2005年4月4日(月)はれ
早速、新採職員を訪問。ぜひ、私たちの仲間になっていただきたい、と呼びかけるのだが、
2人の方を除いて「考えさせてくれ」の一点張りだ。これほど、踏ん切りの悪い職員には宇和島市の行政を任せられない、と言っても過言ではない。
結局、中学はダメかもしれないが、高校での生徒会の活動など、学校(教師)まかせで、生徒の主張なりを出せないままで過ごし、大学在学中は学業に専念す
るなどは無かったたリザルトだろう。
そうではない、と否定したところで、新採の人たちは自分の利己的な考えだけに入り込もうとする気分が多くを占めているのだから、行政に自分の考えなりを
反映できるような者は居ないのかもしれないな。
そういった点を男の僕が考えてみて、本日までに加入していただいた方々は女性だけだった。こういったところが、今の男はダメなのかもしれない、と少しば
かり考えさせられた。
こういったことが頭にあったから、夜のNHK総合テレビの「クロースアップ現代」で「東北楽天イーグルス」のジェネラルマネージャーであるキーナント氏
の発言、行動を見ながら、「アメリカの人には勝てないな」と強く感じた。つまり、勝負の野球、もちろんこれも必要だが、それを越えて、ベースボールという
スポーツそのものを日本にもう一度定着させたい、という気分が十分すぎるほど感じた。しかも1年目で全てを満足させるなんて考えていない。数年先の長期展
望、それを少しずつ伸ばして目標到達の年数を少なくする、という。それをこともなげに言い切ってやっているなど、まさに凄まじいパワーである。
ましてや、女性の国谷キャスターが少し意地悪な質問をしても、的確に日本人以上の応答をする。
本日の当初の気分ではないが、こういった大陸の考え方がなければ、今の日本はますます小さくしぼんでしまうような気がしてならない、と感じた次第だ。
2005年4月10日(日)はれ後雨
早くも新年度4月も10日目を終えようとしている。夕刻までは暑いばかりの天候で花見も
順調に運んだことだろう。
僕は1日中、古マックとつきあっていた。理由は、頭にフッと浮かんでくる機能限定気味のマシンを何とか手持ちの古マックで構築できないか、ということへ
のアプローチだ。ワープロなどの統合ソフトを別として、通常なら、ワープロ、データベース、表計算、それにペイント、ドローで十分だ。
ところが、考え込んでいくうちに、少しずつ「あれも、これも...
」となってしまう。この状況を割り切るマシンが無い、というのが現実だ。他へ接続などは気にしなくってもいいのだが、ハードディスクを積んで、バッテリー
で駆動、しかも軽く...
、とすれば何とかなるが、軽く小さくとなれば、iBook G4の12インチとかになり、元の木阿弥になってしまうのである。
もっとも、僕も「古いPower Bookは使わない」といってる手前、このために多くのことをしたくない。
そんなところで、再び、eMate 300なんぞを動かしたくなってくるんだ。が、単変換で遅い。フムフム、Power
Book 100を何とかするとおもしろいものになってくるぞ、となって、再び... 。もう、自分でも嫌になるほどの悪循環である。
さて、これは、ここで申し上げることではないが、中国での日本非難の件、僕は中国は未だに開発途上国である、といってもよろしいか...
。もしくは昭和30年代の日本と同様なんだろう、と考える。
今日の報道では、中国の民が造った日本料理店まで襲撃した、というのを知ったが、武装警察でさえ暴徒を強く押さえ込まない、ということは政府の指示かど
うか、共産国家では当然のことなんだろうかな。
もう一点は中国国民の若い連中は、あの忌まわしい4人組とか紅衛兵のことの多くを知らないのかもしれないし、知らせないかもしれない、という考えが政府
にあるのかもしれない。当時、改革解放を目指した結果の状況がこれだろう、と考える。その時の想像以上に時代はもっともっと進んでいるのが今の中国だろ
う。
一つの破綻が来れば、中国政府そのものがガタガタと崩れてくるのは目に見えている。かつての共産国家がたどった道と同様の道をたどるのか...
。
数年後の北京オリンピックがどうなるのか?。1980年のモスクワオリンピックの二の舞にはしたくない、ということには違いないが、今の情勢ではアス
リートたち個人の人格、財力などは小さいし、取り巻くスポンサーなどの絡みが多いことは、モスクワの時とは違って、政府の考えで、いとも簡単にボイコット
は出来るのであろう、と考えるのだが、その時にならないと、中央集権の中国と、自由主義陣営の反共産の考えが変えようのない日本(と、その自由を楯にした
大国)では...
。
そういえば、僕も今の職に就いた30年前の今頃、職員であった共産党の幹部に洗脳されそうになっていたことをフッと思い出した。その時は後に言うことで
「あんた、アホと違うか?」と一蹴した。
というのは、中学高校の時、深夜に思いっきり「ニッポンの同志の皆さん友人の皆さん、こちらは...
」から始まる例のラジオ放送、「ソビエト裏切り者集団は...
」と、当時のソ連を批判し、一方では、若い連中が辺境の地へ行かされて「満足」を全面に出していた北京放送を聞いていたし、ラジオを聴きながら、こんなこ
とってあるものか、と思っていたものだから、が理由である。
テレビドラマの「大地の子」で、北京からわずか20km離れたところで、主人公の妹が死去するときなどを見ると、少しばかり僕の考えも当たっていた
な...
、と思った。
第一に、共産国家そのものが共産国家を批判するなど、おかしいことだ、と知っていたもの。
この状況を知ると、墓の中で周 恩来
総理は、さぞかし今の状況に不満足を感じながらも、「中国人民よ、過去の勉強と他国のことと、その人民のことを十分に考えよ」とでも強く言っていることだ
ろう、と僕は感じている。
こういったことも、今の中学では教えやしない。とはいえ、愛媛でそれをやれば左遷だし、そういった授業を受けていない、受けさせてもらええなかった教師
が大半を占めているから、今の生活のことだけしか考えないのであろうか...
