2005.10.02〜 12.31

2005 年10月2日()はれ
 かに今は2005 年の10月だ。それにしても、この暑さは何事だ。どうも7年ぶりという。異常気象はともかく、宇和島測候所が完全オートマになる。桜の開花日の決定もでき なくなってしまった。これも、小泉君の言うところの民営化に端を発した公務員減らしという一環なんだろう。それにしても暑い。
 一昨日から昨日、SR500で松山へ往復してきた。パイロットスクリウをわずかに開いただけで非常に快調であった。
 が、用務の方がダメ。何というか、おざなりになってしまっているようでならない。僕を含めた公務員というのは今大変な時を迎えようとしている。そういっ たときに、手も足も出ないような状況に陥っている。「一人は万人のために、万人は一人のために」という互助を主体とした組織運営は蚊帳の外になってしまっ ているようでならない。
 来年以降、おそらくこの街は沈み込んでしまうことになるのであろうな。
 さて、SR500は非常に快適だった。ン、「だった」と記したのは、昨日のこと、過去のことで、今日は乗っていないからだ。人様から見れば、単に毛色の 変わったSR。走りは全くスタンダードなんだから、じっくり乗らないとその良さは出てこない。まさに自画自賛の世界だ。
 というところで、本日は終日家の中でゴロゴロ... 、いや、???で楽しんでいた。

2005年10月4日(火)くもり一時雨
 のー、今は10月 で間違いがない。職場は モァ〜ッとした空気に包まれていて蒸し暑い。いくら衣替えとはいえ、今のところ僕は半袖で通しているが、それにしても暑いのである。昨日は風があったから よかったものの、今日は何とか除湿だけでも...  、と考えたところだ。
 ようやくのことで、午後から冷房運転されたが、何というか、もしも職員や来庁者のことを考えずに冷房しなかったら、市長としてはメンツがつぶれるので冷 房した、というところだろうかな。
 ニュースで今日の国会答弁など見ていると、我々ものの言えないものにとってはブチ切られる可能性は非常に強くなったように感じた。宇和島市など市長、助 役、収入役だけで、その他は民間に任せる可能性もある。僕の仕事など、民間に任せると土足で部屋の中に入って調査して、他の家にその時の状況を話しても OKになるわけだな。僕自体の受け方としても、あの人の方が親身になってやってくれるから、あの人でないと調査させないなどは日常茶飯事で、そういった者 の方が成績が上がって給料もよくなる。
 こういったことがすぐ其処まで来ている次第だ。そして有事の場合は第一線に立って見えない敵を相手に奮戦しなければならない。家のことは二の次だ。これ も「ボランティア」なんてカッコイイ名前で呼ばれてしまっている。裏は命令一本の軍事組織における奉仕活動に過ぎない。つい60年前のことを反省して今の 法律にしたのを、再び元に戻して行おうとしている、今度は小泉君の為ではない。「日本のため」に命を落とせ、というのだろうか。僕は日の丸を焼かれても踏 みつけられても何にも感じない。こんな国のために命を落とすのは少々もったいないような気がしてならない。
 こういったことを記載すると、愛媛県のお偉方も、第一党のセンセ方も目くじらたてて僕をいたぶるのだろうな。
 そう言うお前さんこそが司令官だろ、だったら第一線へ来いといっても取り巻きがそれをさせない、とおきまりのことで終わりそうだ。

2005年10月14日(金)くもり時々雨
 うやく週末という 気分だが、これが明日も休めない。まったくもって、のっぴきならない状況になってきている。とにかく一つのことに集中できないんだ。これは相当に辛い。仕 事もプライベートともにそういったことになってしまっているから、一層ダメになってしまうようである。
 さて、Pismoの液晶が再び色むら現象を起こし始めた。どうやら交換のようである。どうもこの現象は僕のように毎日使用する者にとっては2年と少しで 現れる者のように感じる。近々この修理をしなくてはならないが、今回はショップの方へ交換の依頼をしてみたいと思う。オークションで液晶をゲットしてもい いように感じるが、後期のモデルならまだしも、いずれにしても同じ現象が現れるのは明白である。それなら、Pismoにフィットする液晶に交換する方がい いように感じているからに他ならない。
 実際辛いものもあるのだが、ここまで使用してきているPismoだから、このまま使ってやりたいのである。こういってしまうとエゴのように感じられるか もしれないが... 。

2005年10月15日()雨後くもり
 三にわたって Pismoのディスプレーの色にじみに悩まされている。今日も朝からこの一件に悩まされていたのだが、本日はあいにく夕方から松山での会議。先ほど戻って きて、現在「チャングムの誓い」を見ながらタイプしている。
 詳しくは次号として、ここでは核心には触れないが、ともかく、256MHzのメモリーをCPUカードの上と下で入れ替え、リボンケーブルの補強と保護、 これらを繰り返してテストしていた次第だ。
 現在起動して1時間程度、通常ならディスプレーの左から黄色の嫌らしい縦帯が出てきだしてそいつが右へチラチラ浸食を始める。そういうことがあってはな らぬとばかりに、現在のところ輝度を若干上げているところである。そのために、若干目が疲れる。Pismoの液晶はドロリ〜っとしているから、国産の切れ の良い液晶からすると、少しばかり暗くして使った方がいいのだけど... 。
 これ以上は記載すまい。次号のネタがなくなる(爆)。
 ほんの少しのことで、時として召しいることがあるのは事実だ。今回のPismoの一件も案外これかもしれない。が、当のパーツを開発したところが今は無 いときている。その上に、Pismo自体サポートすらないような状況だし、バッテリーすら純正は存在しない。こんな状況にありながら惚れ込んで使ってい る。
 間もなくPower PCを使用した最後のPower Bookがリリースされそうだが、どんなもんだろうか?。Pismo同様、チタンの15インチ867MHzが最高だったように、購入しておくべきかもしれ ない。

2005 年10月16日()はれ
 うとう1日中 Pismoを作動させた。合計14時間程度だが、黄色の嫌らしいにじみは出なかった。
 考えられるところには手を入れたが、それらの総合が結果を良いものに変化させた、としておきたい。どうやら、液晶そのものの要因よりは、それに伴うもの への対処の仕方が重要ではないか、と考えたが、この最終結果を出すためには、もう少し期間が必要に感じる。
 僕んとこの氏神様は一宮様(宇和津彦神社)で29日が当日だ。今日は旧市内の北西から北の氏神様である八幡神社の秋祭りだ。実は13日が南西から南の氏 神様の三島神社の秋祭りであった。どこの世界にもあるように、この二社は毎年の天候がシーソー状態である。今年は三島神社が雨だった。すると八幡神社は上 天気というように。
 M小学校の運動会とか遠足をやるときは必ず天気が悪い、というジンクスのようなものがあって、どうやら今年は運動会を小学校の中でも市内で最後に持って きたのかしら、晴天に恵まれた。
 天候といえば、今日も北海道土産のKUMA(PUMAじゃなく)ブランドのTシャツ1枚で十分であった。確かに今は10月の中旬なんだが暑差を感じるの だ。
 41年前の10月10日は上天気。この日が東京オリンピックの開会式なんだが、どうもこの特異日は現在大きく違ってきている。
 自然相手に人間がやったことが今の自然状況であろうか。自然の偉大さをないがしろにして生きてきた人間は、そろそろその行為そのものを見つめ直さなけれ ばならない時になっているのではないだろうか。今なら、まだ間に合うかもしれない。

