2011年3月の日記
2011 年3月1日(火)くもり一時雨
 日から3月。朝は 高校生諸君もあまり居ない。そういえば、今日は高校の卒業式だ。僕の場合はもう何年前になるのだろう。
 ほとんど記憶がない。記憶のあるのは小学校の入学式、中学校の卒業式、高校の卒業式そして大学の卒業式ぐらいだ。妙なことだけど、こういった大きな式典 は何か形式張って僕の意にそぐわないのかもしれない。
 高校在学はまだ続くのだが、今日を境に少しばかり大人になって... 、と行けばいいのだが、僕のようなジジイからすれば責任のない自由を味わうのみに突っ走るのだろう。中学の頃より軍事教練的な授業をやらなければ、やがて 日本は... 、よそう。
 今日はことのほか仕事の具合が良かった。逆にこういった日は別の面が余りよくないのが常だ。ま、もうしばらくすると、とんでもない世界に引きずり込まれ そう。数百人を数十人で守ることが出来るのか。否、中立を保てるか、にかかってくる。辛いな。

2011 年3月4日(金)はれ時々くもり

 の一件以来、少々 気分が滅入って記載できなかった。本人出勤、その時免職を言い渡されたらどうするね?。本人はやっていないという。おそらく裁判にあるであろうな。自分に やましいことがないのなら裁判をやればいい。
 さて、久しぶりに15時過ぎから休んだ。とはいえ、明日は6時過ぎから松山。今日は18時から春闘の学習会ときているから、休むったって休めることはな い。が、真の目的は... 。これはそのうちに。
 さて、春闘の学習会に参加して、この国はこれから先どうなっていくんだろうか、と少しばかり心配になってきた。民主党なんて政権与党なんて言ってるけ ど、財界に操られているようなものだ。自民党時代と変わりゃしない。いつまでも野党のポリシーを心の片隅にでも持っていてほしいものだ。それがあれば、企 業の基金から少しだけでも出すべきではないか、と法案つくるぐらいの首相になっていただきたいものだ。
環太平洋何たらって、この国の食糧事情の行く末など考えない。カネさえあれば何とかなる。にはなるが、国民は総貧乏になってしまう。まことに不思議な世の 中になってしまった、と感じる。
 そういえば、僕自身もこき使われて終わりを迎えるのであろうな、と考える。

2011年3月7日(月)くもり後時々はれ後一時雨
 た月曜日を迎え る。何だかナー、気分が乗らない。間もなく送別会も始まるのだろうか。苦渋の送別会のところもあるだろうね。
 最近、市の考え方ってーのが解らなくなってきた。近所の木や旅館のアトメを市がやるって言うんだが、商売として考えているらしい。今時、こういった旅館 へ泊まる客ってあるのかしら?
 天赦園グランドの跡地がどうなるのか、ってーのも広報へ出ただろうか。南予文化会館も市の所有になった。ところが未だに文化会館の使用料から利用目的な どに対する予算建ても一切無い状況だ。
 ね、こんなところが文化都市って豪語できるのかどうか、わかんねーな。
 昼過ぎから急に腹が張り始めて往生こいた。下も上もガスが出ない悶絶状態。飲み過ぎか。どうも胃をやられているのかもしれんな。が、メシは自然に入るの だから... 。これまたワカラン。
 間もなく新年度になるが、何かスパーッとした方針などを出したらどうか。やはり、昨日の愛媛新聞の対談程度なんだろうね。

2011年3月8日(火)くもり後はれ
 日冬の天気並み だ。天気の動きは速い。朝少しばかりパラリ〜っときたが、すぐさま上天気になった。
 新聞紙上で元ご近所の方が無くなったのを知る。急遽参列するために午後は休暇。葬儀場の寄松までは遠いな。誰か近所の方は行かれるのであろうか、と思っ たが皆無であった。わずか数年前まで... 、とすると虚しいな。
 御当主が涙ながらにあいさつをされるのを聞くと、僕が泣けないものが明確になって来た。僕の場合は、句稿2年の時に父を亡くしている。つい1週間前まで 元気だったの父が立てなくなる。歩けなくなる。はって移動する姿を見ると実際情けなくなる。それもできなくなる。最後は僕が脈を取って静かに息を引き取る 瞬間までをやる。その役目がなぜ僕だったのか。なぜ母ではなかったのか。未だに疑問だ。
 そういったことから、人様の死に幾度となく同席しているが、そこに眠る方はすでに死者でしかない。そういった割り切った考え方しかできなくなってしまっ ている。お許しいただきたい。
 それでも、何かセレモニーホールでの葬儀に出席するのは最近つらい。ふと考えたのだが、「葬儀」を「葬儀式」にしてしまっているのではないだろうか、と 考えてしまった。
 帰り道、先般の大河ドラマ「江」での信長が言ったことばがグサリときた。所詮、死者への弔いをより良いものにしてやればいいのではないか、との考えから だろう。それを考えるのは人間だ。
 僕は息子に対して、僕が生きているウチに僕の葬儀の時は選仏寺でやるように。客年の周忌はともかく、49日までは... 、などと考えていた。

