2003. 10.02〜12.31

2003年10月 2日(木)はれ時々くもり
 事者と退職者の条件面のことで交渉。でも、これは交渉じゃない。一方的な押しつけに過ぎない。僕など気にはしていないが、退職しようとする方々には昨年と今年とではエライ違いだ、という憤りとかそういったものが渦巻く世界に入り込まされてしまっている、と感じられていることであろう。来年の今頃なら合併を前にしてだから、退職の条件は今と大きく異なることも致し方ないが、今年は昨年と同様にすべきだろう、と... 。
 僕は、このことは理事者がいう「市民に申し開きがたたない」こともなかろう、と考える。法律で縛られ、他の業種の副業も出来ず、一心に定年まで働く。やれ、民間はどうのこうの、とのたまう理事者、国家公務員並に引き下げる、いい加減腹が立って、どの範囲の市民に申し開きがたたないのか、国家公務員並になっていないところは引き上げなさい、財源が厳しいなら、職員に数値を示して説明しろ、ってんだ。最後は県の締め付けが... 。
 僕は遂に机を叩いてしまった。ま、今のトップ陣では、この街が沈没する姿を見届けなきゃならないのだろうな。最終の尻拭いは我々なんだろう。トップは選挙で落ちればそれまでだし。貧乏な町が貧乏な市と一緒になったところで、貧乏の輪が広がるばかりだ。そのうち、手数料とか、住民税なんかがアップするんだろう。住民はアップアップになってしまってブクブクブク... 。
 2004年の今日はどうなってんだろうか。
 アッ、そうだ、コミックのビッグウイングの11刊を買ってきた。いつものオートバイ雑誌は無かった。早くも廃刊かな。で、ビッグウイング、この中の人情味あふれるというか、ほんの日常ありそうなことについつい涙してしまう。決して僕が齢を重ねたというわけではないのだが、読んでいくうちに... 。ま、先ほどのことも少しは薄められた。
 ヤフオクのウォッチリストに入れていたPismo用のP.T.Kが何と10,000円で落札。ばかげている。ま、ASCII配列にするなら、純正の英語バージョンのほうが遙かに使いやすいのだが、いずれにしても今はない会社がリリースしたものだし、写真の程度からすれば落札金額はバカ高い。新品が14,800円だったのだから。
 その点、別枠のコダック・インスタマチックカメラ104は拾いものだった。我が家の100は妻との新婚旅行にも同行したし、若干くたびれてきたところに、今回の104が出現したものだから、あわてて落札した。父がフジペットの次に買ってくれた手持ちの100と機構は同じものだ。何とも言えない気分になってきた。あれから40年ほど時が過ぎているのだな〜。

2003年10月 8日(水)くもり後はれ
 やかやあって日記の記載が出来ないで、前回から一週間も過ぎてしまった。ふがいないと言えばふがいないが、なかなか忙しいものがあって、どうにもならなかった。その意味合いから、アップロードも遅れた始末。「今日ぐらいに... 」とアクセスしていただいた方には迷惑をかけたと思う。
 昨日は高知にあった845のマスターからホームページを間もなく立ち上げるのでヨロシク、とメールが入っていた。このメールってヤツは、現在千葉県にいらっしゃるマスターとの距離を一気に縮める。メール=手紙とすれば、これほど安いものはない。僕は電話よりはメールの方が好きだ。もちろんパソコンのね。
 重要なものならプリントアウトすれば、少なくとも二つの方法で保存が出来る。返事は別枠でメールすればいいし、簡単なものならRe.の返信にすればいいのだから。で、時には自筆の手紙を出せばいい。
 Yさんのページが立ち上がれば早速紹介したいと思う。おそらく、オーディオの関係では少々インパクトがあるのではないか、と楽しみにしている。

2003年10月 9日(木)はれ
 から休みを取って、SR500のオイルクーラー取り付けに自問自答する。夕刻ようやく決定打が出た。考えてみるとメッチャクチャあほくさくって、ここでは紹介するのをはばかる。
 午前中の身体測定は、とうとう最後通告を受けた。といっても血圧の薬を飲め、とのことだが、僕は死ぬまで拒否してやる。今の血圧の薬はあまりに人を腑抜けにしてしまう。これは両親の姿で嫌というほど味わっている。52歳の僕が医師の処方で薬を飲用すると、次に待っているのは、フィット「していた」か「していなかった」かのいずれかだ。僕は後者をとりたい。その結果を知っているからだ。不思議だろうけど、「飲まない方がよかった」が、検査も必要以上に長期にわたって行わないこの辺では、薬のリバウンドが相当に答えるんだ。「ちょっと血圧が高い。うどんが出ても汁を全部飲むでしょ?。酒も飲むでしょ?」と医師にズバリ言われて、「ま、塩分を控えて、酒の量を減らすことを指切り」と医師が言えば、「この医師は凄い」と自重するが、「よ〜っくここまで放ってたものだ」と言う医師には絶対にかかりたくない。が、このパターンがほとんどなんだ。
 ま、くたばるときは神のみぞ知るだから、この辺のところは気にしないことにしている。
 オイルクーラー装着に向けていろいろ柵を巡らしているが、やればやるほどアホくさくなってしまう。考えをまとめると、2mm厚程度のプレートがあればいい。これだけだ。バッカみたい。早速土曜日あたりにでも実行してみたい。
 外は14日の月、明日は十五夜、昨日の十三夜の月を愛でつつ一杯やってた方がよかったのかもしれない。

2003年10月11日()くもり後雨
 前中に職場の清掃活動。最近出かけていなかったが、お城山の周りの植え込みに捨てられた缶が多い。捨てる方も心得ていて、密集しているでもなく、そこそこ揃っているところへ捨てている。自動車からだと、そういったところでなければ缶を放っても地面に到達しない。最近ではシルバーの清掃者も見かけなくなった。考えれば割に合わない仕事だものな。
 昼前に宇和のT君に連絡取って、小雨模様だったが午後からSR500にロックハートのオイルクーラーを装着することにした。不足のパーツは昨日までにあらかじめ僕の方で揃えておいた。T君宅でなければ板金加工が出来ない。いわばちょっとした工場なんだな。
 途中、吉田町のDIYショップ「ディック」でカストロールGTXの10W40のオイルを購入する。鉱物油だがUSAメイド。結構いい状況だ。しかも580円/リッターという安さ。かつての高性能オイルもごく普通になってしまった。
 取り付けステー作成から装着レイアウト変更まで2時間で取り付け終了。オイルを200cc程度継ぎ足してOKとした。
 結果は思った通り。すでにSTPオイルトリートメントの効果を得ていたが、オイルクーラー装着後は感覚だけだが非常に好ましい変化を示すようになった。オイル取り出しはロックハート純正のアダプターを使用しての取り付けだが、このままでもなかなかいいようだ。次号あたりに報告したい。
 帰路、「もしも」ということを考えながらの想像で「SR500にはオイルクーラーを装着してSR400との差別化を計るべきであった」と考えを巡らせた。SRX6より少し大きいオイルクーラーを純正としたら、エンジン特性などからSR500はもっとすばらしいものになっていたのではないだろうか、と考えた。オイルクーラーを装着して一層SR500が身近になった。

