2004.01.01〜03.28

2004年1月1日(木)はれ時々くもり
 も「くもり時々はれ」とは言わない。そう、晴れ間も少し見えたが、昼前には泣きそうな空模様にもなった。妙にきれいなんだが、裏はどす黒い何かがあるような感じがする。
 昨日、最後の59秒以下の9が限りなく続いてから1になった途端に24時=0時という妙な感じが... 。何で一日は0時から始まるのだろうか。けどよ、0時0分0秒というのは一瞬なんだよね。僕は元来がアナログ人間だから、確実さとかそういったものを求めるときにディジタルを用いる。だから、ことさらに「0」の世界が気がかりになってくるのかもしれない。
 行く年来る年も途中からラジオに切り替えた。ふっと、傍らに父がいて、母が年越し蕎麦が出た後の店の後かたづけをしながら、ラジオ版の行く年来る年を聞きながら「オヤスミ」をしていた頃を思い出してしまっていたが、気付くと午前7時だ。
 モコモコっと起きてサンクスでサンドウィッチを購入して、いつもどおりの朝食を済ませる。数年前までは、事前に本日の軽い朝食を用意してなければならないのに、今では24時間営業の店が多くて助かる。換わりに風情は一切なくなってしまった。
 それから、五社初詣サイクリング。この世界もずいぶんと変わった。自転車まで大きく変化した。僕は今年53歳になるが、まだまだ普通の(通常)自転車である。が、一方ではロードレースをプロデュースする者が電動アシスト自転車だ。妙な気分になってしまった。参加メンバーも毎年変化する。
 どの神社も参拝客の少なさに閉口する。靖国に参拝した小泉君のように「儀礼」をひっつけているのかもしれない。神社に参拝するのは本来なら「年始のあいさつ」であり、「縁起物」、「神頼み」のはずなんだが、単に形式的なものになっているようでならない。そんな者が参拝したところで、この宇和島が良くなるものか... 。
 参拝を繰り返す僕は無心であった。唯一、高校時代に冬のトレーニングで使っていた三島神社の下り坂、幅広の裏石段、そこに「今年の冬から始められるだろうか」と自分を置いてみた。非常な困難さが僕を支配する。それほどの体に衰弱している。
 帰宅して、何をするともなく当番医、ランダム行事予定をアップロードして、SRを出すか、と思ったが止めにした。
 今、服部良一のお笑いドラマをやってる。僕は蘇州夜曲を歌うし、笠置シヅ子の歌などは一昨日記載したK君のお宅にそれらのSP盤がある。僕にとってはごく普通のことがこの地では「異端」であり、「マイナー」であり、「古い」のである。そして今の人、少なくとも30歳以下の人には、僕の言い分はほとんど理解が出来ないでいる。
 語弊はあろうが、こういった街の中で「この街のことを考え... 」なんてチャンチャラおかしい。音楽だけでこれだから、文化遺産云々ったって、付け焼き刃以下の考えで押し通そうとする行政に町並み保護方針だからダメなのは言わずとも解る。
 おそらく、この街は合併後に一層沈み込むことになるはずだ。来年の今月今夜、合併後の僕の一文はどうなってんだろうか?。幸い過去の日記で残ることになるのだからネ。それより、5日以降、この街の多くが動きだしてからどうなるか自体も不安でならないのだ。すでに、我が家の近所の喫茶店も閉めてしまったようだし... 。

2004年1月4日()はれ
 月最後の日は日曜日だ。僕はごく普通の日曜日として過ごすこととした。しかし、それを許さないのは数件ある。まずは近所のHさんの葬儀。参列はしなかったが、いつも思い浮かぶのは映画お葬式での言葉「死ぬのは桜尾花の咲く頃にしてほしい」というものである。母は12月の29日、父は6月の23日であった。不思議なもので、父の葬儀は大雨、母は寒波の厳しい時であった。そういったことからすると、僕は穏やかな時に彼地へ旅立ちたいものだ。
 そんなこともあって忘れかけていたことをやる。午前中は松飾りのあれこれをEye Plate Megaへ納めるために散歩を試みる。なかなかおもしろい松飾りもあるが、妙に「正月」を一般化しすぎるようなことが見受けられて、僕は日本の民の中にある「神道」の精神が最近は消えているのではないか、と感じざるを得ないのだ。
 中にはクリスマスに玄関につるリース然としたものがあって、僕もさすがに日本は平和だ、と感じた。だって、それを掲げている家の宗教は仏教だろ。少なくとも葬儀は仏式で行われるはずだ。まぁ、ますますこの傾向は強くなって、正月の神道は彼の地へ葬り去られることになるのではないか、と一抹の不安を感じるのである。
 昼過ぎから昨日整備したSRを走らせる。なかなか走りが良くなった。どこがどうのこうのは一切解らない。たとえ解っても、僕のページで相当数の字数をもって紹介することは避けたい。出したところで、それをベースにしてくれるのならいいが、多くは「これ幸い」として自分の機械に応用。その結果が悪い、で出ることが通常のパターンだからだ。
 実は昨日は禊ぎとも覚えるほど酒をあおった。自重したいのは山々だが、またしても今日も肴屋へ出向く。気分の良くなったところで帰宅したが、ここ最近、妙に「退職後」の僕が消えない。残り7年間、それなりに働いて、のんべんだらりと過ごしながら、しばらく後、つまらない死に方しかできないのではないか、と今真剣に考えている。
 唯一の救いは、と今までは多くのものが僕にはあった。が、いまはさっぱりない。まじめに58歳で昇級(といっても年に3,500円程度)がストップする。年金を満度に受け取るのは65歳からだ。マジでそこまで生きていられるかどうか、そういった単純なことまで考えを回さなければならないのである。
 はたして、明日が仕事始めだが、僕の朝は来るのだろうか?。まずはそこから始めたい。朝飯は何にするか?サンクスかローソンか... 。僕はこだわりをもって「サンクス」だ。
 こんな馬鹿げたことを53になろうかとする者が考えているんだ。本当に。

