2010. 3〜12.29

2010 年10月3日()雨後くもり
 かが係の異動では ないか。そのとおり。が、やることが違いすぎる。本日は職場緒メインシステムがストップするから、昨日は午後1時頃まで職場で様々な ことをやってた。手計算が主なものだが、確認のためには致し方ない。しかも毎日だ。これが辛いところだ。
 ま、そんなのが大きく僕の頭の中を支配して何もやる気にならない。おまけにこの雨。恵みの雨には違いないが、少し蒸し暑いし、気分が余計に滅入る。
 僕自身はかなりナイーブな性格だから... 。決して信じてはくれまいが事実だ。小心者ゆえのそれをカバーする何かを身につけているだけに過ぎない。
 バッテリー充電ついでにPismoを動かす。キーボードの使い勝手が良い。やはり文集タイプなら、こういったアナログテレビサイズのディスプレーのマシ ンの方がコンピューター関係には都合が良いのではないだろうか、と最近考え始めた。
 最近右眼の調子がおかしい。小さい文字が滲むのだ。そろそろ近くの物は虫眼鏡、つまり老眼鏡が必要な年になったのかもしれない。0.5、1.0、1.5 の度合いだと0.5で十分な程度なんだがね。
 こういった調子の日も手伝って、フト一眠りした。夢には出てこないけど、先へ目が向かなくなって来始めた。不思議だが、曖昧な時代へ戻っていくような感 覚に陥る。鮮明に心の中に残っている時代ではなく、全ての生活が70%に落とさなければならなかった名古屋時代だ。音楽をはじめ、好きなものの多くが何も 出来なかった。この時代にカセットなどへエアチェックなども全く出来なかったものな。この時代の日本のポップスなど、あまりよく知らない。大半は妻から教 えられたようなものだ。
 ま、こんなウソのようなホントのことをツイツイ。

2010 年10月4日(月)くもり後はれ
 前4時前、ハッと 目が覚める。ラジオ深夜便のインタビュースペシャル「宝田 明」さんをやってた。
 氏が満州の出身者で戦後帰国して呼び方で差別を受けても、大陸のことを知らない奴らに俺の見た夕日が沈むこと、ロシア人と一緒になって何やかややってた ことなどをごく普通におっしゃって、我ながらナルホドな、と感じたり、年齢は大先輩の氏との比較にはならないが、それでも役者としてその役を通すなど、凄 いことだ。ふと今の仕事と比べてみると、どうも僕の割り切り方が不味いんじゃないか、と感じたりもした。
 よし、と決めて7時半に家を出た。昨日の残りを少しやって、昨日用意した物を実験。名前の記載ミスはあったが、大幅に時間短縮が出来ることがわかった。 が、初めての経験がまだまだ続くから気を抜けない。
 もう一つ。これが一番大変なんだが、嘱託さんとの話など、色んなことを聞かなきゃならない。この方が大変かもね。
 またしても、フッと何かが過ぎる。慌てテンじゃないか?とね。たしかもそうかもしれない。が、それを今後回しにしたら... 。再び... 。いつもこの繰り返しだ。好い加減嫌になるのだが、致し方ない僕の性だ。
 団体交渉の後、今日の纏めをやって帰宅は8時半になった。今日も酒抜き。今は飲むべきではないだろう、と思うのだ。何か別のものが頭の中に芽生えてきて いるような、そんな気がしないでもない。

2010 年10月5日(火)はれ
 日ほどではない が、やはり心がザワつく。どうすることもできない。こちらの件は補佐が助けてくれるので少しばかり助かる。どうしてかしら、通知などで メールが主体になっているので、調査物など、以前のようにじっくり考えて完全なものにして対応することが出来づらい時代になった。
 昼休みに、レディー薬局へ出向いてブルーベリーを購入してきた。先日も記載したが、右の眼ん球が滲むのだ。メガネもどうもフィットしない。ということ は、とりあえずコイツを飲用する。効き目はあるはずだからね。
 今日中にやっておきたいことをやって少し遅くなった。午後6時半に帰宅。帰る前、出口で「えらい若々しい格好しとるやないか」と声をかけるヤツがいるの で、振り返ると石橋市長であった。僕より1年上だ。ま、その後「前を見るとそうでもないか」というので、お腹を指して「肉上げましょうか」というと、断ら れた。その後背筋も鍛えないと、腹の贅肉にバランスを崩すことなどを話して別れた。
 他愛もない会話だが、職員との話で、若いのが僕のように堂々と市長と話が出来るのだろうか。山本友一市長の頃と大きく変わったが、少なくとも若いうちに 市長と話が出来るようになってほしいな。そういえば、大学では学長に話をしなかったことを除いて、幼稚園から高校まで、トップと話が出来たことは僕として 嬉しいことだ。大学時代は学部長と話をしたことはある。
 実際、田島直人先生の授業を受けたし、思い出ではあるが、こういった方々と話が出来たことは何事にも代え難いものに思えるのだが如何だろう。そういえば 安藤先生は当時講師だったが、今では教授だぞ。学生時代は十種競技で強かった。
 こういった思い出にふけるのも秋だからだろうか。日中はまだ夏が尾を引いている。朝夕のみ秋だ。

2010 年10月10日()はれ
 ジ、今日は 1964年10月10日の東京オリンピック開会式を想い出していた。シチュエーションが、あの当時そのままなのであったからだ。
 そう、真面目に僕が中学一年生の時だ。開会式は10日だった。その前日は大雨であった。正に46年前と同じ天候状況であった。
 スポーツ関係も現代風ながら、東京オリンピック当時を彷彿とさせるものがあった。その一つは、キャノンのゴルフかな。この辺まではイケルのに、どうして も世界の壁が... 、というものであった。水泳のドン・ショランダーの勝ちに伴うアメリカ国家を幾度となく聞かされた。しかも、イヤというほどネ。
 美談ではないが、日本人が忘れているようなことを、先日亡くなったオランダのアントン・へーシンク氏が柔道の無差別級で優勝した時の採った「母国の応援 団の畳へ上がらせることの拒否件発動」など、日本古来の柔道を日本人が忘れていることを改めて知らされたこと... 。
 僕の好きな陸上競技でもそうだ。アメリカのハンセン選手と(統一)ドイツのラインハルト選手の午後10時までに及ぶ棒高跳びの決勝など、多くの人間が勝 負している姿を目の当たりにして、改めて、日本のスポーツの脆弱性を明らかにした瞬間でもあった。
 F-1鈴鹿の一戦は凄まじいものがあった。こういった日本人パイロットが出現したことは嬉しい限りだ。が、ニュースは「小林可夢偉は七位に」ということ だけである。
 午後4時からのレース模様を見ていれば、この七位がどういったものであるか、僕の言わんといていることもお解りにあるであろう、と思う。
 サッカーも、このF-1も明日の朝、この地の何処かで語られることはあるまい。これが現実だろう。僕は別にどうのこうのいうワケではない。が、今の姿を 見て、何とかこの状況を打破する方策を考えてほしい、と思う。
 未だ、何かをやろうとする個人、その賛同者の集合体が全く出来ない宇和島市ではあるが。なおかつ、僕をそれに引き込むなよ。僕は、もう十分にその痛手を 被っているからね。

2010 年10月11日(月)はれ
 ッという間に連休 が終わった。今日一日は何かと休みの行動であった。一日を振り返ると、しばし安心する。しかし、時々仕事のことが浮かんでは消えする ので、少しはダメなところが出てくる。これが嫌な点だな。
 さて、一度ブログに出した東芝の1GのSDカード。これが少しばかり不調になってきた。カードアダプターとの兼ね合いがウマクナイ。S1Proではエ ラーが出るのである。少しばかり製品を探さないとならない、と思ってDAIKIへ。ナント1Gなんて無い。その上256MBなんてあるわけがない。仕方な く2GBを購入。アッと感じたのは、装着時の確実さだ。少しダメになった東芝の製品とは違う。解像度をスタンダード。ピクセル数を少し上げて、S1Pro の機能を上げることとした。
 CD-Rなどと違い、データのやりとりを恒常的にこなすSDカードではこの辺の耐久性とかが必要だし、写真などでは画像データの保持ということも重要に なる。この辺のところがSDカードの価格にも影響しているのかもしれない。
 昼、SR500を含めた四台ほどのグループを見た。信号待ちの時、SR500を注視していた。ナルホドね、と感じると同時に、今の行き方、つまり、キャ ブ仕様のSR400をSR500にするのは失敗するな、ということである。多くは記載しないが、解る方にはお解りだろう。ソコソコいうと、1985年の SR500を最強とすると、1985年以降2000年モデルまでのSR500を目標にSR400を改造しても、エンジンのメイン部分を変更しなければ全く 走らないモデルになるということであろう。
 久しぶりにこんなことを考えつつ、SR500を走らせる。晩秋とはいえ、未だ半袖で十分な毎日だ。おかしな季節になって来た。