2005 年10月17日(月)はれ
 の表現、考え方に 対して、多くの方々は反論をお持ちであろう。が、あえて記載をすることとした。
 小泉君が靖国神社へ参拝した。現実には異例の参拝方法だ。賽銭を投げ入れ、手を合わせるだけであった。本来は二礼二拍手一礼の形をとってほしかった。
 ま、このことは別として、「小泉君が一般礼拝者とともに参拝した」という今回の一件、僕はここに日本国民はもっと関与して、反論を受ければ、その意味合 いを十分に説明すればいい、と感じる。これが、これまでのように玉串料を払い、神殿内部までに入ることに対しては、僕は諸外国の方々同様反対をしてきた。
 仮に、僕が総理大臣なら、就任直後から今回の方法で参拝するはずだ。それは、僕が戦争に参加していないこと、そして両親は戦争をくぐり抜けてきた世代だ し、僕は儀礼であれ、一般の国民のように参拝するだろう。そしなければ、本当に無意味な戦いで命を落とした方々に対してお参りする方法がないのが今の日本 の現実なんだし、極論すると年に数回参拝しても良いのじゃないか、と感じる。
 これ以上記載すると言い合いになってしまうだろうから止めるが、仮に反日状況下にある中国の若者が、同じ世代の日本の人が1月1日に靖国に参拝するとな ると、その中国の若者は日本人全体、日本という国家をダメと談じることができるかどうか、僕はこの辺の阿吽の呼吸のようなものが、これらの要因を大きく支 配しているように感じるのである。
 僕は僕の目の前で日章旗が焼かれても何も感じない。日本が悪いといって、僕が少しばかりやられても、そう大きい「アタマに来る」などの気分にはならな い。多くの国民はこんなものではないだろうか。
 悪いことに、第二次大戦中の状況なり、あれは間違った国政だったのだ、という教育を大半の日本人は受けていない。それ以上に、日本の国の経済状況など一 切関係ないネ、という若者が多いのが事実なんだ。こういったことを諸外国に正確に報道などしない。
 日本では、このような感じの中での、これら難題の行為に対して、諸外国の反日感情なんていったところで、我が国ではどうのこうのならないのだ。
 ほんの少しだけ、外交評論家の岡本行夫氏がいいことをおっしゃってたが、日本が中国から一斉引き揚げをやったとした世界になると、それは戦争だろうけ ど、今の日本ではこういったことをきっかけに戦争なんてできない世の中なんだ。
 僕自身、死をもって日本の為に戦って死んだ、とすれば、それは犬死ににしかならない。これが日本の現実の一端なのだが、近隣の諸国はこういった状況を十 分に把握していないのが現実であろう。

2005 年10月23日()はれ
 気に秋になった感 じだが、急激な変化ために妙にもの悲しい。人間には季節の移ろい等というのは、日本においては四季それぞれのものがあるはずだが、今年は特に感じられな い。今日にしても風は強いものの、気温は20℃近くは上昇しているのだから。
 民放で靖国へ小泉が参拝って話題で論戦していたけど、テリー某かが非常良いことを言っていた。諸外国ではA級戦犯を一緒に合祀していることへ問題が集中 しているようだが、どうして靖国に零式艦上戦闘機とか、何とか式砲が一緒に展示してあるのだろうか?。神社自体が戦争を美化しているのではないだろうか、 と僕もそのように感じてしまう。
 一方、中国のデモをやっている若い方々が、夜に東京の渋谷とか、あるいは昼間の東京の繁華街に居る若者を見ると、どういった反応を示すのだろうか?。北 京オリンピックを前にして、工事のために国家の命令とばかり、古き良き中国国民の有形無形、その上に精神的なものまで一気に消し去ってしまう等の行為を やっているし、北京から数十キロ離れた農村においてもテレビドラマ「大地の子」の時と同様に、テンで話にならない貧困層がたくさん居るのかもしれない。
 僕の言ってることは想像でしかないが、あながち中国共産党の幹部のみが大金持ちってこともあり得る。これが「共産主義」の悪い一面でもあろうか、と感じ る。これは日本の共産党でも同様だろうけど。ロシア人民はこれに気づいたのが早かったんだろうな。キューバではカストロが死んだら国民は一発で解るだろう と想像する。
 Pismoはようやく快調になったようだ。この土日動かし続けたところ異常は出なかった。
 身体的にも、最近は筋力の低下が著しいのを感じる。以前だと何とかそれを食い止めたいと必死になっていたのだけど、今は時の流れに任せるだけにしてい る。そのうち収まるであろう、と感じるからだ。そこから体力つくりを始めればいい。今の変動の多いときにやると必ず失敗するように感じる。
 一つ養命酒でも飲み始めてみようか、とも感じているこの頃だ。

2005 年10月30日()はれ
 だろ う?、ここ数週間は日曜日だけの記載になってしまっている。理由は特別ないんだけど、土曜日に何かあったりすると、日曜日そのものが休日としての存在が乏 しい、という表現ぐらいしか思いつかない。それほど週休2日制が定着しているのだろう。
 昨日は同僚の結婚式で松山往復で1日がつぶれた。その前の日は地区労の定期大会。26日は全労済の会議。25日は... 、と毎度のパターンである。もし、昨日朝から晴天で... 、というと、本日は全く違うことを... 、と考えがちだが、これは27日はおろか、数日間、土日の使い方を前に煮詰めなければならない。結構、こういった土日の使い方から逆算してのウイークデー の状況が安定して働いている人は少ないのではないだろうか、とフト考えてしまった。
 昨日エアチェックした当市を舞台にしたNHK制作、片山恭一のドラマを見たが、つまらないものをエアチェックしたものだ、と少々がっかりした。これは別 項で記載する(だろう)として、最大の要因は「今の年齢の主人公の思い出なのか?」それとも「今から遡っての宇和島の様子なのか」というところにある。前 者にしても厳密には時代背景が全くダメだし、登場人物が少なすぎる。我が町はあのように寂しい状況には陥っていない。ましてや1976年当時は今より活気 があったし、公園でキスなんてできっこないし、当市の夜はもっと明るい。
 もし、これが原作者の最初の作品でなければ... 、そして、我が町が世界の中心で...  、のロケ地にはならなかった真の理由が解ったような気がした。

2005 年11月1日(火)はれ
 日から11月とい うのに、僕は相変わらず半袖シャツのまま職場で仕事をする。当然外回りの業務もあるわけだが、今日の気温だと半袖でちょうど良い。いくら僕が暑がりであっ ても、本当に異常とも言うべき自然状況だ。
 仕事も何だか味気なくなって来始めた。理事者はこの「味気ない」などいう職員を片っ端から辞めさせようと躍起になって働きかけるのであろう、と確信して いる。当然のように周辺の旧町から来た本庁勤務の奴らも良いフィーリングの職場ならまだしも、全く受け入れがたい感じの職場だと、ことさらながらに職員の 苦労は大変なものがあるように感じらてならないこの頃である。
 目と鼻の先の近所の病院が取り壊されている。ウルサイの何のってありゃしない。先週の土曜日から始めて今日で4日。間もなく工事も終わるだろうと感じて いるが、延々午後8時近くまで続くのだから、のんびりもできないのである。僕は少々感じるのだけれど、このように近所の建物が奥に入り込んでいる処ではそ ちらへも一言「迷惑をおかけします」との言葉がかけられても良いのだが一切無かった。
 日銀の西野愛媛支店長がカッコイイこと言いやがって、県の職員の賃金が下がっても影響は少ない、と言いはなった。お前さんよ、実際に愛媛の地方へ行っ て、現実を知ってみろ、愛媛県職はもとより、我々の賃金が下がることは確実なんだし、この街が冷え込んでしまっても、愛媛県全体は良好だ、という親方日の 丸の国の考え方に無性に腹が立ってしまった。
 同様、来年度予算作成で仲間に迷惑をかけているが、この程度で要求しても、大きく狂うとなると、これが、大変な負の諸々を抱え込むことになってしまうの である。中庸としたいのだけれど、それを導き出すことが必要なんだが、旧3町のやりたいようにやる的なことが堂々と通じるのを感じると、我々は本当に人の 良い集団のように思われてしまう。
 公共サービス部門はかなり苦しい日々を過ごしているのだが、結局自治体の合併は市民にとっては、どういったものに受け止められているのだろうか?。