2004年1月8日(木)はれ
 ばかりはあったが、お隣で会議をしている水道労組のことは無視して、我々職員組合の旗開きを行った。
 ここで申し上げておきたいのは、彼らが協約で決められている企業手当の現在の額の支給不支給がメインではないんだ。労使間の正常な交渉を復活させることが第一なのである。労使交渉がなければ、この企業手当のことも、勤務の状態のことも「どうすればいいか」ということが一向に進展しない。
 特に今の理事者(市側)は昔の大本営と同じで、「お前らは公僕だから、決められたことを守れ!」の一辺倒である。職員側もこれに対して座り込みするとか、ストを打つとかはしたくない。一刻も早く正常な労使交渉の場を復活してほしい。これを一方的に理事者が水道局職員とは交渉しない、とこれらの決め事をすべて破棄したためにやむなく執った措置が今回の闘争のすべてだ。
 今の世の中、民間企業に「上が決めたから従え」という専制君主のような考えのトップが居るのだろうか、ましてや、市民に安全な上水道を確保するのは24時間体制で対している市の水道局職員でなければならないのだ。水が無くては生きては行けない。
 ここんところを民間委託したところで、最終責任は市長。この原理は変わりはしない。水道管設置にしても宇和島は相当に古い管が市内を走っている。水道局内のことの多くの管理運営を民間にやらせて本当にいいものかどうか、あるいは、料金の状況を民間委託して、徴収した際の時間外勤務手当のこと、水道料金を徴収しにきた民間人に払うことを市民の多くが納得するかどうか。しかも、使用量が出された水道料金も民間が計算したとなれば、市民はその使用料に納得できるかどうか、これらのことなども、はなはだ疑問に思うのである。
 こういった多くの問題点を持っている重要事項にもかかわらず、市側が一方的に「ダメなものはダメだからそれに従え」を職員に一方的に決めつけてきた。このことに対して、最初に地労委へのあっせん申請になるわけだ。そして、協約を一方的に理事者が破ったための救済あっせんが今回の提示である。
 僕は、ここんとこの内容が多くの市民には伝わっていない。ましてや真相など正確には一切伝わっていないのではないか、と危惧するのだ。
 僕が水道局の職員側のトップなら、ここんとこをもっともっと多くのところでアピールするのだけど、残念ながら、今の立場ではそこまで踏み込めない。
 職員側は安全な上水道を確保するために今回の行為に踏み切った。職員側は軍隊のように命令だけで動かそうとするのはナンセンス、このようなことから水道労組が、今回理事者側が行った措置は民主的ではない、として闘っているのである。
 こんなことおがあって、少しばかりイライラしていたのだが、www/Grid No.58をアップロードしたのでご一読願いたい。

2004年1月12日(月)はれ
 当にまいっている。現実は甘くない、とはいえ、じぶんの至らなさに少々ウンザリの気分でもある。ことは一昨日から始まった。
 Pismoで我がサイとのトップページを変更した。ここまでは非常にスムースに運んだ。NetscapeのComposerでつくって確認、Explorerでも確認。Pismoではうまく運んだ。それが、わが家の古Power Bookではうまく運ばないのだ。妙におかしい。
 Netscapeのバージョンが古いのはもちろんのことだが、動きそのものがおかしいのだ。そのことを気に病んで昨日も同じことを朝の9時から夕方の5時近くまでやったが、原因そのものがはっきりしなかった。
 久しぶりに寝られない時が過ぎる。バッカみたい!、とおっしゃるだろう。けれど、それを確実にしないとホームページの管理者としては、どうも責任のがれに思われてならないのだ。で、今日は別の面から攻めてみた。
 まずは、ハードから、PPC 520cにはOSのダウン、5300csはOSのアップを試みるが、少し不確実。午後はPismoで再検討。ようやく、ブラウザが近代バージョンであれば間違いなく動作する。が、一部は僕のように古いマシンを使用されているはずだ。となると、どうしてもタグでタイプされる一連のHTML文章を再確認しなければならない、という結論に達した次第だ。
 マシンは一気に捨てよう、と昨日決めていた。が、晴天の霹靂から今夕、それを止めるに至った。一つだけ言わせていただくと、PPC Power Book 520cは8.1から7.5.5にOSをダウンした。ところが、これがメチャ速!。関連して「アッ」と感じたのはDuo 2300cには8.1をインストールしているが、これは7.5.5にすべきではないか、と感じた次第だ。
 が、5300csは8.5.1にしたところ、起動は遅いが処理は速い、というおかしげな現象が生じてきた。こんなことがあるから、古マックは止められないんだろうし、思い入れが強いマシンなればこそ、その思いは一層つのるわけである。
 端から見ると「絶対」バカ、と言われるのは承知の上だ。当然、OS Xから後戻りはしたくない気分になっているのも事実だ。こういったところが古いのも新しいのもそれなりに使えるとしたAppleコンピューターの偉いところではないだろうか、とも贔屓目に感じてしまう。
 詳しくは、というか、こういった忘れてしまいそうな重要なマシン対OSの関連を、いずれ少しばかり報告したい、とも思っているところだ。多くの人には興味がないだろうけど。

2004年1月15日(木)はれ
 日の芥川賞、直木賞の受賞者のことを知って少々いたたまれない気持ちになった。特に芥川賞は、綿矢と金原を比べると、こんなものかな、と感じてしまう。特に金原なんていう作家は、過去のことをとやかく言われると、僕は反論のしようがない、と言わざるを得ない。不登校の者が「芥川賞」をイタダケル世の中になってしまったわけだ。
 もちろん、一定以上の才能は有しているんだろうが、世間体っていうのは別にして、実際、苦労して学校へ行ったヤツで選に漏れたヤツのことを考えると、「文学作品」のみを取り上げていいものかどうか、僕は疑問に感じられる。ふつうの方は、僕の考え方を相当に古い保守的な考えとお思いだろう。
 でも、実際にそうだろうか?。金原の両親の言葉とか、金原自身の過去のことの暴露何ぞ出てくると、僕は「人生不可解なり」として死んだ芥川に申し訳ないような気がしてならないのである。素質をのばす以前に修正がいくらでもできるコンピューター記述方式など、僕は文学作品の作家の苦労なんぞは、以前の手書きのものに対しては作家のアタマにあることを一気に表現する一途さは相当に減っている、と思う。
 僕ぁ、もっと選考基準に歯止めをかけるような方策を用いないと、日本語の美しさとか、作家の意志の読者への移譲とかそういったものが、電子メール的なものに成り下がるような気がしてならないのである。
 金原が学校へ行かなかった、ということも、実際に学校へ通って、一生懸命に勉学と小説づくりに励んだヤツとどっちが持ち上げられるべきか、を問われれば、僕は後者をあげる。
 こういったことを記載すると相当に批判を受けるのはわかっているけれど、やはり、この二つの文学賞は、もっともっと選考基準を厳しくすべきだし、最初の原稿は必ず添付することなどをつけ加えればいいのではないか、とふとこの二賞の権威が毎年後退するように感じてしまうのである。

