2007.04.01〜06.24

2007 年4月1日()くもり一時雨
 変な天気だ。昨夜は雨はなかった模様。早起きするが、本日は新しい職場の配置換え。妙なものだが、何やかや、ケーブル類が全く長さ不足。これが統一して 同時期に作業できない。おそらくだが、明日は始業時からバラバラな状態で始まることになるのだろう。この件について、僕は何も聞いていない。午後遅くまで 残っていても仕事の内容すら不明な僕には分からない世界、早々に帰宅するべきだ。残る人は勝手にせよ。これは、我々にとって鉄則なのだから。
 でもって少々遅い昼飯の後、SR500に装着しているスパトラのエンドを交換する。どうやら、リゾネーター機能を持たせたディスク構成では、エンドは オープンの方が良いようだ。
 このテストは雨中走行になった。春雨じゃ... 、がとてつもない雨になって... 。が、這々の体で帰宅したら止んでいた。このバカげた世界。自然には勝てないままでいる。常用のライディングウェアに撥水機能を結構持たせたものが必要に なるのだが、この類が相当に少ないのが現状だ。バブアーしかり、ベルフタッフしかりだ。雨の多いイギリス製品だが、ココ日本とでは雨の質が違う。ごく普通 の、そう、カブクラスのような雨の日のライディングウェアではあるけれど、大型オートバイででも日常も使用できるようなものが必要ではないかな、と感じた 次第。
 ほぼ1か月目に丸穂温泉へ行った。チョイトしたことがあって休業していたんだ。ま、釜が原子力になった、というところだろう(爆)。しかしホンの20〜 30分程度の入浴だが、家庭の風呂にはいるのとは訳が違う。こういった銭湯の素晴らしさが一般市民の心に戻るまでには、まだまだ先のことだろう。その証拠 に女風呂での客の会話で「家の風呂には入らんのよ。(休業中)近所に銭湯のある有り難さが分かった」とね、というのを聞く。正にそのとおりだろうと感じ る。今の宇和島市には余裕の欠片さえないような気分である。

2007 年4月2日(月)くもり(時々はれ)
 気揚々でもない が、気分はよくない。何というか、今日の天気のように黄砂のため視界が悪いのに似て、仕事の内容がカラッキシ理解できないのだ。する と、慣れている奴はそそくさと仕事に出かける。僕は何をすることもなく着座しているだけだ。ま、担当区域の状況がようやく解ったけど、日々の仕事について のマニュアル的なものが一切無い。おまけに、すべからくアナログの世界。トンデモナイ職場だ、と感じたのが今日だ。
 午後、どういった要領で当該家屋を訪問するのか、とつきあったが、これまでの職場とはエライ違いだ。何というか、やるのなら徹底してだが、それでは身が 持たない。こういったことが解った。
 夕刻、これとこれをこうこう、というのが少しずつ解り始めてきた。もう少し時間がかかりそうだ。だって、辞令もらったのが今朝だぞ。この1日で大半が理 解できれば苦労することはない。何となく居心地が悪いんだよな。やはり慣れるにも時間が必要だ。
 そうそう、本日から退庁が午後5時30分になった。これも割り切れないよな。わずか15分延びただけだが、実際には帰宅は平均でも30分以上後へずれ込 む。上司の方が割り切ってカチッと止めらせる癖でも付けなければ、電気代から何から延長分が必要経費となってのしかかってくることになるんだけどね。
 帰って丸穂温泉。しばしの時間だが、色んなことに考えを廻らせることが出来る。おもしろいものだ。角田光代 著の「さがしもの」という短編の中で、死ぬこととか、事実は怖くない。むしろ、想像するのが怖いんだ。出来事より考えの方が数倍怖い」という下りがある。 なるほどな、と感じたところだ。新しい仕事にしてもそうだ。アレコレ想像するからダメなんだよな、って。

2007 年4月7日()くもり後はれ
 夜の歓送迎会はな かなか良かった。僕は一昨日からのカゼがピークみたいだったが、結構飲んだしいろいろな人と話が出来て結構な場であった。月曜日から のことをすっかり忘れさせてくれるぐらいのひとときであった。
 しかし、身体から熱が逃げ切らない。真面目に外は温かくなっているにもかかわらず、僕は厚着をせざるを得ない。夕刻クリーニングを受け取りに行った帰 り、仲間内から「変な格好」と言われる。周りを見ると夕刻にもかかわらず半袖の人まで見かける。かというと、手袋をしてウォーキングしている人もいる。人 間の五感の内、一つでも掛けると、常人ではそれを補うスベを知らない。一面で身障者の人たちの凄さを感じ取った次第だ。
 いいようもなく酒道場へ。気候のことを聞くと奥様が昨日までは空気が冷たかった、という。が、僕には分からない。お酒(お燗)を2本だけと決めてたので 大丈夫だったが、マスターの気配りで、1本目は適温。2本目は熱燗で対応してくれた。
 おかげで、夕食の味噌汁とのマッチングがすばらしく、身体的にも安定して日記が記載できる次第だ。そういえば、煮きった卵酒より、わずかにアルコール分 を残した卵酒の方が効くようにも感じる。まさに酒は百薬の長かもしれない。もし、この後スピリッツをやると全く逆効果になるのは意外に知られていない。
 明日は県議会議員選挙の日だ。この選挙区でも選挙があったと仮定すると、もし、この状態で事務に臨んだら、明日はトンデモナイ一日になっていたのではな いだろうか、と感じる。その点、無投票で良かったと感じている。
 今、午後9時前。明日のこの頃、僕らの仲間が当選するかどうか、もう一つの結果が待っている。

2007 年4月8日()はれ後くもり
 明に咳き込んで目 が醒めた。ラジオ深夜便でザ・ピーナッツをやってた。妙に懐かしくなってきたものの、解散前の曲は何ともむなしいものに聞こえたのは気のせいだろうか。
 その後ザ〜っと眠ってしまい、起きたのは8時前だ。忘れかけていたけど、今日は県議会議員選挙の日だな。右肩がわずかに痛い。それに関節が。熱が抜けて いない。久々の風邪に対処が出来ない。ナサケナイものだ。
 午前中に小誌をアップロードした。何やかや結構やっているものだ。Bone'sトークのとおり、心の中には全く逆の考えも持っているが、やはり日常を しっかり生きなくてはならないのだろうな、と思う。
 何でも鑑定団を見た後、SRを走らせる。寒いのかどうか不明。感じられるのは体感温度が低いということだけだ。現在スーパートラップを付けているが、間 もなく純正の3GWに換える必要がある。最後の最後までキャブレターは変更しなかった。やはりSRは400が基本であろう。XT500とも違う全く別のカ テゴリーとしてのSR500を捉えるのが正しいような気がしてきた。
 県議会議員選挙も新居浜選挙区で僕らの仲間が当選した。これで宇和島市議会、八幡浜市議会、そして県議会と3人も仲間が議員になって頑張ってくれる。喜 ばしい限りだ。
 そして、「男達の大和」。つまらない映画だ。どうして感動などがないのだろうか。戦争をしてはならないということが乏しいし、生きるってことの重要さに 欠ける。妙に綺麗で、加えて3Dのいたずらがあって空々しい。戦争映画ってもので見つめると、今の日本ではあの程度でしかないのだろうか。
 先の戦争での生き残りの方々から、もっともっと話を聞いておかねばならないはずだったのに、それは出来ない時代に進んでしまったようだ。

2007 年4月9日(月)はれ
 しばかり寝不足の 中、行きたくない、行かねばならないを繰り返している。気分が悪いわけではない。少し咳き込むのはいまだに続いている。
 6時10分ぐらいから日課のウォーキング。心なしか気分爽快になる。少しずつ桜の季節から離れていくのだが、空気は以前として冷たい。不思議な季節だ。
 午前中の臨戸は1件。近所なので自転車で出かける。わずかな額だが納入してくれるものを拒むわけにはいかない。こういったところの阿吽の呼吸が、まだま だ小林稔侍がやる窓辺さんのようにはならない。少しずつ仕事になれてきているが、時として「忘れていた」とインパクトの大きいものが言い渡される。先週 だったらパニックだ。
 今日は夜の会議があったからダメだったけど、明日辺りSR500のマフラーを交換しようと思う。最初の使用は20日辺りかもしれない。
 それにしても相変わらず夜の会議が多い。ことに勤務時間が5時半までになると、会場までの移動時間が急で、落ち着いて会議に臨めない。わずか15分だけ ど、ウチの職場だけが他の出席者に迷惑をかける。PTAでも自治会活動でもこれは困ると理事者との交渉でもさんざん言ったが理解してもらえなかった。
 退庁時間が15分後になったからといって、市民サービスの向上などあり得ない。時短が一般化しているのに、市長はそんなこと一切考えていないようだ。当 然、家に帰っての一家の団らん時間も次々に後送りになる。バカゲタ世の中だ。民主党の浅尾とかいうバカ代議士が発言したことから始まったんだが、我々をい じめる前に税金の無駄遣いをやっているところはもっと他にあるのではないか、と感じているんだけど、そこは手を付けないんだ。
 憲法改訂の国民投票法案を早いとこ通過させようと躍起になっているが、そろそろ軍靴の音が高くなるのではないかな。70年前の時代へ再び戻そうという壮 大な計画の始まりかもしれない。

