2012年6月の日記
2012 年6月27日(水)雨
イライラ続きだけ
ど、無視すると、その要因が解るような気がする。今朝は静かな雨が降っている。ウトウト気分を除くと6時間の睡眠だ。今の状態を維持できれば夏も乗り切れ
そうでもある。
朝はステファニーのパン。遅いと感じるこの時間帯でも動いている人がある。というのが7時前。生活のリズムを朝は1時間程度落として、夜は1時間程度早
めてやってた4月にようやく戻った。先月は大変だった。これがあまりに可変でやってたから、時間配分、食事内容などメチャクチャだったことを思い出した。
特に夜の会議が続いたときは、仕事をしていたときよりおかしな調子になってしまっていたようだものね。
小ぶりの時、屋上の水抜きをやって、雨水が溜まっているところをチェックしておく。屋根の傾斜がどうも逆になっている。ドレンへ向けて緩やかな丘が無く
なって、南北の中央部が凹になっているから、正面中央部から落ちてくるのではないだろうか。ただ、これは直接内部へ漏ってきていないので助かる。
古傷の漏れはどうもあれではないか、と思うところがあるので、晴天が続いたら、確認をしたい。もし的中したら、本当に思わぬところになるのだがネ。明ら
かに工事ミスだ。
後方配りをやったり何やかやあって午前中は終了。久しぶりに卵焼きを作ったが、少々から塩ょっぱかった。生の時は薄めの味にしておくこと。コクがあるの
に少し失敗。
午後2時からはFMガイヤで先週収録した分のオンエアを聞く。ぶっつけ本番であれだからなかなかのものだ。電波状態が少し悪いけどカセットテープに録音
しておいた。
再び荷物の配送状態をチェック。15時過ぎに配送だから18時からの会議に間に合うといいが... 。
としたとき、午後5時過ぎに到着。こけおどし的なパッケージに笑ってしまう。ま、MacBookのトップケースは妙に従前のものより丈夫そう。キーのカ
バーなどアルミに対して鉄にニッケルメッキになっているようだ。モジュールSSDは再インストールの関係があるので後回しになるな〜。
と、会議に出ると、僕の名前がなく、新しい人に替わっている。以前は出て欲しいって言ってたのに、案内は出さなかったろう?!、といわれると... 。
やはり、パーツが来たうれしさより、先々週から予定していたことが関係ない、となるとやりきれないのだよね。
さ、明日は順序通りにやらないと迷路に陥るから、結構気を遣う大変な1日になりそうだ。
2012 年6月26日(月)くもり時々雨
昨日は四国労金の通
常総会で高松へ出張であった。僕にとっては労金の役職としては最後になる。過去数回の通常総会と同様、どうのこうの言うヤツが居て、無駄な時間をつぶして
しまった。コミューンは民主的ではない、とすぐに言うけど、裏を返せば思い通りにならないからだ。来賓できていた代表のあいさつでも、まるで労金を支えて
やっているかのように聞こえたし。
帰っての松山での懇親会では、お仲間内ではあるが、最初の参加者(代議員)から難問を投げかけられ、僕も応答に苦労した。他協力団体へよりも自らの強化
をしないと、という。確かにそうだ。が、今の組織では、それに走ると協力団体からは疑われることになる、と僕は考える。
自治体合併後、旧組織が自分たち中心であったことから起こることだろうな、と感じる。まだまだ難しいことだ。
その後、最終便で帰ったため、今朝は本当に目が覚めなかった。階段の電灯が点いたままだったので気づいたのが7時前だ。荷物の確認をして、しばし、身体
の異常はないか、の確認をしていた。
午前中に自転車で外回り。再び蒸し暑くなるか、と思いつつ雨のない天気に一安心だ。SRの整備やって車検を受けたいのだがまだだ。来週あたりになるのか
な〜。
今日の関心事は社会保障と大増税の決議だろうね。結果は結果として気にはならない。表面上だけではどうでも言えるし、3円から5円になったとき、外税が
内税になったとき。特に後者は安いものは安い、と消費税のことは機にもしなくなったようにも感じる。庶民にはこの程度だ、と僕は甘く考えている。百均では
105円が108円、となって「3円」が高いかどうか。最終の110円は確かに高いと思う。が、110−108の3円が高いかどうか?。この辺がね〜。こ
れからどうなるかだな。
が、現在は政党政治だ。結果からすると民主党としてはダメであろうし、僕は、民主党の渡辺長老が言っていたことが的を得ているように感じる。どうやら小
澤新党も難しいようだ、と僕は思う。
2012 年6月22日(日)雨
まー、よく降りま す。どこかへ行きたい気分ですが自重している。理由は今日は日曜日だから。休日は休日らしくオヤスミしたい。
とはいえ、Mac関係のパーツがロサンゼルスを飛び立って成田へ到着しているのだが、系列の日通の状況がつかめない。国内はJPのゆうパックになるのだ
が、通関までは無理か。とはいえ、日通よりゆうパックのほうが速い場合があるので... 。まるで子供だな。
その、僕が持っている調子がイマイチのMacBookと全く同じ仕様のものがヤフオクにあったので「イケル」と思ったけど3諭吉以上になるのは確実、と
判断できたので止めにした。古いアクアのソフトはOS 10.7では動かないし、Fire-Wire
400が装着されているし、いわゆる樹脂製のモデルであり、旧PowerBookの系統のスタイルから若干の人気があるのかもしれない。ところが、いい状
態のモノが少ないから高騰するのであろうと思う。
こういったところからも、パーツの到着を待ち望んでいるわけなのである。
今日は珍しく夏の高校野球の県大会の組み合わせ番組を見た。少し思うところがあってね。残念ながら番組は録画編集版であったため、選手の表情などはほと
んど見えなかった。おまけに、いつもながらの中予中心、と来るので、僕にとってはテキである宇和島東校などピッチャーの二本立てエースなどしか紹介がな
い。このゾーンは大変で、年余勢同士の組み合わせなどが多い。津島高校は数年前の旋風のことは言われずに「9人」のメンバーで臨む、と強調。相当昔の「さ
わやかイレブン」になったりして... 。
