2006.07.02〜09.30

2006 年 7月 2日()雨後くもり
 日は天気予報が当たらずの蒸し暑い晴天。夕方 から鬼北の上司宅へお呼ばれで出かけ、焼肉パーティーの後帰宅。寝苦しさと相まって、ぼやけた気分でサッカーでブラジルが負けたのをチラリとテレビで見 て、再びオヤスミ。雨が小降りになる8時頃起床。気分が良くなった。
 テストがてらPismoを1日中立ち上げたままにしていた。午後3時近く、立ち上げて6時間ほど、動画などで赤いリンギングのようなものが出始めた。し ばらく原因を調査して、シャットダウン。
 しばらく対策を練っていたのだが、どうやら、内部の熱を逃がす方法が少しばかり良くないことに気づいた。
 一応ヒートシンクを元の金属プレートに変更、ATIユーティリティーをインストールして落ち着いた。もう少し調査しなきゃならないので、この件について の詳細は8月(89号)で報告しよう。
 夕方、明屋(はるや)書店で「あん・どーなつ」のコミック誌を購入。バカげているけど二度ばかり読み返し、少しばかり涙ぐんでしまう。こういった下町情 緒というのか、良い雰囲気がこの小さな街でも消えつつあることに一つの不安を感じてしまった。
 市長は我々に、この地をより良いものにするための方策を出せ!と言うのだが、大半は渋々で提出をするのだろうな。こんな気分で出された提案の中から数点 が採択され実施に至となれば... 、止めよう。夕張市並にはならないまでも、ここ数年間はダメになる方向へ進むはずだ。確実にね。
 これに歯止めをかける策を強行すると、良くなり始める時期と同じ頃、手が付けられない状況の結末が待っているような気がする。じっと耐えて待つというこ とも必要ではないかな、と思うのだが... 。

2006 年 7月 4日(火)くもり後雨
 全にPismoが ダダをこね出した。この件、現在調査中だ。今の調査中の前までの段階は次の号で記載することになろうけど、意外にこんなところに... 、というのが真相のようにも感じるのである。おかしいようだけどネ。
 ここ2日が最も忙しい時になってしまった。昨日は八幡浜へ出張。仲間内と一杯やって、気づくと宇和島に到着すると午前様になってしまっていた。テレビを 点ければ杉山選手の負けるシーンを見るハメに... 。
 一夜明けて、今度はサッカーの中田選手だ。かっこよくは言われているけれど、僕はもう一がんばりしなよ、と言いたいね。そういった友は居たのだろう か?。多くはマネージャーとか、そういった方々に任せる面もある。したがって、サイトには引退の云々を記載しているが、妙に心に来るものはない。もし、が 許されるなら、「さ、終わったかもしれないけど、これがゲームさ」とナショナルチームの面々とロッカーへ引き上げるべきだ。あの、仰向けはいただけなかっ たな、と僕は思う。アレがなければ、引退ももっとインパクトがあったように感じる。
 しかし、三浦選手が今でも現役でやってる。忘れているかもしれないが、オーストラリアで短期移籍をしていたのは今年のことではなかったか。そのために、 オーストラリアに日本が負けた、とすれば... 。
 昼過ぎから曇り始めた空は、夜が来ると降り始めた。いい加減雨も止んでほしい。が、まだまだ夏のカーっとした暑さ。そういえば、昔はこのカーっとした暑 さがあったように思う。今はそれが消えて、アスファルトの道路から来る熱をはじめ、風自体がどこかおかしいものに感じられてしまう。

2006 年 7月 5日(水)雨後くもり
 まじい雨が午前中 にやってきた。運良く、その前に職場へ到着したので助かった。朝はだな、まじでラジオのサッカーの声に目が醒めた。でもって、延長線の後半、例の2点差で イタリアがドイツを破った、ということになる。
 職場では、結構ドイツファンが多くてね。が、今日の結果は、僕の知ってるベッケンバウアーとかの活躍した、真に組織化されたドイツのサッカー、それが終 わりを告げつつあることが理解されたんじゃないだろうか。
 と、その少し前に北朝鮮のミサイルだ。最終は午後10時前までに7発を打ったという。ま、好きにしてほしいが、ロシアのナホトカに第七艦隊の空母が居 る。そこへ着弾したら、これは戦争になるな、と感じた。
 しかし、世界はサッカーだ。
 そういった中、プロ野球での抗議の一件いおける中日VS巨人の落合監督の抗議の方法など、やはりやる者はやるんだな、と感じる。もし見ていた人がいたな ら、僕は「どちらが正しいか?」を個々人で判断していただきたい、と思う。
 しかし、ミサイルは裏庭を持たない国にとっては、それこそ海は実験場所に最適だ。これに使用した国家予算からすると、間もなく北朝鮮の崩壊が始まるよう な気がしてならない。今の首領様では幕引きは出来ないように感じられてならないし、結局北の国民が一番被害を被る。これ以上やると、本当に乗り込むことに なるぞ、と僕は感じている。
 となると、戦争だな。そうなった場合、我が国はどういった態度を取り、国民の安全と生活をどう守るのだろうか。
 インド独立の時のガンジーの考えと、それを実践する者は我が国には居ないような気がする。

2006 年 7月 8日()くもり一時雨時々はれ
 日は非常に結構な 酒を飲んだため、少しばかり頭が痛い。同時に腹がおかしい。そういった中で、NHKラジオの新聞を読んでサッカーの中田秀選手の件が出ていたけど、妙に台 本が出来ていたように感じる。中田じゃないと出来ないことだろうけど、三浦選手が今、中田選手と同じ年齢だと、どう変わっているんだろうかな?。
 9時近くまで寝ていた。蒸し暑さに目が醒めてしまった。それからは、自転車で市内をポタリング。走り回ってサンシャインでサンドイッチを購入して帰る。 マジで安い。時間と場所がOKなら、コンビニなんか行かなくても十分だ。少々驚き。
 Pismoの起動。おかしい。画面真っ暗。リセットボタンを押してOK。ところが、リセットしているはずなのに、時計などが狂っていない。
 ま、OKとしたとkろだが、インターネット接続で再び良からぬことが起き始めた。接続不能。早速修正して全てが... 。が、今度はネットスケープがおかしい。再びリスタート。ようやくOKとなった。
 ふっと考えてみたのだが、このMac OS X 10.4で旧G3やG4マシンはオシマイだな、と感じたところだ。
 夜、NHK総合テレビの土曜ドラマ、村上シェフの自伝をドラマ化したものだが、妙に泣けてきた。朝の連続テレビ小説でもそうだが、もしも、あの時代に僕 を置いてみたら一発で監獄行きだな、と感じてしまう。それほどの時代だったんだろう、と思う。
 今、暴走族とやらがウルサイ。車両は何も悪くない。乗ってる奴がダメなだけだ。それを、今の警察は取り締まらない。10人程度外勤の警察官を私服で出だ せばOKなのである。今は取り締まりが主だから。それすら出来ないのは県警の怠慢だろう。もし僕が一般の警察官で、今の本部長の下なら、僕は命令には最低 線でしか動かないだろうけど。それを口に出さないだけだ。仙波巡査部長の件で左遷などサセンなどを被るはずだのに、それがない。
 加戸君天下の知事部局もそろそろ崩壊だろう。今の市町の全ては県に対して右向け右のジオン軍のシャーの命令のようにはならない。加戸君もそろそろ辞める べきではないだろうか。

2006 年 7月 10日(月)くもり後時々はれ後一時雨
 さぁ「血液ガッタ ガタ」っていううた流行ったよね。まさに、今日はその心境。それ以上に、これまでの気温の高い日々の生活慣れの反省も見つかった。バカげているけど、おそ らく間違いない。
 朝は、雨が降るかもしれない、というムンムンムレムレの中、傘を持って自転車で出かける。今の道交法では片手運転は違反だったろうか?。そんなことはど うでもいい。久しぶりに課員の多くが休暇を取ったものだから仕事に集中できた。
 いよいよ今日から踊りの練習だ。僕もサポート役で出向く。理由は簡単、担当の「Hさん」が今回の人事異動でその役が回ってきたため、指導者としてはダメ な面がある。そう、悪く言うと、本来の何もかもを知らない。おまけに上司が助けてくれない。そういった中だから、あえて僕もガイヤをやるハメになる。そ う、僕が会場に行ったときは、踊りをやれるのはマジで彼女一人しか居なかったのだ。上司は合併で他所から来た人間だから使いものにならない。これは断言す る。ま、途中で帰ってしまった。
 ま、結構熱心な参加者だったし、昨年までの担当の「O主事」も来てくれて事なきを得たが、明日は僕として完全武装しなければ、僕がグロッキーになってし まう。ガイヤを教える立場でやると、休み休みにやっているようだが、そのセクションは見せるお手本になるのだから、参加者以上のアクションが必要なため、 通常踊り続けるのとは違うことになるわけなのだ。
 結局2時間。左の太腿の付け根から膝にかけてが痛〜っとくる。「ヤバイ」と思ったが、そうでもない。おかしいことだ。暫くすると、肛門が開き気味にな る。便は溜まっていない。ン〜、ズボン履きだし、ベルトの穴の位置がおかしい。そのために、余計な腹筋を使っている。
 練習を終えて、自転車に乗ると、アチャ〜、今度はペダルが踏みづらい。ここにきてようやく解った。
 それは、腰の周りの筋肉が全く使用されていない、ということだ。これまで両脚の痛みのために走ることなど出来なかったんだ。
 知人から折れた硬式野球のバットをいただいたのだが、それを振ることもなかった。痛みをこらえることなく、少しずつでも素振りを左右でやっていれば良 かった、と感じた。
 バットの素振りに至る経緯は、今回のおかしな痛みなどからでも僕の考え方が間違っているのではなかった、ということだ。これは断言。
 もう一つは、練習の帰りに酒道場で一杯やっていた時だった。ま、中ジョッキ一杯と酎ハイ2杯で終わったが、アルコールの血管拡張は別としても、水分補給 が全くなっていなかった、ということに気づいた。
 明日は、練習後の一杯は別として、わずか2時間で冷房完備のホールにおいても1リッター程度の水分補給をしなければならない、ということであろうことを 実験したい。
 もしかしたら、年少の時より水を飲みたいのを「我慢しろ」とされた教育だったため、僕自身の体が現代流の水分補給をまだ認めていないのではないか、と 思った瞬間でもあった。

