2007.10. 3〜12.31

2007 年10月3日(水)はれ一時くもり
 月末に次いで、本 日も所用で松山へSR500で出かける。往路は時間が若干異なるものの、帰路は先月末の28日とほぼ同じ時間帯。しかも同じルート。吉田町ではリハビリ歩 行中の老人に同じ時間に同じ場所で遇うなど実に不思議なものであった。
 が、SR500は若干の仕様変更がある。その走りの結果から、おもしろいほどの考え方の違いを見つけた。おそらくSR400なら、ほとんど同じ結果で推 移するであろうと思われるが、500ではそうはいかない。全く似て非なるものである、と感じた。やはり、SR500のセッティングは相当難しい。詳しくは いずれ。そろそろフロントタイヤも交換しないとならない。
 本日の走行はいつも通りの国道56号線。比較的「一般国道」という気分で走ることが出来た。が、今週末ともなると、とてもじゃないが、高速道路が通る以 前の状況になってしまう。
 その当時、松山までは下手をすると3時間30分ほどかかる、この事実を同じトライアンフ愛用者の秋田の友人にしゃべると、「それはサイクリングロード だ」と言われた。
 一般の方にはその友人と同じように感じられるであろう。が、数百メートルの高低差、ワインディングの度合い、二車線対面通行の道路幅の狭さなどなど、い かに一般国道といえども、国道56号線、33号線、197号線、320号線など僕の住む地域の国道は多かれ少なかれ、こういった負の要因のいくつかを抱え ている。
 確かに、数か月前までは国道56号線は空いていた。どうして今頃になって元に戻ってしまうのか。お気づきだろうが、単純な理由だ。
 まずは高速道路の料金だ。西予の宇和インターから大洲インターまでは550円。大州インターから松山の手前の伊予インターまで1,000円だ。松山まで の所用時間は宇和島からだと1時間40分前後だ。国道56号線だと普通に走って2時間30分程度だ。加えてガソリン価格の高騰。50分程度の違いなら、一 般国道の方がいい。
 宇和島から高速を利用すると、パーキングで食事が出来るのは「伊予灘」のサービスエリアだけだから、国道56号線上では、まだまだドライブインをはじめ 簡単なスパ、名所旧跡など様々な良いところがある。となると、高速を上ったり降りたりして乗り継いで行くには帯に短し襷に長しで、国道56号線の方がよろ しい、ということになる次第だ。
 嘘だと思われるなら、一度四国の一般国道を走っていただきたいものだ。当然保守の固まりの官権だから50km/hの制限速度標識ばかりが目に付くこと も... 。
 ま、5日は再び松山。今度は一杯の席があるからJRに頼らなければならない。所要時間は1時間20分だ。
 それにしても、松山で開催される一つの会議は、時間と交通費の事を考えると相当効率が悪いと思う。ちなみに、鉄路での市町(村は今の愛媛県には存在しな い)の公務員の規程旅費は宇和島からだと9,020円である。が、公用車で行くと旅費は出ないのだ。招集先が昼食はおろか、運賃を出すという出張は非常に 少ない。職務で出向くのに何かおかしい。
 皆さんはどうお考えだろうか!?。

2007 年10月5日(金)はれ
 〜、忙しい。仕事 とは違う仕事外の忙しさ。昼から休暇を取って松山出張。そう今日は労金の推進委員会。支店長が交代するので、推進委員の僕としてはどうしても出席しなけれ ばならない。ま、理事も理事で、テメーの職務の方が大切と来るから、懇親会へも出ずに... 。僕一人が残って応対しなければならない。うれしい反面、飲むのは一人だから勧められると受けざるを得ない。どれだけ飲まないとならないかは、想像すれば 解る。
 そう、支店長のように飲めなくても良いのだ。その席にいてくれれば、まじめにいろいろな話が聞ける。今日など、本部の高知出身のHさん。M製紙の書記長 と一気にオートバイの話で盛り上がった。
 で、たまたま座っていたW県本部長が四国中央市の出身ときたね。妻が最初に勤めたのが新居浜だったし、結婚前から「南予人と東予人は気が合うんよ」と 言っていたけど、正にその通り。高知人とは酒を飲めばよくわかる。南予人のように、相手のことを考えずに飲ませるようなこととはしない。M書記長のH2、 スズキのGT750のことをはじめ、これまた最初期のRD350のことでチョイト盛り上がった。
 これを縁に、今の本部長の時にウチの体制を確立しておくことを訴えたし、近日中にこちらでの会議に一杯やるということまで進んだ。
 うれしいね。こういった酒の席が良い。土は過ぎているが、お互いが相当に入れ込んでいるものだから忘れることがない。で、もって散会だ。
 明日は早朝よりSRで遊子へ行って段畑の芋掘りだ。帰宅するとSR500の再びのテスト。ン!、充実しているな、と感じる。
 僕は最近、(酒を)飲めないやつがものすごく多いことに少し仕事でのつきあいの危惧を感じる。飲めなくても良い、相手をもり立てて、自分はウーロン茶で 合わせばいいのだ。が、「私は飲めませんから」で全てを拒否する。これでは、この人の将来が危ういし、仲間は増えない。そんな個人重視の世界は願い下げ だ。

2007 年10月6日()はれ一時くもり
 ... ったって、曇ったのはホンの一時だ。総て好天、良い土曜日であった。僕は朝5時に目が覚めて天気が良いのを確認して、SRで遊子(ゆす)の段畑へ出かける 準備をする。本来ならSRの一部改修も出来る時間なのだが、継続すると時間が不足するため、一昨日改修したままの状態で出発。
 ま、30分程度で到着。芋掘りはまぁまぁだが、芋そのものがネズミと思われるカジリの被害が結構多い。それ以外は、苗の植えすぎの畑は当然収穫する個体 も小さい。痛し痒しだ。来年の作付けはないかもしれない。
 SRは走らないイライラともども帰ってきた。昨夜の残りの「お好みや焼」と遊子の販売所で買った「鯛飯」で昼食を取る。
 少々疲れと眠気で休みたかったが、意識を集中してSRにかかる。考え方はこれまでの走行状態委から、メインジェットを特殊な#162.5という標準から #2.5アップした#165にすることだ。これだけで良い、内容など、そのうち記載しよう。
 結果から先に言うと、なかなか良い結果を得た。これも詳しくはいずれということで、SR400なら、こんなことは些細なセッティングミスではあるが、許 容範囲に収まる。が、SR500では「絶対」にそうはならない。別項で記載している様々なSR500のカテゴリーを一読願ったら幸いだが、次のことだけ申 し上げたい。
 希薄燃焼へ導くための方策はマフラーを変更すると160°ほど元に戻して、「薄い」から「濃く」することを第一にしていただきたい。その際、おそらくパ イロットジェットはいじらなくても結構だ。基本はメインジェットをわずかにアップすればいい。加えて、以前に報告したようなメインジェットに大胆なことは しなくていいが、(リバース型)メインジェットのエッジが立っている部分の面取りをカッターナイフの先などで行っておくこと。これは意外に効果を感じる。
 午後3時前。テストコースへ入れる。遊子へ行く際にゼネラルのガソリンを久しぶりに入れたが、どうもパフォーマンスが乏しいところだが、満タン状態なの でどうしようもない。
 結果からすると、相当すばらしい結果でテストコースを一周した。ただし、ノーマルのマフラーで感じられているのと同様、あるいはそれ以上大幅に上回る結 果は決して出ないし、反面コントロールする上での安定性を一部欠くこともも少なくない。加えてSUキャブの特性を少し考慮しなければならない。FCRなど のキャブを装着するときの資料の大半は適用できないので念のため。
 明日は四国西南陸上競技が史上初めてオールウェザーの400m公認トラックで行われる。これを皮切りにこの辺の陸上競技の概念が変わるといいのにな、と 感じるところだ。

2007 年10月7日()はれ後くもり
 日、小誌 No.103をアップロードした。オートバイのSRの項ばかりが多くなってしまい赤面の至りだ。ついでのモチだが、この件は昨日やったことで一応の完了と なる。これは次号で。
 昼前に四国西南陸上競技大会を見物に丸山陸上競技場へ出向く。注目は円盤投げだ。高校男子でも33m程度だ。この時期だと最近はシーズンオフか。一般男 子は出場者なし。高校男子の投げ方見ていると、僕でも通用しそうだ。
 が、マスターズでは1.5kgの円盤が、四国西南陸上では、この歳にして一般男子用2kgの円盤を投げなければならない。観客からは一般男子のはずなの になかなか飛ばないな、と思われるのはつらいところだ。仮に2kgを28m程度投げると御の字か。一つ来年目指して1年かけてやってみるかな。
 100m予選と、円盤を主に撮影。不思議なことにF-4ばかり使っている。S1 Proは全く使用しなかった。何とも不思議な気分であった。ほんのちょっとの操作慣れで、このF-4というカメラが持つポテンシャルの高さは相当なもので あることが理解できた次第だ。
 昨日の芋掘りがどうやら堪えているようだ。体が痛く何となく気分が悪い。かといって食欲はある。不思議な気分である。そういえば、知らない間にポジショ ンがフィットしなくなったSRにほぼ連続して2日間乗ったことも影響しているのかもしれない。
 最近になって父の年齢を超えるまで生きられるかな?、とフト考えることが多くなった。大丈夫だよ、と言われる人は多いが、父の場合はそういった状況の 中、どうもおかしい、という気分から医者が見立てた診断は胃ガン。腹膜もやられて、もはや手遅れで急速に痩せがやってきて、立てなくなった父は59歳で他 界した。
 僕も病の種類は違うが、似通った傾向が少しばかり感じられるから、そう思いこむのかもしれない。
 明日は雨になりそうだ。そういえば、東京オリンピック前夜は大雨だったんだよね。当日は大晴天。10月10日が晴天の特異日であることがこれだけ象徴的 に前面に出たことはなかった。あれから43年も過ぎてしまった。