。
話は一気に今になるが、高知では「四万十市」が誕生した。高知人らしい豪快な命名だけれども、その実は相当に厳しいものがある、ということには違いな
い。
国内も国外も、どことなく、おかしい状況の中で、この国は動いているのだな、と感じた。
2005年4月16日(土)はれ
前回の日記から早くも1週間が過ぎようとしている。本来なら、途中で日記を記載してもい
いような気分だろうけど、今年は全くだめだった。
汚い話かもしれないが、真面目にこの1週間は風呂へ入ったのが1日だけであった。自治体合併を前に、それほど仕事外にやる別の業務が立て込んでいたとこ
ろだし、本日も朝の10時から先ほどまで会議で松山にいた。
現実に仕事の後、のんびり出来たのは14日の木曜日だけであった、というのがリザルトだ。今日も風呂へ入れなかった。
というのも、往復のJRの列車の中で異常な胸騒ぎがして、思い浮かんだことをシミュレーションやって、それが、あたかも真実のように感じられて来始めた
からだ。
一つはSRの件、ホワイトブロスにスーパーサウンドから発展した考え方の確証のようなものが浮かんだからだ。結果の如何に関わらず、これは後日報告した
いと思う。 もう一点は、いつも泣かされるPower
PC 603以上のマシンで、OS
8.1を使用すると、ATOK8を最初にインストールするとoptionキー+Iキーでカタカナ変換するのだが、こいつをATOK13にすると、この組み
合わせが出来ない。
出来ることは出来るがreturnキーを2回たたかないと変換しない。変換するのはいいが、2回目で改行してしまうのである。
どうしてもビデオ回路が足を引っ張っているDuo 2300cではOS
8.1では不可欠なのである。インプットメソッドはどうしても使いやすく、ASCII配列のキーでは、かなカナ文字変換はoptionキーを使用すること
が条件なのである。
そういったことで、全てを削除して、再びATOK8をインストールしても、この動きは変わらない。どうしたものか、今日に至るまで困難を極めていたとこ
ろだ。
もちろん、当時の資料などは仕舞っているし、記憶の中身は希薄になっている。
こういったことからOS 8.1を使うのを避けていたのだった。これまで数回このOS
8.1とATOKの格闘をやった。
どうしてATOK12を使わなかったのか?。それはコマンドキー+スペースバーでの英語・日本語の切り替えが遅いことを身をもって感じていたからだ。
夜になっているから、SRには手が出せないが、Power Bookなら作業できる。ま、ダメならアキラメ、と考えてOS
8.1のDuo 2300cにATOK12をインストールすると... 。
レレ?、ミゴトに動くではないか。コマンドキー+スペースバーでの英語・日本語の切り替えもスムースだ。
あれはOS
8.5の時に遅かったのか...?、ATOK13のリリースデータの中に僕のこのことを記した一文の紹介されているが、OSとの組み合わせは、もう、忘れ
てしまった。
ま、ようやくDuoが陽の目を見ることになったが、古マックを使うときのチップスぐらいをMac
Fan誌の付録ででも出してほしいところだ。
明日は、朝からSRに取りかかることとしよう。
2005年4月17日(日)はれ
実際は他愛もないこと、かもしれない。行ったことが昨日のシミュレーション通りに事が運
ぶ。我ながら恐ろしい気分になってしまった。それにも増して結果が良好だから、一層「的中」というか、想像通りというか、そういった第六感めいたものが働
いてきた、ということに、一種の怖さを感じるのである。予言とは違う何かを...
。
SRの改修に午前9時から開始。これが本当に想像通りになってしまったから、我ながら力が一気に抜けてしまった次第。
午後から一服し、再度SRを走らせる。今度は松尾峠から三浦を抜けて絵の道だ。カンリンのフライホイールがすさまじいほどに効いている。唯一の調整はア
イドリングだけであった。
丸穂温泉で汗を流し、我が家で一杯やって、またしても疑問が浮かぶ。それはPPC
540cのインプットメソッドだ。現在ATOKは13。しかし、Wish I
were...でOSが8.6だからATOKは14までアップできる。動作は若干遅くなるのは分かっているが、DuoのOS
8.1とATOK12のマッチングから有利と考えて、ATOK14をインストールすることにした。
案の定、そのとおりになったが、確実性は格段に向上している。2回も同じ文字、同じ意味をタイプすると3回目からはすさまじいほど変換が速くなる。
いったい何がそうさせたのか?。この作業を終わって、Mac FanのPower
Bookスペシャルを読んでいると、1994年に、このPPC520がリリースされている。僕がSE/30を購入して2年後のことだ。当時は高価な5XX
など手が出せない。SE/30は56万円のローンだったのだから。
そういったことと「将来を約束されたPower
Book」の意味が依然として明確ではなかった。今でこそPPC603のましんになっている。それゆえ、新品購入のMacはPower
Book Pismoまで大きく遠回りをしてしまったのである。
本日、PCデポで最初のiBookの美品を格安で見つけた。ハンドル部分にもヒビは入っていない。が、バッテリーはダメであった。一瞬、入手の触手が動
いたが止まった。しばらく様子見である。これがPismoだったら一にも二にもなく購入していたであろう。
一日中、とんでもない結果の連続で一日が暮れたが、こういった日も実際に存在するんだ、と感じると同時に、日が替わると今日は過去になってしまう、とい
う事実も感じるところである。
2005年4月20日(水)雨後くもり
今日も真面目な話だ。この4月より職場では毎日朝礼と称して、職員が毎日交代で3〜5分
のスピーチをやることになっている。今日は僕がその任に当たっていた。少々いつもと違う方法でやった。持参したのは「運命の法則」のハードブックと
「Let
It Be Naked」のディスク3枚だ。
これをネタに喋ったのだけど、その後の云々は一切ない。僕のスピーチは一体何だったんだ?。
少なくとも数人は本貸してとかCD貸して、と来るはずなんだが、それは一切なかった。職場の統一といったところで、現実には、こういった状況でしかな
い。僕は今の各職場の状況は似たり寄ったりではないのだろうか、と感じている。
仕事から帰って、SR500のメガとラップをはずして、スーパークワイエットコアを装着する。セオリーどおりディスクはスパトラの4枚。結果はすばらし
い、というものだが、どことなく、「まるっきりノーマル」だったのだ。
現実にはディスク3枚でエキパイ径に匹敵となっているが、それは▼の切欠のついたディスクでのことであろう。今これを真に受けてセットすると僕のように
なる。
それでは一体ディスクはどうなのか?。これが今後の課題だろう。現実に1枚の増減がクリティカルに表面化する。ここを万難を廃止して立ち向かう。おかし
いようだが、これが楽しい。その時々の変化を感じ取れなければならない。こういった微妙なところ、それが経験だろうかな。
2005年4月23日(土)はれ
午後から学習会で八幡浜へ行く手前、午前中にSRの整備をする。スーパークワイエットコ
アをメガとラップに組み込むテストだ。結果からいうと上手くいった。この報告は次号ででも。
実は、火曜日から、とんでもない市民の要求に対しての作業をこなしていたから、自分自身がパニックになってしまっていた。おまけに、メーデーがらみの作
業があるから、とうとう3日間も風呂へ入れない始末。事実、過去にさかのぼっての作業となると、小数点7桁あたりの「1」という数字で、結果が大きく変わ
る。これの修正をしようにも手計算時代の名残はそのまま踏襲しなければならないし、その当時の作業の資料が非常に乏しい。そんな中での作業であった。
昨日それが終わって、脱力感が一気に襲ってきてしまい、10時間ほど眠ってしまった。が、意識の中に「SR」の件がず〜っと消えずにいたので、朝の作業
が無事にこなせたのだろうと思う。
もう少し心が落ち着かないと、朝霧湖マラソンへも怪しくなってきてしまう。妙なことだが、僕の気分を人は「ヒガイモウソウ」というが、一面事実だろう
が、カタカナ表記のような生やさしいものではないのだ。
2005年4月24日(日)はれ
僕はね、非常な時を迎えることがちょくちょく出てくる。特に夫婦で子供持ちの時は僕の理
論を通さなければ、憲法の遵守に等しくなってくるように等しいいものになって
くるように感じられてならないのだ。
K君の息子のことがゲルマンで上がった。当の本人を前にしてはばかったのは事実だが、酔ってしまったオッチャンの考えを申し述べても...
、と思っていたが、実際にリアルタイムの同級生のK君がそこにいるではないか。気にすることではない、開きなおりだ。
僕は高校1年生の藤島先生(このあいだまで島根大学教授)の授業と試験のことを披露した。本当に、こういったことが今の高校教育に反映されているのかど
うか...
