2007.01.01〜 03.31

2007 年1月1日(月)はれ後雨
 けましておめでと うございます。なかなかよろしい新年の朝を迎えた。昨日大晦日のいく年くる年は途中からラジオに切り替えた。紅白もそうした方がおもしろいような気がしな いでもない。つまり、ラジオの方がその場にいるような気がして、おもしろいようにも感じるのである。
 随分と年賀状も少なくなった。2年間出さないと、こういった調子だろうな。僕自身は年賀状そのものに疑問を感じている。僕が商売しているわけでもない し、ま、WEB上で、ホームページをアップロードしているから、僕も生きていることが判るだろうし、そういった状態を判断できない、あるいは、元気にして いるだろうか?、と思う人に出せばいいようにも感じるところだ。
 午前中は、五社初詣サイクリングに出向く。僕の幼稚園当時、父と一緒に宇和島自動車の貸し切りバスで五社参りをしたのを思い出した。夢を見たり、フト、 父と同じことをやっていたり、昨年末から何となく昔への回帰のようなものに出くわす。
 八幡神社から宇和津彦神社へ行く途中、火事現場の近くを通る。わずか1日の違いなのに、昨日の火事のすごさを知ることで、現実に戻される。
 最終の南予護国神社で恒例の御神酒で一杯やったから、帰宅は300m程度、自転車を押して戻った。昼食後、歩いて近所をブラリとして、明屋書店まで行っ てコミック本を買って帰る。
 帰宅途中、しめ縄の飾り方で随分と悩んだ。綯う向きと綯い初めが右なのか左なのか、ということである。僕はここ数年は同じ業者さんからエビ注連を買って いる。ここは綯い初めが右という通常の綯い方だ。が、近所のを見ると、出雲大社のように逆になっている。
 どちらもある、というのが正解だが、http://www2s.biglobe.ne.jp/~auto/SIMENAWA.htmlに比較的詳しく書 かれていた。いつもどおり、綯い終わりを左とした飾り付けを確認した。
 今日は標高差60m程度の坂道を含む10km以上のサイクリングをした後、徒歩で2kmほど歩いたせいかしら、腰から下と上とがバラバラ。おまけに膝が ガクガクの状態だ。そういえば、腰から下の痛みが取れない期間の7か月間ほど自転車ばかりであったから、筋肉などが落ちてしまっている。たったこれだけで も、今の僕にとって後は大変だ。年齢のこと以上に、日頃のトレーニング不足を感じたところだ。今月いっぱいトレーニングして、三間の美沼マラソンに出てみ ようかな、とも考えている。
 明日、明後日は大学対抗箱根駅伝だ。最近はこのレースを見なければ、どうも正月を迎えた気がしない。

2007 年1月2日(月)雨後くもり
 月2日目。恒例の 大学駅伝だ。当然のように6時過ぎから目が醒める。7時になったのでチャンネルを合わせると、バカやってんじゃないよ。スタートまで1時間もあるじゃない か。開始から番組をいたずらに引っ張るな!。その間はNHK総合の信貴山縁起絵巻の番組を見ていた。
 おまけに、番組も終わりに近づいて、箱根の山登りですごいことが起こりつつあるのに、途中でCMが入るから、その選手の表情、心理状況なんて聴取者には 伝わらない。
 とはいえ、箱根の山登りで順天堂大学の今井選手の活躍は凄まじいものがあった。これに尽きる。それ以上に本日のコンディションが抜群であった。そのため に起こったことではないだろうか。
 この箱根の山登りに1年生を使う学校があるが、結果は、やはり... 、であった。大人になりきれない1年生とこの場を1年でも経験した2年生以上の学生では月とスッポンほど違う。これは東洋大学の選手を見れば判るであろ う。東洋大学の彼はこれからどうなるのか?。いくら仙台育英高校の卒業生で、冬はそこでトレーニングに励んだといったところで、大人の陸上競技は高校の青 二才的なものとは違うんだぞ、と心身ともに感じ入ったことであろう。
 大学ラグビーの後で見た愛媛済美高校のサッカー部も同様であろう。全国レベルでの云々は、そのレベルを1段上げてのところで通用するかどうか、が問われ るのだ。
 したがって、大人になってからを目指すのであれば、大学の2年生ぐらいまでは、もっともっと基礎体力重視の選手生活を送った方がいい。
 僕自身、1967年当時盛んに言われていた、そういった考え方を今もって変えていない。中学校時代100mを10秒台で走った男の急速にダメになった末 路を幾度か知っている。高校2年まで長距離が早い女が3年生になって、全く通用しなくなったことも知っている。男は心身の発達と共に基礎体力が無かったこ とに気づいたが、時すでに遅しであった。
 女は急激に女の体つきが出てきた。どんなにしても女性としての特徴が一気に出てしまった。それに対抗するスベを知らなかった。
 もちろん、今のような医学を含めた科学的なものが乏しい時代ではあったが、僕はその当時から、高校3年間でもスポーツの得意な分野にそんなに台頭するこ とはない。それより、自分の身体を使って体力づくりをせよ。あらゆるスポーツに一定通じていないと、それは能力がないんだぞ、と言い続けてきたが、あらゆ るところで否定された。
 陸上競技をやっていた僕自身は、決して強くなかったが、ハンマー投と棒高跳以外はことのごとくやった。今でも円盤を投げるが、その瞬発力を忘れないため にも100mを思いっきり走る。水泳4パターンの泳法は出来る。決して自慢でも何でもない。これで当然なのである。子ども頃から、サッカーバカ、野球バカ を創ってはいけない。
 話が大きく飛んだが、今日は宇和島での成人式。成人を祝う会などと称していたが、その呼称もなくなった。それ以上に人数の少なさは何だ。男はリクルート スーツばかり。女は振袖のいつものパターン。やることも挨拶だけ。こんな式典には出ないな。
 午後9時過ぎにチョイト買い物にコンビニまで出かけたが、この夜歩きをしている若い人達がやっていることは高校時代と何ら変わりはしない。夕食の後のカ ラオケ。変わったのは酒とタバコだけ増えたところだろう。酔った勢いで騒ぎ立てる。翌朝はどうなっているか。
 バスセンターの梅田行きの高速バスの利用者が多い。僕も4日から仕事だけど、もし、僕がその客で時間が許せるなら3日の朝の便で帰るだろうな。通常の生 活の場へは、やはり日中の旅にしたいよね。この人達が次に帰るのは8月のお盆か?。
 今午後11時25分。ヤフオクのスパトラが10,000円だって。USフルパワーを過信してはいけないな、というところで、僕は下りた。
 さ、明日は駅伝も復路だ。大手町の読売新聞社前はどうなんだろう。15時間後に決する。

2007 年1月3日(水)くもり時々はれ
 中はまだしも、夜 の静けさは昨日に較べて異様だ。何だこれは?、と思っては見たものの、これが昨年12月29日辺りの状況ではないか。すると、昨日の夜のひとときは異常な ものなのか。
 市長が市民に向けた市広報での年頭の挨拶で、「全国水準の田舎を目指す」といっていたが、我が街はそれには遠く及ばない貧乏でもない、何というか「住み たくない」街に一歩ずつ近づいているのではないだろうか、と感じてしまった。
 話を昼過ぎに戻すと、箱根駅伝は順天堂大学が総合優勝を果たした。その前に「たすき」が繋がらなかったチームが出た。このことは、たすきを繋ぐべく走っ たことが何だったのか。これを、おそらく一生背負って生きることになるのではないだろうか、と思った。
 そういえば、学生選抜チームで学習院の学生が良いタイムで走った区間があったが、妙に感激した。そうそう、僕の高校時代に活躍していた青山学院大学の学 生も走っていた。昔の栄華を再び見せるのはまだまだ先のことではないか、と思う。上智大学も強い選手居たよな、とついつい昔のことを思い出してしまった。 もう、37年も前のことだ。
 お腹の調子がおかしい。というよりは、汗かいていない。全体に家の中でじっとしているからだろうか。どうも体調もおかしい。フト、退職後の「毎日が休 日」の状態を体験してしまっているようでならなかった。この状態は風呂上がりまで続く。
 つまり、身体の内部が冷えてしまっているから、お風呂へ入って暖めても内部まで浸透するには時間がかかりすぎる。逆上せとの瀬戸際を判断できない。
 そんなこんなで一杯やったら、汗ばんできた。すると楽になる。今日の箱根駅伝もこういったウォーミングアップ時でも失敗している選手もいるのかもしれな い。
 さて、明日は仕事始め。といったところで、明後日過ぎれば3連休。まったくピントが合わない日々はまだ続きそうだ。

2007 年1月8日(月)くもり一時雨
 ヤイ(寒い)。こ の3連休はガックリ来て何をする気にもならなかった。年末年始の休みの後で2日間出て3日間の休み。おまけに、この寒さだ。
 昨日と今日の午前中で、小誌のアップロードを終えた。思い起こすと12月は色んなことをやっている。もう1〜2か月前なら、継続してやれるところもあっ たのだが、12月の下旬は天候などがそんなに良いものではなかったから、オートバイ関係などは少しばかり数値的なことが記載できなかった。致し方ないな、 と思う。
 最近は僕の少年時代、あるいはその時代に今の僕が居るなどを主としたおかしい夢をよく見る。
 残念ながら、僕が僕の寝姿を見るなどのものはないからあの世へは、まだ行かないのであろうが、それにしても異常なほど夢を見る。そろそろ、第一線からの 引き際かもしれないな、と思うところだ。
 本日、徳島での四国自動二輪交友会のご案内が来た。今年は3月の10・11日だ。そう、雨の中帰ってきた昨年の香川での交友会から一年が過ぎたんだ。何 とまぁ早いことか。トライアンフで行こうかな、などと考えている。
 主催者は常に(オートバイは)何でも良いから、というが、クラブ主体になってしまうと、ライダーの年齢からしてハーレーとBMWの二つに限られる。他の オートバイは、それ自体のオーナーズミーティングが主だものな。
 そして、全国自動二輪交友会に端を発したものだから、オートバイで行って懇親会やって交流を深める、というのが主体だから、若いライダーには少々気分に そぐわない面があるかもしれない。それでも32回も続いている。僕は26回参加していることになる。

