2008.10.04〜 12.31

2008 年10月4日()はれ時々くもり
 10月に入って最初 の日記になる。暦を振り返ると9月も野暮用が一杯あって落ち着く暇がなかったことがよく分かる。1週目は2日夜間用務と1日出張。2週目は4日夜間用務。 3週目が一時の暇で2日夜間用務、4週目が3日夜間用務と1日日中の会議。5週目がようやく何もないという状態。
 加えて10月1日付で職場の人事異動をやるわけだから、その新人さんが僕よりカク上なのだが、そのフォローに対してが大変。おまけに中学校の租税教室の 講師役のおはちが回ってきたため、昨日は気分転換も含めて3時半から休暇を取った。
 以来SRをさわりはじめ、本日1日中かかって大変な結果を得た。これはもう少しリサーチが必要だから11月号で報告したい。SR500のユーザーに は... 、これ以上は言うまい。ヤマハへの批判も含まれるからね。
 ここ数日咳が止まらない。昨夜も0時過ぎに咳き込む。ひとしきり出た後、落ち着くのだが夏風邪をこじらせてしまったのかもしれないな。
 そうそう、Shop Schneiderのランダム表示を今月から中止した。理由は簡単。自治体合併から行事関係が多くなってしまった点、旧市を主にすると旧三町のことが希薄 になってしまうことなどからだ。ご理解いただきたい。今後は僕の関係面からのみ出そうかな、と思うが、これらをBBSに出せばいいのかもしれない。一方で はブログがあるし... 、と方法の方が多すぎる、という欠点もあるわけだよね。
 明日は本当に休めるだろうか。咳が出なければいいのだが... 。

2008 年10月6日(月)はれ
 上がりのいい天気 だ。僕は昨日の雨を恨まないよ。理由は簡単。1日中のたうちまわったからだ。そもそもの原因は止まらない咳。眠っていてもフトしたときに発作のように出て くる。痰が絡むわけでもないし、腹筋を鍛えるとかではなく本当に辛かったのである。
 ま、この件はコンタックの咳止めでOKになった。が、一つ疑問がある。これは単純なんだが薬をいつ止めるかだ。大半の「治療薬」は薬をストップする 「時」の表示がない。効能書きをよく読んでいただきたいものだ。
 本日は再び夜間の業務。幸いにしてイイ時間に終わったが、帰ってもおかしな骨付きの肉の煮込みしかないため、僕は食べたくない。したがって、ゲルマンで 軽くね。
 ご常連のTさん一行(本日はお一人)と話が弾んで、普段ならもう一杯なんだが、身体がそれを許さない。急激に身体が熱くなる。ということは、熱がまだ抜 けていないということだろう。
 帰ると案の定、おかずらしきものは一切ない。でも、今日はいいのだ。作り置きの味噌汁とご飯でOK。ゲルマンでキビナゴのフライを食べてたしね。不足分 は野菜だけだけど、一般の家庭なんてこんなもんだろう。1日30品目なんて、栄養士と献立支援者が居ないとまず無理。加えて、家計の切り盛りも加わるんだ から、メタボの結果なんて、食生活の参考になどなりゃしない。それ以上に、痩せてはならない女性に対しても一定の数値で縛るというのはいかがと思うのだけ ど... 。
 夜のテレビで見たのだけど、不思議な予算委員会だね。靴の底から足の裏を掻くのと同じ答弁で「時間切れ」とかでOKにする質問者。相変わらず庶民の代表 の発言ではない。「大臣、アンタの責任ではないのか」と誰も言わない。不思議な国会だ。
 一方ではゲートウェイとかいう留学支援会社が破綻した。その説明会で銭を返せなどユーザーは言ってるけど、留学って実際こんなに簡単にできるもんだろう か。僕はもっと大きい目標の下、彼の地で自分で生きなきゃ。そのためにはどんな苦労もいとわない、とした心構えが必要ではないか。今の会社を辞めてまでも 行きたいからこの会社へ申し込んだ... 。バカ言ってんじゃない。テメーの居た会社も株式会社だろ。
 こんなことすら明確に把握できていない奴が、100万前後のゼニで上手く行くわけがないじゃないか。単にユーザーの無知だけにしかないな、と僕は談じる のだけど、これは厳しいだろうかね。
 旅行にしてもそうだろう。結局、自分で考えたルートや内容に旅行会社がサポートしてくれるものが一番いいはずだ。例えはおかしいかもしれないが、留学期 間中の自分の身は自分で守らないといけないはず。僕は留学そのものはもっと大変なものだ、と考えるべきではないか、と考える。100万ぐらいが返らなくっ ても、職を失っても、今の年齢なら苦労しても大丈夫だ。否、そういった苦労をしていないから、こういった斡旋業者の思うつぼに入る。そういった者の方がダ メだ、と僕は言いたい。

2008 年10月12日()はれ
 のサイトで日々目 を通されるのはどの分野であろうか?おそらく「日記」だろうと思う。まじめに。ブログだろうと思う方は地方レベルや趣味レベルが多いと思う。僕はF2Cの ブログやってるけど、過去の分をそのまま移行できるのなら違うブログに移行したい。とにかく放置しているとHタイプの書込が相当に増える。これで、ブログ を含むサイトが有害サイトとされる場合もなきにしもあらずだ。となると、これまでの分を地域のみでもイイから変更してやろうか、などとも考えている。
 土台、ブログ=ホームページって国内では紹介されたから、ブログ自体がはらんでしまって収拾が着かない状況になっているのはないか、というのが本当のと ころだろう。ブログ一つで書込(コメント)の管理まで毎日一人でやれるのなら、それはそれで結構。ただし、はき違えしないでほしいのは、自分の言いたいこ となど、一定のサイトを持たないと単にブログのみであること。これの訪問ランキングなんてものも存在する世界だから何をかいわんやなのである。
 で、ココに 記載するのだけど、僕のサイト、この日記、あるいは、たまたま 僕のサイトに紛れ込んで読まれた方の内で、オートバイのヤマハスポーツSR500に乗っていらっしゃる方が居らっしゃればリサーチしていただきたい。

今のSR500がノーマルの吸排気システムで使われている方で、エキ ゾーストパイプをSR400(1994年以降)のものに変更して、テストしていただけないだろうか。
そして、その結果を簡単に僕のBBSへ記載されるか、メールでの返答をお願いしたい。

 これは全く僕の独善かもしれない。が、11月号の本文で紹介するが「だまされた」とか「アーッ」とかいったことになるのではないか、と考えるところだ。
 もう一点は、アフターマーケットのスリップオンタイプのマフラーに変更されて居る方でも、エキパイを変更すると結果が変わる、と僕自身は確信しているの で、ゼヒBBSへ結果の記載か、メールで返答をお願いしたい。

 近代のSR500なら、エキパイの取付フランジ部分にGの刻印があれば、それはSR500のものだ。
 もう一点、マフラーとの接続部分がツライチもしくは4〜5mmの隙間ができるのならそれは400用だから、5〜10mmの隙間ができるのが500用であ る。シリンダーヘッドとの接合部付近の穴径だけでは判断できない。

 以上、今乗っていらっしゃる SR500がノーマルの吸排気システムで使われている方で、エキゾーストパイプをSR400(1994年以降)のものに変更して、テストしていただけない だろうか。
 これが趣旨だ。
  そして、その結果を簡単に僕のBBSへ記載されるか、メールでの返答をお願いしたい。もし、ブログへダイレクトの記載だったら、その記事への結果報告と させていただきたい。
 これは全く僕の独善かもしれない。が、11月号の本文で紹介するが、これをやってみて「だまされた」とか「アーッ」とかいったことになる のではないか、 と考えるところだ(自信過剰気味だけど)。
 もう一点は、アフターマーケットのスリップオンタイプのマフラーに変更されている方でも、エキパイを変更すると結果が変わる、と僕自身は確信しているの で、ゼヒBBSやメールで結果の記載か、メールで返答をお願いしたい。
 近代のSR500なら、エキパイの取付フランジ部分にGの刻印があれば、それはSR500のものだ。
 もう一点、マフラーとの接続部分がツライチもしくは4〜5mmの隙間ができるのならそれは(2J4のエキパイ以外か)400用だから、5〜10mmの隙 間 ができるのが500用であるはずだ。
 日記で申し上げること自体おかしい。一方ではブログへも記載をしているので、同じくBBS、あるいはメールで返答をお願いしたいところだ。
 ここまで来て、相当なことを日記に記載していることに気付くのだが、全てはお許しあれ。一人でも僕の考えと同じ報告があれば、そういったことが確認でき ればリサーチ完了と判断したい。
 好き嫌いはあるにせよ、本来のSR500を考えた場合、改めてSR500の真骨頂を確信することになると思うのだ が... 。ただし、2J2のSR500と平行発売時代の2H6のSR400では、初期のエキパイが共通タイプでは、おそらくこの変化はないのではないか、と考える ところだ。

2008 年10月13日(月)はれ
 だろうな、最近、 自分自身が大きくなったような気がしてきた。もっとも、家庭では妻の方が強大な権力を持っているのは確かだが... 。
 本日は「体育の日」。ちょうど44年前のこの日(ではない10日)東京オリンピックの開会であった。とうとう東京で世界の選手が覇を競うんだ、という気 分が大きかった。同時に日本に落ちるゼニも相当なものであろうことは中学生の僕にも容易に想像できた。
 本日はレスリングの世界選手権。妙な気分になった。同じ年に世界レベルの大会が2回もある。僕ならオリンピックを一番とするだろうけど、階級数が多い世 界選手権も捨てたもんじゃない。この辺のところを考えて、2年に一度の割合で、世界レベルの大会をやる必要があるのではないだろうか、と運営面ではアマ チャンの僕は考える。
 そういった意味と近似値だが、久しぶりに赤松遊園地まで自転車で出かける。数ショットをFinePix S1 Proで収めた。コイツは決していいカメラではないが、今のS5にない何かがある。
 帰りに小富士さんとこへ寄ってモニター見ていると、我ながら綺麗すぎる画像に閉口してしまう。同席していたTさん。今度ニコンのD90のフェアへ行くん だ、と言ってらっした。僕は穏やかに「デジタルなんてお止めなさい」と申し上げた。
 僕のようなホームページ持ってて、写真で紹介するとき、古いデジカメにおいてはモニター見ながらではシャッターチャンスが遅れるんだ。おまけに今の大半 のコンパクトデジカメにはファインダーが装備されていないだろ。
 カメラ雑誌自体もデジタルはどうのこうの言ってるけど、撮影の仕方は一切出ていない。ファインダーのないデジカメ、売られる大半は電気店。一眼レフでの 結果はモニター見ようとファインダーから目を離すユーザー。「カメラと同じですよ」というも、写ってるかどうか確認したいので... 。返す言葉がなかった。
 これまでの写真評論家、カメラ評論家はニューモデルのデジカメをどう捉えるのか、そのコンセプト自体明確ではないから、根本のところは押さえられない。 同時に、そのうちディスコンになる。過去の記事にも文責なんて無い。
 で、再び新しい世界を批評に近い評論する。お前さん、10番少ないカメラを絶賛していらっしゃいまいたよね、10番大きい新製品は... 、といったところで、どうにもならないのが常である。
 したがって、TさんがD-90のフェアで購入をしようか、と思ったとき... 。いや、よそう。交換レンズはいっぱい持ってらっしゃるし、ゼニもいっぱい持っていらっしゃる。D-90ぐらい購入すればいい。今でこそプリンターがどう のこうの言ってらっしゃるが、カメラの件と会わせて再び泥沼へ入り込むことは避けたいのだが... 。
 本人が報道はデジタルだろうね、と言うのではあるが、如何せん、デジタル一眼レフを持っていらっしゃらない。ココがネックだ。事前にリバーサルなどを やっていらっしゃれば、写真をメインとされる方にはデジタル一眼レフなんて不必要なんだから。
 少しばかり云々が長くなってしまい、申し訳ない。赤松遊園地から帰って、古い写真を引っ張り出す。てっきりキャビネ版と思ってた写真が手札サイズ。フジ ペットで写し回った小学校時代の写真は、天眼鏡でしか見ることができないくらいに小さいサイズの写真だ。
 夜、酒道場でマスターが、僕を狙い澄ましたように「昔の覗き岩は大きいし、あのテッペンから飛び込みをやる子らがうらやましかったんだけど、今見ると覗 き岩なんてちっぽけだな... 」と。
 そうだよね、写真は写真だ。複写してもほぼ同じサイズとなってしまう。不思議にWebサイトへ収まる。あれから50年以上過ぎている。この街の未来はど うなるんだろうね、と感じてしまった。

