
 この「腹式呼吸」について深く考えているのだが、フッと気付くと胸式で呼吸している。それに、妙にどこかが緊張している自分に気付く。何か重要なものを僕の脳味噌が忘れてしまっている。そのために身体が言うことを聞かない、というか思い通りに動いていないのだろう。もちろん、仕事とか職員団体とか、趣味のこととかの欠点部分の解消が知らない間に重荷になっているのかもしれない。
 静かに雨が降っている。数時間で師走の月になる。今年の年明けが一週間前のように感じられる。そういった感覚が同じように歳もとらせるのかもしれない。

2002年12月1日()雨後はれ
 Yahooのオークションで、人間のよしあしを改めて知った次第。実のところ愛用のPismoのドライブがいかれている。そう、困ったことにDVDはミゴトに再生するのだが、肝心のCD関係は全く呼び込まない。こいつは韓国のLD電子製だ。このバグ(という以上に頭に来るもの)だが、許せないものだ。逆なら僕はそんなには頭に来ない。
 オークションは端っから嫌いだ。これはいうまでもないが、そういった中で、非常にリーズナブルなものが損在する。これこそフリーマーケット、といえるものだ。
 が、今回ばかりは、チョイと困った。残り30分のところで電源をONにしたのだが、急遽、宇和のT君から電話。渡りに船、と落札を依頼するが、肝心要のものがない。即決なんて一切記載がない。午後10時過ぎがリミットなんだが、そのものが既に記載から外れているのだ。もちろん、早期に決着する場合があります、と記載はあるが、通常からすると最終段階で決着するはずなんだが... 。
 あ、そうか、僕はこういったところが落札者の気分を逆撫でするような感じになって、代金の支払いから始まって製品の受け渡しまで、落札者への不安が常に存在する日本独特のものがあるのではないか、と感じてしまった。
 ことが前後するが、午後は松山市民吹奏楽団のコンサートに出向いた。2時間程度気分よく過ごせた。宇和島にも吹奏楽団が結成されたが、気長くやって末長く続いてほしい、と思った。
 多くの人の脳裏から抹消されたかもしれないが、「ザ・ブルファイツ」という楽団が宇和島にもあった、ということを忘れないでいただきたい。人は「お前さんは古いんだ。今のレベルでの吹奏楽団を考えなければ」という。が、僕は「軍艦マーチ」ぐらいを立派に演奏していただきたい、と思うし、マーチングバンドでもあるべきだ、と今から感じざるを得ない。

2002年12月 7日()雨時々くもり
 痛が3日間、酒の席も今日で連続3日間。先ほどようやく終わった。本日は昨日の酒宴の席での雄弁さから解放され、外も雨だから比較的のんびりできた。腹具合は依然としておかしいままだ。
 夜は高校の同級生同士の忘年会前、その前の時間を利用してwww/Grid No.45を意気揚々アップロードする。文書修正を加えて時間にして2時間。ところが最後の最後でこける。先月と同じようなことになってしまった。時間がなくなって止むなくβ版としてこの場を終了。酒の席から帰って修正を試みるが、いかんせん、キカイが違いすぎるので、完全にすることができない。明日まで持ち越すことにした。
 本日のワールドカップスケート、女子の500mは実におもしろかった。というか、優勝者である日本の新谷選手と、2位カナダのルメイ・ドーン選手との差が1/100秒差。しかも、ルメイ・ドーン選手の滑る最終組が終わるまで結果が出なかった。こんなことってあるんだな、と感じ入った。
 彼女はオリンピックに出られなかったことから黙々と練習をした、という。これを機に、その練習方法を変えることなく行っていただきたい。「次は絶対に負けられない」というのをプレッシャーにすると、とんでもないことになる。国民の多くがそういった考え方になってしまうから、大半は次回に負けると、必ず「ダメ」の烙印を押しつける。まるで選手は消耗パーツのようにね。日本人特有というか、未だに太平洋戦争前が尾を引いているもかもしれない。
 新聞の同じ欄にでていた岩崎恭子さんの記事を見て、この新谷選手のことも少々気になった次第だ。

