2006.1.1〜3.30

2006 年 1月 1日()はれ時々くもり
 けて元旦。昨夜来 の微雨も夜中のうちに上がったようだ。朝はいつも通りに起きて、しばし新年の早朝というものを味わう。郵便受けにカタッという音がしたので年賀状が来たこ とを知る。60通程度であった。我が家は昨年の1月に義母の死によって年始のあいさつを遠慮しているが、相手が丸1年の経過を素直に受けとるったって難し い。したがって、来るものは拒まずとして、命日までには数日早いが、松明けにでも出したいと考えているところだ。
 10時からは恒例の五社初詣サイクリングに参加する。毎年のことながら、初詣の客を見ると、なかなかおもしろい。今年はおそらく二極になっているのだろ う。一つは「景気も回復状況だからよろしくお願いしたい」であり、もう一つは「全くダメだから何とかしてくれ」だろう。僕はどちらにも属さず、今年も生き ています。ま、よろしくお願いしますね、といったところでに二礼二拍手一礼をする。
 帰宅して、昨日洗濯した、テリオスIIのヘルメットの内装を装着する。そろそろ3月の四国自動二輪交友会のことを考えないとならない。早くも1年の経過 が感じられる。今年の会場は香川県だ。
 夜はNHK教育テレビの「拘り私の人物伝SP」を楽しませてもらった。この日記の後は落語特選で楽しませていただくこととしよう。そしてオヤスミ。
 理由は簡単。明日は箱根駅伝の往路レースだ。この番組にフィットさせるには昼食までの準備をレースのスタート前にやっておかなければならない。レースを 見る側にもそれなりの用意が必要という、これまた恒例の年始の行事である。
 Japan As No.1の著者、ジェームス・カーカップ氏が触れていたが、見るスポーツというのも存在することがこの2日間で理解できるはずだ。今日の天皇杯サッカーの 決勝以上に。

2006 年 1月 4日(水)くもり時々はれ
 変わらず日中も気 温が上がらない。昨年の長期予報によると、本年雄冬は「暖冬」という予想であった。全く当たっていない。
 本日も「見込み」とかいう、県の要求を満たすために、その作業に同僚が努力している。こういった書類はこちらの実態と予想を加味しつつ、それを現実と極 力フィットさせるようにしているのはいうまでもない。
 が、県はそうではない。提出された書類に目を通すのはもちろんだが、その後がいけない。それは地域性を全く無視するかのような間違ってるという「断」を 下す。
 ことに困るのは、それを断ずるため本庁から来る輩である。この中にハシカユイのが居ると、こっちも喧嘩をやりたくなるのが常だ。こういったのが国の機関 に出向くと我々以上に遜ってしまうのだから、何をか況やである。
 僕はこういった気分を数年感じることになるのだから、密かに今の職を辞したいとも考えている始末だ。本日は一人の係員がうまいこといったので助かった。 「数字はあくまで数字ですよ」と。数字の羅列の書類は決して正しいか否かの判断は出来ない。あくまで「予想」だもの。
 同時に僕の悶絶状態が快方に向かった。真面目に正午から午後2時までは悶絶状態であったのだ。
 耳鳴りがしたり、動機が強くなったり... 、全く死を感じたところだ。ウソではない。胸はハタハタするし、首筋は痛くなるし... 。
 午後2時を過ぎると、喫煙場所である室外の踊場へ出る職員が多くなった。フッとしたときに汗が一気に出だした。同時に悶絶状態から解放された。
 決してウソではないんだ。室内が乾燥しきってしまって、紙で手が切れるほどの状況の職場なのである。そこへ喫煙者が増えると、ドアの開閉で外気が入り込 む。それゆえ助かった、と感じたところだ。
 じゃ、水を飲み続けたら... 、とおっしゃるだろうが、簡単に水槽から落下してくる職場の水をゴクゴク飲めるわけにはいかない。
 ま、午後3時以降、昼食時のお茶をペットボトルに詰め替えして飲用し、事なきを得たが、職場の異常とも感じる乾燥状態は考えものである。
 家に帰ってシャツの襟を見ると真っ茶色。ホント、大変な仕事始めの1日でした。

2006 年 1月 7日()くもり後みぞれ
 変わらず日中も気 温が上がらない。と、実際に4日と同じ表現でしかない。それほどの冷え込みなのである。ここは南国だが近隣ではスキーが出来る。ただし、おそらく其所へ自 動車では行けない状態になっている。それほどの天候なんだ。
 午前中は少し職場へ行って残務を少し。11時を過ぎると気温が上がるはずなんだが、RC構造の建物はその逆をていするため、家に帰った。マジで気温は一 向に上がらず、とうとう夕方からは雪になった。
 そんな中、小誌のアップロードを行う。比較的簡単なんだが、寒さも手伝って少しばかり時間を食う。
 この天候のため丸穂温泉へも行けない。我が家のユニットバスでは体が温もらない。やむなくアルコホールのご厄介になって一服。帰宅すると妻が増水を作っ ていてくれた。通常なら「七草がゆ」だろうけど、ま、それに近いものとして、3杯ほど食して満足。歯間ブラシをシコシコやって、一服。
 その後、昨日ヤフオクで落札したP.T.Kが届いたので、装着して結果がOKであった。これは僕の保存用としておきたい。
 欽ちゃんの仮装大勝を見ながら、随分と落ち着いた週末を過ごしている。それにしても、この天候では明日、明後日は休日でもどうしようもない、のかもしれ ない。

2006年 1月 11日(水)はれ
 々に晴天を味わ う。しかしながら、朝夕の陽が出ていない時の寒さはマイナスを示す。南国の状況とはとても思えない。が、「お多やん飴」の話題をテレビで知ると、松山とは いえ「椿さん」の祭礼を迎えなければ暖かくならない、は今年は素晴らしく的中しているように感じてならない。
 出勤して朝の恒例は、僕専用の端末で「Macお宝鑑定団」を覗くことから始まる。本日のハイライトは何と言っても「Mac Book Pro」という、Appleがintelチップを搭載した初のノートのリリースを2月に行う、というものを見つけたことだ。
 早速Appleのサイトへ飛んでみると、なかなかのものと解るが、フッとPPC 601を搭載して世に問うた7100のリリースの時を思い出した。漢字トーク7がMC68040はまだしも、MC68030では処理能力が... 、とされて、ここから全てのMacがOSの数字が増えると同じく変化した。その最初の7100とSystem 7(漢字トーク7)の時を思い出した。
 ここ最近ではクラムシェルのiBookのリリースの時ともよく似ている。いずれにしても、今のAppleの方針かもしれないが、一定、今の筐体に近いも ので、新機種になっても旧機種との歳を少ないものとして、より高性能を目指したのではないだろうか?、と考えた。
 欲しい!、と一瞬は考えた。が、急激にその気分がしぼんでいく。
 Macお宝... 、の記事中にMicrosoftがMac版officeを開発し続ける確約をした、というものもあった。すでに、Jeditもintelチップに対応する ようにしている、という通知も受け取っているため、かなり早い時期から、intelチップに換装してからの対応は、各ソフトメーカーの開発分野では理解で きていたのではないだろうか。
 ハードにしても、OS Xも10.4.4だ。最終数字が9に近づく頃になると、変わるかもしれないが、7100、iBookの時が重なってしまって、僕のPismoでも今のとこ ろは十分、と考えたからだ。
 仮に購入を決意!、となる直前で待ちかまえている重要問題は「発熱」である。この問題が涼しい顔して動き続ける策がニューマシンに備わっているかどう か。また、直ぐさまモデルチェンジしないかどうか?。これらがクリアーできれば「買い」のマシンかもしれない。

