2010. 1. 1 〜 3. 31
2010
年1月1日(金)くもり一時雪
新しい年というの
に、何ともナサケナイ朝であった。朝のうちにお墓へ。位牌堂へお供え物を上げて帰宅するのだが、途中コンビニへ寄って朝飯を調達。その後に雑煮を。
今回は自分流に焼いた餅をすまし汁へ入れたものとした。久しぶりに母の作っていた雑煮となった。餅が硬くなって直ぐの時はこの方が汁が濁らなくていいの
だ。
その後は、ニューイヤー駅伝を見つつ、届いた年賀状に目をやるも、ふと、年賀状っていうのは年明けに出すものではないだろうか、と考えてしまった。
結構おもしろい展開でレースは進んだが、最終は総合力で強いチームが勝つ。一人の持ち分が長い駅伝では致し方ないだろうな。日本陸連もIOCぐらいへ
「EKIDEN」という種目を世界公認レースにしろ、と言えないものか。
天皇杯のサッカーが終わると夕刻。第三のビールを飲みつつ1日が終わる。明日の午後から生活の場へと再び移動が始まるのだろうか。年末年始は大変な日で
あった、と今年の年末に思うことではないだろうか。
さて、何もすることはない。明日の箱根駅伝を楽しみにしつつ、オヤスミすることとしたい。
ン、そういえば昔箱根のランナー達に絶大な支持率であったハリマヤシューズはどうなったのだろうか。
2010 年1月3日(日)くもり後はれ
正月三が日は言い分
で終わると思っていた。ましてや、身内の不幸を昨年に任せたのだから... 。
が、自然の輪廻はそう上手く行くものではない。本日、朝刊でオートバイ関係で相当にご厄介になった方の逝去を知る。明日は僕としての仕事始め。したがっ
て、一度しかない葬儀を採るべきだろうと思ったが、仕事始めは現行の公の者として防ぐことが出来ない。したがって、通夜へ出向いて香典をあげた。
丸穂温泉に行ってはいたものの、通夜の帰りにゲルマンへ寄って晩酌をやる。もう一つ、寄った理由は、義父の死から約束していた年末の訪問が出来ていな
かったからだ。
しばらく、身体を温めて帰宅して「龍馬伝」を見る。ドラマを見ながら少しばかり「ドキリ」とした。上士によって下士(郷士)の殺害後のことであった。
龍馬が取ったようなことは僕にはとても出来ない。かといって、岩崎弥太郎がとった攻撃的な態度も取れない。
で、武知半平太が取った態度が、僕であろうと思う。あー、こんなんだもの、今の僕に当てはめると、どうしても中庸を行かざるを得ない、ということになる
のだろうか。
逆に龍馬の尻ぬぐいなどは誰がやったか、となると、当面の間、僕は武知半平太に成らざるを得ない。はっきりいって、「月様...
」ではない、真の半平太の姿こそが僕ではないだろうか。不思議なことであった。
義父の死、Uさんの通夜、その場に遭遇してどういった態度を取れるか、これさえ問題になるご時世だ。医者が出たとしても、なかなか難しい(取り仕切
り)、と思った。
2010 年1月4日(月)はれ後くもり
久しぶりの職場。風
邪で休んでいる者のバックアップで終わってしまった。担当者不在の中でどうなんだ、と来ると、僕としてはなかなか難しい。強いて言うと、僕などがやると
大っぴらから一歩引いた態度での臨むこととした。
家に帰って、NHK総合テレビの午後九時前のニュースで僕は愕然としたよ。そう、クローズアップしたのは電動モーターの漁船とそれを開発した者、それに
メーカーだ。
その裏を知らない者が、なかなか素晴らしいアイデアを実現するのが宇和島に居る、で済ますのだろうけど、宇和島市の根幹を成すモノがその裏にあるとした
ら如何だろうか?。
はっきりいって、会社は会社、そのオーナーは個人のこととして会社は存続。その逆もあり。
実のところ不思議な世界だ。そんな中でこういったものがニュースで出る。この開発製品の場合、クローズアップされるのは会社か個人か?。もし、国の機関
の誰かがこの日記を読んでいてくれれば... 。
ま、これ以上は記載しないけど、こんなのがまかり通るのが今の経済状況だろう。
僕が漁業関係者なら時期尚早だ、とするね。そのわけは簡単にいうと、一つはバッテリーの容量だ。電気を使うと充電しなければならない。しかも、長時間の
充電時間が必要だ。こういった根本のリスクがまだまだ上手く進まない鉛のバッテリーは重い。必要電源を確保するバッテリーの容量(数)は相当なものがあろ
う。パラレルで接続すると死ぬほど重いのだから。
もう一つは充電関係のインフラ整備だ。ハイブリッドならまだしも、充電関係のインフラを先に整備しないと船を陸にあげることが出来ないのだから、充電ス
テーションなども必要ではないか。電動駆動の動力で充電機能を持たせたシステムなら別だろうが。
そうでもないよ、とおっしゃる方は老人車の電動モデルを意識すればいい。コイツをリチウムイオン電池とか、ニッケル水素電池などにするとどうだろう
か?。逆にいくら乾電池でルマンのコースを走ったところで、スピードは不満足であろう。太陽電池でも同様だ。
こういった点が解決できていない電動モーター漁船へ一気に流れが、とはならないのではないか、と思う。
2010 年1月7日(木)くもり時々みぞれ
一昨日の夜間徴収が
寒冷の中であったため、昨日から寝起きがよろしくない。おまけにこの空模様。職員ようやく揃ったものの、今度は徴収予定がない上に来庁者も激減。何とも情
けない気分になってしまう。
逆に言うと状況が安定してきた=低迷路線が続く、ということになったのではないだろうか。
一昨日、夜のニュースでも経済状況は良くなったとはいえないし、まるでインド北部の大雪状態のようでもある。年始の番組で昨年の皆既日食のコロナの状態
で、気候は冷え込むのではないか、と学者が予想していたが、ここ数日の天候からすると本当かもしれない(ナ〜ンテ)。
福岡のYさんから「今年の英車の集い関係はT-140Vで」と便りがあった。僕自身も何とか上手く動くようにしたい、と思いつつ、この天候のためどうす
ることもできない。
そんな中、順を追って整備をまとめていると、キャブレターをAMAL
MK-Iにした時のモロモロが浮かんできて、少しばかり状況が見えてきた。シングルキャブ化して安価に改造できると思っていたが、結構出費がかさむことに
なるようだ。
それでも、TR-7のシリンダーヘッドを購入するよりは安くいくのだし、再びツインキャブに戻すこともできるのだから、かえって利便性が高いようにも思
う。
同時にオールドタイマー誌のホスク号再生記事で、シングルキャブにして...、というくだりがあった。実に45年ほど前にもこういった状態だったので、
コヴェントリーの清水さんのいう、シングルキャブにすると「調子が良くなる」というのは本当かもしれない。
僕の好きなプリンス スカイライン2000 GT-Aもそうだしね。グロリアの直62リッターエンジンでも三連装よりシングルかな。
で、昨日とりあえずはAMAL
MK-Iをゲットしなくてはならないとして、トラビスサイクルズへ電話を入れてみた。すべからく対策をしていただいて、2ユキチと少々であったので本日発
送である。
何となく日暮れが遅くなったものの、ここ最近の天候不順からその効果も感じない。今の天候が続くと体内時計が25時制になってしまいそう。
僕の場合、この連休がお正月休みのようなものだから、何とか天候に恵まれてほしいと思うのだが...。
2010 年1月8日(金)くもり時々はれ
この地方独特の冬の
悪い天気も去っていったかしら。もようやく晴れ間が見えてきだした。仕事はとても暇。時間をもてあそぶことはできない。今のうちにたまった書類整理に本日
も没頭。その上に組合の規約修正の日付と内容を照らし合わせる。結構大変だった。
職場では今は紙での回覧などがほとんど無い。もっぱらメール機能でもって職員へ公に通知するものは「新着情報」で。仕事外のものは「職員の広場」へ掲示
される。これを見なかったら「見ないのが悪い」と一発でやられる。
数回、保育園などでは保育士は見る機会がない。あるいはFAXの方が速い。はたまた、コンピュータは触りたくない、などなどが出て、こういった状況の中
メールだけで事足りると思っているのか!、と関係課へ文句を言ったことがある。
職員をグループ化してメールで飛ばせば、そりゃ楽だ。それは我々のように一人に1台の端末がある場合で、保育園など、1時間も端末の前などに居ることは
できないのだからね。こういったのを管理職は知っていなきゃならんのですよ。
話は変わって、最近南予(なんよ)の特産物ブースをつくって集客活動が盛んである。それに首長まで出向く始末。確かに集客は向上するも、ご当地は一向に
冷え込んでいる。
問題はね、拠点が「松山市」であることなんだ。そりゃ県都松山でやれば、この地方の特産物も売れるのは確かだ。
しかし、同じモノホンでも地元でのそれとは結構違うものが存在する。たとえば、「じゃこ天」これが紛いものか本物かで違うし、ましてや製造メーカーでも
違う。その上に製造日で違う。
首長が出向いているんだぜ。「ひとつ足をのばして宇和島でもっと美味いものを味わってください」とぐらい言えないのか。八幡浜と喧嘩になってもいいじゃ
ないか。たとえば「かまぼこ」。八幡浜と宇和島の地元で味わう板かまぼこの違いは相当なものが存在する。
ミカンもそうだ。同じ晩柑20号でも高光の急傾斜で日当りのいいところのものはなかなかのしっかりした味がする。八幡浜の真穴のミカンと吉田の喜佐方の
ミカンと比べるのも一興だ。
こういったものは地元でしかできないのだ。
真珠に至っては、わざわざ業者が松山で安く販売する。いくら全国第2位の真珠の産地であっても、宇和海を見せて、ここで真珠が取れて...、などのこと
をアピールしなけりゃ。
何だか愛媛県に振り回されて、自民党オンリーの自治体首長は猿回しの猿だな、と思ってしまった。
こういった体質が変わらないから、この南予地域はますます冷え込んでいくのだろうな。
以前も記載したが、どん底どん底といいつつ、今はそこから這い上がれない。ある程度のものがあれば、この際だから締めてしまうのも手のうちだろうか。
勝手なことを言っているのは確かだ。4月以降、先がそろそろ見えだすだろう。イイ奴はイイ。ソコソコの奴もイイ。喘いでいる奴はつぶれる。この図式がも
う少し長く続くような気がする。
2010 年1月11日(月)くもり
昨夜、布団に入った
はいいが身体が温まらない。むしろ悪寒を感じるような気分になって困ってしまった。原因は不明だ。風邪をひく手前だったのか... 。
ということで、本日動けるようになったのは午前9時過ぎ。どうも胃の周りがモヤモヤする。薬を飲むほどでもない。外は天気予報どおり。
チョイト考えるところがあって、申生田のダイキまで出かける。ところが、ブツが無い。あるにはあるが数が...
。どうする?。ブログに記載しているが、午後から保田のダイキへ出向いてゲットできた。そのブツとは何だ?。
実は、愛用のデジタルカメラであるニコンクールピクス4100の単三アルカリバッテリーの長持ちするのが無いのである。強いて言うと東芝のアルカリが
フィットしているように思うが、パナソニックにしても帯に短し襷に長し、の状況で、これまで消費したバッテリー数は並大抵のものではないはず。
で、三洋電気のニッケル水素バッテリーの「エネループ」を購入しようと目論んだわけだ。行き付けの申生田のダイキにない、となると保田のダイキへ行くこ
とになる。空模様からして自転車でだ。
サイクリングがてら2時間の行程であったが、バカらしいとも感じられる。が、商店街ではおそらく直ぐには入手できない。間もなくパナソニックの子会社に
なる三洋電機だし、今のうちにゲッとしておくべきであろうと思った次第。街中に住む身としては、不便極まりない商業関連施設ばかりだ、と感じる。
今の宇和島市を住民サイドから一層不便にするための方策を市長が考えていることを新聞紙上で知った。いわゆる、行政の分庁化である。市長は旧三町の庁舎
が寂しいから、その対処策として、と言っているが、これほど住民サイドとして不便さを助長させる方法であることは、香川の自治体合併先進地で十分解ってい
るはずだ。
たとえば、三間へ教育委員会を持っていく。新聞の通り農業関係を吉田へ。漁業関係を津島へ、となるとどうだろうか。津島で農業をやっている人は、メイン
が吉田だから、そこまで足を運ぶことになる。漁業は、その逆だが、就業人口からすると津島の農業関係者の方が大変であろう。
4月に転入した人はどうするのだろうか?。住民票の移動は本庁。小中学校の関係は三間。保育園は本庁、とそれぞれで手続きをしなければならない。これが
分丁方式である。
香川の先進地はこれをやって非常に不便になったわけだし、うちの合併協議会でも、これを止めようとしたはずなんだ。それ以上に、合併後に本庁集中化を
やったために、旧三町が寂れるに陥ったわけだから、これを元に戻せばいいのだ。その方策を分丁化とするのは、愚の骨頂と言わざるを得ない。
貧乏自治体が集まって造った宇和島市だから貧乏が加算される乗じられるは当たり前のことであったはずだ。僕個人としては加戸君の策略に見事にはまった結
果で、愛媛県も貧乏だし愛媛県下の自治体は一層貧乏になってしまった、というのが現状であろう。
5年前までは、かなりの期間営々と自治体行政を行ってきたのだし、それを一気に合併させて効率化を図るなど、2、30年早い結果目論見としか言いようが
ない。
何度も言うけど、今の状態を持ちこたえるのではなく、夕張市まではいかないまでも、落ちるところまで落ちないと住民意識は生まれない。
例えはおかしいかもしれないが、今年の成人式でもあったように「20才」だから大人として出来ることをやってどこが悪い!、と言い張る輩が非常に多い。
これと同じではないか。酒を飲むのなら、その後のことを考えよ、といいたいね。
逆に自殺するのなら、その後の始末を誰がやるかを考えていただきたい。テレビで首つりやった後のように綺麗じゃないぜ。汚物が垂れ流しで...