2008 年10月17日(金)はれ時々くもり
 立ちの前の日はい つもながら忙しい。今日も2時間ばかり時間休。本来なら装備などへもっと詰めないとならない点もあるけど、これは致し方在るまい。
 やったことは、メーター内部球のLEDを再び製品変更した。これは亀石屋のLED球にした。これがなかなかいい。テールランプは亀石屋のダブル球だ。前 回の失敗を教訓にエポキシの5分硬化で口金とカバーを補強接着。これで十分だ。心ばかりのクリーニングでOKとした。
 いつもながらの多忙さだ。旅路のことを思い描いたり、仲間と会うことの楽しみを確認したりで、もう少し出発前というのは楽なものではないか。
 こういったこととは別に、走ることだけをツーリングなどと称するのが再び台頭してきたようにも感じるところだ。
 今は鬼平犯科帳を見ている。いいね。公務員もこうありたいものだが、相手が相手だから、今の世の中は我々公務サイドの者にはチト難しい世界がはびこって いるのが現実だ。
 明朝は早いが、久々に大きい英車のミーティングだ。本来ならT-140Vで行くのに、今年は再びSR500である。明年辺りは真面目にT-140Vを動 かすようににしないとならないな。

2008 年10月19日()はれ時々くもり
 の辺の天候は知ら ない。が、いい天気だったのだろう。久しぶりによく眠った。お仲間が4時過ぎにでていらっしたのは走ってる。でも一瞬のこと。 昔のことや、昨日の小川さんのことばなどが頭を巡ってそれが眠りを誘ったのかもしれない。
 明けて朝。久しぶりの和食の朝食。今日は昼が遅くなるから多めに食べる。で、いっぱい排出(爆)。
 帰宅を前にして、いい具合に僕の好きなBSAのロケット3が来た。何と前のオーナーも一緒だ。僕には考えられないことが、「この人」とおぼしき方には、 こう いった諸々のものがつきまとうのだな、と感じた。
 帰路は有田川沿いを通る。これは4年ぶりだ。しかし、和歌山ナンバーの自動車が縦横無尽に駆け回るから、僕は思わず「田舎者メ」と叫んでしまった。和歌 山市内までそのことは続いた。
 そして、和歌山で多い「追突注意」の路面標示。周囲がアリーナの水着のような形のが並ぶ。これに気を取られたドライバーのことには一切触れれられない。 追突注 意の注意を促すのだろうけど、かえってイライラが先に来てしまうことに警察当局は気付いていない。
 船では熊本の四国遍路さんと話が弾んだ。今回はお礼参りに高野山まで行っての帰路だそうだ。八幡浜までの距離など聞いて別れた。一方では、乗船マナーを 少し逸脱したベロセットさん。キック始動が難しくても船が着岸してからロープを外しましょうよ。同じ参加者だからこそ気に入らないんだよな。
 高速道路も南予へ入ると通行量は激減。これが普通なんだろうけど、何かやりづらいものがあるな。それにしてもシゴトのことなど気にせずに休めた。これを 誉めるべきだ。

2008 年10月23日(木)雨一時くもり
 F2Cのブログの不調にやられる。結局作り替え をやった。DOSマシンで上手く表示するのだろうか。英車を愛でる会から帰っても相変わらずの野暮用ばかり。一層のこと仕事を辞めようかとも感じてしま う。自治体行政自体が各課一体となって事に当たらなきゃならないのに、バラバラだし、職員の高齢化。そして単機能追求型の職員だけで動いているから、僕の ようにある程度内情を知っているような職員は、こんなチッポケな都市においても貴重な存在になってしまってる。
 そんなことで、僕自身動きが取れずに何もできない日が本日まで続いた。一週間前も同じような日々であったようだ。10/16など、この日記には記載して いないが、イライラもピークではなかったのか、と感じる。
 さて、英車を愛でる会で使用したSR500のエキパイの件の最終検証を土曜日辺りにやってみたいと思う。すでに30年間生産されてきたSR400も生産 終了になった。この国はおかしなもので、関係雑誌などが途端にこのオートバイを取り上げなくなった。サイトなどでも、ほんの一部のエンスー(ジャスツ)と 呼ばれるような方しか更新などが行われていない。
 よく僕が例えに出すことだが、零戦52型を栄エンジンで飛ばしているアメリカの方々のことを思うと、日本の工業技術は優れたものだが、工業製品とそれを 使用するユーザー、修理屋などが一体となって継続できていないのを見ると、工業製品のベースは未だ後進国だ。決して開発途上国などではないのでは無かろう か。
 旧日本陸軍の四式戦疾風は請われてアメリカから買い戻された。が、実際に飛行できていた機体が飛ばせなくしてしまった。以後、アメリカからは絶対に旧日 本軍機を売却しなくなっているのであろう。
 オートバイにしても走ってナンボである。僕自体は走るオートバイは走らせてやるべきだ。ミュージアムに入れてあっても、時には走らせてやる。一般のオー トバイであるなら、これぐらいのことができるミュージアム展示にして欲しいものだ。
 僕は常々、キックが踏み下ろせなくなったらオートバイに乗らない!、と言い切ったが、SR500はデコンプがあるのでキックは十分踏み下ろせる。むし ろ、最近ではSR500を動かす体力を維持するトレーニングを行わなければならなくなってきた。

2008 年10月24日()くもり
 週の今日を思い出 した。1日中、可もなく不可もないSR500を走らせ、和歌山まで行ったんだ。それが何だ、といわれれば、疲れと仲間に会えた喜びと、少しのヒントが聞け た等々がある。総じていうと、一般の方にはなかなか理解されないがSR500という簡素なオートバイで757km程度の旅をした、ということだけである。 で、旅の状況は個人差があるから、僕自身は「花園までお酒を飲みにオートバイを走らせるのよ」ということにしている。それで付いてくる奴には少々詳しい話 をしているだけである。大半の奴はウ〜だけであって無視しているのが現状だ。
 今日は、このツーリングを通してのモヤモヤの確認を、山小へうどんを食べに行って帰ってから2時間ほどやってた。
 うっかり忘れているところであったが、昨夜は当課の歓送迎会が「お母ん(おかん)」であった。料理が出るタイミングが悪い上に、その量がとぼしいものだ から、仕方なく飲んでいる始末。その上に、酒のヒヤを注文すると15ほどかかる。このパターンで2杯空けたが、結局、これが徒になった。課長補佐が一升瓶 を持ってくるものだから、これで一杯やってしまったので、最終まで残ることは困難だ。ましてや、僕自身飲めなくなってしまってるし、こういった会席ではな いザワザワしたところを好まなくなってきてしまってる。
 というわけで、誰しもが不思議に思ったであろう一番最初に退席してしまった。これからは、節度を持って酒を飲むこととしたい。しかし、飲めなくなった な〜。
 話を戻して、再び2J2のエキパイに交換した。ただし、リアステップ部門に加工を施した。というのは、取付フランジナットが一番端に来る部分まで、人海 戦術ではないが、組ヤスリで仕上げた。
 結果は再び凄まじい変化をした。フト、古い座視医を見たとき、雑誌社で独自のテストしているXS650など。凍れ等の記事を再び読んでみると、すごいこ とやってるな〜と感じてしまう。
 さ、一定結果も出たし、明日はSR500のオイル交換をすることとしよう。

2008 年10月26日()雨時々くもり
 イル交換できず。 午前3時過ぎ、ウトウト目にも雨が途端を叩く音がする。こりゃダメだ。ラジオ深夜便では五木寛之の特集をやってる。もう、今に近づいたから、僕には思い出 の曲ばかりだ。
 5時過ぎからはテレビに換える。が聞くのは声だけの落語。コレも一興だ。6時過ぎに起きる。当初の予定だとステファニーのパンになるはずだが、やはりパ ソコンの内容が気になってしまい、結局パンを食べたのは8時過ぎ。文章の修正に至っては午後7時過ぎまでかかった。でも不完全。もう少しのツメが必要だ。
 夕方ヘインズのマニュアル本をゴミの山から引っ張り出す。でも想像していたものは記載がなかった。ということは、ヤマハからの技術関係の書物だ。今から 32年も前のものを流石に僕も持っていない。理由は簡単だ。SR500がダメバイクだったからだろうかね。GX750はI型II型とも純正サービスマニュ アルを持っている。が、完成度の高かったGX750は売れないままXJ750Eにバトンタッチしたんだよな。世はすでにXS-11という1リッターマシン が主流になりつつあった時代だもの。
 夜、ラバースのテレビ放映見ている。コマーシャルの挿入歌にはマイル。そんなアマイ意味合いのものではない。ステッペンウルフのワイルドで行こうなど が、自動車のCMのバックミュージックだ。体制に反対し孤立してでも生きていくぞ!という意味合いが強い映画イージーライダーの挿入歌だ。電子制御で固め られた自動車のCMには使って欲しくない。

2008 年10月27日(月)くもり後はれ
 ー、健康診断の結 果が凄まじいぞ。最高血圧値は○○○Hgに近い。危険極まりない、というが、脈圧が90Hgもある。脈圧がこれまでは乏しかったから、自分の体がいうこと を効かない経験は何度もしている。今回は血圧値は高いが、測定条件が劣悪だから、僕のように、何らかの要因で負荷運動をして脈が少なくなるまでが非常に長 い体質の者には、つらいのだ。
 何しろ階段を上り下りした後、心臓の位置よりかなり低い腕の位置。なるべく身体を椅子の上で尻をズラしてをやると、余計に力が入る。
 かといって、思いっきり前へ出る格好でやったりすると、保健師から「もっと楽に」とくる。
 こんな中ででの血圧測定などナンセンスではないか、と感じている。もちろん、血圧が高い、高血圧症の気分はあるが、薬(降圧剤)は死んでも飲みたくな い、というのが今の僕の気分である。
 さて、シムズクラフトへエキパイの件で電話。当方のサイトを知っていただいた様子、メチャうれしい。エキパイの加工(ワンオフ)にも快く応対していただ いた。
 当然、SR400/500のエキパイでこれほど違うものか、ということをノーマルマフラーで嫌というほど味わった。
 直ちに、一部加工をお願いして1本発注した。実のところうれしいね。
 ま、この結果は拙文ですが、間に合わなければ、シムズのエキパイの前として小誌を一読ください。
 話は変わって、最近昔のことがよく夢に出る。まるで正夢のように。
 昨日も、月刊陸上競技誌の講談社が発行していた「アメリカ陸上競技の技術」というB4縦型の書籍があった。これを、僕の記憶では高校の陸上競技部へ預け たままになっているはずなんだ。コレを何とかゲットしたいが今のところ難しい。お譲り、あるいは「ここにある」というのがあれば、当方へ連絡をしていただ きたい。
 で、職場の裏のブックショップに在る、という夢を見て、真面目に出かけたが無かった。
 僕にとって陸上競技を語る上で無くてはならない書物なのである。時代は古い。フォズベリープロップ(背面跳)の創始者フォズベリーがオリンピックで優勝 し、トミースミスが200mで19秒台で走った頃のことだから。
 でも、ジョギングシューズの★ランキングなどはこの頃から始まっているのだから、いかに我が国の状況が遅れていたかだろうな。アシックス、ランバードの 製品が人気のある時代ではなかった。多くはadidasとPUMAの2種ではなかったか。
 一方ではもも上げ主体のトロッティングトレーニングを紹介したポーランドのマックコーチの走法を再び見直すときが来ているようだ。高野氏の日本人の走法 を紹介した書物を持っているが、コレはコレとしての良さはあるものの、それをやっても、一歩の歩幅を伸ばす=記録が縮む、ということには結びつかないよう に感じるのだ。
 こんなところから最近、市営の合成樹脂トラックを走っている者のトレーニングは間違っているのではないか、と感じたところである。むしろ、トレーニング はジャマイカチームが早朝にやっている坂登のダッシュなどは日本でも十分にできる。
 他界されたが、山田さんのことがある。日本人男子で初めて走り幅跳びで8mを超えたジャンバーだが、彼は高校時代、100m12秒であった。それが大 学、一般の競技者となってハードルまで走ることができるように変化するのである。
 その彼は、8mを跳ぶまで、冬は京都の知恩院の石段を登るトレーニングをされていた。
 科学的トレーニングも結構だが、時には自然に接したトレーニングでないと、子どもの成長は望めない、と感じるところである。

