2006.04.02〜06.30

2006 年 4月 2日()雨後はれ
 日やったT- 140Vのテストの疲れが一気に出てかしら、ぐっすりと眠り込んで、目が醒めたのが朝の8時前であった。この4月1日の悪戦苦闘は小誌の次号にでも記載し たい。
 そういったことに加え、時折吹く強い風と強い雨、それに雷、こういった状況が昼過ぎまで続き、完全に消えたのが午後4時過ぎ。大変に荒れた1日であっ た。
 同じく、ライブだったF-1オーストラリアGPでは、最終周にホンダのマシンが火を噴いて、ゴール直前の150m手間でリタイアするなど、まるで映画の グランプリを見ているような気になった。
 特に公道をレーシングマシンが走るのだから、現実には強い(ボディー)のF-1マシンだろうけど、それは前へ走っているときのみに特化した強さであっ て、今日のオーストラリアGPのような波瀾万丈でマシンに対して前後左右から別の力が加わった時の強さのようなものも必要ではないか、と感じた次第だ。逆 に言うと、マーシャルカーのベンツがなかなか良い走りをしていたのは皮肉かもしれない。
 何やかやあるのは事実だが、本日は本当に1日中家の中に居た。大半はPismoに向かっていたのだが、もう少し打ちやすいキーボードを備えたマシンがほ しいな、と感じる。
 さ、いよいよ明日から新年度の業務が始まる。あまり気にすることもないのではないか、と考えている。余程のことがない限りダメになることはないのだか ら。

2006 年 4月 4日(火)くもり後雨
 日は朝一番ビック リしたぞ。何と我が家の敷地内にミニタイプのATVが止められている。メーターが電磁タイプなので、走行距離不明で、車自体がどれほどのものか不明。が、 各部は結構新しいため、新車であろう、と感じた。一体、誰のもの?。
 出入りに不自由をきたすから、イモビ覚悟で動かそうとしたのだが、朝の7時からピーピー言われたのではそれこそ近所迷惑。警察に電話することはしなかっ たが、ミラーに反応が薄いことを手がかりに、注意を促す張り紙を貼りつけておいたのだが... 。
 何と、実は妻が購入したものであった。ビックリしたね。午後から雨模様になったが、僕の職場から携帯で、不要のオートバイのシートカバーを掛けておくよ うに通知した。が、実際はやりたくないような様子。全く女性の考えは解らない。
 帰宅して確認したが、上手くシートをかけていた。残るは任意保険の加入などを彼女に言っておいたが、僕ならこうするよ、という男の気分でやると、女のそ れはかったるいこと極まりなしだ。
 ま、それにしても、考えようによってはノンデフの四輪車に乗るのだから排気量は小さいとはいえ、前後輪ディスクブレーキ、マニュアルミッションだから、 ハンドル操作と操縦上の体力は相当なものを持っていなければ乗ることが出来ない。幸い400ccの中型二輪免許を取得している彼女にとっては、この点は OKなんだろう。逆に言うとイモビは別にして、捜査上からしても、普通の女の子には乗れない、ということだろう。
 ふっと思い起こすと、孫からするまでもなく、妻は「スーパーおばあちゃん」ではないか、と少しばかりうれしくなってきた。
 こんなことがあったのと、酒道場で、顔なじみの家族客と意気投合して、今年の租税教室は宇和津校へ行く、と申し入れて帰ってきた。
 結局、僕には乗れないミニバギーだけど、自動車とは違って、何やかや手を出したりサゼストしてしまう。妻は迷惑そうだが、フルオープンのATVは使用し てやらないと、瞬く間にみすぼらしくなる。これは事実なのだ。それゆえ、僕の方から仕掛けなければ、女の方からすると大半は動くことはない。これまた事実 である。

2006 年 4月 12日(水)くもり時々はれ
 々の内に仕事を行 う。納税通知書発送前の足の踏み場もないフロア状況。1つの課が増えたし、部長室が増えたのに我々の陣容は変わらないから、その状況にはサンサンたるもの があるのは理解できるであろう。この相当数の封書の山、その中で変更のあるものを抜き差ししなければならない上に、数十個の封書が入った箱を毎日書庫から 出したり入れたりだから、嗚呼...。
 さて、ゆうパック用の住所タグ印刷のため、たった一つのドットインパクトプリンターを探すために、同僚のO君と吉田・三間の支所を回る。今時ドットイン パクトったって、知っている職員がいない始末。ようやくにして三間支所で午後1時までかかってプリントアウトした次第だ。ドットインパクトプリンターは カーボン紙での打ち出し専用のようなものだが、これが、インクリボンを使用するものだから、印字が結構綺麗だし、その上便利なのである。今日使用したモデ ルは、どこでも紙を投入できるし、投入された紙の平行も機械がやるというすばらしさであった。
 業務終了後、久々に早く帰れたので、丸穂温泉へ行ってノンビリした。昨日までの雨はもちろんだが、一昨日の深夜、右のふくらはぎに、こむら返りが起こっ て、昨日は歩くのに難儀をした。正座して、ヤバイと思ったら、足の親指がガ〜っと開いたままになったり、いつか来る、と思いつつの状態だったから、一気に 来て良かったのかもしれない。1日過ぎた今日は少しばかり良くなったが、気をつけなければならないな。
 ファイテンのアクアチタン製品がいいらしいので、給料日に購入してテストしてみたい。
 一昨日落札したPismo用のTAXANコンボドライブが届いた。ことはここから始まるのだ。装着すると、いきなりメニューバーの使用言語がオーストラ リア国旗になった。「もしかして!?」とシーカーズのPAL方式のDVDが再生できるのじゃないか?、と思いつつ挿入してみた。
 見事に再生。少しばかり高価な落札だったけど、結果に非常に満足だったため、一気に疲れなどが吹き飛んだ。そういえば、こういったことはネット上でもあ まり記載されないよな。再びこの製品のことを本編で記すこととしたい。

2006 年 4月 13日(木)雨後くもり
 自分は自然なのに、回りがばたばたした1日であった。昨日はTAXANのコンボドライブに気をよくしていて、本日は朝の目覚めから良い気分で終わるはず の1日だったはずだったのだが... 。
 まずは、J氏の元へ出向いて、課税の状況を説明する。が、その瞬間、同席した別の課の職員に「騙された」と感じた。同じ職員のはずなのにな〜。
 J氏の言い分を聞いていると、我々の担当ではなく、同席を依頼した方の課の状況が大きく支配するものであった。つまり、課税は間違っていないことをJ氏 も理解している。実際は持ち家が年度の途中で移転しているので、納税に対して何とか便宜を図ってもらえないか?、という内容であった。
 したがって、課税処理のことは理解していただけたかな〜、の確認は出来なかったが、課税の方針としての大まかな点は理解されたものと確信した。これ以上 のことになるとトップの考え方を申し述べていただき、J氏の要望を聞き入れるか否かの答弁をしていただかなくてはならない。
 なぜ、僕が即答を避けたか?。一つの企業の代表者が過去、僕を信頼していただき、僕がやっている仕事を理解していただいた上でスポーツ大会などのスポン サーをやってもらっていたのだが、正式にスポンサーとして大会要項中に一文、その社の名称などを記載していただきたいのだが... 、という依頼があったので、過去のいきさつからOKを出した。
 が、職場の最高トップはまるで僕が行った水面下でのことを片っ端から無視の状況になってしまい、スポンサーの話もご破算になった。
 もちろん、僕が最高トップに文句を言ったのだが、「それはあなたの考えでしょ?」と言われてしまって、僕は対抗するスベが分からなかったのである。
 今回も同様のことだから、聞き役に終始したところだ。そこそこの言い分の食い違いには僕としてサゼストしておいたが、我々の業務としては、間違いではな い、ということをJ氏も理解されてしていたから... 。
 もう、お解りであろう、我々は間違っていないを押し通してもエゴになるばかりなので、こういったところの裁きはトップにやってもらいたい。
 その後に報道ニュースで流れた不祥事のことが、再び我々への攻撃になるのではないか、と思うと実際は気が気でない、といった1日であった。