2006 年 7月 15日()はれ
 曜日、良い天気、 とはいえ、午前10時で34℃程度ある。スカッとした夏というものでもないのでムンムンしている。天気予報でも梅雨明けとは言っていない。もっとも湿度は いつもより低いのだ。しかし、暑い。もし、これで風がなかったら死者まで出そうだ... 、ったのだ。
 同様な天気の下、一昨日は吉田町内で日中5時間ほど軽四輪の車内にいたものだから、昨日は腹具合が夕方まで悪かった。そんな中、久々にビアガーデンで酔 うビールを飲んだ。場所は「オリエンタルホテル」の屋上。僕が強引にここを指定したため。が、チーフも以前のままだし、客の状況を見ても酔客が多い。つま り「酔うビール」がここでは飲めるわけだ。肴も終いまで量が変わらないし、その上安い。風が心地よいし、満点だ。
 で、ここで酔ってしまったから二次会を遠慮した。
 一夜明けた本日も結構忙しい。まずはSR500のリアタイヤ交換。発注するまで何にしようか迷ったが、オートショップワタナベのマスターの勧め通り、ダ ンロップのK300にした。交換した後で少しばかり走ったが、結構パタンパタンと倒せる。曲がる方へ少しばかりハンドルバーに力を入れてやればいい。そう すると、パタ〜っと倒れるので、オットットットとなる。
 そう、リム幅とメトリックスサイズ(110)のためだろうと思う。が、これ(タイヤ)がこなれてくると、僕はスゴイパフォーマンスを発揮するのではない か、と考えた次第。
 こうやってね、ごく自然に僕はオートバイのことを記載している。が、一般のユーザーは通常はオートバイのことなどどうでも良いのではないか、と考えてい るのも事実だ。
 ま、それほどのことを小誌へ出したとしても多勢に無勢であろうことは明白だ。しかし、これを自動車の世界に持ち込むと、オートバイのそれとは月とスッポ ンほどの開きがあるのは間違いのないところだし、逆に、やるものにとっては奥が深いし、オートバイのそれとは開きが大きくなる一方である。
 タイヤ交換とともにキーを新調した。トライアンフの鉄製のキーがどうもしっくりこなくなったのが一つ。SRのキーにしても、錠に差し込んだときのフィー リングがイマイチなんだ。
 そんな、こんなで、これは市内の鍵専門店に持ち込んだ。が、トライアンフのステアリングロックがキーナンバーに種類が無くってダメだったが、それ以外は OK。応分の金額を取られた。(高いかな?、と思ったのはそこまでであった。)
 が、家に帰って錠に差し込んで捻った瞬間、「アッ」と叫んだ。このことは次号で詳しく... 。強いて言うと「ONになりましたよ」と言わんばかりだったのである。
 それにしても、キーひとつとっても致し方ないが、今の国産車は「失敗の無いように」が高じて「これが普通」がまかり通るようになってしまっているのでは ないだろうか、と思った瞬間でもあった。

2006 年 7月 17日(月)はれ時々くもり

 日中、ノンビリ出 来た。本当はね、お歳暮配ったりしなきゃならない。が、こんな天気の下じゃ、受け取る方も一層気を遣われるのは分かり切っているから止めにした。午後、一 時空模様がおかしくなったが、雨が降ることはなかった。
 久々にNewtonを出す。メインバッテリー放電。バックアップで確認すると、本日の午前2時で事切れていた。ということは、使わなければ優に1か月 バッテリーがもつことになる。すばらしい。今、フランスの何と言ったか忘れたが、その方が、Newtonテクノロジーを復活させる、と意気込んでいる。
 僕は、この復刻は「2000」「2100」にしか対応のしようがない。しかし、形が優れていること、そこそこ動くこと、使用範囲は小さくなったが、そう いったことから、僕は130を愛用してきている。今でも不都合はない。
 先日は、ヤフオクでKANGAが相当高い金額で落札された。実際、どうやって使うのだろうか。僕のiBookですら、過去のマシンに成ってしまってい る。それゆえ、何とかPismoを使用し続けている。
 ほんの数日後、僕のカメラ環境にも「ディジタル」が入り込むことになる。最初の撮影は、Gaiya On The Roardであろう。上手い具合にGetできた。

2006 年 7月 20日(木)雨
 が何と言おうと雨 に違いない。今、午後9時、再び激しい雨が降っている。もう少し風が出ると止むのは明白だ。いつになるのか判らないが、風が吹くまでの間が何とももどかし い。以前も記載したが、これが、この地方の天気予報が全く当てはまらない、という最大の理由だ。僕は、これは自治体の「市町村を知る」以前の問題が気象予 報士に求められるのではないだろうか。アンタの一般的な考えは、この辺のネイティヴなウワジマンからするとチョロいもんだ、と言わざるを得ない。特に今の NHK総合の愛媛の予報士には時に閉口してしまう。まるで、松山中心じゃないか。
 もし、僕が気象予報士なら、NHKと綿密な連携のもと、地域住民と接しての云々を盛り込むとしたい。今はこれが出来ていない。しかめっ面したご老体がや る通常の予報と、それに付随したチョイトした地方の行事を組み合わせてもダメなんだ。
 そういった中、所用の事柄をこなす。が、本来は僕がやるべきものではない。それを受け持つのは、やはり人が良いのかな〜、と感じてしまう。
 こんなモンモンもあるけど、僕の世界もデジタル一眼レフの世界に突入した。その物は早ければ明日、遅くとも明後日の午前中には届く。ガイヤがテストにな るのは明白だ。
 しかし、ウキウキだな。今日は給料日だったし、こっちも少しばかり余裕があるから一安心だ。
 ン〜、少々ハイな気分だ。ちょうど、ニコンF-2を我が手に求めるときによく似ている。で、S1 Proはリーズナブルな価格なのか?。そう、大丈夫、元箱入りなど、その機種が次のオーナーへ引き継がれるときの最低のものは同封されてくるのだから。

2006 年 7月 21日(金)雨後くもり
 々興奮している。 ま、これは後として、ともかく午後9時を過ぎて、ようやく雨が止んだ。15日にSR500を車検に出したまではよかったが、車検完了でも受け取りにいけな い始末。拙宅まで運んでもらっても仕事の時間内ならそれもダメ、ときている。雨が上がった明日は... 。
 そんなこんなでイライラの方がつのるのだが、本日届いたS1 proを手にして、それらがブッ飛んだ。やはり、最初にこのマシンの写真を見たときの感覚は間違っていなかったようだ。
 ベースはニコンのF-601だが、601なら僕は手を出していなかったろう。しかし、S1 proとしてのキカイだと、バッテリーが3種類も必要などの面はあるが、今のS3 proよりも使いやすいように感じる。
 ン〜、僕の気分としては、まるでニコンFを最初にゲットしたときによく似ている。メインマシンのF-2とは全く違うカメラという気分=デジカメ一眼レフ S1 proということだ。
 明日は夕刻からのガイヤ・カーニバルでもある。この撮影にに使ってみたい。その前にテスト。そのためには、SR500の搬送からS1 proのバッテリー、メモリーカードの購入など、結構忙しい。
 思い通りになれば... 、いや、S1 proは確実に思い通りのマシンであったとなるべきだ。

2006 年 7月 22日()くもり一時雨
 前中は大変忙しい 思いをした。まずは、雨の降っていないことを確認して、朝食のパンを購入。ネット上の確認。S1 Proそのものはリーズナブルな価格で落札した、と感じた。
 ともかくSR500を引き取りに行く。車検費用を払っていつものコースへ入れる。レイングルーブで左右に揺れるのを確認。K-300の特徴だろう。
 帰宅して、デオデオでCFメモリーと単三の例のバッテリーを購入。メインのリチウムバッテリーは小富士さんで購入した。理由は簡単。カメラ屋さんの方が よく売れているからだ。バッテリーはよく売れているところから購入すること、これ常識。
 帰ってセットしたところ、絞り他をオートにして、他はマニュアルではシャッターが切れないんだ。これにはマイッタ。次なる問題は、F-2の50mmレン ズでは白がハレーションを起こしてしまう。やはり開放値の小さい明るいレンズは、意あのマシンでは逆に使いづらい、というわけだ。
 我が孫と対面。かれはすでに「人酔い」状態だ。嫁と妻が同道してはいたが大変だ。
 今日のガイヤカーニバルの各賞の決定にはいささか疑義が生じる。泉田バレエがとてもトップの演技、コスチュームなどを通しているとは感じがたい。それで もチャンピオンになった、のは、これ如何に、というところである。

2006 年 7月 24日(月)くもり一時雨
 1620年 のこの 日、山家清兵衛は一家が惨殺された。惨殺された日は、ジトジトと雨の降り続いた、と歴史は言う。蚊帳の中で惨殺された のは、拙宅と目と鼻の先、丸之内の和霊神社。ここが屋敷であった。彼の支持者が亡骸を運んだのが御霊廟、今の金剛山大隆寺の一画であったらしい。
 嫉み云々で始まる結果からして、ことは非常に簡単だろう。が、伊達政宗の嫡子の秀宗の目付役でもあり、藩政に口出しできる立場、それに民に人気のあるこ となどから一部の家臣から疎ましく思わ れ始める。その結果、真に受けた殿からの命令で一家皆殺しに至ったのであろう。それから12年後の1632年に和霊神社が建立され、おそらく、その時か ら、この和霊神社の夏祭りは 続いているのであろう。
 と、同時に、1945年の今日、旧帝国海軍の314航空隊の紫電改が、豊後水道上空でアメリカの戦闘機と大空中戦を行った。撃墜されたであろうその紫電 改が今 の愛南町の久良湾で見つかったのが昭和53年(1978年)の11月15日。引き上げられたのは昭和55年(1980年)の7月14日であった。僕は妙な 気分になってきてね... 。
 「殿、このように山家公の弔いが盛大に出来ました。さぞかし山家殿も草葉の陰で喜んでいらっしゃるだろう、と思います。」として、今年のお祭りを、これ からのお祭りのベースにしていただきたい、と願うところだ。
 そうでなければ、「来年も今年同様の事をやっていると、清兵衛、未だに民の心の内は解らぬな〜?、成仏してくれ」と和霊神社へ参っていることことであろ うな。
 特に祭りに参加している高校生を見ていると、こいつらは今の大人が年寄りになったとき、和霊様は真の神事のみおこなうことになってしまい、祭りから民は 追い出されそうな気が してならないのである。