2002年12月8日()くもり時々雨
 日はジョン・レノンの命日だ。これだけで済まされるのなら何にも言わない。熱狂的ファンの凶弾に倒れたのが原因らしい。僕は批判を浴びてもいい。ジョン・レノンだって、ビートルズというバンドがなければ、単なるシンガーだけだ。たまに作詞やって、本を書いて、作曲して、というだけじゃないか。 もし、ビートルズというグループがこの世になかったら、と考えるのはどうだろうか、ジョンがくたばったのが1980年だったかな、もう22年も経過している。ジョージ・ハリスンもこの間他界した。そう騒がれなかった。でも、あのリードギターがなければビートルズって存在しないのではないだろうか。
 僕はこういったことを十分に取り上げないから、最近になっての今のミュージックシーンのことを考えてしまうのである。
 そして、日本国民に今一度声を大にして言いたいのは、今から61年前、1941年の日本時間のこの日、旧帝国日本軍はハワイ、真珠湾攻撃を敢行した日なのである。ここから4年と数か月、徹底的にたたきつぶされた日本国民をその場に置く戦いが始まったのだ。
 終戦の日は何らかの形で国民の大半は知っているにもかかわらず、この開戦の日はいっさい公表なんぞしない。僕はこれが日本の一番ダメな点であるようでならない。
 強いて言うと、国民、特に若い人たちには、どういったことで今の日本が存在しているのか、しかも一番大きなペナルティーをやらかしたことを、実際にはほとんど教えられていない。
 この「開戦の教訓」が教えられないために、負けた後の状況を教えても、結局今の豊かな日本しかわからないのではないだろうか、と僕は深く考えてしまった。

2002年12月 9日(月)くもり時々雨
 後から風が強くなった。昨日の葬儀が尾を引いているような、職場から一瞬にして姿を消したその人の残像が残っているような気がしてならないのだ。今日など、久々に早く出勤したものだから、そのことがいっそう感じられる。
 幸い、というと語弊はあろうけど、来庁者が多く、その分その人を忘れられたが、退庁後、その席に誰もいない、ということがすぐさま現実の世界に引き戻す。これはしばらくは消えそうもない。
 暗い話題から一転しよう。ようやくのことでPower BookのDVD-ROMをヤフオクでゲットできた。顛末はいずれお知らせするとして、今回は残り10分で500円アップの横入れが来た。「どうするか?」で、超高速に頭を回転させる。
 もう一品、5日後に落札終了分があるが、これはどうもモノが違う。もちろん、Power Bookのロットによって使用するDVD-ROMも違うわけだが、直感として、これは僕のにはフィットしない。しからば、というわけで、さらに500円アップして入札。これが終了5分前。遅いキカイでも、今日は状態がいいのかしら、結構速く確認できる。「もう来るなよ... 」と願いながら、1分ごとの更新を行って、こちらの時計で残り30秒、誰もアップしなかった。見事落札できた。思わず万歳をした。
 Apple独自の在宅部品交換でも36,000円程度だ。その半額以下で落札だったからよしとしよう。
 もう一つ、僕が相互リンクしている「おちゃ」さんのSRが全面改修を完了した知らせが届いた。おちゃさんのBBSでお仲間たちが盛んにエールの交換をする。
 ハイカムの導入を勧めた僕は、どうなりましたか、と問うてみたのだが、その前にハイカムの場合のランニングインはどうするかを説明されていたKさんの書き込みの中で、僕の書き込みより後に「ハイカムは何を入れましたか?」というがあって、失礼とは思いながら、同好の士として思わず笑ってしまった。
 当の僕も... だろう、とヨシムラの製品ではないか、としてみたのだが、実際はおちゃさんの報告を待たないとならない。一体何が入っているのだろうか。ホワイトブロスかな?。
 SRを肴にBBSでの少しばかりのやりとりに、少なくとも全国レベルで、年齢差も感じずに単にSRという共通のオートバイでこういったやりとりができることが、今の世知辛い世の中で非常にうれしくなってしまうのだ。だから、止められまへんな〜。もちろんCB-1300に浮気してもSRを捨てることはない。

