2009. 10.  1〜 2009. 12. 31

2009 年10月1日(木)くもり後時々はれ
 っきり言って記載 できないほど29日の作業に参ってしまっている。長くなるがそのことから記載してみると、9月29日、古いボイラーの撤去から始まった。これが何とも難 儀。そういえば35年前は、ソーラーシステムと同時進行であったため、クレーンを使用して2階のベランダに上げたのだった。
 今回は幸いにも鉄板の腐食から、ケーシングと本体が外れて幸いしたが、本体の重いこと重いこと。60kg程あったのではないだろうか。もし、階段幅と フィットしていなければ、この時点でダメになっていたところだ。
 が、一難去ってまた一難。今度は配管のサイズ違いからのアダプターの手配。これに結構時間を食らう。その後、決定的な問題が発生。僕の考えミスもある が、ボイラーが作動しないのである。原因はボイラー内を通過する水の圧力不足であった。
 せっかくお風呂に入れるはずだったし、妻を喜ばしたかったのだが、「勝手に要らんことをして... 」と叱られる始末。結局、加圧ポンプをソーラーとの間に設置することとなった。
 これら一連の作業の手伝いの疲れが後遺症のごとく僕を襲う。昨日は10月1日付の人事異動の内示で一人職員が増えることと、月末の夜間徴収も手伝っ て、何も出来ずにバタンキュー。
 で、本日ようやく正常になったような気がする。月初めの夜間徴収が終わって、酒道場で一服した後、「ソーラーのタンク内に水が溜まればボイラーは作動 するのではないか」と考えてやった。イッタ〜!。
 が、温度は下がるばかりなり。おまけに水量が落ちる。となると加圧ポンプが必要不可欠だ。しかしながら、温度がそれ以上上がらない。つまり、出続けるお 湯はソーラーからのモノである。残念だが致し方あるまい。
 ま、ものはやってみる価値がある。ソーラーの温度のお湯のみで2日目に風呂を使う。気持ちよかった。

2009 年10月2日(金)くもり一時雨
 のスーパートラッ プを改造したいただいたシムズクラフトさんのブログに、新しいSR400が東京モーターショーで発表されるとの報に触れた。うれしいや ら何やら。もっとも、僕のは500ccなので気にはならないが、もし、このままでデヴューとなると、ヤマハの関係者はよくぞこのモデルを捨てなかった、と 讃えたい。
 ビートルズのリマスターCDも何とかせねばならないが、いかんせん、先立つものがない。それにしても、レコードコレクターズ誌などを見ても、このリマス ターCDに割いている紙面が少ない。ということは造られたものということなのだろうか。
 今日の雨には泣かされた。とにかく一気に多くの雨が来る。職場は昨日入らなかった冷房が再び入って涼しくはなったが、外との温湿度差に閉口する。雨合 羽を着て一度外へ出たが、帰ると同時に、雨合羽の中はサウナ状態であった。少しばかり風邪をひく者が出るのではないか、と考える。
 思わず忘れていたが、10月というホールオータムでありながら。異常気象だろうか。
 そういった中、灯油ボイラーの最終段階になった。加圧ポンプが設置される。昨日稚拙な実験結果を掲載したが、今度は本物の温度設定によるお湯が使えるこ とになる。うれしい限り。
 この雨の中でも作業するのかな?と思っていたら、午後2時過ぎからの作業で4時半ごろ終了した。当初、妻をびっくりさせてやろうと思ったが、本体設置の と きは休暇、本日も早出勤務で家にいたし、作業をやった電機屋(ダイデン)さんが、使用法をスベカラク妻へ説明したらしい。何ともはや。
 僕にとっては丸穂温泉の方がいいが、今日のような天候のときなどは家庭の風呂がいい。ま、これで当分の間は灯油の持ち運びだけ苦労すればいいことにな る。それまで僕の体力が持つかどうか。退職時には燃料のポンプアップをするようにしたい。
 というところで、この雨の中早々に帰れるかと思ったら、全労済の打ち合わせが急に入って、これまた大変。雷は鳴るし雨は降るしで、自転車を置いて帰っ てきた。
 打合せから帰って少しだけ考えさせられる事項があった。それは「八ツ場ダム」の建設中止の件だ。前原大臣が明言したとおりで推移する。これは間違いがな い。そこへ だ、その地元へ谷垣君が入って「ハイハイハイ」とあいさつしながら何か得るものを言いたかったのだろうが、それがダメだった様子。当たり前田のクラッカー (古〜)。政府への反論が出来なかったようだ。
 考えてもみろ、そういった美味しい面だけ言ってきただけの自民党だから、いざ現実にたっての考え方など持っているはずがない。これほど自民党は当主から バカばかりになってしまっているようだ。
 この八ツ場ダムの建設中止計画を日本的なグローバルな位置で意見を聞くとイイ。多くの国民は工事なんて辞めた方が良い、と言うのは分かりきっているん だ。
 と、宇和島で働き口がない?。このことをよく聞くのを思い出す。
 大きい業者もないので当たり前だ、ともいえる。なおかつ、この地で働くとなると、少しでも良いところを目指し、難関をかいくぐって、あらゆる手段を講じ て就職への道を探し出す。それに対しては大人も動かされるが、本人自体が何もしないで就職など、宇和島で働いて欲しくないリクルーターだ。
 数年外へ出て、フト帰ってきたとき、田舎がイイ、と判断できたら宇和島市民になったらいい。

2009 年10月4日()はれ
 前中、四国西南地 域陸上競技会を見に行く。審判員もずいぶんと慣れた様子。嬉しい限りだ。僕がこの仕事に携わっていたときは100人ほどの審判員が必要だった。今ではその 1/2未満ではないだろうか。
 参加者は一定の「陸上競技」は知っているようだが、自分が選手で、この競技会に出ている、と言う意識が希薄なように思う。こと個人競技だから、選手個人 個人の意識の持ちようが一定していないようだな。大会前に、このトラックでやってみるこった。これまでは城南中学校の公認グランドで200mトラックだっ たが、今はオールウェザーの400mトラックだ。距離の感覚などまるで違う世界なんだからね。
 持っていったカメラのF2の離出計が少しばかりオカシイ動きをしているようだ。そろそろ露出計のバッテリーを交換しなきゃならないかな。
 帰ってから、鈴鹿サーキットでのF-1 GPを見る。惜しかったなートヨタ。ま、最近は自動車レースではなく、人間味が薄れたマシンというキカイで闘っているようでならない。人間不在でね。
 昨日、動画サイトのYou tubeでおもしろいものを見つけてダウンロードした。The Beatlesのカバーバンドで1964 Tributeというバンドだが、なかなかおもしろくって、全てをダウンロードした。
 何かに手をつけなければならないが、もう少し生活のパーターンを何とかしなければ... 。

2009 年10月5日(月)くもり後雨
 とか午前中にでも 新人さんをレクチャーしたい、と思ってたら、いきなりトップから「会議」が来たよ。ヨシトクレ。通常より5か月も遅れているのだし、初めての方を頭でレク チャーしてもムダなんだ。僕自身、そういったことは一切受けていない。
 それよりも今はむしろ自主的に職員間で教えるなどが無くなっている。そりゃそうだ、班分けやったんだから、片方の班のことは僕の双肩にかかっている。こ ういった重荷を背負うと僕自身の業務が出来ない。トップ2がイイ資料をつくってくれていたけど、実際は数値ばかりではないんだ。もう一人の係長が少しキツ イ質問として、景気の動向、今の仕事量などをやったが、意に解せずのトップであった。
 午後、担当地区を紹介する。この中の一人一人を訪問したりするんだ。大変な業務である。時には甘いことを言ったり、時には厳しいことを言ったり。そう やって訪問徴収をやったり、訪問調査、話し合いをしたりしているのだ。それらを単に臨戸(臨時戸別訪問)で片付けることが妥当かどうか、僕には明確なもの は見定めることができない。
 ま、僕がカリカリしても墓穴を掘るだけ。この場は冷静に処理して終わった。午後は午前の予定が一気に流れ込む。結局一か所のみ徴収ができたところだ。
 夕刻、急に涼しくなって、万一のためにお燗を飲んだ。不思議なものである。汗が少し出て身体がずいぶんと楽になる。不思議なものだ。楽しむのは結構だけ ど、今ひとつ、身体は想像以上に冷えている。あるいは熱くなっているのではないだろうか。
 何ともおかしな天候に災いされる時代になった。数日後、台風が接近しないことを願う。

2009 年10月10日()はれ
 から45年前、東 京オリンピックの開会式の日であった。あの時の2週間。日本中がオリンピック一色であった。僕はしばらくは隣のテレビで、残りの数日間はソニーのトランジ スタ(一部真空管)の9インチモノクロテレビで観戦した。
 その後、市川崑の東京オリンピックの映画で、実際は凄まじいものであったことがモロわかった。あの時、今の技術で記録が出来ていたら... 。
 不思議なことだけど、市川崑の映画、あるいは、あの時の映像をデジタル処理すれば凄まじい感動を得られるのではないか、と僕は思うのだが、ことがあまり に古すぎるか?。
 とはいえ、今回の東京オリンピックが没になったのは僕としては良いことだと思う。冬季オリンピックを長野でやったように、夏のオリンピックも日本が名乗 りを上げるのなら、東京以外の土地でやるべきだ。それほど財力のある自治体が今はない、というのもしかりだけど。
 昨日の歓迎会は最高であった。今日はその余韻はないが、久しぶりに目が覚めるまで寝ていた。おかしな表現かもしれないが、昨夜午後10時45分頃に寝 て、起きたのが今朝の6時前。何ともはや、と思うのだが、実は普通なんだ。
 この普通が最近どうも出来ない。無意識の中で、午前4時近くで目が覚めたりしてしまう。前日の仕事のことなどや何かに脳ミソから神経を通じて刺激してい るのであろうと思うのである。
 ここんとこ、毎朝お城山一周の散歩に出ている。妙にオカシイと思ったら、はや一週間。疲れの方がピークに近づいているのかもしれない。以前、陸上のト レーニングしていたときは、いとも簡単に原因が分かって、その対処の方法も出来ていたが、この歳でナマッタ身体には何がどうなっているのかさっぱり分から ない次第だ。
 といって、久々の晴天。気候も良くなっている。SR500のブレーキシューを交換する。これがなかなか上手く行かない。もう一人サブが居てくれれば、と はいえ、前後輪2時間程度で終わった。
 もちろん、僕が必要と考える周辺の修正も加えている。整備に出しても、こういった作業をするディーラーが少なくなってしまった。修理は修理。ここも気に なるな、と思ってはいるが、ぜににならないことは手を出さない。これが普通だろうね。