2011 年3月12日()はれ時々くもり
 何とも言えない一日の始まりであった。新聞を見て一層その感覚が強まる。番組の大半は昨日起きた東北三陸沖大震災のことばかりである。はっきりいって目 的外で編集のしようのないライブ番組をやるようなもので、刻一刻と実際が想像以上のものであることが理解される。僕もこれ以上は書けない。ブログでは一応 のことを記載したが、一つの自治体が壊滅するぐらいの被害が出ているのだからことが少し落ち着いてからのことになるだろう。
 さて、今日はまず朝から昨日アップできなかったブログをアップ。その後で、松山出張。若干早めにバスで出たのだが、高速道の交通量は結構なものがある。 先に言うと、帰りの列車の方がすいているという有様。
 会議の前に2番目の孫の誕生祝いを。物は「ブーブ」昨日はこれを市内で探すのに苦労した。高島屋へ行ったところ、異例に少ない。どうしようかと思ってい たところ、プレゼント用のセットがあったのでこれを湯オイスした。
 最初の孫用には入学祝いを兼ねて先にゲットしているものが在る。フト息子の誕生祝を全く無視していることに気付いたが時既に遅しだ。
 帰りは先に言ったJR。幸いなことに岡山からの便は通じているようで安心。それでも、何時になく閑散としている。並ばなくても十分に座れるという具合で あった。
 東京電力の原発では事故る寸前になっているようだが、被爆すると日本の原子力発電の根本を考え直さなければならないであろうな、と思った。僕がいつも言 う「全く見えない」「全く聞こえない」「全く臭わない」まま、身体をむしばむ。いくら平和利用とは言え強大な「核」であることには違いないのである。
 帰って、修理に出していた靴を受け取りに。結構苦労されていたようだが、金額的には安いと思う。もう靴修理もここだけになってしまったな。
 その後は、本当に久々の同級生での飲み会。すでに退職を迎える人も居る。こういった点、自由業は定年がないからいいな、とも思う。僕など来年の4月以降 どうするのか、そろそろ真剣に考えないとならないな、と思う。そう外で飲むことも控えることになるのであろうな。

2011年3月13日()はれ時々くもり
 日は久々に羽目を 外してしまった。午前様ついでだったが、習慣とは恐ろしい物で7時には起きて動いている始末。長く寝られる人がうらやましい。
 地震のこともあり、国家安泰までは必要ないまでも、家内安全という意味からお墓へ掃除をしに行った。雑草も少ししか生えていない。冬が異例に寒いことを 物語っている。
 帰りにズッと下ってウィリー・ウインキーへ食事パンを購入に。家に帰る。その間何かオカシイ気分が支配して... 。昼前に妙典寺のお稲荷さんへ。静かすぎる。一体どうしたのだろう、と思うほどの静けさだ。
 アー、東北地震のためにみんな喪に伏しているのかもしれない、と感じる。これが続くとなるとしないも相当に冷え込むことになるのではないだろうか、と少 しばかり心配になってきた。
 世界各国から救援隊がやってくる。しかし、やろうにもどこから手をつければいいのか判らない状態であろうと思う。いつ頃になれば落ち着くのだろうかな。
 そういえば、明日はホワイトデーだ。こういったことも今回は話題にも上らないようにも感じる。

