2005.01.01〜 03.27

2005年1月1日()雨後くもり時々雨
 夜明けてみると、外は霙に近い雨が降っている。恒例の五社初詣サイクリングは直前で晴れ間を見たが僕としては無理として参加しなかった。布団の中でじっと考えていて、まずは丸之内の和霊神社に詣でるべき、と気づき出向く。
 宮司は居たが、境内はひっそりとしていて、妙に思い出の詰まったような感じを含めて厳かな気分になった。社と瓦が修理されているから、春の祭りには再び「丸之内の和霊様」として市民に認識されるだろう。
 そのまま、サンクスでサンドウィッチを購入して朝食とする。帰宅すると郵便受けに年賀状が配達されていた。一つずつ見ていると、儀礼とかは別として、職場の方々からのものが多い。本来は「儀礼廃止」とされているのだが、これは無視されているようだ。
 ひとまずは、僕の年賀状づくりに半日を費やした。プリントアウトは職場へ持って行ってるプリンターで行った。真に広い職場に守衛さんと僕だけという、何ともむなしい一時であった。昨年内に年賀状が出せなかった理由はここでは申すまい。
 そういえば、商店街の新春市も21年間続いたが今年からは中止らしい。パチンコ屋は開店しているが、夜になっても客は少ない。もう年始早々というのは流行らなくなってしまっているのだろうかな。
 ま、うまい具合に今日は土曜日だから、僕のような職の方々は休日だ。明日は日曜日、3日は休日が重なった振り替え休日とすれば納得がいく。そうやって、年始から仕事のこと考えてりゃ世話はない... 、か?。
 今年もよろしくお願いします。

2005年1月6日(木)雨後くもり時々はれ
 事始めの4日は火事から始まった。そういったことから始まったのだが、結局のところ、昨日は役員会、今日は職員団体の旗開き。明日は早速松山出張。はっきりいって、日常業務を正常にこなすだけ以上の労力、しかも同時進行をやらないとならない。これが大変なところである。
 ついでのことで、来週は松山出張が1回、会議が1回、再来週は会議が2回もある。その結果などをフィードバックしたりしているとなると、どんどん自分が追い込まれてしまう。気が入らない以上にどうでもいいや、となってしまうのを押さえているに過ぎない。我々勤労者を取り巻く環境は年ごとに悪化しているようでならない。
 話は変わって、僕の予想として、かなり大変な結果になるのではないか、としたスマトラ島沖の地震は案の定、各国の援助金拠出レースになってしまっている。バカみたいなことだろうけど、僕は国民ひとり一人が1円ずつ募金をするキャンペーンを張っては如何だろうか、と考えた。もっとも、日本国民のどれだけが「被災者へのカンパ」という意識を持っているのかどうか、それが無いまま政府が5億ドル拠出する、っていうのは如何と思う。昨年の新潟はどうなんだ?。国内の支援はもっと出来ないのか?、という素朴な疑問が浮かび上がるのはやむを得ない。

2005年1月8日()くもり時々雨
 明け早々の連休初日ではあったが、どことなく寒々していて何ともやりきれない1日であった。
 といっても、こういった天候がご当地の冬の状況だ。決して瀬戸内や太平洋側の気象状況にはならない。この地方の冬の典型的な気象だ。とりもなおさず、ようやく普通の冬がやってきた、といったところであろうか。
 午前中に仕事の段取りをつけることと、HPのアップロード関連の作業で職場へ向かう。妙に静まりかえった市街部に一抹の不安がよぎる。本当にこの街はいいのだろうか?、と... 。
 昼食を少々食べ損なったかに見えたが、レトルトのカレーがあったので、コイツを食した。野菜不足気味だが、致し方あるまいな、とも思う。生野菜だけをドレッシングで、としても、コイツはコンビニで300円程度だから、何か本末転倒の気分になってしまうのである。
 時々雨が降ってくる。歌謡曲の「氷雨」がそのまま当てはまるような気がしてならない。外へ出ることも出来ない。暖房を入れていないので、非木造の我が家は足下からシンシンと冷えがやって来る。
 限界と感じると後は早い。午後4時過ぎに青空が出てきたのを機に丸穂温泉へ出かける。300円のユッタリズム。高いかもしれないが、真っ裸で広い湯船に浸っていると、開放感というか、高い天井を仰いでホッと一息することができる。この気分が家庭の風呂では決して味わえない。
 帰宅すると、酒道場へ行ってビールと焼酎で整える。その後夕食。そしてwww/Grid No.70のアップロードでオシマイだ。
 ともかく、この天候が何とか一段落してくれないと、何も出来ないままで終わってしまう。

2005年1月12日(水)くもり時々はれ一時みぞれ
 当に寒い。おまけに風があるから、なおさら寒さがつのることになる。そういった中、仕事で外へ出る。確認作業が主たるものだが、調査用紙を広げることが出来ない。あらかじめ車の中で整理して、外へ出る算段で作業をせざるを得ない。
 作業が終わったとき、声を掛ける女性がいた。帽子をすっぽり被っているものだから最初は判らなかったが、声を聞くうちに同級生と分かる。寒風の中、自転車だから大変だ。
 常々思うのだが、原付の女性は相当に偉い、と脱帽してしまう。指先など相当に冷えるのではないかな、と感じるのだが、平気の様子だもの... 。
 そんなこんなで、仕事の後、丸穂温泉へ行って十分に体を温めた。真の目的は、昨日、さつきタクシーのOさんに誘われて2軒ほど飲み歩いて、最終は結構な金額を僕が払った上、二日酔いの様子でおなかがすっきりしなかったからだ。
 銭湯へ行ったおかげで、ずいぶんと楽になり、(それでも飲むアホさ)ドラフトワンを飲んだ後、大根と豚肉の角煮のおかずと炊き込みご飯で満足して、相撲を見ていた。
 チャイムが鳴って、「来た」と印鑑と送料を持って玄関へ。そう、落札したSR400/500の純正マフラーが届いた。
 開封してビックリ仰天。新車から外したのではないか、と思うようなものだったからだ。相当格安だったので、かなりお得な買い物であった。しばらくストックしておいて、サブチャンバーとか、取り付けステーの裏側などへ耐熱のシルバーを吹き付けておきたい。
 こういったところで、1日が終了だが、市役所では市長選の候補者の討論会が行われている。僕は参加しない。理由は簡単。「このようにする」とは言わないし、「できない」と明言することもない。で、「そうなんだ」となって、実際は... 、だからね。

2005年1月15日()くもり時々はれ後雨
 からじっとしていられない。問題は我々の団体組織が市長選挙の立候補予定者への公開質問状の回答を纏めなければならないからだ。そのため8時前から職場へ出向いて作業を行う。
 一部分現職の長い記載のものがあって、結局A3が3枚になってしまった。現実には現職は今の状況をふまえて、次期市長に就いたらこういったことをしたい、としているのに対して、中川候補予定者は、旧態依然の記載だけで、何ともはがゆい。本来立候補するからには市政全般を通しての見解が出て当たり前なのだが、これがない。このことは、むしろ前回の3人による市長選挙の時の公開質問状の回答よりも劣ってしまう。
 一読は出来ないだろうけれど、8月の合併を目指している今だからこそ、中川氏の言動はどうも真実味がない、と言わざるを得ないのである。確かに良い面も存在するのは事実だ。
 しかし、これはこれだ。現実に市長選挙が終わって直ちに合併協議会の会長をはじめとして公私にわたって「市長」であることを意識せざるをぇない。
 この作業が一段落した後で滋賀のクラシックボックスへPB 5XXのUSキーボードはあるか?を問うたところ「ございます」の応対。助かった!、と感じた次第だ。
 明日は南予マラソンだが、どうも画一化してきだしたな、と感じてしまう。やはりゴールは商店街だ。ここを復活しなければ地域住民と接しての応援などはない、ということになってしまい、市長のやりたいことの1つとは合致しなくなる、という事実が明確に存在するのである。

