2006.10.03〜12.31

2006 年 10月3日(火)くもり後はれ
 月末に完成した Pismoの外装変更のせいか、再びPismoを使うことにためらいがなくなった。そういえば、今頃のマシンで、この(外装の)件に対しての不満などは一 切出ていないのを思い出した。ちょっとしたことだけど、結構、心に染みいる問題かもしれない。
 問題といえば、日曜日からの臓器売買の事件報道だ。毎日トップ3程度の話題なので、僕自身はウンザリである。おかげで、1日に開催された精神面の身障者 も元気です、ということをアピールするためのスペシャルオリンピックゲームスのトーチラン宇和島のイベントが消されてしまうことになってしまった。
 同日夜、酒道場のマスターと話をしていたが、これに似たのは国内にはいっぱいあるよね、って。僕は骨髄移植での何とかお礼をしたい、会ってひとことお礼 が言いたいだけなんだ、ということが浮上してOKになる方向だったのに、再び闇に葬られることになりはしないか。
 僕の思い違いかもしれないが、骨髄移植は腎移植より数倍適合確率が低いのだし、「死」と決別できることからも、骨髄(液)を提供された人は心の底からお 礼を言いたいはずだ。もちろん海外の方であっても同様のことだろうと思うんだ。それが一切出来なくなる方向へ軌道修正される。こういったことがつらい。
 さてさて、今日MacFan誌を買ってきて、OS Xに効果的なことを実際やって、Pismoがバカっ速くなったことに大感激である。これは凄まじいよ。上の一件と合わさって、まだまだPismoは現役バ リバリだ。
 話変わって、困難だった8月末からの仕事の一件、あまりのあっけなさでケリがつきそうだ。金曜日に打ち上げやろう、っていったきたけど、僕は参加する気 にならない。明日欠席の通知をしたい。
 真面目に最近大人数での酒の席が嫌いになってきた。仲居さんなどが居ての席ならそうでもないが、ここのところ大半が料理と酒が運ばれるだけで、あとはみ なさん方でどうぞ、という席ばかりだからかもしれない。

2006 年 10月4日(水)はれ後一時雨
 た台風、それに秋 雨前線。何か昔、学校で習った季節の移り変わりとは少々違う今の状況。フトしたことから、人の心も変化するものかもしれない。
 こう思ったのは、午前6時45分過ぎ、駅前のウイリーウインキーでパンを買って帰る途中、警察官が走っていくのを見た。場所はそこから100m先だ。そ こで僕が見たのはボンネットが少しへこみ、フロントグラスが蜘蛛の巣状になって自転車通行帯に止まっているインスパイアと、道路のセンターパートに散々し ているスクーター(ディオだと思う)。ドライバーの茶髪のネーチャンはうずくまって、警察官のことばにも反応がない。ところが、原チャリのライダーはどこ にも居ない。血痕などもないし、早朝ゆえ救急車もサイレンを鳴らさなかったのかもしれない。となると、ことは大事になるし、最悪は死が待っている。
 ニュースに出なかったので死亡事故ではない、と思うが、茶髪のネーチャンにしてみると、「ここまでに至らないと事故(はコトの大きさにかかわらず重い ものだ)が理解できないかな?」と感じた。ヤッタヤラレタではない。その前の心の制止は出来ないのか、から始まって、シートベルトはしていたか、酒は飲ん でいなかったか、あんたの車か、保険は入っているか、車検は大丈夫か、などなどがネーチャンに降りかかる。
 もし、反発することがあるなら、その場で淡々と、「原チャリが右の通路から出てきたので、ブレーキをかけたが、こっちがぶつける結果になった」とでも言 えるかどうか?。
 「お前さん、妙に詳しいね」と来るだろう。そう、詳しいの。警察は2人一組のパターンだから、状況を詳しく説明するのは必要だが、必ず途中で聞き手が変 わる。そのとき、「さっき同じこと聞かれて応えましたよ」といえば大丈夫だが、応えが変わると次が相当に厳しくなる。
 もう、10年以上も前の土佐市で追突された事故。30年ほど前の西予市野村での接触事故、25年前の我が家の火事。全く同じ尋問敵内容であったのを経験 しているからだ。
 でも、今の若い人はそういったことに至ったときはどうすればいいか。もちろんそうならなければいい。それが避けられず事故となった場合、いきなり首を押 さえて、ムチウチ〜なんて言わないように。そして、事故の状況を淡々としゃべられること。
 ま〜、事故に対しての有利な方法を出しているのではない。そういった応対すら出来ない。つまり、事故っても、事故をつい先ほど起こったこととして、警察 官に問われても正確に応えられるよう、日頃からの訓練が必要だ。
 不思議なことに、このように思いこむと予知能力も付き、無茶なことをしなくなる。「お前が勝手にそう思っているんだろう」と言われるだろうが、事実だ。 まるで妻が看護士の職務上、死亡した患者を「物」としてしか扱わない。心ではご愁傷様でした、と思っていても、決して出せないなどの苦しさとよく似てい る。それと同様に、事故をやってもヘタをすると血痕がドバーっとあって、ライダーの体が曲がったままになってヒックヒックいっていても、平然と救急車を呼 んで、警察を呼んでなどをしな ければならない。
 さて、先ほどの事故に戻ると、彼女が午前様になって、男友達の家で泊まったなどとなると、酒気帯び運転となりかねないのである。で、シートベルト、携帯 電話などなどのことが警察官によって取り調べられる。が、これは単に事情聴取にすぎない。
 その上に、そのネーチャンが若奥様だったら... 。もう止めよう。それほど、今の オートマの自動車を運転する方々は左の脚と足の使い方を知らない上に、マニュアルクラッチの自動車のように、人間の全てを 使ってのドライブを今こそ自動車学校で教示しなくてはならないのではない、と感じたところだ。

2006 年 10月7日()くもり時々はれ
 風の余韻かどうか 定かではないが、風が急に強くなる。未明はくもっていたが、少しずつ晴れ間が増してき出す。夜になっても月は見えないが、概ね天候には恵まれた1日であっ た。
 僕は朝早くから起きて労福協で夏前に植えたサツマイモの収穫のために遊子(ゆす)の水ケ浦の段畑までSR500で出かけた。
 耕して天に至る、で有名な段畑だが、実際は畑一つずつの面積は相当に狭い。おまけに縦方向の畝設定だから作付けも難しい。それらを克服して植えたサツマ イモの収穫だ。
 僕も久しぶりに山登りをやったし、鍬を持って芋掘りに精を出した。おかげで主格は大きいものがあったが、こっちの体も大きいものを背負ってしまった。
 足から腰からジワ〜っと疲れを伴った怠さがやってきた。丸穂温泉で疲れを取って、昨日、一昨日と2日間の宴会ではあったが、今日ばっかりは全体の気分と して酒道場で晩酌をやった。おかけで、身体のどこがダメなのかが少しばかり分かった。
 明日アップロードするとして、文章を纏める。ハイライトはPismoのことかな、と考えているが、お楽しみに、ということにしまショ。
 というところで、収穫の終わった段畑から遊子の海を見る写真を掲載する。一度訪れられるとよろしかろうか。風光明媚だが、実際の農作業は大変だし、この 環境を守ること自体、棚田と同じく難しいものがあるわけだ。



2006 年 10月8日()はれ
 鈴鹿サーキット最後のF-1 GPであった。アロンソがトップになったが、ピットインの駆け引きなど見所は確かにあろうけど、最近のF-1は何か人間味に欠けるようなところがあって、 少しばかりつまらなくなった。
 フェラッリのシューマッハーのマシンがブローしたためリタイア。そこでテレビ観戦を止めて、生涯学習センターで開催している森本秀樹絵画展を見に行く。 森本君は現在千葉に住んでいるが、中学高校と僕と同級生だ。一昨日もゲルマンで仲間内と夕食会をやったところだ。
 今回は宇和島のことを描いたものが少しばかり展示してあった。しかし、大作を家の中に入れるとなれば、我が家にあるキリチのミコノスのリトグラフでも大 きいと感じる以上に違和感があるように感じる。
 そういったことを頭の中において、少しばかり離れて見ていると、今はない建物、様子などが絵の中には描かれている。そうそう、こんなんだったよな〜、と 思うと同時に、並べてある有名人の作品評とコメントとは違い、地元の者が違和感を感じるぐらい実際は無機質化が進んで、現代のすさんだ街になったことを感 じてしまった。
 芋掘りの写真が出来上がった。ニコンF(F2)とニッコール50mmf2の組み合わせは、やはりゾクッとするものがある。途中F2のレンズをAF35〜 70mmに付け替えしたものと較べると格段の差だ。この際だから、S1ProにはAF50mmf1.8のレンズを持っておこうかな、とも感じたところだ。
 少し遅くなったが、www/Grid No.91をアップロードした。暇がないとはいえ、日常使用するPower Bookの気がかりなことだから一気にやった次第だ。少しばかりやりすぎたかな、とも感じる。次号のネタが減ってしまう可能性は十分にある、と思う。読者 の皆さんあしからず... 。

2006 年 10月13日(金)はれ
 ろそろ、世界の動 きが変わる時を迎えつつあるように感じる。1989年11月、ベルリンの壁が崩壊した。あの日のことは今でも目に浮かぶ。
 今日もニュースなどで、明後日の午前0時をもって、北朝鮮からの行き来が一切禁止される。それを見越してのことをテレビはかなり報道していたようだが、 僕は、そんなに気にもしていない。
 現実には中国の言い分を入れるかどうかの国連決議(北朝鮮への報復)文の内容だが、まま、OKとなった。それより、遅ればせながらの中国がOKしたこと だ。それゆえ、中国自体も現在は、そんなに「一党独裁」の状況ではない、と断言しても良いのではないか、と感じた。
 一度出したこともあるが、中国では「文化大革命」も死語のようだし、第一に「毛沢東」を知らない若い輩が居るらしい、と飲み屋のホステスさんがこぼして た。まさに、今、中国では、政府は政府、我々人民は人民だ、といった風潮が相当にはびこっているのではないかのか。
 それほど、腐敗している社会情勢、と中央政府は言うだろうが、実際は、中央政府の考え方は、今の中国では「どうってことない」に感じられているのではな いだろうか、とも感じた。
 したがって、北朝鮮の核爆発が核爆発を前提としたTNT火薬の試験的なものであった、としても、北朝鮮側がやっきになって核実験をやった、と報じたた め、それは報道の責任として「真」であると世界中が認めている。北朝鮮では、報道責任なんてものはない。
 前述のように、中国に対して北朝鮮は「よろしく」と持っているようなものだが、こんなチッポケな国はそこそこ対応すればいいんだ、と感じる。と同時に、 中国もソコソコ気を払っていれば良いんで、実際は中国の国内事情そのものは、かつての結束などは一切無い、といってもいいのではないか、と強く感じた。
 おそらく、近い将来、共産主義が崩壊するのは非を見るより明らかであろう。共産主義をヤルのなら、もっと小さい国でしか出来ない。かといって、アルバニ アのように、一気に崩れる可能性もある。かつては、中国と歩調を一にしていた国があっけないほどであったのを思い出す。
 ま、これまでのことは僕が感じたままを記しただけだが、意外と今の中国はモロイんじゃないか、と感じる。ちょうど江戸時代末期の我が国のように... 。

2006 年 10月16日(月)はれ

 昨日の余韻が消え 去らない。我々宇和島の音楽文化人は南予文化会館に十分に関与していたのだろうか?。そんなことが一昨日のベトナムアンサンブルコンサートの後からず〜っ と続いている。全く不思議な世界だ。
 多くは次号の本文で記載するが、エリック・ハイドシェックのピアノコンサート以来の、音楽によって心を動かされた1日であったのだ。一昨日のことを記載 して、はなはだ心苦しい。
 それにしても、ベトナムの民族楽器がこれほど聴衆にインパクトを与えたコンサートは本当に久々なことなのである。一体日本の音楽はどこへ行ってしまった だろうか。
 話は変わって、子どもの自殺が続く。僕は死んだ奴には申し訳ないが、自業自得の結果だろうと考える。報道などを通じて知る世界ではあるが、死に追いやっ たのは学校に全ての責任があるというのはいかがなものだろうか。僕は家庭にこそ問題があるのではないか、と考えるところだ。
 あまりに学校への責任を大きくして、全ては学校に問題がある、とする論調は避けなければならない。1学級35人ぐらいの児童・生徒をある程度把握をして おくのが教師の務めでもあろうが、死んだ子どもだけを重視するなど、実際に出来ることであろうか。ましてや、担任教室のメンバー全てを意識して、朝、家を 出てから夕方、もしくは午後9時近く帰宅するまでを責任を持って... 、というのは聖人君子でなければ無理だ。
 それを「一方的に学校側に責任がある」とするのはバカげている。逆に、仮にの世界だが、ウチの父はもう一人の女の人とおかしい(不倫とか浮気だな)関係 にある。ソコの子と私の関係がよく解らないので悩んでいる、となって、それでその子が自殺した、となれば、それも学校の責任か?、とは誰も言わない。
 ところが、それを苦に学校で自殺したりすると、学校にも責任がある... 、となるのだろうか。
 どうかな?。学校の先生方は、もっともっと世間に教師の仕事はこんなんだ!、とアピールしなきゃならない。むしろ、今の先生っていうのは相当に苦労が多 いし、教師という前に、一人の人間なんだ!、ということを保護者はもとより、一般住民に広くアピールしなきゃならないはずなんだ。

