11/ 6
 なりのメールが到着する。返答するのに散歩がてら職場までフロッピーディスクを持ってPB150で入力するため出かける。時間は8時前だから、生徒諸君にずいぶんと妙な目つきをされる。
 このことは、南予文化会館で開催されている南予写真協会の作品展の受付で席についている途中で、少々落ちこぼれたような J 中学校の女生徒が、階段の陰でたばこを吹かしている姿を目撃したときに視線があったときにも、おなじようなことを感じた。
 何度も僕はこういった姿を目撃しているけど、どうぞ、ご自由に、という姿勢をとっている。注意したって相手は止めりゃしない。やるのなら、そいつを徹底的にこらしめる方法を採る以外にないのだ。虐待といわれようとかまわない。そういったことをやられる自分がみじめになることを経験していない今の若者には、いくら口とか動作で「悪いこと」と示したところで治るものではない。
 合法的な虐待をやったりすると、おそらく保護者はまくしたてるだろう。そしてナーナーで終わってしまうのが常である。教師諸君はこれ以上手が出せない。
 こんなことは書きたくはない。しかし、いまだに学校では教師諸君が知らないところで、どういったことが行われているかを認識すべきだ。教師一丸となった攻めの態度を採るべきだ。たとえば、スーパーの見習い店員をやるとかして、社会の経験をすべきだ。
 息子の中学校時代、「今日は全員が曲がりなりにも登校しています」と学校長から聞いたとき、僕は今の高校までの教育自体にある不信感は拭い去ることはできなくなってしまった。
 かくいう僕は小学校時代たばこを思いっきり吸い込んでぶっ倒れた経験がある。大人は「バカか、お前は」と言うだけで済んだ。今、大人はどういった態度を採るのか、この辺のところをよ〜っく考えてほしいのだ。

11/7
 予写真協会の展示ブースにBGMを、っていう難題に、久しく忘れていたオーディオのノウハウを思い出した気がする。
 ソニーのディスクマンと自作の電池アンプ、それにBOZEの101スピーカーでセットする。金具でパネルの脚に101をセットして音を出すのだが、ちょいと雰囲気に欠ける。
 そこで、江川三郎実験室で報告のあったとおり、スピーカーを外側に向けてセッティングをしたところ、かなりよくなった。いくらボリウムを上げてもうるさくならない。雰囲気はホールの感じがして、なかなかいいものになった。

11/10
 場の団体で使っているIIciをBoneの持っているQuadra700と入れ替えする。このIIciにはMC68040のアクセラレータが装備してあって結構速いのだが、時としてフィットしないソフトが最近多くなってきたし、フィットしていてもファイル単位で動かないものも出てくる。常時使うEXCEL、Mac Wordなどがそこそこ確実に動いてくれないと、業務に支障が出るからである。
 その対策としてどうするか、考えた結果、Quadra700にリプレースするのが実に簡単でいいのではないか、と結論づけたのである。単にハードディスクを入れ替えして、アクセラレータのイニットと、初期設定をはずせばいい。
 この状態で、改造したIIciにOSである漢字トーク7.5.3を7.5.5にまで引き上げて使用する。うまい具合に純正のCD300が縦置きのQuadra700のトップに載る状態が実にいい。
 となると、小規模の仕事にはやはり、この程度のマシンかな、とも思える。PowerMac7100と純正の13インチモニターの美しいマッチングラインもいいのだけど。

11/12
 のMac IIciをどうするか、ということに対して、現行の予算状況からすると新規購入は難しい、という結論に達した。当然、苦労して購入したBoneのQuadra700は譲れない。
 そういったところから、この団体のトップである僕の一存でもって、僕からのプレゼントとして、余っているQuadra700のロジックボードを入れることにした。アウトプットポートは最小の加工で済むようにした。確実にこのまま、PowerMac7100のロジックボードを装着できるが、組合での仕様状況からすれば、大きさ、規模とも、Quuadra700のMC68040のCPUで過不足ない、という結論に達している。
 が、VRAMでこけた。書記さんにQuadra700を使用させたところ、安定性はもとより、1670万色画面の美しさを知った顔は、極論すると256色ではゲンナリ、というのは目に見えて明らかであった。というところで、256kのVRAMを必死に探すのである。