2005年1月22日()はれ後くもり
 を忘れてというか、自分のしたいことをやること、久々に忘れていたことをやった1日であった。
 まずは、昨日入荷してたクラシックボックスからのPOWER BOOK 5XXシリーズの英語版キーボードを受け取る。その後、愛用のPPC 540cのキーボードに移植。ついでにディスプレーホルダーのカバーのノッチを修正。
 キーボードは以前のものとは全く違う。以前のものは完全にベースがどことはなく湾曲しているのが判った。
 取り付けに際してのエポックメーキングは、荷造り緩衝材のプチプチの利用だ。コイツを挟み込んだ途端、5XXのタイプが格段に感じのいいものになった。
 午後はSRのライディングポジションの確認だ。とっかえひっかえを繰り返したが、再びハーディーのロータイプに落ち着いた。問題がシートに少し残った。というのも、前席の左右がわずかに揺れるのである。これを防がなければ、合成樹脂(おそらくFRP)が割れる可能性が出てくる。一応対処方法は分かっているので、後日対処することとする。
 走っていておかしいことを感じた。この無味乾燥のライディングは何だろう?と。そう何もかも良いのだが、エンジンの回り方がどことなくパサついている。良いのは良いのだが、針でつつくようなエンジンの回り方だ。これを何とかしなければならない。まずは、ノーマルのコイルに戻して、プラグコードのみをテイラー辺りに変更してテストをした方がいいようだ。スーパーサンダーはコアボリウムのみ増大したものだから、少しばかりフィットしないのではないか?、と考えるところである。
 問題は点火プラグをBPR6ESに戻さなければならないかどうか?、という問題もはらんでいるのである。こういいったことを連日やりたいのだが、明日は天候が悪化するらしい。継続して出来ないのが残念なところである。

2005年1月27日(木)くもり一時小雨
 動の3日間が終わった。激動というのは当てはまらないかもしれない。というのは、長期療養中であった義母の他界に伴う3日間の忌引きであったのだ。
 我が母と全く同じような逝き方でもあったため、少々面食らっているのも事実だが、我が母の方はお寺と、葬儀社、それに喪主である僕の職場、友人の連携がうまくいって、大晦日1日手前の葬儀であったが、どことなく穏やかな葬送であった。
 が、義母の場合は親類縁者が多いし、地区住民の相互扶助のようなものもあるし、喪主の職場が市外のため、職場の応援がままならないため、喪主の嫁と、喪主の姉である我妻は義母の死亡以降、気の抜けないまま4日間を実家で過ごすことになってしまった。
 僕も4日間毎日通ってはみたものの、サゼストすら出来ない。同じ宗派であるにもかかわらず、やり方がまるで違うため、我が母の葬儀のことを経験を交えての話など受け入れてはいただけない次第であった。
 話は変わるが、旭川動物園の園長がNHKテレビの土曜訪問だったろうか、動物が急にあの世にいってしまう。どうして、少し早く体調の不良を訴えないのだろう。と最初は感じていたが、動物というものは、自然界で弱みを見せると、自らが強いものにやられる。最悪の場合は殺されるから、自ら死期が分かっていても、絶対に普段どおりなんだ、と言ってらっした。
 義母の死因の病気に対しては、当然、何とか助けたい... 、とは感じるし、そう思ってはいても、先に「覚悟をしておいてくれ」と医師に通告されていたから、大きい涙は出さなかった。
 いつも感じるのだが、死者に対しては、もう少し穏やかにあちらの世界へ送ってあげたい、と感じてしまった。

2005年1月28日(金)はれ時々くもり
 決して自分がおかしくなったのではない。が、職場へ3日ぶりに出かけると、雑然とした僕の机の様子が若干違っていることに気付く。
 ハッキリ申し上げて、僕の机はわざと整理をしていない。理由は「出来ない」というのが第一だが、規律がある職場の中でも、自分の机ぐらいはプライベートを持ち込むのは必然であるし、理事者もそれぐらいは自由にさせる度量があってしかるべきだ。そうでなきゃ、選挙だって落ちる。
 が、これを規制し、賃金に差をつくることを一方的にやったバカ理事者がこの愛媛に存在したし、裁判闘争で負けたにもかかわらず、今でもノウノウと同じ職場にいる。理由を聞くと笑いが止まらなくなるが、現実にあったことだ。
 「退庁後、机の上には必要な書類といえども、ものを一切置かぬよう。置いた場合は減俸に処する」ということを一方的に伝え、日常の業務に常に必要として、整理をして置いていたにもかかわらず、その方々に対して実際に処分したのだ。信じられないだろうが、昨年、実際に起こった。
 本日、本四架橋のドキュメントをNHKおローカルでやっていたが、結果から先に言うと、瀬戸大橋を先にやって、残りは中止になったときのような勢いが今の地元と愛媛県下には存在しない。白石県政時代のお殿様、というより独裁政治の名残が、未だに尾を引いているのが今の愛媛県であろう。
 明後日の選挙でどちらかが当選するのであろうが、予想では数か月後に大失敗であったかどうか、が市民にお分かりになるのではないか。
 一つだけバラスと、固定資産税の税率を今の1.55%を標準税率の1.4%にした場合、宇和島市の税収は毎年5億円ほど少なくなる。土地、家の所有者はいいことだ、としても、市が使える金は少なくなる。市民サービスの低下は免れまいし、宇和島市が主導しようとする自治体の合併自体がとん挫する可能性もあるのだ。
 ま、それほど今の宇和島市は貧乏所帯。それでも、我々は少々やられたが、ここまで厳しくやってきて、県下の12中の11辺りから7までにした功績を無に帰してはならないのである。

2005年1月29日()はれ後くもり
 日は少しばかり選挙の件でカチンと来ていたので、記載しなかったけれど、西日本宝くじで1,000円が当たって、最低の100円も2本当たって、少しばかり気分が良かった時間もあったのだ。でも、選挙のこと考えると、そうも言っていられなかったため、あのようになった次第である。
 気を取り直して、本日はSRお点火コイルを再び交換した。ハイテンションコードはテーラーのコンプリート版を装着した。結果はどうか?ミゴトであった。このことは次号で。
 テスト走行の折、僕はそんなに飛ばしてはいないものの、前を走る直線のみ速いホンダのスティードを水別れの峠でサッと抜き去った。あの、多くの人間だと、左のカーブは得意だと思う。が、そのライダーは左カーブの出口でアクセルグリップをひねるのではなく、思いっきり良くリアブレーキを掛けて、傾いてコーナリングがいい状態で出来るようになっているのに、ブレーキ掛けて上半身を起こそうとするものだから、僕はコーナーを一定の傾斜角を保ったままコーナーを抜けようとしているものだし、先にオカシイ挙動をするから、一定距離を保っていたのでこのパスが出来た次第だ。
 思うに、ライディングなどというのは距離を重ねれば必ず上手になる。が、それをしないまま雑誌などの記事を鵜呑みにする場合が多いため、こういったことが起こったのだろう。
 サーテ、明日は市長選挙だ。明日の午後11時過ぎに当落が決するであろうが、僕自体としては、月曜日以降のことが気がかりでならない。中川氏が当選すると、多くの面で市役所の職員は大変なことになるのだろう、ということが未だに解っていないようだ。明日の結果を待つとしよう。
 それより、選挙事務に就く僕は早めに執心することとした。

2005年2月6日()はれ後くもり
 曜日というのに仕事で出勤を強いられる。たかが30分前後の職務内容なんだから、該当市民も、もう少し気を利かせてくれ、って言いたくなってくる始末だ。次に行ったところでは当該人物が「今日この時間に来い」というものだから出向いたのだが、明日にしてくれ、と言う始末。通常の勤務日なら許されるが、少々割り切れない気分であった。
 さ、気分を変えて、午後から昨日より進めていたSR500への一件にけりを付けることとする。
 実は、昨日、スーパーサンダーの点火コイルの改造で、とんでもない結果を得た。どんなに比較してみても、明らかにパフォーマンスが上がっていることを確認できたのだ。「たったこれだけのことで... 」が偽らざる所なのだが、事実は、どんなに説明しても無理だろうけど、本当のことだ。
 それなら、かつて失敗してそのままにしておいたホワイトブロスのスパトラも良いものになるのかもしれない、と挑んだ次第だ。
 結果は凄まじいものになった。あくまで、SR500としての結果だから、今となっては気にもならないかもしれないが、実際には凄まじいものを経験した。一点だけ不確実なところがあるため、このことは次号当たりで報告しよう。
 昨日の祝杯に加え、本日も祝杯を挙げたから、少々出費が大きくなった。ま、これほどまでになるのだから、これはこれとして、気分の良さを採りたい。
 夜のNHK大河ドラマ「義経」で弁慶との立ち回りがあったが、これは、なかなかよかった。実際はそうでもないだろうけれど、あの暗がりでの立ち回りなら、これもありだな、というところだ。僕はコッピドクやられた弁慶の気分がよく分かる。「代の顔を忘れたか?」の彼が血相を変えて若者に相手する気分も、もう少し若い僕なら、やってるだろうな、と感じた次第。
 ホワイトブロスのスパトラだって、実のところ、ここまでにするのに7年もかかっている始末だからな。