2011年3月14日(月)はれ一時くもり
 気予報とは違っ て、夜に少し雨になった。先日来感じていたとおり、真面目に市内が静かだ。不気味とも言えるぐらいに。拙宅の裏の銀行の駐車場でさえ、行員の喋り声もな い。妙な不気味さが漂う。
 職場はいつもどおりだが、これまた静かなものである。僕だけが感じているような気もしたが、どうやらそうではないようだ。本当に静かなのである。
 午後、もう一つの職員組合から募金袋が回る。何と勝手なことか。状況を知ってほしい。義援金を送る先を何処に限定するのだ。とりあえずやろう、として始 めたことかもしれないが、反対した僕は募金を控えた。今募金をやるとしたら巷でやってるような広く一般のものがいい。僕が動かないのを見て、どうするの だ、と来た人が居たが、募金そのものを否定するわけではないまでも、もう少し落ち着いて、どのルートで行うのかなどが明確になってからでも遅くはない。
 今は、カネより先に、人が死なないように身の回りのもの、特に水と食料だ、と思うのであるが、僕の考えは間違っているだろうか。
 さて、遅くなったが二番目の孫の誕生祝いを贈った。同時に息子の31歳の誕生祝い、それに長男の孫への小学校入学祝いも贈った。何となく気分が良いが、 大震災がなければもっと良かったのに、と思う。書記には商品券をホワイトデーのギフトとした。
 今になって、静岡・糸魚川ラインでたまたま導入したドイツの発電機とアメリカの発電機のために、このラインより北が50Hz、南が60Hzに別れる。そ のため、四国電力から被災地へ電力が供給できない、という不思議な現象を100年近く経った今になって表面化してくるなど、文明開化を未だに引きずってい るのだろうかな。

2011年3月16日(水)くもり時々はれ
 キナリだけど冬 だ。朝はチョイト早起きしてシャワーを浴びて一息ついた後、窓がブルブル... 。何と風だ。こりゃビックリ。出勤時は完全に冬。オイ、おかしいんじゃないか?
 三寒四温などと言うものではない。何しろ昨日は暑いぐらいで職場の暖房も止まっていたんだからね。別枠の宴席会場まで歩いて行くと汗を拭っていたのだか ら。
 そういったところから、本日は暖房温度が高いと思っていたらそうでもない。結局機密度が高いから熱が逃げないんだよね。それ故換気も必要なんだが、これ が却下されている。人の出入りが大きいフロアでは、夏と冬は相当にエリが汚れる。そう、乾燥しているから土埃が落ち着かないのだ。
 仕事は少しずつだけど順調。年度と出納閉鎖と現年度納付と随分とバカげているが一気に来ないのが助かっているわけかもしれない。
 帰りはどうしようもなく寒いので、酒道場で湯豆腐とお燗で暖をとる。これが結構効く。おかげで、少しばかり夕食がすすんだ。おもしろいものだな。
 ようやくではあるが、民放から通常番組をやってくれるようになった。少しばかり落ち着いたのかもしれない。
 さてと、久々にヤフオクをやる。オークションでも出品者の居住地、発送関係などについて地震との関係を確認しておくことを謳っている。僕も気にはなって いたが、幸いにもこの点は大丈夫であった。
 上手くゲットできたが、このマシンもいずれは紹介しようか。息子に取り上げられたから、同じようなものを、といえばお解りになるかもしれない。このマシ ンは打ち止めだ。結構人気があるんだよね。

2011年3月17日(木)くもり
 ジ朝は雪であっ た。本当だよ。牡丹雪に近いものが落ちるんだけど、気温が高いので地表に落ちるとあっという間に水に変わる。致し方ないな。季節は春なんだから。
 この間の地震に関しては、我々からすると一種の困りものだ。お前は〜、と仰有る無かれ。事実だ。
 まず、金額を送金する。何処に特定するのか?。幸いにして、旧岩出山のあった大崎市へ募金、ということから総務部でやった。こういった明確なのが必要 だ。あるいは一般の募金は1階でやってる。これは相当期間がある。
 今日はメールで直ぐにでも行ける職員は名乗り出るよう、との通知が来た。「このバカタレが」と僕は感じた。一般職員が出向いてなにをどうする?。住むと ころはどうなんだ。考えればきりがない。僕はこういった状況を一定ネガティブに捉えるべきではないか、と感じて、これまでの日記に少しばかり落ち着いてか らにしてはいかがかな、としているところである。
 さ、今日はスッタモンダあったけど、自治会の総会だ。来年からは僕が自治会長になるのだけど、今日は久しぶりに和やかな総会になった。ウレシイネ。生ま れて直ぐからここにいる人、しばらくしてここに来た人とともに、久しぶりに和んだもの。
 確かに僕の年代になると思い出に話が弾むけど、地域社会の状況は正に今のことだ。結構店をたたむところとかの噂を聞くとやりきれなくなる。こういったと ころも自治会の良いところかもしれない。
 しかし、子供が居ないのは辛いところだな。家も建たないし、今の時代では難しいところであろうか。

