--- 楽しみつれづれ ---


2006年7 月4日(火)
 オイ、Appleの動きが早くて、周りがついて行っていないゾ。昨日リンククラブ(創刊号からの愛読者だ)が来たのでMacBookのことでも記載して いるのかと思うと、それはない。唯一Mac Fan誌がMacBookの中間のクラスの白がお買い得、と出していた。そろそろ購入か?、と考えるのも一理ある。
 実はPismoが少しばかりグズるようになってきた。例の黄土色の色にじみだ。これを何とか回避したい、として、ある程度のことをやると治まる。が、デ スクトップを青に変えると再び出てくる。あるサイトで実験されていたが、どうやらマザーボードらしい。
 が、ですナ、ダンナ。6月26日の四国労金総会に出席するため高松へ行った折、会場でお雇いのカメラマンがG4チタンの15インチモデルを持参して作業 していた。結構発熱することなど話をしていたが、ディスプレーはテントウムシだった。
 今日も色にじみへのことだったんだ。その対処はおそらくテントウムシであろう。後でH画像など見ていても赤っぽいリンギングも出なかった。そう、おそら くあのカメラマンのG4チタンも同じようにアイツが出たんだ。それで、テントウムシを愛用しているのだ、きっと... 、と思った。
 もしかすると、アルミのPower Bookでも出ているのではないか?。専門誌にはこの件に対しての記載がない。もっとも、Pismo自体は古い。
 しかし、僕のはG4化しているし、G3ではないんだから、この対策はチップスかもしれない。

2006 年6月 20日(火)
 www/Gridを立ち上げて以来、大半の僕の楽しみを記載してきたところである。オートバイ、コンピューターが主であることには違いないが、他のもの も、それなりに、記しているところだ。そんな中で、楽しみの一つを記載していない。
 何だと思う?。それはギターだ。僕は小学校3年の時からギターをやっている。多感なときでもあって、その時は同級生の女子が2人、バレエをやっていたの で男がバレエをやっても良いな、と考えていたのだが、当時は男はバツなバレエだったのだ。
 もう一つは、ピアノとバイオリンだった。前者はオルガン対応ではなかった。高校生になって武蔵野音大を目指していたときもあったから、ピアノをやろうと したが、時すでに遅しで、チェルニーの途中で断念した。3度のスラー演奏が出来ない。これが最大の難点だった。
 後者は、フルサイズのバイオリンまでに、どれだけの楽器を購入しなけりゃならないのか、と思うとゾッとしたからに他ならない。
 昭和35年当時は今と違って家庭用のカメラさえ高級品の時代だったのである。
 そんな中、ギターは種類こそ違え、サイズは殆どフルサイズだったし、音楽の授業でもクラシックギターのことが出ていたし、タルレガなどのことよりも、中 南米のフォルクローレや、スペインのフラメンコにあこがれていたからに他ならなかった。
 が、中学性になってグレン・ミラーの影響でブラスバンドでトロンボーンを吹き始めて以来、例のテケテケテケ... のエレキブーム、グループサウンズの台頭などから、ギターに封印、ギター自体が認められるには日本でのフォークミュージックが盛んになるまで置き去りに なってしまった。
 今持っているのは、ヤマハの662mm弦長のクラシックギター、ファーストマンのバロックベース、ヤマハのSG-7リ・イシュー、リッケンバッカーの 320、ギブソンのJ-160Eなどだ。
 もっとも、ギター紹介までは良いのだが、発表出来なかった最大の理由は、ギターの全姿が入るデジカメを持っていなかったに他ならない。ま、クールピクス 2200ならOKだから、少しずつ思い出などを加えて本文で記載したいと考える。

2006年 6月 18日(日)
 書店で「クラシックモーターサイクリング誌」を購入する。昨日web上で発売日を知ったのだが、いつものとおり、書店へ出向くと、わずかに2冊しか無い ではないか。あわてて、レジへ運んだが、裏を返せば、編集子の言うとおり、まだまだ、クラシックMCなんていうのは、日本では認知度が少ないのだろう。
 パラパラと見ながら、ロブ・ノースフレームにT-160Vのマシンを見ながら、一瞬ドキッとした。そこには極ノーマルなものと、レーシングなものが一体 となっていたのを知ったからである。
 少しばかり僕は先走っていたのかな?。あるいは、これまでのことに対して何か間違ったことをしていたのではないか、という考えがまとまった。
 翻って、自分のT-140Vを眺めてみると、結構まとまりがない状況になっていることに気づく。その中で一番外れていることは何か?。そう、点火システ ムだ。しかも最終段階は、実際は僕が間違っていたかもしれない、と感じてしまった。
 空模様が不安定な昼前に、職場からiBookのタンジェリン、PPC PB 540c、PPC Duo 280cを引き上げてきた。業務中の職場内は土足で不満足な掃除環境のため、埃でヒドイ状況になっている。ま、持ち帰ると、これらは、この状態で長期間保 存だ。少し考えがあって、iBookはOS X 10.3をインストールした。
 驚いたね。初回の立ち上げは遅いが、同じことを2回以上繰り返すと普通に立ち上がるため過不足無く使用できる。OS 9.2に愛着はあるが、このiBookの初期型はもとより、G3のホワイトiBook、iMacも家庭で使用するのなら、Mac OS X 10.3はお奨めである。
 もう一点は、キーボードがカチカチいうタイプのPower Book。何が該当するか?。
 そう、それは悪名高き5300シリーズだ。時を同じくして、ヤフオクでDuo 250の改造版が出ていたが、上手い具合に、ディスプレーの隈(クマ)が出た写真を見た瞬間、5300csなどのDSTN、FSTNなどのパッシブマトリ クスモニターでも捨てたものではない。むしろ、この液晶の方が長期にわたって好適なのではないか、と考えた次第。
 もちろん、Duo 230cまでのディススプレーも捨てたものではない。が、Duoはキーボードが最終の「F」仕様でないとイライラはつのるはずだし、ハードディスクが SCSIのため、ハードディスクのアダプターが必要だ。
 それにしても、5300か、と思っていたが、ナ、ナント、通仲間の間ではPower Book 100が再び浮上し始めているようだ。そのうち、僕の100でも凄まじいものを紹介できるかもしれないが、インプットメソッドを除いて、GomTalk 7 の方がサクサク動くことを知っている。しかし、今ではOS 7.1で動かせるのが一般でしょう?。が、しかし... 。
 オ〜ッ!、再びマニアックな世界に... 。

2006年 6月17日(土)
 このコラム(かな?)を立ち上げたのはDuoのことからだった。2002年の1月のことだ。ふと、思いを巡らせると、このコラムもブログ的なものを先 走ってやっていたように感じる。
 現実には、当時は受け側が288のダイアルアップ環境、少なくとも1MBのダウンロードに10分かかる環境だった。それに、資金的なこともあって、使用 マシンそのものも旧タイプを使用していた。もちろんMacのマシン。
 そんなことで、日々感じることをテキストに纏めて「これは...」といったものが数日続いたら、この項に載せて、本編に組み込むなどのことが出来てい た。2005年の夏から光通信になって全てが変わった。追い打ちをかけるかのように愛用のPismoがG4にアップグレードになったりして、全てがリアル タイムになってしまった。
 つまり、ここへ楽しみのことを記載するより早く、そのまま本編に記載できる。しかも、悪いことに(?)これが当然という考えになってしまって、古い機種 なんて見向きもしなくなってしまうようになったり... 。
 その上に、自治体合併以降、仕事面で全く余裕が無くなってしまい、6月の今、ようやく落ち着きを取り戻したような状態なのだ。それだから、仕事でメゲテ いるときはトライアンフで助かった、という始末だし、そのことのまとめは、ここへ記載しなくても、直接本文にしてしまう、という結果になる。
 ま、そんなところをグッと押さえて、次号はhpのOmnibookのことを記載することにする。「アンタMacユーザーでしょ、またDOS-Vノートの こと書くの?」と、おっしゃるな。久々に素敵なマシンだったのだから。そういえば、このDOS-Vマシンがリリースされたとき、この地ではNECが大半で あったような気がする。今の環境からは感じ取ることが出来ない時の流れである。

2006年1 月 23日(月)
 ひょんなことから、タンジェリンのiBookをヤフオクでゲットした。今時どうして?、と、おっしゃるだろうが、これには少しばかり理由がある。
 最大の理由は、古いソフトウェア、ことに旧Mac OSで動かせるためには、この程度の機種でなければ今では役不足であるからだ。本日もPPC Duo 280cを持ってったが、間違ってもPPC 603eぐらいのマシンに作業を任せられない。Windows 2000とペンティアム3ぐらいのレベルには、どうしてもG3マシンが必要だからだ。ことに、Mac OS 9が使用できる。これなら古いソフトウェアは結構うまく作動するからだ。
 このiBookを職場で使おうという魂胆だが、みんなの目にはどう映るのだろうか。「Boneさん気がフレタんじゃないの?」とか、「この色を職場に ねー... 」といったことになるのだろうけど、気にはしない。普段は液晶を閉じているから。ま、僕が使うことから、「かわいい〜」とは誰も言うまい。
 が、この最初のiBookには重大な欠点が存在する。ともかく、ハンドル部分の亀裂などはまだしも、「マシンのあらゆる電源はメインバッテリーのみで作 動させている」、ということなのである。材質上の欠点は後期のグラファイトぐらいから改善されるが、このバックアップバッテリーを搭載しない方針によっ て、新しい白いiBookに移行したのであろう、と考えるところだ。
 このことについては別項で報告したい。

2006年1月 9日(月)
 今日は新しい休日法での成人の日だ。1日中、P.T.Kの完全改修を目指して1日が過ぎた。
 僕のような狭い工房(と、いっても僕専用の部屋)では、こういった、ひとつ一つの積み重ねが結果となって現れる。今日は工作を加えてP.T.Kの完全版 を作り上げることが出来たようだ。
 しかしながら、Pismoと呼ばれるPower Book G3のFire Wireモデルでのこと。2000年モデルだから、すでに継続生産のモデルではない。ましてや、P.T.Kを開発した Power Labも存在しない。
 僕はこのモデルに異常ともいわれるほどの思い入れがある。そのためとして、このモデル専用のP.T.K(Power Typing Keyboard)を何とか無事に長期間使用できるようにしたいが為の方法論をベースにした改造方法をまとめたところだ。
 僕はモノに対しても魂があるのではないか、といったような考え方の持ち主だ。そういったところが僕のモノに対する考え方のベースだから、人によっては 「バ〜ッカみたい」といわれる。
 が、あんたの愛用のモノを列車の中に忘れたなどで見つからなかったとき。あるいは見つかっても、事前の電話連絡などで十分 なお礼さえも言わない奴。
 こんなのを見ると、僕はモノが持つ独自の命のようなものを人間サイドで勝手に分別しているのではないだろうか、と考えてしまう今日この頃である。

