2009.7.1〜 9. 26

2009 年7月1日(水)はれ後雨後くもり
 るで、バケツの底 をひっくり返したような雨が1時間ほど降った。朝から午前中一杯は青空が見えていたのだ。全く今の国内の情勢のようだな。ガソリンでも120円過ぎている のに、誰も高いといわない。不思議な世の中だ。
 本日は夜間徴収。今の体制になって2月目の始まりだから、緊張が走ってしまう。日々はお疲れモードのままである。何もかもが一気に増えた担当地域。安定 化するまでは2年はかかるよ。割り切ればいいが、一縷の望み=徴収アップが僕の心から消えない。ま、これが気分がはれない最大の要因であろうな。
 昨日ボーナスが出たが死にそうなほど目減りした。決して「ボーナスが出てイイよな」と妬まないでほしい。昨年より10万円も減ったんだものね。宇和島市 の商店など、市職員の財布の紐が緩まないのだから、大変だろう。無手勝流でやっている飲食店もあるようだが、対コストとなると、かなりの赤字=倒産が近い かな、なども考えられるところだ。
 そういえば、本日初めて商店街にGaiya On The Roadが流れ、ダンスの練習している連中を見た。くだらないアレンジに反吐が出そうになった。その人数たるや... 。昨年は今の時期、相当数のグループが練習していたのにね〜。
 つまらない予想を立てても仕方がないが、その日だけ楽しめばいい、が多くなってきたのかもしれない。祭りの衰退だろうかね。

2009 年7月7日(火)はれ後くもり
 くなった。が、僕 は至って元気。でも周りは「お疲れムード」という。そりゃ、目の下の脂肪が引かないし、目の周りが黒ずんでいるから、この部分は僕にとっての相当のペナル ティーである。
 再び「誰でもいいから殺してやりたかった」の犯人が逮捕された。人間としてのほんの少しのコミュニケートを取る部分が欠如しているのだろう。
 さて、最近3度の食餌を米中心に仕向けている。実のところ、もう少し柔らかめに炊けよ!とはいうも、我関せず。内部の釜のレベルラインの下側を狙ってる ではないか。
 これを少しばかり上に水を張ると、上手く行くのにな〜。

 さて、この米飯中心説の食事の理由は簡単だ。が、不明点が多いため明かしはしないが、食べても食べても太らない。メシなど茶碗に2杯食ってもOK。何か 今まで間違っているようにも感じる次第だ。
 そういえば、水泳のソープ選手も炭水化物が多い食餌をやっていたようだ。本日の昼食はメニューが違ったが、母煮亭のお好み弁当はその面、なかなか考えら れている。お勧めだ。ラーメンライスとはチト違う。

 ツールドフランスで日本人2人が活躍している。私の自転車論は少々異なる。今でははっきりいって異端だろう。
 が、健康志向のためにロードレーサーを購入して、いざ走る段になると、サドルには座るわ、プレート付きのシューズで歩くは、などなど、「あんたが自転車 を操るんだぜ」。これがきちんと出来ていない。レース以前の問題だ。
 イヤになると、自転車の代金30万円がぶっ飛ぶ。オソロシイ世界だし、こういった点は報道されない。ハイアマチュアとすればたとえ50kmのレースで あってもサドルに跨るのと座るのでは大きな違いなのである。初心者だから、といって座らせてはならないのである。
 とはいえ、最近PEUGEOTにも乗っていないな〜。

2009 年7月11日()くもり一時雨
 和での宇和島本舗 オフ会以来、腑抜け状態になってしまった... 、とはウソ。実は連日の夜の会議があって、どうにも数時間の自由な時間が取れなかった。
 そんなことはないはずだ、と言われるかもしれない。が、午前中に1件程度の徴収。午後からの徴収準備で、午前がお終い。昼休みは昼休みであっという間に 終わってしまう。
 午後の徴収の後、夜の会議に向けて午後4時頃から準備する。午後5時半で仕事が終わって6時からの会議に間に合わす。もしこれが人事院勧告どおり5時 15分であれば、相当楽になるが、今のわからずやの市長には寝耳に水だ。
 会議が終わって帰宅するのが、午後8時。遅い夕食。メールの確認などでお終い。翌日は再び午前6時起床。
 こんな状態だから、夜の会議が重なると実際の所辛いわけだ。
 幸い、昨夜はバタンキューで、本日の目覚めはいい。シャワーを浴びてチョイトSR500を走らせる。SST-1の6枚に少し違和感を感じる。
 午後からディスクを4枚にしてテスト。いいのはいいが違和感を感じる。時間も時間だし、次なるテストの8枚にセットして、明日の走行テストとした。
 どの辺で妥協するかだな。性能を突き進める必要は無いように思うからだ。これ以上、キャブレターまで手を出すのならノーマルマフラーへ戻した方が早い。 堂々巡りといわれるだろうし、マフラー変更したところで性能アップするなどのことはない。もう少しの所で止めておく=それが妥協の産物だ。バカげているが メーカーを超えることは出来ない。ただ、石部金吉のメーカーお仕着せから少しだけ逸脱する仕様。それで楽しんでいる一時が楽しいのだ。

2009年7月12日() くもり後はれ
 前中に、気になっ ていた吉田の家屋の撮影と、SST-1の8枚でのテストをやる。これらについてはOK。後ほど本文にて。
 とは記したものの、少々頭に来ている。
 それは、ブログででも記しているが、「J-1グランプリ」をやることをもっともっとアピールすべきではなかったのか。詳しくは記さないが、あれだけのス タッフで短時間にいいイベントが開催差出来たことに感心しているものだから。
 今日の「J-1グランプリ」に「きさいや広場」のメンバーが出ているのに、支配人はそこにいる。どうして、施設の宣伝のためにも「あいさつできません か?」と、アエテ出しゃばってステージへ上がらないのだろうか。いつも黒子だけではないはずだ。
 さて、バイギブの J-160Eを再びいじった。どうやら、今回はサドルのようであっった。一定標準の高さのものをチョイスしたが、ピンからの距離な ど、まだまだ本物には追いつかない。
 修正作業も終わりの頃、テレビで中国の医療制度など見ていると「大地の子」で北京から20km隔てたところで病に伏せっている妹を見送ることになる。そ の医療は古い呪い主体のものであった。
 本日のこのNHKスペシャル見ていると、頭に来た。「医は算術」がまかり通っている。患者は人間である。広い中国のこと、全てではないだろうが... 。
 ふと、市立宇和島病院も遠くない世代で全く違った病院になるのかもしれない。経営主体がまるで変わるのだから、患者にゼニがないと... 。

2009 年7月18日()はれ(だな)
 日ね、鬼平犯科帖 のドラマを見た。少しばかり描いた想像に対して、最近は行き詰まることが多い。極簡単なことも事件になると事件の名称を付けて、裁判でお終いになるまで、 「事件」とされる。
 ちょっとの出来心、あるいは受け持ちの経理の間違いなど、情状酌量っていうのもある程度OKであった。
 本日は、NHK総合テレビ刑事物見てる。まだ結論が出ない。ふと、武田鉄矢の演じる掲示役が僕ではないのか、と感じてしまう。もちろん、僕はあれだけア クは強くないけど。それでもチョイトヤバイ方法で情報を引っ張り出すこともある。この辺の所が杓子定規では世の中渡れないということであろう、と思う。
 日中、黒田籏のぼり店へ出向く。今の館は結構風が通る。冷房は必要ないな。彼のことだから、今の家を建てるとき、風向きなど十分健闘した故のことだろ う。
 そうそう、彼が言ってたが、鉄道唱歌。そう汽笛一声新橋を... 、という歌だが、作詞は大和田建樹。それでは作曲は?。
 すぐさま名前が出るのならオーソリティー。多梅稚(おおの うめわか)さんである。
 僕自身、全く意に解していなかった。が、K君いうところの鉄道唱歌が日本のこと。大和田建樹も日本のこと。では、多梅稚さんはどうだというのだろう?。
 駅前のロコモーティブの下にある鉄道唱歌のところには、大和田何某かの名前はあるが、多梅稚の「お」の字さえない。
 宇和島としては、これは一つの落ち度ではないか、とK君はいう。
 少しばかり考えさせられた。俗称かもしれないが、散歩唱歌も彼が作曲したようである。
 実際、たとえばカラオケで歌う歌の作詞者、作曲者の明確なことを思いつつ歌うことが出来るだろうか。仮に出来る、となれば、それは貴方がステージで歌う 場合であろうと、僕は確信する。2009年7月14日(火)はれ
 真面目に「はれ」です。本日、私は日中にスクーターで仕事のために20分ほど走ったのですが、すっかり陽が入ってしまって、その後の数時間は気分が悪い 状態になってしまいました。
 にもかかわらず、この辺の梅雨明けは来ない。関東甲信は梅雨明けでしたが、中国四国、それに九州北部は梅雨明けではありません。
 おわかりですか?。銚子、館山を主として、北西へ何度の北海道、南西へ何度の九州北部。こういった弓なりの日本に対しての梅雨前線状態でしょ。そんなの は天気予報の平面図では一部のみ理解できるところです。
 つまり、房総半島付近を思いっきり太平洋側へ出した弓なりの地形が日本なのです。この点を知っていれば、梅雨明けはまだ先のことと思うのは容易です。
 話変わって、WBCのチャンピオン戦を見ていました。たとえば20人が見たとしたら、挑戦者が勝利すると踏んだのはその大半であったと思います。アナウ ンサーも声のトーンも少し落ちて、言葉数も少なくなってきましたから。この試合を見ていた私としてはヤリキレナイ気分です。こと、挑戦者の手数の多さ。こ れだけが目に付いた試合でした。
 その後の番組の制作はいただけませんね。まず出たのは、前回の試合。このスピード感とか、ゲーム展開がちらりと流れたときは、今日とはあまりに違う内容 に愕然としましたし、お母さんの病状のことを出すのは、いかがと思いました。最初にもぎ取ったチャンピオンの時は「美談」になったんです。が、今回は負け た。
 プロのボクサーの世界です。決して冗談言ってるんじゃないんです。番組作りの関係から出したまでのこと。前回を知っている者にすると「放送時間の関係か ら」といって逃げられない。スポンサーなどの関係から致し方ないことゆえのことでしょうか。
 ところが、後のスポーツニュースでは勝ちの試合もあったのです。こういったゲームの試合なら組まない?。そういえばボクシングのタイトル戦のダブルな ど、なかなか汲めないようですね。
 おかしいことですが、「明日のスポーツ新聞で最初に目にする、昨日の結果」がトップであった、何か昔の時間がゆっくり流れていた世界を思い出して、どち らがいいのだろうか、という感覚がしばらく続いてしまいました。

2009 年7月20日()はれ一時雨
 前中、雨になっ た。スコールではないが打ち水的なもので、この点は助かる。僕は真面目に天気予報を信じて、本日は休養するのみ。
 が、朝はやはり仕事が先に出てしまう。午前四時過ぎ、ハッと目が覚めて、職場へ行く用意をしなければ... 、と。妻は本日は勤務。しかもプチ早出である。
 一眠りしても、やはり六時には目が覚める。嫌な慣習である。

 久しぶりに一日中ネットで楽しんだ。その中で、何気なくタイプした「アメリカ陸上競技の技術」。リターンキーを押した瞬間、僕の頭の一部が1968年か ら70年へ向けて一気に巻き戻しを始めだした。この本が古本屋にあるではないか。
 A4サイズのアート紙による陸上競技のメゾッドである。1968年のメキシコシティーオリンピックでのアメリカ選手の活躍は凄まじいものがあった。どう して100mを9.9秒で走れるのだろう。200mを19秒8、400mを43秒台で走ってしまう。どうして8m90も飛べるのだろう。フォズベリーが自 分で創った背面跳びで金メダルをゲットした。これまでドイツとかそういったヨーロッパの考え方が一気に瓦解した陸上競技であった。
 本当に「どうして」だろう。その一部分をこの「アメリカ陸上競技の技術」で垣間見た。
 選手がどうしたら100mが速く走れるか。スタートを重視したい。この問に対して... 、
 「スタートダッシュかい?。ピストルの音が向こうの山に反射した頃一歩を出せばいいよ。むしろ、その後のダッシュ・フリーホイーリング・ギャザー・フィ ニッシュをまとめなければ、勝てないよ。」とコーチ。
 なに、スタート・ダッシュ・フリーホイーリング・ギャザー・フィニッシュ... ?。100m走る間に、これだけのことをしなければならないか?。

 僕が頭を打たれた一文であった。そして、競技のメインなんてものは無いんだ。何でもやって、そこから得意なものをやればいい的な言い分。スゴイ。アメリ カはこんなことをヤッてんだ。

 で、メニューをやる段になって挫折した。ウォーミングアップそのものが、高校時代の日々の練習ではないか。それ以上をやるには、時間から環境から、とて もじゃないができるものではない。豊かさの違いを感じた瞬間でもあった。

 僕が持っていたものは南校の陸上競技部に行ったまま行方不明になっている。もしかしたら、体育教官室に二冊あるかもしれない。

 何度も読み返したから、この辺にこういった記事があるというのはよく憶えている。
 もしもはイヤだが、マスターズ陸上を始める前に、この本を持っていれば、もう少し変わっていたかもしれない。

 現在は訳者の関係などから出版社でも再発できないらしい。今回の本は記名があるそうだが、それはそれで、僕と同じような人が日本にも居たんだ、と思うこ とから気にならない。もう少しの期間を経て、再び僕はトラックに立つと思う。
 その準備段階で、この本をゲットできたことは嬉しい限りである。すでに、宇和島市でもオールウェザーの400mトラックが出来ている。そろそろリスター トしなければならない。