2008 年10月30日(木)はれ時々くもり
 しぶりに切れそう になった。というのも、愛媛県共済組合議員選挙に絡む一件。議員選出代議員を選ぶのに際し、ウチのもう一つの組合である。自○労○のイプシロン副執行委員 長が過去 の栄光を背負ったようなバカを言う。
 最後の最後「(代議員選出の)選挙がやれるのかな?、というため、名刺を作って、一本松から日吉まで回るつもりだ、と応えてやった。
 かつて、コイツを殺したいと言ったところ、先輩諸氏から、殺しても何にもならない。むしろ、何でもいいから思いっきり痛めつけてやれ!、と言わ れたことがあるが、まさにその通りだ。
 彼の絶頂期から10年ほど過ぎてはいるが、いまだに過去の栄光を背負っているかのような、大いなる錯覚を真実として受け取っている悲しい奴でもあろう。
 退職前だから大目に見てやっているが、同じコミンテルンパーティーからも煙たがられているのも解るような気がする。
 少々イデオロギー的になったが、旧T町の彼の御同志が、ごく普通の言い方、我々に共鳴するところが感じられるような発言を聞くと、イプシロンの率いる団 体は妙な 職員団体=実際は職員のためには何もできないグループなのではないか?、と感じざるを得ない。
 そんなことを気にしつつ、本日の麻生君の記者会見を聞くと、細々した部分には反対もあるが、概ね彼の姿勢は僕も同感。が、それは全てではない。
 現在の状況からすると、政治の空白部分をつくると、万一の場合、救いようがない状態になっているのだから。
 さ、気分を変えて、シムズクラフトさんへエキパイを発注。形式を除いて、ワンオフパーツの件で色々記載されたメールが来ていた。ウ〜ム、このエキパイは 凄まじいものを持っているかもしれない、と密かな想像をしている。

2008 年10月31日(金)くもり一時雨
 日記載したような 共済議員選挙の結果報告を執行部へ通知しなければならない。加えて月末の定期大会を目指しての文章、翌週早々の全労済のセット共済加入促進の話、これをお 願いするため1階から8階まで課長の席で平身低頭。結局これに1時間程度必要になる。
 何というか、メール1本で全てがとおる市役所は夢のまた夢。申請書をダウンロードして申請しても、それは単課への通知でしかない。執行委員長の僕が回っ てこそ、全労済の担当者が大手を振って活動ができる。自負心ではないが、執行委員長のポジションの大きさを改めて感じるところだ。
 久々に1階から8階までこの行為をやりつつ、むかしビラ配りを40分かかってやっていたのだが、今では集中度が高いので、もっと時間がかかるのは明らか だ。
 というところで、誰かから昨日の僕の日記をイプシロン副委員長の耳、また執行部への耳へ届いたのだろうか。
 イプシロン副委員長が、僕の机の前をうろうろしてヤガル。実際は見せてはいけないものが机の上にあるんだ。逆にそれを見て欲しい。僕は時間配分から、そ れを逆利用しても、結果が出ている時間になる。見る前にウチの執行部へは既に通知済、という速い時代だ。
 シゴトの面でもイプシロン副委員長は分割納付の1年分の納付書をソコソコの時間で作成できない。結局1時間以上お客を待たせて、結果は郵送します、とき たものだから、開いた口がふさがらなかった。
 しかし、見ていて「策」の無い者が行動をやると... 。ま、いいか。

2008 年11月1日()はれ時々くもり
 前3時、目が覚め た。しばらくラジオ深夜便を聞く。「今日はオイル交換をするぞ」という意識が消えないのだ。不思議なことだ。コレが夏なら、真面目に4時前の市内を散歩し つつ、天候の頃合いを見計らって作業開始になるのだろうけど、今はそれができない。
 夜露こそ降りてはいるものの、昨日の夕刻に上がった雨は降ってくる様子はない。とすると、ウトウト、結局本当に起きたのは6時過ぎ。眠っていないようで も最初に気付いてから3時間程度は眠っている。不思議な世界だな、と思う。
 さて、日が出てしばらくしての午前10時。オイル交換開始。BPの10W40を使用する、いつものパターンだ。外観には不明の部分が多いが、オイル缶を 振ってチャプチャプというと、下(冬)の部分は10というのが間違いないだろう。チョパチョパという、こういったオイルがないのだ。これだと、合成油だと 10(15)W40(50)という素晴らしいオイルだ。チャポチャポというと、20W40からタポタポという20W50程度のオイルのSAE規格の粘度に なるのだがね。
 そのBPの10W40を2.1リッター入れた。少々迷ったが、チャプチャプから少し上のチョバチョバを目指してSTPのオイルトリートメントを添加し た。
 オイルが落ちなくなるまでとなると、今日もそうだが、オイル交換作業の時間は小一時間程度必要だということだ。そして、今日はオイルフィルターも交換し た。
 で、オイル交換後、テストコースを走行。途中、武田自販へ寄った際、SR400が僕のをパスする。オー、AISが装備されるとこれほど弱々しいものにな るのかな、と少々心配でもあった。いい意味でSR400と500とでは、まるで違うものなのだ、ということが判った次第。

2008 年11月3日(月)雨後くもり
 日の後遺症が少々 出る。度を過ぎるとロクなことがない。しばし自重だな。1日中パソコンと戯れる。ちょくちょくタイプミスが出る。ずいぶんと使用してきたPismoの ASCIIキーボードだが、パンタグラフ機構はいいものの、シリコンダンパーラバーの劣化は防ぎようがない。というところで、強烈なキータイプに抗するに は逆にふにゃふにゃ部分が必要かもしれない。不思議な現象だな、と思う。すでに8年の歳月が経過している。本体のロジックが一度、ディスプレーが三度とい う具合だが、CPUはG3の400MHzは現在のファーストマック社のG4 550MHzに交換するまでは当初のカードのままである。真面目な意味、これがシリアルになるから、結局8年も使用していることになる。
 さて、丸穂温泉。昼間にサムソンブルーのヒートコレクター的なオイルクーラーを見ていたため、湯船の中で、これってもっと簡単にできるのじゃないかな、 と少しアイデアが浮かんできた。ヒントは瞬間ガス湯沸かし器の内部構造だ。このヒートコレクター部分を小さくコンパクトにして、SRのダウンチューブ横に 取り付ける... 。物はシンチュウか銅パイプ。それに放熱のフィンを付ければいい。フィンは?。気にすることはない。ハンダ付けができるのだからね。
 もっと簡便な方法もあるが、これはフィンの取付が少々難しい。これらのことはそのうち紹介するとしましょう。
 わが心の大阪メロディー。ミス花子。よろしいおましたぜ。ギルドのギター1本で浪速のオッサンやりおったわ。マイクは2本のみ。声は出ている。ギターが いい。これが安物のギターだとあんな音は出ない。大学3年のとき、ヤマハのギターとマーチンのギターでデュオをやったのを見たが、マーチンのギターが容易 く鳴っているのを見て僕は度肝を抜かれたのを思い出す。
 クラシックギターのイグナシオフレタのギターを弾いたときもそうだった。楽器によってこれだけ違うのかと思い知らされたところだ。
 今日のミス花子さんのステージは久しぶりに当時の熱い気分が戻ってきた。
 結構素敵な休日であった。

2008 年11月4日(火)はれ
 れというのかな。 朝はモヤがかかっていた。大洲辺りでは霧になるのだろうけど、今日はモヤかもしれない。そのモヤも昼前からは晴れになってきたが、僕の気分は午後6時前ま ではモヤがかかっていたままだった。
 内容は10月30日付の日記を読んでいただければ判るはずだ。そのイプシロン副委員長が、全く同じことを言葉を変えて言ってきやがる。しかも前回と同じ メンバーが居る中で堂々と言い張るんだぜ。
 こりゃダメだ、として僕の方から予定どおり引き下がった。ふざけてるよな。
 思う間もなく、イプシロン君が輪をかけて立候補締め切り以後どうするか話し合えばいい、と来たぜ。誰を落とすかの選挙やるつもりかいな?。前回選挙はや りたくない、という言い回しだった者がね... 。
 ま、大なり小なり、イプシロン君は退職だから、この場でモンク言うのはアホらしい。次回は、僕は居るけど彼は居ないから、そこを目指してやればいいん だ。夜明けは近いよ。
 しかし、ココの自○労○職員組合はもとより、愛媛のコミンテルンパーティーのおレキレキは同じ志をもっているべきところにこんな奴が居るっていうのを 知ってるのだろうか。職員の為になるか否かの重要事項にいきなり合併前の宇和島のことだけを考える過去のことを言ってきたり、テメーと属する組合とコミン テルンパーティーのセクト拡張の為だけに終始している。
 その上に、結果が悪くても精一杯やった結果だ、〜んちゃって、それがまかり通るんだものね。彼らのパーティーがやる街頭署名だって同じだ。結果は一切公 表されない。プロパガンダも上手だから、写真見てもついつい信じ込んでしまう。
 彼らが言うような世の中になっていなし、実現に対しての考えは最近は確実に夢物語だ。「要求は多いが勝ち得たものは皆無」というのが実際だろう。
 ま、今日の僕は切れなかったが、お仲間が切れそうになった。寸でのところで僕が妥協安打したから助かったが、突っぱねると夜を徹してまでもやり続けるだ ろうね。
 ということで、職場に帰って一仕事。イプシロン君はいつものとおり、何やかや言い回って僕の机の状況をそれとなく見ている。
 終業のウエストミンスターが鳴ると同時に逃げるように退庁する。端末は終業五分前にシャットダウンしている。こんな奴が副執行委員長の組合なんて職員の 為になっているか。自治体合併で組織も合体しているとはいえ、旧隣町の組合は厳然として存在する。旧隣町の職員の組合費は旧隣町の職員組合に入る。
 ってところで、内部はバラバラの状態なんだものね。けど、その旧隣町の組合はなかなか話が分かるところもあって、彼らが自○労○の組織の一員というとこ ろを思うと、一部残念なところもあるわけよ。

 気をとりなおして、丸穂温泉へ行く前にサムソンブルーのSR用オイルクーラーの欠点のようなものが見えてきた。あくまで僕の私見だけど、今夏のような天 候で、この辺での渋滞に巻き込まれたら、SR500ならコレを付けていても効果は乏しいのじゃないだろうか、と感じた。
 その瞬間、やはり自作するのならヒートコレクトタイプにすべきで、循環パイプを少し長くすればオイル容量も稼げる。となると、キタコのモンキー用の小さ いオイルクーラーでもいけるんじゃないか、という気がしないでもない。
 ストーブリーグになりつつある今、翌年のオイルクーラーのことを考えているなんぞ、なかなか趣のあるこった、と自画自賛しているところで、ライオンズも 負けたし本日はおしまい。

2008 年11月6日(木)はれ後くもり一時雨
 日夕刻からは当組 合の中央委員会。これで次期執行部の全てが決定する。僕も来期以降は執行部へ残らないことを再び申し述べた。まだ弱いと思う。これまでギリギリまで執行委 員長職を引っ張ってきた苦い経験がある。退任後の様々な役付けは明確化されないだろうが、来年58歳になる僕が前面に立つこと自体、これからの働く若い方 々の 意識が阻害される。逆に言うと「あいつ」に任せておけば御の字になる、というおんぶにだっこ状態の危険性を排除しないと、共産党系の隣の部屋に存在する敵 の組合と同じ運 命をたどることは明白だ。
 さて、昨日withへ、リッケンバッカーの320BVBとGibsonのJ-160Eのリペアの件でメールしたのだが届いていないという。相手 もJPGのファイルですよね、というものだから、届いていないことはウソではないんだ。ということはノートンのアンチスパムか何かが作用している以外に考 えられない。
 僕も漢字トーク時代はノートンに期待し、ハードディスクのオプティマイズなど、ずいぶん助かっていた。が、今の僕にしては、それはシェアウェアなどのソ フトの方が素敵に感じるのだ。ノートンもインストール しているが、立ち上がりから何から大幅に後れを取ってしまう。
 こういったことから、ノートンなんぞアッタマにくるのは民主党支持者には十分にわかるはずだ。(笑)
 アメリカ大統選挙に関しての記事が多いため、こういった記載をしてしまったが、新しい市立病院はもっとシビアな状況になっているのは否めない。 こういったことの事実を分舞えつつ、アメリカという広い国土のあらゆるところで改革をしていただけるのはオバマしか居ないのであろう。
 僕が中央委員を前に45分喋るのと、オバマ君が喋るのとでは雲泥の差だろうけど、職員(組合員)を前に喋る、というのはアメリカ国民に喋るのと比べてで も月とすっぽん だ。
 が、そこにいる聴衆が、僕の場合は執行委員ともどもエライ中央委員の皆様達。オバマ君はそういった一般市民の細々した恩恵を受け取ることができるかどう か...。残念なるかな国レベルからすると、オバマ君はそこに至っていないのが現実だ。
 馬鹿なことをいう奴だ、と感じられるのは確実。しかし、逆にマケイン政権になろうとしたらどうなんだろう。マケイン君に上のことが言える奴が何人居ただ ろうか。今回の選挙はそれを言わしめる者が候補者ではなく、共和党とマケイン君の考え方より上を行くことになったために政権が変わったということだろう ね。
 確かに世界を相手のことではあろうが、来年の2月近辺までは共和党の政権下だ。ぜひ、あらゆる問題を跳ね返して「任期中」に共和党としての有終の美とで もいう何らかの行動をとっていただくことをお 願いしたいものである。

