2008. 1. 1〜3.30
2008
年1月1日(火)くもり一時みぞれ
サーっとトタン屋根
を叩く音がする。当然のごとく雨ではない。アラレだ。「霰」って漢字では書くんだな。雨が散るっておかしいよね。
随分と寝ていた。5時過ぎに目が覚めたのだが、この音から、五社初詣サイクリングは中止かもしれないからもう少し寝ていよう。それで、いい加減8時前に
起きた。みぞれの中、丸之内の和霊神社へ出かける。こちろらの氏神様は一宮様(宇和津彦神社)だが、今の神主の下では参拝する気分にならない。
疲れがどんどんと遅れてやってくる。今日は年末年始の休みの2日目という気分が強い。テレビを点ける。
同じメニューの食事も飽きるのは早い。したがって、昨日買っておいた食パンをガスの直火であぶってマーガリン塗って食べる。
さてと、としたとき、テレビの画面に霜降りが走ったと同時に真っ暗。グググ〜と鳴ってる。プーンと臭いが走る。「あ、電源部イカレタな」と思ってスイッ
チを切った。そういえば、スタンバイ部分がダメになっていたものな。寿命だ。
年明け早々ロクなことがない。明日新品購入しよう。ちょいと良いのを見つけてる。14インチのブラウン管ながら地デジ対応だ。売れてなければいいが。そ
れにしても、貰ったテレビの大半は電源部がダメだ。埃かもしれない。ことに今のブラウン管テレビはカバーの通風スリットがブラウン管の後ろ部分のみで、フ
ライバックトランス等の基本電源部分には風が当たらないというか、空気の流れを考慮していないように感じる。
今度購入する奴は、少し工夫をして脚を付けてやろうかと思ってる。
忘れていたドクターとランダム予定のアップを開始。外を見ると、空が明るくなってきた。五社初詣サイクリング、多分、仲間は来ているはず、と自転車を集
合地の和霊公園へ走らせる。寒気のためか耳が痛い。この行事も協会が誕生してからでも30年以上も続いているという、毎年の年始め恒例の行事だ。
しかし、各神社を回るとおもしろいね。海の関係も思わしくないし、市街地の住民が少ない上に不況だからかしら、和霊様も一宮様も年ごとに参拝者が少な
い。そのかわり八幡様と三島神社はいつも通りの人出だ。住宅地が多いのだろうね。
が、南予護国神社は誰もいない。愛南町に南予の総社はあるようだからかもしれないが、このままでは護国も無いな、と思われる。
帰って、ランダム予定をアップして終わった。年賀状も来る。職場からも来るが、これがね、その人の性格のようなものが感じられて、ニヤリとする。1年出
さなければ、年賀状ってものはフッと来なくなるものだな。
そういえば、僕が登録しているホームページでも謹賀新年などの文字が無いサイトも結構増えている。ま、ブログが流行っているというご時世だからかもしれ
ない。
そろそろ、退職後のことを考えて大きいオートバイを1台持っておこうかな、と計画している。ちょうど、ロケット3のヘッドライトが単眼になったものが出
るようだし。でも、僕の性格からすると飽きは直ぐ来るだろうから、これもダメだな。
ま、旧正月も来ることだし、その時に一年の計は元旦に... 、としてもよろしかろう。
NHKラジオの名人寄席は随分楽しかった。といっても、出演者はこの世にいない過去の人ばかりだけど。こんなところで本日はおしまい。
2008
年1月2日(水)くもり一時みぞれ後く
もり
連続して同じような
天候。予定の時間が少しずつ後へずれる。昨日はラジオを楽しんだ。この年末年始のテレビはつまらない。が、どうしても箱根駅伝はテレビで見たかったのだ
が、テレビは壊れたままだ。
この天気も加わってイライラが募る。ようやく動けだしたのが11時過ぎ。雨は降るがパラパラの状態だ。駅伝のゴールに間に合うかどうかはギリギリ、とい
うところでDAIKIへ出向く。2Km。結構な早足で歩くから、ショップへ到着する頃には汗がうっすら滲んでいる。
あれ〜、これ1台だろうか?。うまい具合に店員に聞くことが出来た。「レジでお待ちください」とのこと。しばらくすると商品到着。ムムッ、ヤバイ位置に
手かぎの穴が開いてる。そう、ここからが苦闘の始まり。
代金を支払って、外へ出る。チョロいもんよ、と思ったのもつかの間、ビール瓶のケースと同じ大きさのものを同じ方法で運んでいる。違いは重さだけだ。異
例に重い丈夫な段ボールの箱が災いする。ものの300m歩くと、どことなく嫌気がさしてくる。
嫌々ながら、右に寄せたり左に寄せたりを電柱毎に繰り返しつつ歩いていくと心なしか楽だ。
結局2Km歩いて運んだ。壊れたのと入れ替えしてチャンネル調整してOK。顛末はブログで。
初湯の時間をミスしたので、小さくなったテレビのために置き台を探しに出かけたが、これはダメであった。主に強度不足。
帰りに、成人式を終えた若者と遇う。年ごとに成人を迎える人の数が少なくなっているように感じる。同様に、リクルートと職業人は別にして、ラフなスタイ
ルで毎日を過ごしているのが、急にネクタイなんぞするものだから、吊しの洋服が歩いている。そういえば、2年前に出席していたK君が係の人かと思うほど着
こなしが良かったのを思い出した。
3つボタンのジャケットのボタンを総てかけるのは間違いですよ。一番下のボタンはかけないものだ。それをかけるから、しわが寄ってしまっている。僕が着
用している段返りの3つボタンでも中一つがけだ。
女性もどことなくおかしい。まるで柄物が歩いているようなのだ。背筋がないから帯の堅さに辟易しながら、無理に歩こうとしている。途端に踵の高い草履だ
から、歩くに歩けない。襟元がドーンと広がる。このパターンは帯のタイコが数センチ下がっている後ろ姿を見れば一発だ。何しろ、2時間程度傾斜の付いた椅
子に座るんだ。胸張っていられるか?。
トップページに出している八馬さんは元タカラジェンヌだ。今でも10cm程度のハイヒールを履いて闊歩できる。しかもジャズのクールストラッティンの
ジャッケットのようにね。
が、最近流行の女性のブーツ姿を見るとゲッソリしてしまう。ヒールがある程度無いと靴の使命が果たせられないが、それでも腰を落として膝を曲げて歩くん
だよね、最近の若い女性は。ま、来シーズンも同じブーツを履くとは限らないけど、新しいのでも同じだろうね。
どうだろう、こういった方々が親になって子どもにセケンに恥ずかしくない服装のことなどを教えることが出来るだろうか。そういえば、僕もやっているが、
孫に対してチヤホヤすることは、祖父・祖母は止める必要がある、とラジオで言ってた。やり続けると、親離れしない輩ばかりになるらしい。つまり、自分で
食っていけない人間ばかりになってしまうらしい、と。
2008
年1月5日(土)はれ時々く
もり
3日は家の中でブル
ブル震えていた。何しろ僕の部屋は暖房システムも冷房システムもない。在るのは扇風機だけだ。
4日は仕事。夜間徴収を1軒だけやらないとならないため、6時過ぎまで職場で待機。7日が本来の夜間徴収だが、仕事始めにこういったことをやるのはどう
かと思うものの、年末の約束だから致し方ない。ここまではイイ。が、現実は相手が不在。どういった考え持ってんだ。ニギニギしく感じて帰路についた。
その後、酒道場へ顔見せ。その後、蛮可夢でお歌い...
、と、そのときにワイルドワンズの「白い水平線」を見つけた。何年待っただろうか。うれしかったね。ま、お相手が来てから競演になったから大枚はたいた
が、これはこれでよろしかろう。
さて、そんなもので、おかしい夢で起きた。なぜかしら最近は見慣れた昔の風景に今の僕がいる、っていうシチュエーションだ。
顔見せも兼ね、久しぶりにステファニーのパンで朝飯。次号の文章のまとめなどをして、遅い昼飯はゲルマンにした。これも顔見せ。そういえば、今年になっ
て睡眠時間が1時間増えた。というか、増やすことが出来るようになった。おかしいけど1時間長く眠ることが、こんなに難しいとは思わなかった。
一般には、まだ流通が元通りにはなっていない。SR500を出して本年の初乗り。ことはDAIKIへ行ったとき。テレビ台用にBeBOXを探したのだ
が、寄松(よりまつ)店ではこれがなかった。で、和霊町店へ行くと在る。そこで思い出したのが車体カバーだ。これは確か...
。ね、両店を往復すると10km以上になる。アホみたい。結局何も買わなかった。
ま、SR500の改装は結果が良かったのはいいことだった。T-140Vのバッテリーを充電しつつ、NHK総合テレビのスポーツドラマを見た。結構良い
番組だった。全盛期から少し落ちた頃のスポーツそのものを問う点に関しては最高であった。そういえば、チーム競技でオリンピック優勝は女子バレーの2回、
男子バレーの1回だけであったらしい。ドラマの中で活躍する選手諸氏が幼いプレーヤーの範として教えるシーンがあったが、今の学校へ僕が出向くとうさんく
さい顔で見つめられるであろうな。あの事件以来どうも学校自体が孤立しているように感じられる。
ここいらの社会体制は旧態依然だ。どこかで打破しなけりゃならないのに、おんぶにだっこ。その主体は行政だって...
。住民がやらなきゃならないのじゃないのか。行政は少々手を貸すだけだ。
こんな状態でやってんだから、地域ブランドなんか決まるわけ無い。20年ほど早いや。ということは... 。
2008
年1月6日(日)はれ
一日中家の中にい
た。妻は休みだ。エアコンの暖房を付けたままにしているから電気のメーターがグルグル回る。来月の電気代が少し不安になってきた。
T-140VのバッテリーはOKになったが、さてさて、点火プラグを見ると、どうも濃い状況。かといって、これで悪くはない状況。この関連は...