2005 年11月2日(水)はれ
 うやくのことで、 職員団体の組織編成会議を解散できた。残りを新組織で引きずることを最小限にして、一定方針などは出せたが予断は許さない。
 その後、女将さんが同級生の「たかはし」での懇親会。久々に飲んだ。アテも結構良くって、ここで満腹になってしまった。仲間は次の席で何やかやお話がし たいところを、といって別れたが、僕は 昨日行けなかった開店2周年の「さまんさ」へ出かけることとした。
 とりたてて、どうという店ではない。単純に古い2世帯住宅の片割れを使用したカウンターだけの店だ。ママさんは4●歳。自らが名乗ったけど記載は 遠慮。ゼニの持ち合わせがなかったから少々の時間で退席したが、僕は十分満足。
 どうして「さまんさ」なんだ?というと、チト困る。強いて言うとママさんから力をもらっているんだ、と思う。落ち込んだときは、この店へ行って、少々飲 んで、カラオケを数曲やって... 、というパターンで気分をやり過ごしている。ママさんからの薦めで、僕のお仲間を呼ぶときもあるが... 。不思議なことに、帰るとき、嫌な気分が生じないから僕にフィットしてる店なんだろうな。
 僕が来店する前、2〜3回ほど逢ったことのある愛媛県職の人が飲んでたが、この人の愚痴ともボヤキとも言えない独り言を聞くと、僕自身は毒舌までは行か ないが、早く帰れ、との気持ちを込めての応答をやった。
 はっきり言って、愛媛県職員の中間年齢層は僕の知る限り、こんな奴らばかりだ、と感じる。素面ではナ〜ン ニモ言わない。そのため、酔った勢いの中でのコトバは、本来は愚痴のはずなのにマジに受け取らざるを得ないから、情けないヤツだ、と感じてしまう。僕な ら、思いっきりウラをとって上司をやりこめてや る。こういうことを思うと、県警の不正支出行為での仙波巡査部長の一件も、実は県警内部では相当にやっていることだな、と映ってしまうのである。
 夕刻、DELL Latitudeのロースペックノートを格安でゲットした。あまりにきれいだったし、これはゲットしといた方が良い、と判断した。今回はヤフオクではな い。
 僕はWindowsは2000が一番良いと確信している。しかし、通常のロースペックマシンには98がいいように感じている。残念なのはoffice、 ま、そ の中でもEXCELとかWORDのみがタイプできればいいから、そんなには気にしていないが。
 それよりも古いマシンは、どうしても98だろうか、いうところなんだ。2000はそれほどいい、と僕は感じている。

2005 年11月3日(木)小雨後くもり
 はとりたてて云々 はいわないよ。昨日の「さまんさ」だってそうだし、酒道場だって同じだ。実際はそこへ行っていただかないと、その実は伝わらない。
 今日はどっちの料理ショー、という例の番組やってた。そこで僕が目にしたのは料理人がつくる料理ではない。蒸籠を作る職人の場面に釘付けされた。特に蓋 の部分の竹編み細工はおそらく日本に一人しか居ない、という。
 そう、今ならそんなに心配することはない。しかし、料理人は何万人といって毎年誕生する。が、熟練の域に達するのはその数十パーセントだ。が、蒸籠の方 は一級品というものをつくる人はおいそれと誕生はしないのである。
 僕はその後の番組の楽しさから較べると、番組中の特集的でもある蒸籠と竹細工職人の後継を創らなければ、日本でつくられる料理の一部分はスポイルされる のではないか、と考えてしまった。
 たかが蒸籠という道具に過ぎないのだけれど、その道具が料理の仕上がりに重要な一面を担っているとしたなら、誰もが道具に注目するところなんだが、これ は番組としては料理のツマでしかないようだ。

2005 年11月5日()はれ時々くもり
 日はやんごとない 理由で記載ができなかった。午後4時までの圧倒的な緊張感が一瞬ほぐれたものだから、その後は妙に気分がおかしくなってしまったからだ。
 そのせいかしら、本日は船が沈没する夢をはじめ、2〜3のおかしげなシーンの夢を見たようだ。気を取り直して、まずはDELL Latitude CPi-D233をペリカン便の集約所まで受け取りに行く。マジで「暑い」。紛れもなく今日は11月5日なのだが... 。
 ACアダプターがフィットするかどうかの確認で職場のInspironのを通じてみる。品番は異なるが20V(DC) 3.5Wのものなら大半はOKのようだ。物を見てびっくり。素晴らしいコンディションだ。これならバッグに入れて往復できる。
 Windows98でアクセスが動けばしめた物だ。この辺になるとPower Book(Mac)は、独自性が強く不利な面が露見してしまう。僕自身、今のOS XのすばらしさはWindowsを超えると言っても過言ではない、と確信しているから、あの当時、Macの独自性を一部殺していれば、もっと受け入れが大 きかったのに、と思う。MacライクなOSの大半が消えたのも同じ頃だ。
 久々にTriumphに対峙した。エンジンがブルブルといったところで止めた。理由は明日の天気だ。これ以上やるとすると、天候が悪くなる前は深夜に及 ぶからである。今年の冬はこのT-140Vの修正に少しばかりゼニを入れてみようか、と考えているところである。

2005 年11月6日()雨くもり
 夜来の雨が一日中 降り続いて、午後6時過ぎに何とかの最後っ屁の用に降ったのを最後に止んだ。風もなく、この時期としては暖かい雨であった。暦は確実に立冬を示しているに もかかわらず。
 ホームページをアップロードした。どことなく慌ただしさがあってかしら、以前のように休日も有効に使えない。この影響はホームページだけでなく、僕の生 活の随所に出てしまう。その慌ただしさの大半は仕事によるものだ。
 自治体合併して良いことなど一つもない。この状況を市民も早く気づいてほしいのだが、日常生活で悪影響が出ることはほとんど無いから解りっこないという のが実情だろう。そろそろ年末を迎えて、その冷え込み状況が解るのではないだろうか。我々の賃金も下がることだし... 。
 一週間前から引用している決行改善剤の効果が大きい。不思議な現象が続いているが、そのせいかしら、腰の痛みが大きくなって、高校2年に罹患した当時と 同じ状態を経験している。真面目に、押さえ込もうとして、体の状態までも変化させてしまったのではないか... 、と思ったりもしている。
 久しぶりにトライアンフに取り組んでみようか、とも考えているところである。

2005 年11月9日(水)はれ時々くもり
 高気温が20℃を 超えないことが知らされた。運悪く、本日は夜の会議に鬼北町へ出向くため、SR500を走らせなければならない。オイルクーラーのカバーは装着していな い。さぁ困った。ま、オイルも少しばかり柔らかいんだし、やっても大丈夫、と判断した。
 会議も無事終わり、帰路に就くのだが、往路と全く同じ。非常に快調だ。とはいえ、どこかのバランスがよろしくない。そのよろしくないところは不明だ。快 調故の不満だから致し方ない。強いて言うとフロントとリアが全く別に動いている。これだろうな。リアタイヤは交換をしなくてはならないだろう。
 このタイヤも曲者で、フロントは方向性というか、ライン取りがピシッ、と決まるようなタイヤならどんなのでも良い。これはSRのベースがオフロードモデ ルのXT500だからに他ならないからである。400ではチョイト味わえないだろう。逆に言うと、それほどSR400は完成されているということだ。
 フッと忘れがちになるが、そろそろSR400も終焉を迎えるかもしれないこと。SR400の終わった後のことをそろそろ注目しなければならないことを。