2006 年 7月 29日()はれ
 24日から今まで何 をしていたのだ、とお叱りを受けそうな気分にもなる。テメェのことを記すだけなのに、苦情を言われるのは辛い面もあるが、逐次記載するのが管理者の責務で もあろう。こういった点はモーターワークス今村さんの貧乏単車オヤジの日記が非常によろしい。僕の道楽のオートバイ関係つながりだが、僕の日記よりは遙か に好ましい。テキスト主体に較べて、ブログは写真なども入っていて楽しめる。
 先に僕が記さない日々が多いのはダメという理由を差し上げたが、真面目にお祭りの疲れが後追いを始めていて、今日も夕刻からの会議に出ていた手前、現実 にはノンビリ出来ないまま就寝時間を迎えることになるのである。
 こうやって、疲れが後追いを始めるのである。信じられないかもしれないが、26日の休暇は職員の幾人かがまとまって休暇、という事実もある。お祭りの翌 日休むのは「なさけない」の烙印を押されるからに他ならない。
 各申す僕も、さっきまで労働会館で憲法を守る会の役員会に出席していた。その後で、酒道場へ行ったとき、突然頭の中が15年ばかりバックしたような気分 になったからである。
 常連の客の中に、ルーベンス・バリチェロとか言った名前が出てきだした。F-1じゃん。今のF-1はな〜、と思っていたときだったのである。エディー・ ローソンの名前が出てきた。一人の客が「彼はケニー・ロバーツのセカンドライダーだ」と言ったとき以降、実に楽しく、レーシングマシンを肴にして楽しんだ ところだ。
 もし、このメンバーの中で誰か一人でもオートバイに乗ってらっしたら... 、と思ったが、こればかりは出来ない相談だ。
 そろそろバカの集大成として、相当に目立つ「大きい排気量」のオートバイに乗らなくては示しが付かないかな、とも感じたところだ。

2006 年 7月 30日()はれ
 るで、ごく普通の 人間と高性能機械とのしのぎ合いをやっているような一日であった。そもそも、ことは昨日から始まっていたのだ。
 FinePix S1Proに装着しているニッコールの35-70mmのレンズを何とか明るいものとして使いたい。フィルターは... 、などと考え、犬飼先生に助けを請うたが、逆はあっても、明るくするスベはない、とのことだった。
 が、「レンズの前を暗くして、CCDに到達する光を変えることはCCDの特性上、暗い=CCDの感度は上がる、という考えから行けるかもしれない」との 言い分をテストすると、ア〜ラ不思議、その通りになっちゃったよ。
 スカイライトを装着すると見事にOKになった。いわゆる「電子の目」そのものを理解するには、まだまだ期間が必要だな、と思う。銀塩カメラなら、こう いったことはテストフィルム数本分、千円ランクの出費でOKだし、その上にフィルムの特性、カメラとのマッチングなども結果が出せる。
 最近の銀塩カメラの復活は、出来上がり写真の期待感に合わせて、カメラテストにかかる低コストなど、そういったところに再人気の秘密があるのかもしれな い。
 同じようなキカイとの一件は夕方に起こった。明日の出張にiPodを同伴させたいので充電開始をする。が、本体が熱くなるだけでウンともスンとも言わな い。
 ともかくバラスと、ア〜ッ、バッテリーからのコードの接続が不満足状態ではないか。いや、マイッタね。何しろ、ハードディスクの上にバッテリーがお神楽 状態で乗っている始末だから、バッテリーの乗り方を上手くしないとダメなんだな。それで、ハードディスクをまずは落ち着けて、その上にハードディスクに負 荷がかからないようにバッテリーを乗せる。そして、コネクター接続の断続を数回やってOKになった。このことは最初にリリースされた5GBモデルに起こる ことであり、次にリリースされた10GBのモデルでは改善されている。
 少々気分が良かったのでゲルマンへ、レジ袋のストックを持っていった手前、一杯やって帰る。
 暫くしてK君親子が来る。K君本人は医師より、血糖値が高すぎるので制限してください、とのこと。その医師のコトバにもかかわらず、ビール小ジョッキ1 杯に豚スタミナ焼きときたね。
 それよりは、焼酎か酎ハイにして、魚のマリネぐらいにしたら... 、と僕は言ったのだが、全く意に介さず。
 それよりも、米の飯はここ数日間食っていない、と来た。
 オ〜イ。お前さん、エネルギー源は何なんだ?。日々動くためのエネルギーは、日本人なら飯だろう。そしたら、その飯と三度の食事の状況を変更しろ。肉を 食らうのなら、それ以上に野菜を多くしろ。飲まないに越したことはないが、酒は蒸留酒にしろ、と僕は言ったんだ。
 その上に糖分摂取の総量を少なくしろ、と言いたいが、彼はガンとして受け入れないし、奥様も来ていたので、これ以上言うのは控えた。
 僕はノンビリと山田錦を飲んでいた。肴はニラとモヤシの炒め物にタコブツだ。帰宅して、口にしたのは残りご飯のおにぎり1個のみ。その後は水を多く飲ん だ。どう?、彼の食餌と較べてみて... 。
 僕はね、そういった総合的なものを何とかしなきゃ、血糖値なんて継続して数値が一定になりゃしないし、かえって偏食の他へ及ぼす危険性の方が大きいんだ から。こういったことの繰り返しが慢性につながるのだろうし、命に関わる。単純に個人の少しの理解不足の結果からである。
 大学時代、体育学部だったから、こういった栄養学の少しを知っている。こんなちょっとしたことだけど、真の素人と、わずかに知識を持った者との差。こう いったものは常に存在するのだろうかな。
 もっとも、月末の明日、僕の朝はこないかもしれない、ということも考えられないではないが... (冷汗)。

2006 年 7月 31日(月)はれ
 用で松山へ出張。 午後1時30分からの会議だが、路程途中で弁当ともいかないため、早いバスで出向くことにする。今回、時間的な余裕は用務の始まりまで30分あればOKだ ろう。 その上に、僕は金額、時間的にもフィットすれば宇和島自動車の高速道路を使用した路線バスをお奨めする。ところが、時として当て外れがある。正に本日の帰 路がそれ。
 午後4時道後(どうご)発の特急便に乗ったのは良いが満席であった。やむなく相席。「済みませんが、よろしいでしょうか」と言って、OKのうなずきが あったので、そ の通路側に座ったのだが、マジ、この隣のイケスカネー若者に頭に来た次第だ。
 僕の2/3程度の体格だが、それ以降もガンとして座っているポジションを修正しようともしない。「コイツ、バカじゃネ〜の?」と文句を言いたくなっ た。
 僕はね、iPodを取り出した後、上げたくもない荷物を棚に上げたんだ。チラリとそいつの指を見たところ、最近の若い男に多いけど、ギター弾きの僕の右 手の爪以上に爪を長く伸ばしてやがる。一瞬SheMaleのことが浮かんだが、コイツもしかして...じゃないだろうな、とも感じた。
 奴、ず〜っと緊張、そのくせ途中からウトウトしながら僕にヨリかかってくる。
 で、北フジ前で下りる直前、ようやく姿勢を直す。僕の右にかなりのスペースが出来る。「お前... !」と、マジで足を引っかけてやろうか、とまで考えた次第だ。
 な、袖スリ会うも...  となるけれど、僕の心に、その内情を知る必要が最近になって感じ始めた。

2006年 8月 2日(水)はれ一時雨
 午後、ことのほか強烈な雨が二度降ってきた。ところが、降るだけ降って、その後の風がないので、そんなに涼しい感じはしない。大きい打ち水効果ではない な。
 ここんとこ、夜の会議が続いたので、久々に丸穂温泉へ行く。やはり銭湯は良いな。マイナスイオン効果っていうらしいが、これだけのお湯をたっぷり使え て、体の隅々まで石けんで洗って... 、それで330円だ。
 ここ二日ほど、ちょっとばかり、頭がグルグル回る。メニエルではないようだし、平衡感覚器官の石が何タラという病らしい。以前もちょっと経験したんだ が、ここんとこの暑さと、夜の会議などからの不摂生が要因の大部分だろうな、と思う。
 さて、本日のボクシング。判定だったけど亀ちゃん勝っちゃったよ。僕の目からしたら、勝ちは相手のチャンピオン側だろうと思う。
 ま、ジャッジには従えだからどうしようもない。「もしも」はないが、今日の一戦は亀ちゃんは負けた方が良かったのではないかな、と思う。次はアウェイで の防衛戦になるんだろうけど、ここで負けると、今日負けたより、もっとダメージが強いのじゃないか、と感じる。
 夜のNHK総合テレビ、「その時歴史が動いた」で、白井義男選手とアメリカのコーチの話をやってたが、今のボクシングのあり方が間違ってるんじゃない か、と考えさせられる一面を見たようだ。
 外見だけだろうけど、あーいった行為としゃべる内容を止めないと、ボクシング界にとってのハンデキャップとなるような気がしてならない。
 オーット、最初の君が代でも、石原都知事が聞くと「コイツは東京で試合をさせない」とまで言いかねないからな。それほどヒドカッタ。まるでバカじゃない の、とは言い過ぎだろうか。ま、太平洋戦争が終わった日がいつかを聞くと若い方々の24%しかしらない、とクローズアップ現代では言ってた。中には最大の 敵がアメリカだった、ということさえ知らない者が居るらしい。
 今、戦争が出来る体制を日本政府が整えようとしているらしいが、どのようにやろうと、再び敗戦の処理をやって、それから60年ほどかけて今のように戻し て... 。おそらく60年程度では成就出来ないのではないだろうか

2006 年 8月 3日(木)はれ
 日は昨日のように雨は降らなかった。今、 午後10時過ぎ、NHKでは仕事の流儀をやってる。結構かっこいいこと言っているが、出演者は自分の考えたことを仲間にやらせているに過ぎない。この世界 を僕が一番嫌いがるところなんだ。主人公はキカイを触るが、その実、本来のことをやっているのは仲間である。その仲間の意見など聞き及ぶに至らない。それ が凄まじいことでも... 。それが見え見えのように感じた。
 このことが一般化したら、K氏はもっと一般に認知されていることと思う。
 さてさて、目が回る一件、少し実験した。結果は明日、ということである。そんな〜、とおっしゃる無かれ、この時間帯に別段異常なくタイピングしているだ ろう!?。目が回ると、こんな事やってられないモンな。
 昨日のボクシングの件、凄まじいよな。昨日の日記に記載したとおりのことが巷で出ている。とどのつまり、大晦日は亀ちゃんの試合が大事か、レコード大賞 が大事か?になって、結局のところ興業なんだ。亀ちゃんの名前の一字。こんなモンだ。僕は亀ちゃんが負けるように仕組めばいい、と感じる。
 ボクシング業界のみならず、一般社会人からしても、亀ちゃんの態度、言動などには閉口している者が大半だからだ。来年、お呼ばれで正式なパーティーなど で、ツナギやハンバーガーなんぞ加えて臨むとどうなるかは、多くの国民が感じているだろう。「自分さえよけりゃいい」とする亀ちゃん側。それに対するマイ ナーに対する一般メジャーの考え方を狂わせることは出来やしない。パーティー開始の乾杯でポカやると、「お祝いのシャンペンすら飲めないんだ」と思われる のは必至だ。一部始終を見ていた記者が、それをヨーロッパなどに流すと、亀ちゃんそのものがくたばることになるんだ。
 ま、大晦日は、「亀田負け」を強く願っている。コイツの何かを変えなければ、いくらナイーブなところとか、長男としての人間らしさ、などと言うが... 。
 そういえば、極東の我が国が一番早く大晦日を迎えるんだ。欧米諸国では花火での2007年の誕生祝いは出来ないままであろうと思う。

