2011年5月の日記
2011 年5月5日(木)はれ時々くもり
 うやく早朝のハー レーのエキゾーストノートから解放された。何というか複数台がエンジン始動し、アイドリングで近くの交差点でストップすると、爆音ではない吐き気を催す音 なんだ。バイク好きの僕がこういう表現をするのだし、時間も6時前からやられる。ともかく新興のハーレー乗りのバカさ加減に辟易する。ハーレーってー乗り 物はもっとステータスがあって、さて行こうか、というのは10時前ぐらいであろう。そして、到着も18時までで、それ以降は大人の夜の時間帯としての行 動。それが、ハーレーに乗るライダーのステータスだが、島国根性と長期ローンで購入したものだし、点と点を結ぶバイク旅行の足として使うのだから、僕がい くらいっても国内のディーラーも協力はしてくれるまい。売れりゃいいの考えが先に来るものな。
 えらく、ハーレーの悪口を記載したが、ハーレーダビッドソン・ジャパン自体がダメなんだろう。各ハーレー乗りのクラブ自体も最近は高齢化しているし、 オートバイクラブったって今では死語に近い。「ツーリンググラブ何とかかんとか」って存在はするが、大半は月に一度のツーリングでさえ出来ていないのが日 常だろうし、交通安全何とかの運動に積極的に関わっている... 、も無いであろうね。
 所詮、個人の楽しみを団体で運営しようってーのは難しいものがあるな。
 今日はこどもの日。ノンビリできた。それ以上に、退職後の身の在り方を事前学習したような一日であった。イチイチ記載はしないが、最終は丸穂温泉で菖蒲 湯を楽しんだ後、スーパーハッピーまで出向き第三のビールと酎ハイを購入して、家で一杯やる。これだろうね。
 当然、日中はSR500に乗ってテストをしているのですけど、そんなのは堂でもイイのです。トライアンフの方がもっと乗りやすいしね。それをボチボチ始 めているのですが、これまた退職後の楽しみの一つでもあるわけだ。
 と、明日は結構忙しい1日になりそう。しかも次の土日のうち1日は出なけりゃ追いつかないからね。言ってると切りはないが辛いのは辛いのだよ。

2011年5月9日(月)はれ後くもり
 とも大変な週明け だった。午後から免許の書き換えを、と思っていたが、そうはならなかった。結局のところ自分では何ともならないことだし、加えてイライラするような客が来 る。本来の仕事の途中だから、それらが後回しになってしまう。で、結局7時前まで... 。
 それにしても、思い当たるのは疲れが数日遅れでやって来るようだもの。
 昨日、丸穂温泉へ行った後、ゲルマンへ。お客が多くて閉口する。まさか、「お客居る?」って問い合わせするわけにもね。で、疲れの助長でバタンキューに なって午前2時頃目が覚めて、後はウトウト。最後の一眠りで6時前に起きた。で、起床から12時間後に家に帰ってきた。
 と、こういった日々を過ごしていると割に合わない仕事だな、とも感じるね。とにかく、今の業務は月末、月初めに休みが来なければ比較的順調なんだが、4 月末と5月始めは平日の連続がないわけだから、大変なだけ。1日遅らせると数値が狂う、というシステムだからどうすることも出来ない。こういったところを どう申し上げようと、どうにもならない。
 残り3日間、これまた辛い日々が... 。これだけだ。
 さて、暑い毎日になりそうなので、4月の終わりから自転車通勤に変えている。時間の短縮は出来るが最近は自転車でゆっくり走れない。右折するときなどは 後ろからの自動車に最大の注意を払うことが必要だ。
 当然だろ?。バカ言うな。それほど自動車の排気音などが小さくなっている上にオートマしか売れていないご時世なので自動車のことを知らないドライバーが 多すぎるのだな。それゆえ、必要以上に弱者のこっちが注意を払う必要がある、という何か矛盾した道路交通環境なのである。
 加えて、今の普通自転車は走らないね。切れない包丁と同じだ。出来上がりが悪い=疲れの方が大きいってことだな。もっとも、僕のはNさんより頂き物のラ レーの自転車で、御年34歳になる。これが結構速いのである。何とも不思議な世界だ。