2006年1月1日(日)
 初詣サイクリングの終わった後、Dさんにトライアンフの自転車のことを話した。まかせなさい、と来るかと思ったところ、そうではなかった。
 BSなり、ツバメなり、トライアンフにフィットする自転車を買って、そのパーツをトライアンフのフレームに取り付けてはいかが?、というものであった。 そうしなければ、いくら自転車でもパーツで組み立てると、とてつもない金額になって、アンタ(僕)がソンをする、というのである。
 一瞬ハッとした。それもそうだな、っと。
 が、僕の計画からすると、これがなかなか難しい。その上に、1台の自転車、しかも新車をつぶしてまでもトライアンフを組み立てたくない、という気分が大 きく支配するのを感じた。僕からすると、これは一種の冒涜だな、と思うのである。
 たかが自転車、されど自転車なのである。もちろん、一部分用をなさないガタの自転車からパーツを取って組み立てるというのは許されることではあろう が... 。

2005 年11月13日(日)
 最近になって、トライアンフT-140Vのことが気になり始めた。まずは、一撃入れて... 、と考えていたのだが、コンプレッションがまるでない。「フ〜ム、シリンダーなんかがダメになってんじゃないか?」、と一般の人はそう言うだろう。
 が、こいつは、何というか、しばらく乗っていないこの手のオートバイではごく普通のことだ。完全ドライサンプ、ピストンクリアランスの大きいことなどが 作用して、圧縮自体は変わらないものの、油膜が一定になっていないからだ。点火プラグを外して、200回ぐらい空キックを踏めば直る。
 日記にも記載したが、数日前「ブロロ〜」でストップさせた。原因は次のとおりだ。そう、容量不足気味のバッテリーに異変が起こってはいけない点が上げら れる。
 先日GS専門店の南海電業社で追充電をやってもらった。「ダンナ、完全放電手前でしたゼ」と言われたが、間一髪ここは間に合った。これでOKにはならな い。ふたたび、シートの浸水を確認。水抜きをすることができない。
 と、したところで、来月辺りから、ふたたびT-140Vを何とかする、としたいところだ、と考えている。

2005 年11月5日(土)
 ほんの気持ちで購入したDELL Latitude CPi-D233だが、本日受け取ってびっくり仰天だった。マジにきれいなんだ。早速DELLのサイトでどうすべきかを確認する。
 まずは、Windows OSは98がよろしかろう、ということが解った。メモリーは128MBもあれば十分と感じる。ハードディスクは6GBだからパーティションは2つぐらいで も良いのではないか、と感じる。ふと、同程度のPower Book 1400を思い出したが、Mac OS 8.6としたところで、うまく動かない。Power PC はどうしてもG3を要求するようになる。この辺が使いやすいはずのMacの意外な落とし穴だったのかもしれない。この辺のところでハードウェアとソフト ウェアが一致したWindowsに軍配が上がったのではないかな、とも思う。今は事実上、Mac OS Xの方が遙かに効率は良いと感じるところだけれど。
 そのかわり、といっては何だが、マシンの頻繁なモデルチェンジが存在することは否めないな。このLatitudeにしても結構使いやすいマシンなのに、 次の人気の高いボタンとタッチパネルをもったモデルに変わる。あっという間だ。結局ごく普通になった今のモデルよりは、少し前のモデルの方が中古市場での 値が高い、という皮肉な点が残ってしまうのではないかな。
 ホント、Latitude CPi-D233は今後通常の作業では十分に使用できるような気がする。

2005 年10月13日(木)
 北海道から帰って、妙に心が大きくなったような気がする。
 アップロードを終え、これまでの北海道のことを思い出してみると、結局其処の中心にいいるのは「人間」そのものであるような気がした。キタキツネ牧場に おいても自然に近い生活をさせてやりたい、と考えたところで、飼育されたキタキツネは自然に帰るようなことはまれだ。ホテルのすぐ前の草原でエゾシカの親 子に対面したとき、一歩踏み込んで手から... 、は人間の欲望にしかならない。
 僕はそのままスゴスゴとホテルへ帰った。もし、銃を持っていたらGetすることができるのに... 、とか、手から直接餌を手渡ししてやりたい、と考えたところで自然相手は無理だ。
 どちらかというと、上記のことを実際に完全に当てはめようとする。こういった輩が未だに多いのが日本の観光客であろう。通常、鹿のシーンにさしかかれ ば、目を合わさぬようにして通り過ぎるのが彼らに対するマナー... 、といったところで、貧乏根性の日本人にの大半は、こういったことが理解されないのであろう。

2005 年9月25日(日)
 不明になっているプラスドライバー(フィリップスヘッド)の#2の代替え品を購入してきた。違いは何か、というと、ヘッドが磁石と柄がウッドから合成樹 脂に変わっていたことだ。
 メーカーは僕の場合、ドライバーの大半はヴェッセルである。妙な拘りがあってね、最初に使い始めたのがヴェッセルだから、ということだけだ。プライヤー とモンキー(アジャスタブル)レンチはロブスターだ。両口(オープン)スパナ、ソケット、メガネレンチはKTCの一般品だ。どうしても力のかかる部分を処 理する工具はKTCが多いけど、最近はトネなどの工具もなかなか良いものになっている。今どうしようか、と考えているのがラジオペンチ(ロングノーズプラ イヤー)とか、ニッパーの類だ。特にラジオペンチは合い口がしっかり閉じて隙間が無いものをチョイスするのはなかなか難しい。時にスナップリングはずしな どにも応用しなければならないから。ニッパーにしてもそうだ。コードの処理など、わざわざワイヤーストリッパーなど持ってくる必要がない。こういったとき に本来の目的ともう一つぐらい汎用できる工具選びなど、チョイト考えをめぐらせてしまう。もちろん安価な方が良いが、安くても用をなさないものはどうする こともできない。

2005 年9月23日(金)
 この「楽しみつれづれ」って、僕の楽しみの分野でチョイト気になるものなどを記載してきたところだったんだ。この下の囲みから3年間も記載していない。 気になるところがなかったのか?、というと、とんでもないほどのものが存在する。が、記載することもできない。その第一が古マックでは遅い、その上に、枠 囲みなどでは288のダイアルアップでは一層イライラがつのるばかり、ということが第一だ。
 そして業務が多忙の上に、趣味上のことも余り手を出さなくなってきてしまっていた。生活自体が何かに追われて来始めたからだ。
 こういったことが幾重にも上乗せされた挙げ句、どれかをカット... 、になったところだ。もちろんアップしていないのを気にしていなかったことはなかった。
 復帰の要因の一つはブログだ。ブログは毎日でないとだめだから、やりきれない。個人のペーパーの日記帳は毎日つけているが、こんな理由から僕の日記も html文書のままだ。
 しかし、通信も光になったし、金額としても通常電話の使用料は別にしても納得できる金額だ。仕事の方もある程度落としていこうと考えているので、日記に 記載することでもなく、僕の楽しみの中で、日常気になったことなどをボチボチと再開したいと考えている。
 とはいえ、今午前8時。6時からお墓へ行って掃除をしてお参りした。出かけにトライアンフの車体カバーにタバコの吸い殻を投げたヤツが居て、穴が開いて いた。これが警察沙汰にするかどうか。今の時代ならやった方がいいかもしれない。そのかわり、現場の保存から何から大変だ。
 僕もアタマに来るのは事実だが、それよりも最近はやったヤツに対して「心の貧しいヤツだな」と考えるようになった。やったヤツにはそのうち天罰が来るだ ろうサ。今日は彼岸の中日だもん。
 しばらくして松山出張。ちっとも休めない、ハイ。

2002年 8月14日(水)
 どこかららかしら雲を呼んできて雨が一日一度降ってくる。Power Book G3のおかしな故障以来、家でこの機を使うのを止めている。したがってDuoなどで記載すればいいのだが、おかしいことに、どことなく使用しているんだ! という感覚が鈍る。そう、キリッとしたところが全く感じられないままで文章を創ってしまうようになってしまうのだ。iBookでも、と感じてはいる が... 。
 こういったことから始まって、オートバイのSRの方も何処といって調子も悪くなく手を入れるところもない、として、すっかりご無沙汰である。何とか今の 状況よりもいい状態、そう。もう少しメリハリのある動力特性などを目指して試行錯誤はしているのだが、どこをどうしたところでどうなるものでもないだろ う、とダルを決め込んでいるのである。が、最近になって少し思い当たるところが出てきた。
 それは、純正のMIKUNI BST34のキャブのフラットピストンのインマニ側のキズだ。長期間にわたってスーパートラップに交換して、エアクリーナーに加工した状態で使用してい た。その時に付いたものだが、いたずらに吸排気系をさわると、混合気の流速が変わってしまうのではないだろうか、というところに想像が落ち着いた。で、今 行いたいのは最初に出したメリハリのある動力特性を目指して「レスポンスをもう少しよくしたい」と考えている。
 最初に行うのは、言わずとしれたダイアフラムの制御スプリングの改造だ。その次はというと、ピストンに開けられている負圧取り出し用の穴を両側に開ける ことだ。ニードルは比較的テーパーの急なものになっているから変更しないが、こういった点で妥協できるところを探りたい、と考えているところである。
 ただし、やってみて結果が良かった、としても今のSRには装着されていないキャブだし、おまけに500ccだから、そう参考になるものではないのだよ な。そういったことを言うと、エンスー諸氏に叱られるかもしれないが、雑誌上での大方の特集記事なんてものもこういった方向性でしかない。未だに一つのも のを愛して止まない側からすると、「靴の底から足の裏をかく」という具合に感じられてしまう。
 僕のページを訪れるSRオーナーも、メーカーがあまりにもユーザーの気持ちを迎合した形にSRを仕上げることにアンチテーゼを持っているのかもしれな い。