2007 年1月10日(水)はれ
 、保育士との会 議。僕は「これこれこうです」なんて説明しない。理由は簡単。アッチこっち飛ンでも良いから、その内容を知ってほしい、ということから始まる僕の常套手段 だ。
 が、今日は少々違っていた。「これって終業が5時半になりますよね」。そのコトバの中身をお教えていない保育士から聞くとは、一瞬たじろいで、ここまで くるのに2年かかってしまった、と感じた次第。
 「執行委員長(僕)は帰っていいですよ」と言われたときは、少しばかりガクッと来たけど、OKかな、と踏んで帰ってきた。内心、うれしかったね。もう大 丈夫だ。彼女たちが、真に自らの働く者の立場での考えを言ってくれる、と感じた。
 その足で、酒道場でお銚子2本を空けてきた。
 さ、このこととは別に、昨日は風邪ひきの一歩手前に追い込まれた。原因は、一昨日の丸穂温泉から帰ってきてからの過ごし方であった。一瞬ダラ〜っとなっ てしまった。その時に病原菌が入り込んだのであろう。
 昨日も気分に任せて丸穂温泉へ行っていれば、おそらくもっとヒドイ状態になっていたであろう。本日も同様、まだ、膝から下がゾゾゾっとする感じが消えな い。もう1日は我慢だろうな、と感じる。
 話は変わって、テレビニュースでおもしろいこと言ってた。まじ、こどもに対するイジメのことをニュースで言ってたが、実際、これは本当だろうか?。こと に、四国の片田舎の都市に住む僕からすると、東京のそれとでは月とスッポンほど違うのではないか、と感じてしまった。
 そもそも、我が子でも例に出せばよく解る。「年長の子に叩かれた」と言ってウェ〜っと泣きじゃくりながら、母親へ「」のコトバを出したシーンを思い浮か べて くれ。
 貴方ならどうする?。僕?。僕は本人を前に相当に叱りつける。その後付け加えるコトバがある。それは「相手は、お前より年上なんだ」。それに「お前がそ の、年上の子だったらどうするのかな?」という、その二つのコトバだ。
 これ、そして内容の一端と、その子の親の立場でのことを考えれば僕の言うこともお解りだろう、と思うけど、今の世間ではダメだろう。僕自身も叩かれかね ない。
 したがって、年長以上の子のしつけ方などの書物は一切存在しない我が国の状況が存在するのである。そして、もっともっと、自分のことは自分で守 れ、と言う以上に、小学校時代から「自分のことは自分でせよ」ということの、義務・権利を含んだ大きいことを我が子に教えなければならない、ということ が解った次第だ。
 おそらく... 。いや、止めにしておこう。片田舎から見た現実の都会が夢物語になりかねない世界なのだから。

2007 年1月12日(金)はれ
 〜ンと来ることと か、いいこととか、全く毎日が憂鬱だ。ユウウツっていう漢字も難しいが、それ以上の気分が支配することの方が一層厳しいことになる。それがつのると、もっ とヒドイ状況になってしまうように感じる。ま、その辺のバランスは取れているから、こんなこと書けるんだけどね。
 そんなことで、午後から丸穂の家を一軒やっつける。そこの玄関で見慣れたadidasuのトレーニングシューズを見かけた。僕の頭の中が39年前に戻っ てしまった。そう、当時のオリンピアードと全く同じトレーニングシューズがそこに鎮座しているではないか。「ウッ!」とこみ上げているような気分になっ た。
 「これ、今のシューズですよね?」とそこの奥様と話をしつつ、「当時はadidasの文字に囲みがありましてね、スパイクシューズはTOKYO64とい うのを履いてました」などと話をしていた。
 職場へ帰ってネットで調べると、今はガッツェレのバリエーションだった。ガッツェレのスエードにオリンピアードのグレインカーフと、正しく当時と同じ状 況だ。こういった点がPUMAとは違うのだろうな、と感じた次第。
 夜は、労働団体の旗開きに出かける。半分は職務だから、どうも、この辺が割り切れないところだろうかな。そこで病院のお仲間からハードディスクが飛んだ ので何とか、というので、僕は1台中古で購入した方が良いと言っておいた。はっきりしているのは、そこそこのマシンでWindows 2000が動くマシンなら、今のところは一番良い、と感じたからだ。
 そんなところで、不完全燃焼(?)で帰宅した。今はリメーク盤のシャル・ウィー・ダンスを見ている。アメリカならこんなになるんだろうな、というところ で、実際は日本版の方が遙かにおもしろい。ま、言うまでもないだろが。

2007 年1月14日()はれ
 ー、実によい天気 であった。実のところ、ことは昨日から続いていたが、まずは、今日の一日について... 。
 朝からH君の自動車で松山へ職員団体の関係で出張。往路はともかく、帰路のことを先に言うと、どうも最近の自動車は好きになれない。極論すると、執務 室、あるいはダイニングをそのまま自動車に持ってきているように感じざるを得ないし、自動車を運転すること自体を家庭の延長、としていることに、最近に なって大いに疑問に思っている感覚である。本日の彼の車はホンダの製品だったが、助手席に座っていても、帰りはやはりウトウトしてしまった。自動車好きの 僕からすると、これは失格な自動車であることは間違いがない。
 総じて、今の四輪車は快適さを求めすぎている。先に記したように、今の自動車であっても、それ(運転=ドライビング)自体は、絶対に「今は実に簡単に なったんだから」の延長であってはならない、と確信している。つまり、「自動車を運転しているのだ」ということ。それを、ダイニングキッチンなどの延長に 思ってはいけない、ということなのである。
 実際、運転手各位がこういったことを自覚した上で、「自動車を的確に運転しているんだ」という意識を運転中は持続することの義務化が通れば自動車事故は 激減するし、むしろドライビングをスポーツとして貫くことが普通なんだ、ということになるのだけれど、その実現化はダメだろうな。
 こういったように、原動機の装備された機械を相手にしてのスポーツの名が冠せられるのは、自転車(0.6馬力の人間)とオートバイの世界ぐらいであろ う。四輪車でスポーツを 謳うとなれば、今の自動車はそれに合致するものは一切無いし、運転したところで、普通の自動車以外の何ものでもない。
 普通車免許の無い僕が、えらく冷めたこと言ってるな、とお思いかもしれないが、僕ぐらいの年齢になると、四輪自動車に乗っている方はその(自動車を意のままに操る)とおり、と感じられ ている向きが多いはずなのだけれども... 。
 そういったことから、現在、僕のオートバイ群に適用すべく、スーパートラップの排気システムに関して一つの物が浮上した。どうして、ここまで気づかな かったのだろうか、というものが現れたので、事前の段階でテスト不用、ということ以外についのて確認をしてみたいに止めるべき、と思っているところだ。
 もう一つ、10年前にしても、売れているSR400と売れていないSR500とでは、何かしら違和感があるのは事実だ。僕のSR500はキャブレターが どんなに関連パーツの取り付けを緩めて修正しても、ホンの数ミリでフレームにキャブレターが当たる。やむなく少し傾けて取り付けているが、同様に、2J2 のSR500も今の僕の所有車(3HT以降)のSR500でも、SR400と違って、大半はノーマルのエキパイとマフラーの接合部分はエキパイの凹みまで 完全に入り込むことは無い。この辺のところからしても、ヤマハの考える主流はSR400なのだ、ということは明白なんだ。したがって、僕のクラッチのカム レバーの凹みは乾式クラッチに変更する以前から、あの状態になっていた次第だ。
 それをクレーム処理しなかったのは、これが普通なんだろうな、として、一面では僕のミスかもしれないし、今は無きディーラーの内田自転車商会さんのミス かもしれない。後でレバー部分を溶接し換えたが、実際は、当初から通常のパーツと溶接角度の違った(ミス商品)カムレバーが装着されていたのだろうけ ど... 。その判断が付かなかったことは、それほどSR400も500も売れるような地域ではない、ということなんだ。
 そういえば、今朝、商店街が開いていないのは遅い、といった住民に対したが、10時近くから開いて、その実、閉店は6時半という現実もガンとして存在す る。
 このような、四国の片田舎で色んなことをアマチュアでそれなりにやっているところでは、なかなか難しい面もある、というのが偽らざるところだ。もっと も、それが楽しみでもあるが、結果云々のために何とかしたい、と短時間で、かけずり回ることは絶対に出来ない。南海部品ですら松山だ。メインジェットの番 手を求めて、そこへ2千円以上つぎ込んで出かけても、結果は注文... 、もう愚痴っぽくなるから止そう。
 そうそう、我が家からコンビニまでは5分だが、そこに希望の物があるわけではない。もう一店のコンビニまでは、実に15分もかかる。デイリー、 7/11、am pm、そんな店は一切無い。ローソンとサンクスのみだ。
 いくら地元を云々といったところで... 。オートバイパーツにしても、纏めてネットで購入した方が安い、というバカげたことが普通の世界になっている、ともいえるかもしれない。
 島しょ部の通信が今はISDNだが、これがADSLにでもなれば、漁業関係の家庭では、地元の商店街などクソくらえ!ぐらいに、大手やネットショッピン グに傾注するのは目に見えている。

2007 年1月17日(水)雨後くもり
 曜日から続いた夜 の会議が今日で終わった。終わったといったところで、これがベースになるのだから、この先同時進行しなくてはならないものが2・3は 出てくる。真面目に何をやっているのか解らなくなることが出てくる。特化した者がやっているにしたって、自治体合併後に町から市のレベルへ一気に上げよと したって、できるものなど一切無い。それをやっているのは、大半が旧市のいったを知っている者が何とか引っ張っているからに過ぎない。僕が考えるのは、今 後10年以上かけないと結果は出ないと思うところだ。
 本日の午前5時過ぎ、ちょうど12年前のこの時に亡くなった方々への黙祷の件をラジオで聞いた。阪神淡路大震災の一瞬のことであった。
 何度も記載したが、僕はお早う700(720だったか)の脇浜アナウンサーが休暇にもかかわらず、穏やかな声でのレポートが、しばらくして悲痛さが加わ りつつも、レポートし続けたことだった。その瞬間が3か所程度の地区から火の手が上がったその時だったように記憶している。
 僕はこの一件はまだまだ記憶の角にバーッと広がっている。UESUGIアンプの上杉先生、身内同然の芦屋のお宅、いずれも電話が不通であった。唯一大阪 の身内のみ電話連絡がついた。しかも相当に遅れてだ。声は、そう、大変そうなね、という返事であった。
 あれから12年、ちょうど母が他界して一月後だったんだ、と、あらためて感じ入った次第。
 その時の状況を地元で商売しているMWIの今村さんが、本日の日記に 相当な状況を記載されていた。しかも、それが現実であること。僕は唖然としてしまった。
 死亡するか否かの世界の隣では笑って食餌をしているところがある、という件だ。この一文を読み、なおかつ、先日の北海道沖の地震で津波警報が出ているに もかかわらず、6%の人間しか避難していない現実が実際に存在する。何だか不思議な感覚になってきた。
 しかし、現実には変わりがないのである。