2007 年10月11日(木)くもり後はれ
 田が負けた、亀田 が負けた、亀田が負けた、亀田が負けた、亀田が負けた、亀田が負けた、亀田が負けた、亀田が負けた、亀田が負けた、亀田が負けた。これほどうれしいことは ない。内藤勝った。今日に試合は、酒道場でテレビ観戦をしていた。
 クソ!、亀田は一発で変換するのに「naitoukatta」は「内藤勝った」に変換するまで、「内藤」を先に入力しなきゃならないATOK 2007 for Macだ。(その後はすんなりだが)
 まさに、今日の試合はそんなモンだろう。内藤選手も試合途中、何度もクリンチとその時の行為などについてレフェリーに相手のクレームをアピールしていた ように僕の目には映った。事実、引きずり込まれてダウンしたシーン、その前は、どうすることもできずに内藤選手が倒(スリップダウン)したシーン。
 また、亀田がクリンチからヘッドロックしてパンチを浴びせるシーン。ことのごとくクリンチから逃れようとしても体重かけられれば抜けられないし、内藤選 手も体力を消耗したくない。こんなことが重なって、内藤選手に−1になったこと。
 亀田がやったこれらの集大成(醜態)として、最終は内藤選手を抱えて肩口方からマットへ投げようとした。僕は思わず「K1じゃないぞ」と叫んだ。マスターも「プライドの方が良い」といい、これは 「ボクシングじゃない」とまで言い切った。別の客もそう思っていた。多くの方々がこの瞬間を期待していたのかもしれない、と僕は考える。
 確かに僕の考えに異論を持つ方はいらっしゃるだろう。しかし、試合後のインタビューで内藤選手がクリンチの一件を淡々としゃべったし、先の対戦相手より 断然弱かった、と話したが正にそのとおり、今日の試合は「ボクシングでは ない」
 今、日本は夜だが、WBCの本部がドコにあるか知らないが、今後亀田と亀田陣営に強い制裁を出すことを臨むところであるし、明日のスポーツ新聞を始め、 朝刊各紙がどういった報道をするか?。おそらく辛辣なものの多いと思うが、この言葉の重みは放送メディアの一瞬のこととは違い、多くの国民の中に残ること になる。
 その一方、試合前の長〜いプロローグの番組をはじめとして、これら一連の亀田のこと総てに対して浪速の人間はどうなんだろう?。と常々思いを巡らせてい るところである。
 あれはハシカみたいなものよ、言いとばせる方は少ないように考えるし、多くの浪速人は亀田が勝つと考えているだけなのではないか、とも考えられるのであ る。
 これまでのバカげた言葉遣いの悪さなど、亀田兄弟はもとより、亀田陣営は本当に人間としての教育を心の中に持っているのかどうか。試合前のハッタリなど はどうでもいいが、普段の生活で目上の人などへの言葉遣いを始め「強けりゃいい」という、この時代においても時代錯誤の人間が浪速の地に居ることへの反論 は浪速人にはないのだろうか?、と、これまでに僕が考えていたことが一気に出るのであろうな、と思う。
 が、浪速人のことを一人の人物のために悪く思われることぐらい気にしない、と言う気質こそが浪速人気質もしれないが、僕はそれは逃げだろうと思うな。
 次に「亀田興毅」が完全に打ちのめされれば、少しは熱も冷めるであろう。そこからはい上がってこそ、浪速を代表するボクサーだろうけど、言葉遣いから立 居振舞に至るまで、強制を加えなければ、いつまでも「強けりゃ何とでもなる」には決してならない。37歳定年を迎えるまでボクサーで居られるとはとても考 えられないからね。
 その点、内藤選手の試合後のインタビューは2つの点で良かった。クリンチの件は別にして、相手が弱かったということと、最後に、「皆 様方の応援でやってきた、これからもよろしくお願いします」という一言に、今日の試合で闘った勝利者としての総てがあったように思う。
 内藤選手、ありがとうございました。

2007 年10月12日(金)はれ
 模様とは違って、日のボクシングの試合のように、後味が悪い一日だった。
 久しぶりにSR500で出向く。なかなか快調だ。乾式クラッチのヘバリ着きを防ぐことは、実は非常に簡単なことであった。乾式クラッチの上から使い古し のタオルを垂らしておくだけで良い。雨が強ければ、ラップをかけた上にタオルで巻いておけば、まず水の進入によるクラッチプレートが錆びるために引っ着く ことにはならないようだ。この点は小さな発見だった。
 が、午後からは同僚宛の迷惑電話で忙殺された。本人がガンとして断ればいいのだが、性格からして少し無理なところがある。そこを超えて本人がガンとして 断ればいいのだけど、本人悶絶。
 僕に変わってくれと言うので、変わった途端、電話を放っておいたという。そういったことはない。本人は出ている、と返答すると、アンタの後ろに居るんだ ろ、と言う始末。散々職務で外へ出ているを言ったが受け取らない。しばらく無視していると、なんやかや言うので、確認のためにここへ来ますか、と言うと行 くという。
 じゃいつまで開いてる、というので17:30だというと、20:00まで待ってほしいという。じゃ、アンタはドコの住人だ?というと東京という。
 そんなことは知ったことじゃない。あんたが来ると言うから、17:30までなら居るよと言ったまでだ、というとブツブツ言いつつ電話が切れた。
 相手は切れているが、こっちも切れる寸前まで行くけど、結構堅いようでも間抜けだから、声は同一なのに名前が違うなどがある。僕ならこうやって断るのだ が、当該の彼は人が良いから丁寧に断る。ここが相手の付け目なんだよな。
 威力業務妨害に当たると、警察のお友達は言うが、誰と特定できない場合はどうすることも出来ない、ともいう。彼はかかってきた電話の内容を総て記録して いるが、強いて言うと見ず知らずの相手なので、結局彼自身が断固として断らなければならない。
 職場の電話に割り込んで業務に支障が出来るのに、対処するスベが「断る!」の返答しかなく、それを何度も繰り返さなければならない、ここんとこが、どう にかならないのかな、と宇和島署の生活安全化に問うと、やはり、彼が断固として断るのが一番、ということらしい。
 こういったことなどがあって、僕は電話そのものが嫌いになってしまった。この状態と似るが、当該君にはそういったことは無視していただきたいものである ことを痛感した次第。

2007 年10月13日()はれ後くもり
 気の良いのもあっ という間であった。昼前から曇って来だしたが、その時はバイギブのJ-160Eのナット部分の修正をやっていた。よーっく確認すると1弦の溝が2弦寄りに なっている。わずか0.2mm程度なのだが、この溝を拡大して、エポキシの接着剤で埋めて、糸巻き側から溝をカッターナイフで彫るという、結構しんどい作 業だ。
 10分硬化型のエポキシで、およそ3時間程度置いておくこととした。その間は残り物の野菜炒めと卵焼きで昼食を取った後、SR500の先日LED化した メーターランプを拡散型に改造した。これは、レンズ部分を削って磨いてOKになった。
 ここで、ギターの溝掘り。ン、上手くいった。硬化が促進され始めると、堅い音に変わるだろう、と感じる。
 SRにかかる前に、DAIKIへ自転車で出かけ、ATFオイルと17mmナットのアダプター、それに耐熱の高純度グリスを購入してくる。帰宅したのが2 時半頃。そこから作業を開始した。
 実は、数日前からフロント側に異常を感じ始めたからだ。三つ叉がセンターストップするんだ。トップブリッジの大きいナットボルトを緩めフックナットを少 し緩めてやったら治るが、再びコクン・コクンとセンターで止まってしまう。
 最初はタイヤの減りからくるサイド部分がグリップをするためかな、と感じていた。また、フロントフォークのオイルが劣化しているからかもしれない、と考 えていたが、どうも、上下のクランプ部分のベアリングではないか、と的を絞り、フォークオイルの交換とグリスアップをすることとした。今のままじゃ、とて も走れたものではなかったのだから... 。
 フォークオイルはまだ使える状態であった。ハイパープロのサスオイルはなかなか良いものを持っているようだ。訳あって今回はATF(半合成油)を使用し た。指定の量を測って注油。ところがトップボルトを取り付けるときに往生した。ホンの1ターンでネジがかかるんだが、そこまでが遠い。
 フロントフォークは上手くいったが、ベアリング部分はというと、グリスはかろうじて残っていたし、まだ潤滑しているようであった。純正のグリスはななか なか良いのかもしれない。今回使用したグリスは、へばりつくような感じで、結構いいように感じる。M.W.Iさんもおっしゃってるとおり、SRはここの後 ろ側がオイル注油口になっているし、ダウンチューブがSRのオイルタンクになっている。高温で戻ってきたオイルのため、ヤワなグリスでは用をなさないので ある。
 幸いにも、上下のレースには傷が付いていなかった。はみ出した黒いカス状のものを取り除いて、グリスを多めに入れた。まぁ手にまとわりつくし、結構凄ま じいグリスのようだ。事のついで、フロントブレーキのカム部分とスピードメーターギアへグリスアップ。スピードメーターケーブル、フロントブレーキワイ ヤーへの注油を行っておいた。
 総てを終えて、一段落。夜のとばりが降りた頃、LEDの状態確認。ン、今度は良いみたいだ。フロントフォークの作動も良好。少しばかり踏ん張りがきくよ うな感じがして来だした。
 実際のところ、今日のSR500への作業、これを商売とすると大変だな、と感じる。やはり、これは趣味の世界だ。
 丸尾温泉で汗を流し、今日は家で一杯やって終わりとした。本当に疲れました。

2007 年10月14日(日)くもり一時雨
 日は三島神社の秋 祭りだ。どうってことはないが新興なった「お槍振り」は見たかったが、如何せん拙宅からは遠すぎる。僕は御城下の御曹司だから... 、というのはウソで、真面目に29日の宇和津彦神社(一宮様)のお祭りにもやってほしいと思う。理由は簡単、山際地区は両方の神社にかかると思うからだ。
 旧市内は川などで神社の分岐を決めていた。これが今でも生きているのは、自治体合併後のこととはいえ、良い方法で分けたと思う。西条のだんじりのように 一堂にして片付けてしまうと地区の秋祭りの文化が壊れるのだ。真面目に、これは本当のことだし、西条でソレが起こったし、来年は収拾が付かなくなるのはわ かりきったことのように感じられる。
 かく申す僕は昨日のまとめを文章化していた。ギターとオートバイの組み合わせだから少しばかりおかしい気分になってしまう。ギターの件は置いておくとし て、SR500の件だが、本日試走させてみて、妙な気分になってしまった。どこかで経験した乗り味だったからだ。これが中々思い出せない。
 乗っているのはいつものテストコースだから、路面の状態など... 、' 78年の2J2の時とも少し違う。... 、オーそうだ。いつになくフロントが拾ってジャンプして通過した後リアが上手く処理するサスペンション状態。そう、=XT500の時を思い出していた。
 実によく似ている。となると、フロントタイヤを18インチのままで、外周直径の大きいタイヤをチョイスすべきであろうか、とも考えた。
 いずれにしても、なかなかのパフォーマンスを得た。わずか200ccのフロントフォークオイルは結構効くものがある、ということが確認できた。

