2010.07.03〜09.28

2010 年7月3日()くもり一時雨
 日には日記を記載 するところだったのだが、1日の件があって、記載したものの削除してしまった。いいようのない疲れが襲う。左の脚が思わしくない。フトしたときにピリリッ と痛みが走る。
 今日は吉田の夏祭りであったが、これまで2年連続で出かけたものの、今日の判断がつかない天候のため出かけることを控えた。
 それにしても、昼間のピカッ!ガラガラッ!ドバーッは凄かった。雨が降る勢いで風が起きるのだからね。幸い停電にはならなかったので助かった。もっと も、Macはノートタイプだから、停電でも4時間は大丈夫だ。
 PB G4 12インチへOS 10.5をインストールしようとするのだが、ディスクがダメのようで、残り10数分でボムしてしまう。いくら磨いてもダメであった。intelと PowerPC間でのターゲットディスクモードができないから、何とかディスクの検証が行えるようにしたいのだが、これが難しい。しばらく止めておこう。
 後先になったが、今日寝起きが悪かったのは、サッカーでブラジルが負けたからか、と思ったり... 。
 昨夜、ブラジルが1点上げて、プレーの様子からキマリだな、として寝たのだな。すると、ラジオで、6時のニュース。ブラジルが負けた、と報じた。次の ゲームもね、PK戦だったろ。予測が立たない。M.W.Iさんが、サッカーは勝つか負けるかのゲームで、この点は厳しい、と言ってらっした。ゴールに入れ たら1点という簡単明瞭だものね。1イニングに数点、3アウトまで、という野球とは大きな違いだ。それ故人気が出るのかもしれない。

2010 年7月4日()くもり一時雨
 日同様の降ったり 止んだり。雷も少し鳴った。僕も午後2時過ぎに明屋まで自転車で出かけた。途中降り始めたが、ま、立ち読みと新刊の確認程度は大丈夫だろう、と判断したが 甘かった。
 店内は改装前に比べて数が少ないものな。大竹氏のTシャツを着ていたためか、青年が僕の方をじろりと見つめる。おまけにライダースクラブなんぞ手に取る ものだから畏敬の眼差しを投げかけたのかもしれない。
 もしかしたら、ホームページなどを知ってる人かも?。ま、いい。
 帰りは2か所で雨宿り。スコールめいたのだから、ふと南高時代の九島の方から雨雲がロールするように鬼ヶ城へ向けて流れるのを見て、この雲が過ぎたら雨 が止む、というのを思いだした。小さな平地の我が町でも自然は容赦しないな。先に屋上のドレン掃除をやっておいて良かった。この、雨の小降り期間が身につ いているから、被害は最小で済んだ。
 久しぶりに、インスタントコーヒーを入れる。結構イカス。防湿剤を瓶に入れておいた。最近はワンタッチキャップの瓶が多いが、吸湿性の強いフリーズドラ イだから、密閉容器を数社あるインスタントコーヒーメーカーが出してくれればいいのにな、と思う。
 そういや、最近メシ代にゼニ掛けなくなったな。真面目に、対コストを考えると、僕の場合は「満腹度」を考えると、市内の飯屋は結構な値段だ、と感じてい る。今の経済情勢なら、そこそこの弁当屋の弁当にするのが当然だろう。これが欲こいて500円クラスにするとココでは売れない。逆に250円もいいが、そ こそこの副食数と、そこそこの主食量でないとソッポを向かれる。
 日頃、昼食に弁当を食べている手前、こういった状況はよく判る。おもしろいものだ。我が家のことを少し想い出したが、このタイミングに巧く乗れなかった のが、廃業した要因だろう、と思う。いいときに辞めたかもしれない。
 この辺でも、店の存続云々になると、うまい具合に「モーいいよね」と辞められることは少ないようだ。辞めた店のことを考えると、数年持ちこたえられれ ば... 、というところが多いように思うもの。
 でも、相対としてメシ物屋の商品は(量を含む)満足度とコスト面がアンバランスで高い、というこったろうね。したがって、職場の昼食、あるいは食事会以 外では一般人は利用しない、ということだろうか。

2010 年7月5日(月)くもり時々はれ
 局天気予報は数日 間ズレタことになる。今日休んでSR500を車検に出そうかと思ったが、2人が選挙の期日前投票事務に出ているので、それは控えた。もっとも暇だったので 休んだ方が良かったのかもしれない。一応、明日も雨はない模様だから、SRを持っていこう、と思っている。
 さてと、今日は何やらオカシイ気分になった。まずは宇和海中学の前身について、一番よく知ってるあの方に問う。実に明解に答えたが、それだけだ。乗って は来なかったね。
 逆にやられたよ。相手との約束が違うって。それは違う。1年後の5月以降は4月に課税される固定資産税を加味しなきゃならない。事前の誓約では今年まで だ。それではダメだろうし、増額もありだから、それを捨ててまで当初どおりではダメである、と僕は判断したまでだ。約束は約束で月々の納付額は変わりない のだからね。
 ま、そうですね、でオシマイだ。結果としては、僕が退職した後も毎月の納付が発生することには変わりがない。アッ、あの方も同じと機に退職か、忘れてた (爆)
 ブログへも記載したが、間もなく駅前大通の綺麗にする作業が終わる。いよいよ和霊様のお祭りになる。須賀川はこの数日間の雨で川床もきれいになったよう だ。自然現象とはいえ、うまい具合にやったものだ。
 帰宅前、職員の広場へYKさんの逝去の報を見た。職員時代、顔と声が一致せず、僕の若い頃は「その筋の方」とも感じていたが、本当は優しい仕事熱心な方 であった。たしか、昨年秋にバスで松山へ行くときに同席したのが最後でなかったか、と思う。
 未だに信じられないが、人の一生というのは死ぬまでの間であろうと思う。いいようのないものが感じられる。ご冥福をお祈りしたい。

2010 年7月7日(水)はれ時々くもり
 夕の日だ。ただ し、これは新暦。この辺では月遅れの8月7日だ。おかしなもので、お盆も8月15日だ。どういうワケか端午の節句は新暦を踏襲してしまう世の中になった。
 午後10時前になっても、拙宅の近所では「ベガ」も「アルタイル」も目にできない。薄雲がかかっているか、地上の光が大きいからだろう。
 星空は、というと想い出すのは一つだけ。心を寄せてた彼女に断絶を告げられて涙をこらえて寄松から歩いて帰ってきた。その時の星空は忘れない。ただし、 これまた11月だった。
 8月の夜空もいいが、最近では、この辺で天の川を鮮明に見ることができない。ずいぶん都市化してしまったな、と思う。
 8月7日の七夕は丸之内の和霊神社で夜遊びするのが恒例だった。神主が居なくなった社は格好の遊び場だった。中学1年生を筆頭に、6〜7歳ぐらいの子供 たち。上級生がお化けごっこをやったりして、結構おもしろかった。
 僕は何も知らない御曹司だったから、翌日も提灯ぶら下げて出かけたが誰一人として居ない。「親を恨んだ」とはいえ、よくぞ夜遊びを許してくれた、と感謝 すべきであったかもしれない。今はお籠もり堂も新しくなったし、中央の銀杏の木もなくなった。時代はお化けごっこなど... 。
 もう少し余裕のある人生を取り戻したいものだ。

2010 年7月9日(金)雨後くもり時々はれ
 
い、バカ言ってんじゃないぞ。確かにそのとおり。ブログにもこれと同じような表現をし た。残り2日。参議院議員選挙までの日数だ。この辺の年寄りや有識者の多くは例の党でなければならない、なんて言ってる。同じようなM党のSはどうだ。僕 は反対だ。
 この地ではどうか。J党の候補者ではダメだ、と僕は確信している。一般の方々も保守優先としても、少しばかり今のJ党のこと考えりゃ分かりそうなものだ がね〜。
 ま、この地がダメになるのは目に見えているから、誰を選んでも同じ、ってことかもしれない。そういえば、ジジババも日中商店街で目にしなくなった。みな さんくたばってる?。あるいは、暑いから家にいる?。
 みなさんも少しずつ他界されるし、出歩くとなれば少々のゼニも必要。高齢化社会でも安穏とは生きていけないのは事実だな。如何にゼニを遣わず有意義な1 日を過ごすべきか?。高齢者も「考える高齢社会」の実際が判り始めたのかもしれない。僕も間もなく、その世界に入り込むわけだ。
 そうそう、例のタコ。3位決定戦でドイツ選んだろ。僕の予想どおり。スペインとドイツ戦でなら、スペインを選ぶんだって。僕の想像かもしれないけど、タ コは同じ容器なら「赤の強い方」を選ぶんだ。お解りかな?。
 したがって、赤の強調色として黄色を配したスペイン国旗の方を選ぶのは目に見えている、と僕は思う。本日はブルー一色の冷たいウルグアイよりは赤みが強 いし、それを強調する黒・黄のコントラストの強いドイツ国旗を選ぶんだって... 。
 それにしても、タコ一匹で一国の代表者を動かすんだからスゴイね。こういったことが出来る、させてしまう欧米の社会は、日本での文明開化以前のものが存 在するのだろう。明治以降の付け焼き刃の日本国では及ばない行動であろうな。