、というのが自殺の後だ。
誰もが責任のある自由、というのを意識していないのが今の状況ではないだろうか。
2010 年1月12日(火)くもり一時雨
未明に雨が降ったよ
うだ。右肩の痛みでついつい目が覚める。本日は午前3時過ぎ。NHKラジオ深夜便で昭和30年代の青春歌謡を流していた。吉永小百合、北原謙二、金田星雄
などなどが聞けた。眠ってしまって、5時半ごろ目覚める。いつもどおりだ。
気分はいいのだが、どうも外へ出る気はしない。仏壇の水替えと新聞を取りに階下へ。案の定雨が降っていた。こういった日は何時夜明けが来るのか不明であ
る。本日明るくなったのは7時を過ぎてからだ。
いつもどおり職場へ行く。自転車のリアタイヤはそろそろ交換だ。昨日、申生田と保田へ出かけたが、トレッドがあればもう少し楽に走れたのにな、と思う。
購入したエネループの状態はなかなかいい。CoolPix 4100が妙に力強い。残るは持続性だな。
さて、午後3時前、所用で和霊小学校へ出向くときテープで閉鎖された通りがあって何事か?であった。遅くなってニュースで流れたが、結構有名な焼肉屋
「S」の女将が殺害された、というのである。犯人はどうやら息子のようで、動機やら何やら、これは長引きそうだ。
こんなんで有名店が消えるのは何とも寂しい。そういえば、僕が焼肉とホルモンを最初に食べたのはここだった。
8日の仕上げをやりつつ、本日は電話応対に始終した。催告書の納付〆切が今日だったからだ、と後で気づく。それほど事件のインパクトが強かったわけだ。
家に帰って、いつもどおりの夕食から以降の時間が過ぎて、昨日効果のあった入浴剤を入れて温まる。新しいボイラーの調子がすこぶる良くて、入浴用と濯ぎ
用を別に設けることがいとも簡単にでき出した。燃費は毎日入るとして、18Lの灯油が一か月間という高効率だ。もう少し暖かくなると、地デジ対策と、
ウォーターポンプのカバーを何とかしないとならないな、と考えている。
連休で月曜日が休みとなると、火曜日が休みでどうもおかしい気分になる。ウィークデー全般、朝の8時半から午後5時半までの生活が身に染みついているか
ら起こることだろう。
僕自身は退職後数か月の間はちゃめちゃなことをやってみたいと思う。そうしないと、向こう生き延びる間のパフォーマンスが発揮出せなくなる。
誰が考えても渚ゆう子のロマンスが実現したようにはならない。しかし、シワは増えたが、そのままのキーで、そのままで歌えるというのがニクイ。僕も残り
2年の仕事から解放された後、(その時点で)昔のままだね、と言ってくれるような調子で活きたいものだ。
2010 年1月13日(水)くもり時々雪
ついに来ました。ラ
ジオ朝一番で「トッキュウの寒気がせまっています」というのがあって、「どのぐらいの速度で来るのですか?」という質問があった、と
のこと。ナルホド。「特級」なんだ。しかし、その一段低いのは「一級」となるため、日本語もアクセントが同じで使用するところも同じなら、音だけならニュ
アンスで判断しなければならない、というところであろうか。
さて、昨日の日記を記載した後、NHKテレビでの茂木先生が司会する番組で、素晴らしい女性を知った。何しろ盲目でIBMフェローだから。
14歳で失明となると、テレビでも苦労は報じられたが、それからの人生は相当なものがあったと思う。でも、彼女の考え方がすごいね。14年間は見えてい
たのだから、これまた、この間の筆談ホステスのドラマとは別の意味で、僕は感激したよ。
と、回り道をしたけど、最近になって真空管アンプを久しぶりにいじってやろうか、と思いだした。今やれるのはDYNACOのMK-IIIを一回り大きい
シャシーへ組替えしてやることだ。100V電源が内蔵されている電源トランスだから、正方形のオリジナルシャシーでは熱が逃げきらないのである。大きい
6550の出力管だから、もう少し余裕のあるパーツ配置にしたいわけよ。
その前に1台。これは少し秘密。
そうそう、アナログディスクプレーヤーも程度のいい中古を1台持っておきたい。この際だからダイレクトドライブでもOK。今の時代だ、モーターのコギン
グなど気にすることもあるまい。プリアンプは上杉先生が設計されたものを僕が作ったものを使用する。
これで再生したものをパソコンに取り込んでおけばiPodで楽しめる寸法だ。
と簡単に記載したが、僕がMacに関わりを持ったのは、ソニーのPCM録音に乗り遅れたからだ。上記のように「コンピューターを通すとデジタル録音が可
能」という持論をぶちまけた。
相手になったのはMacだけであった。1984年のことである。その時はハイパーカードでスクリプトやって音をつくっていたわけだが、あっという間にコ
ンピューターミュージックとアナログ音源のデジタル化する分野に分かれてしまった。
完全に転機がやってきたのはCD-Rの普及とSOUND
Itのソフトを使い始めてからだ。それ以来、老後の楽しみとして、所蔵のレコードをデジタル化したい、と目論んでいるわけだ。
というところで、たったひとつのことでこれだけだから、僕の道楽も結構なものがあるだろう。オーディオとしても、レコードやCDの音質から云々があった
り、今回のようにアンプリファイアーといったところで真空管、その種類も云々となると何をか況やである。
ま、こんなところから次の光明が差してくることになるのだが... 。
2010 年1月14日(木)雪後くもり
外を走るトラックの
チェーンの音で、雪が積もっていることを知る。ムニャムニャ...。定時に起きて外へ出ると、ほぼ10cmの積雪。嫌な気にはならない。不思議なものだ。
というのも、雪は降るまでが寒いというのを知ってるから。その証拠に、宇和島で公共下水道が通っているマンホールの蓋はどこも雪が溶けている。わずか数
度だが温度が高ければ雪は解ける。この辺の雪はこの程度のものだろう。
昨夜から今朝のテレビニュースでは別府の火事を報じていた。いつだったか、自治労の定期大会が別府で開催されたとき、以前セゴビアのLPレコードを買い
求めた中古屋さんが大会前に起きた火事で焼失していたのを確認して、何ともやりきれなかったのを思い出した。
拙宅も新築後1年で小火を出して、その復興に今でも追いつかない状況を体験している。
地震・雷・火事・親父でも上から3番目までは「破壊」だけにとどまらず、全て複合した災難となる場合が多い。地震に伴う火災は阪神淡路の大震災で多くの
人が経験している。
今回の別府の火事は、同市にとっては2度目の大火ではないかと思う。古い話だが新潟でも商店街の火災で街全体が無くなった事実があるから、商店街の防災
訓練などが今後は必要になるのではないだろうか。
さて、午後5時前になって、鬼ケ城手前の毛山が夕日に当たって、素晴らしくきれいな雪山の状態になった。まぎれもなくこの街の背後には四国山地の
1000mを超す山がそびえていることがわかる。
久々の積雪だが、この地以外の人には分からないだろうな、と思う。別の意味で観光資源に活用できるはずなんだが、黒尊林道の開発後、自然破壊かどうか、
観光に対しては常に付きまとう疑問が生じるため、観光資源深部に関しての銭儲けをやるとなると難しいかもしれない。
夕刻からは、労働団体の旗開きだ。今のご時勢からすると、僕らの組合が外部へアピールするのは得策ではないようにも感じる。
本当の粗酒粗肴だから、あっという間に終わるのが常だ。もう、昔のような労働条件とか給料について語り合うなどの方々は居ない。
しかし、労働組合を含めて、職員団体が職場に存在しなければ、勤務条件や賃金は経営側の一方的な方針に従わざるを得ない。
このことによって、この辺の企業の多くは儲けてきたわけだ。外面はいいように思えるが、労使双方がスッタモンダできていないため、経営側の一存でどうに
でもなってしまう。いくら従業員が頑張ってもどうにもならない。文句を言うと辞めさせられる。でもって、こんな街の企業にはそっぽを向いてしまう。
いくら定住してほしいといったところで、旧態依然の労働条件でしかないこの辺の企業では働くこともできない故、住むことは考えられないのであろうと思う
ところだ。
2010 年1月18日(月)はれ
久しぶりの晴天が続
いている。昨日は南予マラソンがあったのでS1
Proを持って出かけた。お手伝いの先生方で僕が教育委員会時代に一緒に仕事していた方々は管理職になって、その中には若い校長先生もいらっしゃるよう
で、ずいぶんと変わったな、と感じた。同様に、歳をとっても若々しいと思える方は趣味とはいえないまでも何かをやっていらっしゃる方が多いように見受けら
れる。
こと、僕の知っている先生方は大きいオートバイに乗っていらっしゃる。キカイを使って外気と触れ、なおかつ体全体を使わなければ動かすことができないか
らだろうかね。
そんな中、本日も晴天ではあるが、朝はかなり寒かった。そして、今は陽が尻割れ山(毛山)の一番高い部分から出るので、8時をかなり過ぎて部屋の中へ日
が差し込む。嶺線を北に移動するようになるまで、しばらくの間は日の出が遅くなるのは致し方ない。そのために、気温の低い日々が続くと、その解消までに日
光が間に合わない、という次第だ。
日の入りは、宇和海だから常に一定。これが、三方を山、一方を海という宇和島の立地状態がなせる技であろう。ましてや、山は1000m級ときている。
話変わって、職場のことを最近記載しなくなったのにお気づきの方も多いだろう。こと、昨年12月の中旬からは、何かあったのではないか、と思うように
なってきた。ま、一時期キレた手前、その要因が何かは知りたいのはやまやまだけど、今のところは静観している。僕自身にとっても不思議である。
関連はないが、最近のヤフオクは異常のように感じられて、諦めがえらく早い。昨日など、模型エンジンのOS MAX
35Sが何と23,000円クラスで落札だ。ラックスアンプのOPTにキズのあるようなものでも50,000円クラスだ。よく落札しますね、と言いたく
なった。
僕はヤフオクで落札したものは大半保持している。もちろん、部品取りになってしまったものもあるが、それでも、残骸は捨てていない。訳あって我が家へ来
たのだから、僕が死ぬまで、あるいは確約をとって信用のある方へ譲りたい、と今のところ決めている。おかしいかもしれないが、妙に物にも心があるようでな
らないからだ。
したがって、ある程度の金額に行って、それ以上となると、最近は手を引いているのが現状である。そういえば、僕が落札したのは、はや70点にもなるのか
と思うと、ずいぶん年月も経過したものだ。もしもはないが、最初の頃、プロバイダを早くに変更していればGetできたものも多かったのに、と思うこともあ
る。
とはいえ、諭吉が数枚必要な者が多すぎる。価格に見合う物はなかなか少なくなってきたようだ。
2010 年1月19日(火)はれ
本日朝は昨日よりも
霜が多く下りていた。昨日申し上げた日の出に関して、本日はちょうど尻兜の間から出たため、若干早く日が射した。明日は北(向かって左)側へ移るので、地
球の自転公転の関係から高い部分を超えれば、本日と同じような時間になるはずである。
さて、比較的のんびりムードの中、昨日記載したのと裏腹に、税務課が受け取るべき電話の相手を待たせた。その結果、解る者ってところからトップが受話器
を取った。会話の内容は不明だが、要は相手が待つことを前提に、電話をかけなおすことも要求しないし、糞詰まり状態で、解る者に替われ、ときたから、トッ
プへまわした。
これがカチンと来たのだろうね。事が終わって、対応した者にさんざん説教めいたことを言う始末。
理由は「一般の電話には出ない」が該当する。一般職だったら誰だって救いを求めるときはあるだろう。僕も入庁して間もなく臨時職員としてわかる範囲で応
対した。その時は誰も褒めてくれなかった。もし、救いがなければ、喧嘩になっていただろうないようであったが...。
税務の担当者に替わると、こともなく終わったのだから、待つとか、かけなおしとか言わないのだし、「変わった人やったな〜」でいいのではないか、と僕は
思う。
ま、その他、いちいち別室で...、が今日もあったし、静かではあるが、やっていることはこれまでと何ら変わらない。
というところで、仕事の途中、丸山球場の工事現場へ行ってみた。かなり良くなっている。これはブログで紹介しよう。
ところが、住民コンセンサスをやらずにごみ焼却場をあそこへ、という考え方は市長は曲げようとしない。合併して大きくなったんだ。別の場所へつくっても
いいではないか。一般の人ならそう思うだろうね。
が、とにかく何やかや裏でのことがあるようで、市が進む方向はこうなんだ!、というものが一切ない中での市政だから、これから先、3年の任期の中で、ま