2007 年10月16日(火)はれ時々くもり
 日は八幡神社の秋 祭り。先日は三島神社の秋祭りだったが、この二社の秋祭りはどちらかが雨降りになるのだが、今年は三島神社が曇りだったものの、二社とも天候に恵まれた。
 三島神社の時は復活なった「お槍振り」のことが話題だったが、八幡神社は「四つ太鼓」だ。山車というか、大型の裳階に幼子が4人乗り込んで太鼓をたた く。それに合わせてかき手が裳階を回したり揺すったりの動きをする。なかなかの見物なのであるが、今年はなぜか規模が小さくなってしまったように感じる。
 29日は僕の住む地区の宇和津彦神社のお祭りだが、通常の出し物はあるものの規模というか、見物客自体が少ないんじゃないか、と感じてしまう。
 本日は一軒臨戸徴収。少々嫌な気分がつきまとうのだが、やはり相手の話は聞いてやらなければならない。僕としては、この二社のお祭りと天候の関係から話 をしつつ徴収金の処理をする。その後、何でも納付金が上がって、どういったことだ。以前は自治体の合併で起こったことだから仕方がない。仕方がないとはお かしいのじゃないか、といった類のいつもながらの言いようで向かってくる。
 一部はそういったところもあるが、市県民税は大きく変わりましてね、と一応の説明をして、次回はいつ頃お伺いしましょうかなどと話をして、完了。
 職場へ帰るとき、この4月からどれだけ元の担当の後処理をしただろうか、と振り返ってみた。で、その理由の一つは、世間話というか、対峙する相手のこと を聞きつつ、こちらのこともそれとなく入れ込んで話をするなどが、今の若い職員には出来ないのではないだろうか、と感じるのである。
 確かに、生きてきた時代が違うし、僕の方が経験も豊富だから。でも、それだけではない、と感じる。だって、4月任用になって今日まで6か月以上過ぎてい るにもかかわらず、○○さんは□□課、というのは難しいが、○○課は何階にあるのかさえ知らない職員が居る。何とも情けなくなってしまうのである。
 僕は、昼休みぐらい8階から1階まで各フロアを回っておけよ、と言うのに、ハイハイと簡単にあしらわれる。今になって「何階でしたかね?」というものだ から、民間会社なら相当怒られるぞ!と強く言うのだが、ドコ吹く風だ。
 この人達が僕の年齢になった頃は市役所内部はどうなっているんだろうな?。おそらく市内の○○町はどの辺?と聞かれても知らない人が多くなるのは明ら か... 。
 そうはなってほしくないものだ。

2007 年10月18日(木)はれ時々くもり

 ただお前がいい わずらしさに投げた小石が
  放物線の軌跡の上で
    通り過ぎてきた青春のかけらが飛び跳ねて見えた
   その照り返しがその頬に映していたお前
  また合う約束などすることもなく
 それじゃまたな と別れるときのお前がいい

 いきなりで申し訳ない。職場での雑談とちょっとしたことで、この小椋桂と中村雅俊の2人が歌うこの曲を頭の中に思い浮かべていた。
 この、「俺たちの旅」を最初から見ている僕にとって、今でも気に病むようなことがあると、この歌を思い浮かべる。すると、不思議にあの頃へ戻るのであ る。確かに一瞬のことかもしれないが、僕にとってはかなり長い時間のように感じる。そこに友達でもいると、あの頃は... 、ということから始まる一連の事柄が眼前にパーっと広がるのである。
 最近退院したが、7月に起こった息子の骨折に対する保険請求をしていたとき、彼が赤ん坊だった時代に戻って、妻が夜勤の時など、僕が息子を背負い、シメ シ袋におむつを一杯入れて保育園まで通った当時を思い浮かべてしまう。
 今、孫が息子にしたような時代から少し上の歳になったが、彼が小学校になる頃までは、まだまだスーパーじいちゃんとして居られるけれど、徐々に孫にも追 い越されることになるのだろう。ソレは間違いのないことだが、息子にも孫にも僕を超えることが出来ないものが存在する。
 大それたことではない。それは、彼らより人生経験が長い。これを追い越すことは絶対に出来ない。おもしろいけど事実だ。この差をもっともっとアピールす べきなんだが、行政は完全に無視している。何度も言うが(株)宇和島市役所 の 考えは変わりそうにもない。このままの行政を続けると、今の市長は次期選挙では落選するだろうな、と感じる。
 そうそう、補助事業で先日からウチに来ている全日空の彼女(アドバイザー)は中々良いように感じた。
 僕など古いタイプの人間からすると、見込みのある従業員を今時に決定するのが本来の姿だろうと思うが、役所のシステム上どうも上手くいかないらしい。
 4月の採用で数日間の研修で行政事務がほぼ出来るのであれば苦労はしない。それ故の措置としてのアメリカ風の9月始業になるのだろうけど、我が母校から 東校へ定時制のクラスが移動するらしい。
 こういったところでのスッタモンダの活動も一切無いし、最近の宇和島市の水の状況などに関しても同様で、市議会は市民の代表などとホザク市長の中身を知 ると、宇和島市は市長の間違った考えで推進する行政を履行することになりそうだ。
 真面目に、その考えは間違っているといわざるを得ないのである。

2007 年10月21日()はれ
 いに任せてブログ というものを作ってみた。http://niwaka020.blog123.fc2.com/blog-entry-1.htmlがそれなんだが、何と も歯がゆい。こんなんでホームページか?というと情けなくなる。日記様の文章を書いて写真と共に出す=ホームページ?。ザケンジェネー。
 そりゃ同好の士などは集まるだろうさ。しかし、相当に狭まった状況での仲間内だから、実際は僕の気分には合致しない。
 したがって、この日記を本日のブログへ記載するので、一読願って... 。まるでミラーサイトを一部やっているような、そんなおかしい気分になてしまった。
 さて、一昨日と昨日高松へ行ってた。サスガに四国の玄関だ。ことにJRの意気込みのすごさは理解できる。と、いってもすでに過去のことだけど... 。
 今から30年も前は、高松〜、高松〜のアナウンスを聴く頃は、荷物を両手に、連絡船を下りて、桟橋を我先に走って、宇和島までの5時間半の座席を確保す ることを、何年ヤッタだろうか。今は高松駅は、ま、ソコソコ乗客はいるが、かつての高松駅の程ではない。
 しかし、僕の脳裏から絶対に消すことが出来ないものが存在する。それは、わずか2日間であったが「四国の玄関」というものが厳然と存在するのである。建 物から何から... 。帰路は松山で乗り換えたが、どうしても松山の方がワンランク下に位置づけられるような気分になってしまった。
 ましてや、宇和島... 。何が南予の中核都市だ?。
 午後の一時、SR500を走らせる。なかなか調子が良い。フロントフォークが少しばかり堅い。先日ATFをフロントフォークオイルにしたが、少々入れす ぎたようだ。以前の日記に記載していたとおり、走りはまるでXT500である。
 バカげているが、本日左コーナーでセンタースタンドをチャリッと擦ってしまった。そんない倒していないのに... 。
 が実際は相当に倒していたのだな。いつも気づくことは後になってからだ。
 といったところで、NHKの大河ドラマで、佐藤慶の高野山の坊主ががしゃべっていた、その言葉通りだ。永尾影虎と半兵衛の考えが天か地とね。さしずめ、 僕はどっちだろう?。

2007 年10月28日()はれ
 思議なものだ。 ちょうど1週間。僕は一体何をしていたのだろう?。風呂にはこの4日間入ることが出来なかった。
 順を追うと、月曜日は宇和島の水を守る会、火曜日は平常通りで風呂も入った。水曜日は労金の推進委員会、木曜日はフロアの集会、金曜日は憲法を守る会、 土曜日は宇和島デザイン塾。
 そして今日を迎える。現在の体調時間が午後5時半。はっきり言って、戸外は暗闇が支配する時間だ。5時半で庁舎の外へ出ることが出来るか?
 確かに数十年前はソレが出来ていた。今は人員が減らされ、業務が多忙。よほどのことがない限り、帰宅する時間は6時前になってしまう。ま、この退庁時間 は明年見直しがなされるであろうが、宇和島については強くやらないと、今の市長の下では我々は冷や飯を食う。隣の鬼北町は今でも午後5時15分だ。松山も 同様である。かつて(働く者の)時間短縮を盛んに言って推進していたのに、公務員バッシングが来ると一発で元の木阿弥だ。
 我々も一人の人間として社会に貢献している。それが「税金で食ってる」というだけでバッシングをやられる。こっちも防衛策をとる。必要以外の住民サービ スを徹底的に排除する。後者は心情として出来ない。それゆえ、我々のことを真剣になって考えてくれる... 。いや、よそう。ここいらの一般市民に言ったところで、受け入れてはいただけまい。
 久しぶりに宇和のT君宅へ行く。オ〜ット、その前にフロントフォークのオイル交換をやっておいた。これは別項で。スパトラ改も快調。点火プラグは旧タイ プのBP6ESだ。見事に黄色みを帯びた金属部分のユニクロメッキが残っている。作動温度が低いことを物語っている。
 今のタイプではホワイトのユニクロメッキだから判断が付かない。旧タイプだと、これが赤みの増す方向へ行くのなら、ガスが薄いことになっているのは必至 だ。こういったことからも、今のNGKは判断が難しい。
 フロントフォークオイルを交換していて、ふと思いついたことがある。最近、僕の脇腹を主に上下の側胴に痛みが走る。同様に左手の一部の一瞬のシビレ。今 日は、それが右顎にまで及んだ。
 アー、これか!、と思いついた。
 ことは非常に簡単。マジで、フロントフォークキャップの一つがネジのスプラインの噛み合わせが悪く、キャップを右手の腹で押さえつつ、右に回してねじ込 む。左手はフロントフォークのインナーを動かないようにして引き上げている。こういったスタティックとダイナミックの筋肉の動きをフロントフォークをスタ ティックな状態で行うという、バカげた説明になるが、事実だ。これを片側のみ入らないので数回やるものだからの結果だろうと理解した。
 何とも、片側のそれは、ものの3分で終わるのだから。
 本日から、当方のトップページにブログのことを記載した。元の楽しみつれづれに替わるものだが、気が向いたら一読願いたい。コメントなどもね。

