2011年10月の日記
2011年10月24日(月)はれ時々くもり
 今年もジャコテン踊りをやるそうだ。何と当課から9人出ろときた。出店を取り囲んで管欄ダンスを何年続けりゃいいのだ。出展者は大迷惑ではないのか。こ れって愛媛県がやってるのかね?。まったくくだらん。誰も出ないから出てやるけど。進んで見に行こうとは思わない。
 さてと、昨夕から再びSR500にSST-1を装着してテストしている。昨日はディスクを10枚にして走ってみたが、何とも気分がいい。もう少しバック プレッシャーかけてトルクを増やす方向へ持って行こうとして、本日は9枚にセットした。わずか30分で終了だけど、気分が乗る。やはり厚さのせいだった か。
 実に細々した作業ではある。スーパートラップの3/16-24Wのネジ山を5×8に切り返して使用しているし、若干の遊びを確保するため、SST-1の ホルダー穴をリーマで少し広げるなど、結構いじっている。そういったこともあって、5×25mmのキャップボルトを軽く回せるようになった。
 夜は左手の爪の整備をしてバイギブJ-160Eを弾いてみた。まさかとは思いつつ、1弦側のナット部分とネックを少しばかりペーパーで修正。これまで困 難気味であったCコードのフォームで人差し指がビビルのが修正できた。まさかと思う部分なのだが、気づくまでには相当時間が必要であった。
 ま、意識を持ち続けることの方が実際はもっとつらい面もあるのだが、いろいろやってるから気づかない。もっともそれが中途半端ということにもつながるの だけどね。

2011年10月23日(日)くもり
 この日記も我ながらつまらないものになってしまった、と感じる。これまでなら上司の何やかや言っていた。多少のデフォルメはあるけど、今になって思い返 すと「事実」であろうことは明白だ。
 つい最近、同席する説明会があったが、ここに僕がいるにもかかわらず無視であったし、僕がかつて申し上げた一件にまつわることは... 。多くの同年代の方々は話が出なかったのだろうと思う。第一に、その席にいたのかどうか、休憩の席でないとわからなかったのだから。
 と、このようなことを2年間にわたって記載してきたようだ。情けなかったか。否、これはある程度、宇和島市の行政の一部が議員の重鎮などに牛耳られてい る。加えて市長も民間の企業にいろいろ言われている。このことが少しずつ明白になって来たように感じる。
 今日も、例の輪タクでの結婚パレードがあった。最終、わび輔であいさつしたが、僕は、それならこの行事を知っておくべきではなかったのか、と市長のスケ ジュール怠慢を申し上げたい。僕には挨拶はない。同級生の一般市民にはあった。
 市長の取り巻きはカメラさえもっていない。携帯で写すなどの行為もない。
 いかがだろうか?
 というところで、我に返って、アンタは「橋本君のようにはならないし、次の選挙はない」と僕は感じている。テメエが親分の宇和島市の職員を無視してしみ んのいい加減な方便を重要視しての今を数年後に結びつけられるか?。
 親方日の丸の宇和島市の企業だけ注目していたら、僕は宇和島市の行政はダメになるだろう、と思う。そういったところをどうのこうのするのが市長の知られ ざる力量であろうなのだが、結婚式の始まりで「うちの家内が無視したら自分もこうやりたい」など新郎新婦の前で言うなど、馬鹿としか言いようがない。たと え、冗談でも。
 こんなのだから、地元に在住する若いカップルなどができないのだろう。今日のカップルはすでに東京在住が決定している。鳴り物入りでの輪タクの結婚パ レードだが、消費税が落ちるだけで、全ては東京都へ... 。
 全く情けないね。

