そういった中、わが家の通信環境が大きく変わって、288のダイアルアップ通信速度から一気に光通信になってしまったのである。金額的に張るのは
事実
だ。しかし、新しい環境を数日間使用して、これほどのパフォーマンスを光通信が備えていることを確認すると、金額的なことは無視してもいい、は過言ではな
い。ましてや、僕の経済状況からすれば十分におつりがくるのである。それほど驚愕の通信速度を保っていてくれる。したがって、僕はこれまでの金額に月々
3,000円のアップは、むしろ安いとまで感じる。来月の期間を主として、僕の環境を変えなければならない。
併せて、僕自身の身体状況もしっかりと上司へ報告して、職員団体活動も側面支援を中心に生活のパターンを構築しなければならないものになって来始めた。
が、それをやるのは簡単だが、僕の後に誰もいない世界は避けなくてはならない。その間を僕が取り持つことになるのだろうけど、困難な状況が目前に迫って
いる、ということを職員のどれだけが知っているのだろうか?。僕は未だにこういった事態の云々を無理などの理由付けの言い回しみたいなものを排除する必要
になるのではないだろうか、と感じている今日この頃だ。
2005年7月17日(日)はれ時々くもり
本日は、と言わんばかりの状況になってきている。右翼は14日の入札の日から一向に現れ
ない。仮に19日も現れなかったら、あれは何だったのだろう?、と言わざるを得ない。ま、役所の中もそんなには気にもかけていないから。
仮に200億円が高いかどうか?すでに免震設計の変更まで出ているのだから、市民のみなさんには、今後数十年のスパンで考えたとき「高い」だけでは済ま
されないものも存在する建築であることを重々承知をしておいていただきたいものだ。
農協の光センサーだって同様のことだ。安価というだけで、仮に今と違うものが入っていたら「みかん」の選別は大きい損失があったのかもしれない。
そういったことをふまえて、本日は仕事。RKKと富士通のシステムが合併新市のメインコンピューターになる。僕はごく一般の実務だけしか操作をしなかっ
た。Macからすると少しばかり使い勝手が悪い面もあるが、一つのカテゴリーだけで押し通す面はかえって交換がもてる。そこを上手い具合にユーザーが受け
入れるかどうか、ここが現在の日本のコンピューターを使用する者の一般だろう。
そういった中、息子へのプレゼントを息子がアッという間に売ってしまったDell
inspiron
2500を苦労して買い戻した。現実にはディスプレーメモリーともアップしているので都合がよかった。それにしても500円単位での攻防は30分を超過さ
せたのだから結構良い買い物であった。もう、息子には任せない。
そろそろ、プロバイダーを変更する。その準備にとりかかっている。完全になるまではRPMにもサイとは残しているので、9月までには何とか移行したいも
のだ、と思っているところだ。
2005年7月21日(木)はれ
先日ゲットしたDELL Inspiron
2500の良品が届いた。いきなりWindowsマシーンのことを出してMacユーザーとして申し訳ないところだが、この機種には妙な思い入れがあって
ね、どうしても僕の心の中から消えないのだ。
顛末記はいずれ出すとして、結構きれいなものを今回37,000円でゲットしたのだった。しかも今回はいずれもプロフェッショナル仕様がったので、思わ
ず肩の力が抜けた。と同時に、もう息子には使わせないことを決めた。
さて、仕事でドローとデータベースを組み合わせたようなシステムを使用しているのだが、合併を前にして少しばかりデモをやった。
実習的なものだったが、僕が口を出すまでもなく、コンビと今使っているものとを比べたりしているグループはオンノジ。その他は苦痛そのものの状況であっ
た。
僕は、これはコンピューターに対峙している者のセンスの問題ではないだろうか、と感じた。等の僕でさえ、操作等に簡単に受け入れられたから。こんなので
気分が良かったのだが、再びイギリスの地下鉄のニュースが入ってきた。どこと無く嫌になってきてしまう。
2005年7月31日(日)くもり一時雨後はれ
久しぶりにPPC
540Cに向かっている。相変わらず認識度の薄いキーボード。一気に連文節でタイプしても「認識度」も「いんしきど」になってしまい、思わずdelete
キーで消してタイプをしかえてる。
この日記の記載ができなかった最大の理由は、自分の自由になる時間がなかったからだ。いうのはいつも簡単だし、一日の時間割を述べてもいいが、その中に
は僕の苦悩の一端は一切報じられない。ともかく日中3つの仕事を動じ進行させなければならない。職員団体の件を加えると、その仕事量はどういったものかお
分かりであろう。
現実として、本日も職場へ出かけていた。コンピューターシステム関係者は不眠不休を強いられている。それでもジョークを飛ばしてやらないと、少しばかり
人間性が無くなる。彼らの顔色から判断して、親父ギャグを飛ばしてやった方がいいのは見え見えだ。
明日を迎えるだけのことだが、僕は全く気にしていない。新しい月曜日が始まるだけだ。それをそんなに恐れることはない。市民だってそれ相応の日常業務で
役所にきているわけだから、こっちが「慣れないので申し訳ありません」といえば良いんだ。
しかし、マジにこれまでの2週間は自治体の合併にやられた、と感じざるをえない。職員に対しての自治体側の配慮が無さ過ぎる、というのがその要因の一つ
