2011年6月の日記
2011 年6月14日 木曜日 くもり時々はれ
 ぁ、何とも困った 客が来る。保険料を下げよ、とまでは言わないが、何とか楽になるのではないか、という一種の期待を持ってこられる。バカ言うな。
 はっきり言うと、「オマエサン、この時代を生きるのはそう簡単なものではないよ、公共に納めるものは納めてからモンクなりを言え!」、とばかりにやっつ けざるを得ない。それに加えて、結構イイ身なりをしているのが本当に食っていけないのか?。生活保護もらう?。「御随意に」が実際のところだろう。そう簡 単に保護費が出るわけがない。もっとも、保護費の使われ方には一部問題があるけどね。
 これとは別に商店街にたむろする高年齢者もいるのは事実だが、その方形の状況は知るよしもない。
 という、日中の件から離れて、久しぶりに酒道場へ。テレビで交流戦をやっている。もっぱら僕は「こうなりそう」とか、そのとおりだったでしょ!、あるい は「あの時こうしていれば、このイニングでうまく言ったのに... 」の解説をする。
 と、マスターが動作の一部を加えて、選手のバッティングなどの状況を話してくれる。僕は野球の専門家ではない。マスターは軟式野球をやってらっしたか ら、この辺の呼吸がオモシロイのだな。
 で、帰ってNHKテレビの火曜歌番組を見てる。今日は昭和20年代後半から今までのダイジェスト版のようなものであったが、僕自身「粋な黒塀御輿の松 に、あだ名姿の洗い髪... 」と中央キネマの芝さんが差し出すハンドマイクを持って歌ってた。昭和32年当時だろうか。
 フト、僕は人気歌手のことを思うのだ。北島三郎さんが出ていらっしたが、巧いね。若い頃とあまり変わらないスタイルを通していらっしゃるし... 。
 とはいえ、リアルタイムで生きてきた僕と同年代以上の方々が今の時代に「この歌手のこの歌が良かったね〜」といったところで、若い人には無視される。
 いかがだろうか、僕自身は若い方々の歌の数曲は知ってるから何とか話が合うけれど、やはり、昔のことを伝授する方策が今の日本には確立されていないか ら、ここが大ネックになって、そのうち太平洋戦争なども過去のこと、として大半は古い時代のことでよく知らない、で済まされてしまうのだろうと思う。何と も虚しい世界だな〜。

2011 年6月2日(木)曇り時々はれ

 動の6月の二日 目、疲れました。実は一昨日の夜の会議、これがテンでダメで、その後に行った食○▽□◇場、ものは良いのに量がね。酒はソコソコだから、たとえば、肴に3 酒に2程度の割合ではないのか、と感じた。
 とうとう内閣不信任案が出て、それが否決されたよ。昨日の党首会談見ていたら、総理も「アンタがやるとなると、そのやるという例を2〜3この場で紹介し てほしい」と切り返すぐらいのことをヤレってんだ。ま、僕にはあんまり関係のないことだけど。
 何ともやりきれない。国の中枢がこんなことやっていて良いのだろうか。震災で被災した地方では一層のことバカやってることに憤りを感じているのが事実 だ。永田町に費やしたエネルギーを震災復興へ向けるべきであったな、と思う。いかがだろうか、議員歳費を30%程度削減すれば、少し場納得できるかもしれ ない。国は一切助けてくれない。このことはよく解った。
 この街も同様だな。先日、夕方の商店街を下っていたら、午後6時前に店じまいしている店が多い。観光客を呼ぼうったってこの有様じゃ誰もゼニ落とさない よ。飲み屋さんも午後8時過ぎからで、ホストクラブ以外は遅くても午前1時にはオシマイになる。
 間もなく自動車道が津島までつながる。この街をアピールするものもないのなら、せめて商店街は自己努力して店主だけでもイイから店を開けておくべきなん だけどね。
 もう一つ悪いのは、足を引っ張るんだね。新規開店しても消える店が多い。ガンバレよ。と支えてくれる店はない。少しのし上がろうものなら足をひっぱる。 こんなのが数十年繰り返されているのだからね〜。
 菅総理が辞任することが明確になったから、諸外国は一層日本への風当たりを強めるだろうね。こんなにコロコロとトップが交代する日本を諸外国は賛同しか ねる、というところだろう。
 いかがだろうか、日本もそろそろ、大統領制にすればどうだろうか、と考えているところである。