2007 年1月20日()小雨後はれ
 明、ラジオ深夜便 を聞きつつ、二度寝入りしてしまった。起きたのは午前七時過ぎ。不思議な夢の後であった。何というか、最近は不思議な夢を見る。時には僕の小さい頃、かと いうと、つい最近。その大半は不成就のものばかり。強いて言うと、祝杯を上げなかったものばかりということになる。
 そういったこともあって、一般のことは忘れて、今日は自分で好きなことをヤルゾ、と決めて起床した。
 宮脇書店へ出かける。リナックス関係の書物を探していたのだけど、既に遅し。全てのリナックスは要求が大きい。したがって、遅いCPUのマシンなどは実 際のところ使用できない、としてしまっているのが現実のようであった。
 まさか?、と話は飛んでしまうが、コージーシートに関して脳裏を過ぎるものがあった。リアフェンダーに干渉しかねない、とするのは、シート取り付けのダ ンパーの高さが不足しているのではないか?。それゆえ、後ろ下がりになったような感じになり、左右の取り付けダンパーに上手くフィットしないため、リア フェンダーに干渉気味になる。したがって、エアダム効果を損失してしまう結果になるようなのである。
 で、わずか2mm厚のスペーサーを装着してOKになった。部分的にはおよそ2mmの厚さだが、シート後部の隙間はダイレクトにコージーシートを取り付け たときとは較べようもないほどスムースに取り付けが出来た。
 走ってみると、まさしく空気の流入が良くなっている。まずは、シートレールが見えること、リアフェンダーとの隙間が2〜3cmは必要だ、ということが痛 切に解った。次号で公表したいと考える。
 明日は県知事選挙。投票が終わって、家路に急ぎ到着すると当選確実が出そうに感じる。NHKなどがやっている出口調査が非情に的確だから、それを聞いた 後で、開票しなければならないのが実際ではないだろうか。
 どうか、そういったことがないよう配慮を願いたいものだ。が、実際はそのままが報道される。選挙が何であったか?、などが再び審議されるのであろうな。

2007 年1月22日(月)くもり時々はれ
 は調子よかった。 昨日の選挙は何だったんだろう?。「信任投票」にしか過ぎない、などとも言えない世界だな。反面、今の県政には誰が出ても代わりはしない。が、革新は嫌 だ、という、県民性の正に、これだけの結果であろうな。
 そんな中、職場へ出かけたのだが、僕の身体がヤバクなってきた。腹が急に膨らんできだしたにもかかわらず、腹を押さえると、そんなに硬くない。動悸はそ れほどでもないが何となく苦しい。便が出るでもない。まさに悶絶状態だ。
 このまま職場に居てもダメ、と判断して午後から休暇を取る。帰宅してすぐに睡眠。昨日は十分に睡眠を取っているのにサッと眠ってしまう。幸い身体が温か くなってきた。としたとき、書記から電話で起こされる。一段落して丸穂温泉へ。薬湯の湯船に15分ほど浸かって、ようやく汗ばんできた。
 帰宅して、再びトイレへ駆け込む。大量のガス(屁)がブワァ〜っと2発ほど出る。と同時にフッと元に戻った。おそらく、昨日の寒さと不規則な食餌で、僕 の身体と取り巻く神経が通常を逸脱してしまっていたのだろう。
 それ以降、普段どおりになったので、夜の会議をこなして一段落。丁度その時に愛媛県教育委員会の教育長の一件をニュースで知ることになった。
 マジ、今日ほど僕は怒った日はない。先の悶絶状態とは別に、愛媛県教育委員会の野本教育長が、数週間前に(道路)交通事故を起こしていた。しかも、相手 は丸裸の女性の歩行者だ。彼女に教育長が運転する乗用車が右折する際に接触して腰の骨に損傷を及ぼした6週間の怪我だったらしい。
 行政処分は終わっているが、頭に来たのは野本のバカ自身が受ける処分の決定だ。賃金の1/10減給だけらしい。彼がどのくらい貰っているかは知らない が、月に一桁の半分位の数十万円は行っているはずだ。
 それ以上に僕を怒らせたのは、NHKテレビのインタビューでのヤツの顔つきだ。ニヤリと笑って「粛々と罰を受ける」とのたまいやがった。昨日3選を当選 した加戸知事は、このことを重く受け止めているのだろうか、はなはだ疑問である。
 こんなのが教育長とばかり、高校はもちろんのこと、小学校、社会教育にまで影響が及ぶのである。事故を起こして「本当に申し訳なかった」と謝罪するもの は一切無い。代わりに「処分を粛々として受ける」で済んでしまう。
 おそらく、県議会で、この問題を重要視する議員が居るかどうか?。今回の野本の一件を一般の教員、あるいは通常の部長クラスの県職員に置き換えたら、こ の程度の処分で済むのだろうか?。
 加戸知事の向こう4年間は本当に大丈夫であろうか。自らが旧文部省の官僚ときている。以前の伊賀県政でもそうだった。期待はずれの結果であった。
 宮崎の「そのまんま東」氏の議会での呼び方などがどうなるのか、などと僕が考えている方が暇なんだろうかな、とアホに見られているのかもしれない。

2007 年1月23日(火)くもり時々はれ
 馬県の富岡製糸工場跡の世界遺産へのア ピールに決定は非情にうれしかった。女工哀史などのことはあるが、その建物は現在のレベルでは、とても建築できそうにない。今でも当時の姿を外と内で保持 しているのだから、相当なものである。
 が、ですよ、富士山は本当にアピールできるのだろうか。国内で決定はしたが、その道のプロが来ると、ゴミの山の美しい山という相反する状況を包括してな んて、おかしい。富士山は遠くから眺めて楽しむし、その光景が一番だ、という酒道場の女将さんの言い分が妙に心に残った。
 さて、商店街の一つの店が閉めたようだ。結構若い娘に任期があったし、閉めるなんてそぶりはなかったので、僕は大丈夫と思っていたが、大きいチェーン店 の仕組みだろうか、宇和島の店舗をツブしても、さしたる影響はない、というのが本当のところだろう。
 おそらく、当面の間はこういった現象が続くのであろう。しばらく店に活気が出なかったら、その通りはゴーストタウンの一歩手前だ。そうなっても住民はそ こを離れないし、別の面で愛着を感じつつ、その場からどこかへ移住などは一切感じて居ないのだワ。
 ま、早いところ、通常の勤務にかえりたい、というのは、僕だけの話ではないようだ。

2007 年1月29日(月)くもり一時みぞれ
 、日の出を前に急 歩を開始する。東が白み始めると、この地方独特の嫌な冬の空模様になった。独特とは、スカツとしない以上に、どういった状況か判断出来ない天候なのであ る。
 ちなみに、鬼ヶ城(山)は1000mクラスの山ゆえ、雪化粧している、が、市内は一部は曇っていて青空も少し見える。かと思うと、みぞれがパラ〜っと 降っている、といった具合だ。そんなのはドコでも見受けられる?。そりゃそうでしょう。が、ここは2〜3kmほどしか違わないのにこの状況なのである。
 1日かかって分譲マンションの家屋評価を算出した。B5の用紙に各階の平面図を記載するため、間仕切りの種類が違うと、どうしても重なってしまう。が、 実際は100%でOKになる。図面を記載した者の技量が伴う。その図面で僕が評価計算する、といった内容だ。過去、手計算で10年ほどと、PCシステムで 数年間やってる。もう、仕上げの材質や、内部構造など随分判って来だした。
 簡単に言うけど、機械化されたとはいえ、実のところ結構経験が必要な職種だ。5年で、ま、OKになる。これを3年程度で異動させられると、残った者は初 任者に1から教えなければならない。考えると、僕もこうやって4〜5人を教えていることになるな。その中で再びこの職場に戻ってきたのは2人だけだ。何と なく虚しさを感じ出す。そろそろ、僕を異動対象にしてほしいよ。
 ポール・ストゥーキー氏が 横田めぐみ さんの歌を創った、というニュースが流れた。ポール、そうPPMのメンバーの一人だ。PPMってったって、今の若い人には気体の濃度か?が関の山かもしれ ない。ピーター・ポール・アンド・マリーという有名なフォークソングトリオだった。そのメンバーの一人だ。
 当時はベトナム戦争だったし、今のイラクなどと違って、相当に反戦のブームが起こっていたときだった。
 今回は拉致問題だけれども、もう少しバックがシンプルでも訴えかけられれば言うこと無しだったが、今の時代はアコースティックギターでもアンプを通す時 代だから難しいだろう。ましてや、PPMとしてステージでやったら、もっとアピールできるかもしれない。ま、これは夢でしかないかもしれないが... 。

2007 年1月28日()はれ時々くもり
 となく毎日多くの ことをこなしての1週間が過ぎた。現実には先週からの2週間は、まともに決まり切った生活など出来なかった。ことに夜の会議は今の僕には相当にこたえる。 日の入りが早いため、寒暖の差が大きくなってしまって、どうもうまくない。
 そんな中、今日は津島のしらうお祭りの日だ。意気揚々出かけようと思っていたが、大阪国際女子マラソンがあったため、午後3時前に出かけることにした。
 マラソンは原選手が勝ったが、渋井選手は辛かったのだろうな、と感じる。テニスのビーナス・ウイリアムス選手同様に、突如復活、という話にはならないだ ろうけれど、世界選手権は絶望だろう。
 トライアンフを出す。晴天だが気温が上がらない。風も少々出ている。暖気を3分ほどヤルと1000回転で安定してくる。出発するがハイギアでダルやって も次の加速が出来ない。AMALなら出来るのだが、MIKUNIでは出来ないようだ。出来るようにするには再びメインジェットの格闘が始まるのであろう な。
 目的のところへは捨すでに閉店してしまっていて、岩松川沿いを走って帰路につく。帰りは渋滞を避けて、旧松尾峠から農免道路を通って三浦からのルートと した。三浦でのワインディングは、フロント19インチの仇が出てきて、スッと曲がらない。今の状況なら、少しアップ気味のハンドルにした方が収まりが良い のかもしれない。
 それにしても、よく走るようになった。これまでのバランスのおかしい時期のことが一掃された訳ではないが、少しずつエンジンが馴染んでいくのが解る。
 帰って丸穂温泉で冷えた身体をほぐすが、元になかなか戻らない。とうとうゲルマンで内部から暖を採ったが、明日からはすこしばかり身体を動かさなくては ならない。美沼マラソンへ申込をしたから、引き下がることが出来ないからだ。ともかく、3kmを走り抜くことを目標としよう。