2010 年10月13日(水) はれ後一時雨
 うやく気分が元に 戻りつつある。これって気分がいいな。どうも毎月10日までは、この係は大多忙の状況のようだ。本日は、マジ定時に帰庁できた。
 とはいえ、前係での僕のミスが露呈して、少々目玉を食らった。それでも... 。ま、このことは記載しないでおこう。
 久しぶりに仕事で吉田まで上役と出かける。国安の里の横を通ると、残念なるかな、ダメだな、と考えてしまう。こういったご時世だ。吉田から出ている市議 会議員がプロジェクトチーム創って国安の里を生かした企画書を市長にでも提示すればどうだろうか。
 やすらぎの里のように、待っていれば人が来る施設ではない。それゆえ、外様ではできないこともあるし、市民(旧町民)の代表である、吉田から出ている議 員によって、と僕は考えるのだけどね。
 夕方は少し雨模様。夜が来ると何となく秋を感じる。朝夕は上着姿のビジネスマンが多いけど、航空会社のパイロットは今の季節は半ぞでだろうか。航空パイ ロットの長そで姿を僕はあまり見かけない。
 そういえば、市立病院の看護師は相変わらず、下はブラとティーだけだろうか。妻が勤務していた頃は看護帽の先で腕を切ったり、白衣のノリで肌ずれやった りで、夏も冬も大変だったようだ。今の白衣は大半がスラックスだから、この辺のところが僕には判らない。

2010 年10月16日()はれ時々くもり
 日は組合の懇親会 で少々飲み過ぎた。しかし、今日の予定があったので緊張気味。酔い方がよかったのかしら、今朝はスムースな目覚めだし、気分も良好。 やはりある程度高い酒を飲まなければならんな、というのが偽らざるところだ。
 が、事はスムースに運ばない。緊張の一端、昨日の残務処理のため職場へ出向くとメインシステムがダメ。Macでいうエイリアスがデスクトップにあって も、本体はサーバーの中だから動かない。コンピューター以外のことを一応こなして、早々に引き上げる。
 帰りにイヌガイスタジオへ。犬飼さんからおもしろい話を聞く。ニコンユーザーが過去のニコンの悪口をシコタマ言いふらすのを聞くと僕としても痛快だ。 ま、東のニコン、西のキャノンだからね。でもニコン以外で別メーカーも使うのだし、ナンダカナ〜。
 不思議なことだけど、MacユーザーがMacの失敗作などをいろいろ言いふらしてアッケラカンとしているのとよく似ているな。そして、ニギニギシクは 思っているだろうけど、そのとおり、と思いつつ、次期モデルの参考にするのだから、メーカー側は我慢だろうね。何しろコンシューマーレポートがただで得ら れるのだし。
 そうそう、久しぶりに新聞の折り込み広告を見てある物を格安で購入した。ブログのネタ関係もあって、ここでは物を伏せるが、なかなかいいものだ。もう一 つ... 、と思ったが物がなかった。残念。
 SRで出かけたが、不思議に快調。11日にカムチェーンの張り具合を調整しただけだけど、外気温も低くなったので快調なのかもしれない。SR500ユー ザーでありながら、欠点をぶちまける。じゃ、SR400にしろっ!。でも、それはできない相談だ。ニコンユーザーがニコンの悪口をいうのに少しだけ似てる な。そういえば、14年間かかってここまでになったんだものね。
 夕方、丸穂温泉へ行って、第三のビールとグレープフルーツの酎ハイでノンビリできた。明日はコスモス祭より先にコスモスでも摂りに行くか。

2010 年10月17日()はれ時々くもり
 、久々に寝過ごし た。気がつくと7時前。慌てて支度。とはいえ、確認することもあって、9時過ぎに職場へ出かける。
 メールで、昨日のシステム不調のことが出ていた。ふざけるな。こんな不安定なシステムで市民8万余のデータ関係を一手に引き受けられるものかどうか。市 民も少しばかり疑問視したらいいが、やらないだろうね。
 もっとも、朝っぱらから酒飲んで1日を過ごす輩の多いのもこの街の特性だ。その方々はホームレスか公的な助成を受けている方かは不明だが、不思議な街だ な、と少しばかり考えてしまう。
 昼前に犬飼さんから言われていた定点撮影を行って帰る。対象物がいつまで存在するかは分からないが、ま、四季にわたってやってみなければならないな。
 写真関連でもう一点。こればかりは伏しておきたかったが、もうダメ。僕はフィルムカメラで撮影するのが常だ。しかもネガカラーでね。
 したがって、撮影済みは市内にあるラボへ現像、焼付けをされて、手元に。ところが、近年、これがトンデモナイ仕上がりになってアゼンとすることがしばし ばあるのである。今回もそれが発覚した。ましてや、同じシーンをS1Proでショットしているので、明るさを除いて色調の悪い方への変化は凄まじいものを 感じる。
 ことが起こったのは、昨年の同時期。孫の運動会を撮影したネガカラーを現像、焼付けしたときであった。今回も同じ孫の運動会の写真である。
 出来上がった写真をイヌガイスタジオへ昨日持ってって話をしていたところだ。こうなる要因は様々だが、ユーザーが明らかにオカシイ、となれば... 。
 ここが難しいため、苦情は出るが、写真交換などが出来ないのが常である。何だかヤリキレナイ部分がある。
 というところで、本日北フジのキタムラへ焼き付けのみのサービスのため、問題のネガを持ち込んだ。仕上がりまで1時間半。出来上がった写真を見て声が出 なかった。90%デジタル処理されて仕上がった写真だけど、ラボへ出すより綺麗だしニュアンスがいいのだから真面目にアゼンとしてしまうのである。
 それ以上に、仕上がった写真を見るとフィルム現像の段階でどうもオカシイ、と感じたりもする。
 デジタル関係の写真は、ラボへ出すにしても遠隔地での処理になるから比較できない。同時プリントで、デジタルの処理と一緒にフィルムの現像から出すと、 ほぼ同じ仕上がりになるのだから... 。

2010 年10月19日(火)はれ後雨
 い天気の朝。本日 は選仏寺の晋山式。開始時間までは比較的楽な時間だが、資源ゴミを出した後、午後からの予定が全くダメになることを知る。残念なが ら、今の僕には「ま、いいか」の気分は沸いてこない。
 晋山式の前、前和尚の退山式が行われる。父は先代に、母は今回退山される和尚に導いていただいた。ふと考えると晋山式は僕の残りの人生で再度挙行される かどうか不明だし、やはり出席してよかった、と思った。
 昔のOさんが来てた。今の職場のことを少々は無しをすると、管理職が忘れていることが眼前と甦った。市長の策略かどうかは不明だが、以前の課長は自分の 課のためにかなり必死になっていたが、今の課長連中はそうではなく、宇和島市の何たらかんたら... 。ずいぶん変わったものだな、と感じるところだ。
 晋山式は壮大だった。大分の万寿寺修行場の僧侶が大挙。合わせて近隣の宗門僧との合同であった。本堂に座っていると、おかしなことだがスーっと気分が静 かになる。オカシイ。こういった状態になるのが浄化だろうかな、と考えてしまった。
 6時からはある方の通夜へ出向く。残念なるかな、和尚は遙か前に来てお経も終わって、これから、参列される方々に対しての湯茶の接待前であったため、焼 香して辞した。時間的には1時間早いため、気になっていた1日ごとに纏めなければならない用務をこなしに職場へ出向く。多少なりとも、僕の考えた入力方式 で30分短縮は出来てはいるが、これに時間を食らう。徴収員の給与にかかることなので間違いが許されないのだ。恒常勤務も同じような時間配分ではないか ら、やはり人員不足である。はっきり言って労働強化だ。
 1時間半程度で区切りを付けることが出来たので、帰宅。
 ブログとこの日記を記載して、本日は終了。外は雨になった。1日中仏事ばかり疲れてしまった。

2010 年10月21日(木)雨
 から久々の雨。こ ちとら、久しぶりに歩いて行く。いつもながら左の脚がオカシイ。左だけペッタンペッタンの状態だ。いつの頃からかしらイカシイのだ。 まじめに。
 職場では、少しだけ僕の前のミスが発覚する。僕にはあまり関係がなかったが、田の方に対して最終はとんでもないミスが出る。土台、残金がマイナスになっ ても、勝手に書類が出てゼニを出す決裁書を作ってしまう、というシステム自体の脆弱さのために起こることだ。
 僕は、このシステムを難しいところで使うのが嫌で嫌でたまらない。ここをこうしたら、こうなるかまおしれない、はまだしも。間違ったら、システムの方で アラート出してくれない。個人番号と許可条件を統一してくれていれば、その部署で使うシステムの中庸の所は許可されているのだから、会計状況が違う項目を 入力するとシステムの方がアラートを出してしかるべきではないか。
 これは、ある程度ビジネスでパソコンを担当している方ならお解りだろうが、ウチのシステムは平気で出力する。で、最終段でそのミスに気付かないと、今日 のようになってしまうのだ。本当に不思議な世界なのである。熊本放送さん何とかして下さい。
 おかげで帰宅が遅くなってしまった。こんなのの毎日が続いているわけだ。土日の連休が来ると、少しばかり安堵するのが常。辛い日々が続くな。
 そうそう、AppleからMacBook Airの新しいのが出るニュースが来た。ウー、バカげてるけどiPadのように考えることなくほしい。しかも11インチのヤツね。これなら持ち運びが出来 るから。