2011年3月18日(金)はれ

 しぶりに早朝より 陽光が差し込んだ。本当に何気なく「イイ天気だな」と思っていただけだ。それだけのことであった。朝の空気は冷たい。本当に何気なく今を感じていた。
 職場では▲室からの変更通知に散々な目にあった。結局3回も訂正のために足を運んだことになる。最初の取りかかりが若干間違っていたのが原因だが、せめ てこことここをこのように... 、と言ってほしいものだ。
 結局5時ごろまでかかった。このことだけではなかったが、メチャ疲れてしまった。相変わらず使いづらいコンピューターシステムだ。これがMacでいうウ イズウイグ(WYSWYG). What You See is What You Get)に近いのならいいのにな、と思ったりもする。ともかくそのものの画面が出てその指定のワクにコトバなりを入れてプリントアウトしたらそのものにな る、というのが必要なのに、入力画面と出来上がりが全く予想できないものだし、日常使用しない事案などマニュアル見ないとわかりゃしないものね。
 と、退庁前「一週間前」をようやく思い出した。あの日は何だったんだ、あっというまの出来事だった。回りが被災地を炒め続けているようにも思う。
 テレビで見たのだが、愛媛でも原発反対のグループが知事に会わせろという。このおばさんがね〜といったような発言をする女性など不思議な世界を感じた。
 震災前に毎日のように県庁へ出向いたか?。そんなことをしていない連中が、愛媛で原発止まったら、どうするのかなど考えたりはしないのだろうね。
 かりにそうなると、停電の範囲は相当広がる。原発は僕も反対する。が、今稼働しているものを止めた後のフォローはどうするのか?。これは県と四国電力だ けが考えることではないはずだ。そういったことまで考えてからモンクなど言ったらどうなんだ、と考えたんだがどうだろうか。

2011年3月20日()くもり後雨
 ンビリはノンビリ だが、夢に出てくる僕は20代のおっちょこちょいだ。いいところまでいってるのに目が覚めた。
 昼前から雨になりそうだ。相当に滅入るのはその後でしたね... 。
 好調のオムニブックにXPのサービスパック2をインストールした。ここまでは良かったのだが、ファイルは飛ぶわ、ハードディスクは音が止まらない=アク セス中だし、たかがサービスパック3までの中庸だのになぜ?。
 結局無くなったofficeをインストールして良くなったが、ここまで3時間だ。ビルゲイツのバカ野郎がこの場にいれば、インストールなど、もう少し簡 単にせよ、しかも確実性を増せ、ってぶん殴ってやるところだ。
 で、Windowsの一般ユーザーには気にもならない。なぜなら、今のマシンしか使用していないし、古いマシンはそれに対応したOSでキッチリ動いてい る。故に僕のようなことをしなくてもイイ。
 そういえば、WindowsユーザーでMacユーザーのように、もう少し何とかなるんではないか、と努力しているの見たコタないな〜。
 ようやく、Windowsのギミック点が判ったような気がしたね。

2011年3月21日(月)雨後くもり
 気用が当たらずも 遠からじであった。こういった状況を空から見ると宇和島はスッポリ雲に包まれていることだろう。
 昨日のWindowsのアップデートには泣かされた。Windowsユーザーは、こういったことはすべからくその筋のエキスパートへ言うのだろうね。と すると、知ってるメーカーサイドはヘイコラ、とユーザーの言いなりになる、という寸法で、そのうち「そろそろお買い換えの次期ではないか、と」ってもっと もらしいことを言ってるのではないか。あくまで予測だだがね。
 今日はラジカセ、もとい、CDラジカセを出してきた。コンデンサーに電気が蓄えられるまでの音っていったら、これはトンデモナイ。しかし、多くの人はこ ういったことを感じ取れないのであろうな、と考えたりもする。
 久しぶりに空気を通して耳で聞く音楽を楽しんだ。それにしてもチッポケなモデルだが、僕が選んだ目に狂いはなかった、と自画自賛。そういえば2年前のク リスマスプレゼントだった。
 ま、ブログとの交錯で申し訳ないが、こういった簡単なものでもエージングなどの必要があるんだから、50ccの4サイクルスクーターなど、ホンの 100kmぐらいゆっくり乗ってやるとエンジンなど相当にイイものになるのだけど、誰もしないよね。意識は2サイクルですから。