2010 年7月10日()はれ後くもり
 れとは言え、ボ ヨーンとしたいつもの梅雨の晴れ間だ。朝は涼しかったし、昨日から気分が高揚し、午前5時には離床していた次第。妻も早々出の様子で、僕の離床と同時に出 勤した。ご苦労だな、と思う。
 僕の気分高揚は、SR500のクラッチをワイヤー仕様へ戻すことにある。今日しか時間がない、という理由が一番だ。とはいえ、優柔不断の僕のこと、アソ コがダメなんじゃないか、ココンとこをいじったらいいのじゃないか... 、などど散々考えてしまう。しかし、根本を突き詰めると、MAGRAの油圧クラッチがダメ、ということに行き着く。
 午前8時半より作業開始。油圧クラッチのスレーブシリンダーを外すには、メーターパネルをトップブリッジから外さないとならない。これが一番やっかいな ところだ。
 決して慌てない。これから先、退職後のこともあるし、のんびりやればいい、の雰囲気で作業をこなす。しばらくすると暑さがやってくる。僕特有の目の下か ら汗が噴き出る。これだけで「スゴイ汗」に思われて、大いにソンをしているところだ。
 カムレバーを外すがキズは少ない。交換後2万キロ程走っているがOKだ。むしろクランクケース上側の潤滑が不足気味。一応、ローラーベアリングへグリス を指に付けて位置を変えつつローラーを回転させてOKとした。
 ワイヤーへは、事前にオイルを通しているから、作動はスムースだ。遊びも適度にある。ワイヤーの伸び自体は少ない。
 1時間半で作業完了。エンジン回してシフトタッチを確認。愕然とした。カムレバーへの加工はアーム部分の角度を若干キツクしたことだけだ。微調整をやっ てOKとした。
 はずしたMAGRAの油圧キットを作動させてみる。ゲッ、スタックしてる。それ以上レバーを握るとオイルがシャフトから漏れてきた。以後は作動し始め る。あー、やはりスレーブシリンダーがエンジンの熱で炙られるから、内部のセパレーターなどに歪みが生じるのではないかな、とも感じる。やはり、ホルダー を別に製作してスレーブシリンダーを離して設置すべきであろう。ま、このまま保存だ。修理する程ゼニを掛ける必要もあるまい。
 さて、クラッチの微調整をしていつものテストコースへ。オー、素晴らしい。今までのギクシャク感がまるで消えてる。すばらしい。相変わらずアソビは少な いが、これまでは引っ張り気味のレバーが丸く収まった。これでいい。
 何もかもがガラガラと崩れる。早くやっていれば... 、とは思うが、異常がなかったんだからどうすることもできなかった。
 ま、これからもボチボチやっていくまでだ。そんなに壊れるオートバイではない。
 久しぶりに丸穂温泉。不思議なものだが毛穴の奥から汚れが取れるような気がするし、事実、汗の出方が違う。内風呂でシャワーだけだと、僕のこと、顔中シ オだらけになる。これが一切無い。やはり銭湯はいいな。
 帰りにサンクスで肴、中山で第3のビール。久しぶりにこれで楽しむ。そして、テレビで必殺仕事人を見て、今日はオシマイ。
 明日は選挙。どうなりますかね。

2010 年7月11日()くもり一時雨
 もなく開票が始ま る。NHKではすでに午後8時現在で当確が出る有様だ。なんのための選挙だろうかな。どうせ... 、としているのなら選挙に行かなくてもよかったのではないか、と考えてしまった。
 僕は相当に疲れている。ま、こんなものだろう。昨日のSR500整備の疲れでは決してない。バカにしてような感じがしないでもないが... 。
 今日の龍馬伝を見ていると、僕はどの人のパターンに当てはまるのか、を真剣に考えていた。僕はどちらかというと、饅頭屋のパターンによく似ている。この 歴史に「もしも」はないが、武知半平太がもう少し現実を見る目があれば... 、とかを考えてしまう。半平太にももう少し現実指向のブレーンが居たりすると変わったことであろう、と感じる。
 1日中家の中でゴロゴロしていた。外へ出る気にもならない。選挙も這々の体でやった。原因は簡単なことだ。バカみたいに出口調査をヤルものだから、嫌に なるのだ。ここで、みんなウソをいえばいい。開票前に当確が分かると開票速報なんぞ必要ないではないか。
 ま、明日になれば分かることだし、黄にしない方が賢いかな、と感じる。とはいえ、今の参議院の役目はどういったところにあるのだろうかね。

2010 年7月13日(火)雨後くもり
 日から冷房完備の 職場になった。これはこれでいいのだが、今日は夜の会議で冷房風の直撃を1時間程度受けたので、身体の調子が一気におかしくなる。若いときには考えられな かった。
 昼間一度だけ業務で外へ出たが、これがなかったら1日中冷房状態のままであった。考えるとゾッとする。
 BORE-ACEからSR用の燃料タンク底上げキットが到着した。ご存知のようにSRはティアドロップ型の燃料タンクを持っているが、エンジンのシリン ダーヘッドを覆うタイプである。そのため、前方から来た空気は後ろへ流れにくい。それを防ぐために、タンクの後部をかさ上げする物だ。
 別段変わるものか!、と多くの人は言うと思う。が、トライアンフT-140Vを持っている僕としては、その効果をT-140Vで知っているから、この製 品を導入しようとしたわけだ。今度の土曜日にでも装着することとしよう。
 数値からの理論漬けではないだろうが、こういった確固たるパーツを生み出す人は奇才だろうかな。
 夜の会議は26℃の冷房風をダイレクトに浴びた。そのため再び身体がおかしくなる。一杯やったまでは良かったが、まだおかしい。
 結局、カレーを食べて汗が噴き出してきた。最初はおかしい気分だったが、しばらく後、「助かった」と思った。
 NHKの歌謡ヒットパレード、青江美奈の「伊勢佐木町ブルース」を“山口かおる”が歌った。一瞬ゾクッときた。彼女のアルバムが出たら購入しようか。
 食べ物と言えば、NHKテレビの「天使のわけまえ」がいい。自分で料理できる僕からすると、僕自身少しずつ元に戻りつつあるな〜、とも感じるところだ。

2010 年7月14日(水)くもり時々雨
 からとんでもない ことが始まる。8日の職場会議で二五長からアンケートの宿題が出た。その提出締め切りが今日であった。僕自身は文章表現とした。もう一人の管理職はそれで 提 出した。今日中に出せばいい、と思っていたところ、あの方がヤンヤの催促。しかも、簡単に記せ、ときた。午後5時までだから書き換えしろ、と も... 。
 タイミングの悪さも合わさって、職員の一人が明日の早朝業務のため直接津島へ行く、とあの方へ報告すると、「こんなのはもっと早く言ってくれ」という。 業務の大筋と、誰が受け持つかも言っていたし、明日の時間のことは先ほど聞いたから報告したのだ。それを逆なでするように、早くしろ、の後、何をいったと 思う。大胆にも「上司がダメといったらどうする?」とね。
 「コノHors Deerが〜」はっきり言って無視すべきだし、こんなことしか言えないのなら報告なんてしない方が いい。どうして、「解った。ご苦労だな、巧く行けばいいが... 」と言えないのか?。
 僕自身再び切れそうになった。「行くな、とのことですよ」と十三係長へ報告すれば、あの方の立場は灰燼に帰する。
 その後、職場の状況についての思いをアンケートに記載した職員に対して、その内容を問う、という一件が起こった。アンケートに対してのヒアリングか?。 不思議なことだ。
 同時刻、関連業務について他課から数人が足を運んでいる。そちらを優先すべきなのに、それを待た せてまで、あの方の... 。
 記名のアンケートだから、二五長がアンケート見て、質問があるのなら、記載者から直接考えを聞けばいい。あの方が内容を○△して■◆に応用するとは思え ないものの、何か嫌な思いをする。
 ともかく、「率を上げよ」ばかりがはび こる。県下の自治体の状況は一定ではない。その上に、0.25〜0.43%の違いでランクは1〜2番上下するのだし、当市にしても、合併前の状況と貧乏所 帯が一緒になった後の今の状況は悪いに決まって る。そこを何とか改善したい、と職員側は考えてるのに、職員にハッパばかりかけたところでどうにもならない。
 僕は今回のアンケートに、住民へ納税の大切さを市として説いてまわるのも納税意識向上のための方策ではないか、とも記載した。またぞろ、職場を変わりた くなった次第だ。
 ま、僕の救いはBORE-ACEの燃料タンクアップキットがあったから。このキットでおよそ3cm程度燃料タンクの後ろが上がる。エンジンの冷却風 が... 。楽しみだな、この土曜日が。

2010 年7月17日()はれ時々くもり
 房殿は6時からの 早出の様子。僕自身はSR500の整備を午前中にこなすため、いつもどおりに起床。朝食の後8時半から作業開始。
 昨日の確認走行に加えて、オイルラインのフィード側に放熱フィンを装着した。オイル循環の確認をした後、走行テスト。オー、股座の熱さは左右の太ももの 内側へ来る。テストコース中、ヒンヤリ環境の奈良トンネルを走ったが、走行風と向かい風が一体になったときに若干熱さを感じる。
 昨日のテストは信号待ちでモアーっと来たけど、今日は向かい風の時以外は感じなかった。
 帰ってキャブレター周りへ手をかざすと少しばかり驚く。黒い樹脂パーツは確かに熱を持っているが、それ以外のキャブレターのボディーなどは全く冷たいま まであった。
 アルミの薄板でエンジン後ろへV型整流板を加えるともっとイケルのじゃないだろうか、と感じた。アマチャンの発想だ。
 書店でハイパーバイクのSRムック本のNo.2を購入。MUNROさんもおっしゃっていたが、同じ車種ながら総合誌として第2巻が発刊されるのは凄いこ とだ。
 しかし、宣伝部分もやはり多い。とりわけ、オレブルの直立エンジンマウントの改造は、僕の考えだとダメだろうな、と思う。
 単純な理由は、吸排気の流れがSRでは前傾エンジンとして成り立っていること。混合気の吸入は上から下へ向いてる。純正のBST54のキャブレターでも TMRタイプのスタイルだが、実際は、少々インテークへ角度が付く。オイルラインについても同様だ。
 特にシリンダーヘッド内部の上から下への角度化した設計だから、単にエンジンマウントだけを直立としても微妙なところはアンバランスになる。おそらく、 補記類の付いた現行のEFIタイプのSR400では無理だし、SR500でやると、振動係数などが異なるため、僕自身の判断としては走るマシンではない な、と考える。
 さ、今日から梅雨明け。久しぶりにオートバイに乗った。どうやら夏場も乗り切れそうだ。僕のSR500は14年目を迎える。

2010 年7月20日(火)はれ時々くもり
 かったです。仕事 は想像以上にスッタモンダあって、結局それに振り回されて何もできなかった。でも、通常業務はこなす。外へも出る。
 ヘルメットの中がムンムンになる。ソコソコの機能を持った廉価版のヘルメットがないね。今はツーリングのJIS B種クラスのを被ってるからジェットタイプ。空気の流れはあるものの、走行する速さが違うから役に立たないのである。
 夕方からは全労済の会議。その後、ゲルマンへ寄って商店街を帰ってきた。フト、ガイヤの練習見てると、本末転倒だな、と思ったところだ。
 和霊様のお祭りというのは解るが、うわじま祭が、どうもイマイチだから、前夜祭をこれこれこうこうでやりたい、といった目的から生まれたGaiya On The Roadではなかったのか。
 23、24日は活気があるといったところで、かつての状況ではないし、市民の多くは「祭なんて関係ないよ」であろう。ゼニを稼ぐ方が好ましいのだ。
 肝心要の和霊神社との良好な関係が戻らないまま祭は進む。何かやりきれないな〜。
 そうだそうだ、秋は産業まつりなどがあるのだから、この宇和島牛鬼まつりは春にやればいい。そろそろ和霊様から離れての真の市民祭にすればいい。それが ないから、この地方は「松山まつり」に負けてばっかりなんだ。

