2011年1月の日記
2011 年1月1日()くもり時々雪
 夜の大晦日は大変 な夜になった。日中の雪は何とかなるが、夜の雪は... 。量こそ少なかったが風も強いし、つまらない紅白歌合戦を見たりしたため、寝付くのが1時間程度遅れた。これが災いして1時過ぎになっても寒さで眠れない のだ。このままスーっとあの世へと考えたが、その前にこの寒さで眠れないのだから無理。結局掛け布団1枚を追加してようやく体温で温まったので眠り込んで しまった。
 で、今朝も相変わらずの雪交じりの強い風。何とも凄まじい年明けになった。年末の不幸があって、今年も初詣は遠慮した。やはり松開けまでは難しいな。年 賀状も来るまい数が少なくなった。
 7時過ぎにとこを離れたが、その後気温も上がらず、あまりの寒さにデロンギのオイルヒーターを出した。使用は低温の500Wだけど、結構温まる。これで 一安心。
 午前中はニューイヤー駅伝を見る。その後は天皇杯サッカーの決勝。連勝とか有終の美を飾るとかは予想通りにはいかにものだ。
 とまぁ、ここまで記載して昨年の日記を見てみると、アチャーッ、全く同じパターンじゃないか。唯一違うのは、今日が土曜日であり、仕事しているのなら休 みだし、この点は年末年始の休み分ソンした(笑)とするか。デロンギのヒーターでいつもよりは部屋は快適、といった次第。
 テレビ番組もそうおもしろいものは無い。NHKの時代劇と相棒ぐらいか。それよりは、明日と明後日の箱根駅伝であろうな。これを見れば年が明けたと実感 するよ。
 雪は夜には雨になった。ようやく低い気温から解放されるのかもしれないな。

2011年1月3日(月)くもり時々はれ
 日はゲルマンで一 杯やって少々酔ってしまい日記が記載できなかった。とはいえ、箱根駅伝と成人を祝う会の批判の拙文が大半であろうと思うけどね。
 実際にはブログ仲間の文章を見ると結構あったようだ。羽目を外すのはイイが、子供っぽくて弱る。言いたくはないけど「親の顔が見てみたい」かな。
 仮に20歳だと、1991年、平成3年生まれの子供が成人だ。生みの親は26歳としても昭和40年生まれぐらいか。僕などその年は中学2年生だ。生みの 両親は高度経済成長期を懸命に生き、一時期の裕福さから一気に奈落の底へ突き落とされる。そういった経験を持っているはずだが、生みの親にはそれは通じて いないのかもしれない。
 というところで、今日は箱根駅伝の復路。素晴らしいレースであった。もうこれだけで十分。いよいよこの駅伝競走もスピード化の時代になって来だした。
 100mレースでもそうだが、10秒を切るときはごく自然であった。チャーリー・グリーンとジム・ハインズがシンダートラックでナイトレースでたたき出 したのだ。しかもadidasとPUMAのシューズで。
ドイツのアルミン・ハリーが10秒0をたたき出したときは時計がオカシイとまで言われ、2度も10秒0で走ったという逸話もある。
 記録が出るときはごく自然に出るものである。今回も同じだ。レース終盤で気がついたように言い出したのだからね。
 さ、街中はいつもの静けさが戻りつつある。むしろ淋しさが漂うほどだが、ま、致し方ない。今はこういう街なのだから。

2011 年1月4日(火)雨一時はれ
 い気分の朝、行か ねばなるまい。さてどうしたものか、今日はカード出しがあるので遅くなるかも、と思って歩いて行くことにする。お供はiPod シャッフル。設定を初めからやったのでヴォイスも完全。吉田拓郎まで読み上げてくれる。マイッタ。
 職場へ近づくと雨が降ってくる。ッタクもー。そのまま入ると重〜い空気。何だこれは。少なくとも去年は少しばかり明るかった。「お目出度う」「お早う」 のどちらでもない。本当に重い空気が漂っている感じである。
 本当に、重要担当者が午前中お休みになったので、予定が半日以上伸びてしまい、少しばかり残業。仕事始めの日からこの状況だ。結構厳しものが待っている ようでもある。
 帰りにあるところで「仲人」料の話を聞き、トンデモナイ額に愕然としてしまった。仲人業として成り立つのではないだろうか。
 とはいえ、仲人とは本来善意などから受け入れるものではないか。婚姻はお互いの合意によるだから、大半は両者の間と両者の関係を取り持つのが仕事だ。そ ういったこととは別に金額云々だから、僕はアゼンとしてしまった次第だ。
 夜は再び雨。何だかな〜、こういった天候はイヤだね。妻のよくやるガラムマサラたっぷりカレーの味付け変更をして思いっきり食った。コツは白コショウと 黒コショウ。そして中華スープの素(顆粒)。コイツで少しばかりモア〜っとくるガラムマサラが随分と和らげることが出来る。おかげで食べ過ぎになってし まった(爆)