2005 年11月10日(木)はれ時々くもり
 難 去ってまた一難。本日はタイムリミット、あいてはノンビリ、こっちは必死、ということに触れて少しばかり記載したい。
 職員団体の役員選挙で、合併前の各市町で役員の選出をお願いしたい、と申し渡していた。一支所は困難を極めたが期待どおり名簿提出をしてくれた。我々も 同様に行った。が、一支所だけが決まらない。
 本日は、信任投票までを逆算すると、本日以外に郵便送付での職場が無視されることになる。そのため、再び選挙管理委員会を開催して、今後のことを決定す るべく、文章も2つばかり用意していた。僕は僕で、業務のため戸外へ出る予定が組まれているから席に着けないでいた。
 案の定、携帯にかかってきたが、出たところ、「決定した」と平然と言われる。安堵するのは良いが、これまでのいいようのないものはどうしてくれるんだ、 という気分になってしまう。
 急遽、情報をつくり、島しょ部への通知は速達郵便とした。その郵送料8,600円程度。金額的には痛いが、明日中に職場へ到着しなければならないから苦 肉の策である。
 帰ると愕然としてしまう。これからの組織運営が本当に大丈夫なのか、ということが頭を過ぎる。
 こんなになると、次は今の職を辞退する、としている僕は結局そこから抜け出られなくなる。ここは心を鬼にして臨むのだが、こんなことやってると、僕一人 が... 、といういつものパターンで退職までお役後免にならない。
 それにしても、もう少しゆっくりと何でも進まないのだろうか。

2005 年11月13日()はれ後くもり
 日からの産業祭 り、僕は少し考えさせられた。昨日は若干ブースが少なかったが、本日は予定通りのフル出店であった。幸いの好天に恵まれて多くの人出を見たのは確実だ。
 しかし、出店の品々が良いものとは思わないし、通常の値段である。出店の数も少ない。農作物、漁業の関係品などの競合云々があったにせよ、自治体合併後 の諸々をもう少し加味しても良いのではないか、と感じてしまった。
 また、一歩踏み込んでみれば、商店街にとっては有益なものであったかどうか、はなはだ疑問に感じるのである。おそらくは、人は多いが商店街の店への客は 少なかった、という結果になったのではないだろうか。
 この産業祭りは旧宇和島市が主になってやったこと故、三間のコスモス祭りほどのことをやるとなると、ここには場所自体が「無い」。しかもこれが長年続く ことになるという、非常に貧しい状況なのだ。同様にコスモス祭りを宇和島市全体がサポート体制を組んで... 、ということにはならないだろうことは容易に想像できる。
 前途多難、行政機構のみが合併したに他ならない。旧町民と旧市民が一緒になってこの街を盛り上げる祭りなど未来永劫、成就できないのかもしれない。

2005 年11月15日(火)はれ時々くもり
 子姫と黒田君との 結婚の日だった。が、世間一般は別の面から、本日が激動の日々の始まりなんて感じた方々は少なかろう、とはチト言い過ぎか。現実にはアメリカ合衆国から ブッシュ君が来ているのだし、あながちウソとは言い難い。
 朝は7時前の地震に伴う津波の件で一撃を食らわされた。三陸海岸線では、ものの20分もしない内に役所に災害対策本部が設置される。
 幸いにも津波は小さいもので済んだが、この災害対策本部設置における対応の素早さは経験した者でないと絶対に解らないものであろう。ここら辺の訓練で は、こんなことは二の次だ。住民が避難できないような場所を平気で指定する、あるいは地震対策のマニュアルを別の火災、自然災害などに無理矢理応用するな ど、机上の考えを実践させようとするばかりだし、僕自身も慌てて役所へ行くなどはしない。たとえ訓練を受けても、被災を受けようとする市民のために自らの 命を投げ出すなどしたくないのである。
 こんなことを書くと誹謗中傷されるのは解っているが、現実に、津波の到来を前提にして、状況をシミュレーションすると市役所本庁へは行けない。
 理由は、津波で浸水してしまっている状況であろう場所に庁舎が建築されているからに他ならないからだ。それほど市庁舎の建設場所は海面との高さの差が小 さいのである。おまけに、その場所を2つの川が挟んでいるし、津波が来る以前に市長は近所だから来られようが、その他は少なくとも数百メートルから数十キ ロメートル離れて生活しているのだから、即座に災害対策本部を設置できないことは明白だ。
 しかも、ここ数年間、こういった市職員の住居状況を無視して訓練?!、となってしまっている始末だ。
 話変わって、本日の愛媛新聞13面。このミーティング記事、僕はこいつらバカじゃないの、と言ってやりたかった。目を通し一読していただければ、旧宇和 島市の置かれている状況をご存知の方なら、こんな夢物語のようなことを真剣にやれば出来るような考えは否定されるのが当然の帰結になるはずだ。
 「産業や観光を底上げ?」って、そのモノ自体ははどうなってんだ。「挑戦する勇気欲しい?」ったって、この地でやろうとしてもダメと解ることが多すぎる のだから出来っこない。「野球チームで活化?」どうやって貧弱な施設とゼニのない宇和島に朝から晩まで野球が仕事のプロのチームを誘致できるはずがない。 「市民集う憩いの場を?」とアメリカの方が言ったところで、今の宇和島の現状をご自身が勤務する教育委員会と学校だけで判断して欲しくないし、家庭だけで なく、時には夜の町に出て酒でも飲んでなど、多角的に見ないとそれは理想に過ぎない。「若者定着の工夫必要?」としても、シロキを呼んだとき最も安い賃金 にしたのは宇和島の商工会議所に集う奴らではないか。今の宇和島に定着させる企業などの誘致をヒモ付きなしで呼び込める度量のある人物が居るのだろうか。
 アホみたいのことを記載したが、このミーティングは愛媛新聞のやらせ以外にない。コーディネーターもパネリストも全員が外様ではないか。ネイティブの宇 和島人は一人も居ない。
 その上に、創立20年と出された記事関係のCMベースの宇和島経済研究会のメンバー。こいつらの考えの中には、真剣に今の広大な新しい宇和島の行く末を 見つめて真剣に論議するような輩は一切居ないと断言してもよい。紙上に出た名前は紹介とともにゼニ儲けのため、としているように感じる。
 もっと、基本の、そう、忘れかけてしまっているような簡単なことから手をつけなければ、依然は今後も継続してしまうことになってしまう。

2005 年11月17日(木)はれ時々くもり
 の間は少々過激な ことを記載した。が、人間というものは一歩退いて考えると、僕の言うこともお解りになるのではないか、というところでお終い。
 同様に、デヴィッド・ジャンセン主演の逃亡者ではないが、時には何とか... いることもある、といった状態に置かれてしまった。
 職員団体の会議で、これから1年間の活動方針を出していた文章がすっかり消えてしまっているんだ。OS9にまでして検索したけれど見つからなかった。僕 の記憶では確かに、別名で保存するをやったんだ。一部はDOSのコンピューターの文章もあるが、「Mac」にしても確実にこなしてきているのにどうしてだ ろうか。
 やはり、一杯やって気分の良くなったところでのものは、眠気が一気に押し寄せて翌日にしてしまうこともあるわけだから、自業自得でしかない。思い出しな がら同等の文章を書くなんて、釣りで体長60cmの魚とはいえ、釣り上げて陸上に... 。というところまでの繰り返しだ。
 釣り人は、魚を釣り上げた後はどうしているのだろうか。どうやら、魚は魚ではなく、その後の調理によって人様の血となり肉となって、人間社会の次に受け 継がれる、という目的が存在するのだが、釣り番組の多くは、釣り上げた魚は朽ち果てるまで魚、という風に感じてしまうのは間違いであろうか。