2010 年7月21日(水)はれ時々くもり
 月のこの時期は、 どう考えたらよいのだろうか?。学校では1学期の終了式、楽しい夏休みの始まりなどなど。僕自身、和霊様のお祭りだ、は小学校の期間と中学三年生の時、そ して高校三年生の時以外は、全く関係のない世界であった。「地方を大切に」が芽生えたのは仕事について二年目からであった。
 そのとき、過去を振り返ると、ふるさとの全体を上げての行事に、たかが日本一程度になるかもしれないクラブ活動にうつつを抜かすのは、学校側の望みの考 えだけではなかったのか、と思い始めた。
 息子が誕生し、地域の愛護会などで僕自身も活動し始めたとき、学校の底知れない恐ろしさ、というか分厚い上に高い壁を知ることになる。
 純粋に児童生徒のため、地域のために協力してくれる先生が飛ばされる。その逆に理解のある校長だ、と思ってた者がトンデモナイくわわせ者であった り... 。今でも教育委員会や県の学校運営の在り方には疑問を感じざるを得ない。
 障害を持つ人たちのスペシャルオリンピックスのトーチランも実行段階で同様に、逃げ回る高校教師、人員配備などから単に協力団体だけなのに、労働組合が 関与しているのだから辞退しろ、と命じる上部の考え方を目の当たりにしたし、何とも歯がゆい。
 たとえば、NHKの素人のど自慢。これにこの辺の公立学校の教員が出場しようとなると、大変なことになるであろう。決してウソではない。
 そういった者を教育のトップに据えている宇和島市では、地域行事の祭など無視されても致し方のないことであろう。いわば、県立高校をトップにして、公立 学校自体は県教委の何とかで、動きがアヤシイ者は無視されるわけだ。無視されるのならいいが、自らの進退を選択させられるのは必至だ。退職後に横柄な態度 を振る舞うのも、エリートクラスの教員が覆いし、常に一般人より偉いんだ、というプライドを持っている奴も覆い。
 この地方で、一番信用できないのは教員であろうな、と今でも僕は感じているし、先生そのものを一般社会での人物として信じたことはない。愛護会、PTA ででも僕は相当にやられているからね。
 いかがだろうか、今年のガイヤで、学校の名前が出ているチームはいくつ出場するのだろうか。ウラの理由付けで参加できないようにしているに過ぎない、と 僕は感じている。
 残念なのはこういったことが表面化しないし、数年前の殺傷事件以来、門扉を閉ざした校舎など、ますます一般と学校の関係が疎遠になっていることも、この ことに一層の拍車を加えている。
 僕自身がこういったことを言うと信じられないかもしれないが、事実だ。旧町の学校では、自治体の合併後、このことが一層顕著になっているのではないだろ うか、と思うのだけどね。
 オーット言い過ぎか?。昨日のことと相反するか?。明日からの祭が楽しみだ。多くの生徒は、祭とは関係なく部活にはげ宇野だろうね。1日や2日休んだと ころで、アンタの技量は衰えやしないよ。

2010 年7月22日(木)はれ
 い一日であった。 暑いに加えて、熱いが加わった1日だった。そもそも、朝の目覚めは良かった。昨日は少々思いのほかを申し上げたが、当たらずも遠からずだ。高校野球の応援 関係は終わった学校もあるのだから。
 目覚めは良かったが、風がない。これには参った。ひんやりした未明の空気は北から上る朝日に一発でかき消される。
 いつもの時間に出勤すると、すでにガイヤのメイン会場の準備は出来上がっていた。いつもながら段取りが速い。少しばかり規模を縮小したようにも見受けら れるが... 。
 職場に行くと、みんな祭りモードだ。僕など吊り下げの名札のため、汗でぬれるが嫌なので、モーニTシャツは着用していない。想像だが、オリンピックの金 メダルも、リボンが汗で濡れると変質する。これも防ぎたいところだな、と僕は考えるのだけどね。
 そういえば、先日愛要のヘルメットの内装を洗濯した。ドス黒い水を見ると、空気中の汚れが汗と皮脂にまとわりついて汚れた結果であろうな、と思ったとこ ろだ。こんな道路を走っているのだから、僕自身結構丈夫にできているのかもしれない(爆)
 泉ケ森に夏雲がかかる。いよいよ夏の到来か、というところである。
 ところが、昼前から状況は一転。お隣のおばあちゃんが他界した。葬儀が明日なので結構つらいものがある。ま、喜びよりは弔いの方が大切だからいたしかた ないけど、明日の予定が大きく崩れる。
 夕方からは、ガイヤの撮影。いつものスタイルでやる。知り合いの踊り順がうまい具合に10版違いで、商店街の下から上へ一往復ずつで時間がフィットし た。デジカメはレンズは明るいものの、スポットでショットが撮れない。AFでは動きが速いから止まらない。ストロボ焚くと城ヌケするのだ。やはり暗いレン ズを持ってこないとならないかな〜。
 撮影を終えて、残りは酒道場のケーブルテレビで見た。全体の終了もいつもより早い。閉会式後の海産まであっという間だ。余韻が残らない。それゆえ、前夜 祭かもしれない。

2010 年7月26日(月)はれ時々くもり
 祭りの後、今日は 「ご苦労様でした」などという会話が聞こえても良いのではないか。それは一切無かった。
 代わりに、いきなりきた。会議をヤルってね。フザケんじゃない。こちとら催告発送日の今日に間に合わすために土・日に仕事してんだぞ。最初からアッタマ に 来る。
 会議ったって、職員からの希望を纏めたもの二五長の発表だろうが。その纏めは管理職でやってほしい。係長としては、職員側を優先するのが役目と考える。 僕はそういった考えだ。
 今やっていることは、職員全体として精一杯だと思う。なおかつ、税収をアップするには、今後こうやれば良い結果になるのではないか、といった内容のアン ケートであったはず。「この結果になった。一応説明する。後は、課として収納率を上げる方策の意見 を纏めてくれ」と二五長も言うし、僕もそれなら話は分かる。
 第一に、提出の際は記名であった。あの方へ提出だったので、僕は全員のアンケートを見ていないのだし、それが、こういった意見(アンケート結果)ゴモッ トモです。なぜできない。やろうとしないからだ、などなどをあの方がおっしゃるから再び迷路に入る。
 先ほどのように、係の意見を纏めて... 、と僕が言うと「オレの言ってることが間違ってるか?」とも、あの方はおっしゃるが、ご自身が勝手にやったことではないか、良い も悪いもない。しかも、幹がなく子葉がばかりが多いから、幹が覆い隠されてしまっているようにも思う。その中で、係長が... 、これはできない。
 ま、中庸をとって、29日までに僕の考えを纏めて文書で提出してくれ、という玉虫色のことで終わった。これに費やした時間が2時間半だ。その後、フー フー言いながらこれ までのことをこなす。午後6時近くまでやって、一段落。ついでに多くのものを処分した。
 人様のゼニを何とか出させる。課税のように簡単にはいかない。僕など人が良い、と言われる。が、一円でも多く 集める。これに加えて、納税者の動向を知る。これらにマニュアルはない。それゆえ、僕のキャラクター出したり、法律はともかく世間話をしたり... 。
 今の作業を根気よく続けるのみだ。これ以外にイイ方へは向かない。僕自身、一つのことを上げて、一つの指針を出す。これしか できない。
 では、当課の方針は... ?。あの方が就任して、「自分の考えはこうだ」もなかった。「何とかしたいんだが、考えを出してくれないか」もなかった。
 もう、こういったことを記載するのは止める。記載したところで、おもしろおかしく、あるいは、公務員だから、などの声が聞こえてくるから。自治体労働者 の我々はこの保守大国では何もできないのだな。
 住民に対して、税金の重要性を説いて回れ、とアンケートに記載したが、望み薄だろう。
 軽自動車税も納めない奴の原付が堂々と走っているし、軽四の税金は車検を受ける時でいいや、という住民に対して「税金納めてからモンクを言え!」になる までには向こう20年ぐらいかかりそうだ。

2010 年7月27日(火)はれ
 訝な顔をされるこ とはある。昨日の一件から打って変わって本日の松山出張。朝、MacBookを立ち上げ、自分のHPの状況を見ると74999であった。タイミングの良い ときに開けたものだ。最近のカウンターは更新ボタンを押しても数を上げられないになっている。
 会議の用務は2つの会議をこなす。議長役を務めた会議は、もう少しやってやってもいいな、と感じてしまう。何かしら昨日のことは無視してもいいようにも 思うものの、昨日のことが重荷になって、それどころではない、という若い人が今は一杯いるのではないか。その方々が次代を背負っていく。大丈夫だろう か?。
 労金の支店長にご当地ソングを聴かせる。こういったのをベロタクシーのミュージックにしろ、との提言を受けたりしたが、僕自身は無駄な抵抗止めましょう に重きを置いてしまう。それほど唄も歌手も知られてやしないし、何処かの放送局へリクエスト出しても無視だろう。
 こういったものも機会ある毎に... 。無理だろう。歌手は今50歳代だ。その方々が前面に出てどうのこうの出来るわけ無い。決して過去の栄光を引きずっているのでもない。僕のようなDig itをやってるだけの趣味の世界に通用するだけで十分であろう。
 聞かせるのじゃなかった。辛さが先に立ってしまう。これが現実だろう。実際に輪島千代子、島 和代の今は知らないのだし、そっとしておいてあげるのがい い方法かもしれない。
 歌謡曲のヒットと人気を継続させるいうのは難しいものだ。

2010 年7月30日(金)はれ
 て、再び松山出 張。一応、7月および8月の出張用務はないものと思います。
 前回は労金の用務でしたが、本日は全労済の総代会。制度変更があったため、休憩を2回挟んでの少しばかり長い会議になりました。
 退場前に全労済の職員を見るとあんなに若い方々だったのが管理職になってる。20年の間、採用人数も結構少なかったのでしょう。同様に参加者にしても、 ある程度の年齢のいった方々ばかりで、県下の企業などでも一般職の第一線の人たちはずいぶんと高齢化しているのだな、と感じてしまいました。職員の構成人 員が一定ラインを描いていないと、退職者を支えられなくなって... 。破綻は早い時期に来るのではないでしょうか。

 朝はやはり緊張しているのでしょうか、どうしても早く目が覚めてしまいます。前回同様の装備で出かけるのですが、これが... 。
 昨夜、無性にメシが食べたくなって、午後9時頃から炊いたんですよ。結構いい仕上がりになってね。昨夜は鯖の味噌煮の缶詰で遅い夕食を摂りました。
 シャワーを浴びた後、昨夜自分で炊いた麦飯の卵かけご飯とアサリの味噌汁、それにジャコの佃煮の朝食をいただきました。これで、満足しました。
 どこかのお医者さんが言ってらっしたのですが、日本人のお腹の調子を整えるのは米飯が良い、と。が、最近は上手くメシが炊けないのですよね。弁当とって もメシが堅めで上がってます。