2003年10月13日(月)雨後くもり
 日は休みなんだ。言い聞かせるようにして午前3時まで眠れなかった自分を8時前まで眠らせる。
 テレビが言う「体育の日の今日は... 」と。オイ、待てよ、今日は10月の13日で、本来の体育の日ではない。本来の体育の日は1964年10月10日の第18回東京オリンピックの開会を記念しての祝日にしたのが最初である。それを今の自民党中心にした似非政治家どもが「日本人は働き過ぎだから、休日を連休にして一気に休ましちまえ」と勝手に押しつけた結果に過ぎない。
 多くの人々の記憶の隅から消え去りそうな「東京オリンピック」。その開会式の10月10日は晴天が多い、という特異日に行うことを決定していたのだ。その意味から今日は関東で大雨が降っても大いに結構だ。事故が起きようと、時には政治家(屋)が自然の摂理に従わず、この日を変更したから、としても致し方ない、と感じてしまった。
 爆弾騒ぎの大阪ででも「落とした米軍が処理せよ」というのが本来の筋だが、これが言えないんだな。が中国でやった毒ガス関連は「日本が責任を負え」とくる。敗戦国が未だに負う、言いようのないものだろうか。もっとも、戦争をけしかけたのも我が国だから、どうすることも出来ないのも事実だ。
 今回の衆議院選挙でも麻生のいう「感じたことは言いたい放題だが、自分は当事者にはならない」という馬鹿げた言い分、公明党幹部が「(自民党)の側面支持をしますから... 是非我々にも政権に就かせて」が全面に出ても、支持者の結束で「当選は大丈夫」としたバカ集団の言い分。「熊谷党首の軽い表現で、幹部は本音を一切言わない新保守党」など、小泉君は嫌いだが、自民党ではなく連立の仲間内で小競り合いしている真っただなかに立っている当人がかわいそうに感じてきた。はっきり言えば四面楚歌だ。
 僕は心から信じはしないが、政治公約という「ニフェスト」を掲げて臨む民主党に託すのも一つの方法ではないか、と感じたりもする。
 ま、そんな中、夕暮れの商店街を歩きながら退職した後で、「昔の商店をやってみたいな」と感じてしまった。今でも看板を下ろしていない「二○加(にわか)」を使って... 。
 やるとすれば、向こう9年先だ。それまでに、僕の身に付けているもののノウハウを精査してメインになるものを選ぶことが必要か... 。としても、時として信じられないもので成功することもあり!、が事実だから、じっくりと構えなければならない。
 そんなこんなで、今日は昼飯を食らうのをすっかり忘れてしまっていた。

2003年10月16日(木)はれ
 とは昨日からになるのだが、中国が有人衛星を単独で打ち上げて、本日同国領内へ無事帰還した。僕は中国は凄い国だ、と感じた。
 それをだ、そう、それをどうして日本の報道機関は日本として「悔しい」とか「負け惜しみ」のようなことばかりを流すのだろうか、といささかあほくさくなった。日本の人で初のスペースシャトル搭乗員である毛利さんに何度同じことを繰り返し聞くのだろうか。
 夜になって初めて、ことの重大さを認識させる報道を少しばかりやった。旧ソ連の技術を主として生かしたことに加えて、中国独自の工夫とか今後に結びつける技術的なことは相当に小さい報道になってしまっていた。
 しかし、今の中国の行き方は日本の人が考えている以上に勢いがあるというか、基本的に「国と国民」の関係が日本と中国とではあまりに違いすぎる、ということを認識していない、とは考えられないだろうか。共産主義の中国とは体制に大きく違いがあるのはもちろんのことだが、今の日本は国と国民との一体感はそんなに密接ではないように感じてしまう。
 どうして、今の日本はダメになったのかを考えるとき、僕は明治の世の中になった当時からだろうと考えてしまった。歴史に「もしも」はないが、そのとき、龍馬の考えたアメリカ的な国のあり方、あるいは「王は君臨すれども統治せず」のイギリス的な行き方にレールを敷いていたら... 、と常に考えてしまうのである。
 再び今に戻って、ガガーリンのスプートニク、アメリカのジェミニに次いでの中国の友人衛星は確かに1960年代の始めの時代に大きい国で終わったことだろう。我が国では鉄人28号とか鉄腕アトムが紙の上で活躍していた。そういった時代のことに今回中国が至った、というところだろう。が、日本は未だそこまでには至っていない。それゆえ、負け惜しみ的な言い分が出るのかもしれないが、現在の国の予算でこういった国家プロジェクトは計画すら出来ない。
 国と国民の関係から眺めても、今後しばらくは、人をけ落としてでもいいからのし上がる生き方、ちょうど太平洋戦争後の世界がまた繰り返されるのだろうか。そして、かつての豊かな国であった日本としての位置づけがそこかしこに待ち受けているのであろう。

2003年10月26日()はれ
 ではこの地方の「産業祭り」をやっているというのに、何故「第一回 宇和島市防災訓練」をやろうとするのだろう。これが僕が感じた最初の気分である。職員に対して事前に配布されたのは本日の要領の要約のみ。「9時に集合」それだけ。実際には、食料、飲料水、着替えに懐中電灯、ラジオなどを用意して、集合途中の市内の状況を報告するようになっていた。
 僕はどんなものかと8時過ぎに到着していたが、一向に誰も来ない。9時に下へ降りてみると受付がある。受付が終わったら何をすることなく、10時からの講演を聴くのみ。
 本当に「第一回 宇和島市防災訓練」なのか?僕はクラクラっと目眩がして来だした。
 少なくとも第一回だから「動員体制を整えるまでの時間を重視する」、課ごとに集合を行い、災害本部からの連絡をその場で待つ。(あらかじめ決めているが)本部からの動員養成場所に移動。と、少なくとも、ここまでを行わないと訓練とは言えない。今日はやらせる方だけが一生懸命の訓練に他ならない。一般市民を巻き込んでこんな訓練ならするな!。
 気を取り直して、午後からSRに以前取り付けていたホワイトブロスのスーパートラップ・エキゾーストシステムのインナーコアの修正を行い、テスト走行を兼ねて野村のT君に四自交の決算書と写真を持っていった。僕の友人にはTから始まる名字の方が多い。帰りは時間の関係から宇和のT君宅へは寄らなかった。
 スパトラの状況はきわめて良好。もう少し前にこの方法が分かっていればな... 、と感じたところ。あと一歩踏み込む必要はあるにはあるのだが、ま、少しずつやりたいと思う。詳しくは次号で。