2007 年1月30日(火)はれ
 のウォーキング2 日目。床離れは良いのだが、その後の行動までに時間がかかりすぎる。何ともはや、低血圧ではないのだが精神肉体とも目覚めていない。
 それでも戸外へ出ると、未明の空に「明けの明星」が美しい。若干のストレッチ... 、ク〜ッ、身体のおかしいところに痛みが出る。実のところ3年目にして、目標へ向かってのトレーニングを開始しているのだから致し方ない。
 それでも、歩き始めると気分爽快。すれ違うダークなウェアに目線を下げてポタポタ歩行する方々を見かけるが、その姿は、とてもじゃないが「体力づくり」 の一貫ではない。同様に、植物が光合成を止めている夜間に歩いたり走ったりするのはナンセンスだ。僕がいくら言っても、仕事のためとか何かで時間が取れな いからダメ、の返答を聞くのが関の山だ。
 スペシャルな昼食(そのうち報告する予定)。午後も一応こなして帰路につく。ここで弱るのは、先に言ったけど、腰が意識しないと回転しないのだ。日曜日 のスポーツニュースで、御大とともに出演する張本氏のことが思い出された。
 というのは、彼がマスターズリーグで三振する姿が多く見受けられるが、今週の日曜日に彼は「腰の回転ができない」とおっしゃった。僕自身はそうはなって いないが、わずか2日なのに、この腰回り、横っ腹の筋肉が痛い。急に向きを変えるとなると、一瞬「ウッ」となってしまう。まだまだダメだ。
 話は変わって、マイクロソフトの新しいOS ビスタがリリースされた。相変わらず根本は旧態依然だ。どうもフロッピーででもOKみたいな... 。僕は真面目に、これをソコソコの要求を満たすノートにインストールするのかいな?、と考えてしまった。
 それよりは、ノートは2000をインストールして使ってやった方が好ましいのではないかな、と考える。Mac陣営では、そこそこ古いマシンでも AppleのサイトからOSがダウンロードできる。もちろんサポートは止まっているが、今とほとんど変更がない使用環境など、ウインドウズが決して追いつ けない世界であると確信している。ウインドウズは過般型PCに対応しているとはいうが、そうはなっていないように感じてしまった。もし、本日の午前O時か らの発売に僕が出向いていれば、ノート持って、その場でインストールしたりをヤルのだが... 。
 ウインドウズユーザーは口では言うものの、真に「これは素晴らしい」というユーザーはどれほど居るのだろう。日本国内全てがクロック数1GHzのマシン を持っている人が何人いるやら... 。動かない補償をする方が大きいようにも感じる。

2007 年1月31日(水)はれ
 日は大寒気団が来 るので雪になるかもしれない、と予報しているが、この辺では絵空事のように感じる。この間も記載したが、この辺は全く天気予報が当たらない時がある。正し く自然の要堺として、伊達宇和島藩の根拠地として立地した基本になっているのかもしれない。今年の旧正月は2月18日だ。今は冬の真っ直中にある。
 とは裏腹に、本日は晴天の冬の一日であった。が、僕としては大変。昨夜の食事のカレーで、右上5番のキャップが外れてしまい、本日ますだ歯科へ行く。仮 の接着で収まったが、次回に取れたときは根本治療をヤル必要がある、と先生の言であった。
 当然、時間休暇なので、治療の終わった後の昼前の商店街を歩くと、いつもと違う感じを受ける。ご婦人方の大半が、新橋、フジのレジ袋を下げている。上か ら下りてくる人はサンシャインのレジ袋が見て取れる。
 まさか?と思えるかもしれないが、タクシーに乗ってスーパーマーケットへ買い物に来る高齢者もいる。何とも不思議。言い換えると、それほど商店街は人気 がないし商品を選べる店も少ないのであろうな、と感じてしまった。
 仕事からの帰り、オーディオテクニカのインナータイプのヘッドフォンの買い換えをするためダイナマイトへ寄る。僕自体の行為も商店街で... 、と批判を喰らうだろうが、無いものは探せない現実が存在する。それ故の行為だ。
 これまでのオーディオテクニカは音はクリアーなんだが、全く下が出ない。能書きをよく見ると、インピーダンスが20Ωではないか。少なくとも普通のス ピーカーの単位である16Ωが最適値だろう。8Ωともなると、おかしいようだが、頭の中がドンドンし過ぎる。それ以上に発狂しそうになるはずだ。
 店員に左右の「ラインの長さが同一の物はないか?」、と調べてもらったところ、再びオーディオテクニカの製品になってしまった。親身になって探してくれ た店員には感謝するところだ。
 以前のに較べると全く別物に感じる。今度のは気分良く音楽が聴けるのである。わずか1年程度だが、これまでの物とは一新されていた。進歩はすごいな、と 感じた瞬間だ。
 同時に、マイクロソフトのビスタが多数ストックされていた。売れていない。どうやら、これが動かないマシンが相当数出ているし、今のXPのサポートが延 長されたので、ますます売れないのであろうな、と感じてしまった。
 ほとんどやっていなかったウォーキングの疲れが出始めている。金曜日辺りが当初のピークではないだろうか。それでも、僕医はヤルゾ、と明日も早起きする のである。

2007 年2月3日()はれ
 のところ、昨日は 雪であった。僕は一度帰宅する事なく同級生のいつもの会に参加する。Tという居酒屋だったけど、僕はどうも支払った金額に納得できない。いくら飲んだ清酒 が高いとはいえ、あの金額になるには、もっともっと飲み食いしなければならないはずだが... 。そういった点からすると見下されたかな、と感じてしまう。
 一夜明けて、路面が凍り付いている。昨日の雪は深夜までには止んだが、その後の晴天のため放射冷却と低温のため氷すら張ってる状況になったところだ。 ずっと昔のこの辺の天候になった、といったところだが、本日は快晴。全く冬のカラカラの晴天であった。昨日の雪がなければ、火災も発生していたかもしれな い。ま、風もなかったため大丈夫だったのだろうけど。
 で、本日は午後1時からの葬儀に参列する。本来は参列しなくても良いが、母の葬儀の一件から僕は参列したまでだ。
 セレモニーホールでの葬儀に対して、僕はいつも違和感を感じてしまう。僕は一族郎党、菩提寺での葬儀しか経験がないが、その葬儀の状況はなかなか厳かで 良いものだ。結婚式もそれに習えばいいが、今の日本では難しい。
 それをセレモニーホールなどで行うと、葬儀とは別に、故人をよりよくあの世へ送り出すにはどうするか?、生きている人と会社側の考えに取りまとめられ る。数年前、同じ場所での葬儀に参列したが、今日よりは、まだ自然さが漂っていた。
 得てして、こういったセレモニーホール側で葬儀を取り仕切られると、故人が「こうやって送ってほしい」と思っていることなどは、全く無視されているよう でならなかった。
 おまけに、今回は喪主の会葬お礼の挨拶が終わった瞬間に拍手をしそうになった。お前は!〜、と叱られるかもしれないが、数人がその行為に及ぼうとしたの だから、ウソでも何でもない。
 ま、そういったところが喪主の良いところでもあるし、仕事でのランクの上がらないところでもある。何ともね。と、こうなると、昨日同僚に香典を託けた方 が良かったのかもしれない。
 ま、僕の逝った時は菩提寺でやってくれるよう、今から遺言の草稿に記載しておかなければならない。が、こんあことを言っている間は死にそうにもないとい うのが実際だろう。死を迎えた人を間近に見れば、「もうダメ」か、「まだ、大丈夫」の二つだろうが、実際は後者の方が先にクタバル。
 ま、僕など首吊りすると苦しいし、後が汚いしということになるところだ。それらが消える... 。それを感じ取れれば「そろそろかな」と... 。そこまでになるには、無理だろうな。それほど、人の死というのはいつ来るか判らないから、今のうちから菩提寺で簡単にやってくれよ、と息子に託けていな ければならない、と感じたところだ。

2007 年2月4日()はれ
 暁は雲もあった が、急激に天気は回復。昨日同様、その上に温かくなってきた一日の始まりであった。
 久々にお墓へ行く。年末のシキビはまだ持っていたが、そろそろ潮時と考え捨てた。近所のお墓で、花も何もかもそのままで枯れているのを見る。墓は整備さ れていても、地元に身内が居ないと、それなりにわびしいものを感じる。特に土の地面は我が家だけになってしまっているようなものだから。
 その足で、御大師様へ足を運ぶ。2〜3の参拝者は居たが、以前に比べて新参者は入れないような気配を感じ、何となく空々しい気分になってきた。早々に辞 して、ステファニーまで歩いて行ってパンを買って帰る。
 日常訪問のサイトを巡った後、テレビ見ながら午前中はアレコレ考えていた。今日なら行けるかもしれない、とね。
 いつもの昼食を摂るため、今日は随分と回り道をしてしまった。昼を過ぎ、少し遅れての食事の後、1時過ぎからSRに取りかかる。詳しくはいずれ申し上げ るとして、どうやらスパトラはこの辺で打ち止め、というところまで来たようだ、と感じた。午後5時45分までの5時間程度で結果を出せたということは、こ れまで僕がスパトラに関わってきた成果だろうな、と自負したところだ。
 いつも思うのは、SR400なら、こんな苦労はしない。ポンと付け替えすればそれなりに結果は出るから、ムック本のレポートのように1日仕事でマフラー テストの記事なんて出来上がってしまうのだろう。が、SR500ではこうはいかない。今日もディスクの交換から始まって云々。その都度、内部コアに巻かれ たグラスウールの破片が取り付けボルト穴から出てくる。圧縮比が低いとはいえ、背圧の大きさは400の類ではないというものだ。形は同じだが、400と 500では、まるで別物。こんなことを何度言ったとしても、実際に跨って走ってみなけりゃ解りっこない。
 午後8時前、近所で火事があった。小火程度で終わったが、火元と隣とは同棟で木造ときているから、ヘタすると大火になっていたかもしれない。小火で助 かった。
 少しばかり疲れた。早いとこオネンネしよう。

2007 年2月5日(月)はれ
 思議なことだが、 昨日と同じ朝の天気になった。くもりの時間が若干違う程度だけれども... 。とはいえ、4時半ぐらいから目が醒める。妙なことだが、朝のウォーキングが日課に近くなってしまって、義務のような気分だ。これによって得るものは僕自 身の得になる分だから止めると得が無くなるし、止めるまでのものを返せ!、と誰にも言えず権利の発生はない。
 こんなこと書いてバカみたいに感じられるかもしれないが、最近は権利のみを追求する輩が多くなっているのをそこかしこで感じる。オフにタバコのポイ捨て でチクリが入る。立場が違っていれば、チクリを入れたヤツはどう思うのだろうかな?。銭の出方はともかく、職業だけが違うだけなんだし... 。
 ま、同じ仲間内でも足を引っ張るためにアラ探しをし続けているヤツもいるから、合併後はどうも疑心暗鬼の状態がはびこっているのも事実かもしれない。
 昨日のスパトラの一件をエディターで打とうとしたのだが、どうも上手くまとまらない。ン、結果は良いんだ。なぜ不思議なことで好結果になったか?。これ を纏め始めると過去の実験報告をもう一度引っ張り出さなくてはならない。
 そんなのカンタンジャ〜ン、とおっしゃるな。初期の僕のサイトの文書ファイルはフォルダーの中にマジでゴチャゴチャに放り込んでいるのだから、その都度 修正をするとなると大変なため、そのままにしている次第だ。ま、1か月あるから何とかまとまるだろうけど... 。
 今回の一件では、スパトラを使用している人は意外に間違った使用方法を採っているのではないかな、とも感じているところだ。古いムック本で、ハーレーの デイトナレーサーのスパトラのエンドを見て驚いた。これほど焼ける、つまり効率が良いということ。
 ところが、SRを筆頭にして、スパトラの排気効率の良さを、吸気側で比較的濃い状態にしてエンジンに負担をかけないようにしている。この方法ではダメな のではないか?、ということを僕は感じているんだけど、ま、こういったことも纏めて、SR用のスーパートラップは終わりにしよう、と考えているところだ。
 えらくオートバイ関係のことばかり記載してしまった。申し訳ない。
 最近はMac関係もPismoが落ち着いているので、触る必要が無くなってしまってるのが現状なのだ。そんな折、アメリカの「ヴィンテージコンピュー ター社」へリンクを張った。間もなく更新なのでトップページには出せないけどあしからず。
 ともかく、同社にはMac関係は結構いろんなものがある。アップグレードした方が得策と考えたとき、カードなどは国内で購入するよりヴィンテージコン ピューターで購入した方が若干安いし、国内ではない物もある場合が多い。Macユーザーは一度アクセスをお願いしたい。もちろん、日本語が通じます。