 ここまでは良かったのですが、疲れがどっと出てきて、眠いのなんのって... 。
 そういえば、昨日は、午後からほとんど係員が外へ出かけていて、留守番役ばかり。こういったときに限って、私の担当範囲外のところから電話がかかってく るのですね。午前中にあった市外在住の軽自動車の所有者からの押し問答のような電話には疲れました。何とも相手が電話を切らないものだから、何処まで粘れ るかのやり合いです。30分程度喋ったでしょうか。相手が根を上げてくれたので助かりました。
 後で聞くと、結構ヤバイ滞納者のようで、私が買ったと言うことでしょうか。以後、納付がないと再び廃車と滞納の押し問答になるのですけど... 。

 そんなこともあってか、行きの列車は十数分眠っていました。これが功を奏しましたね。帰りの列車では十分にタイプできました。
 列隣の座席に関西からの姉弟の子どもが乗りましてね。引率はおばあちゃんでした。この子等がまぁ、マナーが悪いというか、75%近くの乗客が居ても平気 の平左でテーブルを出したり出たテーブルを靴を履いた足で押さえたり... 。姉の方も注意しない。私はシバイてやろうか、と一瞬思いましたよ。
 今の経済状況の次代では課程でマナーなんぞ教えること自体ができないほど余裕がないのかもしれません。こういったときだからこそ、となると軍隊復活にな りそうですね。国が失業者を雇う。軍隊で3〜5年優秀であれば、退役後の道が開けるアメリカのようなシステムを密かに計画してるかもしれません。

 車中、大図病院を見ることができました。宇和島病院と比べるとずいぶんと暇そうです。内子には加戸病院が出来るそうです。八幡浜・大洲・内子に総合病院 が出来るのですから連携など撮れないものでしょうかね。医療そのものも経営がどうのこうのになりつつありますから、うかうか病気にもなれない。国民健康保 険は最悪の場合に使うぐらいに考えないとならないかも... 。

 ま、こんなことを考えつつの車中でした。宇和島に着いて再びモア〜っとした熱気。これが南予の夏です。明日はどうなりますか。

2010 年8月3日(火)はれ時々くもり
 れだけ記載しな い、と申したが、書かないとまたぞろおかしくなってしまいそうだから... 。本日もあの方の大半のパフォーマンスを示して二五長を交えての月始めのミーティン グが終わった。僕などあの方から言わせると成績が悪いからワースト5に入っている。職員の一人、あの方が整理した資料には記載漏れがある、と指摘したら、 それ はそれで、今はこの資料に基づいて... 、と訳のわからんことをノタマウ。誰も聞かない。
 グラフにしても同様。担当地域も違うのに、昨年までの成績と今の成績とを比べたって屁のツッパリにもならない。唯一大きく変わっていない者の数値はほぼ 昨年と同様であった。こういった分析はやらないのだからね。
 このミーティングの後、二五長から「アンタもやられたね」ときたので、ウチでも女性職員が2人ほどキレそうになったよ、と今日のことが冗談ではなく、本 当に日常やられていることなんだ、を少しだけアピールしたのだけど... 。
 休暇の取得について、1日の終業時間数7時間45分と1日休暇の計算とは15分のズレが生じる説明するのに、御自身の間違った考え方=思い込 み、を押し通そうとするものだから... 。
 同様に、仕事の中で「この件とこの件は同時に来るのですよ。その処理が違うため大変なんです」と報告すると、それはおかしい、から始まっ て、これはこうすればいい、との自論を出すものだから、再び元に戻っての堂々巡り... 。あの方は、討議する内容を本当に理解をされているのだろうか?。
 で、あの方からすると僕も職務怠慢らしいから、僕自身、この傾向が続くとマジで「▽△願い」を出さざるを得ない。その時には堂々と理由が記載できる。
 話は変わって、県外の方から納付相談、固定資産税だったため、その調査で津島支所と嵐の現地まで出かけた。再び過去のことに触れるのはつらいが、何かお かしいような気がしないでもない。かつての景気の良かった時にきちんとやっていなかったツケのようなものが今になって出てきた、というところだろうか。
 夕方、久しぶりに丸穂温泉へ出かけた。どうも、汗が汗腺の奥から出ていないような感じがしたからだ。案の定、素晴らしい汚れが出てきた。妙なもので、以 後の汗の出方が違う。やはり、銭湯はいいな。帰りにいつものを買って、しばしのひと時を過ごす。
 ちっぽけなようだが、至福の時だ。高校性当時は、この時間帯が部活。帰宅して夕食。その頃の銭湯は午後10時まで営業していた。9時半になっていくと追 い立てられるように 入ったものであった。なつかしい。

2010 年8月6日(水)はれ一時 雨
 島に原爆が投下さ れた日を迎えた。今年は駐日アメリカ大使、国連事務総長が参加される。あの時から65年の月日が経過している。
 今年のこのニュースは事前のものが多く、当日のものは夕方以降のものが今日の式典の様子を主として伝えている。が、どことなく空々しい気分になってし まった。僕自身も齢60を前にしている。かつては「東京オリンピックを知ってるか?」で十分通用するメンバーが周りに一杯居たが、今はその40代後半から 50代半ばの知人が居ない。若者に至ってはロサンゼルスオリンピックでも相当古い感覚になってしまっている。それほど全体としての時の流れ方が速いという ことだろうか。
 とはいえ、広島はウランの原爆、長崎はプルトニウムの原爆ということの区別の無さと、原爆は地上に落ちて爆発するもの、と思われている面もかなりある し、今日は何の日?、と言われても「さぁ?」で終わるのが、今の日本であろう。
 午後と夜の始、少し強い雨が降った。まるであの爆発後の雨のように... 。いや、昼間は青空が出てきたので、これは少しばかり打ち水になったかもしれない。
 少し言いすぎたかもしれないが、5時間程度で広島へ行ける時代だから、じっくりと向き合うなどはできない時代になりつつあるのではないだろうか。間もな く来る8月15日は?。
 さ、昨日、日記を記載しようかと思って、先に上げたロス五輪では、初めて女子マラソンが行われ、アメリカのベノイト選手が優勝したが、最下位のスイスの アンデルセン選手のことの方が取り上げられたことなどの文章まで作っていた。
 が、退庁前の嫌な電話。その話は僕がまとめたが、根本の問題を話してなかったことへの自責の念が大きく支配してしまった。
 おまけに、職員の動向の問題もあって、再び仕事の内容が変わりそう、という件もあり、実際のところ腹具合までおかしくなってしまった。そのため、ガック リ来て寝てしまったのであった。
 今日も未明に起きた。あれこれまとめをやって、想定問答まで... 。しかし、実際はあっけなく終わった。担当職員とサポーターの職員に助けられた格好になった。彼らとの昨日の話では、僕に不安を持たせる一方の話であった が、僕自身を立てての上だから、そうもなりうる、ということであろう。その意味からすると今日はうれしかった。
 またぞろ、翌週ぐらいに電話があるであろうが、上司は助けてくれないであろうが、本日と同じような考え方で行くのみだ。
 しかし、この職種も何かしら対人関係と金が絡んで、精神的に参ることもあるのではないだろうか。それを職員としての権利行使をやりつつ、市全体の職にと どまるべきだ、と僕は考える。僕らにはこの職しか生きる術がないのだから。

2010 年8月8日()はれ一時雨
 から胸騒ぎ。とい うのも、adidas YOKYOとOnitsuka Tiger DS-BKの新品をSスポーツ店の棚の上に見つけ、それを着用しスターティングブロックに足をかけた時に目が覚めた。寝起きの姿を見ると、横向きで見事に そのスタイル。思わず吹き出してしまった。体調の関係からか、そろそろ身体活動を開始すべきとの暗示かもしれない。
 そういった調子で、朝はブログの原稿などをつくる。そして、東高の高校野球。最初の2点が痛かった。とにかく打てなかった。想像だが、相手投手の球のア ウトコースは手を出すな、など、監督が協力に伝えるなどがなかった点などが攻撃側のダメだったところだろう。
とにかく、負けは負けだ。が、監督も行けなかった甲子園球場でプレーしたんだ。これこそが、ダグアウトへ入った選手、関係者の一つの大きな歴史であろうと 思う。一生のうちこの機会は高校3年生には二度と来ないのだから。
 多くは語らないが、僕はフジスピードウェーをクラウンに乗せていただいて走った。13Bのロータリーサバンナが横に開いた排気口から炎を出して走ってい く。Z-1の改造レーサーが音とともに走ってく。それを見ている。
 したがって、実際のこととして体験が伴わないと、いくら申し上げてもダメだ。このことを長崎、広島の原爆に例えても、実際にそれを体験した方々に、数人 でもいいので集団で体験の発表の席を設けていただきたい。語り部としてのことだけでは断片的でダメだ。
 原水爆禁止関連の事項が盛んであった頃に数回あったかもしれない。ここ5年の間でそれをやらないと、真面目に原爆投下で被災した方々の真の声=体験は聞 くことが出来なくなる。
 実際を経験するということがどれだけ大切なことか、そして、いや、これ以上は止しておこう。
 そういえば、昨日は立秋だった。太陽も南へ進み出して、日の出が若干遅くなってきた。間もなく秋の気配が。今年は冬が早いかもしれない。

2010 年8月11日(水)はれ一時雨
 、何かありそう、 と思ったが、お盆は別にして今日しか休めないから午後から休む。2〜3軒お盆のお参りをするも、コチトラも初盆なので、実際のところ噛み合わない。もし、 13日〜15日であれば良かったが、その時はこちらが大変だ。ということとで、秋の彼岸の入り以降、あいさつに出向くこととした。
 実際にね、昨日のNHKではないけど、シンドラー云々ではないが、この一件に関わることを僕に原稿を書かせておいて、その後はご自身がやる。では、僕の 文章は「アンタのアレ は何なのさ?」じゃないか。今日も、タイプしましょうか?と言うと、自分でヤル、とおっしゃる。ところが、起案は僕。ナンダカナ〜。係長の方が詳しいか ら... 、で始まったんだ。
 アンタはこの課のトップでしょ。総務部長飛ばしてでも副市長へ食ってかかるべきだ。が、それは一切ない。故にどれだけ文章で訴えたところで元の木阿弥に なりそうだ。気にす ることはない。あの方が上に掛け合ってくれていればよかったのだが... 。
 菩提寺の選仏寺へ。幸いにも地面にはクサがなかった。これでお盆前の墓掃除はしなくてもいいということだ。