2007 年4月10日(火)はれ後くもり
 時間だけ休暇を取 る。ことは急だ。まずは受け取りのメール確認。これは封書でのもの。結構読むから時間がかかる。が、考えようによっては、メールそのものは はがきか封書だよな。書きたい放題書いてポッと送ってそれっきりじゃナサケナイ。やはりアナログでのメールは絶対に必要だ。そういえば海外が主だったけ ど、ペンパルっていうコトバも死んだな。「返答確実」っていう文通のコーナーも「蛍雪時代」、「高3コース」なんて世界だった。今考えると夢のまた夢のよ うな世界だな、と思う。逆に考えれば、今以上に想像の世界とかで今の同年代の若者よりも進んでいたのではないだろうか、と考えた。
 昨日のドラマの影響からかしら、チョイト夢の中で母と会話したので、朝のウォーキングがてらお墓へ行った。静まりかえった境内。霞んだ空模様にひんやり とした空気。春だな、と思うときである。
 再びTAXANのPismo用コンボドライブをGetした。真面目に動態保存である。チョイトパッケージデザインが違うので、PAL方式のDVDが動作 すればだが。
 さて、休暇の1時間、何をしていたかというと、SR500のマフラーをノーマルの3GWに交換してテストをしていた。真面目に愕然とした。
 やはり、排気ガスがどういった状況で大気中に放出されるか、マフラーの内部構造がどうなったものと思うことから始まってのことだ。交換後に走るが非常に 好調。
 が、いつもの好調と違う。しばらくの時間が必要であったが、どうやら点火プラグと思えてきた。ことに僕のSR500はコアボリウムの増大したオレブルの スーパーサンダーが装着してある。この影響も非常に多きのではないか... 。
 点火系をいじったら点火プラグか。マフラー交換に伴ってキャブを換えたりするより点火系をいじった方が実際は変化が多きのじゃないかな、とも感じた。
 ついでに、夕暮れの中、亀石屋のLEDランプの優秀性がはっきり解った。これは安価だし非常に優れている。一度装着されて、夕暮れにナンバープレート見 ると「ゾクッ」とすること請けあいだ。

2007 年4月13日(金)はれ時々くもり後一 時雨
 日はまさに13日 の金曜日であった。2本の電話対応と一人の来客をほぼ同時にこなさないとならない。しかも、僕の担当地区外だ。納税・料を間に人と人との対話だから辛いん だよね。
 勤務時間が15分延びて少し困っているが、今日中に仕上げていた方が良いと判断して作業していると、15分延びた良い面も出てくる。それは「余韻」だ。
 昔、我が家が商売をしていたとき、一日の業務が終了し、ホッと一息つく。そして帰り支度を整えて... 、という、その時間帯がフッと戻ったような感じなんだ。
 今日はどうなることかと思った天候だが、帰宅して丸穂温泉へ行き、帰ってしばらくしたら雷ゴロゴロの後ドバ〜っと降ってきた。自然の摂理は素晴らしいも ので、ム〜ンとしたものが消えていた。打ち水までは行かないが夜気も相まって少しひんやりしたものが漂っている。
 この2週間の状況から、歯科医へ行くのをすっかり忘れてしまっていた。歯ブラシを購入に門を叩いた途端、「何時にしますか?」と受付のMさんに聞かれ て、奥様(衛生士)からは「最近では無理よね〜」と言われて、今度のメンテナンスは7月でしょ、と言い返すと、そんな馬鹿な〜となって通院カード見ると3 月27日になっているではないか!。何考えてんだろう。
 月末といえば、3月末から右の耳の穴に何かが入り込んだような感じがしてならなかった。カリッコリッと耳かきに触るのだけど取れないままでいた。外耳の 奥にキズつけたこともあった。
 この間からの風邪がようやく落ち着いたと思ったら、右の耳がククッと聞こえよくなった。エ〜ッイ、と思って耳かきのネライを定めて掻き出すと、リャ リャ〜、白髪の頭髪の短いのが、エンジンのピストンピンストッパーみたいに耳の穴に入り込んでいたのだ。それが取れた途端に気分がよくなった。
 以前も同じようなことがあったが、その時は黒髪だったので、お願いした方が耳かきと綿棒で取り去ることが出来たんだが、今回は白髪で湾曲して入っていた から見えなかったのだろう。気がかりが無 くなって少しばかり気分がよくなった。

2007 年4月15日(日) くもり
 日、今日とオート バイにかかりっきりになった。昨日は久しぶりにトライアンフを出した。いいな〜、SRとの違いは何だろうか。反論はあろうが、機械が主になって製造したも のと、人間が設計したものとの差かもしれない。T-140Vの基本は1971年のT-120Rからだ。それまでのフレームから大変身したものだった。ナ、 ナント、新生(ヒンクレー)トライアンフのサンダーバードまで、実に35年にわたって連綿と続けられてきたフレーム形式なのである。トライアンフはシート チューブがオイルタンク。SRはダウンチューブがオイルタンクだ。
 さて、そのSR500はどうもクラッチが滑るようになってきた。これが突如やってくるから始末が悪い。緩い坂などでアクセル開けると回転がサーっと上が るのはいいが、スピードが来ない。回転を落とすとじわりと同期してくる。そういえば、乾式クラッチも、ここんとこメンテナンスをやっていない。
 スーパーサウンドは一つ踏み込んだところまでやったが、結局純正の3GWのマフラーに戻した。これはいずれ本文にて顛末を記したい。
 ここ数日、オーストラリア在住のSR500ユーザーから質問メールが届く。遠回しで、この質問に対してはお断りのメール的なものを送信した。僕はオース トラリアでもSR500/400の置かれたものは同じだと思う。その中で、ネットを始めとして雑誌などから情報はGet出来ると思うのだ。僕自身、東京ま で足を伸ばしている。
 こういったことをやらないと、僕は無理だろうと思うし、国の広さが広くなれば、そのリスクも大きくなる、ということを知っていただきたい。それ以上に、 SR自体も壊れないし、そこそこのパーツを組み付ければ立派に走る。
 そういったことを考慮していただいて、この関連の日記を閉じることとしたい。

2007 年4月16日(月)くもり一時大雨
 うでも書かなきゃ 今日の天気にはならない。大雨は昼前と午後8時近辺からだ。もちろん、予報では午後9時過ぎから一時的にドバ〜っと来るはずだったが、この地方特有の地 形のためか予報は狂った。幸い明日の仕事には影響がなかったのが幸いした。
 というのは、僕にとって初めての夜間徴収だったからである。もちろん月初めの夜業は全く解らない僕にとっては何をやっているか解らないわけだから仕事は できなかったが、それから2週間。不思議なもので、もう少し今日の予定外のお宅もお伺いしたい気になってくる。が、これは公務災害の対象外など、仕事外の ことになって逆にダメなのだそうだ。「こういったところがおかしい」と一般市民が言うところだろうかもしれない。
 今日は予定したところを訪問して1軒のみOKが出なかった。ま、痛し痒しのところはある。奥様が仕事の主だから、ダンナは退職しての家守に過ぎない、と いった状況もあるのが事実だしね。
 しかし、税金・公共料などというのは、納入しない人に対しての対応は難しいな。電気なら料金不払いなら四国電力がにべもなくストップしてしまう。ガスも 同様だ。水道料も最近は厳しくなっている。が、水道料や税金、それに公共料金などを納入しないなら、直ちに行政の管理下に置いて、職員が乗り込んでいく、 などという軍隊じみたことは出来ないのが実情だ。
 このように、一方的に公共サービスを止めることが出来ないのだ。不思議な世界だが、これを真実として、僕自身真面目に記載している。
 今日は遊子・水ケ浦(ゆす。みずがうら)のジャガイモを購入した。いわゆるご当地のブランド品だ。5Kgが1,500円。もう少し工夫して、1Kg入、 3Kg入などのパッケージを作ればいいのだ。これを農協の方々がやったかどうか?。疑問だよね。それにしても僕自身としては何やかや出費が多い。普段の生 活をじんわりとやりたい、と思いつつ、今日の残業がある。必須業務だ。
 そんな中、今日は帰りにゲルマンで「ニラもやし」と一杯で和んだ。疲れたときは、ゲルマンならニラもやし。酒道場なら鳥キモと捏ねである。不思議なもの だがニラもやしは効果覿面だ。そういえば、「疲れたときはニラ」と愛媛新聞で報じたものがあった。
 さ、この日記も書いたし、そろそろオヤスミとしたい。