2011年3月23日(水)はれ時々くもり
 ともテレビニュー スなんぞ見てるとつまらない。状況報告だって、あらかじめリハーサルしているのは確実。こんなの見たってどうしようもない。はっきり言ってやらせだらけ だ。
 住民にも何も聞かず、淡々とカメラを回す。ナレーションなんて要らない。こういったのを見せれば大半は理解できるし、今日の何時から何時まではココ。何 時から何時まではアソコ、というものにすればいい。十把一絡げでやろうとするから、ニュースも関連番組もポイントが全くないものになってしまうのではない か。
 今回の被災地の指揮権は一体何処にあるのか。ココをもっと考えるべきではないか。マジ、ファッショではない。
 そんな中、アメリカ軍の救援物資の搬送方法には偉く感激した。下着などもあったし、何より、空から目視して、孤立しているような自治体に物資の搬送をす る。ごく自然に「シッカリね」と物資を渡して去る。再びその繰り返しをやる。僕は本当に頭が下がる思いをした。
 クローズアップ現代で、自治体職員も居なくなっているので、そこへのサポートも必要と評論家センセが言ってらっしたが、それをやると、職員を派遣する各 自治体はパニックになるだろう。こういったことをやらかした小泉某の考えにマンマ乗せられた結果であろう。こういったことから道州制になると、日本では集 約を勧める手段だから、とてもじゃないが、こういった災害への対応は今以上に悪くなる。
 税金でメシ食ってんだろう。この街で災害が起きて行政の機能が果たせなければ... 。いや、果たすことすら出来なくなるのは事実だ。
 ウチの避難場所は西江寺、選仏寺だ。もし橋が決壊したら、僕は危険を冒して駅前まで出て再び登ることになる。山際など、変電所の裏側の山だ。本当にそこ へ逃げられるか?。こういったバカげた避難場所を決定して以来、見直しなど一切無い。こんな自治体だものね。
 その上、自治体合併で職員数も減らされ、なおかつ住民サイドに沿った... 。バカ言ってんじゃない、と僕は考えるが、市民の多くは実態を把握していないから、一層自治体への攻撃を加えるのであろう。嗚呼... 。

2011年3月23日(水)はれ時々くもり
 ともテレビニュー スなんぞ見てるとつまらない。状況報告だって、あらかじめリハーサルしているのは確実。こんなの見たってどうしようもない。はっきり言ってやらせだらけ だ。
 住民にも何も聞かず、淡々とカメラを回す。ナレーションなんて要らない。こういったのを見せれば大半は理解できるし、今日の何時から何時まではココ。何 時から何時まではアソコ、というものにすればいい。十把一絡げでやろうとするから、ニュースも関連番組もポイントが全くないものになってしまうのではない か。
 今回の被災地の指揮権は一体何処にあるのか。ココをもっと考えるべきではないか。マジ、ファッショではない。
 そんな中、アメリカ軍の救援物資の搬送方法には偉く感激した。下着などもあったし、何より、空から目視して、孤立しているような自治体に物資の搬送をす る。ごく自然に「シッカリね」と物資を渡して去る。再びその繰り返しをやる。僕は本当に頭が下がる思いをした。
 クローズアップ現代で、自治体職員も居なくなっているので、そこへのサポートも必要と評論家センセが言ってらっしたが、それをやると、職員を派遣する各 自治体はパニックになるだろう。こういったことをやらかした小泉某の考えにマンマ乗せられた結果であろう。こういったことから道州制になると、日本では集 約を勧める手段だから、とてもじゃないが、こういった災害への対応は今以上に悪くなる。
 税金でメシ食ってんだろう。この街で災害が起きて行政の機能が果たせなければ... 。いや、果たすことすら出来なくなるのは事実だ。
 ウチの避難場所は西江寺、選仏寺だ。もし橋が決壊したら、僕は危険を冒して駅前まで出て再び登ることになる。山際など、変電所の裏側の山だ。本当にそこ へ逃げられるか?。こういったバカげた避難場所を決定して以来、見直しなど一切無い。こんな自治体だものね。
 その上、自治体合併で職員数も減らされ、なおかつ住民サイドに沿った... 。バカ言ってんじゃない、と僕は考えるが、市民の多くは実態を把握していないから、一層自治体への攻撃を加えるのであろう。嗚呼... 。
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