2006 年 4月 15日()雨後くもり
 、午後9時。若干 の小雨。間もなく止む。これは事実だ。こういったことからのみ、天気予報は信頼できる。が、過去数回記載したが、この「南予(なんよ)」の地では、松山辺 りで決定される天気予報はことのごとく覆される。
 お前さん、そんなことあるものか!、とおっしゃるのなら、今から2時間前の雨の様子を知らしてあげたい。実際に、それよりも2時間前、雨は上がるかに思 われたのだから。
 さて、本日は硬軟二つの行事をこなす。最初は南予労農市民会議の総会。真面目に、現在の食は十分すぎるだろうし、水は水道の蛇口を捻れば凄まじく美味し く、なおかつ安全な水が「飲める」。こういった現実の中で、アジア・アフリカの開発途上国へ救援米を送る。なおかつ、食とみどり、それに水を加えた、人類 にとってのかけがいのないモノを真剣に考えよう、とする団体だ。これは和気相合の内に、4月29日に田植えをすることを最初の合意目標として修了した。
 次は山内松山大学助教授の教育基本法、日本国憲法を改正反対の集会へ参加した。確かにヤバイことになっていることにはなっている。しかし、これが正面 だって出ていない。このことを質疑応答で山内氏が言うのは片手落ちではないか。
 僕が実際に考えることは、知らない間に「訓練」などと称して、その方向へ向けさせられているのではないか、と考えるのである。講演ではもっと、「こうな れば、こういった結果が待ってる」といったものを発言してほしかった、と感じた。
 いつも僕が思っていることは、大学の「教授」と名のつく方は、若手であれ、ベテランであれ、どうも理論が先立っているようでならない。たとえ平和目的の 「参戦」であっても、それをどう受け取るか?。
 今の日本では事前にそういった行為を阻止することは不可能に近い。そこが政府のねらい目ですよ、と説明すれば、もっと参集者は理解できたはずだ。
 こういったことが解らなければ、教育基本法も、憲法改悪も「国民の多くが賛成したんだろ」でOKになってしまうのだろう。それが一番怖いことになるのだ が、国民の多くは「そんなこと知っちゃいない」、となってしまうのがオチだ。

2006 年 4月 16日()はれ
 晴らしい朝の目覚 め。でも、決して慌てない。僕流に纏めてからだ。と、いったところで、宇和島駅のウイリー・ウインキーへ行ってパンを買うのだが、これがね、最近小さく なってしまって、随分割高になってしまったように感じる。として、種類がないので、帰りにステファニーへ寄って所望のものを購入した次第。
 何をどうすればいいのか、ようやく解りだしてきた。本日のテストは、パイロットジェットを#27.5にすることだ。午前10時から作業開始。
 右のキャブの内部が汚い。それを清掃して、プラグを換えてエンジン始動の前に「バチン」ときて、左エキパイからドバ〜っと黒煙が舞った。ダイナコイルの 同時点火を実感した次第だ。いかに内部にカーボンが溜まっていたか?。それ以降、セオリーどおりの処置をしておけば一発で始動する。これは特筆ものだ。
 いざ、テストコースへ。そう、過不足無いし、なかなかのパフォーマンスを示して帰宅。アイドリングの調整をして、次は南へ走る。「しまむら」や「リッ チ」への車が道をふさぐ。
 そこを過ぎて、松尾坂を登り、農免道路から三浦へ出て風に悩まされながら無事に帰ってきた。一応OKを出して、一連のテストを修了した。
 次はPismo。TAXANのコンボドライブの最大の欠点を修正することとした。これは死ぬほど簡単。これをやるとやらないとでは、このTAXANの BCコンボは、いつかベゼルが人間様のズボンのスソなどが引っかける。この事故でベゼルが大きくダメージを受ける。
 要はフロント側へ1本タッピングビスの長いのを立て込んだら修了だ。信じられないほど丈夫になること請け合いだ。
 今日は本当にいろんなことをこなした。

2006 年 4月 19日(水)雨後くもり
 日までの状況が少 しずつ引いていく。何とか持っている気分だ。従って、朝はウィーダー・イン・ゼリーだ。全く腹が受け付けない。
 そうそう、朝は少しばかりおかしい夢で目が醒めた。夢の中でスズキの1リッターオートバイに乗り、狭い道もクイックにアクロバットのような操縦をやって いる。スズキのオートバイなのに、カワサキのZ1のようなスタイル。名古屋で下宿していた頃の下宿先に、1年上の先輩に操縦させて、僕はタンデム。で通り を一つ間違えて、元の道に戻すときに目が醒めた。BMWのパリダカ仕様なども出てくる始末。何だかな〜、と感じる。こんな夢には僕の持っているオートバイ は全く出ない。未だにこの理由が解らないのである。
 夜のクローズアップ現代で、中高年、特に団塊の世代の方々が青春時代の音楽を再びやったり、聞いたり、また自らが演奏したりすることが大きい盛り上がり になっている、というのを知る。
 オイオイ待ってくれよ。僕はその世代よりも数年下だけど、僕は皆さんがやっている青春時代より、もっと古い時代のポップスなどが好きなんだ。そういった 気分で出演するその世代の方々を見ると、その見かけが相当年齢を食っているように感じる。
 同じ54歳の方見ると、僕は苦労が足らないのかな、とも感じたが、今回の番組で放映された内容は、どうも現実逃避をやっているように感じられてならな い。僕としては今の若者に負けないような立ち居振る舞いをやってなきゃダメだと感じるのだ。
 それに、当時を当時のアーティスト(というコトバは当時なかったように思うが)とリアルタイムで生きてきたのだから、そいつを今流にやった上で、オリジ ナルの良さを云々しなければ、このブームのようなものは消えてしまうな、と感じた。

2006 年 4月 23日()小雨後はれ
 量に酒を飲む日が 2日も続いた。晩酌程度の酒道場とは違い、人数の多さ、出る料理と酒量のバランスなど、最近はまったくペースが掴めない。そのためかしら、本日はとうとう 昼食なしの状態になった。マジで腹が減らないんだ。
 午前中はMacをさわってた。というか、T-140Vのインマニについて考えを巡らしていたんだ。そしたら、ドカの900SSのインマニを改造されてい る人がいた。少しばかり僕の考えと似通っていたが、その後のレポートは少なかったし、このパーツをワンオフで作るような財力は僕自身持ち合わせていない。
 つまり、僕の場合なら32mmで出てくる混合気を30mmのインマニでダイレクトで受けるには、内径で1mmの段差があり、この部分がどういった影響を 与えているか?、というものである。シリンダーヘッドを削ることは出来ないから、何とかスムースに32mmから30mmに移行させるにはどうするか?、と いうことだ。
 そんなのは雑誌の記事に書いてある?。いや、一切無い。理由は簡単。ドカさんのレポートと同じ、大半の国産車はストックの状態からインマニとエアクリー ナーボックスはインシュレーターラバーで結ばれるのが一般的だからだ。その上インシュレーターで上手いこと調整されているから、口径の大きいキャブレター を積んでもOKなんだ。インマニがフランジ固定のT-140Vでは不可能な問題である。AMAL MK-IIを使用するT-140Eにしても同様だ。不思議なことだが、この手のオーバーサイズのキャブを取り付けるのが一番難しい国産車はホンダのカブの エンジンだろう。口径は小さいが、フランジ取り付けボルト幅はT-140Vと同じ寸法のようである。
 そんなモヤモヤはあるけれど、午後からT-140Vを走らせる。本日は再びキャブの微調整。ま、走れるようにはなっているが、あと少し。そして、その少 しを詰めると次が出てくる。このキャブレターは、そこそこのところでパフォーマンスが出せないんだな。妥協することが出来ない。