2009 年10月11日()はれ
 日の松山空港での 小型機の事故。真相を聞いてアゼンとしたね。ギア(車輪)が出ていなかった、ではなく、出していなかった。そのための不時着というわけだ。
 僕は映画のメンフィスベルで、何とか生還しようと必至にB-17のメインギアを手動で動かすシーンを見たが、今回の小型機(ガソリンエンジン)が摩擦熱 で火が出ることになると、前代未聞の大事件となっていたところだ。言い換えると、それだけ事故に対して松山空港は甘い体制なんだな、と思わざるを得ない。
 今日はSR500にノーマルマフラーを装着して走行テストをやってみた。結果は如何?。
 はっきり言ってダメです。操縦性能が全く悪くなる。何とも曲がらないのだ。改造スパトラの時と同じ調子でやると、ドンドンと切れ込んでくる。ことに右側 は、SRの特性として右に入って非常に怖い思いをした。もし、初期と同様に19インチのフロントホイールであれば、昔どおり「エイ、ヤッ!」とやれるのだ が、バックステップに短いハンドルではどうしようもない。
 帰って、再びSST-1付きの改造スパトラに戻した。もちろん、テストコースを走りました。結果は「イイ」です。ようやく、ここまで自分ながらに纏め上 げることが出来た、と自画自賛である。
 低い圧縮比のショートストロークエンジンに対して、「シングル500は男のロマン」などは当てはまらない。これはM.W.Iさんがいつも記載していると おり、2J2(3)や3X4などの初期のSR500のように、SR500は本来は大きく広いアップハンドルで、堂々と乗るのがその在り方であろうと思う。
 残念ながら、僕の初期のSR500に対してのイメージがあまりにも良くないもので手が出せないままでいるが、今の1JNのSR500はしばらくこのまま になるのであろうと思う。
 こういった、バカみたいなことをやっているが、よーっく考えると、ここ最近はこういったバカなことというか、自分の楽しみなど一切出来ていないではない か、ということに気付く。9月から10月初旬までは一体何だったのだろう?。ボイラーの取り替えを除いても、何がどうなっていたのか解らない。こと、選挙 のこともあるが、それ以上に妙に緊張していたり、先走って考えをまとめてみたりを盛んにやっていたようだ。
 もっとも、9日(金曜日)の一件を本来ならここで記載をして、愛読者の方々の賛同を得るに違いない、と思える内容であったが、タクシーが2台行ったのは 確認しているが、会が散会して後のリサーチをしていないので不記載にした。お許しアレ(爆)。
 しかし、彼も彼だ。自分が酔わないようにして二次会へ誘うなんざ愚の骨頂だ。本来二次会なんざイキオイで行くものだろうが!?。
 自分を適当に酔いのコントロールしているにもかかわらず、我々のグループで話で盛り上がっているところへ来るな!。やれ、その酒は何だ、オレも一杯な ど、甘い酒はかえって酔いまっせ!。
 それでは、お先に... 、となっていれば。オッ、いつもどおり。その後は「万歳三唱」が連続して起きるはずだ。2時間制限の席でも、ここからは別料金でいいか?の声も上がるハ ズ。
 ま、金曜日の歓迎会はこんな状況であった、と一応報告しておきます。
 明日も休み。久しぶりにノンビリ自分のことをやってます。

2009 年10月12日(月)はれ
 は寝起きが悪い。 久しぶりに昨夜は夜更かしした。ここんとこ、夜の11時前になると、あっという間に眠ってしまうということになってしまっていた。
 ほぼ1週間前になろうか、お城山1周のウォーキングで、結構快調になってきた。それ以来、夜更かしとまではいかないが0時前に寝るようになった。
 が、昨夜はそれを少々オーバーしてしまった。単純に起きてるだけというのではなく、この連休中のSR500の確認から、僕自身がそろそろ動こうとしてい るのが感じられて、それを頭の中で考えていたわけだ。
 午前10時からテレビで見た皇室の状況で、天皇が自ら皇后とお付きを乗せた(ご自身の)ホンダの自動車を運転し、テニスコートでテニスをされるのを見 た。いいね。思わず飛び上がったよ。
 ハゼの研究でも、かなりのところを突いていらっしゃることなどを見ると、嬉しくなってくる。
 皇后様への配慮など、今の僕には出来ないが、高齢とはいえ、なかなか良いな、と思う。まさしく国民の象徴(+1かな)としては十分ではないだろうか。
 その後の、東京大学の応援団の番組は、僕自身涙が出てきた。決して右寄りではない。こうやって大学の4年間を生活する。弱ミソ野球部であっても試合での 賢明な応援をし続ける。こういったようなところが今の世の中にはない。
 僕がたまに軍事教練をヤレというのは、今の人たちはこういった世界を死ぬまでに味わえない=社会でのつき合いが出来ない、ということになる。それを回避 しなければ世界では生きていけないのではないか。僕はここを危惧するのである。
 今日も、コミック本2冊で右往左往であったが、それでもチャッカリとバイカーズステーション誌などを見て、「僕と同じことやってる」と思ったりもした。 現実に僕のトライアンフをそろそろ動かそう、という気分をまとめようとしている。以前だとソコソコのことを羅列して、ゼニがないとか、どうせダメだろうけ ど、などとつまらない考えを巡らしていた。
 現実に、この4月から職場のことなども頭に来ることばかりの連続であった。多少はこの日記に記載したが、事実だ。ウソのように思われるかもしれないが、 先般関係者の一人がトップに対して「アンタのように煽り立てるばかりではダメだ」とはっきり言ったもの。
 それに対しては、いつものように自分の正当性を述べるだけ。この一件から、やはり僕流のやり方でないと課員は着いて来れない。すなわち、トップの言うよ うに近づけることは出来るが、それを超えるようなことは出来ない。その間を上手く泳げばいい、ということに気付いた。トップが職務怠慢といえば、その返答 をこっちが持っていればいい、ということが遅ればせながら解った次第。
 明日からしばらくは夜の会議が続く。今までだったら「嫌な気分」が支配していたが、選挙も終わったし、気分の持ちようが変わった(解った)からもう大丈 夫。この日記にも今までのように仕事のことを記載できないようにも思う。
 さて、僕自身の仕事での参考の一つ、「窓辺太郎の事件簿」を見てオヤスミとしたい。

2009 年10月18日()はれ時々くもり
 となく昨日の疲れ が... 。とりもなおさず、先週の疲れが... 。こうやって、どんどんと疲れが溜まってしまう。現実として、3つぐらいを同時進行している。
 新人さん相手にコマゴマ言ったところで、今は年度途中だから当初のように何たらかんたら言えるものではない。おまけに僕が5か月掛けて前任から受け継い でやって、ようやく慣れたところだから、後釜が経験者なら大いに助かるのだが、初心者に対しては難しいものがあるわけだ。
 本当に今は金曜日の仕事帰りにホッとする。未だかつてこういったことはなかった。仕事の合間に何とか出来ていたものも出来ない始末。もちろん、期限付き の仕事なども手が着けられないままになってしまっている。それが金曜日までのことだ。
 昨日はなかなかいい休日であった。色んなことをした。ブログに記載しているとおりだ。今日はSR500のエキパイのエクステンションをシムズクラフトへ 送るつもりだったが、一つの葬儀のために出来なくなった。
 その方は僕が高校時代からの自転車の先輩である。サイクリングブームの少し前、昭和40年代の中頃、宇和島サイクリングクラブ時代からのサイクリングの パイオニアでいらっした。
 訃報は今日の新聞紙上であった。まさかと思ったが、喪主のお名前を見て間違いないことを知る。鉄道のイヴェントの後お寺へ。サイクリング関係の方が多数 参列されている、と思ったが、僕を入れてわずかに3人しか来ていなかった。アー、こんなものかな、とも感じたが、時代が時代だから致し方ない、とすべきか もしれない。
 わずか40分の葬儀ではあったが、その後は妙に何もしたくなくなってしまった。ほんの少しのことなんだけど、悲しいことが入ると次へは繋がらないもの だ、と思った。
 明日からまた仕事。再びノルまではないノルマを淡々とこなす毎日になる。マジ、数種の仕事外の仕事から解放されたい。今の僕には何もかもをこなすのはこ れまでのようには出来なくなった。歳とかそんなのではなく。
 今の職場の構成人員数からすると、一人の持ち分があまりに多すぎる。そのうち、幾人かが精神状態がおかしくなって長期療養となるのであろうな。市長の考 えるように時代は進まない。ましてや、現政権下ではね〜。

2009 年10月19日(月)はれ時々くもり
 治で固定資産税の 課税ミスが出た。うれしかったよ。特にニュースでの「職員が気付き... 」という下りがね。ウチの市長なら、この責任は取らないだろうね。何しろ、「オレに関係ない領収書にどうして市長印を押すんだ?」といい、「これは直接の課 長員で良いのではないか」、と言う始末だから、とても宇和島市の公金に対しての責任は取れないな〜って思う。
 今治の場合は、旧町・旧村の失態が出てきただけのことだ。宇和島市では、合併時におかしなものは大半整備したところだ。もっとも、合併以後の方が合併し た 当時より多忙であったことは言うまでもないが。このことでの、おかしいな、といった状況は、ウチと同様に旧今治市民には関係ないのではないか、と僕には感 じられた。でも合併してから出たことだから今は今、致し方ない。
 本日は1日中会議。好きにしてくれ。トップに対しては批判が久しぶりに出た。タマタマ徴収用務で離籍していたとき、0.5メガトンクラスの核爆発はあっ たようだ。
 その後のトップ2と我々との会議のいきさつをマジで報告したものだから、これがいけなかった。でも、正攻法でもある。その場にいた数人の者は トップのカンガエ方が十二分に解ったはずだ。
 僕は会議の冒頭でやられたから、静かにしていた。本日の会議の内容である、県のご意向というか方針に沿った行動方法。それとは相反して当市ではもっとイ イものがあるにもかかわらず、 県の言い分に沿ってその上に独自のものを... 、という。
 そこまでは良かったが、会議の持ち方を無視するように、以後はトップの独壇場ではないか。トップ2が主になって話をすることになっていたのだろう?。横 やりがそのまま正論にされてしま う。恐ろしいことだ。こんなのがあるから、僕は僕の方針どおりに仕事をする。命令無視とされても結構なことだ。最悪は療養休暇でも取るよ。それで仕事が回 るのなら、僕などいなくてもいいのだからね。後の会議で久しぶりにイイ意見は出るが、それをそのまま報告してしまうことはなかったのだ。
 こんな状態で、ヤレ係長判断だとか何とかいったところで、僕がどうのこうの出来ない。もしやれば、部下への労働強化になりかねない。その辺の所を結んだ り解いたりしてより良い方向へ持っていくのが僕の役目だ。ということは、トップの言うようには絶対にならないし、出来ないことだ。ここに早く気付けばいい のだが... 。次なる命令を練っているのか もし れないね。
 とにかく、0.1〜3%程度徴収率がアップすればいいのだ。彼の策が裏付けられたことになる。0.1%の違いで順位が大きく逆転するとき がある不思議な世界だ。
 アップしても「みんな、どうもありがとう」などという言葉は出ないであろう。「当たり前のことがようやく出来だした」と表することが続くであろう。
 こんなのを知ると、少しばかり... 。