2007 年4月22日()くもり後雨後...
 気というのは何と も解らない。少し古い話になるが、春の長雨などというものは4月の上旬であったはずだ。それゆえ、昨日今日やっていた高校総体の予選なども上手くことが運 んでいたのだが、今はどうだろうか。
 僕が思うのは、勉学重視で、もう一つの生徒そのものが活躍する場は皆無なのではにかな、と感じた。同様、本日は「宇和島憲法を守る会」と憲法改悪反対 ネットワークの面々と で行った商店街の街頭署名活動。僕は少しばかりうれしく思ったところもあった。
 ことに、高校生の中には単純に「戦争はいけんぜ」という理由から署名をしていただいた。が、今の若い者の多くが「戦争はイケンゼ」が本当に理解されてい るかどうか。我々の時代の者のように共産主義は素晴らしいなどと「北京放送」にうつつを抜かしてしたように、今の日本の状況が解っていない、ちょうど昭和 12〜13年当時の状況とよ く似ている。
 今の憲法が改定されると、若い国民の多くは一兵卒として戦地へ赴くことになる。そして武器を使って鎮圧などの業務をやらされざるを得ないことになるのは 目に見 えている。
 今、未婚の若者が結婚して親となった時、その子供も「軍隊」への道が大きく広がっていることは知るよしもない。こうやって考えを飛躍すると、その実績は 1936年当時もベルリンオリンピックにもそれは見事に現れているし、今の時代、東京で、かつての「東京オリンピック」と同じような「民族の祭典」を実施 するのは不可能ではないか。僕は今日の商店街での行動の中の裏に隠された多くのことが、これから露呈されるのであろうな、と感じた。
 その署名をしてくださった方々の中で、我が母校の宇和島南中等学校の生徒がいみじくも言った「憲法9条は...」戦争をしないという一文だよ。「戦争は イケン、絶対に」といって署名をしてくれた。
 確かに、署名の趣旨からは外れるが、現に彼女と同年代の子らが戦地へ赴くことになるように法律改正が... 。そういったことからすると、僕は彼女がいったコトバは正当化するのであって、それを葬ろうとする動き阻止しなければならない。この事実を今の政治を司る 総理を中心とした 政治屋連中は真に受け止めるべきであろう。

2007 年4月24日(火)くもり後雨
 後から雨になっ た。不思議な世界だ。というのは、予報とは若干のズレがあるにはあるが、妙に「春雨じゃ、濡れていこう」の世界が午後6時頃まで続くのである。
 僕はロンドンの雨を知らないが、おそらく少し前のイギリスドラマで傘を差して歩くのは富裕層、というコトバをチョイとこの天候において思い出した。
 確かに今の季節云々を話題に出しても都々逸の一つも出てきやしない。「今は雨かい、雨の降る夜は、二人酒」などと、ちょいと都々逸とは違うが、七七五の コトバにあてはめるのもいいのではないか。つま弾きの最初はギターでもいいが、この際だ、三味線でも購入されて爪弾くなんざ、よろしいのではないか、と感 じる。
 ま、そういったこともあって、四十数年目にして久々に職場で対面した同級生からお誘いを受けたが止めにした。マジでそういった雰囲気を楽しむことが出来 ない現 実が支配しているから... 。
 帰宅寸前、お腹が急にセッてきて、我が家のトイレでボワ〜っと軟便。風邪でもない。疲れからかな、と思いつつ酒道場へ。お燗をいい調子で飲んでいると I 氏 が久々に登場。しこたま市政、県政の悪口を言いはなった後、職場の仕事上での直接のことに及んだ。
 なるほど、と感じつつ、市役所の姿勢、ことに事業課の姿勢は旧態依然として、一般の方から言わせれば「人間味に欠けることがアル」と正直な事実だろうと 感じ た。
 そういった、これまでの職務内容のことのみを、その関係の人がしゃべって対応するのと、ネイティブの僕が相手の聞き役に回って、言い分の中から、その関 係者の言うことを精査して考えると、確実に、事業課の連中は不利の場に追いやられることになってしまう。
 しかし、実際の所そうであろうか?。一番困るのは石橋市政をサポートする市職員がほとんど居ないのである。この事実を謙虚に受け止めれば、今の宇和島市 政は姿勢を正すかのように上手く行くのにな〜、と感じたところだ。
 今、「世界的な田舎」を目指している宇和島が、「その世界に貢献できる人は居ませんか」に対してネイティブで対処できる人間が幾人いらっしゃるのだろう か?。これをクリアー出来ることは一切無い、と感じる。そういった中で、遊子(ゆす)の段畑関係で早朝のテレビ番組を見たが、新たな事業を興そうなど、そ のとおりだろうと思う。そこここの場で狼煙の上がった事業に対して、補助金をもらえれうように日々の状況、数年前の状況と、数年後のことを見比べれば、私 はそんない深く思っていない。
 あえて口を酸っぱくして言うが、ここへ行政が多くの面で関与してはならない。この鉄則を守らない結果で進み始めたのは「海の駅」ではないだろうか、と僕 は思う。
 今の宇和島市役所で管理職、裏の一般職で市長のブレーンは皆無に近い、と感じるし、例え居てもバカみたいな人数ではないか、と感じるのだ。
 おそらくは、「N」が市長になった方がいいと言う輩が多いのは事実だ。Nが約束した先のマニフェストで「市立病院の件」を出していたが、3階まで出来 た今の市立病院を見て、合併特例債を遣わなくてよかった、と必ず思うはずだ。
 それを感じないNならバカといわざるを得ない。今の宇和島は先取の云々では上手く行かない所まで来ているのだから。

2007 年4月30日(月)はれ後雨
 〜、月曜日でも休 日で仕事は 休みだ。それはそれでいいが、どうしても早朝に目が醒める。こればかりはどうしようもない。それにしても、昨日の同好のことが気になるな。午後になって関 係者のブログを見ると、昨日は高知の自動車博物館に確にいらっしてる。
 僕はというと、British Runのお仲間を自動車博物館で待って、彼らが来てSR500の僕がしゃべっている。こういった雰囲気がBike On Dayかもしれない。が、昨日の状況からするとこのイヴェントは消滅するのではないかな、と感じてしまった。
 まずは、(出展としての)自分がどういったオートバイで参加したなどをアピールすべきだ。お仲間うちを除いて、こういったことが出来な い。そして4輪のヒストリックも参加させてやればいいのに、などと感じてしまった。こういったことがないまま、1977年以前のオートバイのみが表彰の対 象になるなどは少しばかりオカシイ。こういったことを考えると、伊予市でやってたモーターサイクルミュージアムによく似ているように思う。
 真面目に古いオートバイをそこそこ愛し、なおかつ高速も走れる。こういったオートバイをどうのこうのするべきなんだ。
 ま、愚痴が立っても致し方あるまい。僕もSR500で参加したが、ホームページで紹介しているにもかかわらず... 、や、これは止しておこう。
 今日はノンビリできるはずだったが、クラッチが滑るSR500を調整した。結果は単純なことであった。つまり粉末状のカスがフリクションプレートにヒッ 着いてクラッチディスクの異常がないのに滑ってしまうのである。

2007 年5月3日()はれ
 うとう5月になっ てしまった。30日に記載はしたものの、一体何をしていたのか?。真面目に考えて、2つのメーデーに参加(とその準備)、夜間業務、春のBritish RunとBike On Dayへの参加。そして今日の憲法集会への参加... 。これだけをこなした。
 その中で僕自身の楽しみは、春のBritish RunとBike On Dayへの参加だけである。心身状態も緊張が長く続く。ことに夜間業務は1時間半程度だが、相手があることだし、日中の仕事の延長がそのまま続く。おまけ に暗がりでの1人での業務だ。相手がヤバイ立場の人間とも接しなければならない。気を遣うよ。
 そういった中、相手と世間話が出来ない職員が非常に多いことに気づく。僕など「夜分にどうも... 」ということから始まる。僕が悪いわけではないが、税金を納めていただくために天気のことから野球の話、職場の状況もそれなりに話して理解を求めなければ ならない。今の若い職員はどうもこれが出来ていないようだ。前任者のことを悪く言われると僕としても弁解が出来ない。辛いところだ。
 松山で開催された今日の憲法集会へは宇和島自動車の路線バスで出かけた。ゴールデンウィークということもあって満席に近いため、夫婦連れのご主人の方が 僕の隣に座った。おもむろに胸のポケットからキカイを取り出す。ナナ、ナンとiPod nanoではないか。僕より年長の人がnano使ってる。僕はというと1stエイジの5GBモデルだ。思わず吹き出しそうになった。しかしiPodの普及 は相当なものだということが解った。
 少し前にSound it!の5.0が届いたのでテストを行った。なかなか良いものになったが、メモリーを指定の1GB以上にしないと、すこし作動の切り替えに時間がかかる。 これは致し方のないことだろう。そろそろ画像・音楽関係だけの専用マシンが必要になってきたということかもしれない。
 明後日からは天気が悪くなるらしい。ゴールデンウィーク中で明日がオートバイに乗る最後の日になるのだろうな。早起きしていじらないとならないかもしれ ない。