たおかしいことになることが多く出るのであろうな、と思う。
で、ここで終わったりしない。酒道場へお土産持っていって一杯。NHK歌謡スタジオ。「ジュンとネネ」が数十年経ってそのまま出てきた姿に、一瞬たじろ
いだぞ。マジ、本物だ。多少の年齢から来るものはあるけど、マジ、そこにレコードジャケットから抜け出たデュオが居る。そして歌っているではないか。
まぁー、とにかくビックリした。うれしかったね。これで、今日は十分だ。
2010 年1月21日(木)雨後くもり
昨日はおかしな天候
と気温、それに夜の会議のダブルブッキングのために頭の中がモヤモヤで日記を記載できなかった。天候が夜になって雨になった。その雨
も上がった本日朝も異様な気温。空は曇りと家事の煙、それにガスめいたものが漂って、地震の起きる前触れのような気分になってきた。
当市は、毎朝5分スピーチをやっている。本日はトップの回り。喋りはまぁまぁだけど、気になることを言う。それは課員の「観察」である。最近これをやっ
ているそうだ。ハハーン、そのためか。僕の席の後ろにある機密書類の処分箱をよけながら住宅地図を見に来る。狭いところを通るより、ほんの3m長く歩けば
いいのだから、係の間にある広いフロアを通ればいいのに...、だ。
いかんせん、僕がタイプしていても、テキストエディタで記載しているので、行間が狭い上に、彼の視力ではこれが読めない。このことも最近分かった。
で、観察すると、個々人の状況が良く解るというのだな。それはそれとして、本日は、事業課が業者選定するための納税確認の件で話に入ってしまった。当該
課で書類の書式があるはず、と言うので、「書類の様式は決定してないですよ。ある課では、決裁の枠ハンを作っているので、それを作ってもらえばいい」と僕
が言うと、いや、様式を見せてもらって課で作ってもらえば...、を言い張るのだ。
これ以上やると堂々巡りだろうが。流石の僕も口をつぐんだ。蔭口はたたいておいたが...。
本日は、連続した夜間の会議の最終日だ。明日の旗開きの準備などから、早めに帰宅したかった。学習会が無かったので幸いしたが、今度は短すぎ。上手く行
かないものだ。ゲルマンへ寄って少し。
それでも、家に帰ると午後8時半だ。日記の前段は職場でタイプしている。文章作りのこういったところが、簡単に行えれば言うことはないのだが、キングジ
ムのポメラにするかどうか、ここんところが少しばかり...。とはいえ、文章だけではなく、何かしら作成ものもあるわけだから、やはりG4
12インチとなるわけだ。早いとこバッテリーの確認をやろうと思う。
で、テレビ見つつ、政治も経済も何とも上手く行かないね。国でこういった状況だ。地方都市の状況などやろうとする者がごり押ししなければ上手く行かない
のだろう。でも、内部はバラバラだ。一丸となって、この地に焼却場を造った、といったことはないのだろうね。昔なら市長の手腕になるのだが、今の市長では
無理だろう。
2010 年1月27日(水)はれ
昨日と本日は上天
気。本日は参議院選挙へ向けての予定候補者のあいさつ回りを朝と夕に受け入れたり、心配していた仕事の関係も一段落して、久しぶりに明日の松山出張を迎え
られる。
天気ほど順町ではないものの、一昨日のこと、夜の会議の後ゲルマンへ少し。そこでO元校長とT魚屋の若女将に偶然に対面。この街の状況とか人間性などで
の話を盛んにしゃべってた様子。聞きたくないが聞こえてしまう。
若女将が、商店街へ店を出して数か月で、もう一方の店へ集中するので、こちらを閉める。これに街の人間性のことが加わったり...。
聞きながら愕然としたよ。出店後数か月ぐらいで結果が分かるのは大都会だ。この街で生き残ることを最初に決めるのなら、気軽に起業なんて出来やしない。
人間性のこと言うけど、今の御時世ご近所だって誰も助けちゃくれない。ことに出店して素人っぽいところは一層辛い。その辛さを乗り越えたときからが勝負
ではないだろうか。
このように僕は考えている。
O校長も僕をして言いたいことを言ってくれたよ。僕をコミュニストとおっしゃる。そりゃ違いまっせ。僕は彼らの団体と一部闘ってるんだから。ハハーン、
愛媛の教育っていうのは少しでも左の考え方持ってるとどうすることもできないんだな、って。
で、どういった人が校長になるか。ヨ〜ックわかったよ。
だから、卒業式でもこの地では「一同敬礼」で、その「おじぎ」は日章旗(今は国旗と呼べ!か)にだ。日本国へ...。おかしい。この国は天皇が治める国
から変わったのではないか。天皇は国民の象徴だ。
別に否定するものではないが、僕は、日の丸を踏まれたり焼かれたりしても、あまり気にはならない。
今どき「一同敬礼」と司会者が言ってそれに従う保護者が居るのもおかしい。その敬礼の前も「起立」がある。教員と保護者とすると、教員の方がエライの
か?。全く戦前だ。
今ならこうだ...。
「ただ今から卒業証書授与式を行います」
の後、
「(生徒)児童は起立してください。保護者の皆様もお立ちください」
となる。
すでに舞台には日の丸(国旗)が掲げられているのだから、ここではじめて、
「国歌の斉唱を行います。前奏に続けて唱和願います」
だろうか。
それが終わると、
「生徒(児童)はそのまま休めの姿勢を。保護者の皆様はご着席ください」
であり、
「ここで学校長が挨拶いたします」
と、なるのではないだろうか。
国旗に対して注目も敬礼も必要ない。
ある種のヨモダのようなことを言う、と思われるかもしれないが、事実だろうな。今どき珍しい事象である、と僕は思う。
それにしても、最近、膝から下が冷える。身体自体は寒さを感じるし、とりたてて熱があるわけでもない。冷えるといっても悪寒めいたものでもないのだ。気
分が重いということもない。と、まぁ、こういった状況が数日間続いている。
わが部屋は暖房器具は無いが、そう、取り立てて寒いというものでもない。全体には冷たい非木造家屋という独特の冷たさは存在する。
風邪かな?、とも思うが、それにしては寒さの感じ方が違う。本当に分からないのだ。
こんなような感じなので、体の中から温めよう、と、お酒をやる。最近は日本酒が多い。といっても3合程度だけど。この後に温かさが来ないのだ。これが身
体状況のおかしさでもある。
そのうち外気温でも上がれば治るのかもしれない。まだまだ朝夕は寒い。3月開催の四国自動二輪交友会は本年は一人での参加になりそうだ。ずいぶんとオー
トバイ仲間も変わってしまったな〜、と考えると、僕自身は相変わらず。
しかし、この相変わらずの調子を保っているからこそ、うまい具合に行っているのかもしれない。
2010 年1月29日(金)はれ
イヤー、まいった。
公売オークションでF-2フォトミックAを落札したはいいが、27日に連絡が入って何とかしているうち、28日は松山出張が入ったので、送金する間もなく
本日を迎え、バタバタした中、午前中に申請を終えホッとしたところだ。
まいった、というのは、あなたが落札したので、というメールの写、本人確認も写と買受品の保管と送付の申請書。おまけに送付先が本人と違う場所だと所属
の証明(写)が必要という。結局、送った書類はA4の用紙で6枚にも及んだ。
僕もお役所仕事をやっている関係上、差し押さえ物件としては公の財産だから、それを売却するには、買ってくれる相手を選ぶ必要はあろう、とも思うのは当
然だ。ま、公売オークションは初めての経験だが、物を受け取っていないものの、今回は良かった、としておこう。
最近、ブログの書き方を少し変えつつある。でもって、写真の説明を加えないようにしようとするのだが、興が乗ると、どうしても文章が多くなってしまう。
痛し痒しだ。写真も画質は落としているものの、大きさはある程度必要に感じるため結構大きくしている。この辺の「程度」をうまく割り切れない。こういった
完結で的確なところが下手なんだな。
今日は何故かしら空気がドンヨリして、まるでガスがかかっている状況であった。もしかして黄砂?。
さて、身体の方は昨日の出張が少しばかり効いて、ま、楽になった。とはいえ、うまくいかないもので、どうもダルイ。しかし、体調はいい。このアンバラン
スさが解消されるまでにはしばらくかかる。
と、どうしても、この歳になるとイナーシャ(慣性)作用が大きくなればなるほど、元に戻せない状況になってくるものだ。大きな会議などが続くと、普段の
業務をこなすまでに時間がかかってしまう、という次第。そういえば、会議に使う労(能)力は相当なもので、血圧が結構上昇するそうな。
明日、職場はすべて停電する、とのこと。久しぶりにお墓へでも行こうと思う。その後はトライアンフでもいじるか。久しぶりのことだな。で、今度はトライ
アンフの事前準備でまた寝られなくなる。何やってんだか?。
トライアンフといえば、今のトライアンフで最初のモデルであるトライデント。悲しいもので、そろそろパーツ供給が無くなるものが出ている、とのこと。今
のボンネヴィルにしても同様のことが起きるのであろうか。こういった点、今のトライアンフを取り巻く環境はドラスティックである。これが、僕をして今のト
ライアンフを購入するのに躊躇するところでもある。
2010 年1月30日(土)はれ
どうやら明日は雨に
なりそうだ。同僚が出る48回だが、最初の市街地マラソンの愛媛マラソンは雨か... 。
さて、昨日の予定どおりに本日は運ばなかった。理由はない。何か大きなものが僕を包んでいて、その中から抜け出られない状況になってしまっているように
思う。慌てるでもなく、かといって焦るでもなくの状態なのだが、ともかく時間配分が上手く行かないのだな。それだけだ。以前も記載したが、真面目に、生活
必需の場所が市内の中心からドンドン離れていく。こういったところも影響しているのかもしれない。
ホンの10年も前なら、八百屋は2軒隣の山田へ行けばよかった。肉屋も同様に伊予玉があった。薬屋も魚屋も...
。そこそこのものは商店街へ行けば大半はOKだった。
今日はどうだ。本屋へ行くのに午前は和霊町の宮脇、午後は新田町の明屋。これだけで数キロの隔たりだ。
そう、予定を立てても、こういった店舗の配置だから上手く行かない。ショッピングモールってたってスーパーマーケット。しかもローマーケットだ。オ〜ッ
ト、お墓行くんだったな。それすら、朝起きるのが遅かったら時間がドンドン後回しになってしまう。
さて、本日は晴天なり...
。違う。ATOKの重さに少しばかり考えが及んだ。G4チップまではモトローラ。MacBookはインテルだ。そのことと、OSは10.4。この兼ね合い
から16、17、2005(18)とやった。3時間かかったが、2005がもっともよかった。つまり、G4までのマシンでOS
Xなら2005が最適のようだ、と結論づけた。
最近はとかくニューマシンとかそういったものに主眼がいきがちだが、2バイト圏の我が国ではインプットメソッドの良否、フィット感など避けては通れない
ものが存在するコンピューター環境だ。雑誌などでも、少しばかりこういったところを記載すべきではないか。誰もが半年や1年で新しいマシンに交換するする
ものでもないだろう。
最近はコンピュータ関連雑誌も格好ばかりに感じてくるものが多いように感じるのは僕だけではないかもしれない。
2010 年1月31日(日)雨
そう、もちろん降っ
たり止んだりだから、天気は雨にした。そして、一日中「座敷ジジイ」をやってみた。
冗談半分だけど、本日、9時からのNHKテレビを見て愕然とした。今活きている者でも縁がないと、トンデモナイ結末が待っている、ということがよく解っ
た。ケンカばかりやって離婚寸前でも、見ぬ血と同じ墓に入れるというのはスゴイコトなんだ、という事も解った。
なにか大きなものが消えてしまう。否、欠落している今の生活ではないのか、といったようなことも感じた瞬間であった。
真面目に、今の僕と妻の関係からすると、お互いが不可侵の世界のように感じるけど、それ以上のことが現実には起こっている。しかも、互いはもとより、身
内の大半は全く無視の世界があまりに多すぎることを初めて知った。
その人の生き様が...
、と思うと、今日の愛媛マラソンの報道をデフォルメするなよ、と言いたい。その後で見た大阪女子国際マラソンのレースを見ていると、愛媛マラソンのRNB
のアナウンスはダメなのである。
それにダラダラした後半組のレースやったところで何の間隙も得られないだろう。となると、難しいな。選手より報道側の入れ込みが薄かったことは大いに反
省しなければならない。
ま、上手く行きました。同僚の結果はどうだったのだろうか?。明日職場で聞いてみたい。
2010 年2月2日(火)はれ時々くもり
風は季節の迷い子 い
つか消えてしまうなら悲しすぎる...。
人は誰でも愛を求めて たとえ地の果てまでも...