2006 年 8月 5日()はれ
 のフラ〜も少しず つ治っていく。ま、先ほど(午後10時過ぎ)の地震のように、いつ来るか判らない。今度起きたらお医者さんへ行こう。ただし、病院で振り回されるのを覚悟 の上でだ。
 昨日の協議の席は非常に気分が良かった。「いづみ家」さんはすばらしい。ン、本当に少しばかり豪華な夕食を摂れた。ウソじゃなく。二次会では中国の少し 年齢の行ったホステスさんと筆談。最後に政治の話になって僕は困惑したが、中国もご多分に漏れず毛沢東主席を知らない若者も多いらしい。
 そんなことで、少々遅い時刻まで寝ていた。8時前に起きたはいいがお盆の準備には早いし、買い物をすることもないので、1日中家の中でゴロゴロしてい た。
 夕刻、お盆を前に、随分と夜が早くなる時間の経緯を知る。そういえば、蝉の亡骸が多くなってきたな、とも感じる。丸穂温泉へ行っている間に、S1Pro ように改造されたミノルタのスプリットスクリーンが届いていた。早速取り付け... 。
 これが難題。少しばかり厚みが不足だから、コの字スプリングの曲がりを強くしたら、セットの溝に入りづらい。結局劣化したモルト(スポンジ)まで取り 去って、爪がスクリーンに当たらないようにして指で収めた。これまで1時間が過ぎた。
 結果は素晴らしい。ニコンのスプリットと違ってスプリットの周囲の模様を無視してピントが決まる。これはいい。一応モルト部分は布で修正しようかと考え ている。コの字型のストッパーの乱反射を押さえるのが第一目的だからだ。パトローネのゲルと部分が良いかもしれない。これでS1Proのモディファイは修 了。
 この1時間で疲れる。目も少しずつ遠くなってきたモンだな〜。

2006 年 8月 6日()はれ
 今ラジオで方言云々などを語り合っている。僕が方言を東京で使ったとしても違和感は一切無い。不思議なことと思われるだろうが、事実だ。
 理由は、アクセントが関東そのものだからだ。その中で「不明」が生じるのは「地域コトバ」にある。「いってくらい」。これは理解できないし、「いけん ぞ」 とかがそれだ。が、これらは、その都度ウワジマンがしゃべる地域コトバに説明を加えれば十分に通じるし、2〜3回言えば、その関東風のアクセント だから、言葉の意の大半は理解されるのである。
 僕は十数回東京へ行っているが、身内の居る大阪よりも、コトバでの通じは早いのである。
 話は早朝になるが、クリーン宇和島大作戦で、国道沿いの掃除を行うために、SRを引っ張り出して、集合場所の国道56号線の大洲工事事務所へ出向く。ほ ぼ1時間作 業をやったが、集まった連中はJRの線路側を一切やっていない。ゴミを拾うのよりはもっと簡単なフェンスから出た枝折り作業と、それをその場でJRの線路 側へ捨てればいいのだが... 。
 午後は必死の思いで、S1Proのファインダースクリーンを交換した。少々難ありだから、こちらで改造したものをそのうち紹介しよう。
 今日の高校野球は、監督も策をあまり講じるべきではないな、と感じた次第。おかしいけれど、開会式で文部科学大臣が観客の皆さん、テレビで観戦の皆さ ん、ここまでであった。今の時代、ラジオは相当に評価されない物であるのだろうか。

2006 年 8月 9日(水)はれ
 日、「a2湿原」 というブログの管理者さんからeMate300の件でメールがあった。僕の記事を見つけて、バッテリーの自作をやられたということ。 インジケーターが半分しか行かない、という、僕自身の経験したジレンマに悩まされていらっしゃるらしい。一応、Re:メール的な書き込みをしておいたが、 このインジケーターの状況を語るととりとめが無くなる。インジケーターの状況が充電量と一致するかどうかは、僕にも解らない。
 eMate300をしばらく使用しないと僕のiPodのような状況に陥ることは多いことと思う。サーミスタの適当なものが入手できればいいが、現在の 2000mAを超える容量の単三電池を完全充電するには別の方法を試みなければならない。おそらく、eMate本体に穴を開けて外付け専用充電器のために バッテリー接続コネクターを増設する必要がある。これは、僕は作業しない。eMate300の形を壊してまで使い続ける気にはならないからだ。
 この結果を得るには... 、僕自身また結論に達していない。MP-130は1700mAのバッテリーがフィットした。が、これとてチャージングステーションでは容量は6/8程度と なる。ダイレクト充電で約2時間。これで本機を使用しなければ3週間は持つ。その代わり、その後はバックアップのボタン電池に仕事が移るから、これがダメ になるとメインバッテリーの容量が短くなる。
 もう、お解りと思う。後者はバックアップバッテリーとメインバッテリーが持ちつ持たれつの関係にあるため良好な結果になるが、eMate300では全て を一つのバッテリーでまかなっているため、バッテリーと充電状況によって充電完了前にサーミスタが作動し、インジケーターに充電完了を指示してしまうわけ だ。何しろ、純正バッテリーは1000mAのNi-Hiバッテリーを標準としている。その上にそれ用のサーミスタが働く結果、容量の大きいバッテリーでは インジケーターと実際の充電状態が少しばかり数値が外れるのである。これを僕は未だ解決できていない。そのため、更新記事も書けない状態である。
 それにしても、a2さんもおっしゃっていたが、過去の機械のことなど、今の使途では無視しても言いようなものだろうかな〜。と思いつつヤフオク見ると綺 麗で元箱と内容物の欠品のないものが40,000円もするのだから、何をかいわんや、である。
 久しぶりのことで単一の話題になってしまっtが、現実には月曜日のF-1レースでにホンダの優勝の件、総務省からの橋本元総理のお別れ会に対しての黙祷 要請などがあったことなど。今日の長崎原爆投下の黙祷のように、多くの職員が行う。三木総理、大平総理の時は黙祷などしなかった。橋本君は若くして多くの ことをこなしたから別格なんだ、と、その業績を認めよ、黙祷せよと強要にも受け取られる。今の我が国の状況を見ると、例の事件で逮捕されて刑の執行中に 逝ってほしかったと思うのは僕だけではあるまい。
 ま、とりとめもないし、次号のネタがなくなる(爆)。それにしても、久しぶりに昔のキカイのことでメールをいただき、ついつい長く記載した次第だ。

2006 年 8月 10日(木)はれ一時くもり
 初は終わりから始 まる、という気分で今タイピングしている。昨日来、どうやったら、僕の頭のクラクラをなおすことが出来るのか?。ほんのきっかけは、 息子の仮性クループの対処方法であった。気管が圧迫される病気だが、平常にしているときにでも、これがやってくる。時に夜、時に未明、といつになるか解ら ない。 その時に用意していたのが最初は水であったが、次はポカリスエットに替わった。その後、アクエリアスに替わった。理由は簡単。それはナトリウムだ。つま り、塩分補給がスポーツ 選手並の発汗状態の赤ん坊の彼には必要だった、というわけだ。しかも、症状が落ち着くにつけ濃度を1/2にして補給させた。決して美味しくない。むしろ、 水くさ い味になってしまう。
 が、息子はこれを必死になって飲んでいた。子どもながらに生きようとする努力。喉の渇きに味の良い水分など関係ない、という動物の感覚が存在したからで あろうと思う。
 今、息子は僕の身長をしのぐ人物になっているし、息子は中耳炎の病と解放を繰り返しているが、至って元気である
 僕のフラフラも同様であった。数日間考えた結果が、スポーツドリンクの1/2濃度にする方法である。これを作って職場で飲み続けた。
 帰宅して「アッ」と感じた。詳しくはもう少し様子見だが、こんなに外が熱いにもかかわらず、「熱いのだから」と納得してしまう。久々に、こんな気分に なってしまったんだ。
 ま、色々あるが、今日は記載しないこととしたい。

2006 年 8月 14日(月)はれ後雨
 はお墓へ行って、 その後 シャワーを浴びて整える。最近は朝の湯浴みが多い。どうしても夜の風呂になると、真面目に部屋を思いっきり冷やしておかなくてはならない。とうてい無理 だ。
 所用で外出。南へ行くのだが、早くも帰りの自動車が多いことに気づく。仮に、この地に就職の場が確保されていて... 、となると、この世界は相当に変わってい るだろうが、シロキの撤退から、そんな夢のようなことは一切消えてしまった。
 そういえば、新盆のお墓の名前を出していなかったお寺さんが昨年はあったよな。今年はないようだが、個人情報保護法の嵐も収まったのかもしれない。我が 家の墓もそろそろ砂利を敷いて猫の糞害から守りたいと考えている
 今はラジオを聞いている。聞きながら真面目に、今の商店街の行き方を見守ってみると、何とも遅れているようでならないのである。
 お盆も終わると、一気に秋の風に包まれるようになるのであろうかな。
 と、いうところで、夜のNHK総合テレビで戦争云々のことを言っていたが、どうしても先の戦争のことを話題に出すから、テレビを消してラジオを楽しんで いる、ということになった。
 第二次大戦の後、朝鮮動乱から始まって、ベトナム戦争、中東戦争など、今の(戦争)現状に合わせないと、児童生徒、若者が描く戦争は、他国に出かけなく ても、こ ちらからボタン一つでヤッタ、ヤラレタの世界が高じての「戦い」に至るのであろう。
 それを言わなければ、「戦争をするな」というだけのことになってしまい、おそらく先の大戦での戦争のイメージは全く違うものになっていたのではないだろ うか。それゆえ、まるでテレビゲームの世界を覆すような「戦争そのもの」を教えなけ ればならないのだから。

2006 年 8月 19日()くもり
 うやく雨が上がっ た。台風ってものはサッと来てサッと行ってしまうのではないか。この10号ではどうだ。ま、自然の力は大きいものだな、と感じる。
 これまで、日記を記載することが出来なかった状況に陥ってしまっていた。目が回るのも少しずつ解放に至っているように感じる。9日からは連続で酒の席が 続いた。いい加減、酒というもの、ことに、ワーワー騒ぐ席が随分と嫌になってしまっている。静かに、時に騒ぐ席は同好の士というところだけに限定してし まっている。ところが、同好とはいいながら、昔のことを云々、ケンケンガクガク、自分の世界を力説などは最近控えている。
 そういった点、今日のNHK土用ドラマの「新人間交差点」はなるほど、と感じた。この時代になって、ようやく僕の考え通りになったかな、とも感じる。 が、仲代達矢さんが演じる彼の年代にならないと、身内の女性記者の年代の方々に対することが出来ないのであろうな、と感じたりもした。
 その後の@ヒューマンにしてもそうだ。番組中の靖国の一件、実は2日前、松山での集会で真の靖国神社のことを知ったけれど、それが良い、悪いは僕には言 えない。しかし、祀ってほしくない人の意志は尊重しなくてはならない、と感じる。若い方々もイッチョマエと僕には感じるが、切った貼ったの喧嘩さえ経験し ていない、ましてや、自分が悪いことをしているのに先生に叱られた、と親がモンクを言ってくる。それが当然とまかり通る世の中だ。この国が攻めこまれた ら... 。ま、この辺で止しておこう。
 さて、昼過ぎにゾクゾクっとした。そう、先日入手したニコンFM-3のK3スクリーンを加工してS1Proに装着した。時に午後1時過ぎ、ファインダー をのぞいた瞬間、何という表現をすればいいのか... 。結果は次号で、としておこう。
 望むらくは、S3Proでは無用の長物かもしれないが、フジもこういったスプリットタイプ、マットタイプのスクリーンを用意すべきではないか、と感じた りもした。
 それにしても。凄まじい変化にミノルタの加工品では追いつかないものを感じてしまった次第だ。
 ということで、チャングムを見てオヤスミとしよう。