2005年2月8日(火)くもり後はれ(かな?)
 はさぁ、鬼平犯科帳を見てるよ。その中に出てくる、梶 芽衣子が演じる密偵の「お政」が妙に我が母の「政子」に思えて致し方ないんだ。
 真面目な意味、今回のスペシャル版でも決して全面には出ない、過去に何かしらキズのようなものを持っている、そういった感覚は、妙に母の少女から青年時代に酷似している。
 ま、密偵と言う大きな役目は無かったまでも、世間一般に言われている花柳界へ出る以外道がなかった戦後の世界で、それまでの華やかな長唄の世界などは表面上はいいまでも、決してそのとおりに実現しなかった。修業時代は内弟子で、師匠の家族の身の回りの世話を、後生、父との結婚するまで続けていたのだ。
 しかも尋常小学校までしか出ていない母は、祖父の死亡から祖母の再婚などで受けた言いようのないの人生の転変をはじめ、今では一般に受け入れられないほどのことを背負って、内弟子になるまでの少女時代を過ごしている... 。
 戦後、無学文盲に近い父と結婚して、実際に仕事現場は母に任されていたと言っても過言ではない。でも、今、父の生き方を地でいってるのではないか、と盛んに感じてしまう僕自身のことを考えると、父以上の教育を身につけている僕としては妙な気分になってしまう。
 そういった現実の中で、今は無き母のこと、父のことを思い出すと、妙に僕は悲しいのに涙を流しながら大笑いしてしまうのだ。
 僕の一生も、こんなようなもので終わらせて欲しい。葬儀の予定は僕が記載しておくから、他界したときに生きている奴が僕の保存メディアを見ればいい。
 誰だ?、Macナンテ... と言ってる奴は。母が生きていたらMacで絵を描いているかもしれないのに... 、とは言い過ぎだろうか。

2005年2月11日(金)はれ
 こには詳しく記載しないけれども、この2月11日の制定ということに対して日本国民はもっともっと注目して良いはずだ、と感じた。
 ハッキリ言っておくが「建国記念の日」を昔の「紀元節」とする、今の右よりの考え方とは一線を画すことをご理解願いたい!。もっと凄まじいものが国家統制になるってことだからで、僕の感じたことから発生するものの多くはここでは記載しない。
 2.11集会は30人規模で成功した。我が家の墓石の皇紀の年号表示など、知識者からすると、これは一方的に「ダメ」とするところだろうけれど、このことには賛同するが、もっと奥底に流れるものに、日本国民がどういった考え方を持っているのか、それが外に出ても一向に関与しない、といった大きい集団があるのかどうか?、というところに考えが及ぶだろう。
 確かに、今の若者の考え方、行動などを見ると、その反対で押さえつけるには中央集権化してしまうのが一番手っ取り早い。これが政府なり、自民党の憲法改定の骨子になっているところだ。が、現在、若い国民が政府のこういった考えに本当に賛同するだろうか?。
 答というか、僕の考えをここでは述べないが、決して、若い方々は、その冴えたる気分にある「徴兵」として、召し抱えられて国の守りには就かないだろう、と確信している。
 それを反強制的にすると... 、答えは分かっているのだ。
 僕はね、今の日本が他国などから攻撃されても、一向に埒があかない。やられても、今の憲法下では、これに反抗することが出来ない。ここが唯一の問題点だ。
 上代の考え方から今日を日本の誕生としても結構。
 が、君が代も満足に歌えない国民が大半だし、天皇だって、園遊会で呼ばれた将棋の誰それの考えを否定する。
 僕は、政府が憲法改訂を一方的にやってしまうと、その結果が分かっているから、今は何も言わない、としたところだ。
 というところから、我々と反対の「建国の日を祝う云々」の集いに参加している者が、僕が先に言った「もっと強い国民性を求めるため」とした結果を得ることにはならない。これは断言してもいい。国民の多くは「休日が増えた」と言うのが一番の要望結果だろうから。
 逆に、この点を見逃せば、徴兵制度などはいとも簡単に政府の言い分がとおる。建国の日を祝いながら、我が子どもが兵士にされるのは困る!、とその多くの母親の言い分。
 このギャップを根本から変えなければダメなんだ。それ以上に、他国から日本が攻撃される?。これが有りなら憲法9条の改正を始め、改憲論もしかりだろう。
 が、今のところ、小競り合いがあっても、日本本土が攻撃されることはない。お隣の国からミサイルをぶち込まる、としたら、その直前までの時間、多くの諸外国が許しはしない。
 というところで、今の政府は「決して昔に戻ってはならない」というところを肝に銘じておくことが必要だろう。

2005年2月13日()くもり後はれ
 日同様に寒い一日であった。そう、寒さというと、北国の方々にはピンとこないだろうけど、こういった四国の南西部であっても雪は降るし、気温の低い日も多く存在する。ましてや、地形の関係から瀬戸内、太平洋側の機構とは一線を画するのである。ここを理解されねば、今日のような気温の低いときを、どういった言葉で表現しようとも、どうすることもできない。宇和島と縁が深い司馬遼太郎氏は氏の作品で、こういったこの地独特の面を記載したかどうか?。僕は自分本位の考え方の司馬氏の作品はあまり好きではない。
 で、午前中の気温が午後まで一定という、まことに穏やかは気分だけ。摂氏の温度計で0からわずかに上昇したところでストップしていれば、その実際はどういったモノかは理解できよう。
 結局、昨日オートバイを出してだけで、本日はPPC 540cの結論を出すことに1日を費やした。午前10時から午後5時までかかりっきりになった。もっともCDドライブが純正の2倍速というところが作業を長引かせたところだ。
 OS 8.5.1でようやく一致点をみた。OS 8.1の時からすると動作はまぁまぁだが、確実性は格段に向上した。もし、8.6にしたあのとき、一歩引いて8.5にしていたら... 、と思うが、後の祭り。
 8.1から8.5.1にしたために得られたところだ。そんなところで、今のところ、このシステムでPPC 540cを使用しようとするところだ。
 先日から読んでいる「運命の法則」だが、どうも、僕自身がやっているところが、書籍との合致点として存在するものだなぁ、と考えるところだ。
 運とかそういった類を越えたところでの話だから、なかなか理解できないところだろうが、一歩引き下がって人間としての不思議さを忘れないようにすると、結構ありえる世界を記載した書物だ。
 この2週間、相当に飲み代が必要だった。本日、ゲルマンでの一杯もなかなかいい席であった。少しばかり、一人で酒の席を楽しみたい、と思うようになった。
 残念ながら、僕の出向くときの大半は、僕が座ったとたんに多くの客が現れるパターンが多い。これも何か目に見えないものが動いているのだろう。
 そんなところから、ついつい酒が進んでしまう。本来の楽しみとは異なる楽しみになってしまい、散財してしまう次第。
 ま、明日ぐらいから酒の席は遠慮、ということにしよう。が、家で酒を楽しむというのも、なかなかお金のかかるため、出向いていくときと、そんなには変わらないのも事実ではあるが... 。