古いテレビドラマ「旅愁」の主題歌で【風車かざぐるま】が歌う「旅路」だ。まさに、そんな天気。昨日はブログに「氷雨」を記載したけど。
仕事で、大浦へ行く。少し裏道へ入るとやけに物悲しい。大浦湾はドンドン埋め立てられて。個々の漁業補償は9億円であった。もう何十年も前の話だ。先送
りばかりして、埋め立てが始まると、当時も言われた「あの金はもったいなかった」が浮かび上がってくる。
さて、昨日は鳴門市役所から物が届いた。きれいではあるが、底板に波打っている箇所があるし、モルトがダメだし...などなど。それでもかなりのきれい
さである。結局は得をした、というところか。
当然のようにシャッターはほぼ完調。早速、何とかする、が先に立って小富士さんとこでレンズを借用し、ボタン電池を入れ替えて動作テスト。露出計のコン
デンサーに電気が溜まるまでの間を待ってテストしたところ見事に動いた。
エーイ、行ってしまえ、とばかり劣化以上に硬化したミラー周りのモルトを綿棒と水で落とす。オミゴト。ファインダーの入る本体凹部分は少しばかり傷がつ
いた。
F2の特徴で、ミラー周りにモルトが敷いてあったため、ミラー反転音がシャキーンと来ないのはこのためだ。
昨日はここまでにした。とはいえ今日に入っていたけど。
本日は、定期を下ろして姪の結婚式のお祝いを用意。今回は夫婦そろっての出席だからね。僕にはお祝いといっても、写真を撮るぐらいしか能がない。これが
結構喜ばれる。36枚撮りフィルム3本程度だから安いものかもしれない。でも、おかかえ写真屋さんと違い、身内や知人としてのライブ、しかも一杯やりなが
らの撮影だから、結構いい雰囲気のものになるようだ。ケーキカットなど、これまでストロボ使ったことがないし、今回も明るいレンズだからいつもどおりにし
ようと思う。
おバカさんだね、来週のことをもう考えているんだから...。
それにしても、寒い。朝夕はことに。こんな中、人事異動に関するヒアリングがあったという。3月で53人ほど退職するが、職員は10人しか雇わない。今
の30〜40歳代の人が定年を迎えるようになると、その人達は僕ら退職者を一人で3〜4人ほど支えなければならない。いわば、自分で自分の首を絞めること
になる。今の市長はそんなことは全く考えていない。自治体や公務員の制度をあまりご存じない。過去の菊池市政のようになりかねない。また、市立病院関係の
運営自体が企業化するらしい。そこで働く者は全く無視して進めやがる石橋市長は「ファッショ」の権化かもしれない。
こんなことを考えると、職員の大半には、しばらく冬が続くように感じるのだが...。
2010 年2月7日(日)はれ
今日のような天気は
どんな表現をすればいいのだろう。ブログに「氷雨」の歌詞を載せた。今日のはなかなか難しい。強いて言うと大陸的な天候であった。つまり陽光は注ぐも気温
が上がらない。風も少しある... 。この状態は何とも表現のしようが無い。
アメリカ内陸部。中国の北京、韓国のソウルなどからすると、こういった天候の日は冬に多いと思うので、現在日本にいるその地の方々なら、僕が感じるよう
なことは日常茶飯事だろうと思う。ふと、数年前の秋口に北海道へ行って喉がヤケに渇いたことを想い出した。大陸のことなど未だ知らない身には説明のしよう
が無い。
久しぶりにバイカーズステーション誌を買う。新しいSR400の記事が出ていた。佐藤編集長が紙面にXT500のことを出していたが、まさに同誌の創刊
号と2号がその記事であった。その中で重要な件は、ロッカー周りへ行くオイルフィードパイプはエキゾースト・インレット同時に供給は出来ない、ということ
が記載されていた。僕は今でもこのことを憶えている。つまり、オレブルがリリースしている前後同時供給をやることは好ましくないということだ。オイルポン
プのパッキンの追加で微量なエアを吸い込むことはなくなったが、それでもオイルポンプの供給オイル量は最初の2J2と2H6と今のSR400とは大きく変
わらないから、このことは活きていると思う。
さて、夜のボクシングは何ともつまらない試合だったね。亀田が勝っても喜びも何もない。数ポイント差だったからほとんど同じような歯切れの悪い戦いだっ
た、と僕は感じる。これだから... 。よそう。実際を見ていないんだからね。
そうそう、リンゼイ・ボンという美人アルペンスキーヤーを初めて知った。僕のハンドルネームと同じだが、残念ながらVONNであった。残念。
2010 年2月9日(火)くもり時々はれ
春めいた1日。ふと
高校1年の時、雨の中、陸上の練習場所がなく天赦園球場を走っていた時を思い出した。今日の室内は緩やかな暖房が入っている。16:00以後はワイシャツ
になっていた。
午前中に1本の電話がトップのもとへ入った。今は夜だが、この1本の電話から、急激にトップのイヤラシイ考えが前面に出始めたのが今になって解った。
内容としては、前回の(某不動産屋からのだ)電話から始まる。先般息子の滞納分を納めろという催告書を送ったところ、失業中であり、税金が掛ること自体
がおかしい、ときたそうな。それで、課税に関しては税務課が説明。こちとら、免除はないよ。これが前回の電話の内容だ。
本日このことに対して再び電話してきた。しかも「自分が養っている...」と言ってきた。アホくさ。息子といえども「いくつ」になっているんだ。扶養手
当の申請でもしているのか。文句を言う前に過保護じゃないか...。
ま、僕が言うほどでもないのだけど、トップにはこのことが根にあったのかもしれない。僕も随分と根に持つタイプだけど、トップは、どうやら手あたり次第
「やっつけよう」とする者には、そのことをベースに枝葉をつけて木にしてしまうようなのである。
その木になった、ということを感覚的に意識したのは次の案件からであった。
それは、結構高額の滞納者との協議を前に、僕から名乗って、会社の場所変更で統一住所地になったから、担当振り分けの変更した、というところからだ。そ
のこともあって、お互い滞納者と協議をした。その結果を、新しい担当者と上役が説明した。
ところが、これがすんなりいかない。僕が担当していた時は、ほとんど問題が出なかったし、いきさつもトップも知っていることであり、今日の協議の報告の
後も「いつ結論を出すつもりかな」ぐらいでいいはずだったのだし、最終の判断をトップができるかどうかにかかっているのだから、「次回はオレも話に入る
よ」と、穣氏の口から出てしかるべき。そういった説明を新しい担当者と上役はやっていたのだ。
トップとして、それぐらいの度量があってしかるべきなのだが、ことはこれで収まらなかった。
なぜ処分しなかったのか、から始まって過去のいきさつを出せとか、これ以上引っ張る必要もない、など細々したことを要求し始める。
別の作業をしていた僕は、こんなことなら新しい担当に振るのじゃなかった、と悔しいやら、(もちろん、申し訳なかった、という意味合いのことを新しい担
当には言っておいたが)何やら言いようのないものを感じてしまった。いつもどおり、僕が悪者になる考えが大きく支配し始めた。本当に辛いところだ。人様は
「気にするな」、といつも言ってくれるが、僕自身は言いようのないものを、ここ最近心の中にため込んでばかりいる。その中には心身ともに変化している部下
もいるが、どうすることも出来ないのが現実。そのことまで考えてしまう。こんな毎日が最近続いている。
人様は「元気ないね」というが、マジ、こういった状況が続いているのだ。誰にも言うことが出来ない。上役に言うと、対象者が困るし、監督責任を僕に振っ
てくるのは目に見えてる。信じられないかもしれないが事実だ。少なくとも僕の身にはそれがドサッとかかっている。
話を戻して、今日はこれだけでは終わらない。別の人の証明発行の時、トップは納付残額の合計を出せ、というので、この方は分割納付なので完全に5月の出
納閉鎖までには年度分を納めているから承認してほしい。これまでなら、この説明だけでOKだったのだ。
僕としても、一応、今回は納付期限後の滞納額が必要かどうかで、前もってその納期以後の金額計算をしていた。
一部の税が4期に入るので当然未納額が出る。しかも、先ほどそれらのことを口頭で説明しようとしたら、残額計算をせよ、とトップは言ったわけなのに、そ
れなら、説明は必要ない、という。
いつもなら、これまでのことが口頭説明で済んでいた。が、本日は結構未納が出ているではないか、と来たね。「押印の判断はオレがやるが、内容が違うのな
ら、困るのは担当者だ」とトップ。
だから〜、最初に月々の分割納付ですよ...、と言ったし、その方の担当は僕だ。結構カチンときてしまった。ま、僕もエエ歳こいているし、以前に一度キ
レた者だから、この場は珍しく「スミマセン」と平謝り。
と、どうだ。トップはハトが豆鉄砲食らったように、他の者へ「これから気をつけんと...」などチャカス始末。この方が余計に頭にきた。
先にも申したが、このトップは話を聞かない人だ。話を聞いても「この辺まで」と決めてかかるや、ある程度のところまで来て、こちらが有利となれば自分の
言い分をヤンヤと出す。
それが的を得るときが多いから、(気分が)カーッと来るのが90度数程度になっていても、即座に40度数ぐらいに落としてくるのだが、今日のように先に
申した担当者の返答と僕の言い分がアヤフヤな返答だったりして自分の意見が通らないと感じるや、90度数ぐらい上がった気分を一気に下げずに70度数ぐら
いを維持しておく。そこから下げることなく再び90度数近くへ持ってくる。それを70度数へ戻して、再び90度数へ...。と、この波の間隔が狭まると、
何かれなく投げる。平常値へ戻ったことが分かるのは、しゃべらなくなった時点だ。
今日がいい例だ。本日の合計3件の重要なことは朝の電話1本から始まったこと。額面の大きい滞納者で1回。納期限後の残高の問題で2回。そのいづれもが
僕の担当ときている。
静かになったのが、午後4時前だった。今日はトップの特性が少しだけ解ったので良かったのかもしれない。
僕自体も心配のしすぎ、結論が出ないと後を引くなど、優柔不断な面が多いと思う。それゆえ、粘り強くやれる面も一部にはあるが、今の職は不向きだ。こ
と、不特定多数の人と接するのは大嫌いだから、一層考え込んでしまう。自分は自分、としておきたいのだけど、これがなかなかできない。
ま、行きつくところまでには至っていないので自らの命云々にはならないが、辛い気分の毎日でもあるのです。
2010 年2月10日(水)くもり時々はれ後一時雨
再び、今日のような
天気はどんな表現をすればいいのだろう。マジ今日は2月の10日で間違いがないが、日中から夕方までは20℃を超えることになったのだから、僕自身は「暑
い」を連発した。
家のトイレは湿気がこもってジットリ。やりきれない。水洗の立ち上がりパイプから水漏れ?、と思いきや、外気温に対して水道の温度があまりにも低いから
の結露であった。
スラックスを2本購入する。安い。フジには未だにノータックの製品がある。これだけでも助かる。上着はピンホールのシャツとともにクリーニングに出し
た。土曜日の準備は全てOKだ。
この作業が3時半からの時間休。理由は簡単。明日は商店街が休みだし、金曜日は日振島へ行かないとならないし、夜も会議がある。それゆえの事前作業であ
る。
さて、夕刻、職場へ所用があって出かけたところ、帰りにNo.2に呼び止められた。何と、僕が仕事で悩んでいる、との状況を聞き及んだので話をしたいと
のこと。初めは面食らったが、内容を聞いていくうちに理解できた。別の課の職員から「お疲れ気味ね」と言われることが多くなっている今、「市民のみなさん
にいじめられるので...
」と返答している。確かにこの歳になると、かつてのように動くことが出来ない。特に昨年秋からは身体がずいぶんと重い感じになったりで、決して...
。加えて、最近饒舌も姿を消したし、ニヤケの顔もしなくなっている。
加えて上司のことがあるので、これらが渾然一体となって、かつての僕の様子とは少しばかり違うから、そういったことをNo.2の元へ入ってきたのだろ
う。
トップと称している上司のことはNo.2も知ってらっした。僕の状態を話して、少しばかり解っていただいたが、自分自身は、仕事で落ち込んでいるわけで
はない。
それにしても、暖かいと身体が良く動く。不思議だ。明日も天気は悪いようだ。
2010 年2月11日(木)くもり時々雨
かなりの大雨が降っ
てくる。間髪を入れずに来るので始末に悪い。これが日中何度か... 。雨の必要の無いときには降らず、その逆もあるし... 。自然は大きい。
今日は神武天皇の即位の日らしい。この日から日本の国が誕生したという、まことに都合良く祝日にしたものだ。これ以上書くとイデオロギーに存するから止
める。
ウチの墓石に命日が全く合わない年号の記載があって、高校の時まで解らなかった。つまり皇紀で記載されている。今年は皇紀2670年に当たる。昭和15
年が皇紀2600年となる。そう、零式艦上戦闘機は昭和15年に誕生したから0(レイ)戦となるわけだ。なぜレイか?。これは戦時下のこと、英語は敵国語
だから使えなかったわけだ。もっとも、軍隊ではA6M1(11型)という名前が通用していたのだけど... 。
話がそれたけど、父は明治、母は大正生まれだから、母が死んだときは皇紀年号を使用した。僕がウチの墓に入るときは、この墓石が壊れていないはずだか
ら、僕以降は西暦で刻むよう息子へ伝えておきたい。
ブログへ記載したとおり、SDカードをCFカードが使えるようアダプターを購入した。SD(メモリー)カードの進歩は凄まじい。先々月、写真を添付して
メールしたところ結構なゼニが必要で大弱りした。マイクロSDカードを装備すべきだな、と感じたが... 。
とはいえ、最近は職場での文書保存などはSDカードを使用している。USBスティックメモリーは御法度だからね。かといって、フロッピーは小さすぎる
し、職場の僕にあてがわれた端末にフロッピードライブはないのだしね。やはりSDカードの方がいいな。
オー、そうそう、このCFカードが使えるSCSIハードディスクカードがある。PowerBook 100を動かすか?。が、バッテリーがね。
2010 年2月16日(火)くもり後時々はれ
昨日は朝からの雨が
午後8時ごろ上がった。本当は昨日のことゆえ、昨夜アップしようと思っていたのだが、昨日のちょっとした会議内容と夜間徴収で赤松までスクーター飛ばした
りしたので疲れてしまったため、本日回しにした。
今日は午後から晴れ間も見えたし、陽がずいぶんと長くなった。気温が上がるのはもう少し先だ。
バレンタインデーから2日過ぎただけなのに、チョコレートのチョの字もない。余韻など全くない世界に少しばかり唖然とする。昨日の雨が流し去ったのだろ
うか。
我が家も17日からは神社参りがOKになるので、それまでの辛抱とすると、14日からの旧正月も三が日は神社ご法度だから、新正月も旧正月もじっとして
いる、という暦の巡り合わせには何かしらの法則が存在するのかもしれない。
話は変わって、昨日の業務は結構な集金ができて満足。押し並べて昨年同期と比較して、本年は若干なりとも好調であることは助かる。
ところが、月間の集約会議でチョイとあった。2月分の集計表を持参していない者が居たわけだ。これがトップのご意向を少しばかり逆なでしたのだな。
ま、内容は、というと、先に記したとおりの若干の好調さが見られるのだから、普通の上司なら「この線を維持するのはもとより、5月までの間、努力してい
ただきたい」というのが普通だろう。で、逆なでの影響は僕を含めて職員にも広まるのだよ。
「長が付く者は管理をしなければならないのだから、係全体の収納額が上がるよう、一生懸命やれ」というのだな。それなら、僕が持っている担当範囲を3年
前と同じにしてくれ。それなら、一般職の面倒も見られる。今のままなら、これが精いっぱいだ、と。
ま、誰も文句は言わないが、何かにつけて一言上乗せが来るのだから、そのオコトバをマジに受け止めると、身の破たんを呈することになる。ましてや、収納
が上がらない担当地域を受け持った就業1年目の職員など、大変だろうと思う。今のところは、それが感じられない様子だが、人の心の中を見通すことができな
いので、僕は通常業務のみを行っているだけだ。
本日も、結構な納付額を確認した。今日頭に来たのは職場に入っている今のコンピューターシステムだ。何とも使いづらい。おまけに、遅い遅い電子決済。こ
こでもトップはおかしなことをノタモウた。
それはセカンドに「電子決済が来ているのなら言ってくれ」というのだよ。僕はアホ違うか?、と感じたよ。何しろ「未決済がありますよ」という通知はトッ
プ画面に出ているのだよ。それを見ないのは職務怠慢じゃないのか。僕が言う前に「トップ画面は朝一番にしか見ない」と言う始末。じゃ、業務中はオフィスを
立ち上げているのか?。何かオカシイ。トップ画面見ていなけりゃ職員として日常業務が出来なくなる。
ま、最近はトップが言ってきても「アッ、ソー」で片付けるだけだ。職員側からいったところで以前のようにリキ入れてやる気にもならないからだ。異動願い
が出ていないから、当局の考え方は、もう決まっているのかもしれない。
市立病院も公営企業にしてしまうし、50数人辞めても10人以下しか入ってこないなどなど、退職者を今の職員が支えられるのだろうか。そうなると、宇和
島市も破綻が来るのではないかな、と思ったりもする。
2010 年2月17日(水)はれ時々くもり
悪いことは、ほんの
少しのことで表面化するものだ。午後4時過ぎに徴収業務で外出していた若い職員が、滞納者とちょっとしたトラブル。悪いことに相手がトップへ電話をしてき
た。トップが出るには出たが、話の内容から僕は「少々ヤバイ雰囲気」をとっさに感じ取った。
これは着座していた方がいいかな、と思いつつ、終業まで職場へ居たわけだ。
6時前に徴収を一応こなした課員が帰ってきた。トップが説明を求める。これはいいとしても、それから以後、この件にまつわることを含めて、何やかやトッ
プが演説する。僕が上司なら説明を求めた後、「オー、ご苦労」といい、「世の中には異論なのが居るのでね... 。ま、気にせずに」と言うだろう。
が、このKBトップは、電話に出た状況のままなら、以後、自分が担当しなければならない、といい、まずは逃げの第一歩を示す。
いきさつは概ね理解したのなら、僕が言ったようにすれば、ものの20分で終わるんだが、あに図らんや、延々40分続いた。しかも、これで終わりと思った
ところで、自身の話の続きとして、再び話を戻して言い始める。例の90度数と70度数のサイクルの繰り返しが3〜4回あったことになる。
僕など同じことを少なくとも3ラウンド聞いた。この40分の間、愚鈍な方向付けの言葉でどれが適当か、本日は散々考えた。「○○につける薬はない」とい
うが、正にそのとおりだ。
なぜ、電話でのクレームなどを受けたら、一応のことを応対し、詳しくは担当...