2006 年 4月 26日(水)くもり後雨後くもり
 から悶々の日が続く。メシが喉を通らない。真 面目に。それほど緊張というか取り越し苦労をしているようだ。これが来たのは先々週の金曜日辺りだった。もちろん、僕のミスの部分はあるけど、大半は申し 出でがなければ我々には分からないことなのだ。
 そういった中、本日はシステムの操作ミスで数値が違うものを発見し、通知をした。
 もっとも、その先に津島へ出向いて本庁が直接判断を下す、ということか?。嫌だけど、万事、本丸が絶対、といった気分になってしまう。相手もそれを踏ま えてモンクも言ってこない不気味な時間が流れるのを感じた。
 僕は決して本庁が主となって支所が追従する、っていうのは納得がいかない。もっとも、そのことを逆手に取りやがる者も支所には居るのだが... 。
 その後、キカイの操作ミスの間違いが2件出た。もちろん僕のミス。そのため、相手に平身低頭。が、もし明細書を先に通知していれば、こんな二度手間はす ることがなかったのだが、今となっては昨年が戻ってくるわけではないため、残念でならない。
 その瞬間、これまでの悶々が吹っ切れた。
 僕はキカイの操作は得意ではない。Macをさわっている身なら、窓派のものでもそう気にすることはないであろう、と思われがちだが、さにあらず。システ ムの基本が確立されていなければ、捜査上の手順がMS-DOSのようなことをやらなければならない事実はどうしてくれるんだ。ベースは完全にエクスプロー ラーなんだけど... 。
 話変わって、インマニアダプター。一生懸命になって考えてはいるのだが、どうも上手くいかない。要は32mmを32mmで受けてスムースに30mmへ導 く。とまー、こうやって簡単に記載はできるのだが、お金を出さずにやろうとすると、実際は非常に難しい。

2006 年 5月 5日(金)はれ
 月になって初めて 記載する。5月1日、2日と仕事に出かけたが、仕事に対しての気分は一向に前向きになっていないことを知った。何かのことが影響しているのだろうけど、そ の原因を見つける以上に僕がド〜ンとしておく必要があるのかもしれない。
 3日は朝霧湖マラソンへ出かけた。久しぶりにランナーではない身として、このマラソン大会を見たわけだが、年ごとに先細りしているように感じられてなら ない。
 そんな中で、ゲストの千葉真子選手が素晴らしかった。大きい大会ではいつも4位とか5位で代表を逃すのだが、昨年の有森選手とは時とスッポンほどの違い があった。もちろん千葉選手に軍配が上がる。
 本日はT-140Vのオイル交換。妻が自動車を出さなかったので、やむなく路上でのオイル交換になった。
 簡単に言うが、エンジンオイル、プライマリーチェーン、ギアボックスのドレンを外してオイルを出すまでに、工具を4種使わなければならない。オイルに 至っては、エンジンとプライマリーに20W50、ギアボックスに80W90の二種類のオイルが必要となる。
 交換に1時間を費やしたし、おかしい姿勢を強いられるため、今でも左の指先の感覚が痺れてしまったままだ。何しろ左側で四つんばいになって、左手をス テップにかけて、右手はソケットレンチを操作する、という状態だったからか。
 それにしても、オイル交換の結果は素晴らしいものがあった。今回はホンダ・ウルトラオイルの20W50を使用したが、なかなかよろしい。ギアオイルは BPを使用した。
 確認のためにテストコースを走らせたが、素敵なフィーリングのままに帰ってきた。多くの点で一段落、といった気分になった。
 ま、こんなところで、本日は端午の節句だし、丸穂温泉での菖蒲湯を楽しんで1日を終えた次第だ。

2006 年 5月 8日(月)くもり
 休明けの月曜日。 職場へいつもの時刻に到着なんだが、自動ドアが開いても入るのが怖かった。4月の中頃から、ずっと続いている現象だ。何がどうなってこのような状況になっ たのかが全く解らない。
 黙りを決め込んで、単純なデータ移行作業に集中することにした。実のところ、この作業の大半は土・日の午前中半日ずつで仕上げていた。データ移行の作業 はアクセスのインストールされていない僕専用のパソコンでは作業が出来ない。またしても、仲間の助けがなければならない。「これ、やっといて」と、こう いった面を僕からのオーダーとして良いものかどうか、ここが一番の問題点なんだ。
 結局、経験の少ない仲間が多いから、職務の大半を僕が抱え込むことになってしまう。合併前の旧宇和島市の分だけならこれでもよかったが、各支所のことま で抱え込むことになる。僕と同じレベルの仲間は同じ職場に一人しか居ないため、どうなることかは明白だ。こんな状態で1か月半よくやってきたと思う。
 その反動が今になってやってきているのかもしれない。案の定、本当に忘れた頃に不満タラタラのお客がやってきた。ことはまだ続く。這々の体で運転免許の 書き換えのため警察へ。が、既に受け付け修了。ギリギリOKと思って取得した時間休も無駄になってしまった。
 夜からの会議のため、先に丸穂温泉へ行く。少しばかりサッパリした。
 会議は8時過ぎまで続いた。今の僕の状況から本年度の役職は全て断った。参集者には、僕の現状が理解できないでいるのであろう。この状況を説明すればす るほど、(これぐらいが出来ないのか!とばかりに)僕への避難が多くなる。これは確実だ。
 僕だけではないのかもしれない。事実、若い仲間もどことなく無口になったりしている。この状況を何とかせよ、と言わんばかりに、何とも言えない周りの目 が僕へ向けられる。
 ま、泣き言と言われるかもしれない。でも、事実だ。
 やり方が間違っているかもしれない。でも、今の陣容で仕事をするには、これまでのことを守り通さなければダメだろうと感じる。
 過去に何度も経験しているが、大きく全体が変ったときに、この時とばかりに何もかも急激な変更をやると非を見るのは明らかだ。非を見るようにした奴が現 在上のポジションにいるのがシャクだけど、非を見せつけられた職員の多くは今でも黙々と仕事をしている。僕は、この黙々と仕事をしている仲間を大切にした い。
 この何とも言えない僕の気分は当分続きそうだ。
 そういえば、夜、歌手の「松山恵子」さんが逝去、というニュースが流された。彼女はこの街の出身だ。小誌のBone's トークにも記載しているが、歌謡番組での彼女トークシーンでは方言自体が関東に近いアクセントというのがオワカリだろう。
 「あんた、泣いてんのネ、だかーら言ったじゃないの... 」という歌も聴けない。この地から出た有名人も年ごとに少なくなるな。僕も残り5年と9か月の仕事期間だ。このサイトも継続してるだろうか。継続していれ ば、No.156の最終校正をやっているかもしれない。

2006 年 5月 13日()雨後くもり
 ことは前回の日記以降、断続的に続いていた。松山恵子さんの逝去の日記の翌日、愛媛新聞はM記者が、僕の考えと同じようなことを記載していた。それで も、この宇和島では松山恵子さんを偲んで... 、などの行動は一切無かった。結局、この地方はすべからく松山しか一般の人には目に入らないのだろう。
 木曜日のNHK総合テレビでの日産のテストドライバーの特集は少しばかり気分を良いものにした。僕の行き方もマンザラではなかった、と感じたりもした。
 昨日は、思わぬことから緊張の糸が緩んでしまった。決して糸が切れはしなかったが、僕の心を大きく支配していたモヤモヤが消えた。まさか、このような結 末になるとは予想もしなかったことであった。その後は心身面で一気に緩みが来てしまった。ビアガーデンの後、思わず失禁しそうになったりして... 。
 そういったこともあって、本日は雨天の夜明けながら、実にすがすがしいものであった。もちろん、数日前から飲用している漢方薬のせいもあるが、真面目に 随分と心身も楽になってきた、と感じている。
 そういえば、昨日は酔いながらも、住吉町のホテルコーラルから2kmばかり歩いて我が家へ帰ってきたのだ。神経痛から来る脚の痛みも随分と楽になってき ている。本日も小富士商会までの往復を歩いた。多少の傷みはあるものの、随分と楽になってきている。
 精神上追い詰められても、何らかの抜け道はあるものだろう。僕は即座に精神を切り替えできないが、一時的にでも忘れる術は持っている。それが何であるか は分からないが、天性のものであろう。
 午前中から、先日行ったT-140Vのオイル交換の記事をまとめがてら、ATOK β版のテストをしたりしていたが、昼食後、テレビを少し見て若干の昼寝をした。
 ほぼ1か月間、モヤモヤに悩まされ続けられたが、ようやく快方されたように感じる。そう噛み締めた時に雨も上がった。
 丸穂温泉へ行ってノンビリした後に夕食。ようやくにして、日々の生活パターンが戻ってきたように感じた。

