2008.04.01〜 06.29

2008 年4月6日()くもり後はれ
 日と今日、高知は奈半利へ出かけた。春のBritish Runのミーティングだ。これにつきあいだしたのは、最初に花園村へ行った後で、主宰の栗栖さんより受け、倉敷へ出かけたのが最初であった。
 今回はT-140Vの車検のため、やむなくSR500で出かけた。心配していた天候もOKだったから、往復一般道を使用した。片道197km、4時間半 の行程だ。久しぶりに仕事のことなども忘れて走ることが出来た。
 昨日は、懇親会でBMWのHさんと意気投合し、22日の来宇を歓迎することにした。そして、ウナビリーさんに対面。彼も僕のページをちょくちょく覗いて くれているらしい。そして圧巻は、彼のページに出ていた凄まじい改善策のクラッチハウジングの実物を手にとって拝めたことだ。知らない人には無用の長物だ ろうが、訳知りの人には、一瞬ウナルことになる。そういったものである。
 もう一つビックリしたのは、お仲間ウチにもそろそろ定年退職後の年金の件などが話題になってしまう。僕は極力避けようとしたけど、うわべのことで躊躇し ているから、もう少し様子見だな、と感じた次第。「みんなもっと若返れ」と。
 多くの仲間は見かけが相当に老けてしまっている。特に老けるのを感じるのは、毎回違うオートバイで来られる方が多い。そういった点、あのオートバイは彼 ンだから... 、と必ずその人だ。昨年はドミネーターだったが、今日はBMWのR100だ。金ををどれだけ持ていらっしゃるかは知らないが、古い車には、もう少し地道に 対応していただきたいな、と感じた。
 いずれ詳しくは報告したい。今日は疲れ気味なので、早めに寝ます。あしからず。

2008 年4月7日(月)雨後はれ
 ぁ、キチガイ雨だ な。僕など朝一番の徴収があるため自転車で出かける。我が身より書類を濡らさないようにすというバカげた考えで出向く。この一件にまつわることは後ほどと して、たかが1,000円の徴収を飽きもせずに毎月行う。バカらしいことには違いないが、ジリ貧の宇和島市では1,000円であっても有用な税収入だ。無 視するわけにはいかないのが現実だ。
 昼からは青空が再び支配し始めた。強い雨だったが桜の散りは最小限だったようだ。今週の土曜日辺りまでは持つだろう。そういった中、昨日カメラに納めた 桜の写真が出来てきた。ム〜、いつもながら桜の撮影は難しいな。幹も花も綺麗なものはなかなか見つからない。
 どこかしこで春の交通安全運動期間が始まった。このように書くと、ごく普通に感じ取られるだろう。が、実際のところ「安全運転」とはどのような運転を指 していうのだろうか?。この期間にやることはいつもどおりのものだから、やって結果が良いものになるのだろうか?。毎年おかしなことをやるものだな、と感 じている。
 事実、警察のいうようにやると、実施する運転者は間違いなくOK。達成感も多い。うれしい限りであろう。が、交通の流れに反する走行は周囲の運転者を逆 にイラツカせる事実はあまり言われない。不思議な世界だ。
 こう記載できるのには訳がある。大学1年の時「安全教育」を受講した。助教授が言った最初のことは「安全教育は非常に難しい教育です」と。加えて「どう 授業していいか不明です」とも言った。
 最終授業で、「安全」はそのままのコトバとして、形容詞として受け取っていただきたい、と助教授は結んだ。
 したがって、今の交通安全期間は「安全」を独立させて、助詞を入れればいい。したがって、「交通」を「安全」に(遂行)する期間である、とすればいい。 が、 道路交通における交通機関は動くものが主たるものだ。そのため、上の助詞を入れたものは無視される。動いているものに適用されない。
 で、僕は常々「的確な運転」をやるように勧めている。あえて言わないが、これは実際にやれば、意味合いはすぐに解るはずだ。
 どうして警察機関は「交通安全」ということばを、何十年にわたって平気で使うのだろうか。
 皆さんは、どう思われるだろうか。僕は安全運転などできやしない。

2008 年4月13日()はれ後雨
 日はバタンキュー になる前にT-140Vをイジッタ。やることは一つ、MIKUNI 32mm VMキャブである。一応成功したが、ま、今日の天気が思わしくないというのが分かっていたから、その後の確認は出来ていない。
 そんなわけで今日は朝からノンビリ。久しくやっていなかったPB G4 12インチに対して、これまでやっていなかったことの確認やらをやっていた。夕方近くまでかかってが、一応確認を終え、実力が並大抵のものではないことを 知った次第。なるほど、中古市場での値段が下がらないはずだ。この報告もそのうちに。もっともATOKの最新版の環境設定というか処理方法が使い勝手が悪 いことにも起因することだが。
 さて、先週はどうだったかというと、7日は地区労の常任幹事会、8日は労金の会議、9日は全労済の会議、10日は遅くなった春闘学習会、11日は当課の 歓送迎会、とウィークデーの夜はつぶれてしまった。7日は唯一会議が早く終了したから、日記として記載できたところだ。
 で、早い話、今週も明日は労金関係会議で休暇を取って松山出張。15日は夜間徴収の後、メーデー実行委員会。16日は労農市民会議の総会、17日は憲法 を守る会の役員会、18日は新規採用職員の歓迎交流会、と休む間がない。原因の一つは今年の曜日配列が悪いということかもしれない。
 もし、本日天候が良かったとしたら、T-140Vのキャブレーションの確認をするために、T-140Vの走行をやって、この日記の表現も変わっているの ではないかな、と感じるところだ。もっとも、PB G4 12インチが終わっていないはずだから、イライラ気分で日記を記載していたかもしれないし、ホームページのアップロードもイライラ気分でやっていたかもし れない。
 日記って日々の感じたことなどを記載するのだろうけど、最近は時間の流れが非常に速い。何もかもが過去になってしまって、立ち止まって考えるなどの余裕 が取れる時間が急速に無くなってきている。
 この1〜2年、こんな状態が続くようなら退職を考えた方がいいのかもしれない。僕の将来のこともあるから... 。

2008 年4月14日(月)はれ時々くもり
 び激動の1週間が やってくる。本日は愛媛県労金推進委員会で松山出張だ。出張ったって、組合関係のものだから、実際は休暇を取って出かけなければならない。よくヤミセン (闇の専従)と称される大きい組合の執行部なら、こういった出張はオケンタイで出来ていたことだろう。その辺のところをはっきりしなかったのは組合側の落 ち度だし、その補填も組合がやるというバカげた世界が現実だろうか。組合役員をやっている僕をしていうのだから、トヨタなんぞの組合幹部はそれこそ貴族 だ。 こういった輩をのうのうと活かせている組合員の意識もダメな状態だ。シロキの件で、その実態は如実に解った。組合幹部こそ汗を流さないとならない。
 四国労金宇和島支店も7月には新しくなる。その責の一翼を担わないまでも、新店舗落成の折については、結構リスクが大きいことを推進委員長の僕に投げか けられるのだが、そうですね、とは言えない。理由は、四国労金という大きい組織の中でのことだから、僕が辞めても予定どおり事は運ぶのだから。
 さて、この原稿はどういったところでタイプしていると思う?。
 今、午後8時35分。JR列車「しおかぜ」の中でタイプしている。本当は二次会へ行きた かったのだが、それを止めにした。理由はハードオフで東芝ワープロRupoを見つけて買って帰る途中だからだ。2英世だ。ジャンクでも印字するから間違い ない。フロッピードライブが完全ならお買い得である。これで書記も安心して仕事に臨める。
 が、実際はコンピューターの方が好ましい。この意識付けを今やっ ているところだが、僕自身、簡単な文章ならワープロの方が好ましいと思うのは否めない。なかなか難しい世界だ。
 さ、明日は業務が多忙だ。その上に初めて後期高齢者医療保険の年金差っ引きの日でもある。どうかモンク言いの来ないこと、電話のないことを願うばかり だ。政府のバカどもは地方の庶民の暮らしなど一切関係ない世界で生きている奴らばかりだからな。信じられないかもしれないが事実だ。地方公務員の僕を含め て、国家公務員のキャリアグループなどは相当凄まじい出世街道を歩む。仕事はほどほどにしておけば、部下が全てやってくれる。今は国家公務員で反骨の精神 を持った奴なんぞ皆無に等しい。
 久しぶりに組合のことを記載したが、今の若いのを組合のない世界で働かせると、僕などはゾッとするが、彼らは「辞めといわれりゃや辞めますよ」という態 度の者が大半を占める。まさしく、これでいいのか日本人、というとところだろうかな。
 カウンターの調子がおかしいのだが、理由がよく解らない。どんなでしょうかね。

2008 年4月16日(水)くもり時々雨
 ね、水泳の日本選 手権が行われているけど、うれしいね。これで北京オリンピックへ行けるかどうか、しかも標準記録を超えた2位までというのだから、これは泳ぐ選手自身にも やりがいがあるように感じる。当然、やらせる側は期待など一切排除されている。
 そう、これじゃないとダメだろうな、と感じる。昨日は女子400mメドレーリレーの決勝で1、2位ともにオリンピックへ無条件で行ける。今日の男子 100m平泳も同様であった。ぼくが2位の選手なら、昨日の女子400mメドレーリレーの終了後のインタビューのとおりではないか、と感じた。
 「喝」で有名な日曜日のニュース番組で大沢御大や張本さんのようにいうように、柔道をポイント制にするなどのことを先にやるのが不公平気分を無くするモ ノホンだろうと思う。
 僕がやってる陸上競技でもそうだ、日本選手権をオリンピック選考会としての一発勝負、というのが本来だろう。マラソンは出場枠があるのなら、そのレース に指定制を加えればいい。男子なら福岡、東京、琵琶湖で、この優勝者を選ぶ、とすればいい。ペースメーカーとか招待選手などは必要ない。
 そんな中、ロッテで四国アイランドリーグ出身選手がホームランを打つ。対戦相手の楽天を僕は応援しているのだが、ここ最近の状況どおり1点や2点差で負 ける。痛いナー。
 とはいえ、四国アイランドリーグ出身者がホームランを打つのだから、期待は大きく膨らむ。こういった時というのが、僕にとっては辛いところだ。
 「その時歴史が動いた」。今日は水平社宣言であった。久しぶりに今なお生きている人間差別と真っ向から闘いを行うという水平社1918年3月3日、午後 1時結成時をポイントとした番組であった。
 愛媛の今の人権教育は相変わらずの念仏教育だ。水平社宣言自体も古いけど、それを至上のこととするのではなく、逆に上手くかわすようなような態度を採っ ているのが今の愛媛の人権教育ではないだろうか、とまたしても批判の方に僕の気分は向けられる。
 僕自身、いい時代に人権教育を受けた、と感じる。今のような伝達講習のようなものではなく、実際に差別を受けながらも、その場所に今なお生きていらっ しゃる。そのいった方々の講演を嫌というほど聞いた。まさにリアルタイムでの人権教育であった。