2006 年 10月17日(火)はれ
 日の僕の日記を読 んで嫌悪感を抱かれた方もいらっしゃるだろうと思う。しかしながら。本日もテレビなどの報道からで申し訳ないが、まぁ、これまで事件に対しての連携が、こ うも成り立っていないのか、ということを思うと、正直なところ情けなくなってしまう。
 オイオイ、「親も先生ももっと人間になろうよ」、という、これだけのことを思うだけだ。自殺した生徒をして「アイツはいくら悪口いってもOK」と先生が 見なした生徒が死を選んだ、という。そこから、どうしてそうなったんだろうか?、という不明な波紋をマスコミも関係者も、どうして感じないんだろうか?。 これが原因の一つだから、今の時点(彼を取り巻いていた真の状況を知ること)以外ではダメダメ、って一方的に言って無視するだけのことなのだろうか?
 ここをよ〜っく考えてほしい。マスコミは今、ウラを取るような方法でのインタビューをやっていることだろう。それを真に受けて、ソウソウ、という相づち などの発言する当事者の近隣の関係者にロクなのはいない。(それでも一縷の望みがあれば報道する)ここがマスコミ主導の今の報道の状態のようだ。
 いともはっきりしているのは、今現在は例の中学生の自殺がメインで、その少し前の自殺の事件は蚊帳の外、そして親が子を橋から突き落としたという事件の 彼女自身は、もう過去の人か?。
 話は変わるが、僕の住む宇和島でも結構有名なのに忘れ去られた上に、精神まで葬り去られたことも起こっている。
 国連に「平和の鐘」を送(贈)った張本人は当時の中川市長だ。その後、「非核宣言都市」を名乗って掲げた相当に強い一文は、 自治体合併を機にいとも簡単に消し去られた。僕が市長なら死守するところだが、伊方原発にプルサーマル導入後の諸要求を出した八幡浜のようにはならない。
 ましてや、津島に、この危険きわまりない「弱放 射能を浴びた」産廃を埋める施設を造るんだ、を推進する輩が居るらしい。
 いかがだろうかな、僕はどうぞ、お好きなようにしなさい、と申し上げる。その結果などどうでもいい。むしろ、自治体合併を行ったが故に貧乏市になって、 財政再建団体になったしまった、を逆の意味でアピールすればいい。
 で、話はまた飛ぶが、学校給食センター建築の一件でも、くだらない問題が起きる。はっきり申し上げて、そこで働く方々のことは一切関知してい ない、たかが人数のしれた検討委員会のメンバーの素性を明らかにすれば良いんだ。
 そんな単純ではあるが、根本のことを明らかにしなくて、旧津島の児童生徒の保護者を中心とした住民の言い分を通そうとしたって、ここ40年以上もセン ター方式の学校給食をやっている旧宇和島 市の関係上層部は痛くも痒くもない。検討委員会のU委員長もセンター方式の世界しか知らない。僕ぐらいの歳まで遡らないと、センター化を前にした悲喜こも ご もは絶対に解らない。
 たかが9万人の自治体であっても、旧町の方法なんかでやっていたり、それをそのまま踏襲させるなどの行為を認める活動をやったはいいが、検討委員会が出 した答申をゴリ押ししてしまうのが見えているように思う。しかも、それを短期間で決着をつけたいとしているのだ がら、そういったことを阻止するとなれば、相当な金額を出費して強力な弁護士を着けて「闘う」などやらないと、ひっくり返すのは、まず無理です。と僕は思 う。
 津島建設の給食センターは当初三間に出来るはずだったのだ... 、と思う。裁判所の移転など、柴田市長時代の腰上の考えが、現実には本物になってしまった。結構頑固な石橋君の施政も結構そういったことが当てはまること をお忘 れ無きよう。水産系大学はどうも消えたようだが、九島のエコアイランド構想も再び浮上しようとしている。
 ヤクルトの岩村を輩出した宇和島東高校も高校サッカーで有名になった南宇和高校も監督交代から、あっという間に世間から消えた。南宇和高校の当時の監督 は今の石橋市長の弟さんであった。その彼は今... 。

2006 年 10月18日(水)はれ
 うも我が在住の 地、宇和島が表に出てくると妙におもしろい気分になってくる。公の仕事にある者が何事か、とおっしゃるのは解るが、自治体職員だって基本は人間だ。憲法か ら始まって、民法、地方公務員法などなど、多くの面で法律上どういったものを適するのかなど、必死で考えなければならないのが本当のところだ。ここ、南予 の地では、住民の人の良さが表に出てしまうから、その法律面との兼ね合いが何ともハガユイ、というのが実際のところだ。
 が、今日の愛媛新聞の1面。市町村の独自互助会のことについて報じていた。「オイ!、これは何か違うぞ」と僕は感じた。
 多くは言わないが、この記事の出所は今の愛媛県の行政職にある市町振興課であろう。そのボス「市町振興課長」。ココが何とも... 。それゆえ、あのような記事が 出るのだろう。
 彼はおそらく総務省から来た人と認識している。これが堅ぶつ以上に人間味をまるで持たない冷たい人、と感じてしまう。
 僕の職務と関係ある一件にしても、ごく近しい自治体の課長職などとメールのやりとりをしている。いわば、公的ネットを使った私信だな。これも問題がある かもしれないけど、「●月●日までに報告がないなら、県の記者クラブに情報をバラ撒く」というメールを見たことがあるが、「お前さ んオドシをかけてるんじゃないの」と感じたのを思い出す。これは、つい最近のことだ。
 しかも、その市町振興課の調査たるや県内市町からの報告物だ。それを「県が調査したところによると... 」と、マスコミは報道する。県の連中は一切汗を流していないし、「ここはこうやった方が... 」などとは一切指示がない。それでも報告する義務はあるとして市町は報告するが、県はどういった気持ちで記者連中に発表したのだろうか。
 過去、選挙のことをNHK総合テレビで上手く説明した水関課長(当時の県市町村課長)は我々の要求を聞き入れて、県内の町村自治体を2回も訪問してもら い、これほど悪い状態とは知らなかった、と報告があった。 その後、本省に帰ったが、この人は本当に県内の自治体に働く職員の状態を理解してくれた、と評価は高い。
 今の市町振興課長は日々の仕事で何をしているのだろうか。若い人だろうと思うが、市町振興課長なら、前述のように県内の自治体を回って、愛媛県がこう いったことをやろうとしているから協力を、とか、貴自治体の状況はどうですか?、などど、県内の自治体を回ったことがあるのだろうか?。
 この人に、県内の(村はなくなったから)市町振興のために先頭を切って... 、などと任せられるか?。おそらく総務省に帰ったら次のポストは約束されている。当然、次の市町振興課長に細部にわたっては引き継ぎなど無い世界だろう。
 「県と市町は一体です」な〜んちゃって、愛媛県職員の互助会組織は一体どうなってんだろう?。県警察職員の互助会もしかり。そういったところは解散して いないからかしら、一切報道がな い。
 終わりに、おもしろいことを申し上げよう。互助会問題などで言われる、こういった公務員バッシングの冴えたるものは「掛け金も税金で得られる給料の中から出ているんでしょ!」と。

2006 年 10月19日(木)はれ
 くバカげた話だ が、昨日記載したことの大半が無に帰してしまった。われわれ知識を持ったウワジマンは一体何をすべきであろうか?。翻って、市民の立場でしかものを言いま せんよ、となれば、僕のような公務職場の連中はひとたまりもない。今朝もこれまでと同様に考えさせられた一件が起きたところだ。
 鬼北の消防職員が免許取り消し中の上にトッツカマッタ。免許証がない。その事実にもかかわらず、消防自動車などを運転していたという。しかも今日の状況 では携帯電話を使用しつつ自動車を運転していたという(無免許で)。
 ココまで来ると誰も弁護に走らないだろうな、と思う。昨日の津島の一件も含めて、想像以上の厳しい結果があったようだ。
 僕はね、利便性を追求すれば、確かにそうなってしまうのだろう。が、一つ後退しても良いではないか、ササッと出勤簿に判を押して、通常業務に戻ればい い。それまでの状況は当事者の自覚に頼らなければならないが、受験勉強以外、恋の悩み、人生の悩みなどが感じられない世界では、警察にその後の処理を願わ なくてはならない。
 そういったことを含めて、何とか有利に事を運ばさせるためには、どうしても弁護士を選ばなければならない。
 これらが決定してから後、今回の一件の判決が出る。それまでに数年かかることは紛れもない事実ということを、十分に理解していただきたいのである。

2006 年 10月20日(金)はれ一時くもり
 明日と明後日は英車の集いで和歌山は伊都郡かつらぎ町花園へ行く。そのために本日午後から休暇を取ってSRの整備を行う。さぼっていたスイングアームの ピボットシャフトへもグリスアップをした。相手の穴から出るグリスが汚れていないが、液状になっていた。洗車をしないのが幸いしたのかもしれない。
 ヘッドランプも純正の小糸製のハロゲンに変更した。フレームの塗装もはげているところがある。GX750と較べると、フレームなどの塗装は結構弱い気が する。ヤマハの場合、750クラス以下は総じて廉価版なんだな。こんなところで言うべきことではないか。
 2年ぶりの花園だ。みんなに会えるのが楽しみだが、何人かはそれっきりという。英車も流行で一気に行くのはいいが、ブームが続くとは限らない。これが世 の常だろうな、と思う。
 それでは、明後日まで宇和島とはお別れだ。事故が無く好天に恵まれることを願うのみである。

2006 年 10月22日()はれ後雨
 後7時36分和歌 山は花園村(古い呼称)での英車の集いから無事に帰ってきた。相変わらず夕食の用意などされていない。ま、お互い勝手気ままな夫婦だから、気にもならない が、朝、昼と結構イイ食餌状態だったんで、夕食は軽めに第3のビールで一杯やって、ラッキョウとご飯を軽く、で収めた。
 帰路は松山道の終わりぐらいに虫にやられた。卯之町で必死になってシールドを掃除。大洲からはシールドを上げて走ったので、これでの目のしょぼつきが大 きい。
 ま、多くは花園村を目指して、で記載するけど、バイク馬鹿の国のTさんも元気そうだったし、バスタブのTさんとは同宿になるし、ネットから知り合ったそ の本人を前にして語り合うのはなかなか楽しい。
 昨夜は部屋で、僕のやっていることなどをアレコレ話をすると同宿のTさん、Kさんとも驚いてらっしたが、僕はそんな気分は毛頭無く、やってきたことで気 に入っていることは燻りを絶やさぬようにしているだけだが、その辺のところが少しばかり理解できなかったのかもしれない。
 結局、オートバイでも、広い目で見て、その中でのトライアンフという見方をしないと、今朝会ったようなトライアンフファンでありユーザーはご自身で試行 錯誤の末、手が下せない人のようになってしまう。
 簡単なことなんだけどな〜、と思うが、失敗すると... 、という気持ちの方が選考して、人様の処理などを参考にしなくてはならない。それでも出来ない... 。結局、BSAゴルディのKさんも言ってたが、教えるけど、肝心なところはご自身でどうぞ、その繰り返しでコツを掴むんだってところまで行かないままで終 わるのかもしれない。今日などはトラ仕様のSRではなく、そのトラで来てほしかったところだ。
 ま、バスタブ(トライアンフの500ccカバードモデル)のTさんはセレンの整流器のことを、僕とカメラマニアの参加者君と共にシリコンスタックに交換 するんですね、そう20A程度のヤツ、と話が通じる。
 とりもなおさず、バスタブはご自身で走れるようになさったんだ。「走る状態」を「走れる状態」にするにはどうするか?をあれこれやってこられたからの結 果であり、走ると走れるはどこが違うんだ?といっているウチはダメなんだ。
 で、そのバスタブのカバーの良いのがない、と来たから、FRPいいですよ、と僕が言うと、カメラさんが「金属製はオリジナルで取っておくの」と。そし て、「普段はFRPのレプリカを使えば軽くてイイ」で、ナルホド、となるわけだ。
 このことでも解るように、やっている(手を下している)人がなかなか少ないんだよな。今回は愛知軍団が来ていた。若い人が多い。その中のお一人、今週の 土曜日に岡崎でオートバイ屋を開店するらしい。20代で素晴らしいな、と思う。何でもやるけど、根底は英車を広めることだって。
 我が家へ到着して雨が降ってきた。明日は休暇を取っているが、節々が痛くなるんだろうな。再来年、T-140Vで行けるだろうか。そろそろゼニの工面を 始めないとならない。
 それにしても、ガソリンの高価さはヒドイ。フェリー代金とガソリン代で諭吉が2枚と一葉が1枚ほど出て行ってしまった。

2006 年 10月23日(月)雨後はれ
 まー、昨日の天気 と逆の状況であった。昨夜来からの雨が午前7時過ぎに急に来たのを最後にくもりから晴れ間が見えて来だした。昨日使用したものを洗濯する。いつもどおりの 泥水状態になる。これが夏ならゾッとする始末だが、今の移設は、それも少ない。
 本日は有給休暇。本来なら、もう少し後で松山から帰っている状態だが、その会議をすっぽかせて、夜の会議に間に合わせた。その後で、酒道場へおみやげ渡 して、帰宅。軽く晩ご飯を食べたところだ。今、テレビでは釣り馬鹿やってる。
 結構ノンビリも出来ない。早速ニコンのファインダー取り付け部分のモルトをブローニ版の蓋部分のフェルトに交換。ま、裏技だけどネ。コイツは最近人気の オリンパスペンのパトローネ収納部分のウラ蓋の当たる部分にも応用できる。
 入手はカメラやさんへ行ったとき、ラボの係員に頼んでおけは数個はOKとなるはずだ。残念ながら、以前はカシメだったが、今はパトローネが完全密閉なの で、口のサイドへマイナスドライバーを入れて少しこじって、外板を壊せば分解できる。いずれにしても、モルトというウレタンは劣化し始めると始末に悪い。 今回はピラミッド部分の前が0.03mm程度ばかり浮くが影響はあるまい。F2はこの部分とファインダー外周部分が当たるところが変化しないラバーのパッ キンになっている。
 ま、こんな細々したところはあるが、最終のところ、バッテリーなど入手できない土地へ行くのはまだしも、メンテナンスフリーのボイヤーの点火システムに した方が効率がいいと思う。

2006 年 10月24日(火)はれ
 は涼しい。寒いで はなく涼しい。こういったときは、今日から長袖、と思うのだけど、現実はそんなに甘くはないから半袖で通す。
 職場へ行く、と簡単ではないものを感じるのでは... 。それでも意識を仕事に向けて高める。そうでもしないと休暇を取りそうになる。それほど、今の仕事から逃げたい気分なのだ。
 と、思いつつ職場へ。エレベーターを出ると同時にモワ〜とした空気がやってくる。いつも来ている課長補佐が居ない。補佐といっても、課長共々僕と同年齢 だ。不思議な構成だろう?。というところで、席についてしばらくして補佐がやってきて、間髪を入れず「明日予算の関係で打ち合わせをします」ときた。知ら ない人が聞くとアタマに来るだろうな。同じように課長からも週1回のミーティングをヤルと言ってきた。出かける前の気分が一気に醒める。
 ぐっと押さえて、黙りを決め込む。そうでもしないと、僕自身がパニクルことになるのは明白だ。大半のヤツが僕のようなやり方を嫌っているからに他ならな い。今は僕のようなだらりだらりとしたメインの仕事を行った上で、常に我々を取り巻く仕事をそつなくこなせるようにしておいて、変化する環境に対して俊敏 に反応できるようにしておくことが重要、と考えてのことなんだ。
 日々、何なりと仕事をやってます、というよりは、暇なときは暇として、課員各々が各々の方法で有効に時を使う、という意識を持たなければ、上からの命令 には忠実で、自己判断での対応が出来なくなってしまう。それこそ、行政としては損失になるのだけど、この辺のところが上司としてはなかなか理解できないら しい。その上司が一般職の時は僕のような方法でやっていたくせに... 。
 そうそう、来月の12日、「じゃこ天の歌」のフェスティバルをヤルらしいが、継続性のある行事にはなりそうにもない、と思ったので、当日はナーナーで やってやろうか、と思った次第。再来年は、このようには行かないから...。