2011年5月10日(火)雨時々くもり
 明に、右脚のこむ ら返り。今日は痛いのがマンしてそのままにしておいた。理由は何度となく「来るぞ」という予感というか、痙攣みたいなのが来ていたからね。この痛みを超え ると... 。案の定、正座も出来だしたし足の親指がおかしな方向へ開かなくなった。 
 午前中に雨が一時的に上がったし、やはり今日しかない、として午後から時間休暇。運転免許の書き換えに宇和島警察署へ出向く。今回から新しい電子運転免 許になるらしい。職場を出るときに雨になったし、バスが来る時間までは待てないので、カッパを着て自転車で行くこととした。
 到着するとシャツなどジットリ。安いカッパの大欠点だ。ゴアテックスぐらいがほしい。しばらく外で休んだ後に入室。
 受付の女性達も年と共に交代するし、職場の臨時職員のことをフト思い出してしまった。この人達の賃金も、道路標識の整備も... 、と考えると交通安全協会へは必然的に加入することとした。
 身体の症状などに対しての問診の後、視力検査はランドル環。当初はとまどうが、環の大きさと位置まで変更できるなかなか優れものの装置だ。感覚としては 1.5程度の視力はありそうだ。
 その後、ビデオと講習。ビデオはなかなかのものだ。そういった気分の時ってあるね。ビデオの中で良かったのは、演出上、事故るのは違いないのだが、その 前に停止線で止まってから交差点に入るシーンが参考になった。
 相当昔、白バイのS隊長が「停止線で止まって、確認の後に徐行しながら... 」と言う。今日のビデオで現状ではもっと注意深くになってた。つまり、停車線で止まって、交差点の入り口で止まる。そして、ゆっくりと交差点に入る。僕も この方法をこれから採りたい。
 講師のD先生と少し雑談。彼はZ2に乗ってたらしい。その前はマッハV。つい年甲斐もなく話をしてしまう。楽しい一時だ。
 帰りに自転車置き場で懐かしい3インチスパトラ付きのSRV250を見かけた。やはり動かし続けていなくてはダメだね。以前の姿は見られなかった。
 帰って一段落。雨が上がってから散髪。いつもながらだったが、今日は夕方。いつもは休日の午前中に出向くのだが、こういった時に散髪もよろしかろう。
 帰りに職場で少し仕事。どうしても明日に間に合わせるところがあったものでね。ここんとこ、随分と以前の生活を取り戻してきたように感じる。

2011年5月11日(水)雨時々くもり
 日と同じような天 候で、ほとんど同じような1日であった。とすれば、小学校6年生の夏休みの宿題の「日記」になってしまう。最初の頃はイイが、後になると「昨日と同じ」で 飛ばしてしまう。が、マジにほとんど同じような生活をしているが、それを教師に言ったところで由としない。いくら言い張ってもダメ。
 唯一の救いは、何時何分になにかれをやる、何時何分に夕食... などと記載しなくてもイイのだ、と教えてくれた恩師。今のペーパーの日記はこのパターンだ。
 仕事はようやく追いついたが、朝一でやった方が楽。特に数日来の気温の高さには閉口する。職場は壁に遮られる部分があって、そこに職場の中枢があるわけ だから、風が通らないのだ。薄手のタオルがジト〜っとなってしまう。冷房が入るまでの季節は嫌だな。
 たまにミスるが、最近は食餌の量を押さえている。今度はバランスを考えないとならない。この辺が痛し痒しになってしまうのだ。
 したがって、夕方眠くならない。かといって、空腹感もない。ステディーだ。ま、がくんと来なければ御の字だけどね。少し早いけれど、退職後にトラックに 立つためにそろそろ準備にはいらなければならない、とも考えているところだ。

2011年5月12日(木)雨時々くもり
 ホみたいに同じ天 気が3日間も続く。嫌になるほど今日は風が少ない。窓を開けても壁がある職場ではクールビズも無意味に等しい。
 期限付きの仕事も一段落。ホッとする魔はない。明日の準備を整えて、本日の業務を終了。聞こえはいいが余裕がない世界。ミスが出るのも当たり前だ、と僕 は感じるし、それを恐れて職員が萎縮してしまうし、より良い住民サービスなんてできっこない。内部にいる人間がいくら言ったところで知らない外部の人間に とっては、妬みが走るだけだ。一層萎縮してしまう、というバカげた話になる。止めよう。
 さて、何というか400円ばかりマイナスになった銀行口座。利息は17円も。どうも借りれる口座は持つべきではないし、カード決済は借入のないものにす べきだ。ほんの少しの金額をカードローンで借り入れすると、半年ごとの利息が凄まじいものになる。市中銀行でも一般人にすると借入のカードローンはグレー 気味の利息と言っても過言ではない。
 夜、タイムスクープハンターの新シリーズを見る。奈良時代の狼煙を上げる仕事の取材であったが、当時の言葉遣いに近い言い回しであったのが妙に嬉しかっ た。最初のウチは外国人かと思いつつ聞いていたが、聞くうちにナルホドな、と思うようになってきた。
 高校時代の古典や漢文の時間に、こういった発声、言葉遣いなどを加味しての授業であったら、この面の成績はかなり上がるのではないだろうか。
 その後の爆笑問題での「錯覚」の世界の件、なかなか良かった。少し頭がおかしくなりそうだけど、カメラを通すとこういった世界になるんだね。