2004年1月18日()はれ後くもり
 明に数回、寒さで目がさめた。どんなにしても暖が布団の中に存在しない。ウトウトから少し気づいてトイレに2回ほど行く始末。股間の部分と膝から下がしびれるように痛む。この痛みは丸穂温泉へ行くまで続いた。
 昼間の好天にも自分自身の体のいうことが効かない。そのため、どこか循環器系に問題があるのではないか、と精神まで落ち込んでしまう。歩き方もいつになくトボトボ感が強く、顔は怒っているようなものだから、昼間は悲壮感が伴っているように受け取られていたのだろう。
 恒例(といっても毎年惨めになっているようだが)の南予マラソンのゴール付近へ出向く。つまらないレース群にあって、中学3年生の活躍が僕の心を打った。今の時期「高校入試」へ向けて最後の追い込みをしている生徒が大半の中にあって、すばらしいレースをしてくれた。僕のいつも言う「3年生が最高学年のプライドと実力」を発揮してくれたと思う。高校中学女子は三瓶高校の圧勝であった。この間までのM先生のいらっした宇和島東高校の男子選手ようであった。指導者の実績とともに生徒をその方向へ持っていくのは大変なことだ。
 そう思いながらもiPodの音楽を聴きながら走り抜ける選手には声もかけない「ひねくれ者」に対しては批判が伴うだろう。ま、中学生ですごい走りをしていても、高校を卒業し大人になるまで競技を意識し、ほかのスポーツもこなした上での結果がどうなるか、そこを目指さなければ、たかが7km走って勝ったぐらいでは応援なりはできない。むしろ強度の頑張りは用具も劣悪、指導もままならない少年達には弊害が伴う、と僕は確信している。
 夕方、PPC Duo 280cとPPC 520cのシステムを漢字トーク7.5.5にダウンしてOKを出した。その後に丸穂温泉へ出かけて、ゆっくりと30分ほど体を洗ったり、お湯に入ったりして、ようやく痛みがとれた。アサヒのアクアブルー(最近はこれが多い)が実に美味であった。
 この日記をアップした後、しばらくして別冊モーターサイクリスト誌のTRIUMPH T-140Vの記事を読んでオヤスミとしたい。この1週間も相当に多忙である。来週の今日はゆっくりできるであろうか... 。

2004年1月23日(金)くもり時々はれ
 日からの強力な寒波は本日も続く。ミゴトに朝は路面が凍結しているところもあった。昨日午前9時に遊子へ行こうとしたが、安全策の石応回りでもスリップする車が多く引き返してきた。昨夜は相当に冷え込んだが、肴屋へ行ってアルバイトの中国からの留学生「H女子」にプレゼントのショートケーキを贈った。つまり旧正月だから、中国は春節だったんだ。
 こういった事情から、本日も、ヤバイと思っていたが、うまい具合に風がなかったから、日中の気温で氷は解けた。
 合併対策の一件でいつもの報告書をつくって対策を講じていたのだが、ほかの部会などでは、実際に部会長にワーキンググループからの結果報告がないために部会長から上の部門に正確に協議内容が伝わっていないのではないか、と考え込んでしまった。こんな実践部隊(ワーキンググループのメンバー)のことは意に解さずに(合併の)ことが運ばれるのではないか、と考え込んでしまった。
 話変わって、衛生委員会で職場での精神面に混乱、不調に至った職員のカウンセリングをどうするか、ということになって、市立病院長が「今もっとも必要とされる分野なのだが、残念ながらこの方面の直接のモノを教えたり育成する手段が今ない」ときた。テレビドラマのERなどで「カウンセリングを受けてみたら?」というアメリカでは一般的な精神面での相談とか悩み事を話すことが日本ではほとんど皆無なのだ、という現実を思い知らされた。昨年は数人出たが、合併を前に、仕事を抱え込んでどこにもその悩みを相談できず自らの命を絶ってしまうような職員が出るのではないか、と心配がつのった。
 そういえば、600人以上の職員が働いている職場に健康管理担当者さえ常駐していない。こんなのが宇和島市役所の実体なんだから恐れ入る。何かの拍子でブッ倒れても、休憩室もない。呼ぶのは救急車のみ、というバカげた職場の実体だ。
 そう言われてみれば、市役所も市内の大きい企業も、こういった職員の健康面を職場内でどうこうできる手だてをとっている職場は皆無だろうな。少々職員側の権利主張を堂々とやる者が出現して実態を暴露すると、市内の企業の大半は「法律違反」で一斉に労働基準監督署からペナルティーを食らうはずだ。
 それができないでいる市内の企業人(サラリーマン)は孤独だ。親方日の丸、ただ金がないから職員側にリスクを伴わせるだけで、嫌なら仕事を辞めれば、とする。それを受け入れる職員もバカばかりなんだろう。
 「労働組合」はそういった基本的なことをはっきりするためにも存在しているのだが、どんなにがんばってみても、ここ十数年間は組合敵視の経営者側の考えにヘイヘイと追従する職員ばかり、ということに変わりはないだろう。
 現に大手企業のK商工で座り込みまでやった石橋市長が、公共サービスをもっとうとした自治体のボスの地位にある。ところが今では一転してファッショ的な経営側のボスんだから、裏でコントロールしている企業体のボスのバカさ加減が解るような気がしないでもない。
 僕は水道局の問題にしても市側が、一歩引き下がったところで話し合いに応じる態度をとっていれば、こんなにはならなかっただろうし、むしろそうした方が職員としては理事者との強調路線も進められると思うんだが、どっかの水道局をつぶした弁護士の言いなりになっているから、裁判は免れないのかもしれない。
 そうしている理事者こそ自らの考え方を持たないロボット経営陣なんだろうし弁護士センセイに洗脳されているのかもしれない。1回について50マン円程度の相談費用は税金が遣われているんだろう?