2011年1月5日(水)くもり一時雨
 日間のことを、ほ ぼ1日でやってしまう。一部は助けてもらったけど。また、こういったときに限ってステルス印刷機が不調。F4ファンタムで印刷。時間がかかる。おかしいよ うなことだけど1.2倍ぐらいの時間が後の予定を狂わせる。幸いカッターマシンが快調だったからYさんの助けを借りて通常より40分程度遅れて仕上がっ た。
 この40分がなければ、積み残しが出来ていたのだが、ま、致し方あるまい。
 さて、手持ちのデジカメのおかしなところが目について、どうも使い勝手が悪い。CoolPix 4100なのだが、夜景などを撮影するときフラッシュを焚く。すると、全体が暗くなるのだな。で、フラッシュを止める。途端にぶれる。この繰り返しだ。仕 上がりはいいのだけど、こういった特性のカメラに対して、最近嫌気がさしてきた。
 かといって、今の高性能コンパクトデジカメに出来ない理由がある。ややヘビーユーザーの僕にとって、単三バッテリーが使用できないのは辛い。もう一つは 若干のパララックスは感じられるとしても、やはりカメラにはファインダーがほしい。ディスクプレー覗きながら構図考えてシャッターを切る。そのタイムラグ のためにブレ防止機能がついたり... 。
 もっとシンプルである程度高性能のカメラらしいデジカメがほしい。これがないのだな。
 今、テレビドラマ「トイレの神様」を見ている。なかなか良いと思うが、何か一貫性がない。民放の単独ドラマづくりのいつもの点が見受けられる。これがな ければなかなか... と思いつつみているのだがね。
 フト、渡る世間は... のCMが入る。最近のヘアースタイルの妻を見ていると泉ピン子さんに似てるな〜、と妙な気分になってくる。
 高校時代のヘアースタイルそっくりだ。残念ながら、この人はこの10年ほどスカートを履かない。これがね、チョイと... 。

2011年1月6日(木)くもり一時雨
 日も不安定な天候 のため歩いて行く。相変わらずiPod shuffleがお供だ。しかし、今日は失敗だった。こういった気分の時はランダム演奏ではない通常のiPodかclassicにすべきだ。
 午後からは月一の嫌な数字のタイピングだ。通常変わらないはずの予算額が12月補正で変わっている。どうして一致しないのか散々考えさせられた。予算そ のものをいじらなくてもいいではないか。が財政課は1円でも削ることに執着しているから、予算権のない教育委員会など思いっきり絞られてしまうのだろう ね。
 一般職員も同様、新着情報(いわゆるメール通信ね)で東京などでの講演会、研修会の通知が来る。その中で「参加希望の方は... 」があるのだが、誰が旅費を補填するのだ?。市は絶対に出してくれない。市のためになるであろう、こういった講演会、研修会でありながら、テメーでテメー の費用で出かけなければならない。バカげている。
 私のように自治労の組合員なら東京日帰りであっても旅費も出るし、ある程度の自由時間があるので、有楽町界隈での集会なら秋葉原へでも出向けるのだ。
 バカみたいだが、今の市の職員で組合などに入っていなければ、退職するまで遠くは松山だけしか行けない、ということになりかねない。本当のことである。
 ま、公用車で行け、を含めて何かアホクサイ。1泊2日が原則の出張でも日帰り2日とかを平気でやる。バカげている。
 いくら公務員であっても、人間が行ってる行政サービス業が主体だ。その辺を一般市民は理解すべきだし、無理難題をはじめ我々をバッシングするのはおかし いようにも思う。市のトップ集団も市民のバッシングをヨシとして我々の養護に回ってくれる場合は皆無に等しいのが今の実際ではないだろうか。
 ま、今の市長では貧乏所帯のままだろう。どなたかゼニを遣うべきところは遣う。宇和島市としての1本筋を通した行政を行う人が出てくれることを願わざる を得ないところである。今の市長では防御一辺倒というかゼニを遣いシブリして結局なーんにもならない、で済ませてしまうものばかりが目立つのだけどね。