2006 年 5月 14日()くもり後はれ
 しばかり落ち着か ないが、徐々に普段の生活に戻りつつある。午前中はずっとPismoに向かって、T-140Vのオイル交換の顛末をタイプしていた。ATOKの次期バー ジョンのβ版だが、jyoukyouのタイプが女王強などに変換されなくなったのは特筆と思う。この件は過去Mac用のATOK 8から2005モデルのバージョン16まで延々と続いたことだからだ。長文の途中、段落などを入れると出てくる可能性が高かったのだが、今のところその症 状は出ていない。
 午後からT-140Vを走らせるのだが、最初につまずいた。何とBR6ESがイカレタんだ。ソンなバカなことがあるものか、とは感じたが、新品の BP6ESに交換した。その後は素晴らしい世界が広がった。再び大きなことを見落としていたのだろうか、ということが頭を過ぎった。
 ま、これからもテストを行わないとならない。キャブの一定結果が出ているため、以前のような苦しみは無いから、じっくりとつきあうことが出来る。最大の 目標は10月の花園村への旅だ。時間は十分にある。
 そういえば、今日は母の日だ。花園村へ最初に行った帰り、遅くまで起きていて僕の帰宅を待っていてくれた母をフッと思い出してしまった。

2006 年 5月 17日(水)雨後一時くもり
 来は昨日のうちに 免許証の書き換え、職員団体用務のスッポカシ、松山出張でのJRの車中でのことなどを記載するはずだったのだ。が、無惨にも朝食後にそれどころではなく なったのである。
 急に胃の噴門部(上側)付近がキリキリ痛み始めた。しかし、発熱もないし、食べたものを戻すでもない。普通なんだ。しかし、お腹がグルグル〜。
 我慢していたが、ここでトイレ。一体何だろう?。それから冒頭の行動状態が続いて、1日で合計7回もトイレへ行く始末であった。
 今朝も、うなされるような夢で目が醒めた後、わずかに痛みはあるもののトイレ通いは無かった。原因を追及していくと、どうやら、この間から飲用している 漢方薬の一つの効能が、僕にとっては効き過ぎ=副作用として作用したことに行き着く。
 はっきり言ってウカツであった。もう一つの効能は確かに数日で現れた。が、もう一つの効能が下剤として働いた次第だ。今さら止痢剤(下痢止め)など飲用 するのも気が引ける。ま、今のところ落ち着いている。酒はしばし中断だ。
 さて、新しいMac Bookの13インチ・ブラックモデルに触手が動いた。が、須山歯研がこのモデルのバラシを公開していたので、それを見た途端に愕然とした。これはインテ ル版のiBookじゃないか。ふざけるんじゃない。"Pro"が付くのと付かないのとでは... 。
 そして、このモデルにしては強大なシロッコファンの空冷システムをどう受け止めるかだ。裏を返せば、僕の考えでは、やはり熱対策は万全ではないな、と結 論づけた。
 この2つのことが、このMac Bookから僕を興ざめさせた最大の要因である。ということは、Proシリーズとしての小さめのサイズのMac Bookは出現しないのだろうか。当分の間、Pismo G4を愛用し続けることになりそうだ。
 と、記載しつつ、今度は胃の部分にケイレンっぽいのがやってきた。僕は便秘ではないのだし、市販の漢方薬は、ダブルやトリプルの効果を狙っているものが 多いから慎重にチョイスする必要がある。幸いにも、数年前に大手町薬局で調合してもらった漢方薬の効きの凄まじさにビックリした経験があるから助かったも のの、市販薬でも効能は1つのものを選びたいものである。

2006 年 5月 22日(月)はれ後くもり
 〜ム、解決策がな かなか見つからない。良い線まで入ってるんだが、そこが上手くいくかな、というレベルで止まってしまっている。
 T-140Vのメイン電力リークががそれである。土曜日、パイロットジェットを少し変更して、エンジンを... 。ブリッで終わってしまった。これはシールバッテリーの時でも起こってたことだったのだろう。シールバッテリーは一発でダメだが、スタンダードな液タイプ は2Aの充電器で10時間以上充電すればOKである。
 日曜日はSRで西予まで出かけて、T君にシリコン・レクチファイアとツェナーダイオードが逝ってないかテストしてもらった。いずれもOK。まさかオルタ ネーター?。帰ってテスターで確認すると4V(AC)出てるので一安心。では、T君曰く、ヘッドランプナセルのトグルスイッチか、メインスイッチが不良で はないか?。というものであった。
 しかし、それ以上に、漏れがあるとなれば、バッテリー回路にチェックのスイッチを入れるべきではないか、と考えた。
 理由は、当初からメインビームとホーンなどがバッテリーとが直結に配線変更されているからだ。おそらく、そうやって配線変更した方が、ヘッドランプの明 るさが充電量に左右されないため、としたのではないか、と考えている。
 この場合はトグルスイッチが突如不良になった場合は、電源が入ったままになるのを防止できないこと、メインスイッチを直結にされるイタズラ防止対策のた めだ。
 このチェックスイッチをいかがするか?、という最良の解決策が見つからないのである。
 もう一つは、MOTOR WORKS IMAMURAさんより、SRはどないですか?、とメールでやりとりしたが、T-140Vに多くの時間乗っていると、今のSR500のライディングそのも のが相当にちぐはぐなものになっていることを、改めて感じ始めたところだ。
 こういったことで、大半は順調なんだが、モヤモヤが晴れないままで数日間を過ごしている次第だ。

2006 年 5月 26日(金)くもり時々雨
 日までの好天はど こへやら、朝はくもっていたが、昼前から降り始めた。その雨も夕方には止む。今度は風が強くなる。九州では梅雨入りしたといっていたが、この辺も間もなく だろうな、と感じる。
 今日は金曜日だから、早いとこ仕事を切り上げて、と思ってはいるものの、どうもまずい。お互いが別の仕事をやらないと、今の陣容では対応しきれない。 従って、勤務時間内での余裕が一切無いような状況で、今日も少しばかり残り組が出てしまう。そして土日の休みにプライベートな時間を利用して自分の楽しみ などに、その時間を使うことが出来ず、ことさら体と精神を休めるだけの休日になってしま状況に陥ってしまう。この状況に気づかないないから、僕などは疲れ が後になって一気に襲ってくる始末だ。
 同時に、ここ数日間日記が記載できなかったのには訳がある。先のことに追い打ちをかけるように、一昨日は会議の後ビアガーデンでの懇親会。そこでビール をジョッキ何杯も飲むわけでもない。たまたま行った時間が遅れたために、閉店までの時間が迫る。といっても2時間はあるのだが、相手も商売だな。肴の追加 が出ない。最終の肴はソーセージばかりになってしまった。そいつを食らうばかりだ。当然、いつものように、ちっとも酔わない。
 でもって、昨日は少しばかり、お腹がお祭りになってしまう。その回復に1日を要する。おそらくリッターあたり80〜100円単価のビールであろうな。そ いつのタンクが大きいものだから、入れ替えが悪い。やはり、安酒は飲まない方がいいような気がしてしまう。今年になって2度目だものな。
 明日、明後日は松山2往復だ。行って帰っての繰り返し。ま、仕方ないよな。両日ともバスだ。この疲れが後追いにならないように、万全の体制で臨まな きゃ... 。そう考えるほど、僕も齢を重ねた、ということか。
 妙に渡辺プロの創始者のドラマが僕の心を打った。そういえば、今週月・火・水曜日、ラジオ深夜便で、館山のレストラン「コンコルド」のマスター佐久間駿 氏のナイトエッセーがあった。そう、マスターはトランスドライブの真空管アンプで有名な作家だ。以前から一度訪問したいと思っていたが、今回、氏のアンプ を通したビリー・ホリデーの歌を聴いた瞬間、一発ガ〜ンとやられた気分になった。
 久々に何か忘れかけていたものに火がつき始めたようにも感じるのだが、それにしても、この余裕のない生活はいつまで続くのだろうか... 。