2004年1月27日(火)くもり時々はれ後一時雨
 日中Power Bookに接していた。Pismoは職場で資料づくりに大忙し。使うのはApple Worksで、Web上でのやりとりはEXCELやWordを使用するけれど、プリントアウトするものには様々な「簡単ソフト」が大いに力を発揮する。57件もの台帳づくりには2時間ほどかかったが、出来上がりはなかなかのものになった。「スゴイ、きれいに出来たね」と女性職員に言われると、少々うれしくなったりするが、僕自身はそんなに苦労したとは思わない。
 残念ながら、台帳そのものがB版なので、A4でプリントアウトして48件分は全てコピーせざるを得ない。そして一部手書きをしなければならない。これでも、なかなかいいものになる。窓派が99%の職場では、回りのことなど気にせずにサッサと作業することが出来る。最近とみにこの傾向が強い。
 夜は高速ワープロマシンを目指して5300csをさわったのだが、何か不思議な気分になってきだした。それは以前にPower Quadra 700にOS 8.6をインストールして使っていたときのことをだ。立ち上がりなどは遅いんだが、作業を始め出すと確実さがぐっと増す。もちろん、その上を目指すと9.X.Xにまで進むのだろうが、こいつはG3以上のCPUを要求する。
 そんなこともあって、5300csに8.6をインストールすることとした。今度はものの20分で終了。結果は思った通り。多くのアプリケーションで確実性が増したようだ。5300シリーズの数か所が改善されていれば... 、と思ったが、もはや過去のマシンだ。
 少しばかり気分がよくなってきた。それにしても天候と同じようで、民主党の何とかいう議員のことも妙に割り切れないし、それに対して自民党の福田君の「うそつきは泥棒の始まり」云々はもっとアタマにきた。しばいちゃろか!。そのうそつき議員が議員歳費云々、もう一度復学してなんて、お前サン、そのゼニは一体どこから出てくるんだろうか。これから10年ほどかかってアメリカの大学出たところでどうなるってんだ。
 ま、片やイラクへ行く自衛隊員の家族に「おとうさんがどうして行くのか」子どもに説明を求められても応えられない状況をどうすればいいのだろうか。万一殺されても「日本国のために」では決してない。この事実に間もなく直面するのではないか... 、と僕は感じているんだが、いかがだろうか。
 やはり、この国の「まつりごと」はおかしいようだ。

2004年2月3日(火)くもり時々はれ後一時雨
 日多忙を極める。極め続きで実際はどうなるんだろう、自分の身を少しばかり案じたりもする。こんなことって、この十数年間なかったことだ。こんな時にあっても管理職はノホホ〜ンとした奴がいて、その姿をみるとブン殴ってやりたいような気もする。たとえ、それが昔の仲間であっても。こんなのがグループの仕事をまとめよう、ってんだから、何をか況やである。
 昨日、PPC Power Book 520cをバラした。理由は簡単。トラックパッドが言うことを効かず、ゴキブリ君が巣づくりに励んでいたからだ。昨日は5匹も退治しただろうか。
 そんなこともあって、ボトムトップともにシンガポールメイドになってしまった。つまり、キーボードを除いてクラシックボックスから購入したときのボトム部分に戻した。当然ディスプレーはそれ以前のものだ。
 どうしても、この500シリーズは僕の心をとらえて離さない。流線型の筐体は言うまでもなく、PPCのドーターカードを装備している状況の方が、540cなどのドーターカードよりも丈夫で確実だから、このマシンを持っていらっしたら、PPCカードを購入すれば、今でもそこそこ使うことが出来る... 、と思うのだが、バッテリー、SCSIハードディスクの問題がそこに立ちはだかる。
 僕はIDE〜SCSIのアダプターを持っているから大丈夫だし、こういったことからはもちろん、筐体を第一としてのスペアなど、このマシンは常用を1台持っておけば、ジャンクOKとしてスペアを2〜3台格安で購入しておけば、相当につき合えるし、そこそこ使える。僕はお勧めするんだけれども... 。

2004年2月6日(金)くもり時々雪(晴れもある)
 んな天気を表現したところで、日本各地の方々が「宇和島」をイメージする状況は「絶対にあり得ない」とする天気のことだろうと思う。実際に四国の西南地域で風光明媚、気候温暖にして... 、と多くの人が思い、その気分でこの地を訪れるのは夏を基準にしてその後半だろう。
 しかし、冬は北西の風が吹き付け、市街地でも雪は降るし積もる。この事実はネイティヴ以外の誰に言ったところで理解は出来ないだろう。そんな天候が、ここ数日続いているのだ。
 さ、もっといい話、4日前に落札したDELL Inspiron 2500が到着した。僕はびっくりしたね。まるで、新品なんだ。ソフトウェアも充実しているし、インターネットに接続できれば、そのままOffice XPが使える状態なんだ。
 でも、本日はここから大いに僕を悩ます。これは現在のWindows 2003にも言えることだが、画面上での各項目の説明の難解さが相当に災いしている。こんなセシカマシイ(雑多、複雑の意)セッティング(セットアップね)では、マックユーザー(マジ、ここは日本語)には絶対にそぐわない。Windowsがいくら昔のMac OSを真似たからといって、基本はDOSの世界なんだ。
 結局、職場のオーソリティーに迷惑をかけてインターネット関係のセットアップは1時間程度かかってしまった。同じく窓ユーザーが「LANの接続設定なんて、実際に一般ユーザーの及ぶ範疇ではないですよね」という始末だ。
 僕はこの瞬間、言いたかないが、「Macユーザーよ、奴等ともっと堂々と張り合え」と言うべきだ、という気分になったのである。はっきり言って、Windowsユーザーからハードウェアに精通した、つまり、コンピューターが行う仕事とその仕組み、そして中身があってもただの箱状態のキカイ(パーソナルコンピューター)が、このインストール・セットアップの時点からうまくフィットして自分のものになるかどうか、これはどう考えてもMacというかAppleコンピューターの方がユーザーに対して断然有利である。どっちがどっちならAppleに勝利があると確信したのである。
 今こそ、「Macユーザーよ立ち上がれ!」と言いたい。ウインドウズなんてクソ食らえ、とまで言うべきなんだ。昔はある程度のユーザーにこの気分があった。が、ユーザーインターフェースに垣根のようなものが見えなくなって以来、Macユーザーはその良さを伝える、そう、エバンジェリスト達がかなり減ってしまっているのではないか... 。
 Macユーザーは人が良すぎる。僕は表面上その気分は捨てなくて良いが、奥はもっと深いところを目指しいているんだ、というものを今こそアピールすべきではないか、と思ってしまった。
 Inspiron 2500が使用できるようになって、再度ハードウェアに注目したが、Appleのスティーブ・ジョブスがこの機種とiBookとを比較した、という記事を思い出したが、なるほどと思った。
 筐体はPower Book 1400の親玉みたいなんだが、トラックパッド回りはAppleの行き方そのものだったからである。大きいクリックボタン、それにトラックパッドから指を離さずにボタン操作が出来る。エンターキーの左側の方がキャンセルの右キーに回り込んでいるなんぞ、相当に小憎らしい作りなのだ。
 僕もテストがてらの使用でとうとう最後までマウスは使わなかった。「Boneさん、あんたはおかしい。マウスがあるでしょ」と仲間は言うが、そう言った奴が持っているノートに限って、この周辺は申し訳程度についている小さいクリックボタンなど人間工学を無視した作りになっているのが実際だ。
 間もなく新学期、僕はUNIXベースの今のMac OS Xを搭載したAppleのマシンこそが、今後のコンピューター教育を司るのではないか、と大きい夢を持ってしまった。
 ま、このInspiron 2500は止むなく仕事で使う息子への結婚祝いのプレゼントになるのだが、末永く使ってほしいものだ、と感じている。