2011年6月4日()はれ時々くもり
 夜は友人の病気快 気祝いで結構やった。というのはウソ。家で1時間程度かけて楽しむ量ぐらいだ。強いて言うと二次会で久しぶりに歌ったってことぐらいかな。
 体内時計が狂っているので、4時頃起きて用を足し、二度寝入り。ま、そこそこの時間で起きて、食事パンで朝食。久しぶりにUCCのレギュラーコーヒーに した。美味い。
 おそらく、ドリップのフィルターがカップ内に落ち込まない設置方法と、豆のひき方が相当に細かいことから失敗無く出来上がるのであろうと思う。
 昨日の話の中で、この日記がつまらない、と仰有る仕事仲間がいる。当たり前のことだろう。逆に、トップまでに行く段階で完全にしておかなければならない =それだけ信頼されている、ということになる。したがって、下から上がってくる簡単なものでも、決裁段階で十分に目を通さなければならない、ということに なるのだ。当然僕からの起案に対してもね。
 これが、4月までならどうだろう。「上司のいうことを忠実にやってればいい」であったのだ。そのことと自分のこととが整理できず、命令だけをやってい た。このことへのある程度の反発が僕のこれまでに記載したものであろうと思う。
 その結果が尾を引いてしまって、少々仕事が停滞しているようなところもある。僕自身も、下の係にいたなら、療養休暇を取らざるを得ない状態になっている のではないかな、とも感じるのである。
 オモシロおかしく書いたつもりは一切無いが、纏めてみればこういったことが、この3月までの最終であろう、と感じる。それが一気に4年前に戻った。
 平成19年は定率減税の廃止の中、高齢者からも税金を取ることから始まった。その中、軽車両の登録の状況、固定資産税の課税の状況など、結構教えてきた つもりだ。あの頃から比べると、徴収する方も課税のことを結構認識出来てきている。こういったことも評価されていないだろうけどね。
 その平成19年に戻ったのと同じく、今年は旧宇和島市の固定資産税の税率が1.55%から1.4%に引き下げられた。それに加えて税収を上げよ、の状態 が今の業務だ。バカげているが、人は増員しない。何やってんだか解らなくなる。トップの善し悪しではない。これは市の行政の人事面と議員の勝手すぎる方策 を根本から変えないと難しいだろう。
 国の行政がどうなっていくのか、宇和島市自体もどうも秘密主義になり始めているのではないかな、とも感じるところだ。

2011年6月5日()雨後くもり
 日は60歳の誕生 日。少しばかり計画があったが、雨のため止めにした。相変わらずの天気予報だから当たらない。無理することはない。
 今日はどんな日か。調べると、世界環境デー。落語の日。1日ズレルかもしれないが「アンクルトムの小屋」の新聞連載開始。池田屋騒動。嘉納治五郎が講道 館の前身を創った。舟木一夫の高校三年生のレコード発売開始。第三次中東戦争開始、などなど。
 で、昭和26年6月5日は火曜日だ。僕は祖父の実家の喜多郡大洲町で産声... 。これは上がらなかったらしい。仮死状態で出てきたとのこと。母も35歳の初産だから、僕は鉗子でで引っ張り出され、ひっぱたいたところ泣き出したそう だ。当時の大洲は今と違って「町」であったのだ。
 幼少の頃の写真は1枚を除いて一切無い。今もそうだが、写真が好きな者の大半は自身が被写体になるのが少ない。
 ま、60年前の今日がどうであれ、これから死ぬまではどういった毎日になるのだろうか。
 ふと、そんなことを考えたりしていた。

2011年6月6日 月曜日 はれ時々くもり
 、昨夕までの雨が ガスになってたなびいている。「快晴になる」と思うのはアマちゃん。いつもながら天気のことは... 。
 たちまち、光化学スモッグが出る前のような天候に変わる。夜には雨になるかもしれない、というのが僕の判断だ。
 昨日幾度か眠ったのが幸いしたのか久しぶりに気分がいい。これも仕事に入るとダメ〜。いや、退庁じゃないんだ。マジ、予想でもって特定の人のことを指 摘。そのため、僕も気になって総点検。ここ最近は間違う余地がない状態なのだが、ま、1時間程度かけてやってみると全てOKではないいか。当事者に対して お詫びを... 。ま、僕が総合帳票の一部入力ミスをしていたために起こったことだ。ちょっと反省。
 こんな調子だから、ついつい予定のことを忘れちまって、ウッカリ会議へ参加することを忘れるところだった。ま、集中していて忘れることだからイイような ものの、マルチ駆動ができない。今では当たり前のコンピューターで言うマルチファインダーが上手く作動しない。ときにシングルファインダーで、他を無視し てしまう傾向があるのではないかな、ともいえるのではないか。 
 というところで、真面目にやろうとしていることがある。それは養命酒。ホント真面目だよ。「お前さん、毎日酒を食らってるから、ダメだ〜」とおっしゃる かもしれない。もちろんそれもあるけど、体の内部のことが最近少しばかり気がかりで、以前も言ったように、ある種の栄養失調じゃないか、強いて言うと栄養 は十分だが、偏食気味ではないか、と考えることしきりなのである。
 ところが、これはお酒なので、今の職業では規定量を一気に飲まなくてはならない。この点が少々問題、というところだ。
 もちろん、マルチビタミン剤などを飲用する手もあるにはある。その候補もピックアップしている。が、やはり薬で対応するのも一つの考え方であろうと思う のである。
 と、いうところである。