、ここいら辺から今の学校教育が変わるのではないか?、と考えた。
僕はadidasのスパイクシューズ、トレーニングシューズをゲットしようとして、高校3年生の間、牛乳配達のアルバイトをやったのである。事実、「二
○加の御曹司にアルバイトなど1週間もできるものか」をいい意味で向こう数年間例題に出されたものだ
僕はやり通したが、これを今やるとどうなるか?これはカギ括弧をしても僕は世の中学・高校教師、携わる保護者に「個人の将来のため荒海に出せ」と声を大
にしていいたいのだ。
吉田高校も、宇和高校も三間高校もこれを失敗している。吉田高校など、科目にないものをやりたいとして、その能力を持っている生徒がそこにいればそれを
指導するのが教師の役目のはずだが、建築ディザイナーを目指した彼には「建築士養成」のカリキュラムは大きい仕打ちでしかなかった。
今の県立高校教師は完全にダメなんじゃないか?。すなわち、世間を知らないヤクザの中心人物になっているのではないか?、というのが僕の感じるところ
だ。
いかに対面よく「児童生徒の将来像を」といったところで、その実は「臭いものには蓋」が通説だから、今でも「いざ鎌倉」なのであろう。
第二次大戦の時でもそうだが、日本国自体は、ごく平和な国なんだ。中国をはじめとする問題、国内での問題など多くのことを抱えている。が、実際のところ
中学生に「憲法9条をどう思いますか?」と訪ねたところで、明確な答えは無に等しい現実をもっともっと考える必要があるのではないだろうか。
2005年4月27日(水)はれ
列車事故、宇和島市職員の不祥事。ま、人間社会だからいろんなことあるさ。マジで、僕は
この列車事故のことを掘り下げて記載するつもりはないよ。土佐黒潮鉄道の時でもそうだけれど、これは人為の事故以外にない。どんなにATSが進歩しようっ
たって、ダメだよな。運転、ダイアグラムなどを含めての運行のこともひっかかる。線路周辺にしてもそうだ。あそこにマンションがあると無いとでは相当に違
うはずだし、そんなこと考えてると、事故後の対応で、JR西日本の早期に何とかしよう、ってことがミエミエの発言も納得がいかない。まず、開口一発の発言
がその後のことを決めてしまったように感じる。
市立宇和島病院の件も不思議なもので、私文書何とか行使とかいうのに罪が行き着くらしいが、そのお札のコピーを使ったのは幇助ということはあっても、コ
ピーをした方が主犯格になってもっと悪いというのだからな。
三年前のこともインターネット上で流されたことのようだ。女性職員がホステスやってた、って。今ならどうなんだろうか。
多くの職員が居るけど、市民の大半はその若い職員の大半の人たちを「臨時的任用の職員」とは見ない。保育園でもそうだ。全く同じ仕事をしている保育士の
半分以上が「臨時的任用の職員」の保育士なんだから。
決して悪くいうつもりはないけど、今の市の行政の多くの部分を臨時的任用の職員、つまり正規職員ではない職員に任せている現状を、市長ほか市の理事社と
主体の市民の多くが、どう考えているんだろうか、という点に問題は絞られる。
この方々がホステスやってもそんなに詰問されることはない。過去、家族経営の店だったけれど、そこでウエイトレスやってた臨時職員を知っている。
郵政公社でも同様だろう。JRも現実には主要な部分においても正規職員ではない方々が黙々と責任を持ってやってるのではないだろうか。
我々も公務とはいえ、宇和島市も2年後は大変な人員不足に陥る。ある意味で人を減すということは危険をはらんでいる、ということを大きく見直す必要が迫
りつつあるご時世になってきたのではないだろうか...
。
2005年4月28日(木)はれ
思い切ってワイシャツで出かける。吉田高校の生徒がいぶかしげに見る。ヘッ、僕が高校生
なら、この状態で校則を破る。冷暖房のない教室で学生服を着用して授業を受けなくてはならないのか?。
僕は、こういった不合理を生徒会などで論議してほしいんだが、こういったことは「政治的」、「思想的」として教員連中と学校当局には絶対に受け入れてく
れない。生徒も生徒で、学生服を脱いだら「脱いだ」という、脱いだ後の姿は見苦しい。そのとき、我々一般の大人のような身だしなみをつける必要があるのは
事実だが...
。
そういったことを含め、今日は連合宇和島南北宇和群連合地協のメーデー集会だった。僕は、決議文などを読んでいると、同じ仲間ではあるものの、もう一つ
のグループとは違い、エライお祭り騒ぎだな、と感じるし、メーデーで何をアピールするのかというのが希薄である。
中小零細企業の就職を確保しろ... ?、バカと違うか。我々は就職以前に生活をどうするのか?、というところには全く触れられていない。
メーデー宣言が発せられるまでは、現実として、労働者が少なからず大変だ、と気づいているのにそれが一切ない。こんなのはメーデーではない。数年前のい
い時期での「メーデー万歳」をやっているようなもので、情けなかった。
少なくとも、5月1日に行う我々のメーデーはそういったところがない。未来形を形作るでもなく、断言してもいい。
メーデーをお祭りにしてはならない。はっきり申し上げるとメーデーっていうやつは共産圏でできたものではないんだ。自由の国アメリカで「8時間労働」を
実現するための、労働者側の要求であったのだ。その後、要求をした方々は処分(死刑)に処せられた方も多いと聞く。
こういったところが今は無視されている。僕はそれが残念でならない。ましてや、連合などという、大きい組織で、末端部分の組合も状況がままならないのだ
から、いかに民主党がてこ入れしても「金」が1で行動は2、ということは変わりはしない。 決して過激なことを言っているのではない。ジジババばかりの商
店街を見るだけでも、この地の経済状況は分かり切っているのだ。
2005年5月1日(土)雨後一時くもり
OS X
10.4をインストールして1日が経過した。はっきり言ってバカげていることは事実だ。が、僕の気分の中は、相当にこのTigerは住み込んでいる。そ
う、一方ではウインドウズが何とかかんとかいっているが、これほどUNIXを我がものにするなんぞはそうそう簡単にプッツンは訪れないはずだ。
当初パブリックベータ版とアクアを比べるとパブリックベータ版の方がいい、と感じていた。多くの方々が「これは...