。もっとも、担当でラチがあかないから上司へ電話のパターンだから、むしろ上司の方が課員をかばうところで応対すべきで、最終は課のトップたるアンタが出
ていくのが当然。誰しも思うことであろう。それが課長たる職分だ。
その意味から、僕の経験上、この人には「それもそうだね」がないから、僕が出シャバルと、ことがごちゃごちゃになるから喋らないだけ。
困ったことに、課全体の統括者としての立場からか、それを逆に受け取って、自分が担当の範囲を超えた件は受けない、とくるんだ。本来は、補佐でも、まし
てや係長でも応じられないものがある。「課長に代わって...
」ときたのだから電話に出ればいい。そして、僕が言ったように課を統括した応答をすべきなのだが、これを拒むんだ。今日もそれであったように僕には感じら
れた。
本日の相手はクレーマーとは言えない。ゼニがないから税金が納められない、という単純なことであったのだ。訪問先でしばらく時間をおいて相手も落ち着い
たところで、一定額を徴収してきたのだから、これは事実。が、職場へ戻るとこの始末だ。たまらんゾ〜。
課員の異動希望は出なかったらしい。当たり前だ。KBトップを追い出したいがための方策だからだろうと思う。
まぁ困ったものだ。この人には悩みを打ち明けることも出来ないし、相談も出来ない状況が少なくとも二か月は続く。4月の人事異動で変化がないと、再
び... 。異動で受け入れたところは災難だろうけど。
頭に来る前に疲れ果てた。こんなのが何時出るか判らない。そういった職場での毎日だ。僕自身が疲れ顔になるのも理解できるのではないだろうか。
2010 年2月20日(土)はれ
昨日は給料日のこと
もすっかり忘れてしまっていたし、風邪気味のため午後から休暇を取得していた。にもかかわらず、大口滞納者が担当者じゃラチがあかないと僕んとこへ電話。
返答するも、いつもながらの堂々巡りだ。
資料読むと、過去のいきさつはちゃんと出ているではないか。強烈なことを言ったところで、倒産はないかもしれないが、細々と活きているんだ。そこんとこ
を汲んでやれよ。「こうだからこう」ってーのが出来ない部分もあるんだ。納付しないより少額でも月々一定額を何とか納付させるように揉手、擦手でね〜。高
校時代アルバイトが出来ない生活を過ごしている今の若い職員には、こういったことが出来ないんだな。
頑張ってるね、といったところで、尻ぬぐいを僕がやるか〜、とKBトップのようになってしまう。唯一違うのは、僕の場合は厳しいヤ。担当に責任持たすか
らね。最初は、この子はこういった性格のようだ... 、と感じていた。
あえて、そこんとこをある程度命令して「ヤレッ」とするわけ。が、昨年4月から、その基本がどうもピンと来ない。上に記載したことを含めて、どうも違
う。保護してやるのはダメ。そこから解決策を探し出さないと。
もちろん、段取りは、僕の方でやるけど。どの程度納付するか?、それの決定に腐心するわけだ。ましてや、その子は(考え方は正しいが)トンデモナイ数字
を相手に出しているのだから。
いずれにしろ電話だ。姿が見えない相手に対しては... 。僕が一番嫌いな部分だ。
これが昨日の一件。本日は打って変わってイイ天気。が、気温が上がらない。風邪は2回のヤクルト「タフマン(高いの)」の飲用でずいぶんと良くなった。
が、気温の上がらない時は身体上辛い。僕の部屋は暖房施設がない。すきま風が入るというのではないのだ。それゆえ、ごく自然に対応...
。が、今年は違う。拙宅のように石の家は、一度たりとも気温が上がらないと部屋の中の方が寒いのだ。本日もそう。10時過ぎにオートショップワタナベへ
パーツの注文に行った後、小富士さんとこで駄弁って、久しぶりにロンロン亭。
中華丼と餃子。効いたね。これで午後が暖かくなってずいぶんと助かった。夜の疲れはゲルマンでニラもやしと生ビールでOKだが、中華丼と餃子で昼はOK
のようだ。今度は揚げ蕎麦にしてみよう。
そうだ、女子のカーリング、対イギリス戦はスゴカッタネ。思わず興奮して見続けていたよ。ジャンプは判らないね〜。何しろ予選免除の選手にトンデモナイ
のが居るから。
夕方、Yu
YubeからT-120のおもしろい整備動画をダウンロードした。フトしたヒントが隠されている。僕のT-140Vもそろそろ動かさないとならないが、次
週末にはやっつけようか。
丸穂温泉で十分温もって、フライングジャケット着て暖をとりつつ、第三のビールとグレープフルーツの酎ハイで一杯。
こういった日々が、2年後の今頃から始まるのではないだろうか。松山は椿さん。こちとら「えんま様」だ〜い。
2010 年2月22日(月)はれ
本日も上天気。昨日
は午後から丸山公園へ梅を撮影に出かけました。どこかで見かけたご老体が... 。後で気が付く何とやらで、原田先生でした。
もうお一方は女性でしたが、デジタル一眼でやっていらっしゃいました。私はF2Aのテストでしたので、35〜105のズームで撮ってましたが、どうもう
まくありません。マクロで紅白混ざった花一輪を納めたのがハイライトでしょうか。
その女性は、どうも初心者らしく、私が独り言を言いながらあっちこっちでシャッターを切っていたのを見つけ、ピ〜ンと来たのでしょうね。その後はアク
ティブに動かれていました。こういったのを見るとうれしいものです。
つい、昨日のことを出してしまいましたが、その後遺症が出ましてね。脚のふくらはぎ部分が「大痛」なんです。満足に歩けない。原因はどうやら運動靴にあ
るようです。使い続けて踵が下がるシューズになったものは使ってはならないようです。
そんな気分で本日仕事へ出かけたのですが、全体の温度が上がると体も軽くなります。若干熱がこもっているものの、体の動き方が違うように思います。体温
を上げると免疫性が向上するというのは嘘ではないようです。
仕事も比較的順調。金曜日の思い込みが何とも...
。私の性格かもしれませんが、どうしても大きく考えてしまう。朝、滞納整理カードが1枚机の上に置いてありました。K氏の達筆で書いてあり、内容は把握で
きましたが、本人からの説明は一切なし。こんな状態でもいい、と思う方はイイ。私はそれができない。冗談めいていますが、「申し訳ないのですが...」と
下手に出るのですね。
それゆえ、金曜日の一件が何とも自分自身やりきれない。こんなのが積もり積もって、今の職が嫌になってきているのです。そのため表情も以前のニヤリ感は
ない=調子がすぐれない、となってしまうのです。ましてやウチのトップが...、よしましょう。堂々巡りが始まりそうです。
銭、しかも個人に何の関係もない公金を通して人との付き合いをするのは随分と疲れました。今では惰性でしかありません。残りの仕事期間2年ですが、今と
は別の職場へ行きたいものです。特に仕事で人と接するのが極力嫌になっていますから、そういった人との対話などがない仕事が好適です。
夜は労金の会議。その後は懇親会でした。この懇親会も持ち上げられての懇親会ですから、気分は良くないのです。やはり、行きつけの店で銭を出して酒を飲
む方がよろしい。
ま、最近はソコソコで帰るようにしていますので、本日もそれなりの時間で終了しました。
結局、夜はこれでつぶれてしまう。1日の内の2時間程度をオートバイなどに使いたいのですが、これがどうもまともにとれない。ふたたび、今の仕事から逃
れたくなってしまう。この繰り返しが当分の間は続くのだな、と感じるところです。
2010 年2月24日(水)はれ
本日もイイ天気。気
分がずいぶん楽になるが、この天気は明日の午前中までらしい。ここんとこ天気予報はハズレばかり。幸い好天だから良いようなものの雨
が降ると、「お前、降らないって言ったじゃないか」になることは明白。それが、この地方の住民感情だ。穏やかな人情あふれる...
。バカ言っちゃいけない。今の市民は上っ面はこの良き市民だが、実際は妬みが走る。最近はこの傾向が相当ひどくなってているようにも感じる。
オリンピックも終盤になった。本日はスケート女子のショートプログラム。キム・ヨナ選手の見事なこと。マジ、安心してみていられる。その上に、どういっ
た技を出すのだろうか、と感じるところだ。
実は昨日のNHKテレビの番組で荒川静香選手のドキュメントをやってたが、今日のショートプログラムを見て比較すると、聴衆には安心感、選手自身には達
成感。今の多くのアスリートにはこれが一切ないようにも思う。ま、明後日のフリーに期待しよう。
みんなは、ゴールドメダルを!って言ってるけど、そろそろ採点の基本とかそんなのを他の選手と比べるなど、多角的な観賞が必要ではないのか。
こういった世相の中で申し上げにくいが、ディプローマは8位までに入らなければ出されないのだ。ディプローマ=表彰状はその証でもある。世界選手権で上
位にあっても、オリンピックでは大逆転もある。そういった「オリンピック」に懸けている選手もたくさんいるのだから... 。
仮に本日敗退したカーリング「チーム青森」はそろそろ「チームNIPPON」とすべきではないのか。詳しい条項は知らないが、日本を代表するチームな
ら、「チームNIPPON」とすべきであろうと思う。日本全国にはカーリングのストーンの曲げ方など熟知している人々が日本国内なら必ずいる、と信じてい
るのだが... 。
2010年2月28日(日)はれ
朝の5時過ぎから
ヴァンクーバー五輪、女子パーシュートの予選をラジオで聞いてた。決勝は2/100差で2位だった。「なぜ、高木を出さなかった?」今後の課題だろうか。
本日は数日間の悪天候から抜けたイイ天気。気分がずいぶん楽になる。でも、明日の夕方から再び悪天候になると予報している。
この予報は人間様が結構なデータを元に出す予報だ。この宇和島湾を臨む場所は当たったためしがない。理由は簡単だ。大気圏外の衛星から送られてきたデー
タを平地で処理するのだ。担当者のそこそこの技術で処理できる。が、実際は大きく異なる。南宇和郡とも北宇和郡の内陸部分とも全く違う旧宇和島では、天気
予報は通常のものでは当たりが少ないのである。ましてや、コンピューターオンリーに近い処理だし、この地を熟知した予報官は居ないのが現実だ。決してウソ
ではない。かつての住吉山は単に山だけに成り下がっている。
こういった、今のドラスティックな状況は、公務員バッシングから始まって、本日のくだらない海の恋人まつりなど、ゼニのない行政サイドがおざなりにやっ
ているだけに過ぎないようなものも存在する。
この街は自治体の合併をやったのだろう。職員を切るのなら切れ。旧津島のご意向など無視しろ。こういった状況の下、これをやるとなると、本会議で質問な
どしない奴が平気で「議員様」に収まっているようなくだらない議会ともケンカをやってみるような市長が出ない限り無理だろうとも思うが... 。
僕は、このお祭りを無視して、えんま様へ行ったよ。規模こそ小さくはなったが、年に一度のこの地方の代表的な春を迎える祭だ。祭は神社関係だけではな
い。かつては、こういった、諸々のお祭りがなぁなぁで上手く行ってた。
が、今はどうだ。今回のつまらん海の恋人まつりに、関係のない役所の職員に動員をかけて参加させる。しかも、仕事なのに「ゼニ」を出さないのだ。
こんなのが、まかり通る市行政だ。先行きの不安が一杯だ。天赦園球場とテニスコートの買収など、本当にゼニがあるのだろうか。これが市民の借金にな
る... 。
きさいや広場の支配人が辞める。これまで払った「50万円×数か月」の報酬はムダゼニになっているはず。オリンピック誘致に失敗してもビクともしない東
京都なら良いが、宇和島市は貧乏なんだ。
土地買収などに、こんなゼニがあるのなら、一般市民なら僕の言う今日のお祭りに仕事で出ている関係課以外の職員へゼニ(れっきとした時間外勤務手当)を
出すのが普通だろう。出張旅費でも、公共交通機関を使用しないと旅費はおろか日当も出ないのだから。
こういったのを僕がここに記載しても「役所はね〜」という市民が多いだろう。しかし、堂々巡りになるだろうが、「仕事に貴賤無し」であるはずだ。少なく
とも僕はそう理解している。
市民の多くは市役所職員を目の敵にあげる。が、僕らへ出すゼニがないので住民サービスを停止するとしたらどうなるか?。意外にも一般市民に走られていな
い。食いっぱぐれが無い僕ら職員も、社会保険庁の職員同様に失職することがあるんだ、ということは理解してほしい。
もう一点、税金で食ってる僕らも、市民が想像するよりは多額の税金を納めている。ちなみに、高卒の新規職員がもらう手取りの4月の給料は10万円を切る
か、数千円過ぎるかのものだ。臨時職員は13万円程度ある。
市立病院の看護士は今のところ、僕と同年齢で1諭吉ほど毎月多いのだ。忙しい看護士とそうでないところの看護士ひっくるめてね。
ま、4月からは、この看護士も企業職員になりそうだから、給料の防御に大変だろうな。I氏が経営者になって理事長を指名して...