11/13
 からIIciにQuadra700のロジックボードを入れる改造を、行きつけの内田自転車商会さんで行う。ついでに、SR500のエアークリーナーボックスのダクトを修正する。
 いずれも上手くいってOK。しかし、256kのVRAMを何とか探し出す問題が残ったことである。おまけに、Quadra950にもそれが必要なのをとんと忘れていた。僕にとってQuadra950は、これぞMacという感じがいつまでたっても消えない。それが手元にある事実に一種の喜びさえ感じるのは異常だろうか。決してフェチではありませんけど。
 未明にトルコの地震のニュースが伝わり、夕方のニュースで規模が大きい、ということを知り、情報網の発達していない場合の対応の難しさが再び出てしまった感じがする。
 そうかと思うと、昨日の天皇陛下在位10周年の記念式典に参加した若い人たちのインタビュー姿を見ると、この国を愛する、とか、自分の国籍はどこか、なんてこと一切関係ないようで、実に平和なものだ、と感じる。と同時に、SF映画の"V"のように、知らない間に外部から侵略されるのはいとも簡単なことだ、と思わざるを得ない。

11/16
 15日に入れ替えした40 IIciの調子がイマイチ出ない。作動は確実なのだが、ハードディスクの更新そのものがうまくいっていないように感じる。AppleのROMが装備されていないハードディスクだから、サードパーティーのフォーマッタソフトを使用するのだが、これのバージョンが古いからシステムにフィットしないようだ。ムム〜、困った。
 そこで書物を開いて、純正のSC SetupをRes Editで修正を加えたものでイニシャライズ(初期化)して、漢字トーク7.5.5で再構築してよくなった。これで大丈夫である。

11/21
 ばしのんびりとした一日であった。すべてが終わったような気がする。何もかも完成したような気分だから、すべてが終わったような気分になって、これからのことが計画できないのだ。
 みなさんにもこういったことは経験があるのではないだろうか。特に二つ以上の趣味なり何なりを同時進行されている方にはよくお分かりだろうと思うのだが。
 が、いつも思うのだが、これを仕事とした場合はこういったことにはならない。不思議に思われるかもしれないが、事実だ。よく玄人はだし、といわれるが、これはそのことだけに限ったもので、仕事としてなら月とすっぽんほどの違いが存在するのである。

11/23
 幌のDo−夢のページをのぞくと、Duo2300cと280cのUS版の中古が格安で入手できることを知った。とっさに「ほしい」と思った。現実にDuo2300cを持っていなければ、明日には発注しているはずだ。
 何しろ本体だけあれば、ラスターオプスのミニドックも、純正のフロッピードライブも持っているのだから、職場で使える。問題は、280の場合、SCSIアダプターを付けたIDEのハードディスクが装着できるかどうか、である。
 今さらDuo でもあるまい、と多くの人には不審がられるであろう。いっそのこと、i Bookを購入することこそ順当であろう、と仲間から言われるのは分かっているのだ。
 しかし、僕にはどうも、現行のMac には購入の触手が伸びないのだ。そもそも、現在のPowerBook G3には裏切られた気分が強い。発熱量から、一つマイナーチェンジしたら以前のものが合わなくなるなど、不都合が多い。結局のところ、人気の高かった13インチのバックサイドキャッシュを装備したものは、中古でもバカ高い。14インチなんて必要ない。スタイルから機動性から、やはり、Duo程度の大きさが一番いいようにかんじてならないのである。

11/25
 PowerQuadra 700にゴキブリが生息している、しかも電源部に。それで、夜8時頃からバラして清掃していたときに、テレビのテロップにこの間の女児誘拐事件が殺人という結果で出ていた。そんな〜!って思ったが、11時のニュースを見て愕然とした。
 容疑者とその子の母親と心のわだかまりがあって、子供を殺害した、というのである。最近は少なくなったが、僕も以前は物に八つ当たりをしたり、人様を見返したくて、多くの金を物につぎ込んだりしていた。それでも、人様に危害を加えることはなかった。
 今回のことは恐ろしいとか、そういったものを通り越して「むなしさ」が一晩中ずっと僕の回りを漂っていた。

11/28
 真家の犬飼さんの二科会会員就任の祝賀会に参列した。久しぶりにいいパーティーであった。僕はカメラが好きで、その副産物の写真という気分で、作品を出している。ま、別の面でこういった写真のサポートを手伝っていることで参列させていただいていることに妙なうれしさを感じてしまう。
 ところが、その席上でも出始めた最近のデジカメの話題になると、何となくむなしさを感じる。 これからはディジタル映像の時代とはいうが、一瞬の記録はどうあがいてみても銀幕写真にかなわない。おそらく、人間の目がレンズで脳ミソが処理するシステムで映像が存在する限り、現在の写真はなくならない、と感じている。
 ま、この論争は続いてほしくない、というのがもっともたるところである。競い合って、融合を計ることになってほしい。そう、現在の映画創りのように。