2006 年 1月 14日()雨後くもり
 が家は鉄骨・コン クリートブロックの家だから、昨日同様に、中は冷たくて、外は暖かいという現象を呈する。そう、断熱材も極端に少ないから一層冷たい気分を味わうことにな るわけだ。
 今日は妙に暖かく、季節とは著しく違う天候に少々うんざりしている。今日のハイライトはニコンの塩銀カメラからの撤退だ。現実には12日に決定された、 としているが、地方紙に出たのは今日が最初だろう。
 僕はニコンの愛用者だが、F-2以外、最近の同社の塩銀カメラはどうもなじめない。もし、近代ニコンを使え、といのならF4であろう。それとても、「マ シン」としてのステータスで「カメラ」のステータスは無いに等しい。それほど、カメラ側がドンシャリなのである。
 キャノンは早くからこの方針を貫いていた。しかし、最高峰モデルに限っては少しばかり違う、ときたから、ディジタル部門で好調な同社でこそ出来ることだ ろうと推察した。が、ニコンがこれまでの中堅クラスのF100までディスコンにするというのなら、同社が「ニコンユーザー様、早くデジタルカメラにしま しょうね」と言っているようでならない。
 一般のデジカメで、動きのある一瞬をフラッシュ焚いて撮影できるのなら、僕のその方法を伝授していただきたい。一般家庭のデジカメはそれほどのものなの である。使いっきりカメラを其所に当てはめると、見事にOKになって、デジカメはKOになる
 こういった意味合いからも、僕はニコンが塩銀カメラの優秀なものまでディスコンするというのだから、ユーザーの考えなどは無視されるような気がしてなら ない。おそらくや、数か月後には「ニコンのやり方は失敗だったのではないだろうかな」という考えが立ち上がるのではないだろうか。

2006 年 1月 16日(月)はれ後雨
 絶好の天気の中、日振島へ職務で移動する。「ふぶしの瀬戸」でも船の揺れはなく、順調であった。僕は2m程度の高波でも驚いたりしないが、現実には少し ばかりの風でも、初心者には結構記憶に残るのではないだろうか、といらぬ心配をしてしまう。
 僕の担当域は地元の知人が援助してくれて大いに助かった。しかし、これらでの作業で、以前の地図を無視して空中(航空)写真から判断すると、(そういっ たことがあって、手書きの家屋の配置の図面ではデフォルメしている)家屋配置図の家を間違ったところに置かれる、などがあるので、ベテランの僕は少し気が かりになってくるところがある。
 仮に今それがあっても、声を荒げて注意するなど、僕は一切しない。現実には注意したがために、後の職場でのことが、まずい結果を見通すことになるのでは ないか、といったことなどが頭を過ぎったためだ。
 同じく職場でのことだが、少しばかりこちらの言い分が通らなくなって来るのではないか、と感じた。
 そういった中で、僕は旧態依然といわれるかもしれないが、やはり、オーナー個人の感性だろうと感じる。職場変わってもやってやるぞ、という職員が多いこ ととは思うが、ここまで過ごしてきて、2年で退職だ、というかたは、僕は十分に今の職場で仕事を続け出せていただきたいんだ。そういった気分の方でなけれ ば、職場変わってまでもテンション持ち続けて仕事し続けるのは余程の神経の持ち主か、その正反対の、なるようにナレの職員であろう。
 と、いいつつ、僕は一つ、この件を一手に引き受けてやろうか、とも感じている。理由は簡単、一般の感覚とは少しばかり違ったやり方などで、僕自身を生か した方が良いのではないか、たとえ失敗してもいいんじゃないの?。
 宇和島市がなくなるわけでない、と、そういって僕をイイコに感じていただけるようにしてしまっている。そういった中での独自性を発揮するなど、(描くも のと実際は大きく違うが)一般の方画が言うように簡単なことを拒否しているのではないだろうか、と感じたところだ。
 もっともNHKなりの公共メディアは除いてだ。

2006 年 1月 17日(火)はれ後雨
 昨日の夕刻から雨になったが、本日は再び昨日同様の上天気となった。ここまでは上々であったはずだ。
 が、11年前の午前5時46分起こった阪神淡路大震災のその日である。僕は忘れもしないが、テレビを見ながらその画面に流れたのは、非番であったズーム イン朝の脇浜アナウンサーの電話越しの声であった。
 午前7時過ぎの映像は、曇天の神戸の街の数か所で煙が上がったものだった。それが次々に増えてくる。仕事へ出かけたため、大したことはないだろう、と感 じたが、その後のことは、言わなくても解るだろう。11年目を迎えても、未だ復興していない状況が存在する。
 せめて、この阪神淡路大震災を風化させないためにも、今日はこの大災害関連のニュースだけにしてほしかった。
 ところが、昨日からのライブドアの証取法違反容疑での家宅捜査が未明に終わり、その堀江代表の記者発表が午前7時過ぎ。内部調査を進めている、といいつ つ、証拠物件が押収されている中では、僕は絶対無理、と申し上げたい。
 関連する株価が下落。株価全体としても、到達すると言われていた20,000円台は夢になりそうだ。
 ヒューザーの小嶋社長の国会での証人喚問では、「発言拒否」が相次いだ。言いたくないものは言わない、というのは罪にならない、というところだろうか。 後の記者からの質問では涙ながら... 、という変貌だから、何とも言えないな。直ちに司法の場へ... 、にはならないところがハガユイ。
 連続4人の幼い少女を殺害した宮崎被告に最高裁が死刑判決を下した。あれから17年も経過している。彼は日産のラングレーという、当時のミニスカイライ ンに乗っていた。なかなかスタイリッシュな車で人気もあったが、この事件が、この車種を生産中止へ追いやったことを知っている方も少なくなったであろう。
 今日の事件関係を羅列しただけでも相当な数になる。1月11日というのは、何かある日なのかもしれない。今年自体も1月1日が日曜日であった。同様に旧 の1月1日は今月29日。奇しくも同じ日曜日ではないか... 。

2006 年 1月 21日()くもり
 の晴れ間は確かに あった。その時間帯を利用して洗濯をやる。次号において記載するが、現在、僕は一人暮らしを続けている。止ん事無い病気で妻は市立宇和島病院へ入院中だ。 それゆえ、我が家にいるのは僕一人である。
 家庭の云々に苛まれている人にとては、この上ない一人暮らし、と感じられるかもしれない。が、僕のように夫婦でもお互いがお互いで、っていう生活を随分 とやっている者には、少しばかりウンザリ、というか、帰ってきてほしい、という気分がついてまわることを知った。
 月曜に退院で、以後自宅療養らしいが、今度は妻の方が、僕が定時に帰宅することに対してのモヤモヤが生じるのではないだろうか、と今から考えている始末 だ。
 本日、訳あってNewton MP 130を少しさわってみて分解を行った。明けてビックリの「素晴らしい」。僕は、こいつはプリント基板を用いた傑作の一つになるのではないか、と感じた。
 ところが、130へのインストールなどには、通常古いマシンが必要になってくる。今のところはPPC 540cを使用しているが、間もなく5300csがその任に就くと同時に、職場へ持っていって少しばかり使わなくtれはならない。
 真面目に、僕自身が考えるのは、古くからのMacユーザーで最終の9シリーズを使用している方は、無理にでもMac OS Xを使用すべきではないか、と考えている。
 これまた、いずれ別項で... 、というところでオシマイ。