2005年2月15日(火)雨
 、外は雨。異常なほどの気温の高さを感じる。明日は春を感じるような気温上昇になるらしい。
 僕の昨日はバレンタインディーに明け暮れた。特に帰り際、チョコをプレゼントした若い女性の名前を取り違え、大いに顰蹙を買ったこと... 。
 が、相手の女性は少々困ったかもしれないが、僕は大きく考えていない。それほどのことでしかない。
 逆に、昨年に比べて、ギフト数(義理チョコ)が激減したことに一抹の不安(不況)が気がかりになってしまった。
 本日は松山出張。大阪市の共催関係が大きく影を落とす。それに加えて朝日新聞社のシャカリキな記事掲載にも頭にくることがあって、と一抹の不安も感じ取った次第。いずれにしても「ウラ」を確実にとっておく必要がある。おそらく、真実は一つ後ろへ持っていかれるか、カットされることが大半だからだ。
 新聞も公器の器だろうか?、愛媛新聞でさえ、「県紙」という、ばかげた自負心のようなものを持っているのだから。
 逆に、そういったところにこんなような共催関係を取り上げられると、とんでもない結果になってしまう。僕はマスコミの怖さを十分に知っているから、少々このような考えが持ち上がるのだろうが... 。
 それでも、こんなに平気で批判なんぞ記載することができるのは、「運命の法則」が少し理解できたからかもしれない。ま、一読されるとよろしかろう。おそらく、最初は信じないだろうし、ばかげている、とされるのが大半だろうが、読んでいくうちに「そうかもしれない」と感じることになるはずだから。

2005年2月18日(金)くもり後雨
 後は雨になった。珍しく職場内は定時で帰宅するものが少なく、異様な感じであった。実は、日曜日に全面停電になるために、今日のうちにすべからく済ませておいて、どうしても、というものを明日にやっつけておく、という算段のようだ。
 各申す僕はそれどころではない。おかしいことに、不思議な現象を体験しているから、少しばかり整理してみたい、と思っているところである。決してオカルト的なものでもないし、どうも「運命の法則」の内容に合致させている面もあるが、それも適切ではない。全般に生活が穏やかになってきた、と感じるのである。
 クラシックボックスより、Power Book 5XXのフロントベゼル下部のカバーを発送した、との通知を受けた。まだまだ新品が入手可能のようだ。今のところは改造バージョンを使用しているが、今度のは補強を加えて保管しておきたい。
 この日記を記載しているのはPPC Power Book 540cなのだが、少し不満のあったOS 8.1から8.5.1にして使用している。1998年当時のものを再びやろうってんだから操作上で忘れている面もあって大変である。
 立ち上がりこそ遅いものの、RAM Doublerをはずして以来、アプリケーションは今のところサクサク動いてくれるのが助かるところだ。このパフォーマンスなら... 、と思って、本日OS8.6へアップデートした。
 感覚的には8.1からすると文字変換などがビュンビュンといった感覚で、少しばかり違和感が生じているが、これはこれでスピード感があって気分がいいものだ。
 それにしても、週末が雨ということは少しばかり憂鬱だ。幸い早暁には雨は上がるらしい。その上、日中の時間が長くなったので、先月の同じ日の頃より気分はずっと楽である。

2005年2月19日()雨後くもり
 とは夜やってきた。それまでは、昨日の日記に記載したとおりにはならなかった天候のことが少々頭にきていたところだ。
 そういった中、昨日、城山のミュージックサイレンの音を午後9時頃に聞いた。僕の記憶では少々狂っていた。本日はミゴトに修正されていた。メデエタシメデタシである。日々のことが一瞬にして消えてしまうとなると、住民は少々不安になったりもするものである。
 僕はこのことに対して確実に文句を言った。その返答は「宇和島市のホームページに掲載しています」であった。返答した奴に一瞬ぶん殴ってやろうか、とも考えた次第。
 一体、高齢化した宇和島市でパソコンに興味を持って、毎日のように、ほぼ日課として宇和島市のHPにアクセスしている人が一体何人いるのだろうか?。
 このことを考えると担当課が現状をいっさい考えずに宇和島市のHPにこの「ミュージックサイレン不調」を記載した、という大失態を演じたのではないか、と考えた。
 IT、ITというくせして、「ITって何?」が本当のことで、コンピューターのコンの字まで進まないのが現実だろう。もっともフランス語で「コン」は別の意味があるし、これ以上の結果になるけれど... 。
 ま、ともかくミュージックサイレンが正常になった、ということに乾杯だ。寂れていく宇和島の中にあって、せめてミュージックサイレンだけでも正常でいてほしい、というのが本音のところなんだ。
 それにしても、書面でのやりとりが電子化されている現代は、考ええようによってはいっそう不確実であって、間違いが出ると、その補正の文書を出さざるを得ない。このことに気づくまでには数年から数十年の期間が必要であろう。それまで郵便の価値は下がることになるであろうがな... 。
 ちなみに、携帯のメールでラブレター送ったところ、相手から断られることもないし、万人に見られてもけっこう、とするカップルに対して横やりを入れるのもOKな今は恋愛もおかしいところでオープンなのであろう。その後の悲劇が少し見えるような気がしてしまう。

2005年2月21日(月)はれ
 からドピーカンの青空が支配してきた。こんな日は久々だから、思い切って午後から休暇を取る。仕事のことなんぞ放ったらかしておけばいい。僕が不在でも宇和島市は無くなりゃしない。ここんとこを我が事のように感じ入る奴が非常に多すぎる。
 あのな、このことが積もり積もってしまうと窓から外へ飛び降りたり、首を吊ったりする者が出るんだ、ってこと解ってほしいよな。
 その見境の最もたるものがプロ野球選手だろう。少なくともああいった態度を行政の職員でも身につけなければならない。
 休暇の目的?。当然じゃん、SR500のWBのスパトラをいじくって完成の域に持っていくんだ。
 まず、結果から申し上げると大成功だった。「これが、あの走らないSR500だったのか?」。我が身を疑ったが、そういった走らないSRが消え去っていた。悪戦苦闘したWBのスパトラが見事に開花した。決して冬のあだ花ではない。
 ま、詳しくは次号で報告申し上げるとしても、SR500そのものが無いから、僕の報告書はいつまでたっても、参考程度であろうか?。
 夜のプロジェクトXにしても日野自動車がメインであった。僕としては最初のチャレンジから数年開けて再出場したときに優勝、しかも1/2/3位という快挙。その後はファクトリーとして参加していない。なんと潔いことであろうか。
 SR500は本当にすばらしいものになった。夕食の後、残り物でカレーを作った。ここにも少しノウハウを注入した。それは、バナナのみじん切りを入れることだ。これによって得も言われぬ、程良い甘みととろみが出るという次第。これだけでもお試しあれ。

2005年2月24日(木)雨
 の今、そろそろ雨も止むかな?、と感じている。朝は7時過ぎから降り始めた。吐く息が白い。外気は相当に低い。雨というと、完全に「氷雨」である。
 こういったときに松山へ公務出張だ。そう、旅費の兼ね合いがあって、本日は宇和島自動車の高速バスを利用した。本来は「時間通り」ということからすると、この地方はJRの鉄路が絶対有利として疑わない。その中で、あえてバスを使うのは、土日に松山日帰りを2回こなさないとならないからだ。本来なら、土曜日に松山に泊まって... 、となるのだろうけど、日曜日の行事が集団行動になっているので、土曜日の最終ででも、一度宇和島に戻らなければならないのである。そのために旅費を浮かせる必要があるのだ。
 そんな中、本日は市内電車でのおもしろい一齣を見た。松山市駅から城北を通る2番線に大街道から乗った。そこから乗った高校生。どうも路線地図を出したりしているので、松山の生徒ではないな、と思っていたが、僕の隣に一人座れる間隔をとって座った。
 やおら乗車区間が松山の地名で申し訳ないが、木屋町から乗った乗客に中に足の不自由な高齢の女性がいらっした。僕は席を立たなかった。理由は簡単だ。
 僕の向かいの席が空いているにもかかわらず、座ろうとしない。とっさに僕は「この方は膝の調子が悪く、座ると立つことが出来ない。その上に、そんなに数駅をやり過ごすことはない」と判断した上でのことだ。
 やおら、隣の高校生が席を立って「どうぞ」という。案の定、彼女は僕の思っていたことを申し述べて、高校生に「どうぞ席に戻ってください」と逆に勧められる。
 ここから以後、彼はどういった行動をとられるか... ?
 この後の彼の行動が今の家庭教育、学校教育、生涯学習などなどを物語っているのだろう。文部科学省が再び元通りの教育方針に戻す、とバカげたことをやるらしい。再び競争社会に子供の頃から進ませると... 。
 僕はゾッとしてしまうのを禁じ得ない。早いとこ、ジャイアンのような愛すべき腕白、あるいは頭はいいが、やることがナンセンスのノビ太。こんな奴らが出てきてほしい、と感じた。
 ... 、かれは座ろうかどうしようか、と思いつつ再び僕の隣に座った。「そうですか、それじゃ遠慮なく」と、どうして言えないのだろう。僕とその女性は宮田町で下車したが、彼はおそらくJR駅前までそのまま伏し目がちに席に着いたままだったのであろう。