2011年1月9日()くもり時々はれ
 はね、金曜日に少 しばかり市役所の中でのイザコザがあって少しばかり頭に来ていた次第。自分が職員なのだが、その僕でも頭に来ることだから... 。
 6日の木曜日の夜、文化会館の横の歩道にアオサギが死んでいるのを発見。明朝、K課へ通知だな、と思って帰る。
 翌日文化会館で働く人たちが話していたので、僕が言っておくと申して、朝礼の後、早速K課へ。にべもない管理職の「Nよ」とのコトバに最初に カチンと来た。こちとら、ゴミとして通知したのだし、「申し訳ないんだけどそれはN課なので」と言えないものか。
 でN課へ。そしたら、それは県の管轄だ、とのこと。若い職員が、一応僕からの事情を聞きいれて県へ通知します、でオシマイと思ったんだ。
 としたところで、慌ててきた方が、個人の敷地内のことは個人でやってくれ、というのだ。文化会館は私有地だろう、ましてや、国道 沿いの歩道は市道か国道か?。どれまで調べてから、報告して処置を仰ぐのか?。何でこんなに難しい手順を踏まなければならないんだ。1羽でも100羽でも 野鳥なら同じだろうが。
 それじゃ、文化会館から言わそうか?。とも言羽ざるを得ない。ま、とにかく先に聞き入れてくれたので事なきを得た。職場に帰って10分後に市が片付けに 行くとの知らせがあった。
 とまぁ、仕組みだからどうしようもないことかもしれないが、縦割りだな。そういった方法を採って実践するのは簡単なことだ。が、それが上手く行かない し、横の繋がりを多くすることも出来ない。こういったことが今の行政なり公務職場の在り方だろうか。
 さて、昨日は一昨日の仕事の疲れが出て何も出来なかった。ただ、お墓へだけは出かけた。本当にそれだけ。今日はwww/Gridの文章纏め。結構色々や ることはあるのだが、ボチボチでしかできない。ま、いいか。
 そういえば、今年になってオートバイに乗っていない。随分と変わったな〜。

2011年1月11日(火)くもり一時小雨
 ぁ、連休明けの仕 事。結構忙しいものがある。大半は野暮用。モチロン仕事でだけど、相手の理解力まで洞察して話をするなど、ついぞ考えていないものだから、わずかな額で あっても30分以上の時間を食ってしまう。こんなんで、滞納が出るのなら、ついぞ僕が言っている、市民に対して広報ぐらいで税金の仕組みを通知すればい い。こういったことを市民にアピールしないし、職員全体へも研修会なんぞ開かない。
 僕の知る限り、昭和50、51年ぐらいに各課の課長が講師になって若年職員に対して研修会をしたのが最後。その後行われていないのが現実だ。もちろん、 一般会社の新規採用職員と共に研修を受けることは毎年あるが、肝心な我が職場全体の仕事の研修会は一切無いのである。まさに市民からモンク言われても対応 できない。
 組合の執行委員会で遅れたが帰ってNHK総合テレビのクローズアップ現代のスペシャル版を見ていて驚いたね。大手企業の多くが行っている職場の状況がよ く解った。宇和島などの民間企業の大半は親方日の丸。モンクがある職員は首を切る。こういったのが日常茶飯事だろう。そして決まり文句のように「会社が無 くなったらどうするの?」がくる。この辺の企業でマジで20人ほど退職者が出たら会社の運営が回らなくなるぞ。
 従業員も人がいいから、「ごもっとも」と経営陣に従わざるを得ない。ま、職員側で余程強いリーダーシップを発揮しているようなところでも「イクゾ〜」・ {はーい}・「ソレー」... 。振り返ると自分一人だけという状況だろうね。
 ま、余程のことがない限り、この街での生活が上手く行くようになるには数十年かかるのではないだろうかね。その頃には、僕はあの世とやらへ行ってるので あろうけど。