。再びSUDCO
MIKUNIの検証に入らなければならない。幸い、SR500は一段落しているから、じっくりとやってみよう。というところで、本日のT-140Vでの走
行は中止。
その代わりではないが、思い切って散髪。ま、床屋東京への顔見せも含まれるが、今やっておいた方が、4月以降都合が良い。
その前に、ようやくMac OS 10.5のインストール方法が分かった。「鳥獣保護区」というサイトだが、ここに素
晴らしい方法が記載されていた。とりあえず、仮にどうなるかと言うことで、ターゲットディスクモードでセットすると、いけましたよ。
と、ここまで午前中に調べておいた。が、どうしてもPismoの10.4のハードディスクを認識しない。
散々考えたあげく、ディスクの情報をOS
9のインストールしてあるパーティションと同じにした。そして接続してみると、どうだ、上手くいくではないか。
しばらく考えて、実行することとした。あ〜っと、ハードディスクの容量が不足。3GBが不足という結果ダメになった。今後のことを考えて、一つ大きい容
量の外付けディスクを導入しよう。バックアップの後、イニシャライズして総てをOS Xにした方が僕の場合は好ましい。もう、OS
9の世界へは帰らないようだし。
2008
年1月8日(火)はれ時々くもり
暖かいんだか寒いん
だか分からない。この辺では「暑いかヒヤイかわからん」というんだな。
さすが、朝起きる前に感じたとおり、ハードな1日だった。何というのかしら、最近おかしな夢をよく見るんだ。これは前にも記載したとおり、どこか懐かし
いところに今の僕がいるというのがそれだ。
目が覚めると、急に今日の業務のことが頭の中にちらつく。ちょっと考えすぎじゃないか、と言われるのは分かるのだが、半分は職業病かもしれない。
気になっていたことは、午前中ギリギリで作業を終えた。午後からは、租税教室で新しい講師となる職員とともにS小学校へ出向く。校長は同級生だ。講師の
彼が車の中でしゃべっていたことだが、「小学校当時20代の先生は今40を超えていますから、当時40代は退職してる以上に亡くなってるかもしれない」
と。
そう、それだけ時代は動いてんだよな。ちょっと調べると、赤道上で地球の自転は470m/secという早さだ。スゴイ。
久しぶりに、コヴェントリーの清水さんへ電話。T-140VのキャブをAMALへ戻してみようかな、と思ったからだ。少しゼニが必要だが、良いかもしれ
ない、と感じる。では、どうしてSUDCO
MIKUNIへ変更する前に気づかなかったのか?。答えは簡単。その当時は僕が必要としたパーツがなかったからだ。
と、まぁ、いつもながら口で言うのは簡単だが、上手くいくことはまず無い。その過程がおもしろいんだよな。
何だかとりとめないことになったが、明日から11日まではお酒の席が続く。そんなことで、本日小誌をアップロードした。久しぶりにオートバイは休止。代
わりにPowerBookのことを記載した。実は、Pismoのハードディスクの残り空き容量が2GBしかない。外付けのハードディスクを購入すべきだ
な。
何かまとまらない、としたとき、NHKの仕事の流儀で、すし職人の小野二郎さんが出演した。久しぶりにあの「おまかせのにぎり鮨」が食べてみたい、と感
じた。20カン。いくらするだろうか。貧乏人は直ぐにそちらへ走る。ダメだな。
2008
年1月10日(木)はれ後くもり
仲間内にお断りし
て、午後3時半より休暇。理由は簡単。今週末の天候が不安だから、タイヤ交換が出来ない。そのため、後回しにするより、先に交換をすると決めた。ワタナベ
に発注しておいたK300のフロントタイヤをSR500に装着するためだ。おもしろいもので、TT900GPを外す方が時間がかかる。サイドウォールな
ど、チューブレスをチューブタイヤのリムに沿わすのはどことなく違和感があるように感じた。
さて、走りはどうか、ウ〜ム、リヤの減りとのマッチングが悪いが、扁平率の関係からか、フロントタイヤがワンサイズ大きいように感じられる。若干だ
が... 、ダメダメ、ここで結論は出せないものな。
その後は連合地域協議会の旗開きだ。サスガに昨日の二の舞にはならないし、僕自身が酒自体を受け付けない。HD亭の一次会で退散した。まじ、身体全体が
疲れているのがわかる。酒が美味いとは思わないものな。これ以上やるとヤケ気味だ。大半の人はこれをやるんだろうな、と思う。そういえば、愚痴はこぼすけ
ど、酒をウップンをはらすために利用したことはないな。
というところで、明日も酒宴の席だ。が、今日と違うのは知り合い連中が多い。これだけでも随分と雰囲気は異なる。そうそう、日曜日は同級生との会だ。
もっと心が和む。おかしいものだな。
初対面で一気に盛り上がるっていう席は最近少なくなったような気がする。それだけ多くの人が飲まなくなったってことだろうか。
2008
年1月11日(金)くもり後あめ時々くもり
宇和島市ってこんな
団体だったんだろうか、と思った1日だった。同時に市長って職の意志は市の「負」の部分には触れず、可の部分だけに自分を出せばいいのか、に「なってし
まった」報告を兼ねた1日になってしまった。
まずは国内でもこの手の病院の話題は一つ抜きんでているんだろうな、という市立宇和島病院の件だ。この件は保健医療施設の取り消しは確実に来る。むし
ろ、今はこの期間がどの程度になるかの水面下の折衝をやっているのが普通だろう。
が、市長は返すものは返す、と平気でのたまう。おかしい。悪いことはしていない。ヤッタのはむしろ万波医師ではないか。これは市立宇和島病院にとっては
負だが、この件の裁判は起こっていない。
こういった態度だから、「国民年金センターうわじま」の落札も失敗するんだろう。市長の弁明がイカシテイル。「ダメ(負け)てしまったよ」。僕が市長な
ら、先の厚生労働省の市立宇和島病院に対しての監査があったのだから、あんなヘラヘラした言い分と顔で対応すべき問題じゃないだろう、と感じるのだ
が... 。
YaHooの掲示板に「宇和島斬り」というのがある。僕は信じていないよ。これは今の石橋市長に対抗するNさんサイドの掲示板だもの。あんた、一市長候
補の方が、この辺のところを論ずるなんて無理も甚だしい。それゆえ、アンタに対しての質疑などは受け入れないようになっているのではないか、と思う。まし
てや、そこへの書き込みの大半は、「今の宇和島は一切考えられていない」というのが実情だ。したがって、Nさんは議員になれない、というのが正確なところ
だ。この宇和島斬りサイトも結構ヤバイ反面を持っていることも理解しないとならにのはいうまでもない。
この地方のことを申し上げたが、本日の衆議院本会議での結果はどうだったんだ?。こんなバカげたことがあるか?。
地方でもこんな状態だから、今のところ自殺する奴もいない。こんな議員連中に国の将来を任セルことが妥当かどうか?。
このインド洋で自衛隊の船が攻撃を受ければどうなるか?。僕の予想では戦時下になることは間違いがない。一銭五厘の赤紙が間もなく一般の若い人たちにく
るのであろうな、と強く感じるところだ。実際の戦争はその少し前まで来ているのではないだろうか。
2008
年1月12日(土)雨後くもり時々はれ
ブログにも記載して
いるとおりだが、久しぶりにPismo(PowerBook
2000)の内部へ手を入れた。理由は簡単。以前パーツ取り用で購入したPismoの液晶部分をそっくり入れ替えしていたため、ヒンジ部分が甘かったん
だ。
それが、とうとう90°ポジション意外に確保できない状態に陥ってしまった。浅くすれば閉まる。広くすると水平になる、では使い物にならない。そのため
の処置だ。
作業は本編にて紹介するが。広い(14インチ)液晶が徒になって補強を最小に留めるなど相当に苦労の後が見られる。上下を大きく左右を少しばかり狭めた
今の液晶を搭載するようにしていればこのモデルはなかなか好ましいモデルになっていたような気がするが、すでに7年前のこと、これは無理であろう。
それにしても使いやすいモデルである。遣い続けるにしてもきれいな中古を1台保管しておくべきであろうと思う。入れ込みの強いモデルだ(った)から。
そうそう、昨日は大変な出来事があったため、日付まで間違えてしまうほどのことになってしまった。加えて市立宇和島病院の一件がある。口で1億円という
と簡単だが、租税教室で使用している1億円を手にすると、相当の額に感じる。資質も大きさも本物と変わらない「みほん」である。これを子ども達に持たせる
と、小学生は驚きの方が大きい「1億円ってスゴイ」とね。中学生だと「もしかして」と「これだけ稼ぐのには大変だ」といううれしさと大変さからお金の価値
が少しばかり理解できるような、そんな受け取り方をするようだ。
それを市として変換せよ!と来たわけだから、大変だ。おまけに連結決算だから、自然体としての1億円の違約金=市民全体のペナルティーになってしまう。
その分、我々職員に賃金として負わせられることになると少しばかり考え物だ。
おまけに、予想されることは1〜2か月の保険診療適用が除外されるのではないか、と思われるからだ。「こらえてヤンナハイ」といったところで厚生労働省
は必ずやるぞ、と僕には感じられるのだが。
2008
年1月17日(木)はれ
阪神淡路大震災から
13回忌の今日だ。あの日の7時過ぎ、民法で脇浜アナウンサーが呼び出され、数カ所かtら火が出るテレビ画面にコメントを加える。僕はテレビでその瞬間を
見ていた。
あれから13年が経過した。いずれも過去のことだ。今になって、あの教訓を忘れるな!といったところで、今の世の中、それは絵空事に過ぎない。決して極
論ではない。当の知っているはずの神戸の住民のどれだけが「恐ろしい」と未だに感じているのか。僕は非情だが、相当数が忘れたがっているのではないか、と
感じている。
強いていうと、淡路はどうなのか?。僕の知る範囲では、現在の時間(午後8時50分)の時点で淡路の被災地を記したニュースは皆無に等しい。現在の復興
の度合いなどはどうでもいい。あの日からしばらくして、ウチの組合から2人が出向いた。一人は今の岩城市議会議員である。帰っての報告は凄まじいであっ
た。シュラフで寝泊まりする協力者は「ボランティア」どころではない。それぐらいヒドイ状況の中で、地元の人と交じりあって1週間ほど活動したのだ。
何処にもその状況を発表はしなかった。が、その後出向いた高知の宿毛(すくも)などから参加したお仲間が雄弁にボランティア活動を語ると、最初に期間限
定のボランティア活動をした仲間に対しての侮辱ではないか、とまで感じたほどであった。
したがって、僕の(淡路を記載することこそ重要だが)阪神淡路大震災はすでに過去のことだ。今はそれに対しての反省と、今後に発生したときはどう対処す
るか?が問題ではないか... 。
としても、気にもとめなくなってきている。その上に「もしも」を加えると、僕自身いたたまれなくなってしまう気分に陥る。現実はこんなものではないか。
本来は「今日を生きる」ということに総てを傾注させていていただきたい、ましてやこの日には、というのが、当時の被災者の方々の心ではないだろうか、と感
じているのである。
あの日から数年後、芦屋の母方の知人の家を訪問してどうなっていたか、その脚で訪れた三ノ宮の状況を見ると、時間は経過していたにもかかわらず、当時の
状況が容易に判断できたことを目の当たりにした僕からすると、13年後の「今の」報道が如何に脚色されているか... 。
もちろん、その後(昨年のを含め)新潟の件なども考慮すると、この1月17日を自然の驚異から免れる日として制定すべきではないか、とさえ感じる。