2003年11月 1日()はれ時々くもり
 っきまで新築祝いやってた。今日で連続3日間酒宴の席が続いた。胃が受け付けなくなってしまって、少々げんなりのところだが、さにあらず。昨日からすさまじい何かの流れに乗ってしまったようで、本日正午近くに、ようやく現実に戻った、と感じた。
 ことは昨日、松山へ出張中と、iPodで音楽を列車の中で楽しんでいたが、到着間近にバックライトが点灯したままになった。何度となくリセットを繰り返すが一向に戻らない。
 先月の25日にMac OS X 10.3 Panther が発売になったが、同僚のM君が市内のOAシステムプラザで購入していた。聞くと「そこそこ」と本当のことは言ってくれなかった。4日後の29日にはすでに完売でいつになるか分からない入荷待ちであった。松山でも同様であった。ハードもソフトも別枠になっているMac関係のためだろうか、運良くベスト電器で最後の1箱をゲット。ホット安堵した。
 iPodは帰りの列車に乗るまでの一時、何度もリセットをやりつつ、後少しと思いついたときにリンゴマークが出て元に戻った。
 明けて今朝、7時半頃からPismoにPantherをインストール。甘く構えていたが、インストールだけで2時間もかかった。久々の長丁場、インストールしながらパブリックベータ版からの「Mac OS X」を思い浮かべていた。
 僕のPismo特有の画面のにじみの関係からディスクをスイッチしながら、最終でPantherを立ち上げて日常の作業に移る。ファインダーの変更点、ことえりの状態などを確認していくうちに、体が震えて来だした。まるでCPUのクロックがアップしたのではないか、と思うほどの処理能力を示す。キートップを改造したP.T.Kでタイプしているマシン、昨日まで10.2.8でまぁまぁの働きをしていたマシン、そろそろ買い換えかなとも感じているところだったのだ。
 いつの頃だったか、IIciに68040のアクセラレータ入れて、OS7.5.5で動かしたときの速さを経験してはいるが、OSだけがアップしただけでこれほどのスピードになるとは恐れ入った。はは〜ん、これを経験したユーザーの一人から伝わったのであろう、2〜3日の内に一気に売れまくって店頭からPantherが無くなったのでは... 、と感じた。
 土曜日の半日かかってしまったが、とにかくすごい思いをした。

2003年11月 3日()雨後くもり
 日中Pismoにかかっていた。ウ〜ン、何ということはないんだけど、なかなか侮れないんだ。肝心なことがぶっ飛んでいるのを今日発見。
 Netscapeのブックマークが全くなくなっている。そのためかもしれないが、ネットスケープのファイルがサファリにすべからく変わっている。サファリは相変わらず、時として悶絶になってしまうし、この点はどうしても使い慣れたのに限る。ブックマークを再生してOKとしたが、フォルダーの分類は少し待つこととした。サファリのブックマークと統一しなきゃならない。本当は別ッコなんだけどな。
 iPodも勝手には変更にならない。i.3.1の現在複製して再インストールということになる。昨日作ったご当地ソングなど、音飛びがする。書物によるとiPodの内蔵メモリーが32MBだから、それ以上のファイルはダメなようだ。当然AIFFでの変換だから、一度CD-Rに置き換えるといいように思う。
 そういや、コンピューターを使用して云々はPCM録音から始まったんだ。そろそろトースト購入して、僕の持ち物をCD化する手がかりをそろそろ始めないといけない。それがこれからの、僕のライブラリーづくりかもしれない。こればかりはMac側のハードディスクにしっかり蓄え込んで、外付けのハードディスクなりにバックアップしとく必要があるな。これもね、Pantherの影響かもしれないんだ。G5マシンがもう少し一般化すれば手を打ちたいが、G3マシンでもマシンが変わったのではないかと思うほどいい働きをするので、すごいものになるはずだ。

2003年11月 4日(月)くもり後はれ
 Pismoのガンマ補正をした。今のままでは必ず赤みが発生するか、青色がずれて表示される要因になってしまう。輝度を下げ、画面の色合いを見ながらの調整だから、相対では青味を増して、一方では赤みを増して重厚さを出す。この繰り返しを行って OKとした。同様にATIのユーティリティーはすべからくはずした。クラシック環境を兼ねるOS 9.2の世界も同様に処理する。
 こういった対処をした後、理事者との交渉に入る。毎回のことながら、宇和島市の行政っていうのはこんなに貧しいものばかりだったのか、と言わざるを得ない。
 言ったところで、今の石橋君はヤケになって引き下がりはしない。まるで自分が先頭になって働いていている、と勝手に感じ入っている人間のこと、実戦部隊で働いている部下=市役所職員を痛めつけるような冷たいヤツは市長として相応しくない。我々職員と市内はもとより、県の連合などの労働組合が応援して市長にしてやったことは彼方に追いやってしまっている。それ以上に自分の思い通りにならないと気が済まないようなヤツに次期市長として相応しくない、と明言しておこう。内部崩壊は起こりつつあるんだ。
 さてと、OS Xのことで同僚のM君と少し会話。僕が感じているOS独自の持つマシンの性能をアップするかのようなことは彼のG4 Macでも十分に感じられていることのようだ。どうやら、市内のOAシステムプラザも未入荷のようだから、言いたくはないが、そのパフォーマンスを共有出来ているMacユーザーはかなり少ないのではないか、と感じて残念至極である。次の入荷待ちとはいえ、本当に残念と言わざるを得ない。決して誇張しているのではない。事実なのである。
 そういや、勲章の何とかがあったらしいが、勲章もらったヤツは間もなく死ぬだろうな。この勲章をもらうっていうのは曖昧な基準で、極端に言うと「俺は勲六等に相応しい」と自薦してもいいとか... 、と聞いたことがある。
 僕にくれるっていうときになったら、僕は拒否したい。一体どういったときにコイツを身につけるんだ?。そうか、実績という不明確なものしかない実績故に宝の持ち腐れとなって、もらった人が死ぬのだろうか。
 KAMIO-KANDEの件も国の予算づけでのランクを下げられた、と聞くが、ノーベル賞受賞の当事者のことと、日本の国益なんぞは事務やと政治やには関係ないことなんだろう。