2009 年7月26日()くもり時々雨
 日、朝の雨は凄ま じかった。和霊様が怒られたのかもしれない。今の政治を物語っているようだ。そういえば... 。
 22日、この日の朝の雨もすごかった。意地悪で、Gaiyaのステージなどを撮影しようとしたものの、スタッフの方が午前7時前から出張っているのを見 ると、心の底で「ガンバッテね」というだけ。
 職場では毎日「朝礼」なるものをやってる。5分間職員があることないことを喋るのである。この日は、臨時職員の方が担当であった。エライ真面目に言う な、と思いつつスピーチが終わって後ろを見ると市長が立っている出はないか。
 去るときに市長が言ったコトバに少しばかりカチンと来たよ。

「仕事 とお祭りが半々か」

 アエテ反論はしなかったが、女性職員の多くがモーニのTシャツを着てたためだろう。それならもっと違う言い方があるはずだ。
 はっきりしているのは「市長名でお祭りを盛り上げよ」としているのだし、一節によると、勤務評定に加味することも検討しているという。つまり「公僕」と いうカタカナ民法の役人の意識をそっくりそのまま受け入れ、市民のために「職員は働け」という具合にしか受け取れなかった。

 今日は明るい雨が降ったり止んだりの1日であった。僕も退職まで残り2年と8か月になったし、ふと、NHK総合テレビでの信州プロレスを二畳の間の我が 部屋で見ながら次のようなことを考えたね。

 今回の市長選で、誰がなっても変わりはしないな、と思った。今の市長だと、おそらく今の計画を推進するだろう。九島架橋をやって、終末処理場を九島へ建 設。この点は巧く隠されているからね、再び浮かび上がると命取りになるかも。
 同様に、この辺の経済は、ますます疲弊し、中途半端な行政のままで4年間を全うするだろうさ。

 N予定者が市長になると、2年目を迎えるところで、破綻が来るかもしれない。彼は、大きい自治体の中の宇和島選出の県議ということしか経験がない。悲喜 こもごもが混じり合った合併後の宇和島市の状況が判っていないからね。かつての菊池市政のようになる可能性... 。
 前回の市長選でも合併特例債を使って市立病院を... 、と言ってたもの。もし、それをやってたら今頃は... 。
 今回は、文化会館を宇和島市へ、という問題が出てきている。はっきり言ってお荷物が増える。それ相応の文化行事を行う館としての機能を発揮する予算を組 まねばならないんですからね。加えて、そろそろ外回りを含めた耐震化の工事、全面改修も待っているから大変ですよ。
 それらを、徳川家光のように出来るかな。

 Tさん(だろうね)が市長になると、凄いよ。どこかの首長のように、職員からも、議会からもソッポを向かれる可能性が出てくる。この方が市長になると、 役所の直属の参謀が居なければ、上手く行かないだろうと思う。僕を含めて、役所に働く方で退職年齢が近い人は、来年3月で退職した方が賢明かもしれない。
 今の宇和島市の公債比率から税収、交付税交付金など、ゼニの入り具合から宇和島市の運営を如何にするか。住民の要望を受け入れ、自分の思いの一部でもや れた、とするなら大丈夫だろうが、いきなり職員賃金を10%カットするとなると、高卒の初任の給与は120,000円台だ。が当然、医者も看護士もカット してもらわないと不公平が生じる。
 当然のように、役職報酬もカットすべきと報酬審議会へ。となると、市長給与は40万円台か。いいね。議員報酬も25万円だ。
 けど、よく考えてくださいよ。税金で給与を賄っていますが、給与から税金も引かれるわけですわ。市の税収も少なくなる。当然、購買力も落ちるから... 。
 とまー、浅学の僕が考えを巡らせてもこういった状況で今の宇和島市の日々があるんですよ。
 徳川吉宗のようには行かない。

 石橋市長は解っていると思うけど、予算書が読める他の市長候補はいらっしゃるかな〜?。

 24日、新たに姉妹都市の縁を結んだ当別町(僕は知ってますが、何処にあるんでしょうか)から12人も来てましたよ。
 では、彼の地でのイベントにこちらから15人程度派遣できるか?。
 以前の菊池市政のように、仙台、旧更埴から表敬報恩されても「勝手に来たのだから知らないよ」では済まされない状況になっているし、その仙台から伊達家 の御当主が来られたとき、市長は迎えに出なかったのだからね。
 柴田前市長が仙台との関係修復に「9年ほどかかった」と言ってたから、裏では大変な苦労があったのだろうと思う。
 僕自身も、今回の関係の仲を取り持った旧岩出町の執行委員長から「随行員として来られないんですか?」という電話を受けた。彼は職員団体の長として出向 くというのである。ナサケナイ。

 さてさて、まだまだ宇和島市は沈むよ。8月、お盆に帰省する方々は多いか少ないか?。お祭りの状況からすると「少ない」でしょう。
 海はますます遠のいた。陸地に掲げられた大漁旗も右下がりの... 。年寄りの考えすぎだろうかね。

2009 年8月2日()くもり後はれ
 くは記載しないけ ど、所用で八幡浜ねSR500で出向く。SR500はずいぶんと良くなったが、何か違和感がある。このことを突き詰めるだけのものは用意していないし、そ ういった方向へ100%邁進することもない。この曖昧さにだけ何とか対処したいところだ。
 帰ると、別枠での事務。住所の表示がいい加減だから、上手くヒットしない。1件に20分かかることもあったりして、少しばかり上手く行かない状況であ る。
 夜、古橋 廣之進氏が他界したニュースを知る。良いことだ。多くは語らないけど、日本流の「あの人に」を最後の最後まで... 。そして、古橋氏も決して他人に譲るようなことをしなかった。
 ローマでの水泳の結果から日本水泳があっという間に世界から取り残される。この状況が多くの国民に判っているところだが、僕は当然と思う。
 「素晴らしい選手=素晴らしい指導者」の図式はほとんど出来ない。日本人はバカばかりだから、これを平気で受け取り、そのリサーチを一切やらないし、古 橋氏のことを出して申し訳ないが、早々に辞任すべきではなかったか、と思える時勢は過去にあったハズなんだけど、これが一切論議されなかった。
 ことJOCとか何とか、各スポーツ団体の評議員、理事などは、無報酬であるべきだ。これが報酬もらって何夜かいうのが当然になっている。競技者は貧乏な んだから... 。今日の横浜での岡野氏のラジオ体操、やり方間違っていたよね?。曲げなどは少しで良いから、各体操のやり方を間違ってはならない。はずかしい。
 そういえば、友近参議院議員が言ってたが、文教関係での予算は「ツメの先」程度、「鼻糞丸めて万金単」にしかないらしい。
 息吹のジジイが文部科学大臣の時に戦前の教育論に近いことなどぶちまけていたが、早く辞めてもらって良かった。愛媛県では教科書問題をチャラにすればい いんだからね。
 あの教科書見て、知らない間に「日本を敬え」なんて教育される。(保健体育の)教員免許持ってる僕が今の子供に対して軍事教練並みの保健体育の授業をや ると、こういった洗脳は一発でできる。
 僕は保護者や県の教育委員会のいくら圧力があってもやってやる。自殺する生徒も出るだろうね。心は一つ、「教科書と指導要領どおりです」である。
 さて、市長の2候補予定者の事前運動が盛んだ。聞いているとバカみたいに聞こえる。石橋君の九島架橋。この事業にどれぐらいの雇用が見込めるのだろう か。多くは大手建設業者に契約され、地元の関連企業は、お裾分け程度の雇用促進にしかならない。
 九島と、戎山の工事はどうするんだろうか?。そして、クリーンセンターの行方は?。九島住民とのコンセンサスは?。バカみたい。
 もうお一方も同様だ。「放っておけない」が本来のハズなのに、今治にも同じようなポスターが貼ってあったり、で、宇和島市を放っておいたからダメなん だ。それをアタシが市長になると、こういったことをやって、宇和島市をいい方向へ持っていきますよ、というのを、街頭でいわなきゃ。「ほっとけない」な ら、誰でもいえる。バカみたい。
 結局ね、貧乏なことを市民に通知して、もうしばらく我慢してくれ、とでも言わないと、元の木阿弥で市民の負担ばかりが増えることになるのは、僕個人は容 易に理解できる。
 こんなんだもの。誰が市長になっても、そうは変わりはしない。九島に橋を架けたところで、出来上がったら宇和島市の経済はどう変わるのだろうかね。
 放っておけない、とそれに対峙して難問をクリア出来るのだろうか、と僕には思えるが、本当にそれが今の宇和島の経済状態でできるのだろうか。
 ま、今月の末に決定されるのだろうね。みなさんは誰に投票するのだろうか。

2009年8月7日(金)はれ一時雨
 場のお仲間内か ら、この日記に最近過激さが乏しい、と言われる。確かに今年の4月から6月頃は過激に記載しなければならないほどの環境環境であったのだし、数回の懇親会 の後の二次会では、マジ、今の上司(トップ)が先に帰ると、ずいぶんと盛り上がる。少しばかり驚いてしまった。その後の二次会で、たまたま旧上司へ連絡が 取れると、 それまでの懇親会が借りてきた猫程度と思われるほど最高潮に盛り上がる始末だから、アー、ウェブ上だしバーチャルな日記でのものだけど、実際は僕のように 思っている仲 間が多いことに少しばかりびっくりする。
 ところが7月になって、各支所へ仲間を常駐させる方式を採って以降、上司が我々に干渉することが少なくなった。気抜けした、とも思えるが、僕はこれまで 以上に労働強化を背負わせていると思う。そして、業務日報を逐次見つつ、やれ、何が悪いとか動いていないとかブツブツ言いつつ、方策を出そうと... 。
 一面では職場は落ち着いているかのように感じる。本人は発破をかけているつもりだろうけど、いつどういった時に、 これらのことの結果から職員へのマイナス面が出るか... 。
 となると、今までのものが一気に落とされる。 そう、まるで地震のようなもので、前ブレがないのである。おまけに僕など、自分流のやり方でやっているわけだし、出てくる結果に「いやみ」を含めた言い 回しのオコトバが... 。

 職務上、専門用語を使用するけど、「臨戸」なんて、今は日本の自治体のうち多くのところではやっていない。定期のものは臨戸とは言わず訪問を使用するの が一般的だ。それを、あくまで臨戸にこだわる。合併前の状況ならこれもタマタマヒットすることもあったが、今の世の中、相手が日中家にいるわけがない。 (臨場感あふれる... 、というと臨個(リンコ)の意味もお解りだろう。)
 今年は、この「臨戸」を県下の都市の業務担当者に「お前んとこは臨戸をどういった 方法でやっているのか?」と聞いてまわれ、というのだな。僕は開いた口が塞がらなくなった。アナクロ(時代錯誤)であることは容易 につかめる。つまり、失笑を買う羽目になるのは目に見えている。、
 「溜まっている分の納付をお願いします」の文書にも程度がある。何もつけない方がかえっていい場合があるのも事実だ し、担当区域が広がっても、僕は僕流のやり方でしかできない。が、長年今の業務に就いている仲間に、僕流のものを押し付けるわけにもいかない。

も う知らナ〜イっと。というところで、僕は冷やかに今の職場の状況を見ているのみ。

 このことを含めて、もうひとつ、僕を「お疲れね」とおっしゃるお仲間も多くなった。原因の大半は「VOTE」です。この活動は本当につらいです。400 人近い仲間が居るのに、 やってくれるのは数人だし、30日の結果次第では...。
 というところで、本日は連合サイドの石橋寛久氏と政策協定を結ぶ。コチトラ思いっきり仲間の声を届けるために準備していたのだけれど、連合愛媛の木原会 長が労使双方が十分話し合って行くよう望む、とうまく言ってくれたし、後の懇談で、団体交渉の一歩手前まで突っ込んだ話になってしまった。
 結果、概ね思いは伝わったのではないだろうか。

 もう一点は「ほっとけない」である。実はこれ業者の仕事らしい。つまり、N川氏のバックアップは全て選挙業者のB□Xのノウハウでのことら しい、という。そういえば、八幡浜、今治にも同じポスターが掲示してあったというのを聞いているから、現実に、こうやって半分は「洗脳」する方式は少々危 険を伴う な。そういえばN川氏自身動いているのかどうか全く不明だもの。映画の「善人の条件」というのを少しばかり思い出した。

 そろそろ退職後の生活も視野に入れて計画を立てないとならないな、と思う今日「立秋」です。

2009 年8月8日()はれ後時々雨
 前中の晴れを一気 に打ち砕く雨は今も降っている。立秋を過ぎて初めての1日。土曜日。僕自身は戦伽活動でそれはツブされた。が、高校野球の開会式を見るなど、結構時間を割 いて対応していること自体、58歳の僕には妥当なところだろうか。とはいえ、それさえできない年齢の者が多すぎる、それに満たない奴も多すぎる、という両 極の現実が出現するのである。
 どうだろうか、本日のNHKの9時からのドラマ。ご覧になっただろうか?。ブログではかっこいいことを言わざるを得ないが、日記では、これはスゴイコト だろうと思う、と表現せざるを得ない。
 仮に、警視庁などの関係機関にこのドラマを放映する、という件があったのは事実だろう。が、実際はそうはならないまでも、これが事実としての凡例まで導 き出すほどの事件に記録されているのも事実だろうと思う。
 人の心は一面解っているようで、その実4/5以上のものは解っていない。こと日本人は、最近、この1/5程度のコミュニティーも地域住民がツブしている のが現実だろうと思う。
 この最終章の修羅場を今の若いのは経験していない。本当だ。「死んだら終わり」、「殺したらそれまで」。その後のことを考えられる、そういった若い奴の 教育は皆無ではないか。親も、学校の先生もその傾向が強い。
 主人公がとてつもなく大きいコトバを吐いた。一瞬、僕は困ったが、老いぼれの僕でも、まだ一線で動かなきゃならない、ということを知った一瞬でもあっ た。
 ドラマでは恋人を殺されたが、空気みたいな我が女房も同様であろうと思う。お互いが同じ屋根の下で生きている。
 しかし、そこにはコトバで言い表せない他人同士の二人の呼吸が連綿と生きているのだから。ともかく、「死んだだけでは何もかもが終わりにはならない」と いうバカげたこと。お互いカラすると、オチは別として、「死ぬことは逃げだ」、ということの方が強いように考える。