2006 年 1月 22日()くもり後はれ
 日は南予マラソン 大会の日。昨日から小富士商会でフィルムをゲットして、ニコンF-2に装着しておいたものを持参しゴール地点へ踏ん張る。少しばかり脚が痛い。みのもんた 氏と同じ症状かもしれない。何しろ高校2年生の時からだから、どうしようもない。
 撮影は少しばかりミスしたが、愛媛新聞の記者もいないし、久しぶりにこの地方恒例のマラソン大会として、県陸協の高慢的な始動態度が無くなっただけでも うれしい。そういえば、僕自身も陸上競技第3種の公認審判員資格は有しているのだが、脅しとも取れるような、登録料を納入しない奴は「抹消」という、審判 の登録料なんぞを県陸協が決めたものだから、趣旨が違うのじゃないの?、と納入を拒否して以来、僕の愛媛県陸協の審判員登録は抹消されているようだ。おか しいことに、東京の国立競技場での日本選手権に「日の丸とNRR」の入った審判員証を提示すると、小間使い程度の仕事をすることが出来る、というオカシイ 世界も存在するのだが... 。
 南予マラソン自体は、非常に気分が良かったよ。古くさい県陸協関係者が一切いないし、ようやく近代陸上競技協会に移行したように感じた。
 レース審判の中にもCB750Fに乗っている学校の先生もいらっしゃったし、この変貌状況がうれしい。もしも学校での児童殺傷とか児童虐待などがないの だったら、僕自身が今頃学校で生徒ともにトレーニングできているはずなんだが、これが、校門が常に閉鎖、ということからも、今は夢のまた夢になってしまっ た状況になっている。
 妻が明日退院する、ということだから病院へ行くと、彼女が「野菜を買っといて」という。白菜、キャベツ、ネギから始まって相当量を買い込んだ。やはりポ カはあるもので、魚・肉を別として、大切な卵を買い損ねた。
 この2週間、僕自身が洗濯から自炊からをやる一人暮らしでも、実際は妻の影響は大きいものがある、と感じた次第。お互い、この歳になると空気みたいな存 在、としてはいるが、生活するに必要不可欠の「空気」そのものに久々に感じたところである。

2006 年 1月 25日(水)はれ
 懣やるかたない、というか、ウヤムヤという か、全く一つのことに苛まれる。単純な理由でありながら、その実は大きな問題を含んでいる。結果は間違っていないが、やり方が間違っているために数値が大 きく変化し過ぎるものが出てくる、という状況を打破できない。
 昨日はiBookのタンジェリンを落札した。こうやって記載すると、少々困ることもあるが、これは無視するとしよう。ま、大まかにはソンはしなかった、 と感じているが、いかが相成りますか、こうご期待。
 もう一つ、ヤフオクでPismoのゴム足をGetした。ヤフオクの商品紹介でもこのことを知っていたので、実際に装着してみると、今までは何だったのだ ろう?、と自問自答してしまった。
 間もなく、息子用にプレゼントしたDELL Inspiron 2500の支払いが完了する。このDELLはよかった。新品同様であった。それを息子の止ん事無い理由でショップに売却される。残ったのは僕のローンの み。およそ1年、ばからしくなってしてしまった。
 同様に、息子のためにと用意した国民金融公庫の学資サポートも終了する。これは解らないでもないが、月分は均等、ボーナス部分は総返済回数の年2回割り で入れ込んでほしいのだが、売り手は一切関せずだ。

2006 年 1月 27日(金)はれ時々くもり
 ては僕のダブル ブッキングのせいであろうか。こっちを立てれば、こっちが立たずの状態だ。退庁後、一人の若手職員と言い合いになってしまった。彼の言 い分も解らないではないが、今の状況では、明確に上司からの指示通り動いてもらうことを前提にしてはいるが、間もなくこれが出来ない状況になりそうだ。
 自治体の合併後、そう、今になって、合併前のことを出してくる、あるいは、我々が合併に賛同した町に勤めていた職員の過去をほじくり出そうとしている輩 も幾人かは存在する。
 僕が、ここんとこを「何とかセイ」と申し入れると、「今はそういった状況ではない」と返答がある。明治の御代に実際に起こった八甲田山の雪中行軍を知る と、常に「もしも」が存在する。現代の今、僕に起こっている事項を払拭できない。
 したがって、若手が言うように軌道修正しても、完遂するまでに一体どれだけの時間がかかるか?。
 こういった職場の今の現状を直ちに打破することは、かえって得策ではない、と僕は確信している。
 そんなウヤムヤの中で、初代のiBookタンジェリンが届いた。各部の増し締めをしながら、その締め付けの緩さに愕然としてしまった。再び、バラシが始 まる。ま、それにしても結構な備品をゲットできたことに感謝、感謝である。

2006 年 1月 30日(月)くもり時々雨
 日、一昨日と好天 に恵まれたが、本日は一転して悪天候。その上に気温が高いから少々面食らってしまった。こういったときは家の中(職場)にいたいのだが、午前中は外回り で、午後は松山出張。
 最近の松山出張は、お金のセーブと利便性から、最近は宇和島自動車のバス便を多用している。いつも感じるのだが、バスの中での人間模様はなかなか興味深 い。ことに、帰りの便では吉田高校の生徒が、絶対というほど空席に着座しない。もう一点は、高速道路へ入っても僕以外、シートベルトを着用しない。
 こういった点、世間一般の考えはどうなんだろうか。ま、これは、Bone's Talkででも意見発表をしたい。はっきり言えるのは、吉田高校の生徒が高速道路で乗車すれば否応なく着座しなければならない。もしも、男子生徒が女性の 横ではどういった態度を示すか... ?。意外にも、その逆の女子生徒が男性の隣に座る方が素直なんだよな。
 往復途上はiPodで音楽を楽しんでいる。本日は第4世代をご丁寧にキャッチャーといっしょに手に持ったままで座った男性の乗客が居たが、アホかいな、 と感じてしまった。iPod自体、モバイルミュージックプレーヤーなんだから、バスなどで移動している間はもっとシンプルに楽しむべきではないだろうか、 と感じた。
 昨日、一昨日、SRに乗ったためか、どうも疲れが後追いでやってきているようでならない。ま、そんなところで、オーディオテクニカのイヤースピーカーに フィットする音質をiTunesでイコライズして再びiPodへ移して満足できる音になった。
 2月1日は再び松山出張。一体何をしていることやら。いくら近くなったとはいえ、どんなに速く見積もっても、いまだに2時間の片道旅程時間が必要なんだ から。

2006 年 2月 1日(水)雨後くもり
 候は、こうとでも しか表現できまい。先ほど(23:00前)に松山から帰ってきた。本日は労働金庫関係で松山出張。行きは雨が止んで風が出始めてきたのが正午過ぎ。いつも 通り の宇和島だった。
 会議は重要な案件はないまでも、厳しい状況で実をあげるにはどうしたらいいか?、を総合して考えるという、一般の企業の首脳陣が通常考えることで、それ に対して僕自身は 「無理です」を先に出してしまった。
 キャンペーン時の預金額は多くても千円の単位、定期預金関係になると1万円の単位から始めないと、この不況下における若年労働者のことを考えると無理だ ろう。しかしながら、それで目標達成できないと「ダメ」の烙印を押される。こういった、木を触って森を知らず的なもの がまかり通る時代に なってしまった。
 木屋(きや)旅館の保存と利用計画も頓挫した。最近になって気づいたのだが、JRの機関区にある昭和16年建築の事務所も取り壊された。本日もそれは車 窓から確認できた。NHKでこの間 放映された「君の知らない世界で... 」の撮影場所に選ばれたところだ。JRの建物ではあるが、これって庶民にとっての文化財じゃないの?。そのうち、方向転換用のターンテーブルや給水塔も撤 去されるのかもしれない。
 こういったものの保存状況などには目もくれず、何とか街の活性化などをやろうとするのなら、法律ぎりぎりのところで、公営の格安のカウンターバーを創る とか、立 ち食いうどん店をやるとか... 、は無理としても、観光のためにインフォメーションセンターと並立した特産品の販売店、市民向けのアンテナ施設(ショップ)を創設するなどの考えはないの だろうか。
 帰り道として、人通りの多い松山市の三番町から1時間20分後に人通りが皆無に近い宇和島の新橋・中央町の商店街を歩くと、僕は自然と国道沿いの歩道へ 足が向く。商店 街の活性化なんて、そこで働いている住民の意識がないと、今以上に沈み込んでシャッター街になってしまうのは明白だ。
 旧宇和島の中心部近くに住んでいらっしたら、一度商店街アーケードの午後5時以降の姿を見られることをお奨めしたい。おそら く、家に帰ってテレビでも見てた方が良いことに気づくであろう。