2005 年11月18日(金)はれ時々くもり
 こ 3日間の外交関係の状況を見て何か感じないのであろうか?。僕はね、相当にヒネて考えるまでもなく、日程調整の結果が全てを物語っているように感じてなら ないのである。
 初日にブッシュ君が来る。奥方のパフォーマンスは打ち合わせ通りのように感じてならない。そして、彼は韓国へ。そこでは、日本の曖昧さと違って、いきな りノムヒョン君が言ったとおり、韓米の関係になってしまう。決して米韓ではない。
 が、韓国国民のどれだけの人がそれを肯定しているのかは計り知れない。
 そうこうするうち、小泉君が韓国を訪れる。エ〜、これって真面目に机の上でのことを実施に移したんじゃない?、と応えた方はかなり世界通であろう。
 同僚が「外交なんていうのは日程調整とフトコロの探り合いですよ」ということには真面目に一理あると感じた。
 夕刻のニュースで四国アイランドリーグの選手だれ一人としてドラフトで選ばれなかった、というものを知った。
 数時間後の石毛代表の発言。「これが現実かな... 」ということを皮切りに発言があったが、代表そのものは実際のペナルティーは感じられない。
 一方ではヤクルトの選手が野球教室を開催する。参加者は相当に多い。まさか、私の子供をプロ野球選手に... 」は少ないだろうけど、石毛代表のコトバ以上に深刻な状況をアイランドリーグの選手は感じるべきだろう。
 そこへゼニなどは入らなかったと確信しているが、仮にそのジャジメントのフクロウがくたばっても、僕は道路公団で再び有名になった談合とは違い、地道に 生きているそこそこの世界に生活する生人が、この世の中を「支えて」いるんですよ、を広く浸透させて欲しいところなんです。

2005 年11月23日(水)はれ
 お 天気なった。 昨日は重要な集会があって、それに費やしたエネルギーの充電のためか、今朝起きたのが午前7時を大きく上回ってになった。昨日の僕のパフォーマンスには一 部やり過ぎ、とおいう面も確かにある。が、昨日は殆どの参加者が知らないものばかりだ。その中で何とか集会を成功させようとしたこと、この日を境に同じ釜 の飯を食う関係になることなどを思うと、僕一人になってもやりきらなければならない、としたからの結果になってしまった。
 一夜明けても、やはり何かをやらなければならない、として、職場の机の上を片付けた。確かにいらないものは多いのだが、さほど重要でもないようなものを 捨て去ったらどうなるかを過去いやというほど味わっているから保存をしているに過ぎないが、それらの保管を何とか全体で... としても、無理も加わって、結果として多くを知っている僕自身が犠牲にならざるを得ない。
 今日は幸いにも、職場内は別の課のお一方のみであったため、ゆっくり片付けることが出来たが、再び、捨てなければ良かった、といったところも存在するの である、嗚呼。

2005 年11月24日(金)はれ
 抜けしたままで出 勤する。気抜けというよりは、自分自身が妙に確立できて、回りのことは気にするまい、といった気分が大きく支配してきたような気分になった。
 25日に全てが決すると考えていた市議会は今日も自分たちの報酬を下げることをOKするかどうかなどなどのスッタモンダをやったようだ。職員の給与関係 はOKになったが、実際は市民の代表者たる議員自らが率先して報酬引き下げを提案すべきだろう。
 加えて、津島病院のことを知らさなければ議員としても納得はしまい。むしろ、僕が議員なら独自調査をやって云々、とするところだろうけど、今の議員の大 部分はそういったことはしないだろう。ひいき筋はあろうけど、議員自らが「宇和島市をよりよくする方策」を審議する会のようなものが一切出来ない。不思議 なことだ。
 それにしても、妙な街になってしまったな、と感じてしまうことが多い。僕の給料も下がってしまうし、明年4月からはもっと下がる。
 ただでさえ、夜の街を闊歩できる僕たちでさえ、これを控えるようになる。急激にはこないだろうけど、おそらく、今年の忘年会がこの街の最後のにぎわいに なるのではないか、と少しばかり不安が過ぎってしまうのである。

2005年11月28日(月)はれ
 び、っていうのは いい場合もあるし悪い場合もあるようだ。こと、今日の昼に流れたニュースには少々うなってしまった。
 というのも、宇和島東高校の教員が16歳の女の子に有料で性的行為を行った、というニュースだった。この件は昨年だったかしら、吉田高校のセンセでも あった。
 ま、センセも人間だし、女房殿とかとは別の女とヤリタイってことはあるわけよ。僕はこんな年頃の娘にはトンと興味がないからいけない(爆)が、今回やっ たセンセは36歳だから、若い娘にチョイと触手が動いたのかもしれない。ま、これはこれで罰せられるだろうが、ことはこれだけでは収まらないんだ。
 というのも、彼は1年生のクラス担任だし、彼に教えられる生徒はどう考える?。
 ことに女子の生徒は相当にショックを受けたのではないだろうか。感受性の強い生徒だと、「もしかして、ウチの親父も、松山出張の時には... 」と思い、「嫌らしい」とかそういった気分からもっと上のレベルの考えを終生持ち続ける子も居るかもしれない。
 決して冗談じゃなくってね。
 一方では今回の事件の当事者(被害者... でもないが)のように「金」にまつわることで警察沙汰になってもナ〜ンも感じない娘も存在する。
 が、今回の16歳の女性は、彼の教え子と年齢はほとんど同じだ。こういった性を伴う大人の男と女の世界など体験はおろか、授業の性教育などでは理解され ていないことなんだ。
 小さい頃より、良い雰囲気のお酒の席へ同席させたりなど以ての外で、学力のみ重視の今の愛媛の教育の下では、こんな状況などもテレビドラマの世界だけで しかないと思う生徒が大半であろうことは容易に想像できる。
 それらのことは一通りの学校での教育しか受けていないし、悪いことに、そのクラス担任の彼が、生徒の大半が想像でしかない、と思っていたことを実際に ヤッテもうた。
 僕はそのクラス自体が崩壊する、とか、男の先生は信じられないなどなど、そういったことが一気に起こってくるのではないか、と思っている。まるで、テレ ビドラマの悪い面が実際になってしまったことに等しい出来事になっているのではないか、と思わざるを得ないのである。
 僕らの時代以前のように、ヨバイとか、性的行為はないにしても、中学生でも男女一緒になって寝泊まりしたりなどが、普通の世界であった頃とはまるで違う 今、その頃を生きてきた僕自身が、このように今回の事件にまつわる不安の一端をこうまで考えるのだから、当事者のクラスメートたちのひとり一人のこととし てみれば、相当にショックを受ける生徒も出るのではないか、と考え込んでしまった。

2005 年11月30日(水)はれ
 日落札したトライ アンフ(自転車)のフレーム代金を送金した。少しばかり高価ではあったが、背に腹は替えられない。結構美品であったため、この機会を逃しては、そうそう入 手できる代物ではないことに気づいたからだ。現在の愛用品であるPowerBookにしても良品が少ないが高価である。
 出品者からのメールで「気を遣わないよう」とはいわれても、どうしても僕の性であろうか、直ぐさま送金してしまった次第だ。
 もちろんフレームだけだが、心はすでに各種構成パーツを今の良いものに交換したい...  。純然たるイギリスのラレーという自転車のOEMなんだけど、すでに大きく過去の自転車であるから、今後のことを考えると相当にショックは大きい、といっ たところである。

2005 年12月 1日(金)くもり一時雨
 日休暇を取って南予写真協会の手伝いをするこ ととする。「することとした」ではないのか?。確かにそうだ。今日はね。が、昨日はどうもそうではなかったようだったのである。
 当然のように、今日の休みは有給休暇だ。ところが、コチトラまじめに休んでいても内容を知らない輩には奇異に感じるらしい。大阪の一件からその立場の職 に就いている者にとっては... 。その気分を本日商店街を歩きつつ相当に感じた次第であり、「有給休暇」の意義を見失ってしまうような気分、まるで悪いことをしているような、それらが大 きく僕を支配していた。
 八宝亭の中華ランチを食べた後、作品の写真を見ながら、2A3シングル、それにBOSEの101から出てくる音楽を楽しみ過ごした。
 おかしなことながら、このアンプの製作記事も、紹介するのに立ち消えになってしまっている。原因の大部分は何あろうトランスだ。これが解決できなけれ ば、素晴らしく簡単な回路ででのアンプ作りが出来ないままでいるわけである。
 丸穂温泉へ行った後、ゲルマンで疲れをとるニラもやしとビールで軽く調子を整える。帰宅すると先日ヤフオクで落札した、トライアンフの自転車のフレーム が届いていた。どれだけ時間がかかるか不明だが、少しずつ今のパーツを装着しながら走るようにしたいと考えているところだ。