2010年8月16日(月)
 13日の金曜日から 昨日まで全く余裕のない毎日であった。職場で誰もがお盆と他の行事のために休むものだから、僕の方が立場上休めなくなってしまった。そのため、13日は前 の日の夕刻に買ったシキビを朝の4時半からお墓へ持って行き、その後で仏壇他部屋の掃除と準備をし、その日の16時15分から1時間だけ休んで、位牌堂と 仏壇へ供え物をあげて、ようやく落ち着いた。汗みどろのことであった。一息ついて、ようやく迎え火を焚いて御先祖様をお迎えできた。
 14日は、午前中ほぼ時間通りに和尚が来宅し、お経を上げにきて後はスンナリ。が、この日は相当に暑いし、関係者のところへの墓参りは、こちらの初盆と いうことからご遠慮し た。ま、いたしかたないところだ。
 しかし、脱水寸前。汗が出た後のモロモロがつらい。こういったことは昔はトンと感じなかったが... 。
 15日は、義父の初盆。燈籠仕舞いなどのことを含めてのお包みとしていただければいい、と思う。それから平和集会へ。一息ついて、午後7時過ぎに送り火 を焚いた。
 と、まぁこういった具合で本当に大変な3日間だったわけだ。
 今日は、夏真っ盛りの上天気。といえども、今は暦の上では秋なのだが、今年はどうも夏がずいぶんと尾を引くようだ。そういった中、お墓へ行って、汗を シャワーで流して気持ち良くなる。
 しばらくすると陽光が射してくるのだが、これが日とともに毛山の稜線に沿って高い位置からの日の出になる。そういえば、昨年末か本年初春にこのことを記 載したはずだ。
 さて、最近はゲゲゲの女房を見て家を出ている。理由は簡単。職場に冷房が入る時間に合わせる苦肉の策だ。特に月曜日は窓を閉め切った上に24時間稼働し ているOA機器の発熱のために、一歩足を踏み入れた途端にげっそりしてしまうのである。
 ま、嫌々ながら出向くのだが、ここ最近は到着時間が遅いから職員の多くが来ている。少しばかり落ち着くが、今日ばかりは大口が多くて少しばかり参ってし まうのである。その上に夜間の業務もこなすわけ。
 結局、何も自分のことができずにヘトヘトになって帰る。が、今日は、ここから少しばかり面白かった。というのは、担当区域を走っていたとき、知人の車の ヘッドランプを点けっ放しに していたのを発見。早速電話で知らせた。点灯時間が短かったのでことなきを得た、という次第だ。
 少しばかり古い自動車のヘッドランプのH4バルブだと、今日のようなきつい陽光ではバルブのセンターがタングステン球のようにオレンジ色に見えれば、確 実に点灯している。これを教えてあげたから だ。
 夜間業務から帰ってきて、シャワーを浴びて一息。残りものでご飯を頂き、MacBookをすこしさわって本日は終了である。

2010 年8月19日(木)はれ時々くもり
 くも木曜日になっ た。昨日より今日という風に、少しずつではあるが日中の気温が低くなってきている。夜間も同様である。昨夜は連夜の会議のため、少しばかり疲れて10時過 ぎに眠ってしまった。
 今日も夜間の涼しさも手伝ってかしら、5時過ぎに起きた。少しばかりさわやか。とはいえ、日中は夏の盛りである。これからしばらくは日中の雲が低くなっ たりしつつ、ひと雨ごとに秋が... 、とはなりそうにもないか。
 僕は相変わらずの時間に御出勤。今日もやられたのは自転車のマナーの悪さ。こちらがいくら注意して左側を走っていても、相手が並列で右側を走られる、僕 と同方向でも右側を平気で走る、こういったシーンに対処できないので、悪くはないのに一時停止などして引き下がらなければならない。家庭では、こういった ことを教える術を知らない保護者ばかりだから、学校ででも強力に自転車の乗り方と道路交通法を教え込むぐらいのことをすべきではないか。
 いくら交通弱者だと言っても、「軽車両」という立派な交通機関である。悪いのは悪いため、警察も少ない人数ではあろうけど罰するべきだ。
 そういえば、こういったことは学校行事として警察や交通安全協会から講師が来て教室を開いていたのをおぼろげながら憶えている。当時、白バイのS隊長に 横断歩道前に停止線がある場合、そこで止まると対面する道路への進入がしづらいのだが... 、と質問したところ、その答えがイカシテた。答えはこうだ。
 「停止線で止まって、左右確認、後方確認をやって、徐行して発信すればいい」である。流石であった。
 交通法規はやや野球のルールブックのようでもあるが、逆に言うと、ある程度は実際に運転することによって、それが理解できる仕組みになっている。S隊長 は長い期間CP-77に乗車されていた。最後はCB500Pではなかったか、と思う。最近はお見かけしないが、お元気でしょう。
 そうそう、和歌山のKさんから「英車の集ひ」の連絡がきた。残念ながら今年もSR500での参加になる。Triumphは来年車検を受けたい。退職後の ことを見定めて計画を立てないと、行き詰まりになってしまうから。
 10月の24日、会場は花園のふるさとセンターだ。そういえば、会場の近所の龍神スカイラインをスズキの隼で140km/hで飛ばす動画の主がとっ捕 まっていたな〜。会場までのワインディングロードはすっかりトンネルになってしまったが、今年はどうだろうか。

2010 年8月21日()はれ一時くもり
 が原案つくって、 あの方が修正して、それを上で修正されて... 、ようやく僕から起案か?。原文はすでに提出済みときた。重要案件なのに事後決裁かよ。と訳の分からない昨日の仕事内容。ハハーン、この件が上手く行かな いから数字に執着してんだな、と感じた。
 その後、組合関係の交流集会に出る。いわば手作りの肴での飲み会だ。冷房無しの部屋だから、帰るとバタンキュー。おかげで扇風機の我が家の方が涼しかっ た次第。
 今朝の目覚めは6時前。ホントにぐっすり寝た。でも気付くとアレをしなきゃ間に合わない、と夢うつつ... 。ハッと、今日は土曜日だ、とあらためて気付く状態。もう職業病少し手前に感じる。
 さて、本日は10時前よりSRを走らせて松野まで出かける。救援米の看板片付けだ。看板の在処が解らず苦労した。これで半日がツブレタ。
 SR500は快調だが、コリコリという音が出始めた。途中、松野〜鬼北まで走ることになったが、その後、帰りの道では出なかった。条件はそんなに変わら ないのだが、どうも気温が35℃を超えるとこの音は出るようだ。オイルクーラーか?。はたまたサブオイルタンクか?。どうするかは、これからだな。
 ニコンの新しいデジタル一眼をリリースするという知らせ。アホヤッてんじゃ無いぜ。あせなら固定レンズの大きい倍率ズーム付けた一眼レフにしろってん だ。またしてもキャノンに負けるのかね。ニコンのカメラでのデジタル部門はそろそろ独立させた方がいい。僕でさえ、古いレンズ、しかもAiのレンズでも今 の一眼レフには使いたくない。それほど、機器の技術進歩が進んでいる。
 夕方は大施餓鬼のお船流し。暑い中だが、お寺まで出向く。高校野球も終わった。間もなく夕暮れが早くなり秋の気配がしてくるのだろうね。

2010 年8月23日(月)はれ
 い一日でした。暦 は処暑らしいですが。本日私の脳ミソは爆発寸前です。真面目に次のようなものを考えました。
         

    宇和島市長 様



                職場異動について(要望)

 このたび、諸般の都合により、これからの今年度の四半期等、適宜の節目の時期に職場異動の希望を叶えていただきますようお願いいたします。
 その理由として、次のことを掲げます。

 1.現在の職場では私の役目は無い
 2.このまま退職までの期間をこの職場で過ごすことは、現状の方針に反すること
 3.これからの方針を継承するのであれば、当方の職は若い方へ譲るべきであること

 以上申し上げたことを早急に審議いただき、回答されるようお願いいたします。

とね。
 過激でも何でもない。僕には今の状況を打破するためには年齢的に難しいこと。それを無視してやるとすると中途半端で終わり、これからの課としての業務に 対しては継続性が中断されること。
 と、まぁ、こんなこと記載したとしてもオフザケめいていますね。逆に職場を守るために如何にこれまでの実績を踏まえ、(明確ではない)これからの方針を やって、いかに上手く纏めるのか。そのための裏工作をやらないとならない、という、全くバカげた世界が早ければ来年の3月。遅くとも5月まで続くのです よ。
 ま、僕がおもしろおかしく記載している、と思っていただいただけで結構です。

2010 年8月26日(木)はれ一時豪雨
 日は職員の退職に 伴う送別会を弁天町かどやでやった。結構やってしまって、僕はダウン寸前。ウエイトレスから「早く止めていただいたらいいのに」とも言われた。そりゃそう だ。ラストオーダーから30分以上過ぎてるのだったから無理からぬことだ。幹事はその辺わきまえておくべきであろうな、と感じた。
 その足で蛮可無へ行った。僕一人だったが、昨日は大入り満員だった、とママさんが言ってた。
 そんなことがあったので、今朝はムカムカがひどかったわけ。朝は飯が入らない。そのまま定時に出向く。前もって休暇を取っていた者も居たので、半数しか 出ていない。昨日の余韻は一切無い。これがつまらない。以前のように全体で二次会へ行ったりした日々が懐かしいね。
 昼飯は久々に大介のうどん。しかもザルうどんだ。これが美味かった。これが作用してかしら、トイレへ。出ました。快調です。
 その後、少し外へ出た。途端にスゴイ雨が来たよ。うまい具合に図書館で雨宿りが出来た。結局時間切れで、すぐに帰ってきたけど。
 後先になるが、今日は昨日と同様に口を開かなかった。仕事で必要なことなのに、電話で「いつ」とか言うと直ちにクレームが来るからだ。別のところから電 話?... 。
 帰りに宇和島原水禁の総会へ出て真っ直ぐ帰宅。自家製牛丼とニラもやしで夕食。酒抜き。久しぶりにノンビリ。
 NHKテレビの「みんなでニホンGO」を見て少し考えさせられた。ニホン語は難しいな。