たとえ、それが決定しても、今の世の中「被災してもゼニ集めに執着する者」が消えることはない。
もう一点腹立たしいのは、どうして「千の風になって」の大合唱が起きるのだろうか?。神戸、淡路でくたばった奴の亡骸はそこにあったではないか。火だる
まになって焼けこげた遺族の姿を見ているではないか。そんなのが風になってそこかしこに漂っているなんぞ嘘だ。心を犠牲にしてまで、あの西洋かぶれの歌を
歌うべきではない。僕はこの歌声の報道を見聞きすると、あの当時、この歌が流行らなくって良かった、と感じるのである。
どうだろう?。一般の方でも、天涯孤独になった僕と同様の方が死んだ人のことをどうのこうのいわれると、妙に「止めてくれ」といいたくなるはずだ。それ
が良きにつけ悪しきにつけ... 、である。
おそらく、明日になったら週末金曜日の忙しい一日になるのであって、今日は昨日のこととしてのみ受け取られるのであろう。
2008
年1月18日(金)はれ
朝の内雨が降った
が、日中はこの辺にしては珍しいぐらいの冬の青空が広がった。天気予報よりは若干気温が上がったが、それでも10℃台であった。風も吹いて、冬の日ではあ
るものの、小春日和に近いな、と思わせる1日であった。
さて、仕事はあるにはあるが、どうも実際と直結しない。ことに管理職徴収になると、管理職が「すっかり忘れていた」というコトバを発する始末。アンタに
徴収をお願いしているんですヨ、とキモチで訴えるも通じることはない。
一つ夜の行事を終えて、ゲルマン。久々に凄まじい話を聞いた。結論からすると、共同・協業などの同じ業種などの組合は、この宇和島では大部分は機能して
いない、ということだった。
話はシロキの一件から始まって多岐に及んだが、総て過去のこと、で多くは済まされている。愛南町の松下寿の件も同様だろう。
僕はね、今の自治労関係のことやってるけど、共同、協業関係の組合では「組合員の福利厚生」などはやっていないのだろうか。賃金云々はさておき、今の宇
和島で同業の集団でどうのこうのする、となれば、今のままでは群雄割拠に至る前に総てが滅びる結果になるのではないだろうか、と感じたところだ。
で、こういった組合に属していないゲルマンのマスターと話をすると、関連料理関係の組合は自治労などの組織以上に「ファッショ」がまかり通っているので
はないか、と感じられる。
先日の新津産業、「かどや」のボス、それに市長の対談が出ていた愛媛新聞紙上のことを僕は批判したが、紙面の半分以下の広告にそれに反する団体、あるい
は、個人が大枚はたいて広告を意のままに出したい、としたら愛媛新聞はどうしたであろうか。
今の宇和島市を牛耳っていると思わしき団体は、実のところピーピーの生活ではないだろうか。そのうち、新津の山も破綻が来るであろうし、その開発地のそ
の後のことは考えていない。「かどや」が率先して料理関係の組合員の福利厚生に役立つ組合活動をしているか?。立場は違うとはいえ、商工会議所が関与して
いないとは、僕は絶対に感じていない。
こういった、バカげた体制を打破しなければ、宇和島の経済なんて破綻が来るのは目に見えている。おそらく、今年の年末辺り大きな破綻がやってきて、宇和
島は過去の街になるのではないだろうか。
大変、気分の悪いことを記載したが、決して間違いではない。今のツケ=借金がそのうちとんでもない重荷となって... 。
「あそこがツブレルとはね〜」になるのであろうな。昨年の税制改正から相当速いスピードで「破綻」がやってくるのであろう、と感じるのであるが。
2008
年1月20日(日)雨
マリーの恋人ってい
うタイガースの歌が聞こえてきそうな一日であった。昨日はあんなに良い天気だったのに、一転して朝から雨が降る。夜の今、まだ降り続いている。これで柿原
の水源地のダムは少しばかり潤っただろうか。鬼ヶ城が雲に隠れているので不明だが、そこへ降り注ぐものが雨から雪に変わると水の確保は出来ない。自然の非
情な現実だ。冬山登山で雪を思いっきり集めて溶かしても水になるのは微々たるもの。大半の人は知らないかもしれないが。
昨日はブログで紹介したとおり、スーパーサウンドの件で、使用をあきらめざるを得ない結果になった。過去幾度となく記載してきたが、真面目にSR500
とSR400は全く違うものだ、と言うことを改めて確認した次第だ。
そうそう、来週辺りは、このPismo改がOS
10.5.1で動くことになるのではないか、と思う。再び新しい機種に目を開かせてくれたのは、チョイトした古手の機種だ。が、高機能を持っている
Pismo改が10.5.1で動くことになると... 。真面目にワクワクしてしまう。
その前哨戦としては、あまりにチープだったが、昨日USB2.0のカードリーダーを購入して、早速カメラからPismoへのデータ移動をやった。いやは
や驚いたね。速い。1.1.でもこのスピードだから、これまでカメラから取り込んでいた際のバッテリーの消費量を考えるとゾッとしてしまった。ある意味、
近代マシンを追いかけるというか、少し古いマシンでも行けるかどうか考慮してはいるが、周辺機器に対しては、もっと注意していなくてはならないことを知っ
た次第である。
というところで、FinePix S1 Proにスマートメディアを入れ込んだところ、Errの表示が出る。散々やったがおかしい。どうして?。
強くカードを差し込んだらなおった。マイクロドライブかType IIのCFカードにしなければならないかもしれないな。S1
Proだと今でこそ廉価版だが、その大きさは銀塩カメラと同じだから違和感がない。ニコンのD3とD300、それにD400などと比べると、やはり、一眼
レフはそれなりの大きさが必要ではないか、と感じた。D400を持つくらいなら、キャノンのレンジファインダーのデジカメの方が遙かに好ましい。パララッ
クスが生じないとはいえ、レンズに一部機能をゆだねるデジタル一眼レフは、一眼レフとは言わない、と断言すべきなんだがな。
僕の予想では最近出てきた35mmフルサイズのCMosセンサーの半分のサイズのCCDを搭載したモデルが今のAPSサイズに取って代わられるのではな
いか、と考えているのだが、どうであろうか。
2008年1月21日(月)くもり後雨後くもり
真面目に、少々気分
が重い朝であった。天気予報どおりだろうと考えて、傘を持たずに出たのだが、これがX。昼前から雨になってしまった。幸い、職場に3年前の金比羅へ行った
時に買った300円の傘があったので助かった。少しばかり逸脱するが、これもマジで傘布の黒の染色はダメだが、骨への張り具合、シャフトの耐久性など、
300円とは思えない丈夫さで今でも使用できる。中国製とはいえ結構良心的な製品もあるものだ、と思った次第。同様、中国は広い国だから、この傘を作った
良心的な弱小企業など、何時潰れても気にもされないのだろうな、と感じた次第だ。
少しの暇な時間、SRのエキパイの件で調査をしていた。思わぬ発見はしなかったもののエキパイとマフラーの関係が少しだけ分かった。仮に純正の組み合わ
せ(エキパイとマフラー)で、どこまでは当初のスペックどおり性能が発揮できるのか?。これが、これからの楽しみでもあり、苦しみでもある。
酒道場の例会。「なっそ」(どうしてだ?とか、なぜだ?とかの意)という津島町の「どぶろく特区」の「どぶろく」を飲んだ。これはイケナイ酒の一つだ。
流行で言うと「飲んではならない云々」になってしまう代物だ。できあがって?2週間程度だが、発行は止まっていない。ガス抜き付きの蓋ではあるが、開封す
るとスッという音がする。
無くなる前に酒を足したが、そう変化はなかった。昔の人は、どぶろくはどの辺で飲むべきか?を知っていたのではないか。もう一点は、そのちょうど良い飲
みどころでの酒、というところから、今の清酒ができあがったのではないか、と感じた。
同時に、酒道場のマスターが松竹梅の上選の酵母が分かった酒をゴチになった。これが淡黄色なんだ。そう、昔、我が家が食堂をやっていたとき、誉美人、桜
渦巻など、いずれも1級、2級を問わず清酒は淡黄色であった。それに対して、ダルマ、寶の焼酎は凄まじいほどの透明度を誇っていた。
それ(焼酎)を飲んでいた、旧高光村の村長があまりに美味そうに、時には砂糖を入れて飲むものだから、焼酎はアルコールと母が言うもので、「甘い」と判
断して、子供心に耳垢などを取るエチルアルコールを脱脂綿にとって、口に絞り込んだことがある。
お解りのとおり、僕はそのカラサに耐えきれず。思わず水を飲む。悪いことに口中に残ったアルコールが水とともに喉へ... 。咳き込む...
。いつもなら無視しているべき父がコッピドク僕を叱った。真面目に異例のことであった。
現在コミックの「蔵人」で、淡黄色の酒で同じようなシーンがあった。今は黄色い酒(清酒)は売れないらしい。不思議なことだ。日本人で、フトした喜びの
席などで酒を飲むとき、今ならビールの後、どうなるのだろう?。
やはり、僕ぐらいの年齢の者がその席にいなければ清酒が登場するのは難しいか?。でも、風邪ヒキさんの大人なら、少しお燗した清酒と、チョイトしたアテ
(チョコレート、ナッツ類)とともにやると、全快するのではないか、と考える。
甘酒が飲めるのなら、「梅錦」の1升瓶の上選はお薬として重宝すると思うのだが、こう記載する僕は異端だろうか?。卵酒っていうのもあるんだよな。
2008
年1月25日(金)はれ時々くもり
苦節3日、現在
PowerBook G3 Pismo改をMac OS X
10.5.1で稼働している。非常に快調だ。改というと何か特別なことをやったか?、と思われがちだが、そんなことは一切無い。いや、チトあるか。
それは10.5がインストール可能なマシン(同じメーカーのCPU同士の)でもって、ターゲットディスクモードで、インストールディスクからインストー
ルするワケ。最初は判らないものだから、午後11時頃までかかってダメだった。2日目は上手くいったまでも、どうもオカシイ。結局、午前1時半までやって
動くところまでいったが、どうもおかしい。で、本日9時過ぎまでで一応使えるところまでになって、午後11時近くになってOKになった。顛末は次号辺りで
紹介しよう。
久しぶりに深夜までコンピューターに触っている日々が3日になった。が、ずっと前のように焦ったりもせず。順序よくやることが出来るようになった。
Macを使用し始めて16年目を迎えようとしているから、こういったことが言えることであるものの、当時はスクリプトなども出来ず、ただ、簡単に使うこと
ができることにビックリしていたものだ。当時の98マシンなど軽いのは軽いがぺらぺらの5インチフロッピーを2枚使って行っていた。それに対し、2HDや
2DDのフロッピーディスクは単にファイルのコピーだけ。その当時でも80MB程度のSCSIハードディスクが標準装備だったMacが以下に進んでいた
か、今になってようやく判ってきた。
昨日、ビル・ゲイツ会長の近況をテレビで見たが、えらくジジイに見えた。少々タルミも見える。それに対して1円の月給らしいジョブスCEOの何と若く見
えること。この辺の勢いっていうのがネ。僕はジョブスCEOと同年代だろうけど、何となく近しい人に感じる。神様じゃないしね。神格化するとAppleが
毒リンゴになってしまいそうだ。
というところで、本日の星空見てると、37年前、”この人”と思いつつ打ち明けよう、とした人からウルルンの気持ちでフラれた夜、彼女の家から満天の星
を仰いで2kmの距離を涙を流さないように歩いて帰った時を思い出す。
その人と同じような考え方を持つ今の(今でも)妻と出会うのはそれから1年後、人様の会費制結婚式の実行委員会で意気投合することになるのだが...