2008 年4月19日()くもり時々はれ
 模様の天候から回 復する兆しだろう。外気が冷たく、灰色の雲の上に青空が見える。これで風が強いと冬になってしまう。そんな天候だ。
 振り返るとこの2週間、ヘトヘトになってしまって、よく身体が持ったものだ、と感じる。おかしいようだが、疲れが取れないというのは非常に精神面でも苦 痛を伴うことが解った次第。
 さて、昨日は新規採用職員の歓迎会をやった。この若い人たちが宇和島市民の公共サービスを担うのだろうけど、向こう30年後、今の僕と同じ歳になったと き、この宇和島はどうなっているか?。四国州のホンのちっぽけな街になっているのだろうと思うね。
 先日来オカシイ動きをしていたwww/Gridのカウンター、一応良くなったと思う。どうやら新しいカウンターと古いカウンターの(リンク)アドレスが コンクリフトをおこしていたようだ。
 もう一つは定期アップの時期ではないがトップページのデザインを変更した。トップページの重いのも困りものだが、使用するソフトが以前のMacのベース になっていると現在のUNIXベースと少し異なるところもあって、割り切れないものも存在する。
 夕方、ようやく天気が良くなった。流石に2日も雨模様だと、今時のお天道様は少々役不足のようだ。
 昨日、ひょんなことから、映画「スイングガールズ」のDVD(中古)をゲットした。少々デフォルメ部分もあるけど、指使いも正確だし、マウスピースのみ であのような音を出せるのだから、彼女たちは本当に相当練習をしていることが解る。
 そして、これまでのテレビなどを含めて今日見たので3度目だ。でもいつも新線だ。不思議な気分である。もちろん、僕がトロンボーンをやってたからかもし れないが、実は演奏と映像が妙に一致しているからかもしれない。
 安い予算などで、安易に放映時間に合わせたようなカットだらけの映像が最近は多いけど、そういうものには「キラリ」としたものが感じられないように感じ る。

2008 年4月20日()はれ時々くもり
 は丸山公園周辺の清掃。最初から行くっていっ てたから、自転車で途中まで行って、後は歩きだ。といっても、少々ミスッたからテニスコートの近所へ出てしまった。今のご時世だから、ハイソのテニスの方 がやる連中の数が多いからだろう。
 掃除といってもいつもの通り。こんなのは止めたほうがいいんだ。理由は簡単だ。形骸化してる。あいさつで、作業手順を説明する者がマスクかけて、小さい 声で喋るんだからね、こんなのはネイティブにやらせろっていうの。
 昼からはT-140Vにかかる。これは、ブログで少々思わせぶりを記載しているが、真実はオワカリいただけないだろう。SUDCO MIKUNIのキャブレターは所詮そういったものだ。エンスーは楽しみというが、その記事に合致したものは一切無い中でやる僕の気分からすると、それは死 にものぐるいだ。楽しみなんかありゃしない。
 で、ケーヒンのFCRにしたって、それは、ある程度の出来上がったものがそこにあるから、それからのことだ。が、SUDCO MIKUNIのVM32mmは当初からT-120R用。つまり、旧タイプの650ccに取り付けられるべきものなんだ。それを750に装着するものdかあ ら、そのリスクは大きい?。いや、それはないはずだ、と思ってこれまでやったが、やはり難しかった。
 そのうち、対処法を紹介したい。といったところで、T-140Vを知っている人が市内に何人いらっしゃるのだろうか。

2008 年4月23日(水)くもり後雨
 昨日は酒道場の例 会、ご高齢だがTさんの誕生日だったので、風花で誂えた花束をプレゼント。幸か不幸か参加人数が少なかったので、しこたま飲むハメになってしまった。
 昨日は春のBritish Runでたまたま意気投合した寝屋川のFさんが来宇したいというので、ゼヒ来てください... 。
 何と何と22日に行くというのが本当になってしまい、ほづみ亭を紹介し、夕食などをごちそうするつもりが、すっかりゴチになった。二次会は蛮可無で再び 盛り上がり。ま、こちらは僕がゴチした。
 本日は山小うどんへ行って、お城山に登った後で高知へ行くはずだったが、Fさんは大丈夫だったかな。雨は予想できていたが、須崎までは56号線を南下す るコースを採ると言っていた。
 僕は流石に疲れてしまって、本日は休肝日とした。久しぶりに飲みたくない、という気分が大きく支配してしまっている。これも例のサプリメントのためだろ うか。
 風が少し出て午後からは雨になった。止むかな、と思っていたが、強くなったり弱くなったりの雨で心なしか潤う。桜は過去のものになって、今は広葉樹の花 が咲いている。この花の嫌な臭いを嗅ぐようになるのは間もなくだろう。
 Fさんとの話で、僕のオートバイ歴を話したけど、そろそろ、小誌で、これまでのことを述べなければならないかもしれない。コソバユイ感じがしないでもな いが、僕がスポーツカブに乗り始めたのが高校3年ぐらいだった。スポーツカブを受け取りに城辺(現 愛南町)までバスで行き、50kmの道程を帰ってきた。ここから僕のオートバイ歴が始まるのだからね。
 まじめにコンタクトポイントの調整の方法なども紹介しないとならないよな。測定器がない時はプラグホールからドライバー突っ込んで上死点を出す。そこの 少し手前でポイントが... 。これでエンジンが回ればしめたものだ。
 といったところで、ポイントって何?、が今のご時世だし、僕のT-140Vもトランジスタ点火に改造したのだものね。結構難しいものになる。ボチボチだ な。

2008 年4月25日(金)はれ時々くもり
 つものように金曜日が来るとホッとする。今日は朝から税務課の職員と納税者宅へ臨戸して、税務から説明 があると思っていたが、これが直接担当でないT氏が僕と同行するのだから、説明など出来ないのは当たり前なんだ。もう少し状況を勘案してレンラクしてく れってんだ。
 執行委員会も、上手く終わった方だろう。こうやって、ってどうのこうの言っているものの、最終はいつも僕に回ってくる。もちろん、組織の最終判断と責任 は僕かもしれないが、そこまでにするんなら、それを先に実行に移してくれ、ってんだ。
 夕方は、メーデーの慰労会会場の手前もあって、ゲルマンで軽く一杯。しかし、飲めなくなった。同時にゆっくりと時を過ごすことが出来た。
 後から入ってきたお客の一組が家族連れ。オートバイの話などして終わった。その次に入ってきたお客に少々驚いた。幼い頃、小中学校当時の面影がわずかに 残るところからY君だ、ということは解ったが、僕は声をかけなかった。途中、ママさんが「あれ、Y君よ」といってきたが、今日は遠慮しておく、と僕。
 彼は他所へ行っていたから、僕などがダイレクトにその様子を記載していることには関係ないだろう。が、面影はあるものの、妙に老人めいて声をかけるにも 難しい状況 だったのである。この気分はどういった理由で生じるんだろう。僕の同級生のお仲間うちは、まぁまぁ見慣れているからかもしれないが、シワの多い顔など、僕 にとっ て彼には若々しさは見られない。
 逆に僕の方がノー天気だからどうか?。いや、それは違う。都会である程度の銭を遣い、ごく普通の生活をしているのは、この辺では結構遊んでいる奴と思わ れる。そんなことから、都会での普通の生活の上に、少々入れ込んだ趣味など無い奴は、お そらく、本日のY君のようになってしまうのだろう、と感じたところだ。

2008 年4月27日()はれ時々くもり
 日は県オリエン テーリング協会の理事会で松山までSR500で出かけた。問題はショッピングセンター「エミフル」のオープン。
 実のところ、意味合いは「笑みフル」のはずだろうけど、実際はタミフルじゃネーのか?、というと、職場の仲間に大いに受けた。それほど心配していたのだ が、実際はそうでもなかった。万一を考えて伊予市から右折して県道を走ったが、松山の人も僕と同じことを考えてたのかしら、その県道が渋滞。迂回したつも りだったのだが、8時宇和島発の宇和島自動車の特急便バスが藤原町営業所近くで目にしたので、わずか10分遅れだったから、エミフルの人出はそれ程でもな かったわけだ。
 空けて本日は10時からアジア・アフリカ救援米の田植えだ。当然、SR500で行く。僕は、このオートバイは今の状態でいいのじゃないかな、と感じる。 最近は少々オーバー気味のペースで走ることを好まなくなった。
 田植えは子ども達と一緒にやったのだが、既に機械植えが終わっているところへグチャグチャは入り込むバカタレが居る。女の子は「間を通ってね」と言う と、すぐに聞いてくれる。が、やんちゃな男の子は聞き入れることすらしない。田植えなんて二の次だ。
 時間がなかったから、僕と専門家の2人ほどが手植えを続けて、無事終了した。
 僕はね、これら男児は親がブン殴ってやってもいい、と思う。実際、ウチの息子にはやっていた。それでもヒネクレなかった。僕は親の考えを問いたい。加え て、子供は解らないだろうが、僕なら生米を食べさせるだろうし、気分が落ち着かなければ、メシ抜きをやっているだろうと思う。母親も母親だ。田んぼに入っ てすぐに出る奴。手植えはするが隣と揃わずに植え続ける奴。先に書いた男児には何も言わない。僕が間違っているだろうか?。
 食の問題に対して、今の親はいい加減過ぎるのではないだろうか。
 気分を変えて、国道320号線を走る自動車を見つつ、ツマラナイ車ばかりだな、と感じた。いわゆるジャパンユニバーサルの自動車が多くなってきた証拠だ ろうな。
 合わせて、オートバイもそうだ。音だけが速いカワサキのレーシングレプリカ。音だけが調子良い重いハーレーなどなど、ごく一般のオートバイってものを 持っていないのだろうか?。そして、僕がいつも言う「人間が乗ってサマになるオートバイ」ということは全く無視されてるのが今の状況だろう。

2008 年5月5日(月)雨後くもり
 日Pismoに Mac OS 10.5をインストールして結構いい、と日記に記載した。その舌の乾かぬ内に、再び10.4へ変更した。元に戻したというべきか。これはこれでいい。
 理由は、10.3へ簡単には戻せないこと、10.5は例の通り。したがって10.4がピークであろう。ただし、今回はクリーンインストールを行った。そ して、外付け(メディアベイ装着)から整合性を図っての結果だが、それにしてもTigerは惜しい、と思う。
 Appleファンから申し上げづらいが、Intel MacへはTigerはインストールできない、とすべきであったかもしれない。とはいえ、G4マシンにもフレキシブルに対応できる点はAppleが Tigerに寄せるところとして、Appleマシンの前ユーザー、移行できないユーザーに対してへの心配りではないか、と感じる。
 というところから、そろそろMacBookへ移行すべきかもしれないな、と感じている。Airもいいが、もう一回マシンの入れ替えがありそうな気がす る。そのため、Airは昔のDuoと同等のマシンにはならない。
 ま、24回でペイする算段とすると、久々に、昔のようにペーパーレス化し、マシン1台で家庭の分も仕事の分もOkとさせるようにしてみようと思う。いい 時期かもしれない。退職まで2年を残すからね。Pismoから7年目の動きになるな。