2007 年2月7日(水) はれ
 山 では、商店街は定休日だ。そう、東京でもこの日は定休のところが多い。我が宇和島は人の良さからかしら、土・日も働くとして、木曜日が相当昔から定休日に なっている。
 その定休日ではないが、市の理事者側から数点にわたって改訂をしたいとの連絡が入った。一つには勤務時間の延長である。我々地方公務員の仕事時間には 「休息時間」という15分の賃金が出る時間帯がある。こともあろうに支持している民主党のバカ議員がこの15分間が1年続いたらどの程度出費が必要なの か、を国会で出したんだ。我々は隠しも何もしない。それは当然のことと認識していた。
 がバカ議員の言い分がイカシている。「私は7時間30分の勤務時間を指示しています」とのたまう。
 じゃ、15分間は、お前さんどういった考え方もってんだ?。アンタが質問した内容を実施すると、勤務時間は...? 。
 回答はない。まったくもって、民主党のバカ議員はこの体たらくだ。本来なら15分間のことをどうするか人事院とも協議したいところだが... 、と、このことをどうして言わなかったのか?。やはり、自民党寄りの考え方なのが民主党の行き方だろう。 
 加戸君(知事だけど、最近好まない)も就任1年目は、愛媛は変わると思ったが、2期目以降はお大臣だ。かつての彼自身は官僚で、そのことから愛媛を改革 していようとしていたようだが、2期目からはうって変わって中央集権化が激しい。
 ことに、前の選挙から怪しくなった宇和島市へは、徹底してやられるのは目に見えている。そのとばっちりが職員にも来たようだ。ま、ウチのK市議のよう な、周りを見ないファッショなヤツもいるし、コイツが次に通るとは一切思っていないが、そこはそれ、昨年活躍しているから引きが多い。ここを崩すとなると 困難がつきまとうため、表面だっての攻撃などはやっていない。
 「公務員は... 」とバッシングやってご覧なさいよ、自殺する輩も結構出るんじゃないかな、と思うし、臨時的任用の職員に対しては首切りに等しいので、これまた反発が出る はずだ。はっきり言って、公務サイドは完全な縦割りだ。うかつな応えをすると... 、と隣の課の電話にさえ出ない。否、出ることが出来ないのだ。
 それはおかしい、と民間人はのたまう。そういったヤツには首根っこ捕まえて、当局側へ引き入れて詰問をするのだろう。
 こいつを一般市民に応対をさせてやれば解るのだが、今の状態ではそれが出来ない。国内の多くの自治体では、今後、少なからずや、このような問題が起きる であろう。
 あまりに、公務員バッシングを民間がやるのなら... 、もうよそう。あとはみなさん方で考えていただきたい... 。

2007 年2月10日()くもり
 週7日からの多忙 な3日間が終わった。本日自体は、昨日が午前様になってしまったので、1日中ゴロゴロしていた。二日酔いではないのだが、どうも身体状況が若い頃のように シャキッとしない。
 昼前から、台所のガステーブルを交換するのにガスショップ「あさの」へリンナイの製品を受け取りに行く。実はここのご主人は、父上がウチが店をやってい る頃からのおなじみなためで、新築祝いのリンナイの白いテーブルは数年前まで、実に20年近く使用できていた。
 それがダメになったため、パロマの製品に交換したところだ。これが2年程度しか持たない。こった作りだが、アフターパーツの入手はともかく、バーナー部 分などがテメエで交換できないなど、少々難点があった上に、何か弱いんだ。決してパロマの製品だから毛嫌いというわけではない。湯沸かし器はずっとパロマ だしね。
 ま、リンナイもほとんどパロマと変わらないんだが、点火システムなど乾電池を使うなど、結構アナログっぽいところもあるし好感が持てる。
 取り付けが終わった後、フーフーし始めた。脈も速くないからおかしいな、と感じて、これ以降は冒頭のようになってしまうのだが、1時間程度眠って落ち着 いた。
 SR500のスーパートラップの件が一段落したので、考えを巡らしつつ、T-140Vのキャブのメインジェットを#165にしてみようかな、という考え がわき始めた。その理由は、ノーマルのT-140Vの吸排気系は想像以上に効率が良くないのではないか、と感じ始めたんだ。その上にAMALの30mmの 口径がMIKUNIの32mmに広がったんだ。「わずか2mm」だが、相当に吸入側は広がっているのだ、ということに気づき始めたんだ。
 が、手持ちのパーツがないのに気づく。ダメだナー。とにかく大きくしなきゃ... 、とばかりにしか目が向かなかったんだものね。今のように下げる方向でのメインジェットはほとんど持っていない。誰が考えても#165なんて考えも及ばな いことだろうしね。何しろパイロットジェットなど#50ぐらいまで持ってんだから。
 何度も言うけど、これが発注ということになる。オートバイで走って数十分で購入できるところとは訳が違うという、いつもながらのゴテゴテのことだよね。 結果なども忘れた頃に小誌へ記載ということになるわけだ。
 もっとも、古いものを動かす。そかも楽しんで、ということに賛同してくれるようなディーラーなんて居ないのが実情だろう。

2007 年2月11日()はれ
 から良い天気に なった。わずか金曜日1日の飲み会が土曜の午前1時にまで及ぶだけで、元に戻るまで2日ほどかかるようになってきた。どうも2次会へ行くにしても11時ま でには切り上げるようしなきゃダメだな、と感じ始めたところだ。
 思いつきはフトしたことから始まる。マグラの油圧クラッチのホース止めをどうしようか?、と考えていたところ、いいものが見つかった。それはテレビのア ンテナ線をポールに固定するグロメットの器具だ。これをSRのダウンチューブに取り付けるわけだ。もっとも取り付かないかもしれない。後日報告をしたい。
 午後からは憲法学習会へ参加。イデオロギーは別として、現在の改憲論者は本当にやって良いのだろうか?、と疑問に感じないんだろうかな、と思う。同じく この「建国記念の日」にしても、戦前の紀元節ではないか。
 今日のニュース報道だったが、今こそ天皇を中心とした国家を作らなければならない、とまで言い切るエライ者が居るのだから恐れ入る。それに付随するよう な意見を言う若い者も居るのには、何をかいわんやである。
 改憲したその後のことが一切考えられていない中で、現時点での考えだけを押し通そうとする。改憲して、そういった者の考えどおりになったらこの国の状況 はどうなるか?。
 「憲法は国と国民の契約書である」、と僕は理解している。自民党の 考えた新しい憲法案では時の政治勢力とか、国会の状況で憲法であっても今後は簡単に変更できる内容になっている。
 こういったバカやっている日本の政府は、内外から相当にバカ扱いされているのはいい加減解りそうなものなのになぁ。
 そろそろ、ヨーロッパ諸国から日本へのバッシングが始まるだろう。あのとき金利を上げておけば良かったのに... 、なんてもう遅いわ。預金金利さえ上がらないもの。それでも銀行は儲かっている。いかに借金するヤツが多いかということだ。返済能力はあるかどうか?。
 オ〜ット、話がおかしい方向になってしまった。ま、この国全体がこれから再び右肩上がりになるまでには、まだまだ茨の道が続くのであろう。

2007 年2月12日(月)はれ
 しだけ吹っ切れた 感じがして来だした。まずは、朝から便所の薬品(?)を購入するためにSRを引っ張り出す。購入ったって、近所にはないため大型スーパーへ行かざるを得な い。近所の店を助けるためにも、といったとしても、それを満たすものもないし、あったとしても、それを上回るもの、あるいは、ココにしかないといったもの もないんだから、どうしようもないのだ。
 細々したものも購入して帰る。SRは快調だが、何か割りきれないものがある。SRの油圧クラッチのホースの取り回しは、昨日記載したものが上手くフィッ トして成功した。次は、でコンプワイヤーが短いために左へハンドルを大きく切るとエンジンが止まる。というところで、2J2のデコンプワイヤーを発注。デ イトナにも同じようなものがあるが純正とした。
 午後、テスト確認のためにT-140Vのメインジェットを#170に交換した。なかなかいいのだが、#165にしたらどうか?という疑問が出てきて再び 発注。デコンプワイヤーの長さ確認のためSRを引き出す。
 帰路、丸山の下りでバスバスッという音が出た。これを放置するわけにはいかない。はずすか?。いや、もう少し様子を見るべきだ。こういったことが交錯す る。スーパートラップのセッティングはこの程度であろうことは明白だ。通常運転に重視するか、高速道路に重点を置くかで相当に違う。
 今はSRといえども、相当に絞り込まれた400ccモデルしかリリースされていない。フト永井モータースへ行くとカワサキエストレヤのインジェクション モデルを見ることになった。振り返って、新しいSR400には確実にEFIが装着されるのだな、と思った次第だ。

2007 年2月13日(火)はれ
 述する一件で目が 醒めた。よほど気がかりなんだろう、と思われるがそうでもないのだけど、フトしたときに頭の中に浮かぶ。辛いところだ。
 そんなことがあって、起床して久々に城山へ登った。ついでにラジオ体操をやる。発掘調査とかで、城山全体が形成外科手術をやられているようでならなかっ た。こういったものは高知城のようにパネルで示したりして、その事業内容を記す。一面では「迷惑をかけます」といったような言い分を出すなどしなきゃ、登 山者には少々滅入ることになってしまう。それほどの状況なんだ。
 それに、過去に母も参加していたが城山ラジオ体操会のメンバーは一体何処へ行ってしまったのだろうか。もう少し朝が早く来るようになれば、もう一つの愛 宕山ラジオ体操会の状況も見てみたいものだ。
 さて、昨日記載しなかったことが一つある。それは宮崎沖で操業中のマグロ釣り船の乗組員2人とカメラマンの合計3人が3日過ぎて救出された、という ニュースである。どうして記載しなかったか?。僕はそのニュースをみの・もんたの番組の最後で知った。何と強運な男どもか!、というのが、その時の印象 で、今でも続いている。
 が、昨日はそれ以後の憶測などが入り込むのではないか?、などと考えていたものでね。事実、今日はそのニュースで持ちきりにはならなかった。どうやら、 マスコミも相当に気を遣っている。これでいい。
 さてと、冒頭申し上げた一件。実は昨年4月から継続していたことなのである。権利問題に関わることなので、僕も今の仕事上からしても仲介の行もやること は出来ない。
 それでも、いたずらに延ばすことも出来ないので、満を持して、火中の栗を拾う、ということを今日はやった。本当に嫌で嫌でたまらないことだったのだが、 実際は肩すかしを喰らった、というところだ。が、してやったり、という気分には一切ならない。
 最近は銭湯(丸穂温泉)が多いが、今日は久々に浴槽を完璧に近く洗って、我が家の風呂に入った。我が家は屋上の温水器の水を灯油ボイラーで湧かす方法だ から、さら湯なのに結構柔らかいのだ。入浴剤はなかったが結構ノンビリできた。
 しばらくして、SRマスターブックが届いた。M.W.Iの今村さんのお薦めの一冊だ。が、僕はこの本が発売された時を知っている。購入しようか、とまで 考えたが、最後の最後にマフラーとシートの記載があって購入を控えた次第だ。
 本日手元に来た同書をパラリと目を通したが、この手の書籍は今時のものより、遙かに真面目だ。が、売れなかったんだろうことは十分に想像できる。SRと いう簡単で基本を押さえた古くさいオートバイでも、これほどのものが必要なんだから、今のインラインフォーなんかは、相当量のページ数になるのではない か、と考えた次第だ。
 もし、これからSRに乗ろうとされる方で、そこそこディーラーまで持っていく必要もないが、自分で整備できるところは行ってみたい。あるいは、万一のた めに、そして、半分整備教本として... 。そういった実用面からすると、僕はお奨めの一冊と考える。