2004年2月14日(土)はれ後くもり
 中閑あり。今日の僕の一日はこんなことを言うんだろうな、と感じた。もちろんことは数カ月前から始まってはいたのだが、ここに来て漸くものになった、という次第だ。
 まずは、5300csから。このマシンのハードディスクが先日昇天した。多くの文章をつくっていたのだが、一瞬にしてパー。急遽190csの500MBを移植した。文章を思い出しながら、まとめた。これが午前中の作業だ。
 次はKさんの葬儀。長年同じ職場で活躍してきて、退職してアッという間にあっちの世界へ行かれる。こういった方々が最近とみに多く見受けられる。今日の葬儀にしても、後ろの席で「仕事を辞めたら急に来るぜ」といい、「いつでも起きられるし、いつでも寝られる生活はダメなんだ」と。
 僕は反論が少しあるけど、現実には仕事は仕事として割り切って、いろんなところへ持ち込まないことだ。特に我々公務員の仕事は一人ががんばったところでどうにもならないのだから。
 帰宅して午後3時前に漸くの思いでT-140Vに火をいれることにする。詳しくは別項で申し述べるとして、1時間程度悪戦苦闘。3週間前ぐらいにオイル関係から何から全てを整えていたのだが、仕事が多忙、天候は悪化で何も手が出せないままでいた。
 セントバレンタインデイで春一番の吹く今日も、空っぽのT-140Vの燃料タンクにハイオクガソリンの供給をいかがしようか?、と考えていたが、とりあえずSR500のレギュラーガソリンを3リッター、ポリのオイルジョッキで移動し、キックを踏み下ろす。エンジンは回ったが、ぺったんクラッチをはずすためギアを入れた途端に万事休す。
 感覚としては、いつものブォ〜の後のストールがなかったので大いに気をよくしていたのだが、プラグを換えても火は出ないし生ガスでびっしょり。もしやボイヤーのユニットが昇天... 。
 そんなことはない。僕もしたたり落ちる汗を拭いながら、かかりそうな兆候はあるんだから頑張る。再度プラグをBR7ESに交換して、キック。ボッボッボッボ... 。バカいうな、片排ジャン。スイッチ切って何気なくスロットルをあおると、ありゃりゃ、ワイヤーが内部オイルの劣化で均一にスロットルを戻していない。WD-40を軽く吹き付けるとミゴトに作動が良くなった。
 で、キックすると一発だ。5分のウォーミングアップがもどかしい。再度アクセルのツキを確認して、一度スイッチを切る。
 ヘルメットほかを装着して、キック一発。跨るやいなやローから3000rpm程度でシフトアップ。おー、これぞ、まさしくトライアンフ。いつものライディングスタイルになってくる。道行く人がこちらを注目する。SRの時とはまるで違う。不思議な感覚だ。そうこうするうちにハイオクガソリンを給油。途端にどうだ、回転ほかが全く正常になって来るではないか。速度は気にもしていないのに70km/hを常に越えてしまっている。SRの速さどころではない。すさまじい。
 興奮気味のうちにテスト走行を終えた。
 暫くぶりで丸穂温泉の湯船につかり疲れを取り去り、H女史の一時帰国前のため肴屋へ。ビール2杯でいい気分になって帰宅した。
 この日記をタイプしていても、まだ乗り足らない気分に自分が陥ってしまう。こんな気持ちってあっただろうか?。一杯ひっかけているためライディングは避けたが、本当にすさまじい気分のままである。どうも眠れそうにもない。

2004年2月22日()くもり後大雨大風後何事も無し
 〜、こんなに暑い日は今時珍しい、といわんばかりの一日が金曜日。昨日は息子の職場と友人との気心の知れた結婚披露パーティー。僕は26年前の妻との結婚披露宴のことを思い出していた。目の前にいる息子が、まるであのときの僕を見ているかのような、そんな気分になってしまった。
 現実には昨日はトライアンフのことでアタフタなったのだが、これは機会を改めて記載するとして、一昨日は久々にデスクワークに専念する。「それって、本来の仕事ジャン?」ということなかれ。僕と相棒のK君は家屋調査で、通常勤務日の日中は職場の机についていない。
 以前のバカ市長じゃないが、「お前らはカバンを持って何処を彷徨いている。もっと仕事をせよ」とバカげたことを再び言わそうとしているような状況が今だ。まさに石橋市長はダメだ、ということになるのだが、市民は市広報の裏表紙が市長の私物化にされていることにさえ気づかないようだ。それほど人気がない、とすれば大いに喜ぶことなんだが... 。
 仮に市長の言う方向へ一丸となって進むのなら、まず今の宇和島市は無いに等しい、と感じられるはずである。我々市の職員は「市役所のために」ではなく、「市民のために」働いているんだ。ここを今の市長は(株)宇和島市役所とばかりにやっているため、住民サービスは相当に低下しているのではないかな、と老婆心ながら感じている次第だ。
 そんなことから始まって、昨日のパーティーの席でも言われたが「Boneさん、よく落ちついていられるネ」と多くの人に言われた。トライアンフがストップしても、2kmばかり歩いてプラグを探したり、T君に連絡とったり、そんなことは平気なんだ。そういえば、最近イライラがとみに少なくなってきている。
 今日の天気ではないが、足下は濡れて冷たいけど、決して自然に逆らっちゃいないし、恨むことも無い。妙なもので、ごく自然にこういった気分になってしまうのである。あまりアクセクやってしまうと退職後に自らの命がアッという間に尽きる。このシーンを最近多く感じている。