2009 年10月20日(火)はれ時々くもり
 、夜の今治の ニュースを聞いて愕然とした。こんなのありか?。ウチは今治より小さいし身動きが軽いのかもしれない。
 しかし、「関係者を処分する」という方向からすると、当時の課税部門に居た者は処分されるのだろうか。もし、そうだとしたら、発覚した発端にあった職員 はどうなるのだろうか。深く考えると僕の考えは逸脱しているかもしれないが、これまでのニュースからすると、旧町・村のことであって、旧今治市には関係が ないことになる。で、合併したから致し方ない、と僕は考えてたんだ。
 が、これが関係者への処分となると、僕はヤリキレナイ。一般市民の方は「ヤレヤレ」というかもしれない。が、法律で縛られた職務を全うするのなら、課税 ミスなどもっと出るはずだ。それらは関係なく、課税ミスに関わった職員を処分する、というのは何か解せないものが残ってしまう。これはおかしいことだ。 ま、今治市がどういった結論を出すのか?。
 アソコの職員組合は「自治労連」が大半を占める。これで処分のことが緩やかにならないと、組合は何もしなかった、ということになるのだけど。自治労の我 々ならすぐにでもやるけどな。
 そうそう、郵政の関係からしても何かオカシイ。西川君が辞任したところで、後釜が誰なのかは一切出されていない。西川君も割り切らなければ単にジジイで しかなくなるのだ。
 今、午後3時までに市内宛の手紙を出すとその日のウチに着くんだね。「なかなかイイね」という輩が非常に多くなった。これって、職員からするとメチャメ チャヒドイ労働強化ではないのか。僕は辞めるに辞められない配達員の職員のこと思うと冗談半分でも「真っ向勝負」などと言う標語を掲げる郵政トップのバカ さ加減を問いたいよ。間もなく郵政も郵便事業部門はポシャるのではないか、と考えたりもした。
 ま、とにもかくにも生活するのには困難が常に帯同する世の中になったと言うことであろう。


2009 年10月21日(水)はれ時々くもり
 やはや、城北中学 校の租税教室。生徒の状況など見ているとずいぶんと楽しいものがある。マジ、こいつらが大人の世界を構築するのか、と思うと少しばかり情けなくなってく る。この気分は抜けない。
 前回よりほぼ2年目の城北中学校であったが、かつてのワルガキは姿を消しているようだ。が、大半は善良な生徒諸氏だから、僕は僕流にこなすだけである。 こんな状態で租税教室は無事に終わった。
 しかし、ドット疲れが出てくる。フシギな世界だが、城北中学校での講師期間はわずか50分にもかかわらず、その疲れ方は並大抵のものではないようだ。精 神的な物を含め、知らないままの筋肉などの疲れが出てくるのと同じであろう、と感じ取った次第。
 そうそう、また一人大きな女優が他界した。「南田洋子」さん。最後は哀れだったかな、と思う。が、夫婦の中は長戸裕之さんの言葉が全てあろうと思う。僕 のYさんが亡くなると僕はそう言えるだろうか、少しばかり疑問が生じてしまう。もっともその逆もありだろうけど、僕の方からどうのこの言えない。
 僕がいつも忘れられないのは、もう相当前になるが、長戸裕之さんが離婚の記者会見に臨んだときであった。僕自身、あ〜あ、本当になくなってしまったの か?というのがいつわらざるところであった。ところが、これが長戸さんの演技。客席に座っていた南田さんが「あなた、もういいわよ」と笑いながら声をかけ たので、何だジョークか?、と、マジ、だまされた。
 でも、今回は事実だ。俳優界もドンドンと昔のスターが他界する。自然の生業とは言え、どことなくジェネレーションギャップがありすぎるな〜、と真剣に感 じたところでもあった。

2009 年10月25日()くもり後雨
 曜日からの流れは 昨土曜日に終わった。それゆえ本日はノンビリ。文章関係も何とも難しいようになってきた。そのため、タイピングも最近ははかどらない。
 Windows7もリリースになったが、これを動かすキカイがそもそも新しいものでないとOSの持つパフォーマンスは発揮できない。この言い分はおかし いところがあるのは事実だ。しかし、マイクロソフト陣営は、これをずいぶんの期間否定し続けてきた。それゆえ、XPがリリースされて以来、98などのサ ポートを切ってしまった。僕は当然と思っているが、マイクロソフトにとっては苦渋の選択であったろうと思う。
 同じくヴィスタもダメの重いOSであった。世代云々でやっている(7は95から7代目)らしいが、その間の小変更もそのままにしているところが妙な企業 でもある。要はスパッとしたところに欠けるのではないだろうか。Mac用のofficeにしても新しいものほど違和感が伴う。開発者が物知りであるならあ るだけ、一般には受け入れがたいものになってしまう。ふしぎなことだけど、本当のことだろう。
 話は戻るが、業務はXPでも、僕の端末の状況は2000のスタイルで使っている。XPオリジナルの少しキツイ画面は僕を受け入れないからだけどね。
 その点、Mac OS Xの場合は、チップがPowerPCのG5まではOS 10.5までに限定された。intelチップからは、一部限定はあるも、10.6が使用できる。G5より下のランクでは、10.4が最終である。OS Xの基本はほとんど変わらないから、この点はイイものと思うし、旧OSの9.2までの使用感覚とほとんど違和感がないのは白眉ではないだろうか。組合の eMacは10.4で動いているが、書記が操作するに際しては、9.2と比較しても数日で慣れてしまった。ファイルについて知りたがっていると、古いパー ティションにあるよ、と言うと、すぐに探せる。
 僕もそうだが、OS Xにして、Pismoでもそうだが、Pismoに無理矢理10.5をインストールしタコとを別にして、ここ数年クラッシュしたことなど無い。特筆ものだ。
 そういえば、土曜日の朝、NHKテレビでの経済番組で、コメンテーターの女性ジャーナリストが私はMacユーザーですから、と応えると質問のしようが無 かった。しかも複数台使用していらっしゃるのだから少々驚きであった。
 ま、こんなことが書けるのもMacで「漢字トーク」の時代から使用し続けているからかもしれない。否、WindowsがMS-DOSに新しいカバーをか けた方法から始まったからかもしれない。そこがWindowsの最大の欠点であろうかな。
 久しぶりにコンピューターのことを記載した。

2009 年10月27日(火)はれ後くもり
 干の天気の変化は あるものの未だに寒いという感じはしない。ふしぎな季節だ。秋であって秋ではない。冬などいつ来るのだろうか。
 朝、職場の前のローソンで思いがけない光景を見た。若いネーちゃんの黒のワゴンRが自転車置き場を占領。しかもゴテイネイにフロントを前に向けて止めや がった。ちょうど僕の自転車を止めようとしているのに平気の平左。「お前ぶん殴ってやろうか」。
 ナンバープレートがイカシテイルよ。「・・・1」と来ているからね。
 コイツ愛媛ナントカの職員じゃないか?
 ホンの予想だけど、業務自体も解るような気がするし、その職場の状況もちょいと不安になってくるものだ。何となく嫌な幕開け。1日の状況を予測している ようにも思った。
 こんなことがあったので、朝のスピーチで「下下下下下下」を言ってやった。朝っぱらから下ネタと思ったがね。これがある多賀神社にも観光客の訪れが少な くなってしまった。
 仕事は久しぶりに文章書きの1日であった。よく書いた。というものの、全てはキーボードを叩き続けていた次第。アー、これが慣れたメカニカルなもので あったら... 。未だに富士通のぼろいの使っている始末だ。DOSの世界に多いポコポコタイプのキーボードだ。いくらストロークがソフトで押す力の少しで作動するのは 解っていても、そうはいかない。興が乗るといつもの叩くキータイピングになっているのだから。
 さて、不思議な電話を受けた。別段記載するほどでもないが、こういった御仁も市内にはいらっしゃるのだな〜、と思いつつ、宇和島も広くなったものだ、と も思ったところだ。
 ことは次のとおりだ。電話に出ると固定資産税の催告書のことらしい。「赤いオドシのような紙を送るな」と言い、「この程度の金額でつべこべ言うことはな い。収める期限は十分あるだろうが」と。
 すかさず僕は、固定資産税は4期で収めるようになっていますから... 、と言い返しつつ、ハハーン、この人は最終期限である来年の5月末の出納閉鎖までは期間が十分ある、と言うわけだ。知識はあるのだろうが都合の良い解釈 だ。
 とはいえ、モンクを言いたいにもアホくさくて気乗りがしない。結局、悪口を散々言いやがった後、自分は名乗らず僕の名前を言わせる。「市長がバカだか ら... 」、と言いつつ「アンタに言ったところでどうにもならんが、アンタには言っておいたぞ」で結んだ。
 くだらない損な役だ。確かに聞き覚えのある声であった。旧ブラザーマークの自治体の方ではなかったかとも感じるが、違うかもしれない。
 こういった自分本位の考えで暮らすのもいいのかもしれない。でも、人生自体はどうだろうかな。僕は願い下げだけどね。
 ブログの方はハンドスプリングのvisorを2日間アップしている。今回の宇和島本舗2周年の焼き肉は参加できない。日程の調整ができない。最近食餌関 連での間、というものに着目している。食べる速度も調子が良いとツイツイ速くなる。危険です。おかしいようだけど、消化に良くない。
 今の仕事って何だろう。そろそろ退職のことを考えた方が良さそうだね。明日は、けっこう良いことがある。たまには楽しまなきゃ損ばかりだ。

2009 年10月30日(金)はれ後くもり一時 雨
 日は天気良いよ。 ホンの些細な事でも嬉しい限り。このように記載するのも、実は昨日の一宮様(宇和津彦神社)のお祭りの日に起こったことからだ。強いて言うならその前日の 28日まで及ぶ。28日、トップ2はこの日休暇を取っていた。
 ま、ことのいきさつは次のとおりだ。
 トップが30日の会議で行うロールプレイングの抽出と組合せを今日中にやってくれ、と僕の元へ言ってきた。「よろしゅうございます」、と応えたよ。大半 提出がありましたよ。支所からもね。一部出ていないところもあるが、概ね29日の午前中に出せるのが大半だった。

 が、一夜明けた29日の朝、「あれはどうなった」というトップの声に対して、【まだ出ていないところがあります】と僕。ホンの数分後。「誰が出していな いんだ。名前を出せ」というので、拒みつつ出したよ。この時、トップからトップ2へコトの一件は伝わってなくて、この発言の後に伝わったようだ。

 考えてもみろ、支所へはメールで通知できるし、29日の午前中で十分間に合うんだ。予想では組み分けしたロールプレイング6組12行程のうち半分出来れ ばヨシ、とできる会議の時間配分に思えたからだ。僕のイライラが始まりだした。
 三間支所などコスモス祭での準備もあるから、それに従事している者はメールにPDF添付で送信してもも、返信は28日の午後5時ギリギリでしか提出でき ないのだ。トップの頭にはそんなのは一切頭無い。
 いつもトップ2が準備しているに、それを無視して自分の描いた会議のシナリオどおりに進むだろう、と思い込み、それに則さないとテンでバラバラのまとま りのないもので終わってしまう、というこれまでの会議を再びやろうとしている。トップ2が準備しているものも無視するのが常だ。
 (トップに言ってもムダだろうけど)その準 備に忙殺されるのならしない方が良い。

「期限を昨日(28日)の午後5時で切っているのだから、出さないのなら示しが着かん」と言い「勤務評定でDクラス付けてやろうか」とトップ。口から出任 せだろうけど、課員の多くは聞いているのだ。
 こんな煽ったり、けなしたりするような上司は... 。
 そういえば、心底ご苦労様でした、と声もかけられたこともないし、若い職員にも「ありがとう」とか「よくやりました」とか声をかけたのを聞いたこと無い な。「今度一杯やろうぜ」など言うわけがない。(今の状態では誰も乗り気にならないがネ)

 それから20分程度過ぎたところでだろうか。29日の9時過ぎに激震は起こった。
 「出たか?。出なかったらどうのこの... 」を再び言い、「前日の5時まで言ってあるから出さない奴は職務怠慢... 」などと言うので、(メールの添付でPDFとして送信すれば、こちらから各支所へ持参しなくてもいいので)【今日(29日)中だと大丈夫なんでしょ】と 僕。
 再び今日の午前中までに... 、とトップは言う。好きにしろ!。