2008 年11月9日()雨後くもり
 昨日は職員団体の ミニ集会。真面目に勤務時間の変更などが我々が勝ち取らなければならないものである。実際のところ、いつの予算委員会か忘れたが、民主党の議員が我々の勤 務形態について、毎日15分間ずつタダで給料だけもらっている、とやった。当人は無駄遣いを無くすため、と言っていたが、これ幸いと人事院も政府も右へ倣 えときた。
 その背景には大阪の一件があったから致し方ないにしても、まじめに、地域の実情とか公務員の実際などは考えずにやったものだから、議員自体は大反発を食 らったわけだ。とりわけ民主党なんぞ、昨日は自民党の奴が今日は民主党で野党の考えを言ってるなど、いまだに我々からすると、諸刃の剣の存在でしかないア ブナイ政治団体である。とはいえ、僕は共産党は大嫌いだけど。
 一昨日、昨日は流石に疲れた。真面目に、一昨日はは45分間しゃべり続ける。昨日は雨の中、クダラナイ「じゃこ天おどり」。ホンの2時間程度だが、僕の 1日のスケジュールをどうするか、ということになると、時間配分上は、後へ後へ持っていかなければならない。
 本日は、そんなことから7時近くまでウトウトしていた。おぼろげな夢の記憶は僕の小さい頃のことが浮かんでは消え浮かんでは消えを繰り返した。
 そういった、昔からの慣例みたいなものが最近は若い人へ伝えられない。僕自身もゼニはないけど、僕の日常で新しいものへチャレンジできない物は今のレベ ルを死ぬまで保たねばならない、と最近強く感じる。そのために、無理をしても今のうちに入手しておかなくてはならないものが多い。
 真面目にそう考えての購入がどうもピークになってきているようだ。結構な出費はあるが、中断すると、二度と入手できないようにも感じている次第だ。物で こういった状態だから、千差万別の精神面とか日常の暮らしなどのものを伝えるのは至難のことであろうことはお解りであろう。
 そんな、ご老体であっても、現在は「新しい物しかないのだから、それに慣れていただかなくては... 」といわれるだろうが、それこそ日本工業界の歴史の裏付けなどが無いという汚点をさらけ出すことになるわけよ。
 そこそこの物でいいのに、と思っていた方々の大反発、たとえば、自動車などは今度の経済危機でメーカーも十分に解ったであろう、と感じる。
 が、意外にも、こういったものは都会の方が敏感で、田舎はいまだに中級の連中でも、メーカー指導に準じることになって大出費になりそう。それが破綻への 道になることは確実なのだが、昨日の「産業まつり」にしても県が介入して十把一絡げ。その実、県は何もしない。タダ働きするのは市の職員と関係者だけ。
 本日の商店街がいつもの商店街。昨日は異常。今日が平常=大衰退、ということだろう。老舗のMも店じまいだそうだ。また、シャッターが下りたままになる ところが増える。

2008 年11月10日(月)くもり後時々はれ
 たまた鼻の奥がお かしい。もう10年以上になるけど、副鼻腔炎の疑いがある。おそらく事実だろう。が、そこの耳鼻科は患者が多くて、一度診てもらうと、その後の薬物吸引な どは自らがやらないとならないし、それも順番待ちだから、休暇など取って通院すること自体がもったいないように感じてしまう。
 病気を治すのに「もったいない」とは、といわれるかもしれないが、そうではない、と僕は断言するよ。
 それは、今通っている「ますだ歯科」がそうだ。急激に痛みを増した患者は、診療の間が開くと直ちに診察だ。僕はじっと診察台で仰向けで待ってる。これで いいんじゃないか、と感じる。僕はメンテナンスで音波洗浄が主。しかも4か月に1度。相手は急患だ。僕は待っているけど、そういう待つことを否定する患者 が多すぎる。こういったモンクを言うような患者を無視できない病院はダメだな、と感じる。
 ま、そんなことで、時として耳鳴りが強くなるときがある。今日もそのパターンだ。鼻をかむと、黄色い膿のようなものが交じる。これが半透明の鼻汁になる といいのだけど、最近はそれに至る期間が長い。一つ、「なたまめ」をやってみようかな、とも思っているところだ。
 ウナビリーさんからメール。T-140Vのエキパイバランスパイプの製作を2本お願いした。僕は、こんなチッポケナ仕事を引き受けていただいて、この価 格だとリーズナブルを通り越していると思うところなのである。うれしかった。
 そして、シムズクラフトからSRのエキパイができた、とメールが入るはずだ。何というか、花園、春のブリティッシュランでの出会いだけでのことだ。やは り、その場で、その人に会うことができる。これもうれしいが、その後で連綿と続くおつきあいができることがうれしい。たかが古いT-140Vが取り持った ことだけである。
 当時の購入金額76万円。相当に高価だったが、今の状況を考えると、あの時以来、T-140Vに乗っていなかったら、こういったことにはなっていなかっ ただろう、と最近は強く感じる次第だ。

2008 年11月11日(火)はれ時々くもり
 もかもが過ぎてい くな〜、と感じる。もう11月だものね。はっきり言って、来年の年賀状も小正月頃に出すようになるのではないか、などと考えている。
 今日一番頭に来たのは、例の空幕長の喚問だ。こういった時にこそ先の戦争経験国会議員が必要なんだが、質問者の大半が今の時代で思考している物だから、 人海戦術で戦った一般国民の声を代弁して質問しているとは感じられない。
 仮に、僕が国会議員で空幕長に質問するのなら、ミッドウェー海戦のことだろうね。たらればはないが、もしも... 、ということから質問を始めたいよ。戦争のことを知らない政治家が、デスクトップの考えかもしれないが戦略家のトップを相手にしているんだから、立ち向か うことはできないのは明白だ。そういえば、若手の国会議員は、ピストルの音が「ドギューン、バキューン」と聞こえると感じているのではないだろうか。実際 はパーン、パーンという音でしない。そして機銃の連続音は冷静なら数えることができる。それほどのものだ。それを知っているのだろうかね。
 その空幕長に60,000,000円の退職金が支出される。ザッと僕の3倍ほどの退職金だ。馬鹿なことをやっても退職だからこれだけの金額が出る。僕な どバカやってしまうと、全く出ない。この差はどうなってんだろう。しかもそれを返納しない、否、返納する必要はないとしている。こういうのって、税金のム ダ使いではないか...!?。
 空幕長が、言論の自由を奪うのはナンセンス、というが、この間止めた文部科学大臣の一件ともよく似ているな。僕はこの空幕長の命令は聞きたくないね。こ んなのが居るから、いまだにおかしげな団体が日本には存在するし、それを支持する輩も居る。こういったところの輩を志願兵として、武器持たせてアフ何とか やコンなんとか、イラなんとかへ派遣して思いっきりやらせばいい。僕の予想ではキ○タマ縮み上がって「カーちゃん助けて」と言うのが精一杯だろうと感じる ね。それでも、国内では殉職ってカッコイイ、とまだ感じている奴がきっと出る。こういった考えを払拭するのは、まだまだ長く時間が必要だろうな、と感じた ところだ。
 話は変わって、ザ・ゴールデンカップスのリーダー、デイヴ平尾氏が他界した。長い髪の少女など、マモル・マヌーとコンビで歌ってた。ミッキー吉野もこの グループにいた。「長い髪の少女」、「愛する君に」などなど。
 組合のM初期にザ・ゴールデンカップス知ってる?と聞くと、知ってるという。そりゃ同い年だが、R&Bっぽい横浜ベースのグループだったのに、 結構その線を引っ張りつつ歌謡曲っぽい曲も歌ってたからだろうから知ってるんだろう、と感じる。冥福を祈りたい。

2008 年11月12日(水)はれ
 日疲れる日々だ。 そんな中、おもしろうことにぶつかった。これは、僕も少々脱帽物だったな。同時に年齢から来る稚拙さには、悪いこととはいえ、思わずほほえんでしまった。
 本日は、松山出張。こういったときは、いい経験もあったが、これはいずれ記載することとして、悪い面での報告をここで申し上げることとしたい。

 夕方、松山からバスで帰って、銭湯へ行く時間帯から離れたので、一杯やって帰宅。夕食は妻が用意してくれては居ないと判断してコンビニへ寄る。
 夕食物をチンしてもらう前に、客の女の子が、マールボロのブラックとか、結構高価なタバコを3個発注。ピンクのジャージーにジーンズ。ネックはしっかり ジッ パー上げてる。毛糸のスキー帽にボストンの黒縁メガネ、というのが彼女のスタイルだ。
 高価なタバコをすらすら言えるから、てっきり夜の商売の人かな、とも思っていたのだが、チンが終わって、外に出て「ハハーン」と気付いたよ。何とまぁ制 服姿の男子高校生が2人居るではないか。一人は部活の帰りかもしれない。ニヤリとして会話している。
 ここまで言えばお解りだろう。
 この子達、女性1人と男性2人は友達で、ちょくちょく、この方法でモクをゲットしてんだろう、ということが分かった。モクをゲットするのに結構考えを費 やし ているんだな、と思うとほほえましくなってきた。バレるのがわかってやってんだろうか。
 とすると、高校教育受けてるこの子達は、僕の目からすると「バカ」だな。どうせ、学校の成績も悪いだろうと思う。頭のいい奴が悪の行為をやるのとは月と スッ ポンだ、とも思って、「ほほえましい」と思った次第だ。

 で、何でこんなことを記載したかというと、以前の日記で、ちょうどこの頃、南予文化会館の外部から見えないところで、中学生の女の子がタバコやってたの を見てい る。その時も、僕は注意なんてしなかったよ。それ以上に、「思いっきり吸ってみな」と言いたかった。
 今回も同じだ。この子等に思いっきり肺の中にタバコ入れて、それを2〜3回やっていただいたらいい。まず、タバコを止めるだろうよ。ある者は急性呼吸困 難になる場合もある。吹かすのと吸うのとではまるで違う世界だ。

 言いたくはないが、格好だけでタバコ吸ったのは僕も小学校の時に経験している。背中を叩かれてフッと吸ったとき舞い転んだよ。これは凄まじかったね。大 人は笑ってたから、子どもには無理だ、とお互いが解る世界だったんだ。今はどうも「禁煙」そのものが何かおかしい。

 いかがだろうか。喫煙を注意したりする方。もちろん、親を含めて地域の代表者や学校の先生方だろうけど、この方々は「タバコのおいしさ」、食後の一服 の...(実際 は胃は悶絶状態だけど)気分爽快感などを知っているのだろうか。
 僕は生徒指導の先生方や指導者的な立場の方は、「たばこの常用者」や「たばこの経験者」でなければ、禁煙の指導をすることができない。喫煙は悪いことで すよ、とは言えないと思うんだ。

 ま、若いのが喫煙したところで死にやしない。むしろ、たばこ税が入ることから、僕など「宇和島市の財政を救ってくれてありがとう」、と1/3だけ冗談 気分でお礼を言うよ(汗)。

 こんなところで、明日、彼らが学校へ行っても何てことはない。学校上げて県の教育委員会を敵にまわしてでも「学校の普通」を守る、といった学校長が出な い限り、何にしても実践が伴わない説教教育の愛媛の教育では何の解決策も出ない。
 少なくとも赤点を取ったことのある僕だし、あの頃は確実に留年する者も居たし、高校を転校や退学した 生徒もザラに居た。
 息子の通っていた学校でも不祥事を起こしたことに対しては寛大であった。しかしながら、その時僕が言ったのは、「高校教育は義務教育ではない、即座に退 学処分にするのが当然ではないか」であった。
 謹慎期間が数週間あったが、その時に訪問した教師の態度に大半の親御さんは切れた次第。理由は簡単。やれ、家庭の状況はどうの、周囲はどうか、などなど ばかりを親に対して言うので、当の生徒の考えがどう変わったかなどの状況判断は一切なかったからだ。
 今の先生方で情熱のある方は、県教委から冷たい仕打ちを受ける。愛媛の教育は120%以上保守の考え方だ。住吉町にある南予青年の家には堂々と「教育勅 語」が掲げられている、という信じられない世界がいまだに... 。
 昨日記載した幕僚長の言い分もある意味、愛媛なら「そのとおり」であって、職務上は反対せざるを得ずの現実は存在するように感じるところで、お終い。