2006 年 10月26日(木)はれ
 ジ、久々に遅くま で眠っていた。今朝は本当に涼しい。寒いに近い。当然長袖?。ノーノー、やはり日中は25℃を越えるから半袖だ。
 職場へ足を一歩入れた途端に、モワ〜っとくる。夏の状況を思い出すとゾッとする。隣の課員が窓を開けやしない。こいつらは空気のよどんだ状態などが理解 できないんだろうな。自然に疎い奴らだ。
 そつなく仕事をこなす。今年も残り2か月だ。追い込みもなにも無い。不思議な世界だ。本当にこれで良いのかどうか、自問自答するが、相手様があっての我 々の仕事だから、実際は相手が少なくなった、というところだ。宇和島市への収入は少なくなる。
 日本ハムファイターズがプロ野球日本一になった。ま、高校野球同様、北海道が野球のフィールドでメジャーになったところだろう。実際は名古屋へ戻っ て... 、となると、もう少しおもしろかっただろうけど、それでも、北海道のファンを主に、この野球効果というのは大きいものがあるのではないだろうか。
 久しぶりにヤフオクをやった。上手くゲットできたようだ。ま、ブツは来てからのお楽しみだから、いずれ報告しよう。

2006 年 10月29日()くもり後はれ
 日から職員の旅行 積立金で高知へ行っていた。久々に龍河洞へ行った。24年前にXV750Eで行ったときは相当な人出であったのだが、今は人出がまばらだ。もっとも季節も 影響しているかもしれない。エスカレーターで入り口まで行けるなど、随分と近代化されたが、かえって自然が無くなったのかもしれないな、とも感じた。
 今日は一宮様の秋祭りだ。日中に帰ってきたので少しだけ見物は出来たが、何とも統一性のない祭りになってしまったな〜、と虚しさが支配し始めた。秋祭り というのは、少なくとも夕暮れまでだ。今の時刻なら、午後5時ぐらいで切り上げないと、豊穣を感謝する祭りではない。今年は佐伯町の獅子舞が夜にはいるま でやっていた。
 自治体合併で宇和島市も大きくなったためか、その中の一の宮という、一宮様のお祭りを拡大解釈してはならないのではなかろうか。そういえば、和霊様のお 祭りも、本年は神社方の考えと、市民の祭りの考え方が対立した。こういったことを繰り返しながら、これからも祭りは継続されて行くのだろうな。
 さてさて、またもや中学生の自殺だ。もう、これらのことに対して何も言わない。ただし、何でもかんでも学校に依存されるのはいかがなものか、と思う。か といって、親がガツンとやると、家庭でのイジメ以上に虐待という行為に結びつけられる。したがって、文部科学大臣が「学校のみならず、家庭や地域社会も一 緒になって対処しなくてはならない」と、良いことを発言されていたが、今は理想としか受け入れられないのではないだろうか。

2006 年11月2日(木)はれ
 日は少し考えさせ られた。まずは高校の不足授業時間分が50時間に短縮された件だ。僕はおかしいと思う。もっと国は主導制をもって、ダメなものはダメ とすべきではないか、と考える。
 テレビ放映なんか見ていると、漠然としているが、高校生なんかどうでも良い。教科書がかわいそうなんだ。9か月もの間、闇に葬られた教科書は一体何を物 語るのだろう、と考えてしまった。
 真面目に、選択教科の授業料を返せと校長室に怒鳴り込んでいった我々の時代からすると、ようやく、ここに来て義務教育ではない高校生活でようやく掴んだ 生徒の自治ではないか。僕は今の高校生活は学校によってどうでもなる世界なんですよ、と断言してやりたい。大学入試の合否の判定が全てのような高校教育は 止めればいい。が、センセイ諸氏はそれを校長からして絶対に認めない世界だから、今のままでは愛媛ではこのままだろう。その後に待っているのは、「愛媛っ て相当に保守ですね。おかしいところもありますね。」と来られれば知っているヤツ以外はガク〜ンとなるわけだ。
 僕は決しておかしいことを言っていない。ただより安いものはない、の事実と同じ携帯会社を選ぶのおが今の世界ではないか。
 僕はドコモだけど、そんなに気にすることはない。むしろ、電話の機能を優先し、それ以外は無視する楷書も出来て良いのではないか、と考えてところです。

2006年11月3日(金)はれ
 じで、昨日の日記 のアップロードを上手くやったものだ、と感じ入った次第だ。それほど飲んでいたし... 。実際として(自分のサイトはごちゃ混ぜのくせに)僕はあのようなごちゃ混ぜの店は好きではない。
 確かにワイワイガヤガヤはそれなりに良い面はある。が、そこは大人数が占拠する料亭の2階席とかのことではないか。そこなら、知人とは別の全く知らない 人と話をしても楽しいものがある。
 ところが、昨日の席は真面目に招集者の一人がご機嫌になってしまったから、僕はスゴスゴ引き上げた次第だ。その後で、僕の悪口を言われても、それは結構 だ。ま、そういった程度の小さい職場だから、結局のところ、大広間で宴会などのものではないのである。
 10月30日に届いたOMCのSR用シートを本日装着して走ってみた。結果はいずれとして、次号の本文に別枠として発表するつもりのリサーチが出来た。 SRのシートには意外な点が隠されていて、それが盲点となったいるのではないか、というのが偽らざる僕の気分だ。ここまでSRに対してヤマハが策を講じて いたとすれば、アフターマーケットのシートは、SR自体をもっと考えてリリースしなければならない。
 個々のパーツ屋はソコソコのものをリリースするけど、SRをトータルで考えてそういった製品をリリースしているところは少ないのではないだろうか。まし てや、全くの初心者が、ゼニをつぎ込んで、翌日にはカスタマイズしたSRに乗っている、というのは事実だ。
 が、それを自慢するのは結構だが、何かおかしい、として元に戻した上で、どことどこを自分流にするのか、をやろうとするユーザーが今は少ないのではない か、と考えるところである

2006 年11月3日(金)はれ
 じで、昨日の日記 のアップロードを上手くやったものだ、と感じ入った次第だ。それほど飲んでいたし... 。実際として(自分のサイトはごちゃ混ぜのくせに)僕はあのようなごちゃ混ぜの店は好きではない。
 確かにワイワイガヤガヤはそれなりに良い面はある。が、そこは大人数が占拠する料亭の2階席とかのことではないか。そこなら、知人とは別の全く知らない 人と話をしても楽しいものがある。
 ところが、昨日の席は真面目に招集者の一人がご機嫌になってしまったから、僕はスゴスゴ引き上げた次第だ。その後で、僕の悪口を言われても、それは結構 だ。ま、そういった程度の小さい職場だから、結局のところ、大広間で宴会などのものではないのである。
 10月30日に届いたOMCのSR用シートを本日装着して走ってみた。結果はいずれとして、次号の本文に別枠として発表するつもりのリサーチが出来た。 SRのシートには意外な点が隠されていて、それが盲点となったいるのではないか、というのが偽らざる僕の気分だ。ここまでSRに対してヤマハが策を講じて いたとすれば、アフターマーケットのシートは、SR自体をもっと考えてリリースしなければならない。
 個々のパーツ屋はソコソコのものをリリースするけど、SRをトータルで考えてそういった製品をリリースしているところは少ないのではないだろうか。まし てや、全くの初心者が、ゼニをつぎ込んで、翌日にはカスタマイズしたSRに乗っている、というのは事実だ。
 が、それを自慢するのは結構だが、何かおかしい、として元に戻した上で、どことどこを自分流にするのか、をやろうとするユーザーが今は少ないのではない か、と考えるところである

2006 年11月4日()はれ
 今日は文化の日。真に文化って何だろう。芸能発表?。パネルディスカッション?。全体としてのお祭り?... 、などなど、考えられることは、各々の心の中で「文化的何か?」を実際に行うことであろうな、と思うところだ。
 本文にも記載しているが、実際のところ「芸能発表」「歌謡大会」「民舞」などなどがその全てなんだよね。
 一つ「何もない宇和島の中で何かを見つける」などのイヴェントをヤルなどの考えが浮かばないのだろうか、と残念に感じた。
 再び臓器移植で再び宇和島が有名になる。僕はね、こういったことででも宇和島をアピールしなきゃならないのだろうと思うね。こんなノンビリしたところな のに、「医の倫理を無視してまで人を助ける行為が正か否か?」を論議すればいいが、こういったことは一切無いないのが現実だ。
 こういったことは、そこそこのレベルで決着を付けるのがベストかもしれないが、これが焦げ付いてしまうと、ヒッチコックの「鳥」のようなことが現実に起 きること ではないか、と感じ入ってしまった。
 ま、そんなこんながあったが、僕の身の回りはいたって平和。床屋東京では理髪代を払うの忘れていたり、トライアンフの件では本当にエポックメーキングな ことが起こったり... 。
 人間というのは決まり切ったことを当然とすることが多い。それに縛られていた僕自身を情けなく思うし、ほんの少し見方を変えるとこんな琴になるんだ、と OKになってしまうことがある。正に今日はそれだな、と感じた。

2006 年11月5日()はれ
 先日、「SR AND ME」のサイト管理者の福蔵さんからリンクを張らせていただいた、というメールが入ってきた。
 なーんだ、と感じたのは事実。しかし、拝見するうちに、なかなか素晴らしいサイトだな、と感じたところだ。何と言うかね、僕のサイトがゴチャゴチャ記載 しすぎるからか、と思うが、その一方では、どうしてもマニアックなものになってしまって、最初のネライがこうなんだ、としていても万人受けはしない結果に なってしまう。僕のサイトはこういったことの繰り返しだからだろうかな、とも感じるので、福蔵さんのサイトが一層素晴らしいことと解る始末だ。
 それにしても、時として僕のサイトに訪問していただき、リンクを、という久々なことに、すごくうれしかった。福蔵さんありがとうございました。
 さて、本日は日曜日、ようやくT-140Vのエンジン始動から走行テストまでを行えた。非情に満足している。
 先のメールの件は別として、本日はT-140Vを数か月からの眠りから醒ませることとした。こんなことを記載してバカみたい、と感じるかもしれない。理 由は次号にでも記すとして、ともかく久々に自己の周辺のことを捨ててT-140Vに当たった。(おかげで、仕事の重要なものを明日早朝にまわすことになっ たが... )それにしても、T-140Vのことに関して、今回ばかりは現代風オートバイの行き方が基本の基本を無視しているのではないか?、改めて教え込まされたこ とでもあった。
 巷では僕がベストとしている1968年生のT-120Rが100万円単位だ。それでもトライアンフとか、国産のXS650、W-1などを知らない若輩の 方々が何とか、そのトライアンフを入手されようとする。
 国内には最新のカワサキW650があるではないか、と声をかけるのだが、どうもそれはマヤカシだ、と申される。ウ〜ム、難しい。そういわれるとW650 は我々、英車乗りには解せぬところもあるのも事実だ。その上に、W650のアフターマーケットのパーツ群の少なさなどなど、単にW650はW650として ユーザーが一纏めになるのはまだまだ先のことかもしれない。
 本日、寄松のエネオスでガス給油をしたが、ソコの若者が「トライアンフはじめて見ました。フェザーベッドですか?」一瞬目の前が暗くなったが、僕は、そ んない古くないよ、良いのは'68年かな?。コイツはオイルインフレームで... 、というと、シーリーが気になるのですが、とまでいう。それじゃ、というわけで、僕はロブノースフレームが良いよね。BSAとかの3気筒エンジンを積んだ ヤツ... 、とかいって別れた。
 現実として、雑誌に記載してあることがメインになってしまって、その大きさとか、状況とかの「気分」で口に出されることで、現実にはOMCのSR用のフ レームとかすらに跨ったこともないのだろうと感じた。
 これだけ情報が発達している世の中でさえ、僕のようにメインジェットを何番上げるかどうか、などどいっているように、現実に実物を前にして、さわらせた 上で、「どうだい、手が汚れるだろう?」、といいつつ、「こうやって自分でやってね、それが楽しみでもあるし、苦しみでもあるんだ」と一応言った上で、 「そろそろ専門ショップにエンジンのオーバーホールをしなきゃならないんだけどネ」と応えることにすれば... 。
 いずれにしても、こういったことはうれしいことではあるが、実際はそんない甘いものではない。それ以上に専門ショップを探し出すことの困難さは、言わず ものだ。
 ソコから一歩踏み込んだところが解れば、これもまた楽しいことだろうけど、そこまで行くのは... 。
 ま、本日は静かに祝杯をあげて終わりとした。

2006 年11月6日(月)くもり一時雨
 事の終わりになっ て、嫌な思いをする。県の市町村職員共済組合の代議員として、職員の代表を5人選ぶ。その会議でのことだ。我が方は自治体の合併で選挙区も大きく変わった ため、公平に選挙で選べ、という主張をしたところだ。
 相手方はそんな主張はそっちのけ。過去のいきさつとか、上部団体とか、構成員の数とか、そんなゴタクを並べて選挙を回避しようとする。代議員の互選で議 員が2人選ばれる。それは選挙になるのは確実だ。なのに、手間がかかるとか、何とかかんとか... 。
 選挙の正当性を重々述べて以降、僕はしゃべらなかった。もし、それ以上しゃべった結末はいつものとおり「悪者」扱いだからだ。
 結局、管理職の代表を交えて収拾を図る、ということになったが、何ともなぁなぁがまかり通る。職員を代表する組織は一体... 、もう止めよう。そのうち、大きいしっぺ返しが相手方に降りかかるだろうから。
 そういえば、本日は冬っぽくなった。天候からして雨がポツポツ降ってくる。が、気温はそんなに下がらない。ようやくにして、天気予報でも、今年は冬の訪 れが遅くなるらしいことを言っていた。
 この天気のように、新居浜の県立高校の校長が首つり自殺をした。地理、歴史の履修の件で虚偽の報告を内申書に記載した、という理由だそうだ。待てよ。私 学の愛光高校では、無いといっていた履修不足があったことを県教委に謝罪した、という。ここの校長は自殺していない。
 オイ、ふざけんじゃねー。
 何だか、死というものが非情に軽いものの代償に思われてしまう。県立高校の校長は年齢からすれば明年の3月31日で退職のはずだったんだから。