ところが、中予は「夏将軍健在」、「サヨナラ負けにもかかわらず」、「1年生からの出場選手」などなどが妙に強調されて言われる。新田高校出身の解説者
が居るというのにね。
東予など、単に西条、小松などの紹介だけで、昨年の優勝校などチョロっとシード外の高校が優勝したことだけを紹介する始末だ。
詳しくは各放送機関で放送されるだろうからおわかりになるだろうけど、メインの朝日放送なんだから、会場でのインタビューなどをもっと増やしたら、と思
われたりもする。これなら見るんじゃなかった、と思ったね。
高校野球連盟の規則などがあるのかもしれないが、そろそろ「投手は1チーム3人以上確保し、適宜交代させること」とかを加える必要があるのかもしれな
い。そして、誰もが公平に、ということから秋季大会ほかの大会を参考にするのではなく、甲子園が選手権大会なのだから、予選会は都道府県のトップが集まっ
てこそ、それに相応しいものになるのではないか。そういったことからすると、ミニマムの範囲でのリーグ戦を6月の初めからやらせばいい。
南予だと高校の地区割りで大洲は中予になるので、八幡浜、宇和島、西予の都市、愛南町、鬼北町、伊方町の自治体に所在する高校は全部で16校だ。リーグ
戦の試合数の算出として、n X ( n - 1 ) ÷ 2
の計算式から、全体なら16×(16−1)÷2=120試合となり、4会場なら1会場あたり4チームだから6試合。6月は4週あるとして休日は8日。1日
2試合すればよい。しかし、
とはいえ、県大会はツマラナイものになるし、各地域の主催者は大変だろう。やはり無理か。
あ、この方法を選抜に取り入れるとできるかもしれない。春の甲子園はトーナメントだろう。とすると、10月以降の新チームでやるとできそうだ。ただし、
今度は冬にかかる前に終了しないとならないから、やはり無理かな。
あ、今日は美空ひばりさんの命日(1989年)だ。存命ならオバハンだろうけど、52歳で他界だから、やはり「お姉」だな。偉大だった。
2012 年6月23日(土)くもり時々雨
7時前から雨になっ
た。昨夜、就寝前に体の変調について全く違うことを考えてしまった。それはK先生に診察を受けたとき、血液検査をしましょう、と言われ、その判定で「おか
しいけど貧血気味ですね」と言われたときだ。これが、6年ほど前のことである。
そんなことはない、とすると、血液がドロドロか。どうもちょっとしたときにおかしくなるのは、この辺のところが原因かな、と思った。で、今朝は快調。ゲ
ンキンなものだけどね。
今日は沖縄戦が終結した日だ。が、第二次世界大戦は終結していなかった。戦争に「もしも」はないが、あえて「もしも」を使わせていただくと、全く今の日
本でもこれが生きているようにも思う。何というか、おかしいことを言うな、と思うだろうけど、本当にそうだろうか?!
1942年6月にミッドウェー海戦で敗北した。が、そこで嘘の報道が始まる。このミッドウェー海戦など、開戦後わずか半年後のことだ。後は、坂を転げ落
ちるように敗北へまっしぐらに進むことになる。
もしも、1944年6月のマリアナ沖海戦で敗北した後、アメリカに対して「降参」を申し出るべきであったように感じる。この敗北を真摯に受け止め、天皇
側近の面々、つまり軍上層部が理解を示していれば、1945年3月以降の悲惨なことは回避されていたと思うのである。
1945年8月15日以降、今に至るまで、日本と日本人は個々の緩やかな集合体で、日々過ぎているようでならない。
国会にしても、時候のあいさつから始まりくだらない質問と答弁だけの予算委員会など、こいつら馬鹿じゃないか、と思ったりする。どの党が政権取ったとこ
ろで何も変わらない。マニフェストと違うことをやってる、という。「国民との公約」と言われているが、僕は民主党の言い分に対して「よろしゅうございま
す」と約束した覚えはない。したがって、政権与党でも日本人の僕はこの「公約」は真の公約ではない、と思う。第一に公約違反なら国民に何か償いをしてくれ
るのだろうか?たしかにバカげている、かもしれない。が、そういったものがあってこそ「公約」であろうと思う。
第2は、あの戦争でアメリカ合衆国を主とした連合軍に降参しました、としたときから戦後処理の方向性に一貫性がなかった。これが未だに尾を引いているの
であろうと思う。
これまた、もしあのときドイツのような考えがあったなら、今はかなり変わっているかもしれないし、日本国民はもっとメリハリのきいた生き方をやっている
ようにも思われるのだけど、今の小中学生を持つ親御さんは子供に教えることができないから、学校に頼るとする。が、こんなことを学校で教えようものなら教
員諸氏は不良分子として取り扱われるだろうな、と思うのだ。
つまらないことを記載したが、沖縄戦が終わった67年後の今日、沖縄で命を落とした全ての人々の冥福を祈りたい。
2012 年6月22日(金)曇り後はれ
野分けの又の日、こ
の一説だけはずいぶんと頭の中に残っている。オートバイ関係の一説を考えていたのだが、この一説が出てしまう。それじゃ、と早朝より自転車を出して、災害
後などを見て回る。ひどいもんだ。かつて、地面構造からすると、あの辺は南東と西北方向に構造線が走っている様子で、弱い谷の部分はオカシイ場所で崩れる
のだ、と言っていたのを思い出す。表面では判らないが、緩い粘土層=赤土の表土の下は礫の細かいのがあって、それを樹木の根が張ることによって持っている
が、山根差を削って平面を広げると、水の流れる角度が急になり、そういったところを補強なしのコンクリートで塀などを作ると、水の流れが止められ、一気に
落ちる、というわけだろうか。
拙宅は古傷のところから雨漏りが出てきて弱った。ある程度の雨には対応できるが、連蔵して降る雨には対応ができない。再びコーキングガンマンやるという
次第だな。
帰りにステファニーで食事用パンを買って帰る。再び生活を平穏に戻そうとしているのだが、なかなか難しい。静かにしておいて欲しいのだが、今日なども電