2002年12月16日(月)くもり一時雨
 懣とも何とも言い切れない中で、職場に出向く。昼前から雨になった。これがこれとして宇和島には恵みの雨なのだが、松山では少ない雨量になってしまったようだ。昨日PismoのDVD-ROMを換装して、当面の問題はクリアーした。
 僕はよくわからないのだが、一部故障した、しかもこの1台しか使える機種がない、とした場合、Macは相当に苦労するように感じてならない。が、である。そう、今はOSがX(テン)になって、ベースがUNIXだ。今年の始め頃から僕もXの世界を使い始めているが、かつてのMac OSには帰りたくない。
 Xを使えばおわかりだろう。速度的にはそんなに速いとは感じない。比較すると最終の9.2.2の方がG3のマシン程度ならはるかに速い。しかし、安定性から比較すると僕はXの方がはるかに安定している、と言わざるを得ない。
 そういったところから考えを巡らしていると、別にアパートを借りて住まいしている息子が用事で来宅した。僕もしばらくの間Power Book 150をぶん取っている関係から、1台いい物をプレゼントしたい、と考えてのことだ。部屋の関係からデスクトップは無理、という。なら、今ならiBookの14インチだろう。しかし、これがそうはいかない。次期モデルの兼ね合いがあって簡単に今のモデルに手を出せないのである。ディスプレーの大きさはおよそ14インチ。しかも軽量で、狭い部屋でも違和感のないところのもの、というマシンである。
 ま、3月の誕生日にプレゼント、となるところだが、これが前述したモデルチェンジとの兼ね合いが出てくる。楽しいやら苦しいやら、というところだ。

2002年12月18日(水)くもり
 そう、そうなんだ。一日休暇を取って一生懸命今やることを考えていた。まずは、お歳暮。これが供物料になりかねないことが出てきて、少々心配なうちに大丸蒲鉾店から送付していただいた。女将さんがいつもの品々を記憶していてくれるから、こっちも代金を支払うのみだ。
 次はプリンター選びだ。いつになく大変の一文字が加わる。僕はHPの製品がいい、と思っているが、アフターサービスなどの関係で、今回は見送った。
 が、例えとして、杜氏として長年媛鶴で培ったものは消すことなどできやしない、というのと同じだ。どうしてもキャノンが次の候補かな。
 そういったことでMac Fanの批評記事で、いい評価をしていたCanonのPIXSUS 320iを購入した。一年のうちに何度プリンターのことを前面に出すか、ということになると、今までの僕は蚊帳の外である。あくまで、今の使用状況から判断しての製品購入とした。
 実はこのプリンターを探し出すまでは相当な苦労があった。まずは金額。デオデオでは少々... 、ダイナマイト、ありません。やはりダメか、と思ったところ、マツヤデンキにあるではないか。おまけに安い。急いで購入。これでプリンターは一段落だ。
 次なるものはインクジェット専用の年賀状の購入だ。郵便局はすでに在庫切れ。藁をも掴む気分で新しい中央店のサンクスで問う。「ありません」。ウグ!。「でも、寄松店にあるので、連絡しておきます」というチーフの言葉に助けられた。しかし、SRを引っぱり出さないと時間がない。久々にSRを出したが、やはりシートとのマッチングが悪い。そうだ、こんなことはどうでもいい。寄松店でようやくにして、インクジェット用の年賀はがきを受け取った次第だ。
 プリンターの状況はVery Goodであった。ずっと前のスタイルライターがシリアルポートのMacでは活躍している。今回のUSBは職員団体のものとメーカーも同じだし、結構使い勝手もいい。そういった意味から今回のプリンターはGoodである。 

2002年12月19日(木)雨
 に濡れながらたたずむ人がいる
  傘の花が咲く土曜の昼下がり
   約束した時間だけが身体をすり抜ける
    道行く人は誰一人も見向きもしない
     恋はいつの日も... 、
三善えいじの「雨」だ。どちらかというと、今日は「氷雨」というべきものだが、これが寒くない。
 昨日のプリンター探しの彷徨は大変だった。目的のものを見つけたところは、こともあろうかマツヤデンキ。いつもあまり出向かないショップに堂々と置いてあった。すぐさま購入したが、ショップめぐりに費やした時間だけがむなしかった。何しろ徒歩での移動だから。
 そんなものを洗い流す雨でもない。強いて言うと、木曜日で商店街は休みのはずだが、年末大売り出しの旗にもあるように、この年末は無休だ。が、足並みなんて一切揃わない。商店街連盟で決めたにもかかわらず、シャッターが降りている店の方が多い。議会も終わって我々公務員の賃金も下げられた。おかしいことに市長ほかの三役の賃金と議員の報酬は下がらない。宇和島市は不思議な自治体だ。
 県議会の自民党山本幹事長などは、県民総意で選ばれた議員自ら報酬を下げるべきだ、として、県議会議員の報酬を下げた。貧乏な宇和島のことだから、市長自ら「下げる」と発言してしかるべきだが、それがない。僕の考えは間違っているだろうか。
 市議会議員のセンセイ方にしても同じだ。議員なんぞ、今の2/3ぐらいの報酬額でもいい、と思う。
 こんなこと考えながら、帰宅の道として商店街を通るのだが、パチンコ屋さんも人が入っていない。失礼ながら、年末までにシャッターが開かないところが出る、とも言われているが、それ以上に明日になってもシャッターが上がらないところが出るのかもしれないな。