。
出会いというのは、おかしなものだ。Pismoとの出会いもSE/30と同じような気分で、同じ「企画室Yu」から購入し、今日に至っている。
2008
年1月28日(月)くもり後雨
実は一昨日午前2時
(つまり昨日)までかかって、PismoにOSX
10.5を完全インストールした。唯一の問題点はバッテリー残量の表示が出来ないことだ。これだけが問題で、その他は違和感ない、むしろ、カチッとした操
作は小気味いい。
でも、結局総合の動作が遅いので、日曜日の午前中一杯かかって、もう一回インストールをして使える状態まで追い込んだ次第だ。
さて、今回Pismoに10.5.1をインストールしたが。変換作業など相当に進んでいるように感じた次第だ。CEOから何ももらっていない。使い勝手
など、もはやOS9の世界には戻れない。これだけを割り切ってインストールした。
顛末はブログで少々紹介しているが、実際はそんな生やさしいものではない。が、今使っている段になると、Pismoでも10.4(.11)には戻れない
な、と感じるところだ。
この数日間、Pismoという、今から8年も前にリリースされたキカイに最新のOSを無理矢理インストールして使うこと。一般には悪いことのように感じ
られるが、僕のように少しだけ苦労して使ってみる糸口を見つけやってみる。
今回は成功したが、これが失敗に終わったらどうするか?。僕は単に最初からダメだと謳ってあるではないか、と言われるのは判っている。が、そこから一歩
踏み込んで... 、という状況が現在も生きているかどうか?。
最近はMac関係の雑誌でも、こういった類の記事は皆無に等しい。ディスカッションルームのようなサイトも結構消滅した。やはり、これが現実だろうな、
と感じる。
飲ませて下さい もう少し
今夜は帰らない 帰りたくない
誰が待つと言うの あの部屋で
そうよ誰もいないわ 今では
唄わないで下さい その歌は
別れた人を 思い出すから
こんな私 許してください
外は冬の雨まだやまぬ この胸を濡らすように
傘がないわけじゃないけれど 帰りたくない
もっと酔う程に飲んで あの人を忘れたいから
昔流行った歌謡曲、氷雨の歌詞だ。これと同じような雨が降ってる。少しでもイイ、こんな悲しい雨でも、今の宇和島には必要だ。この数日の雨で、ようやく
60%程度の貯水率だ。雪は要らない。今は雨が必要だ。
それにしても寒い夜だ。それに、この雨。
が、本日は執行委員会も上手くいって僕の心は少しだけハッピーだ。そして、これをタイプしているPismoとOS10.5.1。
本日は、ようやく安心して早く寝られる。
2008
年1月29日(火)くもり
夜、トライアンフエ
ンスージャストの淺場啓二さんが1月27日に交通事故、しかもトライアンフで亡くなったという情報を知る。
日曜日だから、2,000円ツーリングをやってらっしたのかもしれない。ガソリン代を除いて2,000円で1日をオートバイを走らせて楽しむ企画だ。そ
の途上で亡くなられたのかもしれない。いずれ、雑誌等で紹介されるであろう。
僕が氏と直接話をしたときは電話でクラッチスプリングに「アサバ・スペシャルスプリング」を購入するときだ。おそらく1978年ぐらいではなかっただろ
うか。次はイギリスのローバックというショップからエキパイを購入して、そいつがT-140Vに入らない、と相談すると、叩き込んだらいいよ、とすごいア
バウトなことをおっしゃるものだ、と感じた。
もう少し、低音でしゃべられるのかな?、と思うのと裏腹に少し甲高い声の持ち主であられた。僕とトライアンフのつきあいは今をよりよく走らせようと、ソ
フィスティケートされたものになりつつあったし、世が世だから650のトライアンフの方が好ましいという風潮にアンチテーゼを持ち続けていた。6年前、花
園村でお会いして、お話ししたのが最後であった。
ほどくことが難しいため、アサバ・スペシャルスプリングは今でもクラッチに装着されている。不思議だろうが、バネレートからカブ系エンジンの4速クラッ
チほどの重さでレバーが引ける。
僕は氏のように速く走ることが出来ない。また、上記のように、氏を師と仰ぐような状況でもなかったため、スプリングを勧めたことはあるが、氏の考えとい
うか、方針には少しついて行けなかったところもあるように感じていたところだ。決して悪く言うものではない。
いずれにしても、トライアンフに関しての著名な方がお一人彼の地へ旅立たれた。冥福をお祈りしたい。
2008
年2月2日(土)くもり後雨
あわただしい1週間
が過ぎた。相変わらずPismoは10.5.1で快調だ。おかしいことだけど不具合が少しばかりある。これは気にもならないものだが、古いキカイでは少々
困ることでもある。いずれ紹介したいが、唯一いえるのは、「Leopardはintel
Macにある」と言っても過言ではない。これが、最大のネックであろう。
僕は10.4はG4、G5には大変ふさわしいものであると思う。ただし、どうしてもCPUのクロックは500MHzが最低限ぐらいではないか、とも感じ
る。別項で記載したいが、Pismoに10.4をインストールしてG4の550MHzからG3の400MHzへ落としたらスッと速くなることも経験してい
る。
今のMac、少なくとも日本でのMacは高速CPUと大容量のメモリーを使用していることが大条件になっている。残念ながら、最近のMac
OSには詳しい解説書が付かない。MC68XXX時代のMacを購入するとそれは親切な和訳の解説書が付いていた。これはアメリカの製品なんだ、と。
明らかにあの頃とは違う。あまりに簡単すぎる。むしろ、このことがMacのシェアを衰退させているのではないか、と感じているところだ。
それにしても、今のOS
Xは落ちなくなった。Leopardはビスタのパクリか?という一文をサイト上で見たことがあるが、Windowsが旧Mac
OSのパクリをやってたこと。Apple側がマイクロソフトへ「来ませんか?」と声をかけたこと。その結果、EXCELを開発したのではないか?。
AppleがMacを作り始めた頃からMac陣営で最後まで残ったのは当のマイクロソフトであったのだ。
このことを知る人間も少なくなってしまったな〜。事実だよ。
2008
年2月4日(月)くもり一時小雨後時々
はれ
こんな天気の状態
だ。一方を山、一方を海の八幡浜はどうだろうか?おそらくスパッと天気がわかるのだろうな。宇和島はそうはいかない。
今日の新聞もおもしろいことが記載してあった。2日にT衆議院議員候補予定者の後援会が立ち上がった。それに対して、自民党は現職の山本公一氏を公認、
ときたね。副大臣には一度就任したが、宇和島から出ていても、宇和島のためにはどうにもならなかったし、かといって、愛媛のためにも、端的にいうと国のた
めに動いていたかどうか、はなはだ疑問だ。こういった状況を顧みずに公認するのはいかがかと思うが、保守一辺倒のこの辺の方々は、もうお一人の候補予定者
であるS氏を推薦して公認すべきではなかったのか。当選すると、この地はなお一層悪くなるのはわかりきっている。国民の判断は夏であろうかな。
もぅ一つは訃報だ。この地での音楽関係の大御所であった井上助次郎先生が他界された。僕が先生と関係を持つのは、鶴島小学校の4年生の時からだ。旧宇和
島市内で初めての鼓笛隊を創立するということになって、僕が隊員になってからであった。
もちろん、音楽の授業も同じ頃だ。音楽の時間なのに、ついつい脱線して先生のお話を聞くのが音楽より楽しい時間でもあった。もちろんいつもではないが。
6年生の時は指揮者になった。国立音大から講師を招き、僕たちがモデルになって音楽関係者の前で鼓笛隊のパレードのあり方をやった。バトンとアラーで
あったモナミのマーちゃんとともに、昔のアーケードを袋町から恵美須町まで完成のたびにパレードをやったのも楽しい思い出だ。
時には、旧三間の大内小学校まで井上先生と教えに出かけた。僕の聞き間違いから泊まりになるかもしれないので洗面道具を用意してまで出かけたが、その日
に帰ってきてガックリ。
ここ10年ほどはピアニストのエリク・ハイドシェックの関係とか、宇和島の合唱団のために宇野巧芳氏を招聘したり、無類の活躍であった。僕とは意見が食
い違ったが、オーディオ関係でも抜きん出た存在であったことも事実だ。
そして、大の阪神タイガースファン。表面には出されなかったが、タイガースの不調の時は、石を投げたくなられていたのではなかろうか。
すべては思い出だ。先生が昨年末に出された07年の回顧のはがきが最後になった。どうぞ、この地でやれなかったことの続きを彼の地でやってください。ご
冥福をお祈りします。
2008
年2月6日(水)くもり一時小雨後時々
はれ
オーオ、格好いいよ
な。クリントンなんて、ホントだろうか。僕は彼女の顔の中に隠れている面は嘘の固まりではないか、と思うよ。僕が忘れられないのは、夫のかつての大統領で
あるクリントン氏が当選したとき「ゲイの認知について云々」の急なインタビューで「いいんじゃないの」といったのを思い出す。ま、ゲイの主張は認められた
が、今の状況は表面上はいいまでも、真は未だに厳しいものがある。同様にオバマ氏は黒人の血が流れているから、ブラックジョークでもある「体を切ったら黒
い血が出るんだろ」などのことをまともに受けての選挙戦だ。
女性を差別するつもりはないが、クリントン女史そのものはどうもな、僕はいい意味での弱ミソのアメリカは、民主党は、自覚をもってオバマ候補を指名すべ
きだ。でなきゃ、選挙前に入ると共和党のマケイン氏にすべてを奪われることになるのではないだろうか。
さて、本日は訃報を再び聞くことになる。元の収入役のI氏が他界された。氏は元々拙宅の近くに住まいされていて、僕が小学校の頃ピン球の野球をやって楽
しんだ思いがある。町内対抗のソフトボール大会も1〜2度コーチをしてもらったのではないか。この方と職場で一緒になるとは夢にも思わなかった。
退職されてもあれだけ元気な方が、あっという間に逝去される。まさに人の世はわからないものだな。僕も退職後のことを再び重要視しなければならないの
か、と思いをあらたにした次第だ。
2008
年2月11日(月)はれ後くもり時々は
れ
建国の日だ。僕自身
は休養を取りたいのに、一つの集会へ出かける。反体制というわけではないが、神がかりから現実に戻っての集会だ。役所でやったようなお祝いの集会ではな
い。国体の護持など今の日本で考えられるか。1日に1回はきな臭いニュースばかりだ。
その点、本日の集会は50人程度であったが、話の中で出た北欧の社会のことと我が国の状況を比較すると、むなしくなってしまう。まじめに今の社会情勢を
考えると、国への中央集権的国家を再びつくりあげる方向へ向かいつつあるように感じられてならない。かつての帝国憲法の発布日である今日、親に忠誠などの
世界も無い状態だものね。そういった国民を誰がつくったのだろうか。
さて、PismoからLeopaldを外した。ハードディスクには何も残っていない。若干遅くなったが、PowerBook G4
12インチへ英語のASCII配列のキーボードが装着された。これを機にテストしてみると、ナント、違和感なくタイプできるではないか。フシギな現象で
あった。
それにしても、先週末から本日まで毎日のように酒をあおった。というよりは、その席ばかりが連続であったものだからかような次第になったわけだ。
土曜日の雨がそのまま乾かないため、晴天であっても少々寒い。今年はどうやら「えんま様」を過ぎないと暖かくならないように感じる。もっとも、これが普
通なんだけどね。
四国自動二輪交友会まで残り1か月。トライアンフの車検も近づいた。そろそろ始動させないとならないな。
2008
年2月12日(火)くもり時々はれ
ゴーゴーゴー
風が泣いているゴーゴーゴー
ゴーゴーゴー
風が叫んでるゴーゴーゴー
誰を追いかけていくどこへ
何がそんない悲しいのさ
夜更けもゴーゴー
あばれるゴーゴー
嵐のゴーゴーゴーゴー
古いかもしれないが、田辺昭知とザ・スパイダースの「風が泣いている」だ。リードボーカルは堺正章だ。
今は午後10時前、NHKラジオ第1の真打ち競演を聞いて楽しんでいる。外の風が少し凪いだ。寒い外とは別に、ここ2日間、G4 PB
12でタイプしている。滅法使いやすくなった。しかし、Pismoと記載はしよいが、この12インチモデルは何と称すればいいのだろうかな。
本日やったのはターゲットディスクモードで元のユーザーフォルダーをコピーして必要なものを入れ替えした。これで、Pismoとほぼ同様に使用できるよ
うになった次第だ。
職員団体のワープロのフロッピードライブがどうも調子が悪い。ワープロは今になって考えると結構使いやすい。ま、近日中に新しい(といっても中古)東芝
のルポを購入しなければならない。また、一方ではMacとルポとの変換ソフトがフリーであるようなので、さしあたってはPB5300CSで変換してみよう
かな、と考えている。
もちろん、OS
X用もあるようなのだが、当のフロッピーディスクが2DDなので、2HDへ変換するのが先なのだ。となると、現行で簡単に使えるのは5300CSしかな
い。何という皮肉だろうか。
今週が寒さのピークかもしれないな。
2008
年2月14日(木)くもり時々雪後はれ時々くもり
こんな天気を記載す
るのは実に何年ぶりだろうか。真面目に天気予報が当たらないこの地方独特の冬の天候だ。
で、本日はSt.Valentine's Dayである、いつもながら...