2007 年2月14日(水)雨後くもり
 ント・ヴァレンタ イン・デーというのが正式名称だろう。聖ヴァレンタインの日だよな。真面目な話、この日は、世界中で日本が一番最初に迎えることになるのだろう。
 朝は強い風と時折降る雨。何より気温が高いので気色が悪い。いつ降ってくるか判らない雨を気にしつつ、ウイリー・ウインキーへパンを買いに歩く。往復 2km弱あるから、結構... 、が、汗ばんでくる始末。帰りは流した。
 職場ではいい線行くと思ったのだが、あにはからんや、1cmの高さに1日中泣いた。台帳フォルダーの背の高さが、今使っているものより1cm高いのだ。 早速棚のボッチの位置を変更しなければならないのだが、サイドのサポート板の取り付け位置が左右違うし、そこを避けて位置決めだから、何段上下すればいい のかを迷いに迷ってしまったのだ。ガ〜ン!。
 苦肉の策として、2段目の底をベースとして、上下にサイズを変更する。口で言うと簡単だが、地階の上田ビルサービスにプラスチックハンマーを借りにいっ たり、隣の保管庫との間が無いため取り付け板が入れられなかったり、片方だけで半日かかった。おまけにこの天候だから、暖房を切っているにもかかわらず、 汗だくになった。日本の規格がA版を基本とする反動だろうな。台帳などは未だにB版が基本だからそういった規格のものを購入してほしいものだが... 。
 チョコレートは沢山プレゼントされた。女性職員はもとより書記、そして息子の嫁からだ。孫の顔も見えたが、いつもの通り。今日など作り笑いシヤガッテ。 ま、3歳過ぎないとな。
 それにしてもちょこちょことカウンターの内側へ入ってきて、同僚のキーボード叩きながら、そのキーのアルファベットまでしゃべる始末。僕の頃と較べると 気が遠くなってしまった。
 夜、少しばかり不調になったナショナルのバッテリータイプのシェーバーの修理をする。何てったって、こいつは6年以上使っているんだ。今回はギュ〜ンと いった音がモーターより出てくる。モーター部分をはずして、シャフトと真鍮のメタル軸受けに10W40のオイルを1滴落として少しシャフトを動かしてやる と、音は止まった。
 ほんと、オートバイでも最近のものはどこかグロテスクで欲しいとも思わない。現実に、人が乗っていたり、傍らに居るなんていう写真でなければならないの に、オートバイだけを取り上げてもグロテスクな気分が先に立って、これは!、というオートバイの出現は夢のまた夢のような気がする。

2007 年2月15日(木)はれ
 日から一転して冬 の気候になってしまった。2か月後の4月なら花冷えなどと言うのだろうが、今は何と表現したらいいんだろう。ひょいとした調子にヤマハの丸形テールレンズ をヤフオクで落札した。理由は、サイドリフレクターが「赤」だったからだ。この黄色いのは持ってるもの。
 職場では人事課が職員に対して労働強化を言っていきた。教育面でもそうだが、ゆとり教育で成果が出ない。その上に学業(?)が落ちるから何とかしろ?。 その実、社会教育って言うのは以前よりダメになってしまっている。
 したがって、人事の言うように職員締め付けたって、そこに働く者の要求など受け入れられないのなら、住民サービスの低下は免れないであろうな。「公僕」 なんていう世界がまかり通る土地柄だから、その反動を喰らうと、管理職だけで対処できるのだろうか?。
 あまりにしゃかりきになって、どこかの上部団体の○▽課の指導だけで動いているとトンデモナイ。その○▽課はウチのような自治体よりエライと確信してい るようだし、そのくせ、自分たちの賃金はカットされている。ということは、エライものの下を行く同じ団体が良い状況っていうのは腹立たしいんだろう。こと に、国の官僚が天下りしている課長がいる課が我々の存在を目の上のタンコブとして思い詰めるんだから。
 こんな馬鹿なプレファクチャー自治体だもの。この間七回忌をやった「えひめ丸」のクルーのことからすると、沈没した船とほとんど同じ形式の船を造る か?、ということになる。相当ひ弱な船から脱却するなどの考えはなかったのか。えひめ丸という名称は変更できなかったのか。おまけに、通常では考えられな い8月の進水だった。
 同じような事故が起きるまでは何とも言えないが、漁業実習船ならそれなりの船体でなければならない。初代のえひめ丸を見れば一目瞭然だ。それでも、そう いったことは考えないという地方自治体は、シャーと同じく右向け右の状況は続くのだろうな、と思う。
 ほぼ1年目の献血をした。126回目だ。回数ではないんだけど、僕の検査数値の悪い血液でも有用になるのかと思うと何ともうれしい。一つには薬などを飲 んでいない点が上げられるであろうな、と思う。そういったことから、この3日間、恒常的な悪い状況が消えている。したがって、明日からは今のこの状態を維 持することとした。
 僕の身体の内部がどうなっているのか、少しずつ解りかけてきた。
 こんなことを考えると、まるで僕の愛車、トライアンフのT-140Vと同じだな、という気がしてきた。そういえば、ウチの女房殿は僕と29年間だが、T -140Vとは30年間一緒だもの。T-140Vの状況を僕の表現でイギリス女のたとえのようなことを記載するのはそういったことからだ。

2007 年2月17日()くもり一時はれ
 の数日間、様々な ことが頭の中を駆けめぐって、僕自身の存在を無にしてもいいのではないか、といった事柄が決定打のように襲ってきたからだ。ことに仕事のこととなると、日 時の関係から悠長なことがしておられない。それは解っていても、それをやらなければ... 、と考えるところは小心者だろうかな、と考える。自治体の合併前のように、僕の思い通りに事は運ばないのが今の状況だ。
 本日の起床は午前5時半。「美沼の郷・健康マラソン大会」に参加するためのことだ。バカげている?。そう、バカげているかもしれない。が、実際は身体が 動き始めるまでのスロースタートの僕としては正解だった。
 このマラソン大会は、2年前までは旧三間町での自治体上げてのイヴェントだったはずなのだ。が、今日の運営、完走賞の状態... などなど、とてもじゃないが、合併したためにヒンソになってしまったのではあるまいか、と感じてしまった。
 参加した僕も、その運営には少々カチンと来た。時間設定はいいが、最終コールを何処のどの位置にやるのか、などは一切知らされない。その上に、個人情報 の絡みもあろうけど、どの人がその種目に出ているかぐらいは、プログラムとして、完走賞と共に封筒へ入れておくべきではかかったのか、と感じた次第だ。
 成績というと、僕はビリ。そんなのは関係ない。端ッからビリであろうし、キロ7分弱程度で走れればOKとしていたからだ。というところで、僕は20分 38秒で走りきった。
 走っている間のことはともかく、鼻から呼吸できないことに気づいた。普段の生活でも、何かにつけておかしいのは、この点が作用しているのではないか、と 考えた。僕自身、慢性副鼻腔炎のキライがある。
 おかしいかもしれないが、この鼻で呼吸できないことから、普段の生活でも、一種の酸欠になってしまい、脈拍、血圧が増加するのではないか。もしかして、 無呼吸状態が睡眠中にも来ているのかもしれない。
 こういったこともあって、次なる朝霧湖マラソンへ1年のブランクを置いて参加するか?... 。明日から、再び朝のトレーニングを始めよう。

2007 年2月20日(火)はれ
 日は知り合いの還 暦祝い。僕も残すところ4年後だな、と思うと何とも... 。まではよかったが、二次会で大いに飲み歌いで、とうとう午前様になってしまった。久々の午前様だったもので、本日は1日中シ〜ンとなってしまった。
 そういったなか、黒田旗のぼり店がテレビ放映される。こっちは7時過ぎの放映分を見て出かけたのだが、出勤途中、挨拶も出来ない。わずか数分の番組にこ れだけのものが必要なんてはっきり言ってバカげているようにも感じる。店の前が横断歩道なものだから、ちゃっかりカメラの中に入り込む可能性だってあるわ けだ。そのためのスタッフ要員も必要なんて... 。
 先日も記載したが、重荷がズシリと僕の肩に乗ってきているような気がしてならない。そろそろ引き際かな、とも感じている。理事者側も何かしら統一性がな い。未だに旧自治体の言い分がまかり通るような気で居る輩が多い。合併ったって、やってから10年以上過ぎた頃から、そろそろ一体感が出るぐらいだからノ ンビリやればいいのだが、今回の自治体合併は仕組まれたことだから否応なく、自治体の働く一般職に多くがのしかかることになり、それも出来ない。一般職を 助けてくれるような管理職は居やしない、というのが本当のところだろう。
 そうこうしているうちに、今月も20日になった。残り8日間。次は激動の3月を迎える。職員の多くが職場を去る。一説によると退職者は70人程度居るよ うだ。そして4月の新年度から、再び内部機構の再編成がある。定型用紙、ゴム印など二つを用意しなければならない。バカげているよな。
 そうそう、この間の献血の際の検査結果が帰ってきた。妙なもので数値が若干ながら良くなって来だした。昨年1月の時は凄まじく悪いものだった。僕自身も 何しろ腰から下が全く動かない。目眩はするなどなど... 。それが、本当に少しずつ無くなってきている。そして毎日のウォーキング。食餌制限。これらが作用した結果であろう。
 残る課題は... ?。そう、酒を控えることだろう。これが一番難しい(爆)