2006 年 8月 20日()はれ一時雨
 〜、真面目に更新 云々なんて言っていられない世界の始まりになった。そう、サッカーの件などからしたら、こんなことはサポーターの意志だろう、と来るはずだ。俺は決してバ カにしない。が、それを差配する上層部そのものをバッシングするだろうと思う。
 今、それを救っているのはオシム監督であろうと思う。僕はこれほどチームのこと考え、なおかつ我ナショナルチームに対して暗黙のサゼストを行っている、 ということを評価すべきである。
 振り返ると、全く僕の考えと同じだ、と考えた。夜のスポーツ関連のニュースで解説者諸氏がとやかく言っているが、これは、お前がメンバーに入っていない だろうし、今のサッカーを知るよしもない世界に居る者が、そういったことを言っても良いのかな?、というのが僕の気分だ。どうか、これを真に受けていただ きたい。
 試合が終われば、想像でしか結果が出せない。午後10時半前後、何とも異様だが、選手の言葉はいいが、監督の言葉の真意を知る由は、マスコミ関係は全く 意に解すことができない状況ではなかったのか?、ということに限るのではにだろうか。
 ドイツのことを引きずるな。そして、今の日本チームのこと、それに一線に並んだのだから、他人をけ落としてでもサッカーの出来ることを考えよ、といいた い。
 が、しかしだな、僕はこれをやりすぎると、地域に根ざしたサッカー教育は一切できないことになってしまうのではないか、と感じてしまう。それほど、今の プロとアマチュアの差は広がっていない、ということであろう。
 マラルック、いわゆる他湾相撲なんだろう。僕は恐れ入ったのは、それを指導する高齢の方がめっぽう元気で、幼少の人たちにそれを教えていることであっ た。将来現役、という言葉は解るが、おしなべて「現役」では決してない、ということを深く胸に刻んでおくべきだ、と強く感じた。

2006 年 8月 21日(月)はれ時々くもり
 おかしい夢で目が 醒めた。今日は松山だから、そのまま二番寝ということにはならない。それにしても、現実にこういった出張で1日が潰れるのはつらいんだ。宇和島から松山、 通常のスピードで往復4時間。実質の会議が今日は3時間。
 都会に住まわれている方には何とも悠長な、と思われるだろうが、事実だ。それほど道路も遅い。高速道も対面交通だ。JRも1時間20分。当然ディーゼル で単線路だ。特急でも特定の駅で待ち合わせをするのだ。
 そういえば、同じトライアンフ仲間の秋田の友人は、'79年当時宇和島から松山までの移動時間が3時間だ、と言ったところ、それはサイクリングロードだ と言われた。98kmを3時間だし、ヘタすると4時間もかかってしまう。あえて言わなかったが、実際は高低差もかなりあるから、国道56号線自体は結構大 変な道なのだが、時間がかかりすぎるのは事実だ。
 朝、ビートルズの日本公演番組のエアチェックする予約をやっておいた。上手い具合にそれまでに帰ってこれたが、エアチェックはそのままに、もう一つの窓 辺さんの満組を見ていた。
 この間の同級会の席のことを少しばかり思い起こした。様々な人生があるけれど、やはり集まると昔に戻ってしまう。が、間もなく高校の名前が変わってしま う。そういうビートルズでさえ、2人も他界しているから、全ては過去のことだ。
 あの時、僕は西予のT君が居た下宿でビートルズの日本公演をテレビで見ていた。彼はカメラでテレビを写すという、けっこうな離れ業をやって成功した。探 せばジョンレノンが歌っている横向きの写真があるはずだ。
 もう40年の歳月が過ぎているんだもの。今の若い人に、あの時のことをいくら力説しても理解できないだろうけど、強いて言うとローリングストーンズが今 でもライブやってるのだから、あのニュアンスの100倍ほどのものであった、といえるのではないだろうか。もちろん、今の若い人からは「そんなことはな い」といわれるだろうけど... 。
 話は変わってヤフオク。昨日Pismoの入札をやってたのだが、例の設定額を結構な値段にしていた入札者が居て、2諭吉でもダメだったので下りたんだ。 色んなところが動作しないPismoだから、おかしいな、と感じていた。
 ところが、本日帰宅してメールを開いてビックリ。僕が落札しているじゃないか。 
 昨日は、あなたが最高額入札者です、ではなく、あなたより高額の... 、で一喝されたのだ。と、いうことは、その設定入札者が下りたからか〜?。解らない。いずれにしても、終了後の状況も1両日は見ておく必要があるように感 じる。
 ま、部品取りとするか、保管しているG3カードで生かすか、というところだろう。液晶が再びおかしくなって来だしたから、渡りに船ということもあって、 良い具合に落札できたとしよう。

2006 年 8月 22日(火)はれ一時雨
 ことなく、秋の気 配を感じる。その一つ、夜に虫の声が聞こえるようになった。不思議なものだが、ほんの少しだけ気温が下がる。もう一つは、一時的に雨が降る。もちろん今日 の関西地方のように1時間に100mmなんていうのじゃなく、あそこは降っているが、ここは降っていない、というような状況だ。
 そうそう、先日ヤモリが天井から落っこちてきた。小さいのだったが、コイツがなかなか可愛い。少しだけ掌にとってやって外へ逃がした。
 ウンカとかツマグロヨコバイの類もよく進入する。これらに混ざって、種類は知らないが僕の横っ腹に噛みついて来るのがいる。カユイ後を見ると中心に穴が 開いている。ダニではないから... 。
 ほんの少しの地面だが、少しばかりうれしくなる。道路沿いの敷地内にはハゼランという3時にしか花が咲かない雑草が生えている。
 お盆の前に刈り取ってやろうか、と思ったけど、猫よけにもなるしそのままにしていたら、ラジオ深夜便でこの花の説明があったから刈り取らなかった次第 だ。そういえば、満開になったのを見たことがない。
 S1ProのCCDの掃除を行う。写真の中にポツっと黒いものが見える。思いっきりブロアーしても、そのまま残ってしまう。もしかしてモルトの端っくれ かもしれない。最終はアナログでもって、その位置とおぼしきところを綿棒で拭ってやってOKとした。この部分が銀塩カメラではフィルムだから、スプールへ 送られると次のフィルム駒が来て元通りだが、CCDはセルフクリーニングなどできやしない。身動きすることなくデ〜ンと鎮座したままだ。よ〜っく考える と、この部分がレンズ交換が出来るデジカメ一眼レフの最大の欠点ではないだろうか、とフト思ってしまった。
 今、沖縄女学生の従軍看護婦のドラマ見ている。妙に感心しない。実際はこんなものではないし、俳優はもっとその当時のことを生き残りの方々の真の沖縄戦 のことを聞いたり、実際にその地へ訪れたりして、どうにかして、今の若者にも供応する役作りをしなきゃならないのではないか... 、と考え込んでしまった。狙ったところは解らないでもないが、どこか疎外感があるし... 。
 昔の映画でモノクロだったけど「ひめゆりの塔」というのがあった。二度と見ない映画としてしまった。僕が逃げている、と思われても結構だが、あのような 映画をドラマ仕立てにできないものだろうか、と考えた。もちろん、外国映画にもそれはある。モリツリ、パピヨンなど二度と見たくない。それほどの残酷さと かを今日本でやると批判の方が大きいし、民放ならスポンサーの関係があって番組自体が存在しなくなるのだろうな、と思った次第。

2006 年 8月 26日()はれ後一時雨
 王星が惑星群から消えたが僕のPismoは復 活した。例のヤフオクの入札の一件から、出品者がナ〜ンニモ言ってこなかったので不安だったけれど、本日受け取りをした。ン〜、筐体はダメだ。が、シャ シーをはじめ、ロジックボードなどは商品説明通り、かなり新しい。これで高いかな?とも感じたが、そんなことはなかった。
 実のところね、不動ではないが、ハードディスクをマウントしない、とあった上に起動しない、とのことだ。「そんなことはない」と思って、スイッチを入れ るとウンともスンとも言わない。やはりな... 。
 まずは、ハードディスク。アチャ〜、エンドピンがレアショートだ。そう、ダンパー兼絶縁ラバーが剥がれている。つまり、筐体のシールド塗装にレアショー トだ。両面テープで応急処理をして、コネクトすると、シュ〜ルルとハードディスクが回転し始めた。ということは?
 そう、ダメって言われてたバッテリーが見事に生きている。おまけに、バックアップのバッテリーも大丈夫のようだ。もしかして... 。
 これらのことから、まずは手持ちのG3カード(400MHz)に128MBのメモリーを装着してOS 9をインストール。スイッチ一発「ジャ〜ン」お見事。が、画面はシステムフォルダーのアイコンが点いたり消えたり。これってOKじゃん。
 OS 9をCキーを押してCDからインストールしたところ、真面目に作動した。この時点で、単にハードディスクをイニシャライズして、(OS 9の)システムの最小をインストールすればOKという単純な作業をやって修了した。
 ハードディスクから見事に起動したではないか。マザーボードも新しいものだから、結構お得なジャンクであったようだ。
 直ぐさま、ディスプレー部分だけを今使っているオーストラリア向けのG4Pismoに載せ替えて、これまでの不満が消え去った。これで数年間使用でき る。一段落したら五州貿易から液晶部分だけ購入してハウジングに入れておこうと思う。そして、最高のディスプレー部分の改造を試みたい、と思っているとこ ろだ。