2005年2月25日(金)くもり後はれ
 は昨日の日記で「旅費を浮かす」という表現で誤解を招いたかもしれないので、この点だけ弁明しておく。まず、我々の仕事の世界では、旅費は規定旅費の精算払いだ。したがって、日当も額が決められているから、松山ならいいものの、東京都内でタクシーなどで移動しなければならなくても、食事代もすべからく、規定で支給される日当で処理をしなくてはならない。そのために、何とか安い費用で公的機関を使用しようとすることからの表現になった次第である。
 明けて本日、ことは夜のNHKテレビで起こった。まずは午後7時30分からの「映像でたどる愛媛ミカンの60年」、という番組は、!?と感じてしまった。
 はっきり申し上げて、これって現在のミカン農家のエゴの集大成じゃないの!?、と感じてしまった。「愛媛県内のミカンは産地で味が相当に変わる」、「愛媛ミカンを都会ではあまり見かけない」。こういったミカンを愛媛県人がふつうに食している。
 この現実の中、愛媛県内で「大分ミカン」、「和歌山ミカン」などを食することがあるのだろうか?、とふと考えたとき、県内のミカンが最高としても、これは同一カテゴリーの「ミカン」ということにおいては、愛媛県は他を排除しての有名ものでしかないということではないだろうか。こういった土壌で、やれ今年は全国2位に落ちたなんぞの言い分は「当然の報い」としかいいようがない。
 番組で出た吉田町のミカン農家の方だってそうだろうが、造れば造るだけ赤字を生む今のミカン農家の憤りなどは感じなかった。
 その中で「何とか... 」は他力本願でしかないように、僕には感じられた。
 その後の四国スペシャルが良すぎた。松山市と合併した旧中島町が、合併前に町のイメージソングを歌った川中冬美さんに10年目に来てほしい、として企画し、来町してステージをやって帰るまでの番組であったが、僕は涙ぐんでしまった。
 この宇和島では、こういったことは出来ないし、たとえ、えひめ丸事件の鎮魂コンサートをやったところで、その時でしかない。風化してはならないはずなのに、風化は進むばかりだ。
 ま、こんなことを思い浮かべながら、彼の地へ訪れていい気分になって去るときに、実に去りがたい気分になってしまう... 、こういったものが今の宇和島には一切無い、といっても過言ではない、ということを言いたいのだ。
 悪いことに、県立宇和島中学では再び土曜日も学校を開校する、というニュースが流れた。つまり休日も授業を行う、というわけだ。僕はこの学校の校長はバカタレだ、と断言してやる。社会教育もろくに教えられない学校のくせして何が中高一貫教育だ、この2年間に何人の中学生が退学したことやら... 。

2005年2月28日(月)はれ
 日は少々違った分野のモノを紹介したいと思う。モチ、本来のオートバイとか、コンピューターは次号の本文で紹介を... 。
 さて、最近は本当にスパムメールの一種が多い。いつの頃かはっきりしないが、僕が興味本位で「Shemale」のフリーページを覗き始めた頃からスパムメールが多くなった。
 僕はゲイの世界は知らないし、そこへ入り込もうとも思わない。誤解を招くのを避けるための言い訳をするが、Shemaleのフォトを見ていると、妙に女より女らしい、ということを知ることが出来る。
 Shemale、すなわち、男性だけど、姿形は女性、という世界である。
 もし、男性器が無ければ完全な女性だ、となるのだが、立派な一物が伴う。決して興味本位で見ているわけではない(こともない... か)。
 時にゾクッとするShemaleの姿を見る時がある。(当然ハードコアのシーンもあるが)身長差、骨格差を抜きにすると、今の女性はもっともっと美しくなるのかもしれない、と感じざるを得ないし、動物の世界では大半が雄が綺麗というのがどことなく解るようにも感じる。
 ただし、動物の雄は雌を守ったり、子供や家族を守ったりと、人間様の男以上に雄のポジションは強いし、現実に強くなければならない、といったことが判るような気がするのである。
 スパムメールから一気に飛んだが、スパムメールが男女間とか「H」のこととのものばかりで閉口するのだが、そういった意味からもShemaleの写真を見てたほうが気楽な場合も存在する。
 叱られる、あるいは理解不足と思われるかもしれないが、今の女性を見ていると、化粧なども単純だな、と感じざるを得ない。下手な化粧よりスッピンの方がもっと綺麗に感じるのだけれど 。
 男女両者のセックス関係は抜きにして、実社会で女が男のように振る舞う女性が居ても別におかしくないし、今の男性なら、考え方が(一部、表面上も男性的なものがあればまだしも)、男性の要素を持っているような上司に仕えてみたい、と願望する男性も多いのではないだろうか。
 僕は姿形を別にして、そういった、男性からも感じ入る考え方を持った女性が多く出現してほしいことを望まずにいられない。
 この逆としての考えは十分に存在するが、僕の経験からすると、内面はもとより、立ち居振る舞いからすると、女性が男のように振る舞うのは並大抵のことではは出来ない。
 これを一歩でも近づけるとすると、男性から何を言われても動じないし、時には本来の女性として男性を自らの考えに引き込むような、そういった女性の出現を望みたいのだ。
 これらの表現は一部女性差別のようにも思われるが、男性から思った女性の進出の際の考え方の一つとして受け取っていただくよう、お願いしたい。

2005年3月3日(木)くもり後雨
 日、駅前大通りのワシントン椰子が数本切り取られた。僕が松山へ出張中にやられたことで、こればかりは阻止云々はなかったのだろう。景観が若干変わった。
 そのこともあるのだろうか、まるで弔い雨のようにシトシトと、午後から氷雨が降って来だした。
 えんま様も終わり、春はそこまで... 、のはずだが、今年ばかりは一向にその気配がない。逆に言うと、こういった天候が、この地方独特のモノなのだ、ということを思い出した。ま、インフルエンザ様疾患の方はお気をつけあそばせ。
 としたところで、妙にオートバイやら何やかやをやっつけてやりたい気分になり始めた。不思議なことである。こう、何というのかな、頭の中にアイデアといったようなモノが生まれはじめて来だしたのだ。
 とりあえず、という言い回しは適切ではないかもしれないが、四国自動二輪交友会を目指して、オートバイのメンテナンスを始めるところである。同時に、朝霧湖マラソンを目指して、トレーニングを開始しようとしている。
 もちろん、職員団体のことなど多忙を極めているけれど、そろそろ自分を取り戻さないと、このままではダメだ、と感じ始めてきだした、といったところだ。
 この歳になって、今でも自分を押し殺すような毎日はもう止めにした、といったところである。

2005年3月5日()はれ
 何もかもが少し後ろへ持っていかれる1日であった。同時に、我々庶民が望んでいることとは全く違う世界がトップクラスの日常か?とも感じたところだ。
 本日は一市三町の合併調印式であった。一体何人の市民がこの行事というか、蹴っていて駅瞬間を知っていたのだろうか?。
 おそらく10%程度の市民しか知らなかったのではないか?、と感じる次第だ。多くの市民は土曜日として仕事をしていただろうし、「合併?、そいつは8月じゃないか」というのが本音だろう。
 僕も、このことは、そんなには気にしていなかった。むしろ、遅きに失した、と言う感じの方が強かったのだ。
 この学校関係の徹底的な「バカ」は文部科学大臣の発言であった。「」小さいときから競争社会に触れさせることが必要だ」といったものだから、僕は相当に頭に来た次第だ。
 愛媛の教育なら、ガンダムのシャーが言う「右向け右」そ十伝する事になる。それを「隊長、それは違います」という人物はほとんど居ないのだろう、と決めつけた。
 はっきり申し上げて、少なくとも小学生の時からこういった教育を受けているとなると、これからは全く違う方法で教えなければならないのか?といったことが浮かんだ。
 ね、本当に実践されると、小学生の5年生が敵機の攻撃を受けて死亡したりすると、親族に弔慰金が出る。そこからその喪主が血気盛んに商売を興す、とはなり得ない。こう少し、自由な考えで農協のトップに君臨しなければ、我々の要求も途絶えがちいなモノです。