2010 年10月24日()くもり後雨
 気予報では午後は 雨になると言ってた。11時頃、急に陽光が差してきて今の季節を一瞬疑った。が、午後2時前には相当な雨量を受ける。4時半頃上がっ たが、少しばかりビックリした。
 情報紙を作るため、PB G4で原稿を作ってMacBookへ移植。バカげているかもしれないが、G3、G4のチップマシンに対応しているソフトウェアでの作成物はそれに合わせて 作成した方が早い。完全版をintelマシンで動かせてプリントアウトする。こういった芸当がしばらくは必要になるのかもしれない。
 先日ギタークリーニングのためにレモンオイルを使用して好結果を得たので、少し考えて、MacBookのキートップのクリーニングに使用してみることと した。キートップはデカール(スライドマーク)とは違って、塗装文字だから、消えることはあるまい、と思いつつ、軽く撫でる程度でやったのだが、すばらし い結果になった。若干だが、キートップがシットリしているのである。
 ところが、パームレストには反応が悪い。これはどうやら台所用の中性洗剤を使用すべきだろうな、と考えた。
 とはいえ、いまのMacBookではタイピングに少しばかり難点がある。もちろん性能はいいのだが、キーボードに少しばかりタイプを促すようなものがな いのである。たとえ、MacBook Proにしても同様の決壊なるのではないか、と考えてしまうのである。今のところAppleはノートのキーボードを変更しようとはしていないから、当面は ここんとこは古いマシンに委ねないとならないな、と感じた。
 いつも思うのだけど、職場でも古いバージョンのソフトが有効なマシンが多い。とはいえ、新しいマシンに対するソフトはWindowsではMac以上に対 応していないものが非常に多い。これはゲイツとかいう男の残した負の遺産だろうと思う。98を簡単な予告で思いっきり切りやがったのも同様だ。こういった 点はMacでは考えられない。
 職場のメインシステムは通常なら「7」で動いているはずだが、未だに「XP」なのである。それじゃ、7の前にするか?。誰も望まないであろう。ゲイツさ んよ〜。そろそろパッチ当てるだけでなく、MS=DOSの根本を変更するソフトウェアを開発すべきではないかな、と僕は考えるんだけどね。
 EXCELはAppleの呼びかけでMac用のソフトウェアから始まったことをユーザーの多くは知らないはずだ。もしも、あの時ゲイツ氏が開発していな ければ、今頃はロータス1,2,3に食われていることになるんだよね... 。

2010 年10月25日(月)雨
 前四時、NHKラ ジオ第1明日へのことばで「零戦特攻隊の真情を語る」を聞いた。今まで神風特別攻撃隊として、多くの映画やドラマがあったけど、今回 のスピーカー角田氏は当時士官クラスで実際に直上援護など、攻撃隊の防御関係をやられて、その戦火までを逐次レポートするなど非常な立場にあったとおっ しゃる。しかし、当時は敵艦に体当たりをすると... 。
 今は涙を流されるというし、実際言葉が詰まるときもあった。が、当時は... 。
 戦争の世界は非常だな、と思ったし、それ以上に国を挙げて駆逐米英をやらされる。そういった日本がかつてあった、ということを今の若い世代はどういった 感覚で受け止めているのだろうか、とフト考えてしまった。
 雑誌、DVDなどで零戦の動きなどはおおかた判っているが、今朝その特性を実際の搭乗員である角田氏から直接聞いたことは幸運だった。皆が言うように、 実際はそうでもない。あくまで、一般の戦闘機としてはすばらしいが、使い方を逸脱すると良い面も欠点として露呈することも解った。
 もしもは無いが、戦争さえなければ... 。僕が死ぬまで思い続けることであろうな、と改めて思った。明日も続きがあるから、起きて聞くこととしたい。
 夜は、鶴瓶の「家族に乾杯」を見た。その時であった。辻 四郎さんというギター作者のことを知る。こういった製作者もいらっしゃる、ということを知っ た。
 この二つの放送で、少しばかり気分がよくなった。
 それにしても、この国の政はバカをやり過ぎるんじゃないかな。我々の待遇面も未だにはっきりしない。ましてや... 。
 もう政治関係は止めましょ。たかが北海道から自民党1人ぐらいの議員が出たところで、いきなり元の役職に復帰するのかしら。それより、国民の暮らしをも う少し良くしていただけませんか。それを与野党一緒になって考えましょうよ。

2010 年10月27日(水)はれ時々くもり
 夜の酒が残っては いないものの、気分が良くない。気温がにわかに低くなる。が、思い切って半袖にジャージー姿で行く。昨日はadidas今日は PUMA。職場は相変わらずム〜ンとしてる。
 少しずつ嫌な気分が増す。本当に不思議だ。そしてイラ〜が来た後放心したようになる。やることが何もかも中途半端。1日の業務をやり遂げた気分にならな い。この繰り返しが今の現状だ。
 僕だけか、と思っていると、どうも違うようだ。多くの職員はそう感じているようだ。これが来年も再来年の3月まで続くのかと思うと、早く辞めた方が得策 かもしれないな、と今日の予算作成説明会に出て一層強く感じた。
 南予労農市民会議の幹事会、それに組合の会計監査のダブルヘッダー。これを終えてヘロヘロで帰宅。シャワーを浴びて遅い夕食。
 酒が入っていないから、結構色んなことが出来る。が、今日の終わりまでの時間が少ない。従って継続して行うことが難しいから単発ものを数種こなすだけ だ。

2010 年10月28日(木)くもり
 の晴れ間は昼過ぎ から曇り空になった。職場の状況も何となくつまらない。はっきり言っててんでバラバラ。僕としては申し送りを電子ファイルで送ってい たのだけど、それらがそのままになっていて... 。
 そのため、これまでのことが今になっていろいろ出てくる。したがって、行きがかり上、どうしても僕の負担分として受け止めてしまうののだから、気に病ん でしまう。こういった性格が僕自身を苦しめるのだろうかナ。
 こういった状態。今の天気と同じだな。そういえば台風がやってきそう。しかし、台風の来る時期は別にして、昔の台風のコースは枕崎から豊後水道を通るも のが多かった。もし、九島が無ければ、宇和島湾の海水が巻き上げられて少しばかり水害が発生していたのではないだろうか。天気予報が当たらないとはいえ、 自然の防御など、この地を開拓し住み始めるに適した地とした先人の能力が高かった、と言えるのであろうな。
 としたとき、温実の業務終了時、トップが早く帰れと言う。珍しいことだ。が、その裏は彼より上からのお達しのようであった。僕自身は日々の用務があるか ら、これをやり終えていないと、どうもダメなんだ。それゆえ残らなくてはならない。
 さて、今日は日本のプロ野球のドラフト会議。なかなか楽しかった。が、たとえば8人新人確保した。その裏はあまり知られていないが、8人の方々の将来が 今所属しているプロ野球緒チームから去らねばならない、といった非常なものが存在することを忘れてはならない。

2010 年10月30日(土)くもり時々はれ
 どうやら台風は過ぎたようだ。よかった。と、地震が一発来た。ま、これもこれでおしまい。とりあえず(かな?)は気象状況は安定していた、というところ だ。
 ところが関東はそうはいかない。ま、言いたくはないが自然を相手にどうすることも出来ない。これが我々を取り巻く自然だ。例の環境関係の議定について、 今後それをやるかどうか、ここが問題なのと同様だ。自然破壊を人間様がやって今になってその尻ぬぐいを... 。一体誰がやるんだ?。
 さて、ちょいと宇和島市の臨時、嘱託職員募集にに対しての疑問点をHさんから聞く。そう、一時期役所の仕事をやっていらっした方だが、「この募集は3回 ぐらいは更新できるのだろうか?」というので、それは無いよ、と僕。
 実は、11月広報に出ていた募集条項だった。詳しく読むと一瞬我が眼を疑った。「Hさん、これは不味いぜ」と僕は直ぐさま応えた。僕の推論だが、この職 種の「成績により云々」は、ここんとこの微妙な件にひっかかる。僕の予想では、国が提示した「緊急雇用対策云々」をこれに充てる寸法だろう。例の「厘タ ク」の運ちゃんがそれに当たる。一方では存続。一方ではタクシー関係者からの指摘など、真剣に考えているかどうか。この運ちゃんも間もなく終了である。こ ういった事を記載せず、職員募集するのはいかがなものか?。
 この経緯で市の仕事をしていただいている方々でも、内容がオカシイ方向へ行きつつあるのではないか?、と思うフシも散見する。
 11月広報に記載された「市職員」の募集関係の内容をしっかり掴んでほしい。そして、もし、募集に応じるのなら、そこのところを詰めてからにしていただ きたい。そうしないと、働く側は経営側(市)のいい加減な雇用方法に「ウソアリ」が言えなくなってしまう。65歳や60歳定年を目指し、藁をも掴むとする 考えで募集に応じた方、一方ではIターンやUターンで戻ってきて余生を云々のヤツ、これらを十把一絡げで扱えワケなんだからね。
 僕が市長なら、この辺の所を突くのだけど、今の市長は「ゼニ」にしか眼がないから、こういったことは「記事の責任制」など一切関知しない。これが実際 だ。ある人は最初の書き換えでオハライバコ、という可能性が存在するのだし。
 仮に、この賃金、報酬を勘案すると時給「750円程度」にしかならない。それでも、この地で働く。努々「市職員に... 」などと考えないように。

2010 年11月1日(月)くもり時々はれ
 のうちの雨は止ん だが、心は非常に重い。今日の業務をこなせるかどうか。はっきり言って、一度のレクチャーで大艦巨砲を取り扱え、という大命題に挑む のである。しかも一度のレクチャーは先月の1日。そう、僕が異動でこちらに来た日。それは前任者に片付けてもらった。エグーッ、それを僕一人がやるんだっ て... 。
 午前中から気が気でない。午後一番。一部修正をして、電算室のコンピューターから打ち出しを開始する。準備万端?。確かにそうだったんだが、プリンター の操作が指示されたのと少し違い、これに時間を... 。その上に操作ミスで、結局はダブって出力してしまった。
 これは一部だけで、残りはスムース。すっかり気をよくした。ふと、図体のでかいのは案外単純なんだ、というのを想い出した。ハーレーだってそうだな。シ ボレーのV8コラムのオートマチックでもそうだ。キカイの方が勝手にやってくれるようになっているんだよね。
 ま、事なきを得た。少しばかり気分が良くなった。が、いつもながらのトップの云々は存在する。これは大半無視している。あんたんとこからここまで2mだ ろ、イチイチ呼んでどうのこうのするな、直接来て言えってんだ。といったところで... 。それゆえ気にしない気にしない。
 さて、今日は水戸黄門と窓辺さんを見てオシマイ。特に窓辺さんは、僕が9月までいた係でのやり方だったんだ。こういった人物がいなければ、徴収状況は良 くなる可能性はないだろうな、と考えるんだけど、いかがだろうか。