2007 年10月30日(火)はれ時々くもり
 数のメンバーが出 張で、職場は少々閑散。こういったときに一人ヨモダが来る。自治会の関係者らしいが、女性職員が対応すると竹中直人のように笑いながら怒る状態になる。聴 いている僕は半分キレていたからグッと押さえて近づかなかった。
 考えてもみろ、毎日その町内へ行って集金できるような体制か?。「そういった決まりがないのなら無い、と言ってくれ」とその御仁は言うのだが、無いとい うと次のモンクが来るのが当たり前だ。
 課長が出てパーテーションの内側で話をするとスンナリ聞き入れて帰りやがる。関東弁使いやがって... 。おまけに思いっきり女性を蔑視している。これが、連綿と続くここいら辺の保守の固まり、保守の天国の一端が解ることなのだ。
 それにしても毎日暑いな〜。今日は再び半袖できていた職員を多く見かけたが、マジ、汗が出てくる。ということは職場の室内は27℃ほどになっているはず だ。明後日から本当に11月が始まるんだけど、今年は赤い雪でも降るのではないだろうか
 朝の内に、昨日聞いた件を処理する。税金を徴収がてら、国民健康保険証が住所不定状態で届いていない。何とかしてほしい、とのこと。やりましたよ。その 人の滞納は2件だったが、今日でチャラになった。よって、申請書を持って僕がメッセンジャーになり、保険証を持って再び出向いたわけ。
 冒頭の状態が日常茶飯事になると、今の陣容からすると、職場はダメになる。イクラ公務員といっても人間だ。「公務員だからコキ使え」と誰が決め始めたの だろうか。多くは言わないが小泉首相だろうね、と思う。
 バイギブの最終修正。思いの外、鳴らなくなった?!。つまり鳴らないJ-160Eに鳴ってしまったところだ。今んとこ本当のJ-160Eに近づきつつあ る、というところだ。

2007 年11月3日()はれ
 度もキーをたたき 文章をまとめてアップロードしようとする。時間が空くとマズイのかな。それが日記というものだろう。
 この繰り返しをやっていると、妙にこういった直筆でない日記の文章などというのはずいぶんとごまかしがきくように感じるし、事実、僕も数回早朝に前日の 深夜の文章を直してアップしたことがある。一部は個人攻撃の文章。ある時は事実がどうもねじ曲げられているようなことなど。
 昨日もALWAYS三丁目の夕日のことを記載しようと感じていたが、タイプすればするほど、映画のおかしいところだけが目について、ついにはアップで きないことに嫌気がさしてしまうのである。
 確かにデフォルメしてある部分もある。が、僕自身は「今の俳優が当時を今にすり替えて演じている」というものが大きく見受けられてしまうのである。これ が僕の人生とリアルタイムで過ぎてきたものだから余計に... 。
 そして、現実に小学校時代からの知り合いで、その当時、金曜日は彼の家でテレビのプロレスを見せてもらっていた県労福協の専務理事Y君が他界した。葬儀 にも出 られなかった。これはいくら信じられないとしても事実だ。僕が彼にあったのは先月の中頃、松山であった。スーツが衣紋掛けにブラ下っているような、そんな 痩せ方であったのを思い出す。
 今日は、三間のコスモスまつり。そして吉田の文化祭。連綿として続く年中行事を淡々と行事としてこなしている。僕は朝からウォーキングをやっている。明 日の朝は来ないかもしれない、などとは考えていない。
 何かしら、今の生活は現実とあの世の狭間を生きているような気がしてしまうのである。

2007 年11月4日()はれ後くもり
 後から曇り始める。その前に宇和島市の駅伝競 走大会へ出向く。数人の方々をF-4に収めるのだ。少々違和感があるが出向く。理由は簡単。僕自身がこのコース設定から総てを当時のK課長とともにやった からだ。感慨深いものがあるのは事実だが、歯がゆい気分もする。単純に、この街では公道を使った陸上球技のレースは大部分出来ない、ということだ。
 話は多少異なるが、1月のえひめ駅伝の手伝い(立派な審判員の一部)を管理職のボランティア(という名を借りた無料奉仕=ゼニを使わない)活動にしてし まった。愛媛県がやる大きな大会に市の管理職に手伝わせる。一見ヤルナ、と思われがちだが、陸連公認の審判員でもないものを安い金で使いまくってしまうの は明白だ。交通事故も起きかねない状況で、無資格のものをタダで雇ってまでしてやるレースではない。
 僕自身、何度となく手持ちのオートバイをかり出して観察員の仕事をやってきた。「参加料をもっと上げよ」、「レースだから関門の通過時間を厳しくせよ」 と口が酸っぱくなるほど言ってきた。十数年たってこれが行われるようになったが、当時の県陸橋側の応えは「底辺の拡充を... 」であった。
 これまたカッコイイことを言うと感じたが、道路交通事情を全く無視した運営方法自体ナンセンス、と感じた僕は数年前にこの職を辞退した。
 今日の市の駅伝はこのままで良いだろうが、えひめ駅伝はもっと厳しく参加者に当たってほしい。底辺拡大なら駅伝でなくてもイイ。襷をつなぐ相手が、とい うのは参加者のエゴだ。それより、如何に速く襷をつなぐかを考えてほしい。そうすれば、この駅伝競走へは自ずと参加すること自体困難だ、となるはずだ。
 偉く強硬なことを言ったが、そうまでしてもチームとして参加して陽の目を見るため、と意気込んでいるチームがとれだけ居るのだろうか。

2007 年11月11日()はれ時々くもり後一時雨
 刻、野外が冬めい て来始めた。実に一週間ぶりの日記だ。サボっていた?、とんでもない。5日は今日のじゃこてんおどりの練習。すぐに終わるはずだのに基本と違う踊り方をや るものだから時間を食らう。結局のところ、この踊りは覚えやすいが印象が薄いので忘れるのも早い、というのが事実。そして地下の会議室だから結構暑かった んだよ。
 6日はジャーの中にあるメシがおかしくなっていた。そのために別枠で夕食を作る。ナイロン袋で販売している最近の米はどうも精米が緩い様な感じがしてな らない。7日は地区労の常任幹事会。家に帰ってF3のKタイプのファインダースクリーンをF4にフレーム移植。8日は憲法を守る会の役員会。9日はウチの 中央委員会。そして昨日は同級生の「困った会」、とこういった連続の夜の会議などで、ことに9日の中央委員会へフィットさせるように資料作りをやらないと ならないなどで、実施のところPC自体を立ち上げる事が出来なかった、というのが本当のところだ。
 で、二次会で久々にカラオケやって、午前1時過ぎまでになったから今朝はつらかった。
 なぎら健壱の「あの頃のフォークが聞きたい」でチェリッシュをやっていたのは気づいていたが、起きることが出来たのは8時前になった。フラつくこともな いしムカツクこともなかったが、ポタリングにした。
 朝飯はスパゲッティを茹でて「お吸い物の元」を振りかけて食べる。永谷園の宣伝通り中々いける。本来だったらガーリックオイルとパセリのプレーンでやる のだが、指定より1分ほど長めに茹でて絡めるとなかなか良い味に仕上がる。二日酔いの時などお勧めだ。ただし、絡まりの予防はオリーブオイルにすること。 サラダオイルではモワ〜っとくるため食べる気がしなくなる。
 昼までのんびり。その後で本番のじゃこてん踊りをやって今日はおしまい。
 しかし、産業まつりにこれだけの人手が出るのだけど、どうしてなじめないんだろう。毎年のパターンということもあるが、従事する者がついこぼしたのは 「ただ働きだ」ということであった。
 やらせる側がゼニがないのは解るが、やはり祭りにはゼニを入れなきゃダメだ。そして、宇和島市でやりながら、県の横やりというか、地元の人間ではない者 が担当するわけだからドコが主管なのか、があやふやになってしまうのである。
 そういえば、昨年は大和田建樹生誕100年記念などというのもポスターに入っていたよな。
 で、結局産業まつりの中の一つのイベントが一人歩きし始める。よく考えなきゃならないのは、どちらがメインなのか、ということだ。今日はあくまで「宇和 島産業まつり」であることを努々お忘れ無く。
 ついでに言うと「じゃこてんのじゃこてんたる所以」をどれだけの人が知っているだろうか。「皮天ぷら」と「じゃこてん」は違うものだ。これが「ネイティ ブ ウワジマン」の中にもゴチャゴチャになっている輩が多いのも事実だけど。そういった方々へは「身天ぷら」をぜひ食していただきたい、と勧めるのが僕の言い 分だ。

2007 年11月14日(水)はれ
 、いつものように 歩く。最近はようやく腕振りと歩行のタイミングがとれてきたように感じる。とはいえ、人間というのはおかしなもので、夜明けが遅くなった今、朝の散歩人口 がめっきり少なくなった。大半は夕方からにシフトさせてしまっているようだ。
 僕の持論だけど、植物が光合成を行う日中にこういった有酸素運動を行うべきで、排気ガスなどが充満している夕方から夜にかけての運動は感心しない。
 昨日は連合地協の幹事会と忘年会。早いもので今年も最初の忘年会を迎えた。幹事会での討議というか議論というか、何ともやりきれないものがあったから、 その後の酒の何とまずいこと。悪酔いしそうになったので、1時間半程度で席を辞した。
 市長選挙の時の(民間移管の促進という内容の)政策協定が生きているのに、水を守る会への積極参加はいかがなものか、という意見である。僕は市の方針が 少しおかしいのなら、政策協定云々ではなく、市を代表する者の市長に対してサゼストする必要はないのだろうか。となると、政策協定上はおかしいかもしれな いが、サゼストも出来ないような連合では単に市長選挙で石橋君を当選させた後に連合との協定を生かせて、労働者の状況を良いものにしてくれよという、躰の イイ取り決めではないか。
 考え方を変えると、今回は市民生活に無くてはならない「水」の問題だから、市が勝手に民間へ浄水場の民間委託を行う、に対して、勝手にではなく、状況を オープンにして市民に知らせるべきではないか。これを政策協定を盾にされると、浄水場で働いている者を連合は助けてくれないな。
 本日は、身内が身内を裁く的な仕事ができてしまった。今の徴税業務は、本当に因果な仕事だ、と感じた。まだ内容は公表できないが、間もなく新聞発表され るであろう。
 明日は夜間徴収日であり、丸尾温泉も休みだし、今日の内に垢を流しておくこととした。最近使用している石けんは地元の「八坂石鹸」で、竹酢液を練 り込んだものだ。これが中々良い。作っているのは同級生のM君だ。
 帰って、残り物の「親子の上掛け」をメシにかけて食する。いわゆる「親子丼もどき」で、おかずはこれとは別にインゲンと厚揚げ豆腐の煮物だ。
 ふと、昨日他界された元西鉄ライオンズの稲尾投手のことを思い出した。僕もストレスためずに、それなりの仕事やって、後は知らないその日暮らしを精一杯 やる、という生き方をこれからも続けようと思う。
 とはいえ、上記のような職務があるので、簡単にはいきそうもないな。