2006 年 8月 28日(月)はれ
 岡での道路交通死亡事故の件、僕はこの父親の 言動に感激した。確かに悲しみとか憤りとかは存在する。心の中では相手を殺してやりたいとも思っているだろうと感じる。母親は助けた当事者であるにもかか わらず、結局は子どもが死んでしまったため、泣き崩れるばかりだ。
 父親が「二度と... 」という言葉を使った。この部分だけは、僕としては何とか工夫して訴えるような言葉にしていただきたかった。
 どうしてか?。「二度と」といいながら2度3度同じような事故が起こっているのが現実だ。言葉の詮索はしないが、その「二度と」は、この事件で最後 にしていただきたい、と、静かに語った父親の心にある握り拳とともに感じた。
 加害者は福岡市職員というではないか。福岡市はオリンピックゲーム候補地に名乗りを上げている。
 僕はこういった事件は別として、福岡に誘致できるよう努力をお願いしたい。もし、誘致が決定すると、僕は、この幼くして死亡した彼らにも一つの供養が出 来 るようにも考える。そうでないと、この「二度と」が日本中の至る所で発生し続けるように思う。
 日中は冷気が直接当たる会議室で7時間も過ごす。職場へ戻ると、諸々の嫌なことばかりの連絡を聞く。上役が居ないと何も出来ない、そういった、この職場 を辞 したい気分になってしまう。
 市長は一体何を考えてんだろう?。人口はすでに92,000人程度に再び落ち込んでしまったようだ。こんな中で小手先だけの改革をやろうとしているのは バカじゃないの?、と考えてしまったんだ。
 今日の研修会での講師、今回で2回目だが、本当に嫌いな講師だ。人の言葉を途中で切る。通常の考えを押しつけるなどなど、我々は地域を重んじた政策を 行っているのだから、それを否定するような、完全な座学、一般論で決められると困ってしまうのはいうまでもない。
 それでも研修を受けて、これをベースにして職員を評価して... 、となるのだが、これを無視すると... 。
 新しいスポーツ用品店が出来た。これは昨日の四国西南陸上の時、坂下津(さかしず)で火事があって、途中、その確認のため自転車を走らせた時に見つけた のだが 、実際のところ、これから、このショップはどうなるだろうか。安かった飲み屋さんのメニューが(高く)変わっている。これとても庶民には辛いところだ。こ れと同じにならないように願いたいし、市内の大手2社から圧力が来るなども無いように願いたいな、と感じた。
 新しい店を前にして、確かに悲観的な予測だろうけど、これまで幾度となく繰り返されたことだし、僕は本当に、そんなに遠くない時期にこの状況が訪れるの ではないか、と感じているところです。

2006年 9月 2日()はれ時々くもり
 う、1週間目の記 載だ。その間何があったのか?。何にもない。休暇も取らずに仕事して、夜は夜で別枠の仕事して、という繰り返しであった。今日は?といえば、なかなか動い た。
 といっても自転車でだが。最近はこの自転車でも、のんびりと走ることにしている。自転車は数年前にN女史に寄贈していただいたラレーのスポーツモデル だ。
 その「ゆっくり走る」というが、ゆっくり走れない自転車が最近は多すぎる。マウンテンバイクもどきで通勤しているなんざ、僕からすればバカげている。い わゆる通常自転車という一般的な自転車がいい。もっとも、サドルに座るように調整された自転車では、ハンドルバーを押さえられないから、ゆっくり走ること は困難なことになるのだが、乗っている人は気づかない。
 ところが、ゆっくり走ると僕に降りかかる災難が増える。僕からすると四輪自動車は自転車にとっては天敵のように感じてしまうのである。ま、これは本当に ゆっくりと、交通法規を守って走っているときだが。
 午後から、ダイキのホームセンターへ行ってチッチャイちゃぶ台を買ってきた。折りたたみの足の位置を修正しただけで、僕の作業台になった。今このちゃぶ 台に置いたPismoでタイピングしている、という次第だ。
 今の時間、扇風機は回っているが、虫の声が随分と増えた。そうそう、この前に記載したムシの件だが、「ブヨ」と判明した。それも昨日を最後に姿を消した ようだ。寝る前に扇風機はストップする。でないと、明朝はチンチンが縮み上がるか、オシッコでトイレへ直行になるから。
 数冊のオートバイ関連雑誌を立ち読みする。後生大事にこういった本を数冊購入している方もいらっしゃるのだろう。何とも一貫性のない編集だな、と思う。 それに一冊800円ほど出費する価値など無いような気がする。ライダースクラブに目を通したが、確かに以前よりは垢抜けしてはいるものの、あまりにハイソ になって、この通りにやると、僕の生活は成り立たない。何しろ10諭吉は簡単になくなってしまう。僕の愛読している培倶人にしても、その中の記事を真に受 けてやると、最初の投資でさえ100万円程度は必要だ。この辺の経済状況じゃ「オートバイに対して... 」が直ぐさま先に来る。かつてのように趣味性の高いものではない。
 僕自身の考えも卑屈になっているかもしれない。それでも、「このオートバイに乗る理由めいたもの」などが、どうも最近のオートバイには感じられないので ある。書面にあったハーレーの'07モデルを見ると、'06モデルがつまらなく思えるものも数台はある。もっとも、ローンを相当残して手放す奴も結構多い と聞くし、オートバイ業界も生き残りは必死だろうな、と思いつつ記載してしまった。
 と、ふと思い出したが、ハーレーもAMF時代のショベルヘッド、V2エボリューションに乗り、ドカのSS900、BMW R75や69Sにも乗ったことのある身だから、こんなことが言えるのかもしれない。
 ま、当面は今のラインナップのままだろうかな。そろそろ花園村へ向けて準備しなければならない。早いもので、あれから2年が経過しているのだよな〜。 と、いうところで、チャングムを見て寝ることとしたい。

2006 年 9月 3日()はれ時々くもり
 まじい1日の始ま りは極緩やかだった。まるで川端康成だ。そう、本当にそうだったんだ。ピークは午後6時20分。ここで一段落であった。
 朝、午前6時に起床。妻は外出していた。テメエのズボンを洗濯する。股はすでに生地が切れてしまっているが、それでもはき続けている。リーズナブルなの があれば購入だが、ノータックのスラックスが非常に少ないために、なかなか手が出ない。
 ローソンへ行って、ハムカツサンドと飲み物を買って帰る。おかしいことに、コイツはサンクスの定番だったのだが、最近ではサンクスで見かけることが少な い。代わりにローソンにある。商売は判るが、それでもよく売れる商品はストックしておくべきではないか、と考えるのだが、どうだろうか。このハムカツサン ドも微妙に差がある。サンクスのはキャベツ・卵・キャベツだが、ローソンはそれが逆になっている。実際、今のローソンのは美味い。以前は(ウースターソー スが塩辛いために)辛くてとても食べれる代物ではなかったが、今ではサンクスのと変化がない。

 朝食後、本日限りでSR500のことをひとまず終えることと決めた。

 これって、エンスーの方は「まさか... 」と思われたかもしれない。大半は事実だ。が、その裏にあるものはなかなか理解できないだろう、と思う。
 1階のの部屋からノーマルのエキパイを持って上がる。花咲爺のラストリムーバーを使おうか、と思ったが、まずは、使い古しのペーパーとネバ・ダルを使っ てノーマルのエキパイを綺麗にした。
 大改造のWBのスーパートラップからノーマルのエキゾースト関係に全て交換し、午後2時からテストコースと北灘(きたなだ)から下波(したば)を通って 帰ってきた。これで苦労したSR500は終わった。
 丸穂温泉へ行く途中、フラ〜っとしてきた。汗でも流せばOKだろうと思ったのが間違いだった。お風呂から出ても涼しいのに汗が止まらない。まさか?と 思ってヴィッテルを購入し飲んだ。驚く無かれ、500ccのボトルがあっという間に消えた。そう、オートバイに乗っている間、脱水状態になっていたんだ。
 というところで、ヨシムラのHPを覗いたらワイセコと共同開発のSR用の新しいピストンが紹介されていた。ま、ン。

2006 年 9月 6日(水)くもり一時大雨
 、午後10時45分、先ほど松山から帰ってき た。職員団体の会議だが、自治体合併で関連組織の再編によって、活発な部分がスポイルされてしまっているため、妙な気分で会議を終了した。我が組織もそう だが、活発なところが集まっても、そのレベル如何によっては逆に足を引っ張ることにもなりかねない。やはり、長い目で、ある種の「落ち着き」が職員にも見 いだせなければ、この状況は営々と続くことになるのではないだろうか。
 会議の前に定休日のはずの商店街をぶらつく。不思議なことに多くの店が開店してる。宇和島では考えられない。同時に、個々の店がやる気があるかどうか、 その違いだけだろうな、と感じたところだ。港町銀店街だけ歩いたが、ファイテンショップが目に入って、西予市野村のN君が勧めてくれたウエストベルトと ネックレスを購入した。合わせて1万円弱だった。結構値が張るものだ、と思ったが、カード決済だから少しばかり猶予がある。
 実のところ、半信半疑であった。宇和島ではウエストベルトは入手できなかったので、春から延び延びになっていたものだ。会議の前に着用した。
 ものの30分。異変が訪れた。ナナ、ナンダ〜?。脚のシビレが引いていく。脈拍が妙に落ちていく。苦しくはない。まさか、こんな効果があるのか!、と感 じた次第だ。
 しばらく着用して、レポートはそのうち本編で記載したい。ともかくスゴイ。

2006 年 9月 8日()くもり一時雨
 れているときもあ るのだが、概ねくもりで雨が来る。今、午後10時前なのだけど、山陽新幹線が運転開始したのは、少し前であった。ともかく、昨今の気象状況はおかしい。思 考能力があって自制が出来る人間として、今の天気は、過去のどの時代の天候に当たるのだろうか?、などど調査するような奇特な予報官などは居るまい。
 MOTOR WORKSの今村さんが僕の持っているSRと同じぐらいの年式のガソリンタンクキャップ(忘れていたけどフィラーキャップで統一しよう)は、満タンにする と漏れる、といったことから、取扱説明書のJPGを添付してメールで送付。ところが、これの返信が文字化け。こういった時って、自分の方をOKにしたが る。今回は、どうも複合でのミスのようで、僕が送ったメールも文字化けしてたようだ。再度メールを送ってOKみたいだった。
 それにしても暑い。今日など35℃もあるではないか。トンデモナイ季節だ。とはいえ、朝夕は涼しいし、「秋の夕暮れはつるべ落とし」のたとえどおり、午 後6時前に暗闇が支配するようになる。つい2週間ほど前は、午後8時近くまで明るかったのに、地球の動きは確かに人類の何やかやを超越している。
 もっとも、この自然状況の一部には人類が関係した文明という名の下に、自然破壊を繰り返しやってきたし、今もやっているツケのようなものだ。その支払い を一気に出来る自治体なんぞ、国内では存在しないのが現状だ。
 今日もチャングム見てオネンネするが、明日は松山。月曜日から金曜日まで予定がぎっしりである。来週の土曜日、「Boneは入院して帰らぬ人になりまし た」と言われることの無いようにしたい。