2005 年12月 5日(月)みぞれ後くもり
 の思いはこうだ。
 愛媛FCというモノがサッカーJリーグの二部に昇格した、という。そりゃお祝いだろうな。カッコイイよ。
 はたしてそうであろうか?。酒道場のマスター共々、スポンサーシップの一番は誰?とか、サポーター面で金額的にNPOぐらい設立して金銭的にサポートと する組織は存在するのだろうか?。本当に真面目な話なんだよ!
 徳島ボルティスっていうようなメインスポンサーを獲得できているチームはそれなりにサポート体制が出来ている。ところが愛媛FCはどうだろうか?
 ふざけるんじゃない!って叱られるのがオチではないか。が、実際7億円ほど愛媛で用意できるか?。Jリーグ側は「やる気」をとったかもしれない。が、そ の実情は、結局「チェアマン」がいうところの「地域が応援するクラブチームではない」、と断言できるのではないだろうか。断言だ!。
 僕の考えは否定されるかもしれない。が、監督でも地域に根ざした云々、とは言うが、現実にはそんなのは絶対に存在しない。今の経済状況からすると11人 でも大変なのに、もっと多くの選手を抱える?、というのが本音ではないのか。
 真面目にこのチームは破綻するのではないか?!。
 その要因は?、その非の実現度は「ある」や「」「なき」や?。
 決して不真面目で言っているのではない。スポンサーもなく、単に地域のスポーツクラブだけのサッカーなら、その破綻は... 。
 今回はここまでにしておこう。その後の云々は読者にお任せしたい。BBSにでも書き込みをお願いしたいところだ。
 これまでエースといわれた友近選手を1部リーグのどのチームもセレクトしなかった、という事実も大きく胸に秘めてね。

2005年12月 7日(水)くもり時々雨
 初にお断り。
 実は5日に日記のアップロードをしていた、と確信していたのだが、出来ていなかった。お許しいただきたい。
 本日は、県の会計検査の最終日。我々は意気揚々、報告会に臨んだ。旧宇和島市分は殆ど問題がなかった。が、津島は想像以上の書類不備を指摘された。
 オイ、ふざけんじゃない。あくまで公金なんだから、その使途については相当の資料を要する。それが一部収集出来ない、というのである。
 旧町の予算内のことであり、我々は言うべきことではないが、実際は2年後、とてつもない書類を用意して、この会計検査に臨まなくてはならない。
 一説によると「合併しなかった方が良かった」という声を多く聞くのである。昭和18年当時、昭和16年12月8日以降の好調さと修正可能がある程度行え ていた大日本帝国軍は一気に奈落の底へ突き落とされることになるのだろうが、それを免れた。
 おそらく、こういったところから、旧日本帝国は戦争に負けたことになってしまうのであろう。
 僕がいつもこういったことで感じるのは、戦争云々ではないのではないか、と感じてしまうのである。こういった和気藹々の気分が多くの場面でなくなってし まう、という感覚を持ってしまう、こういった世界が少しずつ広がって、国に尽くすとか、やっつけてやる、という憎いヤツはみんな敵だ、という気分しか持た ざるを得ない考え方になってしまうからだ。
 この極端さがヒトラーが独裁者たる証であり、今の日本においても殆ど変化がない中央集権的な国家創りを目指しているのではないだろうか。

2005年12月 9日(金)くもり時々はれ
 面目に先輩諸氏の 声を聞いたような気がした。その協議結果での声は今の声なんだが、妙に過去に聞いた先輩の声に聞こえたところだ。不思議に感じるだろうけど、その声の主の 大半は死人である。
 ついぞ忘れがちになるのはここに既存する。今のイイ生活をしていらっしゃる方は、漁を終えた後の云々になるであろう。しかし、小さな船の主ならどうであ ろうか。僕は落胆する、と感じる。テレビ放映では、こういったことは無視される。今日にエアチェックそのものが本物という考え方が生じる。
 が、僕はこれを許さない。明治の当時、この確約を明記するには膨大な資料など、今のこの状況からでは一切対応できないのである。
 ここをアメリカ側での視点でだけ写し終えた作品に文句を言う必要はないが、一言だけ申し添えると「そんなにイイ作品ではない」というところであろうか な。

2005 年12月 10日()はれ時々くもり
 ーア、嫌になるほ どの事件が続く。まずは学習塾のアルバイト講師が小学校6年生の児童を殺害した、という事件だ。バカげている、と僕は感じるが、講師はよほど彼女が憎かっ たんだろう、としか理解できない。
 塾の講師なら、学力の工場だけでイイ、とされているからだろう。が、この面を学校がどうのこうのすることが出来ないのが今の学校現場ではなかろうか。そ ういった意味からは、もっともっと、日本一般にいう「勉強しろ」という面の学力を落とし、もっと力が強いとか、背kんを生き抜く力を持っているとか、個々 の能力を伸ばすような教育が必要なんであろうな、と感じるところだ。
 そういった意味も含め、僕は本日「宇和島通」の試験を受けた。結構難しい問題もあって、50分間、全てを費やしての試験となった。10問まで間違いが許 される。来月中旬には通知が届くようになる。
 そんな気分で、クライマーズ・ハイというNHKの日航機事故を記事する新聞記者のドラマだが、すごくリアルに表現されていた。全てがアナログ。今に置き 換えてみると、何とも遅いなどはあろうけど、デジタルの今、あれだけに熱意が新聞記者などのジャーナリストの個々人に存在するかどうか、はなはだ疑問に思 えてきた。今日の最後の方、息子を殴るシーンがあったが、僕は共感がもてた。我が息子にもやった。妻(母親)は本当にドラマの中の母親と同じであった。
 今、息子に対してのこういった気分を親父が持っているかどうか?。もし持っていたら、今の社会の風評はまるっきり変わるはずだ。つい十数年前のことなの に... 。

2005 年12月 11日()はれ時々くもり

 面目な話、僕の日 々の生活の根本を間違って行っているような気がしてならない。「歩く」という、一つの行為を取り上げると、まるで間違ったことを行っている、ということに 気づく。
 そう、一般の方々からすると、そんなことはない、とおっしゃるだろうが、僕にしてみると、これはゆゆしき問題になってきているのである。歩く、一歩ず つ。気づくと、腹筋にオッソロシイほどの力がかかっている。それゆえ、必要のない、しかも衰えた筋力をその「歩く」という行為に与えざるを得ない、という 悪循環になってしまっているのである。
 なぜ、そのことに気づいたか?。本日は、気分良くゲルマンで燗酒を楽しんだ。やけくそなんてモノではなく、これから多くなるであろう酒の席に対して、仕 事でもそうだが、集団での中においても、僕 のポジションなら、一人で楽しみたいという、僕流の気分を持ち続ける、一つの実験段階として、それにクセ付けとしてのことだ。
 が、やはり下腹に力を入れるような(座った姿勢での)飲み方をしてしまっている。おまけに、帰路もセッタ草履にもかかわらず、下腹に力を入れて、つま先 を蹴るように歩いている... 。
 僕は一瞬ドキっとしてしまった。これでは太った体の骨のない部分の筋肉を一気に鍛え上げるためにのみではないか、と感じたのである。そうすると、これま で の状況がまったくの失敗だ。
 単に太った方には理解できないかもしれない。が、かつてスポーツ選手であったりした方、そういった方々で根底に鍛えた筋力を持っているのなら、僕の言う 自由に動 かせる力はないまでも、(一定の力が発揮できる、という確固たる事実を確信して)まぁヤレルと気分のみが先行して、体もそれに近づけようと、知らない間に そうしているなど、それらのことは必ず理解できるはずだ。
 これから時間がかかるかもしれないが、まるで、本当の初心者になったつもりで、この困難を克服したい、と考えた。
 本日の言い回し自体、なかなか理解できないとは思うが、一つ、5月の朝霧湖マラソン目指して、チョイトやってみるかな、と考えている今日この頃である。