」とみんなが認めたのはジャガーであった。それほど10.2はなかなか優れたものであった。
今回、Tigerをインストールしたとき、一瞬そのことが過ぎったが、そんなことより、もっと現実味を帯びて、なおかつ古い(G3)マシンをも見捨てな
い、こういった、いつもどおりのAppleのOSであったのだ。
そう、不思議なのは、どうして普段どおりに作業できるのだろうか、といった、コンピューターにとってn動作が普通にできていることにあった。ほんの簡単
なテストとはいえ、これを確認できたことはすごいことであろう、と思う。
そのTigerを古いマシンで今使っている。今後どうなるかは不明だが、おそらくはこのままで進んでいくのではないか、と感じている。
2005年5月5日(木)はれ後くもり
現実に56年前の5月3日、現在の我が国の憲法が制定された。以後数十年間にわたって協
議なり、改正なりを話し合われたことと信じている。
おそらく真相は何もかもがリぺート追求でのことであろう。どうなることが解らない、といった状況にあるようだ。真に国と国民の契約条項としての「憲法」
は考えられていないのが事実だろう。
かく申す僕は、その日、朝霧湖マラソンへ出場し5kmへ有森裕子選手(?)と走った。けれども、僕はおかしいことを発見。有森、といいながら、自分のT
シャツにサインして売ったりして、現実には後ろになったり前になったりして走って当然ではないのか、ということに、妙なわだかまりを感じてしまったところ
だ。
昨日は、NHK総合テレビで熟年チームが現実にタクラマカン砂漠を北緯33°線だったかの経線が砂漠のそこを走っている、そこを歩くという番組を見た
が、一種お驚きでもあり事実でもある。僕は自然の摂理などは信じないかもしれないが、日本国内では明石市に日本標準時の北緯35°線が走っているにもかか
わらず、最近ではお祭り的なものもない。
朝霧湖マラソンでも、あまりに有森選手のことが主であるという、いつものワンパターンよりは、もっと費用のかからない選手を呼んで、2次抽選の商品を多
くしていただきたい、というのが偽らざる気分である。
さて、本日は大事の連続であった。朝は気分良く目覚めて普段どおりだったんだ。全く昨日の繰り返しを行っている。体中が重い。時間の経過とともに頭の方
も重くなってきてしまう。
とにかく、汗がでない。菖蒲湯で丸穂温泉へいったが、汗のかけらもでない。僕はへんどう体温性の生き物になってしまったのか、と感じてしまった。
想像だが、風邪が完全に抜けきっていないために起きることではないだろうか。数日間の猶予が必要のようだ。
2005年5月8日(日)はれ時々くもり
昨日はひょんなことで同級生と一杯やることになって、出かけたはいいが、午前様になって
しまい、本日の起床は午前9時になってしまった。気分は絶不調。
www/Gridをアップロードしなければならないので、Pismoを職場へ取りに行く。女学校時代の作楽会の方々が会議室を使用していらっしてるほか
は誰もいない。連休最後の日曜日ということがわかる。風も比較的ひんやりしている。
PismoはどうやらP.T.Kが限界になって来始めた。微妙なところでミスがでる。同様にOSを10.4にした途端にATOK17のoptionキー
を使用した仮名変換ができなくなった。まるで、OS8.0の時と同様になってきた。
こういったことから、controlキーが隣にある純正のASCII配列の英語キーボードに変更したところだ。P.T.Kのステバンをはずし、エアー
クッション方式にした。このエアークッション方式はいずれ本文で紹介したい。純正キーボードはベース板の強さは感じられるが、おかしいことに、OS
10.4ではタイピングの状況が純正ASCII配列のキーボードの方が、キーのガタとストロークがいい意味で好ましい感覚がする。
文章を一部修正してアップロード完了。挨拶をやる会議に出席の後、再びPismoを職場へ持っていく。何とか生き延びさせて...
、がここまで来てしまった。妙に不思議なマシンでもある。
丸穂温泉へいって湯上がりのビールでも...
には、さすがに今日は気分が乗らなかった。プロ野球も交流戦で楽天がようやく巨人に勝ったから、少しばかりうれしいところだ。決してファンというわけでは
ないんだが...
。
2005年5月10日(火)はれ
高知県四万十市で、沈下橋を自動車で通っていた宇和島市民が落下して死亡したニュースが
入った。こんなところで死ぬのかよ、というのが偽らざるところだ。
責任の所在は別として、この保証関係は、河川は県、四万十川は国、その橋はどこ?、といった具合に、最終の責任は死亡者だろうけど、この事故を皮切り
に、先ほど出した責任の所在上、沈下橋に手すりなどは絶対に取り付けないよう、切に願うものである。
イラクでイギリスのガード会社に所属する日本人男性が、テログループの公表で彼らの攻撃で大けがをした、と報じた。
事実、僕は「アッ、そう」といって、「イギリスの会社に勤めてるのだから、現実には、先にその会社の発表なりがあるはず」なのだが、こいつが一切ない。
まるで我が国から直接で向いたことのように、総理にまでインタビューが及ぶ。おいおい、アホチヤイマンネン。日本人ということは解るが、先に所属のセ
キュリティー会社のこと、彼は英国の市民権を持っているのかなどなど、これらのことを先に報じていれば、厳しいかもしれないが、僕はとりたてて、日本国民
がこのことに注視する必要はない!、と言いたい。
古い言葉で、僕は「非国民」と称せられるのだろう。そう、とりもなおさず、今の政府、それに憲法関係の関連人物などが、おっしゃることで、それこそ、帝
国憲法への回帰の考えに他ならない。中曽根なんぞの考えがこれだ。
お前さんが若かりしころ、太平洋戦争(実はこの言い回しもおかしい)が終結したんだよな。そのとき、お前さんは憲兵、特高などから解放されたはずだし、
自由を自らの心身に感じたのではないだろうか。
相当にひどいことを申し上げているが、僕はいたづらに、彼の地へ行っている日本人は、何が何でも救わなければならない、とすることはオカシイと感じてい
る。現実に、アメリカの市民権を得て、アメリカ海軍に就職して航空母艦勤務を職として戦争に出ているニホンジンも居るのである。この人がテロリストの捕虜
になったとき日本国は彼を救うのだろうか?。
僕はね、これほどエゴとか一発勝負などの風潮がはびこっている日本政府も信じられないし、小泉君も信じることは出来ない。同じ政治パーティーのメンバー
でありながら、数ヶ月前から強烈に彼を批判しない。
郵政公社の民営化を一生懸命反対した同じパーティーのメンバーはマスコミなどへ一切出ない。僕はこの現実を知ってほしいんだ、と感じている。
我々の師でもある弁護士の福田先生が「憲法は国が国民を守る契約書」といい、アメリカ合衆国憲法の制定の一件とかの話を聞くと、この日本国憲法はとんで
もない崇高な一面を持っているんだ、と強く感じている。
オートバイをさわっていて、悪くないところへ手を出すのは邪道だ、ということは嫌というほど味わっている。その結果が常に悲惨ということからである。
憲法をさわるということは、その部分だけに止まらないことを十分承知しておくべきだし、それ以上に、さわらない勇気というか日本人民の意識を高めること
こそが今の重要課題ではないだろうか、ということを、今回のイラクの事件で再び感じて記載してしまった。
2005年5月12日(木)はれ
新宇和島市のコンピューター関連の講習会を受ける。メールから始まって、個人、団体のス
ケジュールなど、どれも、これまでのMicrosoft
Officeのグループウェアの状況そのままだから、こっちは別に驚きもしない。むしろ、シームレスなのはMac
OS Xの方、いわゆるUNIXの関連の方だ。本日の講習ではシステム全体のことは一切出なかった。
むしろ、「現在の状況とNECからFujituに替わっても、そんなに気にすることはないんですよ。むしろ使いやすいほどです」といいたげな、まるで初
心者対象の講習会であった。
当然のようにXPベースだからバグが出る。画面状況見てると、これってMac陣営では、すでにやってるよな、と感じてしまって、時々、別のディレクトリ
で確認している僕自身が、サーバーマシンを操る講師からは「とんでもないことやってる」と思われたかもしれない。
当然、終了時には大半の物を削除しておいたが... 。
夕刻からは職員団体の関連でビアガーデンにて懇親会。別の会と同席になって、そちらの代表でもある僕はあっち行ったりこっち行ったりの状況であった。し
ばらく飲んでいると、妙に白々しいことに気づく。それは飲めない人も、その席に対応できるように主催側が対応できているか?、というところにある。
僕は、これは出来ていないように感じる。
これとは少々異なるが、毎朝の宇和島自動車のバスセンターから吉田高校へのバス通学生のデカイ態度、これには閉口する。彼らは歩道に接した待合所を占拠
する始末。そこを通る僕は彼らをよけて通らざるを得ない。
待合所まで来た自転車は「駐輪禁止」の場所へ平気の平左で停めている。妙な入れ込みはあるにせよ、路線バスは数本有るのだから、時間の余裕を持って本来
の駐輪場へ置くべきだ。吉田高校の風紀委員は何をしているのだろうか?