2006 年 9月 10日()雨後くもり
 夜から本日未明に かけての雷は凄まじいものがあった。加えて、一時的にドバ〜っとくる雨にも参ってしまった。窓を閉めたため、風がないので部屋の中は少々ムンムンしてしま い、眠りが薄くなったのは言うまでもない。
 今日は松山で会議。往復をバスにしたのは大正解であった。何しろJRの参加者は卯之町から八幡浜までが運転休止になっていたため、その間をバスで移動さ せられたので、松山到着が1時間ほど遅れてしまった。
 それにしても、いつものとおり2時間程度かかって移動して2時間程度の会議を終えて、再び2時間程度の移動。非常に効率が悪いな。これでも速くなったほ うだ。結局、1日仕事になってしまうのである。
 それにしても、今日のバスは往復同じ運転手であった。僕もセコイもので、運転のスムースさを比較している。結構差があるもので、時には普通車並に運転す るバスの運転手も居る。これまだ乗ったバスの運転手で一番上手かったのは一人ぐらいだ。風貌はとてもヤンチャなのだが、運転は素晴らしくスムースであっ た。
 明日から家でノンビリも出来ない7日間になる。まじめに僕の体が持つかどうか?。会議の時間は短いものの、同一の会議は一切無いから、その会議毎に対応 を変えなければならないので気苦労だけで疲れることも存在するのだ。
 これを他人様に話したところで解ってくれる方はごく少数でしかない。強く説明すると、僕の職へのとばっちりが多く戻ってくるため、ツイツイ口をつぐむこ とになるのだよね。

2006 年 9月 17日()くもり後暴風雨
 昨日で激動の1週 間は終わった。2週間前からの用務は昨日のホンの晴れ間を縫って松野と鬼北へSR500を出して搬送した。ホンのつかの間であった。帰宅後、直ちに雨と なったところだ。
 本日は関係団体の定期大会のため、松山へ出張。午前7時のバスだったが、休日とあって脚は少ない。台風の関連もあって、どうしてもバスでなければ不安。 それ故のバス利用だ。2時間ばかりの会議が終了。昼飯はコンビニのおにぎりで済ませて、再びバスで帰宅。
 宇和島へ着くと同時に風雨に見舞われる。その後は強い雨。それが一段落すると、今度は突発的な風。待機はしているが、招集は無いだろうと、一杯やった。
 そんな中、孫の2歳のプレゼント用にアマゾンでレゴのブロックを購入した。昨日のがもう届く。凄まじいものだし、廉価なため、こちらで購入した方が、無 い場合のオーダーより遙かに速い。地場の商業振興の一助とするよう促されているが、今日など午後5時で閉店してしまうような商店街では、援助も何も考えら れない。今日の天候は特別としても、やはりもう少し商店街の方で何とかする考えを持たないと、浮かび上がることはあるまい。わずか1コインのムシキングで も、商店街のキカイより、自転車で遠回りをしてでも大きいスーパーのキカイへ殺到するのは自然のことだろう。
 さて、どうやら台風は北へコースを変えているようだから、台風の南側とはいえ、宇和島は大きい被害を免れたように思う。一部を除いて、今さらながら、こ の地は自然の要塞のようにも感じる。

2006 年 9月 18日(月)くもり後時々はれ
 風一過の青空に なったのは午後2時過ぎ。昨日の風雨、特に風は未明に収まったようだ。午前4時近く、虫が一声に鳴き始める。彼らは子孫を残すために賢明に雌雄が一緒にな ろうとしている。人間様のような8時間×3タームの24時間の時計ではない。彼らの体内時計にインプットされたタイムスケジュールで動いている。人間様は 25時間が1日だそうだ。これをまともに24時間と変更したりすると、人類の世代交代はもっと早いのではないか、と考えたりもする。
 朝、Iさんよりメール。フッと過去へ思いを運ばせると、僕は相当多くのオートバイに乗っているのだ。現代のオートバイはよく知らない。それほど、 過去のオートバイのイメージが強いために、今のオートバイが逆につまらないものに映ってしまうようだ。それゆえ、あの時のあのフィーリングを今に生かせて いるオートバイを探すとなると、これはメーカーでも試乗会など無いのだから、1台の選定など難しいものがある。
 不思議なことに、ファイテンのネックレスをするようになって、結構、精神面で安定しはじめてきたように感じる。これまでだったらプッツンになるところ を、不思議なことに、どことなくシラケさせている。つまり、興奮の度合いが非常におおらかになってきているのである。
 今日なども、落ち着いてT-140V用のレギュレーター・レクチファイアのセット物の配線をクリアできたし、夜など、公共ギャンブルとして、市長杯争奪 パチンコ競技会などを開催したらどうだろうか、などまで思い浮かべることが出来るようになった。
 特設の遊技場を建築して、ヴィンテージ部門は球送りも手のタイプ。オールドタイプは手動のレバータイプといった具合。もちろん年齢制限なども加味する。 今のマシンは、ロムも時刻設定。事前調査は前日の午後1時間。それ以降はガードマン配置の完全管理。参加費は一人10,000円。時間は3時間。球はプリ ペイドカード。1万円分が切れると、それ以降の球代はチャリティー。賞金は1位のみで、参加料の総合計の1/2程度。設備投資はスポンサー入れればOKだ ろう。ザッとした考えだけれど、僕はやれば出来ると思うよ。少なくとも海のオアシスなどよりはイイと確信するけど。
 随分と涼しくなったな。秋の良い天気を早く味わいたいものだ。

2006 年 9月 21日(木)はれ
 日のタイでのクー デター、僕はまたか、と思ったね。ところが、都市部ではナ〜ンも関係オマヘン、てな調子でみんなが過ごしている。「何と平穏なクーデターか」と仲間をして 言わしめたが、現実に周辺の農村部などではどういった形で受け入れられているのだろうか。まさしく大本営発表の類ではないか、とも感じた。早急に民政移行 を行ってほしいし、軍部トップはそれをやると言ってるから、僕は信じるのみだ。他国の輩がどういうことでは無かろう。とはいえ、靖国の一件は「お前さん言 うことがおかしい」と言われるのは重々承知しているが、今の日本ではなかなか難しい問題を抱えている。
 同じような一件は、本日の都教育委員会を相手取った「君が代・起立・斉唱」の教師側の全面勝利判決だ。僕は喜んだよ。理由はその外にある。つまり、愛媛 の卒業式・入学式での色紙代に書かれていることは次のとおりだ。
1.一同敬礼
2.国歌斉唱
3.・・・
といった具合だ。誰に敬礼するのか。日の丸=国旗ゆえの行為だろうか。国歌斉唱として「君が代」を歌うわけだ。小学生なら、そんなことは社会科の授業で根 本が教えられないし、ましてや扶桑社の歴史教科書を使っている県立中学では一層不可解が不可解でないような教育がされているといわざるを獲ないのが現実 だ。
 その上塗りでもあるかもしれないが、君が代の正しい歌い方は一切教えられない。各種イベントで、日本の有名な歌い手も間違った歌い方をしている。
 こういったことを、平気で時代を担う青少年に教育しているんだ。東京では通ったが、愛媛ではまず無理だ。やればやるほどサポーターがいないと自滅する。 警察の仙波巡査長の一件を見ても明らかだろう。県警本部長は早く別のところへ移動したいんだ。こいつら官僚は自分のことのみ考えているように感じる。市町 振興課長の半分私信に近い自治体管理職に宛てたメールなどを読むと、誰もが袋だたきにしてやりたい、と感じるところだ。コイツが国の省庁(多分総務省)に 帰るとペーペーなんだ。僕はそれほど国家公務員は偉い奴は居ないと思っている。そういう奴らの一部が地方へ来ると権力を発揮するんだよな。
 こんな状態でのことだから、都の教職員に対して弾圧をした教育委員会は「大本営」であろうな、と思うのである。
 そのバックにある都のボス石原君は、目をしばつかせながら「おかしいから戦うよ」と教育委員会の独自背を無視するような次の裁判をやる構えなんだろう。 ま、東京は次のオリンピック開催地には決定されない、と僕は信じているから、彼の政治生命はこれで終わりだろうな、とも感じられるのである。

2006 年 9月 23日()はれ
 日の夜は保育士達 との協議会で、様々な職場の問題点などを聞いて大いに悩んでしまった。と同時に、合併前の旧町の保育士の方が日常業務に対しての感覚が鋭いし、実際に職員 としてやっていることが多いことも知った。
 職場内のメールの送受信、指定ページのプリントアウトの方法など、こちらからメールを送っても開いてもくれない旧市内の保育士とは全く違う。
 プリントアウト方法の件で、僕が「こうするんですよ」と言ったのは園長さんだった。年齢も僕より高齢だけれど、何とかしてでもやらなければ、今の行政で は少しばかりスポイルする可能性があるし、そのスポイルが職員として「メールを見ていなかった」となれば、責任が免れないことになる可能性が大きいから だ。正式文書には印鑑が座っているなど今は関係ない。そういったところまで進んでいるんだから。
 若干の疲労は残るが、SR500のマフラー取り付けを再検討する。少しばかりエキパイへ入り込んだが、ま、500はこの辺だろうということで修了。あっ ち向き、こっち向きの青空工房では、体の痛いところが出てくる。日頃の身体を動かしていない結果だろう。オカゲで(?)昼食後昼寝をしてしまった。
 トライアンフのレギュレーター・レクとファイアのシステム装着に腐心しているが、ようやく取り付け場所が決定した。今日は走らなかったが、ハーレーとす れ違っても最近では何とも感じない。相手はこれみよがしにカッコつけて乗っているようだけど... 。僕自身、昔のようなハーレーへの感じは一切無い。逆に手元には持っておきたくないオートバイの一つになってしまっている。今年のモデルに較べて、翌年の フューエルインジェクション装備の車両を見ると、キャブレター云々が必要ない今年買った人はソンをした、となる可能性を今のハーレーは多分に有している。 そういったものに100万円以上を出すか?、と言われると、僕自身は出さない、と応える。
 そういえば、ヤフオクのハーレーも多いな。ドカも多い。四輪でもアルファロメオも2年落ちぐらいの車は非常なほど安い。この現実を見ると、不況を脱した 今の日本の経済状況かな、と感じる。もっとも、中央と地方では、その格差は非常なものが存在するのはいうまでもない。小泉君がやった結果がこれだから、安 倍君がこれを踏襲するとなると、どうなるかはすぐに解る。この若造ではどうにもならない。
 昼寝の後、今日の始まりを思い出した。NHKラジオ深夜便、午前4時からの「心の時代」。そこで里山の重要性などを俳優の柳生さんがしゃべるのを聞きつ つ、言わんとしていることは解るが、何かカッコイイヨナ、と感じて実際間が伴わなかった。その気分を引きつつ、一寝入りして、ようやく起きて、今度は NHK総合テレビ。そこで「伊奈かっぺい」さんのトークを聞いたとき、僕はアッと思った。そうか、そういった考え方を持つべきだ、と。
 秋分の日、「彼岸の中日」だ。結局お墓へも行かなかった。こんな僕だが、久々にトイレ掃除をした。便器を手でハードなたわしで擦りながら、学校のプール 掃除をしていた頃の臭いを感じながら、「あのとき先生はどうして硫酸銅をプールの水に混入したのだろうか?」と再び疑問を感じてしまった。