、と思っていたら、少ないチョコレート。義理と解っていても、やはり寂しいものだ。ま、この国は仏教の教えが広まっているところだからキリスト教の風習に
はなじまないことかもしれないな、と感じた。
帰るとAMALのMK-1.5が来ていた。真面目にインマニも30mmだし、これはOKだ。その上に、このAMAL
930を落札したのにはインレット部分に付く特注のファンネルを見つけたことだ。これによってK&Nの57mmのフィルターが使えるということ
だ。これはうれしかった。が、欠点が無くはない。まじめに、その重さだ。これはMK-1の方が遙かに軽い。とれるパーツを取ってMK-1へ移植するのが巧
い方法かもしれない。
椿さんが明日で終わる。こちらは「えんま様」が終わらないと春などは来ない。
天候などは自然相手だから、どうすることも出来ないが、ここ2日ばかり、職員組合の東芝ワープロRupoの文書をMacへ取り込むことをしているのだ
が、フロッピーディスクの使用制限から少しばかり2度手間だ。でも、ワープロから出来る限りパソコンでバックアップしておきたいから、やっているだけだ。
どちらにしても、完全なルポを1台購入しておかなければならない。
その変換作業を司るのが5300CSなのだが、欲張って8.6をインストールしているものだから、時としてフリーズしてしまう。OS
Xではほとんど考えられない世界だけど、思わず昔を思い出した次第。再起動したりして、結構時間がかかって大変だったんだよね。
2008
年2月15日(金)くもり一時雨後くも
り時々はれ
今はリアルタイムで
NHK総合のプレミアム10を楽しんでいる。申し訳ないけど見ているのはリアルタイムでもパソコンで記載するのはディレーがかかる。この辺が解ってくれる
人は少ないよな。ま、そういった状況だから、この日記がアップロードされる頃はすでに番組は過去のものになっている。
こんなこと考える人は少々偏屈ものかもしれない。が、こういったことをマジで説明して記載するような方が少ないのも事実だな。
フッと泉谷の春夏秋冬を今流のバージョンで、かれはギターの弦を切ってしまうほどの熱演をしてくれた。ググ〜っと時計を巻き戻してみると、あの頃こう
いったアレンジをしたら「絶対」反発食らうのは目に見えている。
けれど、この新しい編曲でやったところ、別段違和感がないのである。それだけ曲自体が素晴らしいものであったし、泉谷も(僕は知っているが)かつては、
ことほど左様にライブもスタジオも真面目にこなしていたのではないだろうか、と考える。
真面目に当時の春夏秋冬を聞き直して、パソコン上で個人的にアレンジすれば、基本が相当な要素を持っていたのではないか、と考えるのである。
それにしても坂崎氏は上手だし巧いね。「和幸」では久しぶりにリッケンバッカーの600シリーズの12現ギター、加藤氏はヘフナーばりのベースだった。
ことに12現ギターはリッケンバッカー特有の音を生かすなんぞ、並大抵のものではない。(30数万のギターでも安いものかもしれないが)そのシチュエー
ションに適した楽器も必要な現代のミュージックシーンだな、とも感じた。
時間も過ぎてしまったが、当時のものを彷彿させるにはどうすればいいか、ということではなく、それをやるには当時のものを一つ加えればいい、というのが
解った次第。
同時に、当時の女性ボーカリストとして残念なのはソロシンガーで、今でも一線という方も少ないし、当時の彼女を今に持ってきて今の状況で歌わせるのが日
本では相当に難しいということだろう。僕は、ジュディ・コリンズが大好きだ。多少シワは増えたろうけど、彼女の歌声は未だにそのままだろうと思う。が、
ジョーン・バエズのその後をあまり知らない。PPMのマリー・トラバースは相変わらずの容姿と歌声というのは知っているが... 。
ま、三線とかウクレレを持って表現するのは少々行き過ぎかな、とも感じるが、その当時を彷彿、否、当時のままに聞こえるというのはどう解釈すればいいの
か。
もう、今から38年ほど前の世界のことだ。そういう僕は息子に取られたリッケンバッカーの320に替わって350を密かに狙っている。
2008
年2月17日(日)くもり時々雪後くもり時々はれ
真珠祭り、といった
方が手っ取り早い。昨日からの祭りの様子をつぶさに見ると、やらせ、こんあものか、期待はずれなどなど、散々なものがある。
何がどうのと、僕は言わない。が、こういった大きいイベントを企画するのなら、商店街が熱くなる方向へ持って行くべきなのだが、そんなのは一切無いし、
メインテーマであり、コンセプトの「真珠」の存在はほとんど無いのだ。
今日など南海放送の「もぎたて」が去った後、いつもの商店街になってしまう。あっという間の出来事だ。テレビを見ていた人は、少し前の録画がインサート
されているので番組として見ることが出来るが、実際は閑古鳥が鳴いている。これはイベントではないな。パールを生かしたデザインはあったが、ジュエリー関
係
は、真面目にコストと、身につける人のことが一切無い世界でのものが多い。デザイン塾で一体何を学んだのだろうか。
話は変わって、一昨日から、Pismoの10.4化やっているが、本日漸くその処理を終えた。僕にとっては少し辛いんだが、そろそろOS
10.5の世界で事を進めたいと考えるようになった。Pismoは一応引退となるのではないか。
しかしながら、PB G4 12を使い続けるつもりは一切無い。次に出る「これだ!」という機種が出るまでのものだ。
顛末は無いが、よく頑張ってくれた、と感じる。少しPB G4
12を使っていて、何か不都合があると、すぐさまPismoに戻れる体制は取っておきたい。Pismoはそれほどのパフォーマンスを持ったモデルだからに
他ならない。
2008
年2月18日(月)はれ
昨日と今日を入れ替
えしてくれればいいのに、と思うような晴天の一日であったのだが、サスガに最低気温が氷点下。やむを得ずRAFのフライングジャケットを着ていった。サム
イを通り越してイタイのである。幸い8時頃に陽が出た。その後は本当にからりとした晴天であった。
仕事の合間を縫って、組合のワープロの資料起こしをやる。途中まで、一つずつ文書作りだから、この面は何時の場合も同じだ。その後はコピー&ペースト
で、それを一部修正してOkになった。
古いJeditならワープロと同じような画面設定になるのだが、今はそれが出来ない。結局、作り替えした方が早いというのが結論であった。
夕刻からは意味のない当局との団体交渉。あほくさくてやってられない気分になってしまった。今の市長は行政に働く我々を助けてはくれない。真面目に自己
防衛を考えねばならない。我々がこの調子だ。宇和島が潤う要素が一つ消えた。夜の街も我々が大っぴらに出ることもなくなるのではないかな。
そうそう、ある人から聞いたが、宇和島の名物の一つである「城山のミュージックサイレン」がウルサイという人物がいて、現在囲いを造っている。
僕も市のトップ陣に聞いたが、宇和島を売り出そうとしているにもかかわらず、シンボルツブシであっても、「はい、そうですか」と簡単に迎合するものだ
な、と思う。本当にウルサイだろうか?。
ま、それに対して何も言わない市民も気にならないことなのかもしれない。つまらない街になってしまったものだ。
2008
年2月22日(金)はれ後雨
いやー、実は
Pismoで記載している。単純な理由なんだが、これの方が今のところ過不足無い分G4 12より使い勝手がイイ、というのに気づいたんだ。いや、G4
12が悪いマシンではないんだが、フッと気づくとやはりPismoの方が使いやすいのだ。何処がどうという理由はない。受け入れる体制のようなものが穏や
かなんだよな。
僕自身、G4 12を一部酷評しているけれど、これは事実だし、Mac
Bookになるまでは克服できていない、と感じる。が、一昨日、Pismoでアップロードしようとして、G4
12のデータ自体がぶっ飛んでしまって、本日、日記だけ抽出した次第だ。
そうそう、ダン池田さんが亡くなっていたのを新聞で知った。今は三原綱木さんが指揮をとっていらっしゃるが、同じニューブリードでも、ダン池田さんの時
は相当におもしろかった。夜のヒットパレードだったろうか、毎週やり玉の一つに挙げられていたよな。無くなったのは昨年末だったが、ご冥福をお祈りした
い。
そう、ビッグバンドでの指揮者は何らかのエンタテーナーでなければならない。スマイリー・オハラでもそうだし、ダン池田も独特の指揮スタイルだった。グ
レン・ミラーは僕をトロンボーン奏者にしてしまったしね。最近はビッグバンドを聴かなくなったな。
これに付随させるのは酷かもしれないが、昔、この宇和島にブル・ファイツというバンドが存在していたことを知る人も少なくなった。こういったように、市
民自らやってやろうじゃないか、といった気分が過去には確実に存在した。今はどうだ。常に何かというと行政にオンブにダッコの日常ではないか。そんな中で
行政指導なんてやったところで大損こくだけだ。すでに、海の駅など8億ほどが予算化されようとしている。連結決算なのに宇和島市全体で何とかしなければな
らない、というのは一切無いのが本当のところだ。
いくら市長が東京の霞ヶ関へ行ったところで、厚生労働省はお荷物の地方病院をつぶしたいんだから、その牙城を壊すのに、衆議院議員のKYなんて呼んだと
ころで「への突っ張り」にもならない。
やはり、この街は一度沈んでみることが必要だ。
2008
年2月24日(日)はれ時々くもり
昨日の風にはマイッ
タ。僕自身吹き飛ばされそうになった。が、西北の風だからここら辺の北風だ。だから春一番ではない。そういえば、ずっと昔はこんなの当たり前だったんだ。
今はおかしいかもしれないが、こういった強い冬の風が吹く。役所の周りなど、マンションやビルの関係からおかしな風の吹き方になる。まるで都心の状態に近
いものがある。
さて、本日は「えんま様」の最終日。現実には弁財天のお祭りだ。えんま様は22日で、大黒様が23日だ。が、そんなことはどうでもいい。久しぶりにお天
気の中でのえんま様だったから、午前中に出かけた。出店(テキ屋の屋台)も少ない。本堂を回って、いつもどおり、昔は薄暗かったので、もっと怖かった。
が、子ども達は内心怖いようだ。それはね、帰り道、近所のSちゃんに遇って、一緒に帰るとき、彼女から「怖い」ということを聞いたからだ。この点は少し安
心。ナ〜んだ、ということになるとね。
にもかかわらず、追手通りが寂れたから、今度は商店街にえんま様の出店を...