2004年2月28日()はれ後雨
 事も遊びもひっくるめて、どうもすっきりしない。まぁ要因はいろいろあろうけど、僕の場合は後回しにするものと今すぐにやることが迫っている場合、特に後者になると、天候如何によってはイライラが募る。こういったことから起こることかもしれない。
 昨日は麻原の死刑判決に始終した。一転して今日は鳥インフルエンザの地域が広がった確認のニュースだ。僕は鳥そのものではなくって、それに接した人間様に発症の危険性が存在するのですよ、と、もっと説明してあげればいいんだが、それは一切無いと来ている。そのうち、タイの撃滅作戦を日本が教えを教えを請いに出かけなければならい、ということになるのではないだろうか。
 トライアンフT-140Vはそろそろ最終章を迎えつつある。しかし、こと細かいセッティングなどは続けなければならないが、本日はある程度のところまで追い込むことが出来た。次号、ちょっと待ってその次、との記載になる。
 ま、僕の遊び事だから、プロ並に経験があるわけではない。僕はね、僕がやっているようなことから一、二の疑問が出てくれれば、これはこれでいいことではないか、と最近になって思い始めた。焦りも何もない。今の状況から少々効率を高める方法を採ればいい。本当にあと少しになってきた。
 夜は久々の雨になってきた。そんな中、NHKのテレビ「地球に乾杯」で、リノのエアレースを見た。いくつになっても、この気分は忘れてはならない。僕はまだ52歳だ。ゼニがあるかどうか。こんなのは関係ないんだ。レースを通じて人間としての何かを得る。このことが重要なんだ。今の日本では忘れられてきたこと... 。マジで飛行機にうつつを抜かして... 、とくる。これが日本だろう。飛行機、本当にお前そのつもりか、頑張れ、と今の親の大部分はこれを認めない。
 この辺がよその国とは比べものにならないほど社会通念のことを勉学より劣るものとしているわが国の現実だろう。

2004年3月11日(木)くもり後雨
 日は不覚にも日記を記載した後、たまたま商店街でお逢いしたAさんより酒道場へお誘いを受け、話が弾んで遅くなってしまった。帰宅して空きっ腹にインスタントラーメンを二杯かき込み、茶碗に一杯の飯をイリコとエビの佃煮でおなかに収めた後、暗がりの中、倉庫からオイルクーラーのラバーホースを取り出してフィッティングの調整をしていたが、どうもフラフラしだしてバタンキューになった。
 幸い、チューハイを5つほど空けただけだったので、本日の目覚めはすごくいいものだった。それ以上に歯石の多くが除去されたことによる効果は計り知れない好結果をもたらしている。
 昼前から降り出した雨が夕刻には止んだ。
 朝一でATOK 16のアップデートをやる。多くのPantherユーザーはご存知と思うが、数日前のアップデートはひどかった。ATOK 16が見事に消えてしまったのだから... 。
 幸い、この時はATOK 15のフォルダーを残していたので辞書等のファイルは無事で、再インストールした際に助かった。
 このことが頭をよぎったが、ジャストシステムでも、迷惑をかけた意を出しているし、今回は安心だろう、とアップデートした。今回のアップデートはなかなかいいものを提供してくれているように感じる。サクサク感は増したように感じるのだが... 。
 ところが、午後からはとんでもないものが待っていた。僕の方はFetch 4.0.3Jをダウンロードして使い始め、重くなった「この街の... 」を思い切って別のディレクトリーへ回そうとしたところ、何度やっても上手く行かない。これまでこういったことはなかったのだが、何かおかしい。すったもんだのあげく、単純な欠陥を見つけた。つまり、Konomachiと記載しているにもかかわらず、konomachiと相手が受け付ける。リンクで飛んで行った先のフォルダー名称がKではなくkになっている。そこをKにするとOKだった。そう、「だった」のだ。
 再び元に戻してフォルダーごとアップロードしたわけだ。そこにはKと大文字で記載している。にもかかわらず、kの小文字で記載される。再びエラー。僕は完全に頭に来てしまって、Fetch 4.0.1Jに戻してやったのだが、これもダメ。結局konomachiとフォルダーを小文字にしてアップロード。見事に飛んでいく。この間2時間だから、いい加減頭に来るんだよな。
 そういったことがあって、コンピューター操作が終わったのだが、僕のページも少しばかりまとめてみないとならないように感じて来だした。我が家は未だに336のモデムだし、プロバイダー側は288でやっている。電話の使用料はそんなに大きい金額ではないが、時間の無駄は対コストからすると途方もないものになってくる。最近とみにこのことを感じ始めた。今は少しばかり手が出せないでいるのだが、いずれにしてもこの通信関係は改善しなければならないように思う。