「風紀委員」と聞いて、今の高校では、そういった考えを一切排除する方向へ教員連中はし向ける。組織だった生徒の行動を暴挙の始まりにしてしまう教員連
中だから出来るんだ。教員連中自体が県教委の言いなりになっているのに気づかない、世間¥知らずの教員ばかりを増やしてしまった結果だろう。ことに愛媛で
はひどい。
帰りはもっとすごいぞ。声こそかけはしないが、バスセンターが改修されて車椅子のスロープが出来た。
そこに女子高校生が堂々とミニスカートで膝を組んで座って、メールのやりとりを携帯でやっている。しかも隣の同級生と男言葉で...
。
僕は、こいつらが大人になった頃の宇和島を考えていた。従って、「そこは身障者の通路だろ?」と声もかける気にもならなかった。見下げた言い方かもしれ
ないが、こんなバカ生徒に言葉をかけるのは僕が僕を許さなかった。
確かに、声をかけたところで「私の自由でしょ」と返答は来ない、と思う。大半は返答すらないのが実情だろう。立ち退いた後には「イヤなオッサン」という
言葉がはびこるのであろうことは容易に想像できる。
こいつらが、大きな世間のビンタを食らえばいいが、世間から無視されて、それすら出来ず、大半が中途半端なうちに人生を終えるのであろう。
専門家は「彼らは認められたいとか、声をかけてほしいとか、愛に飢えている」というところが、世間一般はそうは感じていない。僕も今は「彼らはダメなん
だ」という同様の態度をとるであろう。これが僕の今の考えだ。
僕を批判するのは自由だが、実際にこういった状況で彼らに声をかけて、「あのとき言われたとおりだった」と、彼らの一部でも反背などするのだ、は絶対に
ありはしない!、というのが僕の考えである。
2005年5月14日(土)はれ
日中こそ気温が上がったが、比較的穏やかな天気であった。午前中は会議で出ていかきゃな
らず、普段の休日の体制はとれなかった。9月半ばまでは、こういった調子で僕自身のことが忙殺されるのではないだろうか。
ともかく、午前中はPPC
540Cの文字変換に取りこぼしが出ることを真剣に考えていた。古くからのMac愛用者にはお解りだろうが、ATOKのバージョンがMac
OSとの相性で動きが変化する。通常なら、ATOKはこの面はXX.01などで対処するところなんだろうけど、ジャストシステムではすぐにバージョンが上
がる。
これまでのところ、PPC 540cのOSは8.6。ATOKは14としていた。理由は、OS
8.1とATOK
13ではoptionキー+I(U)でカナ(かな)変換がうまく行かなくなる。機種によっての違いは若干あろうけど、ATOKとMac
OSとのフィット感というかシームレス度が一瞬で阻害されることになるのだ。
蛇足だが、現在のMac OS X 10.4とATOK 17でも全く同じ現象が起きている。ジャストシステムでは、OSの都合上...
、と公表しているが、僕にすれば、これは逃げの常套手段のように感じる。
今のPPC 540cは、Wish I were...
、でOS9まで使用できるが、マシンのパワーからするとOSは8.6ぐらいがピークだろう。その上にATOKのバージョンはOSとの相性が加わるから、お
いそれと両方をいじれない。
そういったところから、十分見極めて今回はATOKのみを13にした。この13も曲者で、アップデート版でないとうまく作動しない。インストールと辞書
の調整は20分で完了。結果は成功であった。
もっとも過去のこういった状況を忘れてしまっているのがこうなる一因かもしれない(爆)。
少々遅くなった昼食の後、どうしてもスパトラのステンエンドキャップを使用したくて、スペーサーを西予のT君に作ってもらうことにした。2mm厚のアル
ミ板で簡単に行く、と思っていたが、2時間近くもかかってしまった。現実にはこの厚さが必要だ。1mm厚2枚では強度上不安が残る。
帰宅してスパトラのディスクを乗せてみるとうまくフィットする。日記では明らかにしていないが、現在はスーパーサウンドの仕様から変更している。次号で
紹介をする予定にしているので、以後のインプレなどはここでは申し上げないこととしよう。
1日の時間帯で行う人間の仕事量なんて少ししかないんだな〜、と思った。
2005年5月15日(日)はれ
相当にいたぶられた一日であった。朝の6時半よりSRの整備にかかる。寝癖のついた髪の
毛、はれぼったい目の僕を見て、通行人は「変な人」になったのは間違いない。アダプター他の取り付けで的確な方法は昨夜決定していたので、それを履行する
だけだったから、ほぼ完璧に取り付けができた。
ちょい乗りは午前9時半からの清掃作業場所である丸山まで。青い煙がでるが、これは作業オイルが焼けているものだ。作業後の岐路のすばらしさは言いよう
がない。少しばかりウルルンになった。
ところが、PPC
540cが言うことを聞かなくなった。これまでATOKに散々いじられていたのだが、とうとう、Systemの再インストールになってしまった。その後、
少々考えたのだが、「ATOK8」でやってみることとした。理由は至極簡単。PPC
540cでも元は単に540cだからOS
8.1が最高なんだから、インプットメソッド(ここはFEPの記載が適当かな)は実際のところ、古いものが適当かもしれない、と考えてのこととして行って
みようとした。
ということで、ATOK8をインストールした。結果はどうか?。今までのことがバカみたいに感じてきだした。当然、僕が必要としている基本の固有名詞は
ファイルから取り込めるが、その他の少々難解な文字は繰り返し(学習)が必要なのは言うまでもない。
が、こうやってインプットメソッドの辞書を鍛えることを、今のユーザーは忘れているのではないだろうか、と強く感じたところだ。実際に僕も一部おんぶに
抱っこをしているところもあるのだが(爆)。
午後、テストコースにSRを走らせる。再びウルルンの世界になってしまった。それほど今の組み合わせはすばらしい!、といったところで自己満足にすぎな
いけれど...
。
明日は松山だ。ここはマジでSRで出かけようか、と思っているところだ。
2005年5月19日(木)はれ
昨日の曇天雨をよそに、結構いい天気になった一日だったはずなんだが、あにはからんや、
早朝出勤した妻からかかった午前9時過ぎの電話で吹き飛んだ。それは、ご近所のお爺ちゃんが他界した、という知らせだった。「そうか」で、その場は終わっ
たが、妻の電話は、まるで他人同士の言い方で、無味乾燥した会話でのブス!っとした気分だったのだが、これは妻の職場からの電話であったため、儀礼的応対
でいたしかたない行為、ということに後になって気づいた。
そのときはマジに、「あ〜、やっぱり夫婦間はダメになってんのかな?」と思ったのだが、実はそうではなかった。
通夜は僕の方が先に出向く。妻は本日の透析学会の会合を止めての参列だし、明日は早朝からの仕事だ。近所のお仲間うちと出向くとのことで、僕の方が先に
なった次第。
が、ナァナァな僕も今日ばかりは面食らった。僧侶の読経が40分も続く。途中、焼香の盆が回される。
通常なら読経の後は、参列者が死者へ水を差し上げ、焼香してお仕舞いになるはずだが、僧侶の読経が終わっても、参列者への死後と今との融合などの教示
(説教)があって、それが終われば、僧侶はそそくさと退席する。同時に座にいた方々が退席する。
あれれ... 、これってミニ葬儀?、と一瞬戸惑った後、言い様のないものが僕を支配した。
通常、僕の参列する通夜は、本当に想像通りの通夜だ。宗派が違っても、参列者に対し、その方々を身内側が招き入れ、訪問者は死者に一口の水をあげて、焼
香する。受け入れ側は、弔問の礼を言って、親近者なら、「一つ一杯」という、そういった、亡き者への弔いの意味が多く存在すべきものが通夜ではないの
か?。
こんな気分で家に帰って妻に言うと「何?、はっきり言いなはい!」と言うので、僕は上記のことを説明し、「僕の死ぬときには、この家から出してくれ」と
言った次第。ここで、本日職場から妻の電話の状況が解ったし、仲違いはあっても「夫婦」という赤い糸を感じたし、どうやら、今の時間になっても帰宅してい
ない、ということは...