2011年6月7日(火) 雨一時くもり
 較的明るい雨空。 用心のために合羽を持参する。案の定、職場の手前300m地点で再び降り出した。
 ふと、多くのテレビ天気予報での欠点が分かり始めた。というのは、画面で見る日本列島だ。僕が思うに、地球の北に北海道を持ってくると、本州は千葉県の 銚子へ向けて南西方面へ南下する。
 続いて紀伊半島の串本あたりへ向けて西南西方向へ南下。そこから足摺岬へ向けて南西方向へ。そして、鹿児島方面へ南下する。
 したがって、三次元で表すのは無理としても、予報図の上は3°程度右へ回転させるべき、と思うのである。
 でないと、日本列島が突っ立っているように感じるし、大陸からの気圧団が天気図の真横(西〜東)にやってきても、実際は斜め左下から斜め右上(南西〜東 北)へ流れる状況がうまく伝わらない。
 そのため、南予地方は普通の雨であっても左回りの低気圧は香川、徳島へ大雨を降らせる。が、天気予報では低気圧と前線の動きが上下左右でしか分からない のである。
 グラフィックスで表せることは理解できるが、「このように予想する」、と予報官が示しても、列島の配置の残像が強いから、実際との違いに少々驚くのであ る。
 コンピューターをお使いの方ならYahooの天気予報で、北海道、四国などの大きいエリアの図面をご覧になると、私の言っていることが理解できるのでは ないだろうか。
 一度など、雨の予想がほぼ合致したから。
 ま、こんなことを考えていた。
 もう一点、最近ブログネタがない。ブログだとどうしても写真が必要になってくる。僕の場合は、この日記に記した方がスムースだ。実際に「楽しみつれづ れ」の大半はホームページ上で記すことで、ホームページに記すまでもないようなこと、ホームページのカテゴリー外の楽しみなどを記載すべきではないか、と 最近になって思い始めてきたところである。
 キリ付けで少し残業。といってもサービス残業のようなものでもない。明日は出来ないから今日の内にやっておく、といったものだ。この辺の時間が「居残 り」か「仕事」として捉えるかどうか、これが問題になる。段取りが悪い、仕事の運び方がヘタだ、などなどがあろう。しかし、管理職がこれらを管理できるの だろうか。残業代を出し渋る当局。これが間違いだ。
 僕が管理職なら掛け合いで、こういった状態だ。労基署へ訴えても良いぞ、から始まるだろうな。「残業にするか、代休にするか」これは仕事をする者にまか されているのだけど、大抵は「代休」で片付けられる。業務につく前に「代休でお願いします」がくるのだから何をか況やである。
 役人といえども法を遵守する必要はある。したがって、僕のように居残りするのはかまわないが、完全な業務になると、宇和島市が業務上の違反を繰り返し やっている、と言うことも十分に感じられる。
 ま、職員の大半が飼い慣らされているからダメなのだろうけどね。というところで、宇和島市も公平なオンブズマン制度を起ち上げておいた方が良いのかもし れない、と思うようになって来た。