だ。が、そう考える前に、新しい年を迎えるに当たっても1日日が変わっただけではないか。それを万事がすべて新しくなる、と誰が決定したのだろうか。僕は
津島、吉田、三間の三町と一緒の自治体になったところで、日常業務が相当に増ええるなんてことは絶対にない、と言い切れる。これと同じことだ。間違っても
2000ミレニアムの時のように、守衛をたたき起こして「婚姻届」の受け付けを強要させる輩はいないだろう。
いずれにしても、おかしげな市の機構を元に戻してくれる市長の誕生を願わずにいられない。今の所9月11日が投票日のようだが、国勢選挙の件があるので
少し不定なところがある。
2005年8月1日(月)はれ
散々準備したのに、わずか20分で開庁式が終了した。自分ながらおかしく思うのは、首長
連中がただの一般人にしか映らない、ということであった。
現実にはそこそこ主張などあるのは事実だが、そこかしこに首長が存在する訳にもいかないため、旧三間町長が職務執行者になった。そのため、残りのメ
ンバーはただの人になってしまうのだ。アメリカ合衆国大統領の退任のようにはならないところ。が、僕自身には滑稽に見える。
幸い、悪名高かった首長はいな
かったからいいようなものの、いわゆる圧政を加えられてふんぞり返って開庁式に臨んだ場合はどうなっていたことか、と考えてしまった。
職場の方はごく平穏。こっちが不安がっているだけの始末だった。多少なりとも忙しいところはあったにせよ、僕は昨日思っていたとおり、わずかに1日経過
し
て8月1日の月曜日になったにすぎなかった、というところだろう。
もっとも、職員側はそうはいかない。僕も叱咤激励以前の、満を持しての考え方で受け入れたが、かえってこの方法が功を奏した。が、旧他町から来た職員は
ど
うしてもなじまない。僕はいつも通り。昼休みに職場内を散歩したが、妙にモノが新しいように感じてしまう。市民にとっては違和感だらけだったであろう。
ま、ボチボチこのれらのことを処理していけばいい。少しずつだ。慌ててはいけない。ゆっくりではあるが、慌てずにそれ相応のスピードでノ
、というもっとも難しい方法を採らなければならないが、いたしかたあるまい。
ともかく、重要な1日は無事終わった。
2005年8月5日(金)はれ一時くもり
1日の合併以降、一週間が過ぎた。何にもない開庁式、翌日は新しい市旗が天地逆で掲揚さ
れていたり...
。本日も職場の中は混乱の課も存在した。僕も久々にビラ配りやったが、昼休みの大半を使わなければ配り終えない。それほど本庁の人員が多い、ということだ
ろう。これが良かったのかどうかは新しい市長が決まって数か月すれば状況が解るだろう。いずれにしても組織を細分化しすぎる。これでは仕事が前へ向いて進
まない。
そういった状況での仕事を終えた後の集まりで、市議会議員候補のことに話は移った。名前を出すと「岩城を頼む」とだけ言っておきたい。
ところが、市長候補に話が及ぶと、僕の感じるまま話をしたが、その反対の立場の方の考えを聞くと、県のトップとか国会議員などによって職場の状況が左右
されるのかな、と感じてしまった。
ふと、その方々の顔を見ると、僕の発言に対して「やってやる」と言うような目で見つめられているような恐怖感を一瞬味わった。
仮に巷で言われていることが本当だったりすると、そういった力をバックにした方が市のトップに就いた場合、この町は一時的な「良いとき」を迎えるだろう
が、数年後には借金返済に追われることになる。再び今の状態に戻すには市民は相当に辛い思いをすることは、限りなく現実に近い想像だ。決して嘘ではない。
騒がれている市立宇和島病院の建築費を合併特例債の一部でも遣ってみろ、その返済には「病院建築のためだけ」に限定される。旧三町の住民も含めた宇和島
市の住民はもっと別の使い方があったはずだ、と感じることになるのであろう。
貧乏所帯は当分の間(数年から数十年)は続くだろう。その中で、何でも行政に「おんぶに抱っこ」の体質からの脱却を実現しないとならないことを市民の多
くは知っておくべきだ。
自治体合併から1週間、ずいぶんと変わった。が、市民の大半はいつもどおりだろう。僕はこれでいいと思うし、この状況が続いてほしい、というのが偽らざ
るところだ。
2005年8月15日(月)はれ一時雨
先日の記載から10日が過ぎた。いったい何があったのか。僕には一切解らない。それほ
ど、多くのモロモロが関与して日常業務が前へ向いて進まないのである。これを逐次説明すると、この日記が1日で10日分ほどになってしまう。
仕事では一見、別段何も変わったことがないように感じられるだろうが、実際は帳票の用紙変更から始まって、言うに言われぬ苦労を多くの職員は抱えている
のである。
僕にしても、これまでのシステムから一気に変更になった残務を少しずつ修正を加える。起点は今年の1月分からである。今のシステムでは一日に20件ぐら
いしか入力できないのである。それに加えて、業者側の入力ミスを修正しなければならないなど、相当なものを毎日抱え込んでの業務なのである。
今日はお盆の終わり。先週の金曜日日までは上記のように何もできない。したがって、今年のお盆は13
日の朝より準備開始。お墓とお寺は金曜日の午後済ませておいたので、わが家の位牌を並べて、八百梅の花屋でシキビを買い求め、準備を行った。わが家は二階
が主たる部屋のため、御料具はこしらえていない。この気温では夕刻には腐敗してしまう。この点はご先祖様も理解していただけるだろう。
14日の宇和島南高校の21期同期会は別に記載をしたいとして、迎え火の時も感じたのだが、本日の送り火には少々マイッタ。実際、午後5時過ぎに先祖様