2007 年2月25日()くもり
 ち とら、500円の攻防を当局(理事者)と折衝や交渉やってんだ。「民間が厳しいから...」といって、減要求を突きつけてくる。こういったのが報道され る。ことに、今私たちを取り巻いているのは「勤務時間のあり方」なのである。
 浅尾衆議院議員が2年前の予算委員会での発言をしたことであったか、と記憶する。もし、テレビでその当時のことを知って居らっしゃる方がいれば... 、「・・・総理、総理、総理ですよ」といった本人だ。
 コイツは、国会議員としては最低のヤツだ。こんなのが1/5程度しか支持していないらしいこの辺の有権者からすればバカに出来る。が、時既に遅しだ。
 が、これは自治体に働く者が大多数の署名でも持参すれば、そう、トンデモナイ世界が展開するんですよ、ということになる。もちろん、これは無理なことだ けれど... 。
 これが、僕の周りで起こった昨週の金曜日までの出来事だ。それに対して、組合員以外、職員からは何の声も上がらない... 。
 そんな中での今日は連合愛媛の春闘総決起集会。選挙がらみのこともあろう。友近氏も登壇してしゃべった。松山選挙区から立候補する横山氏も今回は民主党 からだ。何だかな〜?。それ以上に、大企業だけ儲けるが一般労働者はカツカツの世界を何とかしろ、という気分で集まっていたのが大半だろうけど、今の連合 愛媛の体制では無理というものであろう。
 帰宅して、T-140Vにかかる。天候は曇ったままで、若干寒さも加わっているが、今日のうちに結果を出しておきたい。メインジェットを#165に変更 して走行テスト。その次に#160に換えてテスト。総合して#170に戻して、ほぼ満足に感じ一連のテストを終了した。これで、しばらく様子を見て春の British Runに対応できるようにすることが次なる目標となる。詳しくは本編でいずれ。

2007 年2月26日(月)くもり
 「千の風になっ て」っていう歌は非情に罪作りな歌だ。「お前さん、何てこというの?」と言われるかもしれない。そんなことではないんだ。
 僕はね、「死」の意味合いを、この歌に託してはいけない。ゲストで出ていた新井 満氏は日本語訳の本人なんだけど、素晴らしい程白々しく感じてしまっ た。
 僕は父を高校2年生の時に、母は13年前に失った。一人っ子の僕は、この地において天涯孤独だし、妻に至っては赤の他人、というのが明白な事実だ。語弊 があってはならないが、息子は僕と妻の間に出来た子だから僕と妻は関係がある。
 こういった現実からすると、「千の風になって」は現実には「死の美化」の代名詞ではないか、と感じてしまった。ましてや、本日のクローズアップ現代のゲ ストで出ていた新井満など、決して涙してはならない。涙しても「絶対」に自己を押し殺さねばならない。「いいですね」など言ってはならない。
 ふと、キャスターの国谷さんを見ると涙一つ流していない。こわばった状況は見えるが、この務めを果たそうとしているように感じた。これが本当であろう。 彼女は決して人情が無いのではないことはお解りだろう。
 様々な要因で「死」を迎えた人はいらっしゃる。父母を失った僕もその一人だが、死を未だに美化したことなど無い。むしろ、残された僕自身が妙に死んだ者 と比べられているような気がしてならない。決して極端な表現ではない。
 もし、あなたがイエス・キリストや、彼を解して神を信じていらっしゃる人なら、英語のこの歌の歌詞を熟読していただきたい。すると、曲と共に日本語化さ れた歌詞の「美点」が前面に出て、僕が言っているようなことは、この曲と歌詞には表現されていないコトに気づくのではないだろうか。
 この曲をバックボーンにしている人はいらっしゃるだろう。が、向こう5年後、最高でも10年後、今の少年少女から老年に至る方々がいつものように、この 歌が頭の中に常に流れていて... 、ということにはならないであろう、と僕は確信する。
 今後、「死」をこの「千の風になって」のように美化してはならない、ということを強く申し上げたい。

2007 年3月1日(木)はれ
 日から3月。 SR500にリモーションが加工したマフラーを取り付けて、なかなか良い状態になったところで目が醒めた。これは夢だ。実際のマフラーはSR500に対し てのパフォーマンスはそんなに良いものではなかった。ただし、ステーは最高。
 僕の精神状態もあまり芳しくはない。一つには仕事のこと。もう一つは職員団体の人事の件と運営の件などなど、あまりに同時進行することが多すぎるため、 頭の中がパニクリ状態だ。
 本日は夕刻から春闘の学習会だったが、講師の話を聞いていると、正規職員でも相当に精神障害を起こしている者が多いらしいが、ウチの職場でも僕のように ヌケ場が無いとなれば、彼の地へ行ってしまうヤツも多いのが理解できるような気がしてきた。
 僕自身、明日が夜の会議。翌週は6〜9日が連続して夜の会議。10日の土曜日は四国自動二輪交友会。全く休む暇もないし、その上に... 、いや、止そう。これを乗り切らなくてはならない、と自分を鼓舞するつもりがイヤミになるから。
 さてと、オートバイ関係のホームページを随分と、いわゆる「お気に入り」に登録しているのだけれど、ここ1〜2年の間に停滞しているようなところはおろ か、消えてしまっているサイトが多いのにビックリしている。小誌はオートバイだけではないので、ま、助かっているが、それでも僕自身、対象の物に手がかか らなくなったら... 、と随分と気に病む。その証拠にPowerBookがグ〜だし、例のエンブレムを天地逆にしてからというもの、一層快調なので記載することがない。これも 困りものなのである。
 こんなことを考えていると、快調なのは快調として小誌でも報告しないとならないかな?とも感じる。と同時に、これまでよく続いてきたものだな、と感じる ところだ。ま、ボチボチでもいいから積み重ねだな。
 そういや、ギターのことを記載していない。小学校3年の時からやってるんだけど、最近左手の調子がイマイので弾いていないのだ。これもアップしなきゃな らないな。順序としてはオートバイより先のはずだが、ダメだな〜。これは4月からか。
 今日はドクターとランダム掲示をアップしたけど、最近はブログが流行っているからかしら、掲示板への書き込みも少ないのは僕んとこだけじゃないのかな、 とも思うところである。

2007 年3月4日()はれ
 日は流石に寝起き が悪かった。一昨日の飲み会が影響してしまってどうもダメ。そのダメさの回復が最近は相当尾を引くようになって来始めた。
 そんな中、西江寺の「えんま様」へ行ったのだが、何とも人出が少なくって閉口してしまった。商店街でも何やら「えんま様」の出店のようなものもあったけ ど、かえって「えんま様」自体を阻害してんじゃないか、と感じてしまう。
 そういえば、数年前まで、追手通が一丸となって自らの出店を出していたようだけど、最近では追手通の著名な店が閉店の憂き目にあってしまい、跡地利用の 新興店も「えんま様」への協力など一切考えていないような態度だから、所詮、旧宇和島市内ではコミュニティー的な街が出来ないのだろうな、と感じる。
 それ以上に、宇和島で生活するのは非常な困難を要するから、合併後人離れが一層激しくなっているのかもしれない。95,000人ほどあった人口が 89,000人程度にまで落ち込んでいるようだから。
 本日は職場が停電。そのため宇和島市役所のホームページへアクセスできない。おまけに午前中に出かけると階段しか使用できないため、段々は真っ暗。商店 街のアンテナ事務所も閉鎖という状況。何ともナサケナイ状態だ。もし、今日が寒々した一日だったらゾッとするところであった。
 さて、自分自身について、朝の「波瀾万丈」での高橋英樹氏の件には少しマイッタ。いつ如何るときも、一部は自らの考えを通すこと。これが重要なんだな。 そして自らが研究することなどなど... 。
 酒道場のマスターともイケンがあったのは「御庭番」あるいは「草の者」を当課に雇い入れ、新築・増築・取り毀し家屋の調査と、鳥の状況把握に使う。こう いった(3年ほど前からの)なかなかのアイデアも、今でこそ受け入れられよう。
 そして、昨日のNHK土用ドラマのハゲタカではないが、本日の風林火山での山本勘助は上司の裁量の云々がとやかくされる。
 が、テレビドラマのとおりだ。上司がいかに部下を見ているか?。ましてや、最高司令官が聞き分けのない人物で、直属が... 、あのような人物でなければ、今の混沌とした世界は生きていけないのではないか?。
 大河ドラマの世界では「女」が介在したので、今の世界では何とも言えないが、先のような僕の考え方が理解されるまでは、まだまだ先のことだろう。
 この4月。僕は今の予想では今の職場を去ることになるだろうと考えているのだが、いかが相成りますか。

2007 年3月11日()くもり後はれ(と思う)
 ゲッ、前回の日記から1週間過ぎてしまった。前週の多忙さは凄まじい者だった。こんなことだれにいったところで理解はされないだろう。唯一言えるのは、 公務サイドも結構何やかやあるんですよ、ということだろう。優位さのみを批判の対象としている一般市民にアピールすべきだ、と感じた。
 そんあところで、昨日の朝に僕は西予市野村のN君と四国自動二輪交友会へ参加するために出発。で、徳島は眉山の山頂に昨日の夕刻から本日朝の9時過ぎま で居たのだ。帰ってきたのが本日の午後2時頃。その足で妙典寺(みょうでんじ)のお稲荷さんへ参拝した。その後ホームページのアップロードを一生懸命やっ て、一日の業務を終えた次第。が、鼻の状況がおかしくなってきた。
 午後6時前、風呂を沸かせて入ってOKとなった。その後、どうしても体の芯から温かくならない。こうなると、もう酒の力を借りるしかない。その上に身体 によい肴となると、酒道場が休みだしゲルマンへ行くしかない。
 凄まじく僕は真面目なのである。もし、ここへ焼酎などのスピリットをやったとなると、僕の身体状況はおかしいままだ。第一に鼻が通りすぎる。人は花粉症 というが、そうではない。じゃ、カゼ?。これも別の面が一定だから違う。一体何だろうか?。何が何だか解らないまま、お銚子2本を開け、酢蠣とホウタレの フライを食し帰ってきた。
 齢55を過ぎると、身体のおかしい状況にある程度は対応できる。が、予期せぬものに対しては全く対応が出来ていない。
 一瞬の変化には着いていけないが、それ以外はいいペースだ。それを無視するぐらい高度に今の世界は発達しているのだろうか?。僕はそうは思わない。むし ろ、明治より前の世界に生きた日本の方々の日常の暮らしを出来る限り集めることが必要なのではないではないか。
 混血(という表現は正しいかどうかは別として)の子ども達で、両親が揃っている方々の生活はどんなものだろうか。両親の貧富の差は問わない。逆に貧しさ の意味するものが富まっている者の生活はどうだろうか。外国人は加護を受け入れられるかどうか... 。
 が、日曜洋画劇場見てると、実際に戦争になると、そんな悠長なことも必要ないなと思ってしまった。ジェット戦闘機でも何がディスクに録画だ。そこにフィ ルムがあって、なおかつリバーサルフィルムのカメラを所持していれば、この映画の物語は大きく変わっていただろうな、と思う。
 なんだか今の一瞬自体が相当にむなしいものになってきているように感じた。が、今に時代、本当に人が介在しない空の戦いが存在するのかどうか。
 それこそ、未知数だ、と言われるが、意外にそうではないのではないか、と感じてしまった。
 一体何の利権のために戦いがあるのだろうか。いつもここに行き着いてしまう。