2009 年8月12日(水)
 挙の関係で、旧宇 和島市在住の組合員を本庁職場の中で訪ねると、一瞬愕然としてしまった。一部は管理職になっているし、それに近い職に就いていたりしている。
 (僕より年下ゆえ)そいつらを除いても、相当に少ない。もっと悪いことに、ここ数年のうちに就任した若い奴らは、その大半が今の宇和島外に基本住所があ る外様だ。したがって、若いネイティヴウワジマンの職員は皆無ではないだろうか。ましてや、その中から旧市内を少しでも知っている組合員を探そうなんて、 非常な困難を強いられる。
 こういった現象は自治体合併の負の部分であろうな。外様の若い奴で、本当に現在の宇和島を知ろうなんて思いもつかないだろうし、近場の松山辺りなら土日 は帰省という次第。
 こんな連中が、これからの大宇和島の行政の一翼を担うのだから何をかいわんや、である。
 決してグローバルな世界観からなんて言うなよ。こいつらが市民に対して真の行政サービスができるかどうか、僕の退職後のことだから、時の為政者におまか せしよう。
 いやはや、久しぶりに1階から8階まで回ってみたが、ツーカーでいっていた時代が懐かしい。今は僕を煙たがるか、引いて構える。わずか4年しか経過して いないにもかかわらずだからね。すごい世の中になった。
 こんな中でいい仕事なんて出来やしない。そうそう、いまだにどの課が何階のどの辺にあるのか知らない奴が相当数居る。もっとも、人口も少なく(激減状態 に)なって、所用で市役所に来る市民も少なくなったからいいようなものの、こういったのが対応して少しばかりトンチンカンな答えをすると、少々ハシカイイ 市民には相当怒られることになるんだよね。

 さてさて、選挙の事前運動が盛んだ。本日も新聞受けにI候補のパンフが入っていた。「強い宇和島を創る」とすべきだが、貧しい現状からは「創造」などは できない。島へ掛ける橋を造ったところでどうだというのだろうか?。
 選挙プロモーター(コンサルタント)がやる選挙で宇和島での勝利になると、少しばかり恐ろしい。たとえば、八幡浜市長選での結果を見れば、それを宇和島 へ当てはめて成功すれば、選挙プロモーター(コンサルタント)にとっては大成功で、大きな収益に結び付くし、新しい市長は八幡浜同様に、最初の急上昇から 奈落の底へ向かって落ちていくのは早いよ〜。
 Tさんも過激なことを言いつつ、今の宇和島の状況、特に行政の状況が理解されるにつけ、市政のかじ取りの難しさに気付いたのではないだろうか。市立病院 3つの経営をどうするか、の討論会での話では、えらく後退したようにも感じる。個人のマニフェストだけでは選挙は勝てない。市職員に彼のブレーンがいらっ しゃるだろうか?。いらっしゃらないのなら、四面楚歌であり、そのうち何とかしたい、といった気分を受け入れる状態ではない中へトップの人物で入ってくる のだからね。
 この辺は、市民も結構見ているんだよな。
 でもって、で、もうわかるだろうさ。でもNさんが市長になるといい面と悪い面、こと、悪い方が任期の前半に出てくると、かつてのK市政のようになってし まうのは明白だ。
 悪くなって、再び元に戻したS市長のような人物が4年後に出るかどうか?。少なくともそういったところまで考えないと...。
 というところからも、僕は白票を投じたいんだな。今回ばかりは...。

2009 年8月15日()くもり一時雨
 日の今日で、眠っ て起きての繰り返し。ふと何年前になるのかしら、二次会で、時間を忘れてハイボールばかり飲んでいた時があった。その後、焼酎が流行りだしたし、ウイス キーの水割りなんてものも少なくなってしまう。「水割りをくださ〜い... 」なんて歌は今の焼酎ではフィットしない。酒と歌の組合せは結構難しいものだ。
 今日の時点で昨日のことを記載するのは野暮かもしれない。が、一昨日から何となくお盆=先祖というものを少しばかり考えるようになった。そう深いもので はないのだけれど。
 まず気に入らないのは、他県ナンバーの自動車に殺されそうになってきた。特に京都ナンバーのドライバー本位のセコイ運転にはマイッタ。
 原付を左隅へ追いやろうとするような運転。道交法には原付は路側帯を通行することを許していない。僕を路肩に押しつけてまでも自分はキープレフト。事故 ると、「お前が悪いんヤンケー」と、おしとやかな京都弁でやって来ること間違いない。そうならない前に「ボケ〜」と公務員にあるまじき声を発したが、クー ラー付きの車内へは通じない。POLICEタイプのBELLヘルメットがこういったときに効く。思いっきりにらみつけてやった。これが2回もあったから だ。
 お墓参りも形骸化してしまっている。お寺の墓参りは、花崗岩の石塔以外はごしごし擦るなってんだ。砂岩の石塔はこれをやると悲惨だからね。もっとも、ど こもかしこもコンクリート固めだから、その必要もないかもしれない。
 しかし、そこへ入る人のことを思うと、僕は耐えられないね。やはり、地面=土の墓所というのが好きだ。父が言っていたことが分かるようにも感じる。
 ま、今年はトリプル(フォース)選挙があるから、僕自身カリカリしているのかもしれない。来年のお盆はこういった状況ではないはずだ。それまで生きてい ればだけど。

2009 年8月17日(月)はれ
 はね、何でもかん でも数値で判断するのが一番キライなんだ。いや、それが悪いとか言うのではない。「数値が全て」という考えが大嫌いなんだ。プロ野球でいうと「広岡監督」 時代のヤクルトとか。
 vプレーヤー9人と、それに伴う控え選手、数人のコーチ。そしてトップにある監督。そして外人選手の通訳とか、縁の下の力持ちなど、それらが一体になっ て の野球チーム。どうにか上手くいっていたそこへ 「こういった数値が出ているが... 」と横やりが入った。どうだろうかね。
 当然、より強いチームづくりのための策であり、それを「見えるもの」としての数値とした、というのが理由かもしれない。
 しかし、こういった「数値」を多用した指導なり目標設定なりを今のスポーツ界に当てはめると、日本のスポーツ関係団体は一発でダメになりそうだ。
 たとえば、世界陸上に出ている選手の活躍見てると解るだろう。国内で最高では、世 界では一般以下なんだ。「一層奮励努力せよ」を今の時代に当てはめてしまうのならまだいい。つまり、これからのロンドンオリンピックへ向けて、今回の結果 を基に再び数値を用いて目標設定などをやるのだろうかね。はたして、何処にどれだけ、というのが、本当に正しい判断かどう か。
 僕自身も今の職場に来て、「何とか滞納を無くす」をモットーとした。何しろ18年も課税の業務にあった者が、一日で徴収に回れ... 。どうだろう、真面目に考えても、僕が抱えている様々な別の役職から手を引かせるための人事が考えるウラの措置のような気がしてならなかった。これが三年 前。
 あの頃、僕は小林稔侍が扮する窓辺何某かの(査察官の裏の)税務署員のやり方に右へ倣えしたまでのこと。今でもその考え方は変わらない。実際に、僕は真 面目に揉み手擦り手で、1,000円でも徴収したり、納付してくれるように方向付けをしている。
 そのため、徴収先での世間話とか、季節のこととか天候の様子などを交わして、僕を印象づけるわけだ。でも、ある程度の心は許さないし、守秘義務は守らな ければならないよ。
 こういったのを今の若い職員は杓子定規で考え、それを実践化する。  
 仮にアナタが滞納者で生活が苦しいんだ、といったところで、「アンタの問題だから知らないよ」で、我々は公務でやってる、と平気 で言う者が多すぎるのだ。とすると、どうだろうか?。
 そこへきて収納率がどうのこうの言うものだから、一層困る。収納率などは臨戸(りんこ)が全てである、など今の時代ではナンセンスなんだ。賢明な読者は もうお解りだろう。
 「Boneさんは臨戸していないのに収納率が高い」と(不思議だと言わんばかりに)上司がのたまう。
 この収納率は、基準になる一つのものを決定していないのが最大の欠点だ。各担当が持っている地域の滞納者のうち、真面目な納付をやっているところは成績 が上がる。その逆、高額だが収めない滞納者を多く抱えている担当者は収納率が低い。
 それは臨戸しないからだ、と決めつけることは出来ない。数値が全てではないのだ。
 僕が指導せよと言ったところで、僕の担当地域でも500件近く抱えている。6月までなら、それもある程度出来たが、今は無理だ。7月からの変更に対し て、今でも新しい担当地域の不具合を出さないようにするので手一杯だ。同様、旧町の状況も把握しないと、いくらそこへ人を配置しても思い通りにはならな い。
 それゆえ、少しでも納付させるよう意識を集中して、納税者のことを考えればいいのだけれど... 。僕自身、結構大変なんですよ、毎日。

2009 年8月18日(火)はれ時々くもり
「トップがいないと、普段の仕事ができる!」 不思議なことだ。じゃ、トップがいないと不都合なことはないか?。サブが居るから大丈夫。
 話は変わって、数日前、酒道場で、「興が乗ると大声になるYさん」がなかなかのことをおっしゃった。役所は職員が多すぎる上に仕事をしないから給料泥棒 だ、と。
 カウンターには彼を入れて5人。挙げ座に2人だが、おそらくその倍の客を相手にしゃべっているように聞こえたはずだ。
 僕は現状を力説して、そういったものではないのだ、を、これまた大声をあげてまくし立てた。ま、20分程度のバトルだったが、ようやく納得してもらっ た。
 もちろん、一日過ぎれば忘れているかもしれないが、こういった、僕が説明したような、何というか行政の仕組みなどをわかりやすく解説した冊子などを作る べきではないか、と思ったね。政党がマニフェストを出すのなら、新しい市長候補予定者も公約を出した上で、事前運動をやるべきだろう。「九島架橋」や 「ほっとけない」だけでは、「この人が市長になると、我々の暮らしはどうなる?」というのは市民の関心事だろう。
 確かに、昭和55年ぐらいまでは、市役所の見学会、少年少女の市政教室などをやっていたのだが、合併後はトンと御無沙汰。その上、行政の仕組みが複雑化 したうえにコンピュータ化してしまって、そのセクション(課だな)でのことはそのセクションだけで、他の所とリレーションがないことになってしまってい る。

 というところで、今日など三間支所にウチ(課)の職員がいる。渡すべき書類が溜まっている。持っていきたいので誰か時間が空いている人?と言っても誰も 手を上げないから、僕が50ccのタクトで出かける。
 もっとも、僕の担当区域に、売却された家屋=滞納分が入るかもしれない、などの調査を兼ねてだけど、三間へは往復22kmだ。

 駐在担当が一週間に一度程度はこちら(本庁)へ来てもよさそうだが、本庁にいると、「なぜここにいるんだ?」とトップが目ざとく指摘するものだから、お いそれと本庁へ来られないのだ。ばかげているよな。(他の所も同じだし、はなっから、それを想定しているところは一切来ない。)
 臨戸数増加=徴収率アップ、という固い信念をトップが持っているから、現在の職場を離れるとサボリに感じられるとしたものだ。そのため、どうしてもこち らから行くべき、となる。が、トップが居る場合は、僕自身に対しても「行かなくてもいい、往復書簡で対応しろ」とくるわけよ。本当の理由は言わずに、先ほ どのとおり、僕は担当地区の臨戸と調査を、という目的で、足を伸ばしたついでを利用して書類を持って行くけどね。

 我々の仕事は、法律準拠での仕事内容だけれど、納税者への配慮は公共サービス部門の我々の任務でもある。我々は取り立て屋ではない。

「オイオイおっさんヨ〜、こっちは調査してん だぜ。明日にでも生命保険や貯金をおさえたろか?」

と、本当は凄んでみたいよ。

 しかしね、年金から少しずついただいている場合もある。今月はお盆の費用に使ってしまったから10月(の支給月)まで待ってほしい。僕は状況把握して 「いいですよ」と応える。

 ここを強く否定して言うのが居ると... 。 

 おそらく、オーソリティーの行政マンからすると、僕の考えは間違っていると思う。しかしながら、いくら法律準拠でも、ある程度の人間味を加味しなけれ ば、1,000円の納税でもなかなか難しいのだ。
 それ(税金出せない)なら商売止めてでも納付すべきではないか、と、この4月にトップが言ったわけだ。どうしようもない。たとえ冗談でも。

 こんなところが今の職場の日々なのである。僕もこの職場で3年目になったから、そろそろこの職場を去りたい、と強く感じているところだ。熟練というか経 験がものをいう業務ではあるが、退職まではチト辛いものがある。ことに、ある程度若い新人が僕の後に来ると、納税者の方からの突き上げが強くなりそうで、 僕の自負心以上に新人さんの心の痛手の方が大きくなるのではないか、と思うのである。特に今のトップのもとでは。