 トップ2がメールでのやりとりや画像を入れての文書作りが出来るから良いようなものの、どうやら、トップはメールなど送ったことも無いのかもしれない し、文書をPDF化することも知らないようだ。何ともはや。おまけに、これをやってネ、と頼むようなこともしないし、ゴジシンのコンピューティングの状況 はワカラン。

 この提出物は、28日に休暇を取ってたトップ2から、29日に「ロールプレイングの例題を用意している」と言ってくれたし、会議のとりまとめをするトッ プ2がそれ相応の用意をしていただいていたのだ。
 そこへ、トップの指示(実際は命令だよな)で僕がやっていることが入り込む。トップ2の努力は無視される上に、考えた会議の進め方が出来なくなり混乱が 起きるの は目に見えて明らかであった。(このことも憤懣やるかたなしに少し影響していたかもしれない)

 それから少しして、ロールプレイングで誰と誰を組み合わすのか、僕の一存では偏るかもしれないので、すみませんが組合せをやってみてください... 。参考までで良いですよ、とトップ2へ申し入れた。快く引き受けてもらって、4番目程度まで行ったとき、トップがツカツカとトップ2の席へ。

「これはBoneに指示している、なんでアンタ(トップ2)がやっているのだ?」という、その声が聞こえた。言い方はまるで僕がトップ2へ組合せをやらせ ているのは、命令違反でおかしい、と言う口ぶりであった。
 言いようのないモノが吹き出てきた。僕が悪いことをしているか?。トップ2に迷惑かけているか?。もう、我慢が出来なくなってしまった。
 
 ダッ!と席から立って、少しばかり怒鳴り気味に【自分の組合せ案の持論は持っている が、 年齢や経験に少々疑問があるので、補佐の考えを... と依頼したが、相談するのもいけないのか!】と僕。【アンタのいう指示って〜のがワカラン。何でもかんでも一気に言うな】と、と言い放った。

切れた!

 トップは、「アンタ(僕)に指示したのだから、アンタが全てをやればいい」と来る。
 この人を相手にしても始まらないのだが、キレついでに、アンタが指示 した内容に対して、トップ2に助言を仰ぐようなことすら出来ないのか?。

 後は知らない。

 これが全てであった。

 結局これで終わりだ。

 その後がスゴイよ。「オレはどうしてBoneに指示していたことをトップ2がやっているのか、を問うたまで だ」と。
 僕とトップ2との席は2mあるかないかだ。同じ係内でのことでもあり、【僕の考えでは少々難しい面もあったの でトップ2に助言をお願いしてもいいですか】とトップに許可を得ること。これって必要?。

 最後っ屁のようにトップ2に向かって「アンタが休むのがいけない」とまで言う始末。アホ違うか!?。
 こんなトップが「辞めていただきたい上司」の候補だろうね。

 これが28、29日の一件。

 で、今日。本番の会議。概ね昼までには終わらせることになっていた。

 差押えなど、課としての統一見解を出す、という協議のところで、若い職員からクレームが出たよ。「何をどうするかを決めるための協議だから、あらかじめ 上で方針など出してくれ」と。
 加えてトップの次々に出る一言一言に対して「ナニカレなく言っているのは、アンタの意見であろう。宇和島市の方針決定のため、課としてどうするか、が問 われているんだ(ゼ)。そう いった上層部が打ち出した考えに対して課員の意見を聞き、とりまとめをするのが管理職だろう」と言わんばかりの口調であった。
 ロールプレイングでもトップ2が逐次コトバを差し挟んだ。信じられないことだが、担当の若い職員からも「時間がないので関係ないことは喋らないよう」と 出たね。本当にに嬉 しかった。彼には後で「よく言った」と肩を叩いておいた。

 その後に再びコトはやって来たよ、時間が無いから午後も引き続いて.... 、と。
 エッ!「12時を目途に... 」と最初言ったじゃない。開いた口がふさがらなかった。

 結局、午後から大半の職員が外へ出るので、会議は終わったのだが... 。

 ね、分かる?。29日に僕が切れたの。
 久しぶりだったよ。

 本日はThe Beatlesの新しいCDのことなど記載したかったけど、2日間にわたって、これだけ頭にくることがあったため、若気の至り(?)で我慢が出来ない故の こと。お許しアレ。(核爆)
 正常に戻るまでには少し時間が... 。

2009 年11月1日(日)くもり後雨後くもり
 ろめたいこともな い代わりに、何かが来そうな気がしないでもない。僕の一言で何かが動き出したのかもしれない。そう思いつつ10月を見送った。今日からは11月。雨は7時 過ぎから降り出した。10時の緊急サイレンも久しぶりに聞いた。雨ということもあって、今日は1日中家の中にいた。ほとんど自分の席を離れていない。退職 後にもこういった日々がしばらくは続くのであろうか。それにしても、今の課長と同じ課で同じ年月日に退職するのは願い下げだ。万一そうなったら、僕は送別 会は欠席すると決めている。その思いは今回の一件で一層深まった。
 昨日、SR500が急激に走り出した。ほんの少し手を入れただけだ。こういった走るオートバイであったのに、免許制度を始として取り巻く環境が、メー カー自ら走らないオートバイにして、売れないオートバイにしてしまった。全く悲運なオートバイであろう。
 自慢ではないが、次号で僕がやった改造を紹介したい。誰かがリサーチしてくれればいいが、誰もやるまい。それにしても大変化であった。
 本日はブログの仕上げでThe Beatlesのリマスター盤を聞き比べしていた。今回リリースされたのが今後のビートルズの公式CDとなって発売され続けるのは何かしら疑問が残る。そ の証拠ではないが、Get Backのリマスター盤の後、プッツリ何も出なくなったし、LOVEでもそうだった。同様に、今回も騒ぎは9月のみであったような気がする。
 ま、これはブログを使った方が良いかもしれない。何しろThe Beatlesが出たときは「ポップグループ」だったのだから。
 実のところの問題は最後のディスクLet it beをまだ聞いていない。このディスクはフィル・スペクターのプロデュース。ショージ・マーティンではない。それを今回どうやったのか。パスト・マスター ズのアクロス・ザ・ユニバースを聞くと結構上手くやってる。
 当時は、こういったものを良くないとして決めつけていたし、Let it beのディスク自体もダメだとしてきたのだもの。
 もはや、メンバーの2人も他界している。それでも、未だにThe Beatlesが君臨する。全く不思議な世の中だ。
 同じく、本日から11月なのに、僕は今半袖シャツで家の中にいる、という全く不思議な気象状況。明日から寒くなるということだが本当であろうか。

2009 年11月2日(月)くもり後一時雨
 んな日記など書き たくない。毎日毎日同じコトをやられる。今日など午後1時から急に呼び出す始末。もっとも、このことは朝礼で口走ったのは事実だが、そのときは「後ほど」 であった。後ほどが3時間も遅れるか?。しかも、職務上必要なことはわずか20分だ。【この人は会議はやるが、それをまとめる力はない】と改めて感じ取っ た次第。おまけに... 。
 E氏を指して「あんたの担当分が少なくなったから休暇も取れるようになったろう?」という。その証拠に、といわんばかりにソソクサと休暇簿を持ってくる 始末。が実際は「10月は1日しか休んでいない。これでも職務怠慢か?」とE氏は憤懣やる方ないかの気持ちで言い放った。
 執行委員長の僕としても「休暇を取得するのは業務に支障がないときなど、休暇取得しても大丈夫と判断したときだ」と反論した。
 いかにトップとしても、公に認められた個人の休暇取得まで職務遂行部門に関係あるとするのは許せない。E氏も切れかけになった。後日、この実態を市の トップへ申し述べることとしたい。こんな奴の下で働く同年代の者としては... 。
 僕の表現で、おもしろおかしく記載している、と思われる方が多いかもしれない。が、この厳しいご時世、市内の中小企業はもとより、金融機関などの取り立 てでさえ困難を極めるこの地の経済情勢。その中で、税金を納めてください、と法律に則って仕事をしているのに、ともかくその人と会って交渉して... 。だから、それが出来ないなどがあるから... 。堂々巡りを繰り返すだけで何も居たくない。
 本来なら名前を出しても良いくらいだ。(僕の立場は気にする必要がない程のものだから)出したら、賛同者の方が多いことと確信しているのでやらないけど ネ。
 今の職場なら真に税収を必死になって、時間外であっても、酒の席でその店に担当滞納者が居た場合は即、徴収関係の話、といったことになるのはナキニシモ アラズ、の状況なのである。真に受け取って、精神面で追い込まれた職員が名誉毀損で訴訟を起こしかねない。決してオーバーな表現ではない。
 何やかや枝葉何とかを取り繕って表面化させないようにしているだけだ。ある程度期間が過ぎると気付くのだが、「こんなのを相手にしても仕方がない」と 思っている方が強くなるから無視できるのだろうが.... 。
 ここ数日、僕の日記にはこういったことしか記載のしようが無い。本日も通常業務で言えないことを夜間徴収の空き時間で、と思っていたが、用もないのに トップが居座り続けているではないか。結局、明後日を待たざるを得ない。その4日以降は僕は独断ででもやるつもりだし、必要なら別室で行うこととしたい。
 僕が一番苦慮しているのは、市長は今の市内の働く者の状況が分かっているだろうか?、ということである。このことを基本に考えると、税収アップのため に、今のトップを据えたのだろう、と思う。
 市民にとっての一番の税金である市県民税は、昨年の収入と一部は資産関係が加味されて決定される。が、昨年は良かったが、今年はテンでダメ。失業したの も居る。従って納税できない者が出てくる。
 そういったのを考慮せずに、「徴収率こそ一番の実勢の判断」と決めつけているトップのバカさ加減は、この日記の読者にはお解りであろうと思うし、それで も、「徴収率こそ第一」と決め込んでいるトップの下で、税収アップ=何とか納税をしていただくか、に対してのアイデアを出したり、各個人の経験などを生か して実行をすることが出来るかどうか、甚だ疑問であることは明白だ。
 どうだろう、彼に批判を浴びせたのは僕ともう一人。そして、本日はもう一人切れかけた事実。
 ま、僕は異動願いを先に出すつもりだ。今回の一連のことは僕が発端で2人が一言はモンクを言った。異動願いを出すと追従するのが出るかもしれないが、致 し方ないことだろう。
 全くくだらないことで、こういったことが毎日繰り返される。いいようのないものが職場を支配してしまっている。
 そうそう、本日の天気が僕の言う、この地独特の冬の天気だ。お城山から20分も歩けば方や広がる宇和海。方や1000m級の山がそびえる。海は養殖。山 はブナ林の南限。こういった特徴あるある地形などのシンポジウムなどは開かれない。冬のこんな天気と同じような国内や外国の地と交流をするなどの企画は出 来ないか?。
 宇和島の冬を楽しみませんか?。本日の天候を生かした「うわじま鍋」とかの冬の創作料理コンテストでも企画すればいいのに... 。
 下克上の今の市政ではこんなことも出来ないのだろうね。