2002年12月21日()雨後くもり
 は今相当にあほくさくなっている。今、NHKテレビの浜田塾なんてものをやっているが、失敗は失敗として、どうして師匠の一言がそこにアピールできないのだろうか。僕が彼らの師匠なら、その都度出演し、「こいつにはこういったことを言ってやらせようとしていたのだが」というのを聞かねばならないし、それを番組中に紹介すべきだ。が、僕として、今回は少々考え方を変えざるを得なかった。昔と今とでは根本のものは変えようがないが、使用者は人事管理をしっかりしないと今はダメだな、と感じてしまった。
 結果としての下っ端のフォローはいつでもできる。その失敗をやらかしたときの、上司はどう判断して、その人を叱ったか、上司の反省などは放映されない。これでは、通称の「がんばる」がまかり通ることになる。
 僕も今の仕事でそんなにがんばっていない。そう、がんばる必要なんて、1年のうちにそんなに出てくるものではないんだ。番組中の競りの彼女でもそうだ。阿吽の呼吸なんて先輩から教えてくれるものはほとんどない。宮大工の彼女も、もっと真剣に元図を真剣に頭の中にたたきこめば失敗なんぞ済むことだ。
 同様、僕もこの番組の裏である南海放送の物まねを見ていたら、こういったことにはならなかったはずだ。
 本日、年賀状をプリントアウトした。僕は好きな画像だけど、昨年のような勇ましいものはない。もし、バックの画像が5月の中旬なら麦秋だ。そう思っていただければ解決することだ。しかし、NHKテレビのあの番組は師匠の言葉を絶対に出すべきだ、と思うのだが、みなさん方はいかがであろうか。
 昼からディスクマーケットに出かけて7,000円ほど出費した。いいもは数点しかない。結構モノが無くなっている。これが現実だし、信じられないような者がLPをチョイスしている。
 ちなみに携帯で連絡しながThe BeatlesのLet It Beのみ購入した青年がいた。「ディスクに関係ないのならもっといいのがありますよ」と僕はおしえたかったのだが、止めにした。「僕の持っているのを差し上げましょうか」といいたかったんだ。それほどのものだ。したがって、アナログディスクは相当に数が少ないし、いいものが少ない、ということを理解しておいていただきたい。
 そろそろ、LPよりはCDの方がいいんですよ、と記載しなきゃならない。アナログディスクってものは、個人の再生システムで大きく変化するのです。
 そこを見極めないのなら、僕はCDのいいのを「1,000円札を握りしめて」の世界が再び現れるのだが、今、アホ臭さを一心に受けとめている僕が、エセADオーソリティーに逆に笑われているようでならない。