 新しい市長になれば人事異動で変われることを願うのみ。と今は切に望んでいるよ。また明日は朝一で「収納率の検討会」とやらをやるんだろうな。気分重く 出勤するわけよ。わかりますか。

2009 年8月19日(水)はれ
 日予想した会議は なかった。しかし、全てを把握する必要からか、あん人は全ての操作を身につけようと躍起だ。それなら、あん人専用にもう一台処理能力の極端に速いPCを持 たせるべきだ。そうまでして、全てのことを管理したいか?。バカみたい。一主事から、その操作を学ぶバカらしさ。その分は別のことにつかえ、と言いたいよ ね。
 簿君床にも来るのは、わざわざこういった理由で、とのことから過去の文章も付けての決済なんだが、イチャモンが来る。そんなのは知ラネー。今の参考に付 随したものなのである。それを拡大してもらっては困る。もっとも、入らない滞納税金だし、書類の不備がなければ致し方ない。
 明日は出張らしい。あん人が行く必要があるのかね〜?。若い職員とか、担当になった職員を活かせるべきものではないか。事実、それを4月の就任あいさつ で言ったのだし、3年ごとに異動対象者へリストする、とまで言った。加えて、3年のウチに業績を上げると、その人の昇進に対しての異動として好ましいとも 言い切った。
 が、若い奴らは重要場面に立ち会わせない。もっと悪いのは、あん人が「シャカシャカと私が知らなければならない」との情景が毎日だから、ホトホト頭に来 るんだ。解るだろう。僕自身も知ってることには告白するが、それ以外はナ〜ンも知らない。
 職場が一つに纏まらない。僕自身もどう対応して良いか不明。僕が口出しすると、必ず遠回しに... 。
 ま、どうでもいい。僕の仕事を全うするだけを目標としよう。

 2009 年8月21日(金)はれ時々くもり

 8時になっても選 挙の声は一切聞こえない。なかなか難しい様子だ。山本陣営も今回は大洲という陸地からせまってきた。いくら海端の状態が悪からといっても、この海端を無視 すると多分今度はダメだろうな、と想像しますがね。
 若手の二人はどうだろうか。高橋は八幡浜を掌握しているのだろうか。その上で宇和島以南を何とかすべきだろう。むしろ宇和島主体なら、早期の内に海端 を... 、と思うが、もう遅い。
 結局、桜内がソコソコやってトクしたかな、とも考える。
 そういえば、昨日の市長候補予定者の共通質問に答える会が南予文化会館で行われた。わずか500人の参加。バカみたい
 そりゃそうだろうね。「九島架橋は就任直後にやる」と石橋君は一切言っていない。中川氏にしてもハワイハワイって言うな、という。友好都市で宇和島売り 出すのは相当に難しい。現に宇和島からハワイへ大量に市民が行くご時世かどうか。補助するにしても市にゼニがないのだ。
 竹田君の言うようにするとなると、市民には応分の負担を強いることになるのは明白だ。市職員の賃金を下げるのは結構だが、同時に宇和島市の経済も冷え込 むことは容易に分かりそうなものだけどな。
 で、マニフェストっていったところで夢の羅列でしかない。現状を維持しつつ、近い将来と少し遠い将来を見据えた市政に邁進する。その一つとして... 、を力説する候補予定者はいないのだろうかね。それゆえ、今回の市長選挙は白票を投じたい、と僕自身は考えているところだ。
 そんななか、自治労の我々として事実上の最後の行動を終えた。何とも割り切れない気持ちが支配する。
 助かったのはSR500だ、気温は33℃近い。アイドリングが不安定になる。一応900回転に設定しているのだが、これがドンドン下がる。最終は700 回転近くに落ちてエンストしそうになってくるのだ。ヤバイな〜、と感じて信号待ちなどでは1000回転にアクセルグリップをひねっていた。その後は快調 だったから、アイドリングを900近くに戻した。
 では、それまでの900回転は何だったのだろうか?ま、この辺の所を詰めよう。ようやくそれもできるようになった。

2009 年8月26日(水)はれ
 、気分よく目覚め る。思い立ったように近所の和霊神社へS1 Proを持って出かける。ふとしたことから、今の和霊様はどうなっているかを確認するためだ。
 二礼するときにフラリとする。下駄の歯の減りが丸くなって、うまく立てない。少し前後に開き、二拍手して一礼。以下はブログのとおりだ。
 朝食はサンクスのサンド。普通のサンドだ。安く上げるためではなく食傷気味。飯と味噌汁のほうがいいようにも思う。
 政見放送を聴いて仕事へ。ほんの5分違いで選挙カーをかわせる。仕事柄、選挙事務所の前は選挙期間中と降りたくない。当然、徴収もこれを徹底している。 前回の選挙のとき、言いようのない中傷を浴びたから。仕事外でも、本当は組合活動の一環としてやるべきだろうが、今回ばかりは期間中の行動は控えている。
 職場は平穏だが、かかってくる電話の応対で嫌な思いをしてしまう。ほんの一言丁寧な言い方ができないとダメか?。相手はエライ人を電話口に出せという が、どういった用件では一切いわない。エライ人の状況を電話で再度報告すると、先ほどの応対で僕の態度が悪いという始末。理由を申して納得されたものの、 真の苦情内容は一部しか聞けなかった。こういった理由のためアンタ(僕)に言ったところでどうにもならない、とのことだった。
 この3月までなら、ダイレクトでOKだったが、今は対処の仕方で間違うと少しばかり違う方向に進んでしまう。これはつらいよな〜。
 したがって、僕は意思疎通できない相手との電話のやり取りは嫌だし、携帯で非通知の電話には、極力応じないようにしているのである。少しのことなら電話 でなく、ダイレクトに...。職場でも1階〜8階までだ。電話の最大の欠点は相手が見えない。僕の浅学と不慣れでは、言葉から相手の心を察知することがで きない。
 逆に言うと、そのまま受け取るから損をする場合のほうが多い。それも含めて電話でのやり取りは大嫌いだ。
 仕事柄、銭集めでも文句の無いよう謙ってやっている。たとえ1,000円の徴収でもだ。確かに相手が悪いのだが、貧乏な宇和島市を助けてやってください よ的な立居振舞いをするわけだ。もう、3年目だし、いい加減疲れた。最近は惰性で動いている状態だ。
 新しい市長の下、人事異動願いを出したい。そういえば、これって5月の連休前から言っていたな〜。
 定時に出て、日々コツコツ自分の仕事をこなして、週単位、月単位の集計が年単位の仕事になるような部署へ行きたい。日々の業務でも和気藹々としたとこ ろ。一般市民との対人関係の少ないところがいい。もっとも、その仕事にノルマが見受けられるところは願い下げだが...。
 その選挙、今日は旧市内で選挙カーを多く見かけた。そういえば中間日だ。旧町が南なら明日からは北へ。その逆も、ということになるのだろうな。ところ が、一切お目にかからない選挙カー(一部は原付や自転車)に会わない候補者が居る。この方々が下位グループになるのかな、とも思うが、実はそうでもないよ うだ。日本の選挙は不思議な運動期間と結果の関係が明白ではない。腹の探り合いも重要なポイントだろう。
 先週は期日前投票の出口調査をNHKがやってた。おそらく衆議院選挙のみであろうけど。これを、地元のU-CATがやればいいのに、と感じるが、全市へ ケーブルが行っていないため、今の時点では難しいだろう。
 帰宅して、少しSR500を確認した。問題は点火コイルだ。果たしてスーパーサンダーがいいのか悪いのか?。T君の話ではコアが増大した分、磁化するの ではないか。そうすると、点火性能は落ちるとのこと。
 もうひとつは、ここ最近の走りの状態からすると、どうも点火から爆発状態=エンジンの回転フィーリングがよくないように感じたからだ。
 ま、この件は次号の小誌で申し上げることとしたい。
 仕事での嫌な気分はいまだ支配しているが、一杯やって今日もおしまい。

2009 年8月27日(木)はれ時々くもり
 日の日記の中断に 記載した予想どおり になって、勇み足にならなかった。何のこと?。つまり、昨日の苦情の電話だけど、そのとおりを担当トップへ伝えたんだ。たしかに昨日の電話では、もっとエ ライ人を出せであったし、僕では話にならない、とのことであった。
 昨日時点で担当トップへ話を入れてからにしろ、とセカンドのサゼッションがあったので、そのとおりに、担当トップに話をしたところ、担当トップからトッ プへ話が持ち上がって、僕のメモがわたる。ホ〜ラ来た。
 トップの言うことがいい。「俺は電話に出ない。まずは担当が対処すべきだ」と きたね。この時点で、僕の対応方法は相応であった、と感じて長居は無用、と徴収用務へ出かける。1時間ほどして帰ると、やはり謝罪に来いであった。原因は 担当者が間違いの通知をしていたためであった、
 次の徴収用務へ出かける時間と謝罪へ出かける時間が重なったため、トップから僕への一言にムッとしたわけだ。僕が悪いことをしたか?
 僕は昨日の電話対応のいきさつをかなり詳しくメモしておいた。最初、それはトップも納得したんだ。ところが、実際は、送った書類が同じ名称のところでも 宛先住所が違った所だったので、担当トップと違う区域の担当者のミスであった。
 そのため、僕に対して、その間違いをやった担当者に対して「どうして電話などさせて確認をしなかったのか?」 というのである。
 選挙準備で忙しくてその担当者からも調書は預かっている。そのことも担当トップへは伝えた。僕のメモの内容理解も先ほどのとおり。そのことを弁明するも 聞き入れない。後は僕自身聞く耳を持たなかった。
 何かおかしくないかい?。
 メモには、【間違って送られてき た書類がある。これは個人情報のことも含まれるので、アンタ(僕)ではダメだからエライ人と話 がしたい】と記載していたにも関わらずだ。
 担当トッ プはできた人だから、トップとともにヒョヒョイと出かけるだけで終わったわけだが、実際は... 。
 僕は怒りを何かにぶつけたくなってしまった。が、今は選挙期間中。こういったことすらできない。イライラは結局消えず。
 4月にトップが就任したとき何と言ったか。「思う存分やってくれ。特に若い人は3年以内 に結果を出すよう。最終の責任は(トップの)オレが責任を取るか ら、安心して業務に励むよう」であった。(こ れもその日に覆ったが... )
 こういったことは、少なくとも5回は自分が勝手に変更している。当初買ってた若い部下の一人は、ほんの些細な考え方の食い違いから追い出すように配置換 えした始末。僕の直属の部下には最初の 試練以降何も言わない。僕が居ないときどう言ってることやら。
 こんなことがグルグルと僕の頭の中で回り始める。昨日の電話報告の件、どうして僕が悪者になってしまうのだろうか?。これからは単純にメモだけにしてお こうか。いや、これだと堂々巡りで決着が付かない。

 以前なら、こんなことはなかった。「これこれこういった電話がありましたが、私ではなくトップと話がしたいとのことでした」と伝えると、原因を考え、一 定理解できたら、トップ自ら電話をしてくれて事なきを得ていた。ダメな場合はトップ自ら出かけ るなど茶飯事であった。
 それゆえ、各人の持ち分での仕事が出来たし、冗談も飛ぶし、行事参加がなければトップ自らあみだくじを作って出させたり、職場全体が明るかった。収納率 が悪い点などにも、合併して数年、人口減もあるし、経済面もあるし、その上に税制改正からくる辛い面もある。その中でこれだけやっていると いう成果は認めてほしい、と理事者へ言っていた。

 同じトップのポジションで僕と年が同じであっても、こうまで違う。僕自身、職場の恥になるから記載したくないが、これが、他の職場にはなかなか理解され ない。事実、今のトップが居た前の職場でも同様であった。
 今回の些細なことでもこの始末だ。7月からの配置換えにしても、「ギリギリの人数でやっていたところを支所配置で分散化すればどうなるか?」。全体の徴 収は変わらないが、旧三町と旧市では状況が違いすぎる。一人が受け持つ滞納者は増えるしその中で一部管理云々など出来るはずがない。収納率にしてもどれか を一定にしないと、その数値から正確な文責など出来っこない、とある程度の人なら分かりそうなものだ。
 おそらく、今のトップが居る間はこれを継続するだろう。このトップと同じ職場で退職はしたくないから、マジ、10月の人事異動を希望したくなった。

2009 年8月30日()はれ時々くもり
 だ選挙の結果が分 かっていないんだけど、ま、こんなモノだろう。そろそろ社会も変わるという所だろうかね。
 昨日、SR500の点火コイルをオレブルのスーパーサンダーから元に戻して、朝のうちにテストコースを走った。なかなか良かった、というと結果だが、ど ちらかというと良くなった、とすべきか。じゃ、どうして変更していたのか?
 良い製品そうだったから、というのが一番の理由。が、実際はどうも違ってたな。当初のスーパーサンダーと違って、後期のものは安直にノーマルのコイルに コの字型の鉄心コアを加えただけのようだ。結果として、強い火花は出るが、それ以上のモノは望めない。その証拠に、プラグコードとキャップは純正品を使用 しろ、と出ていたのを思い出す。
 後で気がつく何とやらで、僕自身、かなり間違ったことを平気でやっていたように思う。もっとも、排気系をノーマルで使用していた期間が少なかったことか ら来る影響も大きいものがあったのも事実だ。
 合わせて、久しぶりにのぞいた掲示板で「大真工業がツブレタのではないか」との知らせを受けたのだが、僕自身全く寝耳に水。幸い、僕の場合だと SR500 へのクラッチ変更だから、ソコソコのパーツは修正なり、改造なりで対処できるが、ツブレタとなると、他のアセンブリーパーツでは捨てざるを得ないものが出 るかもしれない。何とか確認をとってみたいと考えている。
 さて、選挙だけど、早々と「当確」の発表があるため、つまらないよな。しかしながら、自民党が圧倒的に少ないワケだから、どうなるのだろうか。その上 に、この民主党の政権が… 、これを考えると少しばかり頭が痛い。はっきりしているのは「どうなるか判らない」からである。
 しかしおもしろいよな。かつての官軍が数が少なくなって賊軍になるのだから。僕自身は安閑と構えては居られないのだ。民主党は公務員バッシングをもっと やる可能性が強いからね。そうするとまたかつてのように分裂、再編ってことが起こるかもしれない。
 僕の職にも影響があるのなら、早々と退職した方が良いのかもしれない、とマジ考えるようになってきたからね。