2011年1月12日(水)くもり一時雨
 い1日であった。 朝、昨日の続きがあるもので早めに出る。が、担当の方が休み。タイミングが合わないね。ま、身体が第一。今日の分は諦め。
 ところが苦労して入力したものが、数回チェックにあってダメー。実は関数をコピーすればOKだったのだ。最初からやってれば良かった。今のソフトは以前 のように飛んだりはしない。来月は失敗の無いようやってみよう。
 しばらく、といっても数日だがブログを更新していなかった。出来なかったといった方が正解か。そんな気分もあって、これからしばらくMac関係をタイプ したいと考える。本日は512K。もはや見向きもされないマシン群だけれど、どことなくいいものを持っている。それゆえ、捨てられないのであろうか。当然 元箱などがあるものはそれも一緒にだ。PLUSの箱など、小さい電気洗濯機の大きさだものね〜。
 明日は晴天らしいが、1年前は雪だったのではないだろうか。月日の流れが速く感じ始めた。

2011年1月14日()くもり一時小雨かな
 日は職員組合の旗 開。結構誉めコトバであったが、「宇和島市が無くなってもウチの組合は潰れない」と言ったようだ。なるほどね。それぐらい合併後のモロモロは尾を引いてい ることだろうな。
 楽しかった旗開きの宴も、生ビールのコスト下げてしまって、大きい紙コップで5杯飲んだが酔わないのだ。そこでビールの単価を下げたな、と解った次第。 けど、松竹梅を3杯ほど飲んだので、結局はいつものパターンになった。違うのは肴がメシに替わったことだ。そのため、帰宅後は一切食べなかった。ところ が... 。
 今朝、とてつもない「屁」がシコタマ出て少しばかり笑ってしまった。未だ報告してはいないが、あるサプリの実験中だ。妙に醤油の臭いがしたり... 。
 というところで、文章のまとめで2台のMacを使用している手前、図書館でその作業をしたのだが、妙につまらなくなった。理由は簡単だ。「ACアダプ ターを使用するな」のお達しがあったからだ。以来、僕はノートPCを使用するユーザーを図書館で見たことがない。僕自身、4時間もここで作業できるわけ無 いから無視しているけど、こういったユーザーサイドもケチル教育委員会の体制、ひいては市役所、市長の考えに「バカ」を付けてやりたいのだがいかがだろう か。
 ケイタイではない。純然たるノートPCを未充電で充電をしつつ使うユーザーなんて本当にいるのだろうか?。
 こんな状況を調査せずに、ヤレ、私物を公用の電気で... 、との考えをくだすバカの集まりの状況... 。止めよう。
 渡邊喜一郎館長が存命なら、「何じゃ、これっぽっちのことも市民サービスとして考えられんのか、バカヤンらが」と言うのかもしれない。

2011年1月15日()くもり一時小雪
 夜明けて、外の様 子がおかしいのに気付く。ナントまぁ、バスが凍結した路面の氷を踏む音であった。まさか?
 拙宅の前も大変。特に玄関を出て直ぐのところは日陰になってしまうので、午後になってようやく溶けた状態だ。ホース内の水も凍り付いてしまってる。仏壇 の水は二階で汲んだ。こういった天気にもかかわらず、身体が良く動く。不思議なことだ。
 午前中に南予マラソンはあるのかいな?、と和霊様まで歩く。途中の道路ではツルリっとなるか所が一杯。そのため、左側歩行をせざるを得ない。鶴島町の国 道沿いの歩道など、須賀川側と向かい側では相当に溶け方が違うのにはオソレいった。結局、今日は「荒天」ということで中止になったようだ。
 ブログをタイプしようとしたところ、ホームページのMac iBookのところでどうしても認識しない。もしや!?、と思ってフォルダーの名前を変更したらOKになった。この間1時間を要した。てっきり、インフォ シークの時は大丈夫だった。ディレクトリが違うから大丈夫とふんだが、FC2では出来なかった。なかなか難しいな。これで移行後の処理は大半はOKになっ たと思う。
 天気の関係でしばらく行けなかった丸穂温泉。風が強いから天窓から入り込む寒風に少し困ったが、流石に広い湯船に浸かると出た後も身体の冷えが少ない。 これが銭湯の良い処でもあろうかな。
 1月も早半ばになった。時の流れが恐ろしく速い気分になってくる。もういくつ寝るとお正月だろうか、などとバカいってるように感じるが、それほど今の日 本は時の流れが速いように感じる。金曜日に見た「世界ふれあい街歩き」はイギリスはウェールズのコッツウォールであった。オカシイほど時の流れがゆったり で、生活するのが楽そうに見えた。もちろん、その土地独自の悩みもあろうけど、ゆっくりと生活がしたいものだ。僕にとっては残り500日あまり後だが、こ ういった天候では生きていけるかどうかが問題だ(爆)