2002年 8月 9日(土)
 時ならぬ雨にびっくりしながら、同級生の会で一杯やって帰ってきている。どうも最近この会の趣旨が良からぬ方向へ向いて来だしたので、一次会の「三ちゃ ん寿司」でおさらばした。でないと、福沢諭吉が懐から消えてなくなるからだ。
 帰宅して、昼間から少々弱っていることの確認を行う。というのは、どうもインターネットエクスプローラー(以下IE)の5.2、Mac OS X対応のものの動きだ。最近は我が家と職場の二本立てでアップロードなど行っているものだから、Mac OS 9.2.2のIE 5.1では即座に反応するのだが、これがXの5.2ではさっぱりいうことを聞かない。
 今回判明したのはNetscapeで文章作って、Fetchでアップロードする。前述のように9.2.2の環境でのIE5.1では見事に再生する。が、 XのIE5.2はアップロードする前の状態でしかない。
 職場でのPB G3で何度やってもうまくいかない。そういったことで、昨夜の日記を記載したときのことを思い出して、アドレスの/以下の文字、... /home/niwaka/daiary/daiary.htmlのhtmlを削除してリターンキーをやると見事にOKになる。この原因が 浅学の僕にはよく解らないのだ。同じIEを使用してにアクセスしているのに片方ではできて片方ではできない、という不可思議なことが起きているのである。
 考えられることの多くをやっては見たがダメであった。このことが気がかりで少しばかり日頃の疲れが昨日の心地よい酔いで吹っ飛んだのかしら、rpmの ディレクトリへアクセス。あれ、Fetchの設定ミスでバイナリーが一杯入っている。もしかして... 、と感じて僕のハードディスクの内容と同じ状態にした。で、おかしな天気の中、職場のPB G3で確認したら治っていた、という次第。
 そういえば、昨日はNTTからADSLにしませんか?、というお知らせと、役所からは11桁のバーコードナンバーの通知があった。どうも解せないのは、 同一世帯の方々は一覧表で世帯主に送られてくるところである。どこかであったが、ひょんなところから漏れる可能性があるとした、その一端を覗いたような気 がした。

2002年 8月 7日(水)
 久々の記載だ。本日商店街で、市内在住の河野さんが先の戦争で撮影した写真などの展示があった。多くの方は、どうしてこの頃の写真が残っていないのだろ う?と不思議に思われるに違いない。最初は空襲で消失したから、と考えていたが、どうもそうではない。現実には当時写真機を一般庶民が持っていなかった、 というのが偽らざるところではないだろうか。
 写真展では当時のものがモノクロームの中に存在し、僕ぐらいの年代の方々にはきっと「そうだったんだ」と感じられるようなものだ。こうしてみると、宇和 島にだって別の意味での文化財とすべきものがたくさんあることに気付く。
 その保護条例など一切無く、たとえ創ったにせよ保存に対して優遇措置など金銭的な公的援助は一切出来ない貧しい「宇和島市」だから、そのうちにこの世か ら消え去るのだろうと思う。
 本来書きたくないが、県内の3校で実施される中高一環学校で使用される歴史教科書の選定をこの8月15日に行うという。僕はすりガラスをツメで引っかい た気分に陥る思いがした。おまけにF社のも候補に上げた、という。
 8月15日がどういった日であるのか、県教委の面々の頭の中を僕は疑る。57年前、この日を境にして今の日本がスタートしたのだ。この教科書選定を含め て、御上の言うことに口出しはまかりならぬという、何かしら国家総動員法体制下の日常に似た体制づくりを今の日本を動かしているトップ集団が行おうとして いるようでならないのである。

2002年 7月22日(月)
 ガイヤ・カーニバルの日、こっちは朝から暑い中外へ出ての仕事だった。Power Book 540cはOS 8.1にしてすごく快調。Kaleidscopeを外してやったら少し動きがおかしくなって、急遽組み込んだ。キーボードを除いて総てが順調である。
 忙しい中、早速職場のネットワークに入り込むことにして設定を開始。トランシーバーを介してのEthernet接続を試みる。数回IPアドレスの末尾の 二桁を触って、うまく作動するようになった。結構速い。最終の処理能力はどうしても今のマシンにはかなわないが、その点を考えなければかなりのものだ。
 同僚のM君がPower Book G3の修理状況を問うてきたが、一向に返事がない、と応えておいた。事実一向に返答がないのだ。それを見越してかしら、Power Book G4をさかんに勧める。僕もこの間ベスト電器で触ったからその良さは十分に分かっているが、今一つOS X 10.2の動向が気がかりで、OSとハードの関係で瞬く間に変更された機種が出てくるのではないか、という不安がつきまとって離れないからだ。実際には Power Book G3もそういった状況になっても気にならないことで購入したのだから。と、いうことで、今しばらく時間を置くことにした。
 それにしても、ガイヤ・オン・ザ・ロードを踊った本日は少々グロッキー気味で、こういったことをしている状況ではないのだが、ま、古パワーブック連が快 調なのをいいことにして、僕もがんばったし、つれづれに記載した次第。
 そういえば、明日は南宇和郡へ行って、帰るやいなや、ゆかたの着付け(と気付け)があって、夜の「うわじま踊り」に出なければならない。

2002年 7月20日(土)
 今、僕は夕暮れが迫る中Dua2300cに対峙している。日本語版のFタイプのキーボードでJ-editを使用してタイピングしている。はっきり言っ て、これでもイライラが募るのは致し方ない。WD-40をすべてのキーに塗布して状況を見てみたいが、これを行うまでも無かろう。
 松山にくだらない仕事で出かけ、ベスト電器を訪れ、G4 Power BookとiBook 2を少し使用した。結果は見事にG4 Power Bookに上がった。一瞬のことであった。かつて同じ場所で経験したことでPower Book G3を購入したときと全く同じ状況に僕を陥れてしまった。
 理由は何だと思う?。それは「熱」だ。不思議なことにiBook 2はハードディスクが発熱する。これは左パームレストの下に当たる。ここが一番暖かい。実のところこれは非常におかしいことなんだ。今までハードディスク の(熱いという)発熱を僕は経験していない。Power Book G3にしても、バッテリーが熱くなることによる暖かさをパームレストで感じるのだ。
 逆に言うと、これがG3ではヒートシンクで相殺されることだったし、クロック数が同じでもヒートシンクが強化されていることで違いの出るG4なんだ。し かし、違うところで発生する熱がハードディスクということになると、いくら強度上問題ないとしても、日立の開発した液冷にもとろーら・IBMが取りかかる ことはない。
 また、キーボードのタッチから始まる一連の使用感からすると、G4 Power Bookの677は非常なお買い得のように感じてならない。ちょうど'99と'00のG3 Power bookが形は同じでも内容は全く違う、というような、そういったエポックメーキングな気分になってしまった。
 今のところ、僕のPower Book G3の修理見積が来ない。10万円程度なら、僕は修理を行いたい。それを越えると、僕は今のところG3のFire Wireの僕と同じPower Bookの500MHzを購入しておきたい、と考えている。
 おかしいと思うだろうが、本体の金額が上がった今、やるのは二種選択、しかもG4を選ぶとローンは二重払いになることは必至なのである。
 Macユーザーの一人としては、今は明治維新前夜にMac陣営は感じられるのだがいかがだろうか。

2002年 7月 3日(水)
 そういえば久々に記載する。天候不順からと梅雨寒の時にカゼをひいてしまったのと、これまでの疲れがどっとやってきて、ということで何とも身体が対応し きれなくなっているようだ。おまけに今日は近所の家屋の建築がこともあろうに午前6時過ぎから始まる。交通量の多い道路に直面している立地条件ゆえのこと で致し方ないが、もう少し時間を何とかしてほしい、と思う。
 ま、そんなこんなはあるのだが、今日はSR500を末広モータースを通じて車検に出した。まだ3週間ほど先なのだが、お祭りの関係などもあって早めに対 処した次第だ。旧内田自転車商会さんからの引継で末広モータースを通じているのだが、僕が大半のメンテナンスをやって、末広さんの方で最終確認をしていた だいている。この方が僕自身も勉強になる。案の定、ヘッドライトの光軸はきちんと修正されていた。そういえば、トライアンフの時はブレーキフルードの抜き 換えもしていただいていた。大丈夫、と思っていても、若干自動車とは異なるが、プロからすれば交換するものはきちんとやっておかないとならないのだろう。 夕刻から、車検場までの往復だけではせっかく出したSRだから、いつものテストコースを走らせる。
 先ほどのヘッドライトの光軸調整はもちろんのこと、タイヤの空気圧まで調整されていた。すごくご機嫌で帰ってきた。ユーザー車検のような感じだがやはり 一部プロの手が入ると不思議なことに安心感が増す。
 以前はオートバイに車検なんぞ不必要、と思っていたが、昨今の騒音規制、不法改造車などでとやかく言われるのより、自賠責も保険料が安くなったし、僕は オーナーご自身のためにも、こういった信頼できるショップを通じてしっかり車検を受けなさい、と言いたい。

2002年 6月19日(水)
 サッカーワールドカップ、日本チームは昨日惜敗した。その後の韓国チームは強豪イタリアを破った。その後のニュースからマスコミはどういった方向付けを した番組を流したか?。本日の朝まで韓国チームの熱闘を伝えず、日本のことばかりしか伝えない。韓国サポーターが日本の分まで頑張る、と言い切るの に... 。ま、このことはこれ以上記載するまい。
 で、話変わって、再建Newer Tecnorogyがいいものを出してくれた。そう、僕の持っているPower Book 2000用のG4アップグレードカードだ。一瞬目を疑ったが、まぎれもないPismo用のG4 500MHzカード、交換期間は2週間、費用は5万というところだ。ンン〜ン、ほしい。このPower Bookの筐体でこれが出来るということになると、僕は今まで言っていたようなPismoの500MHzをもう1台確保しなくても、400MHzを確保す ればいい。しかも遠い将来でもOKだからである。オーディオ入力などが備わっているから、これが必要なんだ、など理由は様々あるけれど、キカイ全体として は二度と出ないものだから、万一の時のためにもどうしても価格の折り合いが付いたところで1台は確保しておかなければならないのである。発売を止めてすで に2年が経過しようとしているのだから。
 そういったところで、またまた夜も寝られない日々が続いている(爆)という次第。それにしても、上等なそこそこのプリンターを購入する金額でG4マシン にチェンジだから、そりゃすさまじいものになるのではないか。ちょうどDuo 280を2300cにするような感覚だ。そういえば、1400のときもいろんなメーカーからG3カードが出された。ところがG3のPower Bookでは、今までどうしてかしら2000年モデル用が出なかった。さすが、ここにNewer Tecnorogyあり!ということであろうか。