2007 年3月15日(木)雨後くもり
 は名残の雨が降っ ている。間もなく上がるだろう。今午後11時。妻は一杯やりにどこかへ出かけているようだ。この件を「お二人の中は?」とよく聞かれる。はっきりしている のは1日中、個々の生活をしているだけのことだ。このことを真面目に話したところで、問うた本人の生活とかけ離れているため「夫婦仲」のことをとやかく言 われることになってしまう。お互い他人なんだから、僕はそんなに気にはしていない。
 仕事は大いなる肩すかしを食わされて、3か月のウェイティングが一気に解消してしまった。バカげているよな。相手が酩酊か否かでこうも違うものか、と思 うと、電話というキカイはコトバだけの交換で姿が見えないから考えようによってはビジネスとか契約の場においては非情に危険であり信用性も無いものと断定 されることは必至だ。
 そんなこんなで、おコンマの後、本日は松野迅のバイオリンコンサートへ出かけた。いやはや、参りました。ただでさえデッドな南予文化会館でストラディバ リを鳴らそうとしない。おまけにスピーチが多すぎる上に、パフォーマンスが演奏を上回っている。
 こんな状態からスタートしたものだから、前半は一体どうなることだろうか、と感じてしまった。松野氏自体も演奏が終わる毎にバイオリンのバックボードを 電灯に向けたりして、何とか音を出さそうとしているのは解るが、やはり、楽器は正直だ。結局弓の松ヤニが表面板に濃く着く頃だから、後半の3曲目辺りから 俄然音が変わり始め、バイオリンの実力が理解できた次第。
 小品を12曲。それでもスピーチが多いから何となくつまらないんだよね。演奏者がいくら努力しても、「よかった」だけで終わってしまう。ストラディバリ の音質までは意識の中に残らない。これだけだろうな。何かが欠けていたコンサートであった。
 後の懇親会も、どうもうち解けないままで終わってしまった。

2007 年3月21日(水)はれ
 い朝。流石に昨日 は蛮可夢へ行って酒を飲みつつダベリに徹した。ママさんは結構飲んだ、というが、酒道場での酎ハイ2杯分でしかない。良心的な価格だから、僕の隠れ家に なったようだ。
 そんなことに加えて、明日の職員団体の臨時大会用の資料づくりをしていた。テレビは「きょうの料理50周年」の特別番組をやってた。これも結構おもしろ いが、今の料理番組は、「どことなく料理番組やってるよ」が先になってしまって、「宇和島が誇れるところのワンクッション料理」など入り込む余裕がないよ うに感じた。
 午前中のゴタゴタを除いて、午後から墓参り。地面は綺麗だった。地面と聞かれて不思議な感覚が生じるだろうが、これは父からの要望を僕が守っている、と いうことだ。いつものとおりの作業中にFさん夫妻に会う。ここ、そう?。同じ檀家とは知らなかった。
 午後からは、議案書にかかりっきり。おまけに情報をだせという。内容の違ったものを同時進行。この辛さは解らないよね。
 さ、明日で大半を終わりにしよう。そろそろ身辺整理をしておきたい。どうも人事異動に対してクリティカルになってきている。

2007 年3月26日(月)はれ
 度は春だ。一雨毎 に春が... 、となるはずだが、今度は春に3日の晴れ間無しが続く。そうして夏。何だか年取るのが早くなっていくようでならない。おまけに22日の職員団体の臨時大会 以後ガクンと気抜けしたようになってしまい、その上に翌日は可の解散会。まずい酒を飲まざるを得ないんだからやりきれない。
 24日の雨の一日は、小誌の次号用の原稿づくり。午後はヘルメットの受け取りのため市内バスに乗って出かける。気が遠くなる程多い高齢者。僕がバスに 乗っていること自体が不思議な顔で見られる。
 翌日はSR500の走行テスト。ようやく落ち着いたかと思うと、本日は保育士との協議で帰宅したのが午後9時過ぎ。明日は明日で夜の会議。テメェの時間 が全く取れない。メールなどに丁寧に返信メールも出来ない状態だから、申し訳ないと思っている。
 本来なら昨日起こった能登半島の地震のことを記載しているはずだが、手書きの日記にも一言も出なかった。不思議なことだ。もし、あれが阪神淡路の時のよ うに未明から早朝であったら被害は想像を絶するものになっていただろうな、と思う。不幸中の幸いか。しかし、自治体の(フトコロ具合の)度合いによって は、復旧がなかなか進まない事態に陥ることになるのは明白だ。
 そうそう、今日はT140V用にLEDのダブル球を発注した。まだ手元に来ていないから何とも言えないけど、自己開発なので安い。楽しみだ。としたと き、Nさんから春のBritish Runの案内が来た。4月の21、22日香川は久々の五色台だ。そろそろT140Vの整備を開始しないとならない。とはいえ、4月の20日は松山で会議と きたよ。その夜は懇親会だから、会議用の荷物はお仲間に持って帰ってもらって、僕は松山泊にしようかな、とも考えている。
 明日は人事異動の内示があるようだが、そろそろ僕も異動かな、とも考える。いかが相成りますか。

2007 年3月28日(水)はれ
 ーオ、予想どおり 異動したぞ。バカげているが、今度は銭を取ってこい、という立場の職場になった。今までは「掛ける」立場だったのだが、今度は「お願いしま〜す」の立場に なってしまった。不思議な組み合わせだ。どうも、固定資産で二股掛けるのは僕が最初らしい
 僕が今回の人事異動を意識し始めたのは昨年の11月頃であった。妙に周囲、特に上層部が僕を無視しているようなそぶりが感じ取られたからだ。
 本来、人事異動なんてものは少なくとも6年程度でやるものだ。特に地方公務員にとっては「キャリア」は必要無いんだから。それよりは、「ま、こんなもん だろうから、アンタにはココとココをキチンとしといてくれ」といってくれる上司であって欲しいし、そういった課は必ずまとまりが良い。
 僕も18年ぶりの異動だが、別段職場に未練があるわけではない。家屋の評価も自動化になってしまったが、僕のようにセオリーを知った上で機械を使ってい るのだ、とする感覚が若い人に理解できるか?。まさに、これが無いんだよね。今の時代こそ、ここをアナログだから「不合理」として捉えてはならない、と感 じた次第。
 そんな中、書類の整理をする。今さらながらスゴイ量だ。シュレッダーは動きっぱなし。これらは全てリサイクル用紙になる。破って捨てるのは相当に少な い。捨てない方が良い書類も確かにある。それ故保管していたのだが、今の電算システムになってほとんど使用しなくなってしまった。今年になってからは極力 捨てていたのだが、追いつかない。僕自身が別の職務の役職に就いているからどうしようもない。
 1年ごとに必要・不必要で分けても相当な量が出るのだから、極端に言うと自治体合併後のものも相当にある。それらの片付けに明日いっぱいはかかりそう だ。
 忙中閑あり。亀石屋さんからLEDのテール・ストップランプが到着した。早速SR500へ装着。素晴らしい!。これでこの価格だから僕はお奨めする。 が、T-140Vへ装着すると点かないのだ。
 そんなばかなことがあるものか!。ダ〜メ。「LEDって極性があったよな」と後で思い出した。つまりT-140Vはポジアースだから+と−が逆なんだ。 したがってLEDの39個ほどの極性を逆にするとなると、僕の技量じゃ改造できない。亀石屋さんに問うてみることとした。
 しかし、これだけ明るいと少々ビックリものだ。この亀石屋さんのLEDランプはなかなかの性能を持っている。お奨めである。

2007 年3月29日(木)はれ後くもり
 もなく雨になりそ うだ。忙中閑あり。おかしな夢で目が醒めた。若いのが僕に注意している。そいつも知っているヤツだから一層おかしいし、こんな奴イルよな、って。僕は(夢 の中の)こういった奴イヤなんだけど、実際はこれからますます増えそうだ。そして20年後ぐらいに職場が穏やかになって... 、と繰り返されることだろうな、と感じた。
 で、朝食のパンの切ったやつの断面見ながら、スパトラも再びクワイエットコアの二連装をやってみる価値があるんじゃないか、と考えた。切ったパンの断面 が微妙に違っているのを見ながらだから、思わず吹いてしまった。
 片付けはほぼ終了。よくぞ書類を残していたものだ、と思う。もちろん今では無用の長物だが、自治体合併以前の状況を知る唯一のものとして保存することと した。こういった諸々の歴史の証拠があっという間に消える。
 本日も国民年金保養センターへ使用料を払った帰り、和霊プールを見に行ったが、既に取り壊されていた。日本でも珍しい竹筋コンクリート製のプールだった のである。同様に、しばらく行っていないが以前の水源地に日本でココにしかない濾過器がある。これも野ざらしになったままだ。
 和霊プールは真面目に使用できていたんだ。近代の構築物だけど、戦前の物資の少ない時代に児童達が集めたグリ石が整然と敷き詰められて、良質のコンク リートと川砂利とで、筋が竹でもビクともしていなかったものなんだけど... 。文化と歴史の町が聞いてあきれる。
 としたところで、夕飯後にスパトラのエンドにアクティブのクワイエットコアを入れてディスクの構成を変更して組み付けた。いかが相成りますか。
 亀石屋さんからは、ポジアース用のLED球は5倍ほどの値段になるので車体側を変更するように、と言ってきた。ここだけ回路を逆に出来ないんだ。諦めざ るを得ないな。

2007 年3月31日()はれ後くもり
 になった今、雨は まだ降らない。この風が止んだら降るのだろうか。その時毎の天気予報をやらないと、僕流の予想でしか天気はネイティブの知ったやつだけの世界だろう。
 こんな雑学を、これまで児童生徒諸君に教えたこともないし、本来なら保護者の年長者からキット聞いているはず(僕の節分の一件でもお解りのとおり)だ。 仕事に追いまくられる、あるいは、ダメだからこの街を出る人たちにして、そういった小さなこの街の伝統みたいなものを他所の地でも引き継いでいただけるの だろうか、最近はとみにこういったことを思わざるを得ないのだ。
 職場の配置が一つ済んだ。良いのか悪いのか、合併の時と同じだ。その差配をふるう一人の人物をどうのこうの出来ないが、そこそこ自然現象の重要さも信じ ていただきたいものだ、と感じた次第だ。
 蛇足ながら、自分に関係のない職場での整理整頓の一件は相当無視されているのだし、いざ、ことが起きればどういった態度をとるのだろうか?。
 昨日いけなかった蛮可夢へ行く。そこで対面したMさんの態度に結構やられた。今のJRをまともに受け継いでいるのがこの宇和島にもいるってことを考慮し て欲しいものだ、と感じた。






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