2008 年11月13日(木)はれ
 日の日記はいいか がだったろうか。どなたか読んでいらっしゃるのだろう。逆に「いい記事」として教育関係者、警察関係者の方々が一読願ったのかもしれない。でも、こんなの を大きく取り上げるより、もっと奥深いイジメや何やかやを取り上げた方がいいように感じるところだ。
 さて、本日は人事院勧告の確定期へ向けての集会だ。はっきり言って、僕などの高齢の者はこういったところへ出ない方がいいと感じる。僕などはもっと奥の 深いところでのやりとりに対して出向くのが主たるところでのもので、今日などは30歳代が主となるべきである。民主党の高橋も36歳だ。こういった者に政 治を託してもいいのではないか。
 山本公一氏に引き続いて国会議員をやらせるのは少々...、 と感じる。この前のジャコ天カーニバルでのあいさつ。山本氏の言葉は何ら今の状況を言うでもないため、共 感など得ない。次の中畑氏が喋ったのは「雨、雨、雨、全く嫌な雨。まるで今の経済状況と同じです。この状態を打破するためにも.... 」と一発やったんだ。僕など、彼が国会議員じゃないかな、とも感じた次第。
 僕も高校の先輩として山本氏を押したときもあるが、選挙戦はお父上の通りにやってる。それはそれで解るが、あの大量選挙違反者を出した故 今井勇議員にしても、都度都度、宇和島日々新聞に国会情報として、宇和島市への補助金などの確約などを出していた。
 が、山本公一氏が宇和島市民に対して、国はこういったことを考えているとか、宇和島浮揚策として有効な手段があるとか、自分が仲介役になって... 、なんて〜のは今のところ聞いたことがない。離島振興法などの絡みで、本来なら九島架橋の是非、九島フェリーへの補助、自分家が経営している盛運汽船がこ の辺の島しょ部の唯一の交通手段であって、運賃が非常に高いこと。それへの補助金の増額などなど、仕事は一杯あるはずだのに、な〜んにもやってもらわない ままではないか。いかがかな、僕はウソ を記載しているとは思わないのであるが... 。そんなことを考えていると、少々気が滅入るから、止めよう。
 そうそう、今、シムズクラフトから一部ワンオフのSR用のエキパイが届きつつある。電話で問い合わせの中で、ホンの一言から始まったんだ。「これってで きますか?」に対して「3,000円ぐらいのアップでしょうか」の返答。僕は自分を疑ったね。いつものとおり、どうして気付いたときに質問しない?って ね。
 そのモノホンが明日届く。うれしい限りだ。土曜日は、わがSR500の結果が出る。請うご期待、というわけではないが、久々に興奮している。
 同時に、ウナビリーさんへ発注したT-140Vのエキパイバランスパイプの到着が来週の後半になりそうだ。今年のストーブリーグは結構楽しいものになる ようであ る。

2008 年11月15日()はれ後雨
 「楽しみつれづれ」で記載すべきだろうけど、これは止めにしておく。その一件は不都合なことではないが、ちょくちょく起きる間違いだろうから、実のとこ ろをもって報告した方がいい、と判断したからだ。
 本日、真面目な意味で、SR500のオイルタンク空冷フィンの新たなものを作ってみた。材料費が2,500円ほどの出費だったが、ハンダ付けが難しいの で、仮組み程度の処理で終えた。残念なるかな、雨がポツリポツリしだしたので、走行テストは中止だ。
 真面目に、風の出入りなど、前回のアルミ板のみの蛇腹ではない、少々完全なものだ。「完全」=「真」ではない。完全はテメエが思っているままのこと。実 際は別の面に問題があったり... 、ということも考えられるのであるから、妥当なところだろう。
 本日は、丸穂温泉が定休日。よって、僕は家の風呂に入るべきかどうか?。息子が幼かった当時は、セキスイのバスコアは大健闘した。現在もそのものが稼働 している。が、壁面は塗装がイカレてバラバラ来そうだし、FRPの一部内部へ入り込んだ垢などは表面からは除去できない。再塗装も考えられるが、今の僕に は妻にユニットバスの修理をしたい、というものなら、「修理が終わるまでどうするの?。アンタはいいけど、私は銭湯には行かない」という大きなペナル ティーを食らうことになるのがオチだ。
 まぁ、我が家は世帯主が二人居るようで、なかなかおもしろい。本当に夫婦の会話は少ない。今日は彼女(妻)が6時からの早出。キッチンの後ろが僕の楽し みの多い6畳の部屋なので、眠る上で明るいところが嫌いな僕としてはハッと目が覚める。その後ググ〜っとなって、起きたのは7時前。山小うどんから... 、と言ったところで、つまらないことばかりだ。
 が、この夫婦でありながら別世帯の生活。これが普通になると気にはならない。むしろ妻を扶養家族にした退職前の男の方が苦しいんじゃないかな、と感じた りもする。会話のない我が家が「危機感」を伴うか、というとそうでもない。今日は部屋にいるが、妻も気が乗れば午前様の時もある。これを、亭主が勘ぐった り、逆のことが頻繁になるのなら奥方が勘ぐったり、になるのだろうが、我が家では今のところお互いはお互い。困る一件は無いようにしている、というか、自 然にそういった行動をやっている、というわけだ。
 言い古されている言葉だろうが、夫婦はお互い赤の他人だから、それが2人いつも一緒だと息が詰まるだろうことは明白なんだがな〜。
 とはいえ、憎めない我妻はちょいと... 。ま、見た目以上にダメなところのある彼女の身体を知ると、浮気相手とするなら考えものだ。マジ、僕も結婚前に知ったところだからだ。
 本当に、夫婦というのはおもしろいものだ。ここまでに至らないカップルが離婚になるのだろう。それはそうとして、そういった状況に陥っても、家の中の二 人で話をすればいい。「お前さんの状況と全く違うではないか」と言われるかもしれないが、2〜3週間話をしなくても、メシの用意はできているし、妻の午前 様も許し... 、となるまでには、その前の我慢から始まって、ダンナが妻のチチ(オッパイ)モミやったり子守をやったりしている、相当なものをこなしているのが前庭にな る。
 他人同士が一緒にいること自体がおかしい。おそらく、相手を他人として見ていないことから、離婚ていうのは始まるのではないだろうか。
 緑のインクで手紙を書いた... 、という、全国共通の離婚届を出せばいい。が、待てよ... 、って慰謝料から始まって月々の養育費、そんな手間暇考えると僕は離婚なんぞしなくてもいいのに、と思う。一度別れても、その人とくっつく... 、は夢かな。離婚届なんぞ出さなくてもいいことの方が遙かに多いはずだのに。
 とまぁ、こういったことを教えてくれる、あるいは相談に乗ってくれる近所の高齢者が居ないからかもしれない。もっとも、そういったことをオープンに話が できる近所づきあいが少ない、という現代社会のつまらなさを物語っていることかもしれない。

2008 年11月16日()雨後くもり
 まで降った雨は昼 前に上がった後、午後サーっときて後は曇りになった。若干ヒンヤリするものの、まだ太陽は暖かさを運んでくる。全く不思議な季節感だ。
 午前中は、明日配る職員団体の情報ビラを作っていた。1時間半程度で終了できるのだが、こういったのは各執行部のグループにやらせるのがスジなのだが、 いまだにそれができていない。この1年で何とかしたいところである。
 ブログの方で紹介したいのだが、少し余裕をいただいて、ということで記載をしていないこととして、SR500のオイル冷却のための方策をあれこれやって いるところだ。昨日記載している銅板に銅パイプを巻いての空冷方式のオイルクーリングを試そうとしたわけだ。
 残念ながら、本日は曇り空で3時頃からSRを走らせた。オイルクーリングパイプの確認という意味から、ゆっくり、というか低速走行を心がけた。残念なが ら、寸法取りのため、SR500のエキパイは出張中だ。代わりというわけではないが、SR400(おそらく3HT)のエキパイを装着している。フレームへ の取付は困難だ。500と400ではシリンダーヘッドの高さが若干異なるようだ。
 走ってしばらくすると、BORE-ACEのシリンダークーラーからの熱が上がってくる。それが期にならなくなったら、今の時期、オイルによっての冷却は OKというところだろう。
 もう一点のエキゾーストパイプの件は概要が解ってきた。つまり、現行のギア比で4速の守備範囲が広くなると同時に5速へのシフトが少し変則になる。寸法 取りに出しているエキパイが完成したら、この考え方にもう少しいい方向へ行く、と考えているところだ。
 帰って、オイルクーリングパイプを触ると冷たい。効力無い?。オイルタンクは温かい。しばらくしてパイプに触れると、タンクとほぼ同じ状況になっている ではないか。もう少し確認して、次なる手を打ちたい。
 SR関係の雑誌を購入。何ともナサケナイ編集だ。そりゃそうだ。売れていた頃のSR関係の雑誌は日の出の勢いだったんだが、いざ生産終了になってしまっ ている今、こういった内容でしかないのかな、と「萎み」を感じざるを得ない。同じく、カワサキのW650とW400が生産終了になるようだ。後者は売れて いないから、そう巷に云々にはならないが、SRはあっという間に走っているSRを見かけなくなるのではないか、と考えたりする。こと、アフターマーケット 関連の販売業者は、これから苦しい時を迎えるのだろうな、とも感じた次第だ。
 もう一つ、Pismoの通信が午後4時過ぎから途絶えてしまった。繋がるが、Yahooなどダグの文書が出る始末。OCNへ電話しようかと思ったが、ど うも違うようだ。とすると... 。一応、PB G4を起動して確認するとOK。とうとうPismoもダメになったか... 。
 が、内蔵のイーサーネットがダメ?。バラしてみてびっくり。何と、クーリングファンの振動でコネクターが緩んでいた。この接続を確実にして、ヒートシン クの共ネジを少し強く締めておいた。これでOKだ。
 で、起動すると見事に作動。Pismoには、もう少し持ってもらわないとならないならない。

2008 年11月20日(木)くもり
 「オ、 この天気で いいのか?」と他所のお偉いさん。「ヘーイ、ごもっともです」と地元の若いの。天気予報はどうなんだろう。もとろん、僕は冬のこの地方の気象に対してはあ きらめている。ふと、九島と戎山がなければ、この地方は松山での気象情報と合致する、と。
 三間から来る人に聞くと、極めて厳しい冬の一端とくる。松野からの方に聞くと、北側はすごかった、とのこと。そこそこで、全く天候が異なる。
 僕がこういったこと記載しても始まらないが、これは「今日の鬼ヶ城」のサイトを見ていた だければいい。先にリンクしたが、「」を検索ブラウザに記載していただければいい。常に僕が言っている「山へ向かって10分も歩けば、1000m級の山へ 登ることになりますよ、ということが理解できると思う。
 さ、天候とは裏腹に、私欲の面で本日は先ほどまで大わらわであった。ますは、聴衆の件。マジ、防寒着に身を包んでホンダのタクトで出かける。何と、オー トチョークがかかりすぎるぐらいになってしまう。このとき、慌てて発進させてはならない。これを慌てて... 、特に新車に多いが、これをやると、必ずエンジンへのダメージは結構大きいものになってしまうのである。ホンダの2サイクルエンジンの大きい欠点だろうと 思う。
 息子が自分勝手に使っているリッケンバッカーの320Bだが、戻してしまえそうもないため、東京のwithというショップで1台購入することにした。も のは320の改造品だ。しかし、写真を見た瞬間の出来事であった。このギターは僕が万難を排して購入しなければならない、という気分が支配し続けたため だ。
 一つ夜間の会議を終了して帰宅し、すぐさまネットオープン。するとウナビリーさんから、T-140Vのバランスパイプが完成したというメール。添付の写 真を見て愕然(ウソ)。喜びいっぱいになってしまった。愕然は良い方のことで安心。
 そういえば、昨日、シムズクラフトから、SR500のエキパイが返送されてきたからだ。
 withから購入の320BVBの改造品は325とは違うまやかしものだ、という輩も居るが、それは貴方の勘ぐりだけだ。僕などは、今回は買い戻しだ が、ホローボディーのため、実際は職場へ持ち込んでも音が出る点など、結構利用価値はあるんだ。
 さ、明日は写真協会の作品展の飾り付け。忙しくなるぞ。
 思わぬ喜びの重奏。取った杵柄はそうそう侮れるものではないようだ。