2010 年8月27日(金)はれ一時雨
 日はアルコール (C2H6O=エタノール)を一滴も口にしなかった。このためか、何かしら調子がいい。ここ最近「ナイシトール」の残りを飲み続けていたが、何となく状態 が良かった。以前に飲用していた時は、内臓と身体状況とが著しく不一致であったため、下痢と便秘とが交互に来たりしていたのではないだろうか。
 でもナイシトールが無くなってから飲用を控えたのはなぜ?。単純な理由だ。それは防風通聖散と金額的にも違わないし、漢方薬の即効性をある程度知ってい る者からしたら割高であるということだ。ま、ナイシトールも二瓶ほど飲用してみて効果がない、と判断したら防風通聖散に変えてみられるのが妥当かもしれな い。
 いずれにしても、ダイエット効果を望むことは捨て去った方がいい。痩せ薬と称するやつはあまり存在しないようだ。むしろ安全なのは少しの量で満腹感が得 られ、なおかつ、それが持続するも のに食餌変更すればいい。ということは「米の飯を食う」ということに他ならない。この単純なことをやれば、まず痩せる。酒は日本酒を飲め。その時は飯の量 を減らせ。たまにはパン食もやれ、と普段の食生活をすればいいのだ。
 でも痩せない。理由は「出る量が少ない=運動不足」ということだろう。何だかアホくさくなった。
 さてと、ここ当分の間は職場のモヤモヤのことを申し上げた。本日は現場職員の意志統一。僕の想像しているものよりある程度柔軟性が保たれた。この点は僕 にとって少しだけ楽になった。
 しかし、ノルマは変わらない。その上にこれまでのやり方を大きく変えたために収入量が減った、となると... 。実は僕自身そこまで考えていたし、不満足な結果になることが分かり切っているから、あえて、それを出さなかった。数習慣前のこの原案作成時、確かにマイ ナスとなっても、それは一時のこと。結果は良くなるから、としたからに他ならない。
 が、これまでの数回の会議で、このことは忘れられてしまったように感じる。本日もこのことは出なかった。おそらく、マイナス結果になると上層部の思いを 率先してやってくれなかった。それは、僕に対して「職務怠慢」とまで言いかねない状況だからネ。
 最終段の責任は誰が取るのか。これが大ネックなんだ。今回の改革案では二五長が、ということらしいが、どうなりますか。
 夕刻からの連合のティッシュペーパー配布行動。これは無事に終わり。その後、労金関係の研修会。大きな役目を負わされたが、本部長が、僕の歌うSome Day Soonを知っていたとは恐れ入谷の鬼子母神である。
 やはり、人は一つのキャラで区別してはならない。が、▽◇の方は別だ。時代錯誤を未だに言ってやらせようとしている。命令で仕事をやっているんじゃない のだから。

2010 年8月28日()はれ一時雨
 日は日記を書けな かった。その要因はアントン・へーシンク氏が亡くなったという訃報をニュースで知ったからだ。
 いずれ特集を組まれるかもしれないが、ともかく、昨日に少しスライド。
 このニュースを知ったのは時間は忘れたが、何かのテレビ番組でのテロップからであった。とっさに僕の頭の中は「そんなに歳は取ってなかったはずだ」とい うことだった。数分後の定時のニュースは、この訃報を急に入った挿入ニュースとして伝えた。
 フト、このニュースを伝えたのはへーシンクのことを知らないアナウンサーであるが、淡々と喋るのは好ましいかもしれない、と。
 が、あの瞬間をリアルタイムでテレビ観戦していた僕としては、あのことをゼヒ伝えてほしいと感じていたのは事実だ。
 そのリアルタイムのあの時は東京オリンピック柔道無差別級決勝で日本の神永選手を寝技でへーシンク選手が勝った。その後、審判がそれを告げた後であっ た。
 いきなりへーシンク選手が立ち上がって、右手で何かを制していた。その後の「シッシッ」という動作で事の次第が判った。オランダの観客が畳に上がろうと して いたわけだ。カメラは反対側を捉えていない。
 外国の選手が、畳は選手と審判だけに与えられた神聖な場所であり、柔道の精神、お互いが挨拶をしていないので試合は終わっていない、とのことから母国の 人 の祝福であってもそれを制したわけだ。
 以後、数回の後のオリンピックの柔道無差別級で日本がようやく勝つが、今は体重別である。その後、へーシンク氏の勝利から世界の柔道への道が開けたし、 カラー柔道着の着用化も進めた一因であることも確かだ。
 もし、あの東京オリンピックで、あの行為がなかったら、今以上に格闘技のみが抜きんでた格好の柔道競技になっていたであろうと思う。
 ま、こんなことがあって、僕は46年前を想い出していた。この年は、タウン情報誌「きずな」にK君が出ていた写真の前になる。というのは、この年の春、 拙宅の前が舗 装されたのだ。つまり、「きずな」のあの写真は昭和40年代だ、ってことが判るのである。
 余談が過ぎたが、もう、「君は東京オリンピックを知ってるか?」 と問うと... 。
 よそう、いつも「あんたはそういうことを言うからダメなんよ」と僕より少し若い人からたしなめられる。
 これは事実であろう。が、あのシーンをテレビででも見た人が、今少しずつこの世から居なくなっている。この事実からすると、決してバカでも何でもない、 と僕は考えている。僕自身が59歳という身でありながら、若い頃のことをバカのように言わないと、今の若い人たちは、本当にダメになりそうな気がしてなら ない。それが家族の中でのコミュニティーであってもだ。

2010 年8月30日(月)はれ一時雨
 明に雨が降った。 今日まで6日間、1日のうち一度は雨を見る。CCRの「雨を見たかい?」などとは違う。以前、ペーパーベースの小誌に「雨を見たかい?」の直訳を出して不 思議な歌詞だな?と思っていたところ、その雨は「ナパーム弾」であった、という何とも間抜けなことをやって赤面した憶えがある。ふと、そんなことを思い出 した。
 ここんとこ、日記に書ききれないことがある。昨日もアップしようかと思いつつ、午前3時ごろ何かの拍子に左足のかかとを思いっきり右の足でトーキックし て、爪を少しばかりはがした。今日見てみると爪は着いているが死んでる。そのうち、下から浮いて新しいのが生えてくるのであろうけど、痛い思いをした。
 これを忘れてしまっていた。いつもダメだな、と思ってしまう。おかげで今日は靴を履く関係から少々状況がよろしくなかった。
 今日はだ、時ならぬことがあって、何となく「してやったり」気分になった。それというのも、金曜日の仕事の終わりから続いていた「これ」の結論が出たか らだ。
 それは、もう反抗は止めにした、ということだ。何と言うか、これまでは自分の立場で、ということを前面に出していたけど、それをする必要もないな、と判 断したからである。たった一言でね。その一言は「上司の言う通りにしていればいい」である。
 これまでは、ここで相当に我々の立場をどうのこうのすることを考慮していたけど、先般の会議でその必要もなくなったようだったし、そこまでおっしゃるな らそうしましょ、として、ただちに作業開始。
 結果を見て「文句めいたことが出なかった」からに他ならない。随分気分が楽になった。残りは対応するスピードだけだ。
 さて、またしても雨。これが嫌になる。朝に加えて昼間も来た。その合間を縫ったように用務で出て行く。降りそうになって慌てて帰ると晴れ間が広がる。た まりません。結局タイミングを逸した次第だ。
 さて、間もなく9月。そろそろ運動会の季節だ。まだ予定は出ていないけど、高校がとにかく早い。嫌になるぐらい。こんなことなら、この季節に運動会は止 めればいい、とさえ考えてきだした。
 昔の高校の運動会は素晴らしかったし、中学生の僕は前年の高校の運動会を参考にして盛り上げようとしていたものだが、今は生徒の席などは業者が造ってく れるなど、ずいぶん自己努力などしなくなった。どうやら、あくまで学業優先の世界のように感じられる。
 高校生が何も感じない運動会になり下がってしまっているのが現状かもしれない。

2010 年9月4日()はれ一時小雨
 は8月31日、一 人の職員がその日付けで退職した。何とも虚しい気分になる。もう少しばかり早くに通知してもらっていれば... 、と思う。今になってはどうすることもできない。僕も退職の件をちょくちょく言っているけど、今の職務については、しっかりと後に引き継ぐようにしておき たい。
 その日の午後、すぐさま席の配置変えがやられる。年功序列だそうで、もう気にすることもなくなった。
 それで迎えた9月。さっそく新しい臨時の方が来ている。当方も仕事でのパソコンのシステム変更の研修が終日あるため、日中は昼食後の休憩時間にも出向か なければならない。その上に夜間の業務をこなす。
 マジ、その日は帰ってパソコンすら立ち上げることなく完全にダウンになってしまったところである。
 で、昨日を迎えると、またまた9月1日のぶり返し。私しゃ一人にかかりっきりになれないのだから... 。人の性格にもよるけど、コンピューターが使えるというのはWindows XPのホームエディションでワードとエクスプローラーとアウトルックがさわれるのが通常のはず。さすれば、仕事の端末はもっと簡単な操作なんだけど、そこ を理詰めでくられるのだから、対処のしようがない。僕にもわからない部分はいっぱいある。立ち上げたら、業務時間内はそのまま業務のホームページを立ち上 げておいてほしいまで、これって最初に言わなければダメか?。
 とまぁ、こういった調子で9月が始まったわけだから、結局、休みも取れず自席で残務整理ばかりしていた次第だ。
 昨日も同じように来る。業務の内容を理解していただいて作業を学習する... ?!。今はそんなこと言ってられないんだ。幸い、僕に2日の疲れはなかったので眠くはならなかったが、この新人へのイライラ感が精神上の疲れを伴って後追 いで来そうな感じである。そういったことで、この3日間はボワ〜ンとした状態のままであった。
 しかし、何かやっていないことがあると思って、昨日帰宅して午後5時40分頃からSR500を走らせた。例のタンクオフセットパーツで、太ももの内側が モワ〜っとくるのだけど、三間街道へ入ると日没でもあり、それを感じなくなった。エンジン快調。オイルクーラーの心配もない。この時は30℃をわずかに超 える程度だ。どうやら、この辺の気温でSR500のオイル循環状況におかしいところがあれば対処するといった事が解った。
 こういったことがあったので、今日は本当にノンビリと部屋で過ごした。9月になってもこういった天候だ。明日は高校の体育祭。もはや生徒での手づくりの 体育祭ではない。熱中症などの生徒が出ないことを祈りたい。運動会を初めとして、暮らしの行事をそろそろ昔へ戻す必要があるのではないだろうか。