2006 年11月8日(水)はれ
 日続きの冬から、 暖冬の前の晩秋の天候が戻ってきた。それにしても雨が降らないのはいいようなものの、若干脱水みたいな... 、そう、昨年北海道へ行ったときのことを思い出した。あの時も相当水を飲んだ。今年の北海道は通常の寒さらしいが、竜巻は大変だったろうな、と思う。竜巻 というよりはトルネードと言った方が若い人には通じがイイのかもしれない。
 が、カッコイイ英語だけど、竜巻はともかく、「差異」の意味が不明の職員が100万円ほどの損失を出したらしい。ということを含め、最近の若い人は、漢 字を読めないし、書けない。ましてや意味が分からない人が多い、とNHKのクローズアップ現代で報道してた。
 そんな中、No.92をアップした。僕は携帯でメールもしない。小誌www/Gridも文章が多いから、文字などはついつい辞書を頼らないとならない点 もある。職場でも、手書きにした方が速い場合が多い。何だか文字を知らない、ということが矛盾してしまっているのだよね。
 もう一点、小誌は画像が少ない。総じて画像レベルも落としている。その理由は占有メモリーではないんだ。私の住む宇和島は島しょ部でのインターネットが 未だにISDNなのである。少なくとも今の大半の家庭がADSLであろうし、その辺を基準にしているようにも感じる。もっとも、僕も以前のプロバイダーで は288の通信だった。
 したがって、遅い通信速度でも何とかスピードを確保しておくのがサイトの管理者ではないか、と思ってサイトを運営しているところなのである。

2006 年11月13日(月)はれ
 は寒いが入り込 む。といっても、北海道の札幌の初雪の類ではない。そんなに寒いなど、尾へぞで茶を沸かす。事実、僕は上着を着たままで島巡りをやった ものだから、大いに汗をかいてしまった。
 っこれが何を意味するのか?。よ〜っく考えれば、これは脱水の初期症状である。これまでは、スポーツの分野などで我慢させてきた。未だにこの辺りの指導 者は「塩昆布」の状況をつくりりつつあるのは事実である。
 僕の予想だが、この分野で最も遅れているのは、小中学校の教員の皆様方であろうと思う。もちろん、様々な批判要因は存在する。しかし、異変が起きた後 で、どういった行動をするのか?。このことには。ほとんど無頓着で訓練などをやっている始末だ。
 この面は県の管轄だから、僕は加戸君を早く辞するようにするのが民意ではないか、と今でも信じている。
 そんなこんなで、市内の島しょ部を船で回る。少しばかりおかしいところもあるが、概ねよろしかろうと、判断した。
 合併後、初めて訪れた竹が島は閑散としていた。が、これだけ整備されているんだ。行政はゼニ儲けのために、夏場だけでもイイ、鹿島へ船を通して、キャン プとか都会の喧噪を離れての1泊2日のキャンプ生活もいいものではにか。お天気の日には天の川が宇和海の一面に存在する。ロマンチックを通り過ぎて、超自 然を感じるのではないか、と、フト思った次第。
 いかがかな、この地への移住など考えずに、こういった地域に根ざした環境行政も必要なんではないか、と思ってしまう。したがって、僕は死なないよ。

2006 年11月14日(火)くもり一時雨
 夜のヤフオクでは アクティブ製のSR400/500用のスーパートラップを3000円から始まったのだが、ナ、ナ、ナ何と18,000円で終了した。
 これを落札した人物は意外なところへ注目していたのかもしれない。
 日記に記載することを少々はばかるが、現実にSR500のエンジン振動は、カンリンの小さい方の重量フライホイール(小ぶりちゃん)を着ければある程度 無くなるが、アフターマーケットのマフラーセットにおいては、通常のSR500ではエキパイのフレーム固定が無いと、振動などで少々困ったことが起こるよ うに思うのである。
 その証拠に、同じアクティブでも、現在のスパトラにはこのエキパイをフレーム固定する部分が省略されているのである。パーツ屋も、すでにSR400しか 存在しないことと決めつけているのは明白だ。
 その点、PLOTのスーパーサウンドのSR400/500用のフルエキタイプにはエキパイをフレームに止めるように配慮されている。
 昨日の落札者はスパトラ特有のディフューザーディスク、エンドキャップなど、少々の欠品があっても、エキパイ、マフラー共にそのものずばりが良品だった から18,000円で落札したのだろう。もちろん、それでもアクティブがの純正でリリースしているものよりも安い。
 僕がどうしてこういったことを記載するのか?、と思われるだろうけど、他をさわらずにマフラーなんぞ交換しようものなら、ノーマルというかストック状態 のSR400/500は確実にロースペックなオートバイへ向かうのは確実だ。これは断言してもいい。ましてや、知らないものがキャブレターなんぞ交換すれ ば、地獄の苦しみが待っているのは事実だ。今の希薄燃焼装置を装備したモデルは一層深刻な状態になってしまうのであろう。
 この辺のセッティングの難しさはショップもオーナーも「絶対に」外へ出さない。当然、纏めているとはいえ、関係雑誌などには出ない記事であろう。
 真面目に、明年モデルのSR400はフューエルインジェクションシステムが装備されるらしい。そう!?。
 その後、2007年からの向こう数年間のパーツ屋と関係ショップが改造と称するパーツを如何に法規へ合わせて開発するか、ということが最大のポイントで あろうな。
 ま、SR400のオーナーで小誌を読んでいらっしゃる方なら、真面目にストック状態に戻してご覧なさい?、と僕は言いますね。
 バカコケ、これだけゼニ入れたんだぞ、と無視する方もいらっしゃるでしょう。僕はストック(ノーマル)のSR400を最初の1000kmはじっくり乗っ て、その後のメンテナンスをやっていないSR400と勝負したら... 。この場合はメンテナンスをしっかりやった方が勝つことには違いがない。この一件は自動車にも当てはまる。ジェームスディーンが他界したときのようなセン セーショナルなことはないだろう。
 社会においても同様に、現在では直ちに一般化、本格化だ。都会と地方との差が少なくなってきていることから、一つのことへ対処すると、もう一つが大きく なってくる。なんだかな〜?。行き当たりばったりのような気がする。SRじゃないけど、もう少し慣らし運転や定期的なメンテやったりして個人の存在を確立 しなきゃなラらんのと違うだろうか。それを若いのにフィードバックするなどすべきだ。

2006 年11月14日(火)くもり一時雨
 夜のヤフオクでは アクティブ製のSR400/500用のスーパートラップを3000円から始まったのだが、ナ、ナ、ナ何と18,000円で終了した。
 これを落札した人物は意外なところへ注目していたのかもしれない。
 日記に記載することを少々はばかるが、現実にSR500のエンジン振動は、カンリンの小さい方の重量フライホイール(小ぶりちゃん)を着ければある程度 無くなるが、アフターマーケットのマフラーセットにおいては、通常のSR500ではエキパイのフレーム固定が無いと、振動などで少々困ったことが起こるよ うに思うのである。
 その証拠に、同じアクティブでも、現在のスパトラにはこのエキパイをフレーム固定する部分が省略されているのである。パーツ屋も、すでにSR400しか 存在しないことと決めつけているのは明白だ。
 その点、PLOTのスーパーサウンドのSR400/500用のフルエキタイプにはエキパイをフレームに止めるように配慮されている。
 昨日の落札者はスパトラ特有のディフューザーディスク、エンドキャップなど、少々の欠品があっても、エキパイ、マフラー共にそのものずばりが良品だった から18,000円で落札したのだろう。もちろん、それでもアクティブがの純正でリリースしているものよりも安い。
 僕がどうしてこういったことを記載するのか?、と思われるだろうけど、他をさわらずにマフラーなんぞ交換しようものなら、ノーマルというかストック状態 のSR400/500は確実にロースペックなオートバイへ向かうのは確実だ。これは断言してもいい。ましてや、知らないものがキャブレターなんぞ交換すれ ば、地獄の苦しみが待っているのは事実だ。今の希薄燃焼装置を装備したモデルは一層深刻な状態になってしまうのであろう。
 この辺のセッティングの難しさはショップもオーナーも「絶対に」外へ出さない。当然、纏めているとはいえ、関係雑誌などには出ない記事であろう。
 真面目に、明年モデルのSR400はフューエルインジェクションシステムが装備されるらしい。そう!?。
 その後、2007年からの向こう数年間のパーツ屋と関係ショップが改造と称するパーツを如何に法規へ合わせて開発するか、ということが最大のポイントで あろうな。
 ま、SR400のオーナーで小誌を読んでいらっしゃる方なら、真面目にストック状態に戻してご覧なさい?、と僕は言いますね。
 バカコケ、これだけゼニ入れたんだぞ、と無視する方もいらっしゃるでしょう。僕はストック(ノーマル)のSR400を最初の1000kmはじっくり乗っ て、その後のメンテナンスをやっていないSR400と勝負したら... 。この場合はメンテナンスをしっかりやった方が勝つことには違いがない。この一件は自動車にも当てはまる。ジェームスディーンが他界したときのようなセン セーショナルなことはないだろう。
 社会においても同様に、現在では直ちに一般化、本格化だ。都会と地方との差が少なくなってきていることから、一つのことへ対処すると、もう一つが大きく なってくる。なんだかな〜?。行き当たりばったりのような気がする。SRじゃないけど、もう少し慣らし運転や定期的なメンテやったりして個人の存在を確立 しなきゃなラらんのと違うだろうか。それを若いのにフィードバックするなどすべきだ。

2006 年11月15日(水)はれ
 山の地震と津波を みんなは本当に理解しているのだろうか?。真面目な意味、午後9時前の報道と画面を見ていると「来るものか」とみんな感じているだろ う。
 今午後10時15分。一波が来て、次を待っている、という状況だ。僕はすごくおかしい画面を見るのだ。避難勧告とか、避難のことを前面に出しているが、 実際、海岸に面したところなど、NHKのメンバーなら、ハンディーのVCRを持ってでも、腕章をして、命の保証をされているギリギリのところへ行く。ある いは、避難 住民の状況などを報道すべきなのに、一向にそういったシーンは出ない。
 夜と昼との違いはあるが、見物として出た多くの住民が波にさらわれて亡くなった住民を富山の地震で知っている。今の時点では、大したことはない、と考え がちだろうけど、関連地域で真に避難した人は一体何人いるのだろうか?。
 今、10時25分、前和歌山県知事の逮捕を報道している。枠は地震の情報だ。僕の立場からいいたくはないが、地方自治を司る自治省(現総務省)の管理職 連中に ろくな奴は居ない。断言してもイイ。
 我が愛媛県の地方振興課長も総務省の下り者だ。コイツがダメなこときわまりない。以前、この日記に記載しようとしたが、あまりのことに控えていたけど、 今回ばかりは、地方振興課長も同様だろうな、と思う。想像だけど、早く本庁へ帰りたい、が前面に出るはずだろうし、現在の多くはなぁなぁの世界だろう。自 分の任期を 全うすれば本省へ帰れる。これが第一のこと。これがまかり通る世界だ。国家公務員でも下っ端は大変だろうが、管理職とその取り巻きは、結構いい生活条件が 満たされている。
 こんなのが、旧国家公務員の重要ポストったたって、もう信じることは出来ない。
 今、10時30分。教育基本法改正案をテレビでやっている。つまらん世界だ。これを可決した国会議員の連中は、死ぬ間際に「あれは間違いだった」と誰も 言いはしない。ましてや裏取引... 、の報道もやってる。不思議な世界だな。
 マジで、国と国民の契約法の憲法をこうやって改訂の可決がされると、国民投票なんてマヤカシとしか考えられなくなってしまうのである。
 ま、この国は戦争をしたがっているのだろう、と僕は感じる。戦車や戦艦を総じて吉田茂は「特車、特殊船舶」と言わしめたが、どうだろう?。
 松坂投手の落札額をやっているが、誰も気づかないことがある。「60億(円)」を聞いて、国民は何とも思わないのだろうか?。
 とりもなおさず、一つの野球軍団がこれほどの金を持っている。アメリカ政府、特に共和党の敗北であった中間選挙であるが、日本がようやく経済が回復して いるとはいえ、まだまだ、アメリカは底知れぬ財政力を持っている、ということを知らしめたのではないだろうか。
 僕は広島の「黒田投手」のような気分の選手が好きになった。はっきり言って、メジャーリーグそのものはそんなに甘くはないよ、と言いたい。これは先日の 城島捕手のアメリカでの苦労を知ればいい。その上に、番組のウラ、普段の城島が普段めいているが、中身は煮えくりかえったり、なるほどな、という彼の気持 ちのことがよ く解った。
 テレビは未だに津波のことをやっている。僕が報道記者なら、今頃数本のアポ取って、重いテレビカメラを背負って取材に出ていることだろう。後のでボスに お小言を言われても... 。
 今の世の中は難しいな、と感じてしまった。

2006 年11月16日(木)くもり時々はれ
 、慶次郎縁側日記 を見ている。2時間前の夕食は妻のつくるSplお好み焼き。これがなかなかの美味なのだが、今回の唯一の欠点は、結婚祝いのお返しでいただいた「野中のか まぼこ」が入っていたことだ。
 信じられないかもしれないが、「野中のかまぼこ」はそのままで食するのがベストなのである。少なくとも熱が入ると硬くなる。これは料理人であった父の時 代、つまり先代の野中のご主人の時からの伝統だ。それゆえ、宇和島のかまぼこ自体を賞味していただけるのなら僕は野中を勧める。
 そのお好み焼きを食べながら僕はクローズアップ現代のクリント・イーストウッド氏のインタビューを視聴していた。えらく感銘を受ける。硫黄島関連の映画 2 作をゼヒ見てみたい、と思った。朝のテレビニュースでこの映画のことを報道していたので、妙に気がかりだったため、夕方からの会議を欠席し、酒道場へも (後述の理由での)祝杯を上げにも出かけなかったのである。
 若干とりとめのない話になってしまっているが、実は結構無理して午後2時から休暇を取ってT-140Vのキャブをさわっていた。メインジェット交換とテ ストランの繰り返しをやって、#180〜#170〜点火プラグ交換と#185〜#180として、あと一息のところまでになった。もし午後1時から休暇を 取っていれば... 、と残念でならない。仕事が立て込んでいることと、天候の関係で休暇を取ったんだ。この際は仕事のことなんぞ気にしない。これで土曜日に天候が良ければ午 前中で結果が出せる。
 もう一つは、ガソリン燃料に対してのセラミック濾過材(トルマリン・麦飯石・竹炭・微量ラジウム含有鉱石)を一まとめにしたツチノコという燃費と燃焼 アップ剤を燃料タンクに入れた。この結果も検討してみたい。
 まぁー、この一か月、T-140Vをよくさわった。英車の集いでの松山氏の「メインジェットを下げる方向で」というサゼッションがなかったら、こうは なっていなかったろう、と思う。
 今は、この7年間何をやっていたのだろうかとか、今日の結果がよかったしで、頭の中がポヮ〜ンとなって放心しているみたいな、妙な気分が支配しているよ うである。