2011年1月21日(金)はれ後くもり
 しぶりな自由な金 曜日、と僕だけが感じていることかもしれない。僕が取った電話で疑問だったのは、あまり状況を知らないその道のプロからのものだけであった。 この方がどうして役職に就いているのか。市の行政の一助として協力願う人がそれほどのものだから、一般人の行政に携わる外部の者の 知識の状況は... 。市の委嘱状況がうかがい知れる。
 はっきりいえば専門の課へ問えばいいのだよ。が、ご自身の職との関係から問えないんだろうか。情けないな。もっとも主は別のことだったのかもしれない が... 。
 というところだけ。あとは非常にゆったりと時が流れる。そういえば、どなたかが言ってらっしたが、あの方から「手伝おうか?」と声をかけられたこと、 「忙しいところスマンがお願いしたい」などの声を掛けられたことはないし、部下に声をかけたのを僕は知らないナ〜。ヤレヤレ!と声はかけるもののね。もっ とも、ここだけかもしれないし、職場のほかの課も同様かもしれない。それだけゆとりがない、ってことかもしれない。それゆえ、住民サービスも... 。
 夕方の民放のニュースを見ててアゼンとして、しばし声が出なかった。「○○寺の金堂」その金堂を「きんどう」と言ったぞ。その訂正すらない。これは喋っ たキャスターのバカさ加減が... 。
 NHKの鴻上がアドバイザーになった番組もそうだ。「四国は一つ」というが、バカじゃネーの。教授の一人が松山から徳島までの距離が長い云々を言ってい たが、この考えを東京の大学の教授に提案したらどうなるのだろうか?
 かつて、宇和島市に4年制の大学を、の説明会に「東京から2時間で行けるキャンパスはなかなか魅力ですよ」と言い放ったのだ。それを今回、地元のバカ教 授が松 山から徳島は遠いなど言うものだから... 。こういったところの大学出てもバカ学生ばかりが... 。
 所詮、机上の理論が突っ走る。当の鴻上自身も番組に対しての発言がシナリオ通りに走っているようにも感じた。
 四国は纏まっているようでも絶対に一つにはならない。そのほうが好ましいことにそのうち気付くだろう。その時の住民の呼び名は「四国民」ではない。あく まで最低 は県人だ。
 こういったところに、中村知事が関与するのだろうかね。関与するなら、思いっきり敵をツクルことになるだろう。加戸君は一つにして愛媛が主導権を握るよ うにさせたかったが、できなかった んだから。

2011年1月22日(土)はれ
 曜日、本当は結構 なことをこなさなければならないのですが、身体が言うことを聞きません。何しろ月曜日から木曜日まで3種類のことを仕事の終わった後2時間程度やっていた ためであろう。何しろ考え方などを分割しなければならず、その一つを本日やろうとしていたのだが、ダメであった。
 昼前に宮脇書店まで歩いて行く。ここ最近調子を取り戻してはいるのだが、やはり歩けない。不思議に思われるかもしれないが、どうも一時期良くなりかけて いた身体の調子が寒さの性かしら緊張しているのだろう。しかし、以前のようにシビレて力が入らない等のことはなくなった。一歩一歩、踵から着いて爪先で蹴 る、という動作を確認しつつ... 。ところが、腰が全く回転していない。それをやるためには腕を振らないと... 。
 手袋をしていなかったのが不覚であった。身体状況が解っているのに動作がついていかない。ダメだな〜。
 昼飯の後、昼寝。少しだけ気分が良くなる。退職後のことを考えると、もう少し身体を動かすことに時間を割いた方がいいのかもしれない。
 iPodの充電とギターを弾く。ギターは今年初めてだ。不思議なことだな。そういえばオートバイには今年になって乗っていない。何もかもやれていないこ とが多い。これも寒さの性、とするのは正しいことだろうかね。