2008 年5月10日()雨
 が最初に来たといって、それは「サージ電流」 だ。アップロードしていたつもりなのに出来ていない。まさか、と思いつつ、家で確認すると案の状だ。ゲ〜、読者の皆様に申し訳ない。同時に、リアルタイム としての云々が少し消える... 、といったような気分が僕の心に大きくノサバル。
 僕自身、真面目に月毎の更新にリキ入れている。時として更新時をミスルものの、これまで連綿とやってきた。特に「サージ電流」は、これだけ独立さ せてもいいし、本来なら、この項だけブログにしてもいいように感じているところだ。このコラムに関して、残念ながら、これまでの号での下書きは一切残して いない。
 そんなことから漸くにして日記を記そうとしたが、実際には先月末から、今の気分に戻るまで結構な時間を要しているのだ。不思議だろうと思うが、職場のこ とを考えている と、僕のページにほぼ理解できる名称を記載してしまうことになる。対人関係系が存在する職場ゆえ、恨む面は誉める面の数倍のモロモロを伴う。もしも、ある 程度公で発覚 した事項に対して謝罪して済んでいることでも、担当部門では、それは「あってはならないこと」も一部含まれることとして後々の世界に受け継がれる。そのこ とが冷めた頃には人事異動で関係者は散りぢりになっている。問題が再浮上すると相手の言いなりになる。
 そういったことからすると、組合活動などやっている僕は、こういった裏の一部なども知っているものだから、一般職のトップクラスで職を辞することになる のであろう。
 さて、本日はブログに記しているとおりのことが発覚した。これまで確認したサイト調べでは、デジタル一眼レフのオーナーが対処する一歩踏み込んだところ が紹介されない。仮に、誌上での批評者の中で「そこどこ?」となるのだろうけど、まだまだデジタル一眼レフカメラ普及にはホド遠い世界のように感じる。何 しろおもしろいのは、一眼レフカメラ でもファインダーを覗かないユーザー、モニター作動させたままでシャッターを切るにはどうすればいいか... 、などを真面目に宣うユーザーが本当に居るのである!。その上、こういったことに対して、オーナーが何に、何処にQ&Aを求めるのだろうか、とい うことである。
 写真雑誌では、デジタル一眼レフカメラでの写真に対して重視する傾向が強い。その前に、デジタル映像機器として、機械のことに対しては大きく取り上げな い。何かおかしい。
 話変わって、本日は愛媛新聞で市内の「ちょいとした店」の紹介があったが、僕は、この記事失敗じゃないの?と感じてしまう。手前味噌ながら本当にそう だろうか?。僕は怪しいと思う。質とか、そういったものではない。ある程度お腹が満足で、もう少し云々、といった状態で、余韻を残しながら、その店を去 る。
 新聞記者はそこまでまとめ上げているか?。推測の域を出ないが、この記事をリリースした記者は酒が飲めないのではないか?。取材で出される料理はサービ スでは ないか?。
 こんなことをツイツイ考えてしまうのだ。決してウソではない。自分とこが唯一の県紙と名乗っている愛媛新聞だし、独占企業だろうところから不利益に伴う ことは無視するんだ。しかし、この地方だってパトロンってーのは存在するんだから、そろそろ... 。

2008 年5月12日(月)はれ
 日日記を記載しな かったのは、一つの理由がある。10日に記載したとおり、僕の持っているFinePix S1 Proに装着しているAFニッコールの状況が思わしくないからだ。そう、確かにそう感じて、昨日は同じ場所に2回も出かけて撮影した。
 それでもおかしいところは消えないまま。僕の頭の中でアーでもない、コーでもない、と考えを巡らせていくうちに昨夜は眠ってしまったのだが、本日は早朝 より目覚めがいいので、出勤前に撮影をしようと出かけ、これまでのレンズを取り付け全く同じところを撮影した。
 仕事が終わってPowerBook G4 12インチで確認。我が目を疑う。前回と全く同じだ。とうとうカメラもダメかな、と一瞬感じた。同時にタイピングの時の諸々があって、久々にPismoを 出してきて先に撮ったものを確認したときであった。
 驚いたね。ピントも来ているんだ。どこといって破綻がないし、むしろ11日にダメとした廉価な58mm径のレンズの方が好ましい。僕が以前小誌に報告し たそのものになってしまった。いったい何が原因だろうか?。
 想像の域を出ないが、僕が考えるのはGPUとディスプレーの関係じゃないかな、と思う。12インチはNVIDIA GeForceを搭載しているはずだ。やはりATI Mobility Radeonの方が好ましいのかもしれない。
 あるいは、マシン全体として、S1 Proとフィットしないのかもしれない。この辺のところが古いカメラでドライバーなどのアップがないものだから、うやむやになっているのかもしれない。
 ひとまず安心した次第だ。しかし、デジカメ自体本当にそのままで使える写真を簡単にゲットできるのかどうか、この辺のところが難しいんだよね。

2008 年5月13日(火)雨後くもり
 の天候とはいえ、 何時急変するかもしれない。昨日の午後の中国四川省の地震。僕自身、こんなコトもあるな、というだけであった。真面目にだよ。日本で起こった同類の地震災 害のときからすれば、慌てる必要はないため、別に気にもならない。
 真面目に考えるのは、どれだけの傷病者を入れると、一体どれだけの人が助かるのか?。
 年齢などは問わない。これが現実だ。真面目に阪神淡路のときの神戸の被災を経験した方々が今回のところへ出向けば、そこそこで対応するのみ。コトが落ち 着いて、阪神淡路のコトを話すだろうと思う。
 今は何をどうするか?。
 それほど、現実は逼迫しているのに、首相が椅子に座って指示しているなんぞ、ウソではない か?。僕が言いたいのはこれだけである。
 さて、連合地協の幹事会で市長を招いての政策会議を行った。といってもアルコールが入っての話の方が、いつもながら身が入る、という、いつものパターン だ。
 しかし、今回はこれが少しばかり狂った。というのは、お開きになる前まで市長が居たコトに起因する。地域に子供のいなくなるような保育園をつくるな、柿 原水源地跡のNL 濾過器を保存すべき、ということなどを僕から申し述べておいた。
 お開きの前に、単組がやっているのかどうかで議長と事務局長とのやり合いがあったが、僕はどちらも賛成だし、どちらも反対である。が、事務局長はどうし て自分とこのことを纏めないんだろうか?。これって、おかしい。
 執行部がヤルゾ、といって下ろしたことが出来ない、というのなら話は判るが、どうもそうではない。やればやるほど難しくなる、という。とすると、ことの IT化が進んだ今では日常茶飯事のことなんだな、と恐れ入った次第だった。
 僕んとこの公務サイドの対応は遅くなったが、直結している上部団体からの通知がこの前に来たところだ。すでに誰にも後ろ指差されないことでの応援をしよ う と決めている。事務局長のところは、それが出来ないのか?。僕は逃げと思うな。
 ま、今のところは急激に何かが一気にやってくるとは考えられない。しかし、こういった上部団体が決定して下へ下ろす。その速度が速くなっているから、水 泳競技の水着など、着たくても着ることが出来ないなどのオカシイ点など、この機を利用して、スポーツ選手などは事前に競技団体と対応を密にしておくべき だ、と思った。

2008 年5月14日(水)はれ時々くもり
 々疲れ気味。この 気分を越えると一段落だが、今週末は大丈夫かもしれない。マジで土日の予定がないというのは良いものだ。来週は25日の日曜日に松山で2つの会議があるか ら、これがどうなるかは不明。少なくとも土曜日にやって欲しいのだが、どうも難しいな。その程度の組織でしかないというわけだ。
 ここ数日、PowerBook G4 12インチのディスプレー補正を行っている。デジタル一眼レフのS1 Proで撮影したものがプレビューするとモヤ〜ットする現象がつきまとうからだ。自然なカラーで透明感があって破綻がない色合いという、厳しい条件だから 難しいのかもしれない。
 この程度というところまで追い込んでみると、結構見られる状態になった。が、今度は目線とディスプレーのオープン角度が不一致になると、急激にダメにな る。これはキャリブレーションの補正ではなく、ディスプレーとGPUとの関連になるのだろうか。
 こういったところから、そろそろ最新兵器に移行すべきなんだろうけど、未だその決定には至らない。そのマシンは「これだ」というものがないからである。 もう少し待ってみようと考えるところだ。
 夜のニュースで中国での地震のことを大きく報道し始めた。そして、こともあろうか、中国共産党が「救助のハイライトのみを報道せよ」指令を出しているこ とが判った。
 僕が一番恐れていることが未だ中国では公然とやられている。おそらく報道管制は相当やられていることであろう。首相が救助隊にハッパをかけるシーンな ど、昨夜の椅子に座った姿からは考えられない変化だ。おまけに音声が流れないなど、共産主義特有のやり方だ。
 本日の愛媛新聞の第一面。そこに掲載された地震で被災して泣きじゃくっているであろう小学生の少女の写真。恨みとも辛みとも言えない顔。この子は今後笑 うことが出来るのだろうか。
 日を追う毎に犠牲者は増える。いつまで続くのか、その予測すら出来ない。正確に外へ知らさねば、国連の援助も受けられないし、夏のオリンピック開催も危 ういのではないだろうか。

2008 年5月15日(木)はれ時々くもり
 ントの話、つい先 ほどまで下痢とガスで3度もトイレへ行き、お尻が痛くなってしまった。ことは午後4時前に一度トイレへ。お腹がググ〜っと鳴って、その音が右から左へ移動 するのがよく分かるのだ。で、ブワ〜ッとガスが出て、栓が抜けたようにポポンとウンチが出て、その時はオシマイだった。
 今日は夜間徴収が少々長いからオコンマ(オマンマとオマンマとの間のマンマ)を少し食って自転車で午後6時前に出発。1時間ほど徴収業務やって職場へ帰 る前になって腹具合がおかしくなってきた。今度はヤバイ。案の定、バーッと出る。
 これで終わったと思うと大間違い。仕事が終わって家に帰る手前で再び腹具合がおかしくなった。再び先ほどと同じような状態。今度は完全だった。いやはや マイッタ。
 で、原因は何かというと... 。これはしばらく期間を置いて報告しよう。おそらくアレだろうと思うから。
 さて、本日は木曜日。この地では多くの店が定休日だ。東京では水曜日だろう。この木曜日をツイツイ忘れてしまうのが常で、本日の夜業もこのために無駄に 30分オーバーしてしまった。もちろん無休の時間だが、夜の店に徴収へ行くのも考え物だな。
 NHK総合テレビ「きよしとこの夜」本日のメインゲストは国生さゆりさんであった。もう一人の増田明美さんも楽しかったが、国生さんが陸上競技をやって いらっしたことは歩き方で判った。あのような歩き方ならハイヒール履いても大丈夫だな、と感じる。
 少し前まで、若い女の子がヒールの高いブーツを履いて、悪いことに腰を落として膝を曲げて歩く。それでもヒールの高い(ブーツ)シューズを止めようとし ない。 
 もっとも、ファッションは抜きにしてハイヒールのブーツが今年の冬に流行るかどうか判らないが、ハイヒール履いてクールストラッティンのジャケットのよ うに歩ける女性は少ないのだろうな、と感じた。