2002年12月23日()くもり後時々はれ
 一瞬にして、昨日の友は今日の敵になる。決して逆を否定するつもりは一切無い。しかし、僕は市内の少なくとも「会社」と名の付くところの経営者がいかに「労働協約」というものを無視しているかが分かった次第だ。
 僕のご友人と話をしていて、少しばかりカチンときてしまった。ここで切れてはいけないから、いつもと違ってウヤムヤな返答をしていたが、彼は経営陣の役職になっている。もちろん、一般の企業とは少々異にしているが、職務上は経理関係ほかを一手にやっているのは間違いがない。そういった業務で活躍されているのは、以前から知っている。
 今日はたまたま、うち(市)の職員のことが出てきた。公務員といえども、不合理というか、法律に触れることを理事者側がやった場合は「司法」にゆだねますよ、といったところで、少しばかり口論になった。
 もちろん、貧乏所帯の宇和島市のことであろうから、彼の言う(民間企業並の考え方で)宇和島市(行政)の手ぬるさは大いに分かるし、職員の給料も下げよ、そして市長の給料も下げよ、とも言う。
 しかし、その宇和島市行政が抱える内容の奥深くは一切報じられないし、厳密に言うと「内部」のことであり、いかに市民の税金云々を使用して... 、と言われようとも、これは内部のことで、内部のやり方の守るべき姿があってしかるべきだ。
 ところが、これを今の市長は一切お構いなしに、働く者とそのやり方がマズイとして、一方的にやっつける。そうは言ったものの、業績が上がらなくても、否、職員の賃金が下げられたのもかかわらず、彼の給料は下がらないし、彼がこのことを出すと、議員の報酬も下げられそうだから、議会になんぞ上程されない。これが今の現実だ。
 では、労働法関係に沿って、お友達である民間の彼は、本当に「会社」としての揺るぎ無いポジションと経営をやっているかどうか、僕ははなはだ疑問だ。
 市行政のトップである市長自身にしても「私が間違っていた」とは一切言わない。自分の言ったことを批判する奴は「去れ」とまで、もっと言うと「公務員は首を切れないから」と平気で言う。法律を熟読し、顧問弁護士とも相談して、などは一切無い。
 行政でこのような状態だから、僕はおそらく市内の企業で、経営者諸君は「絶対」労働法などの使用者側としての法律なんか知りやしない。ましてや、労働協約なんぞ、本当に「何だ?」というところが大半ではないか、と思う。
 僕が組合の代表者だから、こういったことを持ち出すのではない。誰だって、仕事先の向上は目指すし、働き先が困ったら助け合うことも必要だ。しかし、労働者としての人権などが無視されるとなれば、これは反論しなければならない。これが民主主義だ。
 お友達の彼だって、冗談を交えてのことで言ったのかもしれない。しかし、僕の今の職場では職員の大半が市長の言いなりになってしまっている。市広報に出た市長の談話では、職員を信頼していない冴えたる言い方のように確信している。
 このように、職員を養護してくれない市長に、どうして市行政推進のために協力なんぞできるものか。
 市行政、市のトップがこういった有り様だ。市内の企業なんて、関係諸機関が突っつけば、大量のごみが出て一発崩壊するところが相当にあるのでは無かろうか。
 こんなこと考えると、合併前に「宇和島市崩壊」となった方が、将来に対してよりよい方向付けができるのではないだろうか、と思わず考えてしまった。

2002年12月25日(水)くもり一時雨
 当に「バカ言ってんじゃないよ」と言わざるを得ないのが、なんだった?、そう「保守新党」とかいう新しい政党だな。夜のNHKニュース10で、その代表である熊谷氏が出演し、そりゃ、かっこいいこと言いましたよ。僕は聞いているうちに、これは軽いな!、と思った次第。あんたの言うとおりになれば、党利につきる、というジョークにもなりそうだ。そりゃ、民主党から脱党して、新党結成をやってしまったのはいたしかたないが、自分の思いが通じないから新党を結成した、という理由はおかしいと思うし、自分が国会議員になった当初のところはどうだったのだろうか、と思わず考えてしまった。
 それに付随して、自民党に戻ったりする輩もいらっしゃるのだから、何をかいわんや、というところである。僕はこんなことがあるので、政治の世界は嫌なんだ。その上に、政治家っていうけど、どうも政治屋としての生き方をしている議員があまりに多いように思われてならない。
 こんなことがまかり通る政治の世界だから、次の国政選挙はもとより、知事選も県議選も市議選も、投票率って相当に低いものになるように思う。
 こういったことをやっている今の状態があるから、僕は政治のことをあまり記載しないのである。
 さて、クリスマス、僕はいいプレゼントを僕自身に贈った。というのも、加山雄三とザ・ランチャーズの最初のLP(コロンビア盤)の再発盤を入手できた。ゾンビーズの未発表バージョンなどを納めたCDとともにライムハウスへ発注した。そういえば、この間、南予文化会館で開催されたディスクマーケットでも思わぬものを入手したが、いいディスクは少なくなってきだした。このことは、空前のようなアナログ復帰を促すようなエセ・アナログのエンスーが最近増えたことも、その一因であろう。
 ま、項を改めてこのことは記載したいが、ディジタルしか知らない輩がアナログ、というものに目覚めるから、スピーカーコード1mに数万円出して「いい音」なんぞホザク。ま、オーディオ関係誌もそういったことを取り上げないと売れないし、製品でも明快に「ダメ」とする評論家もいない。日本特有の世界だな、と感じる。
 その点、僕のようなやり方は逆に異端に思われるのだろう。これからはDVDオーディオのはずなんだが、一向にその方向性が示されない。