2008 年11月21日(金)くもり一時雨
 れ間はある、との ことは当たるものだ。午後から休みを取る。が、段取り良くしないととんでもない結果になる。この点は注意。
 ということで、簡単な昼食の後、SR500にシムズクラフトのエキパイを装着する。残念なるかな、OKと思っていたフレームへの取付クランプ部分は 5mm以上の誤差があって断念せざるを得なかった。
 が、とんでもないことは、こういったときに起きるものかもしれない。詳しくは記載しないが、純正のマフラーをチューニングアップしたかのような結果に なってしまった。大感激だ。同時にSR500ではないSR500に乗っているかのような気分になってしまった。
 次は組合の役員選挙の結果報告のビラ。これを4時からだから、それに間に合わすため... 。その時に大きな雨。全てのものを洗い流すかのような雨が降り出した。それも急激に。まるで、取付不十分な部分を修正して、明日もう一回走るように言って いるようであった。
 5時からは南予写真協会の写真展の飾り付け。デジタル部門を別にすべき時が来たようにも思うが、ま、写真でプリントアウトではないため、これでよろしか ろう。
 ま、こんなところで、続・3丁目の夕日を見ているが、今の時代から考えると、少しばかり、今の批判を加えられるものの、その上に、注意する人間を否定す る。自分のみがアブナイ。それと同様に、映画の中で、あれだけのことで同級生からいろいろ言われる。それを今に当てはめると、大問題になってしまう。どち らが「真」か。僕には今のところ判断できない。

2008 年11月22日()はれ
 日の興奮が冷めない。凄まじい変化をした SR500。本日、再確認をすることとして、まずは、シムズクラフトさんからのメールを一読。ヘッド部分のエキパイガスケットを交換してみてはいかがだろ うか?、とあった。
 今日から南予写真協会の作品展。BGM担当の僕としては、CDプレーしたり、居ない間はFMにしたりで大変。
 昼飯前に一度帰宅して、昨日の感覚からリアステップのマフラーブラケットをセンターカラーの厚いものに交換した。このとき、エキパイ固定のフレームブラ ケットへは5mm径のボルトが通ることを確認。純正は8mm径だから、誤差は3mmだ。そしてオートショップ ワタナベへガスケットの発注のため走る。若干エキパイが揺れるのが確認できる。何とかこの揺れを止めたいところだ。
 帰りに広いフランジのワッシャーと5mmボルトナットを購入。
 昼食の後、ボルトを装着。5mm径だがミゴトにエキパイがしっかり固定される。不思議なものだ。
 一度作品展示場へ戻り、1時間程度を経て、午後2時半から走行開始。
 おー、昨日に比べて、エンジンの振動がダイレクトに来る。これを良とするか否かはなかなか難しいが、僕個人としては何らかの方法でエキパイもフレームへ 固定すべきではないか、と感じるところだ。
 昨日は感じなかった、エンジンの爆発音とエキゾーストノートがシンクロして聞こえる。そして、もう1速あるのではないか、と感じさせる。本当に凄まじ い。成川から水分までの道で、各ギアでどの程度引っ張れるかを確認。あほくさいが3000回転ほどは大丈夫。それ以上になると、僕の場合はカンリンの小ぶ りちゃんを装着しているから、ショックの方が大きくなるため、危険ですらある。オーバーなようだが真面目な話だ。それだけイナーシャの効果が大きいんだ。
 下りでも、アクセルワークどおりで走る。細かい振動を防ぐには、ハンドルバーはもう少し高い方が好ましいのかもしれない。
 夕刻、ウナビリーさんから、T-140Vのエキパイバランスパイプが送られてきた。ちょいと手持ちのエキパイに装着。これまた何と凄まじい。スムースに 取り付く。バンドで止めると一体化する。
 そろそろ、次はT-140Vを触ってみようかな。3月の四自交まで日が短い。本当に1年が過ぎるのが早すぎる気がしないでもない。
 夜空には月と金星と木星が一度に見えるようだ。明日からは下り坂という。天気の移り変わりも早い。

2008 年11月26日(水)はれ
 休の後、再び現実 に戻される。かといって、定年退職後の日常は、この連休の期間に十分に味わったよ。結構いいものだ。こういった日常だと、僕は退職後の自分の力を発揮でき るかもしれない。
 朝、現職の死を知る。過去、自殺で現役で死亡した一件を知っている僕としては深くは聞かない。過去の一文が日記に残されているかもしれないが、あの時 は、本当に12時間程度 前までは一家での旅行を楽しみにしてらっした。が、その次の日には自殺。不思議な世界だ。
 僕は自殺は汚い死に方だ、と今でも感じている。死ぬのなら数日間絶食してからやって欲しい。自殺はお止めになった方がいいよ、とは言えなくなってきてい ることも確か。キ リスト教に帰依していらっしゃる方には自殺は考えられない、と思っていたが、現代社会ではそうでもないようだ。
 オー○教など、トップがやられた、となった後のことを考え過ぎた。あの時、即時死刑執行にすべきだった。いくら宗教の自由とはいえね。が、それに帰依し ようとする輩も居る。こういった方々は無視すべきではなかったのか、とも感じる。
 僕の言い分は厳しいかもしれない。それ以上に、あの時のサリンでおかしくなった方々のうちでは、死んでも消し去ることができない人々も居る。
 強制労働などの法律がない日本では、ア▽△□某とその取り巻きを判決後に死刑にしておくべきではなかったか、と今さらながらに思う。サリンの直接被害 者、偶然にも実際に巻き込まれ後遺症が残った方々の今を知ると「死刑」は即座にやって欲しい、と思う。
 今の死刑囚でも、不合理から決定づけられた判決に対しての再審以外は、一気に死刑執行をやるべきかもしれない。人権の尊重は分かるが、執行までの食費な ど、国民の税金が投じられて いることを忘れてはならない。
 いつになく、こういったことを記載したけど、おかしいだろうか?。同時に、こういったことは学校で教えられているのだろう か?。
 僕は、これからの社会を担う人たちにとっては必要なことではないか、と思い、こういったっことが学校で教えられないことの方が不備ではないか、と考えさ せられる。

2008 年11月27日(木)くもり後雨
 ンコクも、インド も大変だ。インドでの「死んだ」が前面に出て、これはどうだろうか?。丸紅のエリートとは分かるが、日本でのエリート故、銃声とか、その手のヤバイところ での危険に対してはどうなんだろうか?。対処できていないのだろうな、と感じる。
 このことは、一部に批判はあるだろうと思う。が、僕はある程度銃というものを幼い頃に経験している。小学校の頃、空気銃を撃ったことがある。銃把を胸に 押しつけていなかったものだから、その反動に息が詰まった。
 一度憶えると、ネライは確実に高まる。これでスズメを打って、そいつを食べるんだ。これはいいや。が、その時の気分。僕にはもうスポーツとしての射撃が 備わっていたのかもしれない。
 が、そいつで人を殺すことなどは一切考えていなかった。一度エアガンをお手元に所持すればいい。女性だと、バレッタモデルでなければ護身用にはならない だろう。本物と同じ重量で撃ってみると、モデルガンでも躊躇する。
 そういったものを平気でドンパチやっているところに身を置いたとき、僕は経験から身を隠す。その要因は柔道であごを引いて、後頭部を組んだ手で守る、と いうことが身についているから言えるのだが。
 銃を撃つと、音はどうなんだろうか?。真面目にパーン・パーンという音だ。パンパンパンパンパンという連続音がすると、まずヤバイ。機銃でもパパパパパ パ、という数えることができる連続音なのである。
 一般人からすると、足がすくむ。これは事実だ。しかしながら、室内ならタンスの横に身を置くとかのことができないのだろうか。
 昨日も、僕が記載したように、何とも割り切れない学校教育でもあるが、僕は自然災害、火災災害などからの訓練も多いが、時には銃による攻撃に対処するな どの訓練も必要ではないのか、とも感じられるところでもある。

2008 年11月30日()くもり時々はれ
 後からは晴れに なったはずだが、我がブースは... ?。「食とみどり、水を守フェスティバル」毎年、このイヴェントをやるのだけど、我がブースは陽がさすことが一切ないかのように感じているものの、本日は ほんの数分陽がさした。うれしかったが、この行事自体、どれだけ続くのだろうか。
 すでに、支援米はマリ共和国へ送った。送る自体は「贈る」かもしれない。が。マリ共和国から我々に対して「感謝状」は一切来ない。仮にこれが来たとき、 できれば、日本の大使館等から、こういったことをしているんだ、を知らしめていただきたい。
 このことがなければ、いくら支援米を造って送ったとしても、それだけで終わる。僕はこの簡単な行為から出る、次なることへの目標がなければ、これはス トップする事業ではないか、と感じた次第だ。
 銀杏の冬日に映る姿が美しい。昨日、ヤフオクで落としたNIkonの4100が壊れた。再び同型の2200に戻している。疑問云々は確かにある。このシ リーズでトップは4100だ。が、考え直してみると、同じ小さい筐体に詰め込みすぎているのがよく分かる。結局電源も入っていないのに、バチッという火花 とともに、何もかもが壊れた。
 はっきりいって、CASIOのモニターから分かるとおり、ニコンでは製造していないOEM製品ではないのか、と考えたところだ。
 さ、そのことで頓挫したが、昨日、SR500のシムズクラフト製のエキパイ、すったもんだの末、取付ができた。マジ、報告は控える。これが是か非か。疑 問符は付けない。アフターマーケットの意地と、一ユーザーとの格闘かもしれないが、いずれ小誌で報告するが、実際のところメーカーはもっと大きなことをし ているのではないか、とも感じられる。不思議なこととは思われるが、近代でその一つでもいいから風穴を開けたのが鈴鹿8耐で勝ったボップヨシムラのスズキ のGSマシンだろう。
 この夢を追い続けるのは結構だが、ポップヨシムラ以降、様々な分野で大メーカーはメーカーとして対処してきた。その一つに乗っかって当時を追い求めるの は結構だが、僕自身は、極平凡にストックのマシンを自分流によりよい自分好みのものへ仕上げていく、その方向性を見いだせないままであれば、アンタン家の パーツ付けたらこうなった、というだけで、性能向上は見受けられなかった、とくるはずだし、文句が言える。
 はたして本当だろうか。僕はウソが多いと思う。今の大人からすると、その教示相手は小学校の6年生であり、中学1年生でもある。それほど、こいつらはバ カばかりで、大人の相手にはならない、というべきかもしれないが、今後のことは非常に難しいことが待って居ると思う。今、この時のことに対して素早く対応 しないと、このような世界では対応ができない。そういったように、時代の流れは想像以上に速いのだ。
 おそらく、昨年成人を迎えた人達自身も今の小学生中学生高校生はダメばかり、というであろう。そこを経過してきたアンタ達のことは無視して... 。

2008 年12月1日(月)はれ
 よいよ今年も残り 1か月となった。来週7日は日曜日だ。少し考えを巡らして、67年前はどうだったのだろうか、と考えてみた。
 こういった時は図書館へ行くに限るが、真面目に愛媛新聞他で昭和16年12月8日の朝刊はどういった記事を出していただろうか?。ハワイ真珠湾では12 月7日、ちょうど日曜日になるはずだ。カレンダーを見つつ、そういったことを考えてみたところだ。
 話は変わって、この間はヤフオクで落としたニコンのデジカメCOOL PIX 4100を壊してしまったことは記載した。再び同型の2200に戻したが、集積率が少ないだけ故障が少ない。CASIOのマトリクスのある液晶からする と、ニコンがカシオに作らせていた製品かもしれない。以降、5800、7600とグレードアップした製品が出るのだが... 。
 まじ、これらは便利な2つの共通点がある。一つはファインダーが装備されていること。もう一つは単三乾電池で動くということだ。
 多くは語らないが、少しでもカメラ然とさせるのなら、ファインダーだけは装着すべきではないか、と考えるところだ。再び4100でも狙うかな、と思うの だが、欠点が露出する。それは筐体が合成樹脂、しかも3分割になっていることである。こういった点、キャノンは小さいくせに重い。理由は簡単、筐体に金属 の使用が多いからだ。
 カメラ屋の作るデジタルカメラはある程度フィルムカメラと同じところが必要なのではないだろうか、と感じたところだ。
 同じくデジカメ。ニコンのD-90という新製品。驚いたね。初心者向けとはいうが、シャッターボタンの半押しで、ファインダーはジェット戦闘機の照準器 になってしまう。僕は被写体を射撃するつもりはないが、照準そのものが銃の照準然としているところはイタダケナイ、と感じてしまう。
 その前に、カメラ屋がデジカメを作るから失敗するんじゃないだろうかね。デジカメははっきりいって電気製品のカテゴリーではないだろうか。