11/30
 にメッセージパッドの電源を使いたくなって、130とeMate300のバッテリー充電を試みる。普段だと130の方は出力の低い0.5Aだから、3.5Wのもを、eMate300には高い方の9Wを使用しているのだが、どうも納得がいかないバッテリーの損耗が見受けられる。
 そんなことで今回は逆にして充電を行った。結果はいずれ別項で報告したい。
 さて、130はいつもAction NamesとUni FEP2.0.2の相性の悪さに泣かされ続けてきた。パッチをインストールしたときはよかったが、このバックアップを探すことが出来ず苦労していたが、インターネットで稲葉さんのホームページにたどり着いて、ようやく救われた気がする。

12/12
 日は快調に松山までSRで走れた。実は昨日と今日、オリエンテーリングのインストラクター養成講習会があって、僕はスタッフの一員として参加をしている。
 わずかな数の参加者なのだけど、PTAとか愛護会の役員の方々は、もっとこのスポーツに対して注目し、講習を受けて資格を持つべきではないだろうか。山野跋渉という自然の中で1時間程度の距離を走ったり、歩いたりしてコントロールを見つけだす。たよりは地図とコンパスだけだ。こういったことを少年少女に教えることが学校では教えてくれない。このような状況からも僕は社会教育の立場から、オリエンテーリングは一番簡単なものと考えお勧めするが、いかがであろうか。
 今日の帰路、タイヤを換えたSR500は快調きわまりないのだが、道路は大混雑。元禄繚乱で大石内蔵之助が言う幕府への異議の台詞を今の宇和島に置き換えていたりしたとき、総理大臣が伊方の原発視察の後、松山市中を歩いた由、このために自動車の数がべらぼうに多かったわけをニュースで知った。
 交通死亡事故が起きなかったのが、幸いであった。

12/15
 内のキング堂書店で、あまり好きでないステレオサウンド誌を立ち読みをする。コンポーネント・オブ・ザ・イヤーの発表だが、ザはディ(ジ)と発音するのと同様に、いつものとおり、と考えていた。ま、通常の読み順でウエスギの製品からだ。上杉先生もなかなかのことを紙面のCMで申されているので助かる。
 次はお定まりの特集記事。そして、とんでもないものが僕の目に飛び込んできた。詳しくは次号に譲るとして、そこに現れたのはタンノイ・キングダム12というスピーカーであった。あっ、これはスピーカーが鳴っている、と即、感じた。信じられないような時間が経過したように感じた。僕の脳細胞がどんどん動き始めて、シナプスを通過する信号がピークに達した。でも実際は数秒。
 アンプの構成から始まって、CDプレーヤー、アナログプレーヤー、最初の音出しに必要なディスクまで、金額を度外視して構成が出来上がった。気が付いてみると、僕のシステムの中で、変更するところはCDプレーヤーだけではないか。現用のハーベスはちゃっかり息子のものになっている。こういった予想の中に自分を置いていた。
 家に帰ってトップページに画像を貼り付けた。関係のところからだからこれってペナルティー食わないよなー。リンクさせてもいいのかしら?。そこんところがワカラン。
 おかげで今日はルンルン気分になってしまった。

12/16
 古屋のライムハウスからThe BeatlesのイエローサブマリンのCDとLPが送られてきた。既に東芝EMI盤CDを持っていたので、概要はつかめていた。肝心の音質はどうなっているのか、ここの確認をてきぱきと行う。時間が経過すると最初の印象は、新たな書き込みで僕の脳味噌からすぐさま消えてしまうからだ。
 驚くことが起こった。予期せぬことだが、LPの音質が一番いいのだ。詳しくは言わないが、どうやら昨日の気分と同様にCDプレーヤーを変更しなくてはならないように感じる。
 CDにはいつもの処理を施した。アメリカ・キャピトル盤CDが俄然生き返る。信じられない変化だ。作りは一番ザツイし、その上にストック状態で聴くとひどいのなんのって、こんなのでアメリカンは我慢しているのだろうか、と感じてしまう。
 僕のCDプレーヤーは第2世代のものである。もうトランスポーター部分とDAコンバーター部分に分かれたものが必要なのかもしれないが、もう少し今のサウンドに合わせたもの、しかもコンパクトなものを持ってくる必要があるように感じた。