2002年12月28日(土)くもり時々はれ
 いおい、今日から僕は休みなんだけど、そうも言っていられない。ばかげたことだが、のんびりできないんだ。そういえば、昨年の今頃はPismoが不調を訴えて、思いっきりCD-Rにバックアップしていて、成功して、修理完了を待っていたときだったはずだ。
 今日も今日で、何かに包まれている状況の中で何とか打開策を見つけだすために、何やかや、本当に何やかや考えを巡らして何とかしたいと考えていたときだった。これは間違いない。何をするにも、今日は土曜日で、通常なら休日、という気分だけで、普段の土曜日となんら代わりのないことをしていた次第だ。
 午後、トライアンフ用のメインジェットを注文するために、オートショップワタナベへSRで出向く。カワサキのZZR1000のリアカウルの修正を手伝ったが、こうまでしてスタンダードの状態を壊したいのかな、と考えた次第だ。メインジェットを来年発注として、改造も終わって帰宅。
 何だろうか、こうやって記載していても、日常の行動なんかは一切いつもと同じだから、この状態は崩したくない。休日は休日として、このままの状態を明年1月の仕事始めまで継続したい。

2002年12月29日()くもり時々はれ
 日は母の命日だ。本来なら正月の準備だが、いつも通り、この面は翌日に回した。とりあえずは、お寺へ行く。位牌堂へ供えものをして墓地へ行く前に、初七日だろうか、その方の一行が来られた。うちと同じように年末に逝かれる方もいらっしゃるのだ。併せて、以前お隣に住んでいらっしたKさんのご長男が亡くなった、ということを和尚から聞いた。
 最近僕も考えるところがあるようで、しばしば、つじつまの合わない夢を見る。年末年始の休暇に入って2日目だが、ようやくにして自分を取り戻せる。そろそろ、半分仕事のような多くのものから手を引く必要があるのではないだろうか。昨年の僕の誕生日は画家である伊藤清永の命日だそうだ。思いも寄らないことがあるのだな、と感じた次第。
 そうそう、来年はトライアンフにSRのフロントフォークを移植する計画を実行に移すことにする。パーツの供給と加工によって、金額の上昇が不安であるし、期間もどの程度かかるか不明だ。しかし、車検を継続する必要から、明年1年間が勝負、ということになる。ま、少しずつやることとしよう。
 SRのプラグを点検。現在デンソーのW20EPR-Uを装着している。2000kmほど走って初めて点検のためにはずした次第。少し様子が悪い。スプリットファイアSF-426Cに交換。一発で変化が分かる。当然後者の方に軍配が上がる。が、この様子が悪いのはプラグが悪いのではない。これには少しばかり理由があるのだが、この理由はいずれ報告しよう。
 妻は本日当直勤務。家の中は一人っきりだ。当然飼い猫にも無視されている僕のことだから気にもならない。明後日からは2レンチャンの勤務が彼女に課せられる。年中行事のようなものとはいえ、彼女自身には厳しいものがある。
 少し冷えてきた夜、久々に作った湯豆腐とワンカップの清酒で心がなごんだ。

2002年12月31日(火)はれ後くもり
 、紅白歌合戦の序盤戦。先ほど夕食として年越しそばを食べた。間もなく今年も終わる。少しばかり去年までのこの日の日記を読み返していた。おかしいもので、年毎に「たかが1日だけ日が変わっただけじゃないか」としたものが多くなってしている。
 ところが、今年の暮れになって僕の身近な方々が、にわかに逝去することに接すると、そうも言えなくなって来始めた。同僚が、元お隣が、そして一緒に仕事をして退職された方が... 。心の中では何かしら恐い胸騒ぎのようなものを感じざるを得ない。特に退職した方が急激にテンションが切れて何をするまでもないままに逝去、というパターンが多い。仕事オンリーで突き進むと、必ずやそうなるように感じる。ずるい言い方かもしれないが、僕のように仕事はほどほどにして、楽しみにもある程度「力」入れていないとならないのではないだろうか。そして休暇を無理してでも取ること。そして、休暇中は仕事のことは一切考えないこと。現代を生き抜くには必ず必要なことだろう。
 そういったことから、本日は大晦日にもかかわらず、SRに乗り続けた。思いもかけない結果が出た。これはいずれ報告したい。
 幸いにもeMateのバッテリーが解決し、僕の身の回りの機器類は順調である。だいたい、2002という最初と終わりが同じっていう場合はゾロメとは違いあまりいい結果が出ないのかもしれない。
 順調なら明日、年中行事の五社初詣サイクリングに出かけ、年賀状を見て、新春の特番テレビで楽しんで、今日と同じような時刻、この日記を記載しているのではないだろうか。
 しかし、年は替わっている。1日しか違わないのに... 。

 
 


inserted by FC2 system