2009 年11月3日(火)くもり後時々はれ
 化の日、秋の叙勲 もあった。実は、この叙勲っていうのは自薦もOKなんだ。知ってた?。ずいぶんと昔になるが、お一人自薦を数年間やってらっした方を僕は知ってるが、なか なか上手く行かないのが常である。もうお亡くなりになっている。
 叙勲というと名誉なことのように感じるが、僕にとっては必要のないものに感じてならない。失礼な言い方だが、くれてやる物はいただいても良いが、その種 類だろうね。これがそれ相応でないとならないのが世の常だ。「棚からぼた餅ではなく、棚から鯛が降ってきた」と中島みゆきさんは言ったが、そんなものには 感じられない。
 むしろ、勲章をもらった方は早死にしている。一瞬「終わったな」と感じられる方と、「まだやるぞ」ということがが巡る人がいらっしゃるだろうけど、お亡 くなりになる方は前者が圧倒的に多いのではないだろうか、と僕は思う。
 天候は昼前から良くなりつつあった。朝の散歩の後キヨスクへサンドウィッチを購入に出かける。空気がヒンヤリしている。このまま気温が上がらないだろう な、と思っていたが、そのとおりになってしまった。
 文化的行事、といったところでどうしようもない。真面目に考えてもアイデアなんて出来ないのが実態だろう。そんなこんなで家の中でタイピングをしてい た。
 午後はSRの確認をした。バンゼンであろう。しばらくは、ストーブリーグ前と同様に、少しづつやっていきたいものだ。

2009 年11月4日(水)はれ
 思議な世界。本日 から夜間徴収時は終業(20:30)まで居ろ!ときたよ。よろしゅうございます。当然のように、我々職員だけだろう、と思ったら... 。
 もう止めましょう。僕がトップなら家でやっつけてくるだろうし、昼間の内にやっておくべきじゃないかな、と思う。否、そうではなく、それほどまで仕事を 増やしている貴方自身のことが影響して、はっきり言って不必要な業務をやらされているように感じられるのだけど。今朝、僕に言った「よく知らないから係長 居てください」と言った貴方がいらっしゃる、ということは... 。
 突き詰めると責任者は貴方、ということに戻ってしまう。が、アナタは逃げが上手いですよ。
 ま、税収は早けりゃ12月末。3月末で一定のところ... 。5月末で全てが出るよ。僕自身は今の職場を変わりたいね。
 それにしても、朝晩はずいぶんとヒヤくなった。冷たいとか寒いっていう、この地方の方言だ。「ヒヤイな」とか「ヒヨーなりましたな」とか言う人も少なく なった。この地方は関東のアクセントに近い。それゆえ、標準語のようなアクセントで方言を喋る。おもしろい世界だ。
 このことと同じように、女優の山田昌さんが名古屋弁でやったNHKドラマの「のんのんばあとおれ」。水木しげるさん原作のドラマで舞台が鳥取だったわけ ですから、結構同じような喋りがあるんだな、と感じるところだ。
 ところが、方言指導者が旧宇和島市内から少し離れたところの方だと、妙に西予市寄りの言い回しになって歯がゆい思いをするのである。
 今日は水曜日だけど、夜の街も市内は静かだった。こんな状態の宇和島市。これから先どうなっていくのだろうか。おそらく、今より人口は少なくなる。いつ も思うのだが、何か性急にことをやってしまう。それも手当たり次第に。加えて、タラレバの話が必然的に多くなってしまうような市政だ。
 文化祭の行事見てもそうであろう。文化協会って分裂したんじゃないか?。昨年は結構多い行事であったが、今年は全体でメインになるような催しも無かった ものね。
 住民と鯛ををせよとは言うものの、行政の方が何でもかんでもやってしまって、当の市の職員へは何も言われないから、応答に苦慮するのである。こういった ことばかりだと、本当に宇和島ってツマランところだ、になってしまいそうだ。

2009 年11月8日(日)はれ時々くもり
 い日曜日になるの かな、と思うと、これが全然ダメ。産業まつり。こんなの辞めればいい、とつくづく思った。言い過ぎかもしれない。
 が、現状を見ると愛媛県(=加戸君)のご意向が強いのだろうね。その強さに圧倒され、というか、宇和島市が振り回されている状況だし、今日などそのとお りではないか、と少なからず考えさせられた。
 朝、NHK総合テレビで昨年の状況を紹介してくれた。マジ、今年も同じレベルであろうな、と思いつつ、僕のやる物をこなしていた。午後、出かける と... 。
 ナナナント出店が少ないではないか。当然といえば当然だが、人出も昨年の2/3程度しか見受けられない。エ〜、この地方は不況なんだな、と思わされた一 瞬である。続いて当然は当然のごとく、「じゃこてん踊り」に参加しているのは宇和島市の職員が大半を占める。昨年までは市内の企業など結構な人数があった のだが、今年は折り返し点がいつもより10m以上手前に来てしまった。
 産業祭っていうのは物を売るだけではないハズなんだが、物産の紹介=販売となってしまって、祭の趣旨そのものが不明確になってしまっているように感じ た。
 愛媛県がやるのなら、宇和島市、愛南町と合同で南予地方の産業まつりをやるべきだ。それでこそ愛媛県だろうが!。
 じゃこてん踊りなどはステージでやってくれ。待合時間から踊りの終わりまで小一時間程度出店を取り囲んで、客を排除してしまうのだから。そういえば、昨 年は「ただ働き」ということを僕は記載している。
 もう一点、きさいや広場と階上を分散したのはイタダケナイ。集客数と、それに見合う商店街への貢献などからすれば、きさいや広場は無視すべきだ。マグロ の解体ショーやって、テナントの魚屋が儲かればいいが、市長のご意向からすれば逆効果だろう。何しろ競合する物は販売まかり成らぬ、というご意向だから。
 今日の状況から、実施関係者がどういった結論を出すか?。その結果来年の産業まつりをどうするか、もう少し現状を踏まえて考えていただきたいものであ る。
 帰ってからSR500で走る。この間に比べてどうもよろしくない。走行を終えて点火プラグを見ると... 。再び迷宮に入り込んでしまいそうである。今の時点での予想は、BST34のキャブレターを使用している機種は燃焼関係をトータルしてシリンダーヘッドの 形状を決定しているようである。どうやら、この辺のところを十分に検証しなければ結果が良い物にはならないような気がして来だした。

2009 年11月13日(金)くもり後一時大雨後雨
 日と一昨日、労金 の用務で今治へ出張。そのためか、連合地協の幹事会をサボってしまった。理由づけはあるのだが、いずれの場合もフトしたときに彼の顔と言動が浮かんでしま うから、今回の今治出張も気分が乗らずの出発であった。
 はっきり言うと、今回の出張はマジにエグゼクティブ対応である。この僕がね〜、という部分はあるのだが、何かにつけて活動ができていない身分からすると 辛い部分がある。が、推進させるための中枢部の一員だから、それ相応のものがあるのは事実なんだがね〜。それと今の仕事での僕が持っている感覚とのギャッ プに悩むところだ。
 11日の出発前はそういった気分だったが、出かける直前にヤフオクで落札した思いもよらぬヤジマ製のSR500用の3インチスパトラが届いた。一気に時 代が1979年に引き戻された。涙ものであった。ほんの15分程度の確認であったが、うれしさが大きく支配する。単純なようだが、ま、気分は少し晴れた。
 そのことから、仕事のことがある程度忘れられ、出張用務に集中できたところである。今治に到着して最初のビックリは、自動車や人通りが宇和島より少な い。用務をこなして懇親会になり、そこから2次会へ出かけるころになっても、夜の通りは閑古鳥横丁になってしまっている。ビックリだな。水曜日が休みのと ころが多いとはいえ、この状況はヒドイ。
 これまでのことを話しても仕方がないが、本日職場へ出向くと案の定、予定が全く違うことになってしまっていた。幸い彼も議会関係と納税貯蓄組合関係で職 場を留守にしてくれていたので助かったが、こちとら何も知らされていない中で予定が変わっているなんてビックリである。
 午後からチョイとした集まりがあって、話の中で合意したものがあるのだが、そのメンバーの一人が彼に一部報告すると、いつもの通りだ。少しでも良いから 「そうか、そういった考えもあろうね」と言った上で「これから検討してみるよ」と言ってくれるのが上司ではないか。そのようなオコトバの発声は出ない毎日 だ。
 ま、こんなような状態の毎日だから、僕も心決めて●●●を出そうと思う。
 そして、本日の業務の最後の最後、重要なカギがない、という。心当たりのところはすべて探したが出てこない。退職した前任者にも電話で問い合わせをした がダメ。これ自体、「もう少し探してみようや」と言うべきで、課員に口頭で言うはずだろうが。それすらない。
 たまたま、その電話の話の中で少し大きな声だったので聞こえた「レターケース」という部分。僕はまずは課員にキーの形状とかを説明し、その上に今一度身 の回りを探してくれ、と言ったでも、無かった。
 そこで、本当に探したのか?、という疑念を持ちつつ、かつてレターケースが置いてあった場所から移動したであろうレターケースを見つける。その段の一番 上を開けたとき、キーが在るではないか。
「これは何ですか?」
 始末書まで書いているところで、このキーを僕が見つけたのだが、何もない。
 このアホくささ。僕の耳には「サンキュー、助かったよ」とは一切聞こえなかった。タッグ付きのキーだから始末書書くというのは少々苦しいことなんだ。運 良く見つかったのに ...。
 その後、今の人員配置のことで再び問題。4月に減員になった体制の中で再び1係に係長クラスを...、という意見が出る。「そのとおりだ」と彼。
 おかしい。4月には強くではなかったが「これまで1係の係長は何をしていたのだ。必要無い職分ではなかったのか」と言ってたのだゼ。
 ま、多くは言わないが、トップ2が再び休まざるを得ない状況になって予定が狂ったのだが、マジ、その状況を朝にでも知らせてくれないと僕としても対処で きないよな。
 こんなんだ。彼を異動させるより●●●を出す方が得策だろう。追従する者がいればある程度はいいが、元の木阿弥になる可能性が強いのも事実だ。
 夜は自治労県本部都市評の懇親会。気分は乗らない。何か合わない部分が多くなった。そろそろ次世代に移行すべき時に来ている。自治労関係も向こう一年間 で大半の役職は辞することとしている。
 こうやって文書まとめるのも昨日までならタイプしたくない気分の方が強くなってしまうのだ。ともかく休養できない。彼の前にジェイソンでも現れてくれる と助かるが... 。

2009 年11月22日()くもり後雨
 の日記から1週間 空いた。この間何をしていたか?。実は何も出来なかった。気分ががんじがらめになってしまって、何をしてイイか判らなくなってしまっていた。仕事のこと、 組合のこと、などなど... 。
 とりわけ、組合のことは定期大会を開催しなければならないのだけど、日程は決まっているものの、この1週間はそのことにかかることが出来なかったところ だ。
 仕事はトップ2が休んで段取りがつかない。遅れに遅れてしまっていることもあるし、来月の予定に対しての準備が... 。幸いにもトップがヤンヤヤンヤ言わなくなったから助かっているけどね。カンジンの方針が1本通されていないから、その方向へ向けて、この係とこの係とが こういった方向へ向けてやってくれ... 。これ年間の考え方ね。四月にそれが出そうであった。が、トップ2が五月に異動で補充無し。六月から人員配置の大変更。10月から1人増員。
 加えてトップの考え方に対して僕がキレるような状態だから、僕自身どうしてイイか判らない。こういったときは動かないに限る。僕自身そう決めた。結果と して「仕事をしない」と判断されて結構。二つ前の課で動きまわって人事異動のたびにトップを平がレクチャーするのを3回ほどやったし、自分判断でやったこ とが好ましいことだったのに、大トップから否定されて、食ってかかったが組織の大きさに負けてしまったニガイ経験がある。自分自身が大損こいてしまう。そ れ以来、僕は自分で処理できないところは動いてはダメ、と判断しているところだ。
 そんなこんなで、20日開催の組合の定期大会は無事に終わって昨日は放心してしまっていた。おまけに定期大会から帰って、タイピングを終えて、 MacBookを終おうとして中腰になった時、靴下履いたままだったので爪先がズッと滑って、悪いことに右の上腕を曲げたまま肩口から畳に落ちてしまっ た。一瞬痛みが... 。昨日は1日中のたうち回っていたところだ。
 さて、本日は久しぶりに図書館へ行った。南予美術展へ出向く。何かピンと来ない。その中で目を引いたのがこの作品だ。