2008 年12月7日()はれ
 しぶりに晴天。しかし、ピーンとした冬の晴れ だ。前回記載したのが1日。それまでの間、実は生活が乱れ、日記など記載することなど思いもよらぬことばかりであった。
 昨日は遠藤実氏の逝去を知る。急性心不全というが、薬の副作用などもあったかもしれない。絶頂期の継続が早く長く続いていた方は、若いときの苦労が報い られる時期に、そのツケが回ってくるような気がしないでもない。
 僕は、別枠で1971年から紙の日記を記載している。ずいぶんと色々なことを記載しているな、と今になってみれば記録メディアなどがなかった時代のこと からかもしれないものの、実際に自分で書いた文字を見ると、ずいぶんと人間が丸くなってきた、と思うところが多い。
 リッケンバッカーの320も結局買い戻した。実はもう1本320はあるのだが、これが息子に取り上げられたままになってしまっている。それも一員だが、 小誌で出すけど、実際には、そのギターの姿を見て、まるで僕に使って欲しいと言っているような気がしたために購入に至ったところだ。
 SR500はシムズクラフトのエキパイを苦労して装着した。
 ま、こういったことの疲れとも何とも言いようのない負のモロモロが後になってやって来る。これだけでも歳を取った証拠だな、と感じるところだ。
 少しずつ現在の身体の弱点と悪いところに対しての処置方法が分かり始めてきた。要約ではあるが、再来週辺りからこれにかかろうかと思っている。来週は 9・10と飲み会が続く。しかし、今の僕には先月までのようには飲めない。不思議なことではあるが... 。
 それを過ぎると、週一で忘年会がある。おそらく、二次会まで設定されている様子なら、完全に酒量は激減していることになる。その練習をしているようにも 感じるし、その前に、多人数での会を敬遠し始めている僕自身を止めることができない。

2008 年12月8日(月)はれ後雨ときどきく もり
 気予報が相変わら ず当たらない。今日は予報通りになったが、それ以上に何とも言えない空気が職場を支配した。
 午前9時前、出勤途上の嘱託職員Kさんが交通事故、多量の出血がある、という知らせが入った。現場は職場と目と鼻の先。救急車、パトカー等関係車両で事 故現場の状況は確保されたものの、直接の原因が不明。鑑識の調査は午前中いっぱいかかったようだ。
 が、昼前にそのKさんの死亡が伝えられる。金曜日にはその姿を見ているし、今日も出勤時間までに時間があったにもかかわらず、あっという間の出来事だっ た。
 事故発生当初の対応に対して、僕は何ともいわなかった。騒ぐのは騒ぐでいい。が、この手の事故は完全な事故処理が終了しない限り、個人で想像をやって も、それが一人歩きする危険な状況になってしまう。過去幾度となく、この手のネタでずいぶん困らされたことがある。同僚の事故、そして死亡など、ついぞ経 験したことがない。その上に、回りで噂をいうのは好ましくない。
 そのうち、原因は分かるであろう。それまでは、事故自体に対しては僕は口を慎みたい、と感じたためにとった行為である。
 これが、常に表面上では良いとされながら、内面では冷たい奴と思われる要因であろうと思うが、そのうち分かってくれるはずだ。
 えひめ丸事故の際、僕は水産高校の部屋の様子をテレビを見ていた。助け上げられた生徒の顔を見て、「ほれ見いや、あいつが見つからんわけない」と豪語し たNモータースの代表の姿を見、助けられた生徒の身内であるだけでその場に居るにもかかわらず、まるで自分だけ良ければいいというような声を聞いたときに は、思いっきり腹が立った。それから数時間後には、全てを暗黒の世界に陥れるような世界があったのは記憶に新しいところだ。
 結局、本日も少しだけそういった状況に陥ったが、幸か不幸か、事故原因が不明確なため、おいそれとは口がきけない状態であった。
 僕がこういった一件冷たいような行為を見せるのは、もう一つの理由がある。それは、高校生の時に父の最後の脈をとり、長男で一人っ子の17歳の僕として これからどうするのか、を即座に考えなくてはならなかったからだ。
 公務に対しては、非常なようだが、ただちに明日からの対応策を決定した。こういった点も人情など一切ないかのように思われるかもしれない。一面では良い ように思われるが、公務員なんて非情なものでもある。
 何とも言えない気分のまま1日が終わる。フト、ボブギブソンが12弦ギターをかき鳴らして歌うHear that fog horn , Hear it moony, sad song for a lonly few ... と。
 雨なのに月を見る。木星と金星が見える。何とも不思議な冬の空。まるで、今日1日の状況を夜まで引きずっているような気分である。

2008 年12月10日(水)はれ
 ー、すごいモヤ だ。まじめに記録しようとして、デジカメを持ち出す。FinePix S1 Pro。が、どうだ、目に見えるシーンをまるで拒否しているような気分の写真になってしまう。こればかりは辛い、と感じる。が、ことを自然な環境(フィル ムカメラ)に戻す と、ほとんど気にしないでいいようなことになってしまうのである。
 じゃ、陽が出る前の未明は自然な環境ではないのか?。もちろん自然だが、カメラメーカーからすると、どうやら、そういった豆腐屋が起きて仕事をしてい る、新聞を配る仕事などの撮影は、愚の骨頂とばかりの考えがはびこっているように感じられる。
 先般の交通事故での同僚の葬儀で受付をやっていた僕は、香典袋の包み方が天地が逆になっているのを見つけた。名前を見て愕然とした。これだもの。奥方が 来てたが、一言誰かが言うことができな かったのか?。7人程度の参列者の中で1本だけこれだ。
 昼メシは久しぶりに中華を食べた。ロンロン亭。焼きめしも旨い。かつてのロンがにわかの味に似てたが、今日のそれは妻の味に似ている。餃子は実 が大きいし、ちょっと酸味のようなものが来る。これは、八方亭の味に近い。うれしかった。
 僕自身、八方亭の味が良かった。その前はとんとん亭だったか。いずれも今はない。中国亭は旧北京飯店の味を踏襲しつつ今の味にしているが、一般化して、 僕にはイマイチのところもある。
 そういったなか、ロンロン亭はなかなかいい。カウンターと調理場が一体になっていることも感激ものだ。
 夜の連合地峡の会議後の懇親会。これは非常に有益であった。宇和島の水産企業なんて、従業員は大切にされていない。それ以上の経営側がとんでもないよう に感じてしまう。
 これから相当に厳しくなる。このジワ〜ッと来るのが分かり始めればいいが、今の宇和島では何処吹く風。むしろ自分自身にいったモロモロが来ないで欲しい ものだ、と思うも、それは一切できない。

2008 年12月13日()はれ後くもり
 日、市の理事者と の話し合いで、とんでもない事実を知らされ、勢い込んで行ったのがどうも上手くなかった。その上に愕然としたことが大きく支配してしまって、少しばかり、 僕自身が情けなかった.。
 やけ酒でもない気分で一杯やるも少々やりきれなかったところだ。
 今日は朝はお天気で良かったが、ちょっと外へ出る気にならなかった。ま、お寺の住居部分の改築のため、一部負担金を持参した。お墓は草がボウボウ。枯れ たのだけ取り除いた。また雨が降るから、再び草は生える。自然の摂理だ。このことからいうと、夏場のカンカン照りの方が草の枯れがいい。第一に種子部分が ないのが助かる。
 商店街は岩村ムードで一杯。が、本当にいいのだろうか?。彼が宇和島市に何かしてくれただろうか。岩村号の庁用車は数台在るが、いずれも岩村基金からプ レゼントしていただいたものだ。
 本来なら、岩村自身が、ここへ住民登録すべきではないか、と考えたところである。そうすれば、ふるさと納税などとは別にダイレクトに宇和島市へゼニが落 ちる。お祝いは結構だが、何か一発的でいいとは感じなかった。
 こんなことから、外へは出なかった。何か間違っているのではないか、ふと、丸穂温泉の湯船の中で考えた。この「物」のことを公表するのはまだ早いが、ど うもいいような感じである。
 その前に、この物自体の何がどうなっていたのか?から始めるとなれば、相当な期間を前に戻さなければならなくなるため、これは中止。申し訳ないところ だ。けど、この「物」については本文に「全てだ」と記載してあるので、今さらテストしてどうのこうのと言うところでもあるまい。発表するときは... 。
 もう一つ不思議なことは、BMWのR90/6が100万チョイで出てた。なかなかいいものだ。触手が動く。ホンの数秒後、その気分が無くなる。僕の心の 中では、購入した後のことが頭の中でグルグル回り始めるからだ。
 結果はどうかというと、ほとんど乗らないであろうBMWが可哀想になるのである。こういった気分が乗る前から浮かび上がるときは、必ず一歩下がっての考 えになる。
 では、乗らないトライアンフはどうなんだ?と言われるが、このオートバイは、本来は650を購入するはずだったが、その時はなかった。そのため750に した。このことは、ウエスギアンプの上杉先生が、「無い物ねだりをしてはならない」ということからである。今在るものでも、それまでのものを超えるし、そ こをベースにすべきだ、という教えからである。
 それが脈々と生きている。保存用は別として、ある物はしっかり使い、ダメになれば修理して、それが適わなくなったときに新しいものに替わるのではない か。それが物としての命なりさだめではないか、と考えるのである。
 古い考え方かもしれないが、今の若い方々が古いトライアンフなどに乗っていらっしゃる。僕が常々言っているように、世界中でパーツが存在するからのこと だし、生産されなくなっても大丈夫なのである。ヤマハSRにしても同様である。
 ビューエルも同じだ。まだ落ち着かない。このオートバイを購入しても、そこそこ乗りはするだろうが、放っておく方が大きいように感じる。雑誌では良いよ うに書かれているが、実際はそんな物ではないし、この地方で乗る環境としてはビューエル自体が可哀想な気がするのである。
 何やらまとまりのない日記になったが、これからの時代は、こういった考え方での乗り物選びをする方々も増えるような気がするのである。

2008 年12月15日(月)はれ時々くもり
 は小雨が来る。こ の地方独特の天候で、天気予報は当たらない。一言でも良いのだから、愛媛版の天気予報、しかも松山発の天気予報では、「宇和島地方は」という一言を加えて いただきたい。住吉山に測候所があった時代は、そこへ遠足の前の日などに問い合わせをすると、親切に教えてくれたし、あまり外れることはなかった。
 僕が知っているだけでも、午後3時半に降り始めて、遠足を中止したことに対しての大当たりがあった。保護者はやっていたら... 、という。学校は取りやめした。
 季節柄、児童に風邪をひかせては元も子もないことになるわけだ。この判断は適切であったと思うところだがいかがだろうか。
 夜間徴収は若干思ったところとは違うところへ出向く。ま、古い話ができて少しばかり和む。が、実際には、それは我々年代のことであって、若い人たちに は関係ないかもしれない。が、正しいだろうか。
 僕は間違っていると思う。近くでも自動車で移動する。そういったときに、その親は遠くへ行くときも車を使用する。本来なら地元散策などができる余裕はあ る。なぜ、それをやらないのか。学校でもそうだ。自然の営みなどは、低学年からでは教えない。休み時間にグランドへ出ても、それだけ。こんなのが今の時代 かもしれない。
 我々の時代、小学校で冬に流行ったのは数珠つなぎの馬跳び。失敗すると大変。なにしろ5人ぐらいの馬役を飛び越えて前の人に乗らないと飛んだと同時に振 り落とそうと馬が動く。落ちると馬役になるからね。
 禁止までになった肉弾はおもしろかった。今なら流行るかもしれない。土俵状の円形を描き、いわゆる徳俵を両方へ描く。円の外側はアメーバ状の線で外の陣 地 の範囲を描く。そこを1周し、内部の徳俵間を往復すれば勝ち。円の中の者は外を1周する奴らを、枠外から出せばいい。非常にシンプルだが進行阻止の体当た りでの危険 性があるため禁止になった次第。
 もう一つ、帰りにゲルマンへ寄ってお仲間うちと同席になった。そのときSさんという方がスキーの話をし始めた。まんざらキライではないので、話をしてい ると、マーカーのビンディングなどの話しになって来だして、コイツ何ものだと考えていると、何とスキーのインストラクターではないか。
 小田深山へ来いという。少々言葉を濁したが、まんざら悪い気分でもない。これまた、古いロシニョールのスキーがある。ブーツは新調しなければならないだ ろう。ビンディングの穴も変更しなければならない。その穴埋めは竹か合成樹脂か?。こうなるとSさんとも話がかみ合う。三浦雄一郎氏の父上がシュテムや ボーゲンやって、気持ちよく滑っていたのを思い出した、というと、もう大変。再びストラート オールラウンド195cmのスキーをゲレンデに入れ込むか。
 あ、ゲレンデっていうのか?。オリエンテーリングではテレインという名前に替わったものな。ウー、滑るとなると何年ぶりだろうか。
 夜、遅くなったが、バイギブのJ-160Eにダダリオのエレキ弦を張った。3弦がプレーンなのがたまにきずだが、テンションといい、抜群に良いではない か。思わず深夜近くにギターをかき鳴らした。