話があったり、予想できない来訪があったりで、やっていることが分断されたりして、どうも上手くいかない。自分のペースでジンワリと生活のペースを戻した
いのだけど、3か月経過してもできないままで居る。
と、Airを最近使用しているのだが、少しだけよくないところがある。それはね、タイピング中に少しばかり机(折りたたみのね)から動くのだ。それゆ
え、気づくとタイプし初めと少しばかり位置が狂ってる。MacBookの重さとゴム足の状況なら大丈夫なのだろうけど、これが面で支えるとなると、Air
では少し難しいので、いつも使用する1.5mm厚の丸形スポンジを3つ使用した。ヒントとして、トラックパッドをマルチジェスチャーで使用をしていない僕
は、この部分の不安定さが要因だ、と思っていたのだが、今度は全体がフラつく。つまり、ユニボディーのボトムの微妙な湾曲がくせ者なんだな。結局一つだけ
に収まった、というところだ。結構上手くいった。5本足は僕の特許だよね(漠)
人間なんて現金なもので、雨音でかき消されていた暮らしの音の多くが雨上がりとともに戻ってくる。僕自身、結構よく動き始める。若干のフラツキはあるも
のの、気分がいい。オカシイものだな〜、と思うのである。ドンヨリしたものが晴れ間とともに消えていく。本当にオカシイものだ。自然の営みとしてのおもし
ろいものを見つけた。連続しては難しいが、記録しておこうか。
夜、愛南町のトライアスロンの特集をやっていたが、セクト争いなどひどいものだ。一応の成功はしたが、これを継続してできるかどうか?、住民の予想は無
視と賛成のいくつかになるし、一方では行政がどこまで協力できるのか、そんなことを考えていた。迂回路が十分にあって、ある程度の土地があって、といった
ところではないが、無事に本年は終わった。おまけにやりっ放しの県は一切協力しない。悲観が先に走るが、一回こっきりの大会であろうな、と思ってしまうの
だ。
仮に続いてもいいが、3年後は考えられない、相当のハンディを負う大会になると思われる。参加者も一般の、県内なら「中島町」のものを参考に来るのだか
ら、全く初めての大会であれば、僕の言う、よく続いて「3年かな」になってしまうのである。加えて、「次は全くない」、この事実をしっかり受け止めなけれ
ば愛南は将来などない!僕ははっきり断言してやる。ただし、いかなる理由であれ選手は来るが。
その時は県警本部長も交代している。高速道路は津島のむこうまで通じている。自治体の首長も替わっている。そして「癒やし博」に伴うものは一切ない。こ
のげんじつのなかでできるかどうか?。不安の方が先に出るのである。
2012 年6月21日(木)雨
朝起きることができ ない。首の周りが痛いし時折フラリ〜となる。どうも昨日やり過ぎたようだ。そんなにはやっていないのだが、どうもマズイな。
外は1日中雨だったし、本当に家の中にいた。日常経費の電気、水道、ガスを別にして、一線も支出はなかった。何しろ調子が上がらない。4号の後の5号崩
れの雨は予報では明日未明には上がる模様だ。風があればいいのだが望み薄ときてるから、ジメジメ感が強いのだよね。
芳香虫除け材をバラしたところ、ドバッと液状になったものが出てきて床を塗らしてしまった。拭いても拭いてもにおいが取れない。風に流れる臭いがいいの
であって、ダイレクトでは華についてタマランのだ。オカゲ(?)で食物を素手で触ることができなかった。
上手い具合に10%オフに間に合ったパソコンのパーツの到着を待つ間の作業として、MacBookのトップケースを外しておくこととした。僕はキーボー
ド(トップケース)の不良と判断したが、パーツ到着後に動かなかったらお蔵入りにしなくちゃならないし、新たにマシンを導入しなければならない。今度はま
じめに頻繁にアップグレードできないので、本当に長期間使用できるものを選ばなくてはならなくなるから、製品選びは慎重にならざるを得ないのである。
テレビも夜はおもしろい番組がないので、今日はラジオを楽しむ。いつの頃だろうか、AMも素晴らしい電波状態になっているので、NHK、RNBも結構楽
しめる。毎日はラジオ深夜便を流しながら寝ているところだ。
最近不思議なんだが、お笑い番組がテレビ、ラジオともに少なくなってしまって、ツマラナイ。同様に民謡などの番組も少ないな。強いて、本当に強いていう
とテレビの「笑点」ぐらいしかない。イヤー、これはおもしろいよ。月に2回程度でいいから「何とか寄席」と称して1時間番組でもやって欲しい。昨年の震災
の時でも、実のところ被災地では笑いも必要であったことは重々解っているのだし、放送ともなると、芸人は一層やるのではないかな、と僕は思うし、笑いこそ
必要なのではないだろうか。
2012 年6月20日(水)くもり
いつものことなが
ら、台風一過の空は一向に現れない。むしろ梅雨真っ最中の様相だし、雲をつつけば雨が落ちてきそうにも思う。幸い大きな雨漏りも無かったが、階下の元仕事
場はカビが舞っているようでもあるのだが... 。
明日からまた雨らしいので、今日のうちにケリつけるものはやっておく。ところがね、これが用務とルート設定が大変なんだ。段取りを考えないと二度手間に
なって労力が数倍になる。理由は本日は最短でも3km程度になる。しかも登り下りがあるから、平坦路よりは疲れる。
まずは、一宮様へ花火の奉納金を納めに行く。風が全くない登りだから、帰りの下り坂ぐらいで受ける風では収まらない。商店街から朝日町郵便局へ。振り込
みをやって市役所へ。結構な市県民税を納める。元の職場でプリントアウトの方法など話をして1階のディスペンサーで生活費を入金。
職員組合へ出向き、今日の夜の予定など話をしてようやく帰宅。わずかなことかもしれないが、これで2時間が過ぎてしまう。止むに止まれぬこととはいえ、
行動範囲だけが広がってしまった次第だ。本当に原付が欲しくなってしまう。もしやるとすれば9月頃かな。まだ、僕のお役目が多すぎる。しかも代表職が多い
から気が抜けない。日々の業務の後での会合なら流れとして上手くいくのだけど、日中は何もなしでいきなり夜が本番だから、今日のような暑い日では準備にも