2009 年9月1日(火) 
 一
夜明けて、とんでもない結果に少しばかり驚いている。、と昨日記載をしようかと思っていたのだが、これまでの モヤモヤの後遺症が出てしまい、BORE-ACEから商品の発送を終えたので、というメール確認ののち、集中が途切れてしまって、バタンキューとなってし まった。
 そりゃ、今回の選挙は凄まじかった。で、負けを負けとしないのが、ここまでの政権与党だ。フト...。
 29日と30日とで大変貌したどこかの党のOなんざ、あれだけ民主党をやり玉にあげておきながら、結果は党代表の自分が落選。後のフォローも僕なら同じ 党のFのように「自分が悪いんだ」とのことを言うが、いざ所属党のみじめな状態に至ると、敗因の明確なところを言わない。それ以上に激減した党の議員で あっても、今回の選挙で野党となった自民党とともに与党時代と同じことをやろうとしている。
 結局のところ、尻尾ふりふりで得する方へ付いた。で負けたが、それでも... 。
 当の自民党も敗北どころではない、大敗北を喫していながら、故 橋本総理の時のように「ちくしょう」という、相当頭にきて憤懣やるかたないが、ここは我慢して、次の選挙までには態勢を整えた状況とはいささか趣を異にす るようだ。
 これらのことを思うと、まことに不思議な世界だ。
 今日になって、党首自ら辞任する、と発表したにもかかわらず、再び辞めようとする人をまつりあげようとする党内幹部の意見もあるようだ。
 また、負けたのではない。民主党の考え方に賛同する国民が多かったのだ、とも。
 結構有名な閣僚も、落選した後のインタビューで「今は何もなくなった人間だから... 」という始末だ。
 これらのことなど、旧日本軍の大本営発表のようだ。こと、ガダルカナルの大敗北では、総崩れで命からがら逃げたにもかかわらず、「転進」などとわけのわ からないことを言う始末だったものな。これによく似ている。
 当地の選挙は、自民党の圧勝だったが、市議選で「自民党員」の面々は、得票が相当低かった。これを見ても状況がよく解ったように思う。
 来年度予算の編成前に、補正予算の大幅修正がある。組閣後の国会への陳情で、誰を頼るのか。山本公一代議士を通じて、としたところで、どうにもならな い。これまで記載しなかったが、山本氏がこれまでこの地方のために奔走などしてくれたことなど聞いたことがない。
 同窓会で話したときも、なかなかいいことを言っていたが、どうしてそういったことを地元で発表しないのか、とも思ったね。
 この地は年寄りばかりが多くて、若者は政治に対して無能な者が多いのであろう。特に国の政策に関しては。
 僕の単純な予想だが、民主党の主導で運営されるこの国に、弱小野党の自民党の国会議員を通じてどうのこうの、にはならないだろう。八幡浜に主導権が移行 するのかもしれない。いくら南予の中核都市とはいえ、図体ばかりでかくて、中身はそこそこだが、地域のまとまりなど皆無な貧乏自治体はそれなりに沈むので あろうと思う。今以上に冷え込むことは判り切っている。
 理由は簡単、何もかもがおんぶにだっこだったからだ。そしていつも「市が悪い」や「県が悪い」、はたまた...。市としての独創性や何かが欠如している 上に、保守基盤だから、どうすることもできない。
 独創性をアピールすると、すぐに足を引っ張られる。これだろうね。今後もまだまだ続くことだろう。

2009 年9月4日(金)はれ後一時雨
 は1日遅れで記載している。まずは空調の件。 職場の室内は冷房が効いて結構過ごしやすいが、このエアコンは少々困った物を持っている。設計の始まった48年以前には、超最先端の空調シス テムであった。つまり、天井の送風機1台1台が頭脳(センサー)を持っていて、フロアのどこかに温度差ができた場合など、どの送風機が冷房し、どの送風機 が送風のみをするなどができていたのだが、実際に稼働した昭和51年後半は、オイルショック後のことで、その機能を一部カットしなければならない始末で あった、以来、実に33年も変則的な状態で 使っているというものだ。
 クリーナーはろ紙のカートリッジで1台ごと定期的に交換。経費もばかにならない。
 話が歴史になったが、このエアコンの最大の欠点は乾燥がひどいのである。本日は外は夏が名残惜しそうに秋の風の吹く中入道雲を泉ケ森の上に造っているよ うな状態だった。日差しは夏風の秋。数年前、9月下旬の北海道で大陸の気候を味わったが、今日など戸外ではそんなに喉が渇くなどはなかった。が、やけにの どが渇 くのは、この冷房の関係だ。
 汗っかきの僕は、家に帰ってカッターシャツの襟が凄まじく黒くなってしまっている。明らかに、フロアの土埃が舞い上がってのものであろう。12月初旬か らの暖房で も同様のことが起きるのは明白だ。おそらく、多数の職員は知らないことであろう。
 経費削減から、フロアのPタイルのワックスがけをケチってからは、一層この状態がひどい。その上に、合併後の各人1台のデスクトップパソコン、それに各 フロアにある数台 の複合コピー機。これらが発する熱量など相当なものだ。市役所が地球温暖化に一役買っている、とスッパ抜きをやってみるのも一興かもしれない。そういえ ば、今年はクールビズって聞かなかったように思う。
 さて、僕の拙文を楽しみにしている読者が居るらしい。不平不満の羅列がいいようだ。この前は少々穏やかに記載したが、あの程度であれば一般の企業の大半 では日常茶飯事であろう。
 が、僕の職場では、隣の職場(課)の電話さえ出ることができない。非常なことではあるが、僕が臨時職員の頃、そういった電話を 取って、相手が「名を名乗れ」というので「臨時職員のBoneだ」とやり返してやった。翌日、どうなったかは想像に任せるが、数年後に、よくも「臨時職 員」と堂々と言ったものだ、と赤面してしまった。
 そうそう、昨日の退庁前にK市議より税の減免について電話があり、僕もトップ2も調べて、どうやら規定はあるが課税の部分ですので、明日にでも、税務課 へ出向いてください、との返答をして、K市議も納得した。早速、僕の方から税務課長へ通知しておいた。
 で、本日、K市議が当課へ来られた。電話応対した職員を訪ねてのことであった。電話応対した職員が出る前に、トップを知っていたので立ち話とあいさつ。 そして電話応対した職員が話をして税務課へ出向いてもらった。
 その後、トップはどう言ったと思う?。最集段は「報告してくれ」であった。
 それまでは、トップ2と僕とで、昨日のいきさつを同じように話をして、それに対して、トップから一言あって、それに対して、それだから、電話で税務課 へ、と応対したのだ、と返す。
 たまたまK市議が来たのは... 。こういったことに報告が必要か?。
 ある程度予想されたことではあるが、逐次報告していたのでは、アンタもパニクるだろうに。
 これら仕事での一件が最近トーン(エクスプレッション)ダウンしたと言われるようだが、このていどのことで、かなりのリアクションを僕が受ける羽目にな るやもしれないからである。対象人物が必要もないのに、僕の席 の後ろを通ったりする時は少しヤバイため、分割納付のソフトなどを含めて、アプリのON、OFFが絶えない。盗み見される可能性は次のとおりだ。
 先月の末も2日続いた松山出張で、どうやら時代錯誤の職務遂行上の発言をしたようで、これが次の税務協議 会まで尾を引いている状態。
 その出張の後、僕が休暇を取ったときがある。もっとも選挙の絡みもあって、気持ちがムシャクシャしていた8月28日の金曜日だ。27日はデスクトップ上 のファイルで個人のもの、組合関係のものなどは、 (バックアップの後)ことの如く捨てた。コンピューターの一連の操作は同じだから、その人のパスワードでログインをやるとサーバー上のものはことの如く拝 見できることにな るのだから...。
 でも、少し安心したのは、昨日のことだ。たまたまトップが午前中休んだ。午後からも少し用務があるため、席に落ち着いて座っていない。で、▽▽協議会の 議題の 一件で、△▽機構や松山市からのお仲間内から、臨戸について逆質問を受けたりした。たまたま同僚の一人がその人を知っていたので、これらに関しての諸々を 少し大きい声で(周りに解るようにか?)数十分話していた。
 僕は二ヤリとして聞いていたが、全くその通りである。こういった臨戸をやると収納率が上がる、という考えを、県下の12都市のエキスパートの中で協議す るのだから、今時「臨戸って?」ということになるのもうなづける。
 当初、この議題を協議会へ上げることは少々疑義をはさんだのだが、聞く耳持たずだったし、今回はこれを通してくれとのことなので、「あと は知りませんよ」で流したまでだ。協議会へ出席する同僚の気分を想像すると... 。
 加えて、今後へ向けて7日に職員へハッパをかける会議を持つとのことだ。
 もし、臨戸で収納率がアップしているとすれば、この旧態依然の収納方法をほかの都市が採用しているはずだ。トップが他の課に在 籍していた数年間、税制は小泉君によって大きく変えられてしまった。おまけに貧乏所帯同士の合併だ。こういった中で、最低レベルである100円でも多く稼 いで くることの難しさを一切関知しない。
 少しでも収納率が上がればいい。臨戸するにしても、何とかなりそうなところを ピックアップしたり、事前の調査など相当な時間を費やす。何度も行って、その都度留守のところなどどうすればいい。文書催告でも結構の効果はあるものなん だ。「臨戸業務にあたる我々は御用 聞きではない!」その上に陣容がトップの居たときより少ないし、 その上に支所へ分散してしまった。その効果は少なくとも、再来年の5月だ。でなければ、比較のしようがない。
 こういったトップの下で、もう一つの担当トップの僕が対外的に話をするのなら「時代錯誤ではありましょうが、臨戸を主とし ての方針 をトップが打ち出していますので、これを主として行い、同時に催告状を出したり、電話催告などをやっています」と玉虫色の発言をせざるを得 ない。それで... 、と加えられると「そうアップしたとは感じません。やはり、経験と相手を見る必要などがありますね」と は、トップの手前応えられない。
 グチっぽい、といわれるが、少しおもしろいところも出始めた。これはもう少し先のことであろうか。
 もう一つ、一昨日辺りから通信状態がおかしくなって、PCがダメになったか、と思ったが、テストの結果、LANケーブルの状態がおかしい事が判った。早 速百均へ行って2mものを購入。速い。
 そういえば、以前のケーブルは宇和のデオデオで2,000円以上で購入したものだ。それより性能がアップしているにもかかわらず、105円で購入出来 る。信じられない世の中になった。そういえば、僕がMacを使い出した頃はメモリーも1MBが1,000円の時代だし、2HDのフロッピーディスクが1枚 500円で安い時代だったんだものネ〜。
 夜は労働者福祉協議会の幹事会、その後の懇親会で結構気分が良かった。本当は、BORE-ACEのSR用チェーンテンショナーのことを記載したかったの だけど、これは土日にテストしてからだな。ブログへの方がいいかもしれない。

2009 年9月6日()はれ時々くもり
 本の世の中は選挙 後のことで一杯だ。その上に日常の諸々が加わるから全般はつまらない。もしも、はないが、これが昭和40年代だったら、国民の多くはどちらに重きを置くか は明白に解るが、今の世の中はそういったことが一切出来ないようになってしまっている。これを打ち破ることとしての内容があれば、それは一利あ るな、と感じてはいるものの、政権が移っていない今は、何とも言えないのが事実だし、実施はそれ以降のことだ。
 もちろん、政権奪取であっても、結果のそれが数日で出るということではない。長田町の右往左往は良くお分かりのことだろう。公設秘書など失業者が出る。 それに対して自民党はどういった救済を出すかなどは明白ではない。
 テレビドラマで申し訳ないが、大河ドラマの「天地仁」では、家康役の松方弘樹の「越後へ戻れ」の言葉を景勝が受けて実施した。この結果は、向こう1年あ るいは 2年のスパンでの変化をいち早く見抜いた主君である景勝の先見の明であろう、と感じた。
 そういった意味からすると、昨今の状況は、一般人の僕からすると何処吹く風であろうと思う。が、火曜日に実施する職員会議では、僕はカチンと来たら緩や かに言い分 を述べようと決めたところだ。トップへの賛同者など居ないであろう。が、僕への共感は得られるものの、それによって実施決定は延ばされるだけ。ここに、こ れまで幾多の改革論 者的職員が抹殺されてしまったことか、の結果に結びつくのである。僕の考えなど採るに足らず、というのが事実であろう。
 この面からすると、昨日のNHKの財政再建団体にならないように努力する街のテレビドラマになってしまう。ドラマの都市に近い状態のところに宇和島市は 居る ことだけは、僕の日記を読んでいる方々の心の中には持っていてほしい。
 そうなると、九島架橋も… 、とうことになるであろう。が、そこは政治の裏もある。これは民主党政権になっても残る。不思議なようなことだけど、事実だ。
 九島架橋にしても、すぐさま出来るものではない。が、市長が直接動かなければ、それ(架橋)すらダメになる。市民はすぐさま着工、と思い込んでしまって いる。このギャップをどうするかも、今となっては重大だ。
 民主党政権は、しばらくの間は「人参と鞭で市民の付託を強いる」ことになるのは明白だ。僕自身、それは間違いないと考える。
 もしもはないが、これが中川政権なら初年度は凄まじいほど市民生活の幾ばくかは良くなる。が、次年度はそのツケが一気に来る。この事実と地元での人気の ないことが、いつまで経っても彼が当選できない原因であろう。その上、今回は、今治・八幡浜で成功した選挙コンサルタントへ委託したことも、今となっては 災いの一つであろう、と感じている。
 政治がらみで言うと、本日の大洲市議選の告示日、全員無投票当選!。「ふざけんな」僕は憤懣やるせない。裏では金が大きく飛ンだのではないか、と感じて しまった。おそらく、大洲市長選挙の後、大きい取り締まりが始まるのではないだろうか。
 誰が考えても、議員定数が減らされて、市長選挙と同一実施なら、市議だけ無投票で… 、は絶対におかしい。言い方を変えると、それほど大洲の自治体運営は問題がないのか。長浜から肱川を結ぶ広大な自治体で、議員を減らされてさえ、なお全員 無投票、というのは「絶対」おかしい。
 こう、僕は考えるのである。
 ま、宇和島は、かつて機関銃と火縄銃の戦いがあったゆえ、こういったことが言えるのだけど、大洲は裏のことが表面に出ないのであろう。それの尻尾は県警 がつかんで いるハズなんだが… 。ま、市長選挙の後を待つとしよう。