2008 年5月18日(日)はれ時々くもり
 来は昨日記載すべ きであったかもしれない。が、止めた。疲労が大きく遅う。確かに量は少ないが、ことの実際が多く、その纏めがその日の内ではどうも難しい、というところで ある。
 本日は昨日のことを踏まえ、ブログの方へSR400/500の不細工なバックミラーのことを記した。昨日の詳細は次号だ。そういえば、アメリカのオート バイ雑誌へ日本の英語が沢山進出している。ことにアメリカでは、頭部をすっぽり覆うヘルメット、これを以前はフル・カヴァレージ・ヘルメットと称していた が、現在では日本流の「フルフェイス・ヘルメット」でもOKのようである。
 とすると、バックミラーもOKのように感じるだろうが、これは文化・コトバの歴史からダメのようだ。リア・ヴューミラーが正しいようだ。いわば、ナイ ターがナイト・ゲームという程度のことであろうとは思う。
 いつか忘れたが、飲み屋で中国のホステスに筆談で英語の文法で日本語の意味で漢字を並べたところ、感極まって泣かれたことがある。挙げ句の果ては喋らな い僕を「アンタはドコの人間か?」と言われたのを思い出す。まさに、書面を重視する国だな、と感じた。
 気分が少々良かったのでゲルマンへ行って、明日の予行演習を行った。良い塩梅だったが、明日以降、最初のビールをゆっくり飲むことに心がけようと思う。 これさえ守れば、鬼に金棒だ。
 そうだ、コンピューターだけど、ここ数年はノートがメインになってしまっている。少し前のMacPro G5になったとき手を出していれば良かったが、いまさらコンピューター然としているものはなぁ〜、と思っていたが、最近の状況からすると、40万円程度な ら、PowerMacのそこそこのものをゲッとした方がいいのではないかな、と感じ始めだした。

2008 年5月24日()くもり後雨
 期せぬこととは突 如訪れるものだし、「もしも」というのは一定の条理がないと空想の世界だけに終わってしまう。これを僕は現実に味わった。ほんの20分の間に。
 本日は、職場からいうと、北フジでの出張軽自動車税の徴収日初日だ。昨年から、僕はこの時に同僚への訪問方々、ここで軽自動車税を納めることにしてい る。今日は運良く晴れ間も見えてきた10時過ぎに出かけて納めた。
 僕自身は悲喜こもごもの気分であった。まず、北フジが持つ購買力の大きさだ。どうして、家からの距離が長いのに、同じフジでも恵美須町店で済まさないの だろうか?。本日はよく分かった。理由は簡単。付帯の購入物が多いからだ。これに比べて恵美須町では、当のフジに対して新橋センター、少し離れてサンシャ イン。ここがしのぎを削っている。これが理由であろう。
 こういった世界を背に受けて、特異な商店を構築するったって購買層が限定されるんだから、余程のことがない限り、通常の期間で消費者が認知するなり、リ ピーターなどが来てくれるなどの継続した営業をやるには、ここでは無理だ、と判断したところだ。
 北フジで、カートを老人車並にしている高齢のユーザーを見ているのだから、このことは絶対だ。事実、その老人車は北フジの外に留めてある。
 北フジから帰って、レトルトカレーでの昼食。その後は再び文章のまとめとG4 12インチの調整をやっていた。
 G4 12インチの調整はOnyxnoレパード(実際はレオパードだろう)対応をインストールして、処理をやると速さが激変。このソフトはすごいな、と感じる。 で、SUDCO MIKUNIの文章を作成していたり、明日の松山行きに際して、事前に処理をしておこうとした。
 琴欧洲の優勝決定の跡、気分は勝れずに酒道場へ。スグレナイ気分はマスター、んところの例の等妙寺までへの道しるべの石碑をどうするか、と件だ。これを 宇和島市の文化課と鬼北町のその関係課へ通知しているにもかかわらず、マスターんところへ電話の1本もないという始末だから、僕自身まいってしまった。現 実には文化財としての処理を伴わないものだからで処分できるのだ。それを何とか防ぎたいとのことから、自主的に申し上げているのに、このザマだ。
 で、もっとビックリしたのは、酒道場で帰えろうかな、としていたときに、市長候補へ立候補しようとしているN氏がお仲間うちを連れてきた。中には 良く存じ上げている方がいらっしゃる。
 いつもながら、知り合いの方々は多いから、目線と会釈であいさつはしておいたが、その方が、NPOを組織してハワイのえひめ丸慰霊碑に沿って平和の鐘 を建立するんだ!。出来るだけ賛同者をつのって、ハワイへは一人5万円で行っていただきたい、というんだよね。
 現実に、相当前に国連へ寄贈した平和の鐘の真の意味は何だったんだろうか、ということをふと思い出した。
 おそらく、当時の市長としては宇和島と氏個人の売名行為は確かにあったろうが、平和の鐘自体の存在は、ある種、大晦日の除夜の鐘からはじまる日本人の心 の中の根本にあるもの を国連という地球の国内の集まりの中での平和祈願ということから贈ったものではないか、と感じている。
 僕自身は、えひめ丸事件は何やら割り切れないものを感じるものの、現実には、もう少し「ソッとしておいて欲しい」というところがあるのではないか。今は 成人しているであろうM君はいまだに太平洋のどこかをさまよっているのだから。
 ハワイの慰霊碑でも、建立に僕は反対だった。ましてやモニュメントの一部である、碇は船という関係の象徴ではなく、逆に彼らの魂を自由に出来ないのでは ないか、と感じていた次第だ。
 そこへ平和の鐘... 。その趣旨はまだしも、ゼニはどこから、どういったルートで... 、など考えていると、売名行為に他ならない、と感じた次第だ。
 で、数年後、この方に市の舵取りを任せると... 。いくら貧乏くじを引いていようとも、一般市民が彼を市長にしない理由が理解できたような気がした。次の選挙へ出馬するかもしれないが、結果はダメだろう な、と感じた次第。
 市立病院が完成間近の時、合併前にYahooの掲示板に出ていたように、病院建設に合併特例債を遣っていたらどうなっていたか... 。
 ま、これ以上は言うまい。一部個人名も判るように出してしまったし... 。

2008 年5月26日(月)はれ時々くもり
 んな元気〜?。一 瞬聞きたくなる。応えは「げんき〜」といった程度であろう。ウチの職場でも、この状況だな。ともかく職員全体にゆとりがない。僕のように予め臭わせている と、ことは簡単だ。そろそろ休むぞ、とかには、いいですよ、ということで終わる。これが僕の状況だ。
 一般職も、上司(直上は僕)が平気で休むものだから、取りすぎに注意を除いてドンドン休暇を取っていただいている。これが当然なんだけど、世間の目、同 僚の目が怖いとか、上司が休まないから... 、などが出てくるんだ。これの対処の仕方を僕は知らない。休みを取らないのが美だ、という輩はクソ噛んで死ねってんだ。
 とはいえ、それを踏襲する輩が多い。結果はどうか?。思いっきり踵を返して刃向かう奴が一番多い。公務員ってのーは、ホント傍目以上に大変なんですか ら、それを逆手に取る奴は抹殺なんです。意味解るかな〜。後で気がつく何とやらだ。
 で、本日は「大臣表彰の候補者選び」ということから、僕に白羽の矢が立った。と記載するといいようだが、旅費は自前、最低でも2日の有給休暇が必要など など、割 に合わない面が多過ぎる。
 僕は決してナァナァで言ってるんじゃないんだ。
 さて、そろそろ自分の身の振り方を考え始めだした。僕がホスピスへ行くことはないだろうけど、僕がクタバル寸前はどういった動きになるんだろうかな、と 感じてしまった。

2008 年5月28日(水)はれ後一時雨
 朝から晩まで「吉兆」の廃業のニュースばかりだ。僕が吉兆を知ったのは、日本のコンシューマーレポート誌「暮らしの手帖」の「吉兆つれづれ」で創業者の 湯木さんのエッセイのような楽しい文章からであった。こういった方が作る料理を食べながら金持ちになった気分で... 、というのではなく、こういった方は、庶民に対しても優しく対応してくれるのだろうな、と感じていたところだ。
 今日のニュースで、吉兆は吉兆がツブした、ということが明白になったようだ。ま、のれん分けなどのつまらないことをやったからではないか、と僕には受け 止められた。今後、吉兆は再興出来ないだろうが、その料理の流れを汲んだ料理人が料理の「心」を継いでいただければ、一番良いこれからではないだろうか、 と感じている。「吉兆」の名前を冠した店にすると博打の「丁半駒揃いました」の後を占う吉にはならない。弔の字の通り「吉弔」になりかねない、と感じたと ころである。
 さて、どうやら近所のスーパーが店を閉じたようだ。結構便利だったし、上手くいっていると感じていたのだけど、やはり、人の心は1円でも安いところへ向 くのであろうな、と思われるし、これ以上の経営は難しいと感じられての退きではなかったか、と感じた次第だ。
 ちょっとそこで... 、という店が再び無くなった。生活する上で、すごく便利だったこの界隈。今は少なくとも数十メーター以上離れたスーパーへ出向かなければならない。かつて は、和楽器屋、ソニーショップ、自動車修理場、ゲタ屋、薬屋、八百屋があった。かろうじて一般生活上の必要物をゲットするための店としては、魚屋と花屋の みである。
 チョイトそこの雑貨屋はサンクスしか無くなってしまった。