2007 年11月16日(金)くもり
 全な曇り空。しか し、何か混ざっているような気がしないでもない。偏西風が強いのだろうか。黄砂ではないようだから単なる曇りかもしれないし、どちらかというとモヤ。淡い 霧といった状態であった。珍しい天候だった。業務も淡々とこなしていく。同じグループ内の2人が出張だから、コチトラ身動きとれない。辛いな。
 その上に昨年から実施している管理職徴収期間に入る準備をしなければならないし、結構気を遣うのも多いのが実際だ。少数精鋭と聞こえはイイが、実際は労 働強化の何ものでもない。業務遂行は出来るが余裕が一切無いという状況である。事故が起きれば... 。
 アンデルセンのスタンプギフトが漸く来た。オーブントースターなんて29年前に買って以来だものな。実際のところ、食パン焼くのは上下で挟む網に食パン を挟んでガスでダイレクトに焼いている。表面に焼き色が付いて焦げが強くなる直前で火を止めバターを塗って少し溶けかけたときに食する。これ最高。1〜2 日経過した食パンなど、(オーブン)トースターでは温度管理の間が必要だが、直火焼きだと見れば判るから便利なことこの上ないので、そう必要のないキカイ であった。が、グラタンなどを作るときは重宝する。
 T-140Vのオイルドレンボルトについて、久しぶりにコヴェントリーの清水さんへ電話。「12〜10mmのタップを立てて、市販のドレンボルトを使用 する方がいい」と教えていただいた。また、ドレン部分のフィン状のアルミプレートはそのまま取り付けたままで作業してイイ、とのことであった。
 最近、XJR1300を購入しようか、と考えるときがある。が、一歩踏み出せないでいる。理由は若干オートバイの方が強いような気がするからだ。人車一 体にはならない。それだけの理由で?、と思われるが、以外にも「人車一体」でライディングできるかどうか。チョイ乗りではあったが、僕は6気筒のホンダ CBXやカワサキの1300を経験しているからだろうな。
 さ、明日は土曜日。そういえば、退庁時間が午後5時30分になって以来、大相撲を見ることが出来ない。わずか15分間の勤務時間延長だけど、僕が前々か ら言っているが、後へのシワ寄せは相当なものがある。

2007 年11月17日()はれ
 前中は23日から の南予写真協会の写真展に出展する作品の額装をやる。なかなかの写真なんだが、額が少々カビが生えていて、から拭きする部分と濡らして取り去る部分があっ て修整にとまどる。
 昼飯も残り物という中だし、外へ出る気にもならなかったので、チャングムの誓いも見終わったから、珍しくwww/Gridの次号へ向けての文章をタイプ し始めた。が、最近はPismoに対する感動のようなものが消えてしまって、どことなく寒々しい気分が支配している。
 何かしらあわててしまったかな、と夜になってヤフオクのコンピューターのところを見ていて感じた。Mac関係とPowerBookはまだしも、 Windowsマシン、ことに僕の好きなDELLのinspironシリーズなどOS付きでも結構安くなってしまってる。もうWindows 2000など風前の灯火だろうか。僕はビジネス面などXPより使いやすいし、この2000というOSはMac OS9以上に生かせなきゃならないOSではないか、と感じるところだ。久々にInspironをゲッとしておこうかな、と思った。
 最近、職員団体で東芝ワープロのルポを購入した。書記が言うには過去15年ほどのまとまった文章があって、それが総てルポ≒トスワードで文章を作ってい たからだ。ワープロ専用機も今にして思えばメカニカルタッチのキーだから、相当にキーボードの叩き具合もなかなか好ましいのだ。それゆえ、中古であっても 完全性備品だから結構なお値段がする。
 コンピューターにはそういった機種が結構少ない。PowerBookでいうと5300の英語キーボードなどが僕は好きだ。ところが、それを使ってフロッ ピーディスクでやりとり... 。これがPismoでは少々やっかいだ。外付けのドライブはあるけれどものね。
 オートバイのハーレーも最近そうなり始めた。外見は年を経ても変化がないようだが、'07モデルと"08モデルでは相当に違う。年式が1年違うと陳腐化 が始まる。真面目に60回ローンなど組んで購入したのに... 。残念がっても高額のオートバイだから、どうすることも出来ない。
 自動車もそうだ。ごく普通の乗用車が各メーカーに1台ぐらいあってもイイ。普通に走って、モデルチェンジしないような、そんなモデルがね。
 そうそう、ネット上でバイギブのJ-160Eが相当高額なので少しびっくりした。その値段より3万ほど安く購入したからね。

2007 年11月19日(月)はれ
 ともに冬の状況を 呈してきた。本日はメチャ多忙。先ほどまで、酒道場の例会に出ていて帰ってきたところだ。
 忙しさの最初は午前中にやってきた。組合に東芝ワープロRupo JW05PVが来たのだが、同じルポで作成したフロッピーディスクを読み込まないのだ。書記が不安がって送り返しましょう、とはいうものの、フロッピー自 体は初期化可能なのであるので、本体には異常がない。
 午後から別の東芝マシンで実験したがダメであった。ワープロとて、フロッピーディスクの欠点がさらけ出された気分になった。後期のワープロは2HDのフ ロッピーディスクが使用できるのでOKだが、古い機種の大部分が用いていた2DDのディスクがチマタに無いことだ。フロッピーディスクの不良で再入力よ り、ディスクの無いことの方が重要かもしれない。
 となると、ワープロ自体の人気はあるものの、それは後期モデルの使い勝手のいいものに限られてしまうことになる。これは少々不利だな、と感じたところ だ。
 酒道場の例会の途中、消防車が走った。火事ということは判るがトーキーで確認すると、笹町の方という。知人が数人いるが、ま、大丈夫だろうと思った。 が、後で酒道場のマスターから聞いたが神宮寺の隣の住宅が焼けたと言うので、少しばかり気がかりでもある。
 少々酔いが回ったが、ヤフオクでどうしても落とすものがあって、がんばる。4,000円でOKだった。明朝、少し出費をしなきゃならないが、今ゲッとし ていないとダメというものがあるので、がんばりたいと思う。
 しかし、火事はイヤだな。焼け残ると余計にイヤだ。息子の写真など、フィルムを水洗いしてそのままにしているものがまだ多い。今の火事ならそうでもない が、29年目の火事では、デジタル変換など一般人には不可能の状況だった。今考えると、よくぞ捨てなかった、というのが、僕の良いところだろうと思う。人 は物を捨てるとき、物が「者」に見えるときがあるはずだ。その時は決して捨ててはならない。これは鉄則だと思う。ことに、ある程度までの大きさで、自分に とって必要不可欠な物は絶対に捨ててはならない。たとえ、僕のように物に埋もれて生活をしている者はなおさら、そうあるべきである。

2007 年11月21日(水)はれ一時くもり
 日は休暇。正光会 労組の退職金関係裁判で松山地裁へ出向く。現実、裁判といっても陳述そのものが被告側の陳腐さで、原告側が意図したことと異なる方向へ行ってしまう。つま り、裁判の内容から逸脱することを被告側が自ら出すのかな?、ということだ。
 被告側のS弁護士センセは何してんだろ?、と誰しも思うのではないか。わずか10分の審理であったが、今日の法定は相当重要なことを含んでいたことは事 実。それを裏付けるかのように、原告側の弁護士から詳細な説明があった。
 それが終わってバスで帰途につくが、和霊町の道路工事の影響が知永峠を下りたところまで続く。バカみたいだが事実だ。わずか数十メートルの工事だが、影 響は相当に出る。国道56号線だから、この点、国道工事事務所はどういった対応を取るのだろうか?。
 帰宅したその脚で組合の人事=組閣に臨む。これが何とも歯切れが悪い。僕には腹案がないから一層このことが大変だ。ま、これも一定の結果が出て助かっ た。
 加えて、明日は団体交渉という。僕自身何をやっているのやら解らなくなってくる、というのが実際のところだ。こことここでは、こういったことをやるん だ!、と言ったところで、誰も助けてくれない。組合員400人の代表として、実際は僕自身がやらないとならない。この悪循環を断ち切りたいのだが、高齢化 した執行部ではなかなか上手く事が運ばない。
 そうそう、僕ぁ〜ね、モラレスのギターをゲットしたよ。ついでといってはおかしいが、ブルックスブラザースの段返りのネービーブレザーもゲッとした。あ こがれのブルックスだ。大事にしたい。
 遅くなったが職場へよると、水荷浦の段畑でできたジャガイモを使用した焼酎「段酌」が届いていた。720mlが1,500円だから、高級焼酎だな。まず は、酒道場へプレゼント。近々蛮可夢へプレゼントしなきゃならない。
 何とか地域興しとしての一助をになっているつもりだが、相手は「飲んでみないと判らない」という返答。それ故、知り合いのところへのプレゼントだ。
 最近はこういった行為が少なくなってしまい、やりきれないところが出ているのが現実だ。人と人との結びつきは年を追う毎に希薄になっていくようだな。
 そう、宇和島が持つ先取の気鋭という観点から、本日僕が先頭に立って行動 していくことが決まっているのに、却下された。
 ここで目が覚めたのだが、今の職場の状況と何ら変わりがないな、と感じてしまった。「自分さえよければいい」という考えの人には、本日の大発見の細胞再 生の成功を与えなければいい。理由は簡単、脳細胞も再生できる可能性を秘めているから。

2007 年11月23日(金)はれ
 晴といってもい い。冬の乾燥した晴天の幕開けだ。僕はのんびりする暇も無く、写真協会の作品展のBGMの準備にかかる。思いの外重装備になる今までの 2A3シングルアンプでのBGMを流す方法を止めて、今回はPanasonicのCDラジカセを用いることとした。
 結構いい音はするのだが、これが堅い。いけるようになったのは午後3時頃。モノラジカセは職員団体の借り物である。これまであまり鳴らしていないという のがわかった。
 で、当面はFMを流して対処する。会場は久々の盛況ぶりを示している。うれしい限りだ。2〜3人の人にカメラがよくないとダメですよね、ときた。僕はそ んなことはない、と言うのだが、僕のことを真に受け止めてくれる人も少ない。
 昼に帰ると全音のモラレスが届いていた。ここまで記載して判る人は僕と同年代でエレキギター関係に手を染めていた人であろう。
 ボディーの塗装の剥離はどうしようもない。その他の欠点はほとんど無い。素晴らしいモノであった。試し弾きをして、同封されていたソフトケースに入れて 保管にした。しばらくすると改修に手を付けたいと考える。