への送り火を焚かれる。ご先祖様も夕食も十分に摂らないまま、あちらの世界へ帰られるのは少々心苦しいのではないだろうか。ましてや、時ならぬ豪雨があっ
た午後、まだ降っている中での送り火には何をか況やである。
それから、酒道場で一杯やりながら少し市政についての雑談で、三間のフタバ産業へ行ってるヤツが「役所は職員を減せばいいんだ」と言うものだから、僕は
それはいいですね。が、そうなると、市民公共サービスは満足にできるかどうか?。
おそらく、職員はやる気を無くし、管理職は対処できないの世界が続くだろう。現実に英国航空の状況を見ればお解りだろう。
実際、市の職員はよくやってるよ。民間ならちょいと休めるところでも休めないし、終業時間以後、勝手に残業していて地震にでも遭遇すると、その人の保証
は一切無い、という事実を本当に市民の多くは知っているだろうか?。
そして、年金を支える若い人たちがいない職場では一体どうなるのか?。僕はこういったグローバルな視点で氏の職員をとらえていただきたいんだ。
同様に、N氏とかS氏とかに市政をまかせると、一時的には潤うけれども、遣った資産は借り入れの「赤」なのだから、返済が始まる頃になると、この宇和島
市の所帯は本当に沈没してしまう。役所ではなく、この「市」全体のこととして考えてほしいんだけど、ここんところは短絡的だろうな。
退職する僕にとっては気にすることではないが、これからの若い職員には身につまされる思いをする結果になってしまった。(だろう)が、考えられる現実で
ある。
2005年8月17日(火)はれ一時くもり
真面目に、駆け引きとか一対一なんかの時、最近は妙に裏があるような気がしてならない。
同じ職場の人間にしても、期日の云々でこっちが引き下がるとき、現実には相手のエゴみたいなのを受け入れるということ事態がおかしい、とも感じている。
歳下のヤツの言い回しに僕自身はブン殴ってやろうか、とソイツを前にして「フン」と言うような態度を取ってやった。僕はこう行ったヤツが職場の仕事の中
心にいること自体が大嫌いだ。ヤツは地域住民との橋渡し的な仕事を経験しているくせに、それをすっかり忘れてしまっている。お前みたいなのが一体となった
職場の気分をブチ壊すんだ。
が、これに再び気づくまでには、今の安穏としている職場を去らなければならない。
選挙対策の関連もそういったところだ。組織が大きくなればなるほど、運動は一面では有利だが、実質は机上の考えと実際との一致点を見据えて行動するだけ
になる。そこに真の実行は存在しない。それ故、僕は何とかそれを防ごうとするため、この忙しい業務の中で窮地に立つのみである。なぜ、周りの連中は真実を
言わないのだ?!。ダメならダメ。その中でどう対処するのか?。そこを突かなければならないのに、当初のものが見えなくなってきているのである。
僕も本当は逃げたい。しかし逃げられない。むしろ、今の逆をやる方がいいのではないか。遅きに失したキライはあるが、そうやって本来のグループの戦いを
やった方がいいように感じるのである。
取り留めのない話ではないが、最初の奴へは、お願いの意味も込めて僕は奴のところまで毎回足を運ぶ。平身低頭までは行かないが、頭を下げてお願いする。
しかし、その応えは電話一本だ。ヤツの職場とは、わずか階上階下なのだし、ヤツの忙しさはそれほどでもない。僕の顔を見たくないとかの問題ではない。こ
のままヘイコラしていると、途端に墓穴を掘るだろうが、ヤツのズルガシコイ様子からそういったマイナス面はあるまい。
こんなのが役職の同類項だなんて、今の市役所は人間不在のヤツばかりだろうかな。合併後のメール連絡の膨大さ。その返答がすべて開示。見たくもない。そ
れよりは調査ものはディジタルよりもアナログのペーパーベースの方が、はるかに早いし的をえている。メールの確認が行えずに業務執行できないものが出る
と、それは受信した者の都合と悪者呼ばわりされるなら、僕は裁判に訴えてでも不合理追求をやりたい。
いかがかな?、本日テレビでのビーバップハイスクールを見ながら、あ、あの頃は異端のように感じたけれど、こういったギット(律儀とか一本気)の高校生
なんて今居るのかな?と感じてしまう。すごく真面目に思ってんだ。カツアゲと言う言葉も死語になったし、あんな格好の高校生も居ない。が、今の世の中、僕
の一本気の考え方を主として、あのような気分を持った高校生が果たして何人いるか?
僕の気分自体の真意を理解してくれる方も少なくなったのではないだろうか。ビーバップハイスクールったって今の30歳代の時代ではないか。それで
も...
。
というところなのである。
2005年8月21日(日)雨後はれ
天候不順だが、適度
なお湿りは身分を和ませる。本日は未明からの雨が昼過ぎまで降り続いてしまった。時折強く降るものだから窓の開閉に往生する。庇がないために起きることで
はあるが致し方あるまい。幸い風が無かったので少しばかり楽ではあったが、一月前なら閉め切った部屋でこれまた大変な思いをしたものだ。香川、徳島では救
いの雨だったようだ。
ようやく仕事の方も落ち着いて来始めたが、まだまだ予断を許さない。というのも、支給日までに給料が振り込まれていなかったり、決済ものに不備があった
り、日常の業務を関す以前の細かい問題点が多く出てくるため、その対処にイライラして作業自体がはかどらない。この辺の阿吽の呼吸というか、我々からする
と痒いところに手が届く的なコンピューターの動きが無いのである。
セキュリティー関係から...