2008 年5月28日(水)はれ後一時雨
 朝から晩まで「吉兆」の廃業のニュースばかりだ。僕が吉兆を知ったのは、日本のコンシューマーレポート誌「暮らしの手帖」の「吉兆つれづれ」で創業者の 湯木さんのエッセイのような楽しい文章からであった。こういった方が作る料理を食べながら金持ちになった気分で... 、というのではなく、こういった方は、庶民に対しても優しく対応してくれるのだろうな、と感じていたところだ。
 今日のニュースで、吉兆は吉兆がツブした、ということが明白になったようだ。ま、のれん分けなどのつまらないことをやったからではないか、と僕には受け 止められた。今後、吉兆は再興出来ないだろうが、その料理の流れを汲んだ料理人が料理の「心」を継いでいただければ、一番良いこれからではないだろうか、 と感じている。「吉兆」の名前を冠した店にすると博打の「丁半駒揃いました」の後を占う吉にはならない。弔の字の通り「吉弔」になりかねない、と感じたと ころである。
 さて、どうやら近所のスーパーが店を閉じたようだ。結構便利だったし、上手くいっていると感じていたのだけど、やはり、人の心は1円でも安いところへ向 くのであろうな、と思われるし、これ以上の経営は難しいと感じられての退きではなかったか、と感じた次第だ。
 ちょっとそこで... 、という店が再び無くなった。生活する上で、すごく便利だったこの界隈。今は少なくとも数十メーター以上離れたスーパーへ出向かなければならない。かつて は、和楽器屋、ソニーショップ、自動車修理場、ゲタ屋、薬屋、八百屋があった。かろうじて一般生活上の必要物をゲットするための店としては、魚屋と花屋の みである。
 チョイトそこの雑貨屋はサンクスしか無くなってしまった。

2008 年5月31日(土)小雨後はれ
Where have all the flowers gone?
Long time passing
Where have all the flowers gone?
Long time ago
Where have all the flowers gone?
Youn g girls pic them everyone
When will they ever learn
When will they ever learn
 ご存知「花は何処へ行った」の歌詞だ。え、知らない?。そんな馬鹿な。こんな有名なアメリカのフォークソングを... 。つい、この間まではこのように考えていた。最近、この僕の「エッ」という気持ちは当然過去のものだな、と考えるようになった。
 本日、「西六郷少年少女合唱団」の創始者と、現在も連綿と続くその合唱団の状況を記録したNHK総合テレビのアーカイブスを見ていて、フト、僕の「古い 歌謡は古くさいのだ」と決めつけることは間違っている、と思うようになった。
 ここ最近、同年代や、少し上の連中からバカにされようとも、お酒の席などで僕は「オジンギャグ」を連発することにしている。ことに若い女性が多いときは バカげたことと思われる以上に連発する。以前はむなしい努力だったが、今はどうも違うようだ。
 ことに、頭のいい若い女性などからすると、「どうして、しりとりのように次々とギャグが出るのだろう?。そのボキャブラリーの蓄積方法は並々なら ぬ... 」といった受け取り方をしているようだ。
 ことに、翌日は平然としている僕を見るとバカみたいだけど、ある程度わきまえている大人の姿を見せることも必要だが... 。
 僕は、この「花は何処へ行った」はキングストントリオのコーラスが 一番好きだ。最終から少し前、花が墓になる部分、これをスンナリ歌わないと、最終の再び花が出るシーンのイメージが薄くなる。PPM(ピーター・ポール・マリー)の歌い方は日本人には受けるだろうが、欧米 人には来ないだろうな、と考えるところだ。
 決して、温故知新を押しつけるものでもない。が、成人になって、ノンベンダラリと生きている奴こそ、速くくたばってしまえ!。僕が呪い殺してやる。ボブ・ディラン「風に吹かれて」の歌詞に至るまでやってやらないと解らないのが大半だろうか ら。
 過激な言い分かもしれない。が、そこまでやらないと、今のこの国では生きていけない。そのうち、生活保護者ばかりになって、その生活保護費の出し方にも 大きい疑問が出されることになるのではにだろうか、と考える今日この頃である。

2008 年6月1日()はれ後くもり
 本日は、職員組合の旅行で、吉海のバラ公園で一段落した後、広島県呉の大和ミュージアムと鉄のクジラ館を見るコースだ。
 先ほど帰宅したが、虚しさが僕を包み込む。こうとしか言いようのない気分が大和ミュージアムからずっと続いている。間抜けの1/10の模型はそれだけ のことだ。右舷に立つ兵卒の姿に僕を置き換えると、その大きさは解るが、所詮それだけのものだ。僕が甲板の彼に替わって、見学者を見ている姿に置き換える と「今日は客が多いな、僕は今でも魂を持っているし、みんなの心の中は解るんだぞ」と言ってくれているようにも感じられた。
 僕のグループについてくれたボランティアの女性の解説が淡々と行われる。展示物を見るまでもなく、大和の建造費からはじまって、当時の最新技術を織り込 み、なおかつ、装甲版の厚り、材質の種類までも決められていたこと。その大和がアメリカの機動部隊から発進した攻撃航空兵力にわずか2時間あま りで海の藻屑にされてしまったこと。これらを淡々と話す。零戦62(ろく・にい)型のところで、どうして零戦か?に僕が[昭和15年が皇紀2600年だか ら]といったとき、わずかに微笑んだ。続けて昭和16年に製造などは一式、昭和14年は99式になるなどと言ってくれたから解ってガイドしてるんだ。
 したがって、大和の沈没などはどうでもいい。これを動かしていた人間がいて、どう死んで、どう生き延びての今を迎えていることなどは、おそらく一般大衆 が知らないことであろうな、と感じてしまう。
 先般の海中調査から復原された海底の大和の現在の状況からすると、宇宙戦艦大和の最初のシーンなど絵空事のように感じてしまう。
 帰り際、1/10大和を艦首から写真に納めた。威風堂々とは言えない。むしろ、何ともやさしい、ある意味近代艦の風貌も感じられるし、ロングノーズ・ ショートデッキのスポーツ船の状況も加味してる。
 この当時の最新技術を駆使した戦艦であったこと、それが、今日の日本の工業水準の礎となっていることなどを、どうして学校で教えないのか。
 戦争は否定しても、軍事力の社会貢献度は是非を別として教えて語り継がねばならない。それが、かの戦いでの敗戦国がやる最大のことであろうはずなのだ が、これはむなしいほど「無い」。おそらくドイツはこれを行った。
 旅行の帰り、家族で参加している80過ぎのおばあちゃんが「今度の旅行も連れて行ってください」といってくれたとき、彼女は大和が竣工したときは12〜 13歳の少女ではなかったのか、と考えた。そろそろ、あの戦争を後生へ語り継ぐ準備をしなければならない。
 今の社会、おそらく、どこかで確実に破綻が来る。再び我に返って僕自身の生活を考えてみると、自分の為になる人生をやっていないな、と思う。帰りの車中 で見たDVDのKIMIMAROライブではないが、後々のことはさておいて、今をしっかり生きなければならないな、と感じた次第だ。
 が、どうも今の心にある本日感じた虚しさは当面消えそうにもない。

2008 年6月3日(火)小雨後くもり(実際は 時々小雨)
 ういった天候を宇 和島独自の天候というんだ。晴と雨の境目がはっきりしない。天気尾予報も大分、高知西部それに宮崎を合わせて、こちらで判断しなければならない状況になっ てくるんだ。本当だけど、いくらネイティブの僕が言ったところで、多くの住民は理解してくれないだろう。バカげているけど本当のことだ。
 今、NHK総合テレビでトワエモアが「虹と雪のバラード」を唄おうとしている。グループ本人がいい話をしてくれている。1972年の札幌オリンピック当 時は、今の日本では考えられない挙国一致の状況があった。トワエモアの芥川君も声が出だした。白鳥さんは活動をしていたから当然だが、再結成した当時、芥 川君は大変だった。白鳥さんのセーブした声の音量は、芥川君には中くらいの音量だったのだから。よくぞ、ここまで回復したと思う。
 バックに流れる1972年当時のオリンピックシーンもアナログの画像として最適であった。これをデジタル処理していたら... 、と、逆のことを感じてしまう。その「感じ」は、次に唄った増澤(騎士)氏の「さらばハイセイコー」を聞けばお解りだろう。氏の言うとおり、こういった馬 は出ない... 、かもしれない。シンザンもそうかもしれない。クローンが出来ない世界がそれだろう。
 もっとも、クローンをつくったとしても、生まれた以後の馬の生活は当時のハイセイコーのそれとは全く違う。人間ならこの作用はもっと大きいものになる。 ここんとこは、一切触れられずにクローンが... 、これが今の薄っぺらい金だけが優先の世界であろうな、と感じた次第だ。
 本当は、もっと大きなことを記載したかったんだが、話が前後した。
 実のところ、本日は妻の身内側のT.Mさんの葬儀の日であった。家系のことからすれば当然だが、僕は部外者になる。一般の方が考えたらオカシイと思われ るであろうが、死んだ本人はそうではなく、事細かい身内の相関図を示して通しただろう、と思う。ご自身の葬儀にして、歴史家の彼にしては、近代史は紐解く チャンスは出なかったんだであろう。
 今の宇和島には幕政中旬からの近代史の教示が求められる。明治維新前の50年前からでいい。手始めはバカげたことから、つまり、庶民の話し方はどうで あったのだろうとか、「うわじま弁」は当時どういったものであったのだろうか?。そういった、単純なことからDig outしなきゃ、街づくりなんぞ絵空事だ。この街で、モガケバモガクほど馬鹿を見てしまう。この現実に多くの人が気付いていない。
 葬儀でも、定年退職まで勤務した郵便局に働く方々の参列が一切無い。新聞発表の死亡通知はなかったが、母の葬儀の時、年末にもかかわらず多くの方々に参 列していただいたように、生前の行為は死去の際、確実に現れる。
 もっとも、親族が急激に増えるのは困りものだが、我が家は一人っ子が続いているし、僕自身がこの街では身内とは無関係に、天涯孤独だから大丈夫だろう。 僕の葬儀は父母の時のように、ある意味盛大、ある意味質素という、お寺で行う葬儀に相応しい方法で行いたい。どうしてもセレモニー会館風にやってしまう と、霊魂そのものが彼の地へ行かないような気がしてならない。
 結婚して直ぐに僕は遺書を書いた。妻は大変とばかり母に問うたそうだが、「気にしなくてもいいが、一部は本当のことだよ」と応えたらしい。まさしくそれ だし、一部の考えはその時と変わっていない。
 父は59歳で他界した。そろそろ父の最期を迎える歳に近づいて来だした。再び遺書を纏めておいた方がいい。葬儀の前に、僕の葬儀に対しての言い分も記載 しておくべきであろう。
 話は飛ぶが、オバマ、クリントンの戦いに例えるものではないが、人間の引き際は綺麗で気持ちの良いものにしておきたいものだ。