2007 年11月24日()はれ時々くもり
 後5時半、東の空 からまん丸のお月様が出る。ほぼ一番北寄りの東の山から出る。夏の太陽と全く同じような位置からだ。そういえば「かぐや」が撮影した地球の出と入は北半球 が北極を上に位置するのとは全く逆に南半球が上になるのだから、浅学な僕はそれと同じに思う。
 昨夜はモラレスZES-300のことを考えていると眠れなくなってきた。あの当時(41年ほど前)はモラレスなんて高嶺の花、後発のヤマハのSG-3と 同じ程度であった。僕の記憶ではグヤトーンのLGの最高級もリリースされていなかったのではないか、と思う。その当時の3万円だからね。
 今考えると、当時の絃のテンション関係から起こったネックのプライウッド化など、相当に手の込んだ作りというのが判る。詳しくは本文で紹介したいが、モ ズライトと比べると、その重量差は歴然だ。
 結局、午前1時頃真の眠りについたから、起きたのが7時過ぎという有様。少々風邪気味の身体状況と合わせて、1日中少々気分が悪かった次第だ。
 さて、本日は写真展の2日目。ずいぶんと目の肥えた方々がいらっした。Sさんの作品で虹が低い円弧を描くというか、横たわっている写真。この原因につい てのウンチクが少しばかりあった。
 この写真について、最初は僕もおかしいと思っていたが、少しばかり謎が解けた。つまりのところ、周囲の山と家の大きさからして、200〜300mmの望 遠レンズで数百メートル離れた位置からシャッターを切った写真だ。そのため、虹がカメラのレンズとほぼ同じ高さに位置している。
 スペクトラムの状況が定かではないが、もし、105mmぐらいのレンズで、家の位置を基準にして虹から50mぐらいの位置でシャッターを切ると、この写 真と同じ程度の画角なら、画面の上の部分に虹自体は大きい円弧を描いて横たわるはずである。
 これを説明するのには、なかなか難しい。
 午後7時前、もう一つのGet品ブルックスブラザースの紺ブレザーが届いた。少々袖が長いが、太りすぎというわけではないが、アメリカサイズのLが フィットする体つきになった。
 しかし、胸はパッチ、サイドはパッチアンドフラップ。段返りの3つボタン、紛れもなく、アメリカントラディショナルのブレザー。VANのJASPOサイ ズになったものとはチト違う。僕にとっては初めてのブルックスだ。
 「ねばならない」のIVYリーグモデルの服飾を経験した者でないと、この辺のところは今の若い方に申してもなかなか理解できないだろうな、と思う。

2007 年11月28日(木)くもり
 前4時頃、僕自身 は気づいているのだが、ウトウト。6時前に起床するも、その前のホンの一瞬「ガガッ」とイビキをかく。不思議な世界だ。こういった状態だから、真面目に すっかり、たっぷり寝た、という気分にはならないのが現実だ。
 数日前から我がPismoはP.T.Kの使用を止めている。久々にキーの取りこぼしが出始めたからだ。純正の英語版のキーボードは違和感が多い、と思っ ていたが、実際は、P.T.Kに付属しているステバンを使用すれば鬼に金棒である。が、ショック吸収は消える。素晴らしくメカニカルなキーボードだが、実 際は相当少ない力でタイプできる。惜しむらくは、キートップのエボニーカラーが薄すぎる、ということであろう。これをなんとかする、というのが、これから の課題でもるし、小誌の一文になるのだ。が、これには少し時間が必要だな。
 仕事は降って沸いたような高額の滞納者の納付方法、望みのない管理職夜間徴収などなど、結構大変な一日であった。
 それにしても、僕自身の退庁後の時間の使い方が相当にダメになってしまっている。ということは、夜の時間の使い方が非常に下手だな、という次第だ。
 ま、この方面のアドバイスをいただければいいが、僕とリアルタイムの方にそれを求めるのもどうかと思う。

2007年11月30日(金)はれ時々くもり
 生年、本人はどう 考えているのだろうか。愛子君は今日が誕生日だ。仕草はかわいい。これは間違いがないところだが、世間一般で国の税金で喰っている奴の一人としての対応は 出来ているか?、というとダメだろうと思う。
 確かに、皇室関係のその仕組みは一般の我々とは違うと思うのだが、こと「しつけ」という意味については「個人」を主とした教育を皇室も行うべきではない か、と感じた。
 「一般では訪れることのない年代での大相撲の席での振舞い」など、硬派の新聞記者なら「憲法上の象徴なら... 」として、社説にでも記載する、とのものであるが、それはどうもないようだ。
 とすると、愛子君は「若●●」は、(それなりの)なのかもしれない、と勘ぐることになる。信じられないことかもしれないが、インフルエンザ仕様は民間で 僕の周りで出ているようだ。
 「宇和島デザイン塾」久々に僕と同じ考えの講師に出会った。が、本人自身はコンピューター関連でソンをしているな、とも感じた。
 工業関係のインダストリアルデザインだったのだが、これがね、一般論から始まったんだ。エッ、と息をのんだが、この方が順当ではないか、と実際のところ 感じてしまった。
 それほど、状況の説明があるし、今、宇和島が対応する世界でもないし... 、だったが、妙に焦ることも感じられず、この意見を受け入れていた。
 しかし、デザインが総てを... 、感じるのはバカだ、と思う。丸の内の一部、佐伯町などなど、僕が管理職なら、こういったことは一笑なのだが次の行動を待っている、というのが現実だ。
 裏を返すと、若いのが、こういった世間話から始まる一連の質問に答えられない。ウソも方便という態度を示してもらえば、こっちは何の文句も言わない。こ の呼吸がネイティブでないモノには判らないところであろう。
2007年11月28日(木)くもり
 誕生年、本人はどう考えているのだろうか。愛子君は今日が誕生日だ。仕草はかわいい。これは間違いがないところだが、世間一般で国の税金で喰っている奴 の一人としての対応は出来ているか?、というとダメだろうと思う。
 確かに、その仕組みは一般の我々とは違うと思うのだが、こと「しつけ」という意味については「個人」を主とした教育を皇室も行うべきではないか、と感じ た。
 「一般では訪れることのない年代での大相撲の席での振る舞い」など、硬派の新聞記者なら「憲法上の象徴なら... 」として、社説にでも記載する、とのものであるが、それはどうもないようだ。とすると、愛子君は「パ●●」なのかもしれない、と勘ぐることになる。信じら れないことかもしれないが、ことは民間で僕の周りで出ているようだ。
 「宇和島デザイン塾」久々に僕と同じ考えの講師に出会った。が、本人自身はコンピューター関連でソンをしているな、とも感じた。
 工業関係のインダストリアルデザインだったのだが、これがね、一般論から始まったんだ。エッ、と息をのんだが、この方が順当ではないか、と実際のところ 感じてしまった。
 それほど、状況の説明があるし、今、宇和島が対応する世界でもないし... 、だったが、妙に焦ることも感じられず、この意見を受け入れていた。
 しかし、デザインが総てを... 、感じるのはバカだ、と思う。丸の内の一部、佐伯町などなど、僕が管理職なら、こういったことは一笑なのだが次の行動を待っている、というのが現実だ。
 裏を返すと、若いのが、こういった世間話から始まる一連の質問に答えられない。ウソも方便という態度を示してもらえば、こっちは何の文句も言わない。こ の呼吸がネイティブでないモノには判らないところであろう。

2007 年12月1日()くもり
 NHK杯のスケート で武田選手が3位に入った。安藤は4位。別にどうってことはない。真面目に喜ぶのは武田選手の3位ということではないか。
 その上に、解説の荒川選手(あえてプロだから選手)の解説が的を得ていて、余分なことはないも言わず、アナウンサーが「もう少し」といったようなことを 促すも、それに応じず、淡々と、個人が滑るその結果にコメントする姿勢は見上げたモノだ、と感じた。アマチュアを抜けた後、テレビドラマで検事役をやっ て、その風貌とともに淡々とした役作りと、フリータイムは普通の女の子を自然にやっていたことを思い出すが、まさにその通りの解説をやってくれた。武田選 手同様、この点は荒川選手の解説に賛辞を送りたい、と思う。
 この武田選手は、これからポスト誰それとは言わないが、帰り途中に3位だよ、って聞いてびっくり。牛タンを食べに行く途中だったそうだ。結果が総てとは いえ、こういった選手がまだ若い人にいる。これが、二つ目にうれしいことであった。真面目に、武田選手は将来性があるぞ、と感じた次第。
 しかし、荒川選手の解説ぶりは一般人が見て失敗ではないところまで「失敗」という下り、それにターンでうまくいっているにもかかわらず失敗、という。こ れを後で流すビデを見て納得する。それをリアルタイムで解説するのだから、恐れ入ったものである。荒川選手の解説は人気が出るぞ。
 と、こういって記載したものの、一杯気分で実際はフワ〜っとしているのだ。原因はデザイン塾に行った帰り、ゲルマンで再び一杯やったからだ。昼間の酒は きく。が、真面目に飲むと、そうはならない。ま、僕の世界から離れているからこれはこれでOKであろう。浅丘マリさんのことを初めとして、僕がやっている ことは、かなり昔に過去のこととして葬り去られたものかもしれない。

2007 年12月2日()はれ時々くもり
 さか、数年来の友 人の奥様の死が現実になると、僕自身コトバを無くす。現実に、金曜日、酒道場で久しぶりに会って話をした。本日も、お仲間うちがその 本人に電話。「嫁が... 」との返事があって、少々狐につままれたような、そんな気分が支配した。十数分後、酒道場のマスターへ入電。その瞬間、先ほどの電話が本当であったことが わかる。
 僕自身は冷めているから、そうも感じない。代わりに、彼の今後から一家の状況などへの心配が僕の心を支配する。人様から言わせると、「それがお前の冷た いところだ」と、これまで散々言われてきた。
 これは人の死を目の前にした者でしか解らないであろうと思う。悲しみよりは、むしろサバサバ感の方が、ある程度の高年齢になると生まれるものではない か、と感じるのだ。
 僕自身も特有のモノを持っているかもしれないが、高校2年の時の父を、そして平成6年に母を失った。場所は賛否が分かれるが、彼の地へ行くには、どれも が大はつかないまでも良い往生であったし、葬儀の大半は僕自身が仕切らざるを得ない。それが一人っ子としての僕の勤めであろうし... 、とはいえ、もし妻が居なければ、こうはなっていない、というのも事実だ。
 そういったことがあって、現実にすぐさま引き戻す僕自身は、葬儀での手伝いをすることが最大の礼を尽くすことである、と感じている次第だ。
 それにしても予測も想像も何も出来ない。ともかく「死」というのは自然のモノだな、と強く感じた次第だ。