2005年3月6日()はれ
 実には昨日、宇和島市の合併調印が行われた。僕は知っていたけど、多くの市民と同様、このことは「あっ、そう」で済まされるようなことだったのである。現実には相当の意味合いを持っているのだけれど、それが一切無い、ということは... 、もうお解りであろう。
 さてと、今日、ようやくのことでwww/Grid No.72をアップロードできた。実に6年間も毎月アップロードしていることになる。現実にはNo.0があるので... 。これ以上記すと自画自賛を取り繕うことになるから止める。
 本日はSRのシートの一件とスパトラのことの纏めに忙殺された。こういったことが落ち着いて出来なかった最大の理由は、この地方独特の天候のせいである。その一端はBone's Talkに記しているのでお読みいただきたい。写真は現実のモノである。
 そういったこともあって、1日中家の中に居てPismoに対峙していると、ふと、そろそろPower Bookが元の表も裏も美しいスタイルになるのではないか... 、と思えてきだした。
 今、Appleコンピューターの中で一番醜いスタイルはPower BookとiBookではないだろうか。Pismoと最初のホワイトiBookまでは、確実に後ろ姿までも綺麗だった。今はどうだ、これはDosのノートマシンではないか。売れ続けているiPodにしても、ポリッシュステンレスの該当をまとっている。miniは全身がアルミ(カラーアルマイト)である。
 Mac Miniはなかなかのスタイルだし、この中にあって、Power Book、iBookのみ、後ろ姿(裏側)がダサイのである。ほんの数ミリ厚くなってもいいではないか、もっと後ろ姿も綺麗なPower Bookと iBookをリリースしてくれることをジョブス君にお願いしたいところだ。
 そういえば、天気予報は2日間当たらなかった。明日もお天気らしい。そろそろ春らしいが、僕の心は未だに冬だ。

2005年3月7日(月)はれ
 「エエ天気ですナァ」、「そうだすライ、このまま春になりゃ、エエんですケンド、そがいなことにもなりますまい」。
 思わずこの地方の言い回しを記載した。それほどの天気だった。今の僕のスタイルはチノパンツにワイシャツ、それにハンテンを着用している。室内はそれほどの気温を有している。
 テレビでは中村 某とか言う歌手が「翼の折れたエンジェル」とやらを歌っている。オリジナルには違いないが、ご当人はチンドン屋のように感じられて致し方ない。この曲以外にヒット曲がないから... 、がその最大の理由だ。せめてスタイルでも発表当時のままでやってくれって言いたい。曲そのものも、トムキャットの何とか言うののスロー版に過ぎないのだから。今なら訴訟モノかもしれないな。
 そんな気分の中で、ふと、この宇和島市を考えてみた。かつての宇和島には今のままでは絶対に戻らないし、今のままではイイ宇和島に出来やしない、と強く感じた。
 最大の理由は、僕を含めて市民の一人一人が、この街を無視しているからだ。つまり、この街に住むことは、自分だけ良ければいいとし、単に寝泊まりが出来て、この街の制度などには最小限の支出だけにしておけばそれでいいんだ、という市民が実に多くなったな、というところから来るものだ。どうだろうか、これは僕だけの勝手な考え方だろうか?。
 僕も、残り6年だから、そろそろ退職後のことを考えないとならない時期に来ている。密かに心の中に持っているのは「何でも屋」を開店することだ。そう、お遊びでだよ。何でも屋だから、気が入れば、とことんやってしまう。金なんぞは二の次だ。その代わり、数日間は休業、っていうのも有りだ。年金を月々のベースにすればいいんだから、ひっちゃきになって仕事に明け暮れることもない。
 しかしな、ユニークさが受けたとしても、受けなくても宇和島市のためになんて、僕も僕の店も協力なんぞしない。NPOでもないんだから... 。
 今の職場の後輩が訪ねてきたら「俺が働いていたときに、同じような店や人物を生かして町づくりの活力にするため、市民に協力を求めたか?」とだけは必ず言いたい。
 僕は宇和島市の発展は、今後絶対とは言わないまでも、大きい確率で「無い」、と言いたい。
 シロキが撤退するときにも、行政は何ら大きなアクションを起こさなかったし、市民にその経緯の通知すらしなかった。自分で誘致しながら、当時のこの街の大物がよってたかって「日本一賃金の安いシロキ工場」としてしまった上のこの有様だ。
 間もなくシネマサンシャインが映画の興行を止める。文化の花咲く街なんぞ、おへそで茶を沸かせるほどだ。これからは、映画を観るためには大洲まで出かけなければならないんだ。
 「経営の側で致し方ないことだから」と、きっと市長は言うに決まっている。ゴール直前のペナルティーエリアでハンドの反則を犯してまでもゴールを阻止するなんぞの芸当は、かつてのサッカー好きの市長には絶対に出来ない。

2005年3月8日(火)はれ
 事者は少し考えてくれよ!、と職員団体のビラを配る。要は退職金の金額を現行の行き方を0にする、という。理由はゼニがないから... 、ということだけで、と片づけられるのかどうか?。
 金額的には総額1300万円。フェラーリ1台も買えやしない。この金額を出して、今年度の予算がどうのこうのなるのか?。残り20日程度である。結果は出しても出さなくても、白書では「黒字」になるのだから。
 マスコミでは、市の共催関係がとやかく言いわれる。が、報道する側が、我々の賃金体系を本当に知って、理解しているかどうか?。これははなはだ疑問だ。特に民放のキャスター連中には酷いモノがある。本来なら、この件に関することなら、記者だけでなく、報道するキャスターもカメラマンほかのスタッフと取材自治体に入るべきだ。
 午後6時からの県内のニュースで、男性キャスターの今日の言い分を聞くと「一杯飲ませてぶん殴ってやろうか」と思ってしまった。
 項を変えて記載したいが、高校卒業で、宇和島市に奉職(言い方は古いが)すると一体いくらもらえるのだろう?明確に答えると「手取り86,000円」程度だ。金額が多くなれば多くなるほど、引かれるものも多くなるのだから、食いっぱぐれがないなんて大間違いだ。
 こういった賃金状況を、市民が本当に知っているかどうか?。
 とかく、宇和島のMとかSとかの大きいのがのさばっているが、そいつらは、トップの金額そのものが異常なんで、経営者としては、職員の生活も考えず下の下の評価で、親方日の丸以上に、企業努力のない経営者だな、というところが僕の判断だ。こういったところがつぶれる直前になると理解できるだろうけれど。
 ま、そういったところからも、市役所に勤めている者も、賃金条件はそんなにいいものではないんだよ!、と申し上げるだけに止める。
 つい、2〜3円前までは、僕の1年の総所得額でBMWの5シリーズが楽々購入できていた。ところが今では3シリーズに諸経費を加えてお釣りが少し、の状況なのである。決してウソではない。それほど、管理職を除いた一般職の自治体職員は現状の財政状況の中で地道に働いているのである。
 その中で、昨今言われている福利厚生分野で、まるで賃金の二重払いのように言われているが、それは十把ひとまとめではなく、市が拠出する金額だけ「おかしい」とすべきである。
 本日の県内の民放のニュースで報道は松山市の特殊勤務手当関係が主だったが、番組の最後で「県民の判断を仰いで、不必要なものは切る... 」と言った男性キャスターは、はっきり申し上げて「今日の(あなたの)発言に責任を持っていただきたい」、と声を大きくして申し上げたい。
 この報道は、公務職場の賃金実体などを十分把握した上でのニュース報道でなければならない。男性キャスターの発言は、この言い回しを受け取ると、単に「公務員バッシング」だけになってしまうし、僕としても、多くの公務労働者は言いはしないだろうが、「お前は... 」と、我々の立場からすると相当の反論を買うのではないか... 、と感じるのである。おまけに、そのその容姿からしても... 。
 一言だけ言わしていただくと、県警の職員、県立病院の医師、この方々にも共済制度は適用される。県警は一部経費に対して矢面に立たされているが、病院の医師は医療ミスがない限り安泰だ。報道した側は、そんなことは知っちゃいない。そうそう、消防署員も公務員で安い賃金で24時間体制で働いている。そこにも共済制度はあるのだ。キャスターのあなたは、用意された原稿を読んだだけかもしれないデスクの言うままに違いないだろうけど、「番組内容とこれとは別問題だ」、と言い切れるのか?。たとえ地方の民放でも、マスメディアというのはそれほど大きな意味を持つのだから... 。
 公務員にしても相当に苦しいことを、この日記を読んでくれる方には理解していただきたいし、「公務員職場のことは、対公務員職場でなければ比較できない!」
 これが全てである。