2004年3月10日(水)はれ
 の数週間、日記としての記載を一切していない。現実には出来なかった。とにかくバレンタインデーの一日、トライアンフが再び元気になって以来、いいぞ、と思っていたところ、義父の入院、お隣の交通事故の件、冬に逆戻りしたような天候、仕事の多忙さなど、全くもって何をどうする気にもならず、ここまで来てしまった。
 この間、酒をずいぶんと飲んでしまい、我ながら自分の酒をすっかり忘れてしまって、いたずらに飲み代が飛んでいき、結果は体調不良で、解りきっていることにもかかわらず、どうすることも出来なかったところだ。
 このことだけならいいが、とどのつまりは見ず知らずの者からの迷惑手紙を配送され憤懣やるかたない。僕自身もそうだが、あのような高圧的な文面なら、少し不安に感じる人はもとより、カチンと来る人なら当然のように文面に記載された電話番号に自宅から電話をかけてしまうだろう。ここから相手のツボにはいることになる。
 この手のモノには敢然と無視する必要がある。少しは心当たりがあったとしても、無視するに限る。僕の場合は全く身に覚えのないものであり、この件は早々に警察へ届けた。
 警察でも、言われなければ手を打つことが出来ず、僕の元へもまた配送されたりする可能性があるため、その時は今回と同様の処置をしてほしいし、万一の場合は110番通報願いたい、とのことであった。
 こういった気分を最後にして、昨日M歯科へ通院。気分は良くないが、T女医さんが思いっきり僕の歯石を取っ払った。「歯茎のぶよぶよが無くなると気分いいでしょ?」と前回前歯の3番から3番までを処置した結果から問うてきたことだが、僕は「ぜんぜん」と答えた。「そう、それじゃ... 」(実際はジェントル)と言わんばかりに、下の歯は4番5番、上の歯は5番から5番まで1時間程度かかって歯石を取り除かれた。
 その日の夜から歯間ブラシなど使ってシュッシュとやるのだが、殊の外気分がいい。もちろん歯間は隙間が大きくなっているのだが、歯茎が締まってくるのがよく分かる。そのせいか知らないが、今日は1日中気分がよかった。
 ふと、我に返って、家のPPC520cとか5300csや職場のPismoを使いながら感じることは、Power Bookがメインになって久しいな、ということである。特にPismoは使い始めて、間もなく4年が過ぎようとしている。
 G3のCPU搭載モデルにOS X Pantherは荷が重い、と言われているにもかかわらず、このPismoは非常に快調で手放せないし、何とかしてもう1台手元に置いておきたい、と感じる。ファナティックスではないのだが、新しいG4のPower Book 15インチを導入する気にはならないのである。
 そろそろ四国自動二輪交友会まで残り2週間。SRの整備を行わなければならない。ハーレー、BMWだけの会ではないというものの、実際はBMW、ハーレーのオンパレードだし、当日は宴会も早々に切り上げて相棒のT君と二番町界隈へ出る手はずになっている。とりあえずはSRのオイルラインと排気系か始めよう。

2004年3月15日(月)はれ
 際問題として、この間の迷惑な手紙が来て以降、おかしなメールが届き始めた。時としてRe.の形で僕の元へメールが届く。その大半が外国からのものだし、添付ファイル付きなものだから即座に消去してしまっている。見ず知らずのものから、いきなり英語のRe.メールで、 Hi... 、といって、「私は誰それよ、添付ファイル見て頂戴、きっと... 」と言われたって、送信した覚えもないものから返信されることもない。どうも、最近になって、どこかから僕のことが漏れている可能性が強い、と感じざるを得ないのである。
 たしかにrpmということからyahoo.comで検索すると、いろいろサイトが存在するのを知る。グローバルなこの世界だから、英語でもってメールなりRe.メールなりを送ってくるわけだ。これはね、プロバイダーを変更したところで変わりゃしないのは十分に理解できる。もっともたるもの(英語文章)は別として、一気に削除するに限るように感じるところである。
 隣町へ電話で依頼があったため出かけたが、僕は愕然とする。そりゃその地で今まで長年独自で自治体運営やってきたのでモンクは言えないが、少なくとも今回は援助を養成したのなら、僕も誠意を込めて「このような方法もある」と言ったのだが、がんとして自分達の考えを変えることはなかった。
 少なくとも必要もないのに隣町へ出かけているのだし、サゼストもしているのだから感謝の一言があってもいい。それが全くないし、それ以上に相手は敢然として今までどおりにやってやるんだ、という気分が強いものだからよけいに困る。本来なら我々が言った手はずを採るとして「そんな手もあったんだ〜」と納得してくれるのが、僕のようにな長年担当してきた者を呼んだリザルトになるはずだろう。
 我々が職場に復帰したあと、上司の元へかかってきた隣町のボスからの電話でも「先ほどはどうも... 」の一言もなかったらしい。僕はその町の職員の人間性に何かが潜んでいるのではないか、と感じてしまった。
 そんなことがあってので、アテネオリンピック女子マラソンの選手選考は大いに気をもんだが、僕は陸連の決断が「その通り」と感じてしまった。選考レースを(順位、記録とも)大切にしないとダメなんだ、ということが今日はよく解ったと思う。それ以上に選考委員は男子マラソンの選手選びの方がもっと大変であったはず、と感じずには居られない。
 女子の場合だと、4年前に高橋尚子が選ばれた時を思い出してほしい。僕が監督なら最初に負けたとき「名古屋に出て、存在感を示せ」と言うはずだが、それがなかったため、レース自体は土佐選手によって大きく覆された。昨日のレースはそれほど見ている人を感動させたのだから。
 そこでまたまた、「もし出ていたら」の世界になって堂々めぐりを繰り返すから何も言わないが、トップが嫌いな沢木さんであったにもかかわらず、今日の陸連の決定は「よくやった」と言わざるを得ない。
 

2004年3月22日(月)雨後くもり
 一昨日、昨日と四国自動二輪交友会に出かけて、少しむなしさが残っている気分で仕事に出かける。仕事は仕事で「電話の向こうは鬼ばかり」の季節になり始めた。
 今日は新聞などで知っての通り、水道の仲間が市長にやられている、ということを問いただすとして山上議員が議会で質問する、というので市議会の傍聴に出かけた。当然ながら時間休暇を取ってだけど。
 一人前の木下議員がなかなか一般人が感じる道路のあり方、整備の仕方などを理事者に問うていたが、同議員の言うとおり、理事者の答弁は「... と思います」とか、「善処します」とか、「努力します」など、どうも納得行かない。「金がないから出来ないんだ」とぐらい言えないのだろうか。僕が理事者なら言ってやるがな。もっとも予算執行の状況など解らない議員センセイばかりだろうから、詳細に説明したところで理解は得られまい。
 肝心の山上議員の質問に対して、市長答弁は全く自分の考えを押し通すのみであった。東京から高額報酬の専門弁護士を雇ったところで、その考えどおりを答弁するのみで、実際に弁護士の指示どおり実行しているのだし、理事者能力があるとはとても言えない。
 水道局の職員と交渉するとはいえ、我々の仲間が交渉に入るのはまかりならん、と言い、どうしても入ると言うのなら、市民の代表の市長としては交渉にマスコミを入れて状況を紹介し、市民の一部にも交渉に入ってもらう、とも言うのだが、そうなった場合、宇和島市役所で行われていることの奇怪な点を露呈することになりかねないのを解っているのだろうか。
 山上議員は、その一端を質問に出したのだが、同様な問題として市立病院改築に伴う検察庁・裁判所の取り壊しの1億いくらの金は一体どうやって捻出するのだろうか?。
 これらの件を含め、住民サイドに立った議員はほとんど居ない。同様に、市の仕事を行っている職員のサイドに立った議員も今回は一人、宇和島市全体のことを考えて、という議員はいるが、これは外交用語の世界だし、真に議員として一心不乱に何とかしなければ、と気持ちを持ち続けている議員は少ないのではないか。どうだろうか、我々にそぐわない勤務評定を議員にも当てはめ、能力給にしてみては... 。
 代表質問で市民の代弁をしているとすればAランク。代表質問も任期中一切しない人はDランクといった具合にね。任期は来年の2月までだからこれは無理だろうけど。
 そして、この議員センセイには一律360,000円ほどが毎月支払われる。市長が言う給料は仕事の「代価」とするなら、水道局の職員手当など取るに足らない、と僕は感じるのだがいかがだろうか。