2006 年 2月 3日(金)はれ時々くもり
 昨日の日記の修正 には少々マイッタ。というのも、宇和島市がやろうとするチープシックなことを市民に知らしめたいがための行為であった。が、これは、オマイサンが職務上知 り得たものではいか、と言われるハメになってしまう。ここをすっかり忘れてしまっていて、こういった自己批判を加えているところでもある。
 僕は人として... 、は理解できるが、やはり、こういった面は酒の席のことも含め、流していただきたい、とするものだが、どうも最近は逐次それをマジでリサーチもそこそこに 記事にしてしまうような新聞の編集子が多いらしい。
 僕はね、マスコミの連中が、昨今の社会状況にそって、記事の対象となるその裏面の状況は一切無視してしまうことがまかり通っているのではないか?、と感 じる。
 その編集子が妻帯者ならまだしも、多くは単身赴任だ。そいつらが夜の街などで取ってきたネタ!、とするのは結構だが、彼と少し話があるとして、それが 酔った奴 と話をするなんぞ、最近では夢物語になってしまった。編集子自らの活動も実際は少ないのではないか?。どこかのテレビ番組で「新聞発行」なのか「新聞紙発 行」なのか?の台詞があったが、今は後者になってしまっているように感じる。
 こういった状況だから、饒舌をとばす僕としても、ここ、しばらくは表舞台に顔を出すタイミングは非常に難しい。そんな中で思ったこと、と感じていただき たい。

2006 年 2月 9日(木)はれ時々くもり
 気 は回復したというものの、風は冷たく気温が全く上がらない。市の理事者と職員待遇について交渉する。彼らの言い分はいつも同じで「市民に対して... 」を連発する。いくら公務員でも、我々の仕事は多種多様だし、各職場での特殊性もある。
 仮に、税金の徴収で、夜の街を歩き、午後9時過ぎに酒の店へ出向き、酔客の中でねたみのような罵声を浴びせられつつ税金を徴収する職員のことを、ハワイ に行っている市長は考えたことはあるのか?
 新聞沙汰になる寸前で押さえられたが、職員の胸ぐらをつかまれ殴りかかられそうになっても、それでもじっとしていなければならない職員。それを「その職 場特有だから、人事異動で替われば... 」で済まされるのだろうか?。
 僕も含めて経験が伴う職場では10年程度は同じ職場に居なければならない面もあるのだ。
 僕が市民に言いたいのは「在籍している課が違うと手伝うことが無理なんだ」ということを知ってほしいし、市役所の仕事は実に100種近くにもなるのだ。
 それに職員が多い、ったって、その2/5は臨時職員、嘱託職員で、安い賃金で一般職と同じ仕事をしている。その方々が事故ったりすると、本人は公務員と してカバーされない。その方々が短期間で交代されるなどになると、正規職員が新しい方々に指導しなければならない。それが年に2回ほど続くと、職員自らの 持分もこなすわけだから、同じ職場でも少ない仲間に手助けを求めるなどは出来ないのだ。
 公務員といっても、生身の人間である。職員の家族の生活もかかっているのだ。民間に任せるのならそれでもいいが、絶対にそれが出来ない職場が多いのも事 実だ。そういった法律に裏付けされた、かなり細かい決まり事の中で、いかに地域住民の負託に応じることができるか、を考えながら仕事をしているのである。
 ところが、この街ではすべからく我々公務サイドへオンブにダッコに感じられてならない。いつも「行政が悪い」ばかりのゴタクを商工会議所なりの理事側、 巷の学識経験者が言い放つ。こいつらの税金をもっともっと多くかけてやればいいのだが、職員は会社の手足としか認めていない親方日の丸の経営者が多いのも 事実ではないだろうか。
 そういった連中の意見ばかりを受け取って行政推進の参考にするのだから、職員は見下げられたものだし、市長も職員を大事にしない。ま、市長自体ダダッコ 的なところが多分に見受けられるのも、たまにキズだ。これはこの間の日記で修正したことで、4月になれば商店街でその(バカさ加減であろう)全容が出るだ ろうし、九島への架橋とエコアイランド構想も再び浮上しそうな勢いだ。
 そんなこんながあって少しばかり遅れたけど、www/Grid 83をアップロードした。相変わらずオートバイのことが記載できない。ま、天候のせいでさわることが出来ないんだ。来月は四国自動二輪校友会もあるから、 そろそろ... 、というところである。
 愛媛出身の元巨人軍の藤田氏が逝去された。彼のことをどうのこうの言わないが、県は、県民栄誉賞などは出さないように願いたい。国民栄誉賞も同じだ。亡 くなった方に出しても栄誉もへったくれもない。

2006 年 2月 14日(火)くもり時々雨
 日は上天気、と 思ったら今日は雨。外気温が室温より高いから、非木造の家に住む人には少しばかりオカシイ気分になってくるのではなかったのだろうか。
 実は、おもしろい過ごし方を、ここ数日やっている。とりもなおさず、トリノの冬季オリンピックゲームである。日本との時差が8時間あるから、昨日のゲー ムを今日見ている?、という困った現象。しかもそれを毎夜追いかける、という不思議な状況の日々なのである。
 ま、そういった状態であったから日記そのものが記載できなかった次第。
 どうだろう、僕は日本選手の活躍に対して、圧倒的な諸外国の選手の活躍を知るにつけ、愕然を通り越して、こりゃ、今後数年間は日本選手の低迷が続く な... 、と感じてしまった。
 いかがかな。マスコミなどもこぞって「メダル」とか「勝てる」などと発表しまくってきたものだから、結果が悪いとなると、放送などのスポンサーが損得を 考え出すようになる。選手諸君を前にして、まるで「お前らが不甲斐ないからだ」ってね。
 僕は、こういったことを夏は東京オリンピック、冬は札幌大会以前から知っているから、そんなに苦にもしていない。勝っても負けても選手諸君は今回のオリ ンピックでは、むしろ、世界はどういった方向で動いているのか、ということをしっかりと受け取っていただきたい、と考えるんだ。
 今日もスケート種目である女子の500メートルがある。天変地異は確かにあるかもしれないが、順当に行くと.... 。僕は悪い結果になると感じているが、皆さんはどのように感じられるだろうか。
 それより、「オリンピック命」の奴(選手)も居るのだから、僕は、アメリカ合衆国のように、最終選考は「オリンピック予選」というのを制定して、これに 勝った者をオリンピック選手に決定して、他は、この予選会と過去の大会の成績を選考にすればいい。ロサンゼルスオリンピックの女子マラソン選手選考のよう な無様なことは願い下げなのである。