 「近くの風景」と題したMさんの作品。僕は一目で坂下津(さかしづ)と判るのだが、実際の坂下津のこの風景はもっと暗い。夏でも暗いイメージがする。と ころが、季節は夏だろうけど、この絵は妙に明るい。これが絵画の妙味だろうね。写真では表せない。
 抽象作品もあるけど、何か意味するものが判らないし、線と面で表されるものなら、キャンバス地の凸凹が絵の具の下に見えてちゃホワイトを地肌の白で表す のは水彩ぐらいではないか。と批判なども出るのだよね。
 また元に戻るけど、ここ数か月は土曜日が来るとガクンと来てしまう。それだけ職場環境が良くない、と思うのだが。そういった意味から、明日の休みは大切 にしたいものだ。

2009 年11月24日(月)くもり後雨
 いさっき帰宅し た。余裕時間は帰りに寄ったゲルマンだけ。退庁後の2時間半は催告書を封筒詰めしてた。その前は1日中トップとトップ2による滞納者のヒアリング。
 このヒアリングが問題だったんだ。係長であらかじめヒアリングをやってる。この間、僕自身けっこう辛かった。とにかく、担当者の暇を見つけて、僕の予定 と合わせてやるんだから継続しては出来ない。それを先週の初めに終わらせていたんだ。僕自身の分は今日終えたが、僕のはダイレクトで管理職ヒアリングだか らいいの。
 で、先日のメールで、「全てはトップ2のヒアリングで、その結果を基にトップと相談する」と記されていた。したがって、昨日の午前中に少し催告の封筒入 れをやっていたわけ。現実にはただ働きね。
 本日午前9時半。ヒアリング開始。オッオイ、どうしてトップが同伴するんだ?。マイッタね。延々5時半までやったわけだ。トップ2のやり方なら、相当に 上手くいっているし、実践に即したものだ。それゆえ、係長のヒアリングで、どうしても難しいところなどをピックアップしてきたのだから。そういったのが無 になってしまう。ましてや、今日のヒアリングなら係長が同伴などしなくてもイイ。もう知るもんか、僕は投げてしまっていた。
 トップのやり方でやるなら、身体がいくつあっても足りゃしない。朝から晩まで「滞納者」が頭から離れない。少しでも離れると「職務怠慢」という。
 当初は僕も真に受けそうになったが、今となってはソコソコ。出来ないものは出来ない。真に受けることはコリゴリだ。誰がやっても... 、とは思うが、ま一応はね。やってみるよ。期限切れで出来なかったも有りだから。
 でも、やってもダメだろうが先に来る。これは98%近い確率だ。そうでなきゃ、この額にまで引っ張らないさ。だから期限内までには何とか... 。としても、期限切れに... 。次はこのこととの板挟みか。
 ま、近々異動願いを出そうと思う。ダイレクトで市民と接しないところへの異動を希望するよ。この21年間、人との接触の職場にいた。今のトップのことと は別に、僕自身、課税から辞令1本で徴収への異動。当局にはいいように思うが、便利でも何でもない。
 が、今の課で固定資産税のことと軽自動車のことは一応教えたが、市民税のことは僕がそれに携わっていなかったから、よく解らない。そのため、教示は出来 ていない。
 僕流の滞納者への接触方法も一定結果が出た。もう、この辺でいいように思う。今の職場に移っての2年間と今年1年とではあまりにかけ離れすぎる。僕は大 きな変革は好まないし、昨年までに創り上げてきた状況を崩して何とか「収納率を上げる」としたこと自体に問題があるようにも感じるのだが... 。来年4月を待たずに異動できるよう望む。今以上、僕が悪者のようになる必要はサラサラないから。

2009 年11月26日(木)はれ時々くもり
 きな仕事をして、 一段落して今テレビを見ている。全く予想を逸脱した結果に少々とまどっているが、先ほど朝日テレビの「その男、副所長」をみつつ、僕のような実戦部隊の上 層部が筆夜だな、と感じた次第。口だけで言うのは簡単だが、その実行になると、僕自身二の足を踏む。が、最近は割り切っているから、ソコソコの結果で終わ るのは確実だ。
 その意味から、僕のヒアリングは不思議なほどスムースに終わった。その直前で前の担当者の分をやったが、僕の時とどうして変わった態度を取るのだ。僕 は、職員を守れないのか?、と思うものの、「これは担当者が... 」として口をつぐむのである。否、そうしなければ担当者のためにならない。
 で、僕のヒアリングは... 、もう、お判りだろうから記さない。持ち上げて、落とす直前にすればいい。そして、自分から意見をまとめておくこと。それに反発のコトバを常に考えておく ことだ。不思議な世界だけど、これをデフォルメしてやらないと、今の時代は生きていけない。
 そういえば、本日の深夜、南予写真協会の作品展へ出品する写真の装丁をやりつつ、この写真のことを考えていたんだ。
 さ、明日からの写真協会の作品展には、ぜひ、おこしください。

2009 年11月29日()くもり一時雨
 ンヨリの日曜日。 今日は三つをこなさなければならない。ま、こんなものだろうか。この数日間、日記も何んにも記載できなかった。やる気も起きなかったというのが正直なとこ ろだろう。唯一やったのはSR500のスーパートラップ改とスーパーサウンドのディスク決定だろうか。これは長文になるのでいずれ本文で。
 金曜日は休みを取って南予写真協会の作品展会場へ。昼休みに職場へ出かけると、僕のやろうとした仕事を終えてくれていた仲間に感謝。その夜の懇親会は大 いに盛り上がった。現実にはこれからの大きな変化に対しての対策は出ていない。この職場は一層厳しくなるのは事実だが、それに即応して恒常性以上をやろう とすると、おそらく出来ないというのが僕の気分である。したがって、今後は僕流にやる必要があるし、できれば、僕は他の部署へ異動をしたい、というのがこ のことからも理解できるところだ。
 本日は、労金のヘアとフェイスのメイク講習会。いいね。こういった簡単なことで、グッと年齢相応になる。嫌に厚化粧の若作りであっても、それを生かして プロが修正すると、妙にイイ女になる。不思議な世界だ。
 が、講師も言っていたように、モデルに即した自分なりのことをしなければ、十把一絡げのメイクに陥りやすい、ともおっしゃってた。まさにそのとおりだ。
 もう一つの食とみどり、水を守るフェスティバルは途中から雨になったが、無事に終了したようだ。僕は朝のうちの顔出しだけだったから何とも言えないが、 不特定多数を相手のイヴェントのやらせる側はなかなか難しいものがあるように感じる。
 写真協会の作品展も無事に終わった。原田御大がおっしゃってたが、「山川草木ばかりで、高齢化してしまっている」と嘆いていらっした。そうだな、ネイ チャーなどとは言うが風景があまりにも多い。ポートレートなどは肖像権から撮影しづらいのだろうか。それをやるのがカメラマンと思うのだが.... 。
 夜はボクシングの試合を見ていた。残念ながら内藤選手が負けたけど、良い試合だった。望むらくは亀田興毅が一行も早く負けることを願う。いくら言葉遣い が良くなっても、「亀田一家」などと名乗るのは個人プレーの格闘技めいたものにはフィットしないはずだ。
 ゆえに、早く次のチャンピオンが出て欲しいのである。
 久しぶりに疲れた。ごく普通の生活がしたいものである。

2009 年12月3日(木)雨後くもり
 しぶりに係長らし き仕事をした1日であった。反面トップからすれば戸別訪問で外に出ていないから徴収率が下がる、とくるわけだ。が、1日の消し込み(どれだけ納税があった か?)はトップクラスを行く。不思議な世界だ。
 さて、担当者から納税の分割納付の件についての相談、おかしな電話への対応、そして国税相手に調査への協力。その上に、僕自身の業務の完遂。1日があっ という間に過ぎる。これがイイのだよな。
 さて、本日は少し長文になるけど夢の話。そう、今日見た夢の話だ。
 午前3時頃、一度目が覚めた。ラジオ深夜便では3時のニュースを流してた。それからウトウトしつつ眠りに... 。
 ... 何処かの旅館。研修が終わって外へ出ると雨だ。愛用のPUMAのシューズが履き替えられて無い。旅館の計らいでちぐはぐなシューズを仮に履いて出る。どう も場所は職場の近くだ。
 雨の中(実は実際に雨が降っている)を恵美須町の交差点へ。そこからアーケードへ入るルートだが、横断歩道で人がくたばっている。信号が変わらないうち に渡らないと... 、と、その人に手は出さなかった。ま、救急車が来たからイイか。
 アーケードから、旧公会堂(現南予文化会館)前、いつの間にか高校へ行く準備をしている。YY君から青い三角定規のレコードコピーを3部頼まれる。不思 議なことに彼は三間高校の制服を着ている。僕と同じ高校生なのに、今の年齢で学生服を着ているのだ。
 今日の授業のこと考えると、正課体育の服装が用意されていない。ヤバイ。遅刻するわけにもいかない。
 TK君かMH君がO川さんへ連絡したら、という。そういえば、彼女がカブに乗っているところを見て原付の免許取ったんだ。ケイタイはこの前までのムー バ。
 彼女は体育の先生が着ていないので、授業時間が変わっているという。(おそらくラジオで松山のインフルエンザの休校で授業時間を増やす話をやってたのだ ろう)
 あわてて、家へ帰ることにして、途中、AK君が船を造っている。場所が再び栄町港になってる。学校を辞めた。辞めさせられたかも... 、という。家で用意をしていると、近所のおばさんが創価学会のことで話を持ち込んでくる。母の背中越しに僕が憤懣たらたら言った。
 おばさん、僕を信用できないようで、「誰?」というので、この人(母)の息子、といったところで目が覚めた。
 夢の中の我が家の家は、今はないが丸穂にあった親戚のSHさんの家のようであった。母は振り返らなかったが、メガネをかけていたので晩年の姿だった。
 何でこんな夢を見たのだろうか。O川さんも今はおばあちゃんになっているはずだ。彼女のライディング姿を見ていなければ、僕はオートバイに乗っていな かったかもしれない。
 僕の父は僕が校区2年生の時に59で他界した。あっという間であった。僕も来年その年齢になる。あの世からお呼びに来た、ということかもしれない。
 長々記載したが、夢を見た時はホンの一瞬であろう。少し解らないのは一瞬が連続して見る夢というのもあるのではないかな、と思った。