2010 年11月3日(水)はれ時々くもり
 オーイ、何とかしてくれよ〜。というのは、妻が仕事へ早出(時間は5時前)なもので許してはいるが、僕の部屋は東は用もないのに信金の駐車場の夜間照明 の蛍光灯が、カーテン越しに眼に入る。これって結構辛いものがあるんだよね。おまけに中では台所の蛍光灯が必要もない時間に僕の顔を扉越しに照射する。こ ういうのって辛いんだよね。その点、家の前に位置するメガネのミキの夜間照明はスゴクイイ。閉店と同時に消灯だから。信金の駐車場ってそんなに貝があるわ けではないんだから、照射角度だけ変更してもらいたい。落ち着いたらモンクを言いに行こう。
 ちょっと訳あって散髪へ行く。いつもながらの「床や東京」である。今さら店を変えるつもりはないが、こことの出会いは結構おもしろい。床屋は今までス ポットを入れて、6か所になる。東京でも満足度は95%ぐらいだが、ま、これはこれで。
 床屋を変えるのは、僕ぐらいの年代になるとつらいものがある。かつて写真の事で申し上げたが、それに似ている。今の床屋はご近所がいて将棋なりを楽しん でいた時代から大きくかけ離れた。
 丸穂温泉へ行ったが、底での話をしていると、ご近所との話がおもしろい。話に夢中で、入浴するのが随分と遅れたり、そういった方々が今でもいらっしゃ る。正論でも何でもないが、こういったものが、各コミュニティーに不足しているんだろうね。
 といった内容を包括したアンケートが福祉課より僕に来た。記載していくうち、その前の段階が出来ていないから、こんなアンケートを取るのは意味がない、 と感じた。福祉なんて、行政側で毛で線香も出来ないし、たとえば介護を必要としている方の事も含めて、今の状況が云々、というアンケートなど、答を出す方 が難しいのが偽らざるところだ。
 さ、残りこの週も2日になった。少しだけ落ち着いたのかもしれない。

2010 年11月6日()はれ
 の数日間何があっ たのだろうか。恐ろしく速い時間の経過を感じる。はっきり言ってヘトヘトである。1日にカードを出して、2日に給与計算して、4日に 成績出して5日に確認。こうやって月初めの多忙さから解放される。
 ともかく、電算処理の結果にフィットさせるためにこちらのスタンドアローンのファイルを修正して数値をホストへアップする。
 こういったことは、とりまとめをコンピューター処理会社へお願いするのが普通ではないだろうか。が、熊本放送はそうではない。以前の課でも自分で入力 し、結果確認も我々職員がやる、ということが起こっていた。不思議な世界。それで会社側へ言うと「費用が発生します」。しかも数十万のね。
 こんなくだらない環境のシステムで業務処理をやってる。その確認も職員がやる。何のためのシステムだろうか?
 というところで、ヘトヘトの状態が少しだけ元に戻る。気分良くホームページのアップロード。ゲッ、ディレクトリがない。infoseekのフリー部分が 閉鎖になってる。一言ぐらい大きいところで発表しろってんだ。だから、ココン所の製品なり企画はゼニが伴うような気がしてならない。ね、白いお父さん。
 修正に6時間もかかってしまった。今度のサーバーはなかなかいい。いっそのこと、全てをここへ移しても良いな、と考えたが、これは止めにした。もう少し 様子見だ。まぁ、無料サーバーを異動するのは何ともないが、これだけのファイルやらフォルダーを移動するのは大変です。
 また、今日もバタンキューだ。

2010 年11月8日(月)くもり
 に気分が悪い。誰 をどうのこうのするものではないが、とにかく気分が最悪であった。ストレス性の胃の不調であろうと思う。時に嘔吐くのだな。でも、異 常に腹が張るとかもないので少々弱るんだね。
 副市長との交渉でも、その前の時点で、あの方にたしなめられる。事前の執行委員会のことを言ったところで折れるような気はアリャしないから、次は休みを 取って行こうかとも思う。休暇はまだあるから。こういったコマゴマしたことまでチクチク言われると切れるのも解るってものだろうが、いかがだろう。ま、僕 自身多忙のため、本当に忘れてたんだからね。
 全く落ち着いて仕事が出来ない。不思議な係だ。これ以上やられると労働強化で... 。真面目に労基署へ行って個別事象として相談しに行こうかとも考える。
 夜、北島康介のアメリカでの水泳を主体にした裏事情をテレビで見た。見ていて、僕自身の今を問い直して、間違ってはいないな、と感じた。
 あっ、もう一つ忘れてた。ブログには記載したが、UHFアンテナを昨日交換したんだった。この結果が少しずつ出てきた。不思議なものだが、馴染みっても のが出るのだろうか。伝播を受け止めるエレメントである。VHFは相変わらず調子が良い。このアンテナにしても30年ホド使用しているにもかかわらずだ。 マジ、VHFアンテナを購入しておいて新しいポールに装着し、来年の夏前にハズして保存版としていても良いのかな、と思っているところだ。

2010 年11月7日(火)くもり時々はれ
 分は良いが心は重 い。不思議なことだ。僕は、この方の状況がますます判らなくなってきた。とりあえずは、自分なりのやり方でやることとした。
 今日など、ご自身がポリシーを持たないためだろうからか、市長の問に対して解答できない模様。簡単な問なんだぜ。で、後になって回りくどく其所此所へ問 い合わせをする。それらの結果から考え方を纏めるのかというとそうでもない。で、明日、配下を引き連れて... 。
 とはいえ、こういった状況は、あの方は直ぐさま忘れてしまうようだし、市長も深くは踏み込まないので再びうやむやだ。こんなことを気にしたところで仕方 がないかもしれない。しかし、僕個人としては最近になって宇和島市の財政状況の向上に対する一翼を担う課の... 。もっと大局的に他の課も巻き込んで宇和島市財政の... 、と考えなきゃならないのに、こういった調子じゃ市の台所も危ないんじゃないか、と考えるようになった。
 というところで、12月に入ったら、マジ、異動希望を出そうと... 。退職前の1年間ではあるが、このままだと僕がツブされる可能性がある。あの方を異動してほしいのはヤマヤマだが、市長は異動をさせやしないかもしれない し、今の課では以前の課のように課員が仕事をボイコットする寸前にまでならないからね。
 さてと、女子バレーを見ているんだけど、古い話、ニチボー貝塚を主としたナショナルチームと今の女子バレーボール選手を見ると、世界に通用しないのは基 本的な体格、体力であろうと思う。数年前のトッププレーヤー数人が伸び悩みをきたしているし、引退に追いやられている。大山ってどうなったんだ?、といっ たところ。男子のようにもっと身体づくりをやって基礎体力などをみっちり鍛えてないからダメなのではないか、と考える。
 加えて、ユニフォームが年ごとにダサクなっているように感じる。竹下選手のように長年にわたってゲームできるナショナルチームでないと、日本の女子バ レーボールは向上しないだろうね。
 そういえば、PTAでも20年前ぐらいは硬いボールでのバレーボールだった。今はどうだ。ソフトバレーにその座を譲っている。中学高校での部活でもそう 人気があるとは言えない。ヴォリ・ボールって、発祥はアメリカって知ってた?。アメリカが強くなるまで数十年が必要だったんだね〜。

2010 年11月12日(金)雨後くもり時々はれ
 日はトンデモナイ 1日であった。非常に疲れました。また数人の方に迷惑をかけた。致し方ないことかもしれないが、こういった作業はこの職について初め ての経験。それを1月より短い期間でマスターせよ!、ということは僕には辛いことであるし、難しいことだ。
 夜、NHK総合テレビの8時からの番組。スゴイですな。坂本龍馬ってそんなに凄かったんだろうか?。イヤミでも皮肉でもない。素直な気持ちを申し上げて いる。案の定、今で言うすばらしく一般の人間であった、と思う。行動にしては僕よりすばらしく上だろうけど、考え方などは僕にそっくりに感じる。
 忘れてはならないのは、このNHKの大河ドラマでの龍馬伝は「岩ア弥太郎」の思い出を通しての龍馬伝だ。そして、龍馬自体も33歳で他界している。そし て過去の人物だ。
 こういったことを総合して考えると、僕自身は... 。よそう。個々人の思いだけで十分だ。
 今日は、中国大陸から黄砂がやってきた。凄まじいものだ。想像だが、中国内陸部は相当に荒れているのではないだろうか。古文漢詩の時間に習ったが、黄河 を制するものは国を制すが今の中国にはフィットしない。
 こういった時、僕は周先生が存命ならどういったことをやられるだろうか。今の中国には周先生のような人物が必要なのではないか、とふと考えた。