2006 年 2月 22日(水)はれ後雨
 しばかり気分が落 ち着いている。連日にわたる職務の多忙さ。自分自身が、フト、今の職を辞したくなる気分に苛まれる。前回の記載から実に13日目ではないか。ホント、職務 多忙なんだ。現実には一つのことに集中できない、というのが真相だ。家ではそうでもないんだが、執務時間中は、ほとんど余力がない。息つく暇がない。階下 から暇な管理職の奴らがやってくると、嫌みの一つも言いたくなってくるんだ。「お前んとコの職員の苦しみを知っているか、フン」とね。上司も上司なら、そ の不満を言えない職員も職員だ。
 合併後の「この街の将来はどうなるのだろう?」という記事ネタは存分にそろっているが、「この街に雇われている方々の将来は」というのは若干ファッショ 的になっている今の市長にはワカンネ〜ダロウな、というのが本当のところであろう。市民のために... 、なんてかっこいいこと言っているが、行政職の我々も市民だ。直属を無視することになるとどういった結果になるか。そのうち解るであろう。
 本日は税金のことを少しでも解ってもらいたい、ということから僕が今日の先生役になって三浦小学校で租税教室の授業をやった。これがスゴイよかった。ま るで、我が子に教えているような気分になってしまった。同じ6年生でも、住んでいるところと、学校の運営方針でこんなに変わるものか、を如実に知った次 第。
 授業の終了前、児童から僕に対して忘れかけていたような質問が出た。あわてて授業した内容とを照らし合わせて回答づくりにいそしんでいる。彼ら幼い子供 たちとの約束だもの。しっかり理解できるような回答書をつくりたい。大人との腹の中の探り合いのようなものが無い。もし、大人同士の約束が、今日の児童と の約束のようなものであったら、防衛庁とかライブドアなどの事件も起こらないのに... 。
 さすがに、今日の授業でライブドアの一件から税金の話を出すことは出来なかったし、うまい具合に忘れてしまっていた。
 トリノでの女子フィギュアスケート、メダルの行方はどうなるんだろうか。ホンの少しのミスと力量とが勝敗を分けそうな気がする。
 といっても、テレビジョンでは昨日の出来事を今日見ている、という時の流れの不思議さを感じているのだが、その決勝は明日?、それとも明後日?... 。

2006 年 2月 25日()はれ後一時雨
 前 中、黒田君宅にて、この位置に信号機を設置してもらうのは困るんだが... 、という。これはドライバーのマナーだから、と応えておいたが、本人にしてはタンコブみたいなものだろう。詳しくは彼自身のことに及ぶから控えておきた い。
 午前中だけで終わらせたい仕事だが、結果は午後4時までかかった。ま、公務災害の認定にまで及ぶ事故などはなかったから、これはこれでよろしかろう。
 それにしても、苦しさや辛さなど、公務サイドの人間が味わうものは、民間の方々が味わうのと較べると楽なようではあるものの、一面では想像を超えるもの がある、と確信するのだが、いかがだろう。
 馬事雑言ととらわれると困るが、公務サイドにも一般企業人とは違う諸々の困り事などが存在する、と言う事実のみを知っておいていただきたい。加えて、決 して公務サイドが裕福な生活を行っていない、という事実は、無理矢理にでも教え込まねばならない、と考えている。
 おかしなこと言うな、とお叱りをいただくかもしれない。本当にそうだろうか?。一人の職業人としては、良いか悪いかは、そうやって差別することから始ま るのではないだろうか。今さら言わないが、かつて、我々が貧乏所帯ながら何とかやってみようとしていたとき、民間企業人は嫉みなどは言わなかったと思う。
 今はどうだろうか?。一方的に「悪評を浴びさせる方々」にして、我々公務サイドが防御を取らざるを得なくなるとき... 。いや、よしましょう。
 この両日、荒川静香選手のことで持ちきりだ。どうかな?。僕は「王女の滑り」と表現したい。彼女は「女王」ではない。むしろ、得点など無いんだ、とする イナバウアーを導入したり、女子のリンクを統治するかのごとく、彼女は女王なんだ、という見せ方で競技した。
 ライブを見ていた人は誰しも思っただろう、少しばかりのミスがあっても、事前に出された種目は全てこなし、安定感のある演技をした彼女。ミスは画面では 少しだけだったと思ったにもかかわらず、スタンドの大多数の人がスタンディングオベーションをやらせたのだから... 。
 が、時はその気分を即座に一瞬のものとしてしまう。このオリンピックに出場した選手はもとより、世界のスケーターの多くは、すでに2年後の世界選手権を 目指して、「競技する」という気分でトレーニングを開始するのであろう、と考える。
 本日、場は違うが、上村選手が日本選手権に出た。トップになったものの、「な〜んだ、あんなものか」。正直な僕の気分だ。それほど、世界の壁は厚いし高 い、ということであろう。モーグルもハーフパイプも、オリンピックのそのシーンを見た人は誰しも、僕と同じ気分になるはずだ。
 この気分を日本のファン全てが共有すれば、次のオリンピックは勝てるだろうが、カーリングの世界のようにはいかないのが現実である。

2006 年 2月 27日(月)はれ
 っきりいって、非 常に苦しい仕事の世界を経験している。合併のことはもう言わないが、それよりも、基本となるメインコンピューターの関連がイマイチな ものだから、2か月後の対市民の関係が粗野になるのではないか、というのが偽らざるところだ。
 それにしても、僕自身が、実務を主としながらの仕事内容が、諸々をやりつつ実務をこなす、という本末転倒を毎日やっている。
 そういったことから、職員団体の件もしかりだが、どうも、自分自身を生かす職場なんてことには、当面の間無理に等しい。
 そういった中で、職員ひとり一人の体調をはじめ、このシチュエーションの中ではナァナァの立場は談じられるのだろうと思う。
 しかしながら、今の世の中、実務レベルで、競技スケートをはじめとした、一般アスリートが目指すのは、こんな過去の事項を真に受けることなく、人生歩ん でほしい、と感じるところである。

2006 年 3月 5日()はれ
 しぶりに記載す る。先週はとんでもない7日間であった。とうとう本日まで尾を引いてしまった。仕事上の何もかもが、何というか、こっちに降りかかってくる。今の状況から すると、自分の判断でどうのこうの出来ない。
 合併する前に、「お前さん、一つヨロシク頼む」とでも言われていれば解るが、そんなものは一切無い中で、合併後数ヶ月間で1年間の業務内容を新人2人に 教えるなんぞ出来やしない。
 その上に、課員の一人がやっていたことを僕が引き継ぐ。通常の業務の上に新しいものがついて回る。どこかを犠牲にしなければ、前へ向いて進まないんだ。
 おまけに、4月以降の陣容などが全く決まっていないため、再び僕の方針を説明しても無になることも十分にあり得る。何しろ100人以上も人数を減らすと いうのだから... 。
 久々に、床屋東京へ散髪に出かける。古い写真がいくつか展示されていた。とりわけ、拙宅近く、信金の前の建物である宇和島自動車の社屋を見ると、幼い頃 を思い出して、思わずジ〜ンと来たのだが、熱いタオルが来ると一瞬に現実に戻る。
 旧宇和島市民はあまり気にもならないだろうが、合併した三町の住民は合併の恩恵を何も受けてやしない。むしろ合併しなかった方がずっといい結果になって いた、というのが本当のようだ。
 4月1日まで4週間。どういった結果になるのか全く不明だ。奇しくも4月1日は土曜日で閉庁だ。辞令がでるのは4月3日の月曜日。4月2日の日曜日、こ の日に生まれた方は学校年齢でもトップになる。今年は新正月も旧正月も日曜日だったし、まことに日の巡り合わせが不思議な状態になっている。そういえば、 今年の大晦日は日曜日だ。
 来年は月曜日からだから、職業人にとってはいい年になってほしいよな... 、と来年のことをもう考えている。とはいえ、来年の4月1日は日曜日という、これまた不思議な巡り合わせになってしまうのである。
 じゃ、来年4月2日生まれは働き者だろうか... 。神のみぞ知る、である。