2007 年5月4日()くもり一時雨
 のところの天気は この通りだ。が、予報では夜半に雨になるという。信じるか信じないかは個人の自由だが、昼間の雨には躊躇した。理由は簡単。SR500の乾式クラッチの整 備をしていたからだ。ポロポロしてきたので慌てた。が、その後は雨は降らずの状態。この地特有の現象だから何とも言えない。
 午前中は岡林信康の"エンヤトットでDncing!!"を録音していた。上手く行ったので助かったが、Sound Itそのものは解説書の通り、メモリーを増やさなければならない。使い勝手からすると、4.0には戻れない。そのため、新しいバージョンを使用するのが世 の常だ。(Windows陣営はこの点が'98関係のサポートでも解るように明確ではない)
 乾式クラッチのフリクションプレートは、ラッカーシンナーで清掃した後に多量のブレーククリーナーを吹きかけ、ツブツブが無くなるまで繰り返した。ク ラッチディスクも同様の処理をした。
 取り付けて作動確認したがOKであった。が、走ルことが出来なかったのでどうも不安。西予のT君に電話したら水酸化ナトリウムを使えとのことであった。 これって、薬局で売ってくれないよな。同じく、四塩化炭素もフロント同等のためダメ。
 じゃ、どうする?。塗装のリムーバーが水酸化ナトリウムだって、と教えてくれた。トリクロロエチレンなど入手できないのだから、なるほど、と感じ入った 次第。
 これなら原液でも希釈でもOKだし、乾かして換装すれば装着できるのだから、一般的に使用できる最強の水溶性脱脂剤だ。
 ま、そんなこんなで、SRに関することをいろいろやった一日であった。

2007 年5月5日()くもり後雨後くもり
 は雨が降らなかった。むしろ明るささえ感じる のだし久しぶりにポタリングを楽しむ。それから数時間後にゴルフの中島プロのことを放映していたが、ツイツイ忘れがちになる年齢というものを逆手に取るコ トを感じたが、早朝のポタリングも同じようなことかもしれない、と感じたところだ。
 銭もないので、朝っぱらからマクドナルドへ行こう。ハンバーガー2個だと160円で済む。が、そうは行かないのが常だ。ハンバーガーは10時からだそう で、マフィン主体のメニューでおまけに高いし、塩っ辛い。こんなのを朝っぱら食ってると病気になるのじゃないだろうか、と感じた次第。
 そんなこともあって、マクドの隣のJAが経営母体の「南くん」へ行って、おから、天ぷら、ちらし寿司を購入。コイツを昼飯にしたのだが、やはり朝のマク ドは止めておいた方がいいように感じた。
 昼前にSRを出してクラッチの滑り具合をチェック。随分と改善されているが完全ではない。今後ヤルとすると、フリクション、クラッチディスクとも一皮む かなければならないのかもしれない。
 申し遅れたが、点火コイルをノーマルに戻し、プラグコードのみツインコアに変更している。しっとり感が出てきたように感じる。後日報告をしよう。
 夕方、雨が小降りになったので、丸穂温泉へ菖蒲湯を楽しみに行く。勝負の束で身体を叩きながら「治ってください」と願った。年ごとの習慣とはいえ、銭湯 ならではのこと、家の風呂でヤルとなるとひんしゅくを買うことは間違いない。
 フトした切っ掛けからスーパーサウンドのディスクをスーパートラップへ移植してテストすることを思いついた。確かに以前テストしたが、どうも完全に項目 を昇華したとは思えない。それ故のコトだ。斯うご期待とまでは言えないが、上手く行きそうな器がしている。
 明日は午後からでもお天気になってくれればいいのだけどもな... 。

2007 年5月7日(月)雨後はれ
 の雨は8時前に上 がった。昨日は「上手いこと行った」とほくそ笑んだところで、やっても〜た(酩酊)になって日記が記載できなかった次第。もっとも午後からのオートバイい じりで雨との格闘もあるにはあったのだが... 。
 連休明けで、比較的ノンビリだったが、早くもやらねばならないことを忘れてしまっている。こんなコトがないように、区切りのいい日は休日ではなくウィー クデーであって欲しい。
 SR500に装着しているダイシンの乾式クラッチが滑る件で電話をする。ダイシンのテストでは最長25000km走行頃にクラッチが滑り出すそうだ。フ リクションプレートは新品に、クラッチディスクは修正、プレッシャープレートは修正加工するとして、返送してほしいとのことであった。
 僕のSR500も装着後20000km以上程度走行しているので滑り出すのは異常ではない、ということが判明した。2諭吉程度は必要だが、湿式でも同じ コトだし加工賃加えると、(金額は)もっといく。
 ま、昨日フリクションプレートを一皮剥いた。ただし、ベースがアルミのため無理が出来なかった。そのテストを兼ねて夜の帳が下りようとしていたが、 ショートコースを走らせる。やはり滑る。
 が、改造スパトラが調子いい。これはエポックメーキングみたいな改造であったのだが、どうやら的を得た改造であったようだ。
 しかし、15分勤務時間が延びると、後の予定が立たなくなる。たかが15分、されど15分というところだろうか。

2007 年5月10日(木)くもり後はれ
 奇しくも今日はクローズアップ現代の後、ほとんど創作気味のNHK愛媛のマンダリンパイレーツ関係の放映があって、後者を見つつ、僕は 「アホちゃいまんの?」といいたくなった。
 クローズアップ現代は、全く地域の人気野球チームである。愛媛にそれを当てはめると、マジで愛媛FCそのものである。ここにマンダリンパイレーツをはめ 込むのは相当な勇気と、反論を受けても絶対に動じない代表的な人物が必要だろうけど... 。
 放送では有馬君が大学時代の石毛君の後輩ということから話が始まる。球場で牛鬼を云々のために市役所に申し出、という下りで放映があったが、実際は宇和 島市役所・丸穂牛鬼保存会の牛鬼ではないものが出た。役所で応対したK君は指揮者としての参加だから、自らがやるものとは大きく違っていたはずだ。
 このニュース番組を見ながら、有馬君はドット座っていて、仲間にやらせ(ては間違いで、ボランティアだから率先して楽しみつつ仕事をしているので)、イ ンタビューで率先している姿を見せればいい。こういったことは一切ない。
 パイレーツは負けた。これがパイレーツの実力だろう。そういった中で「プロの世界に通じるアスリートを育てる」といいながら、当の石毛はスゴスゴと代表 を辞め、中央では結構いいことをしゃべっている。
 これは成果が上がらないために採った石毛の逃げのパフォーマンスだ。本来なら、彼はアイランドリーグのトップであってスポークスマンであるはずだ。
 それが一気に辞めるというのは何やらおかしい気分気なのである。あんな下手くそなチームからプロのスカウトが目を付ける選手って、一体何人いるんだ選ろ う。マジで終戦までの時間は長かったという次第であろう。

2007 年5月11日(金)はれ
 収も日によって異 なるから、収納率などからすると結構気を遣う。おまけに徴収相手はもとより職場内での対人関係も入り込む。妙な話だが気が抜けない。ログインができている 職場の端末は、ネット上で他人の端末へ入り込んで行動状況などの閲覧は実害が無いとして許可されている。
 以前、僕は備忘録として記載していたが、最近コイツをプリントアウトする輩がいることを発見したので、僕は記載をしないことにしているところだ。職場の ネット上では端末を私 用目的で使うな、と管理者は言っているが、少なくとも各職員の行動予定などは実害がないとされているものの、職員名も出てしまうし、このようなもののプリ ントアウトは出来ないようにすべきだ。
 いくら職員側が情報漏れに留意していても、システムの根本のところに盲点がある。この責任は誰が負うのだろうか?。公務サイドの職場ネットでは意外とこ んなところに落とし穴が存在しているんじゃないかな。
 この2週間、退庁後の自由時間が一切無かったことに気付く。冒頭のような職場環境なので、帰宅するとガックリ来ることもしばしばだ。1日の大半の業務が 個人に 任せられているから、その内容の疎密をなるべく均等にするなどのことをしていると、けっこう気を遣うのである。
 そういったことで、とうとう今日は夜の会議を欠席した。明日は松山だ。結局、日曜日が休みということになるのだが、これまでのツケが一気にやってくる。 やりこなせなかったものが積み残しになって... 。この歳で未経験の仕事に慣れるのは、随分と時間がかかるのかもしれない。
 そんな中ででもT-140Vの大きい修正などを考えている。まずはゴムホース類を新品に交換しなければならない。錆びてはならない部分のボルトナットの ステ ンレス化などなど、結構細々したものが待ちかまえている。もう少しのところで安心してライディングできるところまで来ているし、これまでの経験からする と、こういった作業は結構楽しいものだ。
 そういえば、最近クリエイトとしての物作りを一切やっていない。うかつだったな。酒代をオーディオアンプの金に回すべきだったかもしれない。
 が、最近は優れたトランスが無くなってしまった。こういった困難にも対処する力も必要なんだけど... 。こんなコト思っていると仕事も同じだ。堂々巡りしている自分のコト思うと吹き出してしまう。