2005年3月11日(金)小雨後くもり
 僕の日記か、それともオートバイのことかしれないけれど、あっという間に訪問者のカウントが増える。少々不具合があって、その改修に苦労していたが、どうも手前のコンピューターの不具合が解り、BBSに記載した。
 夕刻からは連合愛媛の春闘学習会。何とも味気ない。公務労働者は無視されている気分が見え見えだ。もちろん、後の懇親会でそうではないと解るが、遅きに失する。公務労働者の状況をオープンにすべき、には賛同だ。賃金体系の綾、特別職の賃金、議員報酬など、さらせばさらすほど、おかしい?の反応が多いだろう。
 連合地協の懇親会は良かった。その後の2次会は、常にどうもおなじめない。僕はその場を数回取り繕ったが、流石に今回はサッサと辞した。不思議そうに見つめる中国のコンパニオンに対しては、言うべきものはないが、僕もあなたも悪いのではない、ということを理解してほしい。
 このことが解るまでには、どうやら{「酒を楽しむ」ことの神髄が何だ}が理解できるまでは、誰がどういった法則を持ち出して説明したところで、ゼ〜ンゼンだめなのである。
 中途半端な席で帰宅したことから、雛案を受けることになるが、今の状態を続けていると、おそらく、ダメになることに違いない、として席を辞した。
 振り返ってみると、昔は2次会に行っても、飲む奴は飲む、議論するのはする、といった調子で席に着いたものだ。今はどうもなおざりのことでしかない、と感じるのだ。

2005年3月13日()雪後くもり
 我が身を疑った。僕はインターンまがいの研修医か?。いきなり教授から、この患者を診ろ!、との仰せ。「これは成績に反映されますか?」。もちろん!。
 それはできない、という僕の問いに対して、無理矢理、薬研堀(佐伯町)の一療養所を紹介されて、そこへ向かうときであった。記憶がおぼろげな中、僕は医師の資格は欲しいものの、実際は病院勤めなどではなく、国境無き医師団の中の一人のような考えを持っていたので、薬研堀の療養所勤務でのテストは嫌で逃げ出そう、としている途中、僕の性格から出向いてしまったところ、思いっきり看護士などから「先生様」をいわれる始末に大弱りのところで目が覚めた。
 明るいにも関わらず、外は雪が降っている。ゲッ!、本当かよ?。という事実と、これまでの夢との関連に回らない頭を働かせていた。
 現実に、未だに今の仕事に精通できないままでいる。そのウラの理由は、今の職場は精通すると一部困るところがでるのである。はっきり申し上げて、今の職務は3/5程度。その他の職務に対応できるようにしておくのが2/5程度の状況になければならない。強いていうと、僕のような年齢になってくると、それらは2/3と1/3の割合としても十分に通用する。
 結果は、一般職員の大半が全体の職務のパーツの一つでしかない。歯車の1個という職務に上り詰めるまでには数百分の1の数に思っている。
 そんなことで、僕は「公僕」などには一切ならない。税金を糧にした立派な労働者、という考えだ。
 もし、愛媛の警察官が僕と同じような考え方になると、警察もずいぶんと変わるだろうけれど、それはないようだ。同様に警察官以上に厳しい仕事についていらっしゃる消防士の方々は、僕と同じ立場のはずだが、そういったことがないため、低い賃金で過酷な勤務から一向に向上しない。
 そんなこんなの気分が脳裏に残っているための夢だったのかもしれない。そのお祓いも兼ねて、妙典寺のお稲荷さんの祭礼に出向いて、この1年の平癒を願って帰ってきた。
 昨日は寒風吹きすさぶ中、SR500のWBの排気システムのセッティングを完成の域に持っていくことが出来た。我ながらよくやる、と感じている。流石に、工具を持つ手は青空工房ゆえ辛いものがあるが、今のところはアーレンキーだけなので助かっている。
 かなりのものになってきた。この状態のSR500で来週は四国自動二輪交友会へ出向くことにする。
 夜、古いスタイルライター2200を引っ張り出してきてホワイトデーのメッセージをプリントアウトした。Giftはこの程度しかできない。ま、お返しの意味合いが強いけど、やるとやらないとでは... 、これ以上は差し控える。
 そうするうち、NHKテレビの夜の番組である研修医の特集を見ると、再び今朝と同じような夢を見るのではないか、とも感じる。
 子供時分から切った張ったを経験していない今の若い医師は、はっきり言って「医師」の仕事は自らの意志強固さがないと通用しない!。こういった腑抜けに近い医師が海外の開発途上国などへ派遣されたとき、病気になるのは医師そのものであろう。
 これこそが、今の教育界全般を担っている問題だろう、と感じる。時には先生は暴力を使う必要がある。各家庭の子供たちを親に成り代わって日中預かっているのだから... 。
 時には我が子以上に厳しく当たるべきである、というのが僕の考え方である。確かに我々の時代にはあったし、学校はもっと学校全体で威厳があったはずだ。腑抜けの教育は腑抜けの子供育てる。この実体は現場の声でしか得られないにも関わらず、ゆとりがダメなら再び頭でっかちに戻すなどをやっている今の日本教育では、これから一層こういった腑抜けの者を排出するのではあるまいか。
 自分で気づくまでは何をどうしようとも、一切関係ない、というのが実際だろう。

2005年3月14日(月)雪時々くもり後はれ
 昨夜は「破獄」というNHKアーカイブスを見ていたもので、結局のところ、朝の6時までうたた寝の世界であった。しかし、20年も前のテレビドラマとはいえ、凄まじいほどの実在感で迫ってくる。実のところ、僕はリアルタイムでこのテレビドラマを見ていたのを思い出した。
 真面目な意味で、こういった撮影自体が今の日本では出来ないのではないか?、とも感じてしまう。もちろん、味噌汁ごときで、鉄が酸化するとは思えないが、そうやってでも「生」に対する自我のすごさを十分に感じ取った次第。
 息子の嫁に、ホワイトディのギフトを届ける。彼女も、そろそろ動いた方がいいのに... 、とは感じるが、我が家のようには進まないのであろう。
 僕は最長でも1年の育児休暇を取得した後は、厳しいことではあろうが、婦人として働くべきではないか、と常々考えている。子育て支援の意味合いからも、僕は女性が子育てをしながら働くべきで、そのための策を夫婦で選び出すのが夫婦の行き方ではないか、と考える。
 そういった意味で、息子を生後2ヶ月から妻が働いていた直属の保育所へ預けていた。僕も妻が深夜勤務の時など、当時、住んでいた家から1時間もかけて、息子を背負って保育所へ預けて、出勤していた。雨の日など、相当に苦労したものだ。
 そういったことなどを考えながら、県警、特に今は大洲署がやり玉に挙げられているが、本日、今後、渦中の仙波巡査部長を呼んで事情聴取するといった特別監査委員の発言に対して、県警本部長のインタビューを聞いて愕然とした。「仕事は県の関係だから、我々はその後のことを考える」と言い切った。
 僕は「お前さん、警察のトップたる者がそういった言い方でいいの?」と最初は言ってやるが、その後は、僕の将来のことなど考えることなく、一撃を彼に食らわせてやりたかった。
 考えてもみろ、こういった奴が県民の生活を守る最高の立場にどっかと腰を据えているんだから、一般の一生懸命職務を遂行している警察官から信頼替え得られるか?。揉み手擦り手する輩は県警の上層部だけで結構。その方々も本部長のバカさ加減を知っていることだろう。
 ここまで来たなら、僕が本部長なら辞めるに違いない。
 が、ここには一つの課程がある。それは、県警本部長が一般のCEO的な職務を行っているかどうか、ということにつきる。それが無い、否、皆無に等しい彼には、何を言っても通じないだろう。その証拠に、官僚出身の県知事より強い立場なんだからな... 。
 これ以上記載すると、時分が嫌になるから止めます。愛媛の第一線の一般警察官のは一生懸命に職務に専念している、とだけ申し上げておこう。