一苦労する。まさかTシャツで出向くことはできないしね。
iPadでスケジュール管理しているのだが、持参するのを忘れると、とんでもないヘマをやらかす。今日も組合で「30日は?」と聞くと、何も無いとのこ
と。エー、労金の階があるはずだけど... 、それは7月ですよ、っと。
今月は30日が土曜日で、考えれば労金の会議など無い、と解るのだけど、日付が同じだからテッキリ同一の会議と思ってしまっているのだよね。
夜は全労済の会議。1978年からだから、ずいぶんと長い付き合いになる。それも7月末でお役目ごめんとなる。その後の懇親会は楽しかったが、時はあっ
という間に過ぎる。新委員長とともに真珠で二次会だ。結構やってしまう。途中お仲間のN氏が来場。2時間程度であったが、今日は少々やり過ぎた。
ジオシティーズのメンテでアップロードできず。掲示板には記載していたけど、カウンターのみ作動していなかったので、このことは気づかなかったかもしれ
ない。
2012年6月19日(火)雨
台風の余波から上陸
手前へ、と不思議な天候の1日であった。実は昨日、FMガイヤの収録があって、それに対しての資料作りに大わらわ。しかし1時間程度の番組の中、合計10
分程度のしゃべりしかない。これは仕方が無いな。むしろ、時間にフィットさせることと、その中で最大公約数的なしゃべりを入れないとならないから、番組作
りは相当に厄介だ。おまけに、映像が無いラジオの世界。これが、僕の一番嫌なところでもある。ま、27日の放送を聞いていただければ。
早朝の雨が少ないとき、資源ゴミを出す。新聞紙とはいえ、広告もOKだから、2か月分とはいえ結構重い。室内が少しばかりスッキリ。僕の片付けができな
いのも、一部はこの点にある。それに分別収集。ステーションが完備していない。これらのことを宇和島市が実施しているから片付けも難しい。以前は燃えるゴ
ミと燃えないゴミと分けるだけで良かった。
分別収集になると、家庭内のゴミは分別して家庭内で収集日まで保管しなければならない。このスペースをどこに置くか。拙宅のようなところでは、はなはだ
困難である。これが災いして、天気とタイミングによっては2か月程度まとめなければならなくなるのだ。
午後、DVDの太平洋の翼を見た。気にもとめなかったが、この英語が創られた頃、僕は紫電改と零戦の大きさが全く理解できていなかった。名古屋の地で零
戦の32型を初めて見たとき、何とまぁちゃちな飛行機だ、と思った。その後、愛南町に保存してある紫電改を見たとき、その大きさの比較が初めてできた。
この頃から、すっかり模型への興味が薄れていったように思う。そして、実際に大きい排気量のオートバイにも乗っていたことから、実物への尺度で想像して
しまうようになりだした。僕の場合の模型は、その尺度でいう、モックアップが第一であり、真に模型は模型としてとらえている。
そして、英語のModelと日本語の模型のニュアンスの違いだろうかね。この言葉の受け止め方は「おもちゃ」の受け止め方と違うのは解るが、おもちゃは
単に玩具ではないのだから。
ただし、模型を動かす動力、これは真に実物である。このことは否めないため、たとえば、模型エンジンというのは実際ウソで「模型用エンジン」とすべきで
あろう。電動のラジコンカーに搭載するモーターであっても模型用モーターで、もーたーそのものは1/1の本物だ。この見方が渾然一体となって模型となるの
であろうが、どうもやりきれないのだ。
もう一つは、模型として作り込むほどに一層本物から遠ざかる。作り込めば作り込むだけチャチさが増すようでやりきれないのだ。したがって、艦船模型で
も、この船を九島沖に浮かべたら...
、と頭の中で働かない。実物の持つドロドロしたものが模型では希薄に思えるのだ。大和ミュージアムでの1/10大和でも、これを海に浮かべたら、に思えな
いのだ。
こういったことが、僕を最近模型作りから遠ざけているようでならないのだ。
2012 年6月17日(日)くもり時々はれ
いかに毎日が休日と
はいえ、通常での土・日に業務的なことで動き回るのはつらい。昨日の出張は相当に応えてたようで、起きたのが7時前になった。幸い、雨漏りは少なかったの
だが、古い雨漏りの処置をしたところが漏りだした。これが新たな問題を提起し始めた。この梅雨明けにでも、と長い対応になりそう。仕方ないかな。傾斜屋根
にしたら... 、と受け入れることはできないのだ。
それにしても、日の出から数時間で路面が乾き始める。自然の偉大さをまざまざと感じる。これに抗するのではなく、同調もしくは利用して生活する方がラク
チンかもしれない。
もう一回MacBookを起動してみたが、どうもキーが動かない。これだけがダメ、ということはキーボードがダメと考えた方がいいようだ、と判断した。
そろそろ、MacBookも1本に絞るべきかもしれない。現在Airが活躍中だが、Core 2
Duoで外付けの10.7ハードディスクから起動できる。内蔵のSSDと内部基板のアーキテクチャーは現行モデルに近いように思う。
で、iPadの初代はiOS
6に対応しない。これはソンと考えるかどうかだが、僕の使用状況から考えるとこのままでも何ら影響ない。というところから、問題はMacだけなのである。
久しぶりに「別冊モーターサイクリスト誌」を購入する。特集はホンダのスーパーカブだ。先日、ダイキでオートショップワタナベのマスターに「原付でも要
るぜ」と言われた。そういえば、今日も明屋と宮脇へ出向いた、ということは5km以上自転車で走っていることになる。コーナンへ往復すると12km程度に
なる。真夏は大変だものね。じゃ、SR500で、にはならないのだ。っそこそこの装備をやって、シートに不安定な荷物をくくりつけるのは少々考え物に感じ
るのだな。
体力作りがおろそかになる。確かにそうかもしれないが、利便性から考えると原付二種ぐらいを1台持っておくのもあり、かもしれない。
と、オートバイへ目を向けると、どの車種もグロテスクで、古い私のようなオッチャンは乗りたくないオートバイが最新のものでしかない。別冊