2007 年5月17日(木)はれ
 瞬、遠くからサイ レンの音が聞こえる(ような気がした)と、同時に多数のサイレンが一気にやってきた。職場の窓から南東方向へ目をやると、黒い煙が上がっている。火事だ。
 しばらく時間が経過して、電子サイレン音が聞こえた。おそらくレスキュー先勝の消防車両だ。もしかしたら死者が出たのかもしれない。それから10分程度 遅れて消防団の最後の消防車が出動。
 およそ1時間後に鐘の音を鳴らしながら消防車が帰ってきた。つまり鎮火したと言うことだな。
 結果は、焼け跡は残骸も少ないため、相当な火力で燃えた。一人死亡であった。
 仕事の途中、車での移動。交通安全週間で、公用車にもかかわらず、交通指導員からギフトをもらう。交通安全協会、県警のみならず、市からも経費が出てい るのだろうけど、こういったときの対応って、実際難しいものがあるな。
 一昨日からMac用ATOK 2007の試用版を使っている。早速おかしいところが出たよ。つまり、コマンド(ウィンドウズで言うAlt)キー+スペースキーで英語、日本語の切り替え をするのだが、それが出来ない。これが出来ないとなると、文章をタイプするとき非常に困ることになるんだ。やむを得ずATOK 2006へ戻した。
 以前はこういったβ版に対してはリキ入れて対応していたが、完成版でも数回アップしてしまうから、そんなにリキ入れる必要はないんじゃないか、とも考え る。

2007 年5月18日(金)くもり
 人舞台で一人芝 居。でもいいよな、今までこんなコトできなかったもの。
 というのは、軽自動車の納税通知書の一件だ。軽自動車税は全ての車両に共通の金額になっているから、同一世帯なら同じ封筒で届く。納付書の枚数は5枚。
 この基本を税務課から知らされていないから、「私の分がない」とかいう、おかしな問い合わせが多いものだから、少しばかりマニュアルを作ったわけだ。 ま、一部早とちりをしたが、これはこれで良かった。保存しておけば、次年度新規に当課へ来た人にも通知できるからね。
 これが、今までの課(税務課)だと、隣の席にもかかわらずメールで届くことになる。これが現実... 、ン、本当にそうだったんだ。
 午後からW邸へ滞納分を受け取りに行く。テレビを見ながら立てこもりの進展について聞く。ま、一人死亡のまま(午後8時45分まで)進展無いとのこと。 弾も100発持ってるらしい。
 いつも感じるのは、職場の仲間で、徴収先でこんなことを話できないのか、と思うのである。もし出来ないなら、それは金の亡者で公務員というロボットでは ないか、と感じてしまうのである。ホント、小林稔侍演ずる窓辺さんではないが、この世界で人情が無くなると、ギスギスしたものがはびこって潤いがない人間 関係のみが残ることになりそうでならない。
 夜の映画劇場のパッチギ、今放映途中だけど、当時のこと知ってる僕の年代だと、マジ、キュ〜ンとなるところがある。もちろん、今だからそう思うところが 多い。僕らはそれをマジでやってたもの。紅衛兵はスゴイとか毛沢東思想バンザイとかね。
 が、もろくも崩れだしたのは、ファッショが主としての共産主義は絶対ダメと感じたころからだ。文化財まで葬るような紅衛兵のバカども、それを指導した中 国政府幹部が、5人組処分までほとんど無傷できたことに何も反論が起きなかった中国の実態を知ったときからだろうか... 。
 イムジン川か、フォークルのCDで購入したのは最近だ。
 当時、「お早う720」で1回だけフォークルがやったテレビ放映を見たのを最後に、発売延期は数十年に及んでしまった。昨日、南北の垣根を越えて列車が 試運転されたが、統一までにはまだまだ時間が必要だろう。

2007 年5月19日()くもり後はれ
 はひんやり。妙な ことで、4時近くから目が醒めて眠れなくなった。そう。今日は夜に特別な寄り合いがあるんだ。その時に画家の森本君が同席する。彼の希望していた紅殻塗り の家の写真を渡すことが出来る。
 そして、明日の「世界規模の田舎 宇和島」の講演をする雑誌オレンジページの北山氏の歓迎会。彼は我々と同級生で、愛媛県立宇和島南高校3年8組という が、7組8組の連中で異端でない奴は、ほとんど知らない。当然彼のことも知らない。
 午前中はオートショップワタナベへ、発注部品を受け取りに行ったが入荷していなかった。午後は職場の同僚との約束で、北フジへ軽自動車税の納税に出向 く。想像以上に立ち寄る納税者は結構多いものだ。この件は明日と来週の週末2日間、所有車の税金を均等にフジで納入となる。
 夜の宴席は、ま、この程度だろう、というところで、二次会までの段取りが悪いので、そのままK女史と帰ってきた。
 北山氏へは、森本君からのレクチャーもあるだろうけど、やはり、今の宇和島を語る地元の誰かを用意していないと、明日の北山氏の講演は難しいものがある ように感じる。
 世界規模の田舎ってたって、言ってるのは宇和島の一部、しかも行政側のトップが言っていることだ。これはオカシイよね。北山氏の講演が、それのいいわけ になって欲しくないのだ。
 かつて、宇和島で生活し、今は都会での生活が基盤となっている。そういった生活をやっている者が、改めて宇和島のことを感じるままにしゃべって欲しい。 それだけを願って、本日はオシマイ。

2007 年5月22日(火)はれ
 曜日から本日まで 夜の席が続く。本来なら日曜日に行われた北山君のことを記載すべきところであったが、これは後日本文で記載することとした。夜の席ったって、お酒の席だけ ではないんだ。本日は憲法を守る会の総会。昨日は近所の寄合とね。
 そうそう、15日にATOKの次期バージョンのβ版をダウンロードした。早速使っているのだが、どうもcomandキー+spaceキーで英語・日本語 の入力切り替えが出来なかったので、障害受付サイトへ申し出ておいた。
 その対処方法が本日届いた。結果はOK。気をよくして使っていると、タイピングに伴う表示がATOK 2006より速い。これは実に気持ちのいいことで、製品版にも対応を願いたい。
 もう一点は「状況」のタイピングはJYOUKYOUだ。が、これまで時として「女王強」と変換してしまう。2006版でも時として起こっていた。これが 今のところ出てこない。若干速い速度でタイプをしても正確に変換する。これも気分がいい。
 今日からプロ野球は交流戦だ。不思議なことだが、これがおもしろい。巨人軍が負けた。そういえば、昨年と同じにならないように... 、と思うのは僕だけではないだろう。もう一つ。ロッテ・中日戦がまだやってるが、ロッテが勝つだろうから、そうなると本日の6試合は全てパ・リーグのチー ムが勝利したことになる。不思議な現象だ。

2007 年5月24日(木)はれ後くもり
 ォ〜、昨日は頭に 来たぞ!。実名を上げてやるが、九州にあるレッドバロンの一支店からの問い合わせ電話に頭に来た。
 このことの詳細は別項で記載するかもしれないが、最初と最後に電話で話した人物と、途中で同じ名前で受けた人物が同じ名前をかたりながら違う。ここから 始まったんだ。
 いきさつの説明を聞こうともせず、僕というか、宇和島市役所を相手にして、まるで(言いたくはないが...、と言いつつ)名変による廃車の自二に税金を 払え!というのは詐欺をやってるようなものではないか、と言いヤガルンダ。
 もし、僕がレッドバロンの雇われ人だったら、今回のように自分が元自二のオーナーのようには言わないはずだ。もっとも、元オーナー自体がウチ(市役所) へ問い合わせをしてくれれば、ことは、ここまでにならなかったのに... 、と感じた。
 本社は愛知の岡崎だ。過去、これまで結構とやかく言われるココは、今回の一件からしてもトンデモナイ会社であることは明白だ。ロードサービスのコマー シャルもやっているようだが、宣伝どおりとは思わない点も多く浮かんでくる。
 ま、レッドバロングループは要注意だな。いまでも「ヤマハ・オートセンター」を引きずっているとなると、ヤマハユーザーとしては頭に来ることと共に残念 なところだ。
 こういったことがあったんで、気分が悪いまま出かけたんだが、今日は僕の職務の一つをやった。意外と係長職としてヤレル、というより、これまでは第一線 の方が多くて、本来の取りまとめ的なものがやれなかった、というのが本当のところだろう。
 昼休みに、トライアンフのことでコヴェントリーの清水さんと少しばかり話をした。僕のT-140Vの調子が良いものだから、ツイツイ電話が長くなってし まう。
 コヴェントリーは、最近チョッパーの車両が多いっていう。久しぶりに訪問したくなったが、最近は東京出張も少なくなってしまった。
 運良く、僕の担当地域で業務終了後の夜間徴収をしなくてもよくなったので、「友近としろう」を励ます会に参加した。
 J2誕生の裏方で愛媛FCのキャプテンの一端をもう少し述べればよかったが、議員候補としての考えなどはよく解った。7月22日は久しぶりにおもしろく なるぞ。
 ATOKのβ版での一件に、逆にお礼のメールが来た。ワープロ専用機(古〜)と同じようにキートップを叩くタイプの僕としては当然だが、結構、変換でオ カシイ面は出るものなのかもしれない。本日はβ版の2ndタイプをダウンロードして使っている。
 ほんの少しのタイプだが、「変換せよ」のアンダーラインの出るのが速くなった。変換はこれまでどおおりだし、もし、辞書が2006から移行できるような ら、β版といえども相当なものになるのだが、これは製品版を待とう。それにしても気分がいい。