2011年10月15日(土)くもり一時雨
 昨日は、若い職員に対して少しばかり苦言を呈したかもしれない。が、その後の懇親会はなかなかよかった。
 一夜明けて、天気はモヤモヤ。雨は午前中はやんでいたので宮脇まで自転車で走る。シェフの第2章N0.17を買ってきた。第1章も全巻あるのだが、やは り、今を生きている者とすると第2章もなかなかいいものだ。
 朝からMacBookのOS関連のアップデートを行う。そのついでにそのまま1日中電源を通じていた。はっきり言って、10月にしては気温が高い。その ためではないのだが、MacBookを1日中点けていたのだがパームレストも熱くならなかった。ハードディスクの発熱が少ないのも影響しているのかもしれ ない。
 少し午睡。目覚める間際にとてつもない夢を見た。僕は両目を片方ずつ瞑ることができる。それが右目ができないんだ。健康診断の結果が悪いところがこう いったところに出てくるのか... 。見ている本も想像以上に盛りだくさんな内容で... 。
 イヤー、どうして右目が開けられないんだ、とモガキつつ目が覚めた。
 さて、妻の無言の攻撃がくる。トイレへ行くと水が... 。なんとラバーボールのチェーン受け口が切れてる。トッサにね、明日までお風呂の水流してくれ... 、と。結構カッカきてるわけだが、そう、同型モデルは開花のトイレにあるわけだから、これを拝借して取り付け。事なきを得た次第だ。
 ここで、思いついたのだが、こういった家に装備されている品々の耐用年数などのマニュアルがこれからは実用になるのではないだろうか、と考えた。
 AppleCareみたいに、損保の保険会社も、こういった契約内容の商品をリリースするとよろしいかと思うのだけどね。もちろん大きな外装工事などは 別途保険料が変わる、といったような。

2011年10月9日(日)はれ
 一昨日と昨日、最後の自治労愛媛の定期大会に参加するため松山出張であった。少々散在したが久しぶりに松山の夜も楽しんだ。大会自体は思いの多くを申し 上げた。1980年代後半からの労働界の再編成の中で、自治労の旗を守ったかつてのメンバーの多くは去って行って居ないし、自治体合併後の職場環境の変貌 から一層仲間が変化した。そういった状況を次の世代へ引き継ぐためにもの発言をやった。
 三越でブルックスブラザースを販売しているのを見つけた。サイズ42を羽織らせてもらう。いいね。若干ニホンサイズにしてあるけど、まさしく期待通り。 冬のボーナスで何とか購入したい。ヘリンボーンのジャケットもあったが、これはホネが太いので少しね。
 今日は遅れているwww/Gridの編集と、iPod Shuffleのプレイリストの作成と音響テスト。以前のゴールドは息子へのプレゼントとしたから、ニューマシンとしてのかわいいマシンだ。シルバーだけ リングがブラックだ。コレがなかなかシック。僕の年齢にはちょうどいいように思う。
 商店街はグルメフェア。少々考えさせられたよ。沸いていないお湯でゆでられた麺、コゲ目が強い揚げ物。少ない量で高価。
 僕は写真撮るまもなく、早々に引き上げた。確かに集客は多いかもしれない。が、販売が何らかのことから限定であるものなどを除いて、わざわざこのアー ケードで購入するような物ではないようにも思う。
 ましてや、先に記した状況で、麺類ご飯物など通常の3/4サイズでありながら割安ではない。こういったフェアはいかがと思った次第だ。もちろん、反論は あるだろうけどね。
 というところから、昼食は新橋センターでそろえる。
 午後は大半がテレビのおもりになった。が、2時から1時間程度午睡。ゴルフの後はF-1グランプリ。最近この手のモータースポーツはつまらないね。空力 とか何とか関係ない世界でやってくれよ。F-1など昔の1.5Lクラスのようなバトルが本来の自動車レースじゃないのかね。ナンタラカンタラの装置をつけ て、いっそのことタンデムレースでもやったらいかがとも思ったり... 。
 明日は体育の日。本来の休日だ。40年前のこの日は第XVIII回オリンピック東京大会であった。あの頃のオリンピックには戻らない世界に変貌してし まった。