2006 年 5月 28日()くもり
 応「くもり」とし ておこう。昨日は県のオリエンテーリング協会の総会に松山へ。そして、今日も連合愛媛の「いきいきフェスティバル」に梅津寺へ出かけていた。ま、仕事では ないとはいえ、連日の松山往復は少々疲れる。
 が、今日の行事は数日前から嫌な気分など一切無く、久しぶりにバス旅行を楽しむか、という気分の方が先に出てきて、こともあろうか、午前5時から目覚め て準備に忙しかった。カメラをどうするか?。久しぶりにオリンパス・ペンEE3をお供させた。
 そう、ハーフサイズだから35mmフィルムの撮影枚数が2倍になる。撮影は若干コツがいる。35mmフィルムの調子で撮影すると、カメラは縦持ちになる 次第だ。このことだけに気をつけていれば、フィルムの巻き上げとシャッターボタンを押す以外、全てカメラ任せでいい。
 到着して伊予鉄高浜線のガード下をくぐったとき、タイムスリップしたのではないか、という気分になった。そう、小学校6年生の修学旅行以来、実に43年 目にして、この梅津寺を訪れたことになるわけだ。
 会場でのショーとか、抽選も楽しかったが、ベンチに座ってジェットコースター眺めていると、人混みも気にならず、本当に回りの風景も昔のままだし、 ジェットコースターに乗っている僕自身が浮かび上がってきて、不思議な気分になってしまった。
 あの時は、梅津寺の後、松山空港へ行った。その後、今のコミセンが井関農機の工場だったから、そこの見学。そして三越で買い物をして、蒸気機関車の国鉄 で帰ってきたんだ。不思議なほど鮮明に覚えている。不気味なほどだ。
 帰りのバスの中もズ〜ットそのことが頭から離れなかった。離れたのは大河ドラマ功名が辻を見ていて、地震が起きたときであった。
 不気味なほど静かな夜の宇和島がそこに存在している。いくら南予へ助成などの支援策を持ってこようとも、ここ数年は閉塞した街になってしまうことは明白 だ。素地たるものをあまりに蔑ろにしてきた今の宇和島人にとっては、あがけばあがくだけ沈み込んでしまう。そこに多くの市民は気づいていないし。今は自分 の生活防衛のために精一杯で、宇和島を良くしよう、なんてことにはならないのであろう、と僕は考えている。

2006 年 5月 31日(水)はれ
 いもので、5月も 今日でオシマイ。僕の記憶が正しければ、第1周の連休を覗いて、その他の週の土日は雨模様ばかりではなかったか、と思う。それほど「五月晴れ」とは無縁の ようでもあった。
 仕事もバタバタしているが、少しずつ落ち着きを取り戻している。僕自身は若い新人職員に基本の仕事をやらせて内容を覚えさせようとしてはいるが、今日 やった家屋台帳整理も簡単なようで、結構手間暇かかる。
 特にここの台帳はいまだに坪で家屋の面積が記載されているため、法務局からの書類の㎡がフィットするかを確認しなければならない。家屋番号にしても修正 前の番号のままになっていると、今の台帳のあるべきところにないため、それを探し出すコツが必要だ。これを若い職員にやらせても、僕への質問の方が多く なってしまって、僕自身の別の仕事が出来なくなってしまうから元の木阿弥になってしまいそうだ。そのため、黙々と400件分の大半をこなすことになる次 第。
 もし、これが分散して作業できれば数時間で終了してしまう。それ以上に、こういった台帳整理を若い人が拒むのは、古い字(あざ)が読めないし、文字が汚 いから(と思いこんでいるのだろうが)ペンで台帳へダイレクトに記載したがらない、という状況も十分に感じられる。
 そんなこんなしていると、職員団体の件で今週末は金・土と松山。来週の月・火はこちらで会議。全く自分のための自由な時間が取れない。これが僕だけのも のではない。自治体合併後、職員の大半が味わっていることだ。自治体合併は何だったのか?。絵に描いた餅以上に、シナリオ通りには事は運んでいない。それ 以上に、ひどくなる一方だ。そんな中で市民対話集会に職員が出向いていくものか。
 ふと、昨年の日記をひもといてみた。そこには今よりも生き生きした生活の記述がある。
 今の市政では、おそらく今の状態以上に悪い状態がこの宇和島に根付くことになるのは明白だ。一切銭を入れない。無駄遣いはしない。大いに結構でしょう が、ゼニのない時だからこそ、集中してゼニを投入するもの数点を決定し、3年程度で切り上げ民間に委ねるようなことを行わなければ... 。

2006 年 6月 1日(木)はれ
 月になった。僕は 5日で55歳を迎える。この1年間はこの仕事に就いて数度あるかないかの僕を退職に追いやるような、それでいて回りは気にしない、などという重要な状況に 陥った。ほんの数数週間だけなのだが、僕の心身を相当に蝕んでしまったように感じる。
 僕の経験からすると、通常の退職後64歳頃に別の形で僕を襲うことになるのであろう。この年代に他界する元の仲間が非常に多いのである。これは、僕のよ うに趣味があって... 、なんていう方々でも乗り切れない。いつも「まさか、あの人が !?」なのである。真面目に、このパターンが非常に多い。
 昔の人がいったようだが、こういった節目の一つ手前の歳にクタバル人が多い、と。今日も追い打ちをかけるかのように、仕事のことで痛い目に遭うことが明 白になった。ホントに辛いんだよな。平身低頭、こちらの言い分はいうことが出来ないんだから。
 話変わって、荒川静香の女優ぶりは素晴らしかった。ドラマ設定の時間が2時間枠だったら素晴らしい面がもっと出たのに... 、と感じた。あれだけクールにやられると... 。ホント、検事ではないけど、彼女の演技同様にモノホンの人を僕も知っている。ドラマの最終でもあったとおり、仕事を外れると、外見はそのままだけど、行 動などは全く変わる人を知っている。
 はにかみも何もない。彼女は自然体と言ってはいるような素振りだが、おそらく、想像以上に相当に苦労していると思う。しかし、これから女優業をやるとな ると、僕はものすごく期待感が高まるのである。何をやられても全く動じない殺人犯とか、非常にクールに見られているけれど、心は相当に温かい女性とかの役 をやらせると、凄まじいことになるのではないだろうか。もっとも、彼女のイメージダウンがつきまとうから、上記の両面を当分の間演じることにはならないだ ろうけど。
 その後のNHK総合テレビ、仕事のプロフェッショナルでのサッカー熱血先生見てたけれど、素晴らしくうれしかったね。
 が、あれは学校だから出来ることであって、校門を一歩出れば社会全体には通用しない。ここんとこの両立は、いまだに確立されていない、と教師の端くれの 僕でも、このことは確信している。

2006 年 6月 5日(月)はれ時々くもり
 明に2度ほど目が 醒める。昨日は自転車で10km程度移動したので、疲れたのだろうか、午後10時頃バタンキューになってしまったから、途中で目が醒めるのだ。
 午前6時、寝覚めはイイとはいえない。そのうちの一部は、職務上の問題だ。こればかりはどうしようもない。新しいシステムになって頻繁に出ていることだ から、この1年間はどうしようもないことだ。むしろ、これは合併1年目で完璧はありませんよ、と割り切らないとならない。
 今日は僕の55回目の誕生日だ。不思議なことだが64年前の昭和17年の今日、ミットウェー海戦で日本帝国海軍が大打撃を食らった日だ。昨年までは、こ れを少なくとも数回は出していたが、今年はそれがなかった。
 が、そういったことを凌ぐようなニュースが流れた。村上ファンドのボスが逮捕、秋田の少年殺害事件の容疑者逮捕というものだ。
 ま、かたや64年前ではあるが、国の運命を変える出来事なのに、そのことの真相はいまだに全容が不明である。この戦いに参戦した兵士の大部分は現在他界 している。日本の真珠湾攻撃はアメリカでもパールハーバーの件で良く語られるが、このミッドウェー海戦の真相はまるで断片的だ。古いアメリカ映画でさえ、 勝ったアメリカ側の主観で描かれている。
 来年は、この戦いから65年目に当たる。僕の予想では何かしらの動きがあるのではないか、と感じているところである。
 今年は、くだらない戦艦大和の映画が創られて、多くの観客を動員したようだ。が、僕はあんな簡単なものではない、と確信している。これとて真相は大部分 が明らかにされていないのが現実だろう、と感じている。
 今国会で、憲法関係、教育基本法関係は見送られたが、騒乱罪云々はどうなるか不明だ。
 と、こうやって記載していたATOKの次期バージョンのβ版が不調になった。そろそろintel MACをどうこうする時になったのかもしれない。