2003年11月 8日()はれ時々くもり
 挙の前日というのに、別の面で結構忙しい。朝は会場準備、それが終わると南予写真協会の作品を額に入れて装丁。それを事務局のイヌガイスタジオへ運ぶ。2〜3点はすでに搬入されていた。50点ほどが展示になるから、興味のある方は14日〜16日まで南予文化会館のロビーへおこし願いたい。
 帰ると留守電、訳ありで入手したサテン仕上げのステンレススーパートラップのロング管で中期のスリップオンを受け取りに行く。残念ながら箱が長いから、積載幅のオーバーでSRでは横積みが出来ない。久しぶりに普通列車で出向く。行きは高徳線で使われていたキハ-185だ。この車両はなかなかいかしていて、乗り心地も今の予讃線のディーゼルよりいい。
 物は、内部構造も全く今と異なる、なかなかすさまじいものであった。そのうち報告することになるが、おそらくポン付けで、吸気など全く変更なしでいけるのではないだろうか、と予想できた。今のものとは全く違うSR500専用のリプレースマフラーだ。というか... だった。もはやSR500はアメリカへは行っていないし、国内でも生産完了だ。
 帰りの列車で女子高校生をずいぶんと見たが、僕の目からしたらチャンキーだなと感じる。我々の時からすると、あまりに幼い感じがする。この娘たちが10年もしないうちに結婚して子どもが出来て母になったときはどうなんだろう、と一瞬不安になる。僕もおじさんになったかもしれないな。
 夜のバレーボールはトルコに勝ったが、妙に騒ぎが大きすぎて空回りが多いように感じる。一昨日までの野球のように、あんなゲームが見たい。というか、バレーボールはノーサイドがない。真ん中をネットで仕切られていて、全体でのゲームの終わった後は敵味方なし、がバレーボールにはない。これも勝っても後味が悪い一因かもしれない。
 リーサルウエポン3で地下鉄のレールで感電したシーンがあったが、大阪の地下鉄はこのタイプだ。千里などへ行くとき地上鉄(爆)になってもパンタグラフがないのは地下鉄のままだからだ。ところが東京の地下鉄はパンタグラフを縮めて天井から電源を確保している。単なる雑学けど知ってた?。
 明日の選挙、蓋を開けたら今と同じっていう気分が強いけど、月曜日からこの国はどうなるのだろうか。

2003年11月 18 日(火)はれ
 天、給料日というのになぜか気分が乗らない。というのは、本日の愛媛新聞に出ていた「市職員の給料に成果主義を」という記事が原因であった。
 ここで申し上げておきたいのは、私たちは民間と違って、18歳で勤めて60歳定年で辞めるまでの総所得が賃金水準の基準となる。役所はいい、といわれるなら、僕が休暇を取って行動をともにしてあげる。そこで民間の方が感じられることを市長に言えばいい。そんなに市役所職員が仕事をしていないことはない、と確信する。
 数十の課があって、各々の課で公共市民サービスを行っている。あいつを蹴落としてでも売り上げを伸ばす、というような仕事内容ではないのだ。同じ課の仕事でも隣同士でも全く違う職種のことをしているんだから、あの課が人手が足らないので応援に行ってくれ、と言われても経験がなければそれはできないし、訪問業務など違法になる場合もあるのだ。
 そんな中で市職員個人個人の絶対評価が果たして可能かどうか。僕は出来ないと考える。
 賃金に話を戻して、高卒の職員が4月の賃金を手にすると手取りはいくらぐらいになるのだろう?「200,000?」。実際は10万円少しだ。おそらく本俸の1/2は保険料と年金、それに所得税、住民税に持って行かれる。ここから始まるんだ。
 年金ったって自分のではない。今の年金受給者の金だ。その手取りから貯金をしたり、単身者は食事代とか公共料金の一部をそこから出して生活しているのだ。この配分費は高額支給者になってもほとんど同じ。結婚して、子どもが出来て、そんな人生の中で苦しくったってアルバイトも出来ないのだ。扶養家族が一切なくなった僕でも2/3以上はさっ引かれるのである。
 消費が冷え込むのは当たり前だし、酒の飲めない市長には分からないだろうが、夜の街に出る回数は激減する。職員が少なくなると、臨時的採用職員では真の仕事ができないし、結果として残務処理。その金は出ない。心身共にまいってしまう。
 それでも人件費を抑えるために、残業してもゼニではなく相応時間の休みをやる、っていう違法をまかり通すような市長が宇和島市の行政のトップに居るんだ。
 そういった者が市広報11月号の裏に新聞記事のネタの発端を記載した。そこにはそういった会があるので「会議の傍聴もできますよ」というものであった。
 ところが、今日の新聞報道はその会が委員会になっていて、席に就いたのは「委員」としての職務を行っているではないか。全く「だまし」だ。地方公務員の賃金の仕組みを理解させずに、これら委員に職員賃金のあり方を委ねていいのかどうか、はなはだ危険きわまりない。
 はっきり言えば、記事の内容をやるのなら市長自らの賃金も引き下げる、と宣誓ぐらいせよ、というんだ。それは報酬等審議会の決定を待つ、ってんだからお粗末きわまりない。
 我々は一般企業の従業員とは根本が違うのである。企業を守るとかの考えは必要ない。宇和島市という自治体をどのように持っていくか、という壮大な構想の中での行政なのに、単に市役所の職員にのみ鞭をくれてやる、ということはどうなるかは一切考えない。ましてや、一般企業の社長はじめ執行役員のような感覚は市長ほかの上級管理職には一切無いように感じる。
 ま、この辺の一般の方々に市役所内部の仕事の様子など知る由もないし、知ろうともしない。ただ闇雲に職員バッシングばかりを行う。市長自ら職員いじめを平気でやる状態、職員もバカではないから、どうなるかは菊池市長時代の最後と同じだろう。
 唯一違うのは、新市になっても市民生活を始め今の状況よりはもっと悪くなるのは確実だから、職員バッシングをやり続けるとどうなるかは言うまでもない。
 仮に市民課で住民票の交付をお願いするには、自動交付機の前に行ってコンピューター音声の指示に従ってボタンを押して300円を投入すれば自動で出てくる世界は遠くないだろう、と想像できる。職員は管理職だけの恐ろしい世界になるわけだ。
 あの合併は失敗だった、と言わせないためには「軍師」のような者が必要なんだが、表面はいいとしても、心底今の市長をサポートする者は居ないだろう。
 誰に、とは言わないが、我々は自治体労働者であると同時に一人の市民として、一人の人間として生活する権利を持っているのだから、そこのところをもう少し考えてほしいものだ、と言わざるを得ない。

2003年11月 20 日(木)雨一時くもり
 日、ヤバイこと記載したよな。今日の愛媛新聞にも津島町が云々の記事が出ていた。もちろん、宇和島市に住む僕としては津島町は合併していただかない方がいい、といえる。これほど中途半端なところはない、といえるような、そんなところがあるからだ。極論すると、海のものは海のものとして、山のものは山のものとしてもどっちつかずでやりきれないんだ。真珠の母貝がどうのこうのといいながら、北灘湾の汚さは筆舌に尽くしがたい。そんなことは一切公表しない。山は山でみかんがどうのこうの語るような田畑作業が存在するわけでもない。一説によると、合併では津島町がイニシアチブを取るような場面が多いと聞く。アホかいな、と僕がいうのはそこなんだ。
 気分が悪い中、肴屋で一息つく。何たって、5つのことを同時進行の事態だ。僕一人がもがいても誰も助けてくれないし、そういった立場のヤツが職員の中に多く見受けられる。今日も市長が早く退庁したのを目撃した。問題はないよ。でも、秘書を連れて公用車で出かけるのだから文句は言えない。が、市長の言う「市政改革」には遠く及ばない。どうしてタクシーを使用しないんだ?の問いに対して「経費削減です」とくる。タクシー業界は「我々を無視するのか」、と言えないのだろうか。こういったところから、食い下がることなく降りるんだ。
 「運転手の人件費、秘書の人件費はどうですか」といって、「それは市長と行動をともにしているから」と答えると、法律違反だ。そこを踏み込んで「退庁時間からは時間外勤務でしょう、その手当を出さないのは違法ですよ」と言える職員が何人居るのだろうか。こんなトップに私たちを... 、止めよう。
 その肴屋でK女史の話を肴に一杯やっていたが、ギフトショップでどうのこうのするのは考え物だな、と感じた。今日は妻の両親の誕生日だ。僕は何も出来なかった。次の連休には何かプレゼントをしたい。僕には市内に親族も何も居なくなってしまった。孤独だな。でも、仲間は一杯いる。こうやって今まで生きてきて、これからのことを考えると少しばかりヤバイと感じることもある。
 ま、夢を持って進んでいきたい。決して「がんばるぞ」という気分を持たないし、口にも出さない、ということで進んでいきたい。