2006 年11月17日(金)はれ
 12月発売のニコン デジタル一眼レフのD40を見て、ニコンもデジタル部門では終わったな、と感じた。実際のところ、デジタル一眼レフの世界では、ある程度のコンパクトさは 要求されても、小型化はある程度のフィルム一眼レフに共通しなければならないのである。僕は、この部分は「断言」してもいい、と確信している。
 この、ニコンD-40を見てびっくりしたね。もちろん、ニコンとしての独自性は十分に把握できる。が、ひとたび、「一眼レフレックスカメラ」を家庭に導 入する際、今までニコンユーザーだったら、どの機種を導入するのだろうか?。
 片翼を担うキャノンは、おそらくこうだ。奥様方が、フィルムバージョンのKissをお持ちとしよう。僕は、その「家庭」ではデジタル一眼レフカメラは購 入しない、と思うよ。理由は簡単、その家にはすでに一般のデジタルカメラが存在するからだ。
 ただし、Kissの運命は辛いものがある。唯一の望みは、デジタルの写真と銀塩フィルムのそれとは大きく違うことに気づけばいい。とすると、キャノンは 完全に棲み分けしていることが解る。決して卑下したり、褒め称えたりは無しでなんだ。
 僕は今回のニコンのことを仮に我が家へ例えたとすると、まず必要なのはプリンターだろう。それ以上に、映った画質はもとより画質=プリントアウトになら ない。補正をしても実際のニュアンスと違う、などなど、多くの問題が出てくる。
 パソコンのように、過般型のマシンはいざ知らず、比較的大きいノートなどでの仕事以外の仕事だと、僕はiPoodに記録しているデータなどを利用すれ ば、サブノート1台で良いのだから。
 今回のニコンD-140は売れると思うよ。ただし、それ以上は絶対にない。そろそろ、本来のカメラが持つ大きさ、シルエット、(ネーム)バリウなどな ど、デジタルの一眼レフ自体は、今後のデジタル一眼レフを取り巻く環境で大きく変わるのではないだろうか、と考えてしまった。

2006 年11月19日()くもりの後雨
 してウソではな い。今、シューシューと雨が降っている。嫌な雨の音だ。この手の雨は上がるか定かでない。バ〜っと降るヤツはソコソコ上がると解っているが、このシュー シューいうヤツは少々困りものだ。
 そもそも、午後からは晴れ間もでる、というのが一般の予報であった。地震もやってきた。この辺から狂いだしたのであろうか?。現実に、気象予報士は空 間のことを過去のデータなどと照らし合わせてのこととして、発表するまでだ。地震などの地上で起こったことには無頓着だ。
 が、本日は、雨が降らないはずだのに、地震があっての今、午後8時3分、雨はシューシューと降って止む気配はない。
 さて、7年間かかったが、ようやくSUDCO MIKUNI 32mmの結果が出た。素晴らしくよくなったが、この報告は、しばらくの間お待ち願いたい。信じられないかもしれないが、インマニ長を元通りにしたら、こ ういった結果だ。
 じゃ、最初からのものをそのまま使ってたら良いんだ。解ってはいるが、より良い改造のためとして、それを最初の段階からやろうとするからダメなんだ。解 りきっているのだけど、国産車のようにやってしまうのが人情だろう。
 これだけです。その微妙な接点を見つけるのがプロではないか?、というのが僕の考えだ。
 そうそう、いじめの問題で、国際ニュースの時間にやってた。僕が思うに、諸外国のイジメと我が国の同年代のイジメとは、どうも根本が違うように感じるの だ。
 ぼくなど、「いつかヤッテやる」と本気に考えてたり、「もう数年したら、アイツは学校からいなくなる」などと考え、復讐の意志を明確にしていた次第だ。 それで、学校内のことなら、頭に来る寸前で先生に報告していた。もちろん、家では親にいったこともあった。
 どうやら、こういったことが欠如しているから、今の日本のイジメはヤラレタ奴が弱すぎる。それゆえ自らの命を絶つのだろう。僕など未だに自殺は嫌だ。痛 いし、苦しいし、ヤッタ後の汚さに対して人様に迷惑をかけるなど、自殺はやった後が大変だもの。バカげているが、この自殺した後のことを学校で教えること もないのであろう。
 セクハラだって、ほんの少しのところで決するのかもしれない。たとえば小学校の図工の時間で、裸のモデルが児童生徒と同じ教室にいても、普段からの学校 教育、家庭教育などが十分に機能していれば、「裸の女性」と児童生徒は気にもしないし、それ以上に、絵画は、なかなかいい作品が 出来るのではないだろうか、と感じる。もっとも、それは今でいう「イヤラシイ」などど保護者からの文句が出るのが必至というのが現実だろう。
 そういえば、ワールドニュースの時に感じたのだが、今の日本で母親が人前で母乳を赤ん坊に飲ませるなどを平気でやるだろうか。もし、それがあって、仮に 僕などが「いい飲みっぷりですね、大きくなりますよ」と声をかけたとしよう。「ありがとうございます」か「セクハラじゃないですか」との二つで、今はどっ ちだろうか?。
 どうも住みづらい世の中になってしまったように思う。

2006 年11月22日(水)はれ後雨
 は久々に人間とい う者が信じられなくなってしまった。
 本日は、同じ業務に携わる本庁、支所の面々が一堂に会する数少ない会を催しての席でのことだ。和気あいあいとした席も終わりにかかった時のことであっ た。もちろん、そういった時に出たことは席が始まる前にも話が出ていたのは事実だった。
 ことは、30年前に遡る。僕の記憶が正しければ、その当時、同僚のK君が僕の教育実習の時に云々、と言う。
 僕の記憶では、最初に彼に対面したのは宇和島東高校より前、城南中学校時代ではないか、と思う。たまたま行ったおり、スパイクシューズの件で、一度外国 のシューズを使用してみては?、というのが最初であったと思う。それが、僕の知らない世界でのことが、さも教育実習でのこと、と当然のようにいわれるまで になってしまっている。
 現実に、彼のオニツカタイガー(現アシックス)のカンガルー甲皮のつま先には、僕が持っているadidasアステカゴールドと同じプラカラー(僕が教え ていた)が塗布されていた。それは銅色だったため、彼は相当に悔しがっていた... 。
 これが発生したのは彼が中学3年の時ではなかったか、と思う。ま、そういった実際のことを記載している分から考えると、僕の記憶の方が... 、となるが、これは過去のほほえましいこととして、今回は記すことだけにしよう。
 さて、僕の身体状況の数値的なものは相当に悪い結果を示している。が、最近、酒の適量というのが随分と判ってきた。それを実行しているせいかしら、目の 周りのくすみが少なくなっているように感じる。
 つい最近まで、この部分がクマどころではない、青ずんでいたのである。自分自身、どうしてこの部分だけゲッソリ感が漂うんだ?、と感じていた。これが、 最近になって、この部分を毛剃りしていないためかな?、と思えるほど軽減されているんだ。一瞬我が目を疑ったが、紛れもない事実だ。
 不摂生きわまりない生活ではあるが、どことなく普段どおりの生活をしよう、と実施した期間が、ほぼ1か月。こういったことから、ダイエットなどで通常言 われている2か月などでは、実際に仕事をやっている人たちにとっては、むしろ結果が出ないのではないか?、と考えるようになった。
 少なくとも、ダイエット関係の諸々は、期間については3か月。3〜5日で成果が出た、というのは、愛用者で実際にそうなった人物の数を日本中で集計しな い限りウソである。
 こういったことと、僕の場合は燃焼系のダイエットは不向き、ということを実際に感じた。
 こういったことから、本当に亀の歩みには違いないが、人それぞれのダイエット方法があること。結果の状況が、そのサプリとかの方法の実践結果での日数な どとは大きく異なることが多分に存在すること。
 こういったことを強く感じた。
 実際、「酢」を初めとした体内の脂肪を燃焼させる方法は僕にとっては好ましくない方法であった、などと、真面目に信じられるようになったため、あえて、 やっていながら遅くに結果が出る「酢の飲用」ダイエットを誰が選ぶのだろうか。
 もう一点重要なことは、「ダイエットが害になる」という事実を、今のこの時代にして知っている人が、あまりに少なすぎる、ということなのである。
 僕はこういった面での数値での診断方法は大嫌いだ。どうか、数値は数値としてとらえ、実際は数値とかけ離れていても、現実に、本人には悪いところはな い、という確信がある、と疑わない。
 こういった人物を「数値はおかしですが、健康ですね」という保健師が、市内に一体何人いるのだろうか... 。むしろ、根掘り葉掘り、出された結果から、「ここはこうしてもらわないと困る」がまかり通るのであろう。
 僕は、酒を酒を飲みながら考えていた。僕はというと、瓶ビールの中ビンを1本。お酒のお燗を2本、これで全てを終えた。二次会にも誘われたが、歌う気に もならず帰宅した。
 検診結果への対応は、僕のような方法で十分なのではないだろうか。僕は毎日、数種の薬剤を数粒ずつ飲用することへの不安がますます増大することを感じる ところである。

2006 年11月23日(木)雨
 トシトと雨が降り 続く。こういったときが一番嫌だ。気温も一定で、明るくなっているのに、どことなく寒々しい感じになってくる。
 勤労感謝の日だが、普段どおりに起床して普段どおりに過ごす。本日変わったことは何か?。それは、久々に3km程度歩いたことだ。
 が多分に漏れず、最初の数百mは快調。恵美須町商店街にかかる頃、何とも言いようのない身体のバランスが取れていないことに気づく。それでも、結構速い ペースで歩いている。
 鶴島町の四国電力ビル前に来て、風が強くなっていることに気づいたとき、自分のペースが速すぎることにハッとする。以後、じっくり一歩一歩の歩みを確認 するように歩く。が、雨のため傘を持っての歩行がそれを幾分か狂わせる。
 和霊町にかかる交差点手前で遍路の一行に苛まれ、ペースが一定でなくなる。同時に脚部のあらゆるところに変調をきたしだす。何とも困ったものだ。
 傘を差すなら傘の用意を、カッパを着るならもっと良い装備のヤツにしろ、と言いたい。本来なら箕を着用するだけでも良すぎる。それが遍路の身分だ。この 世界に人間の上下関係などない。
 いつの頃からか、人間は、自分の力で四国八十八か所を巡らなくなってしまっている。ツアーしかり、自動車巡礼しかり。いくら同行二人であっても、そう いった方々には御大師様は同行なさらないのではないだろうか。遍路としての最低限での巡礼を心がけていただきたいものだ。
 僕の目的記載を忘れていたが、実はThe Beatlesの新しいアルバム「LOVE」のCDを購入するため、和霊町の宮脇書店へ出向いたのがそれだ。DVDとの2枚組はライムハウスから購入とし て、まずは東芝盤のCDのみ購入とした。
 で、往復3km程度になった次第。
 帰宅してPismoで鑑賞。僕は思わず涙ぐんだ。確かに冒涜かもしれない。が、他界した2人の仲間が存命していれば、「そうか、こういった手法があるん だ。それなら、過去の僕らのアルバムも最大限、現代でリリースすればどうなるか?、というのもイイナ」と、絶対に言うだろうと思う。
 ことに、ジョン・レノンはCDの世界というか、デジタルの世界を知ることなく世を去っているのだから。
 まさに、このディスクは過去の彼らの持つ音楽性とか、楽曲の不思議な一致点などを纏めた集大成だろうと思う。ジョージ・マーティンが言っているように、 これは彼にとってプロデュースした最後のリリースディスクかもしれない。
 でも、息子のジャイルズが数年後に、僕の考えたような企画をヤルかもしれない。「LOVE・愛」というタイトルから外れた各曲に対して... 。

2006 年11月25日()くもり時々はれ
 は夜、夕方パラ リ〜っと来たが、まだ、本格的な雨は降っていない。降ってもシトシトの雨だから、これが嫌な雨になるのは間違いがないところだ。
 さて、午前中は、12月1日から開催される南予写真協会写真展に出展する作品の額装丁をやる。これがね、黒のパネル状の額にするか、白木の額に白台紙で いくのか?。
 やってみると実におもしろい。同じ写真がおかしいほど変化する。結局、白木の額縁に白の台紙で装丁し、犬飼先生のところへ持参。OKをもらった。実のと ころ台紙のカットが高いため、金額的に辛い面もあるんだが、写真を生かす本当のパネルにすると、いざ保存となると、どうもこれが貯まりすぎる。僕の写真も 額装丁をして、そのまま保存してるのは一つしかない。その写真を皆なは良いというが、僕はあまり好きではない。
 思うに、芸術性を突くと、一瞬をとらえる写真がデジタルカメラと変わらなくなる。決してデジカメに対してのイヤミを言っているのではないんだ。むしろ、 デジカメ自体、あるいはご家庭のPCでプレビューした後で、気に入らないと削除された写真(データ)の中に傑作が残っているのかもしれないと思うと、国内 では相当数の素敵な作品群が抹消されたことになるのではないかな、と最近は特に感じるからだ。
 犬飼センセイと話をしながら、センセイはデジカメの全紙化(最近はもっと多くの普通紙サイズのA3など豊富)で随分驚かれていたが、一般には 「Good」に見えるのだが... 。
 そう、デジカメで撮って、富士フイルムでそれを写真にしたときに、僕はカメラはもとより、デジカメでの特性などがドバ〜っと出てくるような気がする。こ の場合は真面目に「写真」であり、プリンターで印画紙状のペーパーでプリントアウトするのとはまるで違う世界なのだ、ということを知っておいてほしいので ある。
 午後は、SR500の排気系に対してのキャブセッティングの方向性を再確認して、僕の考え方のまとめになる結果を得た。ノーマルのエアクリーナーを持 ち、ミクニBST34のSUキャブを持ったSR500でのリプレースマフラーはいかにあるべきか、の確認が出来た。
 夕刻、エンジンが冷めた後、全て(ハンドルバー、バックミラー他を除いて)をストック状態に戻した。これ以降ヤルとすると、ローハイトのシートに変更す るだけではないか、と思った。恐るべし3GWのマフラーである。
 花園村でのあの一言がなければ... 、ま、この詳しくは次号のwww/Gridで。