12/17
 の記憶が正しければ、1903年の今日、アメリカのキティーホークでライト兄弟のライトフライヤーが人類初の動力飛行に成功した日、のはずだ。(違っていたらごめん)
 僕が飛行機を好きだ、ってことは、このホームページに出してはいなかったと思うが、幼稚園の時代からライトプレーンのキットを作っていた。
 模型屋、おもちゃ屋、文具店で長い紙袋をつり下げ売られていたのが思い出される。懐かしい名前が出てくるが、「東京号」「アルテア」「ソニー号」など。
 竹籤を修正し、ニウム管でつなぎ、主翼、尾翼を作る。プロペラのシャフトを通すハンガーを糸で胴体の角材に縛り目をそろえて巻き付け、セメダインCで固定する。母に翼用紙を張ってもらう。
 飛ぼうが飛ぶまいがかまわない。この行程が好きだった。どうやらこの時代からものに対しての入れ込みが強くなったのかもしれない。たとえば、できあがった写真はどうでもいい。それを撮影したカメラとかフィルムを重要視する、という感覚である。
 回り道が多いが、最近はものと結果が一体となっての良し悪し、というものを重視し始めた。始めて750のバイクに乗ったとき、これでどこへでも行ける、と感じたが、今ではバイクと路程と到着後のことが一体となってきた。そして、帰着してバイクを降りたとき、「いいバイク、いいライディングだった」、と思えるようになってきた。
 そういえばこの間ムック本で旧日本海軍の戦闘機「紫電改」の特集号を購入した。購入した理由は、紫電改の前の「紫電」のこと、その前の前の「強風」の記事が掲載されていたからだ。
 これって、気分はいまだに拘りだらけだ。また失速しそうになった。嗚呼...。

12/19
 っかり冬らしくなってきた。そういえば22日は冬至だ。本来はこの日から昼間の時間が長く鳴り始めるのだが、今さら旧暦を持ってくるわけにもいかない。
 午前4時頃発雪を見たとの報道があった。妙にヒヤイ(寒い)と思っていたが、体は布団の中だ。およそ2畳のスペースに寝ているから、身動きがとれない。こんなのならシュラフ(寝袋)の方がいいのかな。が、あっちこっち暴れると、積み上げた本が落ちてきて睡眠どころではなくなるから、しばし我慢である。
 さてNHK総合テレビの漢詩紀行で李白「長安一片月」を朗読していた。高校時代、古典とか漢文は嫌いな類だったが、この詩だけは妙に気になっていた。秋の深々とした夜、長安に月が出る。多くの家では機の音がする。西の辺境にいる愛しい人よ、早く夷を制圧して帰ってきておくれ、という内容の詩であった。本来なら今時分の季節かもしれない。
 前日のラジオでは同時通訳で人気だった犬養さんが広瀬アナウンサーとトークされていたが、アメリカでのボランティア状況が日本とは違うこと、ホームステイに対して日本の人がなじめないのはその国の文化を知らないからだ、などととおっしゃってたけど、メグ・ライアンの「のほほん」のCM見てると、こんな短期間に日本語しゃべれるのに、日本の人は英語も満足にしゃべれない。彼らより一面では上を行っている、ということが信じられなくなってきた。
 告白すると、僕自身も英語は好きなのに、英語の授業は大嫌いだった。高校3年の時からビートルズの歌詞より英語を学び、大学の時、教授から「文章は文章、頭から日本語にしなさい。英語表現で通用するものはそのまま読んでいいよ」と教えられてから、生きた英語に接した感じがした。家内には言わなかったが、「I love you」は場合によるが、「俺、好きなんだ、おまえを」、とか「愛してる、あなた」でいいんだ。それを中学以来「私はあなたを愛します」とナラウ。ばっかみたい。まるで「I saw a Saw」だ。僕はこのSawで切ってやりたい。So?.Ya,so.てな具合に。その後に「アッ、ソー」なんて言うなよな。

12/20
 夜、バイクの部品送付の件で間違ったものを送ったという。その連絡電話は家内が受け取った。こっちもちょいと酔っていたんで、職場まで徒歩で出かける。往復2kmの距離だ。結局荷物は届いていなかった。
 あまり言いたくはないが、以前もこんなことがあった。このショップでしか入手できないから、どうしても通信販売の方法を採るわけだ。
 帰りにミリアムでイアンとシルビアのディスクを購入した。そのとき、初めてiBookをこの目で見て、この手で確認した。発熱の件は解決した。少しばかり気分が和らいだ次第だ。
 今日、雪が降る中、泉町のクロネコまで出向いての間違いで送られてきた部品を返送する。間違いは僕の場合だけかもしれないが、多くのユーザーに支持されている日本有数のその手のショップなのだから、地方のユーザーに対して、通信販売方法の確立をお願いしたいものだ、と感じる。
 ま、今日は本当にひや(寒)かった。しばらくぶりにゑびす湯でのんびりして、引っぱり出したデロンギのオイルヒーターで暖をとっている。