2007 年5月26日(土)はれ
 か黄砂がヒドイ。 それに昨日の雨が重なって、どんより気味の朝になった。木金の一件があったんで、少しばかり... 、ではあったが、気分は悪くない。前職場ではこのようにスッと転換にはならなかった。今でもタマにあるそこからの問い合わせのこと考えると、前職場では結 果が勝手にデータ化されたことは、やった本人のことが反映されず、キカイが勝手に記録してしまうことへの不安と恐ろしささえ感じてしまう。
 本日は労働者福祉協議会の昨年からの行事である「遊子・水ケ浦の段畑サツマイモの苗の植え付け」である。8時過ぎにT-140Vで出る。なかなか快調。 途中エネオスでガソリンを補給して8時45分に到着。
 久しぶりの段畑だが、写真の通りだ。景観云々に選ばれたとはいえ、実際の状況からすると、これからの行き方には疑問点がないわけではない。

 

 帰って気付いたのだが、右の脇腹から脚にかけて痛みがひどくなっている。何が原因かは不明だが、動かしながらの養生にならざるを得ない。時として発生す る痛みで、日常生活では感じないものだから辛いところだ。
 明日は松山だが、残念なるかな、会議の始まりが早いためバスで行くことにした。もう少し時間に余裕があればオートバイでも行けるのだが。
 1日中NHK総合テレビで愛媛のテレビ放映50周年をやってた。段畑同様、別項で記載するが、歌手の秋川氏が西条の楽車(だんじり)に毎年帰ってくる、 という自身の話を聞くと、宇和島出身者とは月とスッポンだ。
 この間の北山君の話の内容とは少しばかりかけ離れた記事が愛媛新聞に掲載されていた。違うとは言わないまでも、彼は記事に記載されたような農業主体の生 き方など協調したわけではない。
 この理由は簡単だ。記者が途中で退席したから、後半にしゃべったことは無視されて記事を纏めたと断定してもイイ。となると、こういった編集の記事を許し たデスクは... 。僕が記者の立場であれば、もっと違うことを記載するだろうな。
 サラリーマン生活から少し遠のく場として、私(北山)が自然に接するために選んだその一つが、千葉の鴨川での農業体験であった。
 そこから、たまたま一緒になった画家の森本君が同級生で、以前に言われていた宇和島のことをフト思い出して、都会から見ると素晴らしい宇和島。生活する には難しいかもしれないが、地道に今の職業をやっている人々がいる限りは大丈夫だって、と言った記事に... 。
 こんなことからすると、宇和島など気にもされないようなものだろう。宇和島出身者で、和霊様のお祭りに毎年帰ってきて、牛鬼でも担ぐ奴が一体何人いるの だろうか。

2007 年5月28日(月)はれ
 、いきなりビック リの状態になった。「頬キズあり」の方が2階へ出向いている。市が何かやらかした... 、と思ったが、何のことはない。今日から6月議会の開会だった。ということは、彼は議員か。もっと判る格好できてくれ。
 その格好たるや、オールバックの髪、金縁のメガネ。紺のアロハにブルーのスラックス。これでその筋のメンバーと誰が疑うか?。ダイタイやね、昨年はアロ ハを着るのはイイがスラックスの中に挟み込んでいたのが大半だったじゃないか。
 にもかかわらず、今年はアロハとボトムがチグハクなんだ。ライトグリーン、アンバー、クリーム、ライトグリーンならボトムは濃い色でもいいが、濃い色の アロハに濃い色のスラックスなら、ムサイだろが〜。
 本日はホクレア号が宇和島へ来た。みんなはエクレアって言ってたが、それはお菓子だ。といっても実際の発音はエクレアかもしれない。ま、ムサイ男達が風 に乗せて昔の人の旅を再現するんだからスゴイものだ。
 今の日本で、こんなバカげたことをどうにかして実行に移す奴っているのだろうか。それは無いと言っても過言ではない。市民の多くが行政をはじめ、何もか もが主 としてやってくれそうな者へオンブにダッコの状況だもの。
 さて、松野町が鬼北町と一緒になりたい、と昨日の住民投票結果が出た。宇和島市と一緒になれば、おそらくメリットはないだろう。それほどのものが、大き い都市と一緒になる当然のことのように存在しているからだ。その面からいえば、昨日の住民投票は、ま、良い選択をした、といえるだろう。が、合併を境にト ンデモナイほど、旧町 の諸々は無視されることになる。これをよく憶えておいて欲しいものだ。合併を甘く見ると、今日自殺した農林水産大臣のようになるぞ。当事者は居ない。結 果だけ残った... 。

2007 年6月1日(金)はれ後くもり
 ー、疲れたぞ。仕 事上のことだから、実際は記載したくないが、我々の職務上の特権から判ることだろうけど、街のことは悪く言うくせに、自分だけがイイとして税金を免れるこ と以外、逃げを通すのを平然とやる奴らが居ること自体がおかしい、と感じた。ことに貧乏な自治体では... 。
 じゃ、裕福な自治体はどうなんだ?。これは逆にいうと住みヅライ一面もあるんだ、ということがよく解る。
 たとえば、都会へ行くと職なんてものは日銭を稼ぐのなら、若い人にとっては結構存在するような感じがする。もちろん、その感覚は「宇和島」に住んでいる 住民として都会とを比較してのことからだけど。
 逆に、都会の考え方で宇和島を眺めると「何もかも安いし、便利さは少しばかり我慢すればいいんだし」という考えが浮かび上がる。
 僕はココの住民の意識をそういった状況にするため、この街の住民意識の中に欠如しているものは、住民の集団性というか、街全体としての一体感が一切無い ことではないだろうか、と考えるに至った。
 ということは、この間の講演で北山君が言っていたように、暇でもイイから、ジミチに生きることなんだ。そう、それがないんだろうな。僕の言うことに反論 は確かにあろうけど、僕だって、35年前の学生時代1日100円で生活したこともあったよ。今のレベルで言うと1日600円程度だ。食に対しては今より不 自由してた。カップラーメンだって150円していたんだしね。
 もっと古い高校時代は牛乳配達のアルバイトしてadidasのシューズを3足ほど購入した。その時の1足は12,000円だ。何とかして、と考えて一心 にやってた。しかも高校3年の時の1年間に。今の高校生は、こういった労働のことは許さない方針だし、そういった学校生活から「生きる」なんて意識は生ま れやしない。
 どうだろうか、僕は今の方が遙かに楽な生活をしているし、その生活から一つ低レベルの生活を一切しないという、この地方のバカ住民の性なのかもしれな い、と想像する。よりよい生活を目指すのは結構なことだけれど、そのために、この街を... 、いや、よそう。
 ま、間もなくトンデモナイ封書が皆様方のお手元に届くだろう。それが届けば、小泉君、安倍君の生き方が... 。引いては「お前さんのところはお前さんでやンなさいよ、国は知りませんよ」とした、本当の意味が解ることになるのであろうな。
 ましてや、この街ではインターネットなんて、一握りの連中しかやっていないのだから... 。