、と言われればそれまでだが、そんなに強化するべきところではない。所有者の名前を変更するだけで一件について基本が3回、確認に2回程度の画面切り替え
が必要だ。しかも「戻る」をクリックすると初期画面に戻ってしまうので、少しばかり入力ミスをすると実際はその都度1回のよけいな作業が加わる。何とかし
てくれ... 、と言うのがお解りいただけるだろうか。
本日より、日記もOCNをメインにすることにし、Pismoからアップロードすることとした。いよいよ9月からは完全に光通信へ移行することになる。
しかし、僕の気分はやはり軽いホームページという考えは変えたくないため、一面、旧態依然かもしれない。ま、よろしかろう。
2005年8月23日(水)くもり時々雨
今度は台風が来るら
しい。適度な雨はいいが、多量の雨はこの辺には必要ない。この地は現在のところ鬼ヶ城山系に雨が降れば事足りる。香川、徳島には必要な多量の雨かもしれな
いが、その後に待っているかもしれない災害は防ぎようがないから、両刃の剣ではないが、一面ではうかうかしていられない。
職場は重い空気が支配する。自治体の合併後20日を過ぎて、外見はOKのように感じられているが、その実は嫌になるほどのモロモロが待っている。これら
の大半は元の三町の自治体がすませておくべきなのだが、合併前から何でも「本庁」という、まるでオンブにダッコの状況が見え始めてきた。仕事のみならず、
僕を取り巻く多くのものに対しても、ちょいと厳しい状況になりつつある。笑ってごまかしてはいるが、気分が優れない。こういった状況が続くと自殺するもの
も出るのかもしれない。自殺してはならない、と言い続けている僕も、その一端を抱えているようにも感じて来だした。そういえば、ここんとこ休暇を取ってい
ない。土日も別の面で仕事していたし。
そんなこともあって、本日は初めて他人様の前で職員団体の執行部から離れることを言いはなった。もう、いたたまれない気分なのである。はっきり言って僕
の身が持たない。周りはそうは思わないだろうが、いくら悪く言われてもいい、この辺で離れておかないとならないことを僕の本心は方向付けている。実に28
年間、執行部としても16年間だものな。
残り数か月、頑張ることができるかどうか、これまた危うい。
2005年8月29日(月)はれ
松山出張。職員団体
の会議にて。
おいおい、十分に論議した?、ふざけんじゃない。そんなの一向にしたことはない。こんな状況の中で、どの案をチョイスするか、なんて僕は逆ギレして「ご
自由に」と判断してしまった。
一つ、これからの職員関係のことで愛媛県全体を見た場合を主とした僕の考えなんて通用しないのは十分に解っている。ちょいと話はズレルが、僕の所属する
職員団体にしても、現実には理にかなわないところも多く持っている。そこを突くと僕はますます悪者になってしまうのが実際だ。しかしながら、現実に照らし
合わせると僕の意見の方が正しかった、となるのだが、これは百歩譲ってそのままモンクは言わないことにしている。
このことがあるから、僕は前面に立たないだけだ。予算的な窮乏状態は関係者全員が共有しなければならないのだし、代表格の我々がどうのこうの言ったとこ
ろどうることもできないのだ。
同様に、市議会議員にしても同じだろうな、と感じてしまった。今のところ我々は「岩城ひろもと」を応援している。確かに彼がしゃべるときはもっと簡潔に
抑揚をつけてなどなど言われるが、かつて、歯切れはいいが実際は噛みきれない、という議員を一杯知っている。それはそれでよろしいのだが、どうもそうでは
ない。その点、岩城はいつもどおりだし、そういった考えで宇和島市の職員として業務を全うしていたのだから、僕はそのままでいいと感じているところだ。
そんなこと考えていると、逆の発想かもしれないが、県単位の職員団体であっても、県下を統一するなんて大それたことを考えるより、所属の今の宇和島はど
ういった方向付けをする、といったものを導き出すことではないか、とかんがえるのだが、いかがであろうか。
そういえば、明日は衆議院選挙の公示日だ。地方より国政が先に来るのがタマにキズだが、今の最大の論点は宇和島市長を誰にするのか、ということに関心が
あるところのはずなのだが、僕のアンテナにはそういったことの重要なものの一つも引っかからない。
このことを1週間後に記載できれば幸いだが、意外に、その時には決定されていたりして...