。
最近は、どうも死者の生前のことなどを、一杯やりながら話をして...
、という、近所や親しい方々だけの話の場があってもしかるべきなのだが、それが全くない状況に参列すると、今日の僕のようになってしまう。
同様に、やはり家で通夜をやって、翌日は菩提のお寺さんで葬儀を執り行う。その後の初七日を取り越しての席も寺で行うべきだ、と、今日は強く感じた。
もっとも、通夜も葬儀も会館で行うのなら、大阪の叔父の時ように、地域の公共ホールを貸し切って、ご近所や身内の助けで行える通夜から葬儀はよかった、
と僕は感じている。
2005年5月22日(日)雨
現実には昨日に結果がでていたことがある。それはATOKの最大の弱点のようなものが分かってきた。そう、弱さ、というと、ユーザーサイドでも検討して
いただきたい的なことも存在するだろうが、今回は、それは逃げ口上としてジャストシステムの姿勢の甘さを感じざるを得ない。
実の所、昨日一杯、ATOK
14から17まで順にPismoへインストールしてみたのであった。不具合という不具合ではないが、変換(へんかん・ヘンカン)がoptionキー+U、
Iのキーで変換ができないところにあるのだから、その確認を一生懸命にやったわけだ。詳しくは次号の本誌で述べることにするが、意外な結果が出た。
ATOK
15が一番いいい、と。すでに10.4.1ではサポートされていないものがどうしてフィットするのだろうか?
ここんとこも、僕の所見を申し上げている。強いて言うと、当のジャストシステムの対応が逃げを示していることにある。どうして、すぐさマップデートを公
表しないのだろうか?
「OSの都合による」と記載しているが、インプットメソッドでのことからすると、機能は少々劣ってもいいのだ。
同じように、人間の世界でも、どこへ行けばどうなる、は宇和島の人間より、何かにつけて松山の人間の方がす〜ッとクリティカルに感じているのであろう、
と本日理解できた。
2005年5月27日(金)はれ
プロ野球交流戦、読売ジャイアンツ対オリックスのゲームをテレビで見ながら、こんな試合
でもテレビで見ている日本国民は数パーセントいらっしゃるんだ、と思うと、少々困惑してしまう。
野球の野の字も知らない僕が言うのもおこがましいが、中継を見ていて、常に感じるのは解説者の「巨人ビイキ」である。5回表の清原が出た時など、打つま
ではトコトン誉めやがる。結果は三振でアウト。このギャップをどうやって埋めるのか、と思っていたら、コマーシャルになってしまう始末。7回、ヤクルトの
ピッチャーエラーで得点が入ったときなど、ピッチャーの真の気持ちはどうだったのだろうか?、は簡単に済ませて、残りはコマーシャルでチャラ。
この放送系列の解説者は「一つ頂いているな」というのが見えかくれしてしまう。僕は読売巨人軍を卑下するつもりは一切無い。強いて言うと、水原監督の
36番がコーチャースボックスに立っていた、あの頃の巨人軍に戻らなきゃ「絶対ダメ」なんだ、と決めつけている。今の巨人軍はブサイクだ。
桑田のピッチャーの立場なら、いざ知らず、清原なんていうのは、僕同様にデブそのものなんだ。同じデブでも、僕より劣るのは、シーズン中でも通常のト
レーニングを一切やっていないからだろう。僕は彼が5kmのランニングをこなせるかどうか?で、こなせる、とファンが言ったところで、それは無理ですよ、
と言い切ってやりたい。
これらは、他チームの主力でさえ、負け試合の後は特打ちなどをやっていることからも分かる。アメリカならいざ知らず、ここ日本では、「監督、コーチ、す
みませんがバッティングフォームを少し見てください」と、自らケージに立つ場合は、そういったことを言ってるはずだ。
逆の場合、選手はもっと平身低頭の気分になっているはずだ。それが、野球を仕事としているヒトのなりわいであろう、と考える。
監督も監督だ。大量点差で負けていたにも関わらず、堀内君はベンチにどっしり座っている。このことが、テレビ桟敷や一般ファンに認められる行為なのだろ
うか。ここんとこは、さっきの水原監督当時ではないが、「このままチームが負けるのだろうか?、何とか解決策を考えなくては...
」と考えを目ぐらせ、なおかつ、選手には「Don't Mind」の気分でもって、円陣を組んでもいいのだ。
誰が見ても、この場に至っては、どっしりなんて座っていられないはずなんだ。今の堀内君にはそんなに「選手の自主性にまかせる」なんて、実際にやってい
る監督再拝は絶対にあり得ない世界ではないか。
ここんとこが、監督交代劇につながるのだろう、などどは言わないが、ともかく今は逆療法として、読売巨人軍が負け続けてくれることを願うばかりである。
そうなれば、首脳陣もダメ監督の堀内の考えも聞き入れてくれるであろうし、高年俸の選手を解雇(そう、あくまで「解雇」の強い措置を)すればいい。そう
したところで、遅きに失するだろうが、二軍のイイ選手を引き上げられるし、それこそ「巨人軍命」の気分の選手が多数すくい上げられるはず、と感じるのだ。
いずれにしても、僕は読売巨人軍の負けゲームが今後のシーズンオフまで続くことを切に望む。強いて言うと、シーズン途中で監督交代劇があってもイ
イ...
かも。
川上V9の後を引き継いだ長嶋巨人軍も最下位を味わった。その翌年、同監督でメンバー一丸となってトップに立ったが、僕はあの時のことはエポックメーキ
ングではない、と信じている。
少なくとも、読売巨人軍が今後とも日本プロ野球界の顔であり続けるのなら、ユニホームの裾の問題から始まって、もっと球界のリーダーシップをチームメン
バー自らが自然に「野球界のトップの意識」を持って振る舞えるような状況にならなければならない、と考える。
ともかく、今はズ〜ット負け続けて最下位のポジションを確保してほしいものだ、と切に願っているところだ。
2005年5月28日(土)はれ
珍しくプロ野球のことを二日間連続で記載する。思いっきり言ってやるが、それは読売巨人
軍が、無得点でオリックス軍団に二連敗したことだ。
オリックスの先発は吉井だぜ。メジャーリーグでダメになって、そろそろ、の選手じゃないか。同じ時期に帰国したMAC
SUZUKIの名前は一切聞かないだろう。現実には彼は球が速いだけで、コントロールがないからすぐに打たれる、というのが通説だ。
本日の試合が午後9時前に終わった。復帰した巨人のピッチャーKには酷な8回の登板だった。思わず僕は「酷なことしやがる」、と感じたが、ジャイアンツ
ファンからは、一瞬「堀内を解任しろ」という声が出たのではあるまいか。
理由は簡単だ。楽天が初の4連勝と来たからだ。散々負けるを言われ続けて、昨日雨で中止になったゲームで、阪神相手に連勝だから、これは...