2011年5月14日()はれ
 用で松山へ。宇和 島にいるときは感じないのに、少々大きい都市へ行くと、随分と宇和島はアカン街だな、と感じてしまう。
 以下はほんの数行のことだけど... 。
 ゲルマンからの帰り道、井上の蒲鉾屋の角、桜新道の上の入口... 。
「この通りと次の通りしかないわよ」
「居酒屋一杯あるじゃないか」

とはいえ、グループは桜新道を下がらない。

当たり前だ。

その後、僕は家に帰ったが、彼らはどうしたろう。

格好は観光客。これって間違いない。

その裏にあるのは何だろう?

あまりに誇張しすぎた宇和島の観光案内だろう、と僕は感じる。


僕は思うんだけど、桜新道を何とかするんだったら、店を出しているヤツで一体になる必要があるのではないか。加えてそれに対して行政はナ〜ンも対策を立て ない。
これで、観光がどうのこうの、って言えるのか?。

とまぁ、2諭吉ぐらいが収入にならなかったね。

商店街の努力もいい加減目を覚ませ、ってんだ。何処でもイイ、午後9時頃まで開けるような店はないのか。一つの団体で決定したことに追従するのなら、改革 なんて無いだろうな、と僕には感じられるのだけれど... 。

2011年5月21日()くもり時々雨
 日までの仕事期間 は大変疲れました。と言えば簡単なのですが、若い頃なら「今日はよく寝た」で済んでいたようですが、この歳になると、それがゼンゼンできません。きょうな ど4時に目が覚めて、眠くなる前にパソコン立ち上げてやってました。
 予定通り、5時過ぎからスーッと6時過ぎまで眠っていました。これで朝は普通通り。このままで行くのならOKなのですが、フッと思いついて忘れかけてい たThe Motorcycle Classicsを探しに宮脇書店へ。ありませんね。それでは、その足で明屋書店へ。1冊だけありましたよ。
 自転車でしたが、最近は妙につかれます。いえいえ、体力ではないのです。周りの自転車乗りのマナーの悪さ、そして自転車を無視するかのような同方向通行 の四輪自動車のマナーの悪さに気を使うのです。
 随分と動きづらい自転車環境になってしまいました。一層のこと、自転車も許可制にすればどうかと思うところです。もう一点、自動車のドライバーは任意保 険に入っているでしょうかね。それを思うと、一瞬たじろぎます。
 昼食の後、しばらくしてますと眠気がやってきて... 。結局3時過ぎから1時間程度眠ってしまいました。
 その後、久しぶりに丸穂温泉へ出向き、家の風呂では落としきれないものを流してサッパリしてきました。若干ですが身体が軽くなったような気分になりま す。
 土曜日もそう面白いテレビ番組もありません。こういったときは、ラジオの愛聴番組で楽しむのも一興です。
 というところで、焦らず気ままに過ごさないと、退職後に一気に来るとポシャることになりますからね。これが怖いんですね。

2011年5月22日()雨後くもり時々はれ
 面目に昨日より悪 い状況で、1日中家の中に居続けた。もっとも、朝は4時前に尿意を察知して起きたが、その後、通常の時間に起きて、今日はステファニーのパンを食すること とした。この辺までは良かったのだ。
 午前中はブログにも記しているが「火災報知器」の購入にダイキまで自転車で走る。自転車もノンビリとポタリングできない。宇和島青果市場の橋で、高齢者 の「女性」が運転するデュエットと遭遇。僕は左を直角に回るつもりで欄干の左へ直進し、法規通り90°の角度を保って「道路の左端を右折」したのだが、相 手はスピードを落とさず「交差点の中心の内側を右折」してきたのだから、僕は一瞬たじろいだ。
 バカクソ〜、と心の中で叫んだが、相手は国道を右折するまで同じようなスピードを保っていた。
 事実、「怖い」のである。もし、これがクラッチ付きの自動車、あるいは免許であれば、相手は僕と遭遇する橋の手前で、クラッチを踏み、フロアから生えた シフトノブを2速なり1速へ落として、僕とすれ違うタイミングを計りクラッチを繋いでシフトアップしつつ加速。橋の手前で1速へ落として国道を走る車の流 れを見極めて... 、となるのではないか。
 一部のドライバーだから僕が申し上げたところでどうしようもないかもしれない。が、メーカーのことは別として、免許のオートマ専用は止めるべきではない かな、と僕には感じられるのだ。