2003年11月22日(土)はれ時々くもり
 の文章は5300csでタイプしている。僕のページへ移動させるには現実には細々した操作が必要なんだが、ま、そのことは別にしても、5300csで一応のことができるまでになった。
 実はギプスを装着して、ディスプレー部分を強化した。これによって少しばかり毛色の変わった、というか、使いやすいPower Bookが一つ増えたことになる。改めて、今になって完調な5300csを実際に使用してみてPPC 520cよりもはるかに使いやすいことが理解できる。ま、このことは本文で紹介したいが、当初に僕がこの5300シリーズは嫌だ、ということは根底にあるものの、Appleサイドがもう少し何とかしていれば... 、と考えたが後の祭だ。
 午後になってSRを走らせようとすると、クラッチがピッタンコになってしまっていて、どうすることもできずにバラした。快調になったのはいいが、今度はウェスにオイル分が付着していたのかしら、少し滑り気味になって閉口する。完全にきれいにするのは何があるかというと、ラッカーシンナーぐらいしか今はない。フリクションプレートはいいのだが、クラッチプレートの細かい傷にオイル分が入り込むのだろうな。
 再びMacに戻って、PismoにATOK 16をインストールした。jyoukyouとタイプするとこれまでは、しばしば「女王挙応」なんて出ていたけど、これがすっかり影を潜めた。ま、なかなか快調であることには違いない。それよりも、Pantherに付属する純正インプットメソッドの「ことえり」の完成度が高いから、これからはMacユーザーになった途端にインプットメソッドのモヤモヤからは解放されるのではないだろうか。それほどの出来栄えだ、「ことえり」は。

2003年11月 24 日(月)はれ後くもり
 たしても闘いの日になってしまった。ま、そんなに相手を云々するようなものではないので必至になるようなことではないが。
 昨日は最後の最後まで細々したことに始終した。まずは、ひょんなことで入手したPower Book 5300csにギプスを組み込んで始終使える状態にしたこと。トライアンフの燃料コックがフィットしなかったこと。多くの空き箱を処分したこと。自転車の虫ゴムを交換したこと。アルバムLet It BeとGet Backを聞き比べてまとめたことなどなど多岐にわたった次第だ。5300csの件は僕の意に反することとして、訪問される方に叱られそうだが、次号の一文をお読みあれ。
 そんなことで本日はのんびりしたかったのだが、それも出来ないことになった。昼前から天候が怪しくなってしまい、雨は降らなかったものの、午前中にことを済ます。
 ホソイのアウトレットへ行ってシューズのいいものを見つけようとしたが、これが不思議なことに27.5cmというのが一足もない。27cmでイケルのはもちろんだが、5mmのマージンが後々のフィット感を大きくスポイルするからやはり購入は控えなければならない。もちろん、一般のビジネスシューズは26.5cmであるのは言うまでもない。リーガルなんて昔どおりワンサイズ大きいのだろうか。
 DIK(DIYショップ)へ行って2.6mmビスのセットを購入して帰る。帰り際、遅めの昼食を... 、とある中華料理屋さんで摂る。僕が見つけたいい店だ。ま、そのうち場所をお知らせしよう。
 早速、ギプスの取り付けねじを交換する。当然のようにピッチがフィットしない。わずかに違うのだ。付属のねじがシンチュウで受けのナットがシンチュウだから、相性がめちゃくちゃ悪い。そこで少し長めのステンレスのビスで追い込んでやって、規定の10mmを装着するとミゴトにフィット。これで完全だ。
 夕刻はヤフオクに励む。うまい具合落札できたが、冷や冷やものであった。何しろ18:00から合併二町との会議があったので、落札の締め切りと重なる。宇和のT君に確認を取っていただいて、僕は最終金額を入れておくことにした。幸い落札は出来たが、晩飯は食べ逃した。
 会議が会議で相当の時間を食ってしまい、まるで合併そのものがうまくいっていないことを暗示しているようでならない。
 21:00前、ようやく出来合もので夕食を済ませて一段落したところだ。いつもなら悪い癖で明日からのことを悲観視する考えに陥るのだが、前回記したようにがんばらない考えがあるのかしら、明日は明日にした。当然、今日のことは今日のこと。忘れっちまおうぜ。

2003年11月 29 日()雨
 、うなされるように目が覚めた。そういえば、昨日は職員団体の定期大会。無事に終わって、懇親会で相当に飲んでしゃべった。最近とみに感じるのだがら激動の時代に突入しつつあるんだ、と。
 午前中に定期大会までにやり残したことをやろうと職場に出向く。「賃金未払い残業はするな」、と言ってはいるが、肝心の執行部が脈絡がないときているため、トップの僕が多くのことをこなさなければならない。そのために本業が... 、という具合だから、いたしかたない。
 案の定、合併関係で遅れている持ち場のヤツが2人も来た。職員の大部分はギリギリのところで仕事をこなしているんだ。市長が言うように我々の賃金は決して高いものではない。我々の仕事の内容、賃金が決められる仕組みすら知らない者が「高いから下げろ」と一方的にやるのは独裁者に他ならない。
 話は変わって、ここ最近立て続けにTriumphのことでメールが来る。どれもが愛車に対して何とか現状を打破したいが、何とかならないものか、という内容だ。何やかや応答していると、ふっと昔に帰ったような気分になる。これって、今の世の中だから出来るんだよな、って。昔だと手紙のやりとりからはじまって、その方のお宅まで出かける、そうやって整備のノウハウを身につけ、ここにこんなものが、などとなるわけだ。
 決して僕のところへメールを送信してくださる方のことを言っているのではないが、今はこういったペーパーレス、人間不在で物事がどんどん進んでいく。時にやりきれなくなってしまうのだ。幸いにもお一方には来月お会いすることになったが、やはり、実物を前にしてどうのこうのをやらないと、人間の世界はうまく行かない。
 で、またしてもイマジネーションの世界に僕を持ち込んで、その時までには参考資料をコピーとか、ここんとこはこういったようにするんだとか、すっかり頭の中はその日になってしまっている。これで裏切られる感じになると僕の頭の中の構築が瓦解してしまう。ヤツアタリして自棄酒だ。ガソリン代より高いし、この方がもっと悪い。自分でいつもそう仕向けるからだ、と言われるのは分かっているのだけど... 。
 