2010 年9月5日()はれ
 日は県立高校2校 (内一つは中高一貫校)で体育祭があった。僕は10時過ぎからのこのこ出かける。これがね、カメラ2台持ってだから大変は大変。でも、到着すると学校間で の大きな違いを見つける。これが楽しい。
 東校など、学校の中へ足を踏み入れたのは30年ぶりだ。ここは一部を除いて何も変わっていない。グランドも相変わらずの狭さで、観客席も狭い。が、それ が功を奏してか、全体の一体感が強いな。進行も十分だし、流石に... 、と感じるところもある。
 次は、この間までの我が母校だ。中高一貫校になって統一後の生徒ばかりになった。何かしら高校時代を過ごした僕としては違和感を感じざるを得ない。各種 目を見てると学校主体の運営のようでならない。
 昼前に帰ってくる。昼飯は何にするか?不思議なことに今年は飲み過ぎの翌日以外食事を欠かしたことがない。職場で腹具合が悪いときに「ガンかもしれな い」というと、「もう少し痩せてから言ってくれ」と言われたほどだから、結構なことだ。
 夕方からはレッドブーツでシモダーズのライブ。ずっと以前、この日だけここへ来る客層の年齢が上がる、って言ってた人が居たけど、そのとおりだ、と思 う。いつものベンチャーズはモチロンのこと、ペイント・イット・ブラックやラブ・ポーション・No.9などとレパートリーも広い。国内ではテンプターズ、 ブルー・コメッツも。
 今日はゴンチャンさんがリードだったので、アイバニーズのギターとVOXのアンプ。久しぶりにフェンダーのギターを使用していた初期のベンチャーズサウ ンドを少し想い出した。
 と、こんなこと記載しても、知ってる人が少なくなってしまっているのだろう。1年に1度のライブだけど、いいね。
 そういえば、こういったインストバンドに歌手を入れてやって失敗したバンドも多かったナー。シモダーズは余興でやってもヴォーカルは無いだろうから、残 りは来年に期待しよう。

2010 年9月6日(月)はれ後一時雨
 変わらずの暑さ。 朝は昨日はしゃぎすぎたのが裏目に出て、お腹グルグル。ツイストって、結構内臓に対してはいい刺激になるのではないだろうか。
 組合の用務で時間給を取って市立宇和島病院へ出向く。公営企業法が全面適用の職場だから、職員側の組織も別枠に考えなければならない。したがって、組織 をもう一つ立ち上げたわけだ。その紹介を病院のトップに通知したわけ。
 今の病院は何か馴染めない。あまりに建物と機構が職員に対しては怖い気分になってくる。特に本庁、支所の職員にとってはね。
 さて、帰ってみると、大阪の八馬さんから山形の桃が届いていた。凄まじい位の品で恐れ入った。早速電話。相変わらずだ。今月末からはもう一つの大学講師 をやるらしい。業務内容はヒミツだけど、音楽関係。チトスゴイのは、7cm程度のハイヒールを履いて砂利道も平気で歩くし、スーパーばぁちゃんである。
 流石に今日は飲めなかった。そういえば、朝は抜いたし、昼はうどん。夜になると気分は良い。いつもながらのガラムマサラたっぷりのカレーを食べた。あの 臭いがね。セロリで崩せるかな〜。
 今日の鶴瓶の家族に乾杯。萩で出てきた中学生の吉田君が、将来は政治家になる、と言っていた。茶化したような言い回しだったけど、それは彼のキャラク ターで、新聞のスクラップなど、今から政治への第一歩を踏み出しているような気がして、妙に嬉しかった。

2010 年9月9日(木)はれ
 いのは暑い。当た り前のことだが、人間様のある程度歳の行った連中には少々このこと、つまり今日の天候のことは違う印象を受けたのではないか、と思う。
 まず、日の出が遅くなった。これは単純に毛山の稜線を太陽が東(南)に登り始めたからだ。この弊害は冬にやってくる。もしも、東の頂点付近から昇る冬の 陽の出が絶対にあり得ないものの、毛山の稜線が低ければ... 。この地方独特の冬の状況も変わってくるのではないか、と感じられた。
 なぜ、こんなことを記載するか?。簡単なこった。こういった陽の出のこと、学校の理科の時間に教えてくれるわけがない。反論するなら結構。理科の先生の 何人がネイティブの宇和島人だろうか。
 アホくさいことかもしれないが、教員は県の公務員だ。したがって、四国中央市の人が、南予の教育の一端を担っている場合もある。
 仮にそうだとしても、この方は休日にはこの地には居ないであろうことが大半だ。言いたくはないが、大超寺奥の愛媛県職員の寮があるが、ココの休日は人っ 子一人居やしない。みんな故郷へ帰っている。加戸君のいう県の何とか創りなど夢のまた夢だ。決して偏見でも何でもない。事実を言ったまでだ。
 みんな仕事以外は個人の方にリキを入れてしまうのだ。これは致し方ないのかもしれない。以前に僕が記載したが、三間勤務になれば僕は部屋なりアパートを 借りて、この地に住むぞ、と豪語した。今でもこの気分は変わっていない。こういった気分を持った県レベルの職員が居るかどうか?。
 不思議な世界だ。県レベルなら、やることは市レベルよりも簡単なこった。昔なら「愛媛県様々」であったが、今は県のご意向などありゃしない。
 かといって、内情は僕の言うようにはなっていない。この辺が、新しい知事が県職の管理職の多くを更迭すれば... 。
 ヒガミを言ったかもしれない。が、相撲協会の放駒親方が、表面上にはあまり出ないが確実な改革をやっている現実。こういったものを一般社会人はいい目で 見ている、と期待せざるを得ない。
 が、自治体は何処かに握られている。宇和島市なら愛媛県に、と言うようにね、その解明は一般人ではなかなか難しい。

2010 年9月10日(金)はれ
 朝はめっきり秋め いて、スッポンポンの老体にはチト涼しいものであった。それもつかの間、晴れ上がった空はいつしか夏の空。天気予報ではこの土曜日が夏最後の晴天と言って いるが、来週からの空模様は秋をもたらすかな。
 午前中に、言いようのない住居表示のミステイクで現地確認と郵便局へのお願いなどをやる。もちろん、古い手書きをそのまま記載したり、勝手に部屋番号を 変えていたりしたもので、モンクではないのだけど対応する全てが机上での話になってしまい、本来の現場の声はどうも届かない。役所としての仕事の割り振り だと、今日の場合は隣の課と1階の関係課をほぼ2往復しなければならない。そして、現地の確認の後、郵便局へのお願い。
 と、まぁ結構時間のかかる作業なのである。
 第2四半期を終えて、10月からの業務改革へ向けて何やら胸騒ぎがしてきた。どうなるのだろうかナ〜。今年度末、おそらく20人以上は辞める。僕の退職 時は市のトップ陣が相当数居なくなる。このことは住民サービスも低下してしまうことになるのは予想できることだ。
 で、それから1年後は市長選挙だが、おそらく宇和島市は財政的にはギリギリ大丈夫であろうが、行政全体は進展しないであろう。
 できそうもないマニフェストを出して当選しまったし、市の基本方針を出さず、選挙前の諸々を踏襲したものだから、当然のこととはいえ、今から3年後にそ の結果は「何もできなかった」、となりそうなのである。
 さて、今日は自治労の会議。間もなく僕のお役目も終わりを迎える。一部ギクシャクしているが、来年1年間かけて引き継ぎを行う必要がありそうだ。この方 が余計に気を遣う。
 こういったことをさらけ出す場も随分と少なくなってしまった。昔の気分を引きづっていること自体が古いのかもしれないが、それすら継続してくれる者が居 なくなると、と思うと余計に憤懣やるかたない。わずか20年で大変化してしまったのだからね。
 明日は晴れるようだ。久しぶりに南へ走ってみようか。

2010 年9月11日()はれ
 かに朝は完全に秋 の様子だ。昨日の一杯会の関係から少しばかり早く起きた。妻は勤務ではないものの、僕より30分遅れで起きて直ちに洗濯開始だ。
 午前中に全紙に引き延ばしをお願いしていた写真が出来た。ウーン、なかなかの仕上がりだ。デジタルプリント方式になって、ネガカラーがここまで解像度を 上げるとなると、デジタルもウカウカできない。単にワンショットをモニターだけで確認して「はいオシマイ」は決してやってはならない。このことは肝に銘じ ておくべきだ。
 で、なければ合成ではないものの、リンギング手前の市広報の闘牛の表紙写真になってしまう。見ていただければ判るとおり、画像修正ソフトを使用して、際 立たせると見かけ上の合成写真的になってしまう。
 ところが、この写真はパソコンの画面とか、2L盤のプリントアウト、サービスサイズの焼き付けプリント(つまりラボでの写真)では「良い写真」で行け る。
 が、A4サイズにして印刷物として元のデータを使用すると途端にボロが出てくる。ピントが合っていない、という致命的な欠点をさらけ出すのだよね。
 僕の方が同じ職場の担当職員をどうのこうの言う必要は無い。はっきり言って、職員は1枚ごとモニター確認をやってるんだろう。そんなことはする必要は無 い。その間、数ショットのシャッターを切ればいい。CFカード、SDメモリーなど1〜2枚のミスなど気にしなくてもいいぐらいのショット数は記録できるん だから。
 という意味合いから、犬飼さんと話をしていた。その後、横走りのシャッター膜のフォーカルプレーンシャッターマシンでの被写体と条件一致のときのおもし ろい写真が出来ること。縦走りのシャッター膜では頭は合っても、足は乱れるときがあるなど、マシンの特徴としての話をしていた。
 が、デジタル一眼レフでモニターで確認などをやっている内は写真は写せない、との言い分は大いに評価できる。写真が出来るまでの数日間。ほぼ同じ条件の 元で同じ場所を撮影しても出来上がる写真は同一には仕上がらない、などのことはデジタル一眼レフカメラになって人間が追求する分野は大後退した、と感じ る。
 午後からは一眠りして、アップロード。若干なりとも速くなったが、過去のマシンでやってたときのを修正したり、僕のホームページも139号数えたのだ な、と改めて感心したり、なかなか有意義な休日を過ごした次第だ。

2010 年9月13日(月)くもり一時雨
 模様の午前中、と うとう二○佐が切れてしまった。僕も二○佐とあの方とのやりとりを聞きながら、良かれと思ってやったことが指示通りでけっこう。もう少し早く... 。そして、その内容から直ぐさま事が周囲へ飛ぶ。
 ま、詳しくは記載しないけれど、先に報告があって、その後に文書で追加などは必要ない。あ の方の言い分としては、先に提示されたことは関係者とすでに実践済みではないか。その上に追加とは... 。
 普通だったら「そう、ご苦労さん。新たに出たこの人はどうでしょうか?、この前のあの方の場合のように難しいですか」などとどうして言えないのかな〜。 僕が切れたとき、女性職員がキレそうになったときとほぼ同じようなシチュエーションだ。二○佐がキレたということは、はっきり言っ て尋常ではない、と僕は感じるのだがね。
 二五長が所用を済ませて課に来たとき、二五長も笑ったけど、この行為は僕に言わせれば二○佐をまぁまぁ、と言ったことと思われるかもしれないが、あの方 の言い分を許したことと受けざるを得ない、とも... 。
 どうも休み明けにこういったことが起きる。こんなことで、ちょいと午前中は気分がよくなかったよ。
 さて、少しずつトライアンフを動かす気分が高まってきだした。今のところ、こまごましたパーツを拾い出しているところだ。実に1年数か月後に動かす。そ の準備に集中できだした、というのは楽しい限りである。
 走らせるために多くの金額は必要ないけど、これがね、ここも、あそこも、と出てくるので、その整理に手間取っているわけよ。で、お金の工面が再び必要に なってくる。この繰り返しだな。
 それでも、トライアンフを再び走らせたい気分になってきたということがうれしいんだな。