2006 年11月26日()くもり一時雨
 霊公園でのイベン トがどうなるのか?。早朝より現場へ出向く。こういったことを15年前まで必死になってやってたのを思い出す。あの当時は雨になると、まるで僕が悪者のよ うに思われ、延期になると次の週の予定がパ〜になってしまったり... 、こういったことが日常茶飯事だった。野外でのイベントの雨には気をもませるものだ。
 テントを立てても風で飛ぶぞ、と思いながらの帰り、代表より中止の連絡が入って一安心。そう、今回はこの日だけしか決定していないから、イベントの次回 開催は来年だからである。
 9時前に南予設備さんが排水経路の確認に来た。いよいよ、我が家も公共下水道へ接続することになる。その工事開始の下見というところだ。我が家の建築時 の不本意な工事状況が露呈される。一部分低い方から高い方へ水が流れるというものが見られたからだ。そういえば、浴槽の排水が非情に遅い。ま、今回の接続 は家の前の敷地内7㎡程度の工事で済みそうだ。当然、費用も少ない。
 別れ際、これまでの経緯を少し話したところ、役所も接続してくれている家が非常に少ないので憤懣やるかたないらしい。そりゃそうだ。
 商店街では未だに簡易水洗のところもある始末だから、経費のことを考えると、テナントビルなどは休業補償まで考えないとならない。この不況時、ハイ解り ましたで数百万の工事費など出せるわけがないだろう。
 間もなく強い雨がザーっときた。午後まで降ったり止んだりで夕方には完全に止んだし、青空も見えるようになった。が、同時期、室戸の方では1時間に 140mmもの大雨になっていたという。自然というのは判らないな、と思った。
 丸穂温泉でノンビリして、小誌の次号用の文章を纏める。特にT-140V関係は相当量になってしまった。何しろ5月から始まったことなのだし、結果が良 かったから、次号で出さなければ、次の確認レポートが出せない。
 というところで、9時放映の日曜美術館の大竹伸朗氏のビデオを見た。氏の考え方などを見聞きするとナルホドな、と思うところもある。
 また、この人宇和島にいるんだ、と思うとうれしくなってしまう。何しろ世界的な人物だからね。
 それより、番組の最終シーンでの作品に「宇和島駅」の赤いネオンサインがあったと思うが、僕はそれが彼の手元に移った経緯を少しばかり知っている。
 信じられないかもしれないが、JRがゴミとして捨てた旧国鉄予算本線の宇和島駅のネオンサインそのものだからだ。しかも作品と同じポジションで点ってい たのである。と、いうことは、作品自体が「女神の自由」のように大きいものであることだ。
 その後のJRは管理自体相当に厳しくなったが、例のセカチュウ前の作品のテレビドラマ。その学校の後者の一部として出た建物(事務所)の末路も悲しいも のがある。
 この建物もJRの宇和島機関区にあったものだが、何の前触れもなく昨年度取り壊された。建物は昭和16年建築であった。太平洋戦争勃発の年に建ったの だ。
 多くの出征兵士を見送り、這々の体で帰還した人々を迎えた。今も建っている機関車庫、給水塔とともに時代の生き証人=文化財として、JRは一切感知しな いのだろう。困ったものだ。

2006 年11月27日(月)雨後くもり
 は11月27日の 月曜日だ。日本国内だとまぎれもなく、初冬のソラ寒い1日であり、天候も雨だから一層ウスラ寒い一日であったはず... 。
 が、僕は今半袖の肌着でこの文章をタイプしているのである。決してウソを言っているのではない。真面目に本当なのである。
 本日、午前9時30分発の宇和島自動車のバスで松山出張をこなす。現実には僕のこの方面での職務は12月4日で2年の任期が終了する。こんなことで、行 きはヨイヨイ、帰りはコワイになろうとは夢にも思わなかった。
 大洲を過ぎる辺りから雨になってきた。ヤバイかな、と思ったが松山は雨であった。市駅前から大街道まで歩いて行ったのだが、これが大失敗。通りの別れ目 である愛媛カメラで異様な暑さにハンカチを出したのが始まりだった。
 一冊の雑誌を買いそびれてしまったため、大街道の明屋書店へ行ったのだが遅かった。再び銀店街へ戻って、いつものサッポロラーメンの店でチャーハン、と 思ったが、混雑していたのでダメ。(本当に暑いのだ)
 伊予鉄高島屋の前で涼んでいたが(本当だよ)、僕だけが暑がっているのか?、相当に不安になってきた。が、女子高生が濡れて平気で歩いているのを見た り、地下街で半袖の人を多数見かけたから、実際に「暑い」ことは確認できた。
 ようやく、デリーでミンチカツカレーを食べて、いざ主眼の本会議。そう、着席すると真面目に上着を脱いでいる人が多い。
 あいさつ回りでつかまりそうになったが、結局、あわてて4時前のバスで帰ってきた。やせ我慢は抜きにしても、全く異常だ。おそらく気温は21℃以上を示 していたのではないか、と考えてしまった。
 帰って、丸穂温泉へ行って汗ばんだ身体を流したのだが、番台で「暑かったろ?」と聞くと、地震が起きるのじゃないか、と言ってらっしたから、まぎれもな く宇和島も暑かったのだろうと思う。
 11月の今「暑い」というコトバが出ること自体おかしい。天変地異が起きそうだ、というのも、あながちウソではないような日々になってきているような気 がする。
 そうそう、黒と黄色、それに図形と虎目石。これで藤木相元氏の監修による財布の「売り込み」が、折り込み広告にあった。「効果のない場合は返金」... 云々は一切ない。相当な自信なのか、効果がなければ... 。
 一瞬バカみたい、と僕は購入する気にならなかった次第。強いて申し上げると、言われると僕が代表でやってあげるけど、この広告から切り取った図形と虎目 石を財布に入れていてご覧なさい。変化があれば、この財布はウソではない、と僕は確信しているところです。
 そんなこんなで、この監修者の方の「気」を入れた財布が一体どれだけ作成されるのかは知らないが、金儲け前の事前の行為だから、このこととは逆に、護摩 壇で護摩を焼いて供養、希望、鎮魂などをやるようなこととは違うのであろうな、と単純に思った。
 やはり、汗水流してGetした「銭」でないと、この財布でも、消えるのも早いものだろう。我々のボーナスにしてもそうである。 ある程度の鐘 は貯蓄にまわさないと、今はボーナスがうれしいなどとは言えないのが現実だから。

2006 年11月28日(火)くもり時々はれ
 しぶりに電話を多 用した。理由は簡単なことだ。同級生の例会(僕は「困った会」と称しているが)の日程によっては、近年にない忘年会の数の多さをいかにキャンセルするかが 非情な問題となってくるからだ。この件で幹事長役のK女史に電話。
 はっきり申し上げて、12月1日から始まる。これは先の会議とともに気乗りがしないから早々と欠席通知を出した。28日は課の忘年会。これは、ここ数年 仕事納めの日にやることになっている。僕自身は、この日は職場で軽く一杯の方がいいのだが... 。
 次は12月の初めに母の13回忌をやることとして、お寺と、参列予定者へ電話。早いもので母の死から12年になるわけだ。
 一段落して、仕事上ファストフードの店舗建物が出来ているがMAC関係... 、ということからネット上で調べるとマクドナルドぐらい。ところが、思いもよらぬことが起きるもので、カタカナのマックで、ビートルズ関係のギターショッ プのサイトを見つけた。
 帰宅して、プレーヤー誌にチョクチョク広告が出ていた東京のWithというショップもあるかもしれない、と思って見てみるとありましたね。アクセス件数 も多い。ということは雑誌社には申し訳ないが、ネットを活用した方が安上がりだし、遙かに効率が良い、ということだろう。
 この瞬間、現在息子が使用しているリッケンバッカーの320ジェットグロー、手持ちのギブソンJ-160Eのリペアに対しても一安心である。
 そういえば、小誌にも、このギターについても記載しなきゃならないのだが、今しばらくの猶予が必要だ。ま、ご期待を、というところです。ギターを掲載す れば、僕の楽しみは全て記載したことになるかな。もっともプラモデルなど、小学生時代のマルサンから始まるメーカー、パクトラ、ハンブロールなどの専用塗 料などなど、いずれも捨てたか消耗したか、で手元にないものが多い。したがって記載できない、というのが現実だ。
 そういや、何でも鑑定団でApple 1が600万円だったが、コンピューターの世界では20年の歴史は200年以上になるらしい。アメリカでの国宝級の一物というのが解る。
 こうしてみると、僕も結構おもしろいことをヤッテいるんだな、と感心している。バッカみたい、という声が多分に聞こえるが、気にしないことにしておこ う。

2006 年12月2日()くもり
 あまり天気予報を簡略化すると、僕は怒るぞ!、といいたい。まさに、本日の天候がそれではないだろうか。
 夜明けは遅いが、少しばかり寒さが... 、という天候であった。それが、途中から京風に苛まれる結果になった。少しバカにしているのではないか、とも感じられる。実際は、どういった天気予報を各 々が確定?、しなければならないか?。
 いや、僕は真面目なんだ。この辺の天候は、愛媛の主体をベースに、高知、大分、宮崎の天候を考慮しての判断を下さなければならない。通常は信じられない だろうが、真面目な話だ。
 さて、南予写真協会の作品展二日目だ。昨日のお客の方が多かったのは事実だ。天候が冬めいてきているためかもしれない。が、本当のところは、僕の申し上 げているような天候基準が必要になってくるのだ。
 事なく終えて、丸穂温泉へいって少しばかりノンビリ。その後で、スパトラを落札。これが不思議なんだよね。現実に1時間前に同様のスリップオンタイプで 1万円台で売れたのがあった。どこがどう違うか、大きな事は不明だが、このゲットしたものを写真で見比べると結構良いものを格安で入手した、という次第で はないだろうか。
 ま、スペアパーツとしての保存だけであろうけど、ともかく純正ものを入手したこと自体がうれしいところだ。

2006 年12月4日(月)雨後はれ
 日までの南予写真協会作品展での疲れが抜けな いまま、本日は松山出張。これがね、チミ〜、行きのバスがおかしかったんだよ。コチトラ8時30分の急行でノンビリ行こうとしていたら、特急が8時20分 に来た。ま、乗ってしまった。バカげているけど、このバスはバスセンター発8時の特急。そう20分遅れだったんだ。
 こういったバスに乗ると、ワンマンカーゆえ運転手に全てを委ねるから大変だ。高速道で何とか間に合わせようとするが、タコグラフ装備だから、おいそれと 強力な違反は出来ない。そのため、ついつい前後の交通状況によって運転がバラバラになってしまう。まさに、往路はこれだった。
 大街道で下りて、時間つぶしのため銀天街まで歩く。ファイテンショップで、息子の嫁の誕生プレゼントを購入。反応のない妻にプレゼントしてもラチがあか ない。息子には、これまで結構やっている。女の子は義子であっても彼女だけだもの。モンク言われても気にはしない。
 で、11時半から30分間の会議。高い弁当食べて、即座に12時45分のバスでトンボ返り。このバスにはサン・ロードのママさんも一緒だった。運転手は Oさん。この人は職員団体でのお仲間内だ。すばらしく運転が上手だ。
 昔のことを申し上げるが、コラムシフトのマニュアルクラッチタクシーで如何にお客をスムースに運ぶか?、が問われたときがある。これを、セミオートマの 大型バスでヤルのだから恐れ入る。おかげでiPodで野路由紀子聞きながら、結構ウトウトしていた。
 宇和島に着いた途端、現実が戻る。職場へ行くと嫌な暖房が入っているではないか!。この辛さは職場へ居なければ解らないが、脱水状態になる。土足の室内 で水を使わない清掃だから、土埃回り放題。ワイシャツの襟は真っ黒。そして、紙で指を切り始める。
 疲れていないのに疲れた状態。この状態を身体が理解するまで1時間以上かかる。僕にとってはたいへんな世界の始まりになる。国の機関では暖房を止めると ころもあるというのに... 。
 夜の保育士の会議を終え、ゲルマンで一杯やって帰宅した。スパトラの件でメールのやりとりして、今はNHKテレビでキャンディーズの番組見ている。何だ ろうな?。CBSソニーだから、何とかレーベルって言ってたよな。親衛隊って言うのもこの頃だろうか。ま、僕自身は当時何とも感じなかったけれども。
 番組の終わりより早くアップしてしまうが、徳倉さんは出ているが、実施、今の彼女隊はどうしているのだろうか?。僕はテレビに出ないミキさん一人だけの 今を知りたい。

2006 年12月6日(水)はれ
 い天気、本日は我が拙宅の公共下水道への接続 工事。昨日から汲み取り関係で業者へ電話するのだが、上手く行かず、結局、今日の朝に接続業者より連絡を取ってもらって、予定どおり午前8時から工事開 始。
 僕は汲み取り料を払うことと、確認の水流し作業を施主だからやらないとならないため、午前中休暇を取ることとした。
 昨日は、汲み取りから始まって、オートバイの駐輪のため信金のガレージを借用することになっていたのだが、連絡不行き届きで少し気分を悪くした件などが あって、今日は午前2時から345時と1時間ずつ目が醒めてしまった。
 午前8時から路面カッターでコンクリートをカット、浄化槽からの汲み取りと消毒を終え、カットしたコンクリートの廃材やら、掘った残土を浄化槽へ投げ込 む。
 それから、パイプ接続をやって、水を流して確認が取れたのが11時30分。実に3時間半程度の時間で工事が完了。
 午後より職場へ出向き、退庁後帰宅すると、モルタルが流し込まれ、整形のコンクリート打の後、刷毛引き処理をし、コンパネを被せて作業が完了したところ だ。
 水道配管の不適切な取り回しを修正したのと、1階のモルタル床ドレンからのパイプの角度修正が行われた。
 工事費用は少額で納まるようだが、汲み取り料は非情に高い。何しろ食堂をやっていたときのままだから15人槽もの大木のが入っていたのだから致し方な い。おかげでゲルピン(ほとんど死語)で2日間を過ごさないとならない。
 そのため、丸穂温泉から帰って、トーヨー市場で第3のビールとグレープフルーツの酎ハイで軽くやった後、軽い食事をして終了だ。
 1度モーターの修理をし、3本Vベルトを交換して、エアブロアーは実に27年間働き続けた。糖分は電源を通さずにそのまま放置するけど、出来れば保存し ておきたい、と思っている。
 しかしながら、ウヤムヤの内に公共下水道へ接続ったって、商店街など、簡易水洗のところも多いし、工事費だけでも数百万円必要なところがある。先に工事 したところへの配慮などをやった上で、これからの接続可能地域での対応をもっともっと上手にやるようにしないと、この事業そのものに破綻が寄贈に感じる。