2007 年12月3日(月)雨後くもり
 日と今日、僕は少 々疲れた。仕事なんかでじゃないよ。原因は台湾での野球の試合。ジャパンの試合を見ながら、ハラハラドキドキであった。先ほど、午後10時過ぎに日本の勝 利で終わったが、6回までは大変な状態だったのだし、昨日は試合時間が長いのと併せてヒヤヒヤ部分があまりに多すぎたから、僕自身はキモチの上で大変で あった。星野監督も実際選手諸氏も、高校野球のトーナメント戦のような試合状況になってやっていたのじゃないか、と思うほどの状態に感じた。
 未明だったが、シャーッという音で目が覚めた。時計は午前5時を示していた。久しぶりの雨。午前中に上がったが、空気は寒いものの、やはり適度な湿気が 必要だな、と感じる一日であった。仕事も、夜間の管理職徴収もありで、帰宅が午後8時過ぎになるから、結構家にいる時間も少なくなる。
 さてさて、昨日の午前中は雑誌を購入するために、市内の2書店の間を自転車でかけずり回った。たった1冊が、ここにあって、あそこにない。じゃ、何処で 仕入れるか?。結局、最初に出かけた書店で購入。そのために家を拠点にして10km程度自転車で走り回った次第だ。
 最近、こういったことで結構体を使う。もっとも、毎朝のウォーキングをやってはいるが、スタンダードな自転車で10kmも結構なスピードで走ると疲れる ものだ。その時はそのときで、あまり気にもならない。
 が、その後がダメなんだ。マジでね、後追いで疲れがやってくる。それがわかっていながら、少しばかりのワークハードをやるものだから... 。この繰り返しだ。
 今日は行けなかったが、最近は丸穂温泉。銭湯だけどね、これが少しばかり快方へ効くようだ。そういえば、銭湯の特集でもやろうかと思うが、これがね宇和 島市内には5つぐらいしかないんだ。そのうちの平凡な銭湯っていうのが2つぐらい。みんな内風呂になってしまった。宇和島でこうだから、Always何と かだろうな。でも、それを感じるのは僕より年上の人だけど、その人達が今に従順になりすぎているよな、と感じる。

2007 年12月10日(月)はれ後くもり
 曜日と日曜日、僕 は完全にグロッキー。この2日間は大洲青少年交流の家での四国OL指導者研修会だ。特に土曜日は久しぶりのOL試走。コースはB程度と県協会のM理事長は 言うが、午後の遅い時期にもなると、僕はパニクったままで、コントロールを総て回れなかった。なおかつ1時間以上もオーバーしたものだから、捜索まで出る 始末であった。その日は落ち込みが相当に激しかった。
 SR500は快調である。再び違うものが感じられて来始めるため、再び... 。おそらく、これが最終段階ではないだろうか。SR全体が持つ何かが違うのである。そのことに最近気づき始めた。
 そんなことがあって、本日は朝の目覚めがトンデモナイほどまごついた。結局布団から出られず、7時近くに起きた。お腹がグルグル〜っといった途端、腹の 中が総て出てしまったような感じ。夕方、今度は腹がパンパンに張ってきた。トイレへ行くと。長〜いオナラだけが出てすっきり。どうやら、胃腸が弱っている のかもしれないな。それに食事時間が一時期より短くなってしまっている。これが原因かもしれない。
 ようやく、小誌をアップロードできた。今年最後のアップだけど、仕事の方もそろそろ年末でのバタバタも収まりつつある。商店街を歩いてみると、歳末大売 り出しのマイク放送は音が高いも、残念ながらお客の数は相当に少ない。
 師走で大忙しなどは全く感じられない。のんびりして良いのか悪いのか、その判断が間もなく出るのであろう。予想からすると、この街は「凶」であろうな。

2007 年12月11日(火)雨後くもり
 とは夜に起こっ た。僕は東京都民の多くはバカばかりかもしれないな、と感じた。幸いにも街頭インタビューがなかった時間帯だし、バカを見越して、こんなモンだろう、で済 ませたかったから、という結果からマスコミが騒がなかったのかもしれない。
 福田総理との会見。出てきた総理はまるで「良い料理だったな」と言いたげな、爪楊枝があればシシッハー、とやっているような光景で自動車へ乗り込んだ。
 対する石原都知事は、なにやら歯切れが悪そうに、地頭だの何だのインタビューで言ってる。僕は、ア〜、石原なんて所詮、作家レベルでしかないんだ、と 思った。
 自分のことが取り上げられ、自分の考えを浸透させて、この通りになる、としたときに彼の何かが発揮されるが、今回の一件、東京都の税収の一部を他の自治 体へ分け与える、という政府案に対して、反対していた石原東京都知事に「どうぞ、お願いします」と話を持ちかけるという、そのことなんだけど、結果は先に 記したような もので終わった。
 裏は再びの東京オリンピック、東京都がこれ以上国にやられたくないため、というところからの判断であろう。となると、石原の行動は大半がパフォーマン ス。強いて言うと政治屋なんだ。その一部のかっこよさのようなものをチョイスして都知事に仕立て上げた、っていうわけだろう。
 フト思い起こしたが、表面上から裏へ回る寸前の松山市と愛媛県の立場によく似ている。今の東京都にすると、僕が都知事なら、政府の言うこの案にはあくま で反対するよ。
 で、ミエミエが見えて来出す。都としての業務が都下23区とその他の都市の業務より暇なんだ、ということが判る。こういったことをメディアを通じて確認 できるのがいいよ な。この地で僕がそれをやろうとすると、幼子がいる家庭からすると僕は大批判を浴びることになる。決して間違ったことはしていないのに、先生じゃないから 無視 される。
 はたして、この宇和島道はどうだ?。道路の完成とはいえ、状況はもっとひどいはずだし、今朝の事故のとおり、まだまだ四国の西南地方の大イベント、とは ならなかった... 、になるのだろうと思う。

2007 年12月15日()雨後くもり
 日は課の忘年会。 T幹事が結構おもしろいことを考えて、ほとんどの方が賛成した。というのは、管理職も一般職も合同でくじ引きをする。結果、あいさつ、乾杯、締めをやって いただくという次第。で、一般職のI君が上座で課長と同じあいさつをする。これは素晴らしかった。僕自身もクジで本当の末席で、周りが酒を飲まない人ばか りだから、一人で安心して飲み食いをしていた。これは最高であった。次は蛮可夢で大人数でお歌いして終わった。
 本日、頭は痛くないもののドウモダメ。で7時過ぎに起きてサンクスでパンを買って、午前中はのんびり。S刺繍店へブルックスの修正を受け取って、これま た同級生のK女子宅へ年賀状の関係で出向く。
 ウォ〜、Meかよ。東芝のダイナブックにMe。643Mbのメモリーは搭載しているが、途中、ハードのリセットを何回ヤッタやら。早速2000ゲットし ておくので、と話をしたが、どうも納得いかない面があって、結局午後3時過ぎまでかかった始末だ。
 もう僕も大きなことを言わないが、現実に、本当の初心者がコンピューターを触るのなら、Macの方が簡単だし訴えるものが多いように感じる。本日はMe であった。
 もし、これが2000で動いているとなれば、その作業は簡単になったはずだ。逆に非力なマシンため、XPでは無理が生じる。 
 職場で僕の使っているノートが相当にヤバイ状態になっている。が、ある程度パソコンを知っている身からすると、やはりWindowsは2000が最適の ような気がするのだけどものね。バカみたいに遅い処理の古マシンにでもXPを平気で入れる。こんなのがあるから、うちの職場は全体がダメなのだろう、と感 じる始末である。

2007 年12月17日(月)はれ時々くもり
 ログっていうのは レイアウトを作ったものに合わせるということから、何か割り切れないものがある。ことに、Macで作っていると、写真などテメーのマシンではそのまま見え るのだが、Windowsマシンなどで見るとその写真がぶっ飛んでるから、再び家で修正だ。何となくやりきれないな。
 本日は頭の中がモウロウとしていて積極的に動けなかった。こういったときは、誰も助け船を出さない。とてもダメだとしながらやってしまうから少々難儀な ところも、それほどではない、と思われる悪いクセかもしれない。
 仲間内から出ることでも、実は... 、というようなところも、言ってくる相手は真に「実は... 」と言ってこない。「あれはどうだったですかね?」などと聞いてくるのは皆無に等しい。しかも突然のように言ってきた上に早く何とかしろ、と言わんばかり にやってくる。これは本当に辛いんだ。
 夜間徴収の後、ゲルマンで暖を採った後、ヤフオクでPowerBookの12インチアルミをゲットしようとがんばったけど、結構な値段に上がり始めたの で手を引いた。おもしろいもので、15インチが出たときから両サイドが広いことから間抜けなスタイルだったし、モデルチェンジも結構激しかったし、僕とし ては眼中になかったモデルだから簡単に手を引けた次第だ。やはりPismoを触っていた方が楽しいものがある。