、となる民間並みの病院経営制度になるのだから... 。
えんま様に舌を抜かれるかどうか?。でも舌を抜かれたら死んだのにまた死ぬるのか?。現世に生きる者は、これからも結構大変のようだ。
2010 年3月1日(月)はれ後雨
3月の始めと同時に
午後から雨になった。2月と同じ曜日周りで今月が始まる。何とも不思議な気分だ。夜間業務もあるが、月始めの月曜日だから午前中から結構忙しい。
昨日はこの地のイヴェントを批評した。一夜明けての街中は人手も少ない。当市の商店街は休業日だ。松山の商店街は水曜日が休み。商売上、週中ばの水曜日
を休業にするのは道理かな、とも思う。
そういえば、東京などの大きい都市での商店は水曜日が休みのところが多いように思う。この宇和島でも水曜日の午後は、お医者さんの休みのところが多い。
もし、週休2日制なら土曜日の午後と併用すればいいのに、と感じるところだ。8時間労働が基準なら、週40時間をクリアできる時間帯で運営されているから
概ね大丈夫だろう、と思っているところだ。
こんなところから、宇和島の木曜休業に対しては最近になって違和感を感じ始めているところだ。
永井モータースにブルーのバルカン900が入庫している。なかなかいい。このコンパクトさで900ccだから、燃費などもいいものがあるのではないだろ
うか。購入には90諭吉ほどが必要だが、僕が死ぬまで乗っても動き続けるであろうな、と思った。写真映りは悪いが、斜め後方から眺めると独特のラインがき
れいだ。ホンダの新しいのより好ましい、と僕は感じるが...。
が、ハーレーを見ると、国産の同じようなスタイルのオートバイが品祖に見えてしまう。金額的にはそんなに変わらないのに...。
不思議なものだ、と思う。逆にアメリカの人はホンダのハーレーライクなものをチョイスしたりするのであろうな。ハーレーの牙城をかつては英国のオートバ
イが崩したが、1968年以降、ホンダのCB750がアメリカはもとより、世界のオートバイメーカーを潰してしまった。
先日放送されたトヨタの豊田社長のアメリカ議会(下院)での公聴会の様子を見るにつけ、大変だな、と感じる。僕自身は、自動車の世界では、かつての日産
やホンダがアメリカ進出を狙って苦労したのを知るが、今になってトヨタがそれと似たようなことをアメリカで味わっているのを知ると、何ともいえない気分に
なってしまう。
とはいえ、ハーレーはAMAからの脱却後、見事に立ち直り、再び世界のハーレーになったのは素晴らしいことであると思う。
バルカンを見ながらこんなことを考えていると、あっという間に乗りたい気分と所有したい気分が遠のいてしまう。僕の性とはいえ、この歳になって「よー
し、買うぞ。そして、乗って、こんな所やあんな処へ行くんだ」という気分にさせるオートバイは相当少ないものだ、と感じるところだ。
2010 年3月2日(火)くもり
リチャード・キンブ
ル、職業医師。彼は見に憶えのない妻殺しの容疑で、護送の途中からくも脱走した...
、で始まる古いアメリカのテレビドラマ「逃亡者」の始まりのナレーションである。父はことのほか、この番組が好きであった。残念ながら結末があまりに単純
だったので、父は大いに憤慨した。まるで「今まで熱心に見てやっていたのに」と言わんばかりに。
なぜ、こんなことを冒頭に持ってきたか、我ながら不明である。とはいえ、「花冷え」の前倒しのような天気から始まった本日の仕事の気分に合致しているよ
うな気分でもある。
いつものように、トップが「分割納付の金額と違う額面が、当初の納付書で入ってきた。数字が違う。」と、ホンの些細なことを見つけて担当者へ。次は僕ら
席が上の者をを呼んで同じことを言う。その上、これらはアンタらが見つけて...
、と来るわけです。しかも、その上に、長年この仕事に携わっているために見える数値で、と隅をつつくような言い回しで自負する。
額面はともかく、市へ税金として入ってきた事実はあるのだから、【まぁ、額面は違っていても収入は収入だ。次は間違わないよう、こちらから新たに送る納
付書の額面で納付していただきたい、と文書出しておいてね。お願いしますよ。】と、担当者へ言えばいいじゃないか。それが腹の据わった上司の言い分であろ
う。
旧宇和島関係では徴収担当職員8人が携わっているから、その徴収できた件数の動向を毎日チェックせよ!、と来たら僕はネを上げざるを得ない。僕を含めて
担当ひとり一人が持っている滞納者の状況を逐次チェックできるか?。管理ではなく監視だ。個人(の仕事)にまでそれが及ぶとなると、お互い窮屈だろうが。
ま、今日の一件にも、この前までなら刃向かうところだが、些細なことでもあり、「また始まったぞ」で右の耳から左の耳へだ。アホくさくて...
。嫌なら異動させてくれ、である。
なぜ、こういったホンの些細なところで大きい余波を投げかけるのか。大事な部分、特に人事面でも平気でオドシとも取れるようなことを言ってしまうから、
仕事をやる意欲すら消え失せてしまい、最終は... 、とも感じる。
話は変わって、仕事で大浦へ出かける。効率の悪い徴収だが、先ほどの例に漏れず、税収アップのためなら行かなければならない。こういった道理は...
。オーット、話を元に戻そう。
気付いたのは捨てワクの周囲が埋め立てられて、道路側と海との境が無くなってしまった。ここで、フト、あの当時のことを想い出したのであった。
それは、山本市政時代、この埋め立てが計画されて、その漁業補償に9億円を支出した一件である。魚が獲れないのは当時から続いている。にもかかわらずの
9億円だ。今なら市民から大反発を食らうのだが、当時はそれが大きくは出なかった。埋め立て完了間際の今に至る間とこの9億円を考えると、妙な感覚にな
る。
ましてや、ここを宇和島道路が通るはずだった。9億の補償の上に、立ち退き補償か。ゼニの出所は全く違うのに住民の妬みなどが走って、菊池市政時代、こ
のルートは変更されて今に至る。これまた、大いに損失した部分であろうと思う。今の埋め立て地付近から坂下津へ通るルートだし、申生田からトンネルを2つ
3つ造るだけで、市内周辺部は工事に対して気にしなくても良かったと思われるのだから。
時の為政者は、やはり、もう少し長い目で見て、自らが退いた後に褒め称えられる者でなければならない。今の石橋市長はゼニだけ遣わないようにすればい
い、との考えが大きく支配してしまっている。今のままでは、次の市長選挙頃には、おそらく大変住みづらい宇和島市になっているだろう。当然のように、住民
サービスも愚劣になっている... 。いや、宇和島市は破綻寸前になっているのではないだろうか。
本日の天気同様、何か将来のつまらなさが出てきているように感じるのだが、如何だろう。
2010 年3月3日(水)くもり
昨日の職場での一件
を担当の職員が彼のブログで「トバッチリを受けた」とボヤイテいた。詳しくは昨日の僕の日記を読んでいただければお分かりになるだろうけど、こういった雰
囲気が漂っている職場だから、状況を察していただければ幸いだ。
さて、今日は桃の節句だ。以前は端午の節句と同様に、この日を祝日にしてほしい、という声が上がったが、最近はこの声も少なくなった。本日の朝礼は女性
職員で、彼女の家も彼女の歳になって内裏雛と姫雛のみの飾りであっても、年齢に関係なく「女の子」として認めてくれるのは嬉しい、と言ってた。結婚しても
実家があるというのはうれしいものだろう。チョイと話は飛ぶが、妻はウチのお墓へ入るのだろうかな。フト考えてしまった。
昼休み、百均でSDカード(スティック)アダプターを購入した。こういった精密機械に属するようなものが105円で入手できる世の中。これをいいと思う
かどうか、判断に苦しむ。もちろん、機構の複雑なものは無いが、このアダプターが簡単な構造か、というとそうでもない。どうなっているのだろうかね。
午後になって見かけなくなったが、本日は黒田旗のぼり店に鯉幟が泳いでいた。これ又不思議な感覚になった。外は花冷え状態。梅の花は先日の雨で散ってし
まったし...。
そういえば、この辺は月遅れで桃の節句や端午の節句を祝う。加えて言うとお盆もそうかもしれない。
端午の節句が6月5日。この日は僕の誕生日だ。悪いことに、1942年のこの日、ミッドウェー海戦で帝国海軍が大惨敗を喫した日でもある。
昨日同様、こういった日の廻りでいいこともあるし悪いこともある、という悲喜こもごももいつもどおりだ。端午の節句が仏滅ということもあるわけだし、易
学では、こういったのをどう表すのだろうかね。
明日は、松山出張。しかも雨になりそうだ。松山から帰って午後6時からは労金での会議。7日にも松山出張がある。こういったことをこなすのも疲れてき
た。少しだけでもいいから、自分の時間が持ちたい。向う1年間で、大半の役職から離れることとしているが、無理してでも離れなければならない。退職するま
で引き受けるのはつらい。
再び今の状態から再来年の3月31日はどうなっているだろうか、と考えてしまう。生きていれば年度末の土曜日、朝、仕事場へ出かけて昼前に正面から去る
のではないだろうか。ちょうど、映画「グランプリ」のラストシーンのように。
2010 年3月9日(火)雨後くもり
ここんところ、日記
の記載もすっかりご無沙汰です。本日も隣の課の愛読者から言われました。記載できなかった理由は2月末からの行動の疲れがドドーっと
出てきてしまったからに他ありません。加えて、天候不順の中でのオートバイへのパーツの取り付けと確認。コンピューター関連機器の整備などが一気にやって
きた、というのがそれです。
たとえば、7日の日曜日は3月4日とほとんど同じような松山出張の日でした。用務は自治労愛媛県本部の中央委員会と再結成20周年の祝賀会。私は被表彰
者でしたので参加しました。懐かしい顔も見受けられましたが、当時の活動家の多くは議員になったり、管理職になったりで、私のような年齢で現役の活動を
やってる者は数えるほどしか居らっしゃらない。この現実の中で表彰されるのなら、四国中央市のIさんや私など最右翼に上げられてしかるべきですが...
。
その日、遅くなったついでに「ラスト20セント」という、オリエンテーリング協会のM理事長御用達の店で、以来、松山で時間があれば寄り道をしているお
店へ行き、全曲90点以上の評価を出して【お歌い】を5曲ほどやり、最終便から1列車手前の宇和海で帰ってきたところです。
昨日は5日の金曜日のまとめ、坂下津への徴収など、午前中は結構多忙でして、帰庁して市民の住所異動の処理などをしていた時、出ましたよ。
この時は市民の方からですけどね。書類を前にして、担当者は説明不足というその人に対して、職員側もこれでわかるはず、との応答の仕合っこ。もちろん、
声を高げてですよ。この大声での怒鳴り合いは一種の恐怖心を与えるのですね。特に若い職員の多い課では、課の印象ががらりと悪くなるのです。
この時もとうとう職員側の言葉じりをとらえて「差別発言だ何だかんだ」の世界になってしまい、部屋を変えて協議をして、結局1時間以上を費やして纏めあ
げたようでした。午後になって、再び来庁したその方の顔が良かったので、少しばかり安心しました。
私はいつも思うのですが、これだけ市民と行政との意思疎通がなくなっている現状の上に、公務員に対しての妬みなどがはびこっている今ですから、私なども
市民との話はあまりしたくない。冗談めいた言い方でも、相手は違う受け取り方をするので、対話自体が難しい嫌な時代になった、と感じたところでした。
早く市民と直接会わない職場へ異動したいです。
外はようやく上がった雨の後、寒々した空気が満ちています。3月になってこの気温ですからやりきれません。
本日も、午後4時を過ぎて、突如文句を言いはじめたのが来ましたよ。どうやら相続関係で、通知を送ったところが悪かった様子。実は相続問題は次の問題
で、実際は個々の税金の件で送り先を決定しただけの様子。
相手はそれを財産を勝手に市側でどうのこうのされるのは怖い、とノタマウ始末。最初の段階で「これは裁判だ」と言い張ったり、奥様の方も出しゃばる。こ
こは奥様へ「お前は黙っとけ」と当事者は言うものの、明らかにお互いが扇動状態を我々にやっているように私には感じられました。
結局、個々の課税については、その状況によって通知先が異なるのですよ、が納得された様子。一安心しました。
思うに、元教員などという者は、退職後にその多くが牙をむき出してくるのがいつもの状態です。「この穏和な先生がね〜」と思われてた人が、我々を前に鬼
人と化すのですから... 。今日もその類に思われました。
そう感じられた中でしたが、愛媛新聞紙上に小学校1年2年の恩師の短歌が入選になってました。安藤美姫さんとエジプトの毒蛇を歌った作品ですが、言えて
妙。嬉しかったです。もちろん、私たちの結婚式にも招待して「卒業生から招待を受けたのは初めて」と快く受け入れていただきました。
先生が結婚されるとき、どうしてこんな商売の方と一緒になるのだろう...