2006 年12月10日()はれ
 曜日からの3日 間、相当に動いた。本日で、その間の事が終わったところだが、一段落付かないのは、職員のことだろうかな。
 金曜日、日ぐれて帰宅したら、下水道工事のモルタル養生用のコンパネがはずされていた。あわてて、信金の駐車場からオートバイ群を元に戻す。新たな点検 口が3つほど増えたので、センタースタンドの位置を考慮して置かないとならない。若干空間がイビツになった感じだが、ま、いたした方あるまい、として元通 りになった。
 土曜日はほぼ半日かかって小誌をアップした。夜は同級生との、いつもの例会。気分良かったね。久々にお歌いもしたし、事実上の忘年会となったように感じ た。
 本日は母の十三回忌の法要。ったって、我妻と息子夫婦、そして元の従業員の御常連だ。一つ違うのは孫が増えていることぐらいだ。従業員のおばちゃん達 が、次の法事には生きているだろうか、と漏らしたけど、十七、二十三、二十七、三十三、五十回忌と続くが、二十三回忌までは僕がやって、二十七回忌は息子 にやらせよう、と思う。12年後は父の五十回忌が入る。僕は67歳だけど、それまで生きているだろうか。  
 しかしながら、和尚の言うように、死というものを淡々ととらえなければならない歳になってきたようだ。
 午後からはアジア大会の男子マラソン。レースはレースとして専門家に任すとして、オートバイカメラに使用されたのがトライアンフ・タイガーだった。思わ ずうれしくなったが、それにしてもバックラッシュの音がヒューヒューとテレビから流れてくるのはいただけないな、とも感じる。来年は騒音関係でも、この辺 の音も規制されるのではないだろうか。
 本年は昨年の義母の死から賀状が出せなかったが、わずか1年出すのを開けてみると賀状も出さなくても良いんじゃないか、あるいは頼りのないのは元気な 印、と言うことではないだろうか、とも考えてしまう。今のところ出そうという意欲がないままでいる。どうなりますかな。

2006 年12月11日(月)はれ
 もなく(午後9時 の今)雨になる、というのが天気予報だ。不思議だが、そうなるのだろう。僕は天気予報での日本列島の向き加減が悪いのではないか、と感じている。ことに、 全国での天気予報など、画面の図からするとウソではないか、と感じざるを得ない。日本列島はもう少し北北西へ向けて弓なりになっているはずだ。ここを表示 しないと、僕が以前言ったように、大分、宮崎それに高知の状況を勘案して判断しないとならない、という持論が正解じみてくるのだ。
 さて、鶴瓶の家族に乾杯の番組後編はよかった。西予市野村町の野村から惣川(そうがわ)から城川町までのコースで一緒になる地元の人の行動を見ると、す ごいな、と感じてしまった。
 鶴瓶さんはもとより、八代亜紀さんの態度というか物腰、そしてご自身の姿勢の良いこと、姿を見るとうれしくなる。
 それ以上に、鶴瓶さんもだが、野村町の良さを相当纏めたにせよ、結構奥まで勧め、実際はこうなんですよ、と示してくれたことに感謝したい。真面目にね、 八代亜紀さんなんて、化粧の濃いつくった歌い方で... 、といった印象を持たれるが、実際はそうでもない。僕は知っているから言わないまでも、彼女の発生そのものを聞くと、カラオケで上手いなどは太刀打ちでき ないことは容易に判断できる、そういった声量であり音程の確かさであり、になってしまうのである。
 といっても、そんなところは見ていない、というのが本音であろう。付け加えると、ダンチョネ節の一説で「断腸の思い」を八代さんが言った。一瞬、「まさ か?」と思ったが、正しく「断腸の思い」を八代さんが仰った。
 僕が高校時分、漢文の時間に習ったことだ。つまり、ここまで歌手の方は歌詞の内容まで把握されている。僕は歌手の真骨頂を見たような気がしたところだ。 うれしかったね。

2006 年12月13日(水)雨後くもり
 日、サゴウ工芸へ 確認の電話を入れてみたところ、昨日(一昨日)発送したとのこと。ウレタンフォーム全てを新品にした、ということだから、期待がぐっと膨らんでいたところ だ。
 このことを思い出したのが、本日夕刻からの会議が終わって、夜のとばりがすっかり下りた頃であった。ヤバッ!、妻しか家にいない。代引きで送ったとのこ とだから、代金を払ってくれているだろうか?。佐川急便だから代理店は市内にない。受け取りに行くことが出来ない。困った... 。
 帰宅すると、来てました。妻に27,000円を払って、早速開封。オ〜ッ!スゴイ。こちらが希望していた内容が全て網羅されている。素晴らしい。
 シート皮とベースの貼り合わせも見事だ。若干剥がれたベースの塗装部分を水性エナメルで補修して土曜日辺りに取り付けよう。早く取り付けたいのだが、明 日も何やかやあって装着できない。
 ま、ともかく期待通りの修正だったから大満足だ。詳しくは次号で。
 としたところで、再びヤフオクでエンドキャップの4インチスパトラをゲットした。綺麗だ、と思うけど、どちらかというと旧タイプのディスクがほしいた め、と言った方が正解だな。手持ちのと合わせると、かなりのことがエンドキャップ方式のスパトラをSR500で実験できる。再び泥沼にはいることはもうな い。
 夕刻の会議の前に買った雑誌「丸」の別冊「不滅の零戦」。今もってアメリカという国、国民は凄まじいものがあるな、と感じる。が、アリューシャンで21 型を捕獲するまでは恐怖の戦闘機だったところだ。零戦、零式艦上戦闘機だからレイセンというのが正解のはずなんだけどね。そのためかしら、この飛行機だけ ジークとか言われるだけで、人の愛称などはつけられなかった。
 もう一つ言いたいのは今の若い方々に「ゼロ戦」といったところで知っている人も少なくなったであろう、と感じる。
 ところが、アメリカでは63年前の52型がほとんどそのままの姿で跳び続けている事実。それをやった国民の底力を今でも侮ってはならない。
 一縷の望みがあれば、動かないものも動くようにするだけの気力、体力、努力、財力、それら「力」が我々日本人とはチョイト違うようだ。

2006 年12月15日(水)雨後くもり
 織というのは恐ろ しいね。昨日は公立保育士の臨時・嘱託保育士の雇い止めはどういったものか、に対しての団体交渉を行った。雇い止めを30人の臨時、嘱託職員(保育関係) に対し て明年3月31日付で実施する、と言う内容が発せられた。これをメインにしての団交であった。
 本日午前中、別件で本庁の各職場を訪ねていたところだったが、1階の子育て支援課で、4人の管理職に、まるで僕が悪者であるかのような扱いを受けてし まった。
 団体交渉と関係課がいう内容の根本のことは、昨年から続いている保育園の民営化の一件だが、本年8月に発進せられたその文書だけをとらえると、「新しく で きる民間の社会福祉法人より建物(保育園)と、職員募集のことなどの説明会を行うやので、関係者は来なさい。」という内容のものであることは明白な通知文 だった。
 つま り、新しい民間保育園経営者の考えを聞く、というのは当たり前の文章だった。その説明会の席で、最後の最後に「臨時職員・嘱託職員の認容期限を3月末で切 る」という発言があった。これは事実だ。

 が、彼ら管理職の言い分は、説明会としてではなく、新しい保育園建設に足して、その企業主から「昨年より続いている一連の民営化の一件で新しい民 間組織の説明を求めた」といい放った。
 それを聞かなかった保育士に後日個別に説明をするというのは逸脱しているのではないか、と言い張る。
 が、根本はそんなことじゃない。解雇通告にも似たものを簡単にその場で言っていいものかどうかだ。解雇通告などを伴うのなら、十分にそのことを考えてほ しい。それを三支所別に夜間にでも説明会を開催してほしい、と団体交渉の席で強く申し入れをしたのだ。
 ましてや、非正規職員とはいえ、正規職員と全く同じ仕事をしている人たちを解雇することになるんだゼ、ということがまるで解っちゃいない。僕は、あほく さくなってし まった。

 あ〜あ、文章送って、保育園での対応のことは一切考えないのかよ。保育園のことは保育園でやれ、ったって、園長は課長補佐級だ。公立幼稚園の園長=小学 校長の体制とは違う。直接の上司は本庁に座っている課長のアンタだ。
 部長は臨時職員の件はどこの職場でも同じだ。保育園のことだけではないから、要求するなら全ての非正規職員をもうらして(交渉を)やれ、という始末。
 [それ じゃ、市立病院の看護士も同様に考えて良いですね。また、あなたの部署にも十数年一般職と同じ仕事をしている非正規職員が居ますが、この方々にも解雇する と言ってるのですか。]とは言いたいけど、僕は腹に収めてニヤリと見返してやったが...  。
 この部長など、かつては労組の執行委員長だぞ。名前でも出してやりたい。立場が変わったら、かつての部下もいとも簡単に切ってしまうほどの体制に すり寄った身分のお前さんは恥ずかしくないのか、と僕は彼を恨む。丑の刻参りでもやってやろうか、とも考えてしまった。幼稚だが、当分の間、朝 会ってもあいさつなどはしない、と決めた。
 その上に頭に来るのは課長だ。それと、それを援護する係長だ。課長はノホホンとして過ごした旧町の人間。以前のここの町の職員の多くが、合併後に実質面 で相当辛い思いをしているはずだ。今の職から何かを学ぶという態度が一切無い。それに2〜3年後に退職だし... 。
 そういったところで、己れの管理職としての職務は部長同様に、職場や部下の状況ことはあまり感知しないのだな、と感じてしまった。

 ハイハイ、反論として仰ることはごもっともです。が、そこに働く者に文書一つをメールで最初に送って、次に正式文書を送れば、お前さんの職務は終わりか い?。今回のように、文書そのものの内容が 「二つに受け止められる」んだぜ。
 一応の言い分を述べたあと、地公法22条の職員を恒常的な勤務に就けて、正規職員 といっしょの仕事をさせていいものでしょうか?。むしろ労基法準拠の職 務を行っている職員ではないですか?。そういった方々を簡単に明年3月31で切っても良いものでしょうか?。
 これを言うと、彼らは一切口をつぐむ。不思議な世界だ。課長補佐が笑っていたが、彼は理解してくれたと感じて、少しばかり安堵してその場を離れた。

 こういったことがまかり通っているのが今の石橋市政だ。えひめ丸以後の世界と全く同じことが行政で行われているのが本当のところだ。
 僕はね、このままで行くと、石橋君は失脚するよ。その後に出てくるヤツは、民意に基づいた市政をやらないと、再び失脚だ。こういったことを長い年数の間 に数回繰り返し て、ようやくOKとなるのであろう。そういえば、旧宇和海村と合併して32年になる。
 はっきり申し上げて、今は「株式会社 宇和島市役所」である。とりもなおさず、市役所の職員を削減した上で、公共サービスを充実させる考えだろう。となると、その実務の第一線で動いている一般 職員が最悪の 場合... 。
 市民も妬みなどで宇和島市役所職員をやっつけてしまうと、アンタの生活に不可欠な公共サービスは受けられなくなりますよ、ということを肝に銘じておくべ きだろうな、と強く感じた。

2006 年12月18日(月)はれ時々くもり
 んの数日しか過ぎ ていないのに、凄まじいほどの変化があった。少しずつ思い出してみると、16日の土曜日はトライアンフT-140Vの修正後のラストテストを行った。これ は凄まじいものがあった。
 一転して17日の日曜日は最悪の一日になった。いかにボルトオンのパーツでもSR500/400用のマグラの油圧クラッチキットの装着方法の解説書には 少しばかり補正が必要に感じたところだ。
 朝9時過ぎからやったが、結局装着できなかった。もっとも、僕の場合は以前に改造したカムレバーの溶接し換えが災いして取り付けが出来なかったのだが、 実際はそれだけではない。
 まずはエンジン側の作動部分を元のクラッチワイヤーの道筋へ通そうとしたが、これが出来ないのである。どんなにこねくり回しても、この部分がじゃまをし て装着は不可能であった。
 ま、セオリーどおりにヘッドランプ部分をはずして、メーターブラケットをはずして、それかから所定のルートを通さねば、パイプにいたずらな角度が付い て、油圧作動そのものがよろしくなくなるので、実際には大仕事になるというのが本当であろう。それでも簡単な解説書で済んでいるのは、僕のようにノーマル が主として乗っているオーナーは相当に少ないのであろう。
 本日は、職員団体の重要な会議のある日。今日を皮切りに、この1週間こういった行事が続く。致し方ないよな。今日の一件が終われば、次はこっちの主宰す るものがないから、随分と助かるのである。
 そうだ、土曜日のテストランのついでにホームセンターDAIKIで、オートバイの掃除用具を購入した。年末年始で少しばかり綺麗にしよう、というのが目 論見だ。たしかに一品ずつは安いのだが、数が多くなると金額がバカにならないものだ、というのが偽らざるところだ。おそらく百均ショップでも同様だろう な、と感じてしまった。
 残り8日間出勤すればいいまでになった。今年も年賀状が出せないような気分だ。2年間出さないことを続けると、賀状そのものもいい加減なものが多いので はないかな、と感じてしまった。

2006 年12月20日(水)はれ後くもり
 ちらから記載する のが良いのだろうか迷ったが、まずは訃報からだろう。あの青島幸男氏が他界された。終わり頃のコトバは「ビールが飲みたい」だったらしい。まことに死に際 までも、特異なキャラクターを発揮されたことに、逆に涙を誘う。
 もうお一方は岸田今日子さんだ。この方も怪しい役から、慕われ役まで、凄まじい役者人生であったようだ。
 ともに冥福をお祈りしたい。

亀田のようなヤツを早くリングと社会から引きずり下ろせ

 一段行を開けたのは他でもない。亀田興毅とランダ・エタのボクシングの試合だ。亀田が勝利したが、僕はこの恥さらしが早い時期にマットに沈むよう切に望 みたい。
 おそらく、10ラウンドのポーズなど直轄団体のエライさんが見ているはずだから、僕がその役にいるとすれば、亀田に制裁金を相当に科するだろうと思う。
 勝って歌うバカボクサーなど、プロスポーツマンとして恥ずべきだ。そういったところを彼ら親子は全く身につけていない。そうすると、そんなもんかな〜、 と思われる60億でアメリカ大リーグでの活躍が期待される松坂氏など、相当に苦労することになるのだろうことは容易に想像できるから、亀田興毅のことなん てチョロいものだ。
 とはいえ、ポジションは野球の彼よりはるか上を行く世界一なのである。亀田が社会的な制裁を一刻も早く受ける体制をプロ・アマ問わず、ボクシングの世界 は世界的に認められるプレーヤーは社会でも人望の厚い人でなければならないとする当然のことを規約に条文化していただきたいものだ。
 奥ゆかしい日本でも昨今はこういった調子だから、欧米発祥のスポーツであるボクシングを含む欧米主体の格闘技世界は日本で言うワビサビの世界をもっと浸 透させないとダメになる可能性が非情に強い。
 もし、亀田が相撲の世界にいるとどうなるか?。僕は今のような横柄な態度など以ての外であろうと思う。
 こんなこと、誰も言わないよな。特に浪速人には申し訳ないけど、日常のことは社会にはアピールしづらい。それ故、一層、競技の世界でも一般社会でもチャ ンピオンでなければならないのである。
 亀田興毅とその家族にはそれらが無い。
 これがゲームには勝ったが、それだけだ、と僕は感じるところだ。