2010 年11月13日(土)くもり
 前3時、おかしな 夢で目が覚めた。昭和30年代の家並、幼い僕、そんなのが混然となって少しだけイイ気分。と、誰かが僕の頭を... 。枕から離れた僕の頭に読みかけの本が当たっていた。
 少しウトウトして、草刈さんのエスコートで人気の「美の壺」を見つつ、僕の気分、親の生活の在り方などから、先祖は関東の出ではないか、と考えてしまっ た。
 iPodとMacの同期が上手く行かない。どうやら、新しいiPodをゲットするべきかもしれないね。僕には映像などは必要ないんで、10G程度のモデ ルで十分だ。
 その後、母の13回忌の法要の日程調整のためお寺へ。デジタル一眼レフのことなど、和尚と歓談。しばしの時を楽しんだ。自転車のリヤブレーキがオカシ イ。お寺からの坂を乗車して下りられない。なんとか下りて平坦路は乗って帰宅。直ぐさまブレーキワイヤーを交換した。今度はインナーワイヤーにグリスを塗 布しておいたので、サビもある程度防げるであろう。その足で、ブログにも記載したThe Mortorcycle Classicsを探しに宮脇書店へ。ゲッ、相変わらず無い。昼前だけど、明屋まで走らせる。
 書架には見当たらない。下の並びにようやく1冊ゲット。苦労したよ。が、読んでも楽しいというか、読みふけることにもならないし、こんなものか、で終 わって... 。
 次は、OS 10.3をインストールしていたPB G4 12に10.4にアップした。WindowsのXPと同じく10.4が大半の現代版のMacに対応しているように思う。
 いや〜、久しぶりに仕事のことも忘れて自転車で走ったし、何やかやと結構動いた一日であった。

2010 年11月14日()くもり後はれ
 朝、マジで天候を感じてゴードン・ライトフットの「朝の雨」に対して記載しようか、と思ったところだが、産業まつりの件で止めた。
 こんなの、役所も関係課の職員を配備すれば事足りるんだ。確かにそのとおりなんだが、これが一層目の裏では、上手く行かないのだ。(龍馬伝を見てくださ い)
 午前中は一通り回って何かね〜って。土台、きさいや広場と分ければ、今の状態なら「きさいや」へ流れる人々の多さはわかりきってる。その上、きさいやで のイベントを考えると、商店街での損失はかなりの大きさになるのではないか、と思うのである。じゃこ天大使にしてもそうだ。行政が事あるごとに「この大 使」を引き合いに出さなければダメだ。ま、僕自身が情報が入りづらい日常生活送っているから、そうでもないかもしれない。いや、だからこそ、市民の多くに 「じゃこ天大使」ですよ、とアピールしなければならないのではないかな、とも感じる。
 そういったところを考えると、今日の龍馬伝で後藤象二郎が山内容堂に一言言ったコトバはすさまじいいものになったんだろう。僕も高知へ行くが、今日のド ラマを境に... 。
 じゃ、宇和島は.. ?!。見事だ。今の若当主が思い存分にやってほしい。羽目を外すのは無い。その参考は予算書を見れば一目瞭然であるから。御当主が、日常の商店街やらへ出 向いて... 。確かに夢かもしれないが、岩村選手も楽天へ移籍する今、そろそろ市民レベルでのイヴェントを考える時期ではないだろうか。

2010 年11月15日(月)くもり
 く土曜日と同じ状 況で目が覚めた。おかしな夢、多めの寝汗。が、今日は二度寝入りをしてしまった。やはり、どうも飲み過ぎはダメだ。とはいえ、中 ジョッキ2杯とお酒を少しなんだけど、どうも辛いんだ。すっかり酒が飲めなくなってしまった。いや、飲めるんだが僕の気持ちがそうさせないのではないだろ うか。
 さてと、今日はマジ通常の勤務状態であった。一部に竹中直人ばりをやったが、致し方ないところだ。これを読んでいる方には該当しないだろうが、今日対面 した方々はいずれも未申告であった。直属の上司から「おそらく未申告だよ」と言われたので調べると案の定だった。こういった経済状態の今だから、最賃制で の給料ぐらいであれば、申告した方が税金などが下がることになる。同時に、毎年申告していなければ追徴も免れる。
 徴収率を高めるため、納税意識の高揚を訴えるべき、と僕は上層部へ説いたのだが却下された。課員がいくらガンバッテも財布は一つだから、何処が悪質の判 断はつかないまでも、差押えなどはその次ではないかな、と僕は思ってるんだが。
 加えて、モンクがあるんなら納めるものを納めてからにしろ、と思うのだがね。
 さぁ、ということで、久しぶりに酒抜き。執行委員会で遅くなったのでサンヨードーでマグロの赤身を買って、夕飯。フト、深浦へ(戻り)カツオを食べに行 きたくなった。南へオートバイを走らせなくなって何年になるだろうか。午後4時過ぎに出て須の川の手前までで引き返していた。マッハIIIで、XS650 で、GX750、T-140Vで。以来、TX-650でもXT500でもSR500ででも行っていない。不思議なものである。
 と、このように次々に思い出が浮かんでくる。おかしいな。歳を取ったか。

2010 年11月16日(火)はれ時々くもり
 明に寒さで目が覚 めた。これまで嫌な夢見ばかりであったが、流石にドピーカンの空。放射冷却がスゴイ。6時過ぎに資源ゴミをステーションへ運ぶ。今日 は意外に多い。何というのかな、個人消費が大きいのだろうか。ペットボトルなども多く見受けられた。
 今日は職場の衛生委員会。どうもピントがずれているようにも見受けられるが、そこへ一括を入れる。それは換気対策だ。職場をくまなく昼休みに回る。まず は1階まで階段を下りる。3階以降は自然の室温としてソコソコの温度である。
 が、1階から8階までエレベーターで上り、到着してドキリ。熱いのだ。これが5階ぐらいになるとOKになる。
 どうして、窓を開けないのだろうか。常時ではない。10時からと3時から3〜5分間でイイ。これだけでも空気の入れ換えになって衛生上好ましいものに なってくるのだから。
 1階から8階までの間で、部長室1か所だけ窓が開けられていた。昼休みであるし、例え1か所でも窓が開いていると換気効果としては随分効率が高いのであ る。
 久しぶりにゲルマンへ寄って、ホントに晩酌をやる。肴は昨日タイプしたことの裏付けのようにカツオの刺身にした。帰宅して大いに食ったべた。美味い夕食 であった。
 1日の終わりに何となく、これまでにない日常に少し驚いている。大変化ではない。10年前に戻ったような感じである。これで、仕事上での余裕が出来れば いいのだけど、望めそうではない。これが悩みの種なんだろうな。

2010 年11月17日(水)はれ時々くもり
 日も放射冷却。 ま、こんなもの。昨夜は本日の朝食をゲットしていたのでノンビリであった。仕事は仕事として、比較的余裕の状況。こういったときに端末 のデスクトップを大掃除。とはいえ、ゴミ箱から一気に消去ではなく、サーバーの僕のフォルダーに移し替えたところだ。
 いつも思うのだけど、ウェブやランでペーパーベースが少なくなる、そのため整理が簡単になる。いつもオフィスのIT環境課で言われることだが、使い方を 誤るとトンデモナイ世界になる熊本放送のシステムではペーパーベースで残す方が確実だし、面倒さが無い。
 決してオフザケで言ってるのではない。事実、このシステムのオーソリティーになろうとすると、確実に自滅する。それほど使いづらいのだから。逆にシステ ムに合わせてしまうと仕事にならない。これ事実。どうやら、お隣の町では熊本放送と手を切るらしい。最初の設備投資は必要だが、システムの入れ替えは当た り前のことかもしれない。
 規約検討委員会の後、酒銅樹で一杯。居合わせた客がうまいこと言ってた。例の種分けのテレビで、「蓮舫、アンタがやってみな」と言えばいいのに... 、と僕。間髪を入れず一見さんだけど楽しい客の一人が、「政務次官が政治家よりだったら大丈夫のようだ」と言う。
 職場のことを思うと「ナールホドな〜」と感じた次第。

2010 年11月18日(木)はれ
 射冷却は凄まじかったようだ。鬼北町では2℃ を記録したらしい。夕刻からの労金の推進委員会で鬼北の方に聞くと、そろそろファンヒーターを出さないと ならない、とのことだった。
 昼休み、イプシロン女史が「最近楽しみが増えてね」という。どうやら僕のこの日記らしい。ま、100%受け止めていただけるのなら、その方はあの方を 知っているのであろうけど、デフォルメを加味すると60%は事実だ、とご理解いただきたい。
 さて、今日はそういったことではなく、午後9時からのNHK総合テレビでの冒頭、エレキ自動車の特集をやってた。話6割としても、トヨタなんてバカばか りの集団ではないか、と感じる。エレキ自動車で席巻するっていう意気込みなんだろう。
 プリウス乗ってる奴が正面衝突して駆動装置が停止しなければ、乗員はまず助からない。このことはハイブリッドの王者は一切語らないし、語られているのは 消防と警察、それにハイブリッド車を扱う整備士だけだろう。

感 電

これだけです。
 こと、真空管アンプなどを作っている者からすると、電解コンデンサーに溜まった直流電圧を指先に感じて飛び上がる。幸い電流量が少ないから事なきを得て いるが、プリウスがそれをやると、液冷のエンジンゆえ、漏れたラジエターの水に対して、鉛バッテリーの端子に触れた瞬間ショートする。ゴム長、ゴム手袋し ないと感電してしまう。グシャっとなった車両の中に取り残されれば、アウトだ。
 数十ボルトの電圧と強力な電流量のバッテリーを搭載しているプリウスが事故すると、トンデモナイことになるのは... 。ま、一般ユーザーは知らなくてイイことなんだろけど、起こった後はね。