、になるのは当たり前だ。
以前、キーナント氏のことを記載したが、彼の降格劇は早すぎたのではないか、とも感じ始めたところでの4連勝だ。この逆を名門の巨人軍がやってるのだか
ら、大半のファンは監督降板を真剣に考えてもイイ。
その上に、二連敗だから、巨人軍のチーム内に不協和音が出ていることは十二分に想像できるし、事実めいた論評を新聞紙上にでも出せばいい。その前に週刊
誌がそれを出すだろうけど。
こんな巨人軍を見ても見させられても、周りからは何の反応もありゃしない。もし、僕がスタッフ、特に経営側の一翼を担っているとすれば、ダイレクトに
「清原君、君は少し体重を落としてはどうかな」、と一発言って、「せめて10kg程度絞ってこいよ」と言ってやる。そして、「期間は1月で、私が言ったと
おりの状態になっているかどうか、そのときはテストする」と、ぐらい言ってやる。「決して脅しでは無いぞ!」とまでね。
もしプレーヤー側のスタッフ陣の一員だと、もっと厳しい。「記者連中から聞かれても何も言うな。キヨは次の試合から6番だ」と言い伝え、「そこで成果を
出さなければ、即刻2軍行きだから、記憶にとどめていてほしい」と言うだろう。
今の清原なんて、4番打者、というだけでバッティングもダメ。ピッチャーが内・内・外とやれば、バットは出ない。たとえ打っても走りは遅い、という始末
だろ。
どこでも仁王様みたいな態度だから、周りが彼に声を出せない。
監督はオーナーにこういった状況を直接耳に入れるべきだ。おそらくは、一切オーナーの耳に直接伝わっていないのではないだろうか。
2005年5月30日(月)はれ
昨日はね、我々関係者の長男の結婚式だった。そう、父親は「近藤です」の彼に似ているけ
ど、息子は、一瞬「バンツマ」の若い頃を意識させてしまった。バンツマって解らない世代が多いもしれないが、坂東妻三郎の略だ、長男は現在の俳優、田村タ
カヒロさんである。フルハタなにがしは身内に当たる。
余談がすぎたが、昨日の写真の関係絵からはじまって、先ほどまでの鬼北町での会議の世界でのやりとりを思い出してしまった。
ついでに、昨日の美空ひばり物語のシーンを思い出したが、まさしく、いざこざ、とか、やりとりがある中で、連携を保つため、それを取り仕切っている方が
居るかどうか?、が重要なカギを握ることになることを感じた次第。
この件は、大火無く過ぎたが、その内容を鵜呑みにしていいのかどうか?、僕は、はなはだ疑問を感じる。これもニュースで知ったことだが、こどもの取り違
いにも似ている。数年後の状況さえ見通せないのだから、すべては不確実な断定をされた、とするのであろうか。
ミンダナオでの日本兵と限定できるののなら、そんなに苦労は必要ない。が、確認自体が思わしくない、とくれば、今日の会議でのやりとりの結果は、現時点
では思わしくない、とした方が良かろう。
戦後60年にもなって、何がどうなんだ?、と感じる。一度「君が代」をパロディー化したものも出たが、結局は圧力あがかかったのであろう。
フィリピンから来日した「日本人」の国籍取得に弊害をもたらさないよう、願いたいものである。いくら貧困にわめいている人が多くても、真の心有るもの
は、間違ったことを少しでもやれば、これは確実に反省の態度・言葉になってかえってくるものと信じている。
2005年6月5日(日)はれ
今月に入って初めての記載だ。多忙と言えば多忙。その上に、別枠の作業が日常業務と同時
進行、といった日々であった。先月末は、仕事より仕事外での予定が目白押しの状況であった。仮にこれがブログだと、毎日記載、などとしていると大変なこと
になってしまっているのであろう。ブログも結構大変なんだ。間違っても「昨日と同じ」といった夏休みの宿題みたいには記載できないからネ。
これまで何度も記載してしるからお分かりだろうけど、今日は僕の誕生日だ。63年前のこの日、南太平洋上において...
、から始まるのだが、記載しても致し方あるまい。
むしろ、昨今の報道などを知るにつけ、たとえばBone's
トークに(こうやって知る以前の)関連のものを記載しても、「これは新聞報道から得たものだ」にならざるを得ない。この辺が、www/Gridが月刊の
アップを基本としている、としての辛いところだろうかな。
ところが、今日一日、その63年前のミッドウェー海戦にまつわる報道は、少なくとも僕の耳、目、アタマには入ってこなかった。
戦争の賛否、憲法の改正などのことは別として、今日の日本が存在する要因の一つとして、1942年6月5日のことは、日本国民が絶対に忘れてはならない
日の出来事なんだ。この日の「大本営発表」から「嘘」でまとめられた公式発表が1945年8月15日まで続くのだから...
。
幸いなことに、今年の今日は僕にとって素晴らしい1日になった。いちいち記載はしないが、まずはSRのチューニングの終了。来るべき、コンピューター関
連の構築などなど、数は少ないけれど、これからの、僕をとりまく諸々のことが上手く行くよう、これまでの経験が生かされるよう、向こう、今の職を辞した後
のことなどを、これから数年にわたって纏めなければならない、と考えが及んだこと。
これらが僕にとっての最大の誕生日プレゼントであったようだ。
2005年6月7日(火)はれ後くもり
Mac Fanレターで「Appleがintelを採用することが決定したのは激
震です」といってたが、僕はそうは思わない。むしろ、今の「intel
insidee」の事象をそのままAppleの世界へ持ち込んだら、「もっと早くからやってら良かったのに...」、と感じるはずだ。
が、これはMav OS X での世界だ。9.2までの世界は、絶対にモトローラやIBMのPower
PCでなければ作り出せない世界だ、と確信している。アクアから以降のUNIXベースのOS
Xではintelを搭載するのは遅すぎた、と思える。
ま、僕の稚拙な考えからの発想で、熱烈なMACユーザーはもとより、OS
Xになっても、これまでのMacの環境を忘れられないユーザーには、まさに青天の霹靂であろうことは疑いの余地はない。
望むらくは、Appleが「今のMacユーザー、今のMac製品のユーザーを無視しないこと」をいかにA首脳陣が重要視しているか?、と
いうことが最大の観点だ。ましてや、我々日本人民は2バイト圏の世界を有する「ところ」だ。これを一方的に欧米の1バイトの考えで処理してほしくない。
昔のAppleがApple II の時代から営々と続いたアップグレードのあり方をはじめとした数多い互換性をintel
insideの世界でも続けてほしいことが、一つである。
もう一つは、最後のPower PCとなるかもしれないユーザーを決して無視しないことだ。
これらのことは、Apple側としても相当なリスクを伴う開発になることは解っている。にもかかわらず、ちょうど、OS
6.0.7からSystem
7になったときのように、新しいOSがソフトウェア側の処理方法で違和感無く使用されていたこと。事実、僕のPlusでは未だに(OS)漢字トーク
6.0.7(.1)で使った方が、漢字トーク7(7.1)で動かすよりも速いし、逆に、MC68000のアタマでも、メモリーが8MB以上あれば、漢字
トーク7が簡単に、しかも6.0.7より確実に動くのだから...