2008 年6月5日(木)雨後はれ
 日は僕の誕生日。 57歳になった。誕生月日の同じ方々は有名人に多いが、まさか全日本女子バレーの柳本監督が年月日が同じとはビックリであった。
 誕生日ったってそう変わるものではない。というよりは、淡々と仕事をして、帰って夜を迎えて... 、となる。チョイトでかけたかったが、実は職場のH氏と昨日は蛮可無まで行って結構楽しめたので、今日は家でやった。
 夕食は麻婆なすとハチクの煮物、それにすり身のフライ。最近は考え方を変えて米の飯を食うように心がけている。カロリーを落とすことは必要だが、肉など を喰らうよりは飯でカロリー補給をした方が、かえって痩せるのではないかな、と考えたからだ。
 そんな中、ちょいとSR500のフューエルラインの見直しをした。おもしろいもので、上から下へ流れるはずだが、フィルターを入れると少々違う。ま、こ れは次号で詳しく申し上げるけど、既成の概念がはびこると、時として失敗をする。
 コミックの「深夜食堂」を読みつつ、そこそこ生きて行けて、ちょっとだけ楽しみができるような商売をしたいな、と感じているところだ。僕は以前に北海道 で農業をやりたいな、と考えたことがあった。が、大変さが先に来て断念。家庭菜園でも今では本格的でありながら簡単に栽培方法なども身近にあるなど、僕が 考えていた頃とは大きく違ってしまっている。そういうところから、植物の栽培すら今の僕の考えの中にはない、というのが現実だ。
 そろそろ夏を迎える。今夏は1泊2日ぐらいで近場のホテルに泊まってのツーリングなどをやってみたいものだ。で、SR500も夏を迎えるための整備など を小誌に記載して... 、と、これまた歳時記のように記載しようかな、と考えていたときもあったわけだが、うまく行かないことが多すぎて断念してしまった。
 さ、明日はゲルマンへいって美味いものでも食べようか。今日は未明に起きた雷と豪雨から昼からは上天気。どうも57年前の今日は火曜日で、いい天気だっ たようだ。

2008 年6月6日(金)はれ
 頂天というのは少 々滅入ることがある。その一つ、昨日の日記を「3日」と記してしまった。ゴメンナサイ。
 本日は午後5時前に急展開。10万以上の収入になった。ま、こういったこともあろうな。もちろん仕事でで、僕のフトコロに入る金ではない。
 丸穂温泉の後、妻が夕食の準備(といってもオカズだけ)は出来ていたけど、メシが炊きあがっていないもので、昨日の後祝いとしてゲルマンで一人で祝杯。 で、RD250をお譲りする方がいらっしたので、ちょいと考えていたのだが、帰り際に 彼から「ルーニーのマフラーってあるのかな?」といってきた。僕は「あるよ」と応えたが、ほんとうだろうか?。
 たとえ、無かったにせよ、あの方にRD250をことづけてもいいな、と感じてきだした。この辺の「あ・うん」の呼吸を僕には読み取れる。今のオートバイ 好きで旧車を愛する方々がここに至るには、僕からすれば、まだまだ勉強不足のように感じる。ブームはブームで、それが去った後はソノママというのが日本の パターンだろう。

2008 年6月7日()はれ後くもり一時小雨
 5時過ぎに目が醒 める。いつもならグジグジしているのだが、今日は思い切って起きた。起きたってやることはないんだが、まずは読み残しの「魚河岸三代目」のコミックを読 む。幸い外は晴天のようだ。気になっていた格差社会をなくすための連合のビラ配りの業務があるから、ゆっくりはできない。
 この間、修正したフューエルラインのテストがてらSRを走らせるのも一興だ。本日のビラ配りは祝森(いわいのもり)。配布地区が広すぎるからポイントそ 絞っての配布だから地区によっては配布できない。この点は難しいものがある。この配布先の割り振りを昨日やっておいて良かった。
 配布場所は、僕の税務時代に家屋調査をしたところが大半だが、住人が随分と替わっている。時代の流れだろうかな。夢のマイホームとしてだろうけど、当時 では普通の家だったのだけどね。その住人が替わっている。この理由が... 。言うまい。
 ビラ配りが終わって、SR500で再び快走。快走というのは自己判断だけど、結構良いものになっている。クラッチ関係に少々慣れが必要だけど、コイツは 個体差があるのでどうしようもないな。夏に向けて少しばかり変更しなければならない点がある。車検を含めて、12年目を迎えるんだもの、良く持っている よ。
 昼からは、この間の旅行の写真の整理をした。ことにS1 Proでの写真はディスプレー如何によっては随分とニュアンスが違う。一応L版でプリントしてみることとした。やはりフィルムカメラの方がいいような木が する。
 そうそう、愛媛の二科会の写真展が開催されているが、見ていて作品をつくるために努力してんだ、ということは理解できるけど、それはおかしいんじゃない か?、と考える。
 僕はカメラが好きだ。このカメラで、こういったところをショットすると、こういいった写真が出来るのではないか、として、その中の一つが作品として出来 上がる。そして、中には思いがけないものがフィルムに焼き付いている、ということもある。その瞬間が楽しいんだけどね。作品づくりのためのカメラ装備。僕 にはこれができない。そうまでして写真に熱入れることが出来ないんだ。
 デジタル一眼レフでの写真はいいのはいいが、あくまで写真としてのデジタルカメラは常に最新機種を追い求めなくてはならない。被写界深度ではないが、ド コまでもピントが合うような... 。一方ではエンハンス量が多すぎてリンギングが出ていたり。それでも写真として見る者にインパクトを与える。ソフトウエア側で現実には無い色合いを出して しまった風景。これでも素晴らしい作品。何かおかしい気分になってしまうのである。
 バレーボール男子もようやくにしてオリンピック代表権を獲得した。女子と共にアベック出場だ。
 また、明日は雨の日曜日だろうかな。

2008 年6月8日()くもり一時小雨
 日中曇り空。じっ と家にいてwww/Gridのアップロード。一項目どうしようか、と考えた末にアップしなかった。次号でアップするにしても時既に遅く、が待っているかも しれない。バカげているが、連綿と続いているものであっても、その気を失すると、それは過去のものになってしまう。僕は、その狭間の項目になってしまう と、それをアップすることはできない、と考えている。
 したがって、どこかのサイトで出されていて重複するものがあるかもしれないが、たとえば、T-140Vの件など、紙面(サイト)で僕の言い分、やったこ となどに近いものが出れば、僕としては記事を掲載しないことにしている。そのため、時として僕の一文には前後のつじつまが合わなくなってしまうことも生ず るということだ。ま、これは致し方ないでしょう。
 もっとも、オートバイに対して、今のマシンを急遽購入して、SR500のごとく書き連ねるとすれば、ヒットは間違いない。
 が、欠点もあるにせよ、僕より先んじて1年以上そのマシンに関わっているオーナーに対して、僕の言い分を通そうかとなると、僕はそれを取り下げる。もっ とも、総体に対 しては論を退けることなど一切しないのは変わりない。
 考えても見ろ、CB1300にしても、あれだけグロテスクになった今のオートバイを購入するのに100諭吉以上を出すなど、僕からすれば「バカみたい」 と片付けるわけだから。その逆に、いまだにCB1000をよしとして愛用しているオーナーもいる。おそらく、パーツの供給などもストップするから、多くは 引け目を感じ手だろうけど。
 しかし、1年前の日記を紐解いてみると、何枯れなく今よりもっとやっていたように感じる。今はどうして出来ないのだろうか。この疑問に対しては、見当外 れにはないものの、僕にはどうも次に来るものが見えてくるような気がしてならない。それ故、逆にふさぎ込んでいるのかもしれないな、とも感じるところだ。

2008 年6月9日(月)はれ後時々くもり
 日は秋葉原での殺 傷事件に対して憤りとも何とも感じずにいたので、日記に記さなかった。あの事件に対して憤りを感じないか?、と僕の心を疑問視する人が居るだろう、と感じ る。が、本日の朝のニュースで遺族の方のコメントを聞くと、僕の気持ちと同じものをそこに感じ取ることができるような気がする。
 介抱のため下車したタクシードライバーは肝臓に達する傷のため重症と報道された。同じく名前は公の立場だから明かされなかったが、警察官も同様に重症を 負っているところから、殺し以上に傷害という生死の境にいらっしゃる方々の方が大変なんじゃないだろうか、と考える。
 ふと、サリン事件のことを思い出してしまった。あの時もそうであったように、事件の全容が明らかになるにつれて、憤りとかが出るのであろう。ことは飛躍 するが、死刑廃止に対しても、やはり必要である考えを持つ方々が増えるだろうし、それ以上に怖いのは、これだけ個人のことが重視されると、自衛の手段とし てある程度の武器を持たなければならない、という考えを持つ方々も増えるのではないか、と考える。負傷された警察官には申し訳ないが、治安維持法的な法律 を時によって、場所によって発動されるようになるのではないか、とも考えるところだ。
 したがって、今の時点では僕自身はこの事件には多く触れないとしているところである。
 最近、どうもおなかの調子がよくない。肝機能がダメになっているか、腸の調子がイマイチなのかもしれない。いずれも思い当たるところはあるが、それ以上 に「気」が入らないのだ。熱中するようなものもないし、無理やり手を着けるようなところも見当たらない。何ともやりきれないところである。

2008 年6月10日(火)くもり後雨
 やはや嬉しいね。 iPoneが199ドルで7月11日に国内発売だそうだ。となると、ソフトバンクがやるわけだから、ソフトバンクのショップで購入ということになるのだろ うか。2万円台なら、携帯2台持っていてもかまやしない、ということにもなる。
 一方ではグーグルがアンドロイドっていう携帯の基本ソフトを無料でリリースするという。が、iPhonのときどうだった?。僕はアンドロイドの日本語化 は想像以上に厳しい世界になると思うよ。
 もっとも、僕自身はiPhonは別にして、携帯自体では「携帯電話」の機能だけでもいい人間だから、そういった使わないソフトは必要ないんだ。
 競争とはいえ不思議な世界だ。が、ドコが生き残るのだろうか、というと... 、あそこしかないな、と感じるところである。
 本日未明、おかしな夢を見た。僕の小さい頃の風景なのに、そこには子供の僕が主体になっているし、それを見ている僕が居るんだ。似非じみてはいるが、ま ま、旧宇和島のことを知っている僕にしても、昭和30年代の記憶は相当に小さいし少ない。「あの辺りにはあれがあった」は理解できるが、あの時はこんなこ とがあって... 、という事実の記憶は少ない。
 太平洋戦争のことを記憶されている市民も多くが他界された。昭和17年6月4日〜5日のミッドウェー海戦に参加し九死に一生を得た方々が他界されるのも 多くなった。真珠湾攻撃からミッドウェー海戦後までを正確に記した映画、ドラマなどを造ってもらえないだろうか。そうでもしなきゃ、何のために死ぬのか以 上に「生きる」ことの重要さなどは今後ますます希薄になってしまいそうな奇がするのである。
 いきるといや、伊達選手が有明コロシアムで勝ったよ。記者会見を見ると、「あー、あそこん家のオバサンじゃない」という気持ちで、「僕よりずっと若いん だし、まだまだだろう?」と、妙に親近感感じるんだ。今日は勝ったし、一杯やる?、と誘うと、「ちょっとだけならね」、となりそうな、そんな気分になる。
 僕はね、最初は年寄りの冷や水って思ってたけど、どうやら、これは本物だ。それ以上にダンナの理解があって、彼も楽しんでるんだろうな、と考える。日本 人の多くが考えているようなダンナ像ではなくって良かった、と思わざるを得ない。
 で、我が家の妻は本日は午前様であろう。ま、我が家ではお互い空気みたいなものだし、ここ数日は朝から晩まで口をきいていない。でも、別段異常はない。 阿吽の呼吸かな。