 といったところで、トヨタが電気自動車をリリースする、という。これまた大メーカーが抱えるバカ集団が決定したことだから、事故が起きた場合はトップが 平身低頭になるんだろうね。
 土台、トヨタのような大メーカーが電気自動車を開発するのなら、パーキングには充電コネクターを完備させるよう関係監督庁へ申し入れ、その基本路線へト ヨタからのスタッフの派遣などをやるべきではないか、と思いつつ、バカ集団への提言として、エレキ充電ステーションは充電電気システム使用料を取るべきだ し、国としても、見えないエレキと引火性の強いガソリンを混同させてはいけないなど、そういったことを国に対してアピールすべきなんだが、どうも知恵が総 身に回りかねの状態である。
 自治体も、もう少し考えればいい。設備投資は必要だが、市内うちを回るバスなどはトロリーバスにしたり、直流だけではなく交流電源を使用する交通システ ムの構築も必要なんじゃないかな、と思う。

 さて、明日は金曜日。最近は花金でも何でもなくなった。ま、こんなところで本日はオシマイ。

2010 年11月19日(金)はれ時々くもり
 来なら今日は私た ちにとっては「花金」だ。が、ゲルマンへ寄って一杯だけやって帰る。時間にして1時間程度。キビナゴの肴と2合(正味1合7勺)の清 酒(燗)。最近の僕にはこれぐらいが丁度良い。不思議なことだ。
 で、帰路夜の街を歩く人々を見ると、どことなく暗いね。その上に少ない人数だから余計に暗いのかもしれない。桜新道は多くの店が開いていない午後7時 前。何とも活気がないね。
 夜の地方番組で知事選のことを言ってたが、こりゃ誰がなっても南予は変わらない、と思った。伊賀知事誕生前は「絶対に変わる」と思いつつ僕も投票した が、結果は「真珠の大打撃」。それを愛媛県は救ってくれなかった。この辺から、知事が誰でも良くなったのではないだろうか。
 どうでしょうね、中村君だけがこの南予のことを少しだけ言ってたが、未だ、彼の真の姿で街頭演説するところを見たことない。第一次産業の宝庫、松山と南 予の連携を密に、というけど、その割には松山に食われる。それらに携わるのはこの南予では自治体職員が大半を占める。そういったことから中村陣営は市役所 職員を無視しているのではないか、と考えてしまう。
 イコール、オンブにダッコの南予の状態を中村君自体は把握できていないのであろうと思う。知事就任は間違いないようだから、このことは2泊3日ぐらいか けて南予へ足を運んでほしい。旧、水関市町村課長は県内の町村自治体を二巡して実態把握に努めた。こういった官僚から抜擢された方で真に愛媛の現状を捉え るようにやってくれた方を除いて、県下の自治体の疲弊ぶりを真に受け止めることは、知事就任後であろうが、難しいように感じる。
 知事になりそう、っても、そのとおりになるとは限らないが... 。
 昨日のイプシロン女史の件から拡大すると、この日記は少々自分本位すぎるかな、とも思う。そのまま、ある方へ伝わればいいが、同じ文章でも、ある程度僕 の内容が理解できるのならいざ知らず、伝達ゲームのようになると、僕は落ち込んでしまう。特に批判気味の... 。
 というところで、今後は... 、ネ。

2010 年11月25日(木)はれ後くもり
 、嫌なことばかり の毎日ですが、これはこれで仕方がないでしょうね、後ろからディスプレー覗かれましてね。上司の前で堂々と... 、とね。そりゃ仕事に関係のないこととはいえ、組合のことをやってましたが、一部は職員互助の面もあるのですから... 。
 私ゃ釣りバカの浜ちゃんですよ。笑って飛ばしましたけど。
 そういったことで、デスクトップのものをサーバーへ移動しようとしましたが、アホくさくて止めました。覗くのは簡単ですし、悪いものは一切無いのでね。
 丸穂温泉の後、NHK総合テレビでのクエスタ。大人の修学旅行の温泉ツアー、少しだけ高校の修学旅行での日光を想い出した。枕投げはなかったが、女の子 と話をして遅くなったので、そのまま一緒に寝入ったこと。バッカスチョコレートをシコタマ購入して中身(コニャック)だけ出して水割りやろうとしてコッピ ドク叱られたヤツも居た。
 東京で、僕はワイシャツの替えにVANのボタンダウンを初めて買ったこと。着ていたのは衿が真っ黒でね。言い換えると、それほど空気が汚れていたという わけか。
 昨日バイギブJ-160Eの弦を交換したのだが、1日置くとすっかり馴染んで少しばかり驚いている。ま、今日は歌う気にならない。
 そういえば、今日は三島由紀夫が割腹自殺して40年になる。朝のニュースで旧自衛隊関係の方々が思い出として話をしていたが、三島の意見に賛同する者は 居なかったという。とりわけ、今でもあの事件を考えていらっしゃる元隊員がおっしゃった「武力を持って強い自衛隊だからこそ、普段は真摯な態度でないとな らない」とうことばに、軍隊ではない、ということを強く感じたところだ。三島のいうように、当時でもクーデターなどは考えられなかったことなのであろう な、と感じた。今日のニュースで知ったのは朝のラジオとテレビだけであった。午後7時のNHKテレビニュースではいわなかった。40年も経過して楯の会な どといっても知る人も少なくなったわけだろうね。
 さ、ブラタモリでも見て今日はおしまい。

2010 年11月30日(火)はれ時々くもり
 夕めっきり寒く なった。「ヒヤイ」というのがこの辺の言い回しだ。オオサムとはいわない。オオヒヤ、というのがよろしい。
 ここ最近、記載しようにも出来ない状況であった。こういったときは無理に記載すると繕いが多くてダメになることがしばしばだ。ならば、じっとしておこ う、としたまでである。わずか4日間だが、ずいぶん長いようで短く感じる。
 今朝は少々時間があったので、ドクターを12月当番医へ記載変更した。当方のMacBookでは少々変形して見えるが解像度の点で致し方ない。形より見 易い方が好ましい、と思う。段落などは無視されるものなどはなおさらである。
 それにしても、ここ数日で母の十七回忌の法要を済まし、組合の用務をこなしで、気ぜわしく落ち着いて何かをヤルということが出来ない。加えて仕事 が... 。時間の使い方などではないな。僕が生きる上で近所に無いものが相当に増えた。ここ20年ホドの間で随分と変わってしまった。当時は和楽器屋があったし、 下駄屋もあった。八百屋に魚屋、薬局。もっと前は鉄工所まであった。理髪店に美容院。スーパーマーケットへ行かなくても十分に間に合った。今はどうだ。1 冊の雑誌を求めるにも数キロ離れた書店へ行かなければならない。しかも、そこに目的のものがないと数キロ離れた別の書店へ... 。乗り物が確実に必要になった生活が第一だ。
 さて、明日から中村県政がスタートする。南予へは相当に厳しいことになるのが予想される。オンブにダッコばかりをやっていた南予では自らが何かを興して 県へアピールしなければ県は何もやってくれないのではないかな、と思う。伊賀県政のように裏切りのようなものは無いだろうが、県から手を差し伸べては絶対 にないことだけは確かだろう。

2010 年12月1日(水)はれ時々くもり
 メだナー。ま、致 し方ないことかもしれないが、ともかく使いづらいシステムだ。時に今回のように月に1度ってことになると、先月のことをすっかり忘れ てしまってる。で、簡単にできるものも、補佐と共に難題に取りかかって知らない間に退庁時間。S君が来て「どうすりゃいいのさ思案橋?」と問うと、これ過 年度ですから... 。ものの3分。
 このことは作業マニュアルにも記載されていないし、キテンを働かせないと出来ない仕組みだ。
 プリントアウト後の用紙切りもキカイが言うことを聞かない。専門の職員呼んでスッタモンダ。土台、こういった重機にはサービスを付けるべきだが、すぐさ ま「費用が発生します」となってしまう。
 決して僕のコンピューター関係の操作技術が劣っているのではない。こういった、重要な部門を職員側に任せるのなら、簡単に印刷できて、見たままに出力で きるようなシステムを構築するのが市長、アンタが目を配るべきものだろうが。使いづらいシステムで無駄な労力を使用する=残業代を出さない。この構図は あってはならないことだ。
 こういった現状を議員も何も言わない。U議員が教育面を盛んに突っついているけど、僕なら、給食センター建設に当たってはカロリー計算から何から電算化 して、しかもそれが誰でも使えるようなものを導入せよ!、と言うが、ご自身がコンピューター関係をそこまでやっていらっしゃらないから何も出来やしない、 と僕は見ている。
 もし間違っていなければ、すでにご自身のブログなど立ち上げて、市議会の状況などを市民に報告しているのではないだろうかな、と思っているところであ る。
 決して言いすぎではないぞ。新居浜の石川県議などもブログを立ち上げているしね。市議会議員でブログを立ち上げている方はいらっしゃっただろうか。
 というところで、まだ、忙しい日々が続く。週のなかで1日〜5日までになる月はないものかな、と思うところだ。