2011年5月23日(月)雨
 転して雨。職務上 雨合羽を着て自転車で出かける。今日は面接試験があってその係員のため気が重い。ま、同じことを8回ほど繰り返したが、上層部はこういった人との話し合い が多いし、無いようも千差万別だから辛いものがあるだろう、と思う。
 少々内容は異なるが、1日の内に会議を3回ほどこなすと、その纏めだけでも大変なものになる。僕自身、最近はどうも人と会うのが苦手になって来だした。 同好の士ならその辺のことは上手く進むのだが、仕事のこととかになると少しずつ嫌気が差してくる、といった寸法だ。
 久しぶりにBORE-ACEへ電話。大胆な発想のSR用のオイルクーラーの意見を申し入れたが、何と既にやってらっしゃるとのこと。ナルホドね、と言う わけだが、僕の場合は少し難しい。大胆な策を講じるとイケルかもしれないが、オイルの行き先が確保できないんだ。ま、期待しよう。
 今日は仕事の後何もなかったが、明日から数日間、また夜の会議が始まる。どうも、このことで時間帯が後にずれ込む。そのため、生活のリズムが壊れる。 ウ〜ム
 どうも、1時間なり2時間が今の僕には辛い、ということだ。

2011年5月26日(木)曇り後時々雨
 ーム、課内会議で 少しばかり考えさせられた。当時の上司が何を言いたかったのか?。それを掴めなかった僕はノウタリンかもしれない。が、大半の者は僕と同様の考え方でしか なかったし、あの方をサポートできる人が皆無であったのも事実である。むしろ、今日の会議でもその方が前面に出てしまって、今の首脳陣が養護できない状 況。したがって、僕が過去幾度となく記載したのは事実であったようだ。
 さて、かつての筑豊の炭鉱、そこに働く人々の様子を描いた絵画と文章がユネスコの記憶遺産になった。うれしい限り。ボタ山なんてフライング・エレファン ツのメンバー=僕と同じような年齢の者しか知らない世界になっている。僕自身アゼンとしてしまった。
 回りは騒々しいが、僕自身は久しぶりにノンビリできた酒道場であった。ソコソコで帰宅。最近野菜だけ先に食する方法を採って、結構調子が良い。僕のよう にアルコホールの飲料が多い者にとっては結構効き目があるのである。
 単純に炭水化物だけでイイが、飲み物のカロリー数を考慮すると、どうすればいいかが、最近分かり始めた次第だ。

2011年5月30日(月)曇り時々はれ
 うも頭痛っていう ものが... 。ボヨ〜ンとしているのではないのだが、すこしフラリ〜っとするようなんだね。
 まぁ、不思議なことだが、最近トンと飲みに行かなくなった。急激にね。どうも食事の仕方を変更してからだから、5月の2週目ぐらいからだろうかね。この 食事の方法をやると、昼飯の弁当が結構多く感じる。夕食前の一杯はやってるが、これを家で軽くやって... 。それでも、夕食の量が少なくなってきている。妻が少しばかり驚いているのも事実かも知れない。が、痩せない。痩せるのならオカシイ。僕の場合は精神面で 悩むと一発だが、ココントコそういった重要なこともない。風邪引いたかな。
 久々にギターを。理由は、左手の調子が少し良くなったからだ。今調子悪いのは右手の中指に。これって結構辛いんだよね。腱鞘炎っていうのかもしれない。 同様に右脚のシビレのようなものも相変わらず出ている。
 そういえば、ストレッチングとか軽い体操すらしていないのに気付く。ダメだナー。
 さてと、今Gibson J-160Eのまぁまぁのを1本見つけている。問題は資金繰り。少しだけなんだけど、やる方が良いかもしれないな、という気持ちが強いところだ。
 となると、今持ってる最初のJ-160Eから33年目に3本目のJ-160Eということになるのかな。マーチンファンには申し訳ないが、D-28を最初 に購入していれば、僕のギターライフも結構変わっていたかもしれない。ギターで失敗したのは後にも先にもヤマハのセミオーダー1本だけだった。
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