2010 年9月14日(火)はれ
 葉れの上天気、と はいかない。やや夏よりだ。でも空気が乾いているので、この点は助かる。これで空が澄みきって高く見えるようになると秋本番だろうな、というわけだが、今 年はどうもその期間は短そうだ。
 昨日の今日だから、さぞかし職場は,,, 、と思っていたが、民主党の党首選挙と同じような状況。僕のように少々尾を引くものではないのかもしれない。
 この日記で記載しなかったことがある。それは谷啓さんが他界されたことだ。ハナ肇とクレージーキャッツとして、シャボン玉ホリデーでギャグとコメ ディー、それに少しのバンドを見たのが僕にとってのクレージーキャッツとの出会いであった。それが中学へ上がるまでかな。6年生の時、グレンミラーにあこ がれて、トロンボーンもいいぜ、ってなところから吹き始めたのだけど、鳴らない金管楽器をいかに鳴らせるかを相当苦労してやってた。その頃、谷啓さんがト ロンボーンの名手であることを知ったわけよ。
 中学3年の時、初めて大きいベルの少し高価な日管のトロンボーンが僕に与えられた。音がまるで違う。このことはある程度のレベルまでに至ると楽器に頼る 必要があることを体験したところだ。
 では、谷啓さんはどこのメーカーのトロンボーンを吹いていらっしたのだろうか。マジ、最近まで知らなかった。高校3年間は音楽から遠ざかったし、音楽を 専門にやるにはピアノが不得手だったので断念していたからだ。
 大学3年の時、学内のフォークソングコンテストでソロ部門で優勝してしまった。翌年はゲスト出演した。その時、ヤマハの5万円クラスの12弦ギターと マーチンのD28のデュオを聞いたが、マーチンの音しか聞こえなかったので、改めて名のあるギターが必要だな、と思った次第。
 で、ギターは今に至るのだが、谷啓さんのトロンボーン、メーカーはオールズという。アメリカの楽器だ。今は名前は同じでも、製造メーカーはOEMのよう になってるらしい。
 単にこれだけだ。谷啓さんが、オールズ以外の楽器を使用していたら... 、と思ったのだが、これだけらしい。やはり、終世愛用するべき楽器であったようだな、と思う。
 ちょっと一杯の後、この文章やブログのことを記載していた。ウォッチリストのDELL LATITUDEの落札を一気にやった。ものの1分程度でGet。格安だしうれしいね。当面の使用方法はバックアップ程度であろうと思う。

2010 年9月16日(木)はれ
 びの好天。昨日は 曇りで雨を見たから今日の好天がいいものに思えるけど、てんで夏空。未明の涼しさだけであった。こんな日に限って健康検査。血圧がべラボーに高い。いつも のこととして気にはしていない。理由の一つは、心肺機能と循環器系のどこかに異常、あるいは神経系統の欠陥があることは事実だが、すぐさま降圧剤、という 考え方を保健士も持っているようで、何ともはや。それに比べて、検査担当の法人の検査技師、看護師はよくお見通しといった具合。
 なぜ、いつもこのことが起きるのか。浅学な僕からすると、受付とレントゲンから30段以上の階段の上り下りをやって100m程度歩いて、尿検査を受けて 血圧測定だもの。脈が速く下がらない体質の僕には、結果がつらいものになるのは解りきったこと、と思っているのだ。
 血圧測定が終わった頃、ようやく汗が出始めた。すべての検査項目が終わった後で、血圧測ると... 。止めよう。
 仕事で調査をしつつ、少しばかり気がかりなことが出てきた。以前、オリエンテーリングの関係で県議のY先生が、県職員の給与を下げるに際して、まずは県 民の代表である県議の報酬を下げることから始めた、とおっしゃってたが、なるほど、と感心して聞いていた。
 このことを市議の面々に照らし合わすと... 。どことなくやりきれない一面も出てくる。もし、国会議員だとどうなるのだろうか。国の査察を受けることになるのだろう。そういった意味からすると市議に は何とも緩いし、市民の代表がそうなら、市民も右へならへ、だな。

2010 年9月19日()はれ
 日はDELL Latitude C600にかかりっきりだったので何も出来なかった。頭使ったからぐっすり寝てしまい気付いたら午前5時前、といつもの時間であった。
 じゃ、同じじゃないか、というなかれ。昨日は午後10時前にバタンキューだったのである。加えて、先にお風呂へ入ってたしテレビも消してだから、7時間 寝たことになる。
 こういった調子で、今朝も再びLatitude C600の確認。見事に起動できた。これで、しばらくは使うことはないので保存だ。たとえ使わないにせよ、DOS陣営のマシンであっても、これは... 、と思うものは入手できるときにGetしておくべきだ、と僕は思うのだけど。ノートパソコンなら、DOS機であれば二た月に一度起動してやればいい。 Macノートなら月に一度程度で十分だ。
 ここで申し上げておかなければならないのは、「DOS」というものである。[ディスク・オペレーティング・システム]の略だけど、最近はMS-DOSと いうらしい。いわずとしれた「マイクロソフト・ディスク・オペレーティング・システム」というものだ。これが、今のWindows 7の大元となっていることを決して忘れてはならない。これを今のマイクロソフトの経営陣はボカシをかけているが、Mac OSのように仕組みが難しくない上に、スクリプト中心のシステムづくりだから、コンピューター言語が出来るものなら、そこそこ... 。
 これ以上は止めておこう。
 明日も休みだが、ここんとこ、土曜日から明日まで休みの中、ふと考えるのは退職後から1〜2か月後までの生活をやっているようでならない、と思うのだ。 退職後、ステディーな生活になるまでどれぐらいの時間がかかるのだろうか。わからんな〜。

2010 年9月20日(月)はれ時々くもり
 はシーツの洗濯で ある。結構時間がかかる。拙宅は二槽式の洗濯機だ。30年近くになるが、一部樹脂パーツの経年変化でのダメージはあるが、基本部分は快調である。僕自身、 ドレンの掃除など結構やっている。
 いいようのない安定感が二層式にはある。いわばアナログ電気洗濯機の最高峰であろうと思うのだがいかがであろうか。
 午前中は何ともいえない自分流の文章を綴っていた。思いつくままタイプしていたところ、それが三つのカテゴリーに分かれている様子。目標もってやってい ても、なかなか難しいこととなる。万一、これがペーパー(原稿用紙)なら、分類に苦労することになりそうで、一面恐ろしい気分になってしまった。
 理由は、ペーパーベースだから、内容の千差万別を誰が行うか、ということになるわけである。PCだと、書き始めに指定の記号などを入れておけば検索が出 来るでしょ。
 僕がヤルとしたら、少しばかりチクリとしたものが含まれるので、ボツになるかもしれませんけどね。

2010 年9月23日()くもり後時々はれ
 日は午後から休暇 を取ったが何にもならなかった。はっきり言って、何かに押しつぶされそうだ。実際はそういった方々を助けるのがその期間の役目なんだが、上部団体自体が何 とか取り繕ってでも体面を守っている行き方に大きく変化したように感じる。
 僕も、間もなくこのお役目から降りる。これまで10年ほどにわたって、合併前は200人の長としてやっていけるかどうかを一生懸命考えて... 。合併後は、まず宇和島から先頭に、ということから言いようのない不安だらけで出発。年ごとに思惑とはかけ離れた仕事内容と組織内容に振り回され続けてき た。
 昨日も、重要な人事を1日で決定施与なんて... 。ずっと前から言っていたろ!。確かにそのとおりだが、県の団体の重要な役職へ4〜5人派遣しなければならない。こんな不合理なことはない、というのが僕 の言い分だが、それはアンタんとこがダメなんだ、と片付けられる。職場の状況、中間年齢層の多くが管理職になっている。かつての職員の上下職配分には決し てならない。こんな事情は言ったところで無視されるだけだ。
 ま、25日は別の会議に出向くから以上のことだけこの場で言っておこう。
 さて、本日は天気予報がまるで当たらない。過去データに照らし合わせたコンピューター解析など、この地には全くフィットしない。それを平然と予報として 報道する。やはり、住吉山の測候所が必要なんだ。
 ということで、天気予報が当たらず涼しかったこともあって孫の運動会準備をやってた。少し前の対応品が全く用をなさなくなってきたようにも感じる。しか し、テストついでにやった、S1 Proをマニュアル扱いにして、f-2の50mm Aiレンズを試したが、一瞬ゾクッとした。
 APSサイズのC-MOSセンサーで標準の1.5倍程度とはいえ、僕のHPでも出しているとおり50mmレンズは50mmの世界であり、1.5倍換算と しての35mm=50mmの世界には決してならない、ということから、マニュアルレンズのf-2の50mmを再びゲットしようか、と思ったりもしている。
 結局の所、デジタル一眼レフカメラにしても、便利機能が多くても、実際は使用しないのではないか。それなら、精度が凄まじく良いマニュアル機をリリース すればいいのだが、意外にメーカーは乗ってこない。
 衛星放送でやってた「アラーキーの世界」のとおり、カメラ片手に取りまくる、出来上がりを楽しみに待つ。これらの要素を満たしたデジタルカメラも必要で はないか、と考えた次第だ。

2010 年9月28日(火)くもり後はれ
 日も朝 の ヒトコトから始まるモロモロのことを記載して、この日記はオシマイになるはずだったが、午後3時過ぎ、まったくヒョンなことから、10月からの新しい ものを迎えることになる。朝は、そうなるとは気付いていなかった。
 10月から状況が少し変わるため、最近は戸外の業務があって結構忙しい。午前中も出ていた。帰宅して昼食。そして13時から係でその方針などを協議して いたところだ。一応纏まった。その後、外へ出て一回りした後帰庁。午後3時過ぎに部長室へ、との知らせ。
 僕とM係長の仕事内容を入れ替えする、という内部異動の内示を受けた。
 それにしてもおもしろいね。10月からやろうとしていたことの矢先のこの内示。軌道に乗るまで一か月の準備では100%にはならない。そのため、今の係 の仕事のことも気にしつつ、僕に対しては、すでに新しいところでの死守すべきものを受けている。これを大切にしたい。退職まで、この身体が持つかどうか、 神のみぞ知る、である。
 ふと1年前に改修した古いボイラーの元気な音を聞いたような気がした。空耳である。しかし、僕自身をそれぐらいの音を発していたな、とすべきかどうか 思った次第。

















































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