2008 年6月13日(金)はれ
 、ジェイソンは来 なかった。同時に、ビアガーデンでは自分流の飲み方を忘れてしまう。この経験をしたな。原因の大半は会場にあるんだけど... 。
 本来、人数は多くても誰彼なく楽しめる会場じゃないと、飲めない人は苦しさの方が先に立ってしまう。僕が幹事なら、これが一番辛いと思うところだ。
 どうしてこういったことを今さらながらに言うかというと、ドイツのビアガーデンなどを見てると、ものすごく楽しそうだし、ビールそのものも酔うビール だ。
 これに比べて、今日もそうだが、ビールをいくら飲んでも酔わない。この現象は飲み手には非常に辛いのである。理由は簡単、安いビールだからだ。おそらく リッター当たり100円程度のものではないだろうか。となると、普通の飲み屋で、中ジョッキ380円程度のものがそのビールなのである。もっとも、もう少 し高いビールのところもある。明日行く会場がそれだ。
 今日は中ジョッキ(といっても小ジョッキの1.2倍程度の容量)を4杯。冷酒(金陵の本物で6酌)を4本。これで、ようやく酔う程度になるが、肴を余計 に食うため腹がパンパンになってしまう。
 で、しばらくすると蛍の光。今日は二次会へ行く気にもならなかったので、自転車のサドルだけを持って押して歩いて帰る。この自転車の運び方を十分に知ら ない方も多くなった。どれだけ難しいか、やってごらんなさい。
 ま、明日は違う会場での一杯会。これまでの経験からすると、明日の会場の方が好ましい、と確信する。

2008 年6月15日()雨
 日は朝から大変 だった。もらい物の30年以上前のラレー・スポーツ(自転車)のサイドスタンドスプリングの引っかけ穴が壊れて、修正が効かないと判断して、手持ちの汎用 26インチを取り付けようとしたところ、リアフェンダーステーの取付が当たる。
 以前だと自転車屋へ行けば簡単に修正ができていたが、今は無理だ。結局オートショップワタナベまで出かけ、サンダーを借りて修正完了。こういった簡単な 修正だけなのに、最近はえらく苦労するようになってきた。この修正が昼飯を夾んで午後1時過ぎまでかかる。
 夜は夜で連合地協の幹事会。この日も再びビアガーデンか、と思っていたら、「かどや」だった。したがって、同じ生ビールでも「酔う」。しかし、肴の内容 からして、冷酒を昨日と同じ量ほどいただく。なぜ「戴く」になるかというと、金曜日は冷酒といえども冷えていなかったから、ビアジョッキに氷と水を入れた 中に「ガラスとっくり」を入れ、冷やして飲んだわけだから、生温い清酒だった。
 これがなかったので、久しぶりに酔ってしまった上に、二次会は行ったが、同席の幹事の面々と話をしていると、我が組織もそんなに遅れていないし、ごく一 般に活動している、と判断でて少々安心できた。
 迎えた今日は流石に寝起きが悪い。思わぬことで休肝日。久々にPismoを何とかしてみようという気になった。ネットで調べると、10.3がいいよう だ。が、10.4からダウンするとなると、結構難しいのだ。結局何やかややってうまく行かなかった。
 で、9.2をベイに取り付けるハードディスクからコピーして使ってやると、結構速い。考えてみりゃ、CPUそのものがG4/550MHzだしバックサイ ドキャッシュも付いている上に、ディスクの占有率も少ない。いいかもしれない。
 じゃ、10.3は?。はっきり言って10.5の方が安定感が強い。盛りだくさんなのは10.2かもしれない。いずれにしろOS Xにしても、古いものはPowerPC時代の名残だろうかな、とも感じる。
 なにやかや、ある程度の専門部分が郊外へ行ってしまったこの街の中心部で生活するのは不便さを感じる。不思議な世の中になったものだ。

2008 年6月16日(月)くもり一時雨
 日は労福協のボー リング大会。クアボールまでどうやって行くか?。職場からは3km程度の道だが、結局のところ、小雨の関係もあり、カッパと傘を持参して自転車で行った。
 本日は2ゲームの合計ピン数。そのポイントがチャリティーの募金。これは市内の福祉施設への寄付金になるという寸法。220ピンだと220円の募金にな る仕組みだ。
 投げるとはいえ、実のところ2年ぶりだ。どうも思いボールは難しいから14ポンドで投げる。スパットを決めてブルックリンからのストライクゲームで開始 だ。2フレーム目、いきなりのスプリット。3ゲーム目はストライク。
 そこからがダメ。スペアが取れない。結局2ゲーム目はストライク無し。で、1ゲーム目が138、2ゲーム目が105という結果だった。
 我々のゲームの後、クアボールの面々が投げ始めたが、何とも、我々の中でのハイゲームスコア(2ゲームトータル460程度)の方が上手い。投げ方自体も スムースだ。
 ここのボーラーは、第一にキカイダーみたいなプロテクター。確かに手首と回りはOKだけど、肝心要の腕、それに肘、肩、上体や下半身の強化はやってんだ ろうか、と感じた。当然、あの思いボールを投げて転がすのだからね。身体としては相当に無理を強いると思うんだ。
 帰りに、年配のボーラーが多数来始めた。悪いとは言わないが、僕はテイの良い運動だが、体力づくりまではとうてい及ばない。ましてや、2〜3個のボール をキープしてやるんだから、相当にゼニ食いだな、と感じる。手始めにやるとすれば、ボールとシューズで5万円からぐらいかな。
 またぞろ、連絡しなきゃならないところなどに知らせるのを忘れ始めた。どうも最近マルチに動けなくなってきている。
 商店街ではGaiyaの練習が始まっている。祭りが近い。が、アーケード街は午後8時にはシャッターが下りている現実をどう思うか。Gaiya自体もそ うだ。正当とそれに近いダンスをやっているグループは一体どれだけあるのだろう。おそらく数えるほどしかない。大抵は似非ブレークダンスや似非ストリート パフォーマーだ。
 Gaiyaの振り付けはピンクレディーの振り付けをやっていた宇和島出身の故 土居さんだ。生前、ガイヤ・カーニバルが始まって数年後、それを見た土居さんが「アレンジするのなら、僕のを越えるようなものをやってほしい」と嘆きを ケーブルテレビのUCATのインタビューに応えていた。
 よさこいが素晴らしいのはどうしてか?。意外にも参加者が正調のよさこい踊りを踊れることだ。Gaiyaにはそれがない。青年会議所の諸君がそろそろ歯 止めをかけなければ、Gaiya On The Roadそのものが「一体何だろう?」になってしまうのだ。少なくとも、僕自身がその伝達講習に携わった一人だから。

2008 年6月18日(木)雨後くもり
 い。マジ、職場は 22台の端末とその半分のIP電話、レーザープリンターが3台。これが業務時間作動する。風通しの悪いパーテションで一部仕切られた事務所で一斉稼働する と、その熱はどうなるのか?。本日午後、ようやく冷房が入った。
 当市の推奨する「パールビズ運動」の一貫で、本日は真珠の即売会。集まるのは職員ばかり。一般には通知していないという虚しさ。その上、今はコバルト照 射などで真珠の色まで変更できる世の中だ。「真の真珠の輝き」などありゃしない。
 確かに高価なものは解るが、一般には玩具のイミテーション真珠の方が好ましい、という面も持っている。こういった点を職員がこの運動を率先して展開する なら、それもアリだな、と感じた次第。全くバカみたい。当然、僕も購入はしない。
 最近「お疲れね」と合う人ごとに言われる。確かにそのとおりだ。昨日、ひょんなことから、その原因みたいなのが解ったし、本日の「きよしとこの夜」で美 川憲一さんの断食道場のことでやった後、「胃が小さくなっている」ということを知った。
 あれ〜、それなら... 。これ以上は言わない。
 最近、メジャリーグ岩村選手の父君に氏のお仲間うちとチョクチョク対面する。野球もゴルフもなさっていた消防士で定年退職されたのだが、何だか不思議な 気分になってくる。今日などは父君は少々酩酊気味で「Bone君に見つかったが〜」などという始末だ。
 かたやメジャーで活躍している大選手(もっとも僕はそうは思っていないが)かたや親父で退職者。それが今日のように、こんなのが日常だけど、タレントと 違って、オッカケなんぞは出現しない。それがいい点ではある。
 さ、そろそろ、SR500を夏へ向けての仕様にしなければならないのだけど、その前の車検に出すことが出来ない。全くもって3月のT-140Vの時と同 じである。あの時は、キャブレーションの状況をどうするかが過大であったが、今回は天候不順が一番のネックではあるがね。

2008 年6月22日()くもり
 んじりとも出来な い。天候の件もある。それよりも、時を逸したために大失敗をしたことが頭をかすめる。同時に、それの本質に対して、いよいよ真剣に取り組むときを迎えた証 拠かもしれない。このことはオイオイと申し上げることとして、逸したものは25日の松山行き以降、何とかしたいと思う。
 午前中、Pismoの10.3にiTunesのライブラリーを移植。結局iTunes4のリストからCD-Rへダイレクトに焼ける機能がなくなってし まった。ま、プレイリストそのものからすると、今のiTunesにフィットさせるべきであろうな。iPhotoについてはそのまま利用できるものの、これ は別にCD-Rへダイレクトは必要ない。痛し痒しだ。
 午後、冒頭記載したことを再確認したが、ダメであった。帰って一眠り。楽天VS広島をやっていて、6回ぐらいに起きる。7回、岩隈から田中マー君へス イッチ。彼の打席が来たとき「4番ピッチャー田中」のコールを効いて、思わず吹き出した。ここは甲子園ではないんだけど、野村監督もなかなかやるな、と感 じた。
 楽天が勝ったから、結局マー君には発セーブが付いたわけだ。解説の大野氏が、今後はリリーフ役としてもヤレルところを狙ってる、と行ってたが、その感じ は十分に解る。プロ入りわずか2年だが、すごいことだ。
 同じく、波瀾万丈で桑田選手が出ていた。彼も彼なりに大きい苦労を若いときに経験している。こういった負から脱出する努力を経験している人は強いのかも しれない。それを表面に出さないところも重要だけど。
 夜はT君とこの通夜。チョイト気分は重かったが、昔の状態がフッと前に出てきて、その方が懐かしい以上に辛いものを感じてしまった。
 帰ると息子夫妻が孫と共に来ていた。親父よりは母親だろうね。若嫁が僕とがフランクにつきあえるのは、孫に手がかからなくなってからだ。それまでは無理 をしても若く居なきゃならない。