、とも感じましたが、男女の関係は判りません。が、今でもお元気なところは相変わらずで、私自身にとっても頼もしいところです。
このような方が、真の教員ではないでしょうか。私自身、今の仕事に関係して裏切った、あるいは現役からは想像できない程悪い方へ豹変した先生は数人い
らっしゃいますが、その方形とは顔を合わせても60°程度そっぽを向いて会釈しているのが実情です。
信じられないことを記載しましたが、決してウソではありません。
こんなことを考えていると、話は随分と飛びますが、先に記載した元教員のことなどと合わせて、妻はウチのお墓へ入るのだろうかな、とも思うところです。
2010 年3月10日(水)雨後くもり
早くも3月は10日
になりました。朝からの曇天に加えて風が相当強かったです。4時過ぎに目が覚めて、ラジオ深夜便で五木寛之のリクエストで「氷雨」(佳山明生)を聞きつ
つ、ムニャムニャ。
どこかは忘れましたが、久しぶりにトライアンフ。キャブレターをシングルに改造できて、燃料コックの調子が悪いのを除いて、キックも簡単で、スムースさ
が格段に上がって、清水さんの言うとおりだな〜。
一つミクニのキャブにしたら...、というところで目が覚めました。
すばらしくリアルな夢でAMALのキャブを取り付けているのに、再びミクニ(シングル)で実験をしようと夢の中で画策しているのですから、記憶の隅に捨
てられない経験として残っているのでしょうね。
昨日は少々うがった記載をいたしましたが、相続関係のうち「銭」が絡むものはやりきれません。私など、直系の身内は市内には居ないと思ってます。母から
の相続も実に簡単なものでした。
私の息子も同様ですから、私が先にくたばって、妻が相続した後、息子の代になっても相続関係図は1本のみですから、この点は楽だろうと思います。問題は
私自身のチョイと有名な物がどのように処分されるか?。これは死人に口なしですから、妻が息子へ譲るとなると助かりますが、私は慕われていないから全て売
却されるかもしれませんね。早いとこ遺書を...、てなことを考えたりもしたところです。
今日は風が相当強かった1日でした。その中、午後1番で徴収用務。スクーターで出かけたのですが、投影面積が広いので、危うく風に煽られそうになって難
儀をしました。おまけに帰りは向かい風とみぞれ混じりの雪が顔を叩くものですから、イタイイタイ。帰ったら「係長一杯やってはダメですよ」と女性職員から
言われる始末でした。
夕方からは会議。今年は曜日のまわりによって、スケジュール上でのダブルブッキングやバッティングが相当多くなってしまいます。少し早いのですが、メー
デーも3団体同時で行うことになってしまい、分散ができないため、主たる上部団体や連合体主催のメーデーに参加せざるを得ません。執行部としては何となく
辛いものがあります。
2010 年3月11日(木)はれ
昨日とは打って変わっての晴天。無理やり休むこ
とにしてたが、少々難題のところへ出向いて、休み取れず。帰宅して、自治会の総会へ出席。これは「班」の
総会だから、会場はお隣という次第。メガネのミキの店員の一人が三瓶高校で陸上競技をやっていた、という。マスターズ陸上のことで結構盛り上がった。
それにしても、最近、どうも夜の過ごし方にムラがあって難儀をしている。エッ、「夜の過ごし方」っていってもHな方ではない。
何というか、夕食から以降、の時間の使い方がどうももったいないように感じるのだ。このことは何が原因か?、とさんざん考えたが、職場の退庁時間が
17:30のままであることが第一原因であろうと思う。
つまり、18:00以降19:00までの間の時間の使い方が問題になるのだ。ずっと以前の17:00終了だと、相当楽に2つ程度のことがこなせていた。
その時間が17:15になっても、あまり変化がなかったが、17:30では流石に後の時間帯に食い込むことが最近になって痛感しているところである。
が、ようやく4月からの退庁時間変更で17:15に戻る。自治体合併後5年目の今、旧町の職員には僕が感じる以上に、時短のありがたさが分かるのではな
いだろうか。
たかが15分ではあるが、非常に重要で貴重な時間なのだ。これを今の市長にいく度言ったやらわからない。宇和島市民全体が私たちをバッシングしている状
態だから、その影響もあるいはあろうが、何と、市長はこの15分を銭に換算してね、頭に来るやら...。
「職業に貴賎なし」のはずなんですが、私たちはちっとも楽ではない、というのは、日々の日記を読まれればお分かりだろう。
はっきり言って、15分の対価とその間の蛍光灯をともす時間、エレベーター、冷暖房の可動時間などの使用料金のことを考えたことがあるのかどうか?。
エコな行政を目指す者としては絶対君主的な面が出てきているようにも感じるところだ。
2010 年3月12日(金)はれ時々くもり
気温は上がったが風
は強く冷たい1日であった。気分が落ち着かない。この際だ!、と一杯やる気にもならない。最近は1日1日が妙におかしい気分で推移する。
若い職員が少しもめる状況を創りだしてしまって、そのまとめに昨日と今日同行して出かけた。
昨日は少し知っている人物だし、怒りをぶつけてきても、それなりに、というものはあったわけだ。
状況として、通常の説明をやって理解されたようだが、納税者の財布は一つ。仕訳はこちらの都合。
案の定、そこを突いて来られたよ。
実はそこへ至る前の説明時点で、担当がビビってしまっていたから起きたこととで、対面すると1時間ほど文句を言われるから、電話でのやりとりを主なもの
としたからだな、というのが、このとき僕にようやく理解できた。
この辺の説明がね〜。若い職員にはできなかったのだろうか。
今日は、前回これこれこういったことで、という折衝は終わっていたから、誓約を結ぶだけのことで終わるわけだし、担当者の名前をすでに申し上げている。
にもかかわらず、同行となったのは担当者の用心棒役のためか?。
僕の予想通り、うまい具合に誓約も終わった時に、納付方法で再びモマセルようなことを担当が言うものだから、帰り際にヒヤリとする。
ここまでして納めさせる努力をして、最終段階でご破算になる。仮にそうなったとき、担当が僕を飛ばして「指示通り(トップの)考えを言ったところダメに
なった...」とトップへ報告したらどうなるか?。
たかが(月々)この金額ぐらいで...、と思われる額かもしれないが、納めさせるよう努力したことが水の泡と消えてしまう。その上に、僕の指導が足らな
かった、と言われると...。僕自身再びキレルことになってしまうのだな。
今の業務は、税金の徴収だけど、状況は千差万別。納税者との折衝。これにはマニュアルはない。納税者本人と徴収する側の性格の違いもあり、今のトップの
方針通りでやるとすれば、何かとトラブルが発生する可能性が強いのが相場だ。
相手を見抜く必要はないまでも、一つヘリクダってモノを言うなどのことはしないのだろうか。とはいえ、上役の僕に対しては馬鹿丁寧なところもあるし、ど
うも判り兼ねるのである。
こういったごく普通の言葉遣いとそれに伴う行動などは、中学高校時代にアルバイトなどやって銭を稼ぐには大変であることを身をもって知らない者ばかりの
世界になってしまったからだろうか。
その上に、電卓オンリーのデジタルな者が増えたな。量目がわかる算盤のアナログ的なものがないと、とかく人間は...。
楽チンなキャンパス生活を送った大卒の新規採用職員より、一定の部活などをやって過ごした高校生を雇用した方が宇和島市の市政にはプラスになるように感
じるのだが、いかがだろうか。賃金も安いのだし。
僕としても高校時代牛乳配達のアルバイトしてadidasのシューズを買ったし、大学4年時は南山YMCAで水泳の指導アルバイトをして、水に入ろうと
しない幼児を13m泳がせることまでやって、本人も親も涙を流して喜んでいただけたし、指導員から、卒業後はYMCAへ就職してほしい、と言われた事実も
ある。
職場では数人の高卒者と仲間内だが、民間からの中途採用者と同様に、彼らの方が、ジジイの僕に対しても構えるところもないし、付き合いが簡単だ。
より良い市政を担う若い人の採用からすると、僕の考え方は間違っているだろうか。
2010 年3月15日(月)くもり後雨
雨、松山へプリウス
で。ガックリ。こんなに機械に制御されてしまう自動車が今は売れるんだろうね。ドライバーは自動車学校で何を習ったのか。ましてや、一発試験で通ったドラ
イバーは何も感じないのだろうか、と乗せられる乗客は思ってしまうのだ。
燃費の計算もできる。燃費も25km/Lと僕のSR500並だ。この結果が本当だから余計に頭に来るのである。はっきり言ってドライバー無視というか、
キカイに全てを牛耳られてしまっている。ということは、例のアメリカでのブレーキが効かなかった自動車を、その後数万キロ走ったとしても不具合が出ていな
い、という二つの事実のうち、最初の事実は本物ではないか、と感じられる。ロムチップ内部の不具合。リボンケーブルのレアショートなど、結構出てくるもの
だから。
出張用務は無事に終わった。結構時間を食う。昨年の提出資料を3箱持って帰らないとならないし、おまけに帰りは強風で高速道路も速度制限があったりで、
帰庁が若干遅くなった。
で、僕が上司なら「オー、ご苦労様。無事に終わったかね?」とまずは労をねぎらうところだ。続けて「指摘があれば、その点などは明日からでいいから、今
日は帰りなさい」と言うだろうね。
ところが、大きな荷物を台車で持って帰ってきたのに「無言」。その上、トップは「なぜこんな時間まで...
」と、まるでサボっていたかのような顔をするのである。少々あきれたね。
事後決裁になったが、出張関係のその書類を部長へ持っていくと、「今日だったんだろ、無事に終わったかね」と。これが普通だろう。
どうだろうか。僕はトップには何も言わなかったよ。バカみたいだから。もし、次にこの職場にいたら出張なんぞしないぞ。
午後8時過ぎ、近所で火災が発生。幸い非木造家屋だったので大火にはならなかったが、消防署員はもちろんのこと、近くの消防団の分団が駆けつけるより前
に水道局の職員が到着していた。柿原からここまで数分で来るのだ。スゴイことだと思う。
が、これは通常業務としてしか評価されない。オカシイと思うが、いかがだろうか。
そろそろ人事異動の時、何度も言うが市民と直接対面しない、話をしない、そういった職場へ異動したいものだ。
2010 年3月19日(金)
昨日、鬼北へ車両の
存在調査のため出かけ、帰路、宇和島市へ入るところから降り出したのだが、光満付近から数十分間激しく降った。この時期の雨としては異常であった。自動車
は少なかったが、ゆっくり走って正解だった。
車中から外を見つつ、合併前の活気のあった頃を少し思い出してしまい、何とも言いようのない寂しさが満々としている現実を恨んでしまう。もう少し何とか
ならないものだろうか、とも思ったところだ。
それに対して、本日は何といい天気だろうか。明日と明後日の四国自動二輪交友会は天気が悪いようで、濡れて走るか。自然の摂理は変えることができない。
市立病院の経営環境が大きく変わるかもしれない。2月の終わりから仕事仲間へ対して説明会をしているのに、すぐさま変わった形態へ移動しなければならな
いのか?、などの質問が入ってくる。
確かに経営形態は変わるかもしれないが、仕事の環境は変わりはしない。急に変えたら、仲間の首切りもあるわけだから。それを防ぐためにはどうすればいい
か、の説明会を以前に吉田のオレンジ荘でやったのだけど、1か月も過ぎると、そのことは忘れてしまうのだろうか。それとも、外部からの横槍が入ったのだろ
うか。実際のところ、ナントカしようぜ、と言ってきた僕自身がみじめな気分になってしまう。ま、最終は去る者拒まずだ。2年後からはもっと厳しくなってし
まう。
その時、僕はこの職からは辞しているからね。それまでは、何とかしなくてはならないが、こういった調子では、僕自身がやるだけ損をしているような気分に
ならざるを得ないのである。
2010 年3月22日(月)はれ
朝、モヤモヤの中で
起きた。午前6時半。そういえば、3時過ぎに水を飲んだ。どうやら昨日の疲れが一気に出てしまったようだ。
一昨日と昨日、格闘した風との関係は何だったのだろうか。本日、しばらく(と、いっても10時過ぎのこと)して、これって、SR500の重量バランスが
悪いのではいだろうか、と気付いた。
早速、ノーマルマフラーへ変換。次いで、エキゾーストのオイルライン・バンジョーを10°傾斜のものに変更した。これで、ホースが燃料コック裏の出っ張
りに当たるのを回避できた。
テストコースを走ってみる。可もなく不可もなく。いつもながらのノーマルマフラーの様相を呈する。
大半のユーザーは、この状態を忘れられずマフラー交換をする。そして吸入排気系への泥沼へ入り込むのだろう。こういったことを雑誌に書く人も少なくなっ
たし、この現象をそれとなく言う人も少ない。まさにい言い得て妙、といった類の人は最近少なくなった。
多くのオートバイ、もちろんSR400もFIS(フューエル・インジェクション・システム)を採用し、調子が悪かったりすると、全てはディーラーなり整
備業者へ委ねることになるからだ。
僕のSR500はノーマルマフラーを装着して、再び元へ戻った。が、根本はそうでも、エンジン関係は全くノーマルではない。期間こそそのままだが、補記
類はすべからく違うものだ。大半の方はマフラーを換え、キャブを替えだが、僕のやったようなことを皮切りに、オートバイは、こういったところから始まるの
ではないだろうか。
さて、夜、NHK総合テレビで、「家族で選ぶ日本の歌」をやってた。つい最近、といっても20数年前の世界だ。真琴つばさという歌手が「プレイバック
パート2」を歌う。一瞬、アッと思った。
が、それだけだ。現実には彼女は今の人で、自分のヒットも出さなければならない。山口百恵は過去の人だ。その板挟みなら、自分のヒットを採るだろう。
もし、僕が女性で、ソコソコのヒットしかない歌手なら、百恵に似ている部分もあるけど、物まねでも自分らしさを出すこととして、自分の持ち歌も買ってく
れ、とするけど、それすら今の芸能界では出来ないのだろうか。虚しくなる。
石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」のテーマを「五木ひろし」がドラムを叩いて石原裕次郎バリにやってもダメなのはダメ
ドラムのセット数が異なるのだから。この辺のフォローは伊藤さんがやってくれて助かった。実際、ハイハットとバスドラムを叩くのが、映画での台詞の部分
だから。
僕の言い回しからすると、今の人にはイヤミのような言い方かもしれない。でも、リーダーが他界していても、「前川 清とクールファイブ」のように、ほぼ
昔のままに歌えるのだ。
この手の歌番組の難しいのは、今でも現役の人は、当時の歌謡界とリアルタイムなんだ。そこをクリアできないと... 。難しいね。
夜は、小林稔侍の「マドギワさん」の番組を見て、明日の仕事でも、そうシャッチョバッテやる必要は無い、と感じた次第だ。23日には人事異動の内示があ
るらしい。
どうなりますかね。
2010 年3月23日(火)雨時々くもり
何とも物憂い朝。再
び雨が降っている。こういった天候がしばらく続く。トライアンフの車検切れが迫ってきた。先に点火時期だけの調整で、車検を取得した方がいいのかもしれな
い。でも、走らせることを主眼とすると、もう少し後回しにした方がいいかもしれない。
小降りだったし、日中だけの雨を予報していたので、自転車で出かける。長靴を購入した途端に雨に遭遇しない。痛し痒しだ。
先日ブログへ出した杏の花はスベカラク散ってしまった。春の雨がシトシト降っている。
昼休み前に人事異動の内示が出る。いつもながら「総数はこれだけ。内部の配置はそこで決めよ」である。仕事の効率、課の業務のより良い方向性などからす
ると何のための人事か全く不明。ひとり一人の責任をずいぶん重くしてしまうような人事異動では少しばかり不満を感じた。
滞納者500件を抱えて、全体の掌握をするなどはできない仕事だし、端っからやる気をなくしている。その上に、課員に仕事をヤレヤレ!!、と言ったとこ
ろでやれるわけがない。僕自身、滞納者といざこざを起こしてまで...。
ヨシマショ。来年の今頃まで持てばいい。こういった状況になってくると、今年の年末は異動願いを本当に出そう。ここまで来たら仕事を辞める必要はないか
ら。
というところで、NHK総合の午後8時からのチャレンジを再び見た。2回目以降はそこそこ現代に当てはまるけど、第1話は少しばかり趣が違うように思
う。この1話は、今の状況を全て出しているのではないかな、と感じるところだ。
と、記すと、僕の考えもあながちウソは含まれていない、と確信するのである。上司がいくら命令口調で言ってきたとしても、僕がウダウダ言われても、各担
当者の能力のそこそこのところは認めなければならない。それゆえ、僕はあまり語らない。僕流の考えを浸透させたり、上司の言い分を真に受けたりすると、今
の時代、それを履行した課員が一番困る立場になってしまう恐れが多分にあるからだ。
それゆえ、僕自身は仕事をしていないように感じられるけれども、上記のようなことから、あくまで担当者の考えを優先し、なおかつ...