2006 年 6月 6日(火)はれ時々くもり
 前中に仕事上での モヤモヤが晴れた。課長共々で出かけての説明であったが、事なきを得た。僕自身は説明の詳細に止めたが、我々から嫌われている相手でも、話せば解るもの だ。先に悪い方へ向けてしまう僕自身の状態を変えなければならないな、と感じた。
 この後はトントン拍子に進む。これはこれで良いのだが、仕事を終える1時間前になって、係間での学習会をやるっていうことで、こっちはその準備に大わら わになってしまった。現実に僕が講師だからハガユイ気分がしないでもないが、現在の仕事内容だと、係が違うと月とスッポンほど仕事の理解度が異なる事実が 存在する。その垣根を少しでも埋めるためだから、極力その方向へ向けての準備、ということで、過去の資料をまとめ上げた。
 夜、T君へT-140Vのカットオフスイッチについて質問をする。自動車用で良いものがない、となると、ニチカイ(日本開閉器)の高価なスイッチを持っ てくる。結線の処理はハンダ付け。そのカバーはホットメルト。
 エッ、何だって。マジそう思った。防水はホットメルト?。そういえば、妻のATVのシールバッテリーの端子もホットメルトカバーなのを思い出した。ス イッチの件はともかく、こういったノウハウを知っている友がいるのは心強い次第だ。
 昨日、ATOKのβ版の不調を記載し、2005に戻したが、かえって快調という皮肉な結果になった。
 夜、上戸彩主演のキャビンアテンダントのドラマを見る。どうして実習生にしないのか?。その訓練をやる教官に対して文句は言うが、自分がダメということ に対して、誰かがサゼストしてくれるはず、と思って、井上順の役所どころを考えていたが覆された。整備士である仲間内の航空大学卒業生にフライトさせても らって開眼したのだが、この辺が日本のドラマづくりだろう。チャングムの状況とは大きく異なる。
 が、ドラマを見て、教官や、アテンダントの卵にサゼストする人のことなどの考えを持つということは、僕自身そろそろ管理職の道を辿るようになったのだろ うか、と考えた。
 しかし、退職まで5年。僕は今の係長の方がフィットしている。もし管理職の話が出ると、僕はお断りすることを決めている。
 にもかかわらず、チャングムのような韓国ドラマのようには一切ならない不思議な面も体験した次第。

2006 年 6月 10日()くもり時々はれ
 々に何もかもが無 い梅雨寒の涼しい朝であった。実のところ、SR500に対してのモヤモヤが消えていなかったため、SR関係の本文中の記事も更新できずにいたところだ。
 僕の思いだけかもしれないが、今はないトライアンフ T-140Vのあれこれを記載しても、その道のエンスー、あるいはファナティックスにしか興味がないところだろうから、訪問者の方々も限られることになる のだろう。仮に、今のSR400を購入して、その記事を毎月のように記載したら... 、と考えたが、もはや僕の技量では今のSR400に、これまでの記事のように手を入れることは通用しないであろう。逆に考えると、今のSR400をどうす ればより良いものに仕上げることになるのか、を僕が手を下したことのまとめとして記載すればいい。おそらく、SR500とは相当ニュアンスの違ったものに なるのだろうな、と感じるところだ。
 が、再び400を購入してやってみるか、にはならない。それ以上に今持っているSR500の方が楽しいからだ。
 モヤモヤは午前10時半に解消した。モヤモヤはハンドルバーにぶら下がるライディングスタイルによってフロント荷重が少なくなる。その結果生じるリアホ イール主体の走行状態を何とかしたい、ということである。
 どうやったかというと、これは次号でも詳しく記載するが、純正のシートに戻しただけで解消した。と、同時にコージーシートの思わぬ欠点を発見した次第 だ。
 もう一点は、SRのテストラン以外、朝の7時から日記を記載している午後11時過ぎまで、Pismoを立ち上げて、文章をタイピングしていたことであ る。
 この作業は、Mac用のATOK 19のベータ版のことである。その不思議な状況をジャストシステムにメールしたら、リサーチした結果を知らせてくれ、と来た。
 ことが起きたのは6月5日の誕生日だ。おかしな現象が出たので試用をあきらめ、すぐさま正規版の2005に切り替えたので、ジャストシステムからの質問 に対処できない。
 そのため、本日再びベータ版に切り替え、1日中Pismoを立ち上げて、僕があらゆるソフトでSR500でのモヤモヤのことなどの文章をタイピングして いた次第だ。その結果をジャストシステムにメールして、モヤモヤの一件の原稿を纏め、この日記を記している、といった次第である。
 まぁ、疲れるな。若い頃だと、この程度のことは直ぐにでも解消するが、我々の年代になると、月曜日ぐらいに反動がやってくる。これまで肉が多かった食餌 内容だったが、本日は妻の特性お好み焼きが夕食であった。そしてATOKのテストが一段落したので、一人で結婚記念日のお祝いを酒道場でやった次第。もう 29年も経過した。お互い空気みたいな存在になってしまった。来年の今日は何かしないとならないな。
 チャングムを見てオヤスミすることとしよう。

2006 年 6月 13日(火)はれ
 ヨ〜ンとした暑い 1日であった。そもそもこの何とも言えない気分は昨夜からのことだ。サッカーワールドカップ、日本VSオーストラリア戦で、後半10数分で2点を上げられ て日本が負けたことだ。僕はさもありなん、と感じていた。負けは負けだ。予想から言えることは、このまま3敗するかもしれない、という気分が相当大きく頭 の中を支配した。
 で、本日を迎えるのだが、これが冒頭の天候と合わさって、職場の中でサッカーのことがひとこともでなかった。あれだけ熱烈なファンでさえ、不甲斐ないと いうか、そんなような、その上に予想が全く変わったことなどなどが重なって、憤懣やるかたない、といった状況から始まったのであった。
 管理職のコンピューターから議会答弁の様子が流れてくる。えひめ丸事件からホノルル市と姉妹都市となったから、議員と関係部長と課長はアロハシャツだ。 これがね、どうも似合わないんだよな。ジミ〜なカラーリングだから、年齢以上に老けて見える。おまけにダークなボトムだから一層そのことが協調される。
 議会が終わると、再び白のシャツに着替えるだろう。これって、おかしいよな。せめて、議会の開会中なら、議員も関係管理職もアロハで通せばいい。我々金 曜日のカジュアルデーでも、アロハを着てくる奴は居ないんだからね。
 家に帰ると、テレビは昨日のサッカーの件での話題ばかりだ。的確に昨日のことを見てるサポーターは一切いないし、新聞報道なども、かなり醒めた見方をし て記事を出しているのは、サッカー専門紙だけのように感じた。1勝を上げることは相当に難しい。4年前に地元でやったワールドカップで既に経験しているは ずなんだけどな〜。
 午後11時前に少し赤い月が出た。今てれびでトーゴVS韓国のゲームをやっている。トーゴが1点を前半の30分台でゴールした。今夜の赤い月とか、この 間の地震など、どうも自然から受ける気配がおかしい。
 キカイものではあるが、今日は再びATOKのベータ版が変換しなくなった。今回はインストールしている大半のアプリで確認したが、その都度リスタートす るのはどんなものだろうか。試用がもう少しの期間だからガマンするか。

2006 年 6月 15日(木)雨後くもり
 夜からの雨は少し ばかり強めに降って、夕刻に上がった。風が少々あったが、職場はジト〜っとしたまま。少しばかり僕もモンクが言いたくなる。僕からすると、職員の大半は身 体の新陳代謝が悪いんじゃないか、と感じてしまう。
 それ以上に来庁者に対して失礼だ。としたときにメールが来た。冷房を入れるか否かは、出された申請書によって、庁舎管理者が決定するというものだ。オ イ、本庁はどうするんだ?。ここの空調マシンはパッケージ1台ごとに電子頭脳を持っているタイプだし、個々のマシンを勝手に制御でsきないんだ。説明には 28℃以上で湿度70%とある。これまた、どうやって計測するんだろうか?。寒暖計も自動制御を解除するシステムもないはずだ。全くナンセンス。それゆ え、僕がブツクサ言っていたわけだ。
 午後から冷房開始になったが、完全に温度設定が高い。ウチの職場はパソコンが18台。レーザープリンターが5台。これだけが常時稼働しているのである。 間仕切りがないから、フロア全体ではパソコンが65台ほど、プリンターが15台程度常時稼働だ。その発熱量たるや、どういったものかお分かりだろう。そう いえば、昨年の夏はメインコンピューターが熱暴走したことがあった。そんな環境で28℃の設定は通用しないのである。
 冷房が入るまでの僕のボヤキには、もう一つの理由がある。腹具合がおかしい。その理由がはっきりしなかったが、どうやら、昨夜食した室温のままで保存し ていたチルド餃子がイッテたようだったのだ。腹具合のおかしいのが末端まで到達する。コイツが辛いんだな。
 そんなこんなで、帰宅後しばらく休んで丸穂温泉へ行き汗を流した後、Pismoのオーストラリア向け電源コードを試す。詳しくは次号ででも紹介したい が、なかなか調子が良い。
 今の時点では僕の推測だが、ヨーヨー型のACアダプタは特に、通常のコネクターを持つ電源コードのプラグはアースライン付きのプラグアダプターを介して AC100Vを受給した方が良いように感じた。同時に、国内用の二股プラグはMacにはフィットしないのじゃないか、とも感じられた。