2005年3月17日(木)雨後はれ
 じられないかもしれないが、一日の業務として、僕は5つを同時進行させた。一つは昨日の市長との交渉の結果報告文書をまとめて、情報とする件、通常の職務は封書の日付印の押印。これはなんでもない、と思われがちだが、まともに押印できる日付印が数個しかなく、僕自身はナンバーリングのスタンプを使用せざるを得なかった。そいつが全体で1600件ほど。その上に、柿原(かきわら)で起きた正面衝突の道路交通事故(道路交通と真面目に記載)の地番決定の件。
 次は大阪で問題になっている愛媛県職員共済組合の組合会報告へ互助会の報告文書を作成してFAX送信する件、明日全労済が各職場へ訪問することの各職場長への通知。
 夕刻からは憲法を守る会の役員会への出席。
 ま、この程度にしておくが、こういたことで1日が終わってしまうのである。
 現実に、本日の死亡道路交通事故など、多くの市民は解っているし、あの辺りでは過去数死亡事故が起きているのだから、そんなに詳しく記載する必要など無いだろう、と感じる。
 国道320号線の拡張、位置変更に伴う道路用地買収は愛媛県が関与したことなのに、土木の関係者はシラン振りだ。金がかかっていたことなのに、どうして?。おまけに警察といえども、そこで働いているのは、同じ愛媛県の職員ではないか!。僕にすると「あんたらアホちゃいまんねん」と言ってやりたかった。
 明後日は四国自動二輪交友会で高知だ。最初に参加したのが高知だった。あれから、25年の月日が経過しているのだ。
 疲れ切って帰ってきたが、いつもの2時間遅れでことが進んでいる。
 そういった中、酒道場のマスターが、「日本放送はどうしてライブドアの株を取得しないんだろうか?」という。
 そう、言われてみれば、「目には目を」の立場からすると、それもありだな、と感じた次第。学識者は現在の状況を初歩の初歩の道理で、この国ではまだまだ民主祝儀が浸透していない、とは言うが、当事者間でどうして株の買った売ったが出来ないのだろうかな、とも感じた次第だ。

2005年3月22日(火)雨後くもり
 くも四国自動二輪交友会から2日が過ぎた。小誌でも記載している方法で改造したSR500で参加したのだが、注目度は低い。最近は大半の参加車がハーレーとBMWで占められているのだが、知人が古い(25年ほど前の)BMWに乗ってきていたにもかかわらず、そういったオートバイがかくしゃくとして走っている理由が解っているのだろうか?、と感じる。
 いつも感じるのだが、今のBMWそのものはグロテスクに感じてしまうし、国産オートバイと同様に、BMWにしても2年前の同型車は陳腐化してしまう事実。それによって、長期貸与的なローンが組めるのかもしれないし、そうやって入手したオートバイに愛情など生まれるはずがない、と僕は感じている。
 僕自身のSRは快調で高知までの往復をこなした。少し引っかかるところがあって、昨日テストを行っていたのだが、思わぬ結果を得て、そのリサーチを開始したところだ。ゴールデンウィークまでには結果を出してみたいと考えている。
 仕事では失敗など思いっきり平気になってきた。不思議なことだが事実だ。僕のミスはミス。隠したりもしないし、今の仕事には失敗は付き物だ。それゆえの措置が全国レベルで認められている。昨年までは、狭義に解釈して僕一人が抱え込むようなところがあったのも事実だ。
 あの本を読んで以来、こういったことがすっかり影を潜めてしまった。今日なども「ブチ殺してやる」と言ってきたのがいたが、僕が応対してたら、「どうぞやってくれ」と言いはしないまでも、知っているのを呼んで対応するところだ。
 昨年まではそれに対して妙に自分が悪い、と決め込むのはまだしも、逆恨みもしょっちゅうだったから、相当にいじけていたのだと思い出すとゾクっとしてしまう。
 夜はメーデーの実行委員会。早くも1年が経過するんだ、と思うと、僕も間もなく退職の時が... 、と8年後の今の季節を思い起こしたりもしている。

2005年3月25日(金)小雪後はれ
 、外は雪だ。そう、雪が降っているのだ。桜前線予想では明日宇和島は高知とともに開花、になっている。
 ところが実際は、牡丹雪が降っているんだ。昨日は気温の低下は一気に来ないとしてはいたが、流石に12時間を過ぎると、保温性は全くなくなる。これえは自然の定理であろう。
 仕事が終わった後は課での送別会だ。この送別会が悪いというのではないが、僕は宇和島市という行政部門自体の考え方からすると、ここに働くヒトは歯車の一部に過ぎない、という考え方をずっと持ち続けている。時には労働組合のトップとして当局と闘う。かというと、仕事では電話の向こうは鬼ばかりをさんざん経験している。
 ま、そういったこともあって、本日の送別会に出たが、結果はさんざんたるものであった。そう、僕にとってはだけど、どうも中に入り込めないんだ。本来はもっとフランクなはずなのに、それが有耶無耶になってしまってしまう。出された料理も手がつけていないものも多い。会の終了の後は二次会に行こう、ってんだから、僕は久々に遠慮した。
 僕も8年後の今日は送別会は開催するな、と強く申し上げる。プレゼントも何もいらない。そのかわり、年度が明けての4月に、3月まで就いた職場での歓送迎会に参加をしたい、と強行に申し上げることにしたい。
 この理由は「宇和島市行政」を考えると、全体で送別の式をやってくれ、と言いたいんだ。実際はそんなものじゃないだろう。宇和島市行政は連綿たるものだ。そこに仕事をする者が定年を迎えて職場を去る。その職場がたまたま○○課であった、というのが事実だ。
 終わりのない行政なら、次に引き継ぐ意味合いからも、僕は送別会独自開催は感心しないもの、と判断するのだが、いかがだろうか。
 反論を食わす者はきっと居るに違いない。その人が精一杯やったとしても、時分の功績にはなりやしない。成果は成果だが、その功績は「個人」のものではない。

2005年3月27日()くもり後雨
 は春の雨が降っている。春雨などという甘いものではないが、心なしか乾燥しきった自然を潤すような気分である。
 かく申す僕は職員団体関係の松山出張。会議は思わぬ方向へ進んで、こればかりは「綾」というものこれから先、が少しばかり我々を取り巻く全てのものに関係するんじゃないか、と一抹の不安を覚えるに至った。
 それは「個人情報保護法」の運用である。ま、この個人情報保護法のコトバをお読みの方は、そこがお解りのことだろうことが想像できる。
 たとえば、総合病院では「○○様、お薬が出ています」とか、「○○様、外科外来へどうぞ」などは言えなくなる。郵便局同様に「何番の方、お薬が出ています」、「何番の方、外科外来、何番の診察室へどうぞ」ということになりかねない。
 すでに大手の企業では、「電話の伝言も紙に残してはならない」にも及ぶらしい。その上に、この保護法は「警察権力に対しては無力」である。知り得得た情報をいくら守ろうとしても、「警察が出せ!と言えば出さざるを得ない」一文が「ウヤムヤ」の表現で記載されているのである。
 その上の一文には、確かに「緊急の場合は.... 」があるにも関わらず...、であるのだが。
 どうだろうか、第二次世界大戦で、あれだけ奢り高ぶった井の中の蛙が敗北を喫し、なおかつ、マッカーサーからお墨付きをいただいた今の憲法の元での日本国になったにもかかわらず、民法などは戦前のままだし、ましてや、中曽根のおボケみたいののが国粋主義そのものを再び憲法に盛り込もうなどとしている。
 はっきり申し上げて、日の丸をその場で焼かれても何とも感じない国民なんだ。それほどまで、戦前の日本帝国の考えを腑抜けにして、今の自由主義にしたこれまでの政治に、いきなり、国家だの国旗だの言ったところで、国民の心は変わりはしない。
 むしろ、「憲法は国と国民との契約条文だ」というところへ注目させなければ、憲法をいじればいじるだけ、国のみが突っ走る結果になるのだけど、こんなことも多くの国民は気にはしていないだろう、と僕は感じている。
 
 
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