2010年12月3日(金)くもり後雨後時々はれ時々くもり

 く凄まじい天気の 移り変わりであった。幸いにして、夜は雨が上がったが、最初は晴天気味、途中から雨に強い風。しかも黄砂。夕方からようやく晴れ間が 見え始めた。
 僕はというと、総務課の賃金担当に迷惑掛けないために、嘱託職員の給与計算、全て手打ちのエクセルによる収納率算出。マジ、数字のオカシサを味わった。 ついには合計額が違うと、打ち込み数字の確認を2階ほどやって、後になって会わない数字のところを一生懸命にらんでいたという次第。
 セルの挿入を繰り返すと上下左右の計算値が全て異なるという初期のミスを引きずっているからこうなるんだけど、市の収入源の報告計算を僕自身がその一翼 を担っているわけだから、結構大変なんだ。それ故、個別入力をせざるを得ない、と感じているところである。
 さて、坂の上の雲の再放送を見つつ、今日の仕事のことを考えていると、言いようのないものを感じてしまった。

勇敢なる水平(三浦虎次郎三等水平)
一、煙も見えず雲も無く 風も起こらず波立たず 鏡のごとき黄海は 曇り初めたり時の間に
...
十、まだ沈まずや定遠は この言の葉は短きも 皇国を思う国民の 心に長くしるされん

 実は、歌詞はこの十番までだが、僕にとっては、この歌は母から教えてもらった。母がいつも口にするのはこの1番と10番である。不思議だろうけど、僕は 違和感なく「黄海」という海と「定遠」という戦艦。それがあったのは日清戦争。この3つのことを小学校の3年当時で理解していた。
 母は大正5年5月27日生まれだ。古い方ならご存知だろうけど、この日は海軍記念日である。母は根っからの海軍ファンであったことも、この誕生日が一枚 かんでいたかもしれない。

 その後、日露戦争の映画を見る。すり鉢の底の様な場所に居た日本兵が敵に包囲されてどうにもならず全滅したこのシーン。同様なものはカスター将軍率いる 第七騎兵隊の全滅を見るまで、記憶の外へ遠ざけられていたことをフト想い出す。その映画はソルジャー・ブルーだった。

 それからも「太平洋の嵐」を3度も見た。今は無きキリン館で母と見たこの映画、正に日清・日露の戦い、第一次世界大戦と負けの戦を経験していなかった母 の年代の方々には太平洋戦争の開戦から半年後以降「大本営発表」の大嘘に対し何も出来なかったことなどがグッとこみ上げてきて、涙を抑えられなかったよう だ。

 ここ近年では僕が当時の母の年代になっているため「八甲田山」であろう。上からの命令、下からの突き上げ。その中で中心となる人物が如何に孤高であって も一人では押しつぶされてしまう、ということを如実に知らされた。

 今、この国が襲われたら... 。

 今の国会議員などは、我先に逃げ出すのであろうと思う。それほど平和な日本。その平和を誰が保っているのか?。少なくとも国会議員ではないのは事実だろ う。
 しばしの間、こんなバカなことを考えていた。

2010 年12月5日()はれ

 古屋東新町。下宿 先の八事から荷物を送りに千種駅まで出てきた僕は、その足でバスの出る東新町まで足を伸ばしていた。
 何処でどう間違ったかは知らないが、本通りの電車道から離れてしまって八事への道が分からず、途中の家で聞くことに。玄関先に凶暴そうな犬が2匹も居 る。おじいさんがその犬を遠ざける。その家は奥が深く、案内されるままに。十分な説明が終わると、そこのおじいさんが僕をののしる。
 ご主人が僕を追いかけて、この道を下って右に曲がればいい、と告げて帰る。が、行けども行けどもその道に当たらず。終いには人様の敷地を通過すること に... 。
 とそこはヤクザ者の家、簡単に挨拶して敷地を抜けると海。堤防沿いを下って次の通路を戻ると、ようやく本通りに... 。
 そこで思いがけないヤクザ者同士の喧嘩。愛人が洗濯物を投げつけてしまう。先ほどのヤクザ者が出てきた。本通りへ進路を進めようとしたとき、「ニイチャ ン、喧嘩の見物料を100円いただこうか」、と若いチンピラが僕の左腕を握る。「僕は学生で急いでいるんです」学生でも100円... 、もっと出るんじゃ... 。こっちへ来てもらおうか」それを振り払おうとして... 。「困るな〜」と首根っこを捕まれて引き連れられて行きそうになった。
 そのとき、目が覚めた。心臓がハタついている。何度も何度も「怖い夢を見た」をブツブツ繰り返している。正気に戻っているのだが、ついぞ、こういった類 の夢を見たことがないから、しばらくは収まりがつかなかった。
 フト思い当たる事項は、昨日、同級生から3月で退職するとの通知を受けた。そして、カレーを作る手前、煮物の鍋をこぼしてしまってマットを洗ったこと。 そして今の仕事の状況。これが渾然一体となって記憶の一部に溜まっていたのが刺激剤になったのではないか、と考えられる。その恐ろしさがしばらくは消えな かった。
 ブログにも記載しているが、昼は労農市民会議の「食とみどり、水を守るフェスティバル」へ参加した。主宰の一翼を担う団体にもかかわらず、手伝いをする 者が青年部以外居ないという状況。
 ま、一部不用品即売がうまく行ったのでヨシとはしたいが、何か割り切れないままで終わってしまった。
 その後、丸穂温泉へ行ってすっかり疲れを取ったところだが、真の疲れは2〜3日後にやって来るのであろうと思う。歳だから仕方がないかもしれない。
 それにしても怖い夢を見た。気分が落ち着かないな。


2010 年12月6日(月)はれ

 日は大和の沈没 シーンの夢... 。実は戦艦「伊勢」が攻撃された写真がリアルであったことを想い出したからであろう。大きく高い艦橋部分がボコボコな戦艦を見ると辛いものがある。
 なぜかしら、ここ最近はおかしな夢を見る。空を飛ぶ夢でも見ないものか?。逆にそれは何とか離脱で、あっちの世界へのプロローグになるかもしれない (爆)。
 としたところで、ちょうどいい塩梅の金額で入札しておいたヤフオクでいいものがゲットできた。最速までは行かないが、そこそこのスピード処理が出来るモ バイル... 。古い物だけど、やはり文章主体の使い方ゆえ、この方が好ましいという次第だ。
 中古ばかりが多いけど、今にない物ゆえのこと。致し方あるまい。デジカメにしても単三バッテリーとファインダー付きの物のナント少ないこと。ある程度使 用する側を立ててくれるような製品づくりをしてほしいものですがネ。
 ここ数日間妙に落ち着きません。残り1年と少しだけど、今の職場でイケルかどうか。何というか、正規職員でしかできない仕事なのに、その割合が素晴らし く少ない。仮に僕がミスやるとすると、今のご時世不思議なことだが、ウチの課がそのフォローをしてくれる保障がない。小泉政権時からこういった風潮になっ て来たのだろうな、と思うけど。
 仕事に対して気にしすぎだろうか。やってやるぞ、という仕事内容ではないし、かといって流れに任せてというものでもない。一つのことを突き止めようとす ると、これが人手不足で出来ない。こういった状況です。

2010 年12月8日(水)はれ

 日ヘトヘトだ。僕はソコソコ応えはするが、電 話であれだけいってくるのが居るといい加減構えてしまう。こちらで相談して... 、というと電話番号は知らせたくない、っていう。こんなのがノサバル。善良な方々は文句が言えないから納める。この考えが浸透するまではなかなか長い勝負 だな。そういえば、社会的な地位に就いている方々でも滞納があるし、この方々が社会の中心で... 。アホクサ〜。
 松山では「ヒョウ」が降ったようだ。宇和島ではイイ天気だったが、職場内はヒョウが降ったような状態であった。
 よくもまぁ1つのことに対して3〜4つのことを言ってくるのだから、とんでもない世界だ。僕など最近はある程度無視しているのだけど、それでも頭に来る のは変わりがない。
 ボーナス獲得の一環でH銀行さんが来る。僕自身は4階で許可もらったら、と言うに止めた。ある方が昼休みのことを聞いてきたので、僕は4階でOKだった ら大丈夫ですよ、と応えた。途端に、所属長の許可が... 、職務専念の... 、と来るんだな。おまけに一係長が許... 、とまで。昼休みの件だったろうが。
 時に17時10分。じゃ、僕が説明する前にダイレクトでH銀行さんが来てパンフレット配布し始めたら... 。おそらく何も... 。
 今日は日米開戦の日だ。あれから69年の歳月が過ぎた。そして、ジョン・レノンが他界して30年だ。とてもコンサートなど行く気にもならず、本日は静か にDVDの「トラ・トラ・トラ」を見て寝ることとしたい。
 僕もそろそろ今の職場を去る時期になって来たのかもしれない。希望通りにはならないかもしれないが。