2006 年 6月 17日()雨後くもり
 から生憎の雨、1 日中家の中にいた。ケイタイのiモードがよろしくない。操作が満足にいかない。会社の方もケイタイが主になると、料金設定なども全てケイタイが主なのだ。 僕自身はPCの方がメインだから、ケイタイのパスワードなどでも、当方のPCへのメールにしていただければ非常に助かるのだが、まずはケイタイへ。
 で、その操作に大わらわ。真面目な意味で、ケイタイにアダプターなどを介してでもいいから、キーボードが接続できればいいのに、と考えるところである。
 Pismoも快調だ。不思議なぐらいに。もっともATOKのβ版はバグが出るかでないか判らないけれど、今のPismoのベースのオーストラリア向けオ バケ電源プラグの調子が抜群に良い。それに初期の電源コードの状態も国内向けとは若干違う。iBookのコードで確認したい。
 どうも体の変調が収まらない。この前も記したが末端部分へのカスの到達が一様でない。そのためガスが発生したり、出し残りがあったりなど、昨日は5回も トイレでお座りしてしまった。
 その原因は夜になるまで判らなかったが、どうやら水分不足のようであった。つまり、ここ最近は酒を飲んでも、その後で水を飲まなかったから... 。
 食事に時間をかけないことに加えて、水分補給不足がこういった結果になったように感じる。

2006 年 6月 20日(火)はれ
 額だけど、うれし い給料日。が、不満はある。生活費を口座へ入れて一安心。ニコンF2のバックプレートの落札代金を送金して、これまたOK。
 が、午後に嫌なのがやってきたね。それは公共下水道へのダイレクト接続の件。  
 我が家は水洗だ。単独浄化槽だが、店をやっていた関係で大人数の便槽が埋められている。その上に軽四のダイハツ・ムーブが止まっている。コイツをいつ何 時使える状態での近所のモータープールが見つからない。工事の全てに満足がいかない原因がここにある。
 もう一点、宇和島市の大いなる失敗は、どうして接続に関しては「公共下水道の完全整備までに接続をお願いします」ということにしなかった点だろう、と僕 は考えている。
 現実に水洗であろうと思われるテナントが未だ簡易水洗。そこは公共下水道接続可能場所。業務が出来ない間の補償はどうする?。そんな中、どうして役所の 職員に先にやらせようとするのか?。
 もっと遡ると、今は退職した管理職が説明会で言ったコトバ。便所が使用できない工事期間はどう対処すればいいのですか?、に対して「隣のトイレでも使わ させていただいて... 」と彼は確かに言った。その時、百人近い市民が聞いていた。
 現実には合併前の旧宇和島市の一部でしか公共下水道は通っていない。溝一つ隔てて、こっちは通っているが、あっちは何時になるか判らない、の地域もあ る。
 そんな矛盾だらけの公共下水道の状態で、その接続に市役所職員自ら率先して... 、は少しばかりおかしいのではないか?、が僕の言い分である。
 僕の考えが間違っていると思う方がいらっしたら、アーケードに軒を連ねる家屋のどれだけが公共下水道につながっているか、を調べていただければいい。信 じられないだろうが、その大半は接続はおろか、大半は簡易水洗、汲み取りのトイレ環境なのだ。
 店の中に汚水マスが設置されている高級ブティックで、日中、数日間にわたって工事が出来るか?。たとえ夜間工事でも、その差額賃金を支払えるだけの店は 今の商店街にはない。
 こんな現実を無視してでも、「ぜひ、接続をお願いします」と仲間の職員がローラー作戦とやらでふれ回る。悪いとは言わないが、根本としては、通っている ところから始まっての、この地域の工事完了など、期限付き条件などが全く揃っていない公共下水設置環境の現状は一切報告されていない。それは行政の計画ミ スであり、それを修正しないところにある。そのトップは市長だ。
 もっとも、僕の場合は工事費が安いし、軽四の問題が片付いたら工事をやるけれども、これまで記載したように、これは相当に不公平感が強い、と言わざるを 得ないのである。
 帰宅して、ニコンF2のバックプレートの落札についてメールが入っていた。これで僕のF2はモードラ化が完了になる。実に30年目にしての結果である。 これはいずれ本文で。
 ジャストシステムからはATOKのベータ版の云々が再びメールされてきた。すごくうれしい気分になった。僕はSE(システムエンジニア)みたいなユー ザーではないけれど、一般ユーザーに対してサポート云々でこういったメーカーとのやりとりには一種の喜びも感じる。
 そういった中でのATOK使用環境でのおかしい動きだから、何とかこちらとしても一定結果を報告したくなるのである。まさに、ン〜、少なくともスクリプ ト打てる人なら解っていただけるだろう、と感じるにとどめておきたい。
 ウッ、となると、毎日3時間程度Pismoを動かさないとならない。このことをすっかり忘れてしまっていた... 。

2006 年 6月 22日(木)はれ後雨
 日、ヤフオクで落 札したニコンF2用のバックプレートが到着した。外は綺麗だ。がフィルム面の中は最高に綺麗。少し高価かな?と思っていたが、安心して交換できた。構えて みると「イイ」。グリップ感もいい。考えてみれば、F2のシステム化は実に30年ほどかかっている。
 僕は右目をつぶる。そのために、軍艦部分が左に寄ったFシリーズでは、右手親指のツメの部分が右のホホに当たる。今回のバックプレートはグリップ部分が 存在するため少しばかり不安だったのだが、気にするほどでもない。むしろ、右目の下まぶたと鼻骨の上の部分に親指の関節が当たる。そして鼻先が当たるか当 たらないかの寸前でファインダーを覗くようになるから、一つのゲージになる。グリップ部分ほんの5mm程度の厚さだが、結構いいものだ。左目をつぶるスタ ンダードな方なら全てに満足できる結果となるのであろう。
 そんなことがあったのなら、昨日の日記に記載するはずだろう、と思われるだろう。ところが、26日に来県する社民党の又市幹事長の受け入れ作業に東奔西 走やってたものだから、帰宅してもガクンとなってしまって... 。
 なにしろ、当日、僕は高松出張のため、職員団体のボス不在の中での準備だから、気遣いも大きいものになってしまうのである。
 そういえば、昨日は夏至だったよな。地軸の傾きから、そんなに昼間が長いとは感じない。宇和島では、昼の長さが、もう少し遅くまで続くように思う。が、 一夜明けると午後から雨。
 前線が南下、っていったって、今日は本当に北から下りてきた。気圧の変化だが、オーヤンフィフィの「小糠雨降る御堂筋... 、南へ歩く〜」みたい(古〜)。どうして南へ歩くのか?。あれは一方通行だから、という事実を見せつけられたこともあったが、まさにそれ。それが地球の自 転と合わさっての動きだから、松山は雨なのに、こちらは降ったり止んだり、という具合。天気予報もネイティブな奴が解説しないと少々ポカミスをやるときが ある。現実に、早朝の予報では午前中から雨をだしていた。
 が、実際は「はれ」から「くもり」を経て「雨」になったんだ。これが当たったのは宮崎か大分であった。
 こういったことも今の若い人たちには漁業関係者を除いては必要のないものになってしまったようだ。