2007 年6月3日()雨後くもり
 がしとしと降っ て、何とも気怠い... 、のではなく、気温も上がらないし、どこか秋の雨のようにも感じてしまう。
 昨日からホームページのアップロードへの纏めをやっている。ネットスケープの動きが少しおかしくなってきている。OS Xもかなり進化したからネットスケープも... 、にはならないのが世の常だろうな。今からHTMLの本を読んでみたところでタグの部分だけではないだろうか。
 午後からはフロッピーへ収めたJPGファイルを小富士商会さんへ持って行き、写真のプリントをお願いした。今回はS1-proでの画像だけれど、これか らはこの手法での写真が多くなるのではないだろうか。そこそこの画素数での一眼レフなら、デジカメ〜銀塩プリントの方がどことなく写真そのもの、というイ メージが強い。
 もっとも、フィルムの良さが再認識されてもいい頃なのだが、これにはもう少し時間が必要ではないか、と感じるところだ。
 おー、今日は早慶戦だったな。ハンカチ王子見てると、楽天のマー君の方が強くなるな、と感じた。ソフトバンクの杉内にしても、当時と現在とを比べると、 育て方一つだな、と感じる。
 育てる側の意向に対して選手側がどう応えるか。ここんところが上手く行くと、いい選手になるんだろう。その意味では、今日の慶応のピッチャーはプロが目 を付けるところだろう。
 野球の後、「南海の狼火」のDVDをさらりと見た。映画の中で見落としていた、かつての宇和島市内の様子が分かった。その後、雨上がりの中、丸穂温泉へ 行く。
 帰りに夜の街へ変貌するところを見ると愕然としてしまう... 、となるのだが、最近はどうでもいいように感じて来だした。
 映画の中と大きく違うのは、中心街であったところが、そうではなくなってきている。庶民相手の商売の拠点が周辺に移ってしまっている。にもかかわらず、 かつての中心は自助努力をしない。
 決して落ちるところまで落ちるんだな、って捨ててしまうことではないんだ。様子が日毎に変わるからどうすることも出来ない、というのが僕の思っていると ころだ。
 街ん中全体がどうも浮ついているようで、こんな時に何とかしなきゃ、とやってしまうと必ず失敗する。それをやろうとしているのが宇和島市政のような気が する。

2007 年6月6日(水)はれ
 雨入りは若干遅れ るそうな。朝からいい天気なのだが、蒸し暑さは陽が照り始めると同時にやってくる。ここは夏場になると太陽が北寄りに上り始める。ということは、毛山の裾 野側からになるので、夜明けが早くなるわけだ。
 残念ながら海に沈む夕陽は一定だから、太陽の軌跡によって朝が早いことは、2階が居間の僕としては若干睡眠不足になってしまう。
 昨日はビアガーデンと二次会のスナックで結構やったから、少々落ち着かない。水を多めにとって静かにしていた。7時半頃になると急激に腹が空いてくる。 昨夜の厚揚げと菜っ葉の炒めたのと、調理パン。それに水で、ようやく落ち着く。
 5月末の慌ただしさからようやく解放される。と、間もなく今年度の滞納整理が始まる。「何処まで続くぬかるみぞ」というところだな。そして、来年の今 頃、同じような考え... 、否、もっと悪くなっているのかもしれない、と感じるところだ。
 時間にゆとりが出ると、今度は資金が底をつく。いつものことで何ともはや、ツイテナイよね。あと2週間。結構厳しい状況だ。
 それにしても、夜の会議などが多すぎる。自由な時間が本当にほしい。

2007 年6月7日(木)はれ
 ムスン事例は規制 緩和の一件として実に愉快だ。浅学な僕でも法律違反ではない、と感じる。同系の会社でも役員が違うのだし、そこへ譲渡することに対してモンクは言えないん じゃないか。
 政治家や官僚は動議に反するなどとのたまうが、こんなの民間企業じゃ日常のことではないのか。介護や病院などを経営する企業が人道上、真に反することと かは別として、同じような内容で同じような業務を別の会社が行うわけだから、コムスン側が「今までと変わりません。安心してください」とでも出せばいい が、これが出来ない。この辺の問題が表に出ればいいのだが、今度は企業が出さない。ということは、譲渡が決まる今月末まで待たなければならないのだろう な。
 ま、小泉君の置きみやげだ。三位一体の改革の問題は一杯ある。骨太の改革なんぞ最近は耳にしなくなった。
 年金問題にしても同じだ。僕など息子の年金を掛ける側だったが、同じ通知書が2年連続できた。「年金を納めていないので、納入してくれ」という頭ごなし の言い方を伴ってだ。
 電話ではラチがあかないので、事務所へ行って交渉する。これはどういったことだ。当然、同じ年に納入した時の領収書は提示した。「わかりました」という のがその返答であった。これで安心。
 が翌年、再び昨年の掛金の納入がありませんから納入してくれ、と来た。悪いことに、先に現年分の納入通知書が来ているにもかかわらずだ。コード番号など 一切変更がないのにどうして?。
 再びモンクを言いに行くと「名前はH○○○○○さんですよね」ときたので、違う、T○○○○○だ、と。「すみません、呼び名が間違っていました」と返答 された。
 謝罪も何もない。これだけのことだ。僕は愕然としてしまった。当時の手続きの状況からすると、確認が簡単だったな、と思い出す。
 納入する側でもこのザマだ。何千万のおかしいデータが残っているのも解るような気がする。それの処理を「1年間で完了する」と安倍君がおっしゃった。
 自民党(幹部)も薄情だな。「そういったことですから、最終責任は総理が取る、ということでしょ」とね。出来るわけがない。
 サミットで安部君の全てが目立ったものにならずに終了したら、参議院で可決するものも少ないのではないだろうか、と考える。
 もう、7月22日は騙されないだろう。

2007 年6月9日()くもり時々はれ
 日は職場の仲間と ビアガーデンへ行って、結構楽しかった。その後、数人で蛮可夢へ行って数曲歌って帰った。が、その後は爆睡。
 本日は7時頃まで眠っていた。新聞で「お早うサイクリング」のことが出ていたので、明日は赤松遊園地まで行ってみようかな、などと考えつつ、ポタリング をやることとした。
 朝の外気はいつになく涼しい。空はどんよりしている。梅雨かな?と思いつつペダルを踏む。須賀川まで出たので川岸を走りつつ、昨年末から何やら工事して たが... 、と振り返ってみると普段と変わらない。おそらく川底の浚渫(しゅんせつ)工事であったのだろう。間もなく河口の埋立の概要が分かるようになる。三代前の 市長の時の漁業補償が9億円であった。もう、こういったことを知っている者も少なくなったな、と感じる。
 帰りにステファニーでパン。帰って新聞をもう一度見たときに、西予と宇和島での強盗事件のことが出ていた。あ〜、ホンダの白バイの不思議なサイレン音か ら始まった昨日のパトカーの緊急出動はこれだったんだな、と思った。
 午前中は小誌のアップロード。99号を迎えた。七月は100号だ。8年と4か月。良く続いているものだ。我ながら感心してしまう。ギターのことを新たに 起こした。オートバイやMacと違って、少し変わったところからの記載になるが、どう感じられるだろうか。
 若干不規則になったが早飯の後、昼からは、ますだ歯医へ。本来なら3月末に診察だったんだが、人事異動の内示の関係からスッポカシテ遅れてしまった。
 本日は前の上右2番3番と左2番の樹脂充填が歯の治療。その後はいつものメンテナンスだ。
 S歯科衛生士より、下側前の左右1番2番の裏側の磨き方が良くないとの指摘を受ける。ハイ、解りましたでは済まない。今日は実際に歯ブラシを持たされて 実習。その後、超音波での洗浄とフッ素塗布でおしまい。4か月後の10月にメンテナンスをうけることになる。
 よく考えると、僕自身の歯が、まだ33本もある。うれしい限りだ。これで満足な食餌が取れるだけでも食生活は相当なものだ、ということが最近になって解 り始めた。
 夜は楽天が巨人にボロ負けした。巨人はV9当時のユニフォームだ。肩口のadidasマークが気に入らない上に、真にアンダーソックスの上に土踏まずを 通すストッキングを着用しているのはコーチのお一人だ。
 負けた楽天はといえば、野村監督が、古き良きストッキングを正しく着用されていたのは何かのいたずらだろうか。もっともV9当時ったって、知ってるので 僕ぐらいの年齢だろうから、実際は「ダサイ」のかもしれない。要は着方にセンスがないんだ。

2007 年6月10日()はれ
 そらく、こんな天 気は梅雨入り前では最後のように思う。朝は昨日記載したとおり、お早うサイクリングで赤松遊園地まで走る。
 途中、O真珠さん宅が、昔と変わらない姿で建っているのを見ると、ふと、映画「南海の烽火」の撮影現場の今を見て回りたい気分になった。おかしいもの で、これが1日中消えなかったのである。結局30km程度を自転車で走った。
 朝はウィリーウィンキーでパン。昼はいなり寿司とうどんどん兵衛。何でも鑑定団を見た後で、S1-Proを手に出かける。まずは、商店街の撮影。今でも 残っている店舗名を聞くと妙に懐かしいが、この映画そのものを知る年代が少ない。
 周りの風景も変わっているので、その場を断定するのは難しいところもある。話は違うが、元の闘牛場へ行った際、進入路手前の石段が草に覆われている。こ のことからすると、段畑でも元の山に戻るには10年もかからないのではないか。赤松遊園地から見た九島の状況を見ればすぐに解る。
 ま、一応の確定は出来たが、纏めはそのうちに小誌で紹介したい。
 周りながら、フトしたことが頭を過ぎった。当時と比べて確かにいい世の中になった。が、どうして今のような疲弊した世界になってしまったんだろうか?と いうことである。僕はウスウス解っているけど記載はしない。
 色々難しい。そういえば、職員団体の集まりで、「宇和島市民であれば、新造船の進水式など幼児や児童に見せるべきではないか」と言った方がいらっした が、そのとおりと思って、教育委員会へ打診すると、相当な難色。商工観光課へ行くと分からなくもないが、教育委員会へとやかく言っても、ほとんどダメだ よ。ことに保護者の意識がね」とのことであった。
 すこしばかり走りすぎた。明日筋肉痛が出ないよう願うばかりである。