2002年 6月13日(金)
 前回のつれづれからすでに2週間過ぎている。そういえば今週は休める暇が全くなかった。それもようやく明日で終わる。終わると言っても、明日の行事は深 夜まで続くから大変だ。
 さ、午後、リモーションへ例のリプレースマフラー活用のために、ノーマルのエキパイに装着するエクステンションパイプの問い合わせめ電話を入れた。10 分ほどの時間だったが、なかなかおもしろい内容の会話であった。こちらが言わんとしているところが相手にも理解されることは実に気分がいい。
 が、もし、これをワンオフで作るとなると4〜5万円必要ということらしい。これでは元も子もない。僕が思っていたとおりの金額であった。
 この方面で今後何かやろうとするなら、まずは純正のマフラーを持っておくことだろう。そして次はデイトナがリリースしているスエプトバック形式のエキパ イだ。こいつは珍しく純正と同じようにフレームへの固定金具が装備してある。WBのスーパートラップででも分かるが、500には必要なものと僕は思う。そ して格安だがプロトのスーパーサウンドのスリップオン排気システム。こいつにはエクステンションパイプが付いている。
 でもって、デイトナのエキパイにリモーションのマフラーから始まって、組み合わせをやってみることが出来る。これがなかなかおもしろいのだ。金のことは 別として、こういったことが出来るのもSRというオートバイがポピュラーなオートバイだからだろう。まさに日本を代表するオートバイに他ならない。

2002年 5月30日(木)
 昨日の件で少々マイッテいるためか、寝起きがメチャメチャ悪い。外は薄曇りだが、この辺の天候は、この状態が一番始末に悪い。そういったこともあって、 職場に常駐させているPower Book 540cを使用することとして、久々に身軽な格好での出勤となる。
 出勤途中の考えはもっと手軽で高性能なノート(パソコン)があればな〜、ということである。そう思いながら考えを巡らせると、すっかり今のiBookに 行ってしまう。もち、700いくつかのクロック数のヤツ。でも、これとても、どうもアップしてしまいそうで、どういった時期の製品、となると僕の持ってい るG3 Power Bookのようにはならない。
 500シリーズを見るといつも「いいな」、と感じさせる。万一でもないだろうが、この500シリーズ用にキーボードをどこかリリースしてくれれば、この キカイは満点になるのに、と感じている。特にASCII配列に馴染んでいる者にとってはDuoのシリーズよりよくない感じのキーボードだから、英語のキー ボードにしても変化は感じられないかもしれない。MC68040でもPPCでもキーボードが最大の難点だ。
 こいつで早朝の人気のない職場でタイプしていると、ついつい東芝のワープロ機とか、Power Bookと同じ大きさだが機能はあまりない、という最初のNECのノートでのDOSが難しい昔を思い出してしまった。過去へも未来へも行けない現実だか ら、今ここでこういった少し古いキカイを使っていると、どことなく安心感さえ生まれてくるような気がする。が、最近iBookを購入した者に問うてみても 漢字トークさえ知らない。メカニズムの云々は知らなくてもいいが、MacとかAppleのコンピューターの歴史のようなものを紐解かせなければならないの ではないか、とまたしても過去のものへの何かが頭を持ち上げてくるのである。

2002年 5月27日(月)
 無性にSRで走りたかった。仕事から帰って思いのままにSRをいつものコースに走らせる。夕暮れ前のひととき、沈む前の夕日がまぶしい。どうしてか、こ こにDUCATIの900S2を走らせるのが夢だったが、もう20年も前になってしまうのだな。ベベルLツインの生みの親も他界した。
 快調な走りで帰ってきた。これでしばらくは安心だ。夜、SRの純正マフラーをネット上で探した。残り40分ぐらいでイケルというのがあったが、一向に他 の入札者がいない。安いのか相応なのか、僕の考えは高い、と判断した。それに着払い代金と送料などからすると、1万円に近くなる。新品よりは安いが、状態 は写真ではよく分からない。そして今装着しているリモーションのリプレースマフラーで十分なところまで来ているし、PLOTがリリースしているSR用ス リップオンのスーパーサウンドシステムが19,800円程度。これも注目してもいい。そういったところから入札を止めにした次第だ。
 ま、それよりはシートのいいものを探さなければならない。このライディングポジションというヤツが曲者で、シートを換えたはいいが、今度はハンドル バー、そしてステップ、よいう具合に進展するから、またまた細部の調整をしなければならなくなる始末。これが楽しみでもある。しかし、事は金銭面の苦しさ を伴う。SR500特有の個性をどうのこうのではない。完全に金は出て行かざるを得ない、嗚呼... 。

2002年 5月26日(日)
 愛媛県オリエンテーリング協会の総会にSRで出かける。もちろんリモーションのマフラーの最終確認も含めている。いつものとおり、一般国道の国道56号 線を通る。
 往路からやられた。あれだけいつものテストコースを走って確認はしてはいるのだが、やはり時として狂うときがある。特に高速域は宇和島の近所では確認が 出来ないからどうしようもない。
 今日もそれが起こった。アフターバーンが起きたのである。これにはマイッタ。しかし、思い当たるものが、まま分かってきて、中山でU-マグな るものをはずした。この面で詳しいのはhttp://www.iimuro.comに出ているが、全てにOKとはいかにものも出てくる、と いう見本だろう。僕はこれはいい、という原理自体は水を磁化する磁化杯の効能を知っていたからだ。それゆえ、高価なものだけど6年間装着していた。
 では、どうしてこのU-マグが逆作用をするのか、このことが今日立証された。それはSU(CV)キャブでは、キャブレターそのものの機構がVMタイプと は違い、アクセル操作よりも負圧を利用した吸入度合いで作動する。おまけにスライドピストン部分とバタフライで通路が変化する道筋を同時に動かしているか らである。したがって、混合気になる前に燃料を細分化して酸素との結びつきをよくするU-マグの作用は効き過ぎる、ということなんだ。では、自動車ではど うだ?ということになろうが、キャブまでの長い燃料通路を電磁ポンプで燃料を送り込まれるし、キャブレターとシリンダーヘッドまではオートバイとはその距 離にして格段の差がある。そのために、SU(CV)キャブででも有効なのは間違いがない。
 帰りの道もレギュラーガソリンででも図太い反応を見せる。それだけ、オートバイのキャブレターはシビアなんだし、自動車用のいいパーツであってもオート バイでは根本のところで上手くフィットしないものもある、ということに遅ればせながら気付いた次第だ。
 そういえば、その近辺のページに僕が記載した点火プラグが死ぬ理由、というと同じ状況が自動車でも起こりうることが記載されていたし、それによって、ス プリットファイアの二股の電極の片方が溶けて燃焼室内に落ちて、エンジンをバラスに至った、ということが記載されていた。
 ま、リモーションのマフラーで大いに教えられたことが多かった。そして、僕は今まで何をしていたのだろう?、と自問自答しているところだ。

2002年 5月16日(木)
 昼から休み。「いつもにこにこ有給休暇」だ。僕ぐらいの者になると、その有給休暇は当然と思うが、若い連中は周りの目があって休めそうにない。困ったも のだ。適当に、良い加減で仕事をしないと、数字は出ないが一日100人の自殺者!という調査結果の一人になりかねない。そういえば、北海道でも狂牛病の罹 患牛を生体検査で発見できなかったとして、自殺した若い検査技師が居たよな。忙しくても休暇を取るということもなく、悩みのようなものを誰にも相談できな かったんだろう。
 そんなことはさておいて、休んでやることはSR!。今日はスーパートラップを再びテストする。吸入関係はストックの状態に戻してのこと。一部変更になっ ているが、1998年の6月末に購入した時のまま、いきなりスーパートラップを装着するとどうなっていたのか... ?、という実験だ。
 こっ恥ずかしいが、「Sick'n SRを何とかする」のお題目はどうも気合いを入れてストックのままの状態を検証せずに行った結果から出たものではなかったろうか、という自責の念が支配し ているのである。フロート室のビスがロックしてあったミクニのBSTキャブをはじめ、いきなり、ストックマフラーのエンドバッフルに15mm径の穴を開け て有頂天になっていた。最初にスーパートラップに換装したときも、某雑誌上で発表されたO ショップのやってるジェットセットを参考にした。この時のディフューザーディスクは6枚、とされていたが、大いに疑問だったし、O ショップへ電話で問い合わせたが、キャブのセットは知らない、ディスクは8枚の方がいい、という始末。以前記載したが、やはり、こういったことからオート バイ関係雑誌も信頼がおけない、と感じてもいた。
 僕自身も全ては最初の状態で、ここを換えたら、こういった結果が出た、という確認を取らないまま、いろいろ換えた後に、全体で煮詰めていく手法を取った 次第。間違いとは言わないが、この取りかかり方は今回リモーションのマフラーに変更してのテストで大きいしっぺ返しを喰らったように感じる。
 さ、いつもながらの簡単な交換作業、いつものテストコース、走り出してすぐリモーションのマフラーとは大きく異なるSRがそこにあることを確認した。実 はこれだったのだ。このことが分からないままキャブのセッティングを行い、アーでもないコーでもないを纏め上げていたこれまでがウソのようだった。ようや く結論が出たようだ。

2002年 5月 6日(月)
 午前7時、静かなところだがSRのテストを行う。リモーションのマフラーに変更して、どことなくおかしいのである。そのおかしいところが何なのか、を突 き止めなければならない。それだけのことだ。そういった根本が分かれば、後は応用だからベーシックなところさえ分かれば... 、と思っていたのだが、これは大変な作業になった。おまけに不順な天候だ。両方が重圧となってきたが、やらないわけには行かない。トライアンフのタンクは 間もなく再塗装に出すため使用できなくなるからだ。12日の週は遠出をもしなければならない。そういったせっぱ詰まったものもあった。
 まずはこれまでのプラグの焼け方が均一ではないことに着目して、エアクリーナーカバーに開けた穴をつぶしてテスト。次は点火コイルを戻してのテスト、そ の次はメインジェットを変更してのテスト。
 昼食を挟んでプラグのテスト。再びコイルを戻してテスト(ここは雨になったんで市内を走るのみ)、そしてプラグを戻してのテスト。
 最終はパイロットジェットを変更してのテストで終えた。結局タンクを外したのは5回。テスト走行は6回ということになった。精神面も体力面も疲労が多 い。商売ではないにしろ、ノウハウの乏しい者にとっては辛い。幸いにして最終面でOKとなったが、その結果が出なかったら、相当に悩んでいるところではな かったか?、と思われる。これらのレポートは39号でお伝えしたい。