2003年12月10日(水)はれ
 昨日は苦い酒をあおった。本当は違うんだぞ、と言いたいが、僕はその立場にない。それゆえのこと、いつもこの立場に僕は立たされる。この事実を知らさなければ一向に僕と僕を主とした組織が僕に一斉攻撃を掛けてくる。これは事実だ。僕を真から助けてくれるような仲間は居ない。決して仲間を無視することではない。時代がこういった方法を採ってくるにすぎない。自分のことが基本で、仲間のことは少しスタンスを置くという方法だ。
 本日の水道の仲間の集会もそうだ。理事者に本日1日だけで4回も呼び出しを食らう。「お前な、勢い余って自動ドア壊して役所の中に乱入するようなバカは居ないんだって。それより、集会警護に出ているあんたんとこの職員の1時間の時間外勤務手当を出しているのかどういか。」僕はここを追求したい。
 その後、合併協議会を職員組合レベルで話し合う会議に出ていたが、一般のレベルではこういったことまでやらないとならないんだってことが、ようやく三町の働く仲間にも分かりだしてきた次第だ。
 そのことがあって、後の懇親会は非常に素晴らしかった。昨日の酒の席が悔やまれて仕方がない。昨日の会議のトップの独演会はもうコリゴリだ。それほどエライヤツでもないんだよ。その証拠に自分とこの組合はガタガタになる一歩手前で止まっているようだし、かつてのご威光を傘に着て今に生かしても仕方がない。特にバスの関係はじり貧なんだから。
 そういったことも忘れて、非常に楽しい懇親会になった。僕はこれでないとならない。昨日の席もこうであれば、と考えるのだが、やはり...。
 やられて初めて分かるのかもしれない。南予人特有のバカさが表面出てしまうからだろうな、でつまづいてしまううからだろう、嗚呼

2003年12月16日(火)はれ
 の前の日記から一週間が過ぎた。この時期、異例に少ない僕の日記であろうと思う。本日は八幡浜へ会議で出張していた。そこで出される内容は同じ仲間内でも、もっと早くに知らしてほしいものばかりである。それを今になってどうのこうのしても一向にらちがあかない。一つ二つの行き違いは仲間内だから問題ないんだから積極的に公表していただきたいんだ。で、実際はどうなんだ、と言えば「遅きに失した」ということだ。すでに周りでことが進みすぎている。
 合併にいたって、僕なんか3年前に「こういったことになりますよ」と今の合併先の若いのに説明し、「今の帳票そのものが無駄になるのは間違いないんです」とわかりやすく説明した。当時はそんなのどこ吹く風!の奴らが今苦しみを味わっていることなんだ。同じ仲間ではあるが、ここんとこは少し苦労を味わってほしい。これがないために合併後にどうのこうの言われてもどうにもならないんだ。
 同じ仲間で自治体の制度が違うと、こんなに簡単に分裂とか、仰せのままに、がまかり通るのか、ということが空恐ろしくなって来だした。
 僕は本来がおっちょこちょいだし、こうやってこうなる、はまだしも、こうやってこうなるつもりだが、をさかんに口に出す、しかも遠回りでだ。これを理解していただける人は居ない。僕が持っている分科会でも「同じ釜の飯を食うんだ」とM町の人が言って「上手いこという」というのは僕一人であろう。
 こんな「バカ」や「憂う」のが居ないままで合併するんだ。そんな世界で「冗談」が言える連中が一体どのくらい居るんだろう。ましてや「合併」そのものをどうのこうのする奴らがしっかりした意見を持っていなければ、必ずや、合併以降バカ見ることになる可能性は非常に強いんだ。
 行政面でそうだから、そこに働く我々のこと考えると、かなりの難しいものが存在するんだが、一向に解かってもらえない。
 弁護ではない。津島町の一件、報道で知る限り、反対議員の発言内容では一票投票なんてやってもやらなくても同じだ。危機感のようなのは何にもないもの。「もし住民投票案が議会を通っていたら」としても、対住民の意識がほとんどない状態では一票投票なんて出来ないし、やったところで宇和島市に合併だ。こんな茶番はないんだ。だから、離脱してもしなくってもどうでもいいんだ。
 現実には「新市」が「真市」になるかどうか、僕はどちらにもならない非常に混沌とした市政が数年間行われることになるのだろうな、と考える。
 こんなことを住民の多くが知っているかどうか... 。ここの将来像を人権、建物、将来構想の人・建物・財政・集客率.... 、などなど真剣に遠い将来にまでわたって考えた議員なんて居るのかどうか。
 そこまで言う「お前が議員になれ」と言われるかもしれないが、僕は嫌だ。真の「内容を知らないバカ」にはなりたくない、と強いて申し上げる。
 夜、愛媛県マスターズ陸上の文書を受け取ったが、まさしく「愛媛方式」。こんなのやってるから、未だに「イナカ者の考え方」がまかり通る。ここに集うのは引退したアスリートだけではないんだ。中高年のアスリートだから、ゼニは年間の会費1万円でもいい。それで、愛媛陸競の上を行けばいい。これをやらないと一向に組織もゲームも愛媛陸橋から抜け出ることは出来ない。
 ま、陸上競技でこうなんだから、知事の御威光とかでやっている自治体の政策に限ってダメなんだ。知事なんていい加減なもんだ。いつだったか、午後5時過ぎ、公用車乗り付けて宇和島の会員制クラブへ行くんだぜ。店の名前を空かしてもいいけど、それは止めておこう。一つだけ言っておく。「市町村の言い分を... 」の席の後でのこと。ポケットマネーでも知事の財布から出る福沢諭吉の枚数はその後の「えひめ丸」のこととどう関係があるんだろう。
 なんやかんや言っても知事も人間だから、は真っ赤な嘘だ。ミュージカルで言(歌っ)ったような知事では一切無い。県民は実際騙されているのではないだろうか、と思うんだけど... 。

2003年12月23日(火)はれ
 しぶりのいい天気。実のところ19、20の両日はおチンチンまで縮み上がるほどの気温で、さすがの僕も黙して語らずの状態になってしまった。そんな19日は遊子(ゆす)まで仕事で出かけた。寒風の中、車は潮の飛沫に見舞われる。この日の午後はダウン。その反動で本日まで仕事の後始末と準備にかかりっきり。ようやく一段落したところである。
 問題点はまだまだあった。PismoのOS Xがふとした調子に転けた。ファインダーだけが言うことを聞かないだけなんだが、イライラがつのったため、20日一日ががりで復旧させた。バックアップの重要性と、10.3になって以降、考えを変えて再インストールしてやった方がいいのかもしれない。
 身体の方は右下の3番をはじめ、3本の歯がダメになって22日にかかりつけのM歯科へ飛び込んだ。噛むたびに痛〜だから... 。
 デジタルの世界は素晴らしいもので、前回が7年前の診察治療にも関わらずカルテが残されていて、流石、と感じた。
 戻って今日、午後はSRを出す。ちょいとメガトラップを装着してみる。気の抜けたようなサウンドになって、ドリフの40年のように「こりゃダメだ」。
 が、ライディングスポット製のクワイエットコアをホワイトブロスのエンドに持ってきているからかもしれない。ここを再度入れ替えしてもう一度やってみよう。再びディフューザーディスクの枚数とスリットの関係が浮かび上がる。つまり一般に市販されているクワイエットコアはディスクにプレートを溶接したものだ。したがってディスク1枚に数えられる。クワイエットコアの周囲のプレート部分はステンのドームエンドキャップと同様の作りでなければならない。亀石屋さんにモノホンを発注してみようか。
 そういえば、これをタイプしているPPC PB520cがおかしい動きをし始めヤバイと感じたが、P-RAMのクリアをやって正常に戻った。ここ数日は散々な思いをしてしまった。