2006年 3月 12日()雨後くもり
 日 と今日、香川県の美合(みあい)温泉での四国自動二輪校友会に参加するため出向いていた。と、簡単に記載できるはずだったのだが、これが凄まじい世界に なっ てしまった。つまり、春に出かけて冬に帰ってくるという。天候という自然現象の大きさと、日頃のこの関係のデータ収集の継続性が必要ではないか、と考えさ せられてし まった。
 同様に、帰宅して妙典寺のお稲荷さんへ行ったのだが、お賽銭をあげるのを忘れたとはいえ、ここでの奉納カラオケっていうものなど止めた方が良い、などと 考えさせられた。
 幸いにも毎年お参りしているもので、くじ引きで、妻の好きなスヌーピーのチョイトしたものが当たったので、四国自動二輪校友会のおみやげ共々渡しておい た。
 その後、丸穂温泉で疲れを取って、ゲルマンで「ニラもやし」を食べ、一息ついて帰宅したあと、遅い夕食を摂ったのだが、見ていたNHK総合テレビの「巧 妙が辻」で、一豊が 行方不明になってしまったので、秀吉が「弔いを出せ」というシーンでのその台詞が僕を震撼させた。
 一応の家来で、その都度、協力体制が取られている秀吉と一豊なのだが、上を目指す奴(秀吉)はたとえ家臣であっても、(戦死かどうかの)死亡に対して簡 単に処理してしまう。僕が思ったのは、上を狙う奴は、少々の手続き上のことは無視しても上を狙うのであろうな、と考えた。
 今、僕は係長職なんだが、そういったことが出来ない。仮に上記のように職場の判断を自分のサイドで云々出来るのなら、こいつら、つまり仕事仲間の証拠写 真 とかを自分のデータファイルに納めて...  、と決めた、とするところだ。
 それにしても、今の僕の職場では、僕が命令系統の主任的なことをやることが日常茶飯事になってしまっている。しかし、僕は誰が何を言おうとも、この上か ら下への命令 系統の確立だけはやらないと決めている。
 それにしても、勤務評定を僕が課員に対してやらないとならないのか、と考えると、係長職を辞退したい気分にもなってくる。僕自身も一般職とともに同じ行 動をしているのだし、机にしがみついているのが通常業務ではないのだし... 。
 外は風が強くなった。決して春が来ないわけではないだろうな... 。

2006年 3月 15日(水)はれ
 ーム真理教の Niimi君が死刑になった。ここまで裁判を遅らせやがって、というのが当時を知る者の偽らざる気持ちの一端であろう。それほど、あのサリン云々の諸々は 割り切れないものがある。その一つ、国民が納めた税金を遣って、麻原云々がノウノウと生き延びている。これって許されるか?。
 精神鑑定なんてクソクラエだ、と僕は感じている。それは、過去にまことしやかに体が浮き上がるだ何だ、というバカさ。これらが今、仮にマヤカシと認定さ れると、足裏を見てグレートといった教祖と全く同じになるはずだし、ましてやサリンをまけ、といった張本人となるのは明確だ。
 オーム真理教の信者云々の状況から... 、で死刑を免れているかもしれないが、そろそろ、出来ないかもしれないが、法務大臣も裁判所にサゼストして、サッサと死刑執行をすべきだ。それが後回しに なっているから、死ななければならない人間が生き延びている。
 僕はここ当分は恩赦がないし、仮に麻原なんぞを無期懲役にしても許されるものではない。少なくともそれに加えて労働50年ぐらいをアイツに与えなけれ ば、国民の多くは納得しない。
 と僕がほざいても、(日本の)世間は「サリンってなに?」で、今は済んでしまう。同様ではないが、和歌山での「カレーいかが?」という誘いに「ありがと う」ではなく「結構です」という人間も少なくなった。
 このように僕がカマかけても、さらりと、この日記を読んでしまうだけの日本人があまりにも多すぎる。この事実を真摯に受け止め、道州制とか、国を愛する 心と か、こういったものを、国を操るグループのいいように変更する憲法改訂など、真にこの国の未来を見据えて行うべきなのに、いとも簡単にすませてしまうおそ れがあるのではないだろうか。
 そういや、国会においてしゃべくりまわった国会議員。彼が出した例のメール事件でさえ、当事者の彼が新聞で弁明する。この掲載料は一体どこから... 。
 民主党なんて、所詮自民党に一部分反論もっている奴だけが多くて、我々かりゃすれば、同じ保守陣営が自分有利に働いているだけに過ぎない、という気分 だ。
 事実、昨日までは自民党で、僕のような者から批判されていた者に対して、今日からは支援しなけりゃならない... 、という単純に鞍替えしている奴も少ないとはいえないはずだのに、事実は既に過去のものになってしまっているのか...  ?。
 僕はこのことは絶対に違うと思う。しかし、民主党が後手後手に回っているし、代表が、このことに対して前面には出ない。それを補佐す るような者も居ない。これが民主党のプアな一面であろう、と僕は感じる。
 こういった状況がまかり通るのは、この国にあった、ある程度の統制も消えてしまったからであろう。責任の所在のない自由がまかり通っている現代日本で、 やはり、他国から支配され ていないが故の、今の国民性であろうかな、と感じてしまうのである。

2006 年 3月 18日()雨
 さに、「雨に濡れ ながらたたずむ人がいる... 」のような世界であった。中学校は昨日卒業式であった。一体何人の不幸者が出るのだろうか。
 間もなく県立高校の入試の合格発表を迎える。僕たちの時のように「お前の好きな学校にしろ!」というM先生のコトバ通りに校門の前に立って「この学校の 方が良い」と愛媛県立宇和島南高等学校を受験。合格して、欠点(赤点)が一つを抱えていたにもかかわらず、中京大学体育学部を無試験推薦入学。そして八事 (やごと)の本学最後の卒業。そして今の僕に至る。
 一瞬真面目な話になったが、中等学校になってしまった宇和島南中等学校(中学・高校)に僕の母校感覚は一切残っていない。むしろ僕の卒業した愛媛県立宇 和島南高等学校は、そこを卒業した生徒諸君の胸にだけ残っている、と断言した方が幸いではないか、と最近では感じてしまう。
 今年の全日制の同窓会への参加は再び見送らざるを得ない。僕は愛媛県教育委員会の一方的な考えだけで、こういった中高一貫教育がいとも簡単にまかり通 る、もう一つは扶桑社の歴史教科書を、市内の4中学では使用しないのに、県立ということだけで使用される。僕はこの教科書を使うに当たり、教師は絶対に 「この教科書には一部史実と違ったこと、それに史実を美化する記載がされている」と生徒諸君に言えるかどうか?。
 こんなのを自分で記載していると、息子を中学前まで、こっぴどく叱りつけ、その上、中学以上の学年でたびたび悪さをやって警察沙汰になるも、今の時代で は僕の考え方は旧態依然かもしれないが、今の時期だからこそ、僕は僕の自ら採ったしつけの方法は間違ってなかった、と確信している。
 間もなく日本中でトンチンカンな現象が多く出ることであろう。憲法改定など言われているが、イラクからも自衛隊が帰れないし、今日の麻生君の話しぶりか らすると、そのうち幾人かの死亡の報道はおそらく真面目に日本中を駆け回るであろう。が、一般国民は「国家公務員だから、残された家族は裕福であろう」が まかり通るのであろうな。
 電気製品でも例のマークが入っていなけりゃ中古で使用できない。お上は楽器などに、彼らが使いもしないビンテージはOKですよ、よいったものだか ら... 。 
 決して僕がバカ言ってんじゃない。よくよく考えていただきたい、ワールドクラシックゲームでうまい具合に準決勝進出になった野球の日本チームの相手、韓 国チームの大半が「徴兵免除」らしい。
 ところが、すでに日本のトップ集団では、この「徴兵」を制度化しようとしているんだ。齢55の僕も予備役として参加しなくてはならないかも... 。そして、獅子奮迅の戦いなんぞすることなく、敵の銃弾一発で「戦死」の通知が届くのであろうか。
 ベトナム戦争も過去のものになった。サイゴン陥落を昨日のように覚えている僕は本当に古い奴なんだろうか?。自問自答の後、戦争の云々を正しく児童生徒 に言える教師は居なくなったんじゃないか、と思うところだ。
 これから先、今の状況を続けていると確実に日本国民の若い奴らは「ばか」になっているのであろう。でなければ、大半の若い奴らは必死になって仕事先を探 し続けているだろう。フランスではどうも困った法律が成立しているようだ。
 こうやって悪い方、悪い方へ僕の考えをネジ曲げて進んでいくような気がしてならないのである。