2009 年9月8日(火)はれ時々くもり
 の大気と遅れてき た夏の大気が競い合っている。20時頃一雨あったようだ。
 午後、大浦への出張徴収。吹く風は秋の風。しかも少し強い。湘南の海は連想できない。でもトワ・エモアの今はもう秋、という歌い出しの歌の気分は強く感 じる。 少しばかり心は和むが、午前中のことが一気に思い出されて、それを夜の今に至るも、とうとう払拭することができなかった。悪者の係長が独白する以外無いの だ ろうか。こんなこと記載したって、ナルホド、と思う人は居るだろうが、ワシがモンク言ってくる、という同僚も上役も居やしない、というのが現実であろう。
 本日は、係合同の会議。朝8時半。司会ととりまとめ役の人物が居ない。ヤバイな、とは思いつつ成り行きに任せた方が… 。でなければ、トップにお仕着せと頼りの板挟みになる。出来たトップなら大丈夫だろうが、今のトップは急遽話題を変えるなどができるような、それほどの度 量は持っていない。
 開会前の20分間で、「滞納者と徴収員のペアを2組つくれ。滞納明細書は用意している」であったと認識している僕は、「無理ですよ。こんなことをやる会 議とは一切聞いていないのだから」というも、とにかくつくれ!と一方的だ。つくりましたよ。が、実際は滞納明細まで用意しておけ、であった。
 まま、年度内で徴収が終わる滞納者と悪質な滞納者の明細書を数千人の中から選び出す?。しかも20分の間に… 。
 僕自身(アホくさくって)ニヤリと笑ってはいるが、以後は、もうキレまくりだ。
 会議の冒頭、臨戸をヤレの一方。臨戸をやらないから(資料の)この数値になるんだ!。やらないのなら、調査をやって差押えなどヤレ!という、この一点張 りだ。もし、この日記を読んでいらっしゃる方で、純な人 がトップへ「こんなのか?」と問うと、トップの言い分が真面目ともデフォルメしているものとかの判断がつかない、自分本位のことだけを延々と発言すること があって、反論する僕 は悪者の最先端に立たされるように話を持ってくるのは明白だ。
 こんなことがあって、とうとう、キレる手前で僕は発言を始めた。僕の持論を連綿と述べるため、トップから「まとめて言ってくれ」のが来た。
 トップの発言に対して「アンタこそ、まとまりのないことを言うではないか」として、「話は終わっていない」と僕。再び発言して、収納率のパーセンテージ に しても、対応する滞納額も違うし、対応件数も違う。地位異性もある。その中で出た結果をこのグラフのみで判断していいのか」。
 僕の高い徴収率の裏が解るため言いたくはなかったが、とうとう、僕の担当地域と徴収の状況を話して、内容をバラした。臨戸数自体の関係発言でソンをした が、実際 は、この月々の収納率なんて、参考程度でしかないのだ。1日3,000円のところが多い地域で、それを苦労して取ってきても、臨戸に比べて額が低い、とい う結果は表記されない。
 が、一方の僕は日によっては1件で50万円。前月分の納付がなかったので同月2回だと月に100万円になる。僕は「臨戸数は少ないのに徴収額は多い。オ カシイ」と、 これまでは言ってたトップに対して、そのカラクリを言ってやった次第だ。言わなければ、しばらくは解らなかったであろうけど、しっぺ返しはすぐさま来た。
 実際の所、臨戸っていったって、対応する者の事前の調査をやるなどすれば、とても1日10件などできない。で、「それを目標戸数にしてイタダケナイ か?」と僕が言うも、「いや、ここまでの率とかの数値からすると1日10件なんだ」を繰り返す。で、次のようにも言った「収納率全体を考えると、臨戸は1 日10件という線が出るのだ。それをやらないのは怠慢ではないか」とまで言う。その次に控えるのは、「私の居た平成12年当時は… 」が始まる。
 間髪を入れず、僕が「平成19年には税制改革があって、定率減税もカットされたし、貧乏所帯同士の自治体がが合併して今の宇和島が出来た。ということ は、範囲は著しく増えているんだ。したがって、臨戸オンリーでは徴収率など上がらない。時には臨戸やったり、時には催告出したり、電話かけたりのことを、 各担当が一生懸命にやって居るんではないか」と。
 要は、「如何に現金を持って帰るのか」である。その現金の額が多ければ、数値は自ずと上がる。そして、とうとう「今の状態では無理」と僕が発言して以後 は口をつぐんだ。
 多くの職員は、僕の発言内容が解っている。それなのに、どうして「それもそうだ」。忌憚のない意見を… 、などを言わないのだろうか。臨戸も徴収率アップの目的行為の一つ。同様に催告も… 。それらを総合して、如何にゼニを集めるか、が最大のことなんだ。
 でも、割り切れない。このトップは自らの考えを変える気配は一切ない。多少考えは緩くになった。このことは、今日の会議で決まったことだ。それ以上に逆 に「責任感がない、努力が足りない」と職員に対して言うのなら、最終は「お前さんがやってみたら」になってしまう、と思って... 。
 こういった、トップ自身の考えを押し通すのなら、「出来ない」、を通すのみ、否、「自分のやり方でやる」のみである。
 課員の一人ずつが数百人の件数を抱えているのだから、職員各自が担当している滞納者の状況を把握しておけなど、超人めいたことは僕にはできない。
 これまで、僕は人事異動希望だったけれど、今日の一件で、僕は僕流のやり方でやる。これだけだ。来年の5月末に総体の結果が出る。その時にトップが何と いうか… 。そこまでには至らないかもしれない。
 まるで「昨年の収入が今年の税金の額になる。が、今年は仕事がない」という、住民税の課税のようなものだから。

2009 年9月9日(木)はれ
 、拙宅の前に隣の 下の木造家屋が移築になって、それが4階建。その4階部分の向こう側が国道という、天空の城のような感覚での夢で目が覚めた。
 どちらかというと、昨日の憤懣やるかたない状況のままで、一杯やっても酔わない状態の眠りから覚醒した状態であろうか。頭も痛くないし、フラツキもしな い ため、久しぶりにお墓へ出向く。お盆以来きていない。枯れかけのシキビを外し、雑草を取り除いて水やりをして終わった。
 周囲の花崗岩の新しい墓を見ると何かしら画一で、その中に入るのをタメラウ気分になってくる。ましてや、墓碑銘に何もなく現存者が建立した今流の背の高 い石塔を見ると虚しささえ感じる。彼岸など仏事の時もシキビも生けられないのだものね。存命中に戒名を授けられるのとは訳が違う。

 帰りに山小うどんで朝食。うどんの玉のでき具合とお湯の温度にもよるが、今なら45秒から1分程度のゆで時間が丁度いい。僕は窯の中央の出汁を使用す る。意外かもしれないが、出来上がった出汁は沸騰させてはならない。と元料理屋の御曹司は言う。

 さて、外は涼しい朝。ようやく秋の大気が勝ってきだした。うれしいね。職場は昨日の気配の「ケの字」も無い。あれだけのことを言いつつ、その複合案とい うか折衷案を若い職員に、と声を掛ける。理由の一つは、(徴収)大口がないにもかかわらず、僕の収納額が彼らの1.8倍ほどあるからだ。納付の状態を見る とすぐに理解 できることなんだけど... 。
 僕も、若い職員へは「連休の週以降は激減するよ」と言っておいた。滞納額か、徴収件数かを一定にしていない徴収率など当て になるものか!。
 としていると、午後になってにわかに動き出した。これを少し名が開かせないけど、以前、ボスがその人にセッカチに久々の正論を言った手前、相手側が、そ の仕返しをやってやろうじゃないか的なものを出してやろう、とのことであろう と思う。かつての宇和島の名士の一件だし、他所での違う件をウチに適応させようとしても本末転倒だ。おそらく、以前新聞にも載った人物だからお分かりかも し れないし、僕自身、その新聞を破り捨ててやりたくなったから。
 文化を守るために税金を納めないのは理由にならない。
 しかし、ある程度PCを使えないと、管理職でも仕事が出来ないことになる。マウスとローマ字タイプが出来る=操作ができるではダメなんだよね。たとえ ば、「○○君、このデータ送ってくれる?。僕の方で資料にするから」として、これでいいかな?と返信できるようでないと... 。
 そういえば、トップの後ろの本立てからEXCELのマニュアル本が消えて久しい。

 この件はこれまでとして、今日はどうやら歴史的な日になるらしい。The Beatlesの新しいデジタルリマスターCDがリリースされたからだ。
 このことは、ブログへも記載していたが、これがこれからの正規盤になると虚しい気分になる。ましてや、メンバーの2人が他界しているのだしね。あの頃の 状況 が、今の若者をし、彼らの行動などが理解できるかどうか。試聴会でも不気味なほどの静けさだった。本来、あの席には20歳代の多くの人が居て... となるはずだが、決してそうはならない。現時点ではお互い歳を取りすぎた。このギャップは取り戻せない。このことは、ビートルズの誰だったかが話ていた。 「40台になって、今と同じ コトしているのはオカシイよ」とね。

2009 年9月11日(金)はれ後くもり
 日は松山出張。久 しぶりのことだ。会議の後懇親会があるので一泊して帰ろうかとも考えたが、どうやら天候が悪い様子なので、JRの最終便を目途に日帰 りすることとした。

 納税者からのクレームめいた電話の応対をすると、「こいつ〜」と思う。今日など、連絡票の見出しに「滞納市税の分割納付...云々」に対して、先月納付 した。そしたら1日遅れで再び納付せよ、との通知が届いた。この件に対して、銀行へ納付したとのこと。「銀行ですか。その場合は市への現金納付まで数日か かるため、行き違いになって、今回の発送となったものですので、処分してください」と説明して納得がいったはずだ。

そ の時は、確実にそう受け取っていた。が実はそうではなかった。

 「この前納めたのに、滞納とは何事ですか」と言うので、再び前の一件を申し上げて、分割納付ですから、全体を通すと「滞納している税金」ということにな ります。それを分割納付するので、そういった文言になります。
 この前は、「銀行ですか」と言う返答に【銀行で納めてはいけない】と受け取られる始末。加えて、謝罪の言葉もない!ときた。

 再び前回の説明の繰り返し。またしても悪者になってしまう。が、直接の応対をやった担当との話で、面と向かったときはそういったそぶりは見せなかったの だけど。電話では、相手の顔が見えないから、電話の声での判断は40%程度としていいのではないか、と考えた。
 行き違いの件など、計画書にも、月々送る表書きの文書にもすべて記載してある。にもかかわらず、僕が悪者になる始末。期日内に収められないため、その便 宜を図って分割納付を許しているにすぎないのに...。

フト、
「完納で築こう人情厚い宇和島市」

と納税標語掲げるとすると、必ず反発が来る。

その冴えたるものが

「役所の奴は仕事をしていない」

であろう。

文句 があるんだったら税金を納めてからにしろ!