2011年10月6日(木)はれ
 昨日の雨の後は好天。明日からの松山出張について何やかややるはずであったが、お昼のNHKラジオのニュースを聞いて、少し過去への旅を始めてしまっ た。
 AppleからNeXt、そしてAppleへ。カリスマのように思われるけど、この人の若かった頃は大半の人間が同じようなことを考えていたはずだ。僕 は年上だからそう言えるかもしれないし、むしろ立ち居振る舞いなどには注意をすると思う。そういった受け止め方をされていた者がApple Computer社をグッとのし上げたのだ。
 したがって、世の人はそのAppleのことしか言わない。そもそものMacintoshはどうなんだろう。ニューヨークのウォール街近辺でネットサービ スをやっている若者たちが、かつてのあの人にオーバーラップする。
 リンゴマークはアルミに白一色で、ベージュやプラチナホワイトに六色リンゴマークではないものの、活躍している姿を見るのはうれしい。
 僕は、この方の死を悼むのは事実だが、ことさらMacにイチャモン付けて追い出されたことなどを思うと、NeXtをぶら下げて、過去のLisaなどのマ シンをメインにしようとした頃に戻ったに過ぎないのではないだろうか。
 この方の考えを今後は聞けない。が、新しいアップルフェローも確実に芽生えているし、新製品の開発などに不安はありゃしない、と信じている。
 今日は通夜だ。思わずアップルストアでiPod Shsffleと電源アダプターを発注してしまった。ま、よろしかろう。
 僕のメインコンピューターが変更になるのはずいぶんと先のようだろう。冥福を祈りたい。

2011年10月2日(日)
 少しばかり薄曇り。昨日は上天気だったけど、今日は少しばかり涼しい。それ故にアタマの回転が速くなったのかしら、パパ〜ッと繰り広がる。おかしいぐら いにネ。何でだろう。何もしていないのに、1日過ぎたらこんなものだろうか。
 本当に偶然だったのだ。昨日、少しばかりMacBookを触った。そのときATOKの辞書がブチ飛んでいるのを発見して保存していたATOKの単語登録 のファイルを使って読み込み。実はiTunesの音楽ファイルが吹っ飛んでいたので、XPortを使用してiPodから元に戻そうとしたが、これがアルバ ムから曲順を引っ張り出して... 、となるから大変な作業になる。それゆえ多くには何も手をつけないでいた。
 このときに大半のものがデフォルトになっているのに気づくべきであった、と思うのだろうけど、それがダメ。いや、大半のユーザーだとこんなところだろ う、と思うのだ。コトに最近は使うヒトソフトウェアの専門のヒト、ハードの内容に長けたヒト、とメーカーサイドで分けているから、メーカー送りになってし まって、新品になって帰ったり... 。僕のMacBookはコレと同じ現象になっていたように思う。
 今回のOS 10.7の一件は幾度か記載したけど、一つだけ、残念きわまりないものが「iPhoto」にあった多くの写真である。これの残りが少しだけあったハズなん だが... 、という思いだ。アレは確か... 、であっただけで、どこに在りかが... 。
 これが少々思い出せなかったのだ。PB G4 12インチには、少し前のものまでは確かに存在する。コトのヒントは「jedit X」の登録関係だ。コレが飛んでいたので、自分の個人フォルダーをコピーしようとして、外付けに移したハードディスクを再度確認したんだ。なんとそこに 「1」というフォルダーがあった。ソレを開けて iPhoto のライブラリーに残っていた。
 アー ! 思わず涙が出てきた。再度「1」のフォルダーをMacBookの個人フォルダーへコピーしておいた。やはりタイムマシーンは結構便利なものかもしれない。 手動でやるのならホームフォルダーだけは確実にバックアップしておくことだろう。
 昼前に確実に使えるものになったようだ。マジ、Mac OS 10.7には痛めつけられたし、これからのことを思うと、いい経験であったように思う。ハードディスクをはじめ、メモリー関係の深層部分には確実の残って いる可能性があるから、むやみにイニシャライズしない方がよいのかもしれない。
 ということは、250GB程度のハードディスクにメイン、あるいは小容量のCFカードなどに各パートのファイルなどに分けてバックアップしておけばいい のだろうか。確かに効率は悪いかもしれないが、確実性を採りたい。
 とりあえずMacBookは元に戻った。 inserted by FC2 system