2006 年 9月 25日(月)はれ
 曜日は直ぐさま時 間が経過する気分がする。今日など朝からそういった気分になってしまった。まずは、ノンビリと出勤したのだが、金曜日の夜使った会議室のキーを守衛室から 管財へ持っていくことから始まった。こんなの管財の方でやってくれ、と言いたいが、外部の人間ならこれをやってくれる。不公平だ。
 もうすぐ我が家の下水道の工事に着手しなければならないのだが、それが終わると、SR500にヨシムラのピストンを入れる計画を立てていたが、少し後へ 廻さなければならなくなった。
 というのも、詳しくはいずれ報告することになるけれど、T-140Vのシリンダーヘッドをシングルキャブ仕様に変更する計画が持ち上がった。シリンダー ヘッドは中古だけど、どうやらバルブガイドも装着されているとのことだ。したがってタコ棒もってシコシコカンカンと摺り合わせをしなくてはならない。こと 750ccモデルはかなりの性能アップになるそうである。
 ... である?。そう、ここ最近シングルキャブのトラを多くリリースされているコヴェントリーの 清水さんに聞いたが、本当に素晴らしいらしい。
 というところで、ヨシムラのピストンよりはずっと安いため、まずはこちらから、と考えている次第だ。
 その前にSUDCO MIKUNIをもう少しやらないとならないが、単純なことでOKとなったりすると、アレは何だったのか?、となるのを防がないとならないな。ともかく、何 が間違っているのかを引き出すのに数年がかりでやっている。これでもか、と今まではやっていたけど、最近はバカげたことに感じるようになってしまった。
 やはり歳かな〜。

2006 年 9月 27日(水)はれ
 日は安部内閣に対 して相当の批判を記載した。僕は公務員である。というよりは、この辺で考え方を変えてほしいのだが、僕自身は「自治体労働者」という立場を取っている。
 つまり「公僕」がまかり通るのなら、我々が仕事中に不慮の事故で死亡しても、「公務員だから」で済まされることになる。ハハ〜ン、この辺じゃ高給もらっ ている身だから、こういったことに文句が言えないんだ、と一般住民は思っていることだろう。
 そいりゃそうだ、僕もそう思う。が、そういう奴ら(住民)に限って、こちらから呼び出ししても応じない。むしろ「お前が訪問するのが基本だろう」と来る わけだよな。僕はこういった輩も十分に指導しなくてはならない、と考えている。
 自治体合併をしてもこの有様だ。僕はね、市民にギャフンと言わしめるある程度の行動は必要じゃないか、と考えてしまったのだ。
 ごく一般業務である住民票の交付、原付二輪のプレートの交付など、リアルタイムで市民サービスを行っている職員が突如不在になればいかがだろうか?。同 様に、地域の住民に対しての健康診断など、対応する保健師看護士などがボイコットしたらどうなるか?
 僕はね、自治体職員自らの賃金が税金なりでまかなっている、と聞けば、それ相応の... 、と誰もが思う。じゃ、逆に、チンカツやられて、これだけで生活しろ、と我々に言われれば、一般市民の皆さんはそういった態度を採るのだろうか。
 安部総理は30%なり10%なりを大臣クラスから減給するという。オ〜イ、僕は大声で叫びたい。議員報酬ということもあろうが、地方では我々が押して議 員になった方にまで、その後の不安を抱かせるような発言をもっていいるのか、ということに大いなる疑問を感じるところなのである。非常に回りくどいことを 申し上げたが、実際に僕の職場でもそのことは起こっている。「安部さんだって30%落としたんだから...」がまかり通るのである。それを真摯に受け止め てボイコットをやると... 。裏を取れば絶対に勝てる。そうやって正光会労組の準職員の身分、賃金の保証を勝ち取ったんだから。
 我々、公務員の身分は、この内閣のモトで一体どういったものに囲まれる、追いやられるのであろうか。決して大海に泳ぎだして、流れに身を任せ、数百メー トル離れたところに上がってきても、相手が元の場所にいればオンノジなのだ。
 が、今はそれがない。多くの者は、それらをどうすればいいか?を越えている状況にあるんだ。そのことにメスを入れ、ノホホ〜ンとした個人のひとときを今 に取り戻さないと、おそらくダメ人間になることは間違いない。それではまた。

2006 年 9月 29日(金)はれ
 末の会議を全て キャンセルした。あまりに僕自身の負担が多すぎる。昨年までは構成員200人ぐらいを纏められないのか!、とも感じていたが、合併後400人にもふくれあ がり、エリアも拡大した中でも旧態依然のことをやっている。
 今日の松山行きも同様に、県の方針が何でもかんでもやらなきゃならないことになってしまっているから、昔のようにじっくりと対応できない。こうなると、 一般の仲間は離れていくのが常だ。
 じっくりとやる中で、何をどうする、ということが出てくる。これが正しいのだが、周りはヤンヤヤンヤと囃したててやらせようとし、じっくりなどの行為を 許さない。結婚して1年ぐらいでお互いが解るわけがない。合併だってそれと同じことだ。
 かといって、本日はベトナムアンサンブルコンサートのチケット関係 で松野、鬼北へSR500で回ってきた。同じ仲間じゃないか、販売に協力を... 、と、いくらお願いしてもダメだ。
 まぁ、驚くなかれ、コンサート会場の南予文化会館自体が予算も持っていないし職員も正規職員が居らず、貸館業務だけが行われている現状なのだ。それゆ え、こっちがどうのこうのやったところで、文化的行事なんぞダメになってしまうのは目に見えている。そして、宇和島市在住者が使用すると経費が一番かかる 仕組みになっている。バカげているよな。そこの備品のアルテックA-7なんぞ音を聞いたのは1〜2回だ。
 いくら、よいコンサートであっても、ピーアールしても反応がニブイ。宇和島で初めてのベトナムの民族楽器を主としたコンサートだ。パイオニアの苦しみだ ろうか。そういえば、「行き詰まりは展開の一つだ」という格言をどこ かで見たような... 。
 この日記を読んでいらっしゃる方でコンサートへ出かけてみよう、と思っている方はぜひチケットの購入をお願いしたい。詳しくは別項のショップ・シュナイ ダーでご覧ください。
 というところで、午前中が終わる。昼からはスラックス探しだ。常用の黒のスラックスの股が生地が切れてしまってどうしようもなくなったからだ。が、好み のノータックのものが一切ない。僕のサイズ自体が大きいからだが、やむなく手持ちのキツキツズボンの股を一度糸を切って、ボタン糸を使って修正してOKと なった。
 夜ネットショッピングでズボンを見ると3,000円代で十分あるではないか。先日、孫の2歳の誕生プレゼントで購入したレゴでもそうだけど、数日の余裕 があればネットショッピングの方が確実で安い。
 地元で注文すると「取り寄せになります」とか、「一品だけは少々... 」、とか言われるだけ。ヒドイ場合は、「取り扱っていません」とくる。こういった状況で市内のおもちゃ屋を回るのが何だかアホくさくなってくるのだ。
 フト思えば今日は金曜日だ。何だろうな。本来は松山で職員団体の都市評議会に出席し、懇親会が終わって、今頃は行きつけの「ラスト20セント」で一杯や りながら、お歌いしているところだろう。こっちもこっち、同級生が集まってドンチャンやっているはずだ。
 が、両方とも二の足を踏む。マジで最近は団体での酒の席が重荷になって来だした。杯も受けないで、一人で隅っこの方で「孤」を楽しんでいたい。

2006 年 9月 30日()はれ

 の痛みがヒドイ。座っていて腰を伸ばすことが 困難だ。やむなく2段階の腰のばしを行う。腰が曲がったままで、柱にもたれて、少しずつ背筋を伸ばす。全くナンセンス。しかし、これ以外に方法がない。あ ぐらを組んでも極力背筋だけは伸ばそうと心がける。とすると、左の脚、太腿の辺りがキ〜ンと痛い。典型的な神経痛だ。
 いずれにしても、高校時代からのもので、今の僕には防ぐことは出来ない。もし、やるとすると、退職後のノンビリしたときしか、じっくりとコイツにつきあ うことが出来ないのである。と僕自身を見てみると今日はファイテンを全く着けていないことに気づく。となれば、やはり効いているのだろう。
 なぜ、こうなったか?。理由は簡単。朝からPismoをトンデモナイ世界に導き入れ、その結果が良好に運んだからだ。詳しくは次号で申し上げるが、強い て言うとディスプレーを開けると通常なら天地が逆になるアップルマークを、今のアップルノートマシンのようにアップルマークを正立にしたわけだ。今月は iBookの一件と合わせてアップルマークの件に対してなかなか難しいことをやってのけた、ということだろう。
 アップルマークの向きだけのことだが、もしも、Pismoが今のMacBookのようになっていたら、かなりの愛好者が手放さないのにな、と感じたとこ ろである。が、そこに存在する事実はPismoは「過去のマシン」ということだ。それゆえ、僕がこんなチッポケなサイトで改造記事を発表してもエンスーだ けが注目する世界であろうことは想像できる。
 が、決して自己満足ではない。それは、このPismoが今でも現役で使われているシーンが世界中で展開されていることだろう、と僕は解釈している。ま、 いずれにしろ次号で紹介しよう。
 夕方は大弱りに直面させられた。明日のトーチランに参加する仲間への昼食代の両替を行っていなかったからだ。銀行ではこれが出来ない。悪いことに500 円玉を15枚ときているので、どうすることもできない。最終はパチンコ屋まで行ったが、これは「札」のみで、球は打つ奴だけと来た。
 明日は午前中だけでも雨が降らないよう願いつつ、本日を終えたい。もちろんチャングムは見るよ。そして、明日の深夜、ディープインパクトはどうなる か?。
 マジな話、ヨーロッパのことは日本からすると、未来の「今日」をテレビで見るんだ。アメリカ合衆国なら「昨日」の状況をテレビで見ることになる。そうい えば.、真珠湾攻撃は日本時間では今日だが、アメリカでは1941年12月7日の日曜日、キリスト教の安息日だったんだ。もう一つは、アメリカ合衆国内は 3つの時間が生きている。ハワイのその日、ワシントンでは真夜中であったのである。しかも12月7日の... 。
 今のようにグローバルな社会になると、こういったことは日常茶飯事のことだ。その中で、日本の暮らしを守るのは相当に難しいことになるのだよな。













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