これを標語にしてほしいな。

 さて、地区労の常任幹事会で遅くなった。フト、飲みに出ようかと思ったが、それは止めにした。今日はどうも酔えそうにない。「そんなことはないだろ う?」といわれるが、酔えないときは苦しみが伴う。同時に、今日1日のことが良くない方向で思い出させる。「それもおかしい」と言われるお仲間うちがい らっしゃるのはもっともだ。
 しかし、20km程度走っても、大浦や細々した市中の徴収はむずかしい。従って「臨時戸別徴収」をやれというのであろうが、マジ、これは職務上それが出 来る身分であって、実際とはかなり異なる。むしろ、臨戸は避けた方が良いのではないか、とも感じる。
 僕は知っていることの全てを出そうとしているだけ。それ以上のことをサゼストしようたって知らないものは知らないし、意見を言う立場でもない。こういっ たのが一杯飲みつつ出るとなると、私は自ずから口を紡ぐことになる。
 ウソのように思われるだろうが、本当のことである。そろそろ、僕も今のフランチャイズから離れて、本当に一人で過ごせるカウンターテーブルを見つけるこ とにしよう。そのタイミングを得るまでは、しばし手酌酒を楽しむこととしたい。

2009 年9月14日(月)はれ後くもり
 時間後の急転直 下。
 朝は、最近よく見る幼少時の夢で目が覚めた。気分最悪。最近はどうも水分吸収の悪さが感じられる。最初にポカリの小缶を一気に飲む。これで、ずいぶんと 楽になる。
 新聞読みつつ、昨日拵えたスパサラダでの朝食を済ませて、出勤前に市立宇和島病院のグランドオープンとやらの写真を撮って、いつもと逆方向から出勤す る。これがダメな原因だったか... 。
 8時半、ウエストミンスターが鳴る。朝礼の後、「課長補佐、係長以上の会議をやるので部屋を取っといて」。オイオイ何だって... 。こっちは予定があるんだ。何の会議をやるんだ?。もう一人の係長はどうするんだ?。
 始まったよ。ついて行けませんゼ。9月8日の会議で「臨戸10件は、目標にしてほしい」と 僕は言った。加えて、担当地区に大 口の納税者が多いので、僕のように臨戸をしなくても徴収率は上がる、という日毎の集計表は、一定の設定ラインが無い収納率の結果なんですよ、 とまで言ったはずだ。
 これに対して、ウンとは言わないまでも、そこそこ解ったのか、とまで思っていたが、そうではなかった。
 何と今日の資料のそこには「最低 でも10軒の臨戸... 」とあり、「本年度はこれ(臨戸主体)を目標にしてほし い」と言い、加えて前回のグラフを再び出して、(僕を除いて)「臨戸数が多ければ徴収率も高いのは自ずと数 値として見えるだろう」と。
 ついには、「このやり方と職員配 置は市長に言ってある」ときたよ。「これをやらないのは職務怠慢だ」と も。
 それは4月のことだろう。上で決めるのは結構だが、下の者は意見など求められてないままだから寝耳に水だし、僕が言ったようなことも全く無視状態ではな い か。それは、ファッショだぜ。僕は切れたね。
 というよりは、一瞬放心状態になって、ヨダレをこぼしそうになった。本当に、僕は何をどうすればいいのだろうか。真面目に考えすぎるのがいけないのだろ うか。何処まで行っても「毎日rinko10軒」がメインなら、それをやるだけ。来年は来年。これで、収納率が上がらなければ... 。再び堂々巡り。この件はこの辺で終わりにしよう。4月の人事異動がなければ、来年の5月末以降の日記で。人事異動があれば、元に戻せるように、と。
 仕事の後は、執行委員会だったが、再び難問が山積。ま、執行委員各位の協力によって助かったが、僕自身、自治労運動の主たる分野からは辞する時期に来て いるように思う。
 そういえば、中間管理職の数人は頭やられているようで、ヤバイ状態になっているらしいことを人事の方から聞いたことがある。来年を迎える前に、凄まじい ことになるのかもしれない。土曜日のNHKドラマより、凄まじい実態がそこに存在しているのではないだろうか。
 市長のマニフェスト(冊子の方)に記載されていることをやると再び... 。ま、その時は退職しているから、こういった日記にはならないが。

2009 年9月15日(火)くもり一時小雨
 日前からから昨日 まで、よくもまぁ小さな修正があるものだ。
 今日の日記に昨日のことを記載するのは気が引けるのだが、後述の一件で朝から気分が滅入っている上に、突発的な交渉が入るものだから、ついには昼の弁当 がのどを通らず、おまけに腹の周りがピク付く始末であった。
 というところで、昨日の一件は納税通知書の送付先が担当地区と違った場合にどうするか?、である。いつもどおり、完全に居住区が変わった場合は自動的に 変更になるから担当も変わる。送付先が付いている場合は、担当は元通りで、送付先の住所が表記される。
 これで不都合ないのだ。にもかかわらず、送付先が付いたものはそこの担当がやるべきではないか、との訴えがあったため、「それもそうだ」になるわけだ。 僕は訴えた奴を別に持ち上げなくてもいいと思うのだけど... 。が、全てをそうすべき、と決めたら曲げないから、どうすることもできない。
 「それって送付先の付いている担当が面倒くさいために他に廻すだけじゃないの?」ではないか。これから500件の中から20件程度の送付先をつけた台帳 を拾いださなくてはならない。これの方がよほど面倒だ。とすると、少し遅れるだけで順調に納付している人を多く手放すと収納率にも影響するわけだよね。逆 に、その送付先を付けた他町(市外)の台帳分を一手に引き受けるとなると、その担当は臨戸など...。おーっと、これ以上は係長以下の企業秘密だ。
 (逆にの)その担当者が、早速メールで担当者すべてに通知したから、こちら側の勝利だ。
 話変わって、自転車三輪タクシー。今後3台増やして、6車で運行するそうな。次の3台はブログで紹介した輪タクの方がいいな、と思う。すでにカーゴ型の はフロントホイールが振れているなど、ホイールのスポーク張りなどをやる必要が出てきたようにも感じる。何しろ自重が180kgもあるのだからね。
 さて、冒頭の一件に結び付く昨夜は水道労組の結成50周年記念レセプションへ出席させてもらった。組合の規模こそ小さくなったが、宇和島の水道事業に携 わる労働者の組織としては半世紀活動している。まさに「継続は力なり」である。
 ウチの組織を代表しては、僕ではなく先輩である岩城市義があいさつしてくれた。僕自身は、組織を割って以来、書記長、副執行委員長、執行委員長とやって きたが、それでも17年ほど。従前の組織からすると役職に就いているのは20年程度だ。
 一口に50年と言っても、僕が8歳の時に結成したのだから。
 その後がいけなかった。全水道四国地方本部のお歴々を相手に飲んで歌ったものだから、家に帰って気分はいいのはいいが、意識の中では昨日1日の3/4程 度は気分よく過ごせたと思って眠りに就いた次第。
 何か変な日記になったが、夜間徴収の終わった頃、急激に腹がすいてきた。僕の歳ではノンビリと酒と肴を楽しみながら、というのがいいように感じるな〜。 とはいえ、流石に今日は飲みません。

2009 年9月17日(木)はれ
 日の悶絶状態とは 変わって、5時のニュースかと思っていたところ、実際は6時のニュースで目が覚めた。やはり胃の上の方が痛い。ま、養生しないとならないか。とはいえ、そ んなにあわてることもなく、機能組閣された内閣の顔ぶれを見つつ、その発言内容などを検証しつつ、様々なものが出てくるのだろうね、と思った。鳩山総理が はっきりと、失敗などする場合もあるが、国民にもある程度受け入れていただくよう寛容な気持ちを持ってほしい、と言ってくれたのは国民の一人として非常に うれしい限りである。
 とはいえ、出向くと再び来たよ。トップ2の言い分で、解りました。にもかかわらず、5月のヒアリングのときのことをトップが言う。90%履行されていな い、と。加える言葉がイカシテいる。出納閉鎖までに片づけろってことで無理があったのは事実。僕はつらい気分になった。あの時も、方針決定など無いうちに やられたことだ。僕自身、履行できたのは数件だったもの。
 そして、ようやく景気の動向を言い始めた。まさに「木を見て森を知らず」の世界だし、その考え方方すると大敗北したポリティックパーティー派なんだろう かね。
 それにしても、朝っぱらからオートバイの測定結果などの数字ならイイ、収納率などの数字を出されると気分が滅入る。未納付の金額だけだが、その裏には人 間と生活の状況が潜んでいる。そこを揉み手擦り手して、何とか1,000円でも...。もう、止めよう。
 加えて、午後6時のニュースで愛媛県議会が政府へ地方を見捨てないよう要望書を出す、との決議をしたという。これほど県政を担う政治家はバカばかりか、 と思ってしまった。保守の固まりだから。社民党自身にしても、この際だからと賛成したのだろう。いつものことながらオンブにダッコ体制。野党陣営ばかりの 中で、政権与党側の議員が少ないから、このバカ現象は当分続くだろう。誰を辞めさせればいいか、県民もそろそろお判りになるはずだが、一度やられて見なけ れば解らないから、イイチャンスかもしれない。
 今日は孫の長男の方の5歳の誕生日。妻の方で何やら計画している様子。僕はお呼びがないから参加することはない。
 さてさて、数日前に灯油ボイラーが最近突如止まって、それ以来動かなくなった。晴天が続くので、ソーラー給湯のみで事足りているが、ボイラー本体の前豚 を開けてみて驚いた。
 何と、対振検知装置が取り付け部分の腐食で脱落しているのを発見。これで、電源がカットになってしまったわけだ。こればかりは修理できない。
 ボイラーは旧サンヨーの「暖々」。コントロール基盤を3回ほど交換したが、簡単な装置で非常に効率が良いボイラーだった。
 間もなく、今のCHOFUボイラーに交換となる。大半がステンレススチールになるから、耐久性も上がるだろう。暖々は鉄製だったから35年間作動したと いうのは脅威だろうと思う。最後の姿を写真に収めた。写真もデジタルで。時代の進歩だろうかね。ありがとう「暖々」。

2009 年9月18日(金)はれ時々くもり
 はモヤモヤした中 で、ブルーとホワイトのストライプのボタンダウンで出かけることにした。「カジュアルデーにカジュアルな滑降していないの は業務違反だ」という上司だから、少々行きすぎか。その言動を実践して少々困った面も最近あったから... 。
 連休前に慌ただしい。おまけに催告状の発送を前に封筒入れが大変だ。暦のいたずらかもしれないが、残業しなきゃならないかな。
 昨日記載したブログの鉄路の旧宇和島港までの延長に絡んで、表の事業て出有名な須賀川の付け替え。元の流れは今... 、の確認に昼休みに再び出かけた。結果はどうしても寿町1丁目の交差点になってしまう。ここから海までのルートがはっきりしない。
 こんなことやってるのはオカシイだろうか?。
 パールビズも一段落したが、今さら真珠を再び... 、という考えは止めるべきだろう。みかんも同様の結果になった。真珠もそろそろダメになる。古くからの養殖漁業も同様の道をたどるだろう。
 こういったところを見切りを付けて、新たな事業を考えるべきではないか、と、フト考えた。
 ノンビリしようと思ってた夜、時ならぬ電話でダメになった。責任のなすりつけあいなら、僕がなってやる。その代わり出席できないばかりになって、辞任願 いを出すことになるだろう。これが最良の手段だろうかね。まるで自民党の総裁選よりもっとワルイや。
 組織立ち上げの時のような、和気藹々の気分でやっていたあの当時の風は何処へ行ったのだろうか。
 組織が合併で割られた。そこへてこ入れする。ゼニはやるが人は派遣しない。こんな調子だ。そこのトップ2への就任をウチからったって、そんなに強固な団 体ではないから無理だ。先に記載したように僕が出たところで、退職前でどうにもならない。
 もう、組織から離脱した方が賢明かもしれない。
 そろそろ仕事も辞める時期かもしれない。昭和49年から今まで、僕の仕事の期間はつまらなくなるときに入って、一層つまらないときに退職することになる のだろうかね。
 我々は完了じゃないので、鳩山さんと民主党の連立さん、助けてくださいよ。

2009 年9月20日()はれ
 ぁ、快晴です。嬉 しくなるほど。南ヨーロッパではこんなのかな、と思ってしまった。朝は6時過ぎに起きた。日曜日だ、と言い聞かせる。文書タイプで久々にPismoを引き 出す。朝っぱらから文書タイプ?、とおっしゃるが、インスピレーションの場合は一気にやるのみ。これって、僕の性でしょうね。昔はノートのかき込んでいた のだから。そうそう、これは大学時代の心理学の教授の教えからだ。時として、それが大きなヒントになる、トモおっしゃってた。これが今頃役に立つと は... 。
 今日は孫(長男の方)が通う番城幼稚園の運動会。とはいえ、本体は番城小学校の大運動会で、同じ敷地内にある幼稚園だから便乗だな。
 いつもながら、妻は子守の方になる。僕はノンビリ(SEAで行く)と自転車で出向く。真面目に、狭い通りで自動車へ道を譲るなんてことを僕はやるよ。後 ろから来ると、少しばかり頭に来ることもあるが。
 さ、運動会は僕のブログへ記載した。ここでは、もう一つのことを記載したい。それは、 カメラのことだ。
 今日のお供はニコンF2とフジのPinePix S1 Proだ。撮るのはカンが全てだ。信じられないかもしれないが、ファインダーの内部に投影される文言などいちいち読んでいらでない。F2でも露出関係だ け。S1 Proなどフルオートだから写っていなければ、カメラが壊れている。これはイコールの世界だ。
 にもかかわらず、お祭りの時など、デジタル一眼レフカメラをおかしな使い方しているのを見ている。
 ところが、今日は凄い嬉しかった。というのはデジイチが非常に少ないのだ。コンパクトのデジカメで広い会場の演技を撮影している方々も少ない。それに代 わって再びビデオカメラの多いこと。これには恐れ入った。と同時に、このビデオからクリップして写真になることがようやくユーザーにも解り始めたのかな、 と思った。
 流石に秋の陽は強い。少しばかり赤ら顔になって、サンシャインで昼食の準備をし、帰宅後それを調理し昼食。S1 Proの写真のレタッチをやる。来ましたよ。急激な睡魔が。
 とうとう1時間半ほど眠ってしまった。その後、小富士さんへラボへの依頼をして、丸穂温泉。気分良く入浴終わり。
 久しぶりにゲルマンへ行って、本日はおしまい。