2006 年 6月 24日()くもり時々雨
 際のところ、天気 の状態は逆かもしれない。が午後からは、ほとんど雨は降らなかったから、これでいいか。
 昨夜は興が乗ったのかしら、久々に午前様になってしまった。現実には、日中、誰一人として「サッカーの奇跡」を口に出さなかったことからだ。あれほど評 論していたサッカーファンもクシュ〜ンとしてしまっている。確かに、親善試合のドイツ戦で「後半はあの程度にしていないと、けが人続出だった... 」といっていた。第一戦のオーストラリア戦も同様にその日の朝から何も言わなくなった。
 いずれにしても、ブラジル戦は凄かった。相手のサッカーに対する全てが違う。過去、我が国に芝生のグランドを、とか、底辺の確立のためのスポーツユーゲ ント(現 日本スポーツ少年団本部と下部単位組織)づくりなどなど... 、こういったことをやったが、経済そのものが低迷したら、こんなものは生活の足しには何にもならない、とばかりに、ブッタ切られた。それに今の経済状況。
 そんな中でのナショナルチームだし、よほど突拍子のない監督でないと勝てるわけがない。結果として、国内のサポーターにしても、少ない単位での批評なり は出るが、4年後の予想などは一切無い。これが今のサッカーに対する日本国内の状態であろう。もう一点、ジーコ氏の去就だが、誰も養護しない。ま、これ が、今のサッカー界の状況なんだろう。
 夜は一つの事件が僕を震え上がらせた。それは、お隣の八幡浜市民病院での事件(?)だ。これが起訴され刑事事件になったとき、当該の職員はどうなるの か?真の責任は誰になるのか?。こういったことを考えると、やりきれなくなってきてしまうのだ。
 加えて、ウチ。合併前の三町の夏祭りの行事参加について、主催が市の場合の対応に不満があるところがある。なら、理事者に言ったら?、と僕が気軽に言っ たのだが、ハイ、わかりました、と返答はあったが、実のところ、受け取りは全く異なっていた。
 それが出来るのなら苦労はしない、という。人事課長など雲の上の存在らしい。したがって、職員側のボスである僕がその役をやらねばならないらしい。そう いったことは僕はしない、という対応に不満だって、そんなことから、組織を離れる奴がいる、という。
 それは、考え違いではないか。対等に合併して、課長、課長補佐など、本庁と支所とで違うのはおかしい。その件で僕がいちいち出しゃばるのは、余計におか しい。こういった、初歩的なことでも頭を悩ます。
 実際、職員全員が行政における職階は分かるが、同じ職員ではないか、たとえば、個人の問題として自分の給料などでおかしい、と思えば、人事課へ電話の一 つでもできないのだろうか?。が、どうやら、実際は立場が違うらしくって、そんなことは「絶対」に出来ないらしい。
 現実として、それらのことが数十人の規模に発展して、個人レベルではどうにもならないときに組織として動くのではないだろうか。
 このように、実際バカげていると思うことが細々と存在する現実。旧宇和島市と旧3町に、これほど格差がある実際をどうやって解決するのか。間もなく合併 1年目、前途多難だ。

2006 年 6月 25日()雨
 本当に、つかの間の曇り空を除いて雨が降り続いた1日。その、お昼過ぎの曇り空の中、自転車でかけずり回る。明日は高松出張なので、又市幹事長の件の引 き継ぎを文書にしておかなければならないからだ。
 1時間程度で修了。昼飯の仕入れと再びの降雨に対しての時間稼ぎで、あわてて商店街へ走り込む。思った通り、帰宅間際に再び降り始めた。この雨が止んだ のが、午後8時過ぎ。
 朝からず〜っとPismoを立ち上げている。思いの外快調だ。ジャストシステムとのやりとりの結果を出さなければならないからだ。そろそろベータ版の試 用期間が終わる。
 午後9時近くになってP.T.Kの不調が起こり始めた。全く久しぶりのことでしばらく状態を観察していたが、ヒートシンクの近くで熱に炙られるため、リ ボンケーブルの可塑剤がぶっ飛ぶ。あるいは、内部の銅の導通体(いわゆる銅箔)が、この発熱と電気が流れることによって起きるストレスからの劣化ではない か、ということから、マザーボードとのコネクター、そのリボンケーブル部分がダメになりつつあるのが分かった。
 早速ストレスフリー化の対策を行った。この件は、今までの考えを少しばかり変更しなければならない。ま、早ければ次号で報告することとしよう。今度のレ ポートは本当に最後のようだ。
 こういったことを考えると、純正のすばらしさをつくづく感じる。実際のところはキーボード自体、消耗品なのかもしれない。チト言い過ぎかもしれないが、 ほどよく使い馴染んだキーボードを数枚ストックしておく必要があるのかもしれない。

2006 年 6月 28日(水)小雨後くもり
 当にマニアック、 なおかつファナティックスよりの報告を今日は行わなければならない。再びやってきたか、と感じられる方は、僕のPismo情報を一読なさっている方か、マ ジで真のエンスーかもしれない。
 そういったところで、昨日午後10時を大きく過ぎた頃、嫌〜な黄土色の縦帯が出現したからだ。やはりダメかな、と一瞬感じた。現実に最初のモデルは、前 のPower LubでのBTOであった。その後、オーストラリア向けの同機種を購入。
 ところが、全く同じ状況が出ているではないか。僕自身は自分を疑ってしまった。
 もちろん、パワーマネージャーのリセットなどやった。が、どうしてもダメである。ところがOS 9では比較的影響がない。不思議なことだ。現実には、今のご時世からすると、この手のPower Bookではハードディスクに二つのパーティションを切ってシステムを二つインストールするのは邪道かもしれない。仮に良しとしても、容量がもう少し必要 なように感じる。
 二つの方法が考えられる。まずは、Mac Bookを購入すること。これはOS Xでしか動かない。Mac OS 9で使うときはこのPismoを動かせる。その上で、完全動作するPismoを1台購入する。
 バカげているかもしれないが、日常業務にまでディスプレーの悪影響が出てくると、作業をどうするか、まで考えねばならない。
 ウ〜む、困ってしまった。

2006 年 6月 29日(木)はれ時々くもり
 退庁後、お風呂へ 行って汗を流す。帰宅して祈るような気持ちでPismoを立ち上げる。いつもの起動音、ログイン画面。デスクトップにアイコンが並んだところで、テントウ ムシのグリーンのものに変更する。
 午後6時半から10時まで異常なく動いている。すでにもう1台のPismoを物色中だったが、少しばかり様子見になってきた。再び起こった例の症状は何 が原因だったのか?。そう、うすうす解りかけてきたが、ここでは出さない。
 そういえば、2004年の7月に前のマシンで起こったんだ。それから今のマシンに変更して2年目。マジでよく持っていると思う。
 今後とも僕の秘書みたいなもので、これからも過不足無く動いてくれるよう祈らざるを得ない。いずれにしても、そろそろMacBookを導入しなければな らない時期になっていることには違いない現状がそこにある。ま、Pismo用夏場の補機類などは、小誌の次号にでも掲載したい。
 少しばかり安堵した。

2006 年 6月 30日(金)くもり時々雨
 ムンムンムレムレ、暑い。蒸し暑いのだ。雨が降っていたので徒歩で職場へ出向く。風を感じたのは職場の前と、着いてからの非常階段のおどり場というお粗 末さ。本当に感じようにも全く風がないのだ。幸いにも定時の前に冷房が入ったので助かった。一日中室内にいたのだが、これが次への体の不調を訴える。そこ そこ職場でも動かないとならないな。
 そんな中で打ち合わせをしたのだが、今まで盛んに文句言ってたのが、少しばかり持ち上げてやったらモンクの一つも出ない。人間なんて... 。
 この間ネットで見つけた「野路由紀子」さんのCDが届いた。早速iTunesでPismoに記録してiPodへ移す。こういった作業をやっていると、 iPodは本当に最初の5GBの製品までサポートしているように感じる。
 ジャケットの顔など見ていると、僕より1歳下だけど綺麗だな。姿も昔と変わっていないし、楽曲の歌い方も相変わらずだ。ま、少しばかり節の部分などは年 相応かな、と思う。いずれにしても、久しぶりのことで、うれしかった。
 と、気分良くタイプしている。そう、Pismoの画面も変化がないんだ。一昨日の件は... 。ン、およそ解り始めた。これは次号で。
 それにしても、今時、僕のようにPismoを酷使しているユーザーは多いのだろうか?。絶対数は多くないが、僕がMacBookの黒を購入したら... 。
 ま、およそのことは解るだろうが、ちょうど6年前の今頃、Pismoを購入した当時へ引き戻されるような気がしてならないのである。


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