、という貧困の発想を実施し始めた。新橋通でモチまきに遭遇したが、まいている一人は何と西江寺の和尚その人ではないか。僕はすっかり頭に来てしまった
ね。本来は3日間、お寺へ来た老若男女に声をかけるのが当然の生業ではないのか、と感じたからだ。
さて、午後は女子の横浜国際駅伝を見た後、T-140Vのキャブに掛かった。一応、外しただけだが、今回はオーバーホールである。
丸穂温泉へ行った後、久しぶりに餃子を作った。半分は息子へあげた。その間、妻は一生懸命豚汁を作っていた。これが美味なんだ。最近はキムチ鍋を作らな
いが、これもなかなかイケル。
餃子は少しばかりミズくさかった。もう少し塩味とコクが必要だ。でも最大の要因は合い挽き肉であったためだ。これが豚のミンチだったらもう少し上手く
いってたかもしれない。
2008
年2月25日(月)はれ
朝の内くもりがちだったのだが、あっという間に晴れ間が広がり、若干暖かいと感じるが、風は冷たい冬の晴天の一日であった。
仕事は予期せぬ人物が来たり電話で相談を受けたり、気づく前に何とかしてくれ、と叫びたくなってしまった。やはり、税金なんていうのは一番無視されてい
る「公共納金」であることに違いない。平成19年度は税制改正で住民税は前年に比べて大きく上がった。こっちも、それに対峙していたが、当初から気にかけ
てくれていた住民は少数だった。で、結果は滞納者の続出だ。
僕も数回記載しているが、住民サービスが止まったとき、住民はどう生きようとするのか?。夕張の住民をモデルとしたドラマは今放映している。この街はそ
のようになるのだろうか?。後ろから石が飛んできそうだが、その時、住民の意思を丸ごと抱えて対応すると、おそらく市役所の職員はパンクするだろうな、と
感じる。
こういったことにはトンと疎いのが今の宇和島市民だ。そろそろ、市民自体が自己防衛を行って、なおかつ住民自治を的確に遂行しなければ... 。
よそう。いくら言ってもこの街の住民の大半はオンブにダッコだし、行政側も「宇和島市役所も苦しい。よって、市民の皆様へのサービスも滞るところが出る
可能性がある。宇和島市一丸となって乗り切るためには、市民の皆様にも応分の負担をお願いする必要が生じる可能性がある」と、市広報の「市長です、こんに
ちわ」で述べればいい。
破綻への一歩は間もなく来る。平成19年度から宇和島市の連結決算化から市立宇和島病院(津島、吉田を含む)のペナルティーは想像以上のものが来る。今
回の違反に対して温情をなんて、県の自民党がどうこうしても無理だ。
僕が理事者なら、今頃は市の首脳陣とともにペナルティー後のことへの対応を一生懸命に審議している。あまりに甘すぎる。桝添君個人の考えではない。厚生
労働省の決定あるのみでしかない。
そろそろ、市の職員の給料が良すぎるなんて言う輩は一掃されるであろうな。民間の多くは、どこかで搾取している経営側が非常に多い、というのがこの地方
の伝統だ。証拠は、会社が破綻しているのに、経営者たる奴は平気で通常の生活をしている。責任の所在は会社で、そのトップは関係ない。会社ってそんなもの
か?。これがまかり通るのが、この地方の状況だ。
僕は今の職に3年と数か月。それより前に退職するのも一興かとも思えだした。仕事自体がむなしいものに感じられだしたから。BMWの3シリーズしか1年
の所得で購入できない。つい数年前は6シリーズが... 。信じられないかもしれないが、これが市職員の一般職の現実だ。
新任者の4月の給料はどれぐらいだろうか?。貯金も何もない状態で、大卒だと10万円。高卒だと8万円。ここから60歳定年までに稼ぐゼニが我々の給料
のバロメーターだ。加えて、一般企業と違って、この人の仕事を、違う部署の人が決定できない。そういったことを念頭において、一般の人は我々市職員の仕事
を見てほしい。
2008
年2月27日(水)くもり後時々はれ
いいなぁ、天気予報
が当たらない。現実には、午前中に雨があったが、午後からは薄い雲がかかる。冬のこの時期の、この雲は雪だ。高い空域が薄曇りの時は、雪が上空で舞って
る。が、地表に近い部分は気温が高いので雪にならずバランスが崩れると雨になるという次第。僕は決して気象予報士ではないが、天気予報自体、もっと詳しく
やっていただきたい。が、今は住吉山から降りた気象台は、コンピューターが勝手に判断シヤガル世界だ。
本日は「死者」関係が一杯の1日であった。まずはI氏のお父上の関係。関連の大きいところが香典集めをやる...
、などどいうものだから、これを断るのに四苦八苦。死者に声無しだから、どうすることも出来ないが、葬儀を取り仕切る喪主の判断を聞いている身としては断
ることは辛いことなんだ。僕の父母の時も同じように苦しんだ。葬儀は、そこの宗派のやり方に従うものの、ごく平凡にやっていただきたい。葬儀自体が終わっ
た後は「無」のみが残る。それをいかに少なくするのか、ということになると、僕自身は、初七日を通り越しての粗茶の席が十分にくつろげるなら、死者へ
の最大の賛辞ではないか、と常に思っている。
仕事で住民移動の書類を見ていて、「アッ」と声を上げた。数週間前に対面していた同級生の名が死者の一覧に出ている。何度も確認したが、名前の旧文字か
ら間違いはなかった。何か非情にむなしいものを感じてしまった。
僕は「えんま様」の時によく感じるのだが、死後の世界について、最近はトンと気にならなくなってしまった。理由は簡単だ。生きている人間が死後の世界を
語るのであって、未だかつて死後の世界から帰ってきた人の言葉を僕は知らない。
したがって、最近は平凡に今を十分に生きることを人生の最大の努力点とした次第だ。ま、時にはサボルこともするけど。
そして、僕の財産は後の身内に対して、必要最小限のものだけ引き継ぐことを記載して、他の処分は引き継ぐ人がみんなで決めていただくように遺言とした
い、と決
めた。死後のリスクを最小にするためにも、今をしっかり生きる。これが最大の生活であろうと考えるところだ。
2008
年3月1日(土)雨後はれ
ことは一昨日から始
まったようだ。ある人の葬儀で弔問者の受付を日陰の戸外でやった。そして、時間に余裕があったので、オートバイをいじった。オカゲ(?)で右の脇腹から脚
部がおかしくなってしまった。
で、昨日、朝起きると、その痛みはあるにはあるが、胃の辺りから下の部分におかしな痛みがあるんだ、吐き気はないし、下痢でもない。熱もない...
。食中毒なども関係ない。肝臓かな、としてもごく普通に飲んでんだし、何とも不思議なんだ。
が、職場では驚くことが起こっていた。仲間がワイシャツになっているのに、僕は若干の悪寒のようなものが感じられる。腰から下は震えが来そうなほどの寒
気が走る。ハッと「風邪のヒキはじめ」ということに気づいた。
夜間徴収が終わって、帰宅途中にレディ薬局で葛根湯の3本セットのアンプルを買った。夕食は無理して食べた。食べなければ胃がもっと痛くなる。そういえ
ば、昼の弁当もゆっくり食べたな〜、と思い起こして、30分以上かけて食べた。
で、昨日うれしかったのは、NHKの番組で背面跳びのフォズベリー選手が元気な姿で出演してくれていた。創始者が1968年のメキシコ(シティー)オリ
ンピックの男子走り高跳びで金メダルを取ったことだ。僕の知っている範囲では、このような状況では彼が最初ではないか、と感じた。
で、本日午前5時半。オー、体が元通りになっているではないか。昨夜のアンプルが効いたようだ。朝7時半の貸し切りバスで松山へ。連合愛媛の春闘集会と
デモ行進の後帰宅。
キャブクリーナーで、MIKUNIとAMALのキャブを清掃。32年前のAMALにキャブは元気に生きている、フランジも水平を保っている。ブログの方
法でやっつけるか、と考えたが、もう少しMIKUNIを詰めてみたい。
それにしても、クリーナーの臭いが強い。僕はコスメチックを使ったたわけではないんだけどな。
2008
年3月4日(火)雨後くもり時々雨
朝、「吉田は降って
いなかったぞ」と課長の声。旧宇和島では天気予報はあまり当たらない。特に今日のような天候の時は愛媛、大分、それに高知の天気予報を総合して、このよう
になりそう、という判断をしなければならない。
過去幾度言ったって信じてもらえないのは20分も西へ歩くと海、東へ歩くと1000mクラスの山への登り口、という立地条件だ。だだっ広い平野が支配す
るようなところが主体の天候は当たらない。
一応傘は持って出たが、広げることもなくそのまま持って帰る。「バッカみたい」と数年前は感じていた。57歳を迎える僕としては、降らなければそれで結
構、と感じるまでになっている。
日曜日はトライアンフのキャブで七転八倒した。結局、エンジンが回らず。整備は8、9の土日まわしになった。以前だと深夜になるまでやっていたが、最近
はもう少し考えてやるようになった。齢を重ねたからだろうかな。
本日午後、職員研修で大谷由里子さんの講演を聴く。ナンジャ、こいつは?!、というのが第一印象。元
吉本興業のタレントのマネージャー?。ウソこけ、お前さんが吉本の芸人じゃないのか、と思えるばかりの、年齢からは想像できないパワーでしゃべりまくる。
これは!?、となってしまった。
関西人独特のものを感じるのは事実だが、真面目に「これぐらいのパワーと気分を持っていないと、今の若い奴は...
」と感じたね。つまり、ダメでもないのに勝手にダメと決め込んでいるような... 。
アクの強さは確かにある。が、本日の公演はお題目のとおり「ココロが元気に」なった。それでも寝ていた奴もいるのだから恐れ入る。僕は今でも大谷センセ
イのいう企画型人間ではあるが、それでも公演の大まかな内容と気になったコトバの端々はきっちりと頭に記録している。
ま、何度も言うが、この街の今の現状ではダメだな。じゃ、何とか...