2004年3月23日(火)くもり
 日も昨日の続きのようなものだ。ザ・ドリフターズのリーダー「いかりや ちょうすけ」氏の告別式がテレビのニュースで流れた。現実として、メンバー各氏は別として、一般芸能者からすると松本明子さんのコメントと、その姿が「真」ではないか、と考えるところだ。他はいずれも外交辞令的な言い回しが多すぎる。
 The Beatles日本公演の前座をつとめた「いかりや ちょうすけ」と「ザ・ドリフターズ」(実は英語で本物のザ・ドリフターズはこのころ存在していた)のことをはじめとして過去のことを知る人もずいぶんと少なくなったことも事実だし、彼らが一流のバンドマンでグルのープ自体が最初はミュージックグループだったのだ、ということを、告別式の参加者の多くは知らないのではないだろうか、と思わずにはいられなかったのだ。
 そういったことから、現在までの数年間ともに仕事をやってきた松本明子さんのコメントが一番「いかりや ちょうすけ」氏のことを代弁していると言わざるを得ないのである。
 へ、古いオッサンの言い分だろうが、といったところで、僕は反論しないまでも、現実として、ファッションも1970年代のを模倣している現在の若者にしたって、その根底に流れる、我々の言う「... ねばならない」が欠如しているから、妙に似非っぽく僕の目には映るのである。
 僕には今の若い者には「芯」が無いように感じられる。仮にあったとしても「芯の太さ、大きさ、強さ」が僕は欠如していると思うのである。
 本日の新聞紙上で教員異動を見て、こんな人が校長になるの?と思うことと、どうしてこの人が出世しないんだ、と感じることがあった。
 現実には校長如何によってその学校全体、ひいては地域住民にまで影響が及ぶことになる、とは新校長、その駒ならべをした県の教育関係者には感じられないのであろうし、この駒を配置した方々の無能さを感じざるを得ない。全く「保守」「保守」「保守」「保守」「保守」の全行政だ。
 多くはここで語る必要はないが、本日の朝のNHKニュースで高知県下の公立学校で行っているIT授業など、愛媛では及びもしないことを平然とやっている。この事実を愛媛に持ってくると、それはゼニがないし、その必要もあるまい、として再び学力重視をもっともたることしよう、と平然と言ってのけ、共通テストをやろうとする今の教育界にひき吊り込まれる。教員も教育行政もダメな奴ばかりが、というほか無いのである。
 どうだろうか、天皇を神格化しているとした歴史教科書問題で明け暮れた一昨年のあの時は何処へ行ったのだろうか。4月から県立の中高一貫教育2年目の宇和島南中学では再びこの教科書が使われることにほとんどの方々は反意を示さなかった。
 神話は神話の世界だ。今の天皇家自体も酒池肉林の世界を経験していし、それ自体を神格化しようとしても今の世の中では一切無視してもいい。昭和天皇は1945年8月15日以後自らそうされたし、今のお世継ぎは皇族の出ではない方々が嫁いでいらっしたことで誕生している。
 本日のニュースで知った「久」の墨字が記された土器の破片、これが3世紀後期のものだという。西暦200年の後半、日本に漢字が入り込んでいた。こういった事実から歴史を推測すべきであって、神話を日本の歴史化し第二次世界大戦のことを... 、もう止めよう。
 日本全体が「間違っていた」と確信するときが必ず訪れるはずだ。その時が1940年前後の世相に置き換えられないことを願う。それほど日本人は「豚もおだてりゃ木に上る」、ジョギングしていても「二人並べばすぐにレース」の性格は持ち続けるのだから。

2004年3月28日()はれ
 ずか5mmの違いが生じさせるあらゆる問題に対して、実に二か月もかかるとは信じられなかった。トライアンフT-140V、僕が26年前に購入した英国のオートバイ。それの心臓部、その循環器系の大事な部分に日本の製品だが、アメリカのパーツを組み込むという大きな改造から、本日ようやく上手くいったことを確認した。厳密に5mmのことで生じた問題は解決に至ったということである。
 ヤンキースと巨人軍の野球も、あまりの力の差に愕然としてしまった。公式戦前に本気で野球をやっているヤンキースに対して、いまだにオープン戦の意識しかない巨人軍のふがいなさは誰の目にも確実だ。実力の差だ、というのは外交辞令にすぎない。現実にかつての僚友に対して松井選手はホームランをお見舞いするのだからな。彼らが決して手を抜いていない、ということだろう。
 日本語版のパールハーバー見ていて、エヴリンが頚動脈を指で押さえるシーンがあるが、ずっと前のことだが、患者の腕からはずれた透析機ののたうち回るパイプから飛び散る血液を背中に浴びながら、腕ではあったが、妻が実際にその通りをやったことを思い出してしまった。
 テレビドラマのERでもそうだが、実際に戦闘状況の中、大災害の収まった中での救護活動なんて一般人には出来るのかどうか、防災訓練などといったところでやらないよりやった方がいい、という具合でしかないような気がしてしまった。
 ま、トライアンフもいい状態になって来だしたし、今日はOKとするか。
 
 
 
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