2008 年12月19日(金)はれ時々くもり
 日は楽しい忘年会 だったはずだ。が、いきなり未明の知永での火事が影響を及ぼした。幹事役が消防団の隊員で消火活動で出ていた。僕なら4時間程度職免を朝に申し入れるのだ が、その彼は真面目さ故に登庁している。ま、仮眠はとったものの、二次会ではグロッキーであった。
 本日の忘年会の会食は会席料理でよかった。が、グラスによってはビールの泡立ちがおかしいものがある。泡ばかりになるのはグラスに汚れが付いている証拠 だ。
 その店をを離れる際に原因が分かった。本来、こういった大人数を相手にするところの厨房では、グラスや食器の洗い後は直接乾燥のはずだ。グラスとか、透 明感のある食器は乾燥後に磨く。
 が、今回は、濡れた食器を濡れた布巾でぬぐい取る。別におかしくないではないか、とおっしゃるだろうけど、よく考えて欲しい。1枚目より10枚目はどう だろうか。そこで水を絞る。そしたら10枚目と11枚目とでは乾燥後の食器に残る残留物は相当数違うはずだ。乾燥すれば十把一絡げ。それを出されると、透 明グラスなので一様だが、ビールを注ぐと一発で分かる。
 これが、二次会などで嫌々ながら、混雑した客席のためカウンターにはいって、グラスを丹念に洗って理科の実験室の試験器の洗いのようなことをやる僕は、 分かっている経営者のみに通じることであろうか。
 本日の二次会は明日の清掃活動があるためと、少々いい女のホステスがいたので、余韻を残して帰ってきた。
 帰ってNHK総合テレビで、レイズの岩村のことをやってたが、残念なるかな、これは今年のことのみだ。岩村の考え方がチームに通った?。ウソだ。彼の言 動と、それに伴う確信事実が真かどうか。
 ウソとはいわないまでも、僕は今のレイズの監督の包容力の大きさだろうと思う。通常はチーム第一というような考えはないし、映画のメジャーリーグ1のよ うになればと思うのは一瞬に消し去られると思う。
 が、メジャーリーグが日本の多くの球団と野球をやれば、メジャーの行き方の多くは間違ってる。同時に年俸自体が大きすぎる、と思うのは確実だろう。
 ま、岩村を宇和島があまり持ち上げる必要はない。オフの少年野球教室も、不便な宇和島でどうしてやらない。岩村自身は1年のスタートを宇和島東高校のグ ランドで始めるという。
 僕自身、こういったやり方での岩村は大嫌いだ。むしろ、成人式で素晴らしいあいさつをした橋本の方を応援したい気分になってしまう。
 批判とも何とも言えない気分になってしまうのである。

2008 年12月21日()くもり時々雨
 られたね。ウ〜ン 高校駅伝じゃないんだ。これはソコソコやってりゃ結果は出る。が、今はそう長期の考え方は出来ないんだろう。監督の方針どおりに操られている選手諸君を見 ると悲しい。最下位で入った選手はまんざらでもないだろう。京都のコースを走れたんだし、本来は予選漏れのチームだから。
 が、この経験を選手がつかんで、監督以上のことをやる。つまり「チームは我々で」というチームが出来てほしい。それだけだ。僕の時代にはそれができてい たのだから。
 組合にも最近裏切られることを感じている。裏切りではないものの、僕は大損コイテいるようでならない。それほど頼りにされているのはいいが、全てを任さ れると、僕はどうしようもない。こういったところの判断が出来るような組織ではなくなってきた。中庸を行くことこそ、今の不安定な組織には必要なはずなの に、一方的に言葉だけ発して、それに追従できないのはダメと烙印を押される。で、僕はダメなままになってしまう。不思議な世界だ。
 さて、昨日はBORE-ACEのオイルラインを強化した。テスト走行でのことが頭の中から消えないままでいる。極論すると「SR500のはずだが SR500ではない」といった気分である。全く別のオートバイに乗っている、というのは過言でもないような気がした。

2008 年12月27日()はれ
 日は寒かった。昨 日の仕事納めの後、係長以上のクラスと忘年会をやる。信じられない方の歌を聴くなど楽しい反面、制止をかけないとならない人もいることに、少々、上がれな い者の一端を知ってしまった次第。決してバカをいってるのではない。
 さて、本日は後遺症のためか午前7時を過ぎての起床になった。山小のうどんは断念した。パンでのいつもどおりの朝食になった。これまでのヒビと違うの は、職場へ出勤しなくていいところだ。これがうれしいね。
 そこそこ、本年最後の諸々をこなす。これはそのうち。
 まじ「そこそこ」をこなすのだが、これが若いときと今との違いだが、予定を立てていると、それほど嫌な気分でもないのである。この継続性が僕にあるかど うか?。これが最大のポイントだが、明確には分からない。
 本日は年末年始の休暇の始まりではあるものの、僕にとっては土曜日の休暇であり、明日は日曜日、ということだけである。
 夜、K女史からプリンタードライバーの件で診てほしいとの電話が入る。これをこうして、と言うのがたやすいのだが、一般の方にはそれを実際に示す方が遙 かにいい。
 ソフトウェアにもあるが、マニュアル自体読む気がしない。仮にweb上で見つけても、やれ翻訳だ、などといっている間は旧態依然なのかもしれない。

2008 年12月28日()はれ
 い 天気だが、気温が低い。同様に気分の方も晴れ間は見えないベールがかかる1日であった。
 最初に来たのは、バイカーズステーション誌。一方は売り切れか入荷待ちか。片方は1冊。理由は一方の書店では、蔵人の最新刊が入っているが、バイカーズ ステーション誌は入っていない。が、一方の書店ではその逆の世界になっているんだ。その書店どうしの間は2kmを超えるのである。ウソではないんだ。こ と、バイカーズステーション誌はキャブレターの特集ときている。この1冊をゲットしないと1週間は必要だ。
 ま、こんなことを総合して事なきを得た。
 次が少々頭に来ることだ。僕一人で、先日いけなかった飲み屋へ行ったが、ここに居た客がひどい。僕の知っている者を出したので、その方は退職した、と返 答。ギターの話、車の話になって、誉めるところは誉めて、いや、違う面もありますよ、それを知ってくださいよ、やんわり言うと「公務員はいい、民間 は... 」と吐いて捨てるように言う。まるで僕が悪者のように。ギターが7本あった... ?
 それを売ればいいではないか。土台、この店に飲みに来ていることこそおかしいんじゃないか。「民間は大変だ、公務員は... 」という、心の下が、コイツは分かっちゃいネー。絡まれるのはゴメンとばかり辞したが、公務員の多くの方々はいくら給料が多くても、税金など引かれれば、 最高でも30万円台なんだ。そういったところを知ってほしい。
 今日でも、僕が民間なら、思いっきりケンカを売ってやる。殴られても笑っておく。翌日そいつの職場へ出向いて、「これをどうしてくれる」など、いとも容 易いことだ、と感じた。
 もっとやるなら、コイツのことは書類一つにしても何もやってやらない、いとも簡単にそれぐらいのことはできる。ましてや、会社なら、コイツの命と引き替 えに徹底的にやってやる。僕の生活を犠牲にしてまで... 。大きく出たが、やりはしない。
 ちと、言いすぎたかもしれない。あらゆるところでいろいろ公務員のことを悪く言わ れている。ほんとうにそうだろうか?。
 「ア ンタが受けるサービスが止まるとどうなるか?」考えたことありますか?。バスに無料で乗れるパスはあります。「本当にあなたですか?」「印 鑑が違いますね。ほんとうにあたなですか?」どうもオカシイので、確固たる身分証明を出来る... 。バカげているかもしれない。
 これらはホンの些細なことだ。それ以上に縦割りの世界の中で、僕を含めた公務員は 必死に生きている。仕事をしなくても給料が入る、と言わしめる公務員は裕福な自治体の公務員だ僕 もこれは認めるし、僕をしてもそういった自治体があることを一部うらやましいとも思う。
 今の状況からすると、隣の課の仕事の内容は一部知っているが、市民から質問があっても、それを自分からは答えられない。こういった仕組み の世界の中で生 きている公務員を十把一絡げに「イイゴミブン」というアンタに対して僕は「アンタ」が間違っている、 と言いたい。これだけは強く申しておき たいし、公務員は決して楽ではない。はっきり言うと、大半の公務員は「自治体労 働者」である。

2008 年12月31日(水)くもり時々はれ後 一時みぞれ

 って、こんな天気の ような1年だったような気がする。ン、今日の天候って本当のことだよ。特にミゾレは僕ん家の近所は路面が濡れてないのに、丸穂温泉へ行くに従って、路面が 濡れている。エッ、宇和島ってそんなに広いの?。
 今の宇和島市は相当広くなっているが、以前も記したように、旧宇和島は20分も歩けば片方は1000m級の山への登り口、片方は海へ続く。こういった地 形のところでは、数百メーターの距離で大きな違いが出るものである。不思議だが本当だ。フト、秋口から僕を悩ませた「にわか雨」のことを思い出させた。も う、あのような風邪はゴメンだ。
 さ、本日はお墓参りと先祖へのお正月の準備。シキビは酒道場のマスターが刈り取ってきてもらったもの。自然のままに、そのまま生けた。お飾り餅は100 均ショップのもの。果物は頂き物のリンゴ、しかし、うれしかったのは今回久々に見つけた佐久間のドロップをゲットした。
 その後、www/Gridの文章修正。これは夜まで続く。昨日、次のことがあって年賀状は2日にまわして、文章を少々作っていた。何やら、昔に戻ったよ うな、そんな気分での年末であった。もし、たられば、はないが、昨日は灯油ボイラーの電源が入らないことで右往左往したことがなければだが... 。
 一昨日、灯油のボイラーに電源が入らなくなった。そのため、昨日ダイデンさんに来てもらって、僕がありったけの電気のことを喋りつつ診てもらったわけ だ。トランスに電気が来ていない、とオーソリティー。僕が温度フューズ?。いや、違う、とマスター。それから、電源が入っているのにアチコチ触りまくる。 僕には片方がグランドの直流回路でないと触れない。実のところコントロール基盤は3回交換している。
 やおらマスター、ボイラーの電磁ポンプへ。ラインを少し触るとブーン、カツ、ボ〜っと燃えだした。
 マスター曰く、そろそろですね、と。そうだ、もう30年にもなるんだもの。もう寿命だ。ソーラーにしても、関連ボイラーにしても三洋は出していないもの ね。
 ま、こんなことが昨日在ったものだから、今日、再び... となると... 。幸いにもことは起きなかったので助かった。次におかしくなれば交換だろうね。
 忘れ物がないよう、小富士さんとこへいってフィルムを購入。ほぼ1日の仕事を終えた。
 昨年の年末とは少々違う。言いたくはないが、最大のことはゼニを遣わなくてもいい状態になった、ってことだろうか。決して我慢はしていないのだ。ただ言 えるのは、こういった時代、「何をどうする」のうち、早期に手を着ける物は直ちに。それ以外はじっくり待つ、ということに目が向いたことであろう。
 来年のことを言うと鬼が笑うというが、1月2日、1日に突如壊れたテレビを購入した後、大変な思いをして帰宅したことから始まったんだよね、今年は。
 大きな変化をしている世の中だが、僕自身は結構のんびりと来年をやることに徹して、本年最後の日記を終わることとしたい。
 皆様方の無事の越年をお祈りして... 。



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