。ましてや2週間後は完全に決定が待っている世界。選挙はどうなるか判かゃしない、というのが現実だろうかな。
2005年9月4日(日)くもり後雨
何とまぁ、昨週の多
忙だったこと。水曜日、木曜日は帰宅が8時前という状況になってしまった。いずれも金曜日の会議に間に合わせる資料作りのためだが、ようやくできたもの
の、当日はその半分も通知することができなかった次第。
本日は市長、市議会議員選挙の告示日。あいにくの雨になったが、幸い台風が来る前であったので助かった。当選目指して6月中旬からやっているにもかかわ
らず、この辺の気質かしら、今日と今日以前の対応とを比べると、今までがアホくさくなってしまう。誰かさんの夏休みの宿題と同じだ。昨日僕も十分に休みが
取れたので、この方の対応も嫌々感が無くなって、すっきりした気分でこの日を迎えられた。11日には晴れ晴れした日にしたいため、しっかりやりたい。
先日購入したMac Fan誌の旧Power
Bookを何とかするの項を読み返していたが、以前とは違って、全く突っ込まない編集に少しばかり頭に来たところだ。特にG4 Power
Bookの初期モデルを見ていると、筐体のチタンを除いて、僕のPismoよりもコンセプトは劣るように感じてしまう。メイン部分があまりにさわれない。
2〜3年で買い換えをせよ、とし向けられてしまっているように感じる。
ことにOS
Xに大移行してから、結局のところユーザーの方が日常の使い方からすると、雑誌に載る記事などのことは全てクリアしてしまっているのではないか、とさえ感
じてしまう。一瞬購読を止めようかな、と感じてしまった次第。
いよいよ台風が来る。選挙も始まった。激動の合併後の市政をどうするのか?。少しばかり注目したいところだ。
2005年9
月7日(水)くもり後はれ
昨日は、終業後から
の対応に四苦八苦してしまった。そう、台風だ。僕は盛んに「大丈夫よ」と口に出していた。それは数年前の水の出た時を知っているからに他ならない。あの時
は、その後が想像以上に大変だったのである。
今回はね、そんなことが起きる可能性は午後9時前後からの須賀川ダムの100%放流があるかどうか、にあったわけだ。そういった中、午前中は土嚢運びの
用務、待機時間は避難勧告の通知などなど、ずぶぬれになりながらの通知業務に徹する。危険なときでも笑顔を絶やさず。これ、不安な中でも適度な笑いは必
要!。
幸いにも満潮時に満度放流は回避された。次の対応はその後だ。避難所の通知作業に加えて、先に業務を遂行した部署の職員が帰宅してしまったため、その後
時末までやらねばならなくなった。これは、セクション間の合同が無い中で、我々が知らない分野の仕事をやること自体がオカシイ。
こういった点は、民間企業の方々にはなかなか理解できないことだろうけれど、公務職場では最低守らなければ逆効果になる危険性もはらんでいるのです、と
いうことなのだ。つまり、税務の関係者が、福祉のやった業務の後時末をいきなりやれ、と言われたところで、どうすることもできない。ましてや、寝たきりの
方を避難所に運んでおいて、避難解除になったときに我々だけで運んで、その方に何らかの後遺症が出た場合などを考えると、担当の職員が就く必要があること
が明白なのだ。
こういった公務独特の職場の体制を新市長は市民に十分にアピールしていただきたいものである。
帰宅したのが午後11時過ぎ。眠られぬひとときを読谷村の事実の放送を見て、再び寝られなくなってしまった。同胞人が同胞人をひどい目に合わせることへ
言いようのないものが大きく支配してしまった。
明けて本日、再び災害調査。その分担と編成がその場で成される。発文は本日の午前2時過ぎ。オイ、直属の職員の健康状態は確保できているのだろうな、と
いうことが一瞬頭を過ぎった。彼ら総務の男性職員の大半は2日間の徹夜業務をやっているのではないだろうか... 、と。
これが、この辺の行政へのオンブにダッコの状況だろう。僕の言った大丈夫は本当に大丈夫だった。この「大丈夫発言」に対しては誰も何も言わなかった。シ
チュエーションは違うが、僕のように、このままでは死んでしまうなど、そういった経験が大きくものを言う世界は今非常に少なくなってしまっている。
本日のクローズアップ現代ででも同様であった。大手居酒屋チェーン店に対抗するには...
、というものであったが、解説者のI氏が既存の居酒屋は別の分野で頑張ればきっとうまく行く、とのことを言ってらっした。まさしくその通りだろうと思う。
僕も酒道場へ行くが、定休日の日曜日は、はっきり言って別の店には行きたくないため、「コンビニで一杯」にしてしまう。要は店の方が不遇の期間を耐えられ
るかどうか、というところではないだろうか。
2005年9月8日(木)はれ一時くもり
せっかくアップロー
ドしようとしてたのに、午後の執務でそれも消し飛んでしまった。これほど市役所という職場全体で協調協力体制ができていないのか、ということが痛いほど
解った瞬間だ。
ことは一昨日に遡る。台風14号を主とした昨日の日記にも記載したとおり、翌日の7日の朝、被害状況を把
握するため集合せよ、というメールが入った。発文時間は何と午前2時過ぎだった。
早速本庁内の各課で分担して取りかかったのだが、盲点があったようだ。それは昨年の台風16、18号の関連が一
切参考とされていなかったことだ。今回記載する最大の問題点の起因はここに発するのだが、通常のこととして総務課に対策本部を設置した。これは合併前から
のことでもあり、通常、役所が関
わるのは総務課主体なのである。
被害状況の把握は「愛媛県」が必要としているところだ。このことを関係市町(村)に託しているのをいいことに、県が直接関与している箇所は県のヤ
ツとしては二の次のことなのだ。この仕組みは変えようがないものの、今日になっても、今回の台風で被災地を知事が訪問したとは一切無いだろう。選挙云々