2003年12月28日(日)はれ
 のところ、まだ年末年始の休みの日々ではないんだ。理由はいろいろあるが、まだまだやり残したことがある。それは仕事も自分のこともを含む。
 しかし、イントラネットの工事が職場の施設をじゃまして仕事は微々たることだけしか行えていない。こいつの工事は有無を言わせず完全実施だから、このことだけを阻害してはならない。したがって、仕事云々は棚上げである。それにしても相当の工事である。これで四国西南域の愛媛県側はすべからくネットで結ばれることになるんだ。すさまじいことだ。つい3年前まで双方向って何だ?で飛ばしていたのだから。 ともかく、こういった状況の中ではあったが、一応ことを済ませる。と同時にこういったことで年の瀬が終わるんだな、と感じてしまう。いつもとはまるで違った世界が展開されているのである。
 そこそこのことを済ませて明日回しにしたのもあったが、ことを終えて外に出ると言いようのない程のいい天気、本来なら走り納めなどするところだろう。それを今許さないもの。あまりに僕を包み込むことが多すぎる。何かを終えて次に向かうなどということは今の状況にはフィットしない世界が現実なんだろう。
 サイドバルブから送られてきた一番漏らない燃料コックを装着したトライアンフは指導を待つばかりになった。長い8か月間であった。エンジンなど外装が相当に傷んでいる。簡単に記載するけどね、塗装で盛り上がったネジ山をクリーニングしてからの組付けであり、インマニのラバーホースは50mmのスタンダードに変更。ここで当初のセッティングからやり直し、の道が待っているのである。
 本当に馬鹿げているようだが、こういった行為は日常茶飯事のはずだったのだ。でも、僕の気分はすっかりそういったことを忘れ去っているのだ。ことはトライアンフにかかる前にSRのチェーン給油を行った。そのときに「アッ!」と感じたんだ。SRにしても点火系列など相当に近代化されている。その中で一部改造されて近代を受けているトライアンフを真剣に触らずに一体どうするんだ、これがリザルトだ。
 酒道場での一時の後、ライムハウスから送られてきたLet it Be NAKEDの数種をプレイする。アナログディスクを耳にしたとき、ホッと一息をつく。どうだろう、フィル・スペクターの行為を我々は卑下しすぎるのではないだろうか。僕は現在存在しないメンバーが居るThe Beatlesの真実を根ほり葉ほり調べるのはやめにしてはどうだろうか。NAKEDという一つの新しい遺産が世に出ただけに過ぎない、と考えを変えるべきではないだろうか。
 その考え方は次のとおりだ。イギリス版は30cm LPが存在する。形状は今様だが、その厚さと重量たるやすでに過去の遺物だ。「もし、このLPが世に出ていたなら」は、このLPを聞かなくてはならない。
 もっとも入手する方が先だが。2003年12月28日(日)はれ
 のところ、まだ年末年始の休みの日々ではないんだ。理由はいろいろあるが、まだまだやり残したことがある。それは仕事も自分のこともを含む。
 しかし、イントラネットの工事が職場の施設をじゃまして仕事は微々たることだけしか行えていない。こいつの工事は有無を言わせず完全実施だから、このことだけを阻害してはならない。したがって、仕事云々は棚上げである。それにしても相当の工事である。これで四国西南域の愛媛県側はすべからくネットで結ばれることになるんだ。すさまじいことだ。つい3年前まで双方向って何だ?で飛ばしていたのだから。 ともかく、こういった状況の中ではあったが、一応ことを済ませる。と同時にこういったことで年の瀬が終わるんだな、と感じてしまう。いつもとはまるで違った世界が展開されているのである。
 そこそこのことを済ませて明日回しにしたのもあったが、ことを終えて外に出ると言いようのない程のいい天気、本来なら走り納めなどするところだろう。それを今許さないもの。あまりに僕を包み込むことが多すぎる。何かを終えて次に向かうなどということは今の状況にはフィットしない世界が現実なんだろう。
 サイドバルブから送られてきた一番漏らない燃料コックを装着したトライアンフは指導を待つばかりになった。長い8か月間であった。エンジンなど外装が相当に傷んでいる。簡単に記載するけどね、塗装で盛り上がったネジ山をクリーニングしてからの組付けであり、インマニのラバーホースは50mmのスタンダードに変更。ここで当初のセッティングからやり直し、の道が待っているのである。
 本当に馬鹿げているようだが、こういった行為は日常茶飯事のはずだったのだ。でも、僕の気分はすっかりそういったことを忘れ去っているのだ。ことはトライアンフにかかる前にSRのチェーン給油を行った。そのときに「アッ!」と感じたんだ。SRにしても点火系列など相当に近代化されている。その中で一部改造されて近代を受けているトライアンフを真剣に触らずに一体どうするんだ、これがリザルトだ。
 酒道場での一時の後、ライムハウスから送られてきたLet it Be NAKEDの数種をプレイする。アナログディスクを耳にしたとき、ホッと一息をつく。どうだろう、フィル・スペクターの行為を我々は卑下しすぎるのではないだろうか。僕は現在存在しないメンバーが居るThe Beatlesの真実を根ほり葉ほり調べるのはやめにしてはどうだろうか。NAKEDという一つの新しい遺産が世に出ただけに過ぎない、と考えを変えるべきではないだろうか。
 その考え方は次のとおりだ。イギリス版は30cm LPが存在する。形状は今様だが、その厚さと重量たるやすでに過去の遺物だ。「もし、このLPが世に出ていたなら」は、このLPを聞かなくてはならない。
 もっとも入手する方が先だが。2003年12月28日(日)はれ
 のところ、まだ年末年始の休みの日々ではないんだ。理由はいろいろあるが、まだまだやり残したことがある。それは仕事も自分のこともを含む。
 しかし、イントラネットの工事が職場の施設をじゃまして仕事は微々たることだけしか行えていない。こいつの工事は有無を言わせず完全実施だから、このことだけを阻害してはならない。したがって、仕事云々は棚上げである。それにしても相当の工事である。これで四国西南域の愛媛県側はすべからくネットで結ばれることになるんだ。すさまじいことだ。つい3年前まで双方向って何だ?で飛ばしていたのだから。 ともかく、こういった状況の中ではあったが、一応ことを済ませる。と同時にこういったことで年の瀬が終わるんだな、と感じてしまう。いつもとはまるで違った世界が展開されているのである。
 そこそこのことを済ませて明日回しにしたのもあったが、ことを終えて外に出ると言いようのない程のいい天気、本来なら走り納めなどするところだろう。それを今許さないもの。あまりに僕を包み込むことが多すぎる。何かを終えて次に向かうなどということは今の状況にはフィットしない世界が現実なんだろう。
 サイドバルブから送られてきた一番漏らない燃料コックを装着したトライアンフは指導を待つばかりになった。長い8か月間であった。エンジンなど外装が相当に傷んでいる。簡単に記載するけどね、塗装で盛り上がったネジ山をクリーニングしてからの組付けであり、インマニのラバーホースは50mmのスタンダードに変更。ここで当初のセッティングからやり直し、の道が待っているのである。
 本当に馬鹿げているようだが、こういった行為は日常茶飯事のはずだったのだ。でも、僕の気分はすっかりそういったことを忘れ去っているのだ。ことはトライアンフにかかる前にSRのチェーン給油を行った。そのときに「アッ!」と感じたんだ。SRにしても点火系列など相当に近代化されている。その中で一部改造されて近代を受けているトライアンフを真剣に触らずに一体どうするんだ、これがリザルトだ。
 酒道場での一時の後、ライムハウスから送られてきたLet it Be NAKEDの数種をプレイする。アナログディスクを耳にしたとき、ホッと一息をつく。どうだろう、フィル・スペクターの行為を我々は卑下しすぎるのではないだろうか。僕は現在存在しないメンバーが居るThe Beatlesの真実を根ほり葉ほり調べるのはやめにしてはどうだろうか。NAKEDという一つの新しい遺産が世に出ただけに過ぎない、と考えを変えるべきではないだろうか。
 その考え方は次のとおりだ。イギリス版は30cm LPが存在する。形状は今様だが、その厚さと重量たるやすでに過去の遺物だ。「もし、このLPが世に出ていたなら」は、このLPを聞かなくてはならない。
 もっとも入手する方が先だが。