、その何とかのナも出てこない。仮に出ても、その何は何なの?。行政にオンブにダッコ。自分たちは○○型人間の冴えたるものの集団だし。
ま、今日の公演から、僕もまだまだ捨てたものではない、と感じた。「Bone君、何時までも変わらんね〜」と言われるのも□□人間ではないまでも、うれ
しさと同時に、今のライフスタイルを壊さないようにするのも結構「リキ」が必要なんだな、と感じる。
それって自己満足ジャン、とおっしゃるなかれ。僕の知ってる同級生も5人以上はあの世へ言ってしまっているんだから。
2008年3月7日(金)はれ
久しぶりに人間不信
に陥って、その後が晴ればれ、という不思議な時を過ごした。いわゆる思い過ごし、と受け取られがちだが、それは、相手が事細かく自身で認識しているのが常
だ。僕も、今回のことをこの意向に即して認識していた。前任者からも同様のことを申し送られていた。
実施のところ、これまでの税金の納付はこの3月だ。それまでどう連絡してもダメであったのは事実だ。僕も、最初に訪れたところ、アポを取ってから来い、
と言われて大いに憤慨したので、今日まで待った次第だ。
で、今日の夕方来い、って言われたのが一昨日。理由は木曜日が商店街の定休日だからだろう、と思っていたが、どうやら違うようであった。
話が前後するが、レストランGの言い分によると、当事者Kの出張などは「喫茶店」らしい。フザケルナ、と言いたいが、精神が正常になって考慮すると、逃
げるのには「なるほど」と感じた次第。
で、こちらもアポを取って、思いっきり相手を立てることから午後4時過ぎに「4時半に出向くがいかが?」と丁寧に言うと「取りに来るんだろう?」とい
う。その通りと言うと、ヤバイと思ったが... 、返答は「月末にしてくれ、全額納める」ときた。
で、電話を25日以降にする、でケリが付いた。
自問自答を繰り返し、何とか納めさせるように持って行くのをどれだけ想像したことか、この一瞬バカらしくなってしまった。
僕は少しオッチョコチョイな点も確かに持っているし、敬語もあまり使用はしないまでも、相手を傷つけるようなことはしていない。が、あまりにそれを批判
されると、少々やりづらい上に、反論も辞さずの世界に陥ってしまう。
本日の結果から、結論を主とした想像上の悪い結果を予想しての自問自答は、もう止める。仮に「納付しない」というのなら、捨て台詞を言って、正当な方法
で思いっきり文書攻撃したい。仕事のことを日記に記載することは最近不本意と思うが、あえて、この世知辛い世の中で行政マンがやられる場面が多くなると、
こっちも自衛策を採るべきだ、と強く感じたところだ。
2008
年3月10日(月)はれ
昨日から目まぐるし
く天候が変わる。何とも言いようがない。幸い昼前から晴天になった。つまり、昨日の日曜日、ここら辺は天候を恨めしく思うことになったところだ。土曜日が
晴天で、日曜日は昼近くから雨が降って来たのだから。
ところが、気分良くいかないのが世の常だろうけど、あわただしく1日が過ぎていった、と感じる。現在は退庁時間が午後5時30分。通常、家に到着するの
が6時前。そこから銭湯へ行って、夕飯が7時前。で、寝床につくのが11時前。
はっきり言って、自由時間が無いとはいえないまでも乏しいのである。そんなことはない、と都会のレベルで考えていただくのは遠慮願いたい。商店街は午後
6時30分を目途にシャッターが降りる始末だ。大型店までは往復しても20分以上掛かる。出向くときは閉店時間... 。
本当に、物事にじっくり対峙することが出来ないのである。決して愚痴ではない。
そういったことなどから、昨日アップロードした小誌は新しい記事が少ないのである。申し訳ない。
苦肉の策で最近やっているのは、やろうとすることを意識し続けることだ。仕事に集中できないじゃないか、となりそうだが、やはり仕事をやってる。フトし
たときにテメエでやろうとすることを意識している、といった次第。
そうそう、一昨日の8日は、T-140Vに装着しているMIKUNI
VM32mmを再調整した。おかげで、始動困難が簡単なことで動き出した。もう少し詰めてみたい。おそらくメインジェットだろうけどね。これをどうする
か、ということを今意識している。
同時に、15、16の土日は松山での四国自動二輪校友会だ。先週は、この両日の天候が気がかりでならなかった。同時にその脚として使用するSR500と
車検間近のT-140Vの整備の同時進行になるのである。
これが、1年前までの午後5時15分退庁だったら、相当時間の使いようがあると感じるのである。そんなバカなことがあるか!?、とおっしゃる向きもある
だろうが、数回記載もしたが、15分ズレルと、会議の開催時間に間に合わなかったり、結構大変な思いをするのである。
として、おそらく明後日辺りに1日休暇を取得しなければならない。そうしなければ、四自交を前に松山までの用意が全く出来ないままで出発しなければなら
ないからだ。ホンの100km程度×2の走行距離だけれど、万全の準備をしておきたい。故障が起きたりしたら、僕自身がソンをすることになるのだから。
2008
年3月12日(水)はれ
今日しかない、とい
うことで1日の休暇を取った。やることは一つ。15日、16日の松山行きへのSR500の整備とT-140Vのキャブの確認をやるためである。「二兎を得
ようとするものは一兎も得ず」のコトバもあるが、この際は無視することとする。これらに対しては事前に相当準備を行っていたからだ。
SRは塗装の剥がれのリペイントを行う。水性のエナメルブラックが好都合だ。これでダメ隠しOK。
T-140Vは少々困った。何とかしたいが、これまで上手くいくも満足できない。理由はどうかわからないが、良い結果を得るものと予測しているもののモ
ヤモヤがある、といった具合
だったのである。
今後本文で申し上げるが、メインジェットを変更した。途端に良好になった。真面目に、四国自動二輪交友会へはT-140Vで行っても良いのじゃないだろ
う
か、と思った次第だ。
SRはシートを変更した。ノーマルシートのへたりは想像以上である。嫌々だったがヨーロッパ向けのシートに変更した。実は僕はこのシートを小誌で酷評し
てい
る。
それは的を得ていた。が、T-140Vの件で判ったのだが、その原因はキャブレター内でつくられる混合気の状態が問題であったのでは、ということも発見
できた。
つまり、根本はキャブレターであり、混合気をつくる部分が問題だった、というわけだ。が、エアクリーナーボックスへ導く空気の流れを阻害してはならな
い。これは今でも僕の持論である。T-140Vに話を移すと、SUIDCO
MIKUNIのVMキャブレターは、雑誌などで記載されている方法では全く用をなさないのが今回判ったことだ。
話変わって、ご近所さんが胆石で入院しているという。そろそろ退院らしい。そのため慌ててお見舞いへ行くことはないだろうと考えていたら、妻が怪訝な顔
をする。やはりな〜。
そんなことで市立宇和島病院へ出向く。幸い元気そうだったが、同室にSさんが居るではないか。コトのいたずらだろうか?。奇しくも以前のご近所さんでは
ない
か。
T-140Vの件が良い結果になったので、丸穂温泉へ行った後、酒道場で祝杯を上げたのだけど、夜の会議へ出ることを忘れてしまって赤面の至りだ。
家に帰ってフト伝言用紙へ目をやると二人目の孫が誕生した、という知らせであった。ナンダなんだ、どうしてこうも降って沸いたように... 。
ま、1日休暇を取って良かった。ホワイトデー、若嫁さんに何をプレゼントするかな〜。孫の誕生祝い?。いや、今回は彼女自身へだ。
2008
年3月14日(金)くもり時々雨
暖かい雨の一日に
なった。といっても、夕方には上がってしまったが。そんな天気だが、暖かいを通り越している。それほどの気温である。当然職場の暖房は昨日でカットしてい
る。
午前中に昨日用意しておいた花が届いた。若嫁にはホワイトデーのギフトとして贈った。書記には果肉植物のかわいいのを贈った。もちろん、仕事はしてるん
です。
午後から課税用紙を送付するときに折り込む用紙の印刷を行う。ここまでくるのにA課長補佐が単純に考えてしまうから、結局は僕が一人で作業をしなくては
ならないハメに。1枚の用紙を6等分しなけりゃならないんだ。原稿に切り目を入れる均等割り付けから、印刷機のクセまで考えてやらなきゃならないんだも
の。祖紺と個を考えて... 。管理職でしょ、若いのにやらせりゃいいんだ。と、これが午前中の仕事。
午後は午前中につくった原稿からプリントアウト。1万枚を印刷するのに2台のプリンター(リソグラフ)で2時間も掛かってしまったから、午後は何も出来
なかった次第。
明日は、松山での四国自動二輪交友会。SR500で相棒の野村のT君はカワサキのW650だ。一般道を通って松山まで。そういや、この冬は一切オートバ
イに乗らなかった。こういったことは近年無かったことだ。それほど今年の冬は寒かったということであろう。今日のことがあって先日準備をしておいたので慌
てることはなかった。
そうそう、最近おかしな夢を見る。子ども時代に戻って見たような風景の中自分が居て、出来事に自分が関わっているというのが多い。こういった時に限っ
て、前日に昔の話をしていたり、あの頃は、というようなシーンや歌を事前に聞いていたりする。
そういえば、オートバイにしても昔のようなオートバイ屋も少なくなったし、整備してもらうのに立ち会ったりするようなオーナーも居なくなってしまった
な。
さ、明日は久々に仲間に会える。わずか98km程走るだけだけど一杯やりながらオートバイ談義に花を咲かせることとしたい。
2008
年3月16日(日)はれ時々くもり
昨日は四国自動二輪
交友会ひ参加して、ホストの松山外車クラブの部屋での二次会。高知BMWクラブのOさんとさんざんしゃべりまわったので、喉が痛い。
そのOさんもそうだが、松山会社クラブのBMW
R1200GSの女性、同じく九州のR1100RSさん、いずれも、僕のページを一読いただいている。うれしい限り。また、出発前に書き込みしておいた
TR6さん、蔵人さんにも対面できた。
しかし、のどが痛いし渇く。朝の散歩がてら、ポカリスェットを購入し、参加車両をチェック。ハーレーの最新モデルを見る。通常見せない側のシリンダー
ふぃんなどをつぶさに確認すると、ヘッドカバーの近くまでシリンダーフィンが増やしてある。同時にFLHだと、身長180cm以上でなければヤケドの可能
精が出てくるのではないかな、と感じた。
BMWもグロテスクさが目立つし、モトグッチなんぞ大枚はたいて購入するオートバイじゃないような気がしてきた。ハーレーにしても毎年モデルチェンジす
るから、たった1年で前年モデルが陳腐化してしまう。
それ以上に、ハーレーにしてもライダーの意識が重要じゃないかな、と感じる。本日の帰路、大きな荷物ボックスを積み込んだハーレーjの一団とすれちがっ
たが、何ともいいようのない貧しい気分になってしまった。
わずか220km程度の走行だのにえらく疲れてしまった。理由がわからなかった。改造スパトラの欠点が少し見えてきだした。性能ではない。どうやら、マ
フラーの重さが影響しているようだ。改造スパトラではSR全体の重量バランスが悪い。挙動がおかしくなるんだ。
点火プラグの状態もいい。というところで、再び3GWのノーマルマフラーに戻した。メインジェットも#165に変更したままにしている。
さ、次は春のBritish Runだ。今年は高知の奈半利町へで向くことになる。今回のようにお天気なればいいが。
2008
年3月17日(月)はれ
何とももの憂いよう
な一日であった。薄いながらも黄砂が飛ぶ。どことなくイガラッポイ気分もある。こういったとき、少しの湿気でもあればいいのだけど、これは無理だ。外へ臨