2005 年12月 15日(木)はれ後くもり
 うして、こうも 「日本人」っていう奴は「明確に説明」ということをしないのだろうか。それに加えて、国民全般も「なんとなく」と受け入れてしまうのだろうか。僕はね、僕 のようにある程度知っている人間ならいいけど、若い奴らは本当に大丈夫なのかい?、と逆に心配せざるを得ない。
 先日からの建物の構造計算の偽造。国会での証人喚問、この喚問に対して、まるで「尋問」にスリ返しているような気もしないでもない。この喚問は国会に対 してウソなんかは言わないよ、というだけのものだ。
 昨日の喚問でのことで、一番信頼がおけるのは姉歯氏の言い分ではなかったのか、と感じてしまう。なすりつけあいでもイイ。それは喚問だから。
 ところが、受け取る側はどうしても尋問での証言としてしまっているし、そのことを報道側は分かり切っている、として説明しない。こんなところだろう。
 本日5時間にもわたるというNHKの単独インタビューでも昨日と同じような発言をする姉歯氏のことが信頼できる、と僕は判断する。
 今は誰が悪いとかそんなのは二の次だ。したがって、報道側も、傍聴した被害者に対しては高望みをしない返答を期待すべきなんだけど、それが出来ない。仮 に僕のように言うと、マンションの管理組合ではつまはじきにされることになってしまう。
 もう一つは、どうしてマンション住民サイドで司法関係へ手を伸ばさないのであろうか?、と僕は感じている。
 ま、やって出来ないことはないだろうが、罪の云々からするとその「偽装」の流れの確定を迎えるまでは相当に長い期間がかかるのであろうか、と感じざるを 得ない。

2005 年12月 18日()くもり
 当 に寒い日々が続いた。あえて「続いた」としたのには意味がある。明日からはそうでもない?!、というのではない。寒いと言っても、この辺の「ヒヤイ」に他 ならないからだ。本当に「ヒヤイ」を感じるのなら、もっとシンシンとして風もなく、前日降った雪はそれが一日中溶けない、そんな日が「がいにヒヤイ」とい うことになる。今日は単に寒いに他ならない。もっと言うと、この辺の「がいにヒヤイ」=「しばれる」に近い表現になるんだ。南国なのにどうして?、となる のであろうが、ここは伏せておく。どうしても知りたい方々はどうぞ、この「何にもない」宇和島へ来て、これまでの僕の記載と逆ではあるが、何もない宇和島 が持つその良さを感じていただきたい。そこから何もないではない、を感じていただければいいが... 。
 朝はSR500の車体カバーが吹き飛んでしまっていたので、水をかけて積もっていた雪を除いた。この意味からも上記のことが理解できるであろう。その証 拠に信号のない我が家の前の道路はバリバリに凍り付いていて、普段とは逆に全く車が通らない。いつもと違う不思議な光景にバッカみたい、と感じてしまう。
 一日中テレビのお守りをしながら、今の日本の状況が本当に良いのかどうか、来年度国家予算である今日の財務省原案の一つ手前を見聞きすると、そろそろ、 我々公の仕事をする市民も考えないとならないし、医療業務に就く方々もサラリーマンばりに生き抜く知恵を備えた上に素晴らしい医療をしなくてはならないこ とがオワカリになってきだしたのではないだろうか。
 もっとも、近い将来、徴兵を前提とした身体測定が開始され、教育も「日本」「日本国民」を主とした教育が大きくハバを効かせることになるのであろう。
 決してウソではない。そうでもしなければ、今の若者自体が天変地異を始め、日本に起きる悪いことを正面から対処できない。それを上手に教育したいとして も、それが出来ない世の中になってしまったからではないであろうか。
 伊方原発のプルサーマルやりましょう、に「やの・ひろみ」が愛媛新聞に出る。これって許されるのだろうか?。彼女はフリーのパーソナリティーであろう が、ラジオ番組で出ている南海放送も、核の危険性は無視してでもプルサーマルをやってやろう、という考えなのかもしれない。
 福岡では「一銭五厘」の召集令状問題を学校でやった結果「非国民」を生んだ。このことは悪かもしれないが、その召集令状を取り巻く多くのことを知らない 教師が多いことを考えるべきだ。
 こういった問題を一気に解決するのなら徴兵を... 。
 そろそろ軍靴の音が近づきつつあるように感じてしまう。

2005 年12月 22日(木)雪時々くもり
 今日は冬至だ。とはいうものの、昨日の雪がまだ残っている上に空からは白いモノが再び落ちてきている。この辺なら気温が高いから途中で消えるのが常なの だが、それが地表にまで到達するということは外気が相当に冷えているということであろう。
 一つ助かっているのは、海が近い上に風が強いため、日中の積雪は無かった。昨日ほどではないものの、これに対して周辺の山間地域は相当なものであったら しく、職場への遅刻者が多く出てしまった。特に道路交通においての単純な理由はスタンダードなタイヤのために、のろのろ運転が続いて、20分の道のりのと ころが2時間かかるという、いつもの悪循環のためであった。
 この天候のために、夜の予定が全てキャンセルとなってしまい、自分でもオカシイくらい放心状態になってしまう。おまけに代替え日が28日の仕事納めの日 というから、トリプルブッキングになってしまい出席できない。
 帰宅前には、合併先のお仲間うちから市のレベルでは理解できないような問い合わせがあって、その応答に四苦八苦してしまう。
 内容は、明日のマラソン大会の仕事に対しての対応の仕方であった。時間外の仕事として職員が不利益を被った場合は職員団体での対応をするが、休日の仕事 をさせる側が、賃金か休暇か明確な判断を下さないために、それを職員側から「いかがしましょうか?」と投げかける必要はない。
 こんなモヤモヤがあったため、家でも体が動かず、まずは丸穂温泉へ行くこととした。今日は柚湯のサービスがある。比較的入浴客が多かったが、時間配分 上、その方々が出た後、一人でノンビリ広い湯船で体を休めることが出来た。
 そんなこんなで、夕食後テレビを見つつ眠ってしまった次第。アップロードをすっかり忘れてしまった。

2005 年12月 24日()雪時々くもり
 はクリスマスなん て、バカ騒ぎする必要など無い、とこの歳になってようやく解った。
 朝か洗濯にいそしみ、職場へ出向こうか、とも感じてはいたが、昨日のFetchのおかしなことの兼ね合いもあって、午前中は家で何やかややって、その一 環が洗濯という次第だ。幸い妻の下着が無かったから良いようなものの、もしあれば... 、再び妻のご機嫌が悪くなる。
 僕は女性の下着を身につけたこともあるが、男子の一物があれば、ボトム側はその一物を上向きにしていただけるスペシャルメイドの下着(ブリーフ)が必要 だ。パッと脱いだ瞬間、一物が尻の下側でアンダーより漏れてたなんて...  。ま、今日は僕のものばかりだったので、ご近所のご婦人方の目は避けられたから助かった。
 家事の手伝いにしても、結構気を遣うものだ。
 今日はクリスマスイブだ。僕は冒頭のようにバカ騒ぎするのは日本人だけで、キリスト教信者が多い地域では、僕のように日中を過ごして、敬虔な中、イエ ス・キリスト尾が誕生したのだ、ということを祝うべきだ。
 で、午前0時を過ぎれば大きく騒げばいい。こういった、キリスト教のノウハウに一般的な仏教徒の日本人がもっともっと触れるべきなんだ。そうしなけれ ば、「クリスマス休暇」なんてことは解らないままになってしまうのではないだろうか。
 そんなこんなでイブの日が過ぎる。