のカブの記事でも、消費国のエイジアン各国では日本でのカブは売れないらしい。ということは、僕の考えは古いのかもしれないが、購入年齢層を考慮した車種
作りをやってるメーカーってあるのかな?、と思ったりもするのである。
ちなみに、自動車の世界だが、最近になってイタリアのメーカーで僕の好きなアルファロメオがある。日本国内へのモデルで「白」が無かったのである。本当
におかしいかもしれない。以前のジュリアやジュリエッタには白があった。意外にフィットするカラーなのである。カラーリングのみにすると、メタリックグ
レーもOKだが、どうも詫寂が主になっているようで、イタリアンのイメージから離れてしまうのである。これがポルシェなら一考するが。
どうしても、日本法人はイタリア=赤であろう。しかし、この赤は「フェラッリ」の赤であって、別にはね埋めに必要なものではないし、この赤のニュアンス
は仏教国の日本では日の丸の赤に近いものがある。
その中で、イタリアのナショナルカラーは「青」ということをご存じだろうか?。どうしても、スポーツの世界を思ってしまうが、トラディショナルなボート
などは、未だにユニフォームはイタリアンブルーなのである。
そろそろ、日本でもナショナルカラーの白に赤を基調としたものに戻すべきではないか、と僕は感じるのである。
思わず、オートバイの世界から離れてしまってが、言わんとしているところはおわかりだろうと思う。もし、ルパン三世で今のフィアット(当然白かアイボ
リー)で撮影されたアニメをみると、この車は売れると思う。そういったように、人々の心の中には車種のスタイルとともにカラーリングにも心配りが必要なの
である。
2012 年6月16日(土)雨
思わぬ強い雨に大心
配であったが、コーキングのところは漏っていない。その近辺のどこかが漏っている。こればかりは、建築当初の階下の漏れと同様にこれからの対処だろうな。
今年は暑い夏でも早朝は屋上に上がれる時間帯が確保できる。これはうれしい、とすべきだろうか。
途中、まきやのご主人が水かきをやってらっしたが、僕の通る少し前は木藤時計店などひどい状態であったらしい。駅までの道、新橋通は水が出ていた。それ
でも「海の恋人」のイヴェントはやるのだから恐れ入る。傍らでは水のかき出しをやってるというのにな〜。
列車の遅れが心配で、早めに松山へ出向く。本日は関係団体の総会。再び僕が代表になるから少々気が重いのだけど致し方在るまい。
会議は案の定、来賓各氏が政治的なこととか何かを話すので、僕が先に言ったことがむなしくなってしまった。そういえば、与党と野党の多くが消費税と福祉
の件で合意をしたという。何かしら、おかしな話だ。こんな国会運営なら歳費を下げてもいいのではないか。もっとも野田総理の本心は計りかねるけども。
で、僕はこの会の15年目の節目を迎えたことと、これからのこの会の運営をどうすべきかを遠回しで申し上げた。同時に、CCRのWho'll
stop the rainの件を出して、言動などが良い方へ採られるように、と話をしたのだが、解ってくれた人は少ないだろうな。
来賓のあいさつによって、これがアホをみたような結果になってしまった次第だ。側面支援のこの会自体の巣据え方は、この会の当事者の活躍が必要なのだけ
ど、来賓のあいさつは、どうも自分の思いなどが発せられているようで、この会のオープニングのあいさつにはどうも不似合いのように感じるのである。
途中、宇和のT君よりの電話にでる。オートバックスに点火プラグが在庫してない。取り寄せになる、とのこと。これを聞いて激怒したので電話してきた、と
いうのだ。僕はありのまま、今の自動車は点火プラグなど無交換で数万キロ走るんだ、っていってやった。幸い勝山商店で購入できたらしいが、自動車でも現状
が良い調子から少し落ちてきた、と感じたら点火プラグを交換するとグッと良くなるのだけど、点検整備ではノーマルプラグを交換するのがいいとこであろうと
思う。
帰りの列車は、満員状態だ。遅れも無い。内子からの川は濁流が流れている。うちはどうだろうか。辰野川など明日はすごいことになってるだろうな。
夜、近くにできた中華料理屋の「奉天」へ出向く。相手は中国の人、最初は戸惑うも不思議だが相手を呼び込む技は僕が持っているようだ。ママさんとすっか
り話し込んで、焼き餃子での中国と日本の差を話した。はっきり言って水餃子はメニューに無い。したがって、「焼き」よりは「蒸し」の餃子をたのむと、女性
はこれで腹一杯になる、と僕は思う。
一説によると「脂っ濃い」と言われるけど、これは全く逆。それだけ油が新しいし、ごま油の使用量が多い、と僕には感じられた。日本人好みの中華では無い
が、一度食するとやみつきになる可能性が多い。
今になって思うと、イタリアンでも同様ではないか、と僕には思われるのだ。あれだけオリーブオイルをブッかけられて、当時は脂っ濃いといわれたのが、
あー、パルメザンが少ないとか何とか言ってる。これと同じであろうと思う。
雪駄君近所に、こういった店ができた、ということは数週間に一度の昼食と、気晴らしのあの店がここに変わる可能性はあるように感じるところだ。
いずれにしても、今日は疲れた。
2012 年6月15日(金)くもり後雨
連日の早出の妻より
早く起きてしまった。何とまぁ若干の風の強さとともに昼前から雨模様になってきた。コーキングがどうか、一瞬身構えるが、原因だけだだから最終はプロへ、
ということだろうな。
雨の前に、昨日気になっていた戦艦大和関係の雑誌を買う。これとて、宮脇まで出向かねばならない。いつもながら即断で購入すべきかどうか迷うとき、宮脇
に在って明屋にない場合など、二度手間だ。これが往々にしてあるから、様子見をやると、もっとひどいことが起きる。それは売り切れ、である。最近はネット
で発注ができるようになったが、ほんの1冊をゲットするまでヘタすれば一月かかってしまうのだから、閉口する。今回も2冊しか残っていなかった。5冊のう
ち、昨日だけで3冊売れたことになる。
内容は、戦績とか仕組みとかはいつも通りだが、内容が、艦の艤装、火力兵器の変更から乗組員の食事、戦闘に対しての書類などの艦に常備のものまで及ぶか