2002年 5月 4日(土)
 どうも連休は上手く事が運ばない。特に天候はまるっきり当たらないことが多い。今日もその類だ。鬼ヶ城は雲に隠れているが、反対の西も曇っている。こう いったときは実に判断が難しい。まさに今日はそのままだった。結局午後4時近くにならないと雨は落ちなかったが。
 午前中にPower Book 400用のP.T.Kを装着してみた。僕のはどうもマザーボードのコネクター部分に一抹の不安を残したままになっているが、現実には英語のキーボードでさ え、新しいものでないと受け付けない。Power Book G4のキーボードと同じ装着方法だから、改善されるとあるロットからは完全となるわけだ。
 幸い僕のはそういったことで今年1月のAppleでの修理代は18,000円であった。キータイピングがままならなかったP.T.Kだったが、もしかし て、この部分が何か改善されているのでは、と考えて、本日午前中に装着方法をチョイト探りながらやってみた。思わぬことであったが、僕の持っている P.T.Kのコネクター部分はどうやら口が広がっている。そこを何とか指でしごいて若干狭くして、なおかつ、やってはならないことかもしれないが、本体を 作動させたまま、マザーボードとの接続に前後左右に若干の動きが止まり、タイプした文字の取りこぼしがないように確認して装着した。
 結果はオミゴトであった。このキーボードはキータイピングがなかなか小気味よい。何ともいえないフィーリングだ。附属のステバンとマッチングが取れたと きは、ADBキーボードIのメカニカルタッチに似たような気分になってくる。
 今装着しているのは限定品のクリアキートップモデルなので、少々違和感が大きい。が、気にすれば気になる、で、人様は「おかしい、何かヘ〜ん」というだ ろうけど、エキセントリックさからするとこれに勝るものはない。6月までにはスタンダードのP.T.Kを購入することとしよう。

2002年 4月26日(金)
 昨日から天候が回復した。今日こそはやっておかないと... 、と考えて午後4時からトライアンフに取りかかる。キャブレターのメインジェットの交換だ。もちろん交換するのはものの10分で終わるのだが、その後の走 行テストが曲者なのである。つまり、手を付ける前のフィーリングをしっかり憶えておかなくてはならないし、テストも毎回同じように行わなければならない。 けっこう厳しいんだ。加えて、心身の状態もある程度一定にしておかなければならないのは言うまでもない。
 徳島へ行ったときは#240であった。とりあえずのフィーリングはしっかり憶えている。まずは#10アップの#250を装着してみた。
 始動性が抜群によくなる。コースをいつもの三間・広見から帰ってくるいつものところだ。2000rpm前後のエンジンフィーリングがガサゴソして発進時 に半クラッチを多用してしまう。通常走行は#240の時よりはるかにいい。帰りにオートショップワタナベへ寄ってプラグを確認。少しタン塩色だ。もう少し 上げてもいい、というサゼストから#260にして再び同じコースへ。
 先ほどより2000rpm前後のエンジンフィーリングがよくなっている。通常走行は若干リッチになってきていて、アクセルレスポンスもよく気分がいい。 驚いたのは各ギアが気持ちよく入る。エンジン・ミッションが別になっているトライアンフでは通常考えられないことなんだが、事実だから致し方ない。
 プラグは相変わらずタン塩色だ。もう少し何とかならないかな?と欲が出る。AMALとミクニのメインジェットの番手によるガソリン流量の違いのグラフを 見ると、ストック時のAMALの30mm径が#190だったから、ミクニに合わせると#260にほぼ近い。今のミクニは口径が32mmである。近々この辺 のところから、#300ぐらいまで10番間隔でメインジェットのテストをしてみたい。
 

2002年 4月18日(木)
 久々にお天気になった。本来ならPowerBook G3をもって出かけるところだが、今日からしばらくは540cを使ってやろう、と考え、フロッピーディスク1枚だけもって出かける。
 職場で使用する分にはOSは7.5.5として、メモリーだけアップして540を使用している が、キーボードのタッチだけがいただけないこと以外は何等支障ない。そもそも500シリーズはリリース当時、金銭的に手が出なかったし、その後の5300 では筐体の強度不足で5300csを購入したのはいいが、修理などで散々出費した経験があって、使う分には考え物だ、と感じていた。このことはいずれ本文 で記載するが、今回もバッテリーの件で疑問が解けたので使うことにした次第。
 500シリーズ全般に渡ってこいつはなかなかストレートに熱などで作動状態を提起する。とい うのは100シリーズなどでは作動してるんかいな?と思われるほどのACアダプターなんだが、500シリーズのものでは確実に発熱する。充電中でも暖かく なる。設定方法にもよるが、今のハードディスク(僕のはIBM製のIDEとSCSIアダプター)だと作動音も小さいし、動きも軽快だ。
 こういった状態で、ディスプレーを閉じて事務机の上に置いていても、流線型というか、独特の スタイルはグレーの濃淡の筐体とも相まってなかなかのスタイルを発揮している。何とかPPCカードを入手してOSを8.1で使用してみたい、と思うのだ が、まだまだ発展し続けるんだ。通称Black Birdはまだまだ飛び続けているんだな。

2002年 4月14日(日)
 ありゃりゃ、前回の記載から1週間も過ぎているではないか。相当の多忙さ、と言えばカッコイイが、普段の生活が出来ないほどの過密スケジュールであった ため、20日を目指しての作業など出来なかったわけだ。
 昨日はディトナのAPロッキード用のディスクブレーキパッドを購入し装着したはいいが、遊びが全くない始末。本日もフロントフォークの突き出し、フォー ククランプの状態などすべからく点検して異常ないことを確認した。
 そうなると最終のことはディスクパッドの状況だ。オリジナルとそのレプリカから比べると、若干ディトナのパッドはベースの厚みが大きいのだ。もちろん、 今のフローティングタイプの薄いディスクローターならこれでもフィットするが、純APロッキード製品では少々無理だということが分かった。
 朝からのフロントフォークの取り付け状態を確認したりして、半日このことを考えていたのだが、最終判断としてパッドを削った。職場の床にサンドペーパー を敷いて、根気よく削ったわけだ。ま、上手くいったが、決して勧められる方法ではない。もし、ということはいえないがプラスμの製品にして おいたらこんなことにはならなかったのでは... 、と思ってしまった。事実削ったのは1mm程だったのである。
 修正後のパッドは馴染みも出ていないから正確な判断は出来ないが、ま、効きはそれなりに効くということが分かった。廉価版のパッドとしてはいいのかもし れない。

2002年 4月 7日(日)
 何か忘れている、と思い、www/Gridの原稿を開いてみる。そうそう、自転車をアップロードするのを忘れていた。ずっと以前から記載していたのだ が、どうもアップロードしていいものかどうか迷っていたため忘れてしまったのだろう。昨日のこどもニュースででも放置自転車に課税するかどうかの問題で、 新品自転車が1万円程度で買えるご時世だから、放置していてもそのままにしておく場合もあり得る、と言っていたが、実に不思議な世の中になってしまった。 僕の子供時代では通勤に使うような一般自転車でさえ数万円、生活レベルからすると代々使われ続ける家庭用の乗り物だったのである。いつも思うのは安くなっ たために、ありがたさが消えてしまっていて、自転車そのものにも「心」が無いように感じてならない。コウモリ傘でもそうだな。

2002年 4月 2日(火)
 早朝、職場のパソコンデスクの白色を利用し、柔らかい陽射しの中でQV-10を使用してニコンF-2で撮影した写真の複写を行う。QV-10そのものは なかなかいいキカイだと信じているのだが、どうもビデオカメラで言う「ホワイトコレクター」の機能までマニュアルめいていて、TFT画面がレコードでの時 とリプレーするときとでは大きく異なってしまい、少々閉口するのである。このことがなければかなりの確率でこの複写は成功を収める。やり方は写真の時と全 く同じ。シャッターぶれを防ぐため、息を止めての作業だ。
 それをやりながら何となくおかしさを感じたのは、高級一眼レフタイプの600万画素ぐらいのモデルででも液晶を(裏蓋のところに)別にしているのはおか しいのではないか、と思われてならない。艦橋部分のプリズムはキカイ部分とTFTの部分を共用できるようにするのが本来の行き方ではないだろうか、と思う のだがどうだろう?
 この辺の新聞記者の中にも支局への電子配信のためディジタルカメラをよく使用されるようになったが、ファインダーを覗かずにTFT画面を覗いて撮影され ているのを目にすると「アホクサイ」と思われてならないのだ。
 このことはまた本文で記載してみたいし、ディジタルカメラとして行くのならTFTを本来の受光視認システムとして位置づけ、工学ファインダーは補助的な ものとするのが流れではないだろうか。難しいけどビデオカメラではそれがごく当然として受け入れられているではないか。

2002年 3月30日(土)
 朝から奇妙な行動を取らざるを得ない。理由は簡単、職場で諸々のことをやろうとすると、4月1日付の人事異動に伴う職場の配置換えに今日と明日まるまる 2日間かかるから、こっちも落ち着いて出来ないのだ。そのための処置で、午前6時半に山小でうどん、どうも腹が落ち着かないのでステ ファニーでパンを買って出向く。空は晴れて、しばらくすると暑ささえ感じる。いい天気だ。
 10時近くになって多くの職員がやってき始めた。こちらは退散だ。その後SF-426Cを装着したSRで吉田の清水さんへマスターズ陸上の今年度分の会 費を持参する。帰りに水谷自動車でハイションコードのいらなくなったのをSRに装着。クラッチレバーの曲がりを修正。
 午後は次回のホームページに載せる写真撮影をF-2で撮った後、トライアンフを出して走る。タンクの塗装に向けて、同僚の友人から紹介のあった板金塗装 屋さんへ見せた後、オートショップワタナベでAPのブレーキディスクパッドを発注。
 その時にキャブからオーバーフローを発見。どうもSUDCOのクリーナーは荒いようだな。B7ESは快調のようだ。SF-405Dは新しいスプリット ファイアの熱価はB5〜B6ESを示している。どうなっているのかさっぱり。僕はB7ESに近いような感じがしてならないのだが。
 そろそろ春のBritish Runでの徳島行きを目指して準備しなければならないのだが、少しちぐはぐしている。当然僕の身体を使って走るトレーニングも開始しなければならない。そ ういった意味からも今日の巨人VS阪神はいいゲームであった。あのように負けても勝ってもいいゲーム。そして阪神は昨年の阪神ではない、というような印象 がどことなく僕をやる気にさせてくれるのである。