。
ところが、この重大事項を、報道メディア関係の大半は紹介しない。紹介するも、今のApple、Macユーザーには蚊帳の外の状況なのである。
ここんとこが、ユーザーの関心事なのだが、このことは一切報道されない。それほどX
は完成されているOSなのかもしれないが... 。
2005年6月12日(日)くもり時々はれ
日曜日なのだが、昨日の雨模様の天気が少しばかり気がかりだったので、午前中は書類の整
理などをして、じっとしていた。実際は、自由に動けたのだが、少しばかり気が重かったためもある。
というのも、8月1日からの人事異動を前に10日に出された内示に少々気がかりなものがあって、素直に僕の昇格を喜べなかったからだ。
数年前に200人を束ねる職員団体のトップになったときの気分によく似ている。あの時も落ちつくまでに数カ月を要したが、今回は期間が先に決め
られている。ことに仕事となるため、もう一人のベテランが不在の中で9月以降の忙しい業務を迎える。 その中で、8月の一月間は3人の新人を僕が主となっ
て使え得る状態に持っていかなきゃならない。考えてみると、とんでもないプレゼントなのである。
午後もどことなくダラダラしてしまっていた。しばらくして、SRのライディングについて、最終の締めをやろうとして引っぱり出した。午後からの天気予報
では、明日も晴天が続くとのこと。少しばかり時間を費やしてもいい、と判断した。
まずは、ライディングポジションから。フロントフォークレッグをトップブリッジからの突き出しを8mmにセットした。10mmではフロントフォークの作
動がおかしくなりそうだったからである。
走ってすぐさま変化は現れた。次いでキャブレター。今の締め込んだ位置から1/8ほど締め込んで、これまた、ほぼ最適になってきた。テストコー
ス、水分からの下りで、フロントフォークの突き出し量がOKなのを確認。これですべてを追い込んだ。望むらくはアクセルワイヤーの調整だけになった。
オイルクーラーがかなり熱い。エンジンは結構な発熱だ。オイルも一定の粘度を保ちつつ、熱で油膜が切れないものを見つけださねばならないかな〜。ことに
夏場は相当にキツイものになってきそうだ。
2005年6月14日(火)はれ後くもり
モヤモヤは多いが普通に過ごしている。何かにつけて、そんなにバカ騒ぎすることでhはな
い。このことに「そうかな〜?」と疑問に思う何かを感じとられた方はご理解できている、と感じるのだ。
NHK総合テレビのクローズアップ現代で国谷キャスターがイミジクも的をついていらっしたが、日本で暮らす外国人、(語弊があってはならないが、「日本
とは異なる国から来た人々」と理解願いたい)の問題点が報道されたことだ。
番組ではイラン出身の女子高校生だったが、一家が不法滞在だ、と判断された。そのための対策方法を主に放映をやったが、現実は無理だった。これが基本
だ。
彼女は2歳の時から日本暮らしで日本語しか話せない。外国人カードがあれば滞在はできるらしい。父親は...
、とするとき母親はとっ捕まった、とくる。当然不法滞在での処置だ。
僕は官権はバカじゃないか、とまで感じたところだ。
おまけに、同じような境遇の家族は滞在を認められ、彼女ん宅はダメ、というのは、どんな基準で...
?。
これが、関係省庁では明白でない、という答弁に一種の憤りみたいなのを感じた。番組中、関係官吏が質問に答えて「どうしようもない」という発言をしてし
まったが、これは僕でもやるだろう。
自戒の面も含めて、それほど不法残留外国人を時には排除、時にはOKという手法をやっていることへのアンチテーゼのようなものは日本人民にはないの
か?、と感じてしまった。
関係省庁、関係官僚は法律第一、となってるので、僕の職に関係する税務署を始め相当に嫌われているだろう。実際の実務者はそんなこと一切無いんだ。僕
は、ここんとこが決定されるのは、キャリア組か外様の部長レベルだろうな、と決め込んでしまった。
少なくとも今の法律は、日本人民が守っていればOKですよ、というものばかりだ。そこへ、守らなければ処分が待っている法律のもとで生きてきた外国の人
々をはめ込んでもどうすることもできない。
小泉君の表面上の言い回しは気がかりだが、このことは、これからの日本人民が世界と手をつなぐことへの最長でも最短でもある良好な方法を見つけ
なければならないのかな?を主として、これらのことが世界では一般化しているにもかかわらず、日本国内では、ことさら曖昧な判断ができる今様の世間一般に
流れた法律運用に近づいて、ゆゆしき問題としている。
いまこそ、グローバルな視点を強調するのなら、それに日本国民は順応しないとならない、と強く感じたところだ。
I Love Youをみなさんはいかが翻訳するのだろう?。「私は貴方を愛しています」かな?。
実際は「僕は好きなんだ、君が」が、この英文の意味するそのものだろう。この答えを中学校の答案用紙に記載したら×が記される。S+V+Oの英語の文法
の基本がなってない、とばかりに...
。代わりに、英語教師が英会話ができない現実も存在する。
こんな英語教育でグローバル社会なんて言えるかどうか?。
ちなみに「I like you,still
now」と妻に言うと、どんな応えが返るのだろうか。おそらく「何言いよんの、日本語でしゃべりなはいや」となるのが関の山で、「今でも好きだよ」とは、
とても言えない、嗚呼...
。
2005年6月19日(日)くもり時々はれ
日曜日というのに、思いっきり疲れてしまった。4月の下旬より座骨神経痛の余波が脚部に
及んでいることも加わって、体を反らすことができないのだ。その中で、午前中の会議、正午からの結婚式と披露宴なもので、生活のペースが全く狂ってしまっ
た状況である。
ようやく元に戻ったのが午後8字過ぎ。今度は思いっきりの空腹感が襲う。少しばかり遅くなったが、本来の夕食であるべき鰻を数切れ細かく切って、鰹出汁
と醤油での鰻茶漬けをつくって、食して落ちついた次第。
ふっと、先月末と今日の人前式での結婚式を見ると、どことなくショーの気分が強いな、と感じてしまう。想像でしかないが、中では結納などの儀式
的なものは済んでいるのであろうけど、出席者が立会人とはいえ、代表の方々も妙に責任重大なものを押しつけられている、と考えたりもする。
自画自賛ではないが、息子の時のように、結婚パーティーみたいな形にした方がいいような気がするし、僕の時のように会費制での披露宴の方がどことなく気
分が良いように感じるし、出席するにしても気が楽だ。そういえば、最近は会費制の結婚式が少なくなってしまったな〜。
今日の式ではウェディングドレス姿に意外な美しさを発見。まるでNHKのシルクロードに出る西域の壁画の菩薩にも似た顔立ちに、不思議な気分になってし
まった。
この一週間は苦労こそ無いもののわが身の自由になる時間は無かった。現実は不明だが、今週はもとより、28日までは辛い日々が続きそうだ。
2005年6月22日(水)くもり後雨
昨日はよく眠れなかった。原因はいろいろあるが、疲れが溜まりに溜まっているか
らであろうか。朝飯も少なくってOKだった。昼前になって空腹感はあるものの、弁当を食した途端にお腹がブワァ〜っと膨れて来だした。苦しいの何のって、
ガスも出ないから一層つらい。一日中フワァーっとしていた。
こんな時は炭酸水でも飲めば、とも感じたが、ムシムシするのに風が出るし、夕刻からは雨になったから、飲む気にもならない。
家に帰って一段落。水をコップに一杯ほど飲んだ。何となくお腹が一層膨れてきて...
。しばらくテレビを見た後、素麺とジャーマンポテトの夕食を摂る。食後の水を飲んで間もなく、来たー。
トイレへ行ってしゃがんだ途端、大爆発!。ようやくお腹の周りがタルンタルンになった次第だ。
こういった気分になるのは数か月ぶりだ。何というか「悶絶状態」になるんだよな。疲れていても今月末まではこういった状況が続くようである。
こんな状態でも、フッと思い起こすことがあって、トライアンフのインマニの件で東京のサイドバルブへ電話をすると「SUDCOではないが、在庫
があります」という返答。金額的なことも考えず、思わず発注してしまった。おそらくはAMALのMK-II用のものであろうと思うが、いずれ紹介すること
になると思う。
再びAMAL
MK-Iに変更するにしても手持ちのSUDCOのインマニと併せて使用すれば、エンジンから直接伝わる熱に関しては相当に楽になるからである。
2005年6月25日(日)はれ時々くもり