2006 年12月21日(水)くもり時々雨
 はね、こんな忙し い日々を過ごしていることが少々嫌になってきたよ。
 真面目にね、今日は、一つの班がずっと外回りしていた。出かける前に残業しますよ、といったいたので、別の仕事を片付けるのだろう、と思っていたのだ が、とばっちりがコチトラへ回ってきた。簡単なことなのだが、退庁時間のことでもあり、逆にイライラが走る。でも、以前のようにカチンと来ることはない よ。おそらくファイテンのネックレスの効果だろうと思うけど... 。
で、こいつは明日回し。もしかしてスパトラが来ているかも...  、と思いつつ酒道場へ。実は久しぶりなんだ。
 そこで客の一人から、一般市民の状況を聞く。それはね、「広報なんて見ないよ」というものであった。奇しくも保育園の保育しに対して、担当課がやってい ることと同じじゃないか、と感じた次第。
 真面目な意味で、「そりゃ、広報を見ない方が悪いでしょ」と当然のことをいうのだが、「見ないヤツがたいはんだろうが」、と言われる。事実、つまらない 広報を隅々まで見る人というのは、実際に本当に少ないのかもしれない。
 帰宅するとスパトラが届いていた。いやはや凄まじいね。デッドストック品だ。ステンレスの今様のスパトラと較べると、スパトラの性能と取り付けマシンの 状況をはっきりさせているのだな、と当時の的確さが妙にうれしくなってしまった。近々、先に購入しておいたもののエンド部分を修正してみようと思ったとこ ろだ。
 本日未明(日の出前)に道路交通上の死亡事故が近所で起こった。詳しくは不明だが、ここで事故を起こすか?、というような場所でのことだ。被災者になる 可能性が強い者は懐中電灯とか、反射テープなどを身につけていることが、生死を分けてしまうように感じてならない。
 ま、SRが販売されて20年以上が過ぎるが、この日本でも結構なデッドストックがあるものだ、ということを感じた次第。

2006 年12月23日()はれ
 至の1日後、本日 も晴天。トンデモナイ日になろうとは、朝起きたときには何も感じなかったところだ。
 午前11時から義母の3回忌の法事。久々に本村のお寺での法事。何事もなく終わる。不思議な縁と思うことだが、今日「23日」は父の命日だ。先般は母の 13回忌の法事を行った。あれから数週間だが、孫のYの成長はビックリするぐらいの進歩だ。
 昼食の席でも、彼は何でも食べるという、とてつもない姿を見せつけた。そういえば、息子も同じような教育していたものな。息子の小さいとき
、一番おもしろい表情をしたのは梅干しを口にしたときだ。一瞬だが「梅干し食べてスッパマン」の顔をして、妻共々大笑いをした。そう、その時の富士フイル ムのコマーシャルそのものの表情をしたからだ。
 幸いにも、今は梅干しも食べる大人になった。
 孫が今日やったのはレモンをかじったときだ。これはおもしろかった。何しろ、生野菜は何でも食べる。タンパク源の一番は魚だ。孫が魚を見る、食べる時は 相当なものだ。泳いでいる魚も好き。さばくの見ていると、一つの刺身とか煮付けの実になるまで、ズ〜ット見ているらしい。ことに、魚屋に並んでいる商品と しての魚に対しても興味津々らしい。
 当然、刺身でも煮付けでも... 。ことにメザシやシシャモは頭からいけるそうだ。昼食は母親のにぎりセットのイクラを初めて試食しOKの後はベリグ〜。
 そうか、と思うと、プチトマトはどうもダメらしい。姿が違うんだ。もし、プチトマトを半分にカットすればいい、と思われるだろうが、どうやら普通のトマ トとあ味が違うらしい。
 酒道場で息子の小さいときのように行くか、とすると、息子の「つくね」とは違って、焼き鳥でも平気のヘイザの世界になるらしいから、僕が大散財してしま う。まったくおもしろい孫だ。
 午後から、SR500へマグラの油圧クラッチを装着した。とはいえ、乾式クラッチの解除、新しいカムレバーの装着など、結構な時間がかかってしまった。 その後の走行テストでは... 。
 ま、これは本編で紹介しよう。ともかく、凄まじい楽さであることは紛れもない事実だ。それぼど素晴らしいのである。久々の一品だ。
 ともかく、この2日間、エンドキャップ式のスパトラの未使用品、そしてマグラの油圧クラッチ、と僕のクリスマスプレゼントは終わりました。

2006 年12月24日()は れ
 、久々に徒然。朝 は午前10時からのB&Bの洋八さんが、正しく幼少の頃の僕自身だ。洋八さんは金持ちだったが、僕は中流の下ぐらいだったから、父の行動、特に僕 に対しての行動はには常に気を配っていたことは言うまでもない。
 一度など、素晴らしい刀を持って帰り、母も僕も「これはいい」と称した。父もフムフムと頷いていたが、それが、ものの2時間で他人にわたる。しかもソン をしてだ。これに業を煮やしたのは母であった。
 このことがあってかしら、僕は訳あって我が家に来た品は売却しないようにする、としたのは、こういった父の行動が要因かもしれない。
 といったところで、話を元に戻して、午前中と午後の大半は全国高校駅伝のテレビ観戦に費やされた。最終は競馬の天皇杯だった。この時、ディープインパク トの引き際はなかなかのものだな、と感じた次第だ。
 午後4時から、SR500の乾式クラッチとマグラの油圧クラッチの確認を行った。プレッシャープレートのエッジを削ってOKとした。
 久しぶりにゲルマンへ。予約客が多かったが、僕は酢蠣でお銚子1本、つくねで1本で帰って来た。大半が予約席なので、ビッグコミックの最新刊を2度読み 返していた。それほど数題のものが心の中に残った次第。同時に、このコミックの中にあったような世界が、この宇和島で消えつつあるのではないかな、と感じ た。確かにITとか何とか言ってはいるが、その実書類も少なくならないし、電子ペーパーとしても、処理速度の遅い端末ばかりだから、業務外のことで残業せ ざ るをえない、というバカげた世界がまかり通っているのが本当だ。
 で、押しなべたように、「市長の方針だから... 」を若いのが真に受けてのたうち回る。それが間違いかもしれないとして、市長にサゼストする一般上司がいないのである。
 つまり、宇和島市役所では、若い職員を真剣に保護する課っていうには無いのだな、と感じた次第だ。こんな信頼感のない市役所も切り離して統合する、で、 これまでの仕事していないかは廃止する、と堂々と言い切ったそうだ。本当に出来ると確信しているのならおやりなさい。僕は破綻をすると思う。
 で、僕の場合は、いざとなれば退職して好き勝手に食堂でもやろうか、とも感じている今日この頃だ。

2006 年12月26日(火)雨
 ごくいろいろなことが回りであったようだ。 え、お膝元なのに、こんなこと記載して良いの?、という声は聞こえるが、IT都市なんていってるけど、宇和島市は旧態依然。むしろ旧態依然よりも生半可な ITで悪くなっているようにも感じる。
 今日も来たよ。お仲間うちからね。わずか1m離れたたところからメールが来た。オ〜イ。これはな、課全体のことに及ぶ。
 ことに電話が殺到すると、てんてこ舞いになるぞ。それゆえ、他の係にも、こういった一件で文書を市民に出しているので、返答はこのように行ってほし い... 。これを、文書をプリントアウトして、口頭でどうして伝えられないのだろうか。
 僕が中間管理者としての立場はあるが、それを無視してでも、僕は「まことにすまないが、こういった文書を自治会に出しているので、もしもモンクをいって くるような会長にはマニュアルを添付しているので、回答をお願いしたい。ご迷惑をかけます」と言えば、課長を主として、「任せなさい」といい、起案した若 い彼に対して、よくやった、というのは目に見えているのだ。
 こういったことが、メールで済ませようとするから、僕がいくら評価を上げても「ダメ」ということが一般の受け方だろうな、と思い、それを反論すら出来な いのが現実だ。
 全国区で姉歯建築士の判決は、前述のことと全く異なっていた。判決に沿って、これに至った裁判長の厳しいコトバは、一般が知っている姉歯建築士のこと以 上に、裁判所は調査しているのだな、と感じた。
 こういったことが混同してしまい、本当に良いのか悪いのかが問われるのが、宇和島での臓器移植の裁判だ。判決はこれで良いかもしれない。万波医師を支援 することが大きくなってきている。コトはエポックメーキングだが、どうか、悪い方向へ早期移植関係の法律、倫理など、悪い方向への修正を行わないようにし ていただきたいものだ、と感じた次第。
 そういえば、先に記したメールの件と同じく、役所職員の不祥事も同じだ。もし、あのとき、正直に吐いていれば... 。
 おそらく、こんなに重要な一件にはなっていなかったはずだ。旧宇和島市の職員はそれが身についている。が、旧だが、南隣の職員は未だにこういったことに 対しての件は想像以上にダメだ。議員にヘリツクバウも、自己主張が激しい。その実、未だに旧町の方式を押し通そうとするなど... 。この僕が言うぐらいだから、その実態はお解りだろう。
 少し前に記した保育園の一件でも、課長補佐が吉田町の出身者だから収まったものの、総務部長を交えた席でも我を押し通す、元の南の町職出身の課長はバカ じゃないの、と思われても致し方ない。課員も課員だが、同じ釜の飯を食っている職員側のトップの僕がコンコンといっているのだから、少しばかりは考えてく れ、と言っても、課長が喧嘩腰で自分の課のやり方が間違っていない、と決めつけるのはいかがか、と思うのである。
 お役所は旧態依然、と言われるのはよく解る。が、そうした方が仕事がやりやすい。裏を返せば市民サービスに行き届くことになるのだけどね。誰も僕の考え など「古い」と一喝されてしまうのである。その実、僕は手書きで文書を作る。
 若いのがワープロで打って、それを修正して完成までの間、僕は決済をとって正式文書をワープロしている、といった次第だ。これは経験でも何でもない。ア ナログの古い方式の方が早い場合がある、ということだ。
 それを身をもって教えるのが僕流であって、その方法を理解できないヤツが多いのも事実だ。不思議な世の中になった。

2006 年12月28日(木)くもり一時雨
 後から強くなった 風は今午後8時の段階で弱くなった。少しばかり晴れ間もあったが、これがアッという間に黒雲に包まれるし、鬼ヶ城山の付近は雪に変わる。南国とはいえ、 20分も歩くと急峻な四国山地の1000mクラスの山にぶつかる。
 当然、低気圧の動きもこれに準じるから、いくら南予という南の名が冠されていても、想像と気象状況は随分と異なるのである。
 本日で業務は終了。以前とは随分変わった仕事納めの日だ。あえて「仕事納め」と記した。が、多くは再び「御用納め」というのであろう。別段意味合いはな いかもしれないが、昨今の政府の方針などからすると、この御用納めは戦前の大日本帝国制に近いものに国民を向けさせようとするものであろう。
 が、幸いなことに、内閣の内部から崩壊が始まってくるように感じてしまう今は随分とおもしろい。安倍君の世界も短いだろうコトは容易に想像できる、と僕 は感じている。
 こういったときに、旧態依然のやり方をある程度残している自治体が生き残れるのではないか、と最近とみに感じてしまうところだ。
 退庁後は恒例の課の忘年会だ。ビンゴゲームで時計が当たった。ま、これもよろしかろう。場所はゲルマンでの2時間の飲み放題だが、久々にHなことも言い はなったし、結構楽しかった。ま、僕はこれ以上飲みたいとも思わないし帰宅する。テレビを見るにしても、そんなにおもしろいものもないため、行きつけのサ イトなど見て終わりとしたい。フィギュアスケート、恩田選手がフリーでいい得点を出してくれるよう期待して、本日はオシマイ。

2006 年12月31日()はれ
 ンビリとした年の瀬となるはずだった。そう、 本当に今年はこの日までに、大方のことを済ませていたので、本当にゆっくりした年末であった。この日の午後2時頃までは。
 実は昨日は土曜日だったため、多くのところに年末のあいさつなどを行っていた。午前中にオートショップ・ワタナベへSRで行って、昼前に細々したものを DAIKIで購入。その後、午後からT-140Vを出して市内を流していた。明らかに注目されるのは旧MINIのオーナー程度だ。大半はW650が走って いる程度の感覚だけのようだ。
 ところが、#180のメインジェットが少しばかりフワフワ感と、アクセルへのラグなどがあってどうしたものか考えていたところだった。そこで思いついた のが、#175だ。そう、閃いたね。このメインジェットに交換してみよう。こう気づいたのは昨日の夜中だ。(チャングムの総集編を見ていた)
 で、本日の午前中に、正月を迎える準備を終え、午後からメインジェットを交換。そこそこのところを走って#175の良さを確認。自動車が多くなったんで 帰宅して、破れた車体カバーを購入のために、再びDAIKIへ自転車で行く途中、伊吹町で火事に遭遇。どこだ?。職場の仲間が1人住んでいる。場所の確認 だけでもしておこう、として、裏道の裏道を行く途中、小学校時代のOセンセイに体面。しばし話をしていたが、バリバリッという音と共に炎が一気に上がる。 火事らしい煙を見て10分後ぐらいに消防車が来た。
 幸い同僚の家は大丈夫であったが、センセイにこんなところで遇うのも何かの縁だろうが、火事で焼け出された方々は年の瀬の今日のことだから、明日以降 は、おめでたいもヘッタクレもないだろうな。
 センセイ別れて、今度は本当に車の大渋滞な中、DAIKIへ到着。これまた1つだけしかなかった車体カバーを購入して帰宅した。帰り道で火事現場を見る と白い煙になっていたから鎮火したのだろう。この間、およそ1時間程度。火事がなければ... 。
 ようやく丸穂温泉へ行って、湯船の中で、何とすごいことが日中に起こったんだろうか?。夢のような不思議な世界に入り込んでしまったのではないか、など と思ったりした。
 妻の作ってくれた年越し蕎麦を食べて、ようやく落ち着いたところだ。
 紅白歌合戦の後、行く年来る年を見て、本年はおしまい。で、明日の月曜日は早速恒例の五社初詣サイクリングへ行くわけだ。天気は持ちそうだから、いつも どおりだな。















































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