以前の重要なことなのは賢明な方ならお解りだろう。関係市町(村)からの報告は急を要す。それに追従するのを当然とする、このバカさ加減は保守王国の愛媛
ならではだろう。逆に、お前んとこ(愛媛県)の施設などの
直接の被害報告は関係市町(村)に一切無い。
そういったモロモロを別にして、被害報告場所の調査を割り振られた課が、その被害状況を自治会長に頼ったのが失敗だった。調査報告から数時間遅れて、一
地区の自治会長から再報告の電話を僕が受けた。当然、現地へ行っていることを前提として、このようにしてほしいと回答したところ、実際はそれが無かった。
自治会長は担当課へ汲み取り料の補助金の申請にいらっした。
そのためかしら、そこの担当係長から「説明をお願いしたい」と僕んとこへ電話が入った。通常なら、その係長として自治会長に対して「どういった用向き
で」と対応し、的を得ないため「電話で応対した職員を呼びます」と言ったのだろう、と想像したが、僕が出向くと、どうもそうではない様子。
何かオカシイ、と思いつつ、自治会長と応対。本来なら係長を交えて話をするところだろうが、そういったものが一切無かったのだ。「オイ、今回も僕が悪者
か?」ということが脳裏を走った。
ことの中身を知っている僕は、その被災現場へ行っていないため「悪者」を意識したが、あにはからんや、僕を呼んだ係長は素知らぬ顔で別の電話対応してや
がる。一体僕は何を誰に説明したらいいのだろうか?。僕はピエロか?。
急遽、自治会長を待たせて総務課の災害対策本部へ出向き、ことの内容を説明したところ、趣旨はわかった。同様の報告に対しての処理がトップで決めかね
ている、とのこと。そのために、誠に申し訳ないのだが、(総務課の)担当者ではうかつに決定できないのだ、という。つまり、被害地などから報告が遅れて出
た場合対策本部でも明確な回答は出ていない、とい
うことだ。
考えてみれば、対策本部の連中は2日も徹夜やってるんだし、そこの職員全てが正規職員でもない。トップは自治体合併で隣町から来たヒトだから、担当する
一般職の気
分として自分が自由に決済することもできないことが僕には痛いほど感じる話の内容だった。
数時間後、僕が直接処理をするとして現場へ出かけ、被害状況を総務課へ報告した。その結果の通知は僕に直接くれるよう申し入れておいた。被災者が外出が
困難なことと、このどっちつかずの気分での結果を再び自治会長に背負わすの
は僕の気分が許さないからだ。
が、汲み取り関係の現場としても、独断専行の担当係長のことだから、お先走って独断専行しているかもしれない、と思って聞いたところ、案の定、す
でに自治会長に申請内容と申請期限を明記して通知しているとのこと。「その発文の決済はとったのか?」と聞くまでもなく独断先行を係長がやってしまってい
た。
僕は頭に来てしまったが、臨時職員の彼女が言うとおり、この独断っぽいところ見ると、その係長はカッコいいよな。(漫画の「島 耕作」でもこういった独
断処理はしない。)
あわてて、その自治会長へ出した文書を総務へ持っていって「決済の合議はあったか?」というと「無い」という。スワッ!。もうここまで記載すればお解り
だろう。現実には、調査が一段落した後、数日後して見落とした床下浸水をはじめ、瓦の飛散、壁の損傷などが出ないとも限らないのだ。
そういった意味を含めて通知のあった水害現場に行った僕は唖然とした。自治会長や調査員が見落とすのは確実だ。家がそういった立地条件になっているのだ
から... 。
僕がもう少し年上なら この係長に対してジワリと、「独断専行するな」ということをいったはず...
。こんな職員が職場にいる。つるし上げるのは簡単だが、ヤツはそういったことに対して緻密とも思える逃げ道を確実に確保して
いるように感じる。ごく当たり前に文句を言う僕のような者が確実に不利な立場になる。
こういったことを経て、この係長のような者がおかしな功績をバックに昇進するのだ。その結果、職場はどうなるか?。一言だけいうと、本人は無視されるの
だろうけど、絶対悪いとは言われないから、上司や一般職が左遷させられる。
しかし、合併後のこれからはそうはいかない、と感じる。
僕の立場からはこの程度のことしか言うことができない。今度、こういったことが起きたら...
、とするよりは、「あんたがおかしい」を先に堂々と公表したいところだ。それは直属以外のところからの訴えが多ければすぐに解ることだし、決してダー
ティーな行為ではな
い。
もう止めよう。それほど世渡りのうまいヤツも職場に居るってことだ。
2005年9月10日(土)くもり時々雨
僕はね、選挙っても
のは今、午後9時前だけど、今日の時点では終わってんだよね。ばかげているかもしれないけれど、現実に最後の一票は明日普通の選挙をする有権者によって決
定する、と言っても過言ではない。ましてや、期日前投票に1日あたり1,000人を記録しているのである。大半は公明党さんであろうし、普通の有権者は、
はっきり言って醒めている。
ま、本日の午後8時前に街頭を言いふらす大方のヤツは落選する、というのが今のところの大前提のようだ。僕はね、その地域ごとに候補者が降りて、握手な
どするのが普通なんだ。時には台風の後かたづけを手伝うなど、ごく一般人としての意識がないと、今の市民はその人を選ばない、というのが実際だ。
夕刻、あるところで、共産党さんのメンバーのいい加減ブリッコ的な職務内容発言を聞いていて、一発お見舞いしてやろうか、とも感じた。つまり、彼らは表
面上はかっこいいことを言っているが、それは自分対の言いなりになるようし向けてそれを糧に「我々がやった」としてしまうようなんだ。すごいでしょう、こ
うやって一派を結束させるのだから... 。
彼らは証拠を掴んでそれをベースにしてやるものだから、事を進めるのにまどろっこしくてならないのは、こういったことに一因があるのかもしれない。