2002年 3月25日(月)
 朝からボケ〜っとしていた。何ともおかしい。そうだ、左手は一昨日・昨日のSRのクラッチケーブルの遊びの関係から痛めてしまって、それに伴い様々な部 位が痛むからであろう。クラッチレバーを引くのが嫌になるほどのものだった。そういった痛さのようなものがあったからである。
 昨日は、宇和のT君宅へ立ち寄って、しばらく左手を休ませる意味合いもあった。その時、はたと気付いて、レバー部分の遊びを多く取ったらどうだろう か?、と逆の発送で、アジャスターをレバーホルダーの中に入れ込んだ。第2間接まで握っても切れないほどだ。この調整でずいぶんと楽になったが、これは湿 式クラッチではウォーミングアップ段階では半クラッチ出来ない。で、「SRのクラッチの切れ」はどういった特徴があるのか?、に気付いていなかったのでは なかろうか、ということなんだ。
 調整した結果、半クラッチは少々難しくなるが、第二関節当たりまでレバーを握って力をフッといれればスコっと切れる。この味というか感覚を憶えればい い。どうもサービスマニュアルなどにも遊びはレバーを引くときレバーエンドで10〜15mm、とされているが、これでは僕と同じように左手首が痛くなるこ とは疑いの余地はない。結構初心者が陥りやすい点ではないだろうか。ベテランといわれる(オ〜オ〜)この僕でさえこの始末だからだ(爆)。
 おそらくこの調整方法だと「スコッ 」っと切れるところが分かるはずだ。乾式クラッチの僕のSRと湿式クラッチのノーマルとでは少々異なるが、「そんなに引かなくったって切れるんだ」という ことが分かれば、レバーホルダーアジャスター部分で数ミリのケーブルの遊びの確認だけをして、半クラッチからのミートを身につけていれば、かなりいい具合 になると思う。SRのクラッチレバーが重くて仕方がない、という方にはお勧めの方法のように感じる。

2002年 3月12日(火)
 食事中の方はゴメンナサイ。このことだけ先に言っておきますね。
 今朝、あ〜あ、という感じになったものを見た。というか、遭遇した。僕はいつもコンビニで朝食を購入して職場で摂るようにしている。今朝も同じような ルートをたどっていたのだが、道路工事中のギャップをハーレーのXLがノック気味でチェーンをガチャガチャ言わしながら通過していった。これだけなら一般 の人が「あ、そ〜」というだけなんだが、僕はもっと別のことを考えてた。
 一つにはどうして(スタイルから)ハーレーを数キロの通勤に使うのだろうか?。このハーレーはおそらく相当に苦しい立場でオーナーの要求に応えているの ではないだろうかな、と可哀想に感じてきた。「そんなことはないよ」とオーナーは言うだろう。でも「そんなことはある」んだ。まず、オイル。今朝は結構気 温が低く、マルチでも20W50のオイルを使用するハーレーはセルモーターのクランキングから、アイドリングを安定させるまで10分程度かかるのが普通 だ。暖かいオイルが循環していない内に走らせるといくら近代的なハーレーのエンジン関係であっても良くない。
 もう一つは、ハーレーではないが矢鱈と変形ハンドルと称するのが走っているし、変な音のするマフラーを取り付けて、自分ではいい音で車体のフィーリング にマッチして、と思っているのかもしれないが、そういったチョップドバイクからは出てくるサウンドはビチビチウンコのエキゾーストノートとしか僕には聞こ えない。大アップハンドルでフロントフォークのオフセットなど考えずにやってるもんだし、出てくる音と車高の低い状況から、便器に腰掛けてウンコしている ように感じたりもする。
 そういったことをしばらく考えてて、妙におかしい感覚になったりした。
 もっとも、ビューエルでおなじみだが、ハーレーのXLが軽く回るようにチューニングされるのだから、僕はこっちの方面が好きだ。あの重々しいハーレーが パワーを落とさずトルク感もそこそこ、その上に軽く回ってアクセレーションがいい、こういったことをこなすハーレーのエンジンはスゴイし、携わるエンジニ アの情熱のようなものを感じるんだ。もし、FLHにこれを施したら、僕は国産の偽ハーレーやBMWよりいいマシンになるのではないか、と感じてはいるが、 「それはお買い求めになったオーナー様のお考えでやっていただきたい。もちろんご意見は参考にさせていただきますが」とするハーレーのおおらかな考え方で あろうな。日本人はそこがなかなか理解できないでいるのも事実だし、そのためコンパクトで「コーセーノー」なオートバイが世界を席巻したわけだ。
 そうそう、ひょんなことからネット上でお知り合いになった喫茶店のマスターがいらっしゃる。店は札幌だからちょっとオートバイで、とはいかない。でも http://www.popkmart.ne.jp/jayparker/top.htmlへアクセスしていただいたら、ちょいと僕の言うことも分かる はずだ。

2002年 3月11日(月)
 ようやくHOOPSのサイトへアップロードできる方法が通知されたんで、「つれづれ」を記載することにした。
 ことは昨日に起こった。所用でSRにて松山へ出向いた。往路は凄まじいものであった。6年目にしてようやくOKが出せるところまでになった、という証 だ。たかが思いつきで、一つずつポイントを押さえてそこから波及して次に至る。そして前に戻るの連続で進めたところのものだ。オートバイの項で記載してい るとおりだ。その往路で起こったことが復路において消えた、というところに何がどうなっているのか、その対処をどうするか?を考えさせられた。
 往路、大洲道路を通った後、エンジンに軽い振動を感じだした。松山に入って済美高校近くになって「少しヤバイかな」と思うようになったが、そこから数キ ロメートルで目的地に到着したから、ここはこれでキーをはずした。ほぼ2時間の会議を終えて復路の行程に入る。始動は問題なかった。南海部品へ寄って BR7ESを2本購入して、いよいよ56号線に入った途端、往路の問題点が出始めた。
 犬寄峠を登る頃からピークに達した。アクセルの反応もいいしスピードもOK。が振動が異常に出る。「何でかな〜」と思いつつ、宇和町へ入ったら少しずつ 振動が減り始めたんだ。その不思議さに何か狐に摘まれたような気がしてならなかった。吉田町へ入ると、また少し振動が出だす。知永峠を越えると少し収ま る。時間が午後6時前。この疑問が解けたのは帰宅して、競輪選手の卵の確認で酒道場へ行って「ヤレ止め」をやっていたときだ。ニュースが本日の日中は 16℃近くになった、と報じていた。僕は「アッ」と思ってジョッキをカウンターに置いた。
 そう、出発の時は10℃前後だった。12時過ぎに済美高校近くに居た。帰りは少しずつ気温が下がるのだが、大洲道路の高速でエンジンの発熱が大きくな る。宇和町は盆地だから気温が下がる。同様に知永峠の後の高光は気温が低いところだ。そう、オイルだ。油温が気温とエンジンの発熱量に対処できていない、 と気付いた。
 今入れているのはヤマハ純正のSJ 10W40だ。しかも色の薄い初期のタイプ。これがどうもSRにフィットしていない。最近のは色が少し濃いと思うが定かでない。僕はオイルクーラーの必要 はない、と考えているが、良く回るエンジンに仕向けているのだから、最大トルク/回転数などがエンジンはノーマルでも発生地点は若干違っているはずだ。と りあえずはオイルを別のものと交換してみて、同じ状況ならオイルクーラーが必要になる、というわけだろうな。

2002年 3月 2日(土)
 今日は本当にのんびり出来た。が、午前中は日記のバックナンバーをgooのサイトへ移動するのに大わらわ。理由は簡単なところにあった。残念ながら最初 のミスでRPMのサイトにあるフォルダーの中からファイルだけのリンクを張れない。あくまで、gooの無料ホームページの位置づけのためだろうかな。しば らくは保存の意味も含めてRPMのサイトに残して置くこととする。
 先日来、MINIのニューモデルのCMをよく見る。この際だから言っておきたいんだけれど、あれはMINIの形をした低レベルの小型自動車に過ぎないの ではないだろうか。この間生産中止となった前モデルと見比べると、どうも違和感が漂う。たとえばVWのビートル、今のエンジンを使用してビートルのイメー ジを残しながら、よくぞここまで纏めたものだ!、と感心する。そういった意味合いからすると新しいMINIはどうだろうか?。僕はどうも基本設計を全くや り直していない、と思う。イシゴニス博士が、こういったコンパクトな車体に大きい1000ccエンジンを搭載し、しかも内部の居住性も良い、とした設計思 想ではないように感じる。VWはポルシェ博士の思想には及ばないが、現代版VWビートルと考えると十分納得がいく。
 先日、日産のフルモデルチェンジ「マーチ」をテレビで見た。「あっ!こりゃいいや」と感じた。マーチそのものも国産大衆車の位置づけで、よく売れてい る。今回はルノーの基本物が入っていて、そう、フランスのエスプリを加味した帰国子女の感覚が支配したモデルのようだ。しかし、ニューモデルと比べても旧 モデルが陳腐化してしまった、という感覚は一切ない。妙に不思議な感じだが、これがこれからの行き方のように思う。セールスから「このモデル」と勧められ て納入日が「ニューモデルの発表会」となることもしばしばだが、今回のマーチのようなフルモデルチェンジなら僕は納得ができる。少し高齢の方なら旧モデル の方がいい場合もあるからだ。
 こういった点は、しばらくの間でもいいからAppleコンピューターのiMacのように元のモデルも併売している、というのは、どうも売れ残りの処理だ けではないように感じるのだが、僕の入れ込みすぎだろうか。ま、新しいiMacを見ると僕の考えも一理あると思われるだろうが。

2002年 2月21日(木)
 職場からの帰宅が遅くなって、夕食をのんびりと摂っていたとき、ガリっという音がしたんで、思わず吐き出した。ナ・ナ・ナント、4本ある親不知の左の上 の詰め物がボロっと落ちてしまった。何年目かで歯科医へ通院だ。このことはあまり関係ないんだ。
 ずっと以前も記載したが、横断歩道で信号待ちをしているとき気付くのだが、「楽しそうに自動車を運転」している人が非常に少ない。僕は国産車でいいな、 という自動車は少ない。そのため、色々な考えが盛り込まれている外国の自動車が好きなのだが、そうやって自家用車にして乗っていらっしゃるにもかかわら ず、どうもつまらなそうな顔で乗ってらっしゃる方が多い。
 さ、その四輪車だが、僕の知人で郵便局に勤めてらっしゃる方の日産マーチがフェンダーミラー仕様なんだ。マーチっていうと、けっこう大衆車だろ。今では CMも少なくなったけど、まじめに普通の形をした大衆車だ。このフェンダーミラーがことのほか車格にフィットしているんだな。ドアミラー車より高価だっ た、というが、後方視認の良さなど、フェンダーミラーの方が数段上を行くものだ。ドアミラーが一般化した今ではフェンダーミラーが「ダサイ」と思われるだ ろうが、案外そうではないようだ。仮に、タクシーに多いクラウン・コンフォートのドアミラー車が一般に「見られる自動車」かどうか、日産クルーには両方あ るが、ミラーの本車とのマッチングからすれば、クルーの場合はドアミラーの方がいいようだ。コンフォートはミラー形状が本車に合っているように思う。
 もちろん、僕自身もフェンダーミラーが「ダサイ」と思っていた時期もあったが、意外と現行の自動車にもフィットしているものもあるのではないか、と思え だした。そういえば、昔のオープンのCANNAMレーサーなどフェンダーミラーだったし、マツダのロードスターの三角窓風のついたてもそうだし、これに フェンダーミラーっていうのも「有り」かもしれない。