2011年1月23日(日)はれ後くもり
 前中の晴天も午後 からは曇り空となった。夜には雨かもしれない。荒天の連続がないというのは辛い。
 楽しみにしていた全国男子駅伝の愛媛チームは、1区でアッという間に置き去りにされ、最初の中学生区間で盛り上げたものの、再び浮上することはなかっ た。僕個人の判断であるが、体育の先生がこういった趣味性の高いスポーツの指導者になるのは不向きではないだろうかね。もっとも、僕のよう異端児という か、そういった教師なら別だ。しかし、愛媛の教育では、やる前にその行動などが先生を司る団体から監視の目で見られることになるから、30位前後から上へ 行くことはないであろう。
北九州の女子駅伝でも同じだ。僕自身が感じることだけど八幡浜高校のK教諭では、もう勝てない。今の3倍以上の資金力と、4〜5倍のサポート体制が八幡浜 高校の陸上競技部の「駅伝部門」に無ければ、絶対を付けてもいいが勝てることはない。
 強いて言うと、高校野球で「吉田高校を一勝させる会」というのがかつてあった。成就する前に監督が替わってそれは実際になったが、もし、監督が替わって いなくてもあれだけの会になったのだからきっと成就できていただろうと思う。
 その逆とまでは言えないが、南中等教育学校の「女子サッカー部」は今のところ入学者と監督(部顧問)との一致がない限り、かつてのように常勝チームには ならない。断言してもイイ。
 とまぁ、こういったことを考えていた。もう一つ、僕のホームページの在り方について、少し考えることが... 。
 市のやり方もそうだが、ここ最近、観光客に対してというか、外来者に対してこの街をどう紹介しているのだろうか、ということに気付いた。パンフレットな ど、結構良い面を出しているが、僕自身が思うのは、決してそのとおりではない、ということだ。もう少し、下って、日常の様子などを僕のホームページで出す べきではないか、と少し考えを広げたところだ。

2011年1月31日(月)雪後くもり
 昨夜からの雪は積雪 になった。勢いよく9時近くまでは降った。このため、出勤が遅れた者がかなりの数出たね。公共交通自体も雪による渋滞で遅れ気味ときたから、踏んだり蹴っ たりだ。
 お客もそれなり。が、午後は通常に戻るからいつもの月曜日になってしまう。おまけに月末だし。で、組合の定期大会のことを記載する間もなく、再び仕事ば かりの世界だ。ま、数日遅れだから大丈夫だろうな。
 としたところへ、横やりが入る。(よく見ずに)「判だけ押せばエエわけないぜ」ときたね。担当者がとったことのメモを、いちいち根掘り葉掘り問い合わせ て記載する のか?スペース無いぞ。それに気付いたら欄外へでも鉛筆で書いとってくれ。決済後に記載するから。そして、報告するよ。ま、今回は電話をして聞いたけれど も... 。
 したがって、コチトラ悪いとは思っていないから無言 のまま。随分と成長したよ。○○しているとは言いすぎだけど、それなりに。
 さて、今日で1月もオシマイだ。2月は逃げる。3月は去る。3月になると、残り1年だな、という思いが強まるのだろうか。今の職場だと気分良く退職でき そうにもないな。来年の3月末は土曜日。30日の金曜日は退庁時間までは居ようと思う。花束は要らない。家で生けることはないから。みんなと一緒に仕事を 終わって、明31日は... 。
 上の段落での予定はずっと前から決めてる。そういえば、数年前に退職したTさんも退職後に職場へ来てレクチャーだったから、これだけはゴメン被りたい。


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