2007 年6月11日(月)はれ時々くもり
 分よく起きたが、 トイレットペーパーが不足。通常は妻が用意するのだが、こういったときは僕が買い出しに出かける。天候と妻の勤務がフィットしなければ洗濯もする。食事の 後片付けは妻がシンクに洗い物を置いておけば、僕の食事が遅くなるわけだから、通常は僕が片付ける、といった具合。
 そういったことで、別に気にするほどのことでもない。呼ぶときは通常名前を呼ぶなど、普段の家庭とは少しばかり違うかもしれないな。
 気分良く起きたのとは別に、昨日の南海の狼火のロケ地の現地スナップで一か所だけ断定できないところがあって、それが分からない。職場の通に聞くが、生 まれていない連中も多くなってきたし、絶望であった。
 その場所はトラックが来て、ならず者が須賀の闘牛をぶん取る。海女さんがサザエを投げる。念仏の政が来て野村とのシーンから自宅のシーン。
 自宅シーンは大浦の○○真珠だから、このシーンまでのカット割りで、撮影場所を3か所も変えるとは考えられない。この辺から、あの場所がどこか?になる わけだ。ワカラン。
 夜の会議をこなして、夕食のカレーを食べた後、再度DVDを見つつ特徴だけをメモして頭の中に入れて、今度、同一場所を探そうと思う。
 もう一点の問題点はS1-Proの画角だ。35mmフィルムサイズの1.4倍程度ぐらい。となると、35mmのレンズが標準の50mmにフィットとなる ようだ。が、AFの35mmっていうのがレンズメーカー製に乏しいのだ。もちろん、対コスト面が大きいんだけど。それにスタイルも。このレンズもディスコ ン、モデルチェンジが激しくって困った面があるのも事実だ。
 デジタル一眼レフもCCDのサイズと画角の統一を図るべきではないかな、とも考える。もっとも、フィルムカメラでもファインダー視野率というのがある し、この統一も考えられていない。その上に、デジタル一眼レフではボケの妙味などマニュアルで使用する以外難しいのが現実だ。
 これらは、パソコン上で確認すればよく解る。こういった統一感のないものが、ある程度一定となるまでには相当に長い時間が必要になってくるようだ。

2007 年6月17日()くもり
 から不安定な天候 だった。お早うサイクリングは愛宕山だったので、晴雨にかかわらず行く気にはならなかった。早起きはしたがテレビのお守りをしていた。ま、途中パラリ〜っ と雨粒を感じたし。
 朝飯はステファニーで買ったパン。その中の一つに、母が考案したホットドッグを創るためのパンが入っている。これがシンプルな塩味だけ。このパンを待っ ていたのだ。これで、もう少し大きければいいのだが、ま、致し方あるまい。ブツはそのうち紹介しよう。
 昨日はとうとう図書館へ行って、昭和35年の7月〜8月にかけての新聞を閲覧した。映画「南海の狼火」に関して、記事の中に思わぬものを見つけたので、 本日 の午前中住宅地図を丹念に調べる。
 下波(したば)の権現山が見えて、あの角からトラックが来る。そのシーンは海上の右に半島あるいは島、左に島というこのシチュエーションにようやくぶち 当たった場所を見つけた。詳しくはいずれ報告するとして、図書館所蔵の新聞で読んだことが47年過ぎた今、あの時の多くのことを知る人が非常に少なくなっ てしまっ ている。これで、伝統文化だなんだかんだといったところで、やらせる側のエゴのみが走っているのではないだろうか。これでは文化都市云々とはとても言えな い。
 そうそう、今から22年ほど前でさえ、高校野球選抜大会で宇和島東高校が初出場、初優勝をしたことすら知らない他所のスポーツ関係者が居た程度だから、 僕が、ようやくにして見つけた撮影場所だって、「それがナニ?」で終わってしまう。
 にもかかわらず、文化都市の創造などと言い張る行政サイド自体が間違っているんじゃないのですか?、と言いたくなってしまった。
 昭和35年当時20歳代の市民は、今の時代70歳代。ロケ現場に立ち会った方々も多くは他界しているだろうし、映画の中に出てくる店も閉じていらっしゃ るところもある。
 こういった中で、あえて、ほじくり出すような僕の行為は稚拙に感じられるかもしれない。が、それすらやろうとせず、文化の創造なんぞ、チャンチャラおか しくってならない。
 この街の全てのものが沈まなければ、この街の豊かな文化が気付く市民は居ないのであろう。その前に、この街から他所へ移る人がますます増えるのであろ う。そうして、この街は再び歴史の中から大きく取り残されることになるのかもしれない。

2007 年6月20日(水)くもり時々はれ一時 雨
 んな天気の一日で あった。本日は給料日。一昨日は英世1枚にまで落ち込んでしまった。魔法のカードもヤバイ状態。ようやく助かったが、どうしたものか、今月分から住民税が 昨年度に比べて年間10万円以上上がってしまった。手取り自体も5,000円下がった。
 月曜日から本日の業務終了後1時間辺りまで「どうして住民税が上がったのか、理由 を説明セイ!」という電話が多かった。当然、明日も本日と同じようになろうけど... 。
 これに対しては課税の職員ではないので、「定律減税の廃止、収入額に対して否応なく10%の課税。そのために、昨年より随分と上がるんです」と言うのみ である。
 課税の方も説明の際は数字の羅列ではなく、不況の今、大変なところでしょうけ ど...  、といったことから話を始めてほしいものだ。
 納税者から収める側の仕事をしている我々に「安くセイ」と言われたところで... 。ことに電話での応対になると、一方通行でいつも通り我々が悪い側になってしまう。「所得税を下げましたから税負担は変わりません」と国の言い分はウソば かりだ。
 国会も大きな法案を通過させた。議員連中はどうして「バカ」などと口にしないんだろう。バカそのものは差別用語でも何でもない。安倍総理に対して「アンタはバカじゃないか」と代表質問でやってみろ。ことばで の誹謗中傷よりよほどいいことか。でも、大きいペナルティーを喰らうんだろうな。陰で「アイツはバカだぜ」と言われるのがオチだ。今の国会議員の中で真の 政治家など少ないんだろうね。
 参議院選挙も投票日が延びそうだ。延びてくれた方が、この地方最大の「和霊様の夏祭り」にぶつからなくていいから、一面ではうれしい。
 夕刻、予約していたOrville by GibsonのJ-160Eを受け取った。ケースがボロだから、現物に対してはフィットしていないけど、これから少しずつ馴染まさなければならない。同じ く僕の指をはじめギターに関するフィーリングを取り戻さなくてはならないが。

2007 年6月24日()くもり時々雨
 しぶりに音楽を聴 いて疲れ果ててしまった。実際こんなこと書きたくはなかったが、記載しなければなるまい。
 本日、午後1時30分より野田淳子さんの平和コンサートが第44回宇和島母親大会として開催された。協力団体の一員だから参加しなければならない、と 思ってはいたが、内心は「行きたくない」というのが本音であった。気分が悪いとかいう、そんなものが支配していたのではない。
 写真からの想像だが、持っていらっしゃるマーチンのギターとスタイルからすると、ジョーン・バエズに近いものだ。ということは、おそらく歌声も僕の感覚 からするとイライラすることになる。ま、そういったものが... 。
 実際は「案の定」であった。最初からズ〜ッとアルペジオだけの伴奏で暗い気分の歌ばかりだったし、ようやくストロークのギタープレーになっても、それが 弦を撫でるようなものだから何とも... 。しゃべりが長いため、結局、楽曲で何が訴えたかったのか... 。
 コトバでの訴えは簡単だ。が、楽曲に込められたことをプロローグとしてしゃべり、楽曲で訴えかける。楽曲毎の感じは聴衆の個人個人の感覚だから後のしゃ べりは必要ない。こうやって、1時間半程度をまとめ上げるのがミュージシャンであり、コンサートではないのだろうか。たとえ暗い曲であっても、暗い詩歌で あっても、メロディーが付けば、それなりのものがあるし、暗い曲ばかりヤルのはミュージシャンとしては落第だ。したがって、音楽で疲れるなんてことはない はず、と僕は思うのだが... 。
 加えて、耳にきついミキシングで調整されているものだから、エレクトロヴォイス製のスピーカーから出る音は高音と、子音が協調されるようになって、一層 耳にきつい音として聞くことになる。
 どうしようもない気分になって後の一問一答の場を早々に離れ、外の天候と同じような気分で帰ってきて、その後は何をする気にもならず本当にバタンキュー となってしまった。
 次に彼女のコンサートへ行くか、というと、コンサートの内容を確認して納得すれば行くだろうと思う。















 



























inserted by FC2 system