2002年 2月18日(月)
 昨日はこの「つれづれ」もアップロードを出来ないほど疲れ果ててしまっていたので、午後10時近くでバッタンキュ〜となってしまった。明けて今日、どう して昨日がこの天気でなかったのだろう、という具合の青空。ついつい気分も良くなる。
 実は一昨日、PowerLabの配信メールからP.T.Kのクリアキートップの限定モデルのことを知り、ついつい購入するボタンを押してしまい、それが 本日手元に届いた。少々ルンルンの気分ではあったが、装着してみてびっくり、相当な違和感がある。仲間内は「これはダメ」という顔をする。そんなものか な〜、としばらく装着していたが、タイプしながらナルホド、と思うと同時に、熱がすっかり冷めてしまって、元の英語キーボードに戻してしまった。
 現在、少々P.T.Kとのマッチングが僕のPowerBook G3ではよろしくなくって、純正の英語キーボードに交換しているが、P.T.Kのミスではないことを申し上げておく。ただし、本文にも記載しているが、マ ザーボードとのコネクター部分は何となく不安が残る。この部分が'00モデル用の最大のウィークポイントといえるのではなかろうか。
 そこで、もちろん丁寧にしっかり使うことを前提として、今後のためにどうするかを考えているのだが、キーボードはある程度めどがついた。できれば、何と かしてマザーボードを入手し、活かせる方法を講じるのか、500MHzのモデルを新たに購入しておくのか、少々考えるところが出てきた。特にiBookと の同一性は考えられない。あくまでG3の上はG4のパワーブックということになる。
 そして、一向にブルーチップのG4が出ない。これを'00のPowerBook G3の頂点と見るかどうか、今後の動向を待たねばならない。そういえば、SE/30のときもClassic IIに、このPowerBook G3もG4のPowerBookに、と最後の生産品、という位置づけで購入してしまっている。で、一つのピークポジションを持った製品、と考えているわけ だが、どことなく不思議な縁だな、と感じてしまうのだ。

2002年 2月17日(
 いやはや15日、16日連日松山へ行った。16日はいい気分になって最終便で帰宅した。おまけに今日は時間外の勤務。外は雨、気分も滅入る。え〜っと何 だったかな、そうそう、宇和島で最近少しばかり古いオートバイを見る。多くに方の心の片隅から一瞬にして消え去った車種だ。ホンダ・ホークII、スズキ・ GS400、ヤマハ・XJ400。特にホークIIは湯たんぽタンクと称せられたし、コムスターホイールというホンダ独自の前後輪ホイールを装備していた。 爆発的人気を博し、かなりの台数が出たはずだ。今では全く見ない。
 今回はGS400なんだが、昔なら変形ハンドルの大アップハンドルを手前に向けて、ハイバックシート、布のアンダーシールドをフロントに付ければ「族 風」オートバイになる。
 スタイルは「族風」だが、かなり綺麗な乗り方のオートバイだ。マフラー交換されてはいるが、セッティングも出ているようだ。「フーン、こうやってアピー ルしてるんだ」とやり過ごしたんだが、何だか気になることが残った。それは、その当時静粛性が高い、と感じたがカムチェーンの「シャラシャラ... 」という音なんだ。異常に大きい音で聞こえる。ドライブチェーンなんかは今の物に交換されているから全く気にならない。が、内部には手が加えられていない らしく、また、サイレントチェーンなどのサイズ合わせで今の物に交換されていないことも手伝って、異常に大きい音と感じたのだろう。
 そういえば、宇和のK君が乗っていたカワサキのZ-IIの750もバックラッシュの「ヒューン」という音が異常に大きかった。こいつに860ccのヨシ ムラピストンを入れたところ、その音が消えてしまっていた。当然のように兄貴分のZ-I、900ccはヒューンが出ない。
 ヤマハのSR400も排気音ばかりでなく、エンジン内部の騒音も規制の対象になって、次回には対応が難しい、とも聞く。もはや、オートバイでもガチャガ チャ、カチャカチャ」という異音が調子を見定めるバロメーターではないようだ。
 が、僕は排気量は大きいが全体の姿は小さい乗り物の「オートバイ」には、ある程度の「音」は、周囲の交通機関、通行人に対してのアピールとして必要なの ではないか、と考えるのだがいかがだろうか。

2002年 2月12日(火)
 昨日は今日よりひどい気分だった。友人のK君からこのCD-ROM(CD-R)を聞いてくれ、何かおかしいところがあるのではないか、確認をしてほし い、ということであった。風が冷たいし自分の気分も滅入っていたときだから、本当はやりたくなかったんだが、そこはそれ、オーディオ好きだから、確認した わけだ。
 ものは三菱のやつ。僕も以前使ったことがあるが、こと音に関してはとんでもないほど、昔のCDのような気がする。とにかく耳にキツイ。中ヌケの音像が広 がる、という具合だ。もっとも、大人としてCDとリアルタイムで過ごしてきた人でないと理解できない言い回しだろうけど。
 まずは、エッジの4か所に切り込みを入れる。通常はこれで結構変わるが、今回の700MBはどうにもならない。650MBは確かにこれで行けた。次は エッジの角を上下面とも面取りをする。これでずいぶんと良くなった。
 しかし納得がいかない。エーイ、SONYの650MBでやってみた。「お見事」。これならK君にも違いが分かるはずだ。
 一夜明けて今日K君からご意見を伺う。やはり僕の感じ方と同じことを言ってきた。
 思うに、通常のCD-Rにコンピューターを使用して「音楽」を焼きつける。コンピューターが扱えれば、この何でもない行為なんだが、この裏にあるCD- Rメディアのメーカーと記録色素の違いが大きく支配する。それに増してCD-R(W)のレコーダーもユニットが何処のメーカーかで出てくる音は異なる。全 くもってまか不思議な世界なんだが、オーディオ関係でのCD-Rはどういった現状なのか知りたくなった。どうも売れ行きは悪いようだが。

2002年 2月 9日(
 昨日の興奮が冷めやらない。一応、メモリーとハードディスクを520から移植した。筐体は一か所、ディスプレーの下側のカバーの両端のツメが折れている だけであった。本日の最終は懐かしいApple Internetスターターキットなるものをインストールして、作動を確認した。メモリーアップは性能に比例して、作動が少しばかり良くなった。やっぱり 表示の関係でDuoは足を引っ張られているのかもしれないな、と感じた。
 トライアンフは懸案だったウインカーの配線を終了させた。ヤマハのウインカーそのもののステーのネジ径が11mm程あるので、アース端子の10mmの穴 を永井モータースでテーパーリーマを使用して拡大する。バイスなどに鋏めないから左の指でウエスを介して持ちながらの作業だし4個だから、結構時間がか かった。T-140Vは一般の一点アースのみの配線だが、クリップ接続が非常に多く、ランプハウス内(英語でははヘッドランプナセル内)はごちゃごちゃし てしまっている。ところが、メインハーネスは布のテープでインナーを巻いて、その上に軽粘着力のビニールテープで巻いてある堅牢なものだ。それゆえ、今ま で持っているのかもしれないな。
 オリンピックの開会式と仕事がなかったら走らせていたのだが、昨日の疲れもあって断念。ま、明日があるさ。

2002年 2月 6日(水)
 帰宅途中、後ろからタッタッタッタ... 、という軽やかなエキゾーストノートが聞こえてくる。ハハーン250ぐらいのオートバイだな、と思った。振り返るまでもなく、僕の前に来る。何とヤマハの マジェスティーのマフラーをトライアンフタイプに変更しているものであった。
 そういえば、この手のビッグスクーターはどうもメーカーの相手を負かしてやろうとする意識が強く、ヤマハのT-MAX以外は400だの600だのって、 バッカミタイ、と僕は感じているところだ。マジェスティーにしても、どうもあのポトポトポトという排気音が好きにならない。本来はロードクルーザーとし て、スクーターとは少々違うものだから、トヨタのクラウン・マジェスタのように静粛でないとならない、と考える。
 ライダー(かな?)はそういった方向は無視して、排気音が大きい方向へ向けるのだが、この方向付けはマジェスティーが一番多い。もっとも軽二輪のカテゴ リーだからかもしれない。はっきり申し上げて単気筒エンジンだから一発毎のパルスは消せない。そこが車格にフィットしない。それを大きい音量にするから もっともっと珍奇な状況になってくる、と僕は感じるのだが、そうやっていじって乗っていらっしゃる方はどうも意識が違うようだ。
 T-MAXの実車を僕は一度だけ見たことがあるが、いいのはいいとして、乗りたいとは思わなかった。しかし、こいつは二気筒エンジンだから、排気音はド ロドロという感じが加わる。が、自動二輪車であり大型免許を必要とする。リリースされて間もないし、乗り物があの手合いだ、好みが別れる。
 スクーター、モペッド、日本製の大きいオープンフレームの乗り物は何という分類に位置づけるのだろうか。まさかマジェスティー症候群ではあるまいな。

2002年 2月 4日(月)
 PowerBook G3が戻って5日が経過した。昨日はとうとう12時間の耐久テスト並にあらゆるものを作動させた。
 1日は東京でしばらくの時間を自由にさせてもらった。内容は新宿から地下鉄の神保町で下車して、古本を少々漁ったが、太平洋から炭団一つをつまみ上げる ようなもので無理だ。でも、無理だと分かっていながら、やってしまう。これが好き者の性だろう。
 次に目指すは秋葉原だが、目標物が無い。したがって、有楽町方面へ歩く。おぼろげな地図の記憶を頼りにして右手方向に山手線が走るのを確認。歩いている 道路と線路との挟み角を想定した交差点で左折したら見事にJRの神田駅に到着。ここから一駅で秋葉原だ。
 Mac関係を訪ねるのだが、リンゴマークなどが一切なくなっている。不思議な感覚になってしまって、旧知の場所へ行くと大半が撤退、もしくは Windowsと同化している。中古なんか特に少ない。最後の最後でSofmapの各店を順不同でチェックして、レア物を扱っているところで、 Newtonのチャージングステーションをゲットした。4,800円。ネット上で中古が7,000円もする。僕のは中央部分のセンサースイッチがうまく作 動しない。そのための保管パーツとしての購入というわけ。店内を覗いてみると、信じられないほどの安さだ。Duo 280cなんて12,800円。MC68シリーズ、PPC601,6o3eなんて全てがレアなんだろう。意外と人気のあるのが、あれだけクレームで騒がれ た5300シリーズだ。こいつはPCカードが使用できるから、簡単なネットワークでの端末機としての需要が多いようだ。中古販売でも数台から1台を組み上 げても立派に製品に仕上がるから、比較的数が多いようだ。何か狐に包まれた感じがして来だした。
 そういったことで、新宿へ戻ってきたわけだが。オートバイなどの世界でもずいぶんと感覚が変わってきている。道行く人々のファッションも、どちらかとい うと宇和島よりトラディショナルである。自転車のメール配達もニューヨーク並み、オートバイのデスパッチサービスもノーマルバイクがほとんどだ。何か宇和 島での若者のおかしげなファッションを思い出すと思わず吹き出しそうになった。若い方々がマスコミ関係、雑誌の類、ネット上などで得た知識がそのまま都会 のファッション、と考えているのだろうかな。