2005 年12月 26日(月)はれ
 は冷たい。その中、松山へ出張なんだが、チ リー・ウインズという昔のフォークソングを思い出した。こういった青空のシチュエーションではない。歌詞の 内容からすると、もっと暗いものだが、現実には今の宇和島がそれではないだろうか。
 案の定、職場を出てJR宇和島駅へ少しの所で、自転車もろともブッ倒れた高齢者をどうするか... 、をめぐって、たまたま通りかかった僕と第一発見者のパーマ屋さんの奥様とともにを考えるが、やはり救急車を呼ぶべき、と判断し、事なきを得た。
 このまま彼がくたばってしまうと、僕自身も検分云々で出張が出来なくなってしまう。救急車が来てストレッチャーに寝かせるまでは居たわけだから、言い方 は悪いが、時間的にはすんでの所であった。
 列車に乗ってフッとその人の名前「K」と顔を思い浮かべた。まさか?。そう、もう20年以上も前になるが、E新聞の配達を一手に引き受けていた人物に似 ている。あれから20年か、時代が凄まじく変わってんだ。何とも言いようのないものが僕を支配してしまった。今から20年後、全く同じシチュエーションと して「K氏」を僕に置き換えたらいかがだろうか。
 唯一、独自の救いは、トライアンフのキックペダルが踏みおろせなくなると、僕はオートバイから降りる、と決めていること。そのことに対しては万難を排し て、キックペダルを踏みおろすことが出来る、と自信を持って言えるよう極力努力し精進すると決めている。
 バカげたことかもしれないが、意外にも「歩けなくなる」ことが先に襲うような気がしてならない。もちろん僕だけではなく、多くの高齢者に当てはまること である。
 が、おかしいことに、この感覚を全く意識できないでいるのが、今の宇和島の高齢者の実情ではないだろうか。

2005 年12月 28日(水)くもり時々はれ
 事納めの日だが、 浮きだったものは一切無い。非常なものが我々を支配する。そういった環境にしてしまったのは一体誰だ?。僕は我々の職場自らがそういった方向付けをしたの ではないか、と考える。今の市長自体にも心の片隅にはこの「くすぶり」は決して消し去ることをしないだろう。
 そういった中、「午前中までかと思って、慌てて市役所まで来た」の一声とともにお客の一人が来庁したことだった。まじめに、我々もこの状態を極普通にニ コリと笑ってこなせば良 かったのである。
 僕は市民の良識を信じて止まないものだが、公務に携わる我々も市民の一人である。個々をないがしろにしてしまうから、こういったバッシン グも起きるのであろう。仮に我々が職場放棄すると、そのありがたみは一般市民に解るし、そこへ行かないまでも、市民の多くは公務職場の実態をご存知のはず だろうと確信しているところである。
 忘年会もお開きになる時に、課長は僕がダメなんだ、と言ってきた。同級生の手前もあるが、実務上、業務が大変になるときに自治体合併して、有能な方々が 異動し新人を2人も抱え、エリアの拡大とチグハクな旧自治体間の調整など、数か月間の間に職務全般の実 務を掌握することが妥当かどうか... 。
 僕が職場の仲間に逐次説明しなかったのがいけなかったのかもしれない。が、僕自身は今年度一杯は誰かにしわ寄せが来るのは事実だし、それを僕がすべて フォローできることは ありませんよ、というスタンスで仕事をこなしてきたところだ。
 それを酔った席でもあったが一撃を食らわされると、僕としても我慢は出来ない。が、ここでことを荒げることが出来ない。この状況はサラリーマンの中間管 理層にはオワカリのことと思う。ま、僕自身はコンバットのサンダース軍曹並に職務の遂行をするだけだ。
 いずれにしろ、十分にPCが使える職場の端末で、明日からお正月三が日も数時間ずつ残った処理を行いたい。

2005 年12月 30日(金)はれ時々くもり
 日... 、いや、今日、そう、今日まで同級生と飲んでいた。僕も結構良い気分になっていた。と、いうのは、この前の日記に記載していたとおり、一昨日の席がどうも 思わしくないものであったということからだろう、と考える。
 そういったことも含め、昨日の同級生同士の席はなかなか楽しいものがあった。一次会はゲルマンで「すき焼き」メインであった。二次会は「さまんさ」でひ たすら焼酎をあおる。僕はもっぱら森本君(画家)のリクエストをやっていたが、久々にママさんのサザンのボボに圧倒されつつ、和気藹々、8人の仲間の個々 が「こいつがこんなこと考えてたんだ...   」まで突っ込んだものになっていたり、仲間内ながら、片方ではオンチの歌に拍手送ったりで、素晴らしい席になって、帰宅したのが午前1時半。
 そこから見なけりゃよかったのに、アラン・ドロンの刑事物語を見入ったものだから、本日の目覚めは久々に午前10時、となった次第。
 が、僕自身は至って気分良く過ごした。午後は八宝亭でランチ、小富士さんとこへ寄ってだべってた後、近所の八百梅でシキビを買って、選仏寺のお墓参りも すませ、丸穂温泉でノンビリして、酒道場で今年最後のあいさつ代わりをやって、年始の医師会担当医の書き込みをやったり、でこの慌ただしい1日が終わろう としている。
 残念ながら、義母の死から、明年のしめ縄などは無用になってしまった。本当に静かな年末を迎えているところである。

2005 年12月 31日(土)はれ時々くもり
 年も今日で終わ り、という時になって神は福音をもたらしたもうた。というのも、僕の持っているミュージックDVDにSeekersのものがある。イギリス盤だから当然の ようにPAL方式で国内で通用しているアメリカ規格のNTSC方式では再生できない。当然のようにPismoでも... 。
 Macでは再生できるものがある、ったって、松下のドライブでは出来ないのだ。が、現在使用しているマシンはオーストラリア向けのものだ。当然、こいつ に付いていたDVD-ROMはPAL再生が可能ではないのか?。
 早速、野暮用の残務整理もあって、職場で保管している元のPismoに取り付けていたのを外してくる。LG電子製のそれは、我が家にある当初のとの違い は、6月から8月という2か月遅れの製造でLABナンバーが6から8になっていて、独自のシリアルナンバーがオーストラリア向けには存在している、という 違いだけである。
 早速実験すると、見事に再生した。
 少々見とれながら、結局何だったんだ?という疑問にたどり着くが、これは後日、本編ででも僕の推測を記載したい。
 さて、今年一年は僕にとっては試練の年に感じられた。その状況を何とか打破したい、と、もがけばもがくほど泥沼に陥るようになってしまっていた。回復が やや見え始めたのは、今月末からである。わずかながら脚の痛みが残っているものの、少しばかり、体を動かさなければ... 。これとて、痛みを取ってから、という順序があるが、ま、ともかく体はもとより、考え方が元に戻り始めた。
 僕のページの「とっておき」に、未だ記載していないものが一つある。それはギターだ。ここ2年ほど本格的に弾いていない。もっとも、いいデジカメが無 かったために画像がアップできなかったことと、左手が握れなかった時が数か月間続いたことからそうなってしまったのだが、この間、黒田君宅でフェルナンデ スの布袋寅泰モデルを弾いたら見事に弾けるではないか。急に安いギターが欲しくなってきた。
 明年はどういった年になるか、戌年だが干支は終わりから一つ手前だ。僕は55歳になる。今年も残るところ数時間だが、ウマイ具合に穏やかな年末を迎える ことが出来た。
 www/Gridも相変わらずだが、明年もよろしくお願いします、として、今年を送り来年を迎えることとしたい。





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