2008 年6月23日(月)はれ時々くもり
 在午後10時40 分、PowerBook G4 12インチを起動して文章を記載している。ここまで記載するのに1分。ま、タイピングは速いほうかな。
 本日はT君の葬儀。行きつけで自動車で拾ってくれる別のT君がそれを忘れて先に葬祭場へ行ってしまったので、タクシーで同級生のK君と行かざるを得な い。それでも10分遅れであった。
 口上付きだし、昼飯と合致したので久々にビールを1本空けて、今度こそ勤務のあるT君の車で帰ってきた。一眠りした後香典を託された黒田のぼり店へ。何 と、宇和島南高校の1年生時代に数学でお世話になったジュニアことS先生がいらっしゃるではないか。「何用?」とは思ったが、帰るに帰れず、お向かいの理 容室、T君から出された卒業アルバムを見つつ、当時の話に花が咲いた。
 今、午後10時47分。文章記載からするとここまで7分間だ。黒田のぼり店での話の中身、現実には40年の月日が経過している。アルバムの中には既に他 界した者も数人いる。行方不明のものも居る。
 が、ココに居る面々は、6歳違いのS先生、そして6歳年下の我々があれから40年後の今、イイ大人として一緒にダベッテいる。時の流れを一気に越えた空 間がそこにある。電話確認した旧姓Aさんがここへ来ていると... 。何か言いようのないものが支配して... 。葬儀の後のこととはいえ、決してオーバーではない。
 その後、賃金関係の学習会。その後は酒道場で職場のことをあれやこれや言いまくって帰ってきた。
 すっかり疲れてしまった。でも、なぜ生きて居るんだろうか?。そうそう、俳優の山崎努さんがそういった関連書物を書いてリリースしたっているのが新聞に 出ていた。おしなべてみると、何でも初体験だ、ってことらしい。なるほど。未来は決して次のシーンではない。ある程度は予測できるものの、決してそのとお りにはならない。逆にいうと、この辺のところがあるから、今をしっかり生きなければならないのかもしれない。えらく哲学めいた日記になってしまった。
 今の時間、11時8分。「英語でしゃべらナイト」を見ている。ジョージ・ルーカスとのインタビューをある程度想像できるが、中身は判らない。11時20 分辺りには結果が分かるのだろうか。それまでにはアップする。

2008 年6月24日(火)くもり一時雨
 季休暇を主にした 団体交渉。いい加減頭に来ていた。総務部長に至っては元水道労組の執行委員長。職員の状況など十分に解っているはずだ。職員の側に立っての行政を我々は望 む... 。
 が、ここはこうしろ、あそこはこうしろ、っていのであろう市長の言動にどうして歯止めをかけられない。総務部長、アンタは市長より、いくら年上だ?。時 には何と かか言え!、といいたいね。
 とにかく市職員へ対してのバッシング対応に振り回されているらしい。かといって、それを逆手にとって市民感情が許さないなどといい、我々への労働強化を 促進させる。我々は市長の軍人でもないし、市民の奴隷でもない。市民の付託に応える公務労働者だ。生活の糧を得る部分が税金というだけである。
 ずっと昔、故 山本市長が我々を前に「市役所一家」というコトバをよく使われた。それだけ市長を主として、どことなく統一された公務職場があったように感じる。
 我々を痛めつけて、市民サービスの低下を招くとどうなるか?。金を遣わないのは結構だけど、必要なところには注ぎ込まなくてはならないと考えるが、いか がだろうか。
 今度誕生する海の駅もどうだかな?。支配人も決まった。やる気満々だが、養魚飼料の臭いが漂い、ヘドロだらけの海に面したところに数か月で建築される 「駅」の総合運営を任されるだろうかな。ネイティブの方ではないようだし、都合により退職もありか... 。
 今の時代の我々の職場構成は何もかも安チョク過ぎやしないだろうか。
 ある党の市議会議員の中には、市民に言われるままに質問状を記載する。その前に、自分が(質問)発言することに責任を取っているのか?。電子マネー化 か。ただでさえ税収のノビがないのに、コンビニで決済する方法を採ると、それに対していくらぜ二がいるのだろうか?。万一、お前さんの言うこ とが通ってしまうと市はソンをした、となったとしても、お前さんへの罪はとがめられない、というバカげた世界。
 そんな気分を抱きつつ、夜のNHK「仕事の流儀」を見ていると、僕は彼女の業務内容を認めた上で、この方はお子さんがいらっしゃらないのではないか。あ る いは結婚していらっしても我が子が居ないのではないか、と感じた。
 そういった方に、ホスピスでの看護業務は万全ではないように感じる。ウソとまでは言わないまでも、ガンで父を看取り、義母もガンで失った僕からすると、 彼女の仕事は ソレナリのものだけではないか、と感じる。番組自体、久々の失敗作だろう。
 人間が死に対して、そろそろお迎えかな、などとフランクにつきあう、もしくは、「生きるんだ」という生への強い考えを持っている人物と、「どうせ」と考 える奴とはまるで違うんだから、その辺のところ(生きる 力)を導き出す、その仕事というのを報道すべきだ。
 彼女のような仕事をやっている「看護師」は日本中に数えることが出来ないほど居る。それからすると、彼女の仕事は所属する、施設の方針にしたがってやっ ている だけに過ぎない、と僕自身は感じた次第だ。「あそこのホスピスは良かったよ」と、あの世からの声は聞けないから。

2008 年6月26日(木)はれ時々くもり
 〜、再び夏季休暇 の団体交渉。総務部長は全権を委任されているのに、時には市長の意に反することをやってみろ!。退職まで1年だろ。
 結局「うん」は言わなかった。が、我々が継続審議しよう、と言う事項に対してはOKとまではいかないが、受け入れはあった。
 その後、市立宇和島病院の新しい病院に移るまでのシミュレーションへの参加、それも「ボランティア」という。
 病院事務局長は「私の意見として言った」などとホザク。アンタは病院の事務局長で事務分野での最高責任者じゃないか。その方が「僕の意見ですが」と言っ たら、いわゆる「事務局長」、そうアンタの発言は相当思い者を持ってるんですよ!、と、いったところで全く無視されているのが、今回も解った。
 まじ、旧水道の執行委員長が全権を握っての交渉といえども、僕は絶対に承伏できかねる。
 毛利双務部長、助役時代の理路騒然としての受け答えなら、たとえ、我々働く者からすれば、通常はそこそこのポイントが解るんだが、行政の組織中央の連中 には、それが解らない。つらいところだ。

2008 年6月28日()くもり時々雨
 〜、一週間が漸く 終わった。昨日の金曜日、先週の今頃は全労済の常任委員会をやって、同じように、1週間が漸く終わった、と同じような感じを持っていたのを思い出す。何か 見えないレールを規則どおり動いている=生を過ごさせられているようにも感じる。
 今日は正光会労組を支援する会の11回目の総会だ。あいさつでソコソコのことを話したが、経営側は全く意に介さない。通常の経営者ならソコソコ感じ入る ところだろう、と僕は確信している。高知の精神病院の関連でもそうだ。非正規の職員を正規職員に引き上げた方が病院経営に好ましい。NYKの報道だったか ら、おそらく高知の病院へは相当数の問い合わせがあったはずだ。
 ま、こちらの方は民事訴訟の係争中だから多くは言わないこととしよう。
 しかし、往復のバスにはマイッタ。最初は若い女性。「ここ空いてます?」と言ったから、どうそ、っていったんだ。座った途端に化粧を修正しやがる。暑い んなら、空調お願いします、っていうだろう。それさえないから、僕は自分の判断でオープンしておいた。
 こいつが真面目なんだかそうでないんだか不明の女性だから、一番町まで同席になった。本来なら... 、いや、これは言うまい。僕が考える女性は、僕の年代で考える女性だ。隣に座った彼女にそれが解るまでにはもう少し時間がかかる。それ以後、今と同じよう なことをやってると「バカ女」と烙印を押されても致し方ないだろうね。
 総会は無事に終わって、帰りのバスは、これまた自分勝手なじいちゃんに座られた。あんな〜、新聞読んでオヤスミすんじゃネ〜。大洲で準備したんで、下り るぞ、と思ってたら、結局JR宇和島駅まで同席した。そこそこの控えめなものがあれば、僕は何もいわない。が、背が低いのに大股広げやがって、アッ頭にく るんだ。
 僕は携行の折りたたみ傘を広げないために恵美須町で下りた。夜市を楽しみながら... 、と思ったのは甘かった。ア〜ア、商店街の連中はバカじゃないんだろうか、と思った。夜市=テキヤの構図を平気で受け入れる。済んだようなものだ。
 やるせない気分で、帰りにゲルマンで晩酌をやった。帰りに再び雑踏へ身を委ねたが、何ともおかしい気分。商店主は自分の店のシャッターを閉じようとして いる。責任者に「もういいかい?」と言わんばかりだ。
 夜市ったって、今はつまらない。昔、最低料金で1枚のスイデ(紙)で金魚を30匹程度救って、結果としてリリースした僕の昔など知るよしもないだろう か... 。

2008 年6月29日()くもり一時雨

 ー、ムンムンの天気だ。午前中はそうでもな かったが、昼前からム〜ンときて、気が付けばドバーっと雨。スッと上がる。こういったのを繰り返して夕方までは本当に蒸し暑かった。
 午前中、職員団体の情報をApple Worksで作成するために、久しぶりにPismoを動かす。一部はブログへ記載しているが、なかなかいいものがある。PB G4 12インチの最大の欠点は文字関係の大きさだ。ま、10.5が一部フィットしていないのかもしれないが、この表示は小さい12インチの画面ではイライラが つのる。
 今使用しているPismoは10.3.9だ。Microsoft officeは以前のバージョンになど、少しばかり修正は必要だが、10.4よりは動作が好ましいように感じる。が、いいことばかりは続かない。 Safariがちょうど中途半端なときのバージョンで、コメントのカキコなどができないときがある。したがってブラウザはFireFoxに変更した。
 昨日購入したロータリーエンジン・アーカイブスを読みながら、SRもT-140Vも少しばかりおかしげなこと、ニアミスのようなことを過去やってきたの ではないか、と思えだした。
 まじめに、ここは少しばかりゼニをつぎ込んでもいいので、おかしいところをやっつけないとならない、と感じ始めた次第。














































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