2003年12月30日(火)くもり後はれ
 日どう過ごそうか、と考えている日々だ。近々の約束を果たすのが精一杯。今日はビクターのポータブルステレオプレーヤー(ここまでくると若い人にSPレコードを再生する-[これとても説明しないとならない]が)をK君の家まで持参する。
 過去の遺産ではあるが、戦中戦後のちりばめられた楽曲を耳にするとシャーというノイズさえ気にし無くなくなる。ましてや、戦前の第11回オリンピックの前畑ガンバレの実況放送を聞くと、これをディジタルリミックスしたときのことを考えてしまう。が、THE BEATLESのLET IT... 、ではないが、観衆の状況とかは一切想像の世界で加えないとならないだろう。それほどの短波を中波に整合して前畑選手の200m平泳ぎ決勝の模様を78回転SPに録音されて... 、それが、K君の家に実際のSP盤で現存する。
 僕はその音を聞きながらそのバカさ加減が虚しいものになってしまうことに一種の危惧を感じはじめた。
 当時のことに思いをはせると、現実には一発録音の決定打がまず出る。そして、その課程で一発録音が数種存在する、この事実にもっと傾注しなければならない。その回転域の33rpmのLP盤が日本でリリースされるのにはSP時代より相当の月日を要するのだ。
 僕はこの事実を今の若い方々が [ 知らない]という言葉とともに「記憶にない世界」としてだけで処理していることが一番恐ろしいことと考えるのだ。
 そういった点から、日本国民の根幹法律である憲法でも曲がった解釈をされるのはこういったことにあるのだろう、と考えられるがいかがだろうか。
 いいたくはないことも一杯ある。あえてそれを言わない。小泉のバカにしてもそこまで追い込められての世界はない。たとえ彼に銃を突きつけて「イエスかノーか?」といったところで、本人を抹殺しなければならない、そんな事実が過去にある。彼と彼の考え方を「間違い」とするには、ベトナム無戦争当時に戻って、その時にニクソンが発した言動とその後の数日間にわたる一般市民が味わう戦後の世界の状況を解りやすく学校の教育で教えなればならないはずなんだが、そういったことは一切無い。特に中高一貫教育の世界では誰かを神のごとく扱うような歴史教科書が主流になっている。
 もっとも右よりの団体であっても、いざ戦いの場に本人が置かれれば、今の自衛隊の尉官クラスから命令されて、自分の考えなんて一切無視の世界が広がるのだろうけど、そういったことを想像すら出来ない方々がやってるに過ぎない。
 どうしても差別用語云々を無視して「日本が攻撃されたら... 」を考えた場合、自分という「個」を無視して「国を守る」ことに集中できるかどうか、ひいては僕のように宇和島市の吏員で家族が恐怖の場面になったとき「公僕」という馬鹿げた世界には決して帰らないこと、これが実際ではないか、と考えるのだがいかがであろうか。
 終わりに韓国のテレビドラマ「冬のソナタ」が日本で大ヒットしたその内容は何か?。僕は日本人民の多くが忘れ去った「日本人の心」がそこにあったからだ、と結論付けたい。
 えらく年末にこんなことを記載して申し訳ないが、おそらく事実ではないか、と僕自身は考えている。

2003年12月31日(水)雨後くもり
 の1年を洗い流してしまうかのような氷雨が一日中降り続いた。間もなく日が暮れる。と同時に2003年が終わる。「年」が終わる、始まるのそれは何であろうか。いつも感じてしまうことだ。
 明日、このことを記載するとすれば、ありきたりな言い回しで、23時59分59秒以下とてつもない9という数字の並びからちょいと経過して24時=0時になるんだ、と説明し、その前の9の並びまでが前の年と片づける。
 今年一年は職場の問題が僕の行動までを規制してしまったように感じる。これもやりたい、あれもやりたい... 、と思うだけで実際はどれもこれも手を付けることことさえ出来ないままであった。最後の最後で、愛用のPower Book G3 Pismoを中心としたコンピューターの関係だけがほぼ完成の域に到達した。周りはG4に変更するべきだ、というが、最初のマシンSE/30と同様にこのPismoは動き続けることであろう。次期マシンに変更するタイミングを逸するのは十分に承知しているが... 。
 その他は何もかもがストップしたままである。こんなに「出来なかった」一年は今までに数回あったか無いかである。
 間もなく明年、そう、ほんの新しい1日が始まるだけだ。今の時代ではそう考えるのが普通で、ことさら新しい年になったのだ、という考えがおかしいような、そんな気分になりつつある。
 近所の店も閉めてしまったようだし、今後この街は浮かび上がらないだろうことが予想できるし、合併後はますます冷え込みがやってくるだろう。僕自身のことを含めて「良い方向への要素」は一切感じられない。
 
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