さてさて、明日はいかがなりますか?天候は悪いが、市議会、市長の選挙は必ず一票を投票していただきたいものでだある。
2005年9月17日(土)はれ
今日は土曜日だ。一
週間前はとんでもない状況で市長、市議会、衆議院選挙を前にしていた。そこから一週間、何もできていない自分を見ると不思議な感じがする。
本日もそうだが、岩城選対の報告集会があった。選挙の後も、12日、14〜16日、それに今日、という、仕事が終わってからの業務が実際はあった、とい
うことなのである。それと同じようなことに自治体合併問題を抱えて、そういったものをこなしつつ、岩城の選挙に臨んでいた、という事実を多くの方々は知ら
ないはずだし、それを「公務員」なら当然のこと、当然受け入れざるを得ない、と処理されるだろう。
が、実際には選挙前に自治体の合併をはじめ、公務のことで僕自身が全く動けなかったときがあった、という事実も存在するのである。
強いて不満を申し上げれば、その間は微力ながら選挙には協力しいていたし、実際に行ったというのは事実なのである。なかなか一般の方には理解できないこ
とであろう。一般人が税金の使い道を除いて、実際に公務員関係は知ろうともしない事実が存在するのである。
こういった状況の中で、孫の1歳の誕生日を迎える。僕は最初から素敵なスポーツシューズをプレゼントしたかった。世が世であれば、息子に対しても同様の
状況だが、こればかりはアシックスのタイゴンまで待てねばならなかった。今回はワンモデル落ちのアシックスのシューズをチョイスした。
それを持参して孫のもとへ行ったが、珍しく泣かなかった。途中、妻が日用品を持って現れたが、その時に泣いただけであった。子供の心は解らないが、もう
少し他人との接触を頻繁にすべきではないか、と感じた次第。
夕刻から岩城ひろもと当選の報告集会。次期選挙へ向けての意思統一を図ったが、彼のこの4年間の在任期間にいかに活動するか、それが当面の我々が享受す
る問題であろう。
いささか気分よくなって帰宅した。そういえば、この日記って、久しぶりのことだよな。
2005年9月18日(日)はれ
ようやく普段の生活
が帰ってきたように感じるのだが、早いもので選挙から1週間が過ぎた。月日の過ぎた実感としての安堵感はまだ無い。
20日の会議の資料作りを昨日やろうとしていたのだができなかったため、本日職場へ早朝より出向いて片づけることにした。結局何から何まで僕一人が請け
負い込まなくてはならない。今の職場の陣容ではそうせざるを得ない。夏期休暇も大半を残したままだ。
昼までに片づけて一息ついた後、八宝亭でランチ。帰宅してPismoの秘策を考えていたが、あえなくダウン。このことがPismoの動きを妨げてしまっ
た。リスタートしても何かオカシイ。結局何もかもがデフォルト状態になってしまって、事なきを得たが、このマシンは時としてこういった動きが出てくる。以
前のハードディスククラッシュを機に起こった一連のこともこういった状況からであった。今回は発熱の問題から始まって、少々冷静台とやらを導入しなければ
ならないのかもしれない。内蔵のファンは回転していないのだけれど... 。
さて、明日は敬老の日という。当然、孫の居る身としては老人になってしまうのだろうが、今の気分が今後も継続するのなら、当分の間「老人」とは縁がない
ようにも感じる。世間一般にいわれる「老人」というカテゴリーには少々受け入れられないものがあって、ここ当分の年数、僕はいつも通りの生活をするのであ
ろうな、と考えてしまう。
久しぶりに丸穂温泉で汗を流す。心なしか、以前の苦く濃い塩味の汗ではなく若干薄塩味の汗になっている。随分と水分補給に努めているところだが、こう
いった内面の状況も良い方へ影響しているのかもしれない。
明日はオートバイででも走ってみようか、と思いをめぐらしているところだ。
2005年9月20日(火)はれ
はっきり言って北朝
鮮も折れてきたかな、という考えを持ったのは昨日のニューステロップだった。が、今日の話を聞くと水面下でのモロモロがめっちゃくそ多く、これなら決まっ
たことをさも重要なこととして報道したこと、と判断せざるを得ない。相変わらず日本への謝罪とそれ以降の要求を突きつけてくるのであろう。小泉君の弁を借
りると、ここはジワ〜リと北朝鮮へのパフォーマンスを示すべきではないかな、とも感じた。
時を同じくして、職員団体の協議の後の懇親会で、常々、僕は身を引くんです、と言い続けたことを的確に理解されていないことを皮切りに、書記の職務のあ
り方などをいわれたものだから、一気に酔いが醒め、気分の方が悪くなったのを機に、僕にしては驚異の早い時間に退席した。
現実にこれまでのことを批評するのは簡単だし、そのことをあえて否定はしない。が、実情を僕の方でさらけ出さなければ、いつまでたっても似非カリスマの
僕をそこに置かざるを得ないのである。
会議の都合上の招集範囲ならそれに従うべき、に対してもっと来てくれるかと思ってた、と議長の言葉に、内容の受け取りに「市」と町村とではあまりにも変
わりすぎるのかな、と考えてしまった。
僕は仲間を信じているのは事実だが、現実にはそういった内容には全く乏しい内容で、時に良からぬことを考えたりもするのである。ここまでのこと、かこの
ことなど、僕の話は「古い」こととして、帰宅をした。
これまで間違いは無いのは事実だ。が、同一場面を今と昔を見比べるとどういった反応があるのだろうか。大半は今を信じるだろう。が、決してそれは「おか
しい」とする人々の意見なりを聞くのは至難の業なのである。
いずれにしろ、僕は後継者を創るまでもなく、この組織からの撤退の意を強くしたところである。
2005年9月23日(金)はれ
真面目にね、今日は人間としての何かを感じさせていただいた。それを手本にせよ、などとは言うべきものではないんだ。強いて言うと、今まで我々が忘れて
しまっていたことを少しばかり思い出してしまった次第。こういったところだ。