2009 年12月3日(木)くもり時々はれ
 日何らかの形でう なされる夢で目が覚める。不思議なことだが、現実では起こりえない。どうして最近こういったことになるのだろうか。
 一つには職場の不統一さに原因があるようにも思う。とりもなおさず、宇和島市の行政が一本化されていないことにある。選挙公約の「九島架橋の実現」で石 橋君を選んだ人は居ないはずだ。理由は簡単。他の人が市長になると今後が危うい、と知っているからだ。
 が、石橋マニフェストからすると、どうやら、それ以上のことをやろうとしているようでならない。マジ、市役所1階のフロアを大改修して、ワンストップ化 を推進する。これはなかなかいいことだ、と考えている市民は一体どれだけいらっしゃるだろうか、甚だ疑問である。
 住民票を取りに何人来るのだろうか?。納税証明で来るのは軽四などの車検を受けるときだけの方が多い。このチッポケな宇和島市に、そんな大きいワンス トップなんて必要あるのだろうか?。どうやら、フロア改修は1月ではなく2月になるようにも聞き及ぶ。
 きさいや広場の運営もしかりだ。ここって食らうものだけがメインの広場だったのだろうか?。月に50万円も取得する支配人の力はこの程度か?。野外レス トランなら誰だって思いつく。本来ここは、施設の裏にヨットハーバーがあって、「海の駅」としての完成を見たのではないか?。それがどうだ?。ここは青物 市場であったり、チッポケナ物産市の猿真似だったり... 。おまけにオープンレストランか?。
 イヴェント広場なんだから、イヴェントをやるよう計画するために東奔西走すべきなんだが、楽をし過ぎるのだよね。
 決して悪口を言うんではない。しかし、事実ではないか。
 話は進んでしまうが、再び石橋マニフェストでは第4次産業なり6次産業なりが記されているようだが、橋そのものが難しい今、それらは白紙以上のものでし かないのであろう。
 九島架橋にしても、その裏に潜む「九島の利用」の本筋を知らなければ... 。おそらく、このことを多くの市民、九島島民は忘れているのであろう。今一度、じっくり考えないと、行き当たりばったりで事がなされる宇和島市になってし まう。我々公に勤めるものがとばっちりを受けるのはゴメンだ。

2009 年12月10日(木)くもり時々雨
 日、久しぶりにグ ラッドストーンへ電話をした。と記載しても一般の方には理解できないだろうと思う。浜松の英国オートバイ専門店だ。最初にオーナーのHさんと対面したのは 花園村。その後、何気なく電話をしたのがきっかけで、意識の疎通ができ始めたところである。もちろんT-140にも造詣が深く、僕のT-140Vをどうの こうのする場合に、このショップへお願いしようかな、とも考えている。
 昨日の電話は、僕のT-140Vを元に戻すところからの話である。本来ならボイヤーのトランジスタ点火システムを止めて、コンタクトポイント方式へ変更 しようと考えているところだが、その前にキャブレターを何とかしなければ、というところで、SUDCO MIKUNIをAMAL MK-Iへ戻す時のちょっとしたコツを聞きたかったのである。
 回答は僕の場合を想定してオーナーのやっていらっしゃることを報告いただいた。一つの方法は見出せたようだ。たったこれだけのことでもずいぶんと変わる ものなんだよね。
 キャブレターを熱源(シリンダーヘッド)から遮断して、なおかつ熱源から遠ざけるには...、ということだ。
 ついでにと言ってはおかしいが、浜松も結構景気が悪いらしい。どうやら来年の春ごろまで待つ必要がある、ともおっしゃっていた。
 ほんの少しの時間だったけど、うれしかった。そろそろ、僕のT-140Vも動かさなければならないな、と感じている。
 さて、その夜は再び電話催告の当番日。電話をするにも帰宅していない奴、あるいは連絡が最初から取れない奴など、ヒット数が極めて悪い。こちとらこれが 仕事だから割り切っているけど、税金の滞納者の状態はどこまでが本当で、どこが嘘か?。ここんとこの判断が非常に難しい。延滞金は14.6%もかかってく る。うかつな金融業者のグレーゾーン並である。が、罰則がない。押さえるものがなければ、我々は手も足も出せないのが今の状況だ。
 当市は国保のお金が税ではなく料だ。したがって、税金としては見てくれていないため、こちらも滞納者が多い。給食費も同じようなものだ。仮に滞納者の状 況が把握できれば、ペナルティーを加えてやってもいいのではないか、と最近常々感じることである。
 一般に、逃げ徳と言われるが、そう断定した方が我々にとっては好都合。すぐさま差し押さえやって...、になるところだが、そう簡単にはいかにのだよ ね。かといって、本当に苦しい中でも、少しずつの分割納付をやっていただいている人は褒めてくれない。言い分は当然以下だからか?。
 なんだか割り切れない気分だし、やりきれないままでいるところだ。
 で、今日は振替休。ノンビリのハズだが、どうもそうはいかないらしい。結局、溜まった新聞の整理や何やらで、夕刻丸穂温泉へ。その跡全労済の常任員会へ 出て、軽く一杯の後、オヤスミすることとした。

2009 年12月12日()くもり時々雨
 日記載するところ だったが、朝から悶絶状態であったため断念した。というのも、これがね、9日の同級生の集い辺りから身体に忍び寄るモノ二つ。
 一つは疲れから来る倦怠感とクチジケとかのカブレが出始めること。そして、腹具合。もう一つは風邪。熱はないのだが、鼻が詰まり気味。声がオカシイ。そ して、腹具合。
 特に、風邪は流感ではないものの、膝から下が冷たくなってくるような感じが、今週始めから数日間続いた。ひいたのはこの時だろうな、と思う。
 さて、昨日の忘年会は課の忘年会。場所は中国亭。少しは腹具合がよくなったため、まぁまぁの気分で席についたはいいが、生中1杯に紹興酒2杯で受け付け なくなった。おまけに料理が冷めるとマズイモノばかり。おまけに次々に出てくるため、食することに集中してしまう。結局、悶絶状態のブリ返しだ。とにかく 苦しいのだ。
 忘年会で上司の悪口言いたいところだが、それも出来ないぐらいの状況のため、帰宅してバタンキュー。
 オエ〜ッ、と戻す状況にはならなかった。午前3時頃、ふと気付いて慌ててトイレへ。出ましたよ。大量のガスとともにね。助かりました。
 しばらくの間、水を飲んで落ち着け、一眠り。7時前、再びもよおしてトイレへ。残りが出たよう。おかしなもので、次に来るのは空腹感。
 でも、今日ばかりは用心しておにぎりと春雨スープにした。少し足らないが、これは我慢。昼は鶏肉のお弁当。夜は鯖の味噌煮の缶詰とした。当然酒はなし。
 ま、久しぶりのことでビックリしたが、職場環境からしても、少しばかり精神面で参ることが多すぎるようにも思う。別の面で気を入れて出来るものを何か見 つけないとならないような気がする。

2009 年12月13日()くもり時々はれ
 じめに、通常の時 間で1日が進んでいく。朝の散歩、ステファニーのパンなどなど。1日中家の中にいて文章をまとめたりしていた。MacBookにキートップの各間隙が気に なる。フト、PBG4 12インチを出すものの、何かもの足らない。867MHzのクロック。それにスーパードライブだから、妙にチグハク。結局スーパードライブの不調が浮かん できた。僕がこの867MHzに拘るのは12インチ程度のコンピューターならこのクロックサイズはメッケものではないか、と考えるのだ。
 僕の今の12インチはOS 10.5になっているが、現実には10.4でもいいのではないか、とも考える。加えて左パームレストの発熱だ。これまた僕の持論だが、1GHzを超える CPUが必要かどうか。というところだ。ここが... 。

 さて、坂の上の雲を見ていると、妙にリアルにそのとおりのことが今の実社会になっているような気分になる。
 今回の最終章日清戦争、「この戦争はこの二人がやった戦争だ」、ということを作者は述べている。学校でもどこでも教えてくれない。日清戦争の隠れた部分 であろうと思う。

 僕はいつも思うのだが、戦争を憎んでも、その国の人を憎んではならない。ここんとこの戦争をどうみるか。僕のような考えのものが多くいて欲しいが、そう はならないのが現実であろう。戦争の後時末はなかなか難しい。
 仮に日清戦争に大敗していたら、どうなるか?。僕自身は、今の日本はないであろうと思う。しかし、清国は日本を破ったところで、当時のヨーロッパ諸国が 分割してしまうことになっていたかもしれないだろう。いわば今のアフリカのように。
 日清戦争に勝った方が良かったのかどうか、これは今後の歴史研究に委ねることだ。ただでさえ太平洋戦争のことが明確でないご時世だから、相当苦労すると 思うところである。

2009 年12月15日(火)くもり時々はれ後雨
 の散歩の後、今日 は「山小うどん」帰宅して隣の町内の資源ゴミステーションへ新聞を5か月分捨てに自転車で2往復。わずか100m程度だが、結構疲れる。新聞自体はそこそ こだが、折り込み広告の多さには毎日閉口してしまう。
 仕事場は... 。
 今日は夜間業務で徴収が数件。日中は年金支給月だから結構多い件数をこなす。一件のみ、隣の係のTさんと歩いて訪問徴収。明倫町なので昔のレンコン畑の こと、長池のことなどを解説し、帰りは南校のグランドのかさ上げなど、今から40年以上前の話をする。
 感心して聞いてくれるが、実際を知るものが少なくなった事実もそこに存在する。当時の写真そのものを見せても、その場所が今どうなっているかを知るもの でなければ解説が出来ない。これからますますその傾向は進むだろうから、歴史や文化の継承はできなくなってしまうのだろう。
 帰ると、トップによる次年度の人事異動に際してのヒアリング。その時にでてきたオコトバに愕然としてしまった。
 あれだけ僕が「貴方の方針は少しオカシイのではないか」と再三にわたって言ってきたところだ。その上に、今日出たコトバで、係を再び細分化する、とい う。これはナンセンスだ。
 ここ数か月前から、今後は上っ面だけの徴収の簡略化、つまり、納付書送って収めてください。ダメな場合は差押えですよ、とやることにしたい、とか、集金 業務だけなら止めよ、などと言い張ってきたトップが、僕の言う、とにかく現ナマを多く取ってくるのが先決だろう。そのためには何とか収めさせる努力が必 要。これは個々の担当の力量だから、1年ぐらいでは判断できない、と反論。
 その上に、今年は3支所に人員を配置した大改革をやった。その成果がすぐに出るのならいいが、この経済状況では難しい。せめて2年なりのスパンで見な きゃならない、と。
 これらのことを僕がいうと、トップは「やはり現状維持か」といい、「俺もそう思う」ときた。それは僕のコトバで、今の発言を否定するコトバや行動をこれ までアンタがやってきたのだ。それをここに来てコロコロ変えるのか。信じられなくなってきた。
 こうなった原因の一つには、今日、もう一つの係から重要な人事配置の変更案が出たからかもしれないが、いずれにしても何かおかしい気分で、ヒアリング後 から終業までの2時間は何も手が着かなかった。
 先に、あれだけ僕が言っていたのにメゲなかったトップがどうして?。
 しかし、これからが怖いとも考えられる。理由は簡単。我々係が分散化させられると今の人員数は変わらないが、このご時世の中、徴収業務に大きなマイナス になる。そして、これだけの改造をやったのだから、その継承となるとメンバーが大きく替わるために支所範囲の住民サイドの考えなどに対応できなくなる可能 性があるのだ。
 あれだけワーワーやって振り回された挙げ句、元の木阿弥かよ、と思うと、本当にやりきれない。今日一日、何ともいえない気分が支配した。