らである。そういえば、本誌の内容は大和ミュージアムのガイドさんがしゃべっていたことと合致するし、それ以上のことが解る。これがえらく資料としての
み、僕が気になっていたところである。
宮脇へ行く途中、小富士さんとこのKissの撮影済み駒確認の修正を頼まれて、コツをつかむまでに時間がかかったが、成功。よく考えると、手持ちの
FinePix S1
proでは、これがパソコンを併用することと、撮影、再生に分けて編集してある取説だから理解しよいが、キャノンの取説は小さい上に一体になって記載して
あるから、僕にとっては理解しづらいのである。おまけに、サブモニター的な設定用のディスプレーが無い。これがコンパクトデジカメと同じ方式になるから難
しいのだ。デジタル腕時計の設定なみである。
帰宅すると、ATOK
2012が届いていた。早速インストール。簡単のUSBメモリーだがインストール、設定とも速いし、テスト打ちでその高機能ぶりが相当進んでいる。何やら
あるな、と思ったら、このバージョンからPowerPCのMacでは作動しなくなってしまったからだ。おそらくだけど、UNIX関連の開発関係と
Windows版の開発が一部シンクロできだしたのかもしれない。久しぶりに快適な変換ができている。
2012 年6月14日(木)くもり時々晴れ
目覚めはよくない。
どうも妻が早出のようだ。いつもの時間に起きるともぬけの殻であった。早速、朝食前に屋根へ上がりコーキング。思わぬものを発見。どうやら、最初のコーキ
ングが劣化していた模様。太陽光をはじめ、自然の力はすごいものがある。そこを少々ハツリ、ワイヤーブラシで削った後コーキングを施す。ネット上だけど、
県内に資格者が居ることを見つける。最終はここだろうな、と思う。
ブログの件は思いがまとめられず今日は断念。こういったところを本当は謝罪しなきゃならないのだろうね。
僕は優柔不断なところもあるし、諦めも早いところがある。そのため、えらく回り道をして、時間と労力を無駄にするときもある。Macの今は、その渦中に
あるようだ。すでに、数諭吉でその無駄をやろうとしている。が、これまで、この回り道は結構いいものを残してくれている。今は多くを記さないが、これをや
らなかったら、おそらく、これまでの、特にPismo以降のMacは今と全く違う方向へ進んでいたのではないだろうか、とも思われるのだ。たぶん信じられ
ないだろうと思う。
最短で行っているとなると、周辺機器のたぐいは一切なく、経験のみが何をか語らん、になってしまう。逆に、そのものが動かなくても存在する、旧タイプで
今に近いものは動くのだから、これでも十分説得できるし、と僕は考えている。それが、僕の場合は512Kから今に至るのである。
確かに、個人の楽しみではあるが、近い昔はAppleより先んじてとかをやってた。そういったこともあって、僕は未だに似非エバンジェリストであるし、
それをやってる。確かに自己満足かもしれない。
が、決して、その道のプロにはなりたくないし、趣味が仕事となると、僕の場合は全てが終わってしまいそうな気がする。特に経営は僕の考えを遙かに超える
ところにあるのだろう。残された人生をそこへ振り向けたくないのだ。
ま、それにしても、高額の若干のもろもろはこれからの僕の生活の用具として支出している。
思わず、コンピューターの話になったが、オートバイもそうだ。最近お隣の息子さんのご友人からT-140Vを見せて、ときた。そのあと、是非走らせてほ
しい、ということを聞いた。オールドタイマー誌の陸王の件も同様だ。そして今日、立ち読みでの「キャプテン・アメリカ号」の記事。ピーター・フォンダもデ
ニス・ホッパーも本当のオートバイ乗りであると思った。
なぜって?。車両が車両で、できもしないニーグリップをやろうとしているライディングスタイルを採っているからである。今の似非チョッパーのライダーは
どうだろう。巨大なバーハンドにもたれかかり、股を広げてのライディング。イージー・ライダーのあの季節、アメリカ大陸を1日に100マイル以上走らせる
ことができるかどうか。それが似非かどうかを問われるわけだろうな。
それらをリアルタイムで身につけているヤツと、以後のヤツ、今回はおもしろいことに経験していない以前のヤツが混在しているハーレーの世界だ。僕の言っ
ていることが理解できれば、結構オートバイに乗れる輩、と僕は思うのだ。
2012 年6月12日(火)雨後くもり
朝からの雨。どうも 漏れが気がかりだけど、やはり1日中家の中に居た。夕方雨は止んだが、今のところ漏っていない。
とはいえ、少々あってね、どうしても外へ出なければならない用事もある。久々に大汗かいて2km程度歩いた。蛇管左脚が痺れる。とはいえ、ふと、腰を回
転させずに歩いているので、これを帰りのアーケードでやってみた。恥ずかしいことこの上ない。が、これを平気で高校時代はやってたんだ。
そういえば、大河ドラマの宮本武蔵の歩き方=二軸歩行として、協議の分野では、高野氏が日本人の走り方として提唱されている。これを僕は鵜呑みにして
やったのがそもそもの失敗だったようだ。
僕が陸上競技をやっていた当時は一軸か1.5軸走法であった。当時はマック走法が日本中に広まっていてね、膝をあげて足先を降り出す。その振り出しの強
さは蹴る足(脚)の強さだ、というトレーニングをしていた。これが覆されたのは、国内に暴政樹脂製のトラックが多くなって、マック氏の走法では早く走れな
かったのである。(後日、これはウソと判るが)
つまり、ファッションモデルさんの歩き方だ。モンローウォークはこれをデフォルメしただけで、おしりの大きい人はどうしてもそのような歩型をせざるを得
ない。この方法は地面に線を1本引いて、正面を見据えて線上歩けるかどうかだ。僕自身、自分がどうなっているのかすっかり忘れてしまっていたようだ。
さて、どうしてもMacBookを何とかしたい、と思ってバラす。内部はどこも悪いところはない。組み上げてみて、どうもキーボードかな?、というとこ