2002年 2月 3日(
 何と休日と雨無しの天候が一致して大満足。SRを出した。
 最近とみに「松さんの何でも相談室」で質問が多いのが「SR400/500のエンジン始動が困難だ、何とかしてくれ、お願い!」というものである。
 SRに限らないが、最近はセルモーター使用のオートバイが大半で、キックアームすら着いていない。後から着けることも出来る、という種類も少ない。その 少なさも「皆無に等しい」だ。古い話だけれど、何回キックを踏み下ろしたらエンジンが始動するか練習を重ねたものだ。肝心なのは、ピストンが上死点に生き つつあるか?というところにある。圧縮がかかる位置にあるかどうか、ということなのである。
 多くの場合はここが見いだせずにキックするもんだから、昔ならキックバック(いわゆるケッチン)を食らって足首を痛めたものだ。僕もヤマハのRT360 でオートデコンプが着いているにもかかわらず、50cmほど飛び上がった。
 さ、そこで、SRのキックに戻ってみよう。
 まずは、センタースタンドだ。最近はセンタースタンドってものが無視されて、リッターバイクと称する大型オートバイもセンタースタンドが無いものが非常 に多い。しかし、僕はこの行き方は大反対だ。大陸ツーリングでパンクしたとき、チューブレスでもパンクするんだから、センタースタンドでメンテナンスしな ければダメだ。ベベルギアのDUCATIはマイク・ヘイルウッドレプリカででもセンタースタンドは装備されていて、サイドスタンドが無かったのである。と にかくSRででもセンタースタンドは必要だ。
 もう一つ、ヤマハのCMでサイドスタンドを出して、SRにまたがりキックしようとしている写真は真似をしない方がいい。あの方法ではおそらくエンジンは かからない。もっとラクチンでエンジンは始動する。何の力も必要ない。
 もう一点は、右のステップを蹴飛ばすぐらいに足裏でキックアームを踏み下ろすことだ。
 これでかからないのなら、プラグを疑っていい。チョークを引いて数回に渡ってキックするものだから、プラグが濡れてどうしようもない。プラグをはずして 数回キックをしてプラグ穴から生ガスが霧状になって吹き出てくると、これは飲み過ぎだ。当然プラグも交換したい。
 プラグを交換したら、シリンダーフィンに当ててキーをONにしてキックして火花が飛ぶことを確認すること。
 チョークを引いて3〜5回キックしてかからないようなら、チョークは戻す。エンジンが回るまでスロットルの操作はしない。
 これでかからなければ、かけ方がヘタだ、ということ。せいぜい練習を。

2002年 1月29日(火)
Duo2300cとType IIIのバッテリーについて
 今の時点で一向にPowerBook G3が手元に戻ってこない。最終確認のテスト中らしいが、ふと、Duoに目を向けると、妙な点に思い当たる。
 そもそも、最初の2300cは新品から半年後のものをmini Dock付きで、およそ半額の14万円で購入した。快調なことこの上なかったが、バッテリーを交換したりすると妙におかしい状況になり始めて、とうとう ギャーという何とも言えない音を発して昇天してしまった。次に外観は綺麗だが、少々くたびれた2300cを購入して、トラックボールにしたりして、現在に 至っている。最近ではディスプレーが不調になり、元の2300cのものと換装した。
 昨日はバッテリー調整をした。対象バッテリーは元の2300cに付いてきたリプレース品だ。最初は、こいつが故障の要因であった、と思ったが、どうもそ うではなかった。
 ほぼ、満タンになっていたType IIIのバッテリーの「バッテリー調整」で行う調整は、主にハードディスクの回転を続けさせて放電させる方法であろう、と想像できる。外部モニターに接続 してだから、2時間程度必要であった。次の充電はおよそ2時間で終了するが、今回は最初のバッテリー調整ということもあって、一晩通電したままにしておい た。
 バッテリー調整を終了して、直ちにメニューバーのアイコンを見ると稲妻マークが走っている。と同時に見落としてはならないのが、バッテリーアイコンの残 りの容量だ。かなり残っている。ここに重要な課題が隠されていることに気づかなかったんだな。
 そもそも、この頃のType IIIはニッケル水素電池だ。最近になってこいつの特性が云々され始めてきた。ニッカドの時はけっこうメモリー効果のことが謳われていたが、ニッケル水素 はこのメモリー効果があまりない、と言われていた。しかし、次なる絶対残量のことは一切触れられていなかった。つまり、最近になって言われ始めたのだが、 ニッケル水素電池では、完全放電は好ましくない、ということなのである。むしろ、完全放電しては場合によっては充電不能になる可能性がある、ということな んだ。
 古いPowerBook 100シリーズなどでは、OS7.1などの時代、2ヶ月に1度、充電しろ!のダイアログが2回出てスリープに入る直前にアダプターを接続せよ、というチッ プスがあったが、どうも、これは間違いではなかったか、と感じる。この場合は、最初のダイアログが出たときにアダプター接続して充電開始するべきではな かったか、と最近100シリーズのバッテリーを分解して感じた。
 この方法がフィットするのはニッカドバッテリーだ。ニッカドなら完全放電、完全充電の繰り返しを行うと、かなりのタームで良好な性能が得られる。 PowerBook 100のリプレースバッテリーにニッカドが使用され、充電専用のコネクターが装備されている理由が分かったような気がした。
 そういえば、ヤマハの電動アシスト自転車パスのバッテリーの変遷がPowerBookのバッテリー変遷に似ている。でもPowerBookではニッカド が使用された.... 、そうなんだ、100シリーズのバッテリーにはニッカドと記載があるが、実のところは後半になってニッケル水素になった可能性もある。Duoのバッテリー でもType II辺りからニッケル水素になったのではないだろうか、と想像するんだ。
 個人的な理由は150用に購入しておいた比較的新しいバッテリーがダメになったし、同じようにType IIのバッテリーもだ。そして、最近ではインテリジェントバッテリーである500シリーズのバッテリーも同じように... 。
 最後の最後でオチがある。というのは、多くの良好なバッテリーがダメになる最大の要因は長期間バッテリーを装着したまま動かさずに保存している場合に起 こりやすい。使用状況にもよるが、電源を入れたり切ったりする回数が頻繁に起こったり、1週間に1回程度の使用などでは、バッテリーにとってはいい状態と はいえないのである。このことは現在のリチウムイオンバッテリーにも当てはまる。
 そして、ACアダプターを本体に装着したまま電源コンセントだけ抜くと、ACアダプターは有能な放電機になることもご承知おきいただきたい。

2002年 1月26日(土)
Duo2300cをドッキングして使用してみる
 Duo2300cの修正を終えて、Mini Dockを接続し、純正トリニトロン管の13インチモニターに出力して使用している。
 そもそも、Duo2300c(以下Duo)の日増しに強くなるディスプレーが赤みを気にしつつ使用していたが、一昨日とうとう上下に幅15mm程の色の 濃い帯が走ってしまった。オートバイの点火プラグの一件から、「赤み」というのは何となくキカイが発する危険信号なのかもしれない、と感じるようになって しまった。一般使用にも無視できないほどのものであり、何とかパーツを、とネット上で探してみたが新品などは入手のしようがない。もうDuoといえども過 去のマシンになったな、と感じた。
 幸い最初に購入し、ロジックボードが壊れたままで放っておいた最初のDuoからディスプレーだけ取り外し、1時間程度で換装を終え、事なきを得たが、思 うに、カラー表示のDuoは280cがもっともいい機種であるように思う。ロジックボードを2300cのものに変換するとしても、ディスプレーだけはどう しても元の270c、280cの8.4インチの液晶の方が断然いい。これはシャープ製の液晶、ということだけではなく、液晶そのものを支えるリッド(ディ スプレー部分)全体の強度上からも言えることである。当然、トラックボールの方が使用がスムースだ。
 ディスプレーを換装してすぐさま、十分にいい発色が確認できたし、心持ち作動もスムースになったように感じる。
 そうそう、PowerBook G3の件で雑誌の中で見つけた記事だったが、「'99モデル'00モデルの液晶は2年ほどでイカレるから、自宅ではDuoのように外部モニターを通して キーボードマウス別々で操作している」、とおっしゃってたヘビーユーザーが居らっした。今回の僕の一件でも感じたが、まさしくそのとおりの使い方をした方 がいいように感じる。
 が、どうもDuo Dockというものがでかくて閉口している。完全にデスクトップ機になってしまう。それが狙いと言われればそれまでだが、簡易な方法でDuo本体を何とか 総合的に1台のMacとして使用するのは、やはりミニドックぐらいが一番いいように感じる。
 何をするにも恩恵を受けるのは全てのものがこの小さいドッキングステーションによって接続でき、作動するときだ。僕はうれしくなってしまう。これで NewerのUltra DockがあればイーサーネットまでOKとなるのだから最高だ。
 しばらく使っていると、これって数年前に愛媛保険さんで270cが使用されていたのと同じ方法だ、というのを思い出した。その時データベースのファイル メーカーが気持ちよく動いていて、どこに本体があるのか、と思いきや、パソコンデスクの中間部に置いてあった。そう、ミニドックを装着すると、スラントし て通風の面でも有利になるんだ。これはいい!、と感じ、その時からDuoを追い求めるようになったし、2300cがリリースされて280cなどのPPC化 などのことも僕の思いに拍車をかけた。
 現在のところはこういった状況なのだが、次は何とか280cを手元に置いておき、比較的美しい筐体のままでのストックパーツとして、今回と逆の方法で使 用してみたい、と思う今日この頃である。

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