2009 年12月20日(土)くもり時々はれ
 つもながら、この 辺の天候は...かな〜?である。本日もそのとおり。朝は雨模様。それが一時的に雪になり、そのまま止む。午後は陽が射すシーンも... 。
 さて、本日は結構忙しかった。まずは、MacBookのおかしな壊れをAppleサポートへ電話。デリバリーサービスを使うことにして、新しい PowerBook G4 12インチのハードディスクを初期化してOS X 10.4をインストール。ついでにPismoから全てを移植。その後、ディスクのアクセス権を修復してネット環境を整えて使えるようにした。これで、3時 間。
 夜にバックアップというか、MacBookで作ったものを12インチへ移動するだけである。月曜日ににはクロネコがこれを受け取りに来る。何ともはや、 おかしなところが壊れる。
 というところで、ゴム足を少々改造した12インチでこれをタイプしている。どちらかというと、867MHzの綺麗な中古の12インチならコンボモデルで 十分だし、10.4が相応しいように思う。そしてASCII配列の英語キーボード。
 単なるカンだけど。それ以上にチタンとアルミのPowerBookは僕自身867MHzモデルに妙なこだわりがあってね。この件は次号で報告したい。
 そうそう、もう一つのヤフオク落札物に対しては、非常におもしろい結果になった。嬉しかったね。日頃僕らが失いかけたつき合いというか、そういったもの を思い出させてもらった。
 丸穂温泉へ出向いてひとまず落ち着く。帰宅しても何も無いので、酒道場へ。昨日とは打って変わって客が居ない。何やかや喋って、その頃には満席になって いたが、帰宅して、この文章などを纏めている。
 ブログにアップしようとも何やかや足かせのあるようなご時世、こんなものだろうかね。
 明日は日曜出勤。年末、一つのテレビドラマみたいな日常になるのではないか、と、これが正夢... 。

2009 年12月20日(日)くもり一時雨
 日は日曜出勤。何 ともつまらない。結局新規事業とはいえ、全てがチグハグで推移したものだから的を得ずに矢を射ったようなものだ。洋弓のようにゲージが付いていないから修 正はほとんど不可能。幸いにも、僕は2人に予約を取っていたのでこの面は一部履行できたのかな、と思う。が、高額の人は何やかや言われるのが嫌で来るわけ がない。
 いつまでたってもイタチごっこだ。納めない者には刑罰を設けるべきかもしれないナ。
 ワンセグで全国高校駅伝を見ていたが、はっきり言って、高校生でこの記録となると、生徒は本当に勉強して単位をクリアできているのだろうか?、といつも 疑問に感じる。
 ついこの間、東京大学の応援部の1年を記録したNHKテレビの番組を見たが、さすがに...、と思った。石川某がゴルフで有名だそうだが、僕が校長だっ たら、絶対に補習授業を実施するだろうね。あるいは、個別の授業を受けさせるとかのことをすると思うよ。
 映画の「卒業」で主人公がIVYリーグ校在学時は部活を3つに学生自治会の仕事をやりつつ、好成績で卒業した、というくだりがある。僕も大学進学前は信 じられなかったが、アメリカでは、今もって高校と大学は、卒業するのは非常に難しい、と言われている。
 日本はどうだ。入るのは難しい。在学時は天国。卒業は簡単だが、就職は氷河期。在学中にノホホンとしている輩が多すぎる。僕など、1年生の時は51単 位、2年の時は47単位、と目一杯取った。おかげで、3年生と4年生は、本当に楽だったし、この頃になって、ようやく南山YMCAの水泳の指導者のアルバ イトをやって重宝がられた。もし一人っ子で無かったら、そのまま就職先が...、になっていた。
 こういった点など、高校3年生の時に牛乳配達のアルバイトでスパイクシューズを買った経験が大いに生かされた。この点は、息子も同じようなことをやって る。
 が、今の子はどうだろうか。卒論に他人様の意見をWeb上でコピーしてペーストするなど、これを含めてワープロでは論文として認めない、というような教 授でも出ないものかね、とも思ったりする。
 仕事から帰宅して「坂の上の雲」を見る。どこかの輩がNHKを戦争美化などをこのドラマで描いているのはまかりならん、と言っているが、冒頭のアナウン スなど、司馬遼太郎氏の小説に記載しているセリフそのものの言い回しだし、当時のことを司馬遼太郎氏が小説にして、それを忠実にあらわしたのが、今回のド ラマではないか、と僕は感じている。
 本日の日清戦争のシーンを見て、戦争美化とか戦争肯定と言われるのなら、その人は「木を見て森を知らず」のたぐいであろうと思うし、司馬遼太郎氏を生前 に非難しなかったのだろうか。
 太平洋戦争で戦った方々も多くは80歳を超える年代になってきたし、佐官や尉官クラスの人は90歳を超えるだろう。この方々の証言を今とっていなけれ ば、あの戦争は何だったのか、永久に謎だらけになってしまう。
 僕の誕生日のミッドウェー海戦も、日本側の資料の大半は残っていないし、直轄の戦闘では、記録は旗艦の赤城とともに海の藻屑だろうし、たとえ、残って本 陣の戦艦大和へ移ったとしても、正確な存在は定かではない、と感じるところだ。
 負け戦として戦ったのではないだろうが、結果は大敗北。ドイツはナチスの行為全てを新しいドイツが謝罪したが、日本はその原因究明すらできていないし、 謝罪も未だになされていない。
 先日、アウシュビッツの看板を盗んだやつがいるらしいが、極刑はないものの、罪は相当に重いであろうと思う。未だに負の遺産は残っているのである。

2009 年12月25日(金)くもり一時雨
 金でも何でもない 年末の週末。ここ数日どうも胸騒ぎがしてならなかった。僕の知らないところでドンドンとことが進行しているようで、それについていけない、という気分だ。
 11月の最終週からここまで、予定の中では、金曜日が来るとホッとすると同時に一気に脱力感が来てしまう。そのために、風呂も3日に一度ということもた びたびあった次第だ。
 ところが、12月も終わりになる頃、ことは急激にやってきた。特にオートバイ関係とコンピューター関係は、まるで冬と春が一気にやってきた感じであっ た。
 オートバイなど、今年の1月に発注したパーツが、ようやく届いた。もっとも、これはワンオフのパーツで現物合わせだから、制作先の都合に任さざるを得な い。憤懣やるかたないきかんではあったが、受け取ったときは天にも昇る気分であった。これで、T-140Vもまともに走るようになるのではないだろうか。
 コンピューターもPowerBook G4 12インチを何とかしたい、と思っていた矢先、純正ビスが一式手に入る。同時にスーパードライブが壊れる。エ〜イ、この際だ。まともな867MHzをゲッ トするぞ、と探し回り、いいところで相手に取られるも、もう1台がリアップされて売れないまま。別段悪いところもない様子なので、こちらをGet。バッテ リーとメモリーを入れ替えると見事に生き返った。動態保存、と考えた矢先、MacBookのパームレストに割れを発見。Appleサポートへデリバリー サービスの修理を受ける。
 電話では10日ほどかかる、というものが4日でOKという始末。一気にきれいなAppleのノートが2台になってしまった。
 で、こんな理由とその間に忘年会と出張とが入るから、前回の日記から気の休めるときがなかった、という状態での日々であったのだ。加えて、職員の職務の 問題で何ともいえない当局との交渉があったりして... 。
 わずか5日間ではあるが、本日の夜間徴収を終えると同時にバタン・キューになりそうな気分で帰宅したところだ。
 予想をしてはならないが、明日、明後日と休むと28日は仕事納め。以後年末年始の休暇だが、今年は月曜日同士の終わりと始めで一番つまらない日にあたっ ている。その28日は、別段午前中で午後から休みなどではなく、通常の業務をやるだけである。当然、休暇を取る者もいる。1年の仕事を終える日という従来 の気分はすっかり影を潜めてしまった。
 こんな時代に誰がしたのだろうかね。まだまだ妬みや何かがはびこる人間関係が満ちあふれている社会は続きそうだ。

2009 年12月28日(月)くもり後時々はれ
 日で業務終了。こ の間も記載したように思うけど、昔のような「仕事納」という気分はまるでない。小泉政権下でこのようになってしまった、と記憶する。当時は小さな政府づく りから始まって、この波は郵政の民営化を発端に、地方公務員にまで及んでしまった。同時に公務員バッシングが始まる。
 内容は少々異なるが、アメリカでも日本と同様な結果が出てきているが、「小泉君は先見の明があった」とは誰も言わない。理由は簡単。民主党政権になって も現状が大きく変わらないからだ。
 さて、昨日も、この前だと同じような悶絶状態からの回復に戸惑った。結果がすべてとすると、内容は少し違っていて、かぜ気味という結果からだ。今年の一 般の風邪は腹にくるように感じる。腹筋の無さはテメェの腹周りを嘆く(爆)。以前、息子から「腹筋を鍛えなはいよ」と言われたが、まさにその通りだ。もし も、人間には腹周りにアバラが2対多ければ、肥満は別の面に来るのかもしれない。
 幸い、昨日午後からの散歩からことなきを得たが、一時は頭痛も伴ったため、ついにダメか、とまで感じたところであったのだ。
 というところから、寝床を少々広げ、肩の周りを広くして、若干の余裕を作っての目覚めは結構気分がいい。
 ところが、本日は大掃除をやって...、で終わるかと思うと、あにはからんや、結局最後の最後まで徴収業務。自分の時間がとれて机の上を少しばかり掃除 したのが午後4時以降だ。午後5時前、ようやく落ち着く。
 その後は、労働金庫の方々と忘年会を兼ねて11月に実施したイヴェントの慰労会。誰と誰が飲まないし、僕もハチャメチャの気分になれないため、いつもな がらのところでお開きである。
 明日は本当に年末のお休み。いつもの予定は30日にすべからく終わらせる。いつになっても、この流儀は変わらないな。

2009 年12月31日(木)雪時々くもり
 の2日間、休みと いうものではなかった。まるで15年前と全く同じ葬儀の状況になるとは... 。28日は仕事納めの後で、労金関係のイヴェントの慰労会をやって、翌日は完全に休んで30日にお正月の準備を、と考えていたのに... 。
 義父の逝去、という連絡から何か別のものが15年前と同じになってしまった。不思議な感覚であった。
 一転して、本日は何とも寂しい大晦日になった。強い風と雪が降ったり止んだりの日中。ノンビリムードではないものの不況のこの地方をなお一層冷え込まさ せるに十分な年の瀬のようにも感じた。
 僕自身もお墓の掃除も出来ず、神様以外のお正月の用意は明日に延ばさざるを得ない。それほどの天気であった。幸い、宮脇、明屋の両書店へ歩いて出かけら れるまでに脚の方は回復してきた。これで右肩の痛みが薄らげばいいのだが、これは何ともいえない。が、ここまで回復できた。やはり、歳と共に焦ってはなら ない。僕自身が打ち出した「Slow Exactly Action」そのものをやる必要がある。
 それにしても、木曜日が大晦日になってしまった。懸案事項である市民サービスセンターの職員ローテーションも心配がなかったのには助かる。
 今年の暮れはあまりに急なことが入ってしまって、休むということにはならなかった。今年1年が良い年では決してなかった。一夜明けて新しい年になって も、気分は晴れそうにもない。
 僕自身のことは全く不明だが、それ以上に取り巻く環境、経済状況など、この地方はますます沈み込むことになるのであろう。誰も止めることが出来ないもの と思う。
 それでは、無事に越年されるよう祈って、今年の日記の最後としたい。



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