戸するも自転車では暑ささえ感じる。
二人目の孫の名前がまるで皇族の一員のようなもので、呆気にとられるやら大それたことをするやら、何ともはや、の気分であった。最近の親というものは、
こういった状況におかれるのだろうかな。ま、僕のダイレクトな子供でもない。息子が親なのだ。25年後あたりに(孫の)長男の方に子供ができれば、息子も
今の僕のこういった状況になるのかもしれないな。その頃、僕は齢82を数えるに至る。生きているだろうかな。
というのは、民法のドラマで東京大空襲のをやっていて、見入ってしまったからに他ならない。デフォルメ部分も確かにあるけど、演技者の迫真の気迫という
か、そういったものも感じられたし、時代の状況もよくつかんでたし、僕は何か表彰の対象にノミネートされるんじゃないか、と感じた次第。
それに記憶違いもあるかもしれないが、どうして東京大空襲のことをドラマ化しなかったんだろう。これも不思議なことだな、とも感じる。
ここ最近なら、阪神淡路大震災を経験した人なら、63年前のこととは感じられないのじゃないだろうか、とも感じる。第二部へ続くのだが、おそらく、見る
であろうな、と感じる。
僕は人間が焼け死ぬ場面の実際は若干知っているが、正にあの通りだろうと思う。それを口で表現しろったって、これは難しい。おそらく広島、長崎の原爆で
の一瞬の後の惨事も同様であろうと思うが、東京大空襲の惨事を今回見せられたのを、ドラマの視聴者はどういった感じをうけたであろうか。僕より高年齢の方
々は涙しただろうと思うが... 。
が、フッと気分が途切れる。この辺のところが、民法というところかもしれない。ドラマとまるで違ったほのぼのしたコマーシャル見せられると、どうしても
民放がワンランク下げてみられることにつながるのかもしれない。
2008
年3月18日(水)雨後くもり
午後8
時過ぎに雨も止んだようだ。最近、現行岸はJedit 2.0
βを使用している。時にいいようになっても、最近は12〜3行の一括変換がおかしくなって閉口する。これが、あのJeditoかとね。僕も文章を記載して
「こうなります」とメールしたかったんだ。が、止めた。それは、過去と今とを結ぶ絆は生き続けているからだ。もちろん「かこといまとをぬすぶきずなはいき
つづけている」をATOKでやると、
「過去と今とを結ぶ生酢七杯来続けている」から「過去と今とを結ぶ絆は生き続けている」になる。
ところがことえりでやると、「過去と今とを結ぶ絆は生き続けている」になるのである。久々にこのことをJエディットでやると、こうなるんだ。
一瞬ATOKを疑ったが、これはJedit側に要因がある。もう少し様子をみてみたいが、まさかインプットメソッドでこうなるのは、どうだろう、UNIX
が持つフレキシブルさを子供たちにもしらせてやりたい、というの偽らざるところだ。
さ、今日は夕方まで松山へ居た。用務は裁判の傍聴だ。もちろん膨張支援という職員団体の色目だ。当然休暇でのことだ。
ま、弱ったのは、最初の教育基本権云々がわずか3秒。次の日赤労組の裁判が10秒前後だ。Y裁判官の不評が充満する。僕はそうではなく、僕らが支援する
S団体の裁判の方が正当だろうと思うのだ。控訴して、次回は7月に開廷になることが決定された。
2008
年3月22日(土)はれ
昨夜は吉田での職場
集会に参加した。ドキリとした。同じ身分でありながら、これほど劣悪環境の職場があるのかと思ったところだ。真面目に彼らは何時休養をとっているのだろう
か。仮に事故でも起こしたら、これは連続する長時間労働のために起こったことになるはずだ。
さて、本日は結局1日中何をしていたんだか分からない、というほどにT-140Vにかかりっきりになっていた。エンジンがかかりそうでかからない、とい
うジレンマ。1回だけブルンときたが、それでも濃すぎるようだ。
残念なるかな、キックの回数が多くなてしまい、左の脚のふくらはぎをこむら返りさせてしまった。痛いの何のって、何とか安定したものにしたかったが、左
足で踏ん張れないからキックできない。残念ながら断念。
そうそう、AMALのキャブを少しばかり改造。これはいずれ報告することとして、通常ピッチの5mmタップがあれば結構上手く行く。が、先般ブログで報
告した改造は断念せざるを得なかった。こういったところが僕の場合ブログの方での報告が難しいんだな。同じようなパターンで記載するのは少し食傷気味にな
りかねないからだ。
それにしても痛い。要因を考えていたけど、どうも水分補給がうまくいっていなかったからではなかったか、と考えられる。
話題性はないんだが、東京と熊本と、もう一か所で桜が咲いた。ここ宇和島が以前日本で一番早く咲いたことから桜監視隊みたいなのをつくってはみたもの
の、最近は空振りばかりだ。経済と同じく、この辺は冷え込みがキツイのかもしれない。
2008
年3月23日(日)雨
雨に濡れながら佇む人がいる
傘の花が咲く土曜の昼下がり
約束した時間だけが体をすり抜け
る
道行く人は誰一人も見向きもし
ない
恋はいつの日も捧げるものだから
じっと耐えるのが定めと信じてる
チト古いが三善英二の「雨」である。今日の雨はそうでもなかったが、雨の日になると、この「雨」が頭に浮かんでくる。
三善氏自身も少々ふっくらしたものの、昔と変わりなくこの歌を歌っていらっしゃる。僕自身もフッとしたときこの歌を思い出す、気分がよけりゃ、一杯やっ
たついででカラオケで歌ったりするのである。
深く突き詰めるとどうして歌うんだろう?となるが、それはいずれ... 。
今日は昨日の「こむら返り」のために動けなかった。午前中にインシュレーターのラバーホースを45mmの長さにカットしただけでおしまい。その後は雨が
シトシト。そんな中で高校野球を見ていたりしていた。
別の角度で高校野球を見ていると、選手自身のみならず、チーム全体として試合の中でいかに軌道修正が出来るかどうか、それを見極めたところが勝つように
思った。
さて、この3日間、我が家の前の夜は大変な状況であった。何やらワケのわからない黒いがラス散乱していたのが金曜日の朝。ツブツブになるので、自動車の
グラスが割れた。その車はいない、というところであろう。
昨日は電柱工事の車が駐車できずにアームをおかしな方向へ出さねばならなかった。要因は不法駐車があったからだ。
で、本日は訳のわからない若いのが早朝に路肩に座り込んで携帯電話で話し込んでる。
我が家の前は対面通行で、信号がないものだから頻繁に自動車が通る。現実は頭にくる。理由は簡単。特に女性のドライバーが、運転がヘタクソでなおかつ、
道路は私のものだ、という気分が強すぎるからだ、と考える。
お隣のお寿司を買いに車で来て拙宅の前に止めて、僕と目があっても知らんプリ。すみませんの一言も言わないのだろうか。同時に、これぐらいで...
、という気持だろうか。軽四輪や1000ccクラスの普通車は今、二輪の原付程度のものでしかないように感じてしまうのである。
愛媛陸橋の件もある。土台、銭を使わずアマチュアイズムの極致のような団体は教員しかその運営に当たらざるを得ない、というのが、今の愛媛陸橋だ。審判
やるのに、どんなに遠くから来ても1,500円。昼食は出るものの、日当が1,000円。
これでよろしゅうございます?。僕なら陸協の会長や理事長は一般の人が携わるべきだ、と常々感じている。
マスターズにしても、以前それが出来ていたが、最近は審判を主として、県陸協にお願いする始末だから、何か一般の陸上競技会になってしまっているよう
で、身動きがとれない。
今の会費が年間3,000円だ。僕は7,000円ぐらい取ってもいい。マスターズで審判を確保したり、費用計上して審判を雇えばいいのだ。民間の方が会
長なら、それはいとも簡単にできるよ。そして、競技会の参加料も上げればいいんだ。
そろそろ、愛媛体協の恥部も表に出さないとならないのではないかな、と感じてしまった。
2008
年3月26日(水)はれ
実はね、昨日記載し
ようと考えてたわけ。どうして期さししなかったか?。酔ってたから... 。ウソ。本当は恥ずかしかったからだ。
というのも、昨日、仕事が終わって帰宅して、夜の会議までの45分間でT-140Vのインシュレーターホースを取り替えしてエンジン始動までを考えてた
のだが、それができなかった。原因は何だと思う?。
それは、SUDCO
MIKUNIのキャブ本体を左右入れ違えて作動させていたわけ。となるとどうかな?。わかっている人は「バカみたい」と一笑されるだろうし、アンタほどの
人が... 、と罵られるのを覚悟しなきゃならん。ね、恥ずかしかったんだ。僕自身は赤面の至りで、穴があったら入りたい、といった状態だったわけだ。
で、本日はまた人事異動の内示でハプニング続出であった。そろそろ歪みがで始めるのではないだろうか。市長が石頭だから、住民サービスのことなど考えて
いないからだろう。市民に対して云々を盛んにいう。それなら、新居浜市長のように退職金を寄付するとかでも言えばいい。市役所職員の給料のことをいうと、
市内の商店や飲み屋さんはお客が経るのですよ、と。
それ以上に不安視するのは住民サービスの提供ができるかどうか。こちらの方がもっと不安だ。僕を含めて、公僕などというファッショな言葉を未だに適用さ
せようとしている行政のトップ人や、沈みかけの市内の企業人の一部だけがいっていることだ。ことに、経済のトップ人は自分とこの従業員のことをもっと考え
て、代表者や役員の賃金を下げるようにしなきゃダメだ。
あまりに公務員バッシングをやるとどうなるか。そろそろ一般市民も考えなきゃな。それ以上に、宇和島市はもっとダメになればいいんだ。そこまでいかな
きゃ判らないだろうな。
それにしても東京都の銀行につぎ込む400億円。それに20億をプラスすると宇和島市の一般会計の年間予算額になるのだ。何と銭をもっているのだろうか
ね。
2008
年3月30日(日)雨
激動の3日間が終わ
ろうとしている。金曜日は内示の最終発表であった。ということは事実上の人事異動ということであろう。職場は大変な状況になってしまっている。4月1日以
降が大変だ。
というところで、昨日のモヤモヤからの解放の疲れがどっと出てしまった1日になった。昨日がどういった状況であったかはブログを一読願えれば幸い。とは
いうものの、オートバイ関係に疎い方が読まれても何のことだかチンプンカンプンであろうが... 。
さて、結局のところ、昨日の件はエポックメーキングでも何でもない。ホンのちょっとのオカシイ動きを過去の経緯と合わせて判断するといとも簡単に...
。が、そうはならない。
様々な参考書籍にフィットさせてみたり、あ賀る時は諸先輩方の意見を総合してみたり...
。おそらく、今様のオートバイにはフィットする結果が待っている。ことにキャブレーションの世界などはリリースするショップの威信に関わることなんだか
ら、この辺という結果ではダメなのだ。
が、僕のT-140VへのMIKUNI VM
32の装着は全く何もないところから始まったのである。ま、苦節何年ではないが、楽しませてもらった、というべきかもしれない。
本日の雨は、全てを流して... 、にはならないのがいつもの通りだ。今度はPowerBook G4
12インチのATOK2007がおかしな動きをする。この修正に1日を費やしてしまった。Pismoの時にジャストシステムからメールが来ていたのだが、
その対処方法(メール)が不明。結局Pismoを稼働させて、おそらく... 、という方法を講じてOKになった。
実のところ、ATOK自体もMac用はintelのCPUにフィットさせているからモトローラのPPCモデルに対しては重視していないのであろうと考え
たところだ。
明日は平成19粘度の終わりの日だ。その次の日からはどうなるのであろうかな。