2011 年6月14日 月曜日 くもり時々はれ
 ぁ、何とも困った 客が来る。保険料を下げよ、とまでは言わないが、何とか楽になるのではないか、という一種の期待を持ってこられる。バカ言うな。
 はっきり言うと、「オマエサン、この時代を生きるのはそう簡単なものではないよ、公共に納めるものは納めてからモンクなりを言え!」、とばかりにやっつ けざるを得ない。それに加えて、結構イイ身なりをしているのが本当に食っていけないのか?。生活保護もらう?。「御随意に」が実際のところだろう。そう簡 単に保護費が出るわけがない。もっとも、保護費の使われ方には一部問題があるかもしれないけどね。
 これとは別に商店街にたむろする高年齢者もいるのは事実だが、その方々の状況は知るよしもない。
 と、このような日中の件から離れて、久しぶりに酒道場へ。テレビでプロ野球の交流戦をやっている。もっぱら僕は「こうなりそう」とか、そのとおりだった でしょ!、あるい は「あの時こうしていれば、このイニングでうまく行ったのに... 」の解説をする。
 と、マスターが動作の一部を加えて、選手のバッティングなどの状況を話してくれる。僕は野球の専門家ではない。マスターは軟式野球をやってらっしたか ら、この辺の呼吸がオモシロイのだな。
 で、帰ってNHKテレビの火曜歌番組を見てる。今日は昭和20年代後半から今までのダイジェスト版のようなものであったが、僕自身「粋な黒塀御輿の松 に、あだ名姿の洗い髪... 」と中央キネマの芝さんが差し出すハンドマイクを持って歌ってた。昭和32年当時だろうか。
 フト、僕は人気歌手のことを思うのだ。北島三郎さんが出ていらっしたが、巧いね。若い頃とあまり変わらないスタイルを通していらっしゃるし... 。
 とはいえ、リアルタイムで生きてきた僕と同年代以上の方々が今の時代に「この歌手のこの歌が良かったね〜」といったところで、若い人には無視される。
 いかがだろうか、僕自身は若い方々の歌の数曲は知ってるから何とか話が合うけれど、やはり、昔のことを伝授する方策が今の日本には確立されていないか ら、ここが大ネックになって、そのうち太平洋戦争なども過去のこと、として大半は古い時代のことでよく知らない、で済まされてしまうのだろうと思う。何と も虚しい世界だな〜。

2011年6月15日 水曜日 くもり後雨
 休み、HF生命の 方が情報を配布してくる。上司が一緒だ。これまでひとりで配布したときが2日ほどあったけど、相当にかっているか、あるいはダメだから帯同するかのいずれ かだろう。深くは詮索しないが、僕が上司なら、少しばかり遊ばせるだろうね、と思う。
 出会いというか、縁は異なものから発生する。一つ夜の会議の後、弁当で溜まった箸を酒道場へ。ま、何気ない一杯をやって帰るツモリだったのだが、御常連 のウルサイ(声が)Y氏が居る。と、たまたま僕の横の席の女性から質問などを受ける。当地へは一度帰って2週間程度の出張とのこと。明日近場の観光をした いとのこと。
 何だろうな、僕が案内しても... 、とはいえ相手の都合による。一応、天赦園、伊達博物館、登立ち門、お城山、桑折長屋門のルートを図示して手渡した。
 当然宿泊所のホテルにはマップなどがあるのだろうけど、肝心要の観光する場所のことを従業員が知らない、ときてる。
 ま、当市の観光行政はテメーっちのことは無視して、やれ真珠だ何だかんだ、とくだらないことへ力を注ぐから、一層地域の観光に関しての名所、歴史などは 蚊帳の外に置かれてしまうのだろうね。
 僕の考えは間違っているだろうか。とかく宇和島を売り出そうとするから無理が生じる。もっと地に足をつけた観光行政を願いたいものだ。

2011年6月19日 曜日 雨
 日は久しぶりのプ ライベートでの松山出張。実は県のオリエンテーリング協会の総会。場所も宮田町のホテル・サンルートだからJRの往復だ。あいにくの雨なのでお伴は iPodのみ。
 列車はコスモのN先輩とモロモロの知り合いが乗ってくる。女性陣が多いものだから何ともウルサイ。早速自分の世界に潜り込む。N先輩見てると、スタイル が高校時代から全く同じだから不思議な感じになる。もちろん、僕は見慣れているので不思議でも何でもないが、かってのメンクラのグラビアから出てきたよう な高齢者をどう受け取るか... 。普段でもルーズな格好と仕事でもフォーマルとはとても言えない格好しかできない今の若者はどう受け取るか。僕が見ると一服の清涼剤でもある。
 会議は、2年後の大きなイヴェントをやる、ということを決定した。一つ「トレイル・オリエンテーリング」というのを覚えておいてほしい。本当にだれでも できるオリエンテーリングだ。当然、健常者も身障者も。ただし、地図を読めることはモチロンだが、頭を使うのでこれが難しい。僕自身、これは広まると思う よ。
 それにしても、よく降りますね。こちとら、湿気に対してどうのこうのはある程度理解しているが、こうまで来られると除湿もへったくれもない。何しろビー ル1杯の外側が見る間に水滴だらけになる。こうなると美味いもへったくれもなくなる。
 ここ数日はこの調子だから、もう言わない。大変な状態になることは間違いないな。
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