ろまできた。この調子でどうのこうのあるのなら、やはり、当面はArを使用したい。
またしても、コンピューターを使って仕事などをするのか、便利なのでコンピューターを使用するのか?の問題に退治しなければならない。僕の場合はどちら
でも大丈夫だ。飛行機の中で映画など見たくないからね。ホテルでもLANが’使えるのではにだろうか。しかし、モバイルはAirがあるので、無理に今のも
のを選ぶ必要もない。再び次期マシンの選定で悩んでしまうことになるのだろうな、と思うのである。
2012 年6月10日(日)はれ時々くもり
本日は35回目の結
婚記念日だ。いつもどおりの朝は過ごしたくなかったので、まずはお墓へ。久々に夏の雑草が生えていたので摘み取る。残しておきたいものも確かにある。そう
しないと、墓場はあまりにも殺風景だ。市内に在のないお墓は荒れ放題を通り越す可能性があるので、大半はコンクリートで覆われている。父が言っていたが、
これは死者の呼吸をも圧迫してしまう。とはいえ、これまで頻繁に墓掃除にきていたところが我が墓所に近い状況になっているのを見ると、時代も変わったな、
と思ってしまうのである。
確かに草木は今を生きている。死者の住所を汚くしていたくはない。この辺が、今を生きる墓守の僕が考えるところだ。「ラピュタ」の墓守をしているロボッ
トまでには至らないが、少なくとも、機会ある毎に墓参りをする必要性があるのではないだろうか。父の言い分とともに、未コンクリートの墓所は、僕が死んだ
後も遺言化しておこう。
続いては八幡神社だ。「お前さん、宇和津彦(一宮様)神社だろう?」と来られる。確かにそうだが、35年前、考えに考えて、登り下りの少ない式場、武人
の神としての神社(八幡神社)妻の住家と拙宅との中間、という意味から八幡様にしたのだ。妻はもう忘れているかもしれないが... 。
あの日は大雨だったな〜、と梅雨の晴れ間の中、少々想い出した。神殿はガラス戸で閉場されているが、昔はオープンだった。これも時代だろうかな、と思
う。
楽しい陸上競技を見つつ、この世界も少しずつ時代の流れがきているようだ。男子110mハードル決勝などさえたるものだ。一発フライング=失格を優勝候
補がやった。
悲観した見方かもしれないが、「やってしまいましたね」というぐらいの言葉を吐け。それが出来ないのなら、静かにトラックを去れ。人のいないところでサ
メザメ泣け、といいたい。慶應義塾という裕福な家庭の子女が通える大学だ。こういったトンデモナイコトをしでかしたことがないのだろう。昔なら「このバカ
が」など盛んに回りから言われ、自分自身も悩みに悩んでしまう。その結果、立ち上がれるかどうか?。彼にはそれがないような気がしてならない。トップから
「失格」というつまらない結果になったのだからね。
男子バレーもそうだろう。JTがカナダからの訴えを聞き入れると、どうなるか?。次のシーズンを前に部は解散になってしまう。これが日本社会の現実では
ないか、と思ってしまう。
市役所にもボートの国体選手がいる。でも、就職以来ボートの世界に出場したことは聞かない。これが自治体の強さの差であろうし、少しは過去の栄光を数年
引きずることさえ許さない、ゆとりのない職場であることであろう。
女子の5000mの勝者が語録のような名言を発した。「応援を受けてやっているので、ロンドンででも、日本国内ででも、応援をしていただきたい」とね。
あー、ここまで言える選手が出てきだしたので、日本も結構進んでいるんだ、ってね。
夜、MacBookの処理確認をした。どうやら、成功したようだ。この手の説明はどこにも記載されていない。やはり、付属の取説はもう少し詳しく記載し
たものをバンドル(なつかしいコトバ)すべきであると思う。
2012 年6月8日(金)雨後くもり
実は這々の体で、昨 夕屋根のコーキングを終えた。明確ではないものの、この雨漏り対策とMacBookのOS
Lionでの起動のし辛さが僕の気分を著しく悪くしている。ようやく1人でこれらに長い時間かかることができたことと、時間の制約がないのでじっくり退治
できたことが幸いした。
で、本日は未明に目が覚めてラジオ深夜便の「あすへの言葉」での寺内タケシ氏のインタビューの2日目であったからだ。外は雨模様。ここでコーキングのこ
とが頭をよぎる。
寺内さんの話は実に良かった。もうこれだけだ。僕がどう文章化してもダメ。「ギターは弾かなきゃ音が出ない」マジ、その通りだ。それゆえ、僕もオートバ
イをして「走っていくら」であり、走らなければゴミである、と思うようになっている。
さて、午前中はMacBookの原因究明をやったが、どうやらこの辺、というところまできた。そして、「Mid
2009」までの機器に特有の症状があるのではないか、と感じて、その確認をして思いの通りであった。
さて、雨漏りは階下へ目をやるも漏っていない。とうとう午後3時頃の雨上がりまでにらんでいたが漏っていない。ひとまずの成功である。
気をよくして、深夜食道のオイルサーデンの缶詰のアテでご飯をいただく。食べ過ぎるぐらいになってしまったが、夕食を終えたときに市長発言を聞いて「コ
リャ、ダメダ」になってしまった。
市役所の室温を今夏は29℃にする。エレベーターを2台にする、と。
今だからばらすけど、昭和48年当時、市役所の空調は当時の最高レベルマシンであった。空調の出口1台1台がマイコンを搭載していて、全体の温度を把握
して作動させるようになっていた。それが市役所誕生年の昭和51年にはオイルショックで、以後今まで全ての機器を稼働したことはない。今は綿密な事務机上
での温度管理で、この機器は作動。この機器は送風のみを手動でやっている。したがって、空調投入温度を28℃に設定していた昨年、僕の経験からしても、席
によっては30℃をオーバーする場合もあった。
エレベーターは3台運行のコンピューター制御だ。これを1台止めると、利用者側からすると非常に効率が悪い、というのは子供でも判る。階段を使うとなる
と、汗まみれになるのはわかりきっている。
おまけに、蛍光灯の光量を下げる、という。働く者の環境は大丈夫だろうか。