2010 年12月9日(日)くもり一時雨

 日、職場のソフト バレーボールの後、中国亭での懇親会。少しばかり早退したが、これまた記載が遅れてしまった。理由はPB G4 12インチ 1.33MHzを触っていたからだ。そんな機種あったっけ?モチロン持ってません。最終の1.5MHzまでは至らないが、ソコソコのスピードとなると、こ れが限度だろう。
 送られてきたのは、純正のシールケースまで付属するという拘りだ。この点、僕のような前のオーナーの気持ちが分かる。ハードディスクは入れられていな い。したがって、ビスの多さのマシンをばらす。最初に購入した12インチに内蔵してあったハードディスクを移設。これが死ぬほど手間がかかるわけだ。アル ミ筐体のグラツキ修正まで2時間ほどかかってしまった。
 で、Mac OS 10.4で動かすと、なかなかよろしい。さしあたっては10.5にして使用してみることとしたい。ま、これが僕のクリスマスプレゼントであろうな。
 で、本日は義父と義母の法要。地元まで出向いて行ってのことだから少しばかり堪える。身内が多いと法事とはいえ雰囲気が和やかだ。我が家は、身内は居 な。かつての従業員も居ないし、高齢だ。寂しいものだ。父の趣味の世界など、その時が最高で、それを継続して孫子の時代までというのは無いようだな。僕の 趣味にしても、この辺では孤軍奮闘であって、同好の志のような方々はいらっしゃるが、突き詰めての方々は少ないのが現状だ。したがって、僕の退職後に復活 するかもしれないのが唯一の希望だな。
 愛媛駅伝のゴール見てて、僕らが南予マラソンに対しての説明で、県警の思いっきり排他的な態度に憤慨したのを想い出す。
 駅伝とか、マラソンは学校の校庭をぐるぐる回っていればいい、と言いきった交通課長。同様にシートベルトの義務がない車両(妻の乗っていたスバル 360=てんとう虫)はどうするのだ、と問うとそんなボロが未だ走ってますか、ときた。この当時から、南予マラソン、市駅伝などは隅に追いやられてしまっ た。
 本日、法事の後で職場での作業を仕様と役所へ。愛媛駅伝の閉会式を2階のホールでやってた。上の警察の件と同様、公認審判によって運営されなければ共催 や後援などをしないなど、市の行事をとことん追い出した県陸協に思いっきり腹が立った。僕の審判資格も審判登録料を... 、今は剥奪されている状態だ。
 土台、教員アガリがこういった状況にあるから未だに陸上競技会全体がマイナーなつまらないバカさで進んでいるのだろうさ。審判の謝礼金なんて今どのくら いだろう。メチャメチャ安い。信じられない。バカさ加減もホドホドにしないと、愛媛の陸上界なんてドンドン遅れてしまう。当然だろう。マスターズにしても 同様になりつつある。
 中村知事でも教育委員会の治外法権のような所へメスを入れられないのだろうね。それゆえ教員のH事件も起きるのかもしれない。切った張ったはまだしも、 中学高校時代にアルバイトさえやったことのない生徒時代を過ごした者が今の教員なんだから、何をか況やであろう、ということだな... 、か。

2010 年12月19日(日)はれ

 曜日の忘年会から 記載すべきだったかもしれないが、未曾有の全員帰らずの席のため、コチトラ帰る機会を失って最後まで居た。流石に二次会へは行けなかったし、上層部が多い 席ゆえ行きたくもない、というのが本音であったが... 。
 昨日は雲の状態がよかったので、午後4時頃まで外へ出ていて定点撮影をしていた。これが不味かったのかしら、少々風邪をひいてしまった。ま、逆光に強い デジタル一眼レフの良さを随分と味わった。風邪と相殺?。
 今日はやんごとないことで午前中は職場へ出向く。いつ客が来るかも不明ではあったが、入らぬことは申さずとして、事なきを得て終わった。とはいえ、1時 間以上かかったから、昼食はロンロン亭で中華丼と餃子。ブログにも記載したとおり、偏り気味の食餌に対してはまさに好適なメニューであろう。疲れなどが 吹っ飛ぶ。昼間の食餌はこれ。夜の一杯の時はゲルマンのニラもやしであろう。
 午後からライムハウスへ電話。すんでの所で1枚のLPをゲットできた。ブートではあるが、限定のようなのでチャンスを逃したら二度と入手が不能になる。 無理してでも購入しておくべき。
 明日は松山出張。この際だからPB G4 12の1.33を持参することとした。バッテリーのテストはしていないのだが、ゴム足を装着したついでに867の新しいのを持参すべきかもしれない。
 そろそろ、iPodクラシックを持っておくべきかもしれないな。今のモデルとしてはこれしかないだろうからね。
 XT500についてM.W.Iさんが記載していらっしゃる。もっともなことだ。僕も賛同するところだが、はたしてシリンダーヘッドはSR500のものの 方が好ましいだろうか、というところにある。M.W.IさんはSRのシリンダーヘッドを使用することを計画されているようだけど、僕はXT500のシリン ダーヘッドの方が好ましいと思う。特に初期のXT500では吸排気関係からあらゆる点でXT500のままの方が好ましいと思うのである。
 と、久しぶりにオートバイの技術的なことを日記に記載した。今、少しずつT-140Vを走らせることが煮詰まりつつある。春頃になろうとは思うが、この 車を高知から自走させてこの26日で34年の月日が流れる。長いようで短かった。1985年当時のべらぼうに高い自賠責保険に業を煮やしていた。あの期間 がなかったなら、僕のオートバイライフも随分と変わっていたかもしれない、と思う今日この頃である。

2010 年12月25日(土)雪時々くもり
 日やり残したもの があって、定時に職場へ。片付けものをして、月曜日の準備を終えると早くも10時半。外は風の強いなか雪だ。困ったな〜。仕方なく雪の降る中を自転車で帰 る。こういったときに降るとはな〜。自然を恨んでもいけないが冬の青空、穏やかな... 。
 帰宅して葬儀の身支度。身内の葬儀。確かに悲しみはある。亡くなられた方は妻側の方であることは別にして、一度お会いしたときに僕を「兄さん」と読んで いただいた方だ。義弟の嫁になったときからだから年齢としては兄になる。一人っ子の僕としては妙に不思議な気分であったことを想い出す。今では妻側から呼 ばれる「叔父」の方が多い。それだけ僕の直系の親族は少ないのだ。
 葬儀も僧侶の中に同級生が居たり。鐘の叩き方などムソグルスキーの「禿げ山の一夜」を思い浮かべてしまった。禅宗ならチン・ドン・ガシャンの繰り返しに 当たるのだろうな。不謹慎かもしれないが、何かしら「ここはこうするように」という葬送には馴染めない。いつもを押し通そうかとも思ったが止めた。
 昼間から飲むわけにもいかなかったが、ノンアルコールビールを2本ほど空けた。感じは似ているが馴染めない味だ。帰宅して再び職場へ。事務室の整理。そ う、本来はこれが今日の業務だったのだ。したがって、その後の慰労会へは参加せず。
 今度は本当に家に帰る。あと少しの行程のところで、愛宕町での火事を知る。年末に火事を出すことは辛いものがある。今のところけが人などのことを聞いて いないが、現場へ入れなかったので明日にでも確認を。これとて、税務課時代の仕事のクセが抜けないままでいる自分がおかしくなってくる。
 昼食が遅くなって晩メシも多くは入らないため。酒道場で湯豆腐とお酒で少し暖かくなって帰るとライムハウスから注文していたCDほかが来ていた。自分で 発注したものだがクリスマスプレゼントだな。
 午後8時頃から再び寒くなってきた。まぁ凍ることはないと思うけど、数日は寒さが続くことになるのであろう。冬至だもの。

2010 年12月28日(火)はれ後一時雨後くもり

 気がめまぐるしく 変わる。まるで仕事納めの日に、この1年分を象徴するかのような天気であった。
 職場では退職者の後釜が年明けからだから、補佐と共に聴衆に出かける。一瞬「アッ」と叫びそうになった。かつてのバイク仲間ではないか。大きな病気をさ れたのだろうな。「バイク乗ってますか?」と聞かれたとき、正直に「僕にはこれしかないですから」と応えた。
 決して四輪車に乗れない、という意味合いからではない。むしろ、身体を良くして乗ってみませんか?、と投げかける方に重きを置いての返答である。
 今のところ、一度オートバイを降りた人は今から乗ろうとする人は非常に少ないのが現実だ。雑誌などでいってるようにはならない。
 ウキウキ気分もなく、ごく平凡に1日の業務を終えた。加えて僕には労金の会議がある。当初は会議後の懇親会を予定していたのだが、誰も来ないため中止。 当たり前のことだけど、... 。
 帰りがけにゲルマン。今日はお客が格段に多く、自分のペースで終了。テレビでタイムハンターの特集版を見ることとする。
 不思議なことだが、明日は職場へ出向く。1月4日の業務内容からすると、処理しておいた方がいいものが多い。
 多くの職場は「仕事納めなど関係ないね」というのが本音のようだ。昔のように、1年が終わったな〜、と少し気分の浸るような職員は市長からして無いに等 しい。こういった市長での宇和島市政がどうゆうものか、僕の口から申すまでもなかろう。

2010年12月29日(水)くもり一時雨
 い一日であった。 気分の持ちようとはいえ、今日は真に寒い。室内と室外の温度差がない。こういった日は外に出たくはないが、職場へ向けて歩いて出かける。案の定、風が強 い。こういったところが、低気圧が南西へ下りて来ているのだろうな、と思われるところだ。
 職場では隣の課の職員が居た。僕と同様に、仕事納めの後に一杯会があるためのことであろう。つい数年前までの、公務員が優遇されていた頃を想い出す。こ の期に及んで... 、といわれるのは覚悟の上で、私たちの給料のバランスはどう判断するか?
 過去、何度も申し上げたつもりではあるが、同じ規模の自治体と比べなければならないのだ。比べた団体がことのほか公務員の賃金が高ければ、私たちはそこ に準じるよう交渉などを行っているところだ。
 一概に、親方日の丸、組合はもとより「従業員の団体組織」さえ認めようとしないこの辺の親方のバカさ加減が、この街を疲弊させているのではないか、と感 じてしまう。
 その上に会社のために云々と言いつつ、代表者の賃金はそのままで、従業員を切る、ってーのが普通ではないのだろうか、と浅学な僕には見受けられる。
 さ、明日から正月3日までの激動の日々になる。ま、今年は休みがウィークデーなので少しばかり助かるが。



























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