2006 年 3月 21日(火)はれ後くもり
 岸の中日、本来な ら午前中にお墓参りに出かけるのだが、WBCがそれを許さなかった。久々に燃えましたね。といったところで、それまでの経緯が一気に吹き出してしまって、 今後ともイチローが言うようにはならない。
 チームは明日帰るのだそうだが、直ちに日本のペナントレースが始まる。勝利の美酒に酔いしれている暇はない。それが、選手自身がこの世界選手権的な野球 のゲームを一部無視せざるを得ない状況になっているのではないだろうか。
 僕自身は久しぶりに風邪を引いている。どこといって悪くはないが、朝夕の咳がひどいのだ。絞り出すように咳をしなければ、次に出る咳の状況如何によって は痰の絡まり具合が異なってくる。いつも何とかならないものだろうか、と考えてしまう。
 風邪引きは解っているが、やはり身体を温めて、その上に十分な休養と食餌ということになるのだろうけど、今の僕の状況ではそれを許さない。
 所用で職場へ出向くと、居る居る、不払い残業組が... 。今日あったように震度2の地震が仮に震度5ぐらいになって、職場が倒壊したらどうするのだろう?はっきり言って無防備である。無視して帰ってきた。
 夜、NHK衛星のグループサウンド特集はよかったが、結局は今を走っている奴しか受け入れないような仕組みにしてしまった今日のNHKであった。
 ジャガースのオリジナルメンバーでの活動。よろしいな。ワイルドワンズもそうだったが、これはネームバリューのみだ。当時なら、ファン同士が会場の外で 大乱闘寸前になっていたはずだ。
 午後10時半、ある人(オートバイ屋さん)からN君が春のBritish Runに参加したいのだが、と言ってきたので、大阪のNさんに連絡を取ってからにしてくれ、と返答しておいた。この辺が、ネット上の世界が広がっているの に、自らがやる、というこの基本状況が変化することはないように感じる。

2006 年 3月 23日(木)くもり後はれ
 夜の雨も止んで、 朝から薄寒い空模様になった。風邪のせいで毎日の時間がまるでちぐはぐになってしまっている。病気のせいにしたくはないが事実だ。おまけに送別会などの酒 の席が続く。全く困ってしまう。酒の席は嫌いではないが、マジで肴の味がよく分からないし、飲む気にならないというのが事実だ。本当だよ。
 間もなくトライアンフの継続車検を受けなければならないのだが、本日、自治会の総会の前の1時間程度でエンジンを始動することが出来た。が、シールバッ テリーが全く用をなさない。電気が回っていない。直ちに容量不足になって、再始動不能になった。
 T-140Vはポジアースだ。つまり、プラスアースなのである。ボイヤーのトランジスタシステムにして以来、結線は間違いない。が、しばらく使用してい ないでいると、シールバッテリーの容量そのものが急激に無くなってしまう。
 おそらくは、シールバッテリーの特性と思うが、シールバッテリーそのものの電気的構造が全ての面にわたって「常用」ということを前提としているように感 じる。したがって、専用の充電器で充電しても、バッテリーそのものの内部構造の変化(劣化)が電圧のみ正常になれば、容量は一定以上から先に充電できない 状況になってしまうのであろう。
 いずれにしても、新品の普通のバッテリー(12N9-4B)に交換するのが最良の方法であろう、と感じる。
 自治会の総会は和気相合で終わった。こんな席が最近は少なくなった。ふと、振り返ってみると、僕自身もいつもは一人で酒を飲んでいることが多い。余程の ことがない限り、職場の仲間内でやる席にしても孤立していることがよく分かる。もう、酒を注ぎに席を回るということもやりたくないし... 。
 間もなく4月の人事異動に伴う諸々の困難さが僕と職場を取り囲むことになる。今年は暦の巡り合わせが凄まじい。正月・旧正月が日曜日、官公庁の新年度は 月曜日の3日からだ。4月1日付でやるとすると、僕は休暇を取れなくなってしまう。
 自治体の合併から8か月目で、全てが新しいもので進むはずがない。これを解りながら、我々への締め付けが厳しくなる。合併協議会の2年間は一体何のため にやっていたんだろう?。今は尻ぬぐいばかりだ。
 そろそろ、旧宇和島市民も「合併で良くなったものは一切無い」と気づいてもいいように感じるのだが... 。

2006 年 3月 24日(金)はれ
 らはらドキドキの1日だったのだが、実際に僕 はそれに該当するも、回りは最終ニュースの愛媛県警仙波巡査長の発言そのものに合致するな、と考えてしまった。僕はよかっても、回りはダメというようなも のと同じである。
 まずは教員の人事異動だ。今になってみると、どうぞご自由に、という気分が支配する。特に高等学校なんて今では見る気も起こらない。そんな中で、同級生 のH君が某大きい小学校の校長になる、って〜んだから、僕は、「お前さん、それならもっと人付き合いをうまくしておいてくださいよ」と言いたいし、対象学 校の保護者には「そんなにお付き合いがいい先生じゃないですよ」と言いふらしてやりたい気分になった次第だ。過去、彼の新築住宅の件で、それが起こった。 所有者の件で相当にスッタモンダしたわけよ。(自分が登記などしない、というので)お前さん名義にするよ、としてOKまでしたんだ。
 にもかかわらず、課税前の状況から、(こいつに課税もしていないのに)当のHは「高い」といいふらし、まるで僕たちが悪者扱いにされてしまった次第。僕 としては、Hは教育者なんぞではない、と断言してもいい。
 今でも「お前にやられた」と、僕の目にしてでも言いふらす始末なのだから... 。
 が、実際には、Hがやった行為は罰則こそ無いが法律違反だし...  。こんなこと考えると割り切れない世界だ。
 ま、傍目以上に職場は大変忙しい。そんな状況の中、僕はあえて午後から休んだ。残り1週間の平成17年度だ。今年の特異日は過去記載したからいわない が、僕としては現実に今日しか休めない。その裏付け(?)の最大の理由は、今日T-140Vを車検に出さなければ、このオートバイの次の年はない、となっ てしまうからだ(汗)。
 幸いにも、ずいぶん前から車検期間2年間という、見込みの余裕はあるが、10年を超えた車両は、ついこの間までは1年車検だったのだから、現在のように 保険料の引き下げと、車検期間2年というのは、僕にとって朗報だったのであった。
 バッテリーは、どうしても充電不良の原因が分からず、新品(GS/YUASA 12N9-4B)を購入した。車両そのものは僕の整備が支配する部分があるし、当然、車検整備の追加はあろうけれど、いつもお願いしている末広モータース へ持参した。
 こうやって簡単に記載しているが、バッテリーそのものの状況からして、結構色々あった。この一文は、後日別項にてお知らせしたい。
 その後、僕の歯を「ますだ歯科」で最初のメンテナンスを受けた。検査薬塗って、口の中お歯黒状態になっての歯垢チェック、歯槽膿漏チェック、そして研磨 などなど、結構いじくられるが、終わると逆に気分が良いのである。最後にフッ素塗布で最初のメンテナンスを終えた。
 フッと振り返ると、どうしてトライアンフに接している間は汗が出るほどの緊張と、こんなもんだ、という安堵感の瀬戸際を行ったり来たりしているという考 えになってしまっている自分自身がおかしい状況もしかり... 、だな、と感じた次第だ。