役所もがんばっている?!、というところを見せようとしているようだけど、来庁者への配慮はどうなんだろう?空調装置は旧態依然。三役室は絨毯床。こう
いったところを先に改善して、ランニングコストを下げるようにすべきではないか、と思う。
馬鹿とは言わないが、職員数よりOA機器の数の方が多い。それらは24時間フル稼働だ。省エネなどできない職場環境なんだ。省エネより、少エネを目指す
べきではないか、と思う。そのためには、多少の出費は必要だが、こういった旧態依然の機器を現代版に変更する方が先ではないか。急調さのように冷暖房不完
備でも仕事ができる悠長な環境ではないんだから。こういったことばかりやっていると、次の選挙では... 、となりそうにも思うのだけど... 。
ま、退職者のいらぬ心配として、賛同してくれる現役が申し入れをしてほしいものだ。2012 年6月3日(日)くもり後はれ
朝は雨漏りを確認。 ずいぶん少なくなったが、もう少しのところがなかなか難しいものである。晴天が2日ほど続けばまた作業開始だ。
MacBookの調子がおかしいので、バックアップをとった上で、ハードディスクをイニシャライズして、バックアップから再インストールした。起動テス
トだが、ACアダプターではママうまくいく。が、バッテリーからだとミスが続く。optinキーを押してやると、これまではバックアップのアイコンが出て
いたが、今回は出ない。
ここから判るのは、バッテリーがおかしいのではないだろうか、と考える。キーボード修正はうまくいったが、電源部はなかなかわからない。もう少し様子を
見てみたい。
夕方、サンシャインの百均へ。さんざん探した針の糸通し器具があったので、思わず購入した。あほみたいのところにあるものだ。灯台下暮らしか。
さて、トイレを我慢しているのだが、市立病院もあるのにトイレ表示がない。これには参る。こういったところが、少々遅れているのではにだろうか。
2012 年6月2日(土)くもり後時々雨
まじめに朝はガック
リ感から始まった。毎日一喜一憂だ。ふざけてる。何というか、流しに集まる小蠅のように、殺虫剤の完全な物がないのと同様に感じる。
今朝のそれはMacBookのアッパーカバーの右手の掌下が欠けているのを発見したからだ。ゲー、Air対策に2諭吉ほど追加か、7月には新しいOSが
出るし、これに対応しているマシンかどうかが判らない、として、ここは削り取ってしまう対策を施した。
再びアッパーカバーを外す。スムースさは欠けるが、ま、樹脂(ポリカーボネート)の筐体では、この程度のアルミフレームでは狂いも出てくる。Apple
はこれを嫌ってディスコンに下向きも感じられるのだが、僕の考えすぎかな。バラシついでに、内部確認をしたが、一か所電源受け入れ部のシールドがおかし
かったので、ここが例の不安定さの要因であったのかもしれない。これはしばらくの確認期間が必要だけどね。
それに比べてAirは快調きわまりない。不思議だな。MacBookがある程度過去のアーキテクチャーを引っ張っているのかもしれない。購入時、何度も
考えたのだが、たびたびのCPUのアップに際しては、僕自身がついて行けなかったのが要因であろうと思う。
昼からは雨になった。強い雨ではないが、日中が涼しいのが良い。月曜日から、そろそろT-140Vにかかりたいと思う。結構入念にやっていた部分はビク
ともしていないのだが、綺麗にするとなると時間はかかりそうだ。動いていれば、それなりに綺麗なのだが...
。まるで住人のいない家が朽ちるのと同様に感じてしまう。僕の意識のみが、車体に乗り移っているのかもしれない。これは英語での意識表現であろうか(漠)
2012 年6月1日(金)くもり時々はれ
バンドの楽器運びを
やるのだが、僕のステージ間際に僕の楽器が入れ違っているのを発見。場所は城南中学校。南校舎の外れまで運ぶのだが、その途中で、この楽器の持ち主に出く
わし手渡す。
どんどん廊下を進むのだが、いつの間にか蒋淵の外れの荒ら屋。わざわざその住人に場所を確認する僕。そこへ不思議な祈祷師のような女性が。関わりたくな
い、と引き返す。いつの間にか南校舎の西の出口、今はなくなって明倫町の学校の裏側の道になっているが、そこへ出たときに目が覚めた。フルカラーの夢で
あった。
昨夜、急な呼び出しがあって、今朝はシャツとズボンに革靴スタイルで出向く。定刻に協議を始める。あらかたの予想は二通り。一つは16日の大会の進行に
ついて。もう一つはその団体のトップに再任か?である。
話は後者の方であった。この団体の長としては現役の働いている人がふさわしいと思う。このことは以前から申し上げていたのだが、直接の団体トップも僕と
同じ立場であることをササッと頭の中で判断して、任を引き受けることとした。
後で考えてみたのだが、宇和島の職場はこれからどうなっていくのだろう、ということが盛んに浮かんでは帰依するのである。時にお隣さんと話をすることが
ある。「本当に暇」ということが盛んに出てくる。生前の母が大学生の僕への仕送りに同封した手紙に「相変わらず暇で」と書かれていたのを思い出す。長期休
暇で帰省すると、マジその通りであった。その頃と比較すると、商店街の人通りは1/3にまで減っているように思う。おそらく合併後は旧3町も同様の状態に
なっているのではないか。
午後、今のうちに、と先日見つけたねじりブラシ対を購入するため、保田のコーナンまで出かける。いつものところに物がない。さんざん探したところ、塗料
のブースに置いてあった。相当昔に妻と共に出かけた東京麻布狸穴時代のブルックランズでプレゼントしていただいたこの手のブラシを今でも使用している。特
に銃砲店で購入はできるのだが、高価だ。そこまでは行かないので、DIYで探すのだがDAIKIにはなかった。それゆえ、少しの労力を払ってコーナンまで
出かけたところだ。
61歳を迎える今月から少し生活に変化をもたらせようと計画している。自然でいいのだが、こういった決めごとをするのは難ありか?。
妙に6月のはじめ、今朝見た不思議な夢のようになりつつあるのではないだろうか。