12/21
 日からの雪がうっすらと積もっている。さすがに僕も午前4時近くに、寒さで一度目が醒めた。それからうとうとしていつもの時間に職場へ出かけるのだが、一つの光景を目にして、考えてしまった。
 というのは、電動の歩行補助具の三輪車だ。横断歩道を渡る手前、僕とその三輪車に乗った老人がすれ違う、はずだ。が、僕にぶつかるようにやってくる。ま、僕が避けたのだが。
 その後、歩道に上がって、次に車道に降りたとき、乗用車が三輪車の行く手を遮った。間隔も十分だったから事故にはならなかったが、老人はドライバーにモンクをいい始めた。
 これはどうなんだろう。これが、三輪車ではなくって、手押し車だと、老人は注意して歩道から車道に出るはずだ。
 僕にはこういった利便性の高い歩行補助具は人間本来の動作を退化させる困った道具になっているように思われてならない。何しろ一般の道で動かしているのだから、その乗降を考えても使用者は完全に歩行可能なのだ。使用するにしても道路交通法、道路運送車両法など熟読はしていないので詳しくは分からないが、この種のものは関連の記載がどこにも載っていないのではないだろうか。
 今後はこういった歩行補助具は許可制か、警察関係への届け出と許可制にでもしないと、単独、対人対物を問わず、おそらく大きな事故につながる可能性が高い、と言わざるを得ないように感じるのだが。
 帰宅すると例のバイクのパーツが届いていた。事なきを得たが、やはり、指定した送付先に送付していただきたいものだ。届いたパーツにも僕なら取扱説明書ぐらいは添付するが、今回も相変わらずで、パーツの送付だけであった。

12/24
 リスマスイブの日、仕事外の用務が多くて閉口する。こなす、といっても結局はやってしまう、という、これまた僕の性分でもある。本来なら、こんなことはやっていなかったはずなんだけど、知らない間にこうなってしまった、というのが偽らざるところである。
 そうそう、愛媛女子短大のS助教授と学生4人が来年2月にオーストラリアのダーウィンに研修に出かけることが決定した。その決定権者の一人が僕なんだけど、会議の後、S助教授と少し話をして、どうしてダーウィンなのか、を雑談の中で見つけたような気がした。
 本来なら先ほどの会議で、東ティモールのこととか、人権関係でアボリジニの方々と白人の方々、それにアジア、ヒスパニックの方々がどういった生活をしているのか、をしっかり見てきて欲しい、と、座長が本来いうようなことをお願いしておいた。来年、人権宣言を行う宇和島には、こういった世界での様子を認識し、市民に伝達することが必要なんだから。
 遅くなって帰宅するときに、職場の暖房のせいで体中の水分が出ていってしまうような錯覚を感じる。戸外に出てもしばらくは空気が心地よい。上着を脱ごうとも考える。500mも歩くと、元に戻るが、今度は空気が乾きすぎるのに気付く。足は自然に酒道場へ。生ビールで喉を潤して帰る。
 寝る前に、ゑびす湯で体をほぐした後、NHKの20世紀を見て、おやすみ、となった。そのためか布団の中で、こういった質素(とはいえないが)な生活の中、おそらく、あの時は賢者が3人来訪して、キリストの誕生を見たのかな、日中バタバタしていても、出産の喜びの違いこそあれ、夜の帳が降りた頃は2000年前と変わらないはずだ。静かなイブの夜であった。

12/31
 27日の夕刻から誘われるままにネオンの海を泳いだので、ダウンしてしまい、ようやくカゼの症状が回復しつつある。
 結局年末年始の準備もできなくて、部屋の中にうずくまって、PowerQuadra700のお守りをしていた数日であった。明日からは西暦2000年であるが、年賀のあいさつは日の出を迎えてからにしよう、と考えている。以前、中村の真空管アンプの同好会「えみげんクラブ」が旧暦での忘年会をやってらっしたが、僕として今回は旧正月が本来の正月なんじゃないか、と思ったりもしている。


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