2007 年12月18日(火)はれ時々くもり
 ちらかというと晴 れが多い1日であった。実際は天候とは違って、大きい波頭で押しては帰す波のような状態の1日であった。
 まずは管理職徴収の成果。これは翌日確定するが、同じような状況が2日も続くと少しばかりゾゾッときてしまう。過年度分とはいえ、ゼニ関係になると高額 の場合ゾゾッとなるのは人の常だ。
 そのゼニに関わるものについては、これまた逆撫でのような状態も存在する。本日の副市長交渉での一件は、おそらく職員から今の市長がダメの烙印を押され ることになる一因になるのであろうな、と感じられた。つまり、賃金の安い職員を救う意味での人事院勧告(22万円台ぐらいの職員で2,000円の増額)を 実施しない、ときた。
 僕はあまりにも強い公務員バッシングは必ず批判を浴びると感じている。こういった点は、議員報酬を下げる。あるいは病院の医師の研究手当(賃金よりもイ イ場合がある)などを下げてからにすべきだ。医師がそろわないなら、病院をもっとオープンにしろってんだ。大学病院で30万円ぐらいのペーペー若手医師が ここへ来るとその倍額の賃金が支給される。これっておかしくないか?。
 今の議員が別に職業を持っていても36万円程度の報酬は支給される。議員職を全うする年数の間に一切質問などしなくても、これは確実に受け取れる金額 だ。こういったのを選んだ市民も市民だが、宇和島市のために尽力する議員が一体何人いるのだろうか。
 そういったことで、今の市長は遅かれ早かれ、かつての菊池施政がたどったような道を踏襲するのではないか、と感じた次第だ。
 その次に、地域共闘の関係での会議に出席し、這々の体で帰宅。ようやく一段落、と思ってPismoの電源を入れる。
 メールの確認の後、ナナ、ナントPowerBook G4の12インチ、そう昨日のヤフオクの奴、僕が落札... ?!とのメールが入ってる。金額的に2英世アップ。出品者は最高落札者がダメな奴だから、2ndの僕にどうか?というメールであった。考える間もなくOK の返答をした。この程度の差なら信頼されているし、装備からすると物に付いている小キズ以上なものがあって、今回は入手しておくべきであろうと判断した次 第だ。
 2ndでの落札は2回目だ。今回の場合は少し高額だったが、やはり持っておくべき、と昨日の日記とは裏腹の落札をしてしまった。もっとも昨日は落札金額 が次々アップし時間延長になることに腹を立てた不満があったからに他ならないが... 。
 もう一点、ブログの件については、そちらで記載している。これもコメント記載者の独善でアッタマに来ることだけど、ブログを与えている企業にクレームを 出すべきだが、ある程度は、ユーザーが注意しておかなければならないことでもある。

2007 年12月25日(火)くもり後雨
 ぼ一週間ぶりの記 載だ。この間何があったか?。別段何もない。が、表面上のそれは少しの行事をこなしただけだが、内部へ入ると一変する。まずは前回記載の18日自体、地区 労の単組代表者会があった。この日は酒の席はなかったから、あのような文章が記載できた次第だ。
 続いて20日は市職労の第2回定期大会。実のところ、これは役員選挙からに及ぶが、定期大会自体に際しての準備など、11月6日から始まっている。議案 書づくりにイライラし、締め切り前の少なかった参加者の数で再びイライラ。いざ箱を開けると120人近くが来る。執行委員長の僕をナメてんのか?... 、などと思ったりもした次第だ。
 翌21日は全国一般の交流集会。22日の土曜日は松山で自治労県本部の都市評議会の臨時大会。23日の日曜日は同僚のM君の結婚式。悪いことに大洲のマ リエールでだし、夕方の6時からだ。当然のように振り替え休日の24日の月曜日はダウンしていた、というのが事実で、本日ようやく一つのパターンの日々に 戻ったということだ。
 今、テレビは物まねの番組やってる。ある程度の夕食の後、楽しい番組は良いな、と感じつつ見ている。
 さて、別項でブログを立ち上げているのはご存知のとおりだろうと思う。が、最近は、こういったブログにまでHなものとか、一攫千金の書き込みがあって、 非常に困っている。今日も2件削除した。ま、ブログ自体が本来の趣旨とは違って、登録者の勝手な日記のようなのが主だから、実際主張したいのであれば、そ の方々自らの云々が主体 になるのだから、ホームページを立ち上げないとダメだな、と感じたところだ。
 12月の今は会議の後で酒の席が続くのが大半だ。僕はノンビリやりたいのだが、それはできない。23日の結婚式でも2時間チョイの時間。コース料理だか ら、不味 くはないため残すことが出来ない。
 披露宴が終わると直ちに貸し切りバスで帰る。若い連中はウチの近所のレッドブーツで2次会ときている。僕は辞したが、その後、「係長んとこへ... 」と決まっていたらしい。ウチへ来るとなれば、限定しないと大変。帰る人数の方が大半を占めることになるのは確実だから、これはなかった。助かった。
 今年の仕事は残り3日だ。早いとこ終わって久々に自分のことをしたい、と強く思うこの頃である。

2007 年12月28日(金)雨時々くもり
 事納めの日。この 日を「御用納め」というのが蔓延しているのが現代ではないのか?。御用納め?。じゃ、御用って何なんだろう?。
 久々に税務・納税の係長クラスでの懇親会をやった。二次会は「パラソル」。現実には行きたくなかったのだ。まじめに、明日天候が悪ければ役所へ行って、 明年すぐの仕事を終えておきたいという気分があったからだ。
 その後、満員の酒道場でのことは、酔っぱらってではあったが、市の職員云々での話で、酔客だったが山林の固定資産税でとやかく言うので大弁舌を久々に やってやった。その後で、九島架橋のことで一悶着あったが、毅然として、その相手に臨んだつもりだ。これをやらないと、公務員の我々はバッシングを受ける だけで、大部分の反論が出来なくなる。しかも、今の世の中では、それがそうであるようにまかり通っているのが実際だ。力説して、少しながら我々の仕事内容 が理解されたようだった。
 よく、考えていただきたい。僕は今「納税課」の職員だ。僕を名指しして「市民課がインフルエンザで困っているから、至急応援を頼む」として、僕が出向 く... 。そうした場合、本当に地元の課の勤務状況が微動だにもしない者だろうか。
 一連の端末操作を覚えたとして、直ちにそれが生かされるかどうか?。僕はダメであろうと思う。「No」ではなく、「Never」が適当であろう。
 つまり、隣の課が人員不足で、当課から助けに行っても無理が生じる、というのが事実だ。
 本日ウン着を示してくれたこの実験の内容を今後も考えの片隅に置いていただければ幸甚である。

2007 年12月29日()くもり一時雨
 日は仕事納めの 後、係長職以上で懇親会をやって、結果が結果がから本日は全くダメ。起きたのは9自近くであった。まいったね。遅めの朝食の後メールの確認していると早く も昼近くになる。
 天候状態がおかしいので、外へ出る気にもならなかったのだが、買いそびれていたコミックの「蔵人」を購入のため明屋書店へ。何と航空ファンの傑作機シ リーズで紫電と紫電改が出ていたので側購入した。その脚でゲルマンにて日がわり弁当。
 何しろテレビを見ようとしても何ともハガユイ思いの番組ばかりだから、M.W.Iさんが言ってたように、世界最速のインディアンを日本語吹き替えで見 る。このことが少しばかり呼び水になって再びPB12"を触ることにした。
 要はこうだ。「Pismoと同じOSからやれば巧くいく」とね。
①PB 12"に10.4をインストールする。
②ターゲットディスクモードで作動するか確認してみる。
ここでコケルことが無いはずだ、と考えるのだが... 。
 ヤッタ結果はミゴト!。完全に認識する。この間1時間。ファイル他を移動する。その時間が45分程度。
 それから10.5をインストール。やはり思ってたとおり。インストールが2時間程度にふくらんだ。クリーンインストールより30分以上必要である。
 結果は全てOKであった。まだ大半の古いソフトが作動するかどうか不明だが、これは少しずつ確認だ。
 というところで、少しばかり使いづらい日本語キーボーだが、これはPB12"でタイプしている。次はPismoにターゲットディスクモードでインストー ルしてみようか、と考えているところだ。
 ともかく安心。結構疲れた。

2007 年12月30日()くもり一時みぞれ
 今日は月末の日曜日、そのきぶんだけである。不思議なことだ。こういった格好で年末を迎える。ということは、昨日の土曜日と併せて、本年の年末年始、実 際にウィークデーで休める日は、現実には4日だけだ。が、来年のことを言うと... 、になるが、来年の年末と再来年の年始は... 、クックックな笑いが出るほどである。
 さて、再びMac OS X 10.5の検証をしていた。何度やってもターゲットディスクモードでのディスクを12"が認識しない。やはり、同レベルのものでないとダメなのではない か。パーティションの方法がダメなのかもしれないが、Pismoにはダメか、と感じていた。確かに10.5への道は難しい。
 が、システム環境設定で云々していたわけだから、新しいOSに移行した方が良いのは事実だ。が、待てくださいよ。ナント、PismoはOS 9で動くのですよ。ここをすっかり忘れてしまっていた。
 ということは、Pismoはこのままの状態で生かせる方が都合が良いことに気づく。読者の皆さんの中でOS Xで9の動くMacのチョイト古いのを使っていらっしゃる方がいらっしたら考えていただきたいのである。
 アラレが降ってきだした。鬼ヶ城は冠雪している。冬が来ているが、そうではないようだ。現実には、津々と冷える。そして雪。あるいはゾゾ〜っとする風の 強い日のあと雪がくる。両者に共通していいるのは「低温」だが、今日はそうでもない気温だ。これでは雪はダメ。アラレが降ったのは気温に対して正解だろ う。夏にヒョウが降ることもあるのだから。
 お墓と我が家の準備も終わった。どことなくむなしい年の瀬だ。高校時代まで僕はどういったことを年末年始にやっていたのだろうか。中学生まではプラモデ ルを作っていた。大学時代は、ここへ戻っていても別段何もしていなかった。働きだしてからも、友人諸君は飲まない奴が多いから、僕自体は家で過ごすことの 方が多くなってしまった。
 このままで良いのだろうか、など考えるが、どうにもならない、というのが今であろうな。

2007 年12月31日(月)くもり一時みぞれ
 晦日を迎える。実 のところ今日から年末年始の休みになったような気分である。ま、職業柄こういった曜日まわりはソンをしたようになる、と昨日記載したような気がする。そう いえば、お天気も同様になってしまうのは、今年の「偽」がまだ続くってことかもしれないな。
 今は紅白を見ている。恒例のことだからかもしれない。今は午後9時半。そういえば、白組が勝ちそうだな。紅組の司会、中井君アンチョコ見てたぞ。鶴瓶は なかなか上手だな。もう一つは、白組の歌の方がナジミが多いような気がするもの。
 紅白は歌の競い合いだし、日頃のステージとは違うものというのはわかるが、テレビの前の人たちは、ライブを見ているのだ。したがって、ホールトーンを もっと聴かしてほしいのである。できれば、来年までにそういったことを考えて、もっとおもしろい歌の競い合いをメインにした番組にしていただきたいもの だ。
 銭湯へも行ってきれいにした。市内も少々散歩をした。人通りは相変わらず少ない。本日帰ってきた様な人も多い。この人達は明日、明後日を過ごして3日に は帰るのだろうな。「帰る」というとおかしいかもしれないが、生活の基盤は都会だ。ここではない。とすると、帰るのだ。今後もこの街では生活が出来ないと いうのが増え続けることだろう。
 さて、トップページに賀状を掲載することとした。来年もよろしくお願いします。どうか無事に越年されんことを。


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