2009 年9月21日()はれ
 日から天気が崩れ るようだ。と思いつつも再びおかしな夢で目が覚める。時間にして午前1時過ぎ。やはり、ウトウトしつつ再びおかしな夢で起きるのが午前3時頃。最終はいつ もどおり、午前5時前。でも、今日はそれから一寝入りして起きたのは午前7時前。
 この原因は、「ラジオ深夜便」を流しているからだろうかな、と感じてしまった。同時に、父が他界する前の年の今時分はどうであったか。僕がちょうど高校 1年生の半ばであった。全くこれから死に行く人間とはとても考えられない父であった。が、病魔はその時すでに身体の内部を蝕み始めていたのは確実だろう。
 同じように、最近の僕はそういった状況を察した気分になりやすくなっている。真面目に様々な柵に対処できなくなりつつある。決して僕の思い違いではな い。ことに仕事の面では完全にグロッキーだ。思い切って反発してやってもイイが、その後に待っている大きいペナルティーは僕の年齢からすると相当堪える。 結果は早期退職だ。むしろ上はそれを目指しているのだろうけど。
 もう一つは自治労のことだ。はっきり言って組合というものは組合員を助けてくれるはずなのに、今の体制では逆にツブされてしまう。不思議な世の中になっ てしまった。
 僕自身、こういった中で周りから攻め上げられることを思うと四面楚歌。しかも楚は見方ではないか。というところから、僕自身がこの組織から辞したい、と 考える。いくら逃げているといわれようがかまわない。自分の人生をツブされるのは辛い。
 職員が組合離れするのも解るような気がする。僕ら7人が組合を組織したのは、その時の組合が反体制派の我々をツブし、その上に良からぬ方向へ一方的に 持っていこうとしたことへの対抗策として自治労の組合を立ち上げた。
 自治労も、それに助け船を出してくれた。10年ほどかかったが、それなりに職場ではトップの組織になった。
 が、我々が最初に取りかかったのは、もう一つの組織に対抗してであって、理事者からツブされようとしているから組合を組織したのではないのだ。そういっ た単組の事情などは、今は全く無視の状況だ。
 こういったことが、昨日から一切消えないままだ。
 つまらない気分のまま、朝のうちにお墓へ行く。晴天続きなので、土仕様の墓所は雑草も少ない。少しばかり雑草取りをして、水をあげてお終い。帰りはウイ リーウインキーへパンを買いに行く。
 午前中、SSTの実験結果をまとめる。これで午前が終わり。そうそう、朝のNHKニュースで75最辺りから愕然と身体が衰えることを報告していた。と、 考えると退職後は第2の人生を!というけど、実際は死への歩みを始めるとした方が良いのではないか、と思った次第。
 ま、死ぬまでは生きるのだから気にしなくてもイイか。
 残り物で昼食の後、職場へ出かけて催告状を全て封筒へ収めた。僕自身が残業としなければならないのだろうけど、サービス残業やってしまった。災害が起き ていると、公務災害は適用されない。サービス残業も少しばかり怖いことになる。「これぐらい」が公務サイドでは許されないのだ。
 今日でさえ、仕事をしている者が居る。最近の市役所はこういった状態が日常茶飯事で、多かれ少なかれ、中間管理職の中には頭をやられる者が出るのではな いだろうか。
 丸穂温泉へ行った後、残り物での夕食。今日は白砂次郎を見てオネンネすることとする。今の時代、白州が生きていれば... 。多分、ほぼ満足となっていただろう。
 ますは、良い時期を見計らってこれからの身の振り方を考えようと思う。

2009 年9月22日()くもり一時雨
 午前中に雨が少し降るも、その後はくもり空のままであった。若干蒸し暑いが、早朝よりボイラー導入のため、部屋の片付けをやる。非常にゴミが多い、と思 うが、その都度確認して捨てている。したがって、作業ははかどらない。当たり前かもしれない。が、あのときは重要な資料になるもの、と思いつつ保存してい たものだ。Newton 140のものなど、ナントIKEショップの保証書が出てきた。当時のセットで14万だったものね。バックライトは壊れているけど今でも動くのだからマシン 自体も凄い、と思う。あの時の14万円は今となってもMacのように高いとは思わない。不思議なことだな。
 午前中で本日分は粗方お終い。午後は大きな飯台の上の13インチトリニトロンモニターとPlus(with MC68030 accelerator)、Duo関係のドッグSCSIカードなどを全て階下の部屋へ持って下りだ。明日は飯台へ浸食している雑誌などを一時的に片付ける こ とにして... 。
 それにしても身体がさっぱり動かない。動かないというか、後半はスタミナ切れになるのだ。寄る年波には勝てないな、と思った。それにしてもデスクトップ マシンのセットは場所を多く取ってしまう。僕にとってはやはりノートパソコンだろうね。
 さて、明日で連休も終わり。僕自身は今月いっぱい辛い毎日になりそうだ。本当につらい日々になりそう。こんなことでアホ見るのなら... 、いや、もう止めよう。最悪は「辞める」だから。

2009 年9月24日(木)はれ
 前2時、ラジオ深 夜便のハンク・スノーの歌声で目が覚めた。昨夜は知人宅の通夜へ出ていた。どうしても葬儀に参列できないため、香典ともどもお渡しして、家に帰っても飯が なかったので、久しぶりにゲルマン。全く飲めない。不思議な世界だ。
 帰りにサンヨードーでイナリと巻き寿司のセットを買って、巻き寿司と残り物のメンチカツを食べて夕食とし、白洲次郎の最終回を見ておねんねしたのだっ た。
 部屋の中が大きく変わったこともあり、片付けのイラダチというか、作業に対してのスタミナ切れを起こす身体のためか、知らぬ間に寝てしまっていた。
 2時の次に目が覚めたのは5時。ここはあっという間に眠ってしまい気づいたら6時のニュースであった。結局、6時間半は眠った。気分は悪くないが、エヅ キの咳が出まくる。飲みすぎではないが、飲めない体になってしまったようだ。
 定時に出勤。川の水が茶色い。午後になって緑っぽいのに変わったが不気味な世界だ。
 気分は全くのらず。明日行けば休みだけど、再び休めそうもない土日になる気配濃厚。
 仕事途中で時間休暇。労働基準監督署での交渉。今の監督官はなかなか話が分かるように感じるが、任期の期間が2年なりと短いから、どうしても交渉内容も 同じようなことを繰り返してしまう。ま、困りごとの大半は個別事象だ。その証拠固めが極めて難しいのはいつの時代も...。
 何度も言うが、おきてからでは遅い。そのためには下準備とそれに係る証拠固め。これが必要のようだ。
 徴収業務を終えて、再び陰謀渦巻く職場復帰。「陰謀渦巻く」はね、あまり言いたくはないんだ。単純に、僕自身は自分の担当なら、何とかして...、が必 ず出るのだけど、その人にはそれはあるが、そこから先を何とかしない。これが陰謀である。結局トップ2が丸抱えしたけど...。僕などこれがまかり通るの なら、大半のつまらない案件は人様に振るよ。
 さて、決済物でトップがおかしなことをノタマイダシたので、担当とともに唖然。課長決裁は「丁」だ。それを部長と言い張る。オーイ、何とかしてくれ。プ リント物への打ち込みはすでに「丁決済」になっているから、そのままでいいのだって!。それを消して、部長決裁欄も赤の斜線を...、というのだから、ア ゼンなのである。
 後で、収入役が云々というので、収入役があったときでも収入役は丙決済で室長は丁だったの。と「何を考え違いしているんですか?」。
 ま、「そうやったね。オレの考え違いやったい」とは相変わらず言わない。辛い。チリソース思いっきり掛けて「辛い」にしてやろうか。(爆)
 そのうち、「幸い」になることを願っているが、それはあるまい。もしあれば、職場はもっと明るかろうな。

2009 年9月25日(金)はれ
 から東へ掛けての 稜線には入道雲。海は茶色。まさに晩夏の世界だ。僕は職務に邁進。信じられないかもしれないが、連休中の予定がこの日に集中した。それだけのこと。とうと う最後は午後5時になって、相手さんに大目玉。
 が、待てよ。俺らの就業時間は5時半だぜ。三好造船も午後5時終了。大半の事業所、漁業関係も5時半じゃないか。
 団体交渉では、漁業関係の企業も6時前後だ、と言い切ったではないか。嘘も方便か。宇和島市の市長他の管理職は僕たち職員をを完全にだましている。
 この人たちが管理する宇和島市の行政が信じられるか?。そこに従事している職員をないがしろにしている今の市政はダメだ。と、内部に関わる我々はこうだ けしか 記載できない。そういった意味から、今の市政を任せる人は居ないとして市長選挙に白票を投じた僕は、「僕一人でもやった」としては大正解だ。
 すでに、県の市町振興課は国からの指示を受け「就業時間を午後5時半にしているバカ自治体は、早急に5時15分に改善せよ」と文書を出したそうな。
 しかし、
「1日15分の勤務時間を1か月にすると 2,000円程度。これをどうするかは市長の判断。給料下げるなら、やってやる」
とまで言い切った市長だ。
その分、煌々と輝く蛍光灯。キリの着かない仕 事の延長。この分の時間は「残業手当を出すのかどうか?」
 電灯の電気代と、その15分の2,000円とどちらが徳か損か。これから暖房する となると、夏の冷房代と同用に大きな損失になる。今の政権なら一発でやられるところだろうね。
余程オンチの市民であっても、このバカさ加減は分かりそうなものだが、午後5時 15分の就業時間にしないのか。

あまりにアホくさいから、もうどうでもイイ!

 と、こうなるの解るでしょ。
 けど、もう止めましたよ。それよりは、市長が選挙前に謳ったマニフェスト。これが全て手が着けられなくなる方が余程大変だか ら。
 まずは、九島架橋。これ、掛からないかもしれないよ。今の政府ではカットされるの は必至だろ うって。誰が考えても無駄遣い。しかも税金のね。橋掛けるのなら、高性能のフェリーボートを1隻。それに、宇和島市の補助を国は要求するだろうね。かつて の盛運汽船がやろうとしていた陸海の交通事業を... 、古いことを申しました。が、それが出来なかったために、今このようになってしまったのだろう。
 それと冊子部分のマニフェストにある、農産品の改良品種の開発から収穫、販売まで を目指す企業を... 。これに必要な億単位のゼニのことを市民の多くは知らないだろうけど。
 ま、何でもかんでも市民の多くが知らないうちに決定され現実になる。モーニバスのことを知っていた市民はどれほど居るだろうか。自転車タクシーしかり。 こういった調子でやられると、僕のような自治体労働者は骨折り損のくたびれもうけになってしまう。
 僕が受けることでこれぐらい。市民の多くは宇和島市がどういった目的でどういった方向へ進もうとしているのかを真剣に考えたことがあるだろうか?。僕自 身、最近ちょくちょくこのようなことを感じ始めている。
 このような新規事業などを知っているのはほんの一握りであろうし、事前に知り得ることなど無い。その逆に、良しにつけ悪しきにつけ、あっという間にメ ディアを通じて一般に知れ渡る。
 この地方はかなりの保守陣営だから、今の民主党連立与党の政策に刃向かうことが出来るかどうか。同時に、か つての文部官僚の加戸君が知事の間はもがくだけソンだ。文部科学省の高級官僚だったのだし、速くを辞めさせるべきであろう、と考える。
 でなければ、ますますの貧乏県になってしまうのは明白だし、かつてのように、「愛媛・えひめ」を主とした捲土重来はとても出来ないのが現実であろう。
 そろそろ、市民のみなさんも今の市政なら、宇和島市も今以上のものは出来ないと見限った方が良いのではないかな。決してウソでは無いように感じるのです がね〜。

2009 年9月26日()はれ
 日の後遺症が残っ ている。午前4時から立て続けに3回目が覚めて再び眠ってしまった。こんなことって珍しい。
 いよいよボイラーの接地が始まる。今日はこの手、というかこういった電気製品の関連のダイデンさんから事前調査が始まる。分岐バルブが今回は必要のよう だったが、ずいぶんと配管の方法も変わってしまったように思う。
 SR500のSSTの取付方向を変えた。そして走った。
 不思議なことが起こった。まるでプロジェクトXのようだけど、本当におかしな事が起こったんだ。ウソではない。僕が記載すると、文書表現などでチト弱る のだが、この変化を言葉には表記しづらいので、あしからず。要は、マフラー上面へ廃棄の集中面を持っていかないようにしたことだ。それだけのことだが、本 当に変化する。バカみたい。
 午後、ますだ歯科へペリオのメンテナンス。僕の場合は半年ごとだ。金属の針でつついての検査、結構いけない部分があるのはあるが、歯がぐらついていない のでOK。次は超音波での洗浄。磨き。仕上げはフッ素塗布。
 それにしても、歯科の治療用具のすばらしさは何とも言えない。リューターや小さいスライディングハンマー、それにエアーコンプレッサーなどなど、欲し い。
 夜は、写真の裏のことを少しブログに記した。つい数年前なら考えもしなかったことが、現実に起こっている。写真とは一体何なんだ?、という、ここから再 び始まらないと写真そのもののネットワークが崩れる気がしないでもない。たとえば、この孫の写真。これをフィルム写真にしてニュアンスが狂うと、フィルム の処理変更は出来ないから、写真の焼き付けで... 。でも、遠い将来フィルムしか残っていなければ、その時点でD.P.Eを通常の目で見たような写真に仕上げることが出来るかどうか?。それをこの地のよう な田舎で完璧に出来るかどうか?。
 大きな問題に僕は思う。集合での記念写真が変な調子で上がってくると、どういったことを思われるであろうか?。難しい世の中になった。








































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