ことは往復の宇和島自動車のバスにある。見事に往復の運転手が同じ人物だったんだ。しかし、往路と復路の運転では月とすっぽんほどの違いがあった。復路
では思わず高速道路へ入る前のシートベルトをそのままにしておき、到着後はずしたかったんだ。
理由の一端は操作するバスが違いすぎる、ということであろう。本日、午前10時30分発のバスは扶桑のインディペンデントバスのアルミホイール付きだ。
そのこともあって、実に快適に松山に着いた。
帰路は大洲から普通便になるバスに乗った。奇しくも往路と同じ運転手。少しばかり気になったが帰路の運転ははっきり言ってダメだったんだ。僕は考えをめ
ぐらせたが、運転技術以前、「使用する自動車の特性を、あらゆる面からアタマにたたき込んでおく必要がある」ということであるところだが、それがなかっ
た、と言うべきかもしれない。
大洲を過ぎてからバスの特性などが解ってきたのかもしれないが、宇和島自動車のバス部門の運転手は自社が経営する運転学校で走行させてもらってもいいの
ではないか、と考えてしまった。
早朝に墓参りをすませたが、前述のようなことが日常茶飯事だとすると、職員に対しては相当なイライラがまたしても存在するように感じる。
一つ憲法改正を考えているのなら。「ベトナム戦争」のことを十分に踏まえていただきたい、と考える。
理由は一つ、自民党も民主党も全くグレーだ。民主党の新しい前田君、幹事長の鳩山君。この2人が民主党のトップ集団とすると、「軍事」が国民に浸透させ
るのはいとも簡単なことであろう。
僕は万難を排して今の憲法を守ろうとするが、ツイツイ生活全般のことを忘れてしまう現実も存在するのである。
2005年9月25日(日)快晴
実のところ、いま夜
なんだけど、1日中雲という雲を見ることがなかったのだ。それゆえ、この日記にして天気の状態を「快晴」と初めて記載した。
今日で「愛・地球博」の幕を下ろすそうだ。ゲセワな言い方で申し訳ないけど、跡地の利用など、1970年の万博とは全く違う方向、目的で利用が進められ
なければならない。来場者はこういった今の「地球とか自然」を真にとらえたかどうか、そして、未来の「地球とか自然」を真剣に考えたかどうか。
おそらく、後者は皆無だろうし、前者は向こう10年後ぐらいに結果が分かって、後者の考えを実施に移すのに遅すぎる結果になるはずだ。僕は、この万博に
相当なゼニの無駄遣いをやってしまったのではないだろうか、と感じてしまうのである。大阪万博の跡地へ行って、あの時のあの「パビリオン」は存在しない。
これと同様に、僕は今回の万博の会場を自然に戻すべきではないか、と考えてしまった。ほんの数か月間のイヴェントだったけど、この会場を自然に戻す勇気が
あるかどうか、これからの課題ではないだろうか。
今日は、フト、退職後の生活を考えてみた。で、今になって「なるほどな」と感じた。僕の退職時には再雇用が必ず出てくるはずだ。再雇用に対しては否定的
だけど、向こう4年間、いや、最短で3年間、僕が58になったとき再雇用の制度が実施されているかどうか、ということになる。
このことを別にして、仮に退職してブラリ〜っとすると、1日が非常に充実して来るように感じる。人様は逆じゃないの?、と言うだろうけど、僕は「ひょっ
こりひょうたん島」のドン・ガバチョ大統領の言うように「今日がダメなら明日があるさ、どこまで行っても明日がある... 」の気分そのままなのである。
しかし、これに流されると、通常で言う「67〜69で他界する」というパターンを踏襲しそうだ。バカげているようにも感じられるだろうが、気がフレル
人、自暴自棄になってクタバル人、そして病気が一気に吹き出る人などなど。
僕自体も退職して1年もしたとき職場へ訪れると「変なオッサン、あの人誰?」と職員に言われることであろう。こういった現実が来る確率が高いから、今日
の秋空のように、スパーっと良い時期に仕事を辞める方が良いかもしれない。
2005年9月28日(水)くもり
今度の土日は休みが
取れない。やむなく本日午後より休暇。やることはないのだが、どうしてもわだかまりがあることにケリをつけることとした。
まずは、職場でPDAのことが出たので、Newton
130をアップした。ウ〜ム、いつもながら存在感があって、安定していて今もって使えるなんて素敵なマシンだ。僕もPalmとVisorを持っているけ
ど、ヨシッと感じても使う気がしない。
次はSR500のオイル交換。オイルフィルターはデイトナのものを使用していたのだが、濾紙の状態は良いものの、消耗品としては純正の方がよろしい。理
由は簡単。使いすぎるとフィルターが真っ黒になって、ダンパーラバーが本体から分離するからだ。僕は2回のオイル交換に1回のフィルター交換を行ってい
る。
案の定、オイルの汚れは乾式クラッチのため通常の2/3程度だが、粘度はかなり落ちている。わずかに暖かいがスルリと抜ける。
少しばかり季節を超え、走行距離も長かったのだが、涼しくなったこともあって、オイルに一工夫した。手持ちの15W50に10W40を1.5 :
1程度の割合でブレンドした。今回はミネラルオイル同士である。
およそ2.5リッター。オイルクーラーの関係もあって、300cc程度通常より多いぐらいだ。エンジン回して確認したところ、ン!、なかなかよろしい。
エンジンオイルでは、フロントフォークオイルのようにブレンドすることは勧められたことではないが、一つの裏技としてエンジンオイルのブレンドもあり、
というところだろう。スポーツカブに乗ってた頃はよくやってた。
久々にオートバイに触れたが、ポイントだけ掴んでいれば、僕はご自身でオイル交換をされればいい。SRなら12と17mmのコンビネーションレンチと1
リッターの缶オイル3本。オイルジョッキに漏斗。それに4リッターの廃油ボックス。そしてウエス。それにもう一つ肝心要のガムテープと新聞紙が必要だ。
最後の2品は古いSR乗りならお解りだろう。