、という身分が係長だろう。「太陽に吠えろ」のボスでもそうであった。その上の責任はトップが... 。その「トップ」が相○◇ずだから... 。
そういえば、こういった内容のことを昨年の4月以降に記載したようにも思う。
と、こんなことを日記に記載しても市民にとっては何にもならない。1歳ほどの子供を抱えて、夫婦共稼ぎで、遠いところへ異動させられる。なおかつ、職種
も変わる。家庭の大変さは考慮しない。こういった人事を平気でやるのだから。
人事管理など、この職場には無い、と言わざるを得ないのであるが、愚痴だろうかね。
2010 年3月24日(水)雨
雨、何ともいえない
雨が降っている。何ともなく出かける、というところだが、本日は四国自動二輪交友会へ向けて準備していたゴム長靴を着用して歩いて出かける。
この長靴っていうのは、実のところ高校3年のとき以来だ。とすると、41年ぶりだ。何とも歯がゆい思いがする。同時に... 。
さて、本日は用意バンタンのハズであった。
ところが、始業前にトップが「実は...
」と。それに対して、僕はそれ相応のことを喋ったが、アダになった。発言に対して自分自身で残念、と思ったのではない。言い方が悪かったかもしれない。
実は昨日、このことを含めて一定の協議をして、「本日午後1時からそれをやる」と、少なくとも係長職以上4人は聞いていたのだし、繰り返すが、その準備
をしていたのだよ。
が、9時から開始した協議は、結局元の人数異動のみで終わった。ヘッ、何ダッてんだ。何時もどおりウダウダ枝葉ばかり。そのうち1日の始めと終わりで、
言葉と内容がずいぶんと違ってくるのがわかる。フト、昨年の4月始めを想い出した。
この昨年の初日は、午前中に「俺が責任を取るから思う存分にやれ!」が、午後には「担当が一番よく知っているから、俺は前面に出ない」であった。2日目
は、(例の)2万円が支給されるから、そいつを分捕ってこい!、であったのだ。
本日、何度か言ったが「係長は長が付くのだから、それ相応のことをやってほしい」と。やりますよ。そのためには、僕の担当滞納者数の400人を減してほ
しい。今の陣容では出来ないから、両方掛け持ちでやりつつ... 。
僕の立場は、プレーイングマネージャーだ。これを崩すことは、新任者に対しても、負荷ばかりが増えるし、そういった命令を僕は出せない。
こんな気分で帰宅しようとする前、「この人は支所で違う仕事なんだ。アンタ知ってた?」ときたよ。当然、知ってましたよ、と僕。ウソでも何でもない。
トップへはトップ2から「庁内ネットに(人事異動内示が)出てますよ」、と先に言われている。トップは「そうか」と応えたろう。多くの人がそれを聞いてい
る。当然、こういったメール関係は1日に何本となくやって来る。それをイチイチ確認するのは職員の義務だ。それをやってないのか?。
なおかつ、「楽しくやろう」とか平気で言う。こんな状態だ。よく考えると、アンタが一番仕事していないのではないか。これまでの僕なら、ここでキレてい
た。今はあまりのアホクサさに対して無視することにしている。
こういった状態で仕事をしている日が幾度とある。ある程度グチっぽくなるが、この徴収という職は、相手の生活までを考慮しなければならない。法律で決め
られているからヤル。これだけではダメだ、と僕は思っている。したがって、僕のようなやり方はダメとされるのだろう。
今回の人事異動は、宇和島市の行政部門では汚点を残すのではないだろうか。そして、石橋市政はどこへ向かおうとしているのか、と感じてしまった。
2010 年3月25日(木)雨後くもり
今日は多くのことを
思い知らされた。一つには人事異動。どこで誰が操っているのかは知らないが、確実にそういった輩がいる。副市長そのものがマイッテいたからね。
僕自身は人事異動など、気にもしていない。が、昨日も記載したが、昨年とほぼ同じ状況で進んでいることに不安を感じるのだ。もち、今年は僕の考えを申し
上げる。
しかし、7月ぐらいで僕を違うところへ持っていってほしい。来年の今頃、今のトップとともにこの課から出たくはないのだ。トップを追い出せば簡単だろう
けど、それが出来ないのなら、この7月前からアプローチ在るのみ。
それにしても、外は冬だね。ガックリ来る。その中、ホンダのタクトを走らせるのだが、こういった古いオートバイをうまい具合に扱える職員が何人いること
やら... 。
合わせて、じっくり構えることも出来ない職員が想像以上にいるってことにもビックリする。何お先走ったことをするのだろうか。やはり、やられてみないと
解らないか。あれだけ説明したのだけど、ナ〜ンも感じ取っていない。こういったところがバカらしいのだ。m、2年後に大きな問題となって出現するだろうけ
ど、今のうちに理解してくれていた方が... 。
帰りにゲルマンで、向かいの客がいいことを言っていた。「阿波女に讃岐男」。が、伊予と高知には、この内容のものは無い。高知には「イゴッソー」と「ハ
チキン」がある、というのだな。ナルホド。
が、愛媛はダメですよ。その席では「村上水軍」の名前は出てきたが、宇和島の藤原純友は出てこなかったし、闘牛、牛鬼も出なかった。こういったのが僕の
真ん前で食餌している。一瞬、口を挟もうとしたが、止めた。
バカらしいが、これが現実だ。それゆえ、安易なアンケート結果とかがはびこって、数年後も同じ状況にあるのが今の宇和島だ、と僕は幕末の考えでいるのだ
けど。
2010 年3月26日(金)くもり後はれ
朝から相変わらず重
苦しい時が流れる。午前中に吉田へ新しい人に対してレクチャー。昼からは1軒徴収。「変わらなかった?」。ええ、僕はネ。「そう、嬉しい。助かります」
と。
一瞬、この職を去ろうとしている気持ちにためらいが...
。こういった言葉こそ、この職にある者への最大の賛辞ではないだろうか。言い過ぎかもしれない。何とか年内に完納されるよう、最善を尽くして分割納付の予
定を作る。そして提示して... 。
徴収時は時候のあいさつから、ペットのことからとかの話をする。こういったことをやりつつ、信頼を掴むのではにだろうか。僕は2年前にこの職に就いたと
き、小林稔侍演ずる窓辺さんのようにやりたい、と感じたものだ。
こういったことは、今のここのトップはヨシとしない。できれば、そういった徴収業務をしないように、やるところはガンと押さえ込む。いくら怒鳴りつけら
れてもかまわない。我々は決して悪いことをしていない。
こういった状態だから、いくら揉み手擦り手をやって1,000円でも余計に取ってくる。法律を片手に、徴収方法を磨いて少しでも多く徴収するのが我々の
職務ではないだろうか。
やはり、それが解るのは少なくとも半年はかかる。そのとりまとめを一人で何とかせよ、としても出来ないものは出来ない。それはアンタの逃げと受け取られ
ても、出来ないものは出来ないのだ。決して観念から言うのではない。事実だ。
こういったところにまで達せずに職場を去る=経験年数が少ないままで去る職員が多くなると、税収はアップしないことになる。
ま、商売人であり、身内(職員)の保護は一切やらない市長には解るまい。あわせて、僕のような考えで仕事をしている者はダメなんだろうな、と思う。
夜は春闘の学習会。よかった。職員組合の方もガタガタめいているけど、こういった話を聞きつつ、この面では、もうバトンタッチをする時期だ。一時的には
落ち込むだろうが、それをやらないと、もっともっとガタガタになりそうな気がする。
2010 年3月27日(土)はれ時々くもり
土曜日。ゆっくりは
出来ないが、結構乗ってる。こういった朝が毎日だといいのだけど、月曜日は再び暗雲が...
、になるのであろうことは容易に想像できる。バカ言ってんじゃないんだ。事実めいているから余計に困るのである。
ともかく、午前6時30分起床。残り物のパンを食べてノンビリ。これだけならよかったのだが、妻がいない。とはいえ、早出の勤務をこなしている。僕自身
はその頃白河夜船だ。
これが、最近結構続くのだ。僕自身は、彼女の身体の状況を気遣う。口に出して言うほどのものではないが、働いている女性を持つダンナは、その点「男では
ない」ことを十分承知していただきたい。女房でも「女」なのだし一面「男」から。
さて、「きさいや広場」で行われた「相続・成人後見人学習会」へ出向く。よく知っているN講師がやる。いつもながらのものだ。が、司法書士などでも、慣
れていないとこういった解説は出来ない。
今日は和気藹々としてよかったね。相続の問題点など、通常では5英世ほど出さなければならないことが無料で聞ける。
少し満足して帰宅。が、メシは食えない。午後からは枡田歯科でのメンテナンス。現状維持は出来ていた。ホッと胸をなで下ろし、拙宅に帰ると、途端に眠気
が襲う。
核持ち込みの密約をはじめ、何というか、第二次大戦のことに及ぶと、アメリカが急に出てくる。同様にハワイ真珠湾攻撃頃を記載した書物は、そこそこのこ
とを述べているのは解るが、ミッドウェー後の敗戦へ向かう時期から、これらの書物は何か歯切れが悪い。敗戦国ゆえのことであろうと思うが、広島・長崎の件
など、未だにアメリカ国内での意識は日本人が想像しているよりも違う位置にあるようだ。
いきなり話が飛んだが、なんでも鑑定団(再放送)で白州次郎からマッカーサーへ贈られた木製の椅子のメッセージの裏に隠れたものなどから、昭和20年当
時、日本の独自性を維持するには大変なことであったのだろうと、と思った。
これら戦勝国独自の考え方を消すために退役軍人の消滅を待つわけにはいかない。が、朝鮮戦争でも半分だけ勝ったため、アメリカ側は多くのことは言わない
のだし、ベトナムの帰還兵などが退役軍人の仲間入りをいている現在、アメリカ合衆国も真剣に「ベトナム戦争」を検証すべきではないのか。
フト、そういったことを考えてしまった。
2010 年3月28日(日)はれ時々くもり
日曜日、身体、特に
内蔵の状態がオカシイ。理由は簡単だ。多くの気付かないストレスと野菜不足だ。この二つのうち、ストレスはどうすることも出来ない。トップを殺すか、と
なっても、ヤルとなるとバカらしい。
問題は野菜だ。これが今までは、夕刻でもサラダを食していれば良かった、と思っていたのだが、どうも反れば間違っているらしい。
つまり、多くのことをこなし、明日への活力を得るための夕食時は、硬い生野菜はダメなのだそうだ。したがって、野菜炒めもいかがと思う。少なくとも八宝
菜を目安にすべきであろう。こういった、暖かい、火を通した野菜の副食が必要というわけだ。
そのことを、朝のうちに頭に入れておいて、朝食はステファニーの調理パン1つと、サンクス特性のシオ(バター)ラーメン。これがコクがあるのにサラ〜ッ
としていいのだ。コイツのスープ用としてお湯を多めに入れて3分間としたものを食べる。
サクラを映すために、少しばかり考えを。昼前にいいものを撮る。「いいもの」といえども作品としてはどうか不明?。
昼はロンロン亭の中華丼。この野菜だけでも結構な量だ。助かった。
それから、きさいや広場で「春音」コンサート。しばしの間だけど、気分が良くなった。そのうち、僕もステージに立つかね。
夜は、9時過ぎからサクラの撮影。結構いいものが撮れた。再び、作品となるかどうかは不明だ。
久しぶりに写真三昧の1日であった。
2010 年3月31日(水)くもり後雨
昨日のこと、相変わ
らずの不安で目が醒めた。今日は何を言ってくるか?。基本方針を決めないまま、こうやりたいんだを押しつけたような恰好でスタートし
た21年度だから、このままを22年度も踏襲するのか。となると、紛争が...、という具合になる。こういったことを4月1日から、ある程度僕の双肩に負
わされるとなると現実には対処できない。
使いづらいコンピューターシステムから始まって、自分の持つ仕事量をこなしつつ、全体を把握せよと言われても、ある程度以上を担当が受け持たざるを得な
いし、決裁物を回したところで、気にしなくてもいいようなものまで、何やかや言われると、その都度僕の方へお声がかかるとなると、仕事自体が集中できない
状況に落ち込むのだ。
ふと、もう亡くなられたが、教育委員会時代の「Y教育長」の言動を思い出した。まさに、あの時と同じだ。あの時は「庶務課長さん」を1日の業務時間にい
く度言うかを数えていて、最終は、僕を含めた数人が、「教育長から出てきて声をかければいいじゃないですか」と意見を述べた。
が、それだけ。結果は電話での呼び出しはなくなったものの、庶務課長が教育長室へ出向くのが常であった。
それを思い出しつつ、昨日の夕刻、ある人について、課としての方針をまとめておいてくれ、というトップの指示で協議していた。いつもながらの杓子定規な
考え方を言うトップ。しかし、それを実行するとなると、この方は結構ハシカユイ方なので、怒らせるとモトもコもなくなる恐れが多分にある。それゆえ、一縷
の望みである「最終は俺の考えを言うから」に託して比較的緩やかな決定を2〜3案出していた。
今朝、昨夕の方針決定をトップ2が説明。途端に、担当者を交えて協議だ。それならそれで最初からこの方法でやればいい。と、思うのだが.. 。
とはいえ、本人は「俺が頭ごなしに言うと命令になるから...」と、えらく殊勝なことを言う。が、現実はどうも違うように感じられる。まぁ、ああ言えば
こう言う。こう言えばああ言う、でどこが本筋なのか分からない。僕も少し声を荒げ、「この人は結構難しい人ですから、安易にこちらの要求だけ言うと、オ
ジャンになりますよ」と。加えて、「差○といっても、抵当関係からすると難しいように感じるのですがね」とも言い放った。
流石に反論はなかったが、合意点は、昨日協議した方向になってしまった。この間の数時間が無駄になってしまった。
席に戻ろうとしたとき、「今日もキレるのか、と思いましたよ」と若い子が言うので、「アホらしいから、サンドバッグでも...」と返答しておいた。僕の
言い方にトゲが含まれているのかもしれない。これは自戒だな。
夜は、メーデーの実行委員会。早いもので5月1日まで1か月しかない。今年は土曜日だ。土曜日の夕刻、国道沿いをデモ行進する。以前だとウキウキしてい
たが、今は、人集めの困難さから始まって、前段で苦しい気分の方が先に立ってしまう。この地域ではメーデー以前の問題が多すぎる。
ここ最近、どうしてかしら、こういった悲観する考えが先に立ってしまうのである。