2006 年 3月 26日()くもり後はれ
 日、車検を取得したT-140Vを運行して帰ったのだが、うちひしがれた気分になってしまい、眠れぬ夜 とともに、本日は午前7時に起床した。朝食も気乗りしない。妻は友人とご旅行の様子だ。
 午前中に職場で片付けものがあるので、10時まではフリータイムだ。くもり空ながら雨は落ちない。春特有の冷たい風が時折吹く。大沢親分と張本氏の天晴 れ・喝のスポーツニュースを見て職場へ出向く。一定事を済ませて、帰路、妙な気分になった。ホワ〜っとした気分だ。どうやら、知らない間にT-140Vの ことで頭の中が一杯なんだろう。
 残り物のカレーでの昼食の後、何かあるのではないか?とネット上でMIKUNI VMで検索する。あるパーツショップのサイトに思わぬものが出ていた。まさか?、と思ったが、別のサイト、そしてSUDCOのサイトを見ても、その数値だ けは全く同一であった。その同一数値は何か?。そうMIKUNI VMキャブのパイロットジェットの番手なのである。#35。この数値は30〜34口径のキャブ全てに共通であった。
 早速今までの#22.5から#35へ交換。おもむろにキックして始動。こともなげにアクセルについてくる。ウッウウーッとはならない。何だこれは?。
 まずはガソリンを補給。今日は公平を期するためにエネオス。途端にダメになって来始めた。またかよ〜。あわてて帰ってプラグを確認すると、左シリンダー が動いていない。
 まだ何かある。初めてT-140Eと同じく,NGKのB6ESへ交換。エアスクリウ、ストップスクリウともに調整して、左の未燃焼のものを一掃。いよい よ三間から鬼北町へのテストコースへ。
 ア〜、これだ。本当にこれだ。30年前のオートバイに近代ウェポンを装備して今を走っている。身震いしそうなほどの感激だ。そして、今まで何をしてきた のだろうか?、という気分が生まれ、それらを自問自答しながら快調なうちに帰ってきた。ポツリポツリと降り出した雨も止んだ。
 モヤモヤが一気に吹き飛んだ瞬間であった。これからシートの張り替え、フロントフォークの調整。そしてメーターの修理。最終はブレーキキャリパーの交換 などなど、ノンビリと手を入れられる気分になった。
 よくも7年間、このキャブレターを諦めなかったな、といわれると、チト恥ずかしいところだ。

2006 年 3月 27日(月)はれ
 、橋田壽賀子のブ ラジルと日本とに別れた姉妹のドラマを見ている。結末までは初回の物を見ているから解っているのだが、これをブラジルとはいわないが、日本を占領した者に 置き換えると、今の日本人民の大半は「死」を免れないだろう、と感じた。決してウソとか想像で言っているのではない。まずは日本国民の多くが英語が喋れな いとダメだ、というのはお解りだろう。
 ドラマの中ではポルトガル語だが、あの時代(昭和9年)でも、日本は列島国家ではないというのは明白だ。が、コトバがどうにもならない。
 僕も自慢できるものではないが、日常の会話程度の英語が出来る。が、この時代に日本語オンリーでブラジルで生きて行くには... 。それはドラマの最終をご覧いただけたら、途中のドラマは飛ばしてでも理解できるはずだ。
 今の日系人のブラジル社会が僕の言うようになっていないのは、この苦しさから抜け出て成功した輩が多かったからであろう。それが第二次世界大戦後の日系 人民の味わう悲劇の一つでもある。
 本日は職場の人事異動の内示。僕はなかなか上手い人事委異動をやったな、と感じた。本庁の職場を旧宇和島市で固めたのは明白だ。そうやって中央集権的な ものを創り上げた上で、さぁ、新しい宇和島市ですよ... 、というの街づくりは明白なのである。僕が決して自分の考えだけで言っているのではない。そうしなければ、この街の行政は成り立たないであろう。それほど ひどい状態なのである。
 それにしても、この街は一体どうなるのであろうかな。市広報に出ていた石橋市長の言い分を当てはめると、現実には市長の言う思い通りには出来そうもな い。否、あのような玉虫色の言い分では、結局、市長の言い分を単に活字にしたものとしてしか今の市民は受け止めないのではないだろうか、と感じた次第だ。

2006 年 3月 30日(木)くもり後はれ
 の咳もひどいが、 朝、自転車のサドルを見て黄砂が相当降っていることを知ると、現実には喉が炎症気味のところへコイツが追い打ちを掛けるようになっているのではないか、と 考えてしまった。
 100のうちの90までが確実ではないコンピューターシステムの中で作業をしているのだが、僕は、もう諦めていて、なるがままにして、おかしければ、そ こで対応ということにすべきだ、と考えるようになっている。そうしなければ、一面はシステムメーカーが行うことだから、そこそこ責任の一端はあるはずなん だが、それが、どことなく当事者の我々へ向けられてしまい、ドラスティックになってしまっているように感じてしまう。
 そういった中で、早くも職場の歓送迎会を行う。不思議なもので思いっきり気分など整えて、その会合に臨んだが、一定のレベルを超えると、そこにいるのが 苦痛になって席を辞して帰ってきた。大半の出席者がそこにいるのに自分だけが退席することになるのだが、そこに僕が居続けることが苦痛となると、もう、ど うでもいい気分になってしまう。
 その上に、僕として会場自体が「嫌」なのだから、そこへ居るだけでも苦痛なんだ。もう、僕ぐらいの年代になると、飲み放題といっても、それ相応の体裁を 整えた店でないと苦痛が先に来てしまう。
 今日でもビール1本と酒2合だ。酔わずに水でも飲んでればいいが、それは出来ない。何とかそこそこの店へ会場を向けようとするのだが、トップ自体が安さ と魚料理を求めるから、こういった結果になってしまう。
 ま、常々、こういった席では2時間がリミットだ。それを過ぎるような時間設定では、人数が多くなればなるほど辛い参加者が出るというのも感じは知ってお いていただきたいものである。
 帰宅途中、静まりかえった街を行くと、この街は一体どうなるんだろうか?。4月3日からのことが思いやられる。僕なら直接で向くが、階下階上の職場でも 電話で済ませようとする係長職が多い。